Tomaso Antonio VitaliのChaconne

FacebookのPageを貼り付けていたら、突然layoutがおかしくなって、何をしても、uploadされなくなってしまいました。
homepagebuilderを再installしてみても、改善されなくて、窮してしまいました。
20時間近く色々と試みたのだけど、万策尽きてしまいました。
という事で、最終手段で、おかしくなった文章を全部削除してしまいました。
一応、治ったヨ❢❢

壊れた文章はwordpadにcopyしたので、文章の修正をして行く事にします。


2011年10月30日の八千代市生涯学習プラザ主催の芦塚音楽教室の対外出演のコンサートです。
写真をclickすると、You Tubeへ飛びます。


   
index

Facebookより

2011年10月30日の八千代市生涯学習プラザ主催の芦塚音楽教室の対外出演です

「David版のTommaso Vitaliのchaconneと、baroque‐versionの楽譜のお話」

 「Tommaso Vitaliのbaroque‐versionのornamentとRealisationの作成が終わった。」

「紗來ちゃんの希望による[18番]の前の小節のDavid版への変更に伴うorchestraのrhythmの変更」

VitaliのChaconneの練習風景です

突然、VitaliのChaconneのAshizuka-versionを作り始めた

David版からのorchestration





You Tubeより

Chaconne g Vitali orchestra-version指揮芦塚陽二11年10月30日八千代
八千代市生涯学習プラザ主催のKoncertでの演奏です。soloは中3の女の子です。

2018年11月11日芦塚音楽研究所千葉教室の秋の発表会 古川紗來12歳(小6年)

Vitali Chaconne period-version von handschrift(baroque-Violin 斉藤純子)Bearbeitung bei Yoji Ashizuka

Vitali chaconne g Charlier版 小1芦塚音楽教室
子供を教え始めた最初の生徒の演奏です。小学1年生です。伴奏は中学1年生の女の子です。初めてのPianoの生徒です。

Chaconne Vitali David-original・fassung 萩元美音(小6)芦塚音楽教室秋の発表会
大変珍しいoriginalのDavid版による演奏です。
Charlier版ではN6の和音になっている箇所が随所にA♮のままで演奏されるので、こんにちのCharlier版を弾き慣れている人には違和感があります。


参考までに
Chaconne in g Tomaso Antonio Vitali David=Charlier=Ashizuka version (パソコン音源)
orchestra-fassungの出版されているGuido Guerrini版に近いversionの版です。弱い所を訂正して、華やかなCharlier版のpassageも取り込んでいる折衷案のversionになります。

Chaconne in g Vitali=David orchestra Bearbeitung bei Ashizuka Yoji
(パソコン音源)
Charlier版のpassageが消えて、よりoriginalのDavid版に近づきました。





まえがき

2021年7月29日木曜日からのupload
You Tubeで、若い女の子のsiteでVitaliのChaconneに付いて、お話をしていたのだが、一般の演奏家の知識とはこの程度なのかな??という事で、私の論文のPageを開こうとしたら、「な、な、な、なんと!」 la foliaのPageは在るのに、VitaliのChaconneのPageが無かったのだよ。
VitaliのChaconneが、Johann PachelbelやHennry purcellのChaconneのPageに同居させられて居るのだよ。
超、Shockを受けて、急遽、VitaliのChaconneのPageを作る事にした。
先ずは、FacebookからVitaliのChaconneに付いて、書いている所をコピペする所からだよな??


Facebookより

2014年9月11日

   

VitaliのChaconne orchestra-version
https://www.youtube.com/watch?v=hbleIFtDkBU


2011年10月30日の八千代市生涯学習プラザ主催の芦塚音楽教室の対外出演です。芦塚音楽研究所千葉教室の小、中高校生の生徒達とOBOGの先輩諸氏の演奏です。指揮は芦塚陽二です。
solisteは斉藤先生門下生の中学3年の女の子です。





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2016年10月20日 ·

「David版のTommaso Vitaliのchaconneと、baroque‐versionの楽譜のお話」
baroque-concertのprogramの中の「Vitaliのchaconne」のお話です。
 皆さんが知っている「Vitaliのchaconne」は、実は、Ferdinand Davidという人のarrangeによる作品なので、実は「Tommaso Vitaliの作品」というよりは、「Davidの擬古典の作品」という事になります。

 You Tube等々で、探してみても、総ての演奏がFerdinand Davidの版による演奏で、originalの古楽器によるbaroqueの演奏は一つもありませんでした。

 また、2,3冊のDavid以外の人(Charier版等)の校訂の版も出版されているのですが、総てDavid版を底本にしているので、擬古典としての楽譜になっているので、You Tube同様に、periodとして演奏する楽譜には、なっていないので、period奏法用の楽譜は、全く出版されていませんでした。※)検索を変えて探して見たら、periodのCembaloーversionの楽譜が出版されている事が分かって直ぐに参考までに注文しました。
 
 Tommaso Vitaliの直筆譜と思われる(・・というのは、Attributed toと書かれているので・・ネ??)楽譜が、Leipzigの図書館にあって、昔々、そのfacsimile版が発売されたので、早速、購入しました。

10年以上も前の事です。(私は「作曲家の直筆楽譜」を集めるのが趣味なので、ハイツの自宅には、Bachの直筆譜や、多くの作曲家達の直筆譜、或いは「Stravinskyの春の祭典」のsketch等の貴重な楽譜が大量にあります。)

(唯一、Leipzigの図書館のoriginalのfacsimileを音符に直した譜面が出ていたのですが、それはviolinとbasso continuoのcelloの楽譜のみのCembalo譜が書かれていない2段譜で、その楽譜で直接演奏をするのは無理な話でした。

 ・・という事で、今回のbaroque‐concertの演奏のためには、「楽譜起こし」から始めなければならなかったのですが、直接、facsimile譜から、楽譜を起こすのは、判読不能な箇所が多く、既に校訂者が判読して、印刷の楽譜にしてあるoriginalの譜面(勿論、2段譜のままなのですが・・)を手に入れて、今日(10月の19日の水曜日に・・)斉藤先生のbaroque‐violinと牧野先生のbaroque‐celloと私のCembaloの初見で、初練習(初合わせ)をしました。
勿論、そのviolinのpartとcelloのpartだけが書かれた二段の bezifferten Baßの譜面でCembaloのpartを弾いて・・、という事です。
ところが、Cembaloの右手のpartは bezifferten Baß(数字付き低音)の数字に從って、Cembaloの演奏を始めたのですが、楽譜上に書かれている色々な間違いの多さ(!!)に・・、特に bezifferten Baß(数字付き低音)の和音を表す数字の間違いが多くて、殆ど、小節毎に和音の訂正をしながら演奏しなければならなくって、全く、練習にならなくって、弾き通す事が出来ませんでした。
 
・・・という事で、急遽、Vitaliの練習は中止にして、その場で、斉藤先生にmelodieのpartを弾いて貰いながら、小一時間掛かって、楽譜に間違いの箇所に赤入れをしました。
(下に赤入れ途中の楽譜を掲載して起きました。総てのPageがこのように、赤入れされてしまいました。)

 ・・ここまで来ると、もう校訂の領域やkritikの段階ではないよな?? 
 私もこの歳になるまで、色々な楽譜を見てきましたが、ここまで間違いだらけの譜面は見た事がありません。
 この楽譜を底本にして、Cembalo譜を作り上げscoreを作り上げるのは不可能な事です。

当然、scoreとして、楽譜を出版するのは不可能なことです。
それで、楽譜が出版されていなかったり、periodの演奏が一つも無かった一番の理由ですよね??

 という事で、「無いものは作ろう!」という私の人生哲学の通りに、今作業途中の「Händelのsarabandeのperiod‐version」をハイツの自宅に戻ってから、大急ぎで仕上げて、その作業のまま、朝まで掛かって、半徹夜でchaconneのoriginal-versionの楽譜の作成に取り掛かった所です。

 思いの外、finaleに音符を入力する作業に手間取って、2日掛かりの作業となってしまいました。
 私が余りにも大変そうにしているので、斉藤先生が「finaleの入力だけなら、手伝ってあげる」と言ってくれたのですが、・・・でも、私のfinaleの入力の作業は、楽譜上に書かれている bezifferten Baß(数字付き低音の)数字の間違いを探して、正しい音符(数字)に直す所からなので、そこの所は専門的な知識を要するので、誰にも手伝っては貰えません。

  bezifferten Baß(数字付き低音)の数字が、もしも正しい数字で書かれていたとすれば、その数字を実際の音符に直す作業、所謂、「楽譜起こし」の作業は、単純作業になるので、私にとっては、Cembaloをcello譜を見ながら即興で演奏した方が数倍早い、退屈で面倒くさい作業になるのですよ。

  bezifferten Baßの数字が、正しく書かれていた場合には、右手のpartを音符に書き起こす作業は、上級生の生徒達に数字譜をCembalo用に、Realisation(楽譜起こし)を、させた方が勉強になって良いのですが、今回はbaroque‐concertの日にちが迫っていて、timelimitが直ぐそこなので、生徒達に書かせるだけの時間のゆとりがありません。11月の23日が、baroque‐concertの本番の日までに作りあげるのではなく、それまでにensembleの練習をしなければならないので、今更、楽譜を作る作業に時間的な余裕は無いからです。

 という事で、音符起こしの単純作業ですら、私自身の手でしなければなりませんでした。
 折角、私が労力を費やさなければならないのならば、楽譜に訂正する理由や、何故、そう訂正するのか?という方法論のlectureを、しっかりと書いておけば、演奏する人達の参考にもなるし、・・という事で、kritikを楽譜上に書き込んで起きました。
 
このkritikの文章の入った楽譜は、実際の演奏に使用するには、向きませんが、finaleというソフトでは、「書き込まれた文章を削除する」のは一瞬なのですから、その書き込みのあるscoreと無いscoreの2冊のscoreを作って保存しておけば、良いだけなのだからね。

 前にもお話をしましたが、日本の音楽大学でもCembalo科のclassがある学校は、随分多くなって来たように見受けられます。 
でも、Cembalo科のlessonの内容としては、baroque音楽の勉強としては、Pianoでやっていたlessonの延長線上のままに、Pianoで楽譜を練習して行き、それをCembaloでlessonして貰う・・というだけのありきたりのlessonなのです。
 でも、「Cembaloを弾く」・・という事と、「Cembalo奏者である」という事は、全く別の次元のお話になります。
 Cembalo奏者である条件では、Cembalo譜のmelodieにornament(装飾)を入れて演奏したり、即興でepisodeを弾いたりしなければなりません。 
 もっと、専門的に要求するのならば、 bezifferten Baßのcello譜を見て、即興で右手のpartを演奏出来なければならないのです。
 つまり、Cembaloを演奏するだけならば、Pianoが弾ければ、基本的には(Cembaloのtouchの事などを厳密に言わなければ・・)誰でも演奏する事が出来ますが、私達が普段period奏法として演奏している曲の楽譜は、専門の人達が弾く楽譜として出版されているので、 bezifferten Baßの右手のpartは、参考までに・・という意味でしか、書かれていないのです。つまり、殆どのproのCembalist達は、右手のpartが書かれている譜面であったとしても、その右手のpartは参考程度にして、即興でその右手を演奏していくのです。
 つまり、その楽譜を見ながら、和音や音符を補填、補充して演奏しなければならないのです。
しかし、日本の音楽大学のCembaloのclassで、そういった指導がなされる事はありません。では日本では、何故そういったCembalo奏法の技術を指導しないのでしょうか??
 それは、装飾や即興の技術に関して、日本の音楽家達には間違えた理解があるからです。その顕著な言葉をnetで見つけました。それは「即興やornamentの技術は、神から与えられた能力であり才能なのだ!」という一文です。
 つまり、日本の音楽家達は即興やornamentをinspirationや、感覚的、情緒的に付ける・・ものである・・と、思い込んでいて、学習し、学び取る事が出来るものである・・とは考えないからなのです。

 話をチョッと元に戻して、・・・・
また、日本人の指導者達は装飾音が出て来たら、非常に素早く鋭く演奏させる傾向があります。
この勘違いも、多くのPianoの指導者達が、普通に信じて疑わなく指導しているのですが、その間違いの演奏法がどこから来たのか、理解不能な事で・・
・・これも、考えられない日本独自の、勘違いです。

 実際には、trill一つ取っても、非常に多くの奏法があり、楽譜を解釈する時に、その曲の演奏に合わせて、ornamentの種類や速度等を選ばなければなりません。

 私が子供達にlessonをする場合には、一番最初のbaroqueの音楽である、「Bachのinvention(!)」※)を子供達に教える段階で、書かれているtrillに、accentを表すtrillや、弱拍を表すtrill等を蛍光ペンで色分けさせ、そのように、trillの奏き分けをさせます。
※)Bachのinventionは、殆どのPianoの指導者達は、一般の教育教材であるかのように錯覚して、Pianoの指導教則本としての指導をしています。そのinventionが、Bachの手により、baroque時代に書かれた作品である‥・という事は、何処かに置き忘れたままで・・ネ??
 
確かに、即興でepisodeを入れたり、eingangを演奏するのは、ある程度の、才能、能力は必用なのかも知れませんが、普通にbaroqueやrococoを演奏する時には、装飾音の一覧に書かれている記号を譜面のその表現に必用な部分に貼り付けるだけで、充分なbaroqueやrococoの演奏表現が出来るようになります。
 
その一例として、ひとつの教科書(template)として、その当時に課題として勉強をさせていた、baroqueの室内楽であるHennry purcellのtriosonateのg molには、一切の即興やepisodeの類は入れないで、必用な場所に必用なarticulationを、ornamentを書き加えるだけで、表現させて演奏させています。
たったそれだけの事で、立派なbaroque音楽の演奏になからですよ。不思議な事に・・ね??
Chaconne g Hennry Purcell triosonate Nr.7 period instruments ornament aussetzung von Yoji Ashizuka - YouTube

You Tubeに掲載されているcomment:
2015年10月11日芦塚音楽研究所千葉教室秋の発表会、千葉市文化センター・アートホールによる演奏会です。
曲は、Hennry purcellのtriosonate g moll Nr.7 Chaconneです。
第4部1番 period instrumentsによる演奏(baroque instrumentsと奏法)です。
periodに関する演奏法とinterpretation、ornamentの監修は芦塚陽二先生です。 baroque-violinⅠ斉藤純子先生、baroque-violinⅡ本田梨紗、Joannes Ruckers-model-Cembalo 岡村智子、basso continuoのviola da gamba 牧野由起子先生です。

『baroque-instrumentsの音量の問題点』
会場は千葉市文化センター・アートホール(客席数500)なので、baroque楽器にとっては会場が少し大き過ぎるために、acoustic(残響)が少ないので、弦の音が伸びません。 ・・という事なので編集の段階で、acousticを増幅する事も考えたのですが、面倒くさいし、加工された音響も嫌なので、普段の通りに会場録音のままに、なにもしないでupする事にしました。

baroque楽器の場合には150席ぐらいのHallの広さがmaximなので、例え小ホール(所謂、500~700席の会場)でも、少し大き過ぎるので音が聴こえ難い事もあるのですが、今回の演奏では、充分に音が届いているので、digitalの変換加工はやめておきました。 videoの編集作業では、この曲・・というか、triosonate特有の声部の追いかけッコを活かすためにstereoで編集したかったのですが、音声の編集作業が、またちょっと大変で、それだけの時間も無いのでstereoの編集作業も諦めてしまいました。

『baroqueのperiod奏法と絶対音感のお話』
今回の解説のapproachは視点を変えて、「絶対音感のお話」です。
音楽家にとって、非常に重要で必要な才能、能力でもあると言われていて、音楽を学ぶ子供さんのために、高額の絶対音感教育を受けさせている人達も多い・・と言われている絶対音感なのですが、私達の教室では絶対音感の対しての教育は特にやっていないのですが、教室でorchestraや室内楽を学んで来た生徒達は全員皆、絶対音感を持っています。

全員が絶対音感を持っているので、教室の生徒達にとっては当たり前の事で、有難味を感じている生徒はいません。困ったものです!!

