教材研究

 Chopinのワルツh moll Op.69,No.2

 

1.暗譜について

Chopinのワルツのように、すこぶる簡単で同じthemaが繰り返されるような曲を演奏しようとすると、同じmelodieが繰り返さえされるのであれば、何の問題もないのだが、実際には繰り返しの都度、ちょっとしたkleinigkeit(小さな変化)に悩まされることになる。しっかり覚えたつもりになっていても、いざ本番となると、どうだったか迷ってしまって、そのために演奏が上手く行かなくなる事が往々にしてある。

しかし、大作曲家は感情的に情緒的にそのちょっとした変化(kleinigkeit)をするわけではない。そこにはちゃんとした理由があり、かつ整合性もある。

そういった、一見すると曖昧になりそうなChopinのワルツのようなその都度変化を見せる繰り返しも、芦塚メトード式の記憶法では簡単に正確に記憶する事が出来る。

芦塚メトードでは、Beyerの段階から、従来のアナログ式の暗譜法ではなく、独自の記憶のmethodeで暗譜の指導する。

暗譜をより確実にするには、暗譜と楽曲の形式(私達はむしろ、構造式と呼んでいる)を同時に記憶し、またその理論を理解していくことにある。

 

Beyer教則本で使用されている音楽形式は、殆どの曲がa,a,b,a (A,A’)と言う構造であったり、その応用で(a,a,b,a)+(c,c,d,c)+(a,a,b,a)、括弧括りを大きくすると、単純なA+B+Aのシンメトリー構造であったりする。

その単純さが、逆にBeyer教則本をして、一般の指導者達から軽く扱われる原因にもなってしまっている。[1]

 

しかし、このlevelの段階で、子供達が楽曲の持つ基本的な構造式(音楽形式と言ってもよいであろう)を(頭の中で理解すると言うだけではなく、)実際に、楽曲の構造分析(音楽形式の分析)を子供達自らの手で学習し、そういった技術をしっかりと身に付けておけば、将来的に暗譜に悩まされることはないし、また楽曲それ自身の構成に基づいた演奏法等の確立など、論理的に理解することが出来るようになる。

 

譜例:参考までに

「Beyer研究:補足説明より

確かに、(Beyer研究参照)Beyer教則本のような初歩の段階では、唱歌形式のような単純なものしか出てこない。それは音楽をはじめたばかりの子供達が複雑な音楽形式を理解する前の、まず基礎的な段階であるからだ。

どのような道でも初めの一歩はシンプルなものである。だから、そんなたんじゅんな構造分析的な記憶法のsystemが、将来的に中級以上の曲や上級クラスのlevelの曲に、どのように応用されて行くのか理解することは難しい。

芦塚メトードによる記憶法(構造分析法)は暗譜の苦手な人達や、情緒的演奏に疑問を感じている演奏家達にとっても、或いはこういったkleinigkeitの暗譜に悩まされる人達にとっても、非常に効果的な記憶systemになる。

 

こういった記憶法を、私は従来型の記憶法に対抗して、デジタル型の記憶法と名づけた。

当然、日本型の詰め込み型の記憶法のことを、アナログ型記憶法と呼んでいる。

アナログ型記憶法では、一箇所で引っかかってしまうと、最初から弾きなおさないと思い出せない、とか色々な意味で不都合がある。

そういった欠点がなく、例えば、先程の例でもデジタル型記憶法ではいつどこからでも弾き始めることが出来る。そういった利点は数多くある。

しかし、日本人にとってはデジタル型記憶法を学習することは、非常に難しい。日本は世界で唯一のアナログ型の思考方法をする国民であり、また江戸時代に世襲制度を確立するために家康がもちこんだ儒教型の教育法が現在でも**として**している。だから、当然、学校教育はおろか、最先端の塾であっても、家庭での学習であっても、断固としてアナログ型を貫いているのです。

そこへ、デジタル型の学習法を指導しても、なかなか一般に受け入れてもらえないし、子供達が大きくなって、受験勉強に専念するようになると、それまでに身についていた能力は、一瞬で失われてしまう。

そういった能力を身に付けるのには2年3年と長い日数と大きな努力を要するのに、失うには2,3日のアナログ型の勉強を受けるだけで、充分なのだ。

これは人間が自分の身を持ち崩す事とも同じである。

譜例:

A3版楽譜: 「chopinワルツh moll構造分析譜」 参照

 

2.日本人のpedaling

日本人のピアノの指導者や学生の場合、ワルツを演奏するときに1拍目から3拍目まで、pedalを踏みっぱなしにする人が多い。そのpedal操作について、私が音の濁りを指摘すると、多くの先生や生徒が「楽譜にはそういう風に書いてあります。」という。

