あけましておめでとう~ございます
2017年1月1日13:50
「寝正月」
1月3日 8:10
「音人の会延期のお知らせ」
1月8日 10:24
「それはそうと」
1月8日 15:50
「オケ練習の前日に」
1月14日22:14
Genzmer先生の口癖の言葉です。
1月16日 13:10
bloglink1
1月17日8:28
「咳が・・・」
1月17日 21:21
Viv1aldiのOp.ⅢのNr.8の2台のviolinのためのconcerto a moll(調和の霊感L'estro Armonico)
「Ashizuka-versionの作成にあたって」
1月19日
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.1」
「教室開設まで」
1月24日10:53
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.2」
「人生3度の分かれ道」
1月25日21:12
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.3」
「私が音楽の道に進んだ人生の間違い」
1月25日21:12
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.4」
「上手な演奏と心を打つ演奏」
1月27日9:48
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.5」
「純正調と平均律のお話」
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.6」
「体の揺らし方のお話」
1月29日4:54
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.7」
「夢を叶えると言う事」
1月31日15:51
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.8」
「アングルのviolin」
2月2日5:43
「寒い!北風が部屋に吹き込んで来る!!足が冷えて眠れない!!!」
2月3日3:52
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.9」
2月5日6:26
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.10」
この文章はproを目指す人達を対象に書かれているので、音楽教室に対しては内容が厳しいので削除しました。
「きゃ~ぁ!大変だ!!帯状疱疹が、再発した!!!」
「帯状疱疹Ⅱ-1」
2月6日3:21
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.11」
「Stradivari-schule」
「Facebookについて」
2月12日0:05
「お弁当箱のお話」
2月12日5:08
「音人の会」のお知らせ
2月13日11:05
「帯状疱疹Ⅱ-2」
2月13日12:14
「帯状疱疹Ⅱ-3」
2月16日3:54
「帯状疱疹Ⅱ-4」
2月17日17:07
「蜘蛛の糸」
2月17日19:33
「帯状疱疹Ⅱ-5」
2月18日22:58
「音人の会翌日」
2月20日19:43
「2017年2月19日の音人の会」
2月21日6:42
明日はいつものオケ練習‼
2月26日
17年2月26日の京成検見川教室でのオケ練習の風景です。
2月28日
Sweelinckの新しい変更箇所の連絡です。
2月28日
相変わらず、鬱が酷くて眠れない!!
3月1日
Op.3Nr.8a moll 二台のviolinのためのconcerto
3月1日
「La Primavera」四季より「春」
3月1日
3月2日
「kadenzについて」
3月4日
「近況報告」
3月6日
「発表会と対外出演の違い」
3月6日
3月7日
「子供の能力について」
3月7日
明日は春待ちコンサートなのに、2時半を過ぎた頃から、
3月12日
昨日の春待ちコンサートは大変盛況な内に終了いたしました。
3月13日
今日は、おとなしく動画の編集を朝早くからやっているところです。
3月13日
3月15日
またまた、文章を入力中にFacebookがぶっ飛んでしまいました。
3月16日
lesson開始早々、バテて意識朦朧の状態になってしまいました。
3月18日
オケの総合練習①の次の日の月曜日!!です。
3月20日
ブルーベリーヨーグルトのパンケーキの香料がキツ過ぎて、
3月22日
昨日は芦塚先生と梨紗さんと弓を選びに行きました。
3月23日
「物忘れについて」無駄話し
3月25日
春の発表会への最後の総合練習
3月27日
「超、びっくらこいた!!」
3月27日 (江古田教室に関しての不動産屋からの突然の電話)
動画が無かったFranckの練習風景の写真です。
3月28日
「昨年の秋の発表会」の動画
3月30日
金華学園の校庭の桜が何と、5分咲か??
3月30日
先程の写真の朝の写真です。
3月31日
1年前、16年の3月31日の同じ場所の写真です。
3月31日
2018年(来年)の春の発表会は、4月15日(日)千葉市文化センター・アートホールに決定しました。
4月1日
今日は発表会です。
4月2日
4月3日 8:58 ·
習志野組は、後、18日しか無いのを忘れないで‥・!!
4月4日
「芦塚メトードによる正しい学習法、その1」
4月5日
「芦塚メトードによる正しい学習法、その2」
4月5日
「芦塚メトードによる正しい学習法、その3」
4月7日
「芦塚メトードによる正しい学習法、その4」
4月7日
「子供の夢」「親の夢」
4月11日
4月11日
(16年4月18日に「鬱々コンサートについて」のPageに少し、追記しました。)
4月13日
4月15日
「今日(4月16日)は発表会の反省会の後の初見大会の日です。」
4月16日6:4
大雨の中を歩いたので、洗濯されてしまったど~ル‼
4月18日5:42
4月18日16:38
「追記の日にちの書き込みに際して」
4月18日19:52
江古田駅の真ん前に、スーパーが出来ていました。
4月19日23:56
カバー写真を変更しました。
4月20日7:12
「VivaldiのOp.3Nr.3のG Dur Ⅰ楽章」
4月21日7:49
4月22日7:26
4月22日17:48
「対外出演に関してのこもごも」
4月23日1:02
4月23日8:13
4月25日7:22
「17年4月27日 少し、愚痴を追記しました。」
4月26日1:28
4月26日18:54
Vivaldiの a moll Op.3Nr.6のⅢ楽章の最後の6小節です。
4月27日7:01
「The Bird!」
4月27日11:05
4月28日5:48
今日は朝早くから又々鬱が酷い
4月29日14:45
「楽譜の準備のお話」
4月30日7:04
4月30日14:56
「仕事としての音楽への意識」
5月1日6:00
「有名な演奏家である事と、優れた演奏家である事の条件」
5月1日7:46
5月1日8:04
「3月27日の江古田教室のお話の続きです。」
5月5日18:47
5月9日1:14
「防音室」
5月9日4:04
自分でも出来る防音の方法です。
「まあ、良いか?」に対する考察
5月9日12:49
最初は文章を書き始めて、一芸を目指す人達の特別な考え方なので、一度は削除しました。しかし、音楽の勉強をする人達には重要な考え方になるので、もう一度、新たに書きました。
「無駄な一日」
5月11日22:02
作業中に、突然、finaleが立ち上がってパソコン全体がfuzzyしてしまいました。
5月13日 4:45
5月14日
「Facebook、blog、homepage、twitter」
5月16日2:05
5月16日2:28
5月16日3:33
「八千代のコンサート出演について」
5月16日14:56
Vivaldi violin‐concerto Op.8 Nr.11 D Dur Ⅲ楽章
5月16日17:04
いや~あ、鬱と体調不良と摂眠障害とが酷い!!
5月17日17:29
「blue-out」
5月17日23:34
相も変わらず,超、鬱が酷い!!
5月20日19:10
「Vivaldi a moll Op.3Nr.6Ⅰ楽章の補足説明」
5月23日7:09
5月25日2:50
「Urtext-Ausgabe=原典版」
5月27日20:05
「この半年間、延々と転居の手続きをしているのですよ!」
5月29日22:10
「5月18日の花園のlessonから」
5月30日22:08
「椎名町からハイツに戻って来て」
6月1日 2:11
6月5日12:12
「videoの申し込みとCembaloの右手のpartの作成」
6月6日15:05
6月7日9:13
6月9日23:15
「指揮用のscoreとpart譜と、その校訂について」
6月10日19:12
「Ashizuka‐Knaben‐kammer‐streich‐orchestraの『Knaben』の意味について」
6月12日5:30
自宅のメインのパソコンが壊れた!
6月12日11:14
「何時もの通りに、冷蔵庫には何も入っていないのだが、何とも食欲が起こらない!! 」
6月14日0:06
折角、頑張って、冬物を仕舞って、夏物に替えたのに
6月15日20:44
「徘徊と認知症の疑似体験(夢とうつつと)」
6月17日13:51
yahooでは今の練馬区の気温は26度だそうだが
6月19日13:16
6月20日10:13
「LGテレビの故障のお話の続き」
6月20日17:33
本当は書きたかった話は、洗濯屋の話ではなくって、飲みに行かなかった話なのですよ。
6月21日5:38
ドイツ人の国民性とでもいうのか、数字国民らしく、小学生の間からやたらと数字で物事を理解しようとする。
6月22日6:28
vivaldiのop.3のno.6の一楽章のtempoの設定の話
6月24日9:22
くちなしの花
6月25日
「ワイドコンバージョンレンズ」
6月26日
この所、不整脈と鬱が酷い
6月27日
「Träumerei」
6月28日
「今日は蕎麦の日である。」
6月28日
「思考のpattern」
6月29日
one patternではあるが、いつもの通りに、鬱が超酷い❢❢
6月30日
「人生のPyramid」
7月2日
山のあなた カール・ブッセ
7月2日
「芦塚メトードについて」
7月2日
「心療内科の話」
7月3日
「今日は朝からパソコンが壊れた」
7月4日
昨日は七夕でした。
7月8日
やっとパソコンが修理から戻って来ました。
7月11日
「日本と西洋の文化の違い」
7月13日
寝室のクーラーを30度に設定したのに、まだ寒い‼
7月14日
Googleでは、現地(練馬区小竹町)の気温は30度になっているのだが
7月16日
防音には、三つの方法があります。
7月17日5:41
「人は気づかない限り、自分を直す事は出来ない」
7月19日10:57
今日は34度まで上がる猛暑日の予定です。
7月20日8:58
爪が剥がれてなくなっていた。
7月21日10:59
心療内科の薬を飲み始めてから、ひさしぶりで、鬱が酷い‼
7月22日19:29
スマホの現在地の気温は31度になっているのだが
7月25日12:38
たけしさんの「名医に聞く…」という番組をTVで、やっていて
7月25日22:16
対処(症)療法というと
7月26日2:11
今日(27日)は合宿の初日です。
7月27日8:49
7月31日の夜にやっと江古田教室の引っ越し作業を終了して、
8月1日20:58
昨日の8月の2日は8月というには超寒い22度でした。
8月3日5:54
今日はお昼からJ-comが来て、テレビの回線のcheckをしました。
8月3日21:15
8月3日の夜は、久しぶりに、何と無く寝付けなくって
8月4日12:18
斉藤先生がスマホ用のhomepageを作成中なので、
8月5日19:33
朝の11時にBlu-ray-driveが届きました。
8月7日19:45
今日は明日のlessonに備えて、
8月8日2:11
かなり長い文章を打ち込んで、チョッと確認のために
8月9日9:35
昨夜は鬱は差ほどではなかったのだが
8月10日12:41
8月は、5日6日から7日8日9日と連チャンで練習やlessonがあって
8月14日21:27
今は8月朝の9時半です。
8月15日9:45
今日(17日)は、朝から鬱が酷いと思っていたら
それにしても寒いし、湿度の高さは尋常ではない
8月18日2:47
今日は、夏休み明けの最初のオケ練習があります。
8月20日4:44
フクロウの思い出
8月22日8:44
Vivaldi a moll Op.3Nr.6の2楽章のbowslur
8月22日14:35
高校時代の学生証の写真
8月23日6:19
夕方の6時半だというのに、外の気温はまだまだ33度だそうです。
8月23日18:31
今日は珍しく、お昼を食べに、椎名町の事務所に行きました。
8月24日13:53
Vivaldi d moll doppel Op.3Nr.11のsicilienneのRicordi版
8月26日7:41
今日は夏休み最後のオケ練習でした。
8月28日0:06
homepage「芦塚陽二の闘病記」閉鎖のご連絡です。
8月28日11:52
残暑ざんしょう~??
8月29日13:45
昨日からの続きです。
8月30日9:53
今日は8月31日
8月31日9:58
9月に入って寒い日が続いていますが
9月2日
昨日(9月3日)のオケ練習は、
9月4日
台風一過というには、東京は
9月19日
実はトイレに行くために起き出したのですが
9月20日
心療内科の薬が新しくなって、
9月20日
17年9月17日(日)のリハーサルは、台風の真っただ中で
9月20日
昨日の土曜日はお久しぶりに千夏と梨紗が椎名町に来るというのに
9月24日
確かに、不眠症は私の高校生の時代からのトラウマになっていました。
9月24日
8月の17日にオケと室内楽のrehearsal をしましたが、夏休みのおふざけモードで
9月26日
今日はとても良い天気だ❢
9月27日
今日は冬眠の日ですが、これだけ、不眠が続いているのにも関わらず
9月29日
9月30日の深夜のお話なのだが、これは超酷い❢❢
9月30日
10月へ
今日は総合練習の2日目、つまり、発表会の1周間前の最後の練習です。
10月1日
何時に寝たとしても 定刻の 5時には どうしても目が覚めてしまう‼
10月3日
深夜3時半ぐらいになって「やっと眠れた❢」と思ったら、非常に嫌な夢を見て
10月4日
今日は、とても美しい中秋の名月を見ることができました 。
10月4日
Titleは「UFOと中秋の名月」です。アハッ!
10月5日
この一月で体重が一番高くなっている。
10月5日
眠れないという事が、こんなにも苦しい事だとは、今まで思った事もなかった。
10月5日
明日は発表会ですね。頑張ってください。
10月8日
明日は・・・ではなくって、もう既に今日は発表会です。
10月9日
発表会は昨日(月曜日・祝日)、千葉市美浜区美浜文化ホールにて、恙なく終了しました。
10月10日
流石に、昨日の発表会の前日は、殆ど完徹状態だったので、
10月10日
下のコメントに、掲載した写真は、今回の発表会の会場の写真です。
10月11日
「発表会の後の動画の編集の躓きのお話です。」
10月11日
太男、総身に血がまわりカネ⁉
10月12日
長い間、置きっ放しのKontrabassやlessonの道具を取りに四日市迄、
10月13日
人生というものは、流れる川のように・・と言うと、なんともはや
10月14日
発表会からハイツに帰って来て、次の日には、Vivaldiのd mollのdoppelを
10月14日
今日は反省会???
10月15日
You TubeのURLを削除したら、そのURLの前に書いて置いたFacebookのコメントも一緒に
10月17日
このところ、発表会を始めとして、色々なイベントがてんこ盛りだったので、
10月17日
このところ、携帯でのfacebookの調子が悪くて、携帯からfacebookに
10月18日
この間の発表会で、楽屋で現役芸大生の暉君達をつまみにして、日頃の
10月18日
オケ練習は、練習の回数で、2回オケと3回オケがあります。
10月19日
昨日から、今度は、何度もFacebookのコメントを訂正しようと思っても
10月19日
「ハイツのrenewal工事で・・」
10月20日
ギャー‼ヨーグルトが爆発した‼
10月20日
ChaussonのPianoQuartettは大変な難曲で、You Tubeでも
10月20日
この無伴奏のviolaは、芦塚先生の当初の予定では、YouTube等には、uploadはしない予定でしたが
10月20日
今日は、不思議な事に、斜め隣上のリニューアル工事は、部屋の解体作業が終わったらしく
10月21日
以前から不思議に思っていたのではあるのだが、改めてコメントの不具合が携帯スマホでは
10月22日
今は深夜の3時半を過ぎた所なのだが、久しぶりに、入眠が
10月22日
学校などの試験では「間違えた場合」にはどのような間違いであったとしても「 間違いは、間違い」として
10月22日
日本の封建制、所謂、世襲制度は、徳川家康が作ったもので、
10月23日
昨夜は、台風の中を、車で湾岸を走って事務所迄帰って来ました。
10月23日
お誕生日おめでとうございます
10月24日
「このお話は前のお話からの続きになります。」
10月24日
前回のlineに、HändelのLascia ch'io piangaの譜面で、takt34から40迄の
10月25日
そろそろ、夕方の5時ですから、もう12時間働いている事になります。
10月25日
今まで1時間近くも書いていた文章が、ものの見事に総てブッ飛んでしまった。
10月26日
昨日は発表会明けからの、初めてのone-lessonでした。
10月27日
私の昔々からのcomplexは、兎に角、仕事が遅い事です。
10月27日
「そんなに良い教室ならば、どうしてどんどん有名になって大きくなって行かないのですか??」と、
10月27日
・・・てな事をFacebookに書きながら、今日は13年振りぐらいで肉体労働をしてしまいました。
10月28日
いや~あ、昨日の日曜日は新しいオーケストラの顔合わせと、曲目紹介と初見練習の予定と、私の誕生日のお祝いも
10月30日
オケ室内楽の顔合わせから、一夜明けて、次の月曜日です。
10月30日
批評家には、良い批評家と悪い批評家がいるそうです。
10月30日
今は昔、千葉市主催のイベントに演奏にでかけたとき、
10月31日
ここの所、2回程、血圧が150以上になる事があって、おや??と思ってしまいました。しかし、
10月31日
日曜日の夕方のオケ練習の最中から、段々 喉が痛くなって 来て
11月1日
八千代の予約の状況は
11月2日
牧野先生が、八千代と確認をとってくれました。
11月2日
突然雨が降り出したぞ~❢❢
11月3日
sarabandeへのone point-adviceです。
11月3日
昨夜、教室の重要な書類を探すのに
11月3日
そう言えば、「今日の認知症」
11月3日
業者や先生達と大喧嘩をしている…夢を見る事があります‼
11月5日
70歳というのは、古希だそうですが
11月5日
自治会館コンサートと八千代のコンサート迄に
11月5日
人生の夢を叶える・・・「もう一つの選択肢」
11月7日
牧野先生が事務仕事で超、忙しく
11月9日
20年ぐらい前に、手軽にお粥を作るために
11月9日
「芦塚メトードの成り立ち」
11月9日
仕事で使っているwindows7のパソコンのhard diskが壊れてblueoutするようになったので
11月11日
「行き詰まりについて」
11月12日
自治会館コンサートや八千代のコンサートが近づいて、
11月15日4:45
「子供の記憶力や集中力を著しく損なうもの」
11月16日4:19
「椎名町のspinet」
11月19日 0:23
「深まる秋のコンサート」
11月20日13:10
「深まる秋のコンサートNr.2」
11月21日 4:18
山の音楽家のオケversion
11月21日 16:53
チョイmemoを、その場でプリント・アウト出来るようにしたいのだが
11月21日
「深まる秋のコンサートNr.3」
11月21日
「深まる秋のコンサートNr.4」
11月21日
「深まる秋のコンサートNr.5」
11月22日
「八千代のコンサート オータム クラシック コンサート 秋を纏う弦の調べ」
11月24日
昨夜は編集作業が白カメのdataの不具合で
11月25日
八千代市の生涯学習プラザが、広告をしてくれました。
11月25日
今日は反省会兼打ち上げ兼初見練習をしました。
11月27日
な、な、な、何と❢❢❢不具合は白カメだけだと思ったら
11月27日
山の音楽家と蛙のtrioのuploadは、もう暫くお待ちください。
11月27日
自治会館と八千代市生涯学習プラザは両方とも多目的ホールです。
11月27日
「仕事は出来るときに終わらせておかないと・・」
11月28日
「日本人の持つ甘えの構造」
11月28日17:17
「でも、まあ、そこら辺の話は、大学の先生がお話する事であって・・」
11月28日
今日は久しぶりで工事の音がうるさい❢❢
11月30日
《シオンさんからのmailです。》
11月30日
『12月23日の花園自治会館のクリスマス会での、Saint-Saënsの・・』
11月30日
テレビで、千葉県は明日から12月だと言っていたけれど
11月30日 17:36
Hoffmeisterのviola-concertoですが、
12月1日
「40肩、50肩」
12月1日
それにしても、windows10がもう1時間以上も更新をしていて
12月1日
楽譜のコピーはいけません❢❢
12月1日
「Harald Genzmer Piano-concertino 第二番 Ⅰ Ⅳ楽章」
12月2日
「発表会の「曲決め」についてのコモゴモ」
12月3日
「事故の日です。」
12月3日
「芦塚メトードによる指導法」
12月3日
「きよしこの夜の五重奏」
12月3日
「八千代の最後の動画を編集しました。」
12月5日
「Ⅰ 今日は5ヶ月ぶりに超、鬱が酷い❢❢」
12月7日
「Ⅱ 5ヶ月振りの鬱が1日経っても未だ続いています。」
12月7日
「きよしこの夜」の以前のscoreにfinaleで練習番号を入力
12月12日
「よく見た夢を書く事があります。」
12月12日
「明日は新車と、車を交換に行かなければならないので、」
12月13日
「新車を駐車場に入れた❢❢」
12月13日
昨日は超鬱が酷く、夜は眠れなかったので、朝、無性に
12月14日
「昨日は車を購入した次の日で、千葉のlessonだったので・・」
12月15日
「今日は15日の金曜日になります。」
12月15日
「loss-timeとlost‐timeのお話」
12月16日
「昨日は12月17日クリスマス会の前の最後の練習でした。」
12月18日
「挨拶と会釈」
12月19日
「バナナのお菓子」
12月21日
「12月23日Christmas会」
12月23日
「クリスマス会は恙なく終了しました。」
12月24日
「クリスマス会と合宿について」
12月24日
「きよしこの夜」のAshizukaversion
12月24日
「おさらい会」のvideo-cameraの不具合について
12月24日
日本人の弦楽器奏者の和音の弾き方
12月25日
今日は冬の合宿の初日でした。
12月25日
「今日は12月27日、合宿の最終日」
12月27日
Vivaldiのa mollのcelloconcertoなのですが
12月29日
今回の「曲決め」
12月29日
Bachの組曲ロ短調のAria
12月31日
1月1日 13:50 ·
あけましておめでとう~ございます
ほんねんもよろしくおねがいします
椎名町の事務所で、ジルベスターのカウントダウン・コンサートを聴き(見)なががら、年越しそばを食べているのが恒例でしたが、今年は斉藤先生が風邪でダウンしているので、カウントダウンの年越し蕎麦は無く、江古田のハイツの自宅に戻って、ティーパックの紅茶を飲みながら、カウントダウンコンサートの最後の方だけを、聴いていました。私の体調も、風邪っぽい微熱ギリギリの所でなんとか留まっているし、ベッドに横になると、今度は腰痛でトイレまでが歩けなくなるので、椅子に座って、パソコンの文章を手直ししていると、そのままいつの間にか寝てしまっているし・・、どうも、体のcontrolがうまく行きません。
牧野先生も、声が相変わらず出なくて、寝込んだままなのでしたが、風邪をおして31日にはプリを連れて里帰りをしました。合宿が終わった28日から寝込んだままなので、合宿やクリスマス会で使用した荷物の整理もそのままで、このままでは、「音人の会」の準備に差し障るかも知れませんね。冬休みは何時もは私が高熱を出して寝込む事が多いのですが、今回は私が一番軽い症状です。
めでたさも 中くらいなり おらが春 ・・てな感じですかね??
明日からの正月は、すっかり風邪で、休み中は完全寝正月・・になってしまいそうです??
いや~ぁ、困った!困った!!
椎名町の事務所にドルっ歩に出かけて、今日の一食目である朝食を22時に食べました。
お相撲さんの食事ですよね。
以前、ミラノのオペラが日本公演に来た時に、私の親友の女の子もオペラのボイストレーナーとして(合唱ではなく先生としてですが、勿論、本番は彼女も出演しています。)付いて来ました。ツーリング中には、午前中は総練習で、お昼からやっと、休憩なのですが、4時半ぐらいからリハーサルがあって、それから本番を迎えて演奏会が終わって、会場を出るのは、11時だそうです。朝の練習前は食事をすると、声が出なくなるので、お昼までは何も食べれなくて、午後は、休憩なのですが、そこで食事を取ると、やはり、本番に影響するので、軽く軽食を取るだけだそうです。
夜の11時に公演が終わると、演奏会場の直ぐに近所の、唯一開いている焼肉屋で、オペラの連中全員で一日分を思いっきり食べる毎日で、半年の演奏旅行が終わる頃になると、全員、5㌔、10㌔は肥るのが当たり前だそうです。勿論、ヨーロッパに帰ったら、必死に元に体重を戻るのだそうですが、これが大変らしい。
ヨーロッパの女の子はそれでなくても直ぐに肥るので、本当にダイエットに関してはかわいそうです。
日本にいる間に、一度江古田の教室に遊びに来てくれましたが、キートンの映画で、プリマの人が声を出すと鏡や窓ガラスが割れるシーンがあったけれど、あれって、本当なのだよね??
grandpianoの前に座って、部屋の中で彼女が出す声が江古田の商店街中に響いて、私は「鼓膜が破れるのではないか??」と思いましたが、それぐらいの声量のままに、4時間はコンスタントに歌えないと、オペラで歌うというのは無理なのだそうですよ。
一発ではなく、延々と・・なのですから、凄い!!
3octaveのポンピングとか、超高音域で、pianissimoからcrescendoしてfortissimoにしたり、とかありとあらゆる発声のTechnikを見せてくれました。
超高度なテクニシャンで、改めて驚いてしまいました。
普段は、wineを一緒に飲んだり、お喋りをしたりるす関係なので、彼女の練習している所は見た事が無かったからです。
彼女、ミラノの音楽大学で、日本人の弟子が30人は何時もいるそうです。
彼女の日本人びいきなのは私のせい??
彼女はスカラの傍で産まれた典型的なmilaneseで、子供の頃からスカラのオペラ座に忍び込んで、舞台袖で、演奏を聴いて育った生まれながらのオペラ歌手です。
ヨーロッパには、そういう羨ましい人達もいるのよね??
1日の深夜というか、2日の朝と言うか、とうとう私の喉も腫れて来て、咳が少し出始めました。
「とうとう、伝染ったのかな??」「ひょっとして明日から寝込むのかな??」
「これまでも、殆ど寝込んでいるので、これ以上寝込んだらどうなるのだ??」・・・・ という事で、喉の薬龍角散ダイレクト」や「のどぬ~るスプレー」を直接、吹きかけて、喉が悪化するのを防いでいます。
1月2日 10:57
1月3日 8:10 ·
「寝正月」
12月の27日に合宿が終わって、それから新年を迎えても、延々と、先生達も私も全員風邪の症状に苦しめられています。
・・でも、思い返してみると、「ひょっとしたら、それは、毎年の事では無かったのかいな??」
それから・・もう年も開けて、正月も3日になるのに、ベッドから起き出して、パソコンの椅子に座っていても体のあちこちが痛いので、慌てて、ベッドに寝て見ても、やはり、体中がピキピキとして痛い‼
・・どうしたら一番楽なのか、それが分からん‼
・・困ったもんだ‼
勿論、ビタミンB群もC3000も飲んでいるのだが、全く効果はない!!
私が治りにくいのは糖尿系なので致し方ないのだが、先生達が同じように治りにくいのは理解に苦しむ。
今回は、病院の薬が全く効いていないのだよね。
・・と、思っていたら、その内に悪寒や喉の痛み、咳等が出始めて、「これはイカン!!」
・・という次のstageの症状になって来た。
「このままだと、またまた寝込んでしまって、9日までに体調を戻すのは無理だな??」
・・と言う事で、イチかバチかの対処療法を試みる事にした。
体力勝負で、うまく行けば症状は改善するけれど、失敗すれば、そのまま寝込んでしって、9日はお休みという事になってしまう、という一か八かの勝負だ。
「・・でもこのtimingを逃すともう無理だよな!」・・と言う事で、3日の深夜からなのですが、部屋を暖房で温めて、暮れに入ったまま、体力が失くなって洗えなくなっていた風呂を、お湯だけを交換して、ウンと熱くして、「汗出し」を約30分程やった。
そのまま、大急ぎで、バスローブを着て、汗を拭き取って、ベッドに潜り込んだ。
今回は、非常にうまく行って、今までになく熟睡出来て、症状は大幅に改善していた。
体力勝負なので、体力が心配なので、失敗する公算の方が高いと思ったのだが、以外とうまくいくもんだ!!
しかし、この治療法は、団塊の世代の終戦時の治療法だから、普通の世代の人達にはお勧めは絶対にしません。
真似はしないように・・??
それはそうと、たった今、始めて体温を測って見たら、なんと8度8分もあったよ!!結構熱があったんだよな??改めて、気がついたのですよ‼
今回は一晩に3回も汗だしの民間療法を試したのだが、なんと平熱に戻ってしまった。やってみるもんだ??
・・でも、絶対に真似はしないでね。
これは、私が大学時代から、「どうしても‼」という時の非常手段に時々やっている方法なので慣れているのでね⁉
4日の午前中は、体から汗が吹き出して、止まらなくなってしまいました。
部屋中のストーブを止めたのだがそれでも汗が出るのです。
それがお昼の12時を過ぎた途端に、体感温度が下がり始めました。
汗が止まったと思ったら、今度は咳が出始めました。寒暖の差が酷いのですよね。
・・と思ったら、目がゴロゴロして、目やにが出てどうしようもなくなったので、鏡を出して見たら、何と、目が真っ赤っ赤です。
これは、ウイルスにでもやられたのか、鼻水が目に入ったのか、無味無臭のはずの目薬をさしてもしみて痛い!!
いったいなにがどうなっているのだ??
「これは、眼科かいな??」いやあ、参った!!
今日はもう5日になってしまいました。ベッドに入ってゆっくり寝ようとすると咳が出て寝むれなくなってしまいます。
パソコン用の椅子に座っていると、咳は収まってやがて眠くなるのですが、それで、ベッドに入ると体が温まって来るに從って咳が出始めて眠れなくなります。
いつもの咳のpatternですよね。
困ったもんだ!!
諦めて、6日の金曜日には、大野病院に薬を貰いに行って来ました。
抗生剤と咳止めと痰の出やすくなる薬を貰いました。
1月7日 5:04
1月7日 10:11 ·
今日は7日です。「冬から春へ」ですよね。もう7日なので、七草粥の日でもありますよね。
正月の休み中は、ベッドの中で意識朦朧としていたのですが、Vivaldiの「冬」の音が結構キツかったので、少し優し目の音の粒粒の演奏をする団体をパソコンで探して見たのですが、全く、見つからなかったので、netの検索条件にperiodを入れて見たのですが、全く同じように、私が欲しいstyleの演奏は見つかりませんでした。
冬はピキピキと体が悴む分けなので、そういった優しい演奏はきっとないのかもね??
でも、次は「春」なので、三美神が出て来るので、きっと優しい演奏は幾らでもあるかもしれないよね。
1月8日 10:24 ·
「音人の会延期のお知らせ」
毎回のハプニングですが、明日の音人の会は、私の悪性の風邪で、急遽、日にちを延長させていただきます。
延長の日にちは追ってお知らせします。誠に申し訳ございません。
折角のお食事や、wineの味が分からないと寂しいですからね。
残念ですが先生の体調が回復されますように。
今日は寒さも厳しいですね。
ご自愛ください。
1月8日 10:38
楽器を冬眠させたままなので、起こしときますね...。
1月8日 22:59
1月8日 15:50 ·
「それはそうと」
それはそうと、話が前後してしまいましたが、今年最初のオケ練習を病気でスッポカシてしまいました。
27日までが合宿で、28日までが病院だったので、28日に薬を貰いに行ったのですが、その次の29日から咳が出始めて、それからは延々とこんにちまで寝込んでしまいました。
歳を経るにつれて、寝込んでしまうのが慣習化してしまっていますよね。困ったことです。
唯、一つだけ良いことは、目標体重(理想体重ではありませんよ!あくまでも目標の体重です。)に限りなく近づいて来た事です。
勿論、その理由は食べれない動けない事による筋の減少によるものなのですが、その体重を頑張ってキープすれば、本当に良い事になるのでね。
散々な年越しだったんですね💦
早く良くなりますように。
1月9日 0:18
いつもありがとうございます。
お大事になさって下さい。
1月9日 7:48
早い回復をお祈りしています😢
1月9日 22:41
1月14日22:14
「オケ練習の前日に」
昨年の冬の合宿が終わってから、大晦日やお正月はすっかり寝込んでしまいました。
冬休みが終わっても、とうとう起きれないままに寝込んでいましたが、これ以上、オケ練習を休んでいたら、子供達の練習の回数がもうそろそろlimitで、これ以上は休めないので、明日は頑張ってオケ練習に千葉まで行くつもりです。
明日は「今年一番の冷え込み」と言ってテレビでは大騒ぎをしています。
それはさておいて、相変わらず、声を出そうとすると、咳が出て言葉にならない!!困ってしまいます。
明日はどうやって、オケ練習をしたら良いのだろう??困った!困った!!
誰か、私の代わりに、私がlectureしたい事を喋ってよね!!
・・明日は、斉藤先生は四日市の出向で、オケ練習にはいないよ!!
だから、誰か、私の代わりに喋ってネよ??・・よろしくね??
四日市は大雪で、何時、電車が止まるかの話で、お迎えの車も出せない状況なので、斉藤先生の四日市出向は順延になって、急遽、千葉のオケ練習に合流になりました。(私にとっては)本年最初のオケ練習だったので、助かりましたが、咳で声が出ない時のhelpには、やっぱりなりませんでした。
以心伝心は誰かいないのかね~ぇ??
1月16日 13:10 ·
Genzmer先生の口癖の言葉です。
Zart か弱い、脆弱な、虚弱な、きゃしゃな、感じやすい、デリケートな、繊細な、
・・・zart-lich 情愛のこもった、愛情にあふれた、優しい、細やかな、心のこもった、
・・・zart-heit 脆さ、か弱さ、華奢、しなやかさ、ほのかさ、思いやり、控えめ
歯ぐきを合わせて、ツァート!!
「優しいね??」とか言う時の、日常用語で音楽用語ではありません。
何か親切にされた時等にも、よく使います。
「ご親切に・・??」とか言う意味です。
Satteザットには、 豊かな、たっぷりとしたという意味もあります。
面白い事に、ドイツ語ではSA(サー・・)という発音は本来はありません。SAはザーになります。
しかし、バイエルンの方言ではSは濁らないので、ナガザキではなく、ナガサキになります。
Yは発音出来ません。ヨージは英語式にジョージか、ヨヒ(旧約聖書の人々の父)とか、酷い時には、ヨキになってしまいます。
ドイッチェ・ママ達は、最後までヨーチェと発音していました。
France人はホーム(H)が発音出来ません。オームになってしまいます。アハッ!
それはそうと、昨夜はオケ練習の後、花園から東京に戻る準備の時に、車の後ろのドアを開けて荷物を積み込んでいたら、ドアがいつの間にか、下がって来て、頭を思いっきりぶつけて、血だらけになってしまいました。
久しぶりで怪我をしたので、しっかりと、メゲたね~??
bloglink1
1月17日8:28
頭がいい人は「分かりやすい説明」をする時、何を考えているのか
当たり前の話かも知れないんですが、ちょっと書かせてください
「・・・省略」
全く、共感出来ます。
私事になってしまいますが、音楽を指導している立場で言うと、生徒達が理解したつもり・・になって、それで、出来たような気になっている事が多くて、困ってしまいます。
理解したつもりの「つもり」が取れて、やっと、「理解出来た」になっても、それは単に「分かった」ような気になっているのに過ぎません。
何故、「ような気に・・」か、と言うと、音楽では、そこから自分を人へ伝達する「表現」が始まるからです。
「理解が出来たから」・・と言っても、人に伝達するのは、その次の技術になります。
此処から始めて、音楽家の勉強がスタートするのです。
演奏家が犯す一番の過ちは、演奏出来れば、指導出来るという勘違いです。
演奏出来ても、子供の語彙や、一般人の知識の中の語法でその演奏の意味を指導するのは、全く別の技術になります。
ヨーロッパでは演奏家と指導者は全く別のgenreの人種として区別されています。
それはどの分野でも同じ事でしょうね??
芦塚先生、コメントありがとうございます!
何でもシェアしてみるものですね笑
日々身の回りの事を模索する中、子育てにおいて、こども達にきちんとわかるように様々な事を説明出来なくてこの記事は成る程ーと思いました。
バイオリン含め、今取り組んでいる事について、ハルマも私もわかったつもりになっている事が多い気がしてハッとしました。
バイオリンはことさら私が無知の為、どう支えていくべきか、方向性なども悩みどころです、、
最近はハルマが幼稚園クラスの楽典で教える立場を経験させて頂いたり、それも彼の学びに繋がりますからとても有難いです!説明したつもりではなく、きちんと説明してあげられる技術を先生やお姉さん達から学び取って欲しいです(^^)
ところでお風邪長引いてらっしゃいますね。
身体に良いスープなど召し上がって身体を休めて頂けたら良いのですが、、
2時間前
有難うございます。元気なときには、土鍋でご飯を焚いたりするのですが、体調が悪くなると、レンジでチンが、精一杯になります。コンビニに食物を買いに行く事すら、その気にならないのでね・・??
体力のこともありますが、それよりも鬱が酷いので、気力が起こらないのですよ。
それはそれとして、話を元に戻して、・・テレビで林先生がよく「教える事の重要性」をお話されていますが、「分かったつもり・・」から「分かった」になって、それから「教える」(説明をする)と言う事には、全く別の次元の難しさがあるのです。
よく昔から「一を聞いて十を知る」と言われていますが、私達はよくその逆のことを言います。
「10を知って、始めて1が書ける」・・というのが、作家達の常識なのですからね??
特に音楽を勉強する人達の場合には、曲を弾ける様になる事を目標にしがちなのですが、曲を弾けるようになるだけでは、人を感動させる事は出来ません。
それ以上の、10の技術とNiveauが必要になるのです。
私達が指導する場合には、その総合的なもの(具体的には色々と有り過ぎて一つ一つを取り上げても、詮無いことなのですが・・)を評価の対象にします。
演奏が出来ても、姿勢や弓の持ち方、体躯の移動等々、checkpointは多いのです。
大家(たいか)と呼ばれる人達の共通する意識は、この初歩の初歩に戻れるか否かの音楽に対しての、或いはaudienceに対しての謙虚さを持っている人達なのですよ。
人に聴かせる事の出来る演奏をするためには、ありとあらゆる、それこそ1ではなくって、10の・・というか、100の・・否、1000のTechnikや意識が必要となるからなのですよ。
基本の基本は大切です。常に基本に立ち戻りながら、勉強を進めるのです。
今の山登りは、登山道がしっかりと整備されていて、前の人に付いて歩けば山頂に辿り着けますが、私が子供の頃の山には道もなく、獣道を辿りながら、遠くが見える場所に辿り着いた時には、地図で3点、4点を確認して、自分の位置を探しながら山登りをしました。
それでも、迷って帰れなくなった時には、付き添っている二匹の犬に「もう、帰ろうか??」と言うと、犬が踵を返して、家の方へ私を連れて帰ってくれました。
今のワンちゃんは、過保護犬なので、散歩している最中に、道が分からなくなってしまって、私の顔を覗き込んで、「道が分からなくなっちゃた!!」と泣きついて来ます。
「オイ!犬だろう??」
・・「でも、シーズーじゃぁ、なあ~??」「しょうないか??」
今の子供達はそういった経験をした事が無いので、一次が万事そうですよね??
可愛そうですよね。危機管理がなっていない。
manualに書いていない事には対応が出来ないのです。
音楽大学の院生に課題を出した時に、「先生、国会図書館まで行って調べたのに、資料がありませんでした。」と、烈火の如く怒って、私に訴えて来た生徒もいます。
「そんな、netで調べたり、図書館に解説の本があるような課題を生徒に出す分けはないでしょう??」「俺って、そんなに親切じゃあないからね??」と、言ったら、怒ってlessonに来なくなってしまいましたがね。
「おいおい!貸していた本は返してよ!!」
でも、同じ問題を中学1年生の女の子に出して、見事に回答していたのですけれどね??
教室で育った生徒は、それぐらいは当たり前なのだけど、一般の勉強をして来た人達は、manualがなければ、迷子になってしまうのですよ。
それでは、globalな世界では生きて行ける分けはないのですがね??
そこら辺の事が、世界を旅して来ても分からない。
心此処に在らざれば、見れど見えず、聴けど聞こえず
千夏ちゃん高校生達が、「ヒ~ヒ~!」とネを上げながら先生達から指導を受けているlectureの仕方ですが、教室を見学に来た多くの指導者の人達にとっては、先生達の指導は、あまりにも普通に指導しているので、「普通に指導しているだけなのに~??」と、その違いが分からないようです。
先生達は、見学して見ても、その違いが理解らなければ、教えても結局は、その場の事としてしか、理解しないのだから、本当の意味は理解出来ないのよネ??・・・・って、言っていましたがね。
大学の卒論のために、大手の音楽教室の大御所の先生のlessonを見学に行った教室の生徒である大学生が見学をしている時に、その先生が生徒に「私は何故あなたが分からないのか、その理由が分からないワ!」とこぼしているのを見て、呆れて教室の先生に報告していました。
分からないから、お金を出して習っているのにネ??
10を教わる以前に、音符もわからないままとりあえず弾く事だけはできるようになってしまったので1が出来るまで遠回りになってしまいました。道のりは長いですが楽しみながら親子で頑張ります。
こどもの個性に合わせて指導して下さって、お陰さまで以前より親子でクラシック好きになってしまいました!
お姉さん達、こども達、日々応援してます(^ ^)
2時間前
1月17日 21:21 ·
「咳が・・・」0
昨日から、咳が完全にぶり返してしまった‼
寝ようとしても、咳が止まらないので、中々眠れなくって困ってしまう‼
あいも変わらずも冷蔵庫にはなにも入っていない‼
しかし、コンビニに食料品を買いに行く気にもならないし、食べに出掛ける気にもならない‼
いつもなら、行きつけの寿司屋で、熱燗でも飲んでいるところなのだろうけど⁉
そういった気にもならない‼
困った‼
・・・なんちゃって、毎回、同じ事を言っているよな??
それにしても、今日は鬱が酷い!!
原因ははっきりしていて、嫌な事があったせいではあるのだがね⁉
しかし、その鬱で、周りに迷惑を掛けないように、・・まぁ、頑張って引き籠もる事にしよう!!
先生どうかお大事に。ネットスーパーが便利ですよ(*´∇`)
1月17日 23:41
有難うさん!!
早速、netで調べて見ましたが、新江古田は配送範囲らしいのだけど、江古田駅周辺は無いような雰囲気だよな??
食材を買っても、料理もしないしね。
デリバリーは、ピザはあるのだけどね。美味しい方のピザ屋は配達区域外で、一人分は配達してくれないし、あまり美味しくないピザ屋だけど、結構高いので人が訪れている時しか頼みません。
・・で、一人だから、頼みたいのに、そういったお店は無いのよね??
矛盾しているのよ!!
1月18日 15:27
イトーヨーカドー上板橋店が範囲かも??
雨の日や重いものが欲しい時も、お総菜やお弁当も買えて重宝してます。
ピザは普段使いにはけっこう高いですよね。「出前館」はどうですか?
1月18日 23:29
あれま~あ、色々と調べてくれたの??有難う!!感謝!感謝!!
椎名町は昭和20年から30年ぐらいのタイムスリップした老人の街なので、近所にも老人食の弁当のデリバリーがあったりしますが、月決めなので、こういった非常事態の場合には、対応はしていません。
江古田は学生の街(大学が3っつもあるので)なので、結構、ラーメン屋の激戦区で、池袋の**軒が2軒もあったりして、食べ物屋も若者向きです。
その分、老人や病人は見捨てられていて、病人食を出しているという、「わたみん家の糖尿病食」でも頼もうか?・・・と思ったのですが、毎日2回の配達らしいので、頼むのは止めました。
ほとんどの場合には、前日の夜食を弁当に持って帰ったり、昼間にセブンに寄れたら、お弁当を買っておいて、食事に備えたりしています。
学生の街なので、お弁当屋は多いのですが、デリバリーはしていないのと、肉肉と脂なので、私には無理なのですよ。
以前出前館のお弁当のカタログが入っていたのだけど、メニュに食べれそうな物が無いので、捨ててしまいました。
千川通りにエスカマーレというスーパーがあって、高級なものを売っていて、老人にも食べれそうな、お弁当も作っているのですが、西武のデパ地下よりも高いのですよ。
ものはとても良いのだけどね??
それと、もう一つ、デリバリーには、ハイツには、構造上の致命的な問題があって、配達に来ても、中で仕事をしていても、呼び鈴もノックの音も聞こえないのです。それで、近場のコンビニで間に合わせているのです。
netの通販もハイツでは届かないので、椎名町の事務所に届けてもらうようにしていて、先生達にめんどくさがられていますが、本当にハイツで、荷物が届いた試しはないのですよ。(勿論、時間指定をしても・・です。)
1月19日 4:15
1月19日 11:05
生徒さん達にとってはお馴染みの、VivaldiのOp.ⅢのNr.8の2台のviolinのためのconcerto a moll(調和の霊感L'estro Armonico)という曲なのですが、今までも、教室の発表会だけでなく、教室の対外出演でも、よく演奏して来た事のある曲なのですが、国民性のRicordi版らしく、そのscoreやpart譜の間違いの多さには辟易させられます。とは言っても、Ricordi版のscoreは、同じVivaldiの色々な曲を演奏する度に、この曲に限らず、毎回、Ricordi版を使用する時には、その間違いの多さには、辟易させられます。
そのために、訂正用のサポート楽譜(pocket‐score)に使用している日本版のpocket‐scoreも、Ricordi版同様に、どうしようもなく間違いやミス・プリが多くて、これが困った事に、参考にならないのですョ!!
必ずしも、日本人のに音楽家限らず、世界の音楽家達も同様に、出版された楽譜に対して、その楽譜(音符等)を訂正するのは、(多分、作曲家に対しての畏敬の念から・・と思いますが、また、出版社に対しての遠慮もあって、)気が引けて難しいようです。
このa mollの曲の場合でも、3楽章のscoreで明らかに「間違い」と思われる音(3楽章59小節目の2ndの音で、F#でなければならない音がscoreではF♮になっているのを、私が#に訂正したら、梨紗さんが「I MusiciもF♮で演奏している。」と言っていました。しかし、この時代には、e mollのⅠ度の和音で経過音が下行の派生音になる事はないので、(そういった使用法をするのは、Wagnerからの技法になります。)単なるミスプリがそのまま底本になってしまった‥・という事なのです。
私の場合にも、ご多分に漏れず、必要に迫られた訂正箇所を、その演奏の都度に、口頭で伝達して、お茶を濁しているぐらいが関の山なのですが、Ricordi版の場合には、あまりにもミスプリが多過ぎて、私と先生達間の伝達がうまく行かなくなる場合が多過ぎて、オケ練習の都度に、何度も何度も、同じ箇所の訂正をさせられるので、(購入した原譜であるRicordi版に直接訂正をすれば良いのですが、先程も言った、出版された版に直接訂正を書き込むのは、どうしても気が引けるらしいので・・・)等々、今回も、私が、ついに切れてしまって・・、楽譜をrenewalしてしまいました。
・・とは言っても、このお話のpatternは、Ricordi版のVivaldiの楽譜に関しては、毎回繰り返されるroutineになってしまったお話なのですがね・・??
「どうせ、finaleでを楽譜入力し直すのならば・・」という事で、楽譜のrenewalついでに、間違いの箇所の訂正だけではなく、楽譜としては正しいのですが、orchestraとしては、soliとオケの音量のbalanceの悪い所を、concertante‐soloとripieno‐soloに手直してみたりして、色々と弄ってしまいました。
と言う事で、「チョッとやり過ぎでは無かったのかな??」と反省をしたりしながら、参考までにと、You Tubeで色々な演奏団体の演奏を聴いてみたら、何と!!私と全く同じに訂正している団体も結構ありましたよ。
proの演奏家達ならば、わざわざ、soloに変更しなくても、演奏の仕方でオケのpartの音量を抑えるだけでも、balanceを取れるはずなのですが、そこはproであっても、より安全策を取っているのですよね~ぇ??
石橋を叩いて渡る、という確実性の重視という事でしょうかネ・・??
私も、練習の都度に、「整合性T17 2nd T261st 付点4分音符は、T66 2nd、4分音符と整合しない。4分音符がbesser
T26の2ndの付点4分音符はfalsch!T27の音型がrichtig!」等々・・、口頭で伝達を繰り返していましたが、「限が無い」だけでなく、伝達ミスが多すぎるのですよ。
繰り返しミスプリの伝達をしていたら、こっちのミスを訂正していたら、いつの間にか、あっちのミスが、元のミスの譜面に戻っていたりして、結構トサカに来ていたのですが、昨夜の丑三つ時には、すっかり諦めて、これからも演奏して行く常設曲なので、原譜と訂正譜が混在すると、毎回、またまた、同じ注意をしなければならないので、finaleでscoreを入力して、その訂正箇所を修正してしまいました。
kritik‐Ausgabeです。
最初の予定では、Ⅰ,Ⅱ楽章は全面改訂で、Ⅲ楽章は、articulationやbow-slurだけなので、口頭での伝達にしよう・・・と思ったけれど、やはりRicordi版の楽譜だけあって、実際に演奏をして見ると、原譜のmistakeが多すぎるのと、相も変わらずCembaloのpartのRealisationがヘボ過ぎるので、結局、作り直す事にしました。
・・・と言うか、23日(月曜日)の朝の9時にはもう出来ていたのだけどね??
昨日のオケ練習で、楽譜のrenewalの報告をすると、上級生達が、「どうしてそんなに早く入力出来るの??」・・て、驚いていました。
それは、私が、芦塚メトードによる、徹底した「時短の入力法」をしているからなのですよ!!
上田敏さんの「日延ばしは、時間の盗人」という一節が有りますが、「時短」のコツは、薄利多売と同じで、パソコンの入力でも、finaleの音符の入力でも、「如何に、入力する個数を減らすか?」なのですよ!
「時短」の下手な人の口癖は、「そんな面倒くさい手間を掛けるのなら、直接打った方が早い!」という事です。
finaleでもコピペと移調を組み合わせたり、最初に原譜の小節数に合わせた空のtemplateを作って、同じpassageを、同じ小節にコピペする作業をして、虫食い譜を作ってしまうのです。
料理で言う処の「下ごしらえ」の作業になります。
実は、この作業は、音楽理論の中の楽曲分析の作業と同じ事なのです。
練習番号付けの作業が、音楽理論の中の形式学の構造分析と同じ課題である事と同じです。
音楽大学では、非常に難しい科目とされる、この二つの音楽理論ですが、実用の中で学ぶと、小学生でも、ちゃんと出来るようになるのです。此処ら辺が芦塚マジックなのですよ。アハッ!
今回の小学生達の課題にしている、芦塚メトードである「勉強の仕方」のcheck‐noteの取り方ですが、例えば、私のオケ練習のlectureをmemoる場合ですが、昨日の日曜日の報告ですが、宿題の報告では、Ⅰ楽章の中で子供達は10個ぐらいを丸付き数字を付けて、checkをする事が出来ました。
しかし、目下、instructorの指導の勉強をしている千夏ちゃんの場合には、1楽章の中のB-1の中だけで、10個のcheckが出来ます。
ちなみに、B-1の中には11小節ありますが、1楽章全体では340小節あります。
つまり、先生の注意を「正確に」、しかも、「落とし無く覚えて」ちゃんと「理解する」には、「それなりの」、しかも、「そのための」・・「勉強が必要だ!」・・という事なのです。
音楽の勉強に限らず、どのような勉強であったとしても、世の中には、学び上手な子供達がいます。
それを一般的には、才能という言葉で片付けてしまうようですが、Haydn先生やBach先生達の口癖は、「才能という言葉は、努力を惜しむ人達の弁解の言葉である。」と言う事なのですよ。
Haydn先生の正しい言葉は、馬車屋の子供として、非常に貧しい家に産まれたHaydnが、苦労を重ねて、世界の頂点に立った時に、弟子達に言っていた言葉は、「人は無から有を作り出す事が出来るのだよ!私を見なさい!!」という言葉でした。
あの神に愛されたMozartですら、全く同じ事をその手紙で言っているのですから、驚きです。Mozartは、天才と言われるのを極端に忌み嫌っていたのですからね。
「俺は努力をしたのだよ!」
「どうして皆は、それを認めてくれないのか?」という風にです。
では、「どうして同じ努力なのに、差が出来てしまうのでしょうか?」それは、簡単だし、私が何時も言い続けている事です。
努力が、「濃い努力なのか、無駄な努力なのか?」の違いだけなのですよ。
無駄な努力ならば、毎日、7時間、一年中、絶対に休まないで、練習を続けたとしても、無駄に過ぎないのです。この原理は私のオセロ練習法で学ぶ事が出来ます。
本当に意味のある練習を7時間出来るようになれば、世界はあなたの直ぐ前にいる・・・と言う事なのですよ。
・・・もう、いい加減、耳タコでしょう???
パート譜も作り直し配り直しになるのでしょうか…?
1月19日 11:50
part譜に関しては、斉藤先生と相談してください。celloやCembaloは、必要ない・・伝達だけで良いと思いますけれど・・。1楽章のscoreは君達もいるのでは??生徒達には未だ配ってはいないのよね??2楽章は、伝達だけで良いと思います。Cembaloを含めても・・。いずれにしても、これからこの曲を演奏する時には、私のkritik‐Ausgabeからになると思うので、それも含めて、楽譜を整理するようにしてください。
1月19日 12:37
ちなみに、今回のVivaldiのa moll doppelconcertoの演奏のstyle(interpretation)は、一般の対外出演なので、学術的なperiod奏法ではなく、traditionalの奏法で演奏します。
ですから、一般的のYou Tubeの演奏と同じです。
1月20日 10:47
Ⅱ楽章の訂正と、Ⅲ楽章のfinale入力が終わった。今から朝食にしよう!!チョッとくたびれたかな??1時間程休憩しよう!!
