ピアノのレッスン

 (先生の演奏をコピーをさせると言う事)

この文章は生徒からの質問に答えるメールを掲載したものです。

質問は、卒論のために、いろいろな一般の音楽教室の先生達のレッスンを、見学してきた生徒が、ほとんどの先生が子供に対して、説明することもなく、ただピアノを弾いて、「こう弾くのよ!」とか「こうでしょう!」とか言っているのに、子供は、その違いがまったく理解できなくって、途方に暮れているのを見て、そのレッスンに対しての疑問を、私に尋ねてきた時のものです。

 

[生徒]

メールありがとうございます。

そういえば、よその教室を見て回っていて、思ったのですけど、ほとんどの教室では先生が生徒に対して、ピアノを弾いてあげたりして、生徒に先生のコピーをさせる事の方が多いように思いますが、その場合には生徒の方が先生より上手くなっちゃった場合って、どうやって教えているんでしょうね?

[私]

コピーで学ぶ場合には、先生よりも上手くなることは現実的にはありません。

先生からパーフェクトに学んだとしても、先生を越す事はあり得無いのです。それはコピーに過ぎないからなのです。コピーは大元を越すことは(よっぽどの例外がない限り)絶対にないのです。

そのよっぽどの例外とは、極、稀に「学び方が優れた生徒(技術を盗む事が非常に上手い生徒)」がいます。そんな生徒は、先生の持っているものをさっさと盗んで、さっさと次の先生に替わって行きます。学ぶものがなくなると、見切られてしまうからです。

しかし、そんな生徒は、100年に一人ぐらいしかいませんよ。いたら、10代でもう立派なプロになっています。

俗に、一般に何処にでもよくいる生徒は、自分が先生の力量を見抜く事が出来ないままに、自分が先生から学ぶものは無い、先生よりも上手いと思い込んでいる生徒です。

そんな生徒は直ぐ潰れてしまうので、先生が生徒から追い越される事は、ほとんどありません。

 

先生よりも上手くならない理由のもう一つは、指導する先生は本能的に、自分の生徒が自分より上手くなることを、望まないからです。

それはジュラシックなのですが、そういう意識があるということ自体を、先生自身が気が付いていない場合が殆どなのです。気がついていて、やっていれば、それこそ、怖いけれどね!

 

[生徒]

教室の斉藤先生は、ピアノには苦手意識があるようで、「私はピアノは弾いて教えることは出来ないけど、教えることはできる」とおっしゃっています。

また、実際に時間の都合でピアノを教えてる生徒について「そろそろ生徒の方が上手くなってきた。」と言われています。

だけど、大学の卒論のための見学で、いろいろな教室を見て回ってみましたが、生徒が先生より上手いなあ、というケースは、ありませんでした。

ここの教室のピアノのレベルが一般の音楽教室に比べても低いわけではなく、むしろ一般よりもはるかに高いレベルだと思われるのに、生徒が先生の演奏のレベルを追い越すのは、いったい何が?・・・・・或いは何処が違うのだろうか?・・・と思いました。

教室の先生達は定期的に演奏活動をしているので、ピアノやヴァイオリンの弾けない先生とは根本的に違います。ここの教室の生徒達も小学生でも、ボランティアなどでプロの演奏家に混じって演奏活動をしています。ですから、教室の水準が決して低いわけではありませんが、それでも、生徒が先生に伯仲してくるのです。どうしてそんなに上手くなる事ができるのでしょうか?

[私]

斉藤先生は、ヴァイオリン、ビオラは専門だから、演奏が上手なのは当然ですが、チェロやコントラバスも演奏活動でもよく演奏する事があります。ですから、当然子供の指導も演奏しながら指導する事ができます。しかし、さすがに弦の先生ですから、ピアノは事前に練習してからでないと、上手く弾けません。

その理由は、ピアノだけは、私達の教室に来る以前に習っていたからなのです。

 

しかし、それは、普通は当たり前のことで、一般の音楽学校を卒業してきた先生達は、副科の楽器の演奏は皆うまくないですよね。

 

私はピアノ専科の先生には、BeyerとBurgmuller、カバレフスキー、後は、ソナチネ・アルバムやソナタ・アルバム程度の曲集とCzerny30番、40番ぐらいの曲は、完全に覚えてくださいと要求しているのですが、Beyerの104曲全部覚えたとしても、chopinのバラード1曲の音符の数の方が、よっぽど多いですよね。だから、「chopinのバラード1曲を暗譜で弾けるのなら、Beyer教則本が暗譜出来ない訳はありませんよね。」と説明して、子供の教材をちゃんと覚えるように要求しているのですが。

