Bach invention und Symphonia note



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                           まえがき

2018年9月29日の午前中のcatastropheなのですが、「芦塚先生のお部屋」のhomepage全体が、homepagebuilderの勝手なrenewalで、一瞬で、それまでに打ち込んで来たdataの全てが、変になったのです。(・・変になった・・という意味は、PageやそのPageへのlinkは生きていて、冒頭の1Page分ぐらいは、ちゃんと残っているのに、後の文章が『次ページ』というmessageが出て、その次ページをclickしても、「Not Found」と表示されるだけなのですよ。

「芦塚先生のお部屋」の全てのPageが壊れて、ほとんどの論文や写真、図等、またhomepageのlayoutも、その殆どが消えて無くなってしまいました。 
つまり、私の20有余年間の研究が一瞬のone clickで、無くなってしまったのですよ???
これは超、shockです。慌てて、色々とrecoveryを試みたのですが、全てが上手く行きませんでした。

膨大な研究論文のPageが全てぶっ飛んだので、パソコン上に残っているdataや、print outされた紙の原稿等を調べて、復活を試みたのですが、20年以上も掛けて、書き溜めて来た論文なので、おいそれとは復活は出来ず、homepageを元に戻すのは半ば諦めてしまいました。

心の弱い研究者ならば、それが原因で、首でも吊った所なのでしょうが、私も、ご多分に漏れず、失われた膨大な論文のPageを見て、唖然として、二度とhomepageの作業が手に付かなくなってしまいました。
homepageを見ようとはしなくなってしまいました。
(それでも、気が向いた時には、修復作業のdataを集めたり、簡単に修復出来るPageはないのか??・・・と探して見たりはしたのですが・・・)

超、Shockを受けて、なかなか立ち直れなかったので、約、2年半の間、全くhomepageの修復作業が手に付きませんでした。
2020年からのコロナで、ハイツの狭い部屋に幽閉されて、已む無く、仕事と言えばパソコンに向かう事とTeleworkだけになってしまいました。

教室にpianoの生徒が全くいなくなってしまったので、このinventionやsinfoniaのPageを弄る事もなくなってしまって、violinのお話だけを中心に復活作業をしていましたが、久し振りで、inventionのPageを開いて、その大半が失われてしまった事に意気消沈しています。
失われた論文の中でも、一番被害が大きかったのは、このinventionとsinfoniaだったからなのです。

子供達を指導する時に、pointとなる箇所の断片(fragment)の反故をfileに残していたので、それを見るだけでも、当時の文章のapproachは理解出来るハズなのですが、そのfragmentさえ見つからないのです。
困った!!困った!!
(2021年9月12日の日曜日)


ふと、思いついて、Cembaloの部屋のbaroqueのCembaloの楽譜棚を覗いたら、なんと、資料と楽譜と反故が全部、楽譜棚に収まっていたのですよ。
善哉!善哉!!

しかし、この膨大な資料をどこに保存するかだよな??

作業中はパソコンの画面の横に、出しっ放ししなければならないのだが、パソコンの部屋には、もう資料を置くspaceはないぞ??

やはり、部屋が一部屋足りないのだよな??
写真は私の書いた資料だけなので、実際の書物の資料は、この2倍、3倍はあるのでね??

それを置くとなると、てえへんだ!!


このPageがぶっ飛んでしまう前には、このinventionenとsymphonienの解説のPageは、私が指導をした生徒達へのlessonとして、折に触れて残して行って、それをhomepageに収めて来たので、結構、時間を掛けて書き上げて来た論文なので、膨大なPage数になっていたのだよな??

論文として書き上げなければならない文章は、頭の中に残っているので、今回のコロナで、ハイツの自宅に閉じ込められている時間を使って、書き上げるとすれば、全てのinventionとSymphonieを詳しくhomepage上で解説して行く事は、不可能では無いと、思われるのだが、そうすると、何百Pageにもわたる一大論文となってしまって、「誰がそれを読んでくれるだろうか??」という事になってしまうよな。

そう言った膨大な論文を、身近に分かり易くする、唯一無二の解決策としては、You Tubeで私が実際に楽譜を示しながら、解説をする事だろうか??
しかし、人様の前に、雁首を差し出すのが嫌で、作曲家の道を歩んだ私なので、例え、camera越しとは言っても、人様に対して、どれだけお喋りが出来るか、自信は無いのだが、例えばavatarにお喋りをさせて、論文の解説をするのならば、uploadする事は可能かも知れない。

動画の撮影自体は、やぶさかではないのだが、衣装を着るまでが億劫でならないのだよ。
それに撮影が出来る部屋が無いしね??
ハイツの自宅は既に、物置小屋か、ゴミ屋敷状態になっているのでね??
それを避けてのcamera-angleは今の所は無いのだ。部屋を片付けるのに、何年掛かる事やら・・・・

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inventionのAnalyse

inventio第1番の形式学的構造分析

声部の交差
slurについて
Bachのinventionの指使いについて
Clavichord

invention形式以外のinventionから

inventio 第2番 c moll octaveのCanon

Inventio第15番 ロ短調 fugaの形式


二つのthemaによるinventio

Inventio 第5番 変ホ長調

Inventio第9番 ヘ短調

Inventio第11番 ト短調





愚痴に過ぎない愚痴です。

sinfonia? A Dur 11小節目12小節目の問題点
装飾音について

音の違いについて

inventionenとsymphonienの暗譜用の楽譜
                       




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本文

inventio第1番のAnalyse

Bachは、inventionやsymphonien、或いは平均律等のfuga等を書く時に、その模範となるsample作品を1番2番で書いています。
inventionenやsymphonienも同様で、1番と2番はその曲集のsampleとなっていて、その構造式を分析する事で、以降の作品の分析を手助けする事が出来るようにしているのです。
所謂、inventionの作成や演奏の基本を1番で説明するのです。