1月22日 9:40
3楽章のCembalo‐partと、soloのarticulationを朝9時までに作りあげました。homepagebuilderの調子が悪くて、昨日の夜から延々と朝早くまで格闘しているのですが、soft自体の問題でどうもうまく行きません。finaleも突然bugが起こって、installし直したのですが、それでも直らないので、finaleに問い合わせている処です。それと並行してVivaldiの入力を終わり、朝食を食べ終わって、薬を飲んで・・・、チョッとくたびれた処です。
1月23日 9:59
私は、音楽家なので、鉛筆は2B以上(3B,4B)じゃないと使わないし、シャープペンは、直ぐに折れて、全く使えないので、楽譜を書く時にも、シャープペンを使う事はなかったのですが、今度、uniで1㍉軸のボールペンの4色+シャープペンが発売されて、1㍉軸は魅力だったので、買って使用しているのですが、調べて行くとペンテルからシャープペンの芯で超高度芯・・「折れない(折れにくい)」が発売されていたので、早速買い求めて、uniの4色+シャープペンに使用しています。基本的には、鉛筆は楽譜を書く時以外は使用しないのですが、折角なので、使わない箇所を残しておくのは勿体ないのでネ。梨紗ちゃんにメーカーを聴かれたので、調べて見ました。箱買いしているので、5年ぐらいは補充しないでも良いので、机の引き出しのゴミになっています。最初の話に戻って、Mac時代のfinaleはチョッと酷かったのですが、ハイブリットからは、なんとかfinaleも作曲に使えるようになってきたので、この10年は全くそのhighーuniの2Bの鉛筆も、全く使わなくなって、五線紙も全く使用しなくなってしまいました。論文等もパソコンに直接入力しているので、本当にペーパーレスになってしまいました。
1月24日 21:55
1月24日 10:53 ·
「教育とNiveau(=水準??)のお話Nr.1」
「教室開設まで」
私は日本の音楽大学はちゃんと卒業したのにも関わらず、教職の免状は持っていません。
大学に入学したばかりの時には、教職の授業を真面目に取ろうと思って、1月間程は、教職の授業には出席しました。しかし、最初の指導要領の講義を聞いた時に、指導要録の本を開いて「教育とは日本国民として、国家に・・etc」の一節を目に入って、昭和の敗戦の年の生まれの私としては、「チョッと何かが違うな??」と疑問に思っていたのですが、教育学の授業を受けて、「離乳食が・・etc」で、もっと驚いてしまって、「これは教育ではなく、育児だ!」と言う事で、時間が勿体無いので、総ての教職の授業を放棄する事にしました。それでも、他の学生達よりも、倍近い授業時間数だったのでね。
それに、私自身は「音楽教室等で、子供や中、高生を教える事は、有り得ない!!」或いは「私が中、高校に先生として就職する事は有り得ない!」という考え方だったからなので・・です。
つまり、当時の私は、親から、生活費を送って貰える事はなかったので、生活のために、大学の先生達から音楽大学の受験生を回して貰って、受験指導をしていたのですが、そういった経験上、「絶対に学校の先生だけにはなりたくない!」と言う事や、「子供への音楽教育の指導だけはしたくない!」・・という前提で音楽の勉強をしていたからです。
未だ音楽大学に入学したばかりで、自分の音楽を極める事の方が、私に取っての最優先事項であって、他人を教育する事・・なんていう事を考える・・(省みる)、ゆとりはなかったからでもあり、音楽家としての、背水の陣を自分に科したからなのです。
ですから、留学から帰国して、某大学に奉職した大学講師時代に紀要に提出した教育関係の論文が文部省関係の人の目に触れて、「『芦塚先生の教育のmethodeを実践して、その理論が机上の空論ではない。』‥・という事を証明して見せて欲しい」・・と頼まれた時にも、子供を教える(人に何かを教える・・)という事自体は、相変わらず好きではなかったので、教育の方法論のサンプルとして、「5年間だけという約束で、『芦塚メトードによる教育法』を、実践してみせます・・」という事で、千葉の音楽教室を始めました。
この話を受けた当時は、私としては、別に音楽教室ではなくても、・・・つまり、一般の学習塾でも良かったのですが、methodeの実践の条件と言うのが、私が指導して教育的な成果をあげても、それは私の指導力になるので、然程の意味も無く、私のmethodeを、学んでくれる先生が、子供達を指導をして、そこで成果が上がって始めて、methodeの実証になる・・という事で、私のmethodeを、学んでくれて、子供達を指導してくれる先生を大急ぎで探さなければなりませんでした。
丁度、その頃に、私が音楽大学時代に、私が音楽大学への受験の指導をした生徒で、音楽大学を卒業して、東京で営業のQuartettを組んでいた昔の弟子が、「私のmethodeを勉強しても良い!」と言ってくれたので、彼女に私のmethodeの実験台になってくれるのをお願いして、結果的に、千葉に音楽教室を開設して、私のmethodeで指導してくれる事になったのです。それが今の花園教室です。
大阪に「芦塚メトード研究会」という、projectを作って、全国から、指導を見学に来れるような状態を作って、音楽教室を稼働し始めて、5年ぐらいの期間を経て、当初の目的であった、私の「methode」の証明が終わった頃に、そのmethodeで学んできた生徒達から、「芦塚メトードでそのまま指導出来る(働ける)音楽教室が欲しい。」と、頼まれたので、芦塚メトードの実践の場であった花園教室を、そのまま、音楽教室として、会社の登録をして、弟子達を会社の役員にして、音楽教室として(それまでは私個人のmethodeの研究室であり、芦塚音楽研究室、音楽教室だったので)、今のような公的な「㈲芦塚音楽研究所」ではなかったのですよ。)
・・・てな、会社設立の話をしよう・・と、思っている分けではなく、今日の「お題」は、「Niveau(=水準)のお話」です。
「競争教育と水準のお話」
日本の学校教育のconceptでは、子供の教育するという事と、競争教育の方向が混在してしまっていて、それが、学校教育の指導の在り方を混乱させています。
学校教育で、社会の仕事を学ぶ時には、「子供である・・」という前提から、子供に無理をさせない、良い所だけを体験させる・・という過保護的な子供への教育(所謂、簡易楽器的な発想)がなされているのですが、その事が逆に、大学で実際の教育実習等で、本当の現場(職場)に体験学習に行った生徒達が、所謂、世間で言う所の「3Kの問題」で、「こんなはずではなかったのに・・??」と、夢を挫折させるだけでなく、大学を中退する事さえ増えて、社会問題になっています。
私達も、よくその手の相談を学生から受ける事もあります。
そう言う風に、過保護的に、良いとこ取りのボランティア活動に絞って、社会勉強をさせている中学、高校と言えども、一旦、受験になると、突然、社会の現実になって、生徒達の評価の対象が成績のみになって、成績を上げる事が、教育の唯一の目的となってしまいます。
つまり、大学の受験や、資格の試験になった途端に、水準が唯一の基準となってしまうのですよ。それを一般的には、ボーダー・ラインという言い方をします。そのborderlineとは、受験に合格出来るか否かではなく、「受験が出来るか否か」の線引の話になってくるのです。
此処で学校教育のborderlineのお話をするのは、どのような世界であったとしても、社会は競争社会である事実は変わらない・・という前提をお話するために・・なのです。
そこは、音楽の指導やathlete達の教育にしても、学校教育と同様に、教育の基本は競争教育が一般的なのです。
しかし、競争教育であったとしても、「その競争に参加出来るか否か」は、borderline(所謂、厳しい水準)があって、その水準に到達出来ないと、競争に参加する事すら許されません。
それを分かり易くしたのが、center試験であります。
center試験が行われるようになる以前は、「どうせ落ちるならば、東大!」とか、合否を判定して貰う以前の、夢だけを押し通しての受験でイタヅラに有名大学に受験生が集中して、大学側を混乱させていました。center試験と言うのは、夢と現実を混同させないようにするための配慮でもあったのですよ。
そこの所は、職人の世界に似ています。
職人の世界では、どんな初心者でも、その作業がどんなに簡単な作業であったとしても、水準に達しているか否かの判断や、評価の基準(borderline)は、初心者でも、20年、30年のベテランでも変わらないのです。
そこが初歩には、初歩なりのborderline(=水準)を与えてくれる学校教育の保護主義と職人の世界の基本的に違う所なのです。
芦塚音楽教室と言えども、所詮は、法務局的には、利潤追求の一般の音楽教室に過ぎないので、一般のカルチャースクールとして、趣味の生徒達にも、音楽を楽しく指導lectureします。
一般の音楽教室と、私達の教室の一番大きな違いは、一般の音楽教室や、カルチャースクールには、その技術の指導はありますが、教育の指導はない・・という事です。教育には利潤追求と言う意味はないからです。ですから、私達の教室でやっているbaroqueの演奏にしても、オケ・室内楽にしても、会社としての活動として認められている分けではありません。あくまでも、私の個人的な希望で行われている事にしか過ぎません。
昔から、一般論として言われていた、「子供達の教育は学校で指導されて、家庭はその補佐をする」‥・というような考え方なのですが、今は、教育指導は学校では実際にはおこなわれていないようで、教育は総て家庭に任されているようです。
もしも、学校が教育的な機関であるとすれば、いじめの問題等も一瞬で直す事が出来るはずです。
いじめの原因は簡単です。
いじめには二つの要素しかありません。
いじめは社会の歪の反映に過ぎないのです。
それは他人、他者との競争と、異種・異分子を排除しようという現代社会の歪が引き起こすものです。
その顕著な例が、イスラム国であり、トランプの保護主義なのです。それらは、学校でのいじめの将来の型なのですよ。
競争を助長しているのは、学校教育そのものであり、先生達自身でもあるのです。
しかも、「競争を無くす」‥・という事の一番お粗末な解決が、軍隊や宗教のように力で支配する事なのです。
それは「負の意味での平等」に過ぎないのです。
学校が勉強を教えるだけの場所であるとすれば、塾のhow-toに敵う分けはありません。塾には教育という縛りが無い分、また、淘汰をする事が出来る・・という事に於いて、学校よりも、成績を上げるという命題を熟す事は楽な事になるからです。
と言う事で、面白い事に(笑える事に)塾と学校のコラボがおこなわれたりしています。
その話を聞く度に、本末転倒に、笑いが出てしまいます。アハッ!
一般の多くの人達が勘違いをしている事なのですが、技術を指導するのが学校であり、音楽大学であるのならば、その土壌からproが育つ事はありません。
proは技術の賜物ではないからです。
どの道であったとしても、proに成れるか否かは、proとしての意識を持てるか否かなのです。
そこの処は、日本の教育制度の在り方と、私の考え方の根本的に違う所です。
「競争教育について」
学校でも、concoursでも、受験でも、日本の教育の総てが、生徒達のtopになるための努力によって、評価されます。
音楽以外の場合には、それでもそれ相応の成果を見せる事が出来るかもしれませんが、音楽の場合には、solisteとして世界一になるのなら兎も角としても、violinでもcelloでも、一人で演奏会を開く事は出来ません。
concoursに出場する場合でも伴奏者が必要だし、音楽の世界では、人との協調が基本として必要となるからなのです。
競争教育では、1番になれなければ、それは総て挫折になります。
考え方はsolisteは一人しか、必要ないからです。
では、音楽大学の学生がどんなに努力をしたとしてもproに成れる事は100年に一度の奇跡でしかありません。
どうして、音楽を勉強する人達がそこの所に気づかないのか、不思議でしかありません。
もしも、音楽でproとして、活動をしたければ、proとして活動出来るように勉強すれば良いだけなのですがね??genreをしっかりと決めて勉強して行けば、世界一の演奏家になる事も不可能な事ではないのですがね??
しかし、残念ながら、明治時代の「音楽事始め」から日本社会では、間違えたsoloとしての教育が罷り通って来ました。
「日本では、戦後、音楽が一般的になって来た」と思われているのですが、それは間違いで、明治から大正、昭和に掛けて、「夕方になると家々から音楽が流れて来た。」という時代があって、多くの文豪達にその光景が描かれています。しかし、第一次世界大戦と第二次大戦を経て、一度完全に音楽が忘れられてしまったのです。
ですから、今、やっと出版されているHohmannの全5巻の作品や、Ravel等のPianoの作品、Faure 等の多くの作品等の多くは、昭和初期や大正年間に出版されていました。
その当時の楽譜を、私はハイツのarchiveに個人的に収集して、所有しています。
戦前の音楽教育が根無し草になった一番の原因は、音楽が一人の楽しみとして日本に入って来て、室内楽やorchestraとしての音楽が入って来る事が全く無かったからです。
しかしながら、音楽は一人では成り立ちません。
音楽で、一人で演奏家として成り立つのは、室内楽やorchestraとの共演を拒むpianistか、organistの場合だけです。
こんにちの音楽教育は、その「明治時代の音楽事始めの過ち」を再び繰り返しているだけなのです。
歴史から学ぼうとしないのは、音楽の技術の面やinterpretationの面だけではなく、そういったヨーロッパの音楽が育んできた一番のエキスの部分を学ぼうとしないからです。
下の絵は、彭城(サカキ)貞徳(和洋合奏の図)明治36年頃の長崎美術館蔵の作品です。
基本的には、音楽教室は、何処の音楽教室であったとしても、教育機関ではなく、巷のカルチャースクールに過ぎませんし、音楽大学も、単なる一般的な教育機関に過ぎないのです。
一般大学と同様に、proを養成する分けではなく、その道への導入をするだけなのです。
そこから、proに成れるのか否かは、本人の努力次第なのですよ。
大学を卒業して、会社に就職をして、それから、仕事へのskillを磨いて、その道のproになる・・というのは、どのような世界でも同じなのです。
つまり、私が何時も言っているのは、athleteの場合や音楽家、Ballerinaの場合のように、体を作って行かなければならない職種の場合には、中学生や高校生で、その道に入るための努力をしたとしても、到達出来る水準は、限定されてしまうのです。ですから、音楽やathlete、Ballerinaの場合には、中学生、高校生で音楽の道に進むのは、無理難題なのですよ。
学校教育でも、音楽大学でも、教室の発表会でも、その生徒の出来る範囲内で評価をします。しかし、これが受験やconcoursという事になると、社会の競争教育と同じなので、評価されて、水準に達していないと、落とされてしまいます。これが社会的評価です。
つまり、proとして社会で働いて行くためには、その水準が要求されるのです。
音楽教室の場合でも、発表会やおさらい会等で、演奏する場合には、その生徒達のNiveauや、出来る範囲で演奏していく事が出来ます。しかし、対外出演というのは、社会に対しての活動なので、proになるための、準備段階として、そのNiveauを学ぶ必要があるのです。人と比較して誰が1番かと言うのは、音楽の世界にはありません。proとして必要なのは、その演奏がその水準に達しているか否かなのです。
自分が、生涯のライバルと思っていたとしても、自分も、そのライバルも水準に達していなければ、それは誰も認めてはくれない・・それが社会の現実であり、proの世界なのです。学校教育とは違うので、幾ら努力をしたとしても、それが認められる事はありません。
世界のconcours、国際concoursともなると、水準に達した人がいない場合には、1位、2位、3位抜きの、4位と言う事もザラなのです。
一位の水準の人はいない・・という事です。
職業として、何かを学ぶと言う事は、幾ら頑張って、努力して、何かを作ったとしても、水準に達していなければ、その努力が認められる事は無いのです。その反対に、何の努力をしなかったとしても、その作りあげたものが水準に達していれば、それは売れるのですよ。アハッ!
「子供の憧れとcapacityのお話」
子供達は、音楽の指導がうまく行っていて、子供の性格が積極的であれば、capacity以上に、頑張ろうとして、自滅する事もあります。
反対のcaseでは、同じに指導がうまく行っていたとしても、子供の性格が消極的な場合には、もう少しcapacityを増やしてくれると良いのにな??と思う事もあります。
こういった消極的な場合には、子供を乗せて少しづつ積極的にしていけば良いので難しくはないのですが、問題は逆の場合です。
指導する先生の立場としては、積極的な生徒が、頑張ってcapacity以上に色々と勉強をしようとするのを、安全策を取って、capacityを守らせる事は、子供のやる気を削ぐような感じになってしまうので、指導者としては、あまりやりたくない事なのです。
しかも、子供達の場合には、幾らcapacityを狭めてNiveauを高めようとしても、子供達の場合には、それでNiveauを上げると言う事は、難しいのですよ。
子供の場合には、守備範囲を狭めても、逆に広げても、どっちみちNiveauが上がる分けではないのでね。
まあ、それでも、子供達はcapacityの中で努力をしなければ、潰れてしまいます。
もっと面白い事は、Niveau(成績)はその人の持っている意識で決まるという法則があるのです。
教室でも、今は受験のために、音楽をお休みする生徒が多いようですが、学校の成績が本来は50点ぐらいの生徒でも、音楽が70点ぐらいの水準を持っていたとすると、勉強も70点ぐらいの成績を取れるのです。しかし、音楽の勉強をお休みして、最初の2ヶ月ぐらいは一次的に成績が上がるかも知れませんが、その期間を過ぎると、その生徒の、本来の勉強の成績である50点に戻ってしまうのです。
つまり、成績を引き上げていたのは、音楽の勉強で持っている意識による水準だったからなので、勉強の意識の水準に戻ってしまうのです。
私達は子供を見る時に、その子供の意識で、成績や音楽的な水準を判断します。
音楽への意識が70ぐらいの生徒ならば、勉強に専念しなくても、意識をチョッと勉強の方へ持って行くだけで、勉強の成績も70のrankにする事が出来ます。
音楽の意識が70でも、勉強が50の意識しか無いとすれば、その生徒が音楽をお休みしてしまうと、その生徒の意識は50になってしまうので、勉強の成績である50に戻ってしまう‥・という事なのですよ。
1月25日 14:25 ·
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.2」
「人生3度の分かれ道」
Genzmer先生が、若いpianistの女の子にadviceをしていた「人生には3度のchanceがある」と言う言葉は、これまでそのまま、多くの人達、生徒達に伝えて来たのですが、その言葉自体の持つ簡明さから、その内容の奥深さが理解されないままに、軽く捉えられてしまう事が多かったのですよ。
先ず、多くの人達は、自分の人生を分ける「分かれ道」を、「分かれ道」と判断出来ない・・事の方が多いのです。
人生の分かれ道は、ほんの些細な事や、何気ない選択から、大きく分かれて行きます。
ですから、私が、その一つ一つの分かれ道に対してadviceをするのですが、結局の所は、幾ら説明をしても、・・その場では分かったような顔をしたとしても、結果的には、「一番安直な道を歩む人達しかいない」‥・という結論に達してしまい、advice自体を諦めてしまいました。
Genzmer先生に直接adviceを受けていたその女の子ですら、Genzmer先生の言われている理屈は分かっていたとしても、将来の夢ではなく、今現在の自分の感情をcontrolする事が出来ず、夢は夢として、一般的な楽な道を歩んで行ったからです。
私のadviceを参考にして、「家族で相談する」・・と、言った時点で、その判断は、「音楽とは無関係の音楽の世界では素人の判断」になるのですよ?
athleteであろうと、balletの道であろうと、それは職人としての、proの道なのです。その勉強の方法は一般の勉強の仕方とは全く違いますし、その社会は、一般の社会とは全く違うのですよ。
「そこの所が分からないから、proの人に相談をする」・・という所までは理解出来るのですが、その判断を、学校の先生や、親同士での相談で、出来る分けはありません。学校の先生は多くの生徒達の進路相談をして来たように思えるのかも知れませんが、成績で割り振っただけだし、ましてや、音楽の世界の事を知っている分けでもありません。音楽のproの社会の話が、一般の人達の知識で、手に負える分けはありません。
だから、人の一般一般論としての、素人としての傍目の間違えた選択肢を選んでしまうのですよ。
この事が、何度説明をしても一般の人達には理解出来ない。
親達にとっては、始めての経験で、最良の方法を選択したのかもしれないけれど、私達の場合には、100名近い多くの子供達の未来の現実を見て来たのですからね。そこには、断固とした現実があるだけで、夢の夢はないのですよ。
つまり、私達の教室の話ではなく、一般論としてお話をしたとしても、「中学、高校の勉強の延長線上に音楽大学は無い」のですよ。そんな当たり前の事すら、私が何度説明しても理解出来ない。
高校生になって、決断が出来る音楽の世界というのは、現実的には有り得ないのですよ。(勿論、有名私立の音楽大学に入学して、卒業と同時に結婚して、家庭で近所の子供達の音楽のlessonをする、ぐらいなら、何の問題もないのですがね。)proとして演奏活動を続けて行きたい・・と願うのなら、それは無理の無理の話です。
だから、私に「判断を仰ぐ」・・というのと、私の「意見を聞きたい」・・というのでは、その人の人生の目的や目標が違って来るのです。
私の意見を聞きたい・・という人達は、これまでも多くの人達が私の意見を求めて来て、質問して来た人達と同じ数だけ全く同じadviceをして来たのですが、そのadviceが報われた事はありません。その人達にとっては、質問は質問に過ぎず、回答は質問の前に既に決まっているのですよ。
私にとっては、その人達へのadviceは、常に同じで、(耳タコではなく、)口タコなので、これ以上、何度も何度も同じお話をしなくても良いように、homepageのあちらこちらに詳しく書いておきました。
私からのadviceを色々と聞いたとしても、自分達で判断をして、家族の中で決断をしたい人達や、私に、あくまでも「参考までに」意見を聞いてみたい人達は、是非、先ず最初に、私のhomepageを参考に読んで見てください。それで、何か、それ以上のものを得たい場合には、喜んでadviceをしたいと思っていますからね。
オケ練習の時にも繰り返し、何度も何度も、言っているように、「山を登るのは大変な努力と時間が掛かるのだけど、山を落ちるのは一瞬にしか過ぎない・・で、改めて、もう一度チャレンジしようと思っても、二度と戻れないのが一般的なのだよ!」
音楽を将来の趣味にする場合には、正しい技術を習得する必要はありません。中学や高校のズブの素人の先輩が学校の部活で教えてくれた、100年も前の「音楽事始め」の時代の古めかしい日本にしかない奏法をそのまま学んで、「腱鞘炎は、練習をし過ぎた結果なので、それを克服しないと真の音楽家にはなれない」・・とか言って、「腱鞘炎は練習の成果なのだ!」とか思い込んで、二度と弓を持てなくなって、音楽の世界から去って行けばそれで良いのですよ。
教室で幾ら正しい奏法を学んでも、一度、部活の演奏法に慣れてしまったら、元の教室の正しい奏法に戻るのはほとんど不可能です。
教室の人達のお話ではなく、一般的な音大生にも、そういう人達は結構多いのですが、脱落していった仲間のそういう負のお話をする事は絶対にありません。
だって、そのお話をすると言う事は、今、現実に自分がやっている事を否定してしまう事になるからなのですよ。
正しい奏法で練習をするのなら、何時間練習しても、腱鞘炎になる事はありません。
腱鞘炎は、奏法が不自然だからなるのです。
violinを学ぶ事、Pianoを練習する事に腱鞘炎は当たり前・・と言っている人達は、自分の過ちを認めようとしない人達です。そういう人の言う事を聞いて、正しい道が見えない人達に音楽は微笑む事はないのですよ。ましてや、proを目指す人達がそういった悪い奏法をする分けはないはずですからね。
それは、当たり前の事ではないですか??ベルリン・フィルのSchwalbé先生が日本に来る度に、「AIDS奏法が酷くなる!」と嘆いていましたが、その大元の先生はもう、お亡くなりになったのに、AIDS奏法は益々酷くなる一方です。
私が音楽の世界に旅立とうとしている生徒達に言っているのは、こう言ったお話は、もう音楽の道に進むという事を決めた段階で、adviceを受ける立場ではなく、adviceをする立場に変わるのだよ!という事です。
「甘えの構造」の母系社会である日本では、教育大学の学生達ですら、「教える立場を学んでいる」という自覚がありません。
現場に出て、行き詰った時に、周りの友人達に相談すればなんとかなる・・と思うのは、どんぐりの背比べか、ブリューゲルのマタイによる「盲人の寓話」に過ぎないのですよ。
一般の人達が音楽の道に進もうとする時には、幾つかの壁を乗り越えなければなりません。私が子供達を指導するのが、嫌いだった・・という、その最大の理由は、音楽を学ぶ子供達や親のブレです。
音楽大学に在学していると、大学の音楽教室に来る生徒達は、親が子供を音楽の道に進ませたい事を望んでいる親達の集団です。
ですから、どんな厳しいlessonであっても、先生の無理難題の指導にも、泣きながらでも耐えて、付いて行きます。それだけ、頑張っているのなら、全員が音楽大学に進学出来るはずなのですが、親が幾ら頑張っても、指導する先生の側のlevelが低ければ、その生徒達が、音大に進学出来る事はないし、ましてや、その難関の音大に入学出来たとしても、留学出来たとしてもproに成れる分けは無いのです。
私が音楽大学の学生であった頃に指導をしていた音大の受験に失敗した生徒達は、「音楽の道に進む」と言う事に関しては、もう、親も子供も、ブレは全く無いからです。
つまり、私は親や子供達の、心の悩みの問題を解決してあげる必要は全く無く、音楽上の技術の面だけを指導し、水準を超えさせれば良いだけなので、受験が決まっている生徒を指導するのは、極めつけに簡単な事なのですよ。
(但し、この場合のお話は、一般の音楽に進学したい学生の場合であって、教室で音楽を学んでいて、音楽の道に進みたいという生徒の事ではありません。教室の生徒の場合には、音楽の演奏の技術は極めつけに優れているのですが、音楽を仕事として勉強しようとする意識は、親も子供も全く無くて、そこの厳しさは一般の方が、遥かに厳しいからです。教室の生徒の場合には、技術ではなく、意識の点だけを見ると、趣味の延長線上から抜け出していないのですからね・・??)
私達の音楽教室であったとしても、音楽教室である限り、カルチャースクールの延長線上に教室があるという現実は否めません。
しかし、生徒達の技術が一般の音楽に進学したいという事を望んでいる生徒達を凌駕するようになると、当然、音楽をlifeworkにしたい・・という生徒達が出て来るのは、当然の話です。
そういった生徒達は、学校教育とは対して変わらないculture‐schoolの延長から、意識を直さなければなりません。
芦塚音楽教室を開設して、音楽に進む生徒達が増えてからは、音楽という職業はどういうものか?というお話を、一般的な風評の誤りを正すというとてつもなく面倒くさい事から始めなければならなくなってしまいました。
今、テレビで松たか子主演の「Quartett」という番組が始まって、その名前に釣られて、あらすじを読んでしまいました。音楽のproとして、チョッとだけ技術力が足りないmemberが、バイトをしながら、あちらこちらで演奏活動を続けている恋愛模様のてんこ盛りです。
最初は、チョッと笑ってしまったけれど、良く振り返って考えて見ると、音楽大学を卒業した人達は多かれ少なかれ、そのように思っているのかもね??と、考えさせられてしまいました。
留学から帰って来て、演奏活動の場もなり人達に良く「演奏する場所が無い!」と相談されるのですが、「じゃあ、私達とコラボしませんか?」と声を掛けてあげても、それで来た人はいません。
今は、音楽活動を諦めて、音楽大学の先生をやったりしているようですがね。
一番多いお話は、「Classicでは食べていけませんよね??」というお話ですが、Classiconlyで50年間生きて来た人に聞く話ではないと思うし、私は音楽教室で子供を指導して、そのお金で、食べているのでは無いですからね。音楽教室では、演奏活動もbaroqueのconcertも、禁止されているので、(収入のための演奏活動ではないので、有限会社の活動としては、法務局が認め無いのです。勿論、演奏活動を個人の立場でやるのは構わないし、有料で演奏活動をするのは、法務局の指針に沿っているのでもっと問題はないのですがね。)私の個人的な財産で、その演奏活動をやっているのですからね。音楽教室は私にとっては、趣味の世界なのですからね。
親は学校で真面目に勉強する事が、子供に大人になる、或いは、社会人になるsomethingを与えてくれる・・と信じて疑いません。
私も、或る分野では、それを否定はしません。
その或る分野とは、子供が将来の目標を持たず、良い(この場合の良い‥・という意味は名の売れた一流と言われている・・という意味です。何故ならば、目標を持っている場合には、良い大学の意味は有名大学ではなく、良い研究をしている・・或いは、良い指導者のいる大学に変わるからで、そういった大学は必ずしも有名大学ではないからです。)大学に進学し、何処でも良いから一流企業に就職して、将来を期待される男性と結婚する・・とかいう目標です。
学校教育では、子供用にデフォルメされた教育教材をデフォルメされた技術で、サワリならばまだしも・・そうではなく、導入の一部の良いとこ取り・・だけを、指導します。
私は、昔は、それが音楽の分野に限った話だ・・と思っていたのですが、大学の講師時代に美術や、演劇等の色々な分野の人達と親しくお話をする機会があって、そういった学校教育の問題点を話た時に、それぞれの分野の人達が、全く同じ悩みを抱えている事を知りました。
文部省でしか有り得ない、日本の放送界の音楽の発声法による、合唱concours等、Classicに人達の目から見ると、理解し難い独特の発声法なのですが、それが合唱教育としてまかり通っているのですからね。
それが、中、高生のボランティア活動等も、会社見学等も同じなのですよ。
1月25日 21:12 ·
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.3」
「私が音楽の道に進んだ人生の間違い」
一般的には、音楽家equal演奏家と思われる事が多くて、私が一番、よく人に誤解される事は、私が「演奏家・・、つまり、proのPianoのsolisteになりたくて(表舞台で活躍したくて)、音楽大学に進んだのでは??」※)という大きな勘違いです。
実は、私は(小学生の頃から、基本的には対人恐怖症なので)人の前に出る事も、外で演奏活動をする事も好きではありませんでした。
私が音楽大学に進んだ最大の理由は、中、高生の時に読んだ作曲家の伝記による勘違いで、「作曲家は竹林の七賢人のように、孤独で孤高の存在である」・・と思い違いをしてしまったからです。
「上手な演奏と人を感動させる演奏」
私自身は人の前で演奏するのが好きではないので、ほとんど演奏活動をした事はありませんが、それでも、やむにやまれぬ諸事情で、外で演奏をする事があります。
演奏会では、不思議な事に、とても優れた演奏でも、良い演奏であったとしても、基本的には、audienceの側からのrepeatが掛かって来る事は稀でしょうかね。
それぐらい、Classicの音楽は、非日常的であり、ツンデレの世界かも知れません。
しかし、私が外で演奏活動をすると、必ず、私に演奏を依頼した人達や聴きにいらしてくださった人達から、次の演奏へのrepeatが掛かります。
私の大してうまくもない演奏や指揮に、repeatが掛かって、私よりも数倍も上手な演奏家達の演奏や、proの人達の演奏に対して、repeatが掛からないのは、とても不思議なのですが、それを熟考してみると、その違いは、私と日本の演奏家達との音楽に対する姿勢の違いだと思います。
それは、私の演奏のconceptが、「上手な演奏ではなくて、人の心を感動させる演奏でなければならない」という事を目標にしているからなのです。
「ミスのない、上手な演奏を、演奏の目標にするのではなく、clientからrepeatの掛かるような演奏でなければならない」・・というのが、私のconceptなのだからです。
でも,「人の心を打つ演奏」というと、よく「聴衆に媚びた演奏」と、勘違いされる事が多いのです。
大衆の好むイージー・リスニングの曲や、Classicであったとしても、非常に有名な曲だけを集めて・・・、etcです。
しかし、repeatの掛かる演奏と言うのは、audienceに対して媚びる演奏では、絶対に有り得ません。
媚びる演奏をすれば、二度と演奏のorderは掛かって来なくなります。
音楽を勉強している人達の多くがそこの所が分からなくて、悩んでいるようです。私達に取っては、何故悩むのか・・さえ、分からないのですがね。心の落とし所が違うと、本当に別世界になってしまうのですよネ??
私が子供達に何時も厳しく言っている言葉も、「上手な演奏ではなく、人の心を感動させる誠実な演奏でなければならない」・・という言葉なのです。※)
子供達がひたむきに誠実に音楽に立ち向かって演奏しているのならば、必ずrepeatが掛かって来るのですよ。
この文章の冒頭でも述べたように、私は、人と協調するのが小学校時代からとても苦手で、芸術家は「自分の部屋に閉じ籠もって作曲だけしていれば、自己主張や自立した生活が出来るのでは??」というとんでもない勘違い・・から、音楽の道に進んでしまったのですよ。作曲家とは、音楽界のリーダー的な存在であり、社会的な活動の中心であるとは、Genzmer先生に指導されるまでは、思っても見なかった事した。
・・という事で、私の日本での音楽大学時代は、周りの学生達は、演奏家は楽器の演奏だけが優れていれば良いので、自分達は「練習だけしていれば良い!」という勘違いをしている学生がほとんどでした。
他校の大学の作曲科の学生や、美術大の学生、演劇大学の学生達と飲み会等で交流をすると、お互いの意志が通じるのですが、自分の音楽大学の学生達とは全く意思の疎通は出来ませんでした。
つまり、音楽大学では友人は一人も出来なかったのですよ。また、高校時代に大病をした時の後遺症が治りきらずに、授業のための教室の移動で大学の階段を2階、3階まで登るのもしんどくって、踊り場のベンチに休み休みしながら、教室を移動していて、学校の教務課の先生達や校務医の先生は「大学を卒業は出来ないだろう?」という事で、東京での親戚の叔父と一緒に、大学在学中に死んでも、大学は一切責任は負わない、という書類に署名をさせられました。やはり、高校時代の後遺症で、音楽大学時代にも、半年程、大学病院に入院したり・・しました。
大学を卒業して、Münchenに留学したら、学生のほとんどは私よりも歳上だし、殆どの学生が男性だったし、皆がproを目指している人達だったので、人生の目標が皆同じだったので、友人もいっぱい出来て、話も通じるし、牛乳もビールも添加物は入っていなくって、空気は乾燥していたので、ヨーロッパの生活は結構住みやすくて、体調もすっかり、戻って健康になってしまいました。
免疫力と言うのは、本当に、自分の気力が充実しているか否かの問題なのですよね。
音楽大学では、「明日まで、生きているだろうか??」と言われて、大学病院の先生からは「30の壁までは・・」言われていた私が・・、留学をする時には、「生きては帰って来ないだろうかな?」と思って送り出したお袋が、健康になって帰国した私を見たのは、Genzmer先生の厳しい、周りの学生達に「よく生きているね!」と驚かれるようなlessonのおかげだと思って言ます。
それでも、留学中の生活を続けるには、二つだけ、大問題がありました。
その一つは、日本の学生時代に留学のために溜めていたお金が、底を付いて来た事です。そこは養父に、「歳を取って、働けなくなったら誰が面倒を見ると思っているのだ!」と脅迫をしたら、「そこまで思ってくれているとは思わなかった!」と感激されて、最後の1年間の生活費を出してくれる事になりました。
二つ目の問題は、Genzmer先生に、「作曲家は総ての音楽家を統率する役目を持っているのだよ!」と、引っ込み思案の私に対して、「もっと、積極的に音楽家達を統率するように」と、諌められた事です。
時代は遡りますが、確かに、日本の音楽大学での学生時代の時でも、NHKのconcertmasterでもある先生達と管の生徒達と、一緒に飲みに行ったりすると、先生が私に対して敬語で喋って来るのです。そこで、先生に質問をしたら、「演奏家は常に作曲家に対しては、尊敬の念を持って接しなければならないからです。」と言われて、「学生であっても、作曲家は作曲家だからね」と言われた事を思い出しました。特定の先生ではなく、演奏家である先生達皆がそうだったのですよ。つまり、当時の大学の演奏家でもある先生達は、そういう意識と気概を持っていたのですよ。
München時代のお話に戻って、italiaの作曲の国際concoursに一位を取った時も、Genzmer先生は、「君はPreisträgerなのだから・・」と、その後は1人前の作曲家として、扱われて、敬語でお喋りをされて、とても困った事があります。
自らが世界的な人達はそういった謙虚さを持っているのですよネ。本当の自信がない人達は、その自信の無さを威張る事で補うようですがね。
日本に帰国してから、NHKの子供向けのお話の音楽を頼まれた時に、有名な童話作家の女性の方と打ち合わせをしたのですが、番組で用いる音楽対して、その作家先生と大喧嘩をしてしまいました。「その先生のために、毎週、私が音楽を提供するのは、私にとって感情的に許せない」・・と言う事で、私を紹介してくれた人には大変申し訳なかったのですが、その有り難いお話はお断りしてしまいました。
日本での私の職場を探すために、色々なorchestraや指揮等の現場、録音スタジオ等にも出入りをして、生活のために、小銭を稼いだりして見たのですが、やはり、そういったマスコミ系の仕事は私には向いていない事が分かりました。(でも、マスコミ系の仕事は、直ぐに家が建てられる程に、小銭でも稼げたのですよ。でも、大学の時のバイトと同じで、やはり、そういった場所でのタツキはあぶく銭にしかなりませんでした。幾ら稼いでも、貯金も出来ないで、飲み代として、消えて行ってしまうのですよ。つまり、稼ぎも大きいけれど、その分、生活も派手だ‥・という事です。
次に大学に就職する事を考えたのですが、実際に、の大学講師室に行って見ると、何もしない日常と安定した生活で、ほのぼのとしてしまって、大学は演奏界の現場の仕事に疲れた人達にとっての保養所であるか、最初から、現場の厳しさに耐えられないお嬢様達の地位を約束する場所・・という気がしてきて、それでも、幾つかの大学に一応努めては見たのですが、「自分が堕落してしまうから、絶対に5年以上は勤めない」・・と、自分に厳しく諌めて、それを守って、5年目には総ての大学に務める事を止めてしまいました。
世の中とは面白いもので、無職の時や、大学の講師をしていた時には、音楽大学生や音大の卒業生達が私の元に、大学で物足りない‥・という事でlessonを受けに来ていたのですが、音楽教室を作った途端に一人の学生も、そういった理由では来なくなってしまいました。音楽教室の経営者である私は教えを請う人間ではなく、就職の場所にしか、過ぎなくなってしまったのです。
その他にも、本を出版したり、何をしたり、蟹をしたりと、色々とやってみたのですが、その何れの職業も、私のlifeworkとするには程遠かったのよね??
困った事に、男性には、結婚という就職先はないしね・・??
えつっ??あるの???
そう言えば、そんな話もあったよね??アハッ!
※)ご存知の方も多いと思いますが、私がPianoを習い始めたのは、大学病院に1年間、入院した後の高2の時からです。(ですから、実際には1年ダブっているので、通常なら高3の年齢になります。)
音楽大学に入るために必須であるPianoを水準まで持って行くために、受験高校であった高校の授業が終わって夕方の補講が始まる前の4時には、学校を自主退校して、それから全くトイレにも行かないで、9時過ぎまで猛練習をそれこそ毎日休まないでしました。
日曜日は練習の不足を補うために、朝の9時から夜の9時までぶっ通しで練習しました。
学校の補講は、早朝の補講が授業が始まる前の6時から9時までと、4時から9時まであったので、「練習が大変だ!」という意識はありませんでした。
学年主任の先生は、「音楽大学と言えども、文部省の指導要領に従わなければならないので、高校の音楽の授業をちゃんと受けていれば音大には合格出来るはずだ!」ととんでもない事を言って私や担任の先生を困らせました。
担任の先生は英語の先生ですが、大学では心理学を専攻した先生で、フロイドや仏教哲学を教えてくれました。
音楽が好きなので、私の受験の事情を良く理解してくれて、音楽の先生と共に、出席日数を計算して、休みの取れる期間を出してくれて、「大学病院で診断書を貰って来なさい!」と言ったので、大学病院で主治医の先生に「先生、診断書書いてください!」「どれくらいの?」「絶対安静で、即、入院の・・」というと直ぐにその場で書いてくれました。
早速高校に持って行くと、担任の先生が、「誰にも見つからないように、即、東京に行きなさい」と言われたので、その場から、駅に直行して東京へ出かけました。
従兄弟の知人の方のPianoの部屋を借りて、それこそ朝の9時から夜の9時まで、毎日、3ヶ月、トイレにも行かないで練習を続けました。
夜、9時に下宿に帰る途中で一日一回の食事と、風呂に入って、それから2時頃迄は和声学や音楽理論の勉強をしました。
作曲の先生の所には、お父さんが有名な作曲家で某有名音楽大学の教授でお兄さんが現役の音大の作曲科の学生で、私と同じ大学を受験する女の子がいて、8月頃に始めてその先生の元で一緒に勉強をした時に、「まだそんな所をやっているの?」と嫌味を言われてしまいました。
受験直前に、再び、「あなた、何処をやっているの?」と聴かれたので、「お前、未だそんな所をやっているのか?」と半年振りのしっぺ返しをしました。
「本当に嫌なヤツだ」と、我ながら思いますネ。
そして大学では4年振りのたった一人の作曲科の学生と言う事で、音楽大学に入学出来て、憧れの日本でただ一人の外人教授であるPringsheim先生の門下になれたのですが、授業は甚だ不本意なもので、しかも、大学の雰囲気は、華やかで艶やかで、「これは単なる花嫁学校ではないか??」「こんな勉強をしていたら、音楽でproになるのは不可能だぞ??」と、すっかり大学の授業に失望してしまい、憧れのPringsheim先生との仲も険悪になって、2年次には、中途退学を考えました。
西武グループの顧問である平田先生から、「何処かの大学は卒業していた方が良い」とadviceを受けて、「留学するための下準備をしよう。」と思い直して、Pringsheim先生とも仲直りをして、大学を私有化して、留学に望みました。
しかし、この間に、Pianoや作曲に対する情熱は、すっかり醒めてしまって、pianistである条件の毎日休まないで、数時間は練習をするという気力は失われてしまいました。
それに、音楽教室を開設するにあたって、「母校の卒業生でも雇ってあげようか?」と思ったのですが、就職課の先生達の余りの、生意気さに辟易して、「母校の卒業と言う事で大学のお世話になっているのだから・・」と言われて、「俺の最終学歴はMünchenだよ!」と捨て台詞を吐いて、申込み用紙をその場で破り捨てて帰って来ました。
私自身、留学から帰国して、既に50年も経ちますが、一度も日本の音楽大学の事を履歴にも、書いた事はありません。
音楽を職業とする限り、日本の音楽大学の履歴は、proの世界では必要はないのです。
日本のproオケでも、音楽大学以外を卒業している人の数は非常に多いのですからね。
1月26日 9:14
少しでも、読みやすくなるように、行間を開けたり、文章の修正をしていたら、文章がブッ飛んで、写真だけになってしまいました。編集履歴から、コピペして、元に戻したら、読みやすくするための作業が全部消去されていました。要するに、メモリー・オーバーと言う事なのかな??
1月26日 9:19
1月27日 9:48 ·
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.4」
「上手な演奏と心を打つ演奏」
一生懸命に練習を積み上げて、本人にとっては演奏会では上手に演奏出来た・と思ったのに、audienceからは「不誠実な演奏だ!」と評価された演奏家がいます。
小さな子供の演奏であるのに過ぎないのに、その演奏を涙を流しながら聴き入っている老夫婦がいるケースがあります。勿論、演奏している子供の家族や近親縁者ではありません。※)
ヨーロッパには、proを目指して必死にconcours荒らしをしているpianistに対して、concours‐pianistという、その姿勢を揶揄する言葉もあります。
その違いは何でしょうか?
※)このお話は極めて例外的なお話の場合だけです。一般の社会では、学校主催、教育委員会の主催を除いては、子供が一般の社会の対外活動を出来る可能性はありません。子供で対外出演を依頼されても、それは先生達に対してのofferであり、子供の出演を想定したofferがあった事はありません。その事は八千代の対外出演の演奏会でも同じ事なのです。子供でもproと同じ水準で演奏出来るのなら・・という絶対的な条件が断固としてあるのですよ。
「子供だから」という「甘え」は外の演奏活動にはないのですよ。
一生懸命に練習を積み上げる事が「誠実の証」と思って練習をして来たのに、それを認めて貰えなくて、悩んでいるpianistがいます。
音楽が機械的、即物的にならないように、一生懸命に情緒的、感情的に演奏したのに、「それは大衆に媚びた演奏だ!」と、先生に破門されてしまったpianistさえいるのですよ。
音楽に誠実に対峙していると思っているのに、そういった評価を受けてしまっては、立場がないですよねぇ~??
本当に、音楽を学ぶ事は難しい・・!!
一生懸命に努力をしているのに、不誠実と言われないように練習の方向性、或いは落とし所を、ちゃんと出来ると良いですよね~ぇ??
立場を変えて、音楽を学ぶ側、演奏する側ではなく、逆に指導する側である指導者の立場から言うと、練習も真面目で熱心で、曲の出来もそれなりに出来ているのに、・・その演奏に何かが足りない生徒がいて困ってしまう事があります。
それとは反対に、幼くって演奏もいまだに未熟なのに、心に染み入る演奏をして来る生徒もいます。「下手だけど、うまいな~あ~!」と唸らせる演奏をする生徒です。
指導をしていて、「年齢に関係無く・・・??」人を感動させる演奏が出来る生徒がいる・・という事は、それはその生徒の才能なのでしょうか??
アハッ!
・・そういってしまうと、指導者としての「敗北」を認める事になるのですよ。
確かに、何事につけても、感の良い子はいます。反応の早い子供はいます。それと、何度同じ事を教えても、理解出来ない子供もいます。ですから、先生によっては、そういった反応のよい生徒を依怙贔屓する先生も多くいます。・・でも、それは、生徒の性格のようなもので、lessonは反応の良い生徒の方が楽かも知れませんが、生徒の将来的な成長と言う事を考えると、その違いは3年、5年後には無くなっていまいます。寧ろ素直さのようなものを持っている方が伸びが早くなるのは事実でしょうかね。
その場で、指導して直ぐに出来てしまうのだけど、次の週にlessonをすると、すっかり元に戻ってしまっている生徒よりも、ブキッチョで中々分かってくれない生徒でも分かった分だけは確実に自分の身にして行く生徒の方が結果的には、伸びが早いのですよ。
才能は育てて、得れるものなのです。
生まれながらの才能というものを認めている大作曲家は一人もいないのですよ。
(此処で、大指導者って言ったって、歴史上の話になると、誰が誰を育てたかは、分からないでしょう??でも、教室の弟子に書かせた指導者の系譜の論文には、指導者達の技術指導の歴史上の系譜があるのですよ。だから、作曲家の系譜同様に指導者の系譜もあるのですよ。)
あの、超天才のMozartですら、「音楽は才能ではない!努力だ!!」と断言しているのですからね。
BachやHaydn等の大作曲家になると、自分が努力の化身であると思っている事は自明の理でしょう??つまり、どのような大天才だとしても、人一倍の努力無しには、歴史に名を連ねる事が出来る分けはなかったのですよ。
では、どのようにすれば、人を感動させる演奏をする事が出来るのでしょうか??
この事については、明確な答えを、大Bachの大息子であるC.P.E.Bachが言っています。音楽史を勉強する者にとっては、超有名な言葉です。(後述します。)
そのためには、音楽と向かい合う前に、或いは、音楽を学びながら、自分の音楽に対する意識を一度振り返って見る必要があります。
あなたは、これまでに、音楽を聴いて、感動で、涙を流した事はありますか??
もし、過去に、そういう経験があるのならば、あなたは感動する心を持っているのだから、心を打つ演奏は出来るはずです。
もし「音楽は美しくって、心をなごませてくれるのもだ、という事は分かっているけれど、音楽を聴いて、涙を流すように心を揺り動かされた経験は無いわ・・??」という人は、・・・そういった経験が一度も無いのなら、それはあなたが神に依怙贔屓されている「人生を一度も悩んだ事のない、とても幸せな人だ!」と言う事が出来ます。
その場合には、演奏をする側の与える側の立場ではなく、演奏を聴いて楽しむ側の享楽する側の人に、自分の立場を変える事をお勧めします。
音楽が綺麗で美しいと感じているのならば、それはaudienceの立場です。音楽が心を揺さぶるものだと思うのならば、その人は演奏家に成れるでしょうし、ヒョットしたら、作曲家にもなれるかもしれませんよね??
先程書いたように、この言葉は、私の言葉ではなく、C.P.E.Bachの有名な言葉なのです。
エマニエル先生の口癖は、「人は自分が感動する事なく、他人を感動させる事は出来ない」という言葉で、その言葉は感情表出主義の言葉として音楽の歴史上でもよく知られている言葉なのです。
私の箴言集「ヨージーの法則」からの一文で、上級の生徒達に何時もお説教する言葉では、「99%の意識と1%の努力」という言葉をよく言います。
私はよく生徒達にお説教をしますが、そのお説教で「ちゃんと練習をしなさい!」と叱った事は一度もありません。
寧ろ、「やる気が無いのなら、練習なんてしなくて良いよ!」と真面目にadviceをするぐらいなのですからね。
「練習が嫌なら、3分間だけ、練習してみたら??」とか、「その3分も嫌なら、楽器を磨くだけで良いよ!」というadviceをします。
嫌々ながら練習して来た状態をlessonするよりも、何も練習しないで、来てくれた方が、手直しのしがいがあるし、先生と一緒に楽しく練習する事が出来て、それで充分上手になるからです。(私達の教室で、先生が生徒に対して叱らないのは、上手な指導は従わせる事ではなく、理解させる事に尽きるからです。)
「でも、時々芦塚先生は叱っている・・」って??
アハッ!バレたか??
ちゃいますよ!!芦塚先生が叱っている時は、マナーや危険な事をした時、周りのお友達に対して、嫉んだ時だけなのですよ。つまり、音楽上でお説教をする事、叱る事は全く無いのです。
そこは凄いでしょう??
演奏家の条件の先ず第一は、音楽が自分の人生の中で一番好きで、練習も楽しい、と思っている事です。
しかし、このselectが音楽大学の学生の大半(多分、90%以上の生徒達)が脱落してしまう事になります。
私がよく、学生達に言う言葉があります。彼らの練習の究極の目的が、「自分の演奏が上手だ!」と言われたい・・と言う事なのだからです。
演奏でも、上手な演奏が聴きたければ、CDで世界的なpianistの演奏を聴くか、私のように、computerに演奏させれば良いのですからね??(此処で、冒頭のconcours‐pianistという言葉が登場するのですよ。技術的には完璧だけど、人の魂を打たない演奏家の事なのです。)
技術的に完璧な演奏が、必ずしも心を打つわけでは無いのです。
音楽はオリンピックではないし、演奏家もathleteでは無いのですからね。
オリンピックのタイムトライアルのように、1分、1秒の速度を競争して、愉しむ人達も多いのですが、それはそれで、そういった人達でグループを形成すればよいのです。
音楽には色々な聴き方があっても良いのですから・・それはそれで構わないのかも知れませんよね??
でも、私は音楽を聴いて、「凄い」と思うよりも、感動をして、演奏者と一緒に涙を流したい・・派、なのですよ。
小さな子供達が老人の心を感動させる事が出来るように、真摯に音楽に対峙すれば、俗にまみれた私達でも、人を感動させる事は出来るのです。
よく引き合いに出すお話ですが、私達の教室に就職の面接に来た音大生に「教室のconceptとしては、音楽の楽しさを指導して欲しいのですが」と話をしたら、相手の音大生が烈火の如く怒り出して「音楽は楽しいものではありません。厳しく辛いものなのです!」と、切り替えされてしまいました。当然、「私達の教室は音楽大学ではなく、巷の音楽教室なのですから・・」と丁重にお断りしましたがね。
人の心を感動させるには、そういった心の落とし所の他に、私がlessonで何時も生徒達に指導しているような、「演奏の表現」が必要になります。
つまり、音楽を演奏する事で、人を感動させるための演奏技術(Technik)が、それなりに必要なのです。
それも音楽の勉強をする上で、音楽を演奏するためのTechnik(技術)と共に、学ぶべき・・音楽表現という一つのgenre・・なのです。
音楽が、言葉になるためには、テレビのドラマを見ていても、大根役者という言葉があるように、その表現の技術が、表面を真似るだけの心に至らなくて、絵空事になっている表現ならば、それは人を感動させる演奏は出来ません。
先程のお話の続きなのですが、テレビのドラマを見ていても、セリフが棒の役者さんや、動作のぎこちない俳優さんも多いのよね??
そういった台本の言葉の行間を読めないで、型通りにセリフを棒のように、(心を通わせないままに)話てしまう役者の事を大根役者と言いますが、同様に、技術が幾ら優れていても、演奏そのものが大根ならば、音楽の場合には棒弾きって言うのですよ!!アハッ!
日本の音楽の教育界では、指導は技術のみ指導される事が殆どなのだ・・というお話をproのpianistとしていたら、その人が「私は自分の生徒に、crescendoや、decrescendoも、ritardandoもちゃんと指導しているわよ!」と言っていました。そういった事が音楽表現だと思い込んでいるのだよね??
こりゃ~、話ても、無理だわ???
ドラマの台本でも、「ここはささやく様に・・」とか、「怒鳴り声で・・」とかのト書きぐらいは入っています。
でも、それを表現とは言わないのですよね~ぇ??
それで、「台本に忠実に囁くように喋ったわよ!」と言われても、それで、演技を表現した分けでは無いのだけど、それが分からないのですよ。
困ったものです。
あの手この手で、子供達に表現の仕方を指導していると、年齢に関係無く、未だ、心では未経験のはず(精神年齢的に)の表現が出来るようになります。小学生の生徒の方が、話が通じるようになるのだよ!
(つまり、「話が通じる」・・という事は、(私が年齢的にチョッと難しいお話をしても、)打てば響くように、話が通じるのは、必ずしも、年齢ではないのです。
小学生の生徒や、中学生の子供が、年頃の女性よりも、私のお喋りをちゃんと一言で理解出来るcaseも数多くあるのです。
つまり、そこの所が演奏の「心琴の部分」と同じなのですよ。
小学生の子供の方が、魂を揺さぶる演奏が出来る場合を多く見かけるのです。しかし、音大の演奏を聴きに行っても、そこで魂が揺さぶられるような演奏にお目にかかった事はありません。
つまり、音楽を魂として理解しようという姿勢があるのか否かです。Beethovenはこのように言っています。
Von Herzen-Möge es wieder-Zu Herzen gehn! 心から心に至らん事を!
そこが、演奏家に成れるか否かの分かれ道なのだけどね~ぇ??
何故、子供が大人の情緒や感情の表現が出来るのか??と言う事はよく反論される事です。
しかし、これもテレビ・ドラマで言われている事で、犯人役の人が、実際に人を殺さないと、殺人者の感情表現は出来ない・・となったら、誰も、舞台で演技なんかはやらないでしょうよ!!