あるとき音大出の先生が、子供の指導をしているのを見たら、子供が指使いや音を間違いだらけで弾いているのに、子供の弾いている手や音をcheckしないで、先生が譜面にしがみついていました。先生がそれでは、子供の正しい指導なんか期待できませんよね。だから「自分の指導している生徒に与えた曲ぐらいは暗譜しておいてください。」と言っているのですが、それが出来ない先生が多すぎます。

私達の教室ではそんな先生は最初から採用しませんがね。

 

演奏会のレパートリーを持っている先生達にとっては、子供の指導教材を覚えるのは、何でもありません。というよりも、いつの間にか全て暗譜で演奏出来るようになっているのです。それはプロとしての学習法で勉強するからなのです。

ところが、教室で勉強する前に習っていた、ピアノに関しては、日本型の勉強法なので、ちゃんと勉強しないと、演奏出来ないのです。不思議な事に理論では指導のpointは全て分かっているわけなのですが、それでも実際の演奏はなかなかできないのです。

それが外の教室で習ってきた、トラウマとでも言うのかな?

しかし、本当はピアノの指導に関しても、生徒にコピーさせるのでなければ、弾いて教える必要は無いのです。

ですから、必ずしも、上手く演奏出来る必要は無いのです。

私がヴァイオリンを取り上げて、生徒の前で、弾いて聞かせることがよくありますが、考えてみると生徒のほうが、私よりも遥かに上手く弾くのに、生徒は私の演奏している意図を推し量ってくれます。「こうして、こうやって、こう弾けば、こういう音が出るはずなんだよね!」で分かってくれるのです。

・・・最も、そこまで育てるのは、容易ではありませんがね。

生徒が間違えた弾き方をしたときなども、若い先生達は「貴女はこう弾いたでしょう?」と真似して弾きますが、模範演奏にしても、間違いを指導するときでも、本当はpointになるところは、デフォルメして強調して指導しなければなりません。

上手にピアノを演奏する技術と、上手に指導するために弾いて聞かせる演奏の技術はまったく別のテクニックなのです。しかし、本当のことを言うと、これはそのまま舞台の表現の技術を学ぶ事と同じ勉強になります。

ここの表現(デフォルメ)の話は、詳しくは、ホームページ子供のためのお話集から:左甚五郎さんの話や玉三郎さんの話を参考にしてください。

コピーで学ぶ事は、コピー以上になることは無いということは、当然ですよね。

「コピーよりも上手くなる」と言う事は、「コピーをしていない」と言う事と同じことなのですから。

 

と言うわけで、私達の教室では先生の指導は自分の音楽をコピーさせる事はありません。あくまで、論理的にどう弾けば、弾けるようになるのか、どう弾けばそれが上手に表現できるようになるのかを、指導します。勿論、表現の過程で演奏のコピーをすることはあります。表現を学ぶためにです。それは技術なので当たり前のことです。それをコピーとは呼びません。

後は、演奏の技術だけではなく、プロになるためには、プロの考え方を学べば良いのです。

プロとして真摯に音楽に立ち向かうには、どういう風に音楽に接していけば良いのか、その考え方をlectureします。そして私達のそういった考え方を、ほんの少しでも理解できて、音楽に対して一生懸命に接する事が出来るようになったら、子供は見違えるほど、(必然的に)上手くなっていきます。

 

で、私の場合などは、ピアノを4年も教えると、皆、生徒のほうが上手くなってしまいます。

では、私達の教室では、先生は、どうして自分よりも上手くなった生徒に対してジェラシックにならないのでしょうか?

それは、至極簡単な理由です。本当に優れた指導者は、自分の技術を引き継いでくれる弟子を求めているからなのです。焼き物の世界でもそのように、自分のコピーではなく、自分を凌駕してくれる人を求めているのです。

 

青は藍より出でて藍より青し: 出藍の誉れと言いますよね?


追記:
コピーをさせる先生の弊害については、「プロになるには」のNr.7(絶対に師事してはいけない先生)に、もう少し詳しく書かれています。
残念ながら、まだ一般公開ではなく、passwordの必要な論文です。