私が生徒達にinventionを指導する時には、先ず、その構造式を10色以上の蛍光ペンを使って、Motivの構造分析をするのだが、その出来上がりのsampleの楽譜を紛失してしまった。
12の小preludeに拠るCembalo奏法の手引に、構造式の分析例として、sampleとしてinventionの1番を掲載していたので、参考までに、そのPageを転載する事にします。




  

  

凡例に対しての補足説明ですが、Kontrapunktとkadenzが同じKで表されるので、紛らわしいので、今はKontrapunktがContrapunktと書かれる事もあるので、対主題のKontrapunktをCとしています。
kadenzの終止句はKのままです。このinventioのもう一つの意味は、Analyseの用語を教える事にあります。
用語として出て来ない単語は逆行形なのですが、転回形も読み方に拠っては、逆行形と同じpassageになってしまうので、未だ使用されていません。
『音楽の捧げ物』では、一つの旋律(楽譜)を一人がそのまま読んで、もう一人は後ろから逆に読んで、美しい音楽の捧げ物のthemaが奏でられるのですが、inventionやSinfoniaでは、そこまでの高度な技術は使用されていません。初心者を対象としている教本なので当たり前と言ったら、当然の事なのですがね??

   

上記の楽譜に使用されているthema(主題)とそのthemaがどのように、変化させられて、このinventioの中で使用されているのかを知るために、その展開されたthemaとMotivを知っておく必要があります。
それが次の一覧になります。


元々は、生徒の前で説明をしながら、蛍光ペンで色分けをして見せるのですが、蛍光ペンが文字にしか反映されないので、已む無く枠組みだけになりました。
1個の音符さえも、無駄なく、themaと対主題から引き出されているのが、これで視覚的に良く理解出来ると思います。
themaがどの様に有効に使用されているのかを分析するのが、thematische-Analyseと言います。
それに対して、どのような構造(音楽の形式)で作られているのかを分析するのが構造分析といいます。
構造分析の第一歩は、その楽曲がどの様に構成されているのかを知る必要があるのですが、それはkadenz(終止句)を探す事で容易に見つける事が出来ます。
上の楽譜の例では灰色の枠に囲まれた部分です。


inventio第1番の形式学的構造分析
inventionというのは、元々は「発明する」「発見する」と言う意味なので、特に音楽形式は無い・・と言われているようなのですが、それは音楽の種類が数多くの形式で作曲されているので、音楽形式が無いように見受けられるだけであって、それぞれの曲はそれぞれの形式に従って作曲されています。
その中でも当然、一番多いのがinvention形式とされる形式です。
Bachは、sampleとなる曲を最初に持って来るのが恒だったので、当然このinventionやSinfoniaも1番、2番の曲は教科書的作品になっています。

教科書と言えば、私達が、対位法の勉強をして、最後の課題として出されるのがinventionの作曲である。
時間も小一時間程に区切られた中で、試験として三部形式のinventionを作らされた記憶がある。

inventio第1番の構造式(形式)である。
当然、3部構成の形式で作曲されている。
次に凡例を提示する。
凡例はこの曲に登場する分析用語の一覧でもある。
themaに対して、そのthemaの一部を使用して派生した断片をMotivと言う。この曲のthemaは大きく前半部のMotiv(音階進行)と後半部のMotiv(3度進行)に分かれる。
Kontrapunkt(対主題)とは主題に対して付けられた(伴奏形のような)副次的themaである。主題に対して付けられた・・という意味での対主題である。
kadenzは多くの意味を持つ言葉であるが、Analyse用語としては終止を表す終止句を指す。終止のための音型なので、特に特定の型を持つ分けではない。

構造式の上の数字は小節数である。
第一部は6小節で、第二部は8小節で、第三部は、また8小節である。
しかし、最後の2小節はT度の和音の第一転回形の不完全終止で終わる、所謂、trick終止であり、そこから本終止へのCoda(付け足し=終わりの確認)なので、実際は6小節にCodaの2小節となる。
第一部 6小節
第二部 8小節
第三部 6小節+2小節で、一部や二部との絶妙なbalanceを取っている。本来ならば6小節、8小節、8小節と下膨れのbalanceなのだが、第三部を6小節+Codaとして、6,8,6とsymmetryの構造式にしているのは、流石である。
且つ又、一部と二部ではthemaの入りが逆になっているのが分かる。これはfugaの形式でも同じである。しかも、三部の入りでは、themaが転回形で入って来るのも印象的である。
それぞれの小節が同じにならないように、各部間のthemaを変化させているのが分かる。







声部の交差
「J.S.Bachのinventionenとsymphonienは、polyphony(複音楽)の音楽として作曲されている。」・・・と言ったら、「何を、今更・・」と言われそうなのだが、ところが実際にはそんな単純な話ではない。

或る時、私が指導している中学生の女の子の生徒から(私の生徒・・って簡単に書かないのは、担当の先生がいて、私は月一のlessonをするだけだからです。)、
「友達のピアノの演奏を聴いて欲しい。」と頼まれた事がある。
某国立の音楽大学のピアノ科を目指して、その大学の先生に小学生の時から師事しているらしいのだが、
「Sinfoniaの練習がどうも上手く行かないので、一度聴いて欲しい。」という事であった。

その子にとっては、
「友達の、趣味で通っている巷の音楽教室のピアノの先生」・・という事で、親を介した正式なlessonの話ではなく、もっと子供同士の感覚の「お気楽」な話としての、「アドバイスの一つ、二つも貰えればいいのかな??」ぐらい気分での相談であった。
・・というよりも、
「あたい、頑張ってんのよ!凄い上手でしょう!??」って、褒めて貰いたかったのが本音かな??

