Dittersdorfは1739年11月2日Wienに生まれて、1799年10月24日にボヘミアのノイホーフ(現在のチェコ)で没した。
元々はCarl Dittersという名前であったが、1772年(33歳)の時に、 Maria Theresiaによって、貴族に列せられた。
遠くは、グルックとも親交があり、HaydnやMozartとも親しい作曲家であった。
Kontrabass協奏曲も有名で、時にKontrabass奏者と間違われる事もあったが、ヴァイオリニストとしても、名手として知られていた。
晩年は、一般大衆に見捨てられ、出版社からは、出版を断られるようになって、貧しく死んで逝った・・と、書きたい所だが、晩年(56歳)、パトロンであった領主、司教のシャブゴチ伯爵の死後、ギリギリの年金生活を送っていたのだが、イグナーツ・フォン・シュティールフリート男爵からボヘミア(チェコ)の領地ロート・ロータの住居を提供され、残りの人生をそこで家族とともに生活する。ロート・ロータの近くにあるノイホーフ城(Schlos
Neuhof)で1799年10月24日に死去する。
バロン(baron)とは、日本流には男爵となる。
(以上参考:Wikipediaより抜粋)
この曲は教室の常設曲で、Vivaldi-curriculumを終了して、(とは言っても、難曲の彼の有名な四季を残した上での(取り敢えずの)終了ではあるのだが・・)古典派の色々な特殊な奏法を学ぶ上での、とても優れた教材となる。
技術的には、Mozartの3番、4番のconcertoよりも、遥かに難しい。
orchestraとしても、結構、技術水準の高い、難曲の部類に入る。
緩徐楽章のU楽章は、全く別の(技術という分けではなく、歌い込みの)難しさなので、教室のprogramに載る事は、今までなかったのだが、前回の発表会のHaydnのU楽章の出来から、今回の発表会では、何曲か、U楽章、所謂、緩徐楽章に挑戦する。
古典的でとても楽しい楽章であるV楽章は、ヘタをすると、纏まりのつきにくい曲として演奏されやすい。
Dittersdorfが作曲した構造式をしっかりと把握して、楽章の中の節目を理解し、正しく節目を表現して演奏する事が求められる。
Dittersdorfは、曲のabteilungに終止を表す、次のpassageを置いている。
このpassageが出てきたら、一段落で一呼吸置くと良い。
オケの提示部A a×22b 2b 6小節A a×22b 2b 6小節12小節 B a8 kadenz 8小節3小節11小節23小節 A a×2 a×2 4小節 A'a8 8小節12小節 A'' 2b 2b kadenz 4小節 4小節8小節 20小節 solo入り部 Aa×22b 2b 6小節 Aa×2a×2 a×2 6小節 12小節 B指回し部のpassage+a 8小節 8小節20小節 緩徐部 Cc2c2 c3+kdz 7小節 7小節 D 2d 4d’ 3d 6小節 3小節 9小節 指回し部のpassage kadenz 7小節7小節(+16小節)23小節 再現部(オケ部再現)E=Aa×22b 2b 6小節 6小節 略 a8 8小節 2b2b 2kdz+2kdz 8小節 16小節 22小節solo部(再現) 111小節 F=C a×22b 2b 6小節 16小節 28小節 小展開 a a'12b 2b2b 2b10小節 Ga×2 a×2 8quintZyklus 12小節 22小節 緩徐部H=C 2h2h 1h 5kdz10小節 10小節 I=D2i1i3 passage6小節2i1i 4passage 3kdz10小節 16小節 26小節 オケ部再現J=Aa×2 2b 2b 6小節 J' a6 kadenz410小節 16小節 solo部再現 K=A1a 1a2b +2b6小節 K2a×2 a×2 b6 10小節 K4passage5 5小節 21小節 L=D 2l+2 4小節 4小節 (25小節) 緩徐部M=C m4 4小節 4小節 N=D2n passage3 kadenz4 9小節 9小節 (13小節) O=Aa×2 3a 挿入句 5小節 5小節kadenz P=A 2b+2b kadenz4 8小節 8小節
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