テレビ・ドラマは、目線が近いので、演技をする時には、日常の動作や表現に非常に近いものがあります。
でも、同じ表現を舞台上でやると、左甚五郎の三十三間堂の龍のお話のように、青大将になってしまうのです。
私がよく引き合いに出すお話は、玉三郎さんの女性らしい所作に感激した谷町の人が、「私の娘はがさつなので、玉三郎さんの所で女性らしさを学ばせたいのだけど・・」と言ったら、玉三郎さんが、「私の女性らしさは舞台上の仕草なのですから、日常で同じ所作をしたら、とても奇妙な(eccentricな)ものになりますよ。」と言う事を説明した・・という話です。
音楽の表現も、オペラや歌舞伎のように、舞台表現なのです。
客席が30名ぐらいの、非常に近いsalonconcertのような場所から、100名200名ぐらいのミニホール、500名ぐらいの小ホール、1000名を越す大ホール、等々で、表現の幅を変えて行かなければなりません。forteやPianoのようなダイナミズムから、vibratoに至るまでの表現の総てが変わって来るのですよ。
ですから、テレビドラマのように、日常のコピー表現では、少し何かが違って来て絵空事の世界になってしまうのですよ。
役者さんに当て嵌めて見ると、薄っぺらな外面(そとずら)だけの表現と、感動を生み出す表現の違いが、目に見えて分かると思いますよ??
ある時に、お腹が痛くなって、病院に行きました。
病院の先生が「どのようにお腹が痛いですか??」と聞いて来たので、返答に窮していると、先生がすかさず、「キリキリと痛いですか?鈍痛ですか?それとも・・・」と、痛みの種類を30種類ぐらいの言葉で表現してきました。
流石は、医者だ!と感心してしまいました。それを「餅は餅屋」というのでしょうね??
つまり、「ここは悲しげに・・」とト書きに書かれていたとしても、その悲しげの表現は、結構無数にあるのですよネ??
それを文学的には、「行間を読む」とか表現するようですが、全く音楽表現の場合も、楽譜上に記譜された表現のための記号の裏の意味が読めなければ、演奏をするのは無理なのですよ。
正しく行間を読んで、それを音楽の演奏表現に当てはめて見ると良いのです。
でも、音楽を表現する場合には、その音楽を情緒的、感情的に表現する前に、その曲が作曲された当時の、正しい演奏様式や、時代様式に依るinterpretationが必要になります。
また、舞曲のような定まった演奏形態の場合には、そのdanceの持つ、特有のrhythm等を、そのstepにmatchするように演奏しなければならないのです。
audienceのように、受動的な聴き手の場合には、そういった知識は必要はありませんが、演奏する立場の人達は、そういった基礎的な知識をヨーロッパの人達と同じように共有する必要があります。しかし、日本人の演奏家の場合には、遠い外国の歴史的な話なので、「分からなくって当然!」という意識が、この21世紀になっても、未だにあるようです。
教室では、生徒が「この曲はどのtempoで奏くのですか?」と質問してきても、「この曲はMenuettだから、Menuettのtempoで奏くのだよ!」「baroqueでも、古典派でも、ロマン派でもMenuettはMenuettのtempoで弾くのだよ!」と言ったら、「分かりました」と言ってMenuettのtempoで弾いているのだがね??
Menuettはdanceなのだから、当然stepがあります。だから、baroqueの時代でも、古典派の時代でも、その踊りを踊るための・・stepのための、歴然としたtempoが存在するのですよ。
それを私達は絶対tempoと言っています。
(baroque-danceや、古典派の時代のMenuettの踊りは、いつでもYou Tubeで見る事が出来ますよ。)
しかし、その話をすると、日本人達からは、必ず、「Chopinのワルツは、Pianoのための曲であって、踊りを前提とした曲ではないから、ワルツのtempoやrhythmである必要はない!」という返答が返って来ます。
でもね、ワルツのtempoやrhythmで演奏しない・・という前提ならば、ワルツというTitleは付ける事は(作曲家的には)許されないのですよ。踊れるか否かは別としても、(ChopinのMazurkaのように、その曲で踊るには、短か過ぎる場合もありますが・・)その一つ一つのpassageは、その曲の独特のrhythmを持っているのですよ。それが短いから踊れないだけなのです。
3拍子だからワルツではないのですよ。ワルツのrhythmだからワルツなのですよ。
ヨーロッパの音楽を学びたいのなら、そういったもっと基本的な事を学ぶと「猿真似」と言われないで済むのだけどね??
一般の社会はとうの昔にglobalな時代に突入していて世界常識になろうとしているのに、日本の西洋音楽だけは、未だに日本独自の100年以上も前の「音楽事始め」の「猿真似」の時代の古い間違えた演奏法を後生大事に貫いているのですからね。
首を傾げてしまいますよ。
流石は家元制度の伝統を重んじる儒教の国民性ですね。
芦塚先生のお教室に入室以来、親子で沢山の変化がありました。
ハルマも私も譜面の見方を知らなかったので読めるようになって面白く感じるようになり、どこにいてもクラシックが流れると『これ誰々が弾いていたよね』と一緒に聞き入ってしまったり、以前よりも様々な音楽を聴いて楽しめるようになりました。
そして、前々から知っているバイオリンが上手なお友達の演奏を聞いて、以前程良いと思えなくなってしまった事がショックだったのですが、それは先生がおっしゃるように私が感動できなくなってしまったんだと気づいてしまいました。
とても勉強になります。ありがとうございます!
なかなか私の頭が固くて、子どもにはやきもきしてしまいますが、少しでも本人の『意識』が育まれるように応援していけたらと思います。
1月27日 23:03
こちらからも、有難うございます。
上手だと思っていたお友達の演奏がそれ程ではなくなった・・という事は、教室で勉強している多くの生徒達も同様に感じている事です。
それは音楽の技術が、お友達と同等か、それ以上になって来たという証になりますよね。
それと、日本人の国民性として、親方日の丸や寄らば大樹という基本姿勢があって、大きい所や有名な所に集中する・・という姿勢があります。ブランドに対する絶大な信頼等も、その一つではないでしょうかね??
行列の出来るレストラン・・というのがありますが、私は並んで食べるのが大嫌いで、渋滞も結構遠回りでも、避けて運転します。(何の話か??って)本当の名店と呼ばれる店には高くて食べには行けませんが、そこは行列は出来ないのですよ。・・てな話です。
つい先日も、某国立音楽大学の卒業生達の演奏会を聴きに行った教室の小学生の子が、「Vivaldiの春」の難しいパセージを「誤魔化し弾き」をしていた!!と怒っていました。
知らなければ、某国立の卒業生の演奏だから、上手な演奏だと思ってしまいますよね。昔の話ですが、I Musiciのsolisteのおばさんに、「あそこはなんでそう弾いたの?」と噛み付いた教室の小学1年生の女の子がいて、solisteの先生が、「練習不足なの!次までにはちゃんと弾けるようにしておくね??」と弁解していたそうで、冷や汗ものでした。I Musiciですよ!!
今まではとても上手だと思っていた日本人の演奏家の人の演奏がそれ程上手とは思えなくなって来た・・というお話も保護者の人達から結構頻繁に聴きます。
それは、普段、子供のlessonを聴いていて、無意識にでも、音楽の聴くpointが分かって来て、批判力も着いて来るからです。
しかし、感動が鈍くなって来た分けではありませんので、ご心配無く!!
要するに、本当の本物とイミテーションの見分けがつくようになったと言う事なので、本当の良い演奏を愉しめば良いだけなのです。
本当に感動出来る演奏には巡り合う機会は少なくなったとしても、本物の演奏で、感動するのは、深い感動なのですよ。
その点、日本には海外の非常に優れた演奏家の人達が多く訪れるので、生の音を聴く時も、良い演奏会に巡り合う事は、そんなには、難しくありません。
唯、良い演奏会になればなる程、チケットが取り難くなる事は否めない事実ですが、それも含めて楽しんでください。
1月28日 7:53
Hrm本人も私も本当の音楽の楽しみ方がわかってしまったんです。ありがたい事です。
その上手なお友達は頑張ってるし、本当に上手なんです。
でも
お教室での皆さんの演奏がカラフルに感じるのに、その時は色を感じられなかったんです。
今では心で音楽が楽しめるようになったんだと思います。
クラシックが流れると親子で笑顔になってしまいます。
発表会では息子の演奏の失敗が気が気でなかったんですが今では前程神経質にならなくなり、周りのお友達の音楽を聴くのがより楽しみな日になりました。
親子でもっと音楽を楽しんでいきたいと思います(^^)
1月28日 9:59
結構上手だと思っていたブランド的※)な演奏のメッキが見えて来るのは、lessonを受けている子供達だけではなく、そのlessonの風景を見ている親も同じに成長してしまいます。今まで上手だと思っていた演奏のボロが見えて来るようになってしまいます。(※)ブランドとは、どこそこ卒業とか**コンクール入賞とかのブランドです。)
某有名音楽大学の卒業生による弦楽オケのコンサートで、ヴィヴァルディの四季を全曲弾いたらしい。
自分達が今、教室で丁度ヴィヴァルディの四季を勉強しているので、模範演奏を聴くと言う事で聴きに行ったのだが、春の1楽章の最後から2番目のsoli部分で、ピヨピヨを32分音符を2つずつのスラーで弾かなければいけないところを、全部スラーにして誤魔化して弾いてた‼
子供たちは一生懸命練習してるのに「スラーでごまかして弾いてた‼」という事で怒っていた。
「夏」のtuttiの速いところは、32分音符1個とか2個分とかずれたまま弾いていて、ぐちゃぐちゃになっていて、「いくらなんでもそりゃないでしょ‼」と、聞いたてられなかった。
夏は、演奏がずれてしまって、お母さんでも分かるくらい酷いズレ方で、指揮者がいないとそうなっちゃうのかな?と思った。
「冬」の最初では、全員がトリルを入れて弾いていて、なんの曲か分からなかった。
というのがsrちゃんの感想です。
大人なので、技術的に難しい所はボロを出さないように、適当にそう言う風に聴こえるように、演奏してしまいます。
しかし、子供達にとっては、誤魔化し弾きは誤魔化し弾きに過ぎないのですよ。そこが許せない!!
そこの子供達のstoicさはとても大切ですよね。
次のお話ですが、[baroqueの演奏会]と銘打っているコンサートがあったので、[baroque専門かあ~!]と、楽しみに聞きに行ったのだけど、調弦はろくに合わせないままに演奏に入ってしまった。ヴァイオリンとヴィオラの二人のコンサートなのだけど、教室でお馴染みのカノンを弾いて、[ヴィオラで弾けないんならヴァイオリンで弾けばいいのに❗]と思って、とてもとても聴くに耐えなくて、10分くらいで会場を出てきてしまったそうです。
生徒から聞いたばかりの真新しい感想二題です。
2月3日 8:55
1月28日 22:37 ·
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.5」
「純正調と平均律のお話」
2,3日前の話なのですが、「椎名町詣で」に来ている上級生が、「近頃、Pianoの三和音の音がどうしようのなく汚く聴こえて困るのですよ。」という話をしていました。実は、その話は、耳が出来て来るとよく聞く話なのです。
「それじゃあ、Pianoの代わりに、Rolandの電子Cembaloでも買わないと、駄目かもね??」という返事を冗談にしています。※)
弦楽器の純正の和音の響きに慣れて来たのですよ。
つまり、耳が育って来て、平均律と純正調の音の違いを聞き分ける事が出来るようになったのですよ。
これも音楽的な「Niveau」が上がって、音の違いが分かるようになった・・と言う事なのです。
※)冗談ではなく、本当は正しい音感を身に付けるためには、純正律の和音が出来るKeyboardを身近に置く事はとても素晴らしい事です。こういった楽器が発売されるようになったのは、21世紀に入ってからの事なのですからね。私達が勉強して来た時代には、そういった純正調の音を出す楽器は存在しなかったから、Cembalo等で小一時間も掛かって調律しない限り、その響きを体感する事が出来なかったのですから・・・。
(本文に戻って・・)
それなのに、音楽大学では、「音程が悪い」と言って、先生が調律もまともに出来ていないPianoで、一個一個の音を合わせて、演奏をさせているのには、呆れてしまいます。
だって、同じFの音一つ取っても、C DurのFの音と、Des DurのFの音は違うし、ましてや、moll(短調)になったら、もっと、修正をしなければならないのだから、Pianoの音に合わせて、音をとる練習をする‥・という事は「音感を悪くする」事にほかならないのですからね??
以前、Facebookやhomepage上で、orchestraでは、A管のclarinetやB(♭)管のtrumpetや、果てはF管のhorn等の楽器を一緒に音を出すので、一つのAの音だけ出す事でも、音を揃えるのは大変なので、orchestraでは基本的に平均律の音になる・・というお話をしました。
では、純正調の音で演奏するのは、baroque時代や古典派の限られた時代だけなのでしょうか??
否、これが違うのですよね??
優れたorchestraになると、ロマン派や近、現代の音楽でも、同族の楽器の演奏の箇所では、純正の響きをさせます。
弦楽器だけで演奏する部分や、管楽器だけのpartでも、同族の楽器の場合では純正の響きをさせるのです。
そのために、Wagnerは総ての管楽器に、独立してQuartettで演奏出来るように、不足している楽器に新しい楽器を作り、それぞれの楽器が独立してharmonyを演奏する事が出来るようにしました。
また、純正調の響きは、そういった高度なTechnikを持っているproのorchestraだけのTechnikなのではなく、amateurである日本の一般大学のグリークラブの合唱や、趣味のamateurの合唱団でも、チョッと水準の高い演奏団体になると、純正の響きを極、普通に聴く事が出来るのですよ。
(ですから、平均律しか教えようとしない音楽大学の姿勢には、甚だ疑問を感じてしまいます。)
では、何故、音楽を教育する場である音楽大学で純正調を指導しようとしないのでしょうか?
・・答えは簡単です。
それは、音楽大学で指導している先生達が純正の響きを聞き分ける事が出来ないからです。
では、楽器の専門家であるはずの先生が何故、純正の音を取る事が出来ないのか?
答えは、すこぶる簡単です。
それを習って来なかったからです。
通常、ensembleを高校や大学で学んだとしても、はそれ純正調で演奏する分けでは無く、もし純正調で学んで来た先生がいたとすると、相当に優れた和音感を持った先生の元で勉強する事が出来た、運の良い極稀な学生であったのですよ。
という事で、それぞれの楽器を指導する先生が、ensembleを指導する分けでは無いので、それが、出来る先生はensembleや、室内楽を指導する先生、作曲家の先生、指揮の先生に限られて来るからです。
(この限られて来る・・という意味は、出来る可能性のある先生は・・と言う意味で、その人達ならば必ず「出来る」という意味ではありません。
またまた、困った事に、baroqueの曲を純正調で演奏していたとしても、常に純正調で演奏する分けでないという場合もあります。
教室のオケ練習でも、純正の響きの和音の音を、少し修正して演奏している場合があるという意味のお話なのですが、その中でも、純正の和音を特定の和音に対して、ワザと外して演奏する、「導音処理」というものがあります。
melodieの音が導音の音を演奏する場合には、純正の和音の響きの音で演奏するとかなり低めの音になってしまうので、和音の響きの音を犠牲にして、導音を純正の音ではなく、導音として高めに取らせる事がよくあります。
或いは、弦楽orchestraの導音の音楽は純正で響かせて、solo-violinの導音だけを、同じ音ではなく、高めに演奏する事もあります。
solo-pitchの導音versionの場合です。Tommaso Vitaliのchaconneのorchestra-versionの冒頭で、その響きを聴く事が出来ます。
ドイツ語の音名では、「C,D,E,F,G,A,H」と、最後の音が英語のように、Bではなく、Hになっています。ドイツ語の音名の場合には、Bは英語の音名のB♭を意味します。その理由はCの音を基音にした倍音では、第七音は、シの音では無く、かなり低めの殆どB♭に近い音が出ます。つまり、自然倍音では、シの音はB♭の方が正解なのです。教会旋法では、基本的には、6個の音で歌われます。
7個目の音は、終止の時に、導音として出て来るだけなのです。
という事で、「H」とは、引き上げられた音、「hebenされたhighな音」
つまり、導音処理された音という意味になります。
はてさて、「違いが分かる・・」・・というお話に戻って、よく耳にするMozartのEine kleine Nachtmusikや、PachelbelのCanonなのですが、世界のpro-orchestraの演奏でも、純正で演奏している団体と、平均律で演奏している団体があります。
一昔前までは、総ての演奏団体が、平均律で演奏していたのですが、period奏法で、古典に還る事が多くなったこんにちでは、periodの演奏団体でなくても、純正調で演奏するorchestraが増えて来ました。やはり、和音のpureさがダントツに違うからです。
当然、聴き手に取っても、「何かが違うのだけど、上手下手の違いなのかな?」というlevelの感覚的な聴き方と、「ああ、このorchestraは平均律で演奏しているのだ??」と、判断が出来るのが、この「違いが分かる音子の珈琲!」という事になります。
教室のthema曲であるPachelbelのCanonなのですが、初級versionでは、勿論、当然、一般的な平均律で演奏しますが、上級versionでは、日本ではproのorchestraですら採用していない純正調で演奏しているのです。(基本的な純正調の調律は、通常は、Werckmeisterの調律法や、Kirnbergerやmeantoneの調律法がありますが、調性の関係で教室では、その都度調律を変えて演奏しています。)
初級と上級では、まったくapproachのlevelが違うのですよ。
補足説明です。日本流の間違えた指導法では、音楽大学を受験する弦楽器の生徒のために、先生がPianoで音を叩いて、平均律の音を覚えさせます。
それで基本の音を覚えて、音楽のproになってから純正の音を覚えればよい!と曰わっている大先生もいます。
しかし、これは大変な誤解です。
先ず平均律の音と言うものは、存在しません。
大手の音楽教室等では、クロマティック・チューナーのようなもので、基音となるoctaveの音を、平均律で調律しますが、それぞれの企業でその半音階のpitchが微妙に違います。
優れたpianistは、専用の調律師を雇っていますが、それはactionの調整だけではなく、微妙に異なるpitchで自分にあったtuningをしてくれる調律師だからです。
私は個人的にはある大手の音楽教室の調律が結構嫌いです。その大手の音楽教室の調律師が調律した音は、音が詰まった感じがするからです。
ある時に、教室の近くの音楽教室から、その教室の調律師が「会社の調律コンクールで全国1位になったから、是非一度調律をさせてください」と言われて、「じゃあ・・?」と頼んだ事があります。
それで、調律が終わって、Pianoを弾いて見ると、モロ音が寸詰まりになっていて、「こりゃ、たまらん!」という事で、その日の内に、Bösendorferの調律師の人に、調律をやり直して貰いました。
それぐらい、人によって、調律のtuningの音は違うのですよ。
tunerのpitchがPianoのtuningの音と思っている先生は、とても音楽家とは言えませんよね??
pianistならば、少なくとも、「私は**さんのtuningが好きだわ!」というはずですからね??
少なくとも、ヨーロッパのpianist達は皆そう言いますよ??
私も、Cembaloをtuningする時には、時間がないので、基音のoctaveは、tunerを使って調律します。しかし、tunerが無い時には、自分で普通に調律するのですが、その日の気分で、皺寄せの音を決めます。
#系の場合には、使用したい調の関係で、B♭やEs、Asに皺寄せを持って行きます。
これは古典調律であるMetronomの調律でも同じです。
完全な平均律というのは有り得ないのですよ。
octaveを完全に分割したら、平均律にでもなると思っているのかね??使用する調の、3度や、5度に合わせて、微妙なpitchを補正するのだよ!!
それが分からないのなら、音楽の練習の前に、中学校の物理の授業からやり直しだわさ!!
2月7日 20:15
先程は基音のoctaveのpitchのお話をしましたが、追記で、octaveの関係のpitchのお話をします。
実は442のAの音のoctave上の音は絶対に884ではないし、octave下の音も221cycleではありません。
だからPianoの調律師の人達は、自分の感性でoctave上は広めに、下は狭めに調律をします。
だから、基音となるoctaveの上のoctaveはもう、オシログラフの領域ではないのですよ。機械のtunerでは、その補正はしてくれません。機械のtunerは計算値なので、octave上の音は、やはり884なのですよ!!だから、機械のtunerを使ってoctaveをそのまま調律すると、上のoctaveや2octave、3octaveでは、エライ事になってしまいます。
総ての弦楽器の奏者は、それを分かった上で演奏しているのではないですかね??それを知った上での弦楽器奏者でなければ、octave補正は出来ませんよ!!
それは世界のproのsolisteの演奏家は皆、ちゃんと守って演奏しています。あのPerlmanですら、ちゃんと補正をしているのですよ。(あの‥・という意味は、Perlmanは指が太すぎるので、その補正が、highpositionになると、音程の間隔が狭くなってしまうので、指の補正のpositionがどうしてもオーバーになってしまうのですよ。)
日本人の先生達は、そんな音楽の常識さえ知らないと言う事なのだよな??
そりゃ、・・・困ったもんだ!!
2月7日 20:22
チョッと前のお話に戻って、日本の弦楽器奏者の場合には、多くの奏者はvibratoを下に掛けないといけないので、positionを取る時には、正確なpitchではなくて、aboutな下の位置に仮想のpitchを取ります。つまり、aboutな下の「仮想のpitch」から上方へvibratoを掛けるのです。当然、そのpitchは「仮想のpitch」なので、そのpitchが正確なpitchであるはずは有り得ません。それにもまして音をPianoで探るという事は、自分自身で正確な音を否定している事になってしまいます。
では、もし、悲劇的にそう言った先生に師事した場合にはどうすれば良いのか?
答えは簡単です。
純正の絶対的な音は、それぞれの調の上にあって、定まった固定された一つの音ではありません。
ですから、Pianoのaboutな平均律の音は、その音と上の音の中間にあるのです。
平均律のpitchしか演奏出来ない人が純正の音を弾くことは至難の技なのですが、純正のpitchを弾きつけている人が平均律の音を弾くことは、純正の音の中間音を弾けば良いだけなので、すこぶる簡単です。
つまり、今弾いている調の中間音を弾けばそれがPianoの平均律の音になります。
先程のコメントでも言ったように、調律は或る調の上方と下方の五度をなるべく活かすように調律します。
・・そこで、何調の五度を助けるのかは、調律師の個性です。#系の人や、♭系の人、meantoneのように、#、♭を3つ迄の調を持って来る人、人それぞれです。
チョッと、注意をして先生の家のPianoの調律を聴けば、調律師の特性は直ぐに分かります。
より高度な技術は劣っている技術を凌駕するのは当たり前の事ですから、勘違いをしている先生を納得させるのはすこぶる簡単な話です。
そういったlevelの低い事を納得させるのは、要領の良さだけで充分なのですからね。
皺寄せは、私の場合には、面倒くさいので、一つの音にしますが、丁寧な人は、二つ、三つの音に少しずつ皺寄せをして、皺寄せが分からないようにする場合があります。
しかし、皺寄せの音が、三つともなると、もう平均律ではなく、KirnbergerやWerckmeisterの古典調律になってしまいますよね。アハッ!
2月5日 8:45
何度修正してもコメントの修正が出来なくなってしまいました。Facebookの不具合は、同しようもない!!
今日はオケ練習なので、もう、これぐらいにして、オケ練習の準備をする事にします。
2月5日 9:03
1月29日 4:54 ·
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.6」
「体の揺らしのお話」
基本的に日本の音楽教育では、体を揺らして演奏すると、先生に怒られてしまいます。これが、ロマン派のSibeliusのconcertoであったとしても、或いは、Kreisler等の近、現代の演奏家のValseのような作品であったとしても、体を揺らして演奏する事は、極端に忌み嫌らわれ、先生から怒られてしまいます。「日本だけなのかな??」と思っていたら、結構、世界中の演奏家でも、体を硬直させて直立不動で演奏する演奏家が多いようです。
体を揺らす事を忌み嫌う風潮には、それなりのちゃんとした理由があります。
体を揺らして演奏する演奏家の殆どが、意味も無く、陶酔して体を揺らすからです。
一番よく見受けるのは、pianistの場合で、椅子の上で上半身をクルクルとまるでワルツでも踊りながら弾いているように、回転させながら演奏する演奏家です。陶酔どころではなく、見ている方も船酔いして来てしまうようです。(勿論、演奏している音にも、微妙にその回転運動による影響が現れてしまうので、演奏している音もぐるぐると回って音の粒が変化しています。)これは演奏家の人達は絶対にしてはいけない演奏法なのです。
それは「揺らし」とは言わず、単に陶酔して演奏しているに過ぎないのです。
「揺らし」は感情的に、感覚的に揺らしてはいけません。
落語では、お客さまを笑わせるのだから、落語家本人は絶対に笑いません。当たり前でしょう??
若者達の「お笑い芸人」の世界では、大して面白くもない事にお客さんが笑わなかったら怒り出す芸人もいたりしますが、それは言語道断です。
「揺らし」をしてはいけない・・という理由には多くの理由がありますが、その一つに、例えば、violinの場合には、足のstanceを充分に取らないで、上半身だけを左右、前後に揺らす人達が多い・・・という事があります。
こういった揺らしは「揺らし」とは呼びません。
世界の演奏者が体を揺らす事をしない(或いは、情緒的感情的に揺らす)一番の理由は、「体を揺らす」ためのmethode(寧ろhow-toかな?)が無いからなのです。
(驚く事に、vibratoのmethodeもないので、色んな種類のvibratoを弾き分ける事の出来る演奏家が少なくって、困ってしまいます。)
それでも、二次大戦の前までぐらいは、古いbaroque時代のperiodの奏法が未だ伝承されていて、体躯の移動のmethodeも残っていたのですよ。
私が始めて、体の「揺らし」を学んだのは、ドイツで戦前に活躍したラバQuartettの1st violinの奏者であったラバ教授のMünchen音大の学生達への指導を聴講していた時でした。
そこで、ラバ先生の体躯の移動の指導(lecture)を見て、驚ろいてしまいましたよ。
何故??って、それは、体の「揺らし」が、日本の古武道の体躯の移動とまったく同じだったからです。
violinには、基本的には、「揺らし」のmethodeはないのですが、それは、体躯の移動をする時に、世界の音楽家達は、上半身だけで、「揺らし」をやろうとします。
そうすると、楽器が不安定になって、音にも影響がでます。
古武道では、上半身だけで体のbalanceを取ろうとすると、体の芯のbalanceが崩れてしまうので、そんなbalanceを取ったら、先生に、投げ飛ばされてしまうのですよ。
古武道の先生に、ぐるぐると曳き廻されて、上半身のbalanceが崩れた瞬間に飛ばされると、受け身をしようとしても、受け身が出来ないので、頭から落っこちて大変痛い思いをする事になります。
古武道の先生達は「姿勢!」とか、言葉では注意はしてくれないからね??注意をする前に、いきなり投げられて、それで終わりです。
「右に投げられる!」と思って、右への受け身の姿勢を取ったら、左に投げられて、とんでもないみっともない格好で投げられるのですよ。ものの見事に裏切られる!!素晴らしい先生のTechnikです。
「痛い思いをして覚えろ!」という事なのですかね。投げられる方はたまったものじゃあ、ないけれどね??
音楽のrhythmを感じる時には、足のつま先で、体全体で、rhythmを感じる必要があるのですが、体を揺らす事をtabooとしている演奏家達は、自分達自らが、体でrhythmを取る事が出来ないので、(日本の演奏家に限らず、世界の演奏家達も)、ついつい、舞台で前後、左右に歩いてしまいます。
それも、前、後ろに歩いて、元の位置に戻って来るのならば、未だ許される・・とは思う(?)のですが、そのまま、どっかに行ってしまう演奏家も多いので、笑えますよ・・?
(正しい体の「揺らし」が出来ないので、その場の感情的な動きなので、そう言ったeccentricな動きになってしまうのです。)
教室では、体を揺らす時には、必ず、bowingと体重の移動が、しっかりと連動しなければなりません。
感情や感覚で、体を揺らす事は、決して許されないのです。楽譜に指定されたbowingに從って、正確に揺らさなければならないのです。
そこの所のapproachが、世界の「揺らし」と、教室の「揺らし」のconceptの違いになります。
臍の下の「丹田」の部分を、大きなお皿に見立てて、その上に満面に水を湛えて、どんなに体を揺らしても、一滴の水もこぼれないように体躯を静かに移動させて、始めて体の「揺らし」というのです。
格好良いスポーツカーを買って越に行っている音楽家を捕まえて、「音楽家は車に楽器を乗せて走るのだから、楽器が痛まないように、車のダッシュボードに水を入れたコップを立てて於いて、水をこぼさないように走るのが、音楽家の車の運転なのだよ!」とお説教しておきました。
江戸時代には、武士の子供達は、冬の凍えるように寒い時に、溢れるばかりの水を入れた水桶を頭の上に乗せて、何度も歩く練習をさせられました。頭の重心がぶれないようにするための厳しい訓練でした。
今では、剣道もすっかりスポーツになってしまって、そういった重心の移動や体躯の動きの事を注意する指導者は皆無になってしまいましたが、昔はそういった体の姿勢や重心の位置を整える事がとても大切だったのですよ。
そしてその事は、violinやcello、或いは、Pianoの座り方もそうなのです。
教室にあるCembaloを作ってくれた古典楽器センターの佐藤さんが、話てくれた事なのですが、世界的に有名で、多くの弟子を育成したCembalistであるGustav
Leonhardt先生が、某有名音楽大学のCembalo科の生徒達を10日間lessonをする事になって、佐藤さんが通訳として、その現場に立ち会った時のお話です。
音大のCembalo科の生徒達は、「世界的なCembalistから何を教えて貰えるのだろう??」とワクワクしてlessonに臨んだのですが、その10日間のlessonは、一度もCembaloの鍵盤をtouchする事もなく、椅子の座り方のlessonだけで終わったそうです。
音大生達は、不平不満だらけだったそうですが、佐藤さん達に取っても、私に取っても、それは当たり前の事で、正しく座れない限り、正しいCembaloの演奏は有り得ないと思います。
時々、足を組んでPianoを演奏するpianistを見かけるけれど、言語道断だよね!!
勿論、violinもcelloもだよ!!
正しい構えで、……襲われた時には、瞬間的に逆襲出来るような体勢!…で演奏するのだよ!!音楽は格闘技なのだよ!
1月31日 15:51 ·
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.7」
「夢を叶えると言う事」
今日はオケ練習の次の次の日、つまり火曜日です。月曜日と同様に朝早く起き出してパソコンの前に座ると、意識が朦朧として1,2時間はtripしてしまう・・、それで慌てて布団に潜り込むと、直ぐに目が覚めて起き出して、パソコンの椅子に座るとそのままtripしてしまう・・という同しようもないroutineの日々を、もう二日間も続けてしまっています。疲れが普通ならば、熟睡すれば抜けるのでしょうが、中々良い眠り(睡眠)が取れないのですよ。どうも、眠ると、あちらでも別の世界があって、よしゃいいのにそこでも頑張って働いているようで、諸問題を克服しなければならないので、怒り心頭に発しているのですよね。夢の世界で疲れ切ったら目が醒めるのですよ。いや~あ、困った!困った!
今日は水曜日・・。
二日間、意識朦朧と混濁を繰り返していたので、流石に、今日は三日目なので、もう大丈夫なのだろう・・と思っていたのですが、何と、何と、三日目の今日も、やはりパソコンの前に座ると、意識が朦朧として来て、1,2時間程、時間がtripしてしまうのですよ。
という事で、中々本題の「教育とNiveau(水準)のお話」に入れない。
毎回、せめてintroだけでも・・・と思っているのですが、そのintroだけですら、書けない・・のです。
Mein junges Leben hat ein End!
若い頃には、こんなウダウダは思いも寄らなかった事なのですが、しかし、片肺飛行でよく此処まで歩いて来たものです。
私の考え方では、人生は総て意識の持ちようで決まる・・と思っています。
「ヨージーの法則」の「99%の意識と1%の努力」なのですが、「99%の努力」を良しとする、儒教の国民には、そのお話は通じません。儒教では努力のない所に、成果はないはずなのですからね。
ですから、同じ「ヨージーの法則」にある「望むのならば夢は総て叶う」という法則が理解出来ません。
この法則には、二つの条件が付きます。
その一つは、「望む」という事がDurst(渇望)すると言う事であると言う事で、二つ目は、潜在意識的にも「望んでいる」事が一番である・・という条件です。
「音楽家になりたい!」「演奏家になりたい!」いやさ「proに成りたい!」という人達の殆どがこの条件を満たす事はありません。
次には、Genzmer先生の言われた「人生での3回のchance」なのですが、「そういったものは訪れなかった。」という人達が多いようです。
そこにも、二つの理由があります。
その一つは、そのchanceが訪れても、気付かなかった!という人達です。
殆どの人達は、人生の分かれ道に差し掛かっても気づかないのです。
上のstageに居る人達には、その分かれ道が見えているのに、当人には、ただの道にしか見えていないのですよ。そして、より楽な道を選択して、苦労をするのです。
正しい厳しい道を選択すれば人生は楽になるのにね。
二つ目は、Genzmer先生の言われた人生の分かれ道と言うのは、私がGenzmer先生に師事していたのは、先生が60代の頃の話なので、「60歳までに・・」というお話だったのですが、実際には、教室の練習番号の付け方と同じ、或いは、ハインリッヒの法則と同じで、60歳までに、人生を分ける大きな分かれ道が三つあるのですが、その一つ一つに、また、中位の分かれ道が三つあって、その一つ一つに更に分かれ道があるのです。
女性の厄年は19歳、33歳、61歳で、その前の年を前厄、後ろの年を後厄と言って、注意を喚起しています。当然体の変わり目でもありますが、人生の変わり目でもあるのです。
その一つ一つの分かれ道の選択肢は、とても難しいように思いますが、それはありません。
殆ど、「望むのならば夢は総て叶う」という「ヨージーの法則」で、自動的にその人の望むように選択されてしまうのです。
ですから、もし本当に夢を叶えたいと思うのなら(願うのならば)自分の一つ一つの選択を、潜在意識に照らし合わせて、修正をしていかなければなりません。
しかし、その自分への修正をする人は殆どいません。‥・という事で、人生の夢を叶える事は、駱駝が針の穴を通るのよりも難しくなってしまうのです。
proを目指す人達は、どのようなgenreであろうと、師事する先生の影響を受けます。
どのように頑張って練習をしても、優れた指導者に巡り合う事がなければ、proになる事は困難です。
指導者の指導力の差が、生徒が同じ努力をしたとしても、技術や音楽性が身に付く事はありません。
そして、指導者の指導力の差が、学ぶ者の夢が叶うか否かの絶対条件になるのです。
この条件も日本人の音楽を学ぶ者達にとっては非常に難しい。
日本人の学びの姿勢は、江戸時代からの家元制度の学び方が身に付いているからなのです。
ヨーロッパの音楽を学ぶ人達(学生達)は、有名な演奏家が優れた指導者であるとは思っていません。
演奏家は演奏家で指導者は指導者という概念が定着しているからです。
日本の場合には、優れた指導者イクオール演奏家であるという妄想があります。
殆どの音楽大学でproの生徒を育てた先生はいないのですがね??
指導力と演奏力は別物なのですがね。
そこの所が分かっていない。
・・てな、proを目指す人達の話は、巷の音楽教室の先生である私には関係のない話だけどね??
2月2日 5:43 ·
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.8」
「アングル(Ingres)のviolin」
「天は二物を与えず」と言いますが、実際には二物どころか、三物も四物も持っている人がいて、妬ましく思えてしまうことがあります。
その代表的な人が、アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres 1780年8月29日フランスの南部 都市モントーバン - 1867年1月14日)という画家です。
アングルは(ロマン主義の代表的画家でChopinの親しい友人でもあったドラクロ( Delacroix)に対して、師ダビッドとともに)徹底的に古典主義を守った画家であります。
学校の教科書には「古典主義の画家である」と記されていたので、中学・高校時代、私は絵画の古典派の時代の画家とばかり勘違いをしていました。絵のタッチも古典派そのものでしたしね・・・??
アングルが、非常に優れた歴史的な画家であった事は否めない事実ですが、それと同時に、非常にヨーロッパ中に名前を轟かせたviolinの演奏家でもありました。
彼は、当時有名なviolinの奏者であったニコロ・パガニーニ(!)と弦楽四重奏を結成するぐらいのviolin奏者であり、ヨーロッパの辞書を「アングルのviolin」で引くと、「趣味の域を逸脱して、proとして・・と言うよりも既に名人の域に達している」・・という意味になるぐらいのamateurのviolin奏者でした。彼が主催する演奏会にはヨーロッパ中から彼の演奏を聴くために多くの名士達が集まって来た程です。
私の周りにも、そのように別に本職を持って活躍をしながら、演奏家としても、proよりも優れた技術を持ち合わせているamateurの人達が何人かいて、その演奏技術にはほとほと感心をする事がありました。
彼らの演奏は、本当にテレビ等で活躍している一流のproの人達よりも、もう一つ上なのですよ。
でも、そういった技術を持った人達が無名のままであると言う事は、音楽に勤しんでいる人達には理解出来ない事かも知れませんね。
殆どの音大生達が、技術を磨く事がproになる絶対条件だと信じて疑わないからです。
しかし、一般の大衆に知られている・・所謂、有名であると言う事と、優れた演奏家であるという事、或いは、優れた演奏をする人である‥・という事はまったく関係のない事で、全く別の事なのです。有名になる‥・という事は、有名になるためのプロセスを踏むと言う事であり、その実力や技術とはあまり関係のない事なのです。
ヨーロッパでは非常に優れた演奏家であるのにも関わらず、その人の研究しているgenreがmaniacでacademicであるが故に無名である演奏家はザラにいます。
period奏法の演奏家達(baroque音楽専門の演奏家達)もそうです。
私が未だ音楽大学の学生であった頃に手に入れたBärenreiter-Archiv版のHändelのviolin-sonateのRecordは無名の若手の女性violinistの演奏でしたが、ornamentも素晴らしく、violinの響きが本当に澄み切った「これこそHändel!」という秀逸の演奏でした。「こんな凄い名前の知られていないviolinistがいるんだ??」と当時は、すっかり驚いてしまいました。未だ、period奏法のない時代のBärenreiter社が自分の原典版を出版した時に、その音源として発売したRecordです。今から50年も前の話なのですよ。凄い!!流石はBärenreiterです。
violin等の弦楽器に限らず、ヨーロッパでは音楽は細分化され、より高度な専門的な技術を必要とするようになっています。
歌の世界でも、オペラ歌手とリート歌手、cantata等の宗教を歌う歌手は発声から全く違います。cantataの中でも、カウンター・テナーのような歌手はまた独特の発声法を駆使します。
そう言った一つ一つが独自の技術を要するのです。
さて、元の話に戻って、・・・しかし、天から二物を貰った彼らの演奏を聴いて何時も思う事は、その演奏上の何か(something?)が違うのだよ??
つまり、やはりそういった人達の演奏は、潜在意識的に、音楽がその人に取っての生きる糧ではなく、演奏の技術はとても上手なのだが、やはり音楽そのものがamateurに過ぎない・・という、心のどこかが、彼ら自身ではなく、よそよそしいのだよな??
まるで、音大生の音楽のように、心に染み入って来ないのだよ!
とは言っても、本職から転職をして音楽を本職にしてしまう人達も数多くいるので、このsomethingの話は込み入って来ます。
かの有名なコロラトゥーラの歌手であるリタ・シュトライッヒはお医者さんでしたし、数え上げれば限はないのですが、転職をして本職になってしまっているので、二物もへったくれもありません。音楽にどっぷりと体中浸かってしまっているのですから。
私が生徒達を指導する時に、よく言う言葉があって、それは「上手なamateurと下手なproでは、audienceはどちらを評価するのか?」という事です。
この問に一言で答えるのは難しい。
或るたった一つの曲に対してのみの場合には、amateurの人が演奏技術も、曲に対しての思い入れもproよりも優れている場合もあるかも知れないからです。
でも、program全体の総合的な評価となると、やはり上手なamateurよりも、下手なproの演奏の方が優れて来ます。
それは、amateurには、音楽の曲に対してのNiveauはあったとしても、音楽そのものへのNiveauはないからなのです。
超有名なproの演奏家と言えども、全員が歳と共に名人の域に至る分けではありません。多くの演奏家は或る歳を境にして、衰退の一歩を辿ります。あまりにも早い時期に天才の域に達した**もその最たる演奏家です。
しかし、当然、その逆の人達も多くいます。
歴史に名を残している名pianistのRubinsteinですが、私が音楽大学の学生だった時代には、派手派手しい演奏でそんなには好きなpianistではありませんでした。彼が60歳を過ぎて、新たにMazurkaの全集を出した時に、そのRecordを手に入れて、私は、彼は神になったと実感しました。それ迄の派手派手しい演奏が詩情豊かな演奏に豹変していたのです。コルトー然りです。
このお話は演奏に限ったお話ではありません。
Aaron Rosandのお話ですが、Aaron Rosandの音大生達への公開lessonを聞いて、典型的な3点支持のlessonで、日本の先生達とあまり変わらない、分かり切ったもう見え見えのlessonだったので、失望を禁じ得なかったのですが、3年後に再び日本に来て公開lessonをやった時に、私の生徒達がまたまた「聴講に行こう」と強く誘ったのですが、3点支持の下手なlessonを聴講するのは億劫で、「嫌だ!嫌だ!」と断っていたのですが、生徒が、「lessonの内容が全く変わったので、どうしても見て欲しい」・・と言うので、仕方なく、公開lessonに行って、マジに驚いたね!!
僅か3年で、全く完璧に私達の教室と同じ1点支持のベルギー派のmethodeに変えていたのですよ。60を過ぎて、自分のmethodeを完全に変えて来るそのvitalityに驚いてしまいました。
やはり、一流処は何処かが違うのですよネ。
そこがpro足る由縁です。
2月3日 3:52 ·
「寒い!北風が部屋に吹き込んで来る!!足が冷えて眠れない!!!」
この数日、北風が吹いて寒い日が続いている。私の住んでいるこの古いマンションでは、構造上の問題なのだろうか、北風になると、冷たい風が閉めきった部屋の中に吹き込んで来るのだよ。暖房を最大にしていても芯から冷えて来てしまう。部屋を温めるのを諦めて布団に潜り込もうと思うのだが、冷たい布団に入るのが億劫なので、意を決してテレビで宣伝中の布団乾燥機を買った。
勿論、古いタイプの袋に送風するタイプの布団乾燥機は持っているのだが、宣伝の文言の通りに、一々出すのが面倒で使わないので、冷たい布団に潜り込むのが億劫だから、ベッドを温める事のできるという触れ込みの今回の布団乾燥機を買った。
靴の乾燥機も持っているのだが、ポイントで貰ったもので、2時間掛かっても靴が乾燥しないので、靴の乾燥も出来るという宣伝に惹かれたのもある。
今日は、試運転で、タイマーが切れるまで布団を温めて布団に潜り込んだ。
ホカホカと温かい‼気持ちが良い!!
しかし、今日は一日中、ホカホカの厚手の靴下を履いていたのにもかかわらず、膝から下が氷のように冷たい。
体は普通に温かいのに、膝から下だけが氷のように冷たいのだ。
つまり、膝から下の血流が滞ってしまっているのだ。
こう言った状態になると、足は何時間温めても温まらないし、体も冷えきってしまうので、眠りにつく事も出来なくなる。
半ば強制的に足を温めなければならないので、これは、もう電気アンカの領域だよな⁉(まさか風呂で足湯でもないのでね??)
お袋には、以前、「足が冷える!」と言うので、通販の電気の足温器をプレゼントしたのだが、それすら面倒くさがって、一度も使ってくれなかったようだ!
その足温器は、残念ながら、私には、小さすぎて足を入れておく事が出来ないので、家を処分するついでに、一緒に処分してしまいました。
昔は、発泡スチロール製のお湯を溜めるタイプの足温器を使っていたのだが、お湯をそれだけ目一杯溜めるのが面倒くさいので、倉庫の肥やしになっている。
・・・という事で、せっかく温まった布団から、冷えきった部屋の中に起き出して、電気のアンカを取りに行かなくては……、と思ったのだが、それも寒くて辛い。
布団から外に出るのは諦めて、眠れるか?眠れないか?凍え死ぬか??・・成り行きに任せる事にしよう!!
人生、悩み抜いて、結果、運命を天に委ねるのが私の性格だからね??
今日も寒い!テレビでは、相変わらず、「大雪だ!」「関東地方にも雪が降る!」とか言っている。凍えるように冷えてしまった布団を、電気布団乾燥機で温めて、布団に潜り込んだのだが、膝から下が冷えて温まらないのでは、体中冷え切って眠れない。
と言う事で電気アンカを出したのだが、足が温まって来て、血流が改善されると、人間は勝手なもので、今度は低温やけどが心配になって来る。
そのために電気アンカの電源を切るために布団から出る気にはならない。
どうしても布団をでなければならない次のトイレタイムを待って、やむにやまれぬ状況で、布団から出ればよいだけなのだが、それ迄、体が冷えて行くのも堪らない!!これは、シーソーゲームだな??
2月12日 9:33
2月5日 6:26 ·
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.9」
私は、音楽大学を受験する高校生の時の1年間だけ、日本人の先生に師事しましたが、基本的には、日本人の先生に師事した事はありません。高校の1年間から、音楽大学に入学して4年間はPringsheim先生でしたし、それから直ぐに、ドイツに留学したので、作曲の先生はGenzmer先生と言う事で、常にドイツ人の先生でした。
日本に帰国して弦楽器を学ぶべく、始めて、日本人の著名な教授に師事をしましたが、そこで不思議に思った事は、教授が自ら尊敬するナバラ教授のmethodeを聴講出来た事や、その指導を私に説明しながら、私達への指導は、彼が受けて来た日本流の指導法を、何が何でも、追体験させようとする事・・でした。
上級の生徒にも、結局は、ナバラmethodeではなく、独自の全く違う奏法を要求しながら、初級の私達には、それとは無関係の、自分達が戦前に学んで来た、なんともおかしな奏法を要求して来ました。
まあ、それでも、石の上にも、3年間は辛抱してみたのですが、3年目に思った事は、「これまで3年間、私が彼から学んで来た事は、私ならば、一月で指導出来る」という事で、そのためのcurriculum「初心者のためのcello教則本」を書き上げて、江古田に来た大人の方に早速実践しました。
勿論、一月目には、Haydnの簡単なQuartettを皆でensembleが出来るようになっていましたよ。
この日本独特の、世にも不可思議な、「自分が初歩の時代に習った事を、自分の生徒に追体験させる」という非合理的で無駄な教授法は、最初は、「私の先生の癖なのかな?」と、思っていたのですが、実際には、私が師事したcelloの教授だけの習性ではなく、日本人の多くの指導者達に共通した指導法でした。
「自分はだけこれ無駄な意味のない練習に耐えて、根性だけで努力を積み上げて、今の自分が出来たのだよ!」「だから私の事を尊敬しなさい!」という意味なのですかね??
これはヨーロッパの人達には、考えられない指導法ですよねぇ~??
合理主義的なヨーロッパ人の気質には、そういった無駄を学ぶという事は有り得ないのですよ。
流石は、儒教の国、根性論の国です。アハッ!
無駄に無駄を積み重ねた涙の上に、目標に辿り着く・・ですか??
それは、私には、考えられん!!
私なら、自分が無意味に思われた練習法の疑問に思った総てを省いて、自分が信念を持って正しい・・と、言える事だけを、子供達に指導するのですがね??
そうすると、いとも簡単に楽に上達してしまうので、有り難味が湧かないのですよ!
だから、生徒達はそれが自分の能力と勘違いして、私や私のmethodeとして、認める事は無い。
methodeと言うものは、もっと習得に大変な時間と努力を使うものでなければ、払ったone lesson代の対価にならないのですよ。
そんなに簡単に手に入るものに、優れた物が有る分けはない!!
そう思われてしまっては、指導者は、生徒への教育の努力の割に、報われない。
それは損な事だよね。
それなら、日本型の根性主義の方が、先生として尊敬されて、お金も高額に取る事が出来るし、それが良いに決まっている。
音大の先生は3日やると、やめられないのだよ!笑いが止まら無い。追体験様様だよね!!
追体験は、指導者にとっては、生徒に根性主義的な無意味な努力を教え込むには、良い事もあるようです。指導者がそれだけの苦痛に耐えて、現在の地位を作って来た、という事を生徒に知らしめるだけでも、とても価値の多い事に思えるかも知れませんが、実際には、逆の学ぶ立場の側として考えると、大変な事になってしまいます。
一度、間違えた方法論を学ぶと、幾ら頑張っても、正しいmethodeを身に付ける事は、不可能になってしまうのですよ。
自分がこれまでに学んで来た事を捨てなければ、新しいmethodeが覚えられないとすると、今までの、20年近い努力と掛けたお金と、血と汗と涙が、総て無駄になってしまうのですよ。それなら、多少間違えていたとしても、過去を否定されないほうが良いに決まっているじゃあないの??そうだ!そうだ!!
まあ、私の性格上の問題も色々とあって、なるべく子供達や生徒達を指導しなくても良いように、・・・日本に帰国してから、先ず最初には、マスコミの世界で活動をしようかな?と考えて、マスコミの世界で仕事をしようと活動をしました。
しかし、その世界を知るに付けて、その世界に呆れ果てて、やむを得なくて、大学に就職をしたのですが、音楽大学で生徒を指導する時に、proのための演奏のTechnikを指導する前に、その生徒達が学んで来た間違えたmethodeを正して、基本に戻すのには4年では足りない‥・という事に気づきました。
つまり、大学生に何かを指導するのは、大学の4年間では、とても不可能!!・・と言う事に気づいたのです。
という事で、大学の講師生活は5年で止めて、生徒の指導はしない事にしました。その後の何年間かは、一人暮らしのニートを続けて、来た仕事を適当に熟すという生活をしていたのです。
マジ、作曲三昧の引き篭もりの生活で、放っておくと、1月間も、誰一人とも、口をきかない・・・人と会話をしない日もあったのです。それでも、生活が出来るから音楽の世界はやめられないのですよ。
私は音楽を生徒や弟子達に指導するのは、とても嫌いなので、大学の講師をやりながらの生徒指導は、やむにやまれぬ、ほんの2,3人の弟子と子供を除いたら、大学onlyで過ごしました。
最初から日本流ではなく、ヨーロッパのmethodeで、大学生ではなく、小さな子供達を最初から指導すれば、無理無く上達出来ると言う事は、理解出来たのですが、私は子供を指導するのは無理だと思っていたのでね・・??
この音楽に対しては、極めつけにstoicな私が子供達に、接する事が出来る分けはないでしょう??
それなのに、それなのに、文部省の口車に乗せられて・・。
「本当に優秀な人材は、企業に取られてしまって、教育時間の足りない短大生が教育の現場で教えているのだよ!」「だから21世紀の子供達への指導者は、優れた人材でなければならない!」「世界のコンクールで一位を取ったような人達が、子供を指導しなければならないのだよ!」なんて、あたかも、オレオレ詐欺のような口車についつい乗ってしまったのが、Pech!!の始まりなのですよ。
「Ich hatte Pech!」困った!訳語が無いぞ!!
どうすんべ~ぇ??
しらばっくれるか・・・??
音楽の道に進む事を決めた時には、「子供達や音大生を指導する、教育者にだけはなりたくない!」のが私の信条だったのですがね。
それがいつの間にか、音楽教室の先生をやっている・・、理解不能だ・・!!
まあ、そうは言っても、感情の世代、情緒世代の子供達(所謂、自我が発達し始める迄の、小学4,5年生までの子供達)の一途さは、私の憧れでもあります。曰く、その一途さを大人になっても、失わなかったのが、芸術家なのですよ。人間は成長するに從って、そう言った一途さは失われて来て、常識や利害や自我が優先されるようになってきます。私は中学生や、高校生の頃から、人の心の声が聞こえるようになって、とても苦しんだ事があります。「この人はこう思っているのだろう?」と思うのではなく、マジに頭の中に声が聴こえて来るのです。それが一番酷くなって、発狂するのではないか??と迄、悩んだのが音大の時代です。
しかし、不思議な事に、留学してGenzmer教授の元で勉学に励むようになったら、その声はいつの間にか、聴こえなくなってしまいました。
要するに、人が私の事をどう思っているのか??などと言う事は、どうでも良くなったのですよね~ぇ??
私の高校生の時に自費出版した詩集「ある少年のメルヘン」のsubTitleは、(ハンス・カロッサHans Carossaからの)「小さな植物には、あまりにも雨が降り過ぎる、太陽がきつすぎる」という一節でした。
結果的にはその恩恵にあずかれてよかったです❤️
2月5日 11:56
2月6日 3:21 ·
「きゃ~ぁ!大変だ!!帯状疱疹が、再発した!!!」
此処の所、体調不良が続いていて、深夜、悪夢※)に悩まされて、二時間、三時間の睡眠で、トイレに目が覚めてしまい、二度寝、三度寝をする事がどうしても出来なくって、寝るのを諦めてFacebookを深夜の3時、4時頃に更新をしたりしていたのですが、一昨日から、昨日に掛けて、どうも、その不快な症状が、帯状疱疹が振り返して来たのでは・・・??と思われるようになって来ました。
前回と全く同じ場所に、また同じような吹き出物が出来て、まぶたの上や、眉毛がゴロゴロと痒くなって来て、前回と、同じような症状を辿るようになって来ました。
・・・これで、眼球の芯が痛くなって目が開かなくなって来たら、本当の本物の帯状疱疹ですが、今、現在はどちらとも言えないので、未だ成りかけのきょうびの内に、病院に行って薬を貰って来ようかな??・・と思っています。
なにせ、今回は1週間以上も、ハイツの自室に引き籠もる事はschedule的に無理なのでネ。
帯状疱疹を引き起こす根本的な原因は、疲れによる免疫力の低下らしいので、良質の睡眠が取れない原因を探して、不眠や、浅い睡眠の改善をしなければならないと思っています。
そのための心地良い睡眠を導入する薬は、netで探して、随分前から、寝付けない時には、飲んでいるのですが、効いていないようですね。
※)悪夢とは言っても、魑魅魍魎が出て来る劇画調の楽しいお話とは違って、「現実の仕事がどうしても上手くいかない」・・という目覚めても、それが現実なのか、果たして夢なのか、しばらくの間は理解出来ない・・という困った夢で、結局、起きていたのか、寝ていたのかよく分からない、という夢なのですよ。
以前には、起きてしばらくの間も、夢とうつつのどちらが現実かが、分からないという事もありました。(夢の中で「こう言ったぞ‼」と怒って、現実に先生達を、お説教したりして…‼)
それにしても、二時間睡眠、三時間睡眠が続いているのに、よく生きているよね⁉
不思議だ⁉
心理学では、「摂眠障害の人は、無意識に仮眠をしている」…と、よく言われる事があるのだが、音楽という仕事柄、それは不可能だからね⁉
それに常に生徒や先生達とコミュニケーションをしなければならないので、一瞬でも、tripするとバレてしまうのでね⁉
音楽は100分の1秒の世界だから無意識の仮眠はあり得ないのだよ⁉
それはそうと、随分前からなのですが、手足の爪の厚みが薄くなって来て、驚いていましたが、近頃は、気付かないのに、爪が欠けていて、困ってしまいます。
Pianoを弾いて、黒鍵と白鍵の間の隙間に爪が引っかかってかがした事もあって、若い頃にはそういった経験がなかったので、すっかりめげてしまっています。
それもいつ欠けたのか分からないままに爪が欠けてしまう事に困っています。
歳を取って骨が脆くなって来ているのですかね??