・・このお話は、教室の自画自賛のお話ではなく、baroqueの音楽を勉強する上では、絶対音感を持っている生徒達(今回のviolinの梨紗さんやCembaloの智子さん達等々の)生徒達にとっては、逆に、楽譜上の音符と、実際に出る音のpitchが変わってしまい、半音近く低くなるので、譜面と出て来る音が合わなくなってしまい、baroque楽器を演奏する時には絶対音感は、非常に困難を招いて、演奏上に苦痛を伴う結果を招く事もある・・と言うあまり世間では知られていない事があるのです。

一般的には、絶対音感を持っている人自体が少ないので、絶対音感の弊害のようなものは、取り沙汰される事はありません。
譜面を見るから、迷ってしまって、間違い易くなってしまう、・・・と言う事ならば、譜面台を立てなければ良いと思うのですがね~ぇ?? 

梨紗は暗譜をしているのに、何故、譜面台を立てているのだろう??不思議だ??
本番では、間違えなく弾いているようですが、練習の時には、譜面に気が行った瞬間に、音を迷ってしまう事が時々ありましたよ。
指導する先生達にとっては、period楽器の演奏上の、音符と実際の音の違いは、もう、30年近いcareerがあるので、慣れてしまっていて、演奏活動上別に問題はないのだそうですが、子供達にbaroqueの曲の勉強をさせる時には、実際に出る音と譜面上のpitchの違いに慣れさせるまでには、生徒達にbaroqueの音楽や、baroque楽器を勉強させる上でのネックになっています。

現実的には、生徒達は楽譜を一度、完全に覚えて(暗譜して)記憶上の音を半音下げて演奏する・・という非常に面倒くさい事をしています。
譜面を見なければ、pitchの問題は起こらないからです。

 baroqueの音楽を勉強させる時には、教室の生徒達、子供達の場合には、趣味の生徒達なので、baroque楽器を購入させる分けにも行かないし、最悪の場合には、折角身に付いた絶対音感を失う事も有り得ない分けではないので、baroqueのperiod奏法を指導する場合には、modern楽器を使用して、pitchも演奏会高度の443cycleのままで、baroqueや古典派の演奏法を指導しています。

教室での、そういったmodern-violinでの、演奏会高度の演奏は、You Tubeで幾つか聴く事が出来ます。

『移調楽器に付いて』
楽譜上の音符と実際に出て来る音が違うと言う事は、baroque-pitchの場合だけの問題ではありません。
古典派のconcertoの管楽器を演奏する場合にも、管楽器は移調楽器が多いので、当然、そういった問題が起こります。
教室では「古楽器の管楽器の指導」・・と言う事よりも、管楽器自体を指導していないので、学校教育に直接関与しているrecorderを除いては指導していないので、古典派のconcertoを演奏する場合は、管楽器のpartは、Keyboardで楽器を指定して演奏しています。

 以前は、Mozart等のPiano-concertoのために、音楽大学の管楽器の学生を、バイトで雇った事もあったのですが、有名音楽大学の学生であったのにも関わらず、einsatzを与えても自分のpartを入って来る事が出来ず、音も余りにも下手なので、2,3回雇って見たのですが、その都度、失望の方が多く子供達のためにもならないので、外部から管楽器を雇うのはやめて、教室のPianoの生徒達がKeyboardで管楽器をを担当する事になりました。

 という事で、昔々は、子供達のために移調楽器を、Keyboard用に、私が本来の調に戻して書き直していたのですが、この所は(歳のせいか??)それも面倒くさくなって、・・・例えば、StamitzのViola-concertoやHoffmeisterその他の作曲家の演奏には、KeyboardをclarinetのA管と、hornのD管にtransposeして、scoreで楽譜をそのままに(移調しないで・・)弾かせています。
 これも単なる慣れなので、Pianoの生徒達も全員、絶対音感があるのですが、楽譜に記されたそのままに演奏しています。勿論、partも作らないで、scoreでそのままに演奏させています。

『scordaturaのお話』
絶対音感も、もっと高度なお話になると、弦楽器の場合には、scordaturaという調弦方法があります。
一番、簡単な良く見受ける例としては、教室では常設曲であるPachelbelのcanonのcello、Kontrabassのpartなのですが、celloのpartは兎も角として、Kontrabassのpartの最低音は「d」の音なのですが、Kontrabassの調弦上の最低音は「e」なので、教室では、上級生はKontrabassの一番最低の低弦の「ミ」の音を「レ」に調弦し直して演奏します。

 ギターでも時々そういう風に調弦する事がありますからギターを弾く人は、scordaturaという言葉を、ご存知かも知れませんね??

『biberのRosarysonateについて』
斉藤先生のbaroque-violinでHeinrich Ignaz Franz von Biberのロザリオのソナタという曲がありますが、その曲集は1曲毎に、(或いは、曲の途中で・・)調弦を変えて弾くという、超高度な調弦法で演奏する曲です。
その曲集(Rosenkranz-Sonaten)の場合は、私が楽譜を見ても、一体どういう音がするのか、楽譜上では全く判断が出来ません。
楽譜の記譜とは全く違った音が出て、しかも、pitchがbaroque-pitchで、(教室では365~418cycleで)演奏するので、全く、判別不能になります。
斉藤先生のロザリオのソナタの演奏もYou Tubeにuploadしてありますが、実は、この作品を演奏出来るのは、日本・・と言うか、世界的にも、数人しかいません。アハッ! (巷の音楽教室の先生がそんな曲を弾いてはいけないのだよね??)

『神からのgiftである「ornament」について』
次にornamentや即興のお話に触れる事にしますが、netでhomepageを見ていたら、「ornamentと即興は神から与えられた天賦の才」と言っていた人達のtweetがあったので、私は思わず、「私とは違うな~ぁ??」と思ってしまいました。

私は「ornamentや即興の技術は、単なる学習でマスター出来るものだ」と思っています。
 そのcommentというかtweetに対してのantitheseのために、この曲のinterpretationのornamentを、音楽の理論上のarticulationによるornamentのみの装飾で、情緒的感情的なornamentを一切に交えないままに、論理的に数学的に装飾を施す・・という方法でこの曲にornamentを施しました。

私が教室で生徒達を指導する上での基本的な姿勢としては、高校生以上の生徒達には、Vivaldi等の作曲家のⅡ楽章の即興やornamentは、自分達で作成させています。 (Vivaldi、2台のviolinのためのconcerto、Op.3Nr.6 a mollのⅡ楽章等で高校生と大学生のornamentと即興演奏をYou Tubeで聴く事が出来ます。) 小、中学生達は、ornamentの作曲は未だ無理なので、私が譜面に書き加えています。ハイ!

つまり、ornamentや即興は天賦の才は必要なく、学習する事が出来る類のものなのです。 それでなければ、baroque時代にornamentや即興がこれ程、一般的に作られている分けはありませんからね。

『baroque-instrumentsとgut弦について』
baroque‐violinの場合には、楽器と弦の相性という事で、先ずgutの弦のsizeやその種類で、演奏する楽器に合うgut弦を探し出して、その曲に見合う音を出すための作業が必用なのですが、同じ種類のgutでも太さ違いで音の質が変わって来るので、今回は未だちゃんとあったgutが探し出せないままの演奏になってしまったのが心残りです。
張りが強くて、伸びのある音を出す弦を探しているのですが、試す事が出来ないので、最初は無駄な出費が増えてしまいます。
決まると、後はそれをbaseにすれば良いのですがネ。 

  もう一つのbaroque楽器にとっての泣き所は、日本の高温多湿の湿度です。
Europaの場合には、殆ど湿度がないので、楽器の響きに取っては頗る良いのですが、日本の場合には、空調を効かせた会場でも、弦が伸びてしまいます。
modern楽器の場合でもそうなのですが、特にbaroqueのgut弦の場合には、弦の伸びが激しくて、演奏中にもpitchが下がって来て困ってしまいます。

曲の間にtuning‐timeを入れるように、注意はしているのですが、どうしても、曲の雰囲気が切れてしまうので、tuningをしないままに、次の曲を演奏してしまう事が多いようです。
まあ、どちらが良いのかは、なんとも言えないのですがね。
後はbaroque-bowについての説明のお話がありますが、文字数の制限でここ迄にします。

You TubeにuploadしているこのHennry purcellのtriosonate g mollの曲は、勉強している弟子達のために、一切、情緒的感情的な装飾やepisode等々を入れないで、演奏表現が必用な所にそのornamentの記号だけを付け加えて、arrangeしたものなのです。
のっぺら坊の裸の旋律が古式豊かなbaroqueの演奏に聴こえて来るので、不思議なものです。
つまり、それだけの知識を持つだけで充分なのですよ。

それはそうと、改めて、1年半ぶりに、You TubeにupしてあるHennry purcellの動画を見たのだが、パソコンの画面上の動画を、パソコンの操作だけで画面をつなぎ合わせて動画の編集ソフトで作ったのだが、編集ソフトが余りにもヘボくて、画面上の楽譜のPageが切り替わる毎に、動画の画面がブチッ!と切れて、間に緑のnoise画面が入って来て、非常に目障りで公開するには、余りにも良くない。

パソコンに入っているソフトを使用して、画面上だけで編集をしようとしたのが、良くなくて、結局、パソコンのソフト間のendlessの作業の「どつぼ」にはまってしまった‼

それだけなら、まだ良いとしても、finaleでtempoを設定する時に、何を焦り捲っていたのか、ゆっくりしたtempoの設定は良いのだが、早い部分のtempoの設定が焦りまくっていて、苛ついた情緒が丸出しだ❗
やはり、uploadされた動画を削除して、新たに同じ動画を作り直さなければならないのかも知れないが、simple is Best‼で、変なパソコンのソフトを使用しないで、単純にパソコンで再生しているfinaleの画面をそのままvideocameraで録画すれば、何も起こらなかったのだよ??

(気を取り直して、次の日の早朝、22日の朝早くにfinaleのtempoの設定の変更をしました。これで、パソコンの苛ついた演奏はなくなると思います。でも、この演奏を動画に反映させるには、元のURLが死んでしまうのよね。動画の差し替えは、基本的に出来ないのよネ。)

 You Tubeにuploadされている、このパソコンによる動画の映像は15年の5月27日と31日に二つuploadしました。但し、5月の27日の分の動画はYou Tubeの方は削除したので、Facebookでだけ、見る事が出来ます。その他に実は10月の発表会でも、このHennry purcellのchaconneを「baroqueの室内楽の部」として演奏しています、がその方が生の音なのですが、その演奏はuploadしていません。
 
この時の発表会でのこの曲の課題は、生徒達の「period奏法への初めての試み」であり、私のperiod奏法の生徒達への指導、lectureである。 

勿論、斉藤先生、牧野先生の先生達は、これまで何度もperiod instrumentsでの公開演奏をしているので、演奏上の点では、何の問題も無いのだが、生徒達にとっては、period奏法でbaroqueの楽器で演奏するのは、始めての経験なので、やはり相当難しい事なので、発表会での演奏に関しては、period奏法の技術が未だに未熟なので、公開するだけのNiveauに達していない‥・という事で、動画のuploadはしなかったのだが、改めて聴いて見ると、音が汚いのは寧ろ、反省会用の圧縮された音源のせいだと思われるので、正しい録音をこれから聴いて見て、音的に問題がなければ、パソコンの音源よりも、マシなので、動画を差し替えようかな?と思っている所です。(ここのコメントは16年の10月の22日のお話です。)

 日本の自称Cembalo奏者の人達には、そのornamentを付けたり、episodeを加えたりするための技術を持っている人はいません。つまり、音楽大学では、そういった高度な技術指導して貰ったり、学んだりする事は無いからです。音楽大学の先生達がその技術を持ち合わせていないからです。(美紀先生は、教室の演奏活動をしている時に、必然的にその技術を、私からうるさくlectureされているので、「ここの所は32分音符のepisodeを入れて・・!」とか言うだけで、そのように即興で演奏出来ますがね。)

つまり、ornamentを付けたり、即興をする事は、一般で言われているように、天与の才能は、必用ありません。ornamentの意味を知り、楽譜上で、その必用なornamentの種類や場所を理解出来れば良いだけなので、教室の中学生でも、その程度は出来るようになります。(勿論、ちゃんと、Cembaloのlessonを受ければ‥・という事が、最低の条件ではありますが・・。)
 
  ※)「以下の文章は10月29日に差し込みをした新しい文章です。」
 《・・・・「全く出版されていない!」・と思ったのは、私の勘違いでした。
10月20日のFacebookにuploadした後で、「Vitaliのoriginal‐versionが出版されていない・・というのは絶対におかしい!」と思い直して、私が探している検索条件を変更して、探し直す事にして見ました。
つまり、以前、私が書いたように、「Vitaliのchaconneの手書き譜」は直筆とは思えないという私の仮定を正しいとした前提で考え直して見ると、もし、図書館にあるVitaliの原譜が、「写本」だったら、UrtextというTitleは使用出来ないし、originalというTitleも使用する事が出来ません。
 
それなら、「出版社はどのように、楽譜を出版するのか?」・・という事に留意して、どのように探したら、periodの譜面を探す事が出来るのか??という事を考えました。 

 「伴奏のpart」を「伴奏」として書いてあるのは、間違いなくDavid版なので最初から省いて、Piano伴奏と書いてあるのも、勿論、David版です。

それならば、「violin e basso continuo」とか、「Realisation・・云々」と書いてある楽譜に限定して探して見ると良い‥・という事で、改めて探し直したら、あったのよね!!これが・・・!!
 それがRicordi版と、Bärenreiterのarchive版です。

 早速、その楽譜を取り寄せて、昨日(28日に)手に入った所です。
 ・・今日中には、checkを開始します。
 その版を、先に手に入れる事が出来たら、「Ashizuka‐version」は、作る必用がなかったのでは??・・と、先生に言われてしまったのですが、実は、そうでもないのよね??
 