そのために、
「lessonとして来るのではないのだから、別に時間を作るのではなければ、構わないよ??」 と,こちらもお気楽にその相談を受け流した。

某国立音楽大学を受験するために、小学校入学以前から、受験勉強として音楽を学んでいる中学生のピアノの水準(level)というものに、
「どれぐらい、上手なのだろう??」と、ワクワクとした期待を持った事も、一つの理由なのだからね。

しかし、それと同時に、
「中学生3年生でSinfonia??」「それって、国立の音楽大学の受験としてのcurriculumとしては、チョッと遅れ過ぎではないの??」と、私の生徒に聞いたのだが、その先生は、「(curriculum的には)問題はないとして、指導している」・・という事で、「ふ〜ん??」と受け流した。

まあ、音楽は、ドリルではないのだから、Sinfoniaへのapproachの水準(内容)がそのlevelに達していれば、教材が何であろうと、
「遅れている」・・という事はないのだから・・・。

つまり、一般の音楽教室によく見受けられる用に、教材のlevelだけを上げて、幾ら難しい曲を勉強していても、内容が伴わなければ、それは意味はないのだからね???


さて、実際にその生徒が教室に来て、Sinfoniaを弾いてくれて、驚いたね!??
内容が伴わない・・どころではなかったね!??

一応、弾いてはいるのだが、
「声部の受け渡し」が全く出来ていないのだよ。
しかも、その事を注意しても、彼女は、lessonで、そいう事について、一度も、注意を受けた事もないらしい。
交差のpassageを2声部で、説明して、弾き方も説明をしたのだが、全く理解出来なかった。
それを見ていた教室の生徒であるお友達も、あまりのことに、ポカンとしていたよ。
国立音楽大学の先生に師事しているのだから、相当上手だと思っていたらしいのだけど、呆れてしまったのだよね〜ぇ??
勿論、子供の所為ではないよ。
それは、指導者の指導力の問題だよな?


勿論、inventionにも、初歩的な
「声部の交差」は出て来るのだが、3声ともなると、第一曲目から、非常に頻繁に、声部の交差が出て来るようになる。

inventionの第2番の18小節目の声部の交差の例:



symphonienの第1番の声部の交差の例:

内声のpartを赤の色にしてみた。altoのpartが、sopranoのpartを越して行くのがよく分かる。18小節目のaltoのFのTieの音を忘れがちである。altoのpartは、17小節目からA⇒G⇒Fと音階進行をしているので、このFのTieの音は重要な音である。
  

同様に、10小節目の実際の弾き方を表示してみた。

T17小節目からよく見受けられる間違えた弾き方を掲載しておく。(上記の譜例が次のように弾かれてしまう)

一見すると「まさか?」と思われるかも知れないのだが、実際には
左手が16分音符で動いていて、音の跳躍も見られるので、どうしても右手の
動きに集中する事が出来なくなってしまって、本人はちゃんと弾いているつもりでも実際には、左の譜面のようになっているのですよ。
指導者も音の係留した非和声音をしっかりと聴き取るようにしなければなりません。
右手の動きにもちゃんと、集中出来るように、左手が自然に動くようにしなければなりません。
まあ、指導者の問題かな??



次の課題は、10小節目の音の重なり合う動きの演奏の仕方です。
声部の交差ではなく、同度を演奏するのだけど、altoとBasのpartだけを両手で抜き出して、演奏して、複雑な音の重なりを聴き取る練習をしなければならない。
このpolyphonicな音を覚えるのは結構難しい。
Keyboard等でOrganの音色で勉強するのが好ましいのだよ。



inventionは、そのbaroque時代のCembaloやオルガンのための、polyphony(複音楽)の奏法を教えるための、教材なのだよ。

Bachが書き示したpolyphonyの書法でもっとも分かり易く、顕著な例とすると、Sinfoniaの12番のA Durを例に取る事が出来る。
特に取り上げる箇所は、5小節目と、24小節目のpassageである。
facsimile譜は、Bachの直筆譜である。

この5小節目と24小節目で、よく見受ける誤った弾き方の例である。



この5小節目のpassageを複音楽的に書くと次のようになる。


同様に24小節目のpassageもこの様に書かれているのだ。



また、16小節目から18小節目への声部の交差は素晴らしい。
しかし、そのpassageは、次のように弾かれてしまう事が多いのだ。


Pianoを練習する方法では、楽屋内の練習法なのだが、Glenn Gouldは、その楽屋内の演奏法で、聴き取り難い繋留された音を聴こえるようにするために、次のように際立つstaccatoを入れて、持続する音を強調して奏している。


こういった演奏法は練習法としては、楽屋内で知られている奏法なのだが、それを一般人に向けての演奏法としたのはGlenn Gouldの功績(??)である。




ところが、その某国立音楽大学の先生に学んでいる生徒は、
「声部の交差」という複音楽特有の言葉すら、知らなかったのだよ!?
言葉を知らない・・という事は、当然、声部が交差して動くという意味すら分かっていなかったのだよ。
見れば分かりそうなものなのだが、知らなければ分からない・・というのは当然かもしれないのだがね。

日本には国立に対しての、絶大な信頼があるのだが、某国立の音楽大学の先生というのは、そのlevelなのかい??と知って、改めて、呆れたね??
権威もへったくれもあったもんでは無いよな??
それで、某国立音楽大学の先生がよく勤まるもんだ??
呆れてしまった。
勿論、某国立音楽大学の先生ですら、そのlevelなのだから、一般の音楽大学の先生達のlevelと言えば、語るに落ちる話なのだよな??
だから、日本の権威的なconcoursですら、誤魔化しpedalの演奏が罷り通るのだよ??
ああ、miserable???

