チェンバロの思い出
(私とCembaloの出会い)
高校時代

チェンバロという楽器は、ただ単なるソロ楽器としてではなく(ピアノとちがって)バロック時代のオーケストラの中ではアンサンブル楽器としても非常に重要な位置を占めています。今日では演奏会でも目にすることが多くなってきたチェンバロという楽器ですが、私が若いころには大変珍しい楽器でありました。はじめて私がチェンバロにめぐりあえたのは、高校1年生の頃、町のレコード店で偶然アントン・ハイラーの演奏するヘンデルのチェンバロ組曲を手に入れたときでした。
ヘンデルの組曲はどの曲をとっても大変壮大で、悲壮なまでに美しく悲しい物でした。
本当は、私がチェンバロという楽器に巡り合うのは、中学生の時に偶然見に行った映画でナチのダッハウのコンセントラーガー(収容所)を描いた、とても悲しい悲痛な映画で「0地帯」という邦題の映画でした。13歳ぐらいのとても美しい少女が、lessonでCembaloを弾いています。そのまま、その少女は石畳の道を歩いて帰るのですが、その間も、その少女の弾いていたチェンバロの曲が悲壮な感じで流れています。家の傍に来ると、ちょうど両親がナチにつかまって、車に乗せられる所でした。近所のおばさんが彼女をしっかり捕まえて、放さないようにしているのに、彼女は手を振り切って、両親の元に駆けつけて、車の中に入れられてしまいます。その間延々と悲壮な彼女の短い一生を表現するように、ヘンデルのチェンバロの曲は続いて流れて行きます。悲惨な環境の中で何とか生き抜こうと必死になっている少女の、痛々しさが、あまりにも悲痛で、とても二度と見れないような作品ですが、その悲惨さは決して架空のお話ではありません。私がその映画を見た、ほんの12、3年前までには現実にあったお話だったのです。その映画のストーリーが素晴らしいのか、その音楽が素晴らしいのか、私とチェンバロの出会いは、悲壮さを伴った、素晴らしい楽器としての印象があります。
当時はチェンバロは大変珍しい楽器であり、まだ日本に数台しか入っていませんでした。私が当時夢を見たのは、いつかきっとチェンバロという楽器を手に入れたい、という夢でした。今は、二段と一段の大型とスピネットを2台も持っているのですから、不思議なものです。


私を音楽家になるべく運命づけたもう一枚のレコードのジャケットです。

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