 未だ、昨日の深夜に、ホンの一、二分だけ、楽譜をチョイ見せして貰ったばかりの段階なのですが、それでも、既に、Ricordi版もBärenreiter版も、帯襷なのよね!!

結構、間違いを修正出来ていないし、伴奏譜やviolinのmelodieも含めて、まだ水準(Niveau)には達してはいないのですよ。
そこに、Ashizuka-versionを作った意味があります。

二分の三拍子!
初めて見ました!
10月20日 6:37


キリスト教の世界観では、三位一体の三の数字が完全な調和を表す数なので、完全を表す円は、3拍子を意味します。
ですから、ヨーロッパの人達にとっては、3拍子の方が身近な拍子になります。二拍子は、「不完全な・・」とか、「欠けた」拍子である・と言って、円を欠かしてCのカタチにして4分の4拍子を表しました。更に、欠けたCに更に縦線を入れて、2分の2拍子を表したのですよ。 
Beethovenの英雄Symphonieとか、Mozartの魔笛の最初では、Es Dur(♭が3つ付く調性で、Cの音からから数えて3番目の音であるEsの和音)を、しかも3回鳴らして、天上世界や神の世界を表現します。

ですから、baroqueや古典の作曲家達に取っては(というよりもヨーロッパの民族に取っては)、基本の拍子は3拍子なのですよ。

日本の民族音楽の歴史の中では、3拍子は一つも登場しません。
日本民族が3拍子を感じるのが弱い所の由縁です。芦塚メトードで子供達を指導する時には、拍子感を身に付けるために、基本のdanceのstepを教えます。
(danceのstepであって、danceを教える分けでは無いのですよ。私はdanceは出来ないのでね?)

基本的に、2拍子のdanceは、マーチのように、直線運動で、所謂、3拍子の舞曲は回旋運動になります。

それはstepから来る原則なのです。1で軸足を取って、2,3と回転するのですよ。だから、ウィンナー・ワルツのように、stepが端折って聞こえるのです。PolonaiseやMazurkaのような、舞曲のrhythmを覚えると、とても楽しいですよ!!Pianoを演奏しているのに、自分が踊っているような気分になれますからね??  

以前、智子ちゃんにPolonaiseのrhythmを教えるのに、自治会館で、バレーダンサーがPolonaiseを踊る時にする「ジャンプをして空中で足を3,4回交差させる」のをやって見せたら、「え~ッ、踊れるんだ??」と、ビックリしていました。
でも、1回のstepだけで、もう青息吐息なのですがね??
balletで見ているので、stepだけは覚えているので、再現は出来ます。
1回だけならばね??
10月28日 21:09


楽器はモダンになってしまいますがオリジナル版弾いてみたいです。
10月
20日 9:06

今私が作業しているCembalo譜のRealisationは、美紀さんがCembaloの即興で演奏が出来るので、私の「譜面お越し」は、一番単純な形の面白くも可笑しくも、何もない数学的で単純なRealisation譜で、和音が聞き取り易いようにorgelのpartで書いています。※)
baroque音楽では、皆と合わせる過程で、「ああでもない!こうでもない!!」と、面白可笑しく作り上げて行くのですが、そのaboutさがなんとも、楽しいのですよ!!
そこの所はjazzのセッションと似ているかな?? 
同じ演奏は二度と出来ない!!
そんな感じの譜面で良かったら、出来上がったら譜面を差し上げますのでよ、是非、どこかで演奏してください。
You Tubeには皆無なので、面白いですよ!!
勿論、楽器はmodernでも、CembaloではなくPianoでも良いと思いますよ。
10月21日 15:45

※)・・・と思っていたのですが、ついついornamentやfigurationのepisode迄もかいてしまいました。
ついついの悪い癖ですよね。



『Ricordi版やBärenreiter版のperiodの譜面についてのお話』

折角、Tommaso VitaliのchaconneのAshizuka-versionを作り終わった後の事なのですが、Vitaliのchaconneの出版カタログの楽譜を片っ端から調べて見たら、violin&basso continuoの譜面がRicordi版とBärenreiter のarchiveの部門で出版されているのが分かったので、早速手に入れました。
この楽譜が出版されているのなら、私がkritik‐Ausgabeを作る事も無かったのに、・・と思ったのだけど、やっぱり、色々と解釈の違いや、Realisationの違い等々、色々と微妙で、やはり、面倒くさかったけれど、結果としては、自分で校訂していて良かったと思いました。
 
でも、一般的には、通常のchaconneのbaroque‐versionとして、演奏する時には、二つの校訂を見比べて,良いとこ取りをすれば、それで充分なのではないか??・・と思いました。
この2冊を探し出せなかった理由は、2冊とも、「original‐Ausgabe」とか、「Urtext‐Ausgabe」という文言が入っていません。

つまり、originalの底本にされている楽譜が、Vitaliの直筆である・・というよりも、写本の可能性の方が高いので、Urtextという肩書が入らなかったので、私が探せなかったのですよ。  

でも、絶対に、Realisationされた楽譜があるはずだと思って、楽譜のTitleに「violin&basso continuo」という言葉が入っているのならば、所謂、数字付き低音のRealisation譜なので、原典に近い版である・・と推論して、改めて、楽譜を探してみたら、この2冊をピックアップする事が出来ました。 

私のversionは、kritikだけで、basso continuoの数字のRealisationの譜面はなるべく単純に、数学的に書いていますが、他の2冊は、売るための演奏譜として、音の動きを留意して書かれているので、2冊を比べて見ると、passageによって、どちらの方が良いのかは、それぞれで、判断に苦しむ所です。 
それに伴奏がCembaloでなく、orgelの場合でしたら、私のsimple is bestのversionの方がより良いかも知れませんが、反対にCembaloで伴奏する場合には、勿論、物足りないと思いますよ。※)

10月29日 1:31
※)さや堂のbaroque‐concertでの演奏を想定して書いているので、「simple is the best」のorgel-versionは諦めて(却下して)、Cembalo-versionにrenewalしてしまいました。


今日は10月30日(日曜日)の早朝の3時半です。昨夜の土曜日の夜は、すっかり、気分が悪くなって、食事もしないで、ハイツに帰って来て、総てそのままにして、布団に潜り込んで、今起き出して、荷物の整理を始めた所です。

ついでに、手に入れたTommaso VitaliのchaconneのRealisationの譜面を見ている所なのですが、これがまた、超、酷い!

Ricordi版の方は、有名な指揮者であり、昨年亡くなったClaudio Abbadoのお父さんであり、高名なviolinistでもあるMichelangelo Abbadoの校訂した版なのですが、これがやはり、一昔前の、Realisationで、和声法の原理を良く知っていないズブの素人のarrangeなのだよね??

BachやHändelなら絶対にしない和音進行を平気でしているのよね?
こりゃ~、問題外だよな・・・?? 

Bärenreiter版は、Archivだけあって、妙な演奏効果を求めないで、和声進行は未だマシなのだが、 bezifferten Baßを、勝手に書き換えているのよね?? ・・・それは無いだろうよ???

ホンと帯襷なのよね??
困ったものだ!!
Ricordi版が間違いだらけなのは昔から、誰もが周知の事実だが、Bärenreiter版 ですら、勝手な解釈をするのは、幾ら底本が写本であったとして、その数字が信用が於けないとしても、許せない。
10月30日 4:06


今日は10月21日(20日の夜という事)の深夜3時半です。
間違いだらけのVitaliのchaconneの楽譜の訂正と bezifferten BaßのRealisationが終わって、kritik‐Ausgabeの出来上がりですぞよ!!
さて、今から、orgelの音源で聴きながらwineでも飲んで「独り祝杯」でも上げるか???
蛇足ですが、勿論この動画はYou Tubeには公開していません。
このFacebookだけで閲覧出来る閲覧限定です。
10月21日 15:00

Tomaso Antonio Vitaliのchaconneは、こんにちではFerdinand Davidの作品である事を疑う人はいません。
[Davidは、かの有名なviolinistで、作曲家でもあるシュポア‐とハウプトマンに師事して、頭角を表した演奏家であり、Leipzigに在住し、Leipzigの音楽院で教鞭を取っていて、Mendelssohnのviolinconcerto e mollの初演をした人でもあり、e mollのconcertoの作曲に関しても、Mendelssohnへ多くの助言をした人でもありました。

・・と、言うことでLeipzigの図書館で、Vitaliのoriginalの楽譜を発見して、Pianoの伴奏を付けて、この曲を世に広めた人です。
・・ですから、今回のfacsimile版はDavidが曲を作る時に、底本にした楽譜であると思われます。]  

しかし、このfacsimileの楽譜が、Tommaso Vitaliの直筆のoriginalの楽譜であると言う事は、にわかには信じ難いものがあります。 その主な理由は、曲の和音を示している bezifferten Baßの数字が、余りにも間違いだらけであるだけではなく、melodieのpartも、、間違えて書かれている場所が多過ぎるからです。
つまり、作曲家自身が書いた譜面ならば、そんな間違いは絶対にしないのよね!!  

書き間違いの意味ですが、別にチョッとしたmelodieの書き損じ・・と言う意味ではなく、明らかに素人の書いたような、音符の読めない人が一生懸命に書いたような、有り得ない必然性のない音符の間違い・・それは、調性のなかではmelodieの体を成さないと言った明らかな間違いの箇所・・が数多く見受けられるからです。 

それはそうとしても、音符はとても書き慣れている人の手によるようです。
あたかも、Bachの筆跡よりも、更に美しく繊細な筆跡であり、Bachと寸分違わない筆跡の、Bachの奥さんであるAnna Magdalenaの写本を思い起こさせます。 

当時は、コピー機も写真も無かったし、印刷するにも、作曲家自身の手で、銅板を削って音符を書き込んだ大変な作業だったからです。
一般的には、殆どの楽譜が広がって行く場合には、曲はその曲を欲しい人自らが、手で書き写して広がって行ったのです。
だから、当時に書かれた楽譜であったとしても、作曲家自らの手で書かれたものである、可能性は低いのです。

とう言う前提の元で、Leipzigの図書館に書き添えられている「Attributed to・・」の文字が意味を持って来るのです。 
originalではないにしても、Vitaliの家族が書いたのか、弟子を含めた親しい人が書いたのか?それともフアンの人が、一生懸命に書いた写本であるのかも知れない・・という、可能性の方が大きい・・と私は、思っています。 尤も、こんな事を言ってしまうと、学者先生達に怒られてしまいそうですがね。

・・・でもこれは、作曲家としての、冷静な立場での見解です。
10月23日 1:50

枕草子なども、広く写本されたようですものね。
手書きで楽譜・・・す、すごいですね!!!
10月21日 22:01



先程のHennry purcellのtriosonateのg mollの装飾音の有る無しの違いを、動画にしました。
finaleでは、装飾音は、その速度まではcontrol出来ません。
ですから、装飾音は演奏譜として、実音で書き込まなければなりません。
今回はそこまでの作業はしていません。
あくまで、装飾音の有る場合と無い場合の違いだけです。
10月22日 18:36

上記に書いたbaroqueの音楽に、装飾を入れる方法論のlectureを実際の演奏にしたものです。
つまり、課題はbaroqueの装飾法の勉強です。

trill一つでも、accentを表す早いtrill、弱拍や抜きを表す遅いtrill、音を持続させるための長いtrillや、vibratoを表すtrill、crescendoを表す速度の変化するtrillや、decrescendoを表すtrillの速度を遅くしていくtrill等、数えれば限がありません。そう言った基本の装飾記号の勉強でもあります。 

下のURLは、2015年10月の11日の千葉の秋の発表会でのbaroqueの演奏の光景で、梨紗さん、智子さんがperiod奏法に初挑戦している所です。

「何が難しいか?」と言うと、絶対音感を持っている二人に取っての、418cycleのbaroque‐pitchでしょうかね??
だって、書かれている音符よりも半音低い音が出て来るのですからね。
昔、I Musiciの演奏を聞いた私の弟子が、Vivaldiの春が半音低いと言って、顔を歪めていました。
慣れる迄には、それ相応に大変らしいですよ。 

それに古典調律のmeantoneの調律では、A♭の音がWolf-ton になるので、その音を純正調でハモらせるためには、微妙に音のpitchをずらしながら取らなければなりません。

violinにフレットが付いていないのはそれが理由なのです。
正しい純正のpitchを和音毎に取って行くのは、とても難しい技術なのですよ。 

Chaconne g Hennry Purcell triosonate Nr.7 period instruments ornament aussetzung von Yoji Ashizuka - YouTube





2016年11月8日 13:30 ·

 「Tommaso Vitaliのbaroque‐versionのornamentとRealisationの作成が終わった。」
 
今日は16年11月8日の火曜日です。
この所、一週間程の間、VitaliのchaconneのRealisationを書いていました。
 しかし、11:47秒で兎に角、曲が長くて、書けども、書けども・・終わらない・・という感じで、endlessの作業でありました。
 私的には、折角、Barenreiter版とRicordi版の楽譜を手に入れたので、その両方の楽譜の「良いとこ取り」をして、剽窃でもして、当座は、でっち上げようかと思ったのですが、楽譜をマジマジと見て驚いたネ??
うちの教室の生徒達の方が、数字譜はもう少しマシに書くよ!!
 