私は、昔々には、音楽大学の受験を目指す生徒達には、Bachのinventionや、Sinfoniaを指導するようになった時には、生徒の必須の楽器として、必ずOrganの音がするKeyboardを買わせていた。
声部の音の繋がりとそれぞれの声部の交差を正確に聞き取る耳のTrainingをするためである。
inventionの練習では、他の生徒と2台のPianoで、それぞれ別のpartを演奏させて、articulationをしっかりと把握させた。

次のSinfoniaでは1声部を他の生徒が弾いて、その生徒が2声部を弾く練習をした。声部の独立を意識させるためである。
そう言った練習を積み重ねるとinventionやSinfoniaは決して難しい曲ではない。
非常に良い耳の訓練にもなるのだよ。
Bachで声部の交差を知らんければ、Bachを弾く意味は無いのだがね??





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これ以降の文章は、紛失した後で、新たに書き加えられた文章です。

slurについて
Bachの手書きのslurの例:
Bachのfacsimileの譜面には、slurが書かれているのだが、Bachが書いたslurと、他の時期に誰かの手に拠って、書かれたのかを判断する事は、facsimileでしか出来ないので、出版されているslurに関しては、確実にBachのslurである・・とは言えないのが、interpretationをより困難にしている。Bach自身が後に、子供の指導のために、書き加えたものや、Anna Magdalenaが浄書をして書いた楽譜もあるからである。
また、結構、後世の人達が書き加えたslurのversionもあるからである。

また、明らかにBachが書いたslurであったとしても、左(上記)の写真を見ても理解出来るように、羽ペンの特徴で、その始まりと終わりが曖昧であることは否めない事実である。
若し、こんにち我々がslurを付けるとすれば、一般的には、次のように付けると思うのだが、Bachのfacsimileでは、1:5のphraseになっている。
何故、Bachはこのような不可解なslurを付けたのだろうか??

左の楽譜は、こんにち、一番権威のあるorthodoxな解釈であると思われる、『Henle版のUrtextAusgabe(原典版)』の解釈である。
slurを小節の冒頭の音から、最後の音まで、一塊としてslurを付けているのだが、facsimileとは明らかに違っていて、原典版とは呼べたものではない。
Bachの筆跡を無視した、明らかに、一昔前の誤った解釈である。

この誤った解釈は、Bachが付けたslurの意味が全く分かっていないのだよね??

100年以上も昔々のinterpretationなので、致し方はないのだろうが、Pianoの研究者がPianoという楽器でしか物事を考えない・・という事で、犯した誤りなのだよ。

それが100年以上も経ったこんにちでも踏襲されているのは、無知にしても酷すぎるのだよな??
Bachに対して、失礼だよな〜ぁ??


その不可解なslurの疑問に答えるのは、至極簡単な事だ。

こんにちの我々から見ると摩訶不思議なslurと思われるかも知れないのだが、実際には、この時代には楽器間のAgogikが曖昧であったからである。
・・と言うか、MozartのPiano・Sonateですら、bowslurが使われているのは良く知られている事なのだよ。
つまり、この不可思議なslurは、単なるbow-slurに過ぎないのだよ。

だから、鍵盤の奏者に取っては摩訶不思議に思われるslurかも知れないのだが、弦楽器奏者に取っては、至極当たり前のslurに過ぎないのだよ。(否、これは語弊がある言い方をしてしまった。弦楽器奏者で、period奏法の出来る奏者・・と限定するべきだったよな??反省して、訂正しておきます。)アハッ?!
つまり、baroque時代特有の1:5のbow-slurになるのだよ。
Ashizuka-versionのinventio第3番



こういったarticulationを表すslurは、baroque時代にはVivaldi等の作曲家も常用していた。

譜例はVivaldiのViolinConcerto Op.WNr.2の3楽章からの例である。

1:3であるからと言っても、こんにちのような1が強拍のaccentを表す分けではない。
それに、この曲はV楽章の非常に速いpassageなので、Metronom-tempoが4分音符が100ぐらいの速度なので、結構速い弓になる。1:3を均等な音量で出す事は難しいのだよ。

日本人の場合には、このVivaldiのoriginalのbowが出来ないので、4個の音を一纏めにして、演奏している人達が多いのだが、それでは、このarticulation(拍節法)が出ないのだよ。

つまり、日本人の場合には、弓の弓量と強弱が整合してしまうのだよ。
では、弓量と強弱が整合しない例とはどういうものであるか??・・なのだが、Europaの人達が弦楽器を学ぶ時に、初歩の段階で、waltzのbowである2:1のbowを学ぶのだが、waltzのbowでは、下の初心者の教則本であるHohmann教則本の例のように、1拍目の2分音符が強拍で、3拍目の4分音符を弱拍で演奏しなければならない。

