J.S.Bach 無伴奏チェロ組曲第一番 ト長調 とbaroque奏法

baroque音楽の再発見

こんにちでは、クラシック音楽の一つのジャンルにしか過ぎないbaroque音楽というジャンルも、1952年にイタリアの聖チェチーリア音楽院の卒業生によって結成された、I Musiciが火付け役となって、VivaldiやBachの音楽を広げて行った事により、一般の人達の耳慣れた音楽になって来たのだ、・・という事は疑う余地もない事実なのです。
つまり、baroque音楽というジャンルの作品や作曲家達は、BachやHandelの僅かな作品を除いては、それまでには殆ど一般大衆の目や耳にされる事はなかったのである。
baroqueの音楽が、私達に手短な音楽になったのは、ホンのチョッと昔の話に過ぎないのです。
そういった意味でも、I Musiciという演奏団体は、私達にbaroque音楽を身近にするための、多大な貢献をしました。

しかし、baroqueの音楽が完全に人々の心から忘れ去られて後は、当然の事ではあるのだが、そのbaroqueの特有の奏法や演奏上の慣習等々も、忘れ去られた分けなのだから、再び、多くのbaroqueの巨匠達や名曲を紹介したI Musiciの演奏が、その演奏法が現代の弦楽器の奏法のstyleであったのは、仕方のない事実であろうか。
それは、有名なbaroqueensembleである、アーノンクールやメルクス等の他の演奏団体でも同じである。

「無伴奏と残響効果について」
一般的な弦楽器の奏法では、譜面に書かれているように、演奏される事が多いのだが、それでは、通常の編成の曲は兎も角としても、こういった無伴奏のgenreでは、痩せて貧弱な音楽になってしまう。
そこで、演奏家や音楽学者達は演奏された場所に注目した。
つまり、殆どの無伴奏のgenreの曲は教会で演奏される事が多かったからである。
という分けで、演奏家達は演奏会やrecordingの時際に、教会等の残響の多い場所を使用したりて、電気的にアコースティックを加えて録音をしたりして、無伴奏の和音感の無さを、カバーするように努めていた。

1970年代の後半からは、baroqueの研究者も増えて来て、古楽器の修復や復刻の密やかなブームが到来する。
その結果、baroquebowやガット弦等の周辺の道具も、復刻され、或いは、人工のナイロンによるガット弦等が普通に手に入るようになって来たのに伴って、・・というか、ネット社会の到来によって、世界の図書館もbaroqueの作曲家達の楽譜を、facsimile版として、世界に発信するに至るようになって、徐々に、正しいbaroqueの演奏styleも明らかになって来るに至った。

私とbaroque、古典派の音楽とのかかわり
そういった専門的な時代考証に伴った演奏styleで、古楽器の演奏がおこなわれるようになったのは、(period奏法)世界でも最先端のbaroque音楽を席巻するクイケン兄弟がbaroqueensembleを結成したのは1986年で、まだそんな遠い昔の話ではない。

また、私が音楽教室を開設して、私の教え子達による演奏(所謂、Fiori musicali baroque ensembleの演奏活動)を始めたのも、1990年からbaroqueの音楽をperiod奏法として演奏を開始していたので、世界的な水準から見ても、最先端である事には、変わりはない。

何故、そのように早い時期に、period奏法を開始出来たのかというと、私自身のbaroque音楽や古楽器への研究が、実際には、クイケン兄弟達の研究よりも更に何年も昔に遡った、1965年代に遡る事が出来るからである。
当時、私が未だ音楽大学の学生であった頃の、私の個人的な趣味による研究ではあったのだが(それは今でも変わる事はない。period奏法は未だに音楽大学ではおこなわれてはいないからである。)、音楽大学時代で、当時は、未だ日本に2,3台しかなかった母校の音楽大学所有のNeupert製のCembaloを使用して、Bachのcantataや、Handelのoratorioの初演を、私個人の研究として、私の個人的な研究に賛同をして頂いた、多くの先生達や学友達の協力の元に、毎年、baroqueの音楽の公開演奏した。
勿論、その当時の演奏には、未だperiod奏法というものは、存在しないし、Cembaloも復刻のCembaloは、未だに世界にも存在せず、 Neupert社製やAmmer社製のspringactionによるCembaloが主流・・というか、だけであった・・そういう時代だったのだよ。その時代に、私が手探りで、cantataの研究や、HandelのCembalo奏法を研究していたとしても、世界のglobalstandardですら、私と同じように、手探りの時代だったのだからね。