 剽窃と言うと穏やかではありませんが、それは冗談です。
何故ならば、演奏をする場合には、通常は市販の楽譜を使って演奏するので、「演奏のために・・」という事で、市販の楽譜を使用することは、剽窃には当たらないのですよ。
但し、市販の楽譜を、自分の楽譜として出版するとすれば、その剽窃の部分がホンの一部であったとしても、立派な剽窃になりますよね。※)
 楽譜は、当然、演奏するために売ってあるので、市販の楽譜を演奏に使用するのは問題はありません。
しかし、Ashizuka-versionとして、演奏する場合には、ホンの一部でも、市販の楽譜と同じpassageがあると問題です。
勿論、chaconneのthemaは、変更は出来ません。それを変更すると、もう、Vitaliのchaconneではなくなるからです。
 普段ならば、曲が出来上がってから練習に入るのですが、今回のように練習のlimitが近づいている場合には、曲が出来るのを待っていては、練習が間に合いません。
そのために、最初は、既成の楽譜をtemplateにして、練習を開始して、曲が出来る度に、差し替えて行くと、自然に、元の既成の楽譜の部分は消えて行きます。
 しかし、今回の購入した楽譜は、「練習のためのtemplate」にもならない・・というぐらい「ヘボい楽譜」だったので、既成の楽譜から、取り敢えずは、良いとこ取りをする・・・というのは諦めて、真面目にコツコツと、しかし、大急ぎで、Realisationをしなければならなくなりました。

 scoreで26Page、violinのpart譜で8Pageという、非常に長い曲です。
 concertの日にちが決まっているので、締め切りに追い立てられる売れっ子漫画家の心境で、兎に角、一日も早く・・という感じで、体調を無視しての、大急ぎの作業だったのです。
 一日遅れると一日練習時間が減ってしまうからね。

 だって、もう本番まで、後二週間を切ったのだからね。
 「Vitaliのchaconne」と言えば、David版の印象が一般的なので、その印象が強すぎて、曲を「baroque仕様」にするのは、結構大変な作業だったのです。
 細部までよく知り抜いた曲を、全く知らない曲として、Realisationする事は、結構、難しいのですよ。
 それに、作る側ではなく、Vitaliのchaconneを聴く人達も、Vitaliのchaconneと言えば、David版のimageで聴いてしまいます。
 だから、全く別の曲として、作らないと、少しでも、元のDavid版のimageが残っていては、誰も聴いてくれなくなるのですよ。
 
 Realisationの作成にあたって、period‐versionにする上で一番最初に留意した事は、chaconneの独特のrhythmを用いてarrange(Realisation)をする事でした。
 David版では、擬古典風にromanticに演奏するために、chaconneのdanceのrhythmは、全く使用されていないので、単純なmelodieで、変えようのないpassageでも、Cembaloの伴奏にchaconneのrhythmが入って来るだけでも、斬新に聴こえるのかな・・???
 少し、熱が上がって来て、咳も酷くなって来たので、どこからともなく、「Facebookなんか、書いていないで、はよ、寝んしゃい??」てな声が聴こえて来るような気がします。ウツツで朦朧としていると、彼岸からの声が聴こえて来るのかな??
意識がtripして、比岸と繋がってしまっているのかな??
(写真は、Vitaliのchaconneの冒頭の1Pageと、Greensleeves to a ground in C Dorischの検見川教室でのlessonの風景です。どちらの曲も今回のbaroque‐concertのprogramです。)
※)楽譜には、演奏するための演奏料が含まれている場合と、演奏の度に払う場合と、楽譜が出版されていなくて、演奏目的でレンタルされる場合があります。オペラの場合等は、scoreは売られていなくて、演奏会が決まったらscoreをレンタルして貰って、演奏する場合があるのですが、その場合には、その都度レンタル料と演奏料のコミコミの金額を払います。
教室で演奏している曲も、一般の発表会用の曲とは違ってprofessionalな曲が多いので、発表会の度に著作権料が請求されます。発表会の度に、その都度、jasracに著作権料を支払っているのですよ。これはproのpianist、violinistでも同じです。勿論、一般の発表会用の曲は、楽譜料に込になっているので、著作権料は派生しません。
多くの演奏家達が誤解しているのは、著作権は作曲者の死後50年で消滅すると言われていますが、それは著作権料であって、scoreや楽譜は、その出版社の著作物なので、楽譜の使用料は、作曲者とは無関係に請求されます。だからbaroqueの曲を演奏していたとしても、その楽譜を使用する限り、楽譜の使用料は発生します。ですから、baroque音楽を演奏していたとしても、その楽譜が出版社に帰属する限り著作権料は払わなければなりません。

You TubeにuploadしているこのHennry purcellのtriosonate g mollの曲は、勉強している弟子達のために、一切、情緒的感情的な装飾やepisode等々を入れないで、演奏表現が必用な所にそのornamentの記号だけを付け加えて、arrangeしたものなのです。
のっぺら坊の裸の旋律が古式豊かなbaroqueの演奏に聴こえて来るので、不思議なものです。
つまり、それだけの知識を持つだけで充分なのですよ。

それはそうと、改めて、1年半ぶりに、You TubeにupしてあるHennry purcellの動画を見たのだが、パソコンの画面上の動画を、パソコンの操作だけで画面をつなぎ合わせて動画の編集ソフトで作ったのだが、編集ソフトが余りにもヘボくて、画面上の楽譜のPageが切り替わる毎に、動画の画面がブチッ!と切れて、間に緑のnoise画面が入って来て、非常に目障りで公開するには、余りにも良くない。

パソコンに入っているソフトを使用して、画面上だけで編集をしようとしたのが、良くなくて、結局、パソコンのソフト間のendlessの作業の「どつぼ」にはまってしまった‼

それだけなら、まだ良いとしても、finaleでtempoを設定する時に、何を焦り捲っていたのか、ゆっくりしたtempoの設定は良いのだが、早い部分のtempoの設定が焦りまくっていて、苛ついた情緒が丸出しだ❗
やはり、uploadされた動画を削除して、新たに同じ動画を作り直さなければならないのかも知れないが、simple is Best‼で、変なパソコンのソフトを使用しないで、単純にパソコンで再生しているfinaleの画面をそのままvideocameraで録画すれば、何も起こらなかったのだよ??

(気を取り直して、次の日の早朝、22日の朝早くにfinaleのtempoの設定の変更をしました。これで、パソコンの苛ついた演奏はなくなると思います。でも、この演奏を動画に反映させるには、元のURLが死んでしまうのよね。動画の差し替えは、基本的に出来ないのよネ。)

 You Tubeにuploadされている、このパソコンによる動画の映像は15年の5月27日と31日に二つuploadしました。但し、5月の27日の分の動画はYou Tubeの方は削除したので、Facebookでだけ、見る事が出来ます。その他に実は10月の発表会でも、このHennry purcellのchaconneを「baroqueの室内楽の部」として演奏しています、がその方が生の音なのですが、その演奏はuploadしていません。
 
この時の発表会でのこの曲の課題は、生徒達の「period奏法への初めての試み」であり、私のperiod奏法の生徒達への指導、lectureである。 

勿論、斉藤先生、牧野先生の先生達は、これまで何度もperiod instrumentsでの公開演奏をしているので、演奏上の点では、何の問題も無いのだが、生徒達にとっては、period奏法でbaroqueの楽器で演奏するのは、始めての経験なので、やはり相当難しい事なので、発表会での演奏に関しては、period奏法の技術が未だに未熟なので、公開するだけのNiveauに達していない‥・という事で、動画のuploadはしなかったのだが、改めて聴いて見ると、音が汚いのは寧ろ、反省会用の圧縮された音源のせいだと思われるので、正しい録音をこれから聴いて見て、音的に問題がなければ、パソコンの音源よりも、マシなので、動画を差し替えようかな?と思っている所です。(ここのコメントは16年の10月の22日のお話です。)

 日本の自称Cembalo奏者の人達には、そのornamentを付けたり、episodeを加えたりするための技術を持っている人はいません。つまり、音楽大学では、そういった高度な技術指導して貰ったり、学んだりする事は無いからです。音楽大学の先生達がその技術を持ち合わせていないからです。(美紀先生は、教室の演奏活動をしている時に、必然的にその技術を、私からうるさくlectureされているので、「ここの所は32分音符のepisodeを入れて・・!」とか言うだけで、そのように即興で演奏出来ますがね。)

つまり、ornamentを付けたり、即興をする事は、一般で言われているように、天与の才能は、必用ありません。ornamentの意味を知り、楽譜上で、その必用なornamentの種類や場所を理解出来れば良いだけなので、教室の中学生でも、その程度は出来るようになります。(勿論、ちゃんと、Cembaloのlessonを受ければ‥・という事が、最低の条件ではありますが・・。)
 







  ※)「以下の文章は10月29日に差し込みをした新しい文章です。」
 《・・・・「全く出版されていない!」・と思ったのは、私の勘違いでした。
10月20日のFacebookにuploadした後で、「Vitaliのoriginal‐versionが出版されていない・・というのは絶対におかしい!」と思い直して、私が探している検索条件を変更して、探し直す事にして見ました。
つまり、以前、私が書いたように、「Vitaliのchaconneの手書き譜」は直筆とは思えないという私の仮定を正しいとした前提で考え直して見ると、もし、図書館にあるVitaliの原譜が、「写本」だったら、UrtextというTitleは使用出来ないし、originalというTitleも使用する事が出来ません。
 
それなら、「出版社はどのように、楽譜を出版するのか?」・・という事に留意して、どのように探したら、periodの譜面を探す事が出来るのか??という事を考えました。 

 「伴奏のpart」を「伴奏」として書いてあるのは、間違いなくDavid版なので最初から省いて、Piano伴奏と書いてあるのも、勿論、David版です。

それならば、「violin e basso continuo」とか、「Realisation・・云々」と書いてある楽譜に限定して探して見ると良い‥・という事で、改めて探し直したら、あったのよね!!これが・・・!!
 それがRicordi版と、Bärenreiterのarchive版です。

 早速、その楽譜を取り寄せて、昨日(28日に)手に入った所です。
 ・・今日中には、checkを開始します。
 その版を、先に手に入れる事が出来たら、「Ashizuka‐version」は、作る必用がなかったのでは??・・と、先生に言われてしまったのですが、実は、そうでもないのよね??
 
 未だ、昨日の深夜に、ホンの一、二分だけ、楽譜をチョイ見せして貰ったばかりの段階なのですが、それでも、既に、Ricordi版もBärenreiter版も、帯襷なのよね!!

結構、間違いを修正出来ていないし、伴奏譜やviolinのmelodieも含めて、まだ水準(Niveau)には達してはいないのですよ。
そこに、Ashizuka-versionを作った意味があります。

二分の三拍子!
初めて見ました!
10月20日 6:37


キリスト教の世界観では、三位一体の三の数字が完全な調和を表す数なので、完全を表す円は、3拍子を意味します。
ですから、ヨーロッパの人達にとっては、3拍子の方が身近な拍子になります。二拍子は、「不完全な・・」とか、「欠けた」拍子である・と言って、円を欠かしてCのカタチにして4分の4拍子を表しました。更に、欠けたCに更に縦線を入れて、2分の2拍子を表したのですよ。 
Beethovenの英雄Symphonieとか、Mozartの魔笛の最初では、Es Dur(♭が3つ付く調性で、Cの音からから数えて3番目の音であるEsの和音)を、しかも3回鳴らして、天上世界や神の世界を表現します。

ですから、baroqueや古典の作曲家達に取っては(というよりもヨーロッパの民族に取っては)、基本の拍子は3拍子なのですよ。

日本の民族音楽の歴史の中では、3拍子は一つも登場しません。
日本民族が3拍子を感じるのが弱い所の由縁です。芦塚メトードで子供達を指導する時には、拍子感を身に付けるために、基本のdanceのstepを教えます。
(danceのstepであって、danceを教える分けでは無いのですよ。私はdanceは出来ないのでね?)

基本的に、2拍子のdanceは、マーチのように、直線運動で、所謂、3拍子の舞曲は回旋運動になります。

それはstepから来る原則なのです。1で軸足を取って、2,3と回転するのですよ。だから、ウィンナー・ワルツのように、stepが端折って聞こえるのです。PolonaiseやMazurkaのような、舞曲のrhythmを覚えると、とても楽しいですよ!!Pianoを演奏しているのに、自分が踊っているような気分になれますからね??  

以前、智子ちゃんにPolonaiseのrhythmを教えるのに、自治会館で、バレーダンサーがPolonaiseを踊る時にする「ジャンプをして空中で足を3,4回交差させる」のをやって見せたら、「え~ッ、踊れるんだ??」と、ビックリしていました。
でも、1回のstepだけで、もう青息吐息なのですがね??
balletで見ているので、stepだけは覚えているので、再現は出来ます。
1回だけならばね??
10月28日 21:09


楽器はモダンになってしまいますがオリジナル版弾いてみたいです。
10月20日 9:06

今私が作業しているCembalo譜のRealisationは、美紀さんがCembaloの即興で演奏が出来るので、私の「譜面お越し」は、一番単純な形の面白くも可笑しくも、何もない数学的で単純なRealisation譜で、和音が聞き取り易いようにorgelのpartで書いています。※)
baroque音楽では、皆と合わせる過程で、「ああでもない!こうでもない!!」と、面白可笑しく作り上げて行くのですが、そのaboutさがなんとも、楽しいのですよ!!
そこの所はjazzのセッションと似ているかな?? 
同じ演奏は二度と出来ない!!
そんな感じの譜面で良かったら、出来上がったら譜面を差し上げますのでよ、是非、どこかで演奏してください。
You Tubeには皆無なので、面白いですよ!!
勿論、楽器はmodernでも、CembaloではなくPianoでも良いと思いますよ。
10月21日 15:45

※)・・・と思っていたのですが、ついついornamentやfigurationのepisode迄もかいてしまいました。
ついついの悪い癖ですよね。


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『Ricordi版やBärenreiter版のperiodの譜面についてのお話』

折角、Tommaso VitaliのchaconneのAshizuka-versionを作り終わった後の事なのですが、Vitaliのchaconneの出版カタログの楽譜を片っ端から調べて見たら、violin&basso continuoの譜面がRicordi版とBärenreiter のarchiveの部門で出版されているのが分かったので、早速手に入れました。
この楽譜が出版されているのなら、私がkritik‐Ausgabeを作る事も無かったのに、・・と思ったのだけど、やっぱり、色々と解釈の違いや、Realisationの違い等々、色々と微妙で、やはり、面倒くさかったけれど、結果としては、自分で校訂していて良かったと思いました。
 
でも、一般的には、通常のchaconneのbaroque‐versionとして、演奏する時には、二つの校訂を見比べて,良いとこ取りをすれば、それで充分なのではないか??・・と思いました。
この2冊を探し出せなかった理由は、2冊とも、「original‐Ausgabe」とか、「Urtext‐Ausgabe」という文言が入っていません。

つまり、originalの底本にされている楽譜が、Vitaliの直筆である・・というよりも、写本の可能性の方が高いので、Urtextという肩書が入らなかったので、私が探せなかったのですよ。  

でも、絶対に、Realisationされた楽譜があるはずだと思って、楽譜のTitleに「violin&basso continuo」という言葉が入っているのならば、所謂、数字付き低音のRealisation譜なので、原典に近い版である・・と推論して、改めて、楽譜を探してみたら、この2冊をピックアップする事が出来ました。 

私のversionは、kritikだけで、basso continuoの数字のRealisationの譜面はなるべく単純に、数学的に書いていますが、他の2冊は、売るための演奏譜として、音の動きを留意して書かれているので、2冊を比べて見ると、passageによって、どちらの方が良いのかは、それぞれで、判断に苦しむ所です。 
それに伴奏がCembaloでなく、orgelの場合でしたら、私のsimple is bestのversionの方がより良いかも知れませんが、反対にCembaloで伴奏する場合には、勿論、物足りないと思いますよ。※)

10月29日 1:31
※)さや堂のbaroque‐concertでの演奏を想定して書いているので、「simple is the best」のorgel-versionは諦めて(却下して)、Cembalo-versionにrenewalしてしまいました。


今日は10月30日(日曜日)の早朝の3時半です。昨夜の土曜日の夜は、すっかり、気分が悪くなって、食事もしないで、ハイツに帰って来て、総てそのままにして、布団に潜り込んで、今起き出して、荷物の整理を始めた所です。

ついでに、手に入れたTommaso VitaliのchaconneのRealisationの譜面を見ている所なのですが、これがまた、超、酷い!