日本人の場合には、それが出来なくて、この2:1の1が強くなってしまう。
日本人の場合には3拍子の感覚が国民性として、存在しないので、この3拍子のbowが中々出来ないのだよ。

Hohmann教則本の例:非常に早い段階で、こういった2:1のbowが出てくるのだ。勿論、Beyer教則本も同様である。Beyerでも両手の練習に入る前の段階の片手のvorschuleの段階で、3拍子が登場する。まあ、そうは言っても弦楽器と違って、弓量配分の問題は鍵盤楽器には無いのでね??
2分音符の強拍に対して、4分音符の弱拍を弾かなければならないのだよ。
つまり、1〜2拍はdown-swingであって、3拍目はup-swingとなるので、弓も軽い円を描くようにdown・upと演奏するのだ。勿論、垂直に腰を落として、3拍目でつま先立ちになる。お辞儀をしないように気をつけて・・
そうすると、必然的にwaltzのrhythmに入れるのだが、そういった、弓と音量の関係が日本人の弦楽器奏者の場合には、本能的に・・と言うか、体内rhythmとして無いのだよ。
困った事だ??ヒップホップダンスは出来ても、waltzが出来ないなんてね〜ぇ??

日本人の場合には、3拍目の早い弓で弱拍を奏く事が出来ないのだ。
だから、Vivaldiに限らす、Bachの例でも1:5という弓を均等な音量で弾く事が出来ないのだよ。



つまり、時代を知れば、この不可解と思われるslurも、当たり前のbowslurに過ぎないのだよ。
確かに、Henle版を校訂した100年前のbaroque音楽に対する知識は、見窄らしいものであったのだが、それから、100年も経っているのだよ。
盲目に権威的なHenle版の信者が多いのは、統一教会よりも怖いのだ。
要するに、無知は怖いのだ。



今では、弦楽器奏者に取っても不思議に見えるbowslurなのだが、それは Francois Tourte以降の弓に慣れた現代人の感覚であり、一見すると、不可思議(不合理的)に思えるbow-slurなのだが、baroque‐bowの特性から考えると、当時としては、極々、当たり前の、普通のbow‐slurだったのだよ。

それよりも特筆すべきは次の3小節目の2拍目から3拍目に掛かるslurである。これはmordentに掛かる上行形のpralltrillerとなって、非常に珍しい装飾音になる。(通常はpralltrillerはtrillの音に小節を跨いで掛かるのが普通なのだからである。)一般的にはturnを伴ったmordentとしているのだが、Bachの手書き譜の場合には次のように書くので、全く別の表記であるし、現実的にそれだけの音符が16分音符2個の中に入る事は無い。という事でturnを伴ったmordentというUrtextAusgabeを含めた、殆ど全ての楽譜は演奏不能の間違えた解釈である。











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Bachのinventionの指使いについて


baroque時代の指使いでは、親指を使用しないと一般的には言われていて、今でもそれを忠実に守っている人達がいるのはlacherlichである。
当時はCembaloやClavichordには足台が無いのが一般的で、楽器を演奏する時も、Johannes VermeerのLady Standing at the virginalに見受けられるように、立ったままで演奏する事の方が多かったのだよ。
その場合には親指は鍵盤には届かない場合も多いし、ましてや親指で演奏するのは難しいのだよ。

しかし、baroque時代の当時でも、professionalな音楽家の場合には、楽器は皆、脚付である。

当然座って演奏したのだ。だから、親指を使わない・・という事は当て嵌まらないし、また、親指なしでは弾けない曲が殆どなので、この風評は成り立たない。

但し、Prokofiev等が好んで使用したMotivに拠る指使いをBachも多用したのは、知られている。
phraseの句読点を、演奏で意識して弾くと、ぶつ切れで不自然になってしまう。そこで、指使いで意識をしなくても、自然に句読点が出るような指使いを考慮すると、演奏はとても楽になる。
1番のthemaの前半部はTetrachordで作られているので、当然、1の指から4の指までの指使いで演奏すると、自動的にphraseが出来る。それをphrase−slurと呼ぶ。


上記の譜例にも、もっと詳しく指使い等を書き込んでいるのだが、老婆心ながら、もう一度確認をしておく。

themaの指使いを決定した状態で演奏すると、3小節目の右手から3⇒4の指の進行が起こって、phraseが切れてしまう。
勿論、そういった意図の為のfingeringであって、themaの繰り返し(Motivの繰り返し=Sequenz)を表現するのである。
3⇒4の指は潜らせるのではなくて、平行に移動する。
そうする事に拠って、phrase(この場合は、Motiv)の頭に、軽いaccentが付いて、MotivがSequenzされた事を表す事が出来る。

baroque時代特有のMotivに拠る指使いである。

Cembaloの場合には、黒鍵が交じる事があるので、その都度、配慮が必要なのだが、弦楽器の場合には、鍵盤楽器よりも、このfingeringは有利である。
Vivaldi等のConcerto等でも、Motivの積み重ねで、figurationを作って行くので、この曲と同様のMotivに拠る指使いを見い出す事が出来る。

ProkofievのVisions Fugitivesの独特のfingeringを待たなくても、baroque時代の作曲家達は、Motivに拠るfingeringは、極めて普通のfingeringに過ぎなかったのだよ。









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Clavichord
BachはinventionとsinfoniaをClavichordのために書いた・・と言われる。
vibratoも出来るし、小さいながら強弱も付けられるから・・であって、mini-pianoのようなimageを持たれている人が多いのだが、実際のClavichordは、それ程優れた楽器では無く、寧ろensembleの出来ない、不完全な楽器に過ぎない。