私は、戦後の食料難の時代に生まれて来たので、美味しい食事よりも、今日の食べる物を‥・という、雑食で生きて来たので、骨粗鬆症には関係がないと思って来たのですがね⁉
足に至っては、右の人差し指の爪が、二度も、三度も剥がれてしまって、今も、半分くらいの長さなのですよ‼
私の足の指は、人差し指だけが長いので、よくぶつかって、爪を剥がしてしまうのですよ。
普段、とても目が疲れてしまうので、部屋の中ではメガネをかけないので、足元に物が置いてあっても、見えないのだよ‼
毎回動線上に物を置かないように注意しているのだけどね⁉
それでもいつの間にか動線上に物が置いてあるのでね??
ハイツの自宅では、深夜、トイレに起きる事が多いので、灯りを付けなくても、トイレまで歩いて行けるように、足元には特に注意をしているのだけど、皆が生活をしている事務所では、そうはいかないようだよな??
今日は睡眠導入剤の入っていない睡眠導入※)の薬を飲んで、(普段は効かないのだけど・・)朝の11時頃から夕方の3時半ぐらいまで、眠る事が出来ました。善哉!善哉!という事で、未だ病院には行けていません。はてさて、どうしたものか??いずれにしても、時間が足りない・・・!
※)病院からマイスリー錠を貰っているし、チョッと普段用には強すぎるので、ドリエル等の市販の薬を買って見たのだが、やはり、良い睡眠とは言えないので、・・睡眠導入剤の入っていないタイプの睡眠補助薬をnetで買ったという意味です。
2月6日 17:27
やはり11月から12月に掛けての帯状疱疹の、再発らしく、今日は、頑張って行きつけの病院に行って来た。
前回の薬は飲み始めても効きが悪くて、飲み始めて3日目ぐらいから、ドンドン病状が進んで行って、2週間ぐらい寝込んでしまったので、別の新しい薬を処方して貰ったのだが、話を聴くと、前回の薬の方が一番よく処方される薬で、しかも1番強い薬だったそうで、今回の新しい薬はそれよりも少し弱いということであった。
何れにしても帯状疱疹は薬では殆ど治療効果は無く、薬を飲んでも、「飲まないよりは、少しはマシかな??」というぐらいだそうで、「今日から薬を飲み始めたとしても、前回同様に、これからドンドン酷くなる事は覚悟をするように!」と言われた。
前回も右顔半面が腫れ上がって、お岩さんのようになってしまい、コンビニにも行けなくなってしまって、(当然、生徒にも顔を見せられない状態になったので、)今回も、「あまり酷いようだったら、皮膚科への入院!」という事も検討した方が良いそうだ。・・・という病院の先生のお話だった。神経に沿っての痛みなので、兎に角痛いのだよ!その時の顔の写真もあるのだが、「写真は絶対に公開しないように・・」との先生達からのお達しなので、非公開にします。
それと前回の血液検査では、体調も良くて、少しはマシだと思った血糖の値が、実際には逆に、*.*の***と非常に悪く、肝臓の数値も腎機能の数値も良くない!
ここの所の、どうしようもなく疲れて、意識が朦朧とするのも血液検査にしっかりと反映されているようだ。
まじ体調不良だ!!
いくら体調をコントロールして体をリハビリしようとしても、鬱状態で、精神的に追い詰められてしまうのならばどうしようもない。それじゃあ、免疫力を云々するまでもないわサ!!
2月9日 9:57
昨夜も、色々と、超、鬱の原因となる事があって、ハイツの自宅に帰ってからも、ベッドに入っても、眠れないままに朝を迎えてしまって、そのまま、諦めて病院が開くのを待って、薬を貰いに行って来ました。
病院から帰ったら、疲れ果てて、意識が朦朧として来たので、「これは幸い!」と摂眠導入剤を飲んで、もう、11時頃にはなっていましたが、ベッドに入って寝ました。
「取り敢えず、よく寝るように!」との病院の先生からの指示があったからです。
夢は相変わらず見ていて、夢と現実の落差がよく分からなかったのですが、それよりも、時計を見て、5時頃まで、熟睡出来たのは良かったのですが、その5時が、次の水曜日の午前中の5時と、思い込んでしまって、薬を飲む準備をしたり、食事の準備をしてしまいました。
ふと、思いついて、パソコンで日にちを調べたら、なんと、未だ、火曜日のまま・・(火曜日の夕方の5時)だったのですよね~ぇ??
まあ、なんだろね~ぇ??
マジに、ボケたかな??
多分、日光に当たらないから、体内時計がリセット出来ないだけだと思いますがネ??
2月9日 9:58
心臓が痛い!!
「魔女の一刺し」というと、ドイツ語で、「Hexenschuss」と言いますが、これはぎっくり腰の事です。
心筋梗塞の場合には、心臓に強烈な一撃(schuss)が来て、その場で、「絶命!」と言う事になるので、(運良く傍にAEDがあって、人が傍に居たら・・という稀な場合には例外が成り立ちますが)、基本的には、その場で絶命なので、魔女の一撃は成り立ちません。(竹林山の七賢人が、本当に七賢人出会ったなら、その山にその人達が住んでいた事すら・・誰も知らないだろうにね??)
死んでしまえば、その言葉は有り得ませんからね??
バイパス手術の後で、心臓の不整脈が酷くて、血圧も高血圧と超低血圧を繰り返していた時に、ペースメーカーの話になってしまって、すっかりめげてしまって、病院に行くのも億劫になってしまった時に、担当の先生が「心臓は1回でも、止まれば、それで終わりなのだよ!」と言われてしまって、納得は行ったのですが、「それで死んでしまうのなら、それでも良いか?」という気持ちになってしまいました。
心臓外科の先生ではなく、循環器の先生に担当が変わって、「血圧を下げる薬が強すぎて、その症状になっているのだから・・」という事で、血圧を下げる錠剤を半分に砕いて、飲み始めたら、血圧の極端な低下は無くなって、寧ろ、高血圧の症状のままでした。
4,5年経って、ある年の9月頃から、突然薬が効き始めて、それ以降は、心臓の細動も起こらないで、血圧も今までになく安定しています。(普段は・・、と言う事です。)
疲れが溜まって来たり、ストレスが掛かったり、鬱が酷くなると、てきめん、心臓に来るようですが、それは致し方ない事だと思っています。
心臓には神経が来ていないので、「心臓が痛い!」と言うのは、心臓の周りの筋肉が痛いのだそうです。
勿論、心臓の調子が悪くて、周りにその心臓の反射が起こっている場合も、そういう症状が起こるのだそうですが。
心臓が痛い!
今日は一日中、心臓が痛い!
・・・ようは、鬱なのだよな??
まあ、そうは言っても、どうしても今日が火曜日である事を何度も確認しないといけない。困った事だな!!
人間の最大の癒やしと言うのは、忘却だという事は知っていた??
2月9日 21:19
今日は牧野先生classのone lessonを千葉の花園教室でします。・・と言うのに、いつもの通りに、全く昨夜から眠れないのだよ!何度も何度も、布団と、椅子を往復しているのだが、(勿論、当然、薬も飲んでいるのだが)眠れないのだよ。困った!!「今夜も私は、眠れな~いでいると~!」
2月10日 8:18
普段のオケ練習では、1時にはlessonの開始なので、11時には自宅を出発して、椎名町から千葉へ移動しているのだけど、今日はオケ練習ではなくって、個人のlessonなので、生徒達の教室私に来れる時間の関係で、開始時間が遅いので、「11時までには、幾ら何でも、少しは眠れるのかな?」と思って、「1時間でも2時間でも仮眠が出来たら、その後の時間はなんとかなるのかな??」と思っていたのだが、その11時になっても、全く眠れない!‥・。いつものことなのだが、布団に入ると鼻が突然詰まって息が出来なくなって、それで、眠れなくなるのだよ!!起き上がると、鼻は普通に通るので、蓄膿症ではないか?と疑ったのだが、そうでは無いらしい。薬の飲み過ぎで、横になっていると、胃がムカムカする。これも、起き出すと治るのだよな??困った!!なるべく薬は飲みたくないのだが、そうも言っていられないしね~ぇ??
2月11日 7:08
・・・という事で、大渋滞もあったので、早め、早めにハイツを出発して、渋滞や雪の降る中をプリドルを連れて、千葉により時間を掛けて出発しました。上級の生徒達のlessonとなるのですが、殆どの生徒達は「あけまして‥・」というよりも、クリスマス会や、合宿でも会わなかったので、ほぼ2ヶ月振りという感じで、「お久しぶり~!」と再会を懐かしがるlessonでした。曲は、超難度のlevelの曲なのに、lessonもお久しぶりなので、結構、細かい注意が大hardなものでした。
まあ、夕方の5時からのlessonを始めたので、夜遅くなったとしても、それ程の時間を指導した分けではないのですが、それでも夜の10時の音出しの出来るギリギリまでの時間のlessonだったので、(・・その前日が全く眠っていないので、)途中で、体調が切れてしまい、帰りの高速を一人走っている時には、心がすっかりと折れてしまいました。それでも、なんとか頑張って、椎名町に辿り着いて、お弁当でも食べようと思ったのですが、食欲がなくなったので、タッパーに詰めて、ハイツに持ち帰りました。それは、まだ冷蔵庫に入ったままで食べていないのに、それなのに、この体重という奴は・・、ほんと、controlが難しいのだよな??
2月11日 7:05
土日は斉藤先生が四日市に出向なので、椎名町詣で組もお休みだし、プリドルも昨日のlessonの時に、ついでに花園へ連れて行ったし、珍しく、私は東京に、全く独りでいます。
「全く一人」という意味は、牧野先生は、土曜日は花園でlessonですし、仮に斉藤先生が四日市出向で、いなかったとしても、常にプリドルは椎名町には、居るからです。(ワンちゃんですが、やはり会いに行かないといけないので、結構、時間が拘束されてしまいます。)
という事で、珍しい私に取っては「得難い独りの日」なので、今日は、「ここの所の、体調不良を戻す事に専念しようかな⁉」と思っています。
しかし、明日のオケ練習は、斉藤先生も、梨紗さんもいないassistが千夏さん一人しかいないオケ練習なので、指導する側の人数不足という事で、よほど要領の良い指導をさせないと、オケ全体の練習が、澱んでしまいますから、「楽譜上に、lectureのpointを書き出してnet上で報告してあげようかな?」と思っていたのですが、そうすると、折角の今日の私の「珍しい得難いお休み」が、無くなってしまうので、日曜日の練習の時に、現場で、pointを、口頭で説明する事にしました。
と言う事で、オケ練習がいきなり練習に入るのではなく、pointの練習の方法論の解説が、中心となってしまって、通常のオケ練習とは、少し練習の方法が変わってしまいますが、日にちも少なくなって来たので、効率を優先する事にして行きます。
2月11日 18:15
昨日のオケ練習ですが、「梨紗さんがお休み」と言うのは、私の勘違いらしくて、何時もの定型の時間には、頑張って、駆けつけてくれました。
練習は予定通り、pointを細かく纏めて、自主練習、若しくは千夏さん達の上級生が下見を出来るように、全部の曲を纏め直しました。
常設曲であるべきCanonも、主流の小学生達は、今回が演奏家としては、2回目の練習なので、多分、前回指導したはずの、「Canon体操」の本意の説明を細かくやり直して、体躯の移動の仕方等々の原則論のmethodeを確認しました。
改めて、感じた事は、今の子供達は体が硬い!
それにしても、時間が足りないので、練習の枠内では、見る事の出来ない、「割愛した曲」が多いので、困っています。
曲のgroupとgroupの間の休憩やお茶菓子timeを、割愛すれば、もう少し、曲のcheckを増やす事も出来るのでしょうが、それでは、子供達の集中力が持続出来ません。休憩timeやお茶菓子timeは、子供達の集中力の持続にとってとても大切なのです。どうせ休憩timeを取るのならば、そこで基本的なマナーや自己紹介の勉強を・・という意味です。
まだ集中力を持続する事が出来ない小学生達には、こういった集中力を持続する訓練には、意識的な持続力の訓練だけではなく、ある程度は、練習の積み重ねによる持続力の経験も大切なのです。集中が持続出来ないから‥・と言って、ガミガミと叱っても、出来ない事は出来ないのですよ。そこを焦っては教育にはなりません。
流石に中、高生くらいになると、その持続力はかなり身に付いていて、オケ練習程度では、集中力が切れる心配は全くないのですがね??
2月14日 7:37
2月6日 20:19 ·
「教育とNiveau(=水準)のお話Nr.11」
「Stradivari-schuleのお話」
schule(=シューレ)はドイツ語でschule、英語でschoolの学校という言葉なのですが、音楽の世界、・・特に楽器のお話で、**schuleと言うと、その有名なviolin製作者の工房で弟子達によって作られた楽器を指します。
その「**-schule」と付く名前で、一番有名なのは、多分、「Stradivari-schule」ではないかと思われます。
Stradivariと呼ばれる楽器で、Stradivari本人が制作した楽器ではなく、(単にStradivariの楽器の寸法で作成された楽器を除いて、=これは通常、Stradivari-modelという言い方をします。)、所謂、Stradivariと呼ばれる楽器には、勿論、当然の事として、Stradivari本人が作成した楽器と、彼の弟子と一緒に作った楽器、(その殆どを弟子が作ったとしても、一応、Stradivariの手が入っているもの)それにStradivariの愛弟子がStradivariの工房で作った楽器までが、Stradivari制作と呼ばれる事があります。
しかし、、Stradivariの工房には、6000人の弟子がいたとされ、楽器が大量に生産されていました。baroque時代の大量生産と言う事が出来ます。
そして、この工房で働いている弟子達が作った楽器を、実は総て「Stradivari-schule」と呼ぶのです。
ヒョッとしたら、言葉でadviceするだけではなく、一削りぐらいはStradivariが削って手を入れたかも知れない・・と言うくらいの事です。勿論、「Stradivari-schule」の作品は、Stradivariと同世代かほんの少し後までの時代の作品ですが、結構、駄作も多いのよネ。
弟子にも色々いるからね??
「門下を意味するschuleという言葉のお話」
schuleには、そう言う風に工房と言う意味もありますが、本来は、寧ろ、methodeの流派を指す場合が多いのです。
差詰め、日本の家元制度と同じような感じですかね~え??
日本ではスズキ・メトードの事も鈴木schoolが有名ですよね。
幾ら、日本の有名音楽大学の卒業だったとしても、その大学の教授、所謂、指導者や流派はそれぞれの教授、教授で違うので、「私は**大卒(**大-school)です。」というのは、変ですよね??
それならば、「**教授門下(school)!」と言わなければなりませんよね。
この「門下(school)」という言葉は、日本人の演奏家の人達にとっては、結構、曖昧な言葉で、ヨーロッパの各都市でよく催なわれている夏季音楽祭での夏期講習会を受講しただけの学生や、日本でよく催われている・・海外の有名な教授を呼んでの、1回か2回の、公開lesson等で、lessonを見て貰っただけの音楽家の卵達が、「**教授門下」と自称している人も多く見受けられて、みっともないと思います。
お飾りにされた当の教授は、多分、その生徒の名前さえも覚えてはいない・・と思いますよ。
こう言った一見(いちげん)の指導者への依存は、やっぱり寄らば大樹・・の日本人独特の「虎の皮」タイプの人達の話なのですかね~ぇ??
「ヨーロッパの学生の歴史のお話」
ヨーロッパの演奏家の人達は、「どこそこの大学の卒業」という事は音楽の履歴には書かない人達が多く、せいぜいコンクール歴を書くぐらいなのですが、それにはれっきとした理由があります。
それは、日本人のように、たった一人の先生の元で指導を受ける事よりも、ヨーロッパの学生達は、結構、色々な先生の元を転戦し、指導を仰ぐ学生達が多いからなのです。
その日本人の持つ意識の違いは、「忠臣は二君に事えず、貞女は二夫を 更えず」 の儒教的な思想から来るのでしょうかね??
反対に、ヨーロッパの学生達の思想を歴史的に考えると、ヨーロッパの勉強のstyleは、ゲーテのウィルヘルム・マイスターの修行時代や、Schubertの「冬の旅」等に表されるような、マイスター(親方)を訪ね歩いて、弟子入りをして修行し、また次のマイスター(親方)を尋ねて・・という風に多くの師匠=親方(=Meister)の元に弟子入りをして、自分がマイスターの試験に合格して、マイスターという資格を取れるまで、修行の遍歴をする・・というのが、ヨーロッパの歴史上の普通の勉強のstyleでした。
Wagnerの楽劇「マイスター・ジンガー」もそのお話ですよ。
日本では「ちょうちょ」として知られている児童唱歌も、原曲はドイツの童謡で、古い時代のヨーロッパの子供達の生活を歌っているのです。(以下、原曲の歌詞)
「Hänschen klein ging allein In die weite Welt hinein. Stock und Hut steht ihm gut Ist gar wohlgemut. Aber Mutter weinet sehr, Hat ja nun kein Hänschen mehr. "Wünsch dir Glück", sagt ihr Blick, "Kehr nur bald zurück !」
「まだ幼いけど好奇心旺盛なハンス君は、ある日広い世界へ冒険の旅に出る事を決意します。よく似合う帽子と杖を持って、ご機嫌で歩いて行ってしまいました。お母さんはひどく泣いて悲しみましたが、それでも息子の幸運を祈り、心の中では、すぐに帰って来てほしいと願っていました。」
http://www.worldfolksong.com/son…/germany/hanshen_klein.html
日本では、「蝶々」してと知られるこの可愛らしい童謡も、古い時代の子供達の社会を反映して歌われています。解説では、幼いハンスちゃんが、ただ、冒険のために広い世界に旅立ったように書かれていますが、それでは、ヨーロッパの社会の歴史を反映していません。
実は、ヨーロッパの多くの国では、お店を開くためには資格が必要なのです。
現代の日本社会でも同じですよね。
飲食店を開くには、調理師の免許が必要だし、医者になるにも、国家試験に合格しなければ成りません。
資格を取るだけなら、調理師の学校で学ぶだけでも充分なのでしょうが、本当に料理を修行しようとすると、有名料理店のシェフに付いて弟子として修行します。日本の場合にはそこで認められると「暖簾分け」をして貰えます。私の行きつけの蕎麦屋も同じ名前の蕎麦屋が無数にありますが、それは暖簾分けなので、それがヨーロッパのマイスターの資格に相当するのでしょうかね??
有名ラーメン店の話も有名ですよね。
・・そのお話は、古いヨーロッパの時代も同じで、マイスター(=親方)の資格を取らなければ、自分のお店は開け無いのですよ。(そこの所は、ヨーロッパは資格がないとお店が開けないのですが、日本では調理師の免許を持っているとお店は開けるので、日本の方が少しは楽だと思います。)
幼いハンスちゃんは、家族を支えるために、自分のお店を作るために、マイスターの資格を取るための修行の為の旅に、マイスター(親方)の元に弟子入りをするための旅に出かけるのです。
ヨーロッパでは、靴屋のマイスター、肉屋のマイスター、床屋のマイスター、等々、職人を目指す殆どの若者が、その仕事をするための資格を全国のマイスターの所へ弟子入りをして、技術を学び、マイスター達に認められた時に始めて、マイスターという資格を持って、お店を構える事が出来るのです。当然、今現代でも、そこは同じで、今はどうか知りませんが、ドイツの小学生は、小学校の4年生の時に、職業学校(Handel-schule=ハンデルシューレ,今はBerufs-schule=職業学校)に進むか、勉強の為に、 Gymnasium(日本では中高一貫校)から大学(ユニバスティ)に進学するか、が決まります。小学生の親を持つドイツ人に、「そんなに幼い時に将来を決めるという事は、親がその決断をするのですか?」と質問したら、「ドイツの子供達は、小学校4年生でも、自分の一生の決断は出来ます。」と一喝されてしまいました。
確かに、日本の小学生とは比べ物にならないくらいにしっかりはしているのですがね。
という事で、ドイツでは、音楽大学からマイスタクラスを卒業して、国家試験に合格した、Pianoのマイスターやviolinのマイスターも多数いるのですよ。ハイ!
さて、また歴史のお話に戻って、しかし、残念な事に、有名な親方(=マイスター)の元に弟子入りが出来たとしても、そこでMeisterの資格を貰える人は、ほんの僅かの人しかいません。
殆どの人達は、マイスターの所で働いていて、技術をある程度身に付けるだけで、その店の使用人として一生を終わりました。
それが、現実!
日本の社会も同じでしょう??
但し、このお話も今は昔のお話で、ヨーロッパの社会でも、国家試験に合格すると、お店(演奏家も同じですよ!!)を開く事が出来るようになって、昔のように、暖簾分けの必要は無くなって来ました。でも、その国家試験の水準が日本とヨーロッパでは比べようがないのですよ。(先程も言ったように、日本人の音楽家で、ヨーロッパの演奏家の資格を取った日本人はいないはずです。「いないはず・・」と口を濁しているのは、近頃の話は知らないので‥・、という意味です。)
頑張って、Meisterの資格を取るために、遍歴修行の旅に出かけた幼いハンスちゃんも、7年目には挫折して故郷に帰ってしまいます。
でも、故郷を7年間も離れていたのだから、妹さえも、ハンスちゃんの顔を分からなかったのですよ。幼いハンスちゃんは、青年になって戻って来た分けなのですからね。
ただ、一人、お母さんだけがハンスちゃんの顔が分かったのです。
(/_;) ホンと、泣けて来るお話ですよねぇ~??
ぺールギュントも、世界中を旅をして、歳を取って、夢に挫折をして、故郷の恋人ソルヴェイの元に戻って、そこで死んでしまいますが、当時は人生の挫折が流行っていたのかね⁉
勿論、ヨーロッパの音楽大学で、「soliste」と呼ぶ事の出来る人は、日本の大学院に相当するマイスタークラス(Meister-class)を卒業して、国家試験に合格をして、solisteのライセンスを取った人だけです。
本当は、そのライセンスを持った人達の事をマイスターと呼ばなければなりません。
マイスターは国家資格なので、これまで日本人の留学生で、ヨーロッパに留学をして、その資格を取った人は、明治時代の「音楽事始め」以降、未だに、一人もいないはずですがネ。
solisteとしての資格を取る(masterになる)‥・という事は、それ程、難しいのですよ。
これも、ヨーロッパと日本のlevel差なのですよ。
「でも、多くの日本人がヨーロッパの中でも演奏活動をしているのでは・・??」と、思う人もいるかもしれませんよね。
それは、単に、楽器を演奏するための技術が優れていているからであって、音楽そのものが、ヨーロッパのsolisteの水準に達していたという意味ではありません。
音楽力は、演奏の技術だけではなく、曲のその解釈や、時代考証などもちゃんと出来ないといけないのです。
日本でも、昔は、テレビ等の気象予報では、お天気にチョッと詳しい人達がお天気のキャスターや、新しくは「お天気お姉さん」として、可愛い美人のお姉さん達が、気象の予報をやっていましたが、国家資格になって、日本の有名なお天気キャスターの人が、その試験で落ちた時には、結構、大騒ぎになりましたが、その道のproとして活躍したいのならば、ちゃんと総合的に勉強をしなければなりません。
ただ天気を予報するだけならば、占い師の方がよく当たるかもしれませんからね??
私達物書きが、物を書くにあたっては、書いている事に対して100の知識があって、それで、やっと一つか、二つかの文章を書けるのですよ。
10の知識があって、その10の知識を使える事は、物書きの世界にはありませんからね。
1を知っているだけで、その道のproのつもりになっている人達も多いようですが、それが、うわべだけの軽薄さと、本物の重厚さの違いになります。いい加減な努力だけで、高僧になった・・と思い込んでいる人達の禅の事を、野狐禅と言いますが、本当の禅定と野狐禅の違いが分かる人は少ないのですよ。
その違いが分かる人達は、ブランド社会の日本では、極めつけに
少ないのでネ??
「日本人の音楽家の留学への姿勢」
ヨーロッパへ留学する事が音楽家になるためのstatusと勘違いする事がstandardになったこんにちでも、日本人の音楽大学の卒業生が、ヨーロッパの音楽大学のcurriculumの中の音楽上の大切な一般教科を学ぶ日本人留学生は殆どいません。(この場合の一般的な教科と言うのは、日本の一般教科の意味ではありません。音楽のより専門的な音楽史や、和声や対位法、形式論や、音響学、指揮法等々の音楽を勉強する上で必要な音楽上の一般教科の事なのです。)
私は、小学生から高校生になるまでの生徒達に、「その曲を演奏するのならば、その曲に付いて、最低でも40分間はお話が出来なければならない!」と言い続けています。その練習として(勿論、おさらい会とうで、子供達に40分間お喋りをさせる事は出来ないので・・)演奏する前にone pointのコメントのお話をさせています。(教室に入会して、お喋りの第一歩は、自己紹介です。3歳児、4歳児の始めての自己紹介は、「お名前、年齢、習っている楽器」・・です。人の前で発表をする事は、大変なpressureです。でも、音楽は人へのappealなので、人へのcommentを臆してしまうようでは、本当の演奏は出来ません。
Pianoの生徒はPianoのlessonだけを受けて、「**大学を卒業した」と自称していますが、先ずは、その教科だけを卒業しようと思ったとしても、本当は、自分を指導してくれた教授から、「卒業認定の試験を受けて、教授から合格の認定」を受けなければなりません。
wien等のヨーロッパの音楽大学のPiano科を卒業するには、100曲に登る課題曲があって、それを全曲、試験を受けるか、公開演奏会で演奏するか・・で、1曲、1曲を、潰して行かなければならないのです。
つまり、4年間でその大学のピアノ科を卒業しようと思ったら、その課題の100曲を4年間で、公開演奏をするか、試験で合格を貰わなければなりません。つまり、試験に合格をする・・という考え方ではなく、repertoryを作る上での、第一歩なのですよ。
しかも、その100曲とは、ChopinのEtude、opus25なら、その25を1曲と数えるし、BeethovenのPianosonateならば、そのPianoの曲のOp.*を1曲として数えるのです。
だから、Nr.1、2、3を独立した曲として数えてはいけないのです。
だから、日本の音楽大学のように、半年で、1曲、一年に2曲という課題の勉強の仕方では、4年間一生懸命頑張ったとしても、演奏会のrepertoryは出来ません。つまり、音楽大学を卒業しただけでは、演奏会を開くための実力さえ、作って貰えないのですよ。
それでは、とてもとても、ヨーロッパの水準には追いつけないのですよ。
勿論、ヨーロッパの音楽大学でも、その生徒が、4年間で100曲を熟す事が無理ならば、「卒業は無理だ!」と言う事はありません。
本人が、それでもよければ、8年間でも、10年間でも、その教授の元で、曲を確実に1曲、1曲、潰して行って、100曲のrepertoryを作り上げれば良いのですから。
だって、ヨーロッパの音楽大学の学生は、10年以上音大生を続けている学生はザラだ・・・って、言ったでしょう??30過ぎの学生の方が多いのですからね。
日本の音楽大学では、例えProkofievのPianosonateを演奏したとしても、「1楽章だけ・・」という人達の方が殆どでしょうが、ヨーロッパの音楽大学の学生では、その考え方はありません。全楽章が普通なのですよ。
まあ、言われて見れば当たり前の事なのですがね。
私達の教室でも、例え、小学生の子供が演奏する場合であったとしても、室内楽のHaydnの「ひばり」や「五度」は、全楽章を建前にしてlessonをしています。
有名な1楽章だけでは、その曲を理解するのは4分の1に過ぎないからです。
発表会では、時間の関係や、生徒自身のキャパシティーの関係で、1楽章だけしかlessonをしないし、発表会でも演奏出来ないので、昔は「Etude-program」としてや、室内楽、soloのprogramとして、数名の音楽に進む生徒だけのVortrag-Abendのためのミニミニ・コンサートをよく開いていました。そう言う風に発表の場を作って全楽章を勉強していたのです。
ヨーロッパの音楽大学では、一つの国立の音楽大学に入学出来れば、国をまたいだ総ての音楽大学に転校する事が出来ます。
そういった前提なので、ヨーロッパの音楽大学では、一つの国立の音楽大学に入学すると、もし、学生がそれを望むのならば、ヨーロッパ全土の国立の音楽大学に転校する事が出来ます。勿論、その音楽大学の教授が許可をするならば・・という条件はありますがね?
だから、ヨーロッパの大学には、日本のように、4年間で大学を卒業するという考え方はありません。何時卒業するかは、本人達の自由なのですよ。
というわけで、私の持っている学生証ですが、半年に1個ハンコを押す欄が無数にあって、1枚の学生証で10年以上は使えます。
科によっては2年の所や3年の所もあるし、violin科で卒業したら、Piano科や指揮科に入って勉強を続ける事が普通なのですよ。
勿論、教授が認めてくれたらの話ですが、入学しているのだから、教授に認めて貰えるのは、そんなに難しくはないのです。それは人間関係の問題なのでね。
何度も繰り返してお話をしますが、普通、ヨーロッパの音楽大学の学生達は、10年ぐらいは在籍しているのですよ。
私は日本の音楽大学を卒業してにMünchen行きましたから、「多分学生の中では、最年長だろうよ!」と思って、19歳や、20歳そこそこの若造と一緒に勉強しなければならない・・と覚悟を決めて行ったのですが、実際には、Münchenの音楽大学では、入学時には、最年少でした。※)
※)その内に、pipeorganの教授でもあるKarl Richter教授の元に、14歳の女の子が飛び級で入学して来ました。超、可愛かったよ!
それよりも、14歳と言うのは、日本では、未だ中学生ですよね??そいつは、凄い!!
ヨーロッパの大学生が、10年以上も大学に在学している‥・という事は、金銭上のお話だけを取り上げても、日本では考えられない事だと思いますが、そこは日本人の大学生とヨーロッパの大学生では、大学に対しての考え方が全く違っているからなのですよ。
ヨーロッパの大学生達は、殆どの学生が、仕事をしながら大学に通っているので、親の仕送りと、費を学出して貰って、大学に通い、学生生活を満喫している日本人の学生とは、勉強の姿勢が根本的に違うのです。
それに私達の時代では、ヨーロッパの国立の音楽大学は、入学金や授業料は無かったのですからね。無料だったのですよ。無料!!
テレビで学生が、「就職はしたくなくて、遊びたいから大学に行く!」と言っていましたが、実際に多くの子供達がそのように思っています。お金を出す親に取っては堪ったものではない・・と思いますが、親も大学に入学させるのは、statusのためなのでしょうから、大学で何を学ぶかは、興味はないようなので、普通なのかもしれませんよね。
苦学をして、働きながら、大学を卒業して、留学をした私としては、そのstatusと言う考え方は理解出来ません。
しかし、ヨーロッパでは、大学は働くための知識や技術、学者としての研究のTechnikを身に付けるための大学であり、遊びたい学生は、容赦なく教授に切り捨てられて行きます。
私が師事していたGenzmer先生は、非常に厳しくて有名な先生で、私が在学中にも、多くのGenzmer門下生が、途中で放校になっています。
私も、その現場に何度も遭遇して、目のやり場に、困ってしまいました。Genzmer先生達、教授達はギリギリ迄待ちますが、破門を言い渡す時には、総ての弁解を否定し、受け入れません。「これまで待ったのだから、充分だろう?」という前提の破門なのですからね。
「どうして、彼らは、勉強の仕方が分からないのだろう??」と、私は何時も、悩んでしまいました。
某有名国立音楽大学を卒業して、某有名音楽大学で講師をしていたpianistの女の子(とは言っても私よりも歳上の人ですがネ。)が、Münchenの憧れの有名看板教授の元に師事出来たのですが、彼女が先生の前で曲を演奏すると、先生がとても、褒めてくれます。彼女は、先生の指導を期待するのですが、ヨーロッパの先生で、指導をしてくれる先生はいません。彼女は先生を見つめて、先生は彼女に頬笑み掛けて・・、それで10分程でlessonは終了してしまいます。
ここで彼女は、私にhelpを求めて来ました。
私が日本に帰国する迄の、半年間、私は彼女に事前にlessonをしました。「この曲のこのpassageは、こういう弾き方と、こういう弾き方の2種類がある。先生はどちらをどのような考えで勧めますか?」とか、「ここの所は、こう言う音で弾きたいのですが、どういうtouchをしたら、そう言った音を出す事が出来るのですか?」と言ったような、質問事項を大量に作ってlessonに望ませました。
勿論、それからは、lessonが非常に上手く行ったのですよ。
※)(このお話をすると、また、文章が非常に長くなってしまいますので、homepageの方を参考にしてください。ここでは、割愛します。)
ヨーロッパの人達は、音楽大学で勉強をしながら、並行して仕事を持って働いている分けなので、学生を何年も続ける事が出来るのですよ。現場では、既にproなのですからね??
そこは日本人と外国人とは、甘えの構造が全く違います。
私は音楽大学に入学した時も、留学した時も、親からはお金は出しては貰えませんでしたので、留学するまでは、「苦学をしている」・・というcomplexの意識が、心の何処かに・・あったのですが、ヨーロッパやアメリカの大学生は、皆、自分で働きながら大学に通っているので、「それが当たり前だ!」「普通だ!」という事に気づいて、すっかりズッコケてしまいました。
「なんだ???」「音楽大学で、自分で働いて、勉強をするのは、当たり前だったのだよ!!」
世界のstandardではね??
苦学をしている・・というcomplexは、すっかりと消えてしまいました。
自分が勉強したいのだから、自分で働いて金を溜めるのは当たり前の話だよね??
留学して何が良かったか??と言うと、ヨーロッパに行った事で、そこに気づいた事だけでも、収穫でしたよ。ホンとに!!
それと一つの国の音楽大学の学生証があると、他の国の音楽会でも、美術館でも、電車でも、総てに学割が使えるのです。
但し、音楽会で椅子に座れるのは、空席があった場合のみで、普段は、天井桟敷の立ち席になります。
舞台が真下に見えて、高所恐怖症の私には、結構怖いものがありましたけれどね。
大学を変える=教授を変えると言う事は、私の在学中にも同僚の学生がMünchenの音楽大学の作曲科からBerlinの音楽大学の作曲科に転校しました。
彼の作曲に対する嗜好は、結構、Contemporaryな作風だったので、Genzmer先生のtraditionalなMünchenの気質(Hindemith先生は新古典派の作曲家ですからね)には、合わなかったようです。
国を越えてヨーロッパの中の音楽大学ならば自由に転校が出来、教授が受け入れを許可するのならば、自由に大学を変えて行く事が出来るから、日本人の音楽家のように、大学をstatusにする事は、全くの無意味な事だからなのですよ。
ですから、私にとっては、母校の音楽大学をstatusとして、後生大事に抱え込んでいる日本の音楽家の習性は全く理解しがたいものがあります。
「何故??」って・・??
それは歴史に名を残している偉大な作曲家達が一番忌み嫌った事だったからです。
作曲家は、そういった権威や権力に対して、反骨精神の塊みたいなものですからね。
あの、子供のように優しいMozartですら、そういった権威、権力に立ち向かう時には、凄まじいpowerを見せていたのですから・・。
「先生への感謝の念」
「自分を教え導いてくれた恩師に対して尊敬の念を持つのは当たり前だ!」・・と言われそうなので、追記して起きますが、日本の音楽家達は、自分の音楽上の履歴には、有名音楽大学の教授の名前を連ねるのが普通で、自分の人生を変える事を導いてくれた幼い日の指導者の名前を書く事も、尊敬の念を払う事もありません。
寧ろ、どの音楽家達も、自分が幼い頃、音楽を指導してくれた指導者への感謝を全否定して、あたかも自分が生まれついての才能の持ち主で、それを指導したのが著名な教授大学であったかのように文章等でも書いています。
幼い頃に受けた音楽教育は、音楽教育ではなく、単なる育児であったかのような払いをしているのですよ。
それこそ、大学の教授や留学でlessonを受けた著名な演奏家の人の名前を列挙しているので、誰が本当にその人を指導したのか、理解不能です。
たった一度の公開lessonのみで、人はそんなに変わるものなのでしょうかね??
自分を指導してくれる先生との、人間としての対決があって、始めてその人の影響を受けて行くのではないのでしょうかね??
ですから、先程の「じぶんを教え導いてくれた恩師に対して・・」の言葉に誠意を感じる事はありません。
それなら、自分を音楽の道に導いてくれた最初の先生に対して、その言葉を言うべきでしょう。
それこそ、日本の音楽家達は、権威主義の権化のように見受けられます。
ヨーロッパの音楽家達は、そこの所は、非常に大人で、自分が本当に影響を受けて、自分の信念を持つ事を示唆してくれた先生に、恩義を感じて履歴に明記する人が多く、若者が、音楽大学の教授に対してよりも、自分の音楽への道を開いてくれた先生への、感謝を語る時、その若者の謙虚さは、見るからに、とても気持ちが良いのですよ。
まあ、・・そうは言っても、これはヨーロッパの人達の、人事のお話であって、・・・私達の音楽教室は、巷の音楽教室に過ぎないので、そういった日本人の演奏家達の状況を、僻む必要も、嫉む必要もないし、また、・・・日本の児童達への音楽教育の現状は、殆どが大手の教室に依存していて、個人の教室は数少ないようですし、非常に特殊で稀な存在の・・子供のうちから音楽に進む事を希望する家庭では、巷の音楽教室や個人の音楽教室に手習いに行く事は無く、最初から、音楽大学の先生の元で勉強をするのが普通なのです。
ですから、巷の音楽教室から、音楽の世界に進んだ生徒は殆どいない事が普通ですし、もしも、まかり間違えて、個人や巷の音楽教室で、頭角を現した生徒も、早い時期に、一般的な風説に影響されて、摘み取られて、有名な音楽大学の教授に師事する事が、すこぶる一般的で普通なのです。
ですから、私達の音楽教室のように、巷の音楽教室から、音楽大学に進学したり、高校から直接ヨーロッパの音楽大学に飛び級で入学したりする事がある・・と言う事を、一般の人が信じる事はなかったし、有り得る・・という事すら信じなかったのですよ。
つまり、目の前で、教室の先輩の生徒達が、留学をしたり、コンクールに入賞したりしても、それを信じる人達はいないのですよ。
「なにを信じるの??」って??
・・・信じるのは、自分が目の前で見た現実ではなくって、一般の常識、風評だけなのですよ。
或る意味、凄い??て、思いませんか??
自分が見たものを信じられない・・と言う事は・・??
昔は、教室に、とても世話焼きの保護者の人がいて、教室のスターの生徒に、「もし、音楽の世界に進みたいと思うのならば、こんな巷の音楽教室で勉強していては駄目よ!!N響の先生を知っているから紹介してあげるわよ!」と言って、一生懸命勧誘していました。
「それなら、自分の子供をその先生に付ければ良い」・・と思ったのですが、その質問には「私の子供なんて、音楽では駄目よ!」「だからココの教室で、丁度、いいわよ!」と言っていたそうです。
まあ、いずれにしても、失礼な話ですよねぇ~??
でも、本人は今だに(!)教室に対して失礼な事をした・・とは思っていないようなので、本当に、分かっちゃ、いないのよね~ぇ??
その程度なのですよ。一般の人達の水準は・・??
しかし、その考え方は結構普通の常識的なお話なのですよ。
小学校や、中学校を卒業する事を契機に、音楽大学の教授の元に、変わって行く生徒も多いのです。
ミュージックプラザの社長や、お姉さん達は、「芦塚先生、真面目に、そこまで子供達を指導・教育しないで、サッサと、中学、高校生ぐらいまで育てたら、某有名国立音楽大学の教授に生徒を回せば良いのよ!」「そうしたら、『あそこの教室に入ると、某有名国立音楽大学の教授に紹介して貰えるわよ!』と言う事になって、音大受験を目指す良い生徒がいっぱい集まるわよ!」という話でした。
まあ、「教室の経営と言う事なら、それも有りかな??」、とも思ったのですが、教室を開設した目的が・・、conceptが・・と言う事で、未だに某有名音楽大学の教授には、教室からは紹介はしていません。
私的に私自身としては、某有名音楽大学の教授に紹介をしてあげると言う事は、「それはそれでも、良い」「全然、問題はない!」・・とは思うのですが、しかし、そこで、私が疑問に感じた事は、「音楽の世界で音楽のproとして活躍したい!」・・と願い、夢見た子供達の大半が(否、殆ど全員が)音楽大学の有名な教授や、orchestraの有名な演奏家に師事をしたその後、proの道には歩んで行けず、音楽の道を断念しているのですよ。
教室を開設当時に、某有名国立音楽大学の主任教授の所に行った、生徒のその後を、教室の先生達が調査しました。先生達とは言ってもその頃は、まだ中学生、高校生ぐらいの頃です。
その生徒の調査では無く、その先生の元で勉強をしている総ての生徒と、大学を受験して合格した生徒の調査です。
その先生と同じviolinistである奥さんの元には、常時20名の生徒がいますが、1年後のその門下の発表会では、その20名の生徒の大半がいなくなって、新しい門下生に入れ替わります。教室からその教授の元に代わって行った生徒が、音楽大学に進むか否かの6年間を調査したのですが、彼女が入門してから、高校の3年生になるまでに、続いた生徒は一人もいなかったし、しかも彼女自身も音楽大学、というかviolinは捨ててしまいました。本当は、中学生の内に止めたかったのですが、父親の上司の人の紹介では、止めるに止められなかったのです。
もっと、面白い事は、その教授の元から、毎年、10名、20名の生徒が某国立音大を受験するのですが、その生徒達の大半(殆ど全員が、1回、2回のlessonを受けるだけで、)実際にその先生の元に弟子入りをする分けでは無いのです。つまり、1回、2回、その先生のlessonを受けるだけで、音楽大学に合格出来れば、その教授の門下生になるし、合格出来なければ、1,2回のlessonしか受けなかった、他の先生の門下生になる・・と言うだけの事です。
つまり、常時、10名以上の生徒の受験を合格させている・・というのは、そういったカラクリに依るのですよ。
その生徒がその先生の元を去った時点で、その先生の生徒達の動向の調査はしていません。全く、無意味なので、まだ高校生であった生徒達も辟易していたしね!!
殆どの生徒達は、音楽大学の教授の元で、挫折をして音楽の世界を恨み嫉みながら、一般の世界に去って行くのですよ。
今お話をした、・・教室を開設したばかりの頃の教室のスタープレーヤーの生徒のお話の補足説明なのですが、・・パパの上司の人のadvice(その上司の人の娘さんもその有名な教授の元で勉強をしていたからです。)で(このadviceの事を私は赤提灯のadviceと呼んでいます。)、その上司と同じ、某有名国立音楽大学の主任教授の元に、突然、泣き泣き「弟子入り」をする事になりました。
江古田の、私の行きつけの珈琲屋に、その女の子の両親から呼び出されて、その父親が「あなたが子供を指導出来る限界はココまでです。だから、後は某有名国立音楽大学の教授の所に連れて行きます。」と、面と言われてしまい、呆れ果ててしまいました。
これ程の屈辱を味わったのは、嘗て無かったのですが、私は怒りを堪えて、「ああ、そうですか?」と頷くだけで、黙って聞いていたら、珈琲屋のご主人が、私の代わりに烈火の如く怒り捲って、「芦塚先生、何故、相手の両親に対して、怒らなかったのですか?」と、叱られてしまいました。
或る意味、悲劇なのは、・・親は、先生の水準をその人の地位でしか判断出来ないのですが、その先生から学んでいる当の子供達は、先生の技術の水準がよく分かります。子供は比較が出来るからなのです。
だから、地位や権威ではなく、どういう先生の元で勉強をしなければならないのか?と言う事が、親よりも、理解出来るので、地位や権威で納得出来る事はありません。
当然、これ以上、自分を育ててくれる事のない先生の元で、lessonを受けるのは、その生徒にとっては、死にたくなる程の悲劇なので、よく教室の下で、車の中で母親と一緒にオロロンと泣く姿を見る事がありました。
本当ならば、もう一度私に教えを請いたいのでしょうが、父親が許す分けは無いからね。
だって、会社の上司の紹介を断ったら、父親としては、仕事に差し障って、不味いでしょう??
つまり、母親は子供と一緒に私のlessonを受けているので、ある程度の音大の先生のlevelは、その先生のlessonを見ているだけで分かるのですよ。
しかし、父親は、私のlessonを見てそのlessonの内容や、水準を理解する事はないし、説明して貰ったとしても、音楽のお話なので、それを理解する事は、有り得ないのですよ。
だから、「赤提灯での話」を世間の一般論として、真に受けてしまうのだよね。
音楽の世界は、技術職で職人の世界なので、世間の一般論で音楽の世界を理解し、通用する分けはないのに、驚いた事に、子供の教育の事となると、一般論が通用してしまうのだよね。
音楽は、基本的に職人の世界なのだよ!!
水準が総ての、世界なのだよ!
所詮は一般の人達には理解不能な、特殊な世界なのにね??
そういった先生に師事した彼らに取っては、音楽の世界は厳しいだけで、「音楽を好きだ!」と思う事は、彼らはなかったのでしょうが、それでも、「音楽を嫌いだ!」「音楽に関わった事で人生を無駄にした。」という言葉を言わせるのは、私には苦痛です。
そこで、(ここの所は話の筋が前後するのですが、そこは無視して・・)私は自分が奉職している大学を辞めて「Ashizuka-Schule」として芦塚音楽教室を立ち上げました。
そこで私に師事した多くの子供達を音楽の世界に送ったのですが、此処で非常に面白い事は、小学生の時までや、中、高生迄私の元で学んだ生徒達が、有名音楽大学に入学後に、私の元で勉強をして来た事をひた隠しにする事です。
その理由の一つは、芦塚メトードが日本の音楽教育の王道である3点支持のmethodeに逆らって、世界standardの1点支持のベルギー派のメトードである・・という点です。
昔は、私のmethodeを説明するのが面倒くさかったので、人によく言われていた「ベルギー派」を売りにしていたのですが、私は本当は「ベルギー派」とは無関係の、「roots派」とでも言うのかな??楽器のrootsからこのmethodeを編み出したのです。ベルギー派は、baroqueや古典派のtraditionalを色濃く身に付けています。
それで、同じ出典を持っているから、methodeが似てしまったのですよ。
音楽大学で勉強を続けて行くためには、教室のメトードを捨てて新しく学び直さなければならない‥・という事で、教室のmethodeを否定するためには、「やっぱり、巷の音楽教室は・・??」てな事になるのでしょうかね??
ですから、音楽教室を立ち上げる前の生徒達は、音楽大学在学中や卒業してから私の元にlessonに来て、ヨーロッパやアメリカへの留学の準備をした分けなので、芦塚先生門下(所謂、Ashizuka-Schule)と自称するのはやぶさかではないようですが、私の教室で私に学んで、その後を音楽大学に進学した生徒達にとっては、教室の芦塚メトードは、異端であり、音楽大学に進めたのが教室のmethodeであったとしても、大学に入学してからは、子供の頃に学んできたmethodeが、異次元の間違えたmethodeであったような気がして来て、ついつい、教室を全否定したくなってしまうのでしょうね。
「Ashizuka-SchuleとAshizuka-methodeのお話」
日本の音楽大学の教育に対して疑問を感じて、ヨーロッパ留学の前に、ヨーロッパのメトードを学ぶために、私の元に来る・・という生徒達や、教室から音楽大学に進学しないで、直接留学をした生徒達と、教室から日本の有名音楽学に進学した生徒達には、教室の価値や、私に対しての尊厳に大きな意識上の落差があります。
私の仲間の人達は、私の生徒達に対しての褒め言葉として、よく「Ashizuka-Schule」という言葉を使うのですが、私自身は、その言葉を一度も使った事がないのです。
・・その一番の大きな理由は、音楽大学に進学して現場で活躍している生徒達に取って、「Ashizuka-Schule」で学んで来た・・という事が、迷惑な、忘れてしまいたい実事として捉えられているのではないか??という危惧の念からです。
つまり、「Ashizuka-Schule」という言葉は、生徒達が自主的に使えば良い言葉であって、教室が「あの生徒は、教室で学んだ生徒なのですよ。」と公表する必要は全く無いのです。
子供達を指導するようになって、既に40年近くの歳月が経ってしまいました。
とてつもない長い長い月日です。
齢い70を越して、彼の有名な絵かきの末期の言葉ではないけれども、「天が後**年、寿命を与えてくれたら・・」と、人生の限界を感じるようになって、自分の技術や勉強が・・私の頭の中だけで、このまま消えて、消滅してしまうのではないか??という恐れに囚われるようになって、・・・・未だ死んでいないけれど・・!!なんとかせにゃあかん・・と、焦ってしまうようになって来ました。
という事で、子供達である‥・という事で、齢いは満たないとしても、或いは、水準に到達出来ていないので、とても、マスタ-出来る水準ではなかったとしても、ただ単に、その技術を、ほんの少し囓って置くだけでも、何か心に残って来れるのではないか??・・と言うような妄想に囚われて、年齢を考えないで、今、現実に私の傍にいる生徒達に、伝えておかなければ・・という事で、総ての技術や方法論を年齢の枠を外して、指導する事にしました。
小学生から、period奏法で弦楽器の演奏法のrootsを勉強させるようにしたのも、この2,3年前からの突然のお話で、前回の八千代のコンサートの後半で、少しperiod奏法を中、高生の演奏に、おっかなびっくりで「演奏出来るかな??」と、不安を感じながら、取り入れて見たのですが、驚いた事に、音大生やproの弦楽器奏者を指導するよりも、何倍も指導が楽だったのですよ。
つまり、現代のTourte棒に侵されていないだけ、本当のbowの持ち方や奏法に、障壁がなかったのです。
という事で、昨年からは、教室の小学生の生徒に迄、範囲を広げて、period奏法を中心として、純正調や、ornament奏法と、音楽大学でも勉強をする事のない、高度な技術を指導する事にしました。
40年間私が指導して来たメトードですが、そのGrund(基本基礎)を、net上でアップロードした事はなかったのですが※)、今回、小学生達に対しても、period奏法を指導するに当たって、始めてFacebook上に、私のmethodeや研究論文を発表し、如何に日本の音楽教育が世界に取り残されたガラパゴス島になっているのかをappealする事にしました。
つまり、私のmethodeの理論的な解説のお話は、今回が始めて一般の人達に向けてappealする話になるのですよ。
※)homepage上には、ほんの少しだけ芦塚メトードに関する記述を記載していますが、難しいmethodeを簡明に文章に書く事よりも、ハイツのカラスにその場でlectureする事の方が、数倍簡単なのですよ。
それでも、敢えて、今回はその無謀なチャレンジを始めたのは、これも、もう、此処で、appealしなければ、私の論文が一般の人達に読まれ、知られる事はない・・という、危機感が原因なのかも知れませんよね。
今から40年ぐらい前の私が未だ30歳ぐらいの時には、年金がいずれ破綻を来たすというお話を役所にして、「お国のやる事が破綻をするはずはない!」と、役所の人達や周りの保護者の人達のブーイングを受けてしまいました。
バブルの時も、結局は実質のないものに、価値を与えて行けば必ず破綻を来たす・・という話をしたのですが、その時も誰も信じては貰えませんでした。
トイレットペーパー騒動の時も、或る日の突然の事だったので、あるだけのトイレットペーパ-を大切に使えば、この騒動は落ち着くと先生達に言い聞かせて、騒ぎに巻き込まれないように注意をしていたのですが、教室のトイレットペーパー無くなるギリギリの1月の時に、世間は落ち着いて、普通の通りになりました。
その時に30年分のトイレットペーパーを買った人もいて、4,5年前にやっとそのトイレットペーパーを使い切った所です。
period奏法は今はやっと一般的になってきましたが、教室の先生達に指導し始めて、1990年には、baroque楽器によるperiod奏法の演奏会を始めましたが、その頃は、未だ世界でも数人の人達しか研究を始めてはいなかったのですよ。
ですから、「何を奇妙な事をやっているの?」ぐらいの感覚でしか、見られていなかったし、今現在でも、baroque-concertというと、単にbaroqueの曲を演奏するだけで、baroque-concertだという人達がいて、教室の小学生の生徒が、「何処がbaroque??」と怒っていました。
日本の水準なんて、そんなもんなのですよ。アハッ!
30年後に、もう一度お話をしてみましょうよね??(生きていたら・・ですが)アハッ!
2月12日 0:05 ·
「Facebookについて」
30分程前に、色々と文章を編集して保存しようとしたのですが、保存の段階で、全部ブッ飛んで、編集履歴にも残っていませんでした。
本当にFacebookには頭に来ます。
Facebookやめようかな??