Ricordi版の方は、有名な指揮者であり、昨年亡くなったClaudio Abbadoのお父さんであり、高名なviolinistでもあるMichelangelo Abbadoの校訂した版なのですが、これがやはり、一昔前の、Realisationで、和声法の原理を良く知っていないズブの素人のarrangeなのだよね??

BachやHändelなら絶対にしない和音進行を平気でしているのよね?
こりゃ~、問題外だよな・・・?? 

Bärenreiter版は、Archivだけあって、妙な演奏効果を求めないで、和声進行は未だマシなのだが、 bezifferten Baßを、勝手に書き換えているのよね?? ・・・それは無いだろうよ???

ホンと帯襷なのよね??
困ったものだ!!
Ricordi版が間違いだらけなのは昔から、誰もが周知の事実だが、Bärenreiter版 ですら、勝手な解釈をするのは、幾ら底本が写本であったとして、その数字が信用が於けないとしても、許せない。
10月30日 4:06


今日は10月21日(20日の夜という事)の深夜3時半です。間違いだらけのVitaliのchaconneの楽譜の訂正と bezifferten BaßのRealisationが終わって、kritik‐Ausgabeの出来上がりですぞよ!!
さて、今から、orgelの音源で聴きながらwineでも飲んで「独り祝杯」でも上げるか???
蛇足ですが、勿論この動画はYou Tubeには公開していません。
このFacebookだけで閲覧出来る閲覧限定です。
10月21日 15:00

Tomaso Antonio Vitaliのchaconneは、こんにちではFerdinand Davidの作品である事を疑う人はいません。
[Davidは、かの有名なviolinistで、作曲家でもあるシュポア‐とハウプトマンに師事して、頭角を表した演奏家であり、Leipzigに在住し、Leipzigの音楽院で教鞭を取っていて、Mendelssohnのviolinconcerto e mollの初演をした人でもあり、e mollのconcertoの作曲に関しても、Mendelssohnへ多くの助言をした人でもありました。

・・と、言うことでLeipzigの図書館で、Vitaliのoriginalの楽譜を発見して、Pianoの伴奏を付けて、この曲を世に広めた人です。
・・ですから、今回のfacsimile版はDavidが曲を作る時に、底本にした楽譜であると思われます。]  

しかし、このfacsimileの楽譜が、Tommaso Vitaliの直筆のoriginalの楽譜であると言う事は、にわかには信じ難いものがあります。 その主な理由は、曲の和音を示している bezifferten Baßの数字が、余りにも間違いだらけであるだけではなく、melodieのpartも、、間違えて書かれている場所が多過ぎるからです。
つまり、作曲家自身が書いた譜面ならば、そんな間違いは絶対にしないのよね!!  

書き間違いの意味ですが、別にチョッとしたmelodieの書き損じ・・と言う意味ではなく、明らかに素人の書いたような、音符の読めない人が一生懸命に書いたような、有り得ない必然性のない音符の間違い・・それは、調性のなかではmelodieの体を成さないと言った明らかな間違いの箇所・・が数多く見受けられるからです。 

それはそうとしても、音符はとても書き慣れている人の手によるようです。
あたかも、Bachの筆跡よりも、更に美しく繊細な筆跡であり、Bachと寸分違わない筆跡の、Bachの奥さんであるAnna Magdalenaの写本を思い起こさせます。 

当時は、コピー機も写真も無かったし、印刷するにも、作曲家自身の手で、銅板を削って音符を書き込んだ大変な作業だったからです。
一般的には、殆どの楽譜が広がって行く場合には、曲はその曲を欲しい人自らが、手で書き写して広がって行ったのです。
だから、当時に書かれた楽譜であったとしても、作曲家自らの手で書かれたものである、可能性は低いのです。

とう言う前提の元で、Leipzigの図書館に書き添えられている「Attributed to・・」の文字が意味を持って来るのです。 
originalではないにしても、Vitaliの家族が書いたのか、弟子を含めた親しい人が書いたのか?それともフアンの人が、一生懸命に書いた写本であるのかも知れない・・という、可能性の方が大きい・・と私は、思っています。 尤も、こんな事を言ってしまうと、学者先生達に怒られてしまいそうですがね。

・・・でもこれは、作曲家としての、冷静な立場での見解です。
10月23日 1:50

枕草子なども、広く写本されたようですものね。
手書きで楽譜・・・す、すごいですね!!!
10月21日 22:01


先程のHennry purcellのtriosonateのg mollの装飾音の有る無しの違いを、動画にしました。
finaleでは、装飾音は、その速度まではcontrol出来ません。
ですから、装飾音は演奏譜として、実音で書き込まなければなりません。
今回はそこまでの作業はしていません。
あくまで、装飾音の有る場合と無い場合の違いだけです。
10月22日 18:36

上記に書いたbaroqueの音楽に、装飾を入れる方法論のlectureを実際の演奏にしたものです。
つまり、課題はbaroqueの装飾法の勉強です。

trill一つでも、accentを表す早いtrill、弱拍や抜きを表す遅いtrill、音を持続させるための長いtrillや、vibratoを表すtrill、crescendoを表す速度の変化するtrillや、decrescendoを表すtrillの速度を遅くしていくtrill等、数えれば限がありません。そう言った基本の装飾記号の勉強でもあります。 

下のURLは、2015年10月の11日の千葉の秋の発表会でのbaroqueの演奏の光景で、梨紗さん、智子さんがperiod奏法に初挑戦している所です。
何が難しいか?と言うと、絶対音感を持っている二人に取っての、418cycleのbaroque‐pitchでしょうかね??
だって、書かれている音符よりも半音低い音が出て来るのですからね。
昔、I Musiciの演奏を聞いた私の弟子が、Vivaldiの春が半音低いと言って、顔を歪めていました。
慣れる迄には、それ相応に大変らしいですよ。 

それに古典調律のmeantoneの調律では、A♭の音がWolf-ton になるので、その音を純正調でハモらせるためには、微妙に音のpitchをずらしながら取らなければなりません。

violinにフレットが付いていないのはそれが理由なのです。
正しい純正のpitchを和音毎に取って行くのは、とても難しい技術なのですよ。 

Chaconne g Hennry Purcell triosonate Nr.7 period instruments ornament aussetzung von Yoji Ashizuka - YouTube 

おかしくなった文章の削除部分

2018年6月25日

「18番の前の小節のCharlier版への変更に伴うorchestraのrhythmの変更」

紗來ちゃんの希望で、David版の所々にCharlier版のpassageを取り入れて演奏するのですが、このpassageに関しては、先輩達も何人かDavid版に変更して演奏していますが、orchestraへのtempoの変更は、今まで口頭で伝達するだけでした。

しかし、今回は、オケの連中が未だ慣れていないので、中々、私の伝達の意味が伝わらないので、已むなく、楽譜に書き表す事にしました。
譜面を見れば一瞬で済む事を、口でしゃべるから何度も練習をし直さなければならないからです。
時間の無駄だからね???




以下の楽譜のように演奏してください。写真2枚めです。

...

3枚目の写真は「18」の前の小節のCharlier版です。
Vitaliのchaconneといえば、David版かCharlier版が一般的なので、このpassageは写真のように演奏されるのですが、勢いを付けて入って来て、kadenzのようになった所までは良いのですが、2拍目でrhythmが急ブレーキが掛かってしまうので、殆どの演奏家達はそれをpiu allargandoでpiacereで弾きます。実際の演奏では、1枚目の私が採譜した楽譜のように演奏する人達が多いようです。tempoが倍になっているように思われるかも知れませんが、実際の演奏ではDavid版もCharlier版も、allargandoの小節から突然、倍に遅く演奏するので、実際のtempoは、私の採譜した楽譜のように演奏されます。


大元のGuerrini版は検見川教室にニャンコbackを忘れて来たので、楽譜がハイツにありません。
finaleに入力途中の楽譜を参考までに掲載しておきます。
このpassageは自然な感じで、問題はない良いように思います。

水曜日に斉藤先生が検見川教室に行って持って帰って来てくれる予定なので、それまでお待ちください。

(水曜日になったけれど、楽譜を取りに行くのを忘れたそうなので、今回、説明は省く事にします。次回のオケ練習で忘れていなかったら、します。・・もう必要ないか??)



前奏のOrganの8小節で、後半の4小節にorchestraを入れる事にしたので、楽譜の訂正があります。
Geminiani版は、soloとorchestraが同時に弾き始めますが、David版には、定旋律(cantus firmus)の4小節が2回繰り返されて、soloに入ります。orchestra-versionでは、多くの演奏団体がDavid版のように、前奏の8小節を付けて演奏しているので、今回は教室もそのように前奏の8小節を付けて演奏する事にします。
scoreを付けておきますので、訂正書き込みをお願いします。





18年11月11日の芦塚音楽研究所千葉教室の秋の発表会に向けてのVitaliのChaconneの練習風景です。
発表会の場所は千葉市文化センター・アートホールです。
入場無料なので、ぜひお誘い合わせの上、お立ち寄りください。
詳しいprogram(時間)は、time表が出来次第、homepageの方に掲載する予定です。

11月の11日・・という事で、まだ、一月以上あるように思われるかも知れませんが、練習の回数はいよいよ後1回を残すだけになってしまいました。 (と言うと、生徒達は驚いていました。) 

今週の明後日の日曜日はオケ練習はお休みなので、オケ練習の代わりに、教室の先生達の希望者への個人lessonの日になりました。
(勿論、私も何人かの生徒をlessonする事になりましたが・・・。)
という事で、9月23日の日曜日はオケ練習はありませんので、9月30日がオケ練習の最終の練習日です。

「未だ、日にちがあるのでは?」と、思われるかも知れませんが、30日の次の日曜日は、もうオケリハで、その次の日曜日はソロリハの日になります。
・・という事で、その後は、定型の総合練習が2回あって、発表会になります。

・・・という事なので、練習の立ち遅れを何とかするためには、練習をfeedbackする事に限るのですが、その「練習風景のvideo」をfeedbackのcheck用に編集する事は、私の仕事の効率をしても・・「3日掛かり」でとても大変な作業、大変な負担なので、以前も、「指導した内容を、ちゃんと復習して勉強して欲しい」・・という事で、練習のvideoをYou Tubeに公開していたのですが、その大変な思いをして作成した動画を見てくれない生徒が多かったので、「もうこんな大変な思いをしてまで、練習のvideoを公開する事はしない!」と宣言していたのですが、Vitali=Guerrini版の曲はStreich‐Orchestraの中でも、大変な難曲だし、Hoffmeisterに至っては、私の校正をした楽譜が、に生徒達伝達されていないという凡ミスを積み重ねていたので、ついに諦めて、生徒達の練習の効率とfeedbackのために、私自身としては、体調不良で、編集作業は遅々として進まなかったのですが、何とか無理をして練習風景のvideoをYou Tubeにuploadする事が出来ました。
いや~あ、それにしても、過保護だよな~あ??

「Vitali=Guerrini版のChaconneが何故に、そんなに難しいのか??」という事は、・・・
擬古典の作品は、baroqueの音楽とは根本的に違って、弦楽器の演奏上のTechnikも、baroqueのtechnikではなく、現代のTechnikになります。
baroque時代の奏法にはない、現代的な演奏法が随所に出て来ます。
和音進行や転調等も、(一見するとbaroqueそのままのgrand(定旋律)に見えるのですが、実は近現代的な手法に拠るので、演奏技術は非常に高度なTechnikを要する事になります。

このVitaliのchaconneをarrangeしたGuerrini(Guido Guerrini 1890-1965=ジェッリーニ)さんは、曲のMotiv(material)として非常に独自の発想をして、そのMotivが曲の全編を支配していて、中々美しいMotivなのですが、それが、弦楽器の演奏表現の技術的として、非常に難しい表現な上に、曲全体に出て来るので、練習に四苦八苦している所です。
Guerrini版の色々な演奏をpro、アマ問わず聞いて見たのですが、その奏法の再現を全部やっている団体はありませんでした。

という事で、曲の中に使用されているMotivのmaterialの中でも、特に重要なmaterialを抜き出し練習用に、楽譜に起こしました。
(これは、以前に、曲の難しい部分を「抜き出し」して、finaleで作成して、演奏の難しい箇所を、譜面に抜粋して練習用に配った2,3Pageの楽譜とは、全く別の楽譜になりますが・・)

「以下、図の説明です。」
図の1段目はchaconneのthemaです。
Organのように、抑揚を付けないで、legatissimoで淡々と弾きます。

図2は下のcello、Kb.がchaconneのthemaを弾きます。
3拍目が次の小節の頭へ導くように、しっかりと弾きます。
上のpartは対立的にpで、消えていくように保持して弾きます。
とても、印象的なMotivなのですが、3段目、4段目のようにflageoletで、このMotivが再現されます。
当然、pから消えて行く感じは同じように弾かれなければなりません。

5段目と6段目は、Dynamic(強弱)の2つのbogen formの例になります。
a+a+Bと、a+a+CのDynamicのpatternです。
5段目のBのpatternは、2小節間の大きなcrescendoですが、Cのpatternでは、2小節間が大きな「膨らまし」になります。

このMotivが、material(音楽的な表現の要素)として、曲の全編に使用されているので、同じMotivならば同じように表現すれば良いのですが、オケ練習では、その都度、同じ事の説明をしなければならないので、困ってしまいます。
どうしても、そのpassage、passageで、nuanceが違って来るように思い込んでいるのですよね??
学校教育や塾では、問題の解き方は習いますが、「何故、その問題をそのように解かなければならないのか??」という事を学ぶ事はありません。
「それは、どうしてか??」と言うと、「何故、そういう風に解かなければならないのか?」という問題に踏み込むと、回答が複数出てしまうからなのです。
つまり、文部省的には、指導者のためには、回答は一つでなければならないからです。

音楽大学で、lessonを受ける時に絶対にやってはいけない事が一つあるとすれば、それは「先生に質問をする事」です。
音楽大学の音楽教育は、基本的に、家元制度なので、先生はその先生にそのように習ったし、その先生は、更に先生にそのように習ったので、「何故か??」という質問が出る事は、絶対に有り得ないのですよ。
つまり、「何故、そうでなければならないのか??」という事を考えて、勉強した人はいないのですよ。アハッ!