確かに、日本で出版されている楽譜は殆どの楽譜がそういう風に書いてある。日本で権威のある超有名なピアノの指導者の校訂による楽譜ですら然りである。

譜例:

 

Chopin愛用のsingle actionのプレイエルピアノならばいざ知らず、現代のピアノでこの楽譜通りにpedalを踏んで演奏すると、その音の濁りは耐えられないものになる。しかし、書かれたpedalingをひたむきに守って、音の濁りをスピードで誤魔化して演奏しているのが日本人のピアノの演奏である。どのようにごまかしたとしても、所詮は「誤魔化し弾き」には変わりはない。外界のノイズを心象として感じることの出来る日本人だからこそ出来る、音の濁りに対する無神経さであろう。

 

3.ワルツ独自のrhythm

a.日本人の持つ3拍子の感覚(12pt)

また、ピアノの初心者を指導しているときに、よく見受けられる弾き方なのだが、日本人の持つ独特のrhythm感として、Beyerの80番、81番、82番や98番等の3拍子の曲を弾くときに、3拍目を押さえつけて、幾分伸ばし気味に弾く摩訶不思議な独特の弾き方がある。

この弾き方は非常に不思議なのだが、これも日本人の子供のうちにある独自の感覚である。

 

 

 

譜例:

その本来的な理由は、日本の音楽には、古来から3拍子というものが存在しなかったので、(体感として3拍子を感じることの出来ない)ことによってひき起こされる現象であろう。

つまり、3拍目を引き伸ばすことによって、偽拍子を作り出すのである。日本に存在する唯一といえる3拍子の変形と思われる雅楽の曲は、実は3拍子ではなく、5拍子である。つまり、日本の伝統の音楽の中には3拍子の曲は存在しないのだ。

 

それに対して、ヨーロッパ人は生まれたときから、3拍子の中で育ってくる。特にドイツの子供達は小さな子供の内からlandlerの中で育っている。

踊りの順番を待っている子供達と、パパママ達の子供達への踊りの模範のlecture風景

(ドイツ留学中の田舎の村で、語学学校在学時の時の写真:この写真を撮った後、私も強制的に輪の中に入らされ手、見よう見まねで踊らされた。)

 

また、私がお世話になっていた、ドイツの家族の下の男の子が16歳になった時に、パパからのクリスマスプレゼントでダンス教室の入会に入会させてもらった。男の子は「とても喜んでいた」ので、不思議に思って、その理由をママに聞いたら、つまりダンス教室は大人の仲間入りのための正しい男女交際と礼儀を学ぶためのもので、男の子も女の子も正装して行くのだそうな。つまり、パパから「君はもう大人なんだから、社会人としての正しいマナーを覚えなさい。」という許可が出たと言う事らしい。(ちなみに、その前の年のパパからのプレゼントは、確かスキー教室の合宿だったと記憶している。)

 

だから、ドイツの子供達は本当に子供の頃から、3拍子に慣れ親しんで育っている。

Beyerに限らず、ヴァイオリンを最初に勉強する時に使用されるヴァイオリン教則本のホーマン教則本でも、ヴァイオリンを習い始めの非常に早い場所で、3拍子の曲が出てくる。しかも、ヴァイオリンの場合には、ピアノと違って、弓の問題が絡んできて、1、2拍目をone bowで弾かなければならないのだが、そうすると3拍目で2拍分の長さの弓を1拍で返さなければならなくなる。しかし、強、弱はbowとは逆様になってしまう。弓の速度は1,2拍目がスロー、3拍目がクイックなので、拍子とは逆に3拍目が強くなってしまうと言う、不合理が起こってくるのだ。

本来的には、少し弓を浮かすようにして軽く弱拍で返さなければならないのだが、日本人の持つ3拍目を強く弾くという感性が邪魔をしてあいまって、日本人特有の3拍目が強くなってしかも伸び気味になると言う最も悪い弾き方が、極端な形で現れてしまう。

そういった3拍目が強くなると言う癖は、音大生になっても、まだ残っている人達が多い。

譜例:Hohmann

(ヴァイオリンの場合には、3拍目を抜いて弱拍で奏くという事は、大変に難しい。)

 

b.ワルツのpedalingとrhythm

ワルツのpedalingとしては、私は子供には次のように弾かせている。

譜例:

            

 Pattern A                 pattern B

 

このpattern Aのrhythmは、ワルツの比較的ゆっくりした優しい感じで演奏するときのrhythmである。pedalは最初の拍だけにかける。2拍目までかけると、2拍目の響きと3拍目の響きの整合性がなくなるからである。