‥・・て、毎回、言っているよな??
Facebookに変わるメディアが見つからないので、そのままになっているのだよな!!
斉藤先生によると、四日市は大雪だそうなので、今日の降り具合では、「東京に帰って来れるかな??」・・の状態だそうです。
それそうと、昨日丸々一日は、ひたすら安静に体力の回復に努めていましたが、今日の夕方迄は、寝ても直ぐに目が覚めてしまう摂眠障害のpatternを繰り返していたのですが、夕方から突然に、逆のpatternの「目が覚めない!」「起きあがれない!」「意識朦朧の状態!」になってしまいました。
しかし、これで寝不足は無くなったので、one stageは体調が戻ったのかな??
今日のオケ練習は、いつものオケ練習の時間のamの10:30にはハイツを出発する事になります。でも、椎名町で積み込みを済まして、椎名町出発は11時になるので、渋滞がないとしても、12時半に千葉の教室に着になります。
帰りは、渋滞がなければ、千葉から椎名町へは、40分で帰れるので偉い違いですよね。
lessonを終わって、「さあ、帰ろう!」と思ったら、何と、京葉道路が上下線とも通行止めでした。ずっこけたネ!!調べて見たら、来週の日曜日も朝の6時から次の日の6時まで、やっぱり上下線とも通行止めだってよ!!まいったね??何してんだ??
2月13日 9:07
2月12日 5:08 ·
「お弁当箱のお話」
折角、2,3日前に、椎名町から持って来たお汁粉なのですが、幾ら頑張っても、蓋が開きません‼
とうとう蓋を開ける事を諦めてしまって、そのまま椎名町に戻そうと思っていました‼
ちなみに、熱湯で温めるというのも、既に試みて見ましたが、全く無駄骨でした‼
今日になって、段々と、超、腹が立って来たので、オープナーが折れるか、蓋が壊れるかを覚悟で、オープナーの端っこを家具に固定して、両手で強引に、瓶をこじ開けました。
単なる、力業だったけれど、なんとか開いたし、取り敢えずは、瓶の蓋も、オープナーも壊れなかったし、なんとか無事に開きました。
でも、勿論、お汁粉はもう、すっかりと、醗酵して駄目になっていました。チェッ!!食べたかったのにな???
この魔法瓶を入れる可愛らしい袋ですが、とても気に入って、絵柄違いの入れ物を、二つ(二種類)買ったのですが、二つとも、チャックの上の部分が裂けててしまいました。
布がお洒落な分、魔法瓶に食べ物を入れると、その重さに耐えられないようで、手持ちをすると、裂けてしまうようです。
この魔法瓶と袋を買ったお店で2回とも交換してもらったのですが、3回目も同じように、同じ箇所から、この写真のように裂けてしまって、「もう一度、お店で交換して貰ってくれ!」と先生に言ったら、「3回目なのだから、クレーマーになっちゃうよ!」と言われて、裂けた入れ物は、捨てられてしまいました。
3回目でも4回目でも、私は替えて貰っても、良いと思うのですがね・・??
2月13日 11:05 ·
「音人の会」のお知らせ
お待たせしました!!
「音人の会」日時が確定しました。
音人の会
19日(日)花園自治会館、
4時準備開始、
4時30分開演、
8時30分終演、
片付け終了9時退出の予定です。
「音人の会」当日の午前中から、夕方迄の、オケ練習の伝達です。
「19日のオケ練習は、cスケです。」
朝一よりオケ教室でオケ練習になります。3時30分終了。
午前は、前回の私の出題した課題を分奏で復讐します。
千夏さんは午前休みで、梨紗さんは、6時過ぎの音人の会後半からのinだそうなので、オケ練習には間に合いません。(以上、牧野先生からの伝達です。)という事で午前中は斉藤先生だけ出し、私も、体調を温存するために、基本的には音人の会迄に行くつもりなので、書記係の人達は頑張って斉藤先生にlectureの内容を連絡してください。
2月15日 3:16
復讐は無しでお願いします( ̄∇ ̄)!!
2月13日 23:47
アッハッハ‼復讐はわざとの誤変換です‼
勿論、正しくは、復習です。
今日(月曜日)は斉藤先生に、昨日のオケ練習の時の、私のlectureをvideoを見ながら伝達と説明をするつもりだったのですが、「音人の会」の打ち合わせだけで時間いっぱいになったので、オケ練習に関しては、全く伝達出来ませんでした‼
本来は、斉藤先生にオケ練習の内容を伝達する役割は、今現在、千夏ちゃんが「伝達」の勉強中なので、千夏ちゃんの役割なのですが、そのlectureは、結構難しいし、時間も掛かるので、「伝達が正しく出来たか?」の確認作業は、私自身も参加しなければならないので、どうしても、他の事務的な作業の時間がなくなってしまいます。
次回のオケ練習の時の、復習の伝達や指導方法は、私のlesson内容が正しく理解出来ていないと、生徒達へ伝達と、練習が出来ないので、結構大変なcurriculumなのです‼
2月15日 3:20
上記の「伝達を学ぶ」という意味が分からないかも知れないので、その補足説明をします。.
例えば、学校の勉強では、10、教えて、1、理解出来れば良い・・とされる事が多いのです。学校は、指導要領で、その勉強の進捗迄、細かく指定されているので、一人一人の理解力に合わせて指導する事は出来ないからなのです。
つまり、子供達が理解出来なかった事の、残りの9は自分で家庭で復習するか、塾の先生から学びなおせばよいのです。
ここでその是非を論じる事はしません。それは学校教育の問題であり、音楽教室の問題ではないからです。
でも、本当の効率を論じるならば、10を教わったら、その場で10理解出来たら、家庭で、復習をする必要も、塾に行く必要もない‥・という事なのですよ。
そんな、夢みたいな事があるのでしょうかね??
それがあるのですよ!!
その方法論が、私が教育の現場に無理やりに引きずり出された「芦塚メトード」という教育法だったのですからね。
では、どうすれば、10教えて、10理解出来るようになるのでしょうか?
それは、簡単です。(但し、時間があって、やる気さえあれば・・なのですが。)
先ず第一のpointは、10教えたその場で、10理解出来たかを確認すれば良いのです。
今、オケ練習で書記係を作って、私の指導をcheckさせています。(書記係は自主的に一つ一つの曲に一人の書記係を決めます。)
今の回答率(私が注意した箇所を全部check出来るか?・・・この場合には、理解出来たか否かではなく、箇所を指摘出来たか?だけです。)今現在の普段の回答率は10/1程度です。
この回答率は、その生徒のviolinの技術に比例します。高校生ぐらいになると、10/10の確立になりますが、但し、lessonやオケ練習に関してのみで、学業には反映されていません。そこはまだ弱いのですかね??
つまり、checkpointは指摘出来るのだが、指導内容に関しては、人に指導出来る程の理解力はありません。
先生の言った通りに説明出来る‥・指導出来るようになったら、100点満点です。千夏ちゃん達の勉強もその勉強の意味もあるのですよ。
2月15日 3:36
色々と芦塚メトードによって、最良の勉強の方法論をアドバイスをしても、それを皆が、中々出来るようにならないのは、芦塚メトードが難しい・・という理由ではありません。
丁寧に芦塚メトードのsystemに乗って、確実にやって行けば良いだけなのです。
それが出来ないのは、methodeに乗る事が難しい分けではなく、単に、面倒臭いからなのです。
人は、頭を使って行動をする事を極端に忌み嫌います。何も考えずに行動する事を望んでしまいます。
何も考えずに指だけを回す練習ならば、それこそ、7時間の練習でも、苦痛なく出来ると思いますが、一つ一つの課題を確実に熟しながらの練習ならば、proと言えど、せいぜい4時間が限度です。一般の音大生ならば、2時間は持ちません。
教室の生徒達は、そう言った練習で、音楽の勉強を学んで来ているので、その2時間の練習はなんでもないのですが、一般の音大生で、毎日7時間の練習を耐えて来た人達は、教室の2時間の練習が苦痛で、練習を継続させる事が出来ません。
私に取っては、単純に7時間練習するよりも、集中して2時間練習をした方が楽なように思うのですが、一般的には、7時間の練習の方が効果があるような風に思われているようです。
名門大学や、大手の会社に集まる人達は楽に見えて一番厳しい人生を選んでいるのですが、それに気づいている人達はいません。そんなもんですよ。
芦塚メトード自体は、非常に簡単なmethodeであり、誰でもそれを実行する事が出来ますが、問題は、それを継続する事が出来ないのです。
その一番簡単な例を上げるとすれば、暗譜の例でしょうかね。
暗譜を一つの技術として捉えると、「暗譜は、出来る人は出来るし、出来ない人は出来ない」という、「出来る人と出来ない人の落差」が、一番大きい技術のgenreです。
暗譜の能力を習得するために、子供達に私が何時も言い続けている事は「暗譜は記憶の能力ではなく、単なる癖なのだよ!」という事です。
暗譜をする一番簡単な事は、譜面を見ないで毎日の練習をする事です。
その一番簡単な事が、中々出来ない!!
譜読みに自信が無くて、曲を貰ってから譜読みの段階が非常に困難な人は、(譜読みを丁寧にするならば、)1,2小節を単位に(一つのphraseを単位に覚えて行きます。)一つのphraseを譜読みして、それだけの小節を暗譜で練習する事は簡単ですよね?
人は楽譜に目が行っていては、音や指使いに集中する事が出来ません。
或いは、抜き出し練習の箇所は音に集中しなければならない・・と言う事なので、抜き出し箇所の譜読みを正確にしたら、後は耳や目を使って練習しなければなりません。
この場合の耳は自分の弾いた音を正しい音を弾いているかを確認する事で、目は鍵盤上の手の型や姿勢等々がちゃんと出来てイルカであって、楽譜上の音のcheckであっては、絶対にいけません。
それだけの事を守れば暗譜の癖は直ぐに付くようになるのですが、それだけの事が出来ないのですよ。
つまり、面倒臭くなってしまうのよね??
勉強に、「面倒臭い」という言葉が出て来た時点で、methodeを習得するのは不可能になります。
そこは、王道はないのですよね。
「出来る人」と、「出来ない人」の差は、その「面倒臭さ」だけなのですよ。
でも、その差は、あっという間に、致命的な迄に開いてしまいます。
「少ない努力で、早く出来る事」と、「いつまでもコツコツとやらなければならない事」は、「どちらが楽か??」と思うのですが、一般的には、皆、コツコツを選択してしまいます。
私には、そこが理解出来ません。不可思議ですよね??
2月15日 11:40
色々とアドバイスをしても、それが中々出来ないのは、それを継続出来ないせいなのです。
一番簡単な例を上げるとすれば、暗譜の例でしょうかね。
暗譜は、出来る人は出来るし、出来ない人は出来ないという、出来る人と出来ない人の落差が、一番大きいgenreです。
暗譜の能力を習得するために、子供達に私が何時も言い続けている事は「暗譜は記憶の能力ではなく、単なる癖なのだよ!」という事です。
暗譜をする一番簡単な事は、譜面を見ないで毎日の練習をする事です。
譜読みの段階が困難な人は、譜読みを丁寧にするならば、1,2小節を単位に(一つのphraseを単位に覚えて行きます。)2,3小節を譜読みして、それだけの小節を暗譜で練習する事は簡単ですよね?
或いは、抜き出し練習の箇所は音に集中しなければならない・・と言う事なので、抜き出し箇所の譜読みを正確にしたら、後は耳や目を使って練習しなければなりません。
この場合の耳は自分の弾いた音を正しい音を弾いているかを確認する事で、目は鍵盤上の手の型や姿勢等々がちゃんと出来ているかであって、楽譜上の音のcheckであっては、絶対にいけません。
それだけの事を守れば暗譜の癖は直ぐに付くようになるのですが、それだけの事が出来ないのですよ。
つまり、面倒臭くなってしまうのよね??
勉強に、「面倒臭い」という言葉が出て来た時点で、methodeを習得するのは不可能になります。
そこは、王道はないのですよね。
「出来る人」と、「出来ない人」の差は、その「面倒臭さ」だけなのですよ。
でも、その差は、あっという間に、致命的な迄に開いてしまいます。
「少ない努力で、早く出来る事」と、「いつまでもコツコツとやらなければならない事」は、「どちらが楽か??」と思うのですが、一般的には、皆、コツコツを選択してしまいます。
私には、そこが理解出来ません。不可思議ですよね??
2月15日 10:38
音人の会...欠席でお願いします......残念...。
2月13日 22:37
久し振りでお喋り出来るかな?と思ったけれど、残念ですね??じゃあ、また今度の機会ででも・・・。
2月14日 2:10
はい、なかなかレッスンも再開出来ませんが、江古田はアクセスも良いのでぜひまた伺いたいです!
2月16日 22:33
2月13日 12:14 ·
「帯状疱疹Ⅱ-2」
昨日のオケ練習では、小学生の子供達の表情に元気がない事が気になって、練習中に何度も子供達に「どうしたの?」と聞いたりしましたが、皆、「そんな事はないよ!」とか「普通に元気だよ!」という答えが返って来ました。そこで、ほっぺたが赤くなっている子供の熱を体温計で図ったら、やはり、7度超で、少し微熱があるようで、「キツければ早退しても良い」と言ったのですが、途中で帰るのは厭らしくて、最後まで頑張っていました。
今千葉ではインフルが流行っているそうですよ。
小学生組が帰って、高校生や大学生のlessonになった頃には、私もなんとなく、顔が火照って来て、「ウツされたかな??」という感触だったので、千葉から東京へ戻ってから、急いでハイツに戻って、そのまま後片付けもしないままに寝て、今朝、起き出したのですが、体調が戻らないので、改めて、体温計で図ってみたら、やはり案の定、7度5分の微熱なのですよ。
いや~あ、参った!!
取り敢えず、その夜はそのまま休んで、何時もの定型の体重測定の時間(朝5時丁度)に起き出して、昨夜のそのままの状態の、楽譜類や仕事道具だけを先に片付けて、衣類は脱ぎっぱなしの状態のままで、体力切れ・・・と言う事で、布団に再び潜り込んだにですが、横になった途端に鼻詰まりが酷くなって、窒息しそうになって、慌てて布団から起き出してしまいました。
困ったもんだ!!
明日の火曜日は、病院に帯状疱疹の薬も貰いに行かなければならないし‥・、それにインフルの薬まででは、薬漬けになってしまうよな⁉
病院通いが日課になってしまっては、まるで、老人のようだぞ!!
いやあ、困った!
おまけに昨夜は珍しく、熟睡は出来ていたのですが、起きて腰が立たないし、鼻詰まりで息も出来ないし、微熱で顔も火照っているし、**いるし、**いるしで、・・こりゃあ、どうすんべ~ぇ??
という日常がroutine化して来ているようですな??
少し、安静にしておこうと思って、布団に入ったら、いつもの鼻づまりになってしまった。勿論、起き出して椅子で休むと鼻は通るのだよ‼困ったものだ‼
写真は、鼻の洗浄器です。後ろの袋が塩で、生理的食塩です。人肌のお湯で鼻を洗浄するので、痛くはないし、辛くもないのですが、それで人前に出ると、脈絡なく突然に、鼻から水が流れ出るので、人前に顔を出さない時しか使えないのですよ。深夜寝ていても突然水が出てしまうしね。
それでも、今回のように、いつまでも、鼻づまりで眠れない時には、非常手段として、使用します。ハイ!
2月13日 15:05
今日は帯状疱疹の薬が終わったので、病院に行って来ました。病院によると、帯状疱疹の薬は、非常に高価なので、1週間分しか処方出来ないそうで、後は様子を見て、これ以上悪くなるようならば、皮膚科に入院して点滴で薬を入れないといけないのだそうです。
いずれにしても、一番大変な時期は過ぎたので、様子を見るという事で、痛み止等を処方して貰いました。
ついでに、風邪の鼻水と咳止の薬を貰って、風邪の細菌感染を防ぐ薬を貰って来ました。
う~ん、なんだかね~ぇ??
2月15日 3:14
一夜明けて、今日は水曜日です。
日にちが過ぎるのは早いもので・・・、ではなく、帯状疱疹の薬が終わったばかりなのに、もう少しあちこち頭の中のぶつぶつが腫れて来たのと、折角、鼻水の薬と喉の薬を貰って来たのに、今日は鼻水が止まらなくなって、喉が痛くなって、咳が止まらなくなって来て、朝から眠れなくなって、困っています。折角、病院に行ったのに、どうなっているのかな??病院でインフルと帯状疱疹を貰って来た・・とか??
それに微熱まである!!
2月15日 14:21
2月16日 3:54 ·
「帯状疱疹Ⅱ-3」
「帯状疱疹の再発」
火曜日に帯状疱疹の薬が無くなってしまったので、貰いに行ったのですが、帯状疱疹の薬は非常に高価な薬なので、1週間以上は処方する事が出来ないと言われて貰えませんでした。それならば、という事で、少し風邪っぽかったので、ついでに風邪薬も貰って来たのですが、病院から帰ってきた途端に、咳が酷くなって夜も眠れなくなってしまいました。熱は微熱程度なのですが、鼻水と咳があまりにも酷くて、深夜、とても眠れなくって、起き出してしまって、パソコンの椅子に座りましたが、意識朦朧なのでパソコンを開いても、目が開かないので、mailを読む事すら出来ません。頭もボケまくって、Keyboardを打つ事すらままならないのです。咳が酷いと、その前に体力が消耗してしまって、やる事なす事ウダウダで、本当に、仕事にならないのよね~ぇ??それが今日(木曜日)の近況です。
体調はまだ完全ではないのですね。ご自愛ください。
因みに帯状疱疹の薬が一週間を超えて処方されないのは、高価であることが理由ではないのです。ウイルスに対する治療は一週間で完結して、また健康保険の適用も一週間以内に限られているからです。一週間を過ぎて痛みや発疹が残る場合は痛みや発疹に対する治療をしていくことになります。
2月16日 8:52
ご教示、有難うございます。最初帯状疱疹になったのは12月6日の話で、なんとか外に出れるようになったのは、一月ぐらい掛かったのですが、結局は、前回も、治りきらないままに発疹が頭部のアチラコチラに残ってそれが、今回また再発してきました。今回も薬は飲み終わりましたが、少し進行しているようです。「高価である」・・というのは、なんでその先生が言っているのか分かりませんが、その先生の口癖です。前回の薬は殆ど効果が無くて、飲み始めてからも病状が進行して、結局一月近く掛かってしまいました。と言う事で、今回はお願いして別の薬を処方して貰いました。前の薬の方が一般的で薬も強いので・・と、言っていましたが、あまり私には適してはいないと思ったので。私は保険が100%なので、薬局でお金を払った事がないので、そう言う風に言いたくなったのかもしれません。それにしても、風邪の方は、鼻水は少し快方に向かったのですが、咳が酷くて夜も眠れません。薬は処方して貰っているので、兎に角安静にしています。糖尿病の値が悪いので、病気が総て治りにくいのは致し方がない・・という事らしいです。
2月16日 16:37
今回のお話とは、関係がないのですが、私がまだ中学生の頃の昔々のお話なのですが、開業したばかりの養父が患者により良いようにと、処方した薬が高価であるという理由で保険医療に認められないとして戻って来てしまい、そういった事が度々あったので、友人の開業医に相談していました。半年か1年くらいもすると、要領が分かったようで、そう言った薬のトラブルは一切無くなったようですが。
その当時は、・・ジェネリックの薬品が出る前の時代で、必要のない高価な薬を処方して、売上を上げる悪徳医者が社会問題として騒がれていた時代でした。医療費が高額になって、国政を圧迫している‥・という事で、薬の選択にも、厳しい制約を言われていた時代でした。
今私が通っている病院も先生が処方した薬を、薬局の先生が、「ジェネリックが出ているから、」と言う事で電話で先生と相談して、よくジェネリックに交換しています。大学病院等では、新しい薬を試験的に使用するのが、基本なので、高価な薬という概念は無いようですが、町医者は結構締め付けが厳しいので色々と大変なようです。
2月17日 6:32
2月17日 17:07 ·
「帯状疱疹Ⅱ-4」
「帯状疱疹から風邪へ??」
昨日の夕方と言うか、夜頃からと言うか、突然、咳がドライな空咳ではなく、ウエットな咳に変わって、咳の回数が少なくなって来て、睡眠を取る事が出来るようになって来たので、体が非常に楽になってきました。
2日ぐらい前から、冷蔵庫の中の食料が底を付いてしまったので、代わりに小岩井の無添加野菜を食料代わりにしてしのいでいました。今日は椎名町からお弁当の配給があったので、早速、食べ過ぎないように注意しながら、食べたのですが、やはり、食べ終わった所で、微熱が出てしまって、今から布団に戻る事にします。
咳が乾咳の時には、喉が切れてしまうのでは、・・と思えるように、痛くて辛かったのですが、咳がウエットになって、痰が出る様になったので、体力的には大変助かりました。
風邪の薬は14日から飲み始めたので、昨日の夜は16日目で、ちょうど2日目なので、薬の効き具合としては、そんなものですかね??
でも、それでも咳をするとお腹の筋肉が痛くて仕方がありません‼
バイパス手術の後のように、咳をする時には、肋骨を押さえて、痛みを止めています。
それはそうと、今回の病は、一つが良くなりかけると、次の病気が始まるというパターンのように思える感じなのですがね。(そもそもの切っ掛けは、昨年の7月31日の長崎旅行が始まりで、それがいまだに続いているような感じなのですがね⁉)
やっと咳の回数も減って、体調も少し良くなって来たのですが、その代わりに、今日は朝から腰痛が酷くて、いつものようにトイレに行くのにも、何かそこにある物に捕まらないと行くことが出来ません。
腰痛は治らないし、微熱も出て来たので、久し振りの食事を終えて、安静にしてようと、布団に潜り込んだのですが、仰向けのままに、咳き込んでしまったら、気管に逆流して、息が出来なくなって、超パニックになってしまいました。
腰痛で超痛い腰を思いっきり捻って、うつ向きになって、咳をして、なんとか、息が出きるようになりました。
この咄嗟の動きが出来なくなった時が、そろそろ生きて行くtimelimitなのだろうかね⁉
昨年は、大きな病をしても、それが治ったら、しばらくの間は普通の生活が出来たし、もう、二、三年前なら風邪をひく事すらなかったのだけどね~え⁉
毎年、一歩、一歩体力、体調が衰えて行きますよね~え⁉
その分、早く若い芽に引き継いで欲しいのだけどね⁉
急げ🏃➰💦急げ🚄
2月17日 19:33 ·
「蜘蛛の糸」
芥川龍之介という作家は、中、高生の頃は結構愛読をした小説家でした。
特に、子供向けに書かれた童話や、侏儒の言葉のような箴言集はとても簡明なので、大好きで、よくいろいろな書き物に引用したりしていたものです。
但し、結構ひねくれた中、高生時代を送っていた私ですから、それらの話をそのまま受け入れて書いていた分けではありません。
例えば、「蜘蛛の糸」というお話では、カンダタという罪人が生きている時に、小さな蜘蛛を踏み殺そうとして思いとどまった‥・という事をお釈迦様が思い出して、蜘蛛の糸を地獄に垂らして、カンダタを救おうとするが、(以下略)・・というお話で、原文はポール・ケラス(Paul Carus)著 鈴木大拙訳 長谷川書店、1898年9月「因果の小車」という本ですが、内容は流石に難しく、芥川龍之介が子供たちのために、簡明に書き直した名著である事は否定しません。
原文は仏教の寓話の中の一節なので、とてつもなく深遠な内容を持っているのですから、ここでその事を論じるような不遜な事はしません。
私がもし、芥川龍之介で、私の立場で、この原文を弄って見るとすれば・・という前提で考えて見たのですが、仮にカンダタ(本当の読みはケンダタだそうですが、門外漢なので敢えて触れません。)お釈迦様ともあろう人がそのような「意地悪」をする分けは無いのですよ。
「何故、意地悪なのか??」という事ですが、寓話の中の登場人物であるカンダタは自分の事しか考えられない・・、自己の利益追求のために人を殺して来た人なので、自分のために垂らされた蜘蛛の糸にしがみ付いて来る他の人達を許す事が出来ないのは当たり前の性格だし、お釈迦様にとって、カンダタが、自分の蜘蛛の糸に掴まっている他の人を許さないであろう事は当然、自明の理として分かっていたはずなのだから、カンダタがその蜘蛛の糸で天国に救出される・と言ったような「淡い期待」をお釈迦様が、カンダカに抱かせるようないたずらをする事は絶対に無いと思うのですよ。
人(他人)を救済する事は、とても大変な事です。
それは、人によって、民族によって、宗教によって、正義とされる事が異なるからです。
同じ国民であっても、人によっても、善悪の基準が異なってしまうのです。人間というとても大きな区分から、同じ町の住人とか、家族という小さな単位迄も、その基準は異なります。
しかし、人は皆何時も自分の基準がstandardであると思い込みます。そして、自分の基準に周りを従わせようとします。
しかし、そういった思いやりは、私達にとっては、それが当たり前の事で、とても楽でそれをする事がとても楽しい事であったとしても、それが出来ない人達にとっては、酷と言うものに過ぎないからです。
そういった人達が「一歩を踏み出す」という事は、出来ない人達にとってはとても酷な事なのですよ。
もし私がお釈迦様の立場なら、天国に来たい人達全員にそれぞれ一本の蜘蛛の糸を垂らしてあげたいと思いますよ。
それならば、他人を怨み嫉む事もなく、自分自身を見つめて行けるからね⁉
諦めるのも、諦めないのも、自分自身だけです。
それなら納得出来るってもんよ‼
・・・否、それはないでしょうね??
現実的には、それは正しい回答ではありません。
先程も言った、「その一歩を踏み出せない人」にとっては、その踏み出せないという理由を、自分のせいにするのが、辛いから、他人のせいにするのですよ。
出来た事は自分の力で、出来なかった事は他人のせい‥・・、それなら、カンダタとなにも変わらないよな⁉
出来た事は自分の力で、出来なかった事はお釈迦様のせいなのですよ。
人間なんてそんなものですよ。
それにもう一つ、蜘蛛の糸がたくさん垂れてきたら、人はどうすると思いますか?
勿論、一番人が集まって登っている事に集まって来るのですよ。
それは日本人のとても悪い習性です。
必死になって、遠い天国を目指す人達‥・・!
たくさん集まって来た蜘蛛の糸で、カンダタのように周りの人を押し退けて、先へ行こうとしたら、道はなくなってしまうのだよ‼
だって、自分を導いてくれる人も、結局は自分のライバルなのだからね⁉
必死になって、遠い天国を目指す人達‥・!
これって、現代社会の何かと似ていませんか??
まあ、それにしても、必死になって目指す天国とは、あなたにとって、なんですか?
のんびりと美味しいものが食べられて、穏やかな気候に恵まれて、なにもしないで、幸せに過ごす事‥・??
それとも、お金持ちになって、物に恵まれた生活をする事かな⁉
・・それが一年、365日続く事!或いは未来永劫続く事ですかね~ぇ??
3日もすれば飽きるんじゃあないの??そんな生活‥・!!
芥川龍之介は、そう言った天上界での生活の事は何も語っていませんよね??
では、カンダタは、天上界になにを求めたのでしょうかね??
意外と、自分が人を殺傷しないでも良いという普通の人間としての生活を送れる環境であり、そういった社会だったのかもね⁉
そう言った生活を夢見て、下に連なって来る人を保身のために否定する❗
儒教的な修身の授業ならば、人を救う事で、蜘蛛の糸は強くなるって教えたかもしれませんね⁉
しかし、私は小学生の子供たちに、真逆の事を指導するのですよ‼
自分自身が成すべき事を成さないで、人のために、何かをする事は、偽善に過ぎない、と……‼
蟻とキリギリスの話しでも、キリスト教の団体が出版している反対の絵本を知人にプレゼントして貰った事があります。
そのストーリ-では、働かないキリギリスは、夏の間、遊んで楽しい事をいっぱいに心に詰め込んで、冬の寒い時には、暗い洞穴の中で、皆の目を瞑らせて、楽しいお話や美しい景色のお話をいっぱいしてやったそうですよ。
働き蟻達はそのお話を春が来てまた世の中で働けるようになるまで、聞き入っていたそうですよ。
私がまだ、高校生か大学生の頃に、偉人達の最後の言葉を集めた本を買いました。中々格好良い決め台詞のような末期の言葉が多い中で意外と同じ言葉が言われている事に気づきました。
その例を上げると、ヨーロッパで、或る有名な偉人が死の床に付いた時に、終油の秘跡のために訪れた司祭様が言いました。「あなたは生前のその善行の故に神の御国に召されるでしょう!」と…。
・・彼は司祭に言いました。「・・もう疲れた!休ませてくれ!」アハッ!
いや、酷い会話だ!!
でも、
このお話を敢えて、「或る有名な偉人」としたのは、偉人達の最後の言葉で、同じような言葉を述べた偉人は、このpatternが一番多かったのですよ。
ゲーテが書いたファーストのストーリーでは、悪魔であるメフィストが年老いた学者であるファーストの元に訪れて、「世界は美しい」という一言を言えば、メフィストの勝ちで、「魂を貰う」という約束をします。そして若返ったファウストが人生をやり直して、王様になって、世界が円満に治世が行われているのを夢見て、ファーストはその夢の中で、「世界は美しい」と呟いてしまいます。ゲーテは、この解決を「天に救われる」パターンと、「地獄に落ちる」パターンの二つを書いています。
ファーストは未完の作品なのですよね⁉
葛飾北斎は、天が望みを叶えて、天で筆を持って良いことになったら、満足の行く絵が描けるまで未来永劫絵を書き続けていたでしょうし、BeethovenもBrahmsも自分の作品を推敲し続けたでしょうよね。
じぶんが自分なりに出来うる最高の仕事を成し遂げた人の最後の言葉は、「静かに寝かせて来れ!」に決まっているでしょうよ!!
私のような凡人は人生行き詰まる事は日常茶飯事なのですから、その都度、苦しみ悩み抜いていては、生きて行けないのですよ。
だから、行き詰った事は、2年でも、3年でも、それが完全醗酵するまで寝かせます。
人生とは面白いもので、悩み抜いた事が、それだけで、意図も簡単に解決してしまう事があるのですから。
なければどうするの??・・って?
それは、焦り過ぎですよ!!
3年待って駄目ならば、10年!
10年待って、駄目ならば30年待てば良いだけです。
30代で書けないものは、60代になれば必ず書けます。
それが蜘蛛の糸の意図なのですよ!!
お釈迦様は、救いの手を差し伸べても、無駄だという事がご存知のはずなのですから、悲しみや哀れみの心を持って蓮池を去って行くという一節はないはずです。
そういった人生の無駄は、凡人にこそ許されているのですからね。
それにしても、一晩の温度差が20度というのは、酷いよネ??それじゃ~、体調不良になっても仕方ないよね??完全に地球はおかしくなっているのだけど、それでも、経済なのかね??
2月19日 6:43
2月18日 22:58 ·
「帯状疱疹Ⅱ-5」
帯状疱疹はどうやら落ち着いたようなのだが、今日は起きて椅子に座ったまま、動けなくなってしまった。意識朦朧状態になったのだ。ヒョッとしらたら、血圧が下がりすぎて‥・??と、計って見たら、案の定、上が95で下が53だ。「布団に戻って寝直すか?」・とも思ったのだが、solo組の練習がもう殆どtimelimitでrotation的に伸ばす事が出来ないので、lessonを休む事が出来ない。頑張って行かなければ、と言う事で、「目覚めのお茶を飲もう」と思ったのだが、ポットの所まで、動いて行けない。
困っていたら、helpのmailで、明日の衣装を準備に来てくれる・・と言うので、それを待つ事にして、自分は椅子の上でfreezeしておく事にした。その内に、先生がやって来て、意識朦朧で動けないという事で、血圧の事を話したのだが、「熱は?」と聞かれて、「ああそうか?」「気にしていなかった。」と慌てて計って見ると、なんと38度もある。もう、微熱ではなく、しっかりとした熱ではないか⁉立とうとすると目が回るのは当たり前の事だったのだよ。
それでも、練習は、timelimitなので、椎名町迄出かけて、solo組のlessonをした。
耳と頭は正常なのだから、立つと目が回っていても、lessonは普通に出来るのだよな。
lessonが終わったので、今日のプリドルっ歩は付き合わないで、大急ぎでハイツに帰って寝ます。
明日は、殆どlessonをする機会のないHaydnのQuartett「ひばり」と、時間切れでいつも割愛されてしまうHändelのpassacagliaだけ見る事にして、後は、体力温存のために、その前のオケ練習はお休みします。
38度でインフルでもないとなると、、怖いですね。
お大事にして下さい。
2月18日 23:29
有難うございます。咳が大分楽になって来たので、意識朦朧は日常生活に影響するだけで、被害を撒き散らしているのではないので、体力的には助かります。元気な時と、病気の時の落差が若い時のように大きくはなくって、ほんのチョッとした差なので、我ながらcontrolが難しいです。子供の前では元気でいなければ、何も始まらないしね~え??
2月18日 23:39
2月20日 19:43 ·
「音人の会翌日」
昨日の音人の会では、温故知新、大変楽しい時間を過ごす事が出来て喜ばしい限りでした。
一夜明けて、20日の月曜日、音人の会のご報告のページを作成しなければならないのですが、なんと、熱と咳がぶり返して、しっかりと、朝から寝込んでいます。SDcardも椎名町だしね。兎に角、安静にしとくか??
…とは言っても、咳と鼻水で、横になっているだけで、全く眠れません‼
音人の会の前日も熱と咳で寝込んでいたので、なんと、当日だけ元気だったようですよね。次の日からは、元の木阿弥で、寝込んでいます。
さて、病院からの風邪薬はもう既に、音人の会前には、しっかりと飲み終わっているし、また病院に貰いに行くか?それとも、市販の薬で間に合わせるか?思案のしどころですかね⁉
何ヶ月、繰り返し、飲み続けているのか分からないのだけど、効き目は今3って所かな??
これで、いったい、何日間寝込んでいるのかね⁉⁉
困ったものだ‼
2月21日 6:42 ·
「2017年2月19日の音人の会」
1月予定の「音人の会」は先生達全員が風邪で順延になってしまいました。なんとか2月の19日に無事開催出来て、喜ばしい限りです。
オーバーなようですが、なにせ前日までも寝込んでいたので……、私にとっては偶然の奇跡の一日でしたので…‼ハイ‼
それに、後日談ですが、次の日からも、また寝込んでしまったので・・、やはり奇跡の1日でした。
https://www.youtube.com/watch?v=AqXBQxc2bwA
斉藤純子先生Kreislerのpugnaniの主題による前奏曲とアレグロ
伴奏:萩元美紀さん
https://www.youtube.com/watch?v=zpXOKZ_h290
風戸星那さん 伴奏:萩元美紀さん
https://www.youtube.com/watch?v=djXJ8BUCwuI
本田梨紗さん(大1)太田千夏さん(高1)
二重奏
Halvorsen=Händel passacagliaとLeclairのsonate1楽章
2月26日 0:52 ·
明日はいつものオケ練習‼
という事で、明日の起床に備えて、二時間以上も寝るために格闘をしているのだが、布団に入ると、咳が止まらなくなってしまうのだが、椅子に座ると咳が止まるのだ。しばらく安静にして落ち着いたら、布団に戻って眠ろうと、試みるのだが、すぐに咳が出始めて、またぞろ止まらなくなってしまう。病院の薬はこの2ヶ月間飲み続けて見たのだが全く効かない。はてさて、どうしたものか?困ってしまうのだよな⁉気管支拡張剤は無かったのかな??
アレルギー?
2月26日 5:47
アレルギ-の検査はしたのですが、薬のアレルギーはないようなのですがね??
2月26日 7:54
ほこり、寒暖差?
2月26日 8:03
寒暖差は確実に影響があるようですので、加湿と温度差に気をつけています。
2月26日 8:04
季節の変わり目、ご自愛ください。手紙みたいな言い方ですみません。
2月26日 8:06
いえいえ、お気遣いいただき有難うございます。今日は東京は天気も良く温暖で、少し楽なようです。
2月26日 8:08
2月28日 3:40 ·
17年2月26日の京成検見川教室でのオケ練習の風景です。
曲はVivaldi L,Estro Armonico Op.3Nr.8a moll 二台のviolinのためのconcertoです。
https://www.youtube.com/watch?v=G7ssmDel5qw
春待ちコンサートで演奏予定の曲です。
2楽章のornamentはまだ作成途中です。
このまま、2楽章のAnalyseに続けようか?と思ったのですが、楽譜を掲載しなければならないので、Pageを新たにする事にします。
2月28日 12:58 ·
Sweelinckの新しい変更箇所の連絡です。
「全員:」1Page目は12小節目の入りの休符を削除しました。cello、Kontrabass、viola:67、68、80、81のpizzicatoとarcoを削除しました。
「斉藤先生、千夏、珠加:」2枚目の写真の86小節目3拍目1stのEをC#、2ndの3拍目のC#をAへ、celloの3拍目の4分音符を2分音符にして、AEAへ、
「全員:」92小節目 poco rit.と❜を追加、
「斉藤先生、梨紗:」3枚目の写真96小節目、1stの2拍目のc♮を#へ、violaのC#をEへ、
取り敢えずは、以上です。
uploadされている楽譜は既に訂正された楽譜になります。
各自訂正をお願いします。よろしく!
3月1日 0:28 ·
相変わらず、鬱が酷くて眠れない!!
またぞろ、ベッドから起き始めて、ぬる湯に浸かって、それからパソコンを開いている。
本来ならば、ここでwineでも飲む所であろうが、そこまでの体力が無い。お酒を飲むのにも体力が必要なのだよ!
そう言えば、今日は火曜日、通常ならば、行きつけの寿司屋で超熱燗を飲みながら、ツマミをついばんでいる頃の時間だよな??
・・・・で、「今は何を飲んでいるの??」・・って??
何と、オレンジジュースなのだよ!!
もう、私の人生も、そろそろ終盤と言う事で、ぬる湯の中で、「もし、私が誰だったら、今の私は幸せなのだろう??」・・と考えて見た。
驚いた!!
私が、「そうなりたい!」・・と思える人生を送っている人、人生を交換したいと思える人、・・それが、誰一人もいないのだよな??
作曲家のBrahms然り、Beethoven然りなのだよ!!
人間としての、全人格であるお釈迦様が悟りの境地に辿り着いた時に、バラモンがお釈迦様に質問をした。「あなたは悟りを得て、魂の平安を得たのですか?」と‥・。お釈迦様は応えて言った。
「私の得た境地を衆生にどう伝えたら良いのか??私の悩みはより深くなってしまった。」・・と。
パソコンの傍にあるテレビで、又吉さんの「火花」に次ぐ2作目の執筆に関してのドキュメントをやっている。
又吉さんの、ideaが出なくて鬱々としている所を放映しているのだ。
まるで、私の鬱が移っているような感じで、なんとも奇妙にシンクロしている。
テレビを消せば、それで良いのだろうが‥、なんとなく見入ってしまう。困ったものだ!!
話を日曜日のオケ練習にまで戻して、日曜日のオケ練習の事後報告みたいな話になってしまうのだが・・・、この所、帯状疱疹以来、昨年の暮れから、まるまる二ヵ月の間、風邪で寝込んだままで、私がいなければ仕事にならない、日曜日だけの私の活動になってしまっている、・・・その日曜日という事で、久し振りで、ベッドから起き出して、フル活動をしたので、一日、全く尿意が起きなくて、その日の間に、トイレに行ったのは、夜の10時過ぎの一回だけであった。
私の場合には、腎臓が1個しか無いので、体が過労を感じた場合には、体の動きを活かすために、腎臓の活動が極端に抑えられてしまう。
発表会のprogramや春待ちコンサートのprogramを強引に熟すために、夜の10時迄練習をして、それから大急ぎで、東京の事務所に戻ってから、バイクを走らせて自宅に戻ったのは、何時もの通りに3時過ぎになってしまった。
何時ものroutineの通りに、荷物等の総てをそのままの状態で、兎に角、ベッドに潜り込んで、眠ったのだが、案の定、定時の5時には、目が覚めてしまって、それから、午前中は延々と、お定まりの1時間おきの頻尿である。
通常ならば、利尿剤等を服用して、尿を出やすくして、頻尿を抑えるのだろうが、疲れ切っている腎臓を薬でcontrolするのは良くないので、血液がきれいになるまで、頻尿を我慢するのは、なんとも致し方が無い。
毎週、月曜日は、日曜日の疲れを整えるリハビリに掛けているので、それも定型のroutineではある。
まあ、人間、齢70を過ぎると色々とあるわさ!!
70を過ぎてからは、体調の回復も、月曜日だけでは、体調が回復しなくなって、酷い時には水曜日までも、木曜日までも、体調が回復しないままに、鬱々が続いてしまう。
そして、今週の木曜日は、violin組のlessonで、またぞろ、千葉へ出かける。
そうすると、日曜日の体力が~、・・・???
えへへ
そんな時に申し訳ありませんがレッスン追加していますので宜しくお願い致します!!
3月1日 21:21
3月1日 8:29 ·
曲はVivaldi L,Estro Armonico Op.3Nr.8a moll 二台のviolinのためのconcerto
花待ちコンサートで演奏予定の曲の2楽章のAnalyseです。
timelimitで練習時間(lesson時間)が無いので、Facebook上でのlectureにします。
①楽器の編成
1stsoloと2ndsolo、originalのorchestraでは、violinとviolaのtuttiで演奏する事になっていますが、多くの場合には、soliのviolinとのbalance的に、viola-soloのみでBegleitung (伴奏)する事が多いようです。今回の春待ちコンサートでも、ripieno-soloのbalance上の理由で、viola-soloのみで、演奏する事にします。
②構造分析
1. 曲の入りは4小節のorchestraのunisonで、あたかもchaconneのthemaのような、D⇒C⇒B♭⇒Aの基音からなるcantus firmus(カントゥス・フィリムス=定旋律)を演奏して、それからcantus firmusはそのままbasso continuoのviolasoloに受け継いで、1stviolinsoloからmelodieを演奏し(い-1、5小節目から8小節目迄)、同じmelodieをそのまま2ndviolinが引き継ぎます(い-2、9小節目から12小節目まで)。baroqueの音楽では、こう言った単純なmelodieの場合には、ornamentを入れて演奏しますが、このように同じmelodieが繰り返される場合には、最初のmelodieのornamentに対して、繰り返されたmelodieはより複雑なornamentで演奏しなければなりません。
ここまでのbasso continuoの旋律は、chaconneと同じmelodieを3回繰り返します。(Takt12小節目迄)
また、曲の冒頭の4小節のCembaloのpartは、通常は和音で演奏する団体が多いようですが、今回の演奏では、tasto-solo(タスト・ソロ=和音を含まないunison)で演奏します。Cembaloの和音だけが目立ち過ぎるので‥・。
2.13小節目からは、basso continuoの旋律は、quint-Zyklus(クイント・サークル=五度圏)の音を演奏します。D⇒G⇒C⇒F⇒B♭⇒E⇒A(本来的にはここで五度圏は終了するはずなのですが、この場合には、次の20小節目の頭の音迄オーバーランしています。)⇒D(20小節目の頭から、い-4の入りまでの5小節は小展開をして、前半部のclimax20小節目と21小節目を作って終止句=kadenzとなります。)24小節目2拍目の裏からのviolapartはつなぎのpassageなので、定旋律のauftaktになります。
遅れて入って来る2ndviolinのmelodieを、後攻する1stviolinが4度上で同じmelodieをrefrainします。当然、2ndviolinが演奏したornamentを1stviolinは、より複雑なornamentにして演奏しなければなりません。
3.い-4、T25からT31小節目迄は、い-3の全く同じ繰り返しになります。ornamentの原則通りに、い-3で演奏したornamentよりも、より複雑なornamentがこのpassageでは要求されます。
4.T31の2拍目の裏からは、2楽章の結びの終止句(kadenz)になります。T37の頭の音迄が、その終止句であり、い-5からは、そのpassageのWiederholungなのですが、T31小節目の2,3拍と34小節目からT37 小節目の頭の拍までがabkürzung(アップクルツング=縮小型)されています。
5.う-はthemaがtuttiで、再び繰り返されて、attaccaで次の終楽章に入ります。
6.T18 小節目や、T30 小節目のornamentのお話ですが、soliが平行3度で動くpassageが何箇所か、ありますが、この場合には、各partが勝手なornamentをしてはいけません。原則は1stのみがornamentをして、2ndは元の音符のままにするか、soliで同じ動きを3度でするか・・でなければなりません。
特に、39小節目は曲の纏めとしての長いornamentが必要なので、1stのsoloよりも、soliとしての、平行3度がより望ましいでしょう。
7.日本人の悪い癖 「演奏上の留意点」
日本人には、日本人の弦楽器奏者やPianoを演奏する人達に特有の独特の悪い癖があります。
それは、同音の後ろの音を強く伸ばす事です。特に、MozartのPianoの曲等のkadenzの最後の音が繰り返された時に最後の音を強く長く伸ばして弾くという癖です。
これは、高温多湿の国の「音に対する感性」の国民性で、ヨーロッパの風土のように、乾燥した石造りの国の「音に対しての感性」であるkonsonanz(響鳴音)に対して、モンゴルのような大草原で、反響音が全く帰って来ない平原の音や、龍笛のように、高温多湿で音が湿って響かないために、喉を締めて、空気の流れを早くし、音を鋭く出す国の「音に対する感性」の違いに拠るものが多く、日本人の弦楽器奏者の場合には、そういった「後押し奏法」に対して、それを不自然と感じない国民性なので、ヨーロッパ的なkonsonanzを響かせるという音を意識出来ないために、アジアの「後押し奏法」が、基本的に治らない・・、(不自然に感じない)・・という問題があります。
浪花節や演歌のように、最後の音を力で押すという歌唱法があって、それを心地良い・・と感じる国民性なのですが、ヨーロッパの人達に取っては、その「後押し奏法」は、とても辛抱の出来ない不自然な奏法になってしまうのです。
この文章は、国民性の違いを述べる文章となってしまうので、とても長い論文になりますので、ここで話を展開する事は出来ません。
homepageの方に詳しく書いてありますので、興味のある方はそちらを参考にしてください。
さて、今回のVivaldiの注意点(留意点)は、themaに繰り返される1拍目のoctaveの音の裏の音が、常に長めになるという事をオケ練習の時に注意をするのを忘れてしまいました。
・・という事で、ここで確認をします。
ヨーロッパの演奏上の正しい弾き方は、octaveを頭をエグリbowで裏を抜きで演奏するので、裏拍は常に「抜き」で同じ長さ(・・か、少し短め)で演奏しなければなりません。
この注意は、古典派の曲を演奏する度に、注意していたので、今回はうっかりと、注意をしたつもりになってしまっていました。
前回の日曜日のオケ練習でも、初見練習ではありましたが、これは常設的な注意なので、octaveの後ろの音が長く強くなっていたので、気を付けるようにしてください。
兎に角、演歌にならないように‥・!!
追記:オケ練習で、violaの同音をoctaveに変更するように、注意をしておきましたが、T16、T18、同様に、T28、T30小節目の1拍目の裏の音がoctave下の音に変更されていません。訂正をしておいてください。(17年3月1日)
とりあえず印刷します。
3月1日 21:22
やっと読んで確認しました。それほど難しい話ではないのに、こうやって文章にするととても難しくなってしまいますねえ・・・・まず用語を調べてから・・・?お姉さん方は調べなくても知ってる?
3月4日 13:26
そうなのよ!!普段lessonで言っているAnalyseのお話なのだけど、文章にするととんでもない論文になってしまう。言葉で言うと一瞬なのにね??
3月2日 13:39
homepageにも、随分昔に書きましたが、私が音大生の時代に、baroqueやrococoの時代の音楽を、C.P.E.Bachの名著や、他の作曲家の文献を使用して、periodの奏法を再現して演奏しようとすると、とても、eccentricな演奏になってしまうので、困ってしまいました。「幾ら古い、昔々の演奏であったとしても、そんな珍妙な奏法である分けはない」と思って悩み抜いてしまいました。その解決を見出したのは、何と、draculaの映画の中の、王宮でのMenuetのdanceでした。そうです!C.P.E.Bachも他の作曲家達も、音楽を作るのは天才であったとしても、言葉を使いこなすのは、少々無理があったのですよ。正確に表現しようとすればする程、eccentricになってしまったのですよ。当時、recorderがあれば、「聴いてください。」の一言で済んだのでしょうがね??Menuetに限らず、MazurkaやPolonaiseも、ちゃんとしたstepがあるので、音楽のtempoもrhythmも限定されてしまいます。baroquedanceをよく見て、stepを覚えて、C.P.E.BachやQuantz等の歴史的な名著を読み直すと、作曲家が四苦八苦して書いている文章が、なんでもない、当たり前の、全く普通の事であったという事がよく理解出来ます。極々当たり前の普通の事を、普通に書く事は至難の業なのですよ。
用語は、教室で普段使用している単語はそのまま書いています。横文字をカタカナ表記にしないのは、日本語の発音とカタカナ表記の発音が一致しないので、ピザかピッザかの話ではなく、音楽の勉強の場合には、楽譜を読む上で原語表記が基本なので、横文字に慣れる必要があるからです。日本語のカタカナ表記でもう一つの問題点は、和製英語が非常に多い・・と言う事です。英語だと思いこんで、そのまま書いても外人さんには通じないのよね。
新しく出て来た単語と、難しい単語には()で、読みと日本語の訳語を書いていますが、これがどうせ意味をなさないのは、当たり前です。無理やり作った日本語なので‥・。後は、文部省が明治時代に作った音楽の訳語が日本の教育界の正答として学校等で使用されていますし、音楽大学の入学試験でもそのように回答しなければならない単語が無数にあって、それが、本家本元のitaliaでは、通じない・・と言うか、意味を取り違えているのですよ。だから、音楽大学に入学した後で、留学帰りの先生に学ぶ時には、文部省的な解釈とは全く別の意味で理解しなければならない。
これは日本の音楽の教育界と音楽の現場のdouble-standardで、本当に困ったものです。
3月3日 15:18
solo-concertoの時の伴奏のsolo(soli)は、そのままsolo(soli)なのですが、Concerto Grossoの時の伴奏(Begleitung )のsolo(soli)は、concertanteに対しての、ripieno-soloになります。
そう言った事は、幾ら本やnetで調べても、何処にも書いてないのよね!!当たり前の事だからね??でも、音楽の世界では、「こんにちでは、そんなには、当たり前じゃあない!!」と思うのだけど、それが多いのよね~ぇ??困った!!
3月3日 14:43
以前も、2台のviolinのconcerto、所謂、doppel-concertoと、Concerto Grossoを同じに扱っている楽譜やnetの解説があって、困ってしまったのよね~ぇ??それがRicordi版やPeters版だったりすると、ズッコケてしまうのよね~ぇ??一応は世界的な権威のある版でしょうが‥・??(‥・でも、Ricordi版は、間違いだらけの版として知られているし、お国柄なのでしょうがないので、Ricordi版を鵜呑みに信じて演奏しているproはいませんよ!日本の音楽大学の学生は兎も角としてもネ??
表紙にはConcerto Grossoとなっていて、内側の表紙には、doppel-concertoなんて印刷されている・・!!おい、おい!あんた達お国の音楽だろうが??Concerto Grossoとdoppel-concertoは楽器の編成は同じでも、作曲上の形式が少し違うのだよ!!
当時の作曲家達は、それぐらいの区別は、ちゃんとしているよ!!
先程の伴奏のsoloも、Concerto Grossoだったら、ripieno-soloになるけれど、doppel-concertoならば、soloにしかならないのだよ!!困った!困った!
「明治は遠くなりにけり」・・か??