Munchenの留学時代に、音出しの出来ない下宿に住んでいた時に、その村の楽器工房で購入したReise‐Clavichord(携帯用Clavichord)をである。
深夜に弾いていても、隣の部屋に音が漏れないのは、便利なのだが、それ以上でもそれ以下でもない。

当然、留学から帰国した時にも日本に携えて来たのだが、「ensembleが出来ない」という事で、Clavichordを欲しがっていたCembalo工房の人に、当時、日本で作られていた東海のspinetと交換して貰った。


子供達を集めてのTrioSonateの練習風景である。
Cembalo以外の生徒達は、私の生徒ではありません。
音大時代の後輩達の生徒です。
後ろ姿の女の子は千葉市で、Violinを弾いている女の子は小学生です。
Cembaloを弾いている女の子も大きい子ですが、小学生です。




Munchen時代にPlaneggの街で
Cembalo工房のお店から購入した
Reise‐Clavichord(携帯用clavichord)です。


invention形式以外で作曲されたinventionです。

inventio 第2番 c moll octaveのCanon



このinventioはoctaveのCanonで出来ているので、右手がA⇒B⇒C⇒D⇒E⇒Fと展開すると、左手がそれを追っかけて行くのだが、所謂、有名な3声の同度のCanonであるJohann Pachelbelの有名なCanon同様に、無限Canonとなっている。当然、終わらせるためには終止句が必要で、このinventioの場合には、事実上は11小節目でCanonは終わって、左手は冒頭のCanonのthemaのrefrainである。
themaが左手から始まって、繰り返されるのだ。正式に終止をするのは12小節目から13小節目の頭の音である。つまり、13小節目から後半から同じCanonが繰り返される分けなのだが、実際には、11小節目からthemaが繰り返される。前半部の右手先行から、後半部は左手先行として再びCanonが始まって、23小節目からは、チョッと長めのCodaとなる。
形式的には、13小節目の頭の音で、前半部と後半部が分かれるのだが、実際上には、11小節目から後半部のthemaが開始されているので、前半10小節と後半22小節目まで、となっているのだが、本来的な終止句は、12小節目で13小節目の頭からなので、後半部も10小節である。Codaの追加された5小節は、右手から左手とthemaが繰り返されて終わる。

Canonを入れ替えるために、自由なpassage(対旋律=Kontrapunkt)を作曲するのだが、Bachらしく、使用してきたMotivを使って、その対旋律を作っている。

その第一部の終止句は11小節目から12小節目の右手の動きであって、後半部は21小節目から22小節目までのkadenzを伴う動きと26小節目の終止句である。
     

 



Inventio第15番 ロ短調 fugaの形式
15番はfugaの入りの部です。

平均律等のfugaの場合には、fugaのthemaの入りに対しての、対旋律(Kontrapunkt)は、ありませんが、小fugaの場合には、対旋律がある場合の方が多いのです。
2声部のfugaの場合には、入りがsopranoから入ると、次の入り部ではBasからの入りになって、それで完結してしまいます。

このロ短調のfugaと言うか・・、fugato(小fuga)は、本当は入部は3小節目の左手のpartから入る二重fugaです。
冒頭の2小節の入りは、invention形式のbasso continuo(若しくは、対旋律Kontrapunkt)を伴った、Inventioの入りなので、紛らわしいのです。Bachのイタヅラかも知れません。

introの2小節+入部、3小節目から7小節目の頭の拍まで・・です。
7小節目から10小節目までが展開部で、11小節目が前半部の纏め、所謂、終止句になります。

表の一枡目の単位は2小節です。AはthemaAで、kはKontrapunkt対旋律の略です。対主題のthemaはthemaBです。紛らわしいのですが、Cは終止句のkadenzの略になります。kadenzはCadenzとも表記される事があるので・・。、

 A  B  c+A  a+A  c
 K  c+B a+b   b+c

12小節目から、15小節目までは、平行長調のD Durからの入りです。勿論、14小節目からの右手の入りはD Durの属調であるA Durです。15小節目の後半部からは2小節半の展開部に入り、18小節目からは、再現部としてのh mollでのBasからの入りで、5度で応答するのではなくて、repriseらしく、同調のh mollのママに応答して、21小節目の3拍目からkadenz(終止句)になります。
入りのintroの2小節を除けば、doppel‐fuga形式の典型的な形なのですが、結構難しい形なので、このinventionenからBachの勉強をしようと思うと、非常に難しいapproachになります。

実は、Bach先生は初心者向けの教材を沢山作曲しているので、このfugaの形式についても、簡単で練習のし易い参考の曲はいっぱいあるのですよ。
本来的には、Henle版でKleine Praludien Fughettenという曲集が出版されているのだが、外版の購入が難しい場合には、全音版からは、Bachの小preludeと小fugaという曲集やClavier-Buchlein vor Wilhelm Friedemann Bach( Wilhelm Friedemann Bachの練習帳)という曲集も出版されている。





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二つのthemaによるinventio

Inventioにしても、Sinfoniaにしても、主題を二つ持つ形式の曲が多数あります。これをDouble‐Kontrapunktと呼ぶ人達がいますが、Kontrapunktとは、主題(cantus firmus)に対して、付けられる主題に対して、相対する点を指す言葉なので、対主題という言葉は本来的には当て嵌りません。
この手の形式の曲ではKontrapunktを持たない曲が普通なのです。
inventioの中で、二つのthemaを持っている曲は、次の曲になります。(Sinfoniaについては、別の章で説明をします。)