それに対してpattern Bのrhythmは2拍目で止まった感じのようになり、3拍目は短く端折ったような感じになる。独特のワルツのrhythmとなる。当然、pedalは1拍目から鋭く切る2拍目までかけて、2拍目の音を抜くときに一緒にpedalもとる。

そういった奏法を、私は「2拍子で感じるように!」と言っている。2拍目が伸びた分だけ、ちょうど、3拍目が短くなって、あたかも省略されたような感じになるからである。

 

蛇足:

舞曲の持つ独特のrhythmを言葉で説明することは、不可能である。

Menuettやワルツ等の舞曲は、踊れる必要はないとしても、(例え映像のみだとしても)そのstepを覚えておくと、曲の正しいrhythm感を把握できるようになる。

PolonaiseやMazurka等も一度でよいから、実際の踊っている所の映像を映画等で見るとよい。世界の民族音楽等のDVDがとても安く販売されている。たった、一度映像を見るだけでも、音楽の表現は変わってくるであろう。

楽譜というものは、あくまで音楽を書き留めるためのひとつの手段にしか過ぎない。

楽譜に書かれていることがすべてだと言う人もいる。しかし、MozartやHaydnの作品を見ても分かるように、演奏表現は当時の時代様式なのだ。その時代の通念で定説であった事柄については、MozartやHaydnはもう書いてはいない。その演奏表現は当時としては当たり前のことなのだからだ。しかし、今日私達が当時の演奏スタイルを学ぶことは極めて難しい。

(古典派の演奏スタイルについて:参照)

作曲家が自分の内にある音楽を表現するための近似値(ノーテーション・正式な意味は覚書である。)にしか過ぎないのだ。

それに疑問を感じる人は、現代最先端の記譜法や昔々のタブラチュアー譜を見てみるとよい。

如何に音楽を伝達それば、作者の意図が伝わるのか、それは永遠の課題であり、いまだにその工夫や努力が費やされている。

だから演奏家は作曲家の通訳であり、代弁家でもある。楽譜は演奏会のための単なる台本に過ぎないのだ。

 

このchopinのワルツでは最初の1小節目はAのrhythm patternから始まるのだが、2小節目ではもうpatternBのrhythmに移行する。当然、15,16,17小節目ではreprise(繰り返し)なので、tempoはpatternAに戻るが、やはり18小節目からはBのrhythmに移行する。

 

ロ長調の中間部は、優美なやわらかいimageなので、patternAのrhythmで演奏する。

但し、前半4小節は大きく2小節で強拍、弱拍と取る。(こういった拍子の取り方を私達は2小節取りとか、4小節取りとか言っている。)

このpassageの場合は2小節単位が2回繰り返される。(a,a,b,b)を括弧括りとしてCが4回繰り返されるのであるが、当然この場合もkleinigkeitを伴った繰り返しである。

構造式的に書くと

a,a,b,b

a,a,b’,b’(bが3度低く演奏される)

a,a,b,b,(和音に変わるだけである)

a,a,b“,c,(短調に変わる。Cはつなぎのpassage)

基本的にはa,aは変わらない。bもkleinigkeit(小さ)なVeranderung(変化)に始終するだけである。

譜例:

後半4小節では、3拍子取りで軽やかに、リズミカルに(rhythmに乗って)可愛らしく演奏する。


以下はワープロの原稿から復元された文章である。

譜例:

このpassageの場合には例外的に3拍目にaccentがついているのだが、それでも、日本的な3拍目を押さえつけるようなrhythmはよくない。あくまでも、左手は軽やかなワルツのBpatternrhythmを刻まなければならない。(実際上は、この部分は、ワルツと言うよりも、Chopinのもっとも得意とする分野であるMazurkarhythmである。だからワルツと言うよりも、rhythm的に厳しい鋭い複付点のようなrhythmで弾かなければならない。)

譜例:

 

 

 後書

この教材研究の中では、基本的な注意事項、姿勢について、体重移動の仕方、打鍵の位置やtouchの色々な奏法、手首や腕の用い方、等々の基本的な指導上の留意点については述べていない。

それ等の基礎的なメトードは、私達の教室では、このlevelの曲を弾ける様になるまでには、当然マスター出来ていなければならない必須の課題であるからである。

またfingeringに関しても、芦塚メトードにおけるデジタル型記憶法から、自動的に正しいfingeringが導き出されるので、この曲を弾きこなせる段階の生徒であれば、通常は自分でつけられるはづなので、あえてここでは触れないことにする。

 

 

 

 

次ページ