3月3日 15:21
3月1日 22:12 ·
「Vivaldi Il_cimento_dell'armonia_e_dell'inventione(「和声と創意の試み」よりOp.8Nr.1 「La Primavera」四季より「春」
前回にuploadした、Vivaldiのa moll doppelconcertoと同じ日の、2017年2月26日の芦塚音楽研究所千葉京成検見川音楽教室のorchestraの練習風景です。
春待ちコンサートで演奏予定の曲です。
1楽章のsoloは愛ちゃん(小5)3楽章は紗來ちゃん(小4)です。2楽章は春待ちコンサートでは斉藤純子先生、春の発表会では愛ちゃんの予定です。
17年2月26日芦塚音楽研究所千葉京成検見川音楽教室のオケ練習の風景です。
https://www.youtube.com/watch?v=VaAVOcBUyn4&t=602s
3月2日 4:26 ·
この二、三日、二ヶ月振りに、やっと収まっていた咳なのだが、今日(1日、水曜日)の夜は、椎名町の事務所から駅まで、冷たい雨の中を、歩いてプリドルを迎えに行ったのに、待ち合わせが上手くいかなくって、事務所への帰り道は気力がすっかり萎えてしまって、咳がぶり返してしまった。
という事で、雨の中をバイクを飛ばしてハイツに戻って、大急ぎで布団に入って、眠ろうとしたのだが、咳が全く止まらなくなってしまって、全く眠れなくなってしまった‼
もっと最悪な事に、病院から新しく貰った咳止めの薬は、椎名町の事務所に置いたままだ‼
以前の咳止めの薬は、私には全く効かなかったので、月曜日には、新しい咳止めの薬を出して貰ったのだが、その薬が効く、効かないの話しではなく、それ以前の話しだ。
明日は千葉で、violin組のlessonがあるので、朝早く起きなければならないのだが、咳が止まらないので、全く眠れないのに、時間だけが過ぎて行く。
困った事だ‼
眠れない事が、更にpressureになって、ますます眠れなくしてしまう‼
いつもの、堂々巡りであるぞなもし‼
「kadenzについて」
kadenzとは、「カデンツァ(伊: cadenza, 独: Kadenz)とは、一般に、協奏曲やオペラ等のアリアに あって、独奏楽器や独唱者がオーケストラの伴奏を伴わずに自由に即興的な演奏・歌唱 をする部分のことである。」勿論、この解説には、多くの例外もあるのですが、一々解説をするのも、面倒くさいので、Wikipediaより抜粋しました。
kadenzがいつから演奏されるようになったのかも、すこぶる曖昧です。Locatelli の作品集にも、kadenz風な曲が出て来ますが、勿論kadenzとはとても言えません。baroqueの後期のconcertにも、kadenz風なpassageが出て来ますが、それは、とても短いpassageのようなものが多いので、kadenzというよりは、寧ろeingangとか、episodeとか言うべきでしょうかね⁉
勿論、kadenzには、「終止形」の意味を指す場合もあります。
(T⇒S⇒D⇒T、Tonika⇒subdominant⇒dominante⇒Tonika)
面倒くさい・・の意味は、ここで私が解説をしたいのは、kadenzの定義の事ではなく、奏法の話だからです。
kadenzはbaroqueの後期から、古典派の時代に掛けては、演奏家がその場で、即興で演奏をしていました。しかし、時代が下るに從って、作曲家の手だけではなく、演奏家の手によって書かれる事が多くなりましたが、その様式、所謂、即興で演奏をした・・というstyleだけは、その後も継承していったのです。
即興には曲の本来のMotivを断片的に使用して、その曲のkadenzである・・という統一性を持たせました。
下の譜例はDittersdorfのviolin-concerto Gの1楽章のkadenzです。後世の校訂者によるkadenzになります。
AからH迄の、それぞれのMotivは1楽章の中の何処のpassageであるかを、確認して見てください。
AからH迄の8つのStollenから成り立っていますが、Eは元の曲同様に、themaであるpassageが①②③と繰り返されて、展開されます。Fは単につなぎであるscaleの繰り返しなので、Stollen的には、EからG、Hは一繫がりになります。
Aから、それぞれのpassageは、断片的に切れて(音楽的には切断されて・・という言葉を使用します。)それぞれに纏められなければなりません。
この手法は即興演奏の名残で、即興風に演奏する・・という意味になります。
でも、本当は、即興演奏の名手は、即興演奏をしていても、断片的に弾く分けではありません。
Karl Richter教授は、orgelの演奏会で、四声部のfugaをど忘れして、16小節間を即興で繋いで演奏していました。(忘れてしまった16小節間を即興で演奏したのですよ。)会場の誰一人として、Karl Richter教授がど忘れをして、即興をした事は気づかないで、次の日の新聞にもその名演奏の事は書かれていたのですが、即興に付いては一言も触れられていませんでした。名手の手に掛かるとそんなものなのですよ。
Karl Richter教授のHändelのorgel-concertoの殆どの曲には、2楽章が無く、3楽章への繋ぎの和音だけが書かれています。
つまり、Händel自身も即興演奏の名手だったので、演奏会の当日、即興で2楽章を演奏したのです。
Karl Richter教授のレコードも、見事な2楽章の即興演奏が収められていて、You Tubeでも聴く事が出来ます。
だから、Mozartでも、あくまでも即興風に作曲しているのであって、即興風でないように、厳格に演奏する事も出来るのです。
古典派時代からのfantasiaとか、Improvisationとかは、そういうstyle(雰囲気)で演奏されたのです。kadenzのstyleの演奏法を身に着けましょう!!
蛍光ペンで塗り絵をしたのですが、写真にuploadしたら、橙色が映像として出ていなくて、何処を塗ったのかが分からなかったので、色補正をし直しました。楽譜の色がチョッと変なのは、橙色を強く出したので、黒も少し色が変わってしまったからです。手書きの楽譜では色はちゃんと出ているし、パソコン上でも、はっきりと見えるので、Facebook上での話なので、ご了承ください。楽譜上でこれ以上強い色を塗ると音符が見えなくなってしまうので、パソコン上での補正にしました。
3月6日 1:48 ·
「近況報告」
発表会のrehearsalと、春待ちコンサートの最終rehearsal を終えて、am1:45自宅に帰宅!!
暫し、shock状態!!
やる気無し!
鬱酷し!
分かり切った事ではあるが、やはり、私には教育には向いていない。
海の見える断崖絶壁の丘の一軒家に引き篭もりたいなあ~!
そろそろ、もう、余生でも良いか????
ダメです。笑
マッサージでも、してさしあげましょうか♬
3月6日 11:21
3月6日 9:42 ·
「発表会と対外出演の違い」
発表会と対外出演の違いをFacebookやhomepageでも説明をした記憶があるのですが、Facebookを昨年の7月まで遡って、checkしてみたのですが、見つからなかったのですよ。
「コンサートの形態」については書いていたのですが、それは一般論に過ぎないので、これとは書く意味が根本的に違うのでね??
‥・また、新たに、書くのも面倒くさいのですが、諦めて、シコシコと書いています・・・!!
演奏のpro達(演奏家達)にとっては、不思議な事に「対外出演」という言葉はありません。
なぜなら、proが演奏する場合には、常に対外出演だからです。
それ以外は公開で演奏する事はないからです。
もう一つ不思議な事は、日本の音楽家達の場合には、演奏会を開く場合には、殆ど持ち出し(自分で費用を負担する事)が一般的です。
私達は、お金持ちのお嬢様達のように、芸術としての音楽ではなく、音楽をタツキとして生活をしているので、そう言った「持ち出し」の演奏会は、演奏会とは言わないで、自主公演と言っています。勿論、そう言った自主公演を批判しているのではありません。現に、昨年の11月に私達が開いたbaroque-concertも、チケットを売った分けではないし、寄付を仰いだ分けでもないので、完全な自主公演です。そういった意味では、一般的な音楽家の人達の方が、足りない分を自分で出して、チケットの売れた分は回収出来るので、proっぽいでしょうかね??但し、チケットには税金が掛かりますし、ホール代も、売りの場合には、自主公演とは違って、とても高額になります。
concert-hallで演奏会を開くと、最低でも100万単位のお金が掛かります。
自主公演にはそれぐらいの経費を負担する必要があるのです。
私達が演奏活動をする場合には、生活のために営業として演奏活動をしているので、基本的にはお金の「持ち出し」はしません。
但し、市や県での企画として、演奏活動を依託される場合、官公では基本的にお金を出してくれないので、Classicの音楽を演奏するという条件で、私達に取ってメリットが多い場合には、私達が自分で顎足(食費と交通費)を負担して演奏をする場合もあります。
顎足までは、自腹を切る事はありますが、それ以上、負担する場合には、生活費に影響して来るので、演奏会自体をお断りします。
結構、強気なように見えるかも知れませんが、これは、長く演奏活動を続ける為の知恵であり、秘訣でもあるのです。
つまり、持ち出しで、格好良い演奏会をしたとしても、お金が続かなくなってしまうので、2,3回が限度になってしまいます。
音楽大学の先生の場合には少し条件が変わります。
私が大学講師時代に教育論文を公開したのも、文部省に対しての、大学の先生を続ける為の必須条件です。
発表会とは「教室主催」・・という事になっているのですが、実際には、発表会費は出演者(勿論、子供達の場合には保護者の人)が出しているので、自主公演になります。
・・そう言った意味では学校主催のイベントも同様の形態になります。つまり、お国がお金を出す‥・という事は、営利目的ではないからです。学校主催と言う事は生徒の為の・・という絶対条件があるからです。
発表会の同じ流れとしては、以下・・、おさらい会とかクリスマス会もそれに準じます。
日本舞踊等では、生徒達にチケットを割り当てて、資金を分担させますが、これは演奏会と同じ扱いになるので、ホールの使用料や税金にかんしても、かなり高額になります。日本舞踊や、バレーの発表会の費用が高額なのは、設備費だけではなく、その前の公的な支払いから、既に高額になるからです。
ボランティア活動も、基本的には、学校や教室が出演者を募るので、発表会に準じた扱いになります。
勿論、出演者本人が費用を負担しているので、なんでも有り・・の、我儘が通用すると思われては困ります。
これは団体活動なので、団体の利害が個人よりも優先されるからです。
これは公的機関である学校でも当然同じ事になります。
個人の申し出が、学校や教室に認められない事が多いのは、それを認める事によって、出演者全体に迷惑が掛かる事になるからです。
対外出演とは、それとは全く違っていて、主催者は、地域であったり、企業であったりします。
ですから、当然、主催者側から、出演者に条件が課せられます。
その条件の第一番目は、何時も、繰り返し、耳タコでお話をしているNiveau(水準)という条件です。
主催者は、保護者とも、教室とも、無関係の存在なので、Niveauに到達出来ていなければ、そこで演奏させて貰える事はありません。
別の演奏団体に依頼すれば良いだけなのですからね??
もし、そんな仕事を教室がしたとすれば、次に同じ仕事を貰える事はないのです。困った事に、何時も、そこの所が保護者の人達に理解して貰えないのです。
対外出演の場合には、「子供だから・・」という、親の甘えは無いのです。
出来なければ、出演する必要はないのですからね。
私の教育のmethodeのconceptは、99%の意識と1%の努力です。
意識さえあれば、技術は自然に付いて来ます。それが私の教育理論です。簡単ですよね。
以前、八千代の演奏を頼まれた時に、勿論、八千代からの演奏の依頼は、子供達の出演依頼ではなく、先生達に来たお話でした。
つまり、先生達だけに、出演依頼が来たのです。
それは、当たり前のお話なのですが、対外出演を続けていると、ついつい、その当たり前の事が忘れ去られてしまう事があります。
対外出演は、学校教育や教室のボランティア活動のようなものではありませんし、今、よく学校で体験させている社会実習のような、子供達のために、子供用にprogrammingされたものでもありません。
そこは、八千代の時にも、大崎の時にも、主催者側の条件は、「例え、子供であったとしても、proとしての水準があるのならば・・」という、厳しい条件が入ります。proとしての水準‥・という意味は、子供・・という想定ではなく、大人と対等の技術力を有する・・という意味になります。当然、その意識もprofessionalの大人と同等の意識を持つ・・と言う意味になるのです。
丁度、八千代から、出演依頼があった時には、教室で音楽の道に進みたいという希望者が若干名いました。
その生徒達の音楽に対する夢を叶えてあげるためには、‥・つまり、99%の意識を持たせるには、100回、お説教をして指導するよりも、そう言った場所を作ってあげて、社会の厳しい視線に晒す事が、最良の策であり、早道なのです。
・・という事で、対外出演の出演をするための条件として、「対外出演なので、家庭や学校等のプライベートよりも、練習を優先する」・・という条件を付けて、誓約書に保護者からのハンコを貰って、八千代市に子供達を参加させる事を芦塚先生がお願いしました。
しかし、最初の1年ぐらいは、生徒や保護者の緊張感と意識もあって、中々好評だったのですが、回を重ねる毎に、だんだん馴れが生じて来て、発表会との落差の意識が無くなってしまいました。
音楽に進もうとする専科生達も、練習や意識が雑になって来て、何時もの発表会のように、学校の授業やテストが優先になって来たので、「素人の演奏の限界」を感じて、私自身が対外出演のために、生徒達の練習をする事に、疑問を感じるようになってしまいました。
馴れ合いのような仕事の仕方は、子供達の社会勉強に取っても、教育上、非常に良くないし、それよりも、八千代のお客様にも不誠実である・・と思いましたので、八千代の演奏は私の方から、13年の6月の演奏会を最後にして、八千代市の方に、演奏会のお断りを申し出て、それ以後の、演奏の中止をお願いしました。
今回、花見川区の自治会からの始めての依頼と、3年ぶり、4年ぶりの八千代からの出演依頼があり、牧野先生や斉藤先生からは、「今回の子供のorchestraのmemberは、意識、技術、capacity等、未だに対外出演をする迄の水準に達していないので」、・・というダメ出しがあったのですが、「音楽の道に進みたい」という生徒達がまた、育って来たので、確かに、前回のように、鬱々コンサートを演奏出来るような技術迄は、到達出来てはいませんが、少しでも早い時期(年齢)から、社会の勉強を経験させるためにも、老骨に鞭を打って、私も頑張ってみたいと思っています。
花見川区の自治会も八千代も、教室に対して、特別の扱いをして頂いて、それは、イベントの中の一つの行事としての演奏ではなく、完全に独立した音楽会として、時間枠を貰っています。
これも、そこらの子供達の演奏と言う事ではなく、Niveauを持った生徒達・・・という特別な配慮を頂いている‥・という事なので、当然、教室側も、それに応えられる水準で演奏しなければなりません。
一芸に秀でると言う事は、色々な分野の(例えば、Ballerinaを目指す人達やathleteを目指す人達のように、)音楽を目指す人達だけではなく、その事がその人自身に取っても、その家族に取っても、一番にならなければなりません。
音楽を職業としようと思うのならば、一般の人達とは一線を画した日常に甘んじなければなりません。
それは音楽に限った話ではなく、総ての分野での、一芸を目指す人達の同じ道なのです。
proの道を目指す事で、家族が協力をする事は当たり前の事なのです。その事を良く理解してください。夢は叶える事は出来るのです。
しかし、幾ら努力をしたとしても、子供は子供なのです。
親がブレたら、子供の演奏能力は、練習の如何に関わらず、一瞬で驚く程、下手になってしまいます。
子供の成長もそこまでなのですよ。
95歳で死んだ、祖母の口癖です。
「為せば成る、成さねばならぬ、何事も・・」
90を越して言う言葉かね??
3月7日 3:29 ·
頑張って勉強をしている子供達(勉強中と言う事なので、音大生等も含みます。)には、基本的には、3つのtypeがあります。
私達が生徒達、子供達を指導する場合には、それぞれのtype別にcurriculumを書くのです。これを間違えると指導は上手く行きません。
その1番目はコツコツ型(所謂、勤勉型)です。
2番目は情緒型で、
3番目は理論型になります。
このそれぞれのtypeに長所と欠点があり、それを分かった上で、指導していても、結果的に、上手く行かない事が多々あります。
その理由は、問題点が本人だけの理由である場合とは限らないで、子供達の場合には、子供達を取り巻く環境にも原因があるからなのです。子供自身を教育するのは直に接しているのだから簡単です。しかし、子供を取り巻く環境となると、手の届く範囲ではなくなります。
1番目のコツコツ型は、一番成功する確立が高いのですが、このtypeの子供達は、一つ事について深く掘り下げる事は上手なのですが、その半面、全体を見る事(俯瞰する事)が苦手なので、道を踏み外して他の道を歩いていても、それに気づかない場合が多いのも事実です。
必死に努力をしているのにも係らず、それが実って来ないのは、間違えた道を歩いているからなのです。
殆どの音大生がそのtypeになります。
指導者を見極める事は、生徒が子供の間は、保護者の責任なのですが、運良く良い先生、良い指導者に巡り会えても、顕著な伸びを見せても、周りの人達の甘言に惑わされて、道を間違えてしまう人達を数多く見て来ました。
保護者の場合には、自分がその楽器等を習っている分けではないので、習っている楽器の技術水準がどれぐらいのlevelなのかが分かりません。
だから、周りの人達のadviceが、どれぐらいのNiveauでadviceをしているのか?が分からないのです。
教室の例をあげると、小学生の間は問題は起こらないのですが、中、高生ぐらいになって、その技術力が頭角を表すようになって来て、世間の評判になって来ると、それを聞きつけた一般の素人さん達が、adviceをしようと寄って来て、「音楽大学に進学するには、音楽大学の先生につかないね!?」とかなにこれ風のadviceをして来ます‼
ついついお義理等に負けてしまって、体験lesson等に連れられて行ってしまうと、その義理で、その先生の門下に弟子入りをしてしまいます。
その場では、中々断れないものですからね⁉
しかし、「まあ、有名な先生だから、別にその先生でも良いか⁉」という親と違って、生徒、子供達は、一度その先生のlessonを受けると(或いは、その先生のlessonを見学すると・・)その先生のlevelを一瞬で見抜く事が出来ます。
自分が師事をして、育てて貰える先生か否かが、生徒の場合には、瞬時に判断出来るのです。
でも、人に紹介して貰って、体験lessonを受けてしまうと、その先生の元に入門する事を断る事は、世間の手前、難しい事になってしまいます。
それからは、悲劇の始まりです。
だって、学ぶべき事のない先生に、お金を出す親よりも、学ばなければならない生徒は、可哀想・・という他はありません。
それに、その先生の指導を受ける事を終わらせるためには、先生を変わる事よりも、音楽の勉強を止めるしか手がないのですよ。
だって、日本で一番有名な先生に師事して、上手く行か無かったのだから、元の先生に戻る事は出来ないでしょう??
それで、教室に帰って来た生徒は、一人もいないのですよ。
私達の目から見ると、一般の人達がどの様に思おうと、素人の人達がproの世界の事が分かる分けはないし、見れる分けもないのです。
(またまた30分程書いた文章がぶっ飛んでしまいました。履歴を見ても残っていません。また同じ文章を書くの…??
ほんとFacebookは、困ったものです‥・??)
素人の人達が、優れた指導者であるか、否かを判断する基準は、「有名な演奏家であるか?」「音楽大学の先生であるか?」という事に過ぎないのですが、もしも、音楽大学の先生で、professionalとして演奏活動をするだけの能力がある先生(或いは演奏活動をしたい先生)は、音楽大学の先生を続けていると思いますか??
音楽大学の先生と、pro演奏家の両立が出来る程、音楽の世界は甘いものではありませんし、就職している音楽大学自体も、先生達が演奏活動をする事を嫌います。
演奏活動をする先生の生徒指導は、どうしてもその指導がお座なりになるからです‼
演奏家を続ける事を希望するのなら、音楽大学は基本的には、止めなければなりません。少なくとも、私の友人達はそうしています。
またそれが、一般的な音楽大学の講師になる条件でもあります。
唯一の例外の音楽大学は、現役の演奏家を集めて、先生として指導させることで、大学のステータスにしている桐朋だけですが、しかし、桐朋に名前を連ねている多くの先生達が、実際には名前を貸しているだけで、実際の指導にはあたっていないのも事実なのです‼
桐朋の話はさておいて、また例え一流の演奏家であったとしても、proを育てた事のない人に、proを育てられるcurriculumがある分けはないのですから、proを育てる事が出来る分けはないのです。
その演奏家が、一流の演奏家になったのは、その人の能力ではなく、その人を育てた先生の能力ではないか??と思うのですがね??
どうして、一般の人達は、そんな当たり前の簡単な事が分からないのでしょうかね??
上野の山しか登った事のない人に、エベレスト登頂のadviceを受ける人がいますか??
amateurの人達の耳学のadviceなんて、そんなものなのだけどね??
2番目は、情緒型、所謂、天才型なので、上手く行く時と、失敗する時の波が酷くて、自分でも心のcontrolが上手く行かない場合が多く、チョッとした日常の変化でも、平静を保てなくなって、失敗する事が良くあります。
私が高校生の時に、私の天才型の同級生が、自分のバイオリズムと東大の受験日を電卓で計算して(いつも言うように私の高校生の時には、未だパソコンは無かったのですよ!)、その日が最低のrhythmである事にshockを受けていました。一浪に甘んじていましたが、次の年には目出たく合格していました。
私はバイオリズムは信じていません。私のrhythmが壊れるのは、私を取り巻く周りの影響が多いからです。
指導者の選択もそうですが、周りの人達に影響されて、人生の選択を失敗して、本来の道に戻れなくなった人達も数多く見て来ました。
教室でも、最初に頭角を表すのは、この2番目の天才型のtypeの生徒達なのですが、逆の言い方をすると、この天才型のtypeの生徒達で、実際の音楽の世界で活躍する人達は、一番、少ないのでもあります。
私達指導者の立場で見ると、折角、それだけの能力と才能を持ちながら、自分で自分を壊してしまうのですから、勿体無い話ですよ。
でも、それでも、自分を信じて、努力を続けた人は、ちゃんとひとかどの音楽家になっているのです。
成功か挫折かの両極端のtypeの人達です。
世界的なPianistであるマルタ・アルゲリッチさんもその2番目の天才型のtypeで、凄い感動を与える素晴らしい演奏をしたか?と思うと、めちゃくちゃな「これがpro??」と思えるような最低の演奏をたりしして、それを目当てにフアンが駆けつけたりします。
アルゲリッチ・フアンの言葉によると、「素晴らしい時の演奏が、駄目な演奏を凌駕する」のだそうです。100の駄目な演奏でも、たった一回の素晴らしい演奏で報われるのだそうです。
私は基本的には、そう言った情緒的な天才型の演奏家は大嫌いなので、アルゲリッチのチケットを貰った時にも、コンサート会場の前で、カップルの一人しかチケットを持って無くて、「幾らでも良いから売って・・」と、人に懇願している男性に、私のチケットをプレゼントしてしまいました。勿論、ただで・・です。
そこだけは今でも後悔しています。
その後、Bierstube(ビアシュトゥーベ=小ビヤホール)に、ビールを飲みに行ったので、飲み代だけは要求すれば良かったのにね。
3番目は論理型なのですが、理屈先行型なので、中々上手くなりません。
これこそは、頭角を表す様になるまでは、膨大な積み上げが必要だし、日本人の先生では、この理論型の生徒を指導出来る先生はいません。
これは学校教育においても同じです。
学校は勉強を教える所なので、「理論を指導しない」と言われてしまうと、意外に思われるかも知れませんが、このtype生徒するの質問内容は、学校の先生の手に負えるものではありません。
学校教育の場合には、質問にも想定内の質問があって、その正道を外れた質問に対して、それに応えられる知識を持った先生は学校にはいないのですよ。(というか、学校で指導する上では、必要ないのかも知れませんよね??)
また日本の音楽家の場合においても、演奏家の場合、全員が職人typeなので、理屈よりも、「100時間練習して、弾けるようにならなければ、1万時間練習すればよいのだよ!」というだけのlessonなので、その質問すら存在しないのです。
ですから、このtypeの生徒達は、日本の教育界、日本の音楽の世界では育たないのです。そこは本家本元のドイツの教育界とは根本的に違います。
音楽を勉強する上では、音楽理論の勉強は一番大切な勉強なのにね~え??
私達の場合には、新曲のscoreを見ながら、初見で「次はこうならなければならない!」と言う事が経験上、分かるので、問題はないのですが、音大生ぐらいの年齢になったとしても、作曲家のひねくれた論理的な思考方法は、理解するのが難しいらしいので、そこの所を理解させるのには、専門の人の手ほどきが必要になります。
論理型は、一度、曲が出来上がると、天才型のように崩れる事はないし、周りのつぶやきに情緒的に惑わされる事も無いので、Niveauが出来てしまうと、本番にはとても強い、チャラチャラした演奏家typeの演奏家ではなく、所謂、professionalなtypeの本格的なtypeの演奏家になれます。
勿論、それまでは、沢山のポニョ達や、梟さん木菟さん達とは付き合わないといけないので、それを親や周りの人達が待ちきれなくて、挫折させてしまう事が多いのです。
ドイツでは非常に多いtypeの音楽家なのですが、日本では、殆どいないtypeの演奏家になります。
時間が掛かる上に、中々伸びない、それはこのtypeの修行中のお話なので、致し方ないのですがね。
勿論、このtypeの生徒は、どの分野に行ったとしても、同じなので、そのtypeなのだから・・と諦めて、じっくりと待つ他はありません。
要は、江戸時代的な表現をすると、「石橋を叩いて渡る」というtypeの子供達なのですよ。
「纏め」
type別の組み合わせですが、type1とtype3の組み合わせは、或る意味理想的な組み合わせであって、それが出来ると堅固なものになります。type1とtype2の組み合わせも、或る意味理想的な組み合わせなのですが、type1がtype2になる事はないので、type2の天才型の生徒が努力で、コツコツの勤勉性を身に着けた場合の話です。
type2とtype3の組み合わせは、相反する性格なのであり得ません。
もしあったとしたら、結構、笑えるのだけどね??
娘っ子はどのタイプなんですか?
コツコツでもなさそうですし、情緒型ではないですし、、理論型?
消去法ですが。。
3月7日 6:29
オケ練習でも、瑞希ちゃんは、花待ち組のviolinでは最年少になるのですが、年齢を超越したキツ~い一言が、周りをビックリさせています。
子供の成長と能力で「論理性」が登場するのは、早い子供の場合でも5年、6年で、寧ろ中学生ぐらいになってからが、本当の意味で年相応になります。
音楽の成長というか、人間としての成長という意味では、中学生が一番大切な時期になりますが、その時期を殆どの子供達が塾や受験勉強に無意味に過ごしてしまい、本来の能力を育てる事が出来ずに残念なのですが、親達は、子供がその時期に育った姿を想像出来ないので、年齢による「大人になった」という事しか理解出来ません。
その時期には、子供の一生を決定付ける意識や能力が育つのですが、塾や受験では、そういったものは何も育たないのでネ。
瑞希ちゃんの話に戻して、日本の学校教育では、論理性を育てる教育はされていないので、理論型の生徒は塾や学校教育で育つ事はありません。
千夏さんは教室で、lessonではそんな時間はありませんので、椎名町に来た時に、「文章を書く」・・というthemaを貰って、色々な文章を読み下しながら、分析力の勉強をしています。
学校で「文章を書く」という勉強を全くしていないので、自分が思っている事を全然書けなくて今は困っている所ですが、今年中には、千夏ちゃんも、ある程度は文章を書けるようにしたいと思っています。
梨紗さんの場合には、江古田教室で、私が小学校に入る前からlessonを見て来た生徒なので、論理性の勉強は良く出来ています。ただ、塾と学校を優先して勉強して来て、音楽に進むと言う事を、本当に決めたのは、高校の3年生になってからのお話だったので、中、高の時の基礎の勉強を、今現在に勉強をしなければならないので、大変ですがやっと今年に入ってからは、やっと、少し腰が座って来た所ですかね。
3月7日 17:07
確かに、きつ〜い一言を放ちますよね。
私も、それでよくやられます(^^;;
とても小さい頃からそうなんです。
3月7日 7:25
ひと昔前の悪い言い方をすると、「こまっしゃくれた」という子供のtypeになるのでしょうが、未だ、幼いので、自分でそのこまっしゃくれた言葉を作る事は出来ません。今までに聞いた大人の会話の中から情報の分析をして、理解して記憶する・・という事と、逆に、今の状況からどの言葉を使用出来るか?という判断力の部分のsynapseが優れて活性化しているのです。
そこは教室としては、上手に育ててあげたい所ですよね。
でも、それはナイフのようなものですから、それをどう活かし、活用して行けば、役に立つのかは、少しづつ指導して行かなければなりません。
優れたitemと言うのは、他の人とは異なるものなので、優れていると言う事が出来るので、その違いを下手に使うと逆に人と違う‥・という事で、イジメの対象になったりしてしまいます。その違いを上手に使う事が出来れば、leadershipとして人を統率出来る能力にもなります。
優れた能力には、常にその明と暗の両面を持っているのですよ。そこが教育の一筋縄では行かない難しい部分なのです。
3月7日 17:12
3月7日 7:27 ·
「子供の能力について」
本来子供達が学び、そして育てなければならない能力を思いつくままに羅列してみました。
記憶力、集中力、理解力、考察力、発想力、想像力、洞察力 、創造力、論理力、読解力、忍耐力、思考力、 認知力 観察力 分析力 判断力 語学力、知識力、実行力、予知力 統合力 適応能力 直感力 ヒラメキ 行動力・・・等々限がないようですが、今は、子供達の社会性の欠如から、寧ろ、一般社会や教育界では「communication能力」という言葉が叫ばれているようですね。
羅列した言葉は、**力が付けばなんでも良いような感じで、数え上げれば限がないように思えるのですが、この中で学校教育で学ぶ事が出来るものはどれでしょうかね??
先ず、これ等の言葉は、単なる言葉の羅列に過ぎないので、これを分類して、枠に嵌めて行かなければなりません。
例えば、予知力と言ったオカルトめいた言葉は兎も角としても、直感力や、洞察力という言葉の場合には、その前提として、分析し、理解し、判断し、考察をする事によって、始めて、類推が出来る場合が殆どなのです。
学校教育では、オカルトまがいの「ヒラメキ」という言葉を重要視しているようですが、これは寧ろ直感力に近いもので、本来的には、総合力的な知識力が必要なのです。
良く作曲家は、感情的な人間である・・と誤解される事がありますが、少なくともClassicの場合には、膨大な知識と判断と論理性と、分析力が必要で、感性感覚は殆ど必要ではありません。
一般的には、平凡な人間が何かを新しいことを創造することは不可能なように思われているのですが、実はそれは大して難しいことではないのです。
私が留学を終えて、大学で教鞭を取っていた頃の昔々のお話になるのですが、私が創り出した絶対音感のメトードや、その他の色々な音楽的なメトードを、音楽史上で、始めて創り出した・・という話をした時に、高校の先生から、「あなたのような一般の人が無から有を創り出す事は有り得ないのよ!!」「既に、歴史の中で偉人達が必ず同じ研究をしているはずなのだよ!」と怒られてしまいました。その人にとっては、近現代の時代では、物事の全てが、既に解明されて、ありとあらゆる教育上のシステムも開発されて、この世には、不都合なものはなにもないのだと いうことなのですかね⁉
その人には、何を説明しても理解しては貰えないと確信出来たので、そのまま放っておいたのですが、実は、「無から有を生み出す事」「創造する事」はいとも簡単なのですよ。
現在の中で 何がまだ誰も 考えていない未知の分野か…を、理解し、判断するのは これまでに 研究されてきた 物事を 詳しく 絞り込んで行けば良いだけなのです‼
つまり、音楽の歴史は、 とてつもなく長い歴史のように思われますが、 実際には 西洋音楽と言っても 、単に400年500年しかないのです。 それより前の 音楽は 私たちが勉強している音楽とは、全く異なった民族音楽的な領域になるか、或いは、歴史的な中世の教会音楽の領域になって、特殊な独自の研究の分野に なるので 私たちの所謂、西洋音楽と呼ばれる分野とは関わってきません。という事で、1550年殆どを割愛する事が出来ます。 そうすると私たちが勉強しなければならない 音楽の歴史は わずか 500年程度になります。
その中でも、音楽を時代様式で捉えると、50年ぐらいから30年ぐらいのintervalの中に収まってしまいます。
例えば、baroqueの時代は150年くらいですが、前期と中期と後期 に分類するとそれぞれは 50年ぐらいにしかならないのです。 その中で色々な様式について 研究する分けなので、逆に 勉強しなければならない資料も 、極端に少なくなってしまいます。
私の場合には それを補うために 研究する資料を 音楽以外の分野に も 広く求めています。 そこが一般の 音楽家と違うところかもしれません。
絶対音感に関しても、歴史上、ずいぶん昔から研究会されて来た事のように思われますが、一般的な音楽の研究者達の、その大きな勘違いは、音を音符として定義した時からが、絶対音感の始まりと考えてしまいがちなのですが、実は、音のピッチを定義をする事は出来無かったので、絶対音という概念が出来るのは、音叉等のtuningの道具が出来てからの話で、それは随分後の時代の話になり、その年代を特定する事が出来ます。
つまり、targetを絞り込めば、自動的にその分野での文献は少なくなって、世界の著書を探しても、その内に見つからなくなってしまうので、それをどのように調べたら、良いかは、その人の力量に因るのですよ。
教室では出版されていない楽譜を大量に所有しているし、また、古楽器の演奏もしているのですよ。
専門的になると、そんな事も出来るのです。アハッ!
そういった専門的な研究でなくて、子供達の教則本として、例えば ピアノを始めたばかりの楽譜がまだ全く読めない子供達のために、音を 1個ずつ覚える子供たちのために 先生が 伴奏をつけてピアノを習い始めのその第一回目のlessonから、先生と一緒に音楽を楽しむ事ができるように、連弾の 教則本を作りました。 その教則本を作ったのは 、今から 40年以上前の話です 。その頃はそういった教本が1冊も出版されていなくて、「 なんでそういう教則本を作るの?」と編集長に叱られたことがあります。 でも今はそういったstyleの教則本が 逆に スタンダードになっています。
何が何でも音楽の演奏家として、世界的な演奏家になろう‼と思ったら、人が絶対に演奏しないマニアックな作曲家の作品を研究して演奏すれば良いのです。
不思議な事に、pianistと言うと、殆どの人達がChopinの演奏をします。まあ、Franz LisztやSchumann、RakhmaninovやMozart迄という感じですかね??
まるで必死に有名大学や、大手企業を目指す学生と変わりないですよね。その有名大学では、本当に一握りの人しか成功する事はないのにね??
みんな同じ目標を目指し、そこそこでしかないのですよ。
鶏頭となるも牛後となるなかれという諺もあるのにね。
みんな牛後になっているのですよ!
アハッ!くだらん!!
子供の能力の研究では、こう言った子供の能力の一部しか扱っていないのが殆どですし、ましてや、こう言った能力の羅列をしてあるサイトを探し出す事も困難です。
その原因となる事は、言葉の定義の問題です
葉を定義する事は哲学の論文としても、心理学や教育学の論文としても、とても難しい事だからです。
こう言った日本語特有の曖昧模糊とした、無味蒙昧な単語の羅列を整理するためには、言葉を定義するという無意味なドツボにはまらないように、archiveを先に作れば簡単で良いのです。
心理学や哲学の先生達からは叱られそうですが、実用には、それで充分なのでね。
archiveの並びは、時系列を利用すると良いでしょうね。
時系列では・・人間は必要なものがあったら、先ず情報を探し、⇒その情報を読み、⇒記憶し、⇒判断し、⇒その情報を利用し、⇒最後にその出来上がったdataを元に行動します。
この文章の中に、羅列された単語を入れて行けば、無意味に羅列された単語に意味が出て来ます。
はてさて、この分類能力はなんと言ったら良いのでしょうかね??
昔、音楽大学の院を受けたい生徒が私の元で院の受験勉強を始めました。それで、私が、院に提出する論文の課題を出したのですが、ネットでも、国会図書館に行っても、資料が見つからないと、怒り捲って私の所にやって来ました‼
そこで、私が、「netや図書館の論文を丸写しするのは、せいぜい大学の卒論までで、院を目指すのならば、参考文献は、その課題について書かれている論文を探すのではなく、寧ろ、同時代の一見すると無関係と思われる書籍の資料の中にあるのだよ‼」と説明したのですが、それでも納得しなくて、私の元で勉強するのは、やめてしまいました‼
その当時、私が指導していた中学一年生の女の子でも、世界の論文で主張されているBeethovenの作品の作曲年代についての論文で、一般的に通説化されている事への反論を、楽譜の分析を用いて平気で書いていたのだけどね⁉
それが正しい論文の在り方なのだけどね??
資料の丸写しは音大の学生までだよ!!
もっとも、私のprivateの生徒達は、中学生でもそれはしないのだけどね??
3月8日 2:28
あっつ??これじゃあ、なんの話か分からないよネ?
つまり、論文を書く時にどういう資料が必要で、それは何処を探せばあって、・・・とかいう判断力のようなものが必要になるのだが、それは何力というのかな??という話でした。
今では、当たり前の事になってしまいましたが、こんにちでは超有名なお弁当チェーン店が未だ小さなお店だった頃、売上をあげるのに悩んでいたので、曜日と時間帯で、どういう人達が何人ぐらい店の前を歩くかを店員に数えさせて、そのニーズに合わせてお弁当の種類と箱の量を決めると無駄が出なくて良いのだよ。そして、四季折々の売れ筋もdataに残すと良いのだよ!!と社長にadviceをしました。
今では、店舗経営では、至極当然の、所謂、marketResearchなのですが、当時はcomputerもないし、そんな小洒落た言葉も無かったので、結構そのadviceは喜んで貰えた時代でした。
アハッ!日本に帰って来たばかりの頃は、音楽家にもなろうかどうかを悩んでいたので、そういった音楽とは無関係の仕事もしていたのですよ。
3月8日 1:13
3月12日 3:40 ·
明日は春待ちコンサートなのに、2時半を過ぎた頃から、15分おき、20分おきの頻尿が始まって、眠れなくなってしまいました。
5時起きで準備しなければならないのに、どうしよう‼
困った‼
昨年の10月の秋の発表会では、病気が治り切っていなくて、体調不良のままオケの指揮に臨んだので、気力はあって、頑張って棒を振ったのですが、体がふにゃふにゃで、気が丹田に来なくて、産まれて始めて気の抜けた格好だけの指揮をしてしまいました。
その時は、「よる年波の体力の限界なのかな?」と思ったのですが、次の週のオケ練習では普通に丹田に力が入って、指揮棒が振れたので、よる歳波の性ではなく、単に、病気の後遺症で、体力、気力が無かっただけだったようです。
ところが、先週の日曜日の最後のrehearsal では、生徒達の曲の出来と意識の欠落に少なからずshockを受けて、その後、丸々1週間立ち直れないまま、江古田の自宅に引き籠もっていて、今日の「春待ちコンサート」を迎える事になったので、3ヶ月も続いた風邪はなんとか治ったのだけど、オケ練習の後遺症で、気力がなんとも充実していなくて、今日の指揮は、またまた「指揮をすると、丹田から気力がザルのように抜け落ちるのでは無いか?」と心配しています。
・・とは言っても、春待ちコンサート迄は、もう、あと数時間後の話なのだけどね??
写真は高校生と大学生の上級classのrehearsal の風景ですが、一人が演奏する曲の演奏時間が20分超なので、3人で1時間超は掛かります。
人数は少ないけれど、このklasseは時間は長いのよね~ぇ??
後ろ向きと人の影で顔が見えない人が二人いますが、それが大学生達です。
後は、この写真は2枚の写真をつなぎ合わせたものです。
写真を撮影した場所の角度が少し違っていたので、どうしてもつながらない箇所がありました。
でも、まあまあ、だよね??
3月13日 12:33 ·
昨日の春待ちコンサートは大変盛況な内に終了いたしました。
出演者一同お手伝い頂いた保護者の方々、主催の花園地区の自治会「しんけみ広場」の方々に感謝しております。
動画のuploadは、編集に時間が掛かりますので、もう少しお待ちください。取り敢えず、冒頭のcanonをuploadします。(パソコン、もしくはテレビ等の大画面で再生される方は、画像がボケる場合があるので、歯車のHDのアイコンにcheckを入れてください。)
曲はPachelbelのcanonです。
3月13日 13:27 ·
昨日の春待ちコンサートを終えて、今日は、おとなしく動画の編集を朝早くからやっているところです。・・とは言っても、忙しいのは、パソコンであって、そのパソコンが忙しく作業をしている時には、私は暇になります‼
これが私の「時短」の法則で、私の平行作業の基本の方法なのです。(つまり、パソコンが忙しく仕事をしている時には、私は別の作業が出来る・・という当たり前の話です。)※)
・・という事で、パソコンが動画の編集作業をしている間は、Facebookで、昨日の春待ちコンサートの感想を含めての雑談です。
春待ちコンサートの演奏が終わって、小道具大道具の搬入搬出が終わったら、そのまま検見川教室で、春の発表会のrehearsal を済ませて、今日一日の後片付けをしながら、梨紗さんが、「中、高生の早い時期に対外出演が出来て良いなあ~」と漏らしていたので、ついつい「八千代の対外出演は、あなた達のためにやったのでは・・?」と、愚痴ってしまいました。
勿論、梨紗さんが羨んでいた事は、対外出演や先生達の演奏に参加させて貰えると、一つの曲を何度も演奏し直す事が出来る・・という意味です。(つい先日、私が生徒達に、「今日の本番の演奏は、次の演奏会のrehearsal なのだから、本番が終わったら、その演奏を、それこそ重箱の隅をつつくようにcheckをして、練習をし直す事」と注意をしたばかりだったからです。)今回の春待ちコンサートの課題のVivaldiの「春」は、発表会でも演奏しますし、a mollは、八千代で演奏する予定です。proの音楽家に取っては、「演奏が終わったから、その曲は終了した!」という事は絶対にあってはならない事で、曲は「repertory」なのですから、何時でも、何処でも、注文があったら、すぐに演奏出来るようにしておかなければなりません。
音楽を職業として学ぶ事は、(proとしての職人を育てる事なので、学校教育では無理だ)‥・という事で、私は、教室を開く随分以前から、弟子達を育てるために、中、高生の弟子達を先生達の仕事の演奏に(学生であるという事は内緒で・・)参加させて、現場で演奏体験をさせていました。
しかし、それにしても、小学生の対外出演は、今回が始めてです。
教室で指導して来た子供達の水準では、昔々の小学生でも、個人のlevelでは、(最初から音楽を専門に目指して頑張っている子供達のlevelとしては)・・とても高いlevelの生徒達が多かったのですが、然程、大きな活動をしていないのは、流石に、小学生のオーケストラを作れるだけの人数で、そのlevel(水準)をキープ出来る事生徒達はいませんでした。
音人の会の榊原さんから八千代のお話をお伺いした時も、先生達からは、教室の再生からのlevelとしては、とても以前の「そのlevelではない」と猛反発をくらってしまったのですが、教室のlevelを復活するためにも、「一つ壁を乗り越えないと!」という私の独断で、八千代のお話を受けて参加する事にして、参加してくれる生徒達を募りました。
八千代の演奏活動では、「折角、対外出演としての勉強をするのなら・・」という事で、もう一段階、水準をあげて、period奏法を子供達に指導して、演奏させる事にしました。
period奏法は、勿論、音楽大学でも学ぶことのない、世界水準で見ても、よりmaniacな奏法なので、世界広しと言えども、子供達がperiodで演奏する事はありません。
今回の春待ちコンサートでも、昔のlevelに対して、決して意識が育っている分けではないので、「絶対に無理だと思う!」という意見が多かったのですが、何時もの私の無茶振りで、強行する事にしました。
しかし、不思議な事に今回の春待ちの小学生のmemberは、八千代の時には、未だ幼くて参加している生徒は一人も居なかったはずなのですが、発表会のオーケストラの参加を通じて、普段のオケ練習のときから、少しづつ、periodの奏法の勉強を少しづつ取り入れて、指導して来た結果、小学生にも関わらず、VivaldiのLe quattro stagioniがsoloでも演奏出来る水準迄、技術のlevelを向上させる事が出来るようになりました。
何事も勉強の基本基礎はrootsに限ると言う事ですよね。
但し、どんぐりの国の日本では、やはり、一般と横並びの教育が基本で出る釘は打たれるの発想があります。
ここがヨーロッパのi dentityの国との大きな違いで、globalstandardの時代になって、日本人が就職にも事欠くようになった原因でもあります。通常の学校生活では、目立つ事はイジメの対象にも成りかねない毛嫌いされる事なのですが、就活ともなれば、その逆のi dentityを要求されるのです。そこで幾ら人と同じ事が出来る・・と主張しても、それを認めてくれる企業はないのですよ!!
どうして、そんな簡単な事が理解出来ないのか、私には理解出来ません。
仕事に対する意識を持たせる事は、年齢とは関係なく、早ければ早いほど良いのですが、音楽に関して言うと、親の意識がない場合には、子供が育つ事は全くないのです。
音楽に関しては、子供の才能だけで、育つ事は有り得ないからなのですよ。
でもこれは年齢の問題であって、もし、これが音大生であったならば、親の意識も含めて、何の問題も、そこには起こりません。
本人がproとしての厳しさに耐え得るか否かの話だけなのですから。
ウダウダと書いていたら、本当に書くつもりの事を書く事を忘れていました。lessonと演奏には、段階(step)があって、そこの所を理解しておくと、勉強が楽になるということを書くつもりだったのです。
pro-versionの最初の段階は、lessonで先生の前で演奏している時には、上手に弾けるようになる・・というstepです。しかし、この段階では、外での演奏では、ポニョ・ミスやポロミスが出てしまいます。その段階をクリヤー出来るようになると、やっと、lessonでも演奏会でもちゃんと弾けるようになるのです。その段階の習得は意識と経験の両方が必要となるのです。一生懸命に勉強していたとしても、この二つがないと、そのlevelをclearする事は出来ません。
もっと指導上難しい事は、この二つがclear出来たとしても、普段の練習に意識負けをしていては、音楽を出す事は出来ません。演奏がチマチマとしたつまらないものになってしまうのですよ。困った事だ!!そこは「本人の意識だ!」と片付けてしまいがちなのですが、そこはなんとかしてあげたいよな!!
※)というはずなのですが、そうはいないのが、現実です。
慣れない動画の編集は当然なので、どのsoftが自分に合っているのかを探すために、色々なお試しのsoftを入れて、操作をしているのですが、操作性は中々なのに、用語が専門用語をカタカナに訳しただけの(まるで私の論文のような)softだったり、比較的に分かりやすいsoftなのに、妙に操作性が難しかったり、で帯襷で未だ「これぞ‥・!」という編集のsoftには巡り合っていません。softが決まれば、購入して、操作の練習をするのですがね??
それにしても、videocameraから、videodeckへやパソコンへ、のdataの移動が時間が掛かり過ぎるだけでなく、上手く行かなくてパソコンの調子迄悪くなってしまいます。routineが決まる迄は、動画を編集するのは、とても難しい時間の掛かる私を悩ます作業になってしまいます。
困ったものだ‥・!!
色々なお試しを試して見て、昨日の今日なのですが、softを購入しました。しかし、お試しは無料版で作ったので、ロゴが入っています。
HaydnのstringQuartett雲雀の4楽章です。
You Tubeにuploadした動画とは少し違います。
https://www.youtube.com/watch?v=wTmCwc2AQLc
動画の編集を始めて、未だ、まる24時間ぐらいだけど、少し早くなったかな??でもやっぱり難しいなぁ??それはそうと、編集のsoftをdown loadするだけで、2時間以上掛かったぞよ!!なんだ!これは!!
子供のためのピアノ三重奏曲集より「かっこう変奏曲」
芦塚陽二作曲 でやんす。
https://www.youtube.com/watch?v=BTRKckWqpYQ
3月15日 3:36
遅くなりすみません。
教室のアドレスに写真送りました。見れますか?
3月15日 3:51
今日は斉藤先生は千葉泊りなので、写真を送って貰えません。動画のTitleに指針をしたかったのだけど、眠れないままに、動画をuploadしてしまいました。明日も、椎名町に行くのは、深夜なので、取り敢えず、この写真をパソコンに取り込んで、使用しておきます。
3月15日 9:28
3月15日 4:08
Vivaldiの二台のヴァイオリンのためのコンチェルト イ短調です。早く寝ようと思ったのですが、何時もの通りベッドから起き出して、動画の編集を始めてしまいました。困ったものだ!!
https://www.youtube.com/watch?v=oFNZELFoBkw
折角のornamentの勉強なので、finaleのscoreのⅡ楽章にそれぞれのornament譜を五線を追加して、丁寧に書き込んで見ましょう。八千代までには、もう少し改定が必要です。OKな所と、もう少し練った方が良い所を入力した後で、checkしましょう。後、Leclairのscoreも完成させよう。こちらはlayoutだけの問題ですよね。下の楽譜はcorelliの作ったornamentの演奏譜です。ornamentの模範として作曲者自らの手で書かれています。
3月17日 10:31
3月15日 17:52 ·
2017年3月12日の千葉市花見川区花園地区自治会館 しんけみ広場実行委員会主催の春待ちコンサートの演奏風景です。
Sweelinckの「Mein junges Leben hat ein End」というオルガン曲を、弦五部にarrangeしました。
今回の演奏の出来なのですが、練習の回数が、全員揃っては2,3回しか出来なかったという事が根本的な理由である事は勿論なのですが、上級生の課題が純正の和音(harmony)を演奏する・・という課題なので、今回はその課題は今三クリヤー出来ませんでした。
私の個人的な箴言としては「演奏会は次の演奏会のためのrehearsal 」です。
八千代での挽回を目指します。ハイ!
https://youtu.be/c3KgLCPkqKQ
星那さんのマスネーのタイスの瞑想曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=VSSLZ6KutSc
春待ちコンサートMassenet Thaïs violin風戸星那
3月16日 6:14
珠加ちゃんのFaure のAprès un rêveの演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=y-R-Cb9lc1U
3月16日 6:14
今日は税金でメゲているので、動画の編集は此処までです。後は、明日かな??
3月15日 19:46
・・と言いながら、春の編集もやってしまいました。・・で、2楽章は割愛しました。とても模範には成り得なかったのでね。
https://www.youtube.com/watch?v=BStbGPikcy0
春待ちコンサートLa PrimaveraⅠ、Ⅲ楽章
深夜の3時半です。真雅ちゃんのSaint-SaënsのAllegroAppassionatoの編集が終わりました。
https://www.youtube.com/watch?v=CqL8vw7iZEY
疲れたぞ~っ!!
春待ちコンサートSaint-Saëns Allegro Appassionato真雅(小4)
3月16日 3:33
で、何と、もう一曲、編集が終わっているのに、uploadするのを忘れていました。曲はEine kleine Nachtmusikの1,2楽章です。
https://www.youtube.com/watch?v=rOlmb0wB4MQ
春待ちコンサートMozart Eine kleine NachtmusikⅠ、Ⅱ楽章
3月16日 6:13
もしよければ、ルクレールのタイトルにOp.3 No.2と入れていただけると嬉しいです。
3月16日 22:39
了解!
3月16日 22:51
ありがとうございます!
3月16日 22:58
あれ??やっぱり、Ⅰ,Ⅲの後のOp.が表示されないぞ??おかしいな??
3月16日 23:07
3月16日 3:48 ·
な!な!な!何と・・!?!?!?
またまた、文章を入力中にFacebookがぶっ飛んでしまいました。今回は、履歴すら出て来ません。結構書きかけた文章ですが、記憶でもう一度、書かなければなりません。
ホンと、Facebookと私は相性が合わないようです。
まあ、気を取り直して・・・・
音楽の表現は心・・つまり精神状態と密接な関係が有ります。
・・などと言ったら、「何を今更??」と良識を疑われそうですが、実際には、それはそんなに簡単で単純な事ではありません。
先生達との椎名町の食卓の雑談で、現役の東大生が「音楽の合奏では、一番速いtempoの演奏に順応する」という論文を書いていた・・という話をテレビでしていた・・という事を聞いて、ちょっとびっくりして、呆れてしまいました。
音楽家に取っては、そんな事は常識的に有り得ないのですよ。
amateurの場合だとしても、音楽の場合には力関係なので、上手な人の周りは順応するのが普通です。速い、遅いは関係ないのです。
でも問題点はそこではありません。
音楽では、演奏をする人の精神状態が非常によく出ます。
音楽を演奏する人のtempo感が、その人の精神状態に深い関係がある事は、良く知られている事実です。
特に子供の間や学生の勉強途上の間は、気分が落ち込んでいると、音(所謂pitch)に表れてしまいます。気分が落ち込んでいると、耳が下がった音を正しい音と認識するので、どうしてもpitchが下がってしまうのです。また、個人の気分とは無関係の事なのですが、オケ練習の時等に、天気が悪くて、湿度が高くて、空気が重たい時には……、頑張ってオケ練習をしていても、どうにも生徒達の気分が乗らない時があります。そういう時には、思い切ってpitchを443から444へ上げて、オケの練習すると、ノリが良くなる事が時々あります。
気持ちが滅入っている時だけではなく、湿度が多い時にも気分が鬱状態のように下がってしまい、pitchも下がってしまうのです。
人間の感情はそれぐらいにデリケートな物なのですよ。
子供達が、気分的に落ち込んでいると、演奏そのものも、だんだん落ち込んで行って、結果、tempoも遅くなります。
前回の生徒のtypeのお話しの時にも少し取り上げましたが、情緒的なtypeの生徒の場合には、精神状態に揺らぎがある時には、演奏するtempoも情緒的で、安定しないのも事実です。
反対に、子供達は、気分が高揚するとpitchが上がりやすくなります。
勿論、tempoもだんだん速くなる傾向が出てきます。
当然、子供達に自信が付いてくると、テンポが速くなる傾向が出て来ますが、勉学途中の子供の場合には、音楽的な内容が雑になりやすいので、早くなる事も、遅くなるのと同様に、注意が必要になります。
心と音楽の揺らぎは、しかし、これは勉強途中の生徒や学生のお話であって、水準に達した生徒(所謂、上級生)や、proと呼ぶ事の出来る演奏家にとっては、音楽が感情で揺らぐ事はありません。
例え、恋人に振られようと、親の死に目に会えなかろうと、音楽に向かう時には、その演奏するtempoやpitchが揺らぐ事は絶対に有り得ないのです。
プロの場合には、情緒的感情的に「揺らぎ」に聞こえるフレーズであったとしても、情緒的に聞かせるためのTechnikであって、単なるrubatoの演奏技術なのです。
pitchのお話については、私達の教室では、単に一つのpitchを指導するのではなく、ensembleのpitchと、solo‐pitchを使い分けさせます。
また、決め所の和音は純正の和音で演奏するので、pitchの微調整が更に必要になります。
ここは、一般の音の取り方と教室のpitchに対する考え方が大きく違っている所です。
一般の音楽大学の場合には、pitchと言うのは、例えばAの音のpitchは、440cycleの一種だけです。演奏会高度であったとしても、それは定義のお話なので、一般的には442cycleになるだけのことで、そのpitchは、正しくtuningされたPianoの音に準じます。
つまり、同じAの音でも純正のpitchのAと言う事は、なに調のAの音か??・・・と言う事でpitchが変わるし、ensembleで和音としてハモらせなければならない時のAの音と、solopitchとしてのAの音も違います。
もし、Aの音が、B♭調の導音になったとしたら、pitchはまた大幅に変わります。
violin等の楽器にギターのように、fretがないのは、その微調整をするためであって、もしviolinのpitchをPianoに合わせて練習するとかいう馬鹿な初心者のような練習をするのならば、fret付きのviolinでも作れば良いのですよ。
そしたら、「音程が取れない!」とか、pitchを取るために、必死になって練習する事は、なくなるからね。
今回の春待ちコンサートでの、Sweelinckの課題も、3和音を基本的には「純正のharmonyで取るように」という事がthemaでした。
またまた、またまた、Facebookの文字入力がおかしくなって来ました!
腹立つよね!!どうなっているの??