Inventio 第5番 変ホ長調
Inventio 第9番 ヘ短調
Inventio 第11番 ト短調
Inventio 第12番 イ長調

既に、説明をした第2番はCanonの形式なので、Inventioの形式ではありません。
第6番も一見すると二重のthemaで作曲されているように見えるのですが、自由な展開をしているので、二重のthemaによるInventioの形式ではありません。
第14番も、自由な形式の曲なので、Inventioの形式ではありません。

取り敢えずは、第5番 変ホ長調を例に取って説明をして行きます。
Inventio 第5番 変ホ長調

 B
 B  A


二つのthemaは次のように表れます。

例えば、Inventio第5番の場合には、themaが大変長いthemaなので、一般的なInventioのように、Motivだけの主題とは違っていて、実にOrgan的な曲です。(Organの作品ではこの手の形式で作曲された曲を良く見受けます。)Cembaloではなくて、OrganでOrganの奏法として教えたのかも知れませんよね??主題の長さは4小節もあって、5小節目から、Esに対しての五度、つまり、B♭から、themaが転回して行きます。

実際には、蛍光ペンで音符を直接塗りつぶすと、もっと分かり易いのですが、パソコンでは図形に対しての蛍光ペンは面倒くさくてとても使い物になりません。
という事でカッコで印をしています。
実際は最初の4小節の右手が、themaAで、左手が対主題Bになります。
themaAは部分動機のMotivAとMotivBに分かれます。
対主題のBも、MotivCと、MotivDの二つのMotivから出来ています。
それを色分けして、赤がMotivAと緑がMotivBです。
それに対する対主題がMotivCとMotivDです。

最初の4小節が提示部で次の4小節が、転回された提示部になります。
転回と展開は、全く意味が違うので、混同しないように注意してください。
展開は、発展展開された事を言い、転回は鏡の形や逆転した形を言います。
一言で転回形と言っても、和音の転回形とはちがって、鏡の形、逆行形、反行形等々の種類があるので、混乱しないように注意が必要です。


当然、入部が終了するのは、8小節目までなのですが、そのまま第2部に突入しないで、Motiv Aに拠る3小節間の展開があります。


12小節目から、平行短調であるc mollによる、主題の入りがあります。当然、15小節までなのですが、16小節目からは、本来ならば、主題がひっくり返って繰り返されるのですが、16小節目からはf mollに転調して、裏のthemaがそのままに繰り返されます。c mollに対しての下属調です。4小節単位の曲なので、当然、19小節目までで、次の20小節目からは、Motivに拠る展開が始まります。

20小節目からは、themaの前半部のMotivであるMotivAが3回繰り返されて、23小節目からは、MotivAが右手に移って、2小節2回、また左手2小節2回で、themaがrepriseされるのですが、themaの後半部のMotivが1小節挿入されて(30小節目)、そのまま、終止句に入ります。



構造式は
入部4小節+4小節(8小節目まで)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8小節

小展開3小節(9小節目から11小節目まで)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3小節


受部4小節+4小節(12小節目から19小節目まで)・・・・・・・・・・・・・・・・8小節

展開部20小節目から26小節目まで)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7小節
(他の小節が8小節に対して、展開部が7小節でbalanceを欠いているように見受けられますが、その分を、

再現部(reprise) (27小節目から31小節目まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・5小節  
次の再現部のthemaが1小節挿入されているので、それを加えると8小節+4小節となって整合します。


終止句(32小節目)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1小節






蛇足として、追記しておきますが、このthemaの動きは(特にMotivAに対しての、左手の動きは、Organのpedal鍵盤の動きにとても良い動きになります。足の動きに即応したMotivなのですよ。
(それに対して、第14番の対主題(・・と言って良いかは兎も角として)Cembalo奏法のfinger pedalの奏法になります。演奏するのは簡単なのですが、記譜をすると非常に難しい事になります。)


Inventio第9番 ヘ短調






Inventio第11番 ト短調







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愚痴に過ぎない愚痴です。

元々の文章が見つからないので、この後に何が書いてあったのか、愚痴とは言えない愚痴とは何かが全く分かりません。このPageを書いていたのは10年以上も前のお話だったからです。
と言う事で、多分、現行の日本の音楽教育・・というか、特に必須教材とされる『Bachのinventionenとsymphonien』に関してなのですが、私が音大時代に学んでいた誤った指導法による・・と言うか、無知による指導法で勉強をして来ている子供達・・と言うか、・・そう言った指導をしている教育者達に対しての怒りのお話であったように思われるのですが、それは私が子供達を指導していた時から、現在に至るまで、未だに何一つ変わっていないのですよ。 あな、オトロシやオトロシや??

