●デノミのお話し

芦塚音楽研究所では、室内楽やオーケストラの曲の譜面を子供に渡す時、先生方と上級生が必ず模範演奏をします。(「何故CDで無いの?」という御質問もあると思いますが、一つは教室で使用されているほとんどの曲がレコーディングされて無いということ、もうひとつは仮にCDがあったとしても、テンポが速すぎて子供達の弾けるテンポを遥かに越してしまい、曲のイメージも全く違ってしまう、ということです。)


ある日、これから練習していく室内楽の楽譜を子供達に渡し、先生達が曲目の紹介で模範演奏をしていました。Haydnのカルテットの4楽章です。そのとき、こんな事が起こりました。先生達が子供の弾けるテンポとして8分の3拍子の8分音符を単位(ビート)としてM.M=80ぐらいで演奏していたら、芦塚先生が隣の部屋から飛んで来て(もっと速いテンポで手拍子しながら)

「遅い!それではメヌエットだよ。本当はこのテンポだよ!」

 

(先生達そのテンポで弾く[1]

            

「え〜!はやい!!」

「そうだね!8分音符取りの8ビートではすごく速く聞こえるよね。ではこれではどうかな?1小節を一拍にして、4小節を4拍にする。つまり、4拍子にするんだ!」

「遅く聞こえる!」

「どうして遅く聞こえると思う?」

「メトロノームのテンポが遅くなったから。」

「そうだよね!さっきのビートが8分音符=132だとすると、1小節取りにすると付点四分音符=44のテンポになるんだ。最初のテンポは80位だったでしょう?だから本当は速くなったのに、遅く感じるんだよ。」

「4拍子にするには、3連符にして4拍子で書いてもいい。それを8分の12拍子にすれば1小節の中に収まる。でもなんでHaydn先生はそう書かなかったんだろうね?分かるかな?」

「分かりませーん!」

「うーん。それはね、この曲はテンポが速いから読みやすくするために8分の3拍子に音価を上げたんだよ。作曲家は演奏する人が見やすいように、速い曲になればなるほど音価の大きな音符で書いたんだよ。」

「音大の先生でも『速い曲は細かい音符で、遅い曲は大きい音符で書かれるのだ。』なんて勘違いしている先生がいるらしい。」

テキスト ボックス:
「それは全くの逆でね。(モーツァルトのジュピターのテーマを黒板に書いて)

 

この曲はね、1小節を1拍にとる。じゃあこの全音符を1拍だからといって4分音符で書いた場合、ここの16分音符はなに音符になりますか?」

「ポカーン・・・・???」

「これは簡単な算数だよ。」

 

「さぁて、困ったな?ウン!君たちはデノミという言葉を聞いた事があるかな?」

「なんか、聞いた事があるような・・・??」

「そうか!じゃあデノミのお話からしよう。」

 

ある国では、お金の単位が上がりすぎてお買い物が大変。キャベツ1個買うのに500万円!!それを払うのに布ぶくろいっぱいのお金を持ってお買い物に出かけなければならない。どう?そんなの大変だよね。だから、100万円を100円にしようって決める。それをデノミという。デノミと言う言葉は聞いたことがあるかい。毎年のように新聞やTVで取り上げられているんだけど。例えば一億円は1の後に丸が幾つ付く?ぱっとすぐ分かる人―?

エーット・・・・・一・十・百・千・・・・8個?

OK!!じゃあ、Aちゃんは身長何センチ?

156センチです。

じゃあ、身長何ミリ?

エッと・・・・? ?1センチって10ミリでしたっけ?  だから・・・・

簡単でしょ!! 0を1個増やせばいいんだよ!

そっか!! 1560ミリです!!

「じゃあもっと分かりやすくしてみよう。今はユーロに変わってしまったけど、ドイツ・マルクは1マルク90円位かな?1ドルは?結構、100円ぐらいが多いよね。分かりやすく1ドルを100円として、30ドルは何円?」

「3000円!」

「オウ!今度は早いな。その調子で少し練習してみよう。」

・・・・・・・・・(いろいろな単位の計算問題の練習をしてみました。)

「世の中には数を数えやすく分かりやすくするために、いろんなデノミがあるんだよ。音楽の音符も同じ考え方ね。とんでもなく細かい音符がいっぱいでできたら見にくくて読むのが大変でしょ。だからHaydn先生のように4分音符を1小節に単位を上げてしまえば、1番小さい単位の音符でも32分音符までですんじゃうってわけ。分かった?

はーい!!

 

 

 

●お話しが聞けるようになるまで

芦塚先生がデノミのお話しをオーケストラの練習の合間にしましたが、その日の練習では芦塚先生のお話しを初めて聞く子が何人かいました。お話しを聞き慣れていない子供は、中高生でも状況がよく分からず、ポカンとしていて、先生の問いかけにも全く反応がない(どう反応していいか分からない)という状況でした。(お説教について[2]

 

一般では「お説教」は子供を叱るときにしかしません。先生や親が子供になにか物事の考え方などを話す機会は、いつも叱るときばかりなのです。そのため、子供達は先生が何かお話しを始めると、怒られていると感じ、反射的に聞く耳を閉ざしてしまいます。芦塚先生が子供達にお話しをするときは、色々な逸話やたとえ話などを使って、まず子供達の恐怖感を取り除くところから始めます。「お説教」は怒られるものではなく、おもしろいお話しなんだ、ということがわかってくると、初めてその内容に興味をもつようになり、やがてお話しをよく聞いて理解できるようになります。「先生のお話をよく聞いて理解する」ということは、年齢が上がれば自然にできることと思われがちですが、実際はそうではありません。高校生でも全くそういった教育を受けていなければ、芦塚先生がとてもためになる面白いお話をしていても、居眠りをしてしまうと言う有様です。「聞こうとする気持ちや姿勢を育てる」ということも大切な教育の一環なのです。







[1] 芦塚先生はよく「限界テンポ」と言うお話しをします。(曲の練習のときの臨界テンポとは違います。)その曲がその曲のイメージをキープできる最も遅いテンポのことです。発表会などでは子供の技術に合わせて極端に遅いテンポで弾かせたりする先生がいます。しかしそれではその曲を本当に弾いた(学習した)と言えるのでしょうか?曲にはこれ以上遅く弾いたらイメージが変わってしまって別の曲になってしまう、と言うテンポがあります。もしそのテンポで子供が曲を弾けないのなら選曲を変えるのが正しい指導法でしょう。またコンクールなどでは、速い速度で弾けば合格すると言わんばかりに早く弾く生徒がいます。くれぐれも音楽は(格闘技であったとしても)スポーツではないのだから!

[2] お説教という言葉は、元来仏教の言葉から来たものです。仏教のお説教と言うと又これしかめっ面して聴かねばならないもののように考えられがちですが、お釈迦様が実際に説法をして歩かれた頃のお話をまとめたものは、実に分かりやすく比喩的でありました。どんな小さい子供でも分かるような面白いたとえ話がいっぱいあります。

次ページ