教室では、どの曲を学習する時も、「themaやMotivが、一箇所変更されると、その変更は全体に及ぶ!」と説明しているのですが、どうしても、その部分、部分でしか、変更出来ないのですよ。
これがanalog思考の大欠点なのですかね??
教室のmethodeに早く慣れて欲しいものです。

えっ??
譜例の図を挿入したら、動画のlinkが消えてしまいました。
そんな事、聞いてないよ!!
仕方ない・・・、元に戻して、やり直すか??

動画のcheckをしていて、冒頭のthemaを追加して、5小節目からオケが入って来るpassageが、突然、「ズコ!!」と入って来て、messa di voceが全く、上手く行かないので、orchestrationで、自然に入って来れるように、楽譜の方を変更しました。
これで、少しは、何時入って来たかが分からないように、pianissimoから自然に入って来れると思います。
楽譜をしっかりとcheckして、「入り」を確認しておいてください。


Chaconne冒頭の8小節 - YouTube

音声をuploadしたかったのですが、動画でないとupload出来ないので、譜面を付けました。アハッ!




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2020年8月15日
突然、VitaliのChaconneのAshizuka-versionを作り始めた。 ·
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『8月15日の深夜から、突然、VitaliのChaconneのAshizuka-versionを作り始めた。』
今回の秋の発表会で美音ちゃんが再挑戦予定の「Vivaldiの『Il favorito』のAshizuka-version」の校訂・改訂をした画面をfinaleに入力し終わったので、椎名町の事務所に戻して、印刷の行程になったので、次の作業として、YouTubeで発表会のVideoのcheckをしていたら、パソコンが勝手に次の曲をselectして・・、VitaliのChaconneの、私のversionでは無い、知らない人のarrangementの曲を演奏していたので、ついついい、興味深く聴いてしまった。
普段、教室で使用しているVitaliのChaconneの楽譜は、Guido Guerriniという人のarrangeなのだけど、私としては、彼のarrangeは、そんなに悪くはないarrangementだと思っていたので、私が新規にAshizuka-versionのorchestrationをする事はない・・と思っていました。

但し、そうは言っても、Guido Guerrini版のarrangeを、全面的に満足している分けではないし、・・また、子供達の練習のためにも、色々と楽譜を練習用に書き直したりと、前回のオケの練習の時にも、色々と練習の仕方等々を子供達のためにfinaleで「楽譜起こし」をして、作っていた譜面を、finaleの中では、『Ashizuka-versionのscore』として、難しい箇所だけをpickupした練習用の『虫食いの譜面』として、scoreを作っていたのだが、結構、今回、なにげなく聴いたYouTubeの無名の人のarrangeが、思いの外、上手だったので、ついつい、色気を出して、私もarrangeをしたくなってしまいました。
これはもう、殆ど、病気だよな??
市販の曲で満足しておけば良いのにね??

・・という事で、前々回に作り掛けていた虫食いのscoreをfinaleのfolderの中から引っ張り出して来て、8月の15日の夜遅くから、早速、arrangeを始めてしまいました。
前回、Chaconneを弾いた紗來ちゃんの希望・要求で変更した箇所は、今回は、没にして、あくまでもoriginalのDavidの楽譜を優先して作成しました。

一般的にはVitaliのChaconneのorchestraへのarrangeは、私達が使っている版以外には、Ottorino Respighi版が有名なのですが、私としてはそのarrangeはあまり好きではないので、Respighi版では演奏した事はありません。
Chaconneをorchestraにarrangeをする人達は、基本的にはCharlier版ではなく、Ferdinand David版を定本にして、arrangeをするようです。

私がこれまでにも演奏をして来たGuido Guerrini版も、それ以外の版も底本はDavid版を使用しているのですが、Seitzの時にも説明をしたように、Piano伴奏として作曲をする場合には、Pianoの伴奏が野暮ったくならないように、音を薄くarrangeするのが作曲上の定石なのです。
しかし、Pianoのために書かれた譜面を、それをそのままorchestraにtransposeすると、orchestraではどうしようもなく薄っぺらになってしまいます。

Lupi版のPassacaglia然り、Mueller-HartmannのPachelbelのChaconne然り・・です。

そのために、音を補強して分厚くするのがarrangerの腕の見せどころなのですが、このDavid版のChaconneも基本的にはsoloを含めた3声部書法で書かれているので、徐々に音を加えて厚くしていかなければならないのです。
・・・という事で腕の良いarrangerになればなる程、原曲のimageから遠くなってしまうのですよ。

私も通常は、色々なarrangerがarrangeをした譜面を、『音痩せ』を修正する作業ばかりしているのですが、・・という事で、今回の私のarrangeは、これまでの私のarrangerとは一線を画して、DavidのPianoの伴奏の原曲のimageを最大に生かして、arrangeを進める事にします。

それは、よく聴くVitaliのChaconneのorchestra-versionがDavidの原曲のimageが失われているarrangeが多いからなのです。
DavidのPianoのoriginalのpassageを、そのまま活かしてarrangeをするとなると、その分、音痩せをしないように細心の配慮が必要となって、arrangeする事自体が難しくなってしまうのですが、その分、腕の見せ所なのかな?

いずれにせよ、曲が長いので、arrangeが終わるまでには、どれくらいの時間が掛かるのか予測が出来ません。
Violin-soloのpartを入力するだけでも2日掛りで、今の所半分ぐらいまでしか進まないので、後、音符を入力するだけでも、2日3日はどうしても掛かるので、それからarrangeをするとなると、どうなるのかな??
考えない事にしよう??






2020年8月18日
David版からのorchestration ·
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8月18日の火曜日の14時20分ですが、VitaliのChaconneのarrangeが終わりました。
15日の深夜から書き始めたので、都合、3日も掛かったぞィ!!

今回のarrangementは普段のarrangeとは変わって、originalityを出すために、Ferdinand DavidのoriginalのPiano伴奏譜を忠実に再現するようにarrangeをしました。

一見すると、Pianoの伴奏譜を、そのまま忠実にtransposeをする事の方が、簡単だと思われるのですが、実は逆で、実際にはPianoの譜面ではpedal効果があって、ある程度の音が残響として聴こえて来るので、それを書かれた音符をそのまま忠実にtransposeすると、『音痩せ』という現象が起こってしまって、実につまらない薄っぺらなarrangementになってしまいます。

arrangeをする時に、Pianoの譜面をそのままにtransposeする事は危険なので、優れたarrangerになると、『音痩せ』を防いで、ちゃんとしたorchestraの作品に聴こえるように・・という事と、arranger自身のoriginalityのために、編曲をする時には、曲をorchestraの作品に聴こえるように、完全に編曲をしてしまいます。

その結果は、当然、原曲の持つoriginalityが失われて、編曲者のimageが強く反映されてしまいます。
Guido Guerriniの手になるFerdinand Davidのversionも、Organとstrings-orchestraへのarrangeの過程で、Davidの書いたPianoの伴奏とは、全く異なったarrangeがなされていて、原曲のPiano伴奏譜のimageは薄くなっています。

VitaliのChaconneは、とても名曲で、演奏効果も優れていて、長大な大曲なので、多くのarrangerの人達がarrangeを試みていますが、どのarrangementも、演奏の技術的には、proのorchestraの演奏家達を対象にした、technicalな結構難しい難曲になっているようです。

orchestraの曲らしく、上手にarrangeされている反面、当然、DavidのPianoの伴奏譜のimageは失われて、You Tubeなどでも、Ferdinand Davidの作曲した曲ではなく、別の独立したorchestra伴奏の曲として、一般的には把握されているようです。

また、Tomaso Antonio VitaliのChaconneは、originalの曲はperiod-versionとしての曲なので、一般的に聴かれている譜面はFerdinand Davidによる編曲版なのですが、その版は演奏される事は少なく、流布している(よく演奏されている・・)Pianoの伴奏の譜面は、David版から更に新しく編曲されたCharlier版で演奏される事の法が一般的になっています。


Charlier版はDavid版から、幾つかのVariationがcutされて、短くなっていたり、またVariationの順番も意図的に変えられているので、Ferdinand DavidのoriginalのChaconneとは一線を画しています。


Charlier版をorchestrationをしたarrangeも、Zino Francescattiという名演奏家の演奏があって、You Tubeでも視聴する事が出来ます。

Charlier版のPianoの伴奏譜からのarrangementと明記されているのですが、Francescattiの名演奏を持って、なんとか『音痩せ』しないで演奏出来ているようで、一般的なproの人が同じCharlierのversionで、演奏したら、やはりオケ・バックは薄くて演奏上では問題なのかな??と思っています。

Zino Francescattiならば、無伴奏でも説得力があるので、聴くに耐えられるのですよね??

Charlier版以降の編集や校訂の譜面は、総てCharlier版が底本にされているようです。
originalのDavid版は現在、出版されていないようなのですが、唯一、「Schimer's Library」という出版社からは出版されているようです。

元々はFerdinand Davidの教則本として編曲・編集した曲集なのですが、今は絶版になっているBreitkopf&Härtelから出版されていた『Die Hohe Schule des Violinspiels』という全2巻の教則本の中の2巻の中の1曲が、所謂、Davidのarrangeしたoriginalの楽譜なのですが、Hennri Petriという人の校訂版なのです。


つまり、originalの譜面は、不思議な事に、一応は「Schimer's Library」から出版されているVitaliのChaconneの方が、Ferdinand Davidのoriginalの版なのです。

しかし、まあ、Hennri Petriという人は、一応、Davidとは面識のある人のようなので、David公認の校訂版とは言えるかも・・??・・ですかね??

という事で、orchestraのarrangeを手掛けた人達は、殆どの人達が、よりpianisticなCharlier版ではなく、originalのDavid版からarrangementをしているようなのですが、一般的には「長い!」とか「地味だ!」とか、何かと評判はよくないようです。
それは、短くcutされた派手派手しいCharlier版を聴き慣れている所為ではないか??・・と思っています。

まあいずれにせよ、originalのDavid版を使用してarrangementをしたとしても、そのままコピペでtransposeされるのはsoloのpartだけで、Pianoの伴奏譜に関しては、編曲者のoriginalityでorchestra風にarrangeされるのが常です。
Piano用に書かれている伴奏譜を、なるべく原曲のimageを損なわないように留意して、しかも『音痩せ』をしないように気をつけてtransposeする・・という事は、結構、編曲の技術的にも、至難の業になるので、『音痩せ』する部分のarrangerは、自分のoriginalityのorchestrationのimageのままにarrangeをする方が、arrangerに取っては、より・・楽だからなのです。

arrangementのVitaliのChaconne以外の例も、同様な課題を含んでいます。
幾つかの名曲では、pipeorganの曲をarrangeした譜例を見受ける事が出来ます。

その例は、PachelbelのOrganのためのChaconneをそのままarrangeをした「Mueller-Hartmann」版では、originalの3声部のimageをそのままに弦楽orchestra(Streich‐Orchestra)にtransposeをしたので、弦楽orchestraなのに、3声部で書かれているという『音痩せ』が起こっています。

または逆に、VeraciniのViolinのsoloの曲(soloとbasso continuoの曲ですが・・)PassacagliaをOrganとstrings-orchestraにarrangeのLupiは、近現代風にarrangeをしようとしたのか、曲のarrangementがeccentricになってしまって、所謂、単なるmiss・printか、それともarrangerの意図なのか・・の判断が付き兼ねるpassageが多くて、また原曲とのimageとも掛け離れてしまったので、結局、発表会では使用する事が出来ず、やむ無く私がoriginalのOrganのpartからarrangeを試みて、発表会や八千代のKoncertに臨みました。

その点、VitaliのChaconneのGuido Guerrini版や、Corelli=Geminianiの版は、結構まともなarrangeだったので、私が手を入れる必要は、全く無かったのですが、David版のimageとはimageが掛け離れてしまっていたので、ついつい、「David版ならば、こうなる」・・、という事で、今回は敢えてDavidのPianoの伴奏譜の骨格を基本的に、残すように努めて、それに『音痩せ』をしないように、他のpartで補填補充する・・というarrangeをして見ました。

「何故に、そんな面倒くさい事を・・??」と思われるかも知れませんが、Charlier版を学習した後で、Guido Guerrini版のorchestra-versionの版を演奏する事は、Variationの順が違ったり、shortcutされていたり・・と、暗譜が混乱してしまい、何かと演奏上・指導上、問題が多くて、不便なのですよ。

でも、それも含めての暗譜のmethodeなので、今までの生徒達で、暗譜に付いて文句を言った生徒は一人もいませんがね??それは、教室での演奏では、色々な版や、違ったinterpretationで演奏をさせているので、慣れているからですが、そういった教育は一般的ではありません。pro仕様のversionだからです。


という事で、折角、originalのDavid版の曲をそのままにarrangeをしたので、是非、演奏して見たいのだけど、そういったchanceは、オケが出来るだけの人数がいないので、子供達がまた入会して来るまでは、暫らくは無いのかな??
美音ちゃんが今回初めてDavid版のChaconneに挑戦します。
それで上手に演奏出来たとしても、orchestraでChaconneを演奏出来る大学生の人達が、来年度からは、そろそろ大学を卒業してしまうので、オケに来れなくなってしまうので、memberが足りないのですよ。

今の小学生達には未だChaconneは無理だしね・・??