Facebookより
2022年8月12日金曜日朝の8時
一般的なimageではinventionはBachが自由に作曲した曲集というimageなのですが、作曲科の学生達に取っては、(作曲上の慣例としては・・)invention形式というstyleが存在します。(Bachがinventionenの第一番で確立した対位法的な作曲の形式なのですが・・)
・・と言う事で『inventionen』という曲集の中には、invention形式の曲やfugato(小fuga)形式の曲、或いは、Bachがpreludeと呼んでいた toccata風の形式の曲さえも混在しています。
3声部のsymphonienの場合には、3声部の入りがあるので、それだけで、形式が確定してしまうので、僅かな例外的な曲を除いては、形式が確定してしまうので、自由な曲は非常に限られてしまいますがね。
Pianoを学ぶ人達や、指導する先生達さえも、Pianoを学んでいる人達の多くは、Pianoの打撃音しか聴いていません。Bachのinventionでは声部の交差や繋留する音が醸し出す非和声音が解決をする音の美しさが書かれているのですが、某国立音楽大学の先生でさえも、そう言った響き込む音(繋留する響き)を指導する先生が数少ないのです。
昔々は、Bachの曲がconcoursで課題曲として出題された事もあったのですが、なんと、全国大会に出場するような生徒達でさえも、OrganやCembaloのlegatissimo奏法の代わりに、pedalを少しだけ踏み込んで、音を濁らせる誤魔化し奏法で演奏していて、正しいBach時代のlegatissimo奏法で演奏する生徒は一人もいなかったのですよ。それは私に取っては、超、Shockな出来事で、子供達のPianoを指導する一つの切っ掛けにもなったのです。
間違えた奏法と言えば、装飾音、所謂、trillerやpralltriller、或いは前打音(appoggiaturaとacciaccatura)の弾き方も、今現代になっても、未だ改善されていません。Bachのinventionですら、強拍の前打音と弱拍の前打音の違いは出て来るのに・・ですよ。
まあ、inventionenを分析して、演奏する人達がいないから、仕方が無い事なのですがね〜ぇ??
「分析する」と言えば、相変わらず、音符の上に蛍光ペンでマーキングする方法が分からないのだけど、使っているsoftが超、ヘボいので、塗り潰すと音符が見えなくなってしまうのだよな??
困った。



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sinfonia? A Dur 11小節目12小節目の問題点

 
 


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装飾音について
Bachの一般的なinventionの楽譜には、それ程は、装飾音が使われている分けではない。
そこは、Franceのbaroqueやrococoの時代の作曲家達とは一線を画している。
よく勘違いをされる事があるのだが、invention等に書いてある装飾音の演奏法を、後生大事にひたすら守って生徒達に演奏させている石部金吉のpianoの先生をよく見受けるのだが、Bachが示した装飾音の譜例は、Cembaloを始める人達の極初心者へのadviceとしての譜例に過ぎない。


Bachが自分の息子がCembaloを始める時の、練習に作った曲を、Applicatioにも見る事が出来る。
Cembaloを始めたばかりの初心者の子供がこの難しい曲をどのように弾いたのかは興味がある所だが、同様な例は、inventionにも見る事が出来る。
日本版では全音版でBischoff版としてFriedemann Bachのinventionを購入する事が出来るのだが、当然、装飾音(ornament)が入るので、指使いが全く変わって来るので、その分同じinventionでもかなり難しくなってしまう。




この装飾音を楽譜通りに演奏するのは、初心者にはかなり難しい。Bach-familyの息子だから出来たのかな??

Bachが彼の息子達にornament(装飾音)の演奏法を教えた楽譜は数多く残っている。
その中でも、特に有名な楽譜が、Bachが彼の息子であるFriedemannのために書き与えた『 Clavier-Buchlein vor Wilhelm Friedemann Bach』であろう。
その楽譜は日本版では、全音楽譜出版社からHans Bischoff版として出版されている。



装飾音が入って来る事によって、指使いはより複雑で難しい物になる。

inventionとSinfoniaを終了した生徒達に、Bischoff版から特に、装飾音に特化した作品を与えて練習させているのだが、inventionとSinfoniaを制覇した生徒達にとっても、Bischoff版は難しいのだ。



ちなみに、inventioの第1番なのだが、Motivの後半部に、小さな音符を追加して、3連音で練習させるようになっている、譜面もある。誰に対しての、指の訓練なのだろうか??




Anna Magdalena Bachの練習帳である。



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音の違いについて



inventionenとsymphonienの暗譜用の楽譜

芦塚methodeでは、Beyer教則本を学ぶ時から、暗譜のmethodeを同時に学ぶ。
頭の中で写真を見るように、楽譜を見るという方法なのだが、そこに至るには少し、簡単な手助けが必要である。
と言う事でBeyer教則本の覚え方の教則本を作っているのだが、inventionを演奏する人達の多くが音を覚えていないままに、自分の演奏している音を聴いていないままに、惰性で弾いているのを見て、inventionやSinfoniaの暗譜の本も必要性を感じて、作った。

教室の制作の楽譜であるがHenle版となっているのだが、Henle版をcopyした楽譜では無い。
Henle版を底本にした・・・とか言うのかな??
音大生の殆どの人達がHenle版のinventionやSinfoniaを使用するので、Henle版を底本にしたに過ぎない。

楽譜を開くと、この五線紙だけのPageが現れるのだ。
このPageの割り振り、所謂、layoutがHenle版の同曲のPageの割振り(layout)と同じなのだ。

指導者はこの何も書かれていない譜面で、lessonをするのだよ。
「このpassageのこの音が・・」という風に・・

つまり、Henle版の楽譜を対象にした、芦塚methodeに拠る暗譜のmethodeの楽譜である。

この五線紙には、拠り所となる音を書き込む場合もある。

そこに一つ音を書き入れる事に拠って、より完璧に暗譜をする事が出来るからなのである。
勿論、Beyer教則本の場合には、これよりも非常に簡単である。そこから徐々に暗譜のコツを掴んで行くのだよ。

希望者には教室から販売をしています。
Beyer教則本の暗譜譜は、color印刷になりますので、コストが少し高いです。

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