いつもしょっちゅうの事なのだけどね。
普通に入力している文章が文字や文節が、あっち行ったり、こっち行ったりで、入力出来ないのですよ。
一般的には、「指導が難しい」とされるpitchやtempoなのですが、教室では通常のlessonの中で、pitchもtempoも普通に、難なく指導して行く事が出来ます。それが所謂、芦塚メトードなのです。
勿論、absoluteなpitchは絶対音と言いますが、教室では、絶対音感から更に、solo‐pitchや、純正のpitch、古典調律のpitch等々を、勉強するので、絶対音感のように、単純で簡単ではありません‼
pitchに絶対的pitchが存在するのならば、pitchと同様にtempoにも絶対tempoが存在します。
所謂、一般的にMetronom‐tempoと言われているものです。
orchestraや室内楽は、東大生の論文のように、集団で演奏するものなので、力関係が起こります。
どうしてもそれは、「速い人のtempo」ではなく、上手な人のtempoに引っ張られてしまいます。
しかしそれは、amateurの音楽の場合です。
proの演奏の場合には、その上手下手の前に、楽譜上の絶対的なtempoと言うものが存在します。
proの人達は、そのabsoluteなtempoにensembleをする全員が従います。
proの場合には、上手下手だけではなく、情緒的感情的な表現よりも、absoluteな演奏に従います。
それこそ、親の死に目や恋人との別れにも、影響されないように、絶対的な演奏をする事を目標としているのです。
江古田の駅にとても美味しい蕎麦屋があったのですが、その蕎麦屋は、お店が開いていたり、時間になっても、閉まっていたり、果ては、今日はとても美味しいのだが、次に行った時には普通の味なのですよ!普通!!まるで、前の文章で書いたマルタ・アルゲリッチのようですよね。
私は、そういった情緒的、感情的な演奏は大嫌いなので、生徒達には、練習を通じて、そういった心象に揺らがないabsoluteなものを、生徒達は指導しています。
音楽はそれでも、到達出来ないのですからね??
感情的に演奏していては、音楽を理想的に表現する事は不可能なのですからね??
一般的には「音がぶら下がる」という癖のある生徒達が結構います。「音のぶら下がり」は、特に高音域に顕著に表れます。
そういった生徒達もsolo‐pitchや純正のpitchの取り方を学ぶ事に依って、或いはkonsonanzのpitchを上げて行く過程で、正しいpitchを取る事が出来るようになります。
これは絶対音感よりも、二つも三つも上のgradeの音感です。
そろそろ、またFacebookの入力がおかしくなって来て、文字の訂正が出来なくなって来ました。という事とで、ここらでおしまいにしましょう。
なるほど。逆にいうとピッチが下がっているときは気をつけてあげようという事ですかね、母親業の観点から見れば?
ちなみに私はブログを書くとき(もう書いてないですけど)、ノートに書いてからそれをコピペしていました。
もちろんワードとかでもいいですけど、エバーノートならクラウド型なのてまPCからでもスマホからでも編集可能なので、お役立ちでした。
3月16日 7:26
母親のように、余り子供と距離が近すぎると、逆に、身近すぎて、大きな問題を見過ごす事があります。子供の場合には、子供自身が病気等に気付かない場合もあります。ピッチは、そういった場合にも、子供の内面や体調の判断基準になって、子供自身が気づかない病気でも、pitchには如実に表れて、私達は子供の状態の判断が出来ます。
3月16日 12:36
3月16日 12:35 · 編集済み
子供の資質の中でも、子供の将来を決める最も大切な資質は勤勉性なのです。勤勉性は、親の与える最大の贈り物であると言われています。
教育界での論文の世界の中でも、人間の勤勉性とは、親が子育ての時に、何処まで親が子供のrotationを大切にするか、・・で決まるとされます。
つまり、親の都合で子供達を引っ張り回すのは、家庭重視でそれはそれで良いと思うのですが、その場合には、子供に対して、周りの人を凌駕するようにはならない、と最初から諦めるべきなのです。親が子供を自分のrotationで引張回して、子供が音楽家や演奏家、或いはi dentityの必要な仕事に従事出来る分けはないのです。
子供に勤勉性が身に付く分けはないからです。
私のように、子供時代に親から育てられなかった子供※、1)は、勤勉性の無さで苦しむ事になります。
子供の時に自由にのびのびと育てて、中、高生になって、突然「勉強に専念しろ!」と言われても、それは子供に取っては苦痛でしかありません。将来勉強に専念させるのならば、子供の内も遊ばせないで勉強をする体質を作る事が良いのです。
つまり、年齢によって、教育方針が代わってしまうのは、子供にとって、無理を強いる事になってしまいます。
小学生の時には音楽に専念させて、中、高生になったら勉強に専念させるのは、そのどちらの目的にとっても弊害が出てしまいますし、ましてや、受験のための競争教育を云々するのならば、その方向性は、教育心理学的に基本的に誤っています。
私が成長して行く上で、私にとってとてもありがたかった事は、母親が自分が働くために子育て出来なかった母親は、私が大学を卒業するまで、「勉強をしろ!」とか「**しろ!」とかいう親の一言を一度も言わなかった事です。
医学部進学のお話も、周りの近親縁者達が言っていた話で、祖母も母親も一度も「医者になれ!」とは言った事はありません。
自由にのびのびと勝手に育って来たので、私には勉強に対する勤勉性は全くなく、音大受験のために、1年間だけ、Pianoの練習を毎日、8時間から12時間練習したのですが、大学に合格した途端に、全く練習はしなくなってしまいました。
根本的に演奏家には向かない気質だったのですよね??
特に音楽家を続けている場合には、(例え、それが作曲家というgenreであろうと)勤勉性は必要です。
コツコツと決められた時間に、ちゃんと仕事が出来ないと商売にはなりません。
この私の怠け癖は、ドイツ留学中は、周りの環境から、幾分かは改善されたのですが、(なにせ、Münchenの音楽大学には、proになるための学生しかいないのでね!)ドイツ留学から帰国したら、元の木阿弥で、怠け者に、すっかり戻ってしまいました。そういった私の日常が、私の悩みのタネでした。
留学から帰っても、延々と悩み続けた怠け癖なのですが、30を過ぎた頃、Beethovenや多くの作曲家達が、一生を掛けて、自分の作品を推敲しているのに、或る時に、ふと気がついて、近所のテーラーから背広を入れる箱を買って来て、仕事で行き詰ったら、その楽譜や資料、鉛筆、物差しに至るまでの総てを、その背広の箱に入れて、indexを付けて、半間の押入れに積み上げて、凍結させる事にしました。
Beethovenも、一つのSymphonieを作曲するのに、40年ぐらいは推敲を重ねたのですが、40年間一つの曲に打ち込んでしまったら、それこそ生活は立ちません。da Vinci等もあの名作Mona Lisaを生涯未完の作品として手元に置いて置いたのですからね。そこは、「平行作業」なのですよ。
全音の編集長が仕事の打ち合わせで江古田の部屋に来て、別の仕事の話に話が行った時に、編集長からその別口の仕事の話で質問されると、「その仕事はこれです。」・・とか、「あの仕事はこうなっています。」とか、半間の押し入れに積み上げられた背広の箱を取り出して、箱からdataを出すと、編集長は「これは凄い収納だ!!」と、甚く感心していました。
「芦塚先生の仕事は全部、押し入れから出てくるのですよね!」と、私の整理術に驚嘆していました。何故って??パソコンの無い時代だったから、総てがanalogで保存しなければならなかったからです。
つまり、ideaが出た時に、箱から出して、その箱を開けるだけで、全くのtime lag無しに、一瞬で、何時でも校正推敲、出来るように、鉛筆や資料の本迄、箱の中に入っているので、怠け者の私でも仕事を続ける事が出来たからです。
この「仕事に行き詰ったら、直ぐにfreezeさせる・・」という仕事法を私は「怠け者の仕事法」と呼んでいます。
Facebookの文章も、その草稿の仕舞う場所が、「押入れ」から「net」に代わっただけの事なのですよ。
※、1)私に勤勉性が身に付かなかったのは、親が子供を連れて遊び回った分けでは無く、戦後という特殊な時代背景から、父親を亡くした家庭では、至極当たり前の極普通の事で、何処の家庭でも、母親は、子育てどころではなく、生活のために働きに行かなければならなかったからです。それが当たり前だった時代だったのです。
3月18日 4:55
文章を書く時にとても大切な要因は、その言葉の言い回しかもしれません。話の内容については記憶していたとしても、その言い回しが思い出せないと、文章自体が流れて書けなくなってしまう事が、(私の経験上)多いのです。私は30歳を過ぎる頃までは、memoを取った事は全くありません。総てを記憶で動いていたので、33歳の壁を過ぎた頃から、度忘れをするようになって、memoを取り始めたのですが、書く物と書かれる物を持ち歩く癖が中々着かなくて、未だに、memoを取る時に困ってしまいます。女性の場合には、ハンドバッグを持ち歩くのが常なのでしょうが、サラリーマンではない私の場合には、アタッシュやビジネスバッグを持ち歩く事が無いので、pocketにmemo用紙やpenを入れて、持ち歩かなければなりません。それでも冬の間は、jacketやcoat等を着るので、入れるpocketには不自由しないのですが、夏場は、Tシャツなので、それこそ入れる場所がないのですよ!ウエストポーチにしてみたり、ポシェットにしてみたり、はたまた、当世風に、ワンショルダー(ワンショット)を色々と買って見たりしたのですが、これが全部帯襷なのですよね~ぇ!!楽譜を入れる時には、結局、トートバッグになってしまうし、普段の江古田、池袋周りの時には、何も入らないポシェットになってしまうのです。いや~ぁ、困ったものです。つい先日は、デパートの鞄売り場に結構大量のポシェットが置いてあったので、「A4の書類の入るポシェットはありますか?」と訊ねて見たのですが、先ず、A4のサイズというのが分からない!
鞄のサイズ的にはA4が入るはずなのに、チャックが鞄のサイズよりも狭いので、折角A4のサイズがあっても、書類が入らない。チャックが鞄よりも外にはみ出しているtypeは、物の出し入れがし易いのよね!!(でも、おしゃれではないかもね?)じゃあ、ビジネスバッグを買えば??それはそれで、商売だから持っているのよね~ぇ!しかし、普段の街歩きにビジネスバッグはおかしいでしょう??大きく重たいので、利便性は無いしね!!デニムか何かで作って貰ったら幾らぐらい掛かるのかな??
あ・・・、memo用紙の話をしているつもりだったのだけど、話が鞄の方に行ってしまいました。
前の写真のmemo用紙について説明をしたかったのだけど、完全に脱線してしまいましたがね。アハッ!
3月22日 5:57
今(3月の22日の事です。)は、未だ朝の5時6時ですが、今日はお昼から、生徒達の弓をselectしに行く予定なので、今日の仕事を先に済ませている所です。
今日は、3,4本の弓を選びに行くので、とてつもない時間が掛かる予定です。それぞれのrankの弓を選び抜かなければならないので、都合、100本近い弓をselectする事になります。
本当は楽器本体よりも、弓を選ぶ方が難しいのよね!!
弓の良し悪しで、生徒の上達の水準が代わって仕舞うからですよ。
日本の音楽家達では、一般的にはとても良い楽器を持っている人でも、弓にはそんなにお金を掛けない人達の方が多いのですが、上手になる秘訣(失礼!上手は演奏をする秘訣)は、最低でも楽器本体の金額の半分、学生の場合でも、本体金額の1/3以上の弓を購入した方が、練習も上手く行きます。
また、この話はもう一つ別の話になってしまいますが、本当に良い弓に巡り合う事は、私のこの長い人生でも、2本しか巡りあっていません。
弓のStradivariと言われる1000万超のTourteの弓よりも、遥かに良い弓です。その時にはTourteの弓を3本ぐらい出して貰って、比較してみたのですが、1000万超のTourteと比較しても、数倍優れた弓でした。
但し、金額的には、Tourteの場合には、骨董的な価値(製作者の名前的価値)も入るので、Stradivariのように天文学的な値段になりますが、弓自体の値段としてはそんなに高価な値段ではありません。勿論、その2本とも私が押さえてしまったので、教室の関係者の人が持っていますけれどね。
巡り合いなので、その機会を逃すと二度と手に入る事は無いので、弓を欲しがっている人がいないのに、私が先に押さえてしまってから、その弓を購入したい人を探したのですよ。つまり、これは巡り合いなので、そのchanceを逃したく無かったのです。
あ~、このお話は上級者のお話です。本当に良い弓を持ったとしても、その弓を弾き熟せなければ、豚に真珠、猫に小判 ・ 馬の耳に念仏 ・ 犬に論語 ・ 兎に祭文にしかならないでしょうね。違いが分かるようになったから、弓を選びに行きます。
3月23日 6:32
ここに入力したcommentが全部消えた事は超、shockです。いつもならば、履歴をコピーしてペーストすればなんとか凌げるのですが、その履歴さえ出て来ません。結構長い文章だったのに、超shockです。・・て書いていた、commentがまた非表示になってしまいました。今回は履歴に非表示として残っていたので、表示させませた。これをクリックするとまた非表示になったりして・・!!!
3月23日 7:59
書いたcommentが梨紗ちゃんの分も、千夏ちゃんの分も全く消えてなくなりました。通常なら、履歴を見てコピペして、ここにペーストするのですが、履歴さえ出て来ないのです。超、頭さ来たな~あ!!
3月23日 7:28
コメントとして投稿したものが消えちゃうんですか?スマホからコメントしていて入力途中でもコメントが消えることはないのでパソコンからだと不具合が起きやすいのかしら…先生のコメントが気になります
3月23日 7:48
・・・という事で、気を取り直して、もう一度challengeします。
楽器選びや弓を選ぶ事はとても難しいし、一般的に生徒が楽器を選ぶ機会は、生涯に何回かしかないので、楽器の選び方を学ぶ事は不可能です。これはPianoでも同じかな??私は斉藤先生が未だ高校生であった頃から、よく「楽器選び」に同行させて、選び方のpointを伝授指導していました。梨紗さんも自分から「chanceがあったら、同行したい。」と言っていたので、何度か「楽器選び」の時に連れて行きました。
今回は、梨紗さんの弓の購入のためなのですが、椎名町の教室でlessonの時に、チョッとしたpassageが上手く行かなかったので、梨紗さんと千夏ちゃんに、私の弓を貸して演奏させてみました。「弓で音がこんなにも変わるの??」と梨紗さんに取っては超shockなようでした。今までも、私の弓を貸した事はあるのですが、その違いは分からなかったようですが、今年に入ってから、弓を使いこなせるようになって来たので、「じゃあ、」という事で、弓を買いに出かける事にしました。年度末決算セールと言う事で、梨紗さんや千夏ちゃんには特別に安くだしてくれるという社長の思し召しもあって・・です。
梨紗さんは何度か「弓選び」には同行しているので、自信があったと思うのですが、30本近い高価なold‐french‐bowを弾いて、「どの弓も完璧だ!」と、驚いていました。selectが出来ないのですよ。
だから、そのrankの弓のcheckをするpointをlectureして、その中の2,3本の弓について、違いを説明しました。充分に時間を掛けて、梨紗さんも2本の弓をselectしました。私が弾いて試して見ても合格です。と言う事で、社長を呼んで、弓の製作者と名前をcheckして、選んだ合否を出します。梨紗さんは目出たく合格で、中に1本だけ社長が隠し入れていた、名棒と、優れた弓の両方を選んでいました。
つまり、弓を弾き熟せるようにならないと、本当の銘bowをselectするのは難しいのです。
チョッと金銭的には、予定をoverしましたが、社長の好意で随分割引して貰って、親には「予算をoverした分は教室の仕事で返すから」と、納得して貰って、銘bowを買って帰りました。お祝いのお茶会ですよ。ハイ!
・・てな事をウダウダと書いていたのですがね。また、書くハメになってしまいました。
3月23日 8:42
「楽器選び」や「弓選び」は、弦楽器の奏者の人達でも、生涯に何回かしかありません。
音楽大学で生徒を教えている先生や、有名なviolinistで、数名の生徒達を教えている先生だけが、高価な「楽器選び」や「弓選び」を生徒達のために、しているのです。でも、生徒達や保護者の人を同伴させる事があったとしても、(通常はありません。先生が買って来て、ポンと渡されるだけです。「これ500万ネ!!」と言って、)
本来的には、私達のような音楽教室の場合には、生徒が高価な楽器を購入する事は基本的にありませんので、普通ならば上手になったとしてもstudent迄の楽器です。
ですから、常に小、中学生にために、高価な楽器を購入している教室と言うのは、全国的にも少ないのですよ。
それは取りも直さず、音楽大学と同程度のlevelを中、高生が持っているという意味なのですからネ。
そういった特殊な環境なので、上級生の生徒達に楽器を選別する「楽器選び」のコツのようなものを(希望者には)lectureして行く事が出来るのです。
弓の性能を熟知して、選び方のコツを学べば、もはや、鑑定書などに頼る必要もなくなります。ものを見る目が養われるのですからね。ハイ!
3月23日 9:20
もしや後ろの台形の箱達はチェンバロでしょうか??
こんな風に弓を選べる日が来ますように💕
3月23日 7:34
後ろの台形の箱は全部celloです。一つの箱が一台のcelloです。こういう風に送られて来ます。
3月23日 7:35
この二つの写真のcommentが両方共消えてしまったのは、超shockでしばらく立ち直れそうにもありません。
3月23日 7:44
100%確実に来ます。「キッと来る~♫」ですよ。その時にshockを起こさないように、少しづつ、積み上げる方が良いと思いますよ。
買い替えの時期は、その楽器を100%鳴らせるようになった時です。幾ら鳴らしても、それ以上キャパが楽器に無くなった時‥・、そうすると、その楽器は卒業と言う事になります。当然、次のgradeの楽器でないと、勉強出来なくなります。
でも、弦楽器の良さは、Pianoや車と違って減価償却がない所なのですから、それを上手く使いましょう??
銀行に貯蓄するよりも確実ですからね。
楽器は年と共に品薄になっていくので、金利よりも遥かに良いのです。そのために、絵画と同じに投資に利用する人達がいて、Stradivariのようなとんでもない値段がつくのですよ。本体の価値ではないのです。私はそういったbrandを一切信用しないので、作家不詳でもStradivariよりも良い音が出る楽器はStradivariよりも良い楽器なのですよ。ハイ!それはそうと、梨紗さんの弓には、何と、鑑定書がついていたそうです。そのうち探して送ってくれるそうだけど‥・??
昨日 6:17
えぇぇぇぇ!!!
これからお家を購入するので借金まみれです😓
母ちゃん頑張ります。。。
鑑定書付き、、あわわわわ
箱はチェロ!!だったんですね!
3月23日 9:07
Cembaloも、バラで売って来る場合もありますが、それは自主制作の場合で、私達はキットと呼んでいます。超、安い楽器になります。プラモのキットと同じ意味です。ですから、Cembaloの場合には、楽器製作者が自分で材料から作るか、出来上がった物を輸入するかしかありません。でも、もし、キットだとしても、小型の自動車ぐらいの箱になるはずです。
3月23日 9:15
「家、こもごも」Geschwafel(無駄話)
家は人生最大の買い物、とされていて、生涯一度の買い物とされていますが、ヨーロッパやアメリカでは、家に対する考え方が我々日本人とは少し違います。家が大きくなければならないのは、子供達が成長期の一時期の僅か10年間であって、子供達が一人、一人と巣立って行くに従って、部屋は広いと、逆に無駄になっていきます。ちょうどヤドカリのように、自分達に見合った大きさの住まいに買い替えて行くのが、ヨーロッパやアメリカ人の一般的な考え方かも知れません。アメリカにはフロンティア精神という考え方がありますので、定年を迎えたら、家を売ってキャンピングカーを買って、全国を旅しながら、そのまま、旅先の死んだ場所に葬られる・・という発想があります。遠い故郷の家族や近親縁者が墓を訪れるという発想はフロンティアの人達には余りありません。そういった独特の自分の死への発想は、流石に、開拓者達の「旅への誘い」の発想でしょうね。何十万年も昔に、アフリカで産まれた人類の祖先が、南アメリカ大陸の先っポのホーン岬に辿り着いたのは、人類が誕生してから、そんなに経った後ではないのですよね。
先祖代々という心で、土地や家にしがみつくのは日本人特有の傾向で、同じアジア人でも韓国や中国の人達は、土地や家に対しての思い入れは、日本人程は強くありません。遊牧民や狩猟民族にとっては、家や祖先、あるいは土地という概念すらないのですよ。土地が価値を持って、権力に結びついて行くのは、農耕民族になってからの事です。
私にとっては、長崎の街は結構住みやすい街だったので、家を売らないで、・・減築でもして、住みたかったのですが、音楽家としては、やはり地方は不利な街なので、致し方はありません。(家を売らない・・という家は、私の産まれ故郷の家ではありません。それは母が再婚した再婚相手が建てた家です。だから私はその家に住んだ事はありません。なので、家にも然程の愛着はないのですよ。)
しかし、かと言っても、江古田に住まいを購入したからと言っても、江古田の街を「終の棲家」や、故郷にする程の愛着があるわけではありません。人が言う程、私は都市型の人間ではないのですよ。山があって、海があって、釣りと、狩猟が出来るのなら最高!!(「カナダへ行け!!」って??‥・でも、南国産まれの私は寒い所は大の苦手・・です。)
どこか私の理想とする風景にお目にかかって、そこの場所を終の棲家にするのが、夢と言えば夢かも知れませんが、当然、仕事は死ぬ迄、続けて行くのが絶対的な夢なので、仕事も出来る環境というのが、絶対条件になります。
家自体は、農家でも、掘立小屋でも構わないのですよ。電気が来ていて、netが通じれば、今のマンションでも、隣の人を見たことさえないのだから、人の住んでいない環境でも、今とは変わらないのですからね⁉
それに、ウサギ小屋とか、方丈の間と言っても、今でも、私が生活しているスペースは台所一間であって、他の部屋は総て物置になっているのですからね。
昨日 9:46
3月18日 5:09 ·
昨日(3月17日)のお昼の3時からは、千葉教室でPiano組のlessonだったのですが、lesson開始早々、バテて意識朦朧の状態になってしまいました。朝が何時ものように早く、午前中に仕事を済ませてlessonに駆け付けたので、体力の限界になってしまったようです。 …というか、午前中に仕事をするのは
毎回のことなので 、本当の原因は その前日に よく眠れなかったことが直接の原因なようです 。
しかし、生徒のlesson自体は、Piano組の生徒達は、私のlessonのやり方で長年の訓練が出来ているので、「始めて組」を除けばlesson自体に支障はありませんでしたがね。
今日の話しの問題点は「帰りの道中」の時の話です。
前回の春待ちコンサートの時の帰りの道と同様に、居眠り運転ギリギリの状態になってしまいました。
事務所に辿り着いて、海苔巻きを2,3個パクついて、大急ぎで、自宅迄バイクを走らせて、パソコンのmail‐checkもしないままに、(ストーブに火も点けないままに、布団に潜り込みました。
・・でも、困った事に、2時間もしたら、トイレタイムで、目が覚めてしまって、またまた、眠れなくなってしまうのですよ。
体調が復調していないのに、眠れないのは、結構問題ですよね。
‥・あまりにも、微熱っぽく、顔が火照っているので、体温計を探して、計ってみたら、何と、やっぱり、7度6分もあった!
これでは「・・っぽい」のではなく「微熱だ!!」
慌てて、薬を飲んだ!!
私の場合には、8度で動けなくなるので、一歩手前と言う事だよな??
急いでベッドに入って、2時間程仮眠をとって、起き出して、仕事を片付けながら、再び体温を計ってみたのだが、相変わらず、7度3分はある。頭部の鼻から上の部分が、重い‥・と言う程ではなく、なんとなく霞んでいる。やはり、微熱っぽいのだな??
「projectorのお話」
それはそうと、自治会館等では舞台が無い(フラットな)ので、小さな生徒さん達が、前列のお客様の頭に遮られて、後ろの客席からは、全く見えません。
これは八千代のコンサートの時からの延々とした課題なのです。
市販の「お立ち台」(コンサート用の・・)を買おうか?とも思ったのですが、幾らcompactに収納出来ると書いてあっても、所詮は舞台の備品としての収納で、大変手間が掛かります。
組み立てる人も、proの大道具の人達を想定しているので‥・。
という事で、昨年のクリスマス会では牧野先生のideaでprojectorを購入しました。
普段のlessonでも威力を発揮出来ると思ったので、明るい所でも見える高性能のtypeのprojectorにしました。
早速、昨日は特別レッスン室にprojectorを持ち込んでlessonを撮影して、lessonの注意事項をprojectorで、videoの再生しながら生徒達に説明をしようと思って、・・ふと気がついたのは、そのlesson風景を撮影するための、videocameraがもう一台必要だ!という事でした。
特別レッスン室のvideocameraは、3ヶ月前に、映像がボケてしまう・・という不具合が出て、修理に出したのですが、また、同じ不具合が出て来たので、修理に出しました。
保証期間は3ヶ月だったので、ほんの何週間かは過ぎてしまっていたのですが、まあ、致し方ありません。
と言う事で、急遽、四日市教室用のvideocameraを特別レッスン室に持って行ったのですが、connector(接点)の部分が、強引な使用で不安定になっていて、これも急遽修理が必要になります。
今度の日曜日は、どのcameraで撮影すれば良いのかな??
そういった楽器だけではなく、電子機器に至るまで、道具の使い方も教室で伝授しているのですが、四日市迄は、配慮が行き渡らなかったようです。lessonがタイムラインで目いっぱいな時に、道具の使用法や、ノートの纏め方、或いはパソコンの使い方等々を指導するのは、不可能なのでね。
「椎名町詣」の上級生に時間を掛けて指導して、その先輩達から指導をさせる・・という方法が一番効率的で、学校の集団指導の時にも、そのやり方を取りました。しかし、本当は学校教育の場では、リーダー教育をやってはいけないのです。熱心な生徒も勤勉な生徒も全然やる気のない生徒も等しく平等に指導しなければならないのです。軍隊でも自衛隊の大学、所謂、防衛大学は幹部候補生を育てる場所なのですよ。一般の自衛隊員とは違って、指揮をするエリート達として教育するのにね??
ビデオカメラお貸ししましょうかー?
3月18日 22:54
いえいえ、lessonのcheckに撮影をしなければならないので、持っていてください。使い回しで、花園教室のvideocameraを使用するか・・でなんとか切り抜けます。2台同時に故障するなんて‥・驚きです。
3月18日 23:34
大丈夫です、二台あります。
必要な時は仰ってください。
3月19日 0:11
了解しました。都合がつかない時には、是非お願いします。
3月19日 2:19
今日は発表会直前の総合練習②の前の金曜日です。分かり易く言うと3月の24日、四日市教室用のvideocameraを修理にビック・カメラに持って行きます。発表会費を切り詰めるために、今までウン十年videoの撮影をお願いしていた業者さんをお断りして、教室で自主撮影をする事にしたので、パソコンに編集softを入れて、4Kのvideocameraを買いに行きます。videoのrecorderの方が、未だ4Kの対応になっていないので、撮影した動画は4KのままではBlu-rayに焼く事は出来ません。フルハイビジョン画質に落として焼く事になります。此処らは、videoのdeckが対応が遅れているのですよね。
videoの撮影と動画の編集は、私が一人で担当する事になるので、softに慣れる迄のしばらくの間は、しょぼい事になりそうですが、温かい目で気長にお待ちください。努力はします。一応・・・!!!
昨日 12:09
撮影と編集お一人で!!?益々寝られないのでは!?
昨日 21:12
動画の撮影と編集は、発表会費の中の負担額でも、結構neckになっていました!!
それに、業者の人のディスクの編集が遅くて、次の発表会の直前に、やっとディスクが出来上がって、生徒達に渡すのでは、困ってしまいますよね⁉最悪でも、納品は一カ月以内だと思いますがね⁉
しかし、専門の業者とは違って、本格的な動画の編集は、私は一度もやった事がないので、慣れる迄は、とても大変です。先生達や生徒達に手伝って貰うにも、ソフトの説明とかの操作法は、私がやらないといけません。
昔々、教室にパソコンを導入するために、業者を雇って、ソフトを作らせながら、斉藤先生達に、パソコンの使い方を、100万以上のお金を払って、毎週指導させた事があります。それも、一度ではなく、二度も雇って見たのですが、一年間かかっても、二年間かかっても、先生達はパソコンを使いこなせるようにはならなかったのですよ‼教室の事務作業のソフトのプログラミングを説明して、業者は「簡単です‼」と言うのですが、どの業者も、私のプログラミングを作れた業者はいないのですよ‼200万、300万以上のお金が、全く無駄になってしまいました‼
仕方がないので、私がジャパネットで、撮影のために使用したノートパソコンを買って、パソコンの使い方を、自分なりに研究して、斉藤先生達にパソコンの使い方を指導しました。私にとっても、生まれて初めてのパソコンだったのですが、パソコンの原理を理解しておくと、パソコンを使いこなすのは簡単なのですよ‼パソコンは、単なる計算機に過ぎないのです。車の運転と同じなのですからね⁉ハンドルを右に回すと、右にしか回らないのですからね‼
23時間前 · 編集済み
確かにビデオの出来上がり遅いね、、て保護者間でも話題になっていました。
発表会費は抑えられたら嬉しいですけれど、先生方のご負担も増えるとなると申し訳ないような気がしますが、そろそろ3人で二桁の会費になりそうなので、、、やっぱり有難いです(T . T)
14時間前
発表会に対しての考え方が、一般の音楽教室と私の考え方では根本的に違っています。
一般的には、生徒達の日頃の練習を発表するという名目上のCeremonyとしての発表会になります。
そういった生徒の発表の場としての発表会は、生徒が発表会に向けて練習して来た曲を演奏すれば良いのだから、先生も生徒も(保護者の方も)とても楽で良いのです。「え~っ?うちの教室の選曲と何処がちがうの??」と疑問に思われるかも知れませんね~ぇ??
一般的な発表会に向けての選曲は、子供達が上手に弾ける曲で格好良い曲を演奏させます。
しかし、それでは音楽を専門的に勉強しようと思ったとしたら、選曲になんの意味も見えて来ません。ですから、他の音楽教室では発表会を機会に、音楽の勉強を止めてしまう人が多いのですよ。
発表会費も、ほとんど教室とは変わりなく、1万円近くか、それ以上収めなければなりませんが、実際に舞台に出るのは3分ぐらいです。
その3分を演奏する力のない生徒は、同じmelodieを楽譜通りに、何度も繰り返させる事で時間を稼いでいます。
私達の教室では、小学生の生徒達でも、音楽を専門的に勉強している生徒さんの時間数を出演時間で単純計算すると、一人、ゆうに2時間を超える生徒が多数います。
2時間という時間は、春待ちコンサートや八千代の対外出演でもお分かりのように、演奏のprogramの必要最低時間なのです。
でも、一人で、2時間の演奏時間をコンサート会場で借りたとしたら、発表会費は莫大な金額になります。つまり、音楽大学を卒業した学生が、卒業の記念に演奏会を企画しますが、これが100万では押さえられないのだよね??
そこに芦塚magicが登場して、室内楽やorchestra等で、みんなで演奏するから、なんとか発表会費を頑張って押さえ込む事が出来るのです。
しかし、みんなでensembleをやるだけで、発表会費が賄える分けではありません。そこにも芦塚magicに拠るtrickがあって、発表会費だけでは、賄う事が出来ない諸費用を、薄利多売のチマチマの写真代や、その他の経費で、頑張って(±)0に限りなく近づけているのですよ。
そういった私達の教室の経営のための努力は一般の音楽教室の先生達には理解出来ません。
だって、一般の教室の発表会には、会場費とprogramの印刷代以外は何も掛からないのですからね??せいぜい、外注した写真屋さんに対してのpayぐらいですかね。
だから一般の音楽教室では、発表会を開催すると、先生達は〇〇◯丸儲けなのですよ。
しかし、orchestraや(もし、あったとして)室内楽の演奏会では、必要経費が莫大なものになるので、個人の音楽教室で運営するのは無理なのです。
ですから、当然、習志野や千葉のように、少年少女のorchestraは、市や県の(或いは学校の)back・upの元に運営される事になります。
しかし、そこで指導する先生は、それぞれの楽器の先生がそれぞれのmethodeで指導される分けなのですから、orchestra全体としては、一人一人がバラバラの演奏のmethodeで演奏する事になるのです。
私達の教室のorchestraが芦塚メトードによるorchestraで、単一のmethode上に成り立っているorchestraである・・という事は、世界を探しても見つからないorchestraだと思いますよ。
それこそ、Vivaldi先生以来の単一のmethodeに拠るorchestraなのです。
コンサートの経営、運営と言う事についてもう少し触れると、昨年の秋の、baroque‐concertoでも、経費は教室からの散財で、ticketを売っていないし、募金もsponsorもいない、典型的な自主公演の赤字経営なのですからね。
楽譜代から練習費、運送費に至る迄、総てのアゴアシが、教室の負担なのです。教室の負担と言う事は取りも直さず先生達の負担なのですよ。
よそさまのように、募金箱を入り口に置いたりしないと、全部先生達の負担になってしまいます。
勿論、先生達の対外出演は、これは営業活動なので、ちゃんとアゴアシも出るし、当然、収入になるのですがね。そこに生徒達を出す事はありませんからね。これはpro活動なので・・ね??
13時間前 · 編集済み
まっ、「体力の限界!」と言うまで頑張りますかね!!ハイ!
13時間前
3月20日 16:20 ·
今日(3月20日)は、またまたオケの総合練習①の次の日の月曜日!!です。
日曜日はオケの練習迄はなんとか体力が持ったのですが、その後の室内楽の練習は、体力が切れてしまいました。
なにせ、微熱っぽくって、薬を飲もうと思ったのですが、検見川教室に常備されているはずの風邪薬が何一つ無かったのですよ。普段は、私も必要最低限の薬は持ち歩いているのですが、昨日に限っては、どういう分けか、一つも持っていなかったのです。超、shock!!
という事で、流石に月曜日は、バテて寝込んでいたのですが、やはり、4時頃には起き出して(勿論朝のですよ‼)、そのままにしていた昨夜の(とは言っても3時間前の)後片付けと、またぞろベッドに潜り込む事を一日中、繰り返しています。それにしても頭頂骨の右中央部の帯状疱疹の後が、昨夜から時々痛むのですよね??再発しているような感じではないのですがね‥・??
なんか、千葉行きの度に、体力の限界・・って言っているけれど、何時からそう言い出したのかな??Facebookを書き始めた頃はそんな事は言っていなかった気がする、‥・という事は、この1,2年の間かな??多分、去年の7月30日の四日市の旅の後遺症が未だ治っていないような感じがするのだけど・・。その前には、そんな話は書かなかったような気がするのだが‥・。
ウン、checkしてみよう!!
Facebookを書き始めたのは、14年の9月からです。12月も冬休みに入ってから、風邪で熱を出して寝込んでいるようですが、それ以外では、やはり鬱は酷いようだけど、今回のような風邪かなにか分からないけれど、酷い病気の症状が続いた事はないようです。
やはり、・・昨年の7月30日からの最後の故郷への旅の初日の四日市での病気から、未だに延々と続いているようですね。
3月22日 19:36 ·
いや~ぁ、弓選びの帰りに寄った代官山のお店の凝ったブルーベリーヨーグルトのパンケーキの香料がキツ過ぎて、胃酸が出て吐き気がするぞ!!ハーブやミントも入れ過ぎると胃に良くないのだがね!!パンケーキもお洒落な分、若者向きで、俺には合わないなぁ!!simpleが良いなぁ!
先生―!今度代官山のときはご一緒してみたいです!
3月22日 21:23
有難う!是非!是非!
3月22日 23:02
昔はパテシエの美味しいお菓子の上品なお店があって、楽器を買ったりする度に、そのお店で生徒達とお祝いしていたのだけど、別のお店になってしまって、行きつけの珈琲屋さんがなくなってしまって、それ以来困っています。有名なお菓子やさんにも何度か行ったのだけど、チョッと味が合わないのよね?
3月22日 23:06
そう言えば、千夏ちゃん、美味しそうなアボガドのサラダの写真撮っていたよね??載っけて見てよ!
3月22日 23:08
3月23日 7:48 ·
昨日は芦塚先生と梨紗さんと弓を選びに行きました。
弓がたくさんあって選ぶのが難しかったけど楽しい時間でした。一回梨紗さんの楽器を弾かせてもらったら音が良すぎてびっくりしました!バイオリンも欲しくなってしまった…。
その後代官山のおしゃれなカフェでサラダをご馳走になりました!美味しかったです。ありがとうございました。
梨紗さんの楽器はこれで無事、親の出す最終楽器になります。後はもっとお気に入りの楽器があったら、これからは、自分で買えるはずです。
千夏ちゃんは高1なので、未だまだ上手になるので、少しづつ徐々に・・で良いと思いますよ。
それはそうと、「楽器選び」には、千夏ちゃんは、未だ同行した事はないので、弓を選ぶのはとても、難しかったと思いますが、社長の年度末決算セールのサービス(これは冗談ですよ!)でoldのbowを出して貰って(oldの弓の出る範囲ではなかったのだけどね‥・??)、新作のbowとoldのbowの中から、best‐choiceを選び出したのは、流石だと感心しました。大分、弓の事が分かって来たようですね。
高い方の弓はold‐Hillという有名な弓で、社長は「売る時に売りやすいし、名前も知れ渡っているからHillにしたら??」と言っていたけれど、「もう一つの弓の方が弾きやすいから」と安い方の弓にしたのは正解です。
old‐Hillは、新作のHillと違って、見た目には、見るからにfrench‐bowのような格好をしていましたが、実はHillの弓は基本的にイギリスbowで強弓なので、3点支持の方が合っている弓なのです。
力でバンバン弾いても負けない弓なのです。
もう一つの千夏ちゃんが選び出した弓の方が、勿論、これもoldのbowなのですが、french‐bowなので、教室のmethodeに合った弓になるので、実際に教室で1点支持の奏法を学ぶ時には、こちらの方が弾きやすいはずです。という事とで、その弓を探しだした千夏ちゃんの弓の選択も正解です。
中々のモンです!!
3月23日 10:37
今回初めて自分で弓を選びに行ってとても勉強になりました。良い弓を選べるか自信がなかったのでほっとしています。楽器選びの際にもよろしくお願いします。
3月23日 21:53
一般的にはproの演奏家の場合には、2,3本選び出したら、その楽器や弓を1,2週間借りて、自宅に持ち帰って、弾き込んで決めます。でも、最初の1,2時間で決められないものを、1,2週間弾き込んでも決められる分けはないのですよ。何をcheckしなければならないのか?何処を見たら良いのかが分かってなければ、それこそ1年間弾き込んでも無理でしょうね??アハッ!
3月23日 9:25
気に入ったものに決まったみたいでおめでとう^^新しい楽器や弓ってわくわく嬉しいよね!
わたしも行きたかったー!!実は芦塚先生や斉藤先生がどう選ぶのか見たことないんです。
3月23日 9:46
lectureをするためには、情緒的な指導や感情的、(所謂、「経験だよ!」とか言う話を省いて) かなり合理的な選び方をします。
斉藤先生や牧野先生に教える所から始めたので、情緒的、感覚的な所を極端に避けて指導しました。
楽器を選ぶ人は、自分の好みが優先するので、とんでもない買い物をする事がよくあります。
もう40年以上も前の話なので、時効だと思いますので、お話しますが、某都立のorchestraのconcertmasterが自分の楽器が気に入らないからと言って、下取りに出して楽器が見つかるのを待っていました。
その頃は今の社長ではなく、先代の社長だったのですが、その楽器をnecの調整と色がとてもよくなかったので、楽器の色の塗り替えをして、音の調整をして、売り安い楽器に変えて売りに出したのですが、それを見た彼が、「これこそ私の求めていた楽器だ!」と喜んで買って行きました。
手直しだけなら、もっと安く済んだのにね??
この話が内緒!と言うのは、orchestraのmemberが全員その話を知っていて、concertmaster本人だけが知らない話だったからです。
都市伝説みたいなものかいな??
3月23日 10:13
という事で、「弓選び」の一番目の作業は、完全に力を抜いた状態で全弓を弾きます。
これで、弓の「抜け」を調べます。
多くの弓はSpitzeに指先の力が入ってしまいますが、これも「抜け」の一つの表れです。
中には、真ん中や、上1/3の所で弓が抜ける場合もあります。いずれにしても、全弓総てが均等にならなければなりません。「抜け」がないとしても、力のbalanceが崩れても駄目なので、100万以下の弓では20本、30本の弓からselectしても、約、90%の弓がこれで脱落します。
このいとも簡単な試奏に合格した弓は、その後のテストの「飛ばし」や、「clip」で抜ける事は少ないのです。「飛ばし」は、flying‐staccatoやleggieroの奏法を含みます。clipは突き弓も含みます。
それに、「飛ばし」やclip、突き弓が、上手く演奏出来るか否かは、弓の性だけではなく、楽器との相性もあるので、生徒の楽器の弓を購入する時に、自分の楽器で試演しても、評価は出来ません。
後は、良い弓になって楽器との相性も合えば、遠音(とうね)の効く音が出るはずなのですが、これは自分で聞く事は出来ないので、私は斉藤先生に演奏させた時に一番遠い場所で聴きます。
そうすると、音の伸びの特性が視覚的に見えて来ます。
つまり、この楽器はどれぐらいのホールで最大の効果を出すか??という事です。
Piano等の録音の場合には、マイクを響板の中に突っ込んで録音しますが、弦楽器の場合には、響鳴した音がその楽器の音なので、会場のその楽器が最大に響いている場所で録音をすると良い響きがします。(但し、soloの場合だけの話ですよ。)
室内楽の場合には、それぞれの楽器の響くpointが違うので、混合された場所で録音するか、それぞれの楽器に向けて原音を撮って、音を分離させるか?のいずれかです。
そういう目で見ると、ヨーロッパの録音では弦楽四重奏の録音が、orchestraのように混沌としていたり、逆に、orchestraを弦楽四重奏のように分離させて録音しているレコードがあったりして面白いですよ。
3月23日 10:34
そうそう、智さんの弓は、私が偶然カンダに行った時に、偶然見つけて、パパに「即、買いなさい!」と電話して、即決した弓だもんね。「小学生には売らない!」と大分、社長のお姉さん達に、ゴネられたのだけど、パパさんに「札びら切ったらこっちのもんよ!」と言って、大急ぎで振り込んで貰いましたっけ??・・パパの英断よ!!感謝!感謝!
3月23日 10:43
ありがとうございます。
新しい弓で練習楽しいです!
弓を買ったら楽器も欲しくなってしまいました…。
3月23日 21:59
弓の選び方で一つ言い忘れていましたので、追加します。
selectする弓を、最初に持つ時に、「ふ~わっ!」と弓を持つと、弓の軸に対して、垂直に持てるのですが、弓を持とうとすると、それが少し演奏する時のように角度が付いてしまう弓があります。
つまり、弓を持った時に捻りが入るのです。
3点支持では、力で持つので、この感覚は分からないと思いますが、このtypeの弓は、必要以上に人差し指に力が入って、手首を傷めたりする悪弓なのですが、100万迄の弓ではこのtypeの弓が未だ結構残っていたりします。3割り程度はこのtypeの弓である事が多いのです。
私はこの手の弓は最悪の「手を痛めてしまう弓だ」と思いますが、弾く前に持った感触で分かりますので、その弓をcheckする事はありません。
弓を選ぶ前に、サッサとcheck対象から外してしまいます。問題外として・・・
昨日 19:53 · 編集済み
梨紗さんや千夏ちゃんが地下のホールで弓を選んでいる間に、真雅ちゃんのcelloの弓を選んでいたのですが、先生と来ていた小学1年生の女の子とお母さん、先生が楽器本体のviolinを選んでしまったら、弓を選ぶ前に、先生さっさか帰ってしまったみたいで、女の子とお母さんが弓を選ぶのに困っていました。私に「どういう風に弓を選んだら良いですか?」と聞いて来たので、「弓の選び方は、先ず最初に・・」と言いかけてハタと困ってしまいました。
お母さんは、多分violinが弾けないのですよ。
社長がやって来たので、これ幸いに、目配せをして社長に丸投げをしたのですが、社長が弓を持ち上げるだけで、「これは駄目!」と言って、先ず3本を外しました。女の子は驚いて、「持っただけで分かるの?」とビックリしていました。社長は例の通り、ガリガリと弾き捲って、残りの3本からbest‐choiceを出しました。
聞くと、小学1年生だ、と言うのに、3年生ぐらいの背でしたよ!中々上手な子でした。air‐varieを弾いていたな??
3月24日 19:53
「いい弓の選び方」も「いい楽器の選び方」も、普通はどこに行っても教えてもらえるものではないものね!
ということで、千夏ちゃんのヴァイオリン選びの機会も勉強したいので是非同行させて下さい!!
3月23日 11:40
そうですね!私もとても勉強になりました。
梨紗さんがいてくれたらとても心強いです。ぜひぜひ楽器選びの際一緒にお願いします。
3月23日 22:01
弦楽器の選定や弓の選び方は、知識と経験に基づいたsoftになるので、演奏家でも知らないし、その選び方は中々出来ないのです。
だから、殆どの先生達は自分の好みを生徒に押し付ける事になるのですよ。
「どの弓が一番なの?」って、そこは社長に聞いても教えてはくれません。だって、それは、個人的好みの問題だし、また選定の方法は、secretの部分なのですからね。
という事で、一般的な先生の場合には、個人的好みなので、判断するので、その選定の基準が正しいのか間違っているのかは、本当は分かりませんよね。でも、社長は私達には総ての弓の値段と製作者を教えてくれるので、どの弓が正解だったかは、100%分かるのですよね。
梨紗さんが1本だけ紛れ込んでいた、もう一つ上のrankの弓をbest‐choiceとして選んだ‥・という事は、私の回答ともあっていて、正解だったのですよ。つまり、情緒的好みではなく、ちゃんと選べたのですが、何処が他の弓と比べて優れていたのか?という事迄、突き詰めて説明出来るようになると、より良いと思います。
私の場合には、一番高価な弓や楽器よりも、別の楽器をselectする場合もよくあります。楽器は値段ではなく、性能なので、作者が不詳でも、時々、優れた楽器が手に入る事があるのです。だから、私は全く鑑定書を信じないし、製作者が誰であろうと、良いものは良い・・と思うのです。そういったbrandに頼らない目を養う事が大切です。
3月24日 23:35
3月25日 23:29 ·
「物忘れについて」無駄話し
「物忘れ」をする人、しない人には、それぞれタイプがあるように思われます。
物忘れをするtypeの人は、常に毎日と言ってよいくらい物忘れをしていて、忘れないtypeの人は滅多に物忘れをする事はない‥・という事が言えるからなのです。
一般社会では、「物忘れ」をしないようにするためには、「memoを真面目にちゃんと取る」という事が言われているようですが、私の場合は、その取ったmemoを持ち歩くのをよく忘れてしまって、「何のためのmemoか?」と怒られる事がよくあります。
何故、memoを持ち歩くのを、よく忘れるのか??
それは、私は高校生の頃から、「33歳の壁」※1)を越す迄は、memoを取った事がありません。記憶力が優れていたわけではありません。学校の勉強でも、英語や歴史等の記憶に関するものは苦手だったからです。
ただ単に、memoの必要な事に関しては、物忘れをしない性格だったからです。
「蛇足」
memoの本来の意味ですが、memoは「memorandum」(覚書)という意味になります。 「memoをする」というのは和製英語としての使い方であって、正しくは英語では「take note」「note down」等と言うべきでしょうか?つまり、memoという単語は使わないのですよ。noticeという単語の方が良いのかな??
「memorandum」の語源ですが、ラテン語のmemorare(思い出す)から来ていると言われています。
memory(記憶)も、同じ語源です。
もう一方のnoteは、ラテン語のnota(しるし)、notare(しるしをつける)が語源です。
日本では、memoは走り書き、noteは記録する
というimageですが、noteは「記録」、memoは「記憶」という意味と言っても良いかもしれません。
しかし、流石に、齢い33を迎えると、周りの同世代の友人達と同様に、物忘れをするようになってしまいました。
そこで、産まれて初めて「memoを取る」ようになったのですが、それまではmemoを取る習性も、持ち歩く事も無かったので、(学校で黒板に書かれた物をノートに書き写す・・という習性も持ち合わせて、いなかったので・・・)※2) memoを取る、という癖が全く無くって、折角、memoを取った・・としても、本当に必要な時にはそのmemoすら見つからない・・という情けない状況でした。
そこで、私は私なりの、物忘れをしないようにするための、別の方法論を探す事にしました。memo帳を持ち歩かない‥・、つまり、書く物、書かれる物を持ち歩かないのだから、必ずその時に持つている物でなんとかする他はない‥・という事です。…と言う事で一番持ち歩く物‥・つまり、携帯です。携帯の中にあるmemo帳に入力したり、音声で保存したり、一番は、自宅のパソコンにmailをする‥・という事です。しかし、その携帯さえよく忘れるのですよね。その場合には、近くにいる先生や生徒に自宅のパソコンにmailをさせます。
兎に角、その場でmemoを取るのがコツです。
後で書こう、なんてそんな**(悠長?不遜?ルーズ)な事を考えていては、memoなんか取れる分けはないのですよ。
もう1つの問題点は「物忘れ」をする人達には、「物忘れ」に対しての価値観が、希薄である‥・という事が言えるようです。
つまり、「ハンカチ、ちり紙を忘れた」・・と言う事と、「仕事の道具を忘れて、仕事に穴を開けた」・・という事を、同じ価値観の比重としての評価をするのではなく、価値観を、ハンカチ、ちり紙の必要性と仕事の重要性との価値観の軽重で判断するのです。という事で、当然、価値観の軽いハンカチ、ちり紙は「忘れた」という事は、無視されてしまいます。
それが、「物忘れ」という癖から抜け出す事を妨げているとしても・・です。
私は音楽家という立場から、音楽教室を開設するづ~と以前から、弟子や内弟子達を指導してきました。
音楽の指導者と言う立場では、直接的には、この「物忘れ」と、指導者としての立場は関係のない事のように思われるかも知れませんが、指導の仕方そのものは、一事が万事、物忘れの指導と全く同じ原理に基づくものなのですからね‼
よく弟子を指導する時に、私は生徒の犯した、取るに足らないような些細なミスを、何時迄も根に持って、グダグダと注意やお説教をしていたので、私は、そういう凄く細かい面倒くさいtypeの人間に思われていたのかも知れません。
でも、私がそんな小さなどうでも良い事をくどくどとcheckする、その本来の意味は、「そんなに簡単で、どうでもよい事を、ちゃんと治す事」が、大変な事を大変な思いをして、正すよりもすこぶる簡単だから」なのですが、そこの所が、弟子達には、中々分かって貰えません。
楽譜の暗譜でも、上級生達は完璧に暗譜するので、度忘れをする事はありません。
しかし、その上級生達でも、意識が全く音楽以外の所に行ってしまうと、起こすはずのない「度忘れ」を起こしてしまうのです。
人間の意識と言うものは恐ろしいものです。
どんなに、努力をして、習得した技術でも、心が逃げた瞬間に崩れてしまうのですから、人の心と言うのは、或る意味、怖いものですよね。
しかし、繰り返しのお話になってしまいますが、「どうでも良いこと」を何度も注意する・・という意味は、その「どうでも良い事」をちゃんと出来るようになると、「本当に難しい事」でも、簡単に出来るようになる・・という事なのだからです。
本当に大切な難しい事を、ちゃんと落としをしないで、やる事は、とても難しいし、大変な事なのですが、どうでもよい事をちゃんとやる事はとても簡単な事です。
でも、そう言った簡単な事が、ちゃんと出来るようになると、本当に難しい事でも、簡単に出来るようになるのです、というお話なのですが、誰も信じてくれません。困った事です。
人が人生の道を踏み外す時も、外の人にはよく見える事が、本人には些細などうでもよい事のようにしか、見えないからなのです。だから、ついつい、物事を軽く捉えてしまって、取り返しのつかない事になってしまうのです。
これは「ハインリッヒの法則」に非常に近いものがあります。
車の事故でも対人事故を起こしてしまっては、もう、取り返しが付きません。
軽い接触事故でも、同じです。
でも、「ヒヤリ!」とする一瞬があった時に、その日一日を、同じ「ヒヤリ」を繰り返さないように、細心の注意を払って運転すれば大事故を起こす事はありません。
でも、それだけ注意をしたとしても、現実的には、それでも、人様からの「貰い事故」というのがあって、防ぐ事の出来ない事故もあります。
それでも、自分が事故の加害者にならないように、細心の注意を払うべきです。
車の事故のお話は、音楽の演奏のお話にも通じるのです。
教室では、お姉さん達が、小さな子供の伴奏をする時には、その生徒が間違うであろう箇所と、どのように間違うかを、lessonで、シミュレーションをして、その対処法をlectureする事があります。
ある時に、斉藤先生が、伴奏をする生徒に、伴奏をする子供の当然間違う箇所に付いての、lecturelessonを見学していた先生が、「生徒が間違うであろう・・という前提で、lessonをするのは許せない‼」と怒り出してしまいました。
斉藤先生が、「子供の場合には、幾ら完璧にlessonをして、教室のlessonでは間違えなくなったとしても、本番では、色々な要素が絡んで来るので、間違ってしまう事があるのですよ‼」と、幾ら説明しても、とうとう、分かって貰えませんでした。
その先生の辞書には、「risk管理」という言葉はないのでしょうね⁉
音楽で度忘れしない演奏をするためには、毎回のオケ練習で、でも、子供達に言い続けているように、自分がしっかりと覚えている所と、何となくの「ウル覚え」の場所が分かるようになる事なのです。(これは暗譜のお話だけではなく、演奏そのものにも同じ事が言えます。)
誤解の無い様に、確認をして起きますが、私は「確実に覚えなさい」と言っているのでは、ありません。
自分が「忘れた!」と言う事を、「意識的にせよ、無意識にせよ、「価値付け」をしてはいけない!」・・という事を言っているのです。
人が、気にも留めない「うっかりミス」を犯さないように気を付ければ、人生にも影響するような重大な事故を起こす事はなくなるのです。
昔の人が「君子、危うきに近づかず」と言ったのも、不必要なミスや危険を避けるという意味で、この事故を起こさないという意味と同じ意味になるのです。
日常のどうでも良いような事でミスを回避するための練習をすれば、ハインリッヒの法則のように、大事故を回避する事が出来るのですよ。
でも、人はありとあらゆるミスに付いて、価値付けをして、軽重を問うのですよ。
それがなくならない限り、ミスはなくなりません。
あと一つのadviceは、一括管理をする事です。
一括管理をすれば、checkするのは、一箇所で済むからです。
教室の子供達が譜面を忘れたり、よくしますが、教室に持って来たのはなにか?と言う事を理解していれば忘れる事はないはずです。
弦楽器の生徒は楽器と楽譜とそれから‥・??