 

period奏法について

今回、この文章をupするのは、八千代のコンサートで、山本珠加ちゃん(11歳)がこのBachのviolincello soloのsuite1のpreludeを、初めて、legatissimoの奏法で演奏するから、その説明のためにです。
とは言っても、period奏法として演奏する訳ではありません。
step by stepで、一歩一歩勉強して行きます。
先ずは、legatissimo奏法からです。


奏法の違い(legatissimoの奏法)

 

今日では、クラシック音楽の1ジャンルにしか過ぎないbaroque音楽も、1952年にイタリアの聖チェチーリア音楽院の卒業生によって結成された、I Musiciが火付け役となったという事は疑う余地もない。つまり、baroque音楽というジャンルの作品や作曲家達は、BachやHandelの僅かな作品を除いては、それまで殆ど知られる事はなかったのである。そういった意味でも、I Musiciはbaroque音楽にとっての多大な貢献をした。
しかし、多くのbaroqueの巨匠達や名曲を紹介したI Musiciですら、その演奏法に関しては、現代の弦楽器の奏法のままであった。
それは、有名なbaroqueensembleである、アーノンクールや他の演奏団体でも同じである。

一般的な弦楽器の奏法では、譜面に書かれているように、演奏される事が多いのだが、それでは、通常の編成の曲は兎も角としても、こういった無伴奏のgenreでは、痩せて貧弱な音楽になってしまう。そこで、演奏家や音楽学者達は演奏された場所に注目した。つまり、殆どの無伴奏のgenreの曲は教会で演奏される事が多かったからである。
という分けで、演奏家達は演奏会やrecordingの時際に、教会等の残響の多い場所をしようして演奏したり、録音をしたりして、無伴奏独特の和音感を出している演奏していた。

1970年代の後半からは、baroqueの研究者も増えて来て、古楽器の修復や復刻も増えて来た。その結果、baroquebowやガット弦等の周辺の道具も復刻されるに付け、正しいbaroqueの演奏styleも明らかになって来た。
そういった時代考証に伴った新しい(?)古い古楽器の私の教え子達による演奏(所謂、Fiori musicali baroque ensembleの演奏活動)を始めたのは、1990年からであって、世界でも最先端のbaroque音楽を席巻するクイケン兄弟がbaroqueensembleを結成したのは1986年で、まだそんな古い昔の話ではない。

 

奏法の違い

通常、私達が演奏しているモダンの弦楽器は、baroque楽器に比べて、弓は張力を高めるために、逆に反っている。
そのために、他の弦に弓の毛が触れないように、駒のRがきつく、高くなっている。
弦楽器自体がbaroque時代に作られた楽器であったとしても、現代の音量に対応できるように、そういった、改造がなされているのである。
baroqueviolinは、当然作られた時代のままの、何ら改造改変がなされていない楽器となる。
という事で、弓は自然な弓のRのままであるし、弦に接する力が弱い分けなので、駒のRもなだらかである。
そのために、自然に無理なく重音奏法が出来る。
寧ろ、重音のまま、圧力を変えて弾く方が易しい。

こういった奏法を弦楽器では、legatoのbowing(バリオラージュ)《⇒シゲッティによると》・という。
Cembaloの場合にはそういった奏法をfinger pedalという。
こういったpreludeに見受けられる和音のような演奏法は、baroqueの弦楽器の独特な奏法なのだが、先程も言ったように、改造されたモダン弦楽器でそれを演奏するのは難しい。

Bachの無伴奏チェロによる組曲の第1番prelude Gはそういった、legatoのbowing(バリオラージュ)のオンパレードである。

 

奏法の譜例

こういう奏法は楽譜に書き表すと、大変難しいように感じるが、一度、感(コツ)をつかんでしまうと何の困難もなく普通に演奏出来る、自転車の乗り方やスイミングのような奏法なのだ。現代の演奏styleの中では日常的ではないので、最初は理解が難しく、とっつきが悪く、手間取るかも知れないが、それは最初の一回だけで、一度コツを掴んでしまえば、簡単な耳の感性による奏法なので、後は何の曲になっても以下同様で、大丈夫なのです。