・・・・という事で、finaleに楽譜を入力して、finaleに付随しているserviceの音源で再生して見たのだけど、勿論、実際の弦楽orchestraで演奏をすると、パソコンの音源とは全くの別のimageに変わってしまいます。
「実際の弦の音がどのように響くのか?」は生オケで演奏してみないと分かりません。
音符を見ながらその音のimageを想像するだけなのですよ。



取り敢えずのFacebookからのTomaso Antonio VitaliのChaconne関係の文章のコピペはこれまでです。



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You Tubeより

実際の演奏は結構あるので、linkを張る事にします。
You TubeでVitaliのChaconneのon paradeもあります。

参考までに、You Tubeに書き込まれているcommentを掲載しておきます。

2018年11月11日芦塚音楽研究所千葉教室の秋の発表会古川紗來12歳(小6)

Chaconne g Vitali orchestra-Bearbeitung und dirigierte bei 芦塚陽二Violin-solo古川紗來(小6)12歳 - YouTube

2018年11月11日芦塚音楽研究所千葉教室の秋の発表会の演奏風景です。
violinのsoloは古川紗來12歳(小6)です。 

曲はTomaso Antonio VitaliのChaconne g Guido GuerriniによるStreich‐Orchestra-versionを更に改訂したものです。
Guido Guerriniによるorchestraへのtransposeへの定本はFerdinand Davidのoriginal版なので、今日では一般的には演奏される事がありませんが、soloのpartはsoloを演奏する紗來ちゃん本人の希望で随所にCharlier版のsoloのpartを使用しています。

orchestraの冒頭のcantus firmusの旋律はCharlier版のPiano譜を芦塚先生がorchestraにarrangeしたものを付け加えました。
勿論、紗來ちゃん本人の希望で・・・ですが??
(その後の話ですが、Guido Guerrini版のorchestrationを破棄して、David版から直接、私が芦塚陽二版として全く新しくorchestrationをしました。勿論、soloはDavid版のsoloのままなのですが。その次にDavid版のsoloをCharlier版のsoloに変更したversionも作りました。残念ながらこの二つの新しいarrange版は未だ演奏はしていません。未公開のままです。)

指揮は芦塚陽二先生でorchestraの編成は、solo+3+3+2+2+3+Organの15人編成のbaroque並びです。
勿論、15人はPultという意味ではなく人数ですが・・。
こんにちのorchestraの編成から見ると、balance的に低弦が強過ぎるように思われるかもしれませんが、cantus firmus(=定旋律)がCelloとKontrabassの低弦にあるので、それぐらいの強さは必要なのです。

「以下、芦塚陽二の病床記より」
今回の発表会(2018年の11月11日)は、私が、3日前の11月8日に川崎の病院で、腹部大動脈瘤の緊急手術をして直ぐの指揮で、現実的には、指揮は不可能な状態だったのですが、私が病院の主治医の先生に無理を言って、緊急に退院させて貰っての指揮なのです。
体力的に、無理があったので、他のオケの曲の指揮は椅子に座ったまま指揮をしたのですが、流石に『VitaliのChaconne』を椅子に座ったままで指揮をするのは不可能だったので、椅子を外して、立ち上がったままで指揮をしています。

「何とか頑張って指揮をする!」・・とは言っても、腹部大動脈の血管から大量出血した場合には、救急車で救急搬送しても、流石に間に合わないので、「出血させないように細心の注意をしながらの指揮をする事」・・という医師との約束です。  
マジに、命懸けの指揮ですよね??アハッ!

私の手術なのですが、腹部大動脈瘤の手術は、それで終わりではなく、更に12月の11日に泌尿器科に外来で検査をして、そのまま12日に最入院をして、13日に膀胱癌の摘出手術をします。

つまり、入院と入院、手術と手術の間の一時帰宅中なのですよ!!(まさに、有漏路 無漏路の一休みです。)
私が重篤な病気で緊急手術をするという事は、second opinionが決まった時に、既に日時は決まっていたのですが、生徒達が動揺するといけないので、内緒にしていたのですが、病院の先生からのお話で、術後の状況では「発表会本番までに、退院出来るかどうか・・が分からない」という事になってしまって、「発表会当日は、指揮無しの演奏になるかも知れない」という可能性も出て来たので、急遽、生徒達に先生達から、「発表会の当日は芦塚先生が手術のために、指揮が出来るかどうか分からない!」という事を伝達して貰いました。

私自身では、今回の練習は、普段よりも上手く行っていたので、「指揮無しの演奏でもOKかな?」とも思っていたのですが、病院の先生に無理を言って、それで死んでも『自己責任』と言う事で退院して、発表会の指揮に間に合わせたのですが、私が子供達を直接、指揮をしているのにも関わらず、生徒達の心の動揺は私が思っていたのよりも大きくて、普段の練習の半分の力も出せない状態での演奏でした。

普段の練習では、私に頼っている様子は全く持って無いのですが、本番ともなると、無意識的にでも、未だに私に依存をしていると言う事が改めて分かりました。

それにしても、練習の時に私が決めた演奏上の約束事を、gestureでeinsatzを出しても、一週間前のオケ練習まで出来ていたorchestra表現の約束に対しての反応が全く出来なくなってしまい、普段の練習で使用してる色々なgestureのありとあらゆるeinsatzを出して、決めた通りの演奏を促しているのにも関わらず、そのどれにも半分も反応してくれないので、私が、時折、ブチギレる寸前の表情をしていて、私の感情の起伏が見受けられて、とても面白い動画になっています。 

基本的に私は指揮をする時には、感情を表情には出さないので、怒り捲っている情景は超面白いですよね・・・??
勿論、「einsatzに反応しない」・・というのは、このChaconneの曲だけではなく、私が指揮をした他の曲全てなのですが、生徒達は「私の指揮を見て・・」ではなく、「私の体幹に反応して」演奏していたのですよね?? 
驚きです。 

臍下・・所謂、丹田と言いますが、丹田に力を込める事が全く出来ないので、曲のpointが決まらないのですよ。困ったもんだ! 
そこいらは、空虚な指揮をしていても、ちゃんと演奏出来るproのorchestraとは、やはり基本が違うのよね??

「指揮棒を見て・・ではなく、私の体幹に反応して演奏する」・・・という方がよっぽど難しいと思うのだけど、体幹でなければ反応しないと言う事は、私の緊急手術がよっぽどshockだったのだよね??

「ちなみ」-ついでに、1stの女の子が右手に手袋をしているように見えますが、実は彼女も病院から駆けつけてくれた生徒で、点滴の針をカバーするための包帯です。

左手のバンダナに見えるのは、病院の個人識別のタグです。
アハッ!先生と生徒が病院からの直行直帰とはね??
「・・以上、芦塚先生のcommentです。」

「曲の解説」
冒頭は、このGuerrini版ではViolinのsoloとorchestraが一緒にいきなり入ってくるのですが、David版に付加されているChaconneのthema(cantus firmusが2回繰り返される)を、紗來ちゃんの希望で、Pianoのpartからorchestrationをして、orchestra-versionで付け加えて演奏しています。

ちなみに、80小節目ですが、紗來ちゃんが「kadenzの入った別のversion(David-version)で演奏したい」という希望だったので、orchestraのtempoを2分の4拍子に変更、追加して演奏しています。(ほとんどの演奏がrubatoで、それに近い拍子で演奏しているのですが、Piano伴奏ならば、いざ知らず、orchestraはrubatoが出来ないので、実際にrubatoを拍子の変更で音符に書き表して演奏しています。)

Chaconneは常設のrepertoryなので、今までも数回、歴代の先輩諸氏が演奏をしていますが、今回のChaconneでは、今までのinterpretationとは、全く解釈を新たにして、『室内楽的な奏法』・・つまり、orchestraの各partが独立して歌い込むようにinterpretationを変更して、演奏しています。

・・という事なので、当然、揺らしの幅も広くなって、orchestraも室内楽風に、それぞれのpartが、独立をしたDynamicで演奏をしているので、演奏表現もとても難しくなっています。

子供達には可愛そうなのですが、私もそろそろ歳で後がないので、自分自身の独自の解釈の演奏を残したい・・と言う願望で、思い切って無理をしてinterpretationを変更しました。
つまり、生徒が弾けようと弾けまいと関係なく、interpretationは芦塚versionで演奏するという意味です。

VitaliのChaconneは、originalの譜面が無く、写本のfacsimileしか残っていません。
その写本も、音楽家とは思えない実に素人っぽい間違いが多く、基本的には名violinistであり、MendelssohnのViolin-concertoを初演したFerdinand Davidがarrangeした楽譜が、全ての楽譜の底本になっています。
所謂、有名なCharlier版も、それ以外の版も、PianoのpartはDavid版をそのままに使用しています。

このorchestraのGuerrini版も、基本的にはDavid版とoriginalの写本を合わせてarrangeしたものです。
という事で、David版のarrangeでは、Piano伴奏を想定しているので、或る程度の速度(tempo)でviolinの演奏をするので、violinの演奏表現はそれに相応した、violin-Technikが要求されています。

飛ばし(flying-staccato)等の自然な弓の反動を利用する奏法の場合には、弓のバネとしての性質上、ある程度の音楽の速度(tempo)が必要なのですが、今回は室内楽的な表現という事で、それを無視をして非常に遅いtempoで、演奏をしているので、violinの演奏Technikとしては非常に難しい技術が必要とされます。

tempoが遅くなった分だけ、flying-staccatoの演奏技術が難しくなっている・・・と言う意味です。
violinを弾かない一般の人達には関係のない事なのですが、この曲を演奏した事のある人達の場合には、この遅いtempoでのflying-staccatoは、「えっつ??」とびっくりする演奏technikなのですよ。

「聴いている人達には関係のない」・・と言えば、もう一つ、紗來ちゃんが弾いているChanot型のViolinは芦塚先生の愛用の古いold-Violinです。(勿論、Chanotさんよりも数百年古い時代のviolinです。)

今回の発表会で紗來ちゃんが、Violinを新しく3/4からfullsizeに変更したのですが、楽器を弾き込む前に、楽器の不具合で工房の修理になってしまったので、代わりに芦塚先生のViolinを借りて演奏しています。
自分の楽器ではないので、弾き難くかったかな?

ちなみに、オーケストラは1st3,2nd3,viola2、Cello2、Kb.3にOrganの14名の編成にsoloの総勢15名です。(但し、1st3とはPultではなく、人数なので、Pultの半分の人数になります。)実際にはオーケストラの1Pult(最前列)の1列だけの人数になります。舞台に一列で、離れて座っているので、結構人数がいるように見えますが、それは芦塚先生の意図した視覚効果を狙ったsettingのtrickなのです。1stの1の位置と2ndの位置を決めて、そこから均等に配置するというsettingなのですが、お互いの音を聴く事が難しいので、日本ではそのように座る事は原則的にありません。

人数の割に音量が大きいので、本当に人数がいるように錯覚して聞かれているようですが、それは弦楽器の1点支持のperiod奏法に拠る古式豊かな弦楽器の奏法によります。
昔の弦楽器の奏法は楽器が鳴る様に演奏したのですよ。では、今の奏法は??
楽器を鳴らすように演奏するのですよ。

その落差は大きいのです。
人間に例えるならば、自分の良い所を活かして来れる先生と、先生のimageに生徒を作り上げる先生の違いかな??
もし、恋人ならばどちらが良いかな??


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Chaconne g Vitali orchestra-version指揮芦塚陽二11年10月30日八千代

2011年10月30日の八千代市生涯学習プラザ主催の芦塚音楽教室の対外出演のコンサートです。
演奏は、芦塚音楽研究所千葉教室の小、中、高校生の生徒達とOBOGの先輩諸氏と先生達の合同の弱冠14名の超、少人数のbaroque-kammer-streich- orchestra(バロック室内弦楽オーケストラ)の演奏です。
soloは中3の女の子です。 
指揮は芦塚音楽研究所の座長の芦塚陽二先生です。

芦塚室内弦楽合奏団は、orchestraの音の響きが独特で、人数も少ないのに、大音量の演奏が出来るのは、全員が芦塚先生の門下生で、同じ奏法をしている・・事によります。
古いbaroqueから古典にかけての、1点支持という弓の持ち方をしているので、音が非常に柔らかい響きがします。

また、古式ゆかしいbaroque時代や古典派の時代の演奏法(所謂、period奏法)を随所に使用して演奏しています。
pro、アマ混合・・というstyleはよくありますが、1/3がproで、1/3がamateurで、1/3が中、高生という寄せ集めのorchestraです。


曲はVitaliのDavid版をarrangeした現代の作曲家のGuerriniの版を、更に演奏上の都合で、若干の変更を加えて演奏しています。

また、現代にarrangeされた擬古典の作品ではありますが、特別な弓の持ち方なので、敢えて、baroque独特のperiodの奏法も随所に使用して擬古典的に演奏しています。
という事で、色々な弦楽器の演奏法が寄せ集まった他の演奏団体の音とは違って、pureな非常に柔らかい古式豊かな音で、また全く新しいinterpretationになっていると思います。



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Vitali Chaconne period-version von handschrift (baroque-Violin 斉藤純子)Bearbeitung bei Yoji Ashizuka


2016年11月23日(水)千葉市美術館さや堂ホールoriginal-baroque-concertoです。
baroque-Violinとbaroque-Cello、Cembaloによるperiod instrumentsによるKoncertとmodern-Violinの楽器による演奏を併用しています。

珍しく、芦塚音楽研究所ー主催!!※)のbaroque‐concert での演奏です。
※)珍しく芦塚音楽研究所の主催・・と言われても、何が珍しい事なのかは、一般の人達には何のことなのか意味が不明だと思われますので、蛇足の説明をします。

日本の音楽界では、演奏会の企画や主催は、基本的に演奏家や演奏する団体が主催する場合が非常に多いのです。
つまり、演奏活動をしても、その演奏会で収支が釣り合う事は稀で、殆どのKoncertの場合には主催者(演奏家)の持ち出しで、売れたticketでどれくらいの赤字が補填出来たか??という事なのです。

大学の教授達は、半ば強制的に生徒達にticketを割り当てて、生徒達も同じ相手にしか売れないので、結局の所、席を埋めるためにただでプレゼントをする・・というのが一般的なのです。
知り合いの超名門有名音楽大学のPiano科の主任の先生が「40過ぎて、やっと(±)が0になったわ!」と私に述懐していました。
音楽のproductionでも、Classicでは日本人の演奏家達の演奏ではHallが埋まらないので、日本人の演奏家達のpromotionをするのはやめた・・というproductionが大半です。

外タレでも今はペイが取れないのが現状だそうです。

私達の芦塚音楽研究所でも、対外のKoncertや子供達を出演させる時でも、基本的には持ち出しコンサート(自主的な演奏会)はしません。

それは持ち出しをした場合には、一時的にはそれで良くても、基本的には長続きはしないので・・、経済的には確立をさせた上で・・の演奏活動という意味なのです。

今回は、そういった営業的な、或いは啓蒙活動的な演奏ではなく、baroque-concertoと言う事で、先生達や専科生達の研究発表を兼ねて、自主的コンサートをしました。

Tommaso VitaliのChaconneは、Ferdinand Davidの編曲版がoriginal-Ausgabeのように思われていますが、一般に知られているVitaliのChaconneはあくまでもDavidの作品であり、時代考証によらないロマン派時代のFerdinand DavidによるViolinの教育を目的とした練習用のシリーズの中の1曲で、Davidがlessonを目的に編曲をした擬古典の作品です。

Davidは、Leipzigの図書館にあるHandschrift(手書き譜)から、この擬古典の曲を創作したのですが、Leipzigに残されているHandschriftは、一般的にはoriginalの現存するTomaso Antonio Vitaliの原本と思われていますが、それは下手な音楽に関しての素人の写本で、そのbasso continuoに書かれている数字は殆どが全く bezifferten Baßを知らない人の書き表した誤りに過ぎません。

・・という事で、今回の演奏では、新たに芦塚陽二(Ashizuka Yoji)がbezifferten Baß Realisation(数字付き低音の演奏譜作成) とornament(装飾譜作成) をkritik(批評訂正を)して、間違いだらけのoriginalのfacsimileの譜面から、全く新しく作成し直して、baroque‐violinのornamentと実際の演奏を 斉藤純子( Junko Saito) 、baroque-celloを牧野由起子( Yukiko Makino)、 Cembaloを萩元美紀( Miki Hagimoto)がperiod-versionとして演奏しました。

Ferdinand Davidがchaconneの底本に使用した、Leipzigの図書館のfacsimile‐Ausgabeなのですが、原譜には譜面上の誤りが非常に多いので、私が原譜の間違いを訂正しながら、kritik‐Ausgabeとして、楽譜起こしをしたので、今回の演奏はAshizuka-versionとしての、originalのversionになります。

訂正譜はいつものように、baroque‐concertの直前に完成しました。
ちなみに、Ferdinand Davidはロマン派の擬古典として自由にarrangeをしていますが、色々なversionの底本にはDavid版のarrangeが基本となっています。
まあ、それはそれで良いのですがね??