私の「時短」のmethodeでは、数で覚える事が出来ます。
でも、今の子供達は、物に満たされて生活をしているので、物に対しての価値観がありません。
だから、教室には鉛筆や消しゴム、ボールペンの雑多なものが山のように溜まって行きます。
時々、「あっ!!これ、私の‥・!!」と言って、持って帰る生徒もいますが、それは稀な事です。殆どの生徒達は自分が忘れた事、失くした事すら気づいてはいないと思います。
楽譜を忘れたり、弓を忘れたりする子供は、決まっているのですよ。思い当たる事はないかな??アハッ!
つまり、最後のcheckをしないで、別の事に心を奪われているからです。
私がlessonの時に使用する楽譜を準備するのには、前日は当然ですが、2日前から準備する事もあります。
楽譜を本棚から出さなければならない場合です。(普段lessonで使用する楽譜は、パソコンの後ろの食器棚の上にオケ練習用、室内楽用、soloのlesson用、periodの上級者用と、分類されて置かれています。
私は物を探すのが大嫌いで、時間の無駄としか思わないからです。
1時間その楽譜を探したとすれば、lesson代としてのrunningcostは幾らになるのかな??幾らの損失になるのかな??という事です。
コクヨのカタログに大手の企業が3分間、書類を出すのに掛かったら、企業としては幾らの損失になるか??という事がページの冒頭に書かれていて、超、shockでしたよ。数億円の損失になるのだそうです。
それに、追記をするのならば、「物忘れ」をした場合には、もう一度、同じ行程を歩かなければならないという二重の手間が掛かります。私の「時短の法則」では、一行程で済ませられる仕事は、纏めて一行程でする・・という原則があります。
例えば、ビック・カメラに行くという用事があったとします。私のパソコンにはmemo帳に「ビック・カメラ」というTitleのfileがあって、そこに、ビック・カメラでする買い物が教室用であろうと、privateであろうと、総て書き込まれています。私は体調が不良で、池袋迄買い出しに行く事が中々出来ないので、体調の良い時に、纏めて総てのビック・カメラの「買い出し」を一括してします。
しかし、もし、私がそこで、忘れ物をしたとしたら、次の池袋行きは何時になるかは、分かりません。多分、3ヶ月後、ぐらいになるでしょうね??教室のeventだったら、当然、もう終わっています。だから、「忘れる」という事は許せないのですよ。膨大な時間の損失なのですからね???
先生達でも、忙しいlessonや事務の作業の中で、物を忘れたら、それまでの作業の時間や労力は無駄になってしまいます。それを無駄だと思わない‥・という事が不思議で仕方がないのですよ。私なら、絶対に許せないのにね。時間を失うと言う事は‥・・???
だから、教室でも(事務所でも)楽譜や書類を探すという事は、3分以内でなければならないのですよ。
もし、それが3分以上掛かるのならば、そこには改善改良、或いは意志の改革が必要なのです。
でも、確実にそこにあるべきものがあるためには、確実にあるべきものをそこに戻さなければならないのです。
そこら辺・・ではなく、そこに・・です。
物忘れをする人は、自分がどこからそれを取ったのか?を覚えていません。だから、多分此処ら辺にあったのではないだろうか?という曖昧さで返却します。だから二度と出て来なくなってしまうのですよ。いつも言うように、私の場合には、目が弱いので、メガネを掛けないと、棚の本のTitleも読む事が出来ません。だから、何処の棚の何番目・・という覚え方をします。だから、真っ暗な中でも本を見つける事が出来るのですよ。でも、このお話は記憶力のお話をしているのではないのです。前にも書いたように、歳を取ると覚えるのが苦手になってしまいました。だから覚える必要はないのです。整理なのですよ。確実に同じ場所に戻す・・それを守れば、何万冊の本が棚に並んでいたとしても、確実に手にする事が出来ます。
「3分の時間をそんなに‥・、後生大事にしてもね~え??」という声が聞こえて来るようなので、私の子供時代のお話を少ししましょうね。
昔々、故郷の実家で、祖母から、玄関に靴を外側に向けて並べておく事の意味や、布団の枕元に次の日に着る服を、きちんと畳んで置いておくことの意味を教わりました。
それは、もしもの事があった時に、・・地震や火事等で、一分、一秒を争う時に、靴が横を向いていたら、その1秒で命を失くすかも知れないという江戸時代からの知恵と知識だったのですよ。
でも、それは江戸時代のお話ではない事は、皆さんよくお分かりのはずですよね。
今回の津波のお話や、糸魚川の大火は、一瞬の判断の遅れで、命を落とした人達の話を、よく聴きますよね。
でも、普段、人は、それが何時か自分に降り掛かるとは思わないのですよ。
思わなくても、「祖母の教え」‥・という事で、ちゃんと守っている人は、津波でも生き残っています。
今回も、お役人や学者先生達の見解では、「そういった想定外の事は原則としても、起こらない」・・と言っていて、「有り得ない事が起こってしまった」・・と弁解していますが、実はそうでは無かったのですよね。
ちゃんと、400年、500年前にも、今回と同じ所まで、津波が来ていたのですよね。
古文書にはしっかりと書かれているし、それを後世に伝えるために建立された神社もあるのにね。
お役人や、学者先生は、歴史に学ぶ事はないのですよ。
何のための学問をするのかね??勉強の意味は何なのかね??
なんのお話をしているの??って??
音楽でも、人生でも、総ては、その人の生き方の問題なのだよ‥・というお話をしているのです。
「忘れる」と言う事も、「ミスを犯す」と言う事も、「timingを逃してしまう」という事も、根本は全部同じ所に原因があるのです。
その原因を治せば、同じような色々なミスも同時に治す事が出来るのです。
そんな効率の良い所謂、「王道のお話」なのですが、人は、末端のどうでも良い事をウダウダと治そうとします。
それは時間の無駄なのですがね~ぇ??
「忘れる」‥・という事を恥じる人は、忘れる事はないし、「そんな、些細な事をウダウダと・・」と言う人は、結局大きな致命的なミスを犯してしまいます。
その時に、つべこべと、弁解しても誰も聞いてはくれない!!って幾ら言っても、分かって貰えないのよさ‥・・!!
つまり、結論から言うと、「物忘れ」をする人は、幾ら「物忘れ」の価値を述べても、「物忘れ」が治る事はない!!という結論です。
その人は自分のweak point(弱点)を弱点と感じないから、その人の弱点なのですよ。
弱点は基本的に、必ず克服する事が出来ます。
弱点はその人が「どうでも良い」と感じているから、治らないのです。弱点を直すのは、癖を直すのと全く同じで、気づいたら、ちゃんと修正をしなければなりません。でも、弱点を治せない人は、それを治そうとしたけれど、治らなかった・・というのが、その人達の弁解の言葉です。
癖を直すのは、大変な事ではないのですが、持続力が必要で、根気が必要です。
心理学の世界では、或る人が弱点をcomplexと感じて、それを治そうと努力を重ねて、その弱点が、人よりも優れた結果を出す事を、過剰保証という言い方をします。盲目の名オルガニストであるHelmut Walcha等がそうです。
私も高校、大学時代には、とても手先が不器用で、仕事が遅くて、苦手だったので、その不器用さを改善するために、「時短」のmethodeを作ったり、文字を書く速度を上げるための、単語登録の文字の省略法を作り出したり、平行作業のやり方、等々無数の「時短」のmethodeを作り上げました。
だから、今では、先生達や生徒達が1月掛かる作業を、1日、2日でこなす事が出来ます。
元来、先生達や生徒達は、私よりも、器用なので、私の「時短」のmethodeを覚えてくれたら(実践してくれたら)私の2倍も3倍もの速度で、より良い仕事を熟す事が出来るはずなのですが、器用な人達は、自分が不器用だとも思わないし、「時短」が必要だとも思わないので、私の仕事のやり方を覚えようとはしません。
(しょうとしても、how-toを見て見るだけで、実践しようとはしないのですよ。)つまり、必要とはしていないのです。
普通だから、劣っている・・とは思わないのですよ。
「必要は成功の母」とよく言いますが、「必要としない」から「成功する」事もないのですよ。
※1)「33歳の壁」という言葉は、私の高校生、大学生の頃からの持論で、私の場合の人生の転換期を33歳に定めていたからです。私が音楽家として、生活が出来るようになるか否かを、高校生、大学生の時には、「33歳までに」・・というtimelimitを設けて、それまでに音楽家として、生活をするのが可能で無かったら、普通の生活をする‥・と、決めて音楽の勉強に邁進して来た分けです。33歳と言うのは、夭逝した多くの作曲家の年齢が33歳(実際には34歳)であり、私の生みの親である父が原爆で死んだ年齢も33歳であったからで、私に取っては33歳が人生の折り返し地点であるからです。次の折り返し地点である66歳もあっと言う間に過ぎてしまいましたがね???
※2) 今は、緑色の黒板や、青色の黒板、果ては、ホワイト・ボード迄あるようですが、私が中、高生の時代には、正真正銘の黒板でした。
私が未だ学生であった当時は、中学校や高校で授業の度に、先生が黒板一杯に文字や表を書き込んで、生徒はそれをひたすらノートに写しながら、先生の説明を受ける・・という最悪の授業がおこなわれていました。
私が大学の講師をやっている時に、ノートをプリント・アウトして学生に配っていたら、早速、学務から呼び出されて、「お金が掛かるので止めてください。」と宣告されてしまいました。大学の言う事は聞かないと、仕方がないので、休み時間に授業をやる教室に行って、たむろしている生徒達に、私のノートを渡して黒板に書かせて、授業が始まる迄に、ノートに写しておくように・・と言いました。
中、高生の時には、「何故、ノートを取らなければならないのだろう?」と、不思議で仕方がありませんでした。私はノートを取るのが下手で、私の字は、読み返す事が不可能なだけでなく、ノートを取る(文字を書く)速度か、極めつけに遅かったので、先生が黒板に書くノートを書き写す事自体が、(私の能力的に・・)出来なかったからです。だから、中、高生の時代に自分で書いたノートを読み返した事は一度もないし、そのノート自体も失われてもうありません。
「かあさん!あの一度も読み返す事も無しに、無駄に書いていたノート!・・・、今何処にあるのでしょうね???」
娘は忘れる=恥 がないので学校でもお教室でも忘れ物多いです(~_~;)
3月26日 7:30
=恥・・という概念は、責任感が出て来て自分のi dentityが産まれた時に恥という概念が誕生します。だから、子供が恥を知るようになるのは、もう少し大きな子供の場合ですかね??但し、照れくささも恥の一種とするのならば、結構早い時期から、恥を感じる事になるのですが、基本恥の概念が大きくならないと見られないのは、恥には、社会性と迄は行かないとしても、自分と回りを比較する能力が必要となるからです。
未だ自分という概念の中で生活をしている小さな子供の間は、寧ろ「恥」よりも、失意や喪失感のようなものですかね。
つまり、怒られた・・とか、忘れ物をしたので、参加したかった行事に参加出来なかった・・とかです。昔は、親が働いていて、とても忙しかったので、子供が忘れ物をしても、それを届けてやるというようなテレビやアニメのような世界は本当は無かったのですよ。
それに交通の便も悪かったので、「忘れ物を下から、もう一度行く」と言う事は中々出来なかったのですよ。今はある意味では、子供達は恵まれ過ぎるようなので、そういったriskに対しての、価値観がないようなのですよね。
忘れても、それを必要とはしない、と言う事が主なので、忘れるとか失敗するといった事に、重要性を感じない無頓着な子供が多いようですね。
まあ、人生、楽天的でそれでも良ければ、それでも良いのですがね??
そう言った事が許されるのか、許されないのかは、その人が属する社会に起因するのです。「物忘れ」をしても、然程、問題にされる事のないより個人的な社会に属している人と、全く絶対に許されない社会に属している人がいますからね。
3月29日 10:00
「物忘れ」も或る意味、性格のようなものですから、忘れないためのroutineを作れば良いだけです。そんなに深刻ではないですよ。社会に出て、「忘れ物」をする性格が残っていたら、或る時には致命傷になる場合もあります。だから、子供の内に忘れないroutineを作って上げると良いのですよ。
3月26日 7:41
子供の年齢が低くなればなる程、「『確認』をしなさい。」という事は難しくなります。だから、「確認」をroutineに組み込めば良いだけなのです。
「確認」をroutineから外して、routineが終わってから、「ハイ、確認!」では、難しいのですよ。ネ??
3月26日 7:44
補足説明をすると、それと、子供の場合には、小さな子供になればなる程、一つの事に集中する傾向があります。つまり、興味が次の事に移った瞬間に、前に何をしていたのか??を忘れてしまうのです。
しかし、これはとても良い習性であって、出来れば大人になっても、残しておきたい感性(集中力)なのです。
世界的な著名な演奏家達はこの傾向を持っている人達が多いようです。また、それぐらいの集中力がないと演奏家は務まりません。私は、此処の所、頓に酷くなって来た物忘れの、隣の部屋に物を探しに行って、ドアを開けて部屋に入った途端に、何を探しに来たのかを忘れてしまう・・といったような健忘症的な「物忘れ」とは根本的に意味が違います。
3月27日 12:15
大学生になって、「黒板を丸写しする」という無駄な意味のないnotationの作業から解放されて、自分なりにノートを取る方法の改良を始めました。その長年やらされて来たノートを取るという作業の改良を始めました。学校の中での、強制的なノートを取るという作業の中では、自分に合ったノートを取る等という事は出来なかったからです。
私が考えたノートの取り方は、ノートを1Page全面に使用して、見開きにしたPageを使ってnotationします。
右側のPageの真ん中から2割か3割の所に線を入れます。その内側に見出しと小見出しを書き込みます。7割の所は通常のノートとして使用します。左側のPageには、書き加えられたideaや修正、その他所謂、赤入れを右側のPageに書かれた文章を丸で囲んで左側のPageまで引っ張って来て、色々な修正や補足を書き込みます。これで研究ノートとしては、非常に使い易くなったので、ドイツに留学する迄は、そのノートを使用していました。ドイツ留学の時代は、楽譜を書く事が殆どで、日本語を書くのは、簡単なessayぐらいしか書きませんでしたので、ノートを取る事も稀になってしまって、「人生雑感」と名付けられた日記風のidea‐noteだけになってしまったので、もう私の改良したnoteを使用する事はありませんでした。文章を研究校正するためのノートだったのでね。
参考までに、という事で、昔の高校生、大学生の時に書いていた、私の研究ノートをコピーしてお見せしようと思ったのですが、そう言ったノートの類は総て破棄されてしまって、1冊も残っていませんでした。
3月29日 10:18
3月27日 6:17 ·
昨日、17年3月26日は、芦塚音楽研究所千葉音楽教室の春の発表会への最後の総合練習でしたが、この季節は毎年‥・と言いたい所ですが、今回は特別で、総合練習の参加者が、病気やその他の理由で例年になく非常に悪く、オケの曲のpartが一人もいない曲があったりして、急遽参加の助っ人に次ぐ助っ人を、その場で補填しながらの総合練習
でした。珠加ちゃん達も私も風邪を押しての参加です。
ティシュを箱ごと持って行こうと思っていたのだけど、忘れた!!でも、薬は常備薬を箱ごとハイツから持参しました。
総合練習は、いつもの事ですが、時間がないので、通しの1回だけの練習です。
私のone point adviceもするだけの時間がありません。
Vivaldiの春は、soloの愛ちゃんが結構な病気で欠席なので、今回は急遽、紗來ちゃんが全楽章を演奏したのですが、それは初見なので、取り敢えずは割愛してⅢ楽章だけをuploadします。
https://www.youtube.com/watch?v=gIl2ngwzgog
次はHändelのpassacagliaのAshizuka-versionです。
助っ人であるか否かは兎も角として、memberがそれぞれのpartに
揃ったのは、初めてではなかったのかな??
https://www.youtube.com/watch?v=KRfzGdV2Iyk
私も「こういう曲なのだ!」と言う事を、初めて知りました。
ちゃんと、練習すると中々、良い曲になりそうな雰囲気ですよね。「ちゃんと練習すると…」・・の意味は、普段の毎回のオケ練習の時に練習の時間が足りなくなって、この曲がオケ練習の最後の曲なので、いつもこの曲が割愛されていたからです‼
だから、しっかりと練習をして、録音に配慮すると、とても良い曲になると思います。音声だけを別に録音したりして・・
人数がいるとそういう事も出来るのだけどね。
次はHaydnの雲雀Ⅳ楽章です。
この曲も1stの愛ちゃんが病気で2回とも続いてお休みなので、急遽、この総合練習のために、大学生の梨紗さんが初見で、助っ人に入ってくれました。
前回のリハーサルでは、この曲は、各自が自分のpartの演奏に必死で、全体の和音等を聴くゆとりが全くなかったので、今回の総合練習では、午前中の時間に、梨紗さんのが各小節の和音の練習をつけてくれたので、短時間ではあるのですが、ずいぶん良くなっていました。
https://www.youtube.com/watch?v=1-3v6uKZm2o
Haydn先生のQuartettは、結構、難しい曲なので、ちゃんと、練習を積み重ねて行かなければならないのですよね。Ⅰ楽章はもうやったのかな??それとも五度に行く??
Franckの練習のvideoが入っていなかったので、目下捜索中です。発見したら、upします。
· 3月27日 17:08
定点で回し撮りをしていたvideocameraにはFranckや、ChopinのPianotrioの動画は入っていなかったし、4Kのvideocameraも、試し撮りをしていた4K専用のSDcard自体を紛失して見当たらなかった。4K専用の128GのSDcardは、ビック・カメラでも1万5千以上するのだよ!!初テスト使用のcardを失くしてしまったら、その後の、4Kcameraのcheckも何も出来ないのにな!!
3月29日 12:18
4Kの方で、モーツァルト五重奏・ショパンピアノトリオ・フランクを試し撮りしていたのですが、SDカードは見当たりませんか?片付け私は見ていないのですが、誰がしていたか確認してみましょうか?
3月30日 18:19
私も雨の中を車を取りに行って、車で自治会館と花園を回っていたので、最後の後片付けは確認していません。その前には、4kの本体がないと、ビデオのcheckが出来ないので、本体に入れたままに、椎名町に持って帰るように、という事を碧人には確認したのだが、碧人は先に帰ったので、その後の後片付けを誰がしたのかは、分かりません。
だから、その後誰かが4Kのsdカードを出したという事は、椎名町行きか花園行きににはなっているはずなのですが、それを誰が最後にしたのかは分かりません。斉藤先生だと思っていたのですがね。
3月30日 20:36
最後は分からないので、確認して見てください。
3月30日 21:53
4Kのカメラバックは灰色ですか?
3月30日 22:18
布製の灰色です。
3月30日 22:19
バックの中は斉藤先生も私も何度も確認しました。
3月30日 22:19
碧人くんには確認しましたか?
3月30日 22:21
私は何もしていません。斉藤先生に聞いてください。
3月30日 22:22
それに碧人君のmailaddressも知りません。ハイツのパソコンのmailは、教室のmailとは違うので、
3月30日 22:23
最後に自治会館の片付けを手伝ってくれたのが千夏ちゃんと智子ちゃんと珠加ちゃんと碧人くんとなので、確認してみます。
3月30日 22:24
碧人くんが、ビデオケースのサイドポケット(説明書が入っている部分)に入れたと言っていますが、これは斉藤先生に伝えた方がいいですか?
3月30日 22:26
確認はしたはずですが、一応、斉藤先生にも連絡しておいてください。
3月30日 22:31
連絡しました。
3月31日 8:21
了解!
3月31日 8:22
3月27日 18:45 ·
「超、びっくらこいた!!」
今日(3月27日)はFacebookに昨日の最終練習のvideoをuploadしていたら、椎名町事務所からの緊急の電話で、不動産屋に連絡を取るようにというmessageであった。
折り返し電話をすると「緊急に合いたい!」との事。
何度聞いても、「江古田の部屋の事で・・」というばかりで、後は「お会いしてから、ご説明します。」というので、「かなり込み入った内容だな??」とは覚悟をしたのだが、大体の事は想像が付く。
まあ、私の自宅である江古田のハイツにはとても、(例え業者だとしても)人を招き入れられる状態ではないので、近所の喫茶店(珈琲館)で待ち合わせをした。普段も教室の生徒や保護者の人や、生徒達も珈琲館を使う事が多い。江古田教室で、私一人で接客するには、自分で接客の用意をしなければならないからだよ。
「会ってからしか、内容は話せない」・・と言われても、こちとらも色々と持って行く準備もあるので、「会って‥・云々」と言うのも困った事なのだが、そういったクドクドとした話は省力して、要は「部屋を出て欲しい!」という事なのだろう・・と思ったのだが、業者から話を聞いて、超、ビックラこいた事には、もう既にその不動産屋に、大家の婆さんがビルを売っぱらった・・という過去形の話だった、と言う事なのだよ。
んでいる住借り手の住民に一言の相談もなく‥・・だよ。
江古田の住居は、40年以上も前に、ビルの2階の真ん中の部屋を最初に借りたのだが、その頃は、江古田の街にも、大きな賃貸マンションのビルが全くなく、主流は木造のアパートだったからなのだよ。
私が部屋を借りたその部屋は、私が入るその前も、Pianoの教室として名古屋の女の先生がlessonで使用していて、毎週、名古屋からlessonのために通っていたそうな??
反対側の隣の部屋は当時は学習塾だったし、奥の部屋の201号室は漫画家の野村シンボさんの部屋だったのだよ。
だから、音出しの公害を撒き散らす音楽家の住まいとしては、とても良い借家だったのだよ。(入居した当時は未だ、生徒は教えていなかったのですがね)
という事で、生徒を指導するようになって、弟子も出来て、江古田の部屋で教室としての事務の作業をするようになって来たら、部屋が事務所としての機能や教室としての場所にもなって来たので、とても手狭になって来たので、漫画家の野村さんが引っ越した機会を捉えて、その部屋を教室の事務所として借り入れて・・・、次に学習塾を弟子の住まいスペースとして私が借り入れて、その結果、教室と事務所と生活スペースとして、2階の全部の部屋を借り入れてやっていたので、すこぶる利便性が良かった。
他の部屋も、残りの3部屋の内の2部屋迄は、会社として借りられていて、残りの一部屋が音大生が借りていたので、所謂、普通の人は一人も入っていなかったのだよ。当時の部屋では、未だ風呂が付いていなかったので、学習塾の後の部屋だけが、風呂が付いていたのでね。
だから、夜、遅くに音出ししても、下の部屋は大家のお店だったので、夜は誰も居ないし、creamも一度も来なくて、音を出して被害を撒き散らす私達にとっては、とても住みやすかったので、手狭ではあったのだが、結果として、40年以上も住み続けてしまったのだよな。
しかし、10年近く前に、ビルのオーナーである大家の旦那が亡くなってからは、チョッと、話が変わって来るのだよ。
奥さんの方は、情緒的感情的と言うか、言う事がしょっちゅう変わって、タナコとしては、困ってしまうのだよな??
「息子にビルを譲りたいから、会社名義で借りている人は、総て出てくれ!」「個人用の賃貸にするから」と突然言われても、教室として生徒達も通って来ているのだから・・ね。
他の部屋の、会社として使っていた人達も怒り捲っていたよな~ぁ??
突然、大家側から、何の保証もなく、「部屋をでろ!」と言われてもな‥・?
仕方がないので、全くの自腹で、400万円近い引っ越し費用を自分で出して、その部屋を出たのだが、暫くすると、婆さんが「芦塚さんは長いから、そのまま居ても良いよ!」と言い出して、話がコロコロと変わる!!
だから、婆さんには、「いやあ~、もう、権利金や敷金も払ったし、引越し費用も払ったので、・・」と、やんわりと断ったのだが、事務所や教室を引っ越すとなると、司法書士を雇って、法務局の手続き等や免許やありとあらゆる物を書き換えなければならないし、生徒達もlessonに通う場所が変わってしまうので、面倒なので、「じゃあ、最初に入居した202号室けを、継続してください。」と言って、江古田教室と、事務所の所在地としての機能だけは存続をさせたのだよな。(本当の事務所は椎名町に移動してしまったのだが、法規の手続き上の事務所は・・という意味です。)
それが今度は、突然、「売っぱらった!」???
そりゃ、ないよな~ぁ!!
不動産の業者は、もうマンションの築が結構古いので、マンション自体を解体して、新築のビルにするので、予定を組んでしまっていて、そのtimelimitがあるので、焦っていたのだよな!!
「7月一杯で部屋を空にして欲しい!」と言って来たのだが、7月一杯迄、教室の行事が一杯なので、8月の第二週迄待って欲しいと言ったのだが、もうビルの解体工事の日程が決まっているそうで、日にちは譲れないらしいのだが、こちらも3人揃って動ける日は限られているので、交渉でなんとか8月の10日迄に部屋を明け渡す事で、合意に至った。
話の詳しい内容はprivateな事なので、省略するとして、大方の粗筋は、まあ、そんな所だろうよ!!
続きが気になります…
3月27日 18:56
まあ、不動産屋としては、私との交渉で、「血の雨が降る事」は覚悟して来たようだが、温厚な紳士である私は、そんな下手な会話はしないのだよな!!
そこらは、私は音楽家とは違って、世渡りは、めちゃ上手いのだよ!!
という事で、お話はcontinuo・・・
3月28日 5:33
そのまま牧野先生に転送しときます。
3月27日 21:12
何を転送するのか・・??
この文章の中には、私が不動産屋にorderした実際の具体的な交渉の話は全く書いていないのだけど‥・??
・・で、何を転送するの??
3月28日 5:37
やってらんね~!!頭さ来た!!!
3月28日 1:48
今日は一日、鬱が酷くてなにも仕事が捗らなかった。残り少ない貴重な日々からの1日を失くしてしまった。やっぱ、やってらんね~!!
3月28日 19:27
昨夜からの鬱が治らないし、朝の4時半から教室の仕事を一応は、頑張っているのに、何も進まない・・と言うよりも、やる気がさっぱり起こらないので、ふと思いついて、試しに熱を計って見たら、やっぱり7度超ある。
微熱だよな?
やる事なす事上手く行かないと思ったら、体調不良で、免疫力の低下だよな。風邪薬とユンケルの領域か‥・??
3月29日 1:08
昨夜は、ベッドに入ると咳が出て眠れなくなってしまったので、もう次の日の夕方になってしまったのだが、未だ咳が止まらないので、前回病院で貰った咳止めと言うか痰が出やすくなる気管支拡張剤の入った薬が残っていたので、それを取り敢えず飲む事にした!!
3月28日 15:31
今日は29日の水曜日なのですが、月曜日の夜から引き篭もりが始まったので、未だ2日しか経っていないのに、火曜日の朝から食料品が全く無いので、乾麺の非常食だけの食事になってしまっています。今日も椎名町には行く気が起こらないので、近場のセブンでも何か買い物に行かないと今日もまた乾麺になってしまっています。
3月29日 21:27
という事で意を決して、ハイツのすぐ傍のセブンに行って見たのですが、食い物が全くない!!と言う事で駅の回りのコンビニを3軒も回ったのに、弁当が全くないというか、あるのは売れ残りの如何にも不味そうなのばかり・・、諦めて、魚河岸でも行くか?とも思ったのだけど、チョッと一杯引っ掛けるだけの体力が全く無い。寿司屋で夜の12時過ぎにお茶をしていてもね~ぇ??という事で、そのまま帰っても、食い物がないという事実には代わりはないので、しょうがないので、冷凍の食品とサンドイッチを幾つか買って来た。まあ、非常手段にはしかたないよな??
久し振りで、外に出て歩いたので、汗をかいた!!
それぐらいで??それぐらいで!!
取り敢えずは、サンドイッチでも食べて終わりにするか??
3月30日 0:38
という事で、今日は時間も9時代と言う事で、早いし、もう一度江古田回りのコンビニを食料を探して回って見たのですが、棚はすっからかんか、あっても私の口には無理なものばかりでやっぱり、何も買わないで帰って来てしまいました。椎名町のサミット迄行くと、私でも食べれそうなお弁当を売っているのだけどね‥・・??
3月30日 21:48
売った!との過去形とは失礼千万ですね!!
この際千葉に、、、て事は難しいのですか💦?毎週の移動も大変なような?
3月28日 22:34
私の場合には、千葉でも東京でも、週に1,2回なので、あまり関係はないのですが、先生達は毎日の事なので、事務所とか住まいを千葉に移してはどうか?という話は家の引っ越しの話をする時には、必ずその話も出ます。
その話は私が何故、指導者を育てているのか?という話に繋がって行くので、説明するのは結構、難しいです。
斉藤先生は、江古田のハイツを売って事務所と一つにして、大きなビルで一緒に住むように提言してくれますが、今回の鬱の時のように、鬱が酷い時に引き篭もれる場所が無くなると、私には辛いです。
3月30日 5:18
私が海の見える小高い丘に引っ越して、教室や先生達が千葉の便利な所に教室と一緒に引っ越せば、負担が少なくて良いのでしょうがね??
3月30日 5:20
最近は、二世帯でも、扉まで別のところが主流ですし、こもる部屋を作って、、、
海の見える小高い丘。。。埋め立てのこの辺では厳しいですよね。
3月30日 20:42
椎名町の斉藤先生のお部屋は一度裏口から外に出て、階段を登って完全独立の部屋です。以前テレビで放送していたのですが、千葉の殺人事件のあった豪邸が競売に出されて、嘘みたいな値段で業者に買い取られたようですが、それぐらい広い部屋なら幽霊が出ても私的には欲しかったのですがね。
3月30日 20:45
見ました!
あそこでオケが出来そうな感じでしたよねー!
3月30日 21:10
そうそう、チョッと、リメイクすれば充分教室として使用出来たと思ったのですがね。何年も売れなかったらしいけれど、どうして過去形で、放送されるのかね??
3月30日 21:13
幽霊の間とか言うの作ったりして、HaydnやBeethovenの幽霊の演奏をしたりして・・・!!
3月30日 21:14
それはそうと、「海の見える小高い丘」は私の隠れ家の話で、幽霊のでそうな殺人事件のあった家は教室の事務所の話ですがね。
3月30日 21:50
3月28日 17:47 ·
動画が無かったFranckの練習風景の写真です。
Pianoquintettoなのですが、Pianoの智子ちゃんが斉藤先生と被って見えません。他の写真も探してみたのですが、智子ちゃんのquintettoの時の写真で、顔の写った写真は、アップライトのピアノなのであたりまえかも知れませんがありませんでした。この写真も智子ちゃんの顔が写ったものではありませんが、二枚の写真を繋ぎ合わせたものです‼
写真を撮影した場所が違うので、写真の角度があっていませんが、Pianoも写っている写真としては、これぐらいが最大の広さかな??
今は火曜日(29日)の夜の10時半です。今、行きつけの寿司屋にでも飲みに出かければ、ちょうど夜食を食べる事が出来るのだけど、「やってらんね~!」状態の「どうでもいいや!!」状態が続いているので、自宅の部屋には食い物が全く無い状態にも関わらず、外に食べに出かけるのが億劫で、かったるいのですよ。
対人恐怖症と食欲の比較で、食欲よりも、対人恐怖症の方が勝って来ると、部屋の外に出るのも億劫になって来てしまいます。
これが1日、2日なら、別にどうってこともないのだけど、結構、長く続いてしまうと、それはチョッと問題になります。
人間、食欲が衰えると、先が見えて来るのよね~ぇ??
でも、「どうでもいいや!!」は、鬱々の症状で、気力や、免疫力が衰えてしまうので、どう仕様もないよな!!
薬が効いて来て、少し、咳が収まっているので、横になって寝ていることにします。
起きて、腹が減っていたら、その時にどうするかな?・・の事だよな??それでも外に出たくない・・とか??
3月30日 9:34
「どうでもいいや‼」の勢いのままで、なにも食べないまま、寝てしまって、いつもの体重測定の時間(午前5時です。)になってしまいました‼
「やってらんね~!!」の原因はそのままで、なにも変わっていないので、鬱の状態も、まあ、あたりまえの事なのだけど、そのままです‼
時が過ぎれば、忘れて行くような情緒的なお話ではなく、状況が改善しなければ、その胸の支えはそのままなので、何時迄も同じ状態が続いてしまう事になる。
ちょうど、前回の秋の発表会のフニョフニョ指揮の状態の再現のようだな⁉
幾ら、気持ちを入れ直して、頑張って指揮をして見ても、丹田に心が引っ掛からないで、心の伴わない形ばかりの、空振りの指揮になってしまった……、そういう、これまでも経験のない恐ろしい体験が、記憶の中に蘇って来てしまいます‼
なんとか、発表会迄には、心の拠り所、落とし所を作っておかなければ…、また、空振りの指揮振りをしてしまうと、焦ってしまう毎日なのだが……、心の拠り所は、自分の心の中の話ではないので、自分を取り巻く環境や状況が変わらない限り、如何ともし難いのだよな?
3月30日 9:43
3月30日 15:50 ·
「昨年の秋の発表会」の動画をハイツに持って来たので、「春の発表会」の前々日ですが、3部と4部と5部と斉藤先生の「トリ」の演奏を取り敢えずuploadしました。linkを張ろうかと思ったのですが、鬱が治らなくって、体が動かないので、直接You
Tubeで見てください。「16年10月16日芦塚音楽千葉教室秋の発表会」で検索をして頂くか、「402a42ka」で検索を掛けていただけば、全部がupされます。
見ました。
ありがとうございます。
3月30日 18:31
うちは何だか発表会体質でなくなったみたいでちょっとさびしいですが、Youtubeで楽しませていただきます
3月30日 19:26
前回の10月は彩葉ちゃんだけで、晟嗣君はオケには出ていないのですよね。
どうしても、You Tubeは公開にしているので、オケや室内楽の人達を中心にupする事になってしまいます。
偏っていると思われるかもしれませんが、ソロの人達の場合には、時々「You Tubeにはupして欲しくない」とcreamが来る事があるので、オケ・室内楽の参加者達だけをYou Tubeにupする事にしています。
という事で、ソロの人達は、原則として公開の了解を頂かなくても良い、対外出演の参加者の人達だけをupしています。
つまり、対外出演と言う事は、すなわち公開演奏になるからです。
例外的に3歳、4歳の子供をYou Tubeにupする事はあるのですが、その場合には保護者の方に直接、了解を貰ってからのupです。
オケや室内楽は希望参加なので、基本的には、体質やアレルギーとは関係はありませが、目的や目標に合わせて、音楽の指導内容が変わるので、子供達の音楽との関わりに合わせて、幾つものオケが作れれば良いのですが、生徒数がそんなに多くないので、オケの種類に困っています。
とても上手なお姉さん達でも、受験年次に差し掛かると、オケの負担を軽くして、受験に専念をして、オケや椎名町組は、愉しむ程度でも良い・・という人も結構いるのでね。
3月30日 21:11
晟嗣は受験を理由に6年生になる時点でレッスンを終了しました。再開の話もするのですが本人の興味はそこにはないようで、「たまには一緒に弾こうか」というとこ止まりです。教室のレベルでいうと下手ですが、それなりに身に着けたところはあると思うので親としてはちょっともったいない感がありますが、私がその昔似たような状況だったので…。
彩葉は週一のレッスンだけが練習時間という状態なので辞めることも考え、辞めてもいいけど自分で理由を含めて先生に言うよう伝えると、「それはめんどくさい」ということで今に至っております。私の誘導が下手くそなんだと思いますが、難しいです。ホントに。
3月30日 23:32
私が小学生迄に住んでいた故郷は、江戸時代から何一つ変わっていない所で、音楽的な環境と言えば、Pianoを持っているのは小学校の先生と小学校と中学校だけでしたかね。殆どは未だブカブカオルガンの時代だったのですよ。小学校5年生の時に、「合唱部に入りたい」と言ったら先生が「男の子一人だけだからそれはどうも~」と断られてしまいました。偶然、小学校の音楽の先生の家の傍と通ってlessonしている女の子を見て、「私もPianoを習いたい」と言ったら、「保護者の了解を得て来なさい」とまたまた困った顔をされたので、「男の子は音楽を習っては行けないのだよな?」と諦めました。しかし、不思議な事に、故郷の家で暮らしていた祖母は西洋音楽はあまり好きではなく、「鶏の絞め殺される時の声」とか西洋音楽の事を言っていて、唯一の文化的な媒体であるラジオも長唄や小唄端唄が常に流れている環境だったのです。何処で、Classicを覚えたのか私には記憶がありません。
3月31日 0:10
中学生になって、お袋の住む長崎の学校に転校して行きましたが、そこでも合唱部は女の子だけという事で断られて、生物部と気象部に入りました。お袋はどういう分けか、Classicにも興味があって「労音」とか言うのに入っていて、年に何回かのPianoのコンサートに連れて行かれましたが、何の事か分からないで、よく眠れました。多分、兄貴の所有しているケンプの悲壮と月光のレコードを聞いて感激していたのですが、どうして??本を読み漁り出したのも、中学生からで、作曲家の伝記等も読み漁りました。此処らからチョッと進行方向が狂って来るのよね??
3月31日 0:16
高校に入学したら、音楽部に入りました。本当はブラス・アンサンブルに入りたかったのですが、県立校はお金がないので、小、中、高校とブラスは無かったのですよ。私立の中、高にはあったのですがね。そこで音楽部の友人達から色々な曲を学びました。第9に始まって、春の祭典やMozartのレクイエムや、それこそ、古典から現代に至る色々な曲を音楽部の連中は詳しかったのよね。高校の音楽部から東大の白樺会合唱団が通常のコースで、今では色々と名の通った連中がいます。そう言った連中は道を誤らないでちゃんと東大、京大へ入学して親達を喜ばしたのですが、私だけは道を踏み外してしまいましたがね。もっとも、母親の方は私が医学部に入学しようと、音楽の道に進もうと関知していなかったので、私的には助かりましたがね。「なんで音楽大学に入るの??」と不思議がってはいましたがね。
3月31日 0:25
小林亜聖さんと共通点があるような…
3月31日 0:27
私が道を踏み外したのは、homepageにも書いていますが、Anton HeillerのHändelのCembalosuiteとClara
HaskilのMozartのPianoconcertoのレコードを手に入れたからです。それは私の人生を揺るがす程の衝撃でした。
こんなにも人の心を揺さぶるものがあるのか?という驚きでした。
3月31日 0:38
当時は、音楽は、未だ極め付きにエリートの集団にしか与えられないgenreだったので、庶民からClassicと言うか音楽の世界に行こうとする人は極めて限られていて、例外的な存在だったからですよ。
それはそうと、小林亜星さんと言えば、実は私は大学1年生の時に中野ブロードウエイの亜星さんの事務所に呼ばれて行った事があります。「仕事を手伝わないか?」というお話だったのですが、私が「Classicをやりたいので!」とお断りすると、「何故、そんな金にならないものを‥・??」と不思議がっていました。
コマーシャルや映画のバックグラウンドの音楽に、それぞれの表情や長さの曲が無数に作られていて、注文に合わせて、そのArchiv(書庫)の中から取り出して加工すれば即注文に応じられるようになっていて、驚いたものです。Stradivari工房のように、工房作業だったものですから。
折角の売れっ子作曲家からのお誘いを断るという事は、当時から、あまり金銭欲は無かったのですよね。
3月31日 7:13
中野のブロードウエイで印象に残っているのは、亜聖事務所の事よりも、蛇(マムシ)のフルコースのお店の方です。これは衝撃だったよな??
3月31日 7:13
蛇のフルコース、ですか?!
3月31日 0:49
当時はとても有名なお店でしたが、ショウウインドーには生きたマムシがうじょうじょ!見るだけで、一度も入った事はありません。マムシ料理で有名なお店でしたが、そんなに高いお店ではなく、学生であった私にも払える程度の金額だったように覚えています。
3月31日 7:15
16年10月16日芦塚音楽教室秋の発表会のhomepageにYou Tubeのlinkを頑張って張りました。しかし、upする予定の動画で動画自体が無い演奏があったので、困っています。最終的に、発表会の全体の動画を貰ったので、そこから切り抜くしかないかな??超面倒だよな?discは椎名町にあるので、先ず取りに行く所から始めないといけないのだが、明日は春の発表会だよね!!なんで、半年前の発表会の処理をしているのかな??よう分からん!いずれにしても、今から病院の時間です。薬を貰いに行かなくっちゃ!!雨降っているのよね!!バイクはチョッと辛いな??薬が終わったので、しかたなかんべ~な??
4月1日 8:52
3月30日 22:44 ·
2,3日引き籠もっていて、久し振りに見た芽も出していなかった裏の金華学園の校庭の桜が何と、5分咲か??
この2日、3日全く買い出しをしていない‥・と言うか、昨日今日江古田回りのコンビニに買い出しに行ったにも関わらず、食べたくなるもの、食べれる物、食べ物、が陳列棚に全く無かったので、冷蔵庫の中は空っぽのままで、‥・という事で、この2,3日は非常食の乾麺を朝昼晩食べてしまいました。行きつけの寿司屋にでも行こうと思っても、体調と鬱で行けないのです。
昨夜は、少し早めの時間に、コンビニ回りをして食料品を物色したのですが、やはり、陳列棚は空っぽか、食欲をそそるものが何も無かったので、諦めて、ついに行きつけの寿司屋に飲みに出かけてしまいました。その時に夜桜を見て驚いて、カメラを取りに部屋に戻って、撮った写真です。
普段は、眠れないので、或いは熟睡したいので、飲みに出かけるのですが、実はそれは逆で、あまり眠れなくなったり、寝ても睡眠が浅かったりするそうなのですが、不思議な事に昨夜は熟睡出来ました。相変わらず、変な夢は見ていたようですがね。朝起きて「腹が減った!」という経験は珍しいです。これが鬱や体調不良からの復帰につながれば良いのですがね。ギリギリ発表会に間に合うのかな?‥・そうは、上手く行くか??
3月31日 7:49 ·
先程の写真の朝の写真です。
雨が降っているのかな?と思える程に薄らどんよりとした空なので、確認をしにダウンを着て外に出たついでに撮影しました。あまりにも暗い鬱っぽい写真なので、補正しようかな?とも思ったのですが、今日の天気を伝える意味でもそのままにしてupしておきます。(それはそうと腹減った!相変わらず、冷蔵庫の中には・・)
撮った写真を整理しようとパソコンを開いて驚いたね??
撮った日にちが全く1年前の同じ日だったのだよ。
その日は雲ひとつない快晴!!桜もほぼ満開状態!!
今日は寒いのだよね!
3月31日 10:50 ·
1年前、16年の3月31日の同じ場所の写真です。
昨年のこの日は快晴だったのですよね~ぇ??
先程の写真の朝の写真です。雨が降っているのかな?と思える程に薄らどんよりとした空なので、確認をしにダウンを着て外に出たついでに撮影しました。あまりにも暗い鬱っぽい写真なので、補正しようかな?とも思ったのですが、今日の天気を伝える意味でもそのままにしてupしておきます。(それはそうと腹減った!相変わらず、冷蔵庫の中には・・)
撮った写真を整理しようとパソコンを開いて驚いたね??撮った日にちが全く1年前の同じ日だったのだよ。その日は雲ひとつない快晴!!
桜もほぼ満開状態!!
今日は寒いのだよね!
4月1日 15:59 ·
2018年(来年)の春の発表会は、4月15日(日)千葉市文化センター・アートホールに決定しました。
牧野先生の他に、10人の人達が抽選に来ていた中での、毎度お馴染みの凄い確率でした。毎回、100%の確率で希望の予定日を当てていますが、これはオカルト的な凄い確率ですよね。
発表会前日に抽選とは大変でしたね…
抽選、観察力勝ちですね❗️
4月1日 16:38
まあね、根性よ!根性!!
4月1日 16:52
本当にすごいですね!
毎年恒例の高倍率!
新しいホール(なんですよね??外壁だけ??)でのコンサート、楽しみですね!!
ありがとうございました!
4月1日 17:28
・・で、なんで赤鬼さんと青鬼さんとストラップの鬼さん達なのか?‥・という、質問を受けましたので、書いて起きます。つまり、来年の事を言うと、「鬼が笑う!」の鬼さん達です。ハイ!
4月3日 18:54
4月2日 5:21 ·
今日は発表会です。
今からハイツを出発します。
今回は初めて、今も進行表が無いままに当てずっぽうに出発するのだけど、大丈夫かね??
今回からはvideoの撮影も教室でやる事になったので、発表会直前の準備、所謂、仕込み作業も生徒達では出来ないので、私が準備をしなければならなくなって、発表会が始まる迄は、超忙しい状態でした。
と言う事で、Cembaloのtuningの確認作業は省略してしまいました。
午前の10時50分のcanonから指揮を始めたので、一応は3時半過ぎには指揮が終わったのですが、その時にはもう、すっかりバテてしまって、5時、6時頃には、前回同様に、座布団を重ねて寝込んでしまって、折角、楽屋を訪ねてくださった人達に失礼をしてしまいました。
誰がいらしたかは、一応は記憶はしているのですが、体力の限界は如何ともし難く、お許し賜われ!!
それはそうと、発表会の朝に椎名町の事務所で、ニャンコ号のエンジンをかけたら、エンジンが、不整脈を起こしていました‼
発表会が終わって、帰りの高速ではもっと酷い状態になって、何時エンストしてもおかしくない状態になったので、車を騙し騙し走らせて、なんとか椎名町の事務所迄帰って来ました。
まあ、その日は取り敢えず、自宅に帰って取り敢えず寝て、取り敢えず、いつもの様に朝早く目が覚めてしまったので、取り敢えず、昨夜の後片付けをして、車の修理に取り敢えず出かけました。車の修理は、昔からの修理屋がお店をたたんでからは、メーカーに修理や点検に出していたのですが、メーカーは下請けに出してその下請けが何時も何時も、ズサンでだらしない仕事をして修理に出す度に、車を壊されるので、別の修理業社を2,3年越しで探している状態のままでした。
その話の延長が、昨年の7月のFacebookの、1時間以上高速を飛ばしての修理業社に車を持って行く時の話(故郷への最後の旅シリーズ16年7月20日のFacebookのお話)になります。
ネットで探しても、修理工場が見当たらないと言う事で、ちょうど椎名町の事務所とハイツの自宅の真ん中の地点にある中古車業社にバイクで寄って、飛び込みで修理をしてくれるか?を尋ねたのですが、年度末から年度開けと言う事で、車の修理が混んでいて、見積もりのために車を開けるのが、木曜日になってしまうという事でした。それから見積もりの後、修理なので、最悪、今週の日曜日は足がありません。困った!!
「芦塚先生の鬱々コンサート」
イギリス民謡のGreensleevesを芦塚陽二がground(Baßの定旋律=cantus firmus)で編・作曲しました。
前回、同じ八千代のコンサートで演奏した全音版を底本にしたGreensleevesの拡大versionです。
2013年6月30日の八千代市生涯学習プラザ主催の芦塚音楽教室の対外出演です。
演奏は芦塚音楽教室の生徒達とOB,OGと先生達の合同の演奏です。非常に珍しい事なのですが、全員が芦塚門下生(Ashizuka-Schule)です。
曲の途中の真ん中辺でpolyrhythmのような箇所が出て来ますが、そういった近現代の作曲法ではなく、古い時代のHemiolaのrhythmが元になっています。
この曲のarrangeでは、弦5部とsoloの部分はFlöte、若しくはGreensleevesの素朴なimageを出すために、ocarinaの独特の音を想定して作曲していましたが、この曲を弾いて貰うだけのためにocarina奏者をお呼びして、演奏をお願いするのもどうか??・・と思ったので斉藤先生がviolinでsoloを務めています。
https://www.youtube.com/watch?v=X6s1YMi7pRQ
お気をつけて!!
4月2日 5:35
4月3日 8:58 ·
発表会の朝は、男の子達が検見川教室に駆けつけてくれてCembaloの教室からの搬出で始まります。
写真は二人でCembaloを担いでいますが、階段は狭いので、二人しか持てないのです。
下を持つ人には鍵盤部の重さが掛かるし、上の人は変な姿勢で持たなければならないので、腰に負担が来ます。階段の上げ下ろし・・此処が楽器搬入搬出作業のウィーク・ポイントです。大型の2段鍵盤でなく、1段鍵盤のCembaloをorderで作ったのは、二段になると、もう専門のCembalo搬送の業者でないと無理で、搬出するだけで7万も掛かります。もっとも、大型二段を借りても同じ値段で済みますので、以前は楽器そのものをレンタルしていました。いずれにしても、往復で14万です。それでも、tuningはやって貰えるので、至れり尽くせりなのですが、当然、発表会費には反映されてしまいます。videoを自前で撮影しようというぐらいの節約の時期なので、Cembaloの借り入れなんて、とんでもない話です。
梨紗ちゃんに拠ると、東京でも光が丘周辺では、桜は散り始めているそうですが、花園や検見川教室の周りは未だ2分咲という所でしょうかね?
同じ東京でも、椎名町や江古田周辺では未だ5分という所です。
男の子お二人は涼しい顔して会場入りされてましたけど、そんな大仕事されてきてたんですねぇー!有難いです!
今年はお花見期間長いですね!
4月4日 2:52
勿論、発表会の後片付けのチェンバロの検見川教室への搬入も3人で手伝ってくれています。この所、殆どの発表会の大道具をやってもらつています。いつもの話しですが、発表会後の後片付けの方が大変なのですよ‼クーリーがいない時には、先生達が後片付けをしていたのですが、そろそろ全員が腰をやられてしまったのでね⁉
4月4日 3:16
ですよね、、、
後片付けも行けたらよかったんですけど、、無理でした|( ̄3 ̄)|スミマセン。。千野家、人が足りません!!
息子もあと10年ほど経てばお役に立てます😅
4月4日 3:20
ひと声かければ駆けつけてくれるなんて素敵ですね。いい生徒さん達ばかりで幸せですね。
車ではなく、人手が不足なんですね…わが家も大黒柱は腰やっちゃってるので戦力になる時とならない時がありますが、次回からお手伝いできればと思います。
4月4日 9:31
じゃ、腰やっちゃった時のメンテナンスするよ!
4月4日 10:31
チェンバロ搬入、お手伝い行けたらいいのですが朝のバタバタで余裕なくてすみません。まだまだ運ぶ力はあるのでもう少し子ども達が大きくなったら😊
男の子達、結束力があって頼もしいです。
· 4月4日 10:39
男の子達は結構主催者楽屋でウダウダと遊んでいましたが、古い仲間が訪ねて来ての温故知新での話や、受験の目標の立て方の話や、楽しげにしていました。普段ならOG会になったり、保護者の相談会になったりするのですが、今回は高校生の悩み相談室になって、深刻に話を聞いたりしていたのですが、女の子の場合には、その悩みの殆どが親とのcommunicationの問題なので、私の範疇ではなくて困ってしまいますが、男の子の場合には、親の話が全く出て来ないので、男の子と女の子の違いに改めて驚いています。昨日は会社の入社式に親参加型の企業があった‥・という事で、これまた驚いてしまいました。なんじゃろね??
4月4日 11:56
4月4日 ·
習志野組は、後、18日しか無いのを忘れないで‥・!!
後、3日です!!
愉しそうに、ノリの良い演奏を心懸けてください。
(前日に追記)
チューか、楽しんで来てください❗
4月22日の習志野市民会館でのコンサートが無事終わりました。
その日の夜は、事務所に行く事は無かったので、次の日の(昨夜の23日の)オケ練習の後で、椎名町に帰ってからコンサートのvideoを見ました。
う~ん、そつなくは演奏出来ているようではありますが、先ず勉強しなければならない事は、演奏をする時の時の舞台マナー(カーテン・コール等の)とaudienceに対しての演奏をしている時の表情でしょうね??
表情と言うのは、演奏中に、お客様を一度も見ていないし(お客様に対してのappealと言う事ですよ。)、演奏する側が、一生懸命過ぎて、音楽を楽しんでいるという表情もなく、怖い顔をしているし、常に下を向いているのを直さないとネ。einsatzの時に、お互いを見会えたのは、少し良かったけれど、Performanceというには、程遠かったよな??
皆さんの感想のcommentは、読みましたが、それに対してのmessageは、個別にします。
ちなみに、斉藤先生のcommentは、具体的で、もう少し辛辣だったのだけど、それも各自、個別に斉藤先生からお話して貰う事にします。
モットー:
今日のconcertは、明日のリハーサル
4月24日 23:21
4月5日 ·
(4月19日文章の訂正と推敲)
「芦塚メトードによる正しい学習法、その1」
学校は、‥・と言うか、まあ、我々音楽教育の場に於いても然りなのだが、熱心な先生になればなる程、勉強を教えてくれるのだが、勉強の仕方を指導してくれる先生は非常に少ない。
それでいて勉強をする事を強いるのだから、当然、一番効率の悪い時間ばかりがかかってしまう方法で(所謂、儒教型で)勉強する事になる。
・・という事で、よく音楽に限った話ではなく、一般の学習に関しても、効率の良い方法を生徒達(この場合の生徒は教室の生徒という意味ではなく、一般の学生という意味ですよ。)に伝授しようと思うのだが、これが意外や意外、時間は短くて済むのに、誰も、そう言った方法を学ぼうとはしない。
先程