David版をTomaso Antonio Vitaliの底本と勘違いしている演奏家も多くいて、困ってしまいます。
あくまで、擬古典の作品なのでね??
baroqueの時代のViolinとは、演奏法の時代考証が全く違うのですがね??





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Vitali chaconne g Charlier版 小1芦塚音楽教室


Vitali chaconne g Charlier版 小1芦塚音楽教室 - YouTube

私が日本に帰国して間もなく、千葉で音楽教室を開設したばかりの頃の、私が最初に指導したviolinの女の子の演奏です。
勿論、Pianoの女の子も私の最初の生徒です。

初めて開設した教室としての第1回目の発表会で、1982年4月に南大塚ホールでの演奏になります。

という事なので、もう40年近くも昔々のvideoになります。 
伴奏は大学から帰る途中の埼玉県の弟子の教室で私が指導している中学一年生の生徒です。

若かりし頃なので、東京、千葉、埼玉と三県にまたがって車で移動しながら活動しています。
(本当は、それと群馬県の大学にも通っていましたから、都合4県なのだけど・・・ネ??)

以前からYou Tubeにupしていたvideoだったのですが、今は無きβのtapeからuploadした動画なので、tapeが古くて音声が殆ど聞き取れなかったので、音声を増幅をしてuploadし直しました。


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Chaconne Vitali David-original・fassung 萩元美音(小6)芦塚音楽教室秋の発表会


芦塚音楽研究所千葉音楽教室2020年10月11日の秋の発表会の演奏風景です。
曲はVitaliのChaconneの大変珍しいoriginal-fassung(原典版)のDavid版による演奏です。
演奏は萩元美音(小6)、伴奏は岡村智子(大)です。

Tomaso Antonio VitaliのChaconne in gについては、これまでも色々と機会を捉えてお話ししてきましたが、先ず第一に理解しておかなければならない事は、Vitali自身のoriginalの譜面(原譜)が存在しない・・という事です。
Vitaliの楽譜のoriginal版と称される写本版があるのですが、その写本版は誰が写譜をしたのかさえ確定していない諸説紛々なのです。
その理由は記されている数字譜( bezifferten Baß)の和音を表している数字が、メチャメチャで、とてもproの写譜屋の手になるものでは無いからなのです。

19世紀のEuropaで最高の演奏家であり、優れた教育者でもあったFerdinand Davidは、自分が指導する生徒達のために、17、18世紀のbaroqueの音楽を中心にした曲をselectして、近代風(所謂、擬古典風に)arrangeをして、高度なtechnikを学ぶ事の出来る教則本(曲集)を作り上げました。
その本のTitleは「Die Hohe Schule des Violinspiels」という全2冊の曲集であります。
鈴木の教則本に入っているLeclairのViolin-sonateや、こんにち私達がよく耳にする数多くのbaroqueの名曲はこのDie Hohe Schule des Violinspielsの曲集の中から抜粋された曲なのです。
言い方を変えると、Ferdinand Davidがbaroqueの曲をPianoの伴奏用に近代風に書き換えた作品が、こんにちのbaroqueの名曲として知られているのです。

話をVitaliのChaconneに戻して、ライプチヒの図書館にあるchanceの楽譜からFerdinand Davidが「擬古典の作品!」の一つとしてTomaso Antonio VitaliのChaconneと言われている曲を近代風にarrangeして編作曲しましたが、それがこんにち、VitaliのChaconneの底本とされる曲なのです。
それを後世にCharlierが更に改訂をしたversionが、一般的なDavid版のChaconneとして流通してしまいました。
Charlier版はDavid版のVariationの順番を入れ替えたりVariation自体を削除して、少し短めにまとめています。
Violinのsolo-partが技術的に華やかにarrangeされているので、比較的に地味でoriginalの楽譜により近いDavid版は演奏される事は殆ど無くなってしまいました。
まあ、いずれにせよ、David版にせよ、Charlier版にせよ、originalのbasso continuoの譜面からではなく、Davidの自由なarrangeをした作品から作られた分けなのですから、あくまでもbaroque風の音楽であって、baroqueの音楽ではありません。(当然、baroqueの音楽ならば、Pianoの伴奏という事は有り得ないからです。)

You Tube等でこのoriginalのDavid版の演奏を探したのですが見つからなかったので、今回急遽、発表会で萩元美音ちゃん(小学6年生)に演奏して貰う事にしました。
コロナの所為で美音ちゃんにDavid版の譜面を渡してから発表会までのintervalが2ヶ月とチョッとしかなかったので、練習期間は当然なのですが、それ以上に曲をlessonする事が全く出来なかったので、Teleworkでのlectureを1,2回しただけで、細かい注意点までのlectureが全く出来なかったのですが、まあ、それなりに頑張って、何とか発表会には間に合わせてくれました。

但し、全体的には、練習不足の所為か、自信がない所為か、収めがない事と、tempoが少し速すぎてもう少し落ち着きが欲しかったかな??
まあ、またいつか、コロナが落ち着いた折には、この曲の挽回戦をしたいよね??

コロナの所為と言う事なのですが、そう言ってしまえば、このChaconneの曲だけではなく、他の人達もオケ合わせや伴奏合わせが殆ど出来なかったので、納得の行く演奏が出来る事はなかったのですが、こればっかしは、世界中共通のお話なので、文句を言っても仕方がありませんよね??

VitaliのChaconneは、多くの作曲家の手によるorchestra-versionにarrangeをした曲がありますが、基本的には、orchestra-versionの場合には、どのarrangeもDavid版からのarrangeになっているので、Piano伴奏でなくorchestraの伴奏だとしたらCharlier版ではなく、David版によるarrangeの演奏は決して珍しい事ではありません。

教室でいつも生徒達が演奏しているorchestraのGuido Guerrini版も底本はDavid版になっています。

しかし、Ferdinand DavidはあくまでもPianoの伴奏譜のみを書いているので、私が曲をarrangeする時に、いつも繰り返し書いている事なのですが、Pianoの譜面をそのままorchestraにtransposeすると、音楽の厚みが無くなってしまうという問題が生じてしまいます。

arrangeをするarrangerのよく陥る問題点なのですが、このGuido Guerriniのorchestraへのarrangeでも、幾つかの箇所では、音痩せの問題が起こっています。

そこは問題なので、楽譜を訂正する欲望に駆られますが、そこを弄ってしまうとGuido Guerrini版では無く、別の版になってしまうので、なるべく辛抱して弄らないようにしています。

このVitaliのChaconneは、私もoriginalの写本版のfacsimile譜をkritikして、basso continuoとbaroque-Violinのためのperiod-versionを作っていますし(You Tubeに公開済み)、David版を底本としたorchestra-fassungの曲と、またそれとは別に、伴奏のorchestraのpartはDavid版のままで、soloのpartだけをCharlier版を使用したversionも作っています。

こちらは未だ未公開で、誰も演奏はしていませんが・・・。
これから先、VitaliのChaconneをorchestraのversionで演奏する機会があったら、Ashizukaversionのみにして、Guido Guerrini版は廃棄する予定です。




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参考までに 

Chaconne in g Tomaso Antonio Vitali David=Charlier=Ashizuka version

Chaconne in g Tomaso Antonio Vitali David=Charlier=Ashizuka version - YouTube

つまり、Guido Guerrini版のPianoversionはないし、改訂される前のDavid版も見当たらない。

Tomaso Antonio VitaliのChaconneは元曲は不完全なbasso continuoの譜面しかありません。
そのoriginalと称される写本版は、Bärenreiter出版社からと、Ricordi出版社から、originalのfacsimile版からのContinuo-Aussetzung版として出版されています。

ですから、こんにち私達がTomaso Antonio VitaliのChaconneとして知っている楽譜は、全くのFerdinand Davidの創作によるものです。

しかし、originalのFerdinand Davidの楽譜は、こんにちでは非常に手に入れる事が難しく、Ferdinand Davidが自分の生徒達のためにbaroque音楽を中心として、近代風にarrangeをして、Violinの練習曲として作成した2巻による曲集『Die Hohe Schule des Violinspiels』という楽譜は、こんにちでは絶版、廃版の憂き目にあっていて、一般の人達の目に触れる事はありません。(勿論、私が所蔵している版もコピー版です。)

また、こんにち、一般的に演奏されているVitaliのChaconneと呼ばれるPiano伴奏の曲は、Charlierという人が、Ferdinand DavidのChaconneを更にarrangeしたversionで、技巧的に華やかにarrangeされ、且つ又、compactに纏め直されています。その過程でVariationの順番も演奏効果を目的として変更されています。

こんにち、私達が使用している色々な人達の版もこのCharlier版を底本にしています。
Auer版(Fischer版)も同じであります。

勿論、私達の教室でも、発表会等で、VitaliのChaconneのPianoの伴奏版を演奏する時には、この一般的なCharlier版を使用しています。

話をより複雑にしているのは、一般的にoriginalのFerdinand Davidの手による『Die Hohe Schule des Violinspiels』の中に掲載されているChaconneの曲は、なんとHennri Petriという人の手による版になるのです。

originalのDavidの版を探し求めてやっと、Schirmer版という出版社が出版している事が分かり手に入れる事が出来ました。


私が、originalのDavid版に拘る理由なのですが、orchestraにarrangeされた多くのversionでは、その殆どの作曲家の人達が、arrangeをするに当たって、作曲者への尊敬の意味を含めて、元曲であるDavid版を使用している事が多いからで、教室でもよく演奏するGuido Guerriniのarrangeによるorchestraのversionの曲も、Ferdinand Davidのoriginal版を底本にしてarrangeがなされているからです。

David版とCharlier版の一番の違いは、先程も述べたようにCharlier版は14分も掛かるChaconneをcompactに、また、技巧的に纏めたので、演奏が楽である・・という事です。

教室でもorchestraのversionで演奏する時に、曲の構成はそのままに、Variationを演奏する子供達の希望で、Charlier版のphraseで演奏する事がよくあります。

VitaliのChaconneは教室では常設の課題曲なので、これまでも多くの生徒達が演奏をして来ましたが、今回も、美音ちゃんがChaconneを演奏する事になったので、本来ならば、音楽技術的な勉強のために、Charlier版で演奏するのですが、私の一存で、教室では、未だ一人もoriginalのDavid版で演奏をした事が無いので、David版での演奏をする事にしました。

技術的には、David版の方が少し簡単なのですが、曲が長い分、演奏力表現力(歌い込む力・・)を要求されます。
David版と言われている版は、先程もお話したように、不思議な事に、originalのFerdinand Davidの手によるDavid版と、Davidと同時代のDavidが了解をして校訂をしたHennri Petri版があり、いずれもDavid版と称されます。(多分、Davidの了解の元のversionなので・・) 今回は、大元のFerdinand Davidのoriginal版で演奏をする事にしたのですが、通常、orchestraのversionで演奏する場合には、逆に、楽曲の構成は元曲のままなのですが、子供達の希望でVariationに、Charlier版を随所に取り入れて演奏をしているので、「それならば、最初からDavid版にCharlier版を取り入れて演奏するのは??」と思い経って、arrangeをし直しました。

今の所、このChaconneの演奏の予定は全く無いので、パソコンの音源ですがそのままuploadしておきます。
あくまでも参考程度・・なので、実際の生の演奏が出来た段階で、このパソコン音源は削除します。
2020年9月8日upload


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Chaconne in g Vitali=David orchestra Bearbeitung bei Ashizuka Yoji

Chaconne in g Vitali=David orchestra Bearbeitung bei Ashizuka Yoji - YouTube

2020年8月の15日の深夜に突然、なにを思ったのか、Tomaso Antonio VitaliのChaconne David版のPiano伴奏譜からorchestrationをしました。

8月の18日の朝に脱稿しましたが、当面は演奏をする予定が無いので、実際のorchestraで演奏が出来るまでの暫定的にパソコン音源をYou Tubeにuploadしておきます。

この音源のsoftはfinaleというnotationのsoftなので、音源はあくまでも付録なので、超ヘボいのですが、私は音声用のsoftは持っていないので、楽譜を音声として聴く場合には、finaleの付随したsoftでも致し方ありません。

この曲の他にも、HändelのPassacagliaや、その他の曲も「出番待ち」の曲が数曲あるのですが、教室で演奏をするには、少子高齢化の煽りで、orchestraに参加する人数が少ないので、当面の教室での演奏の可能性はないので、取り敢えず、パソコン音源をuploadしておきます。

勿論、暫定的なuploadなので、実際の演奏の動画が出来たらこの音源は削除します。
芦塚陽二記
2020年8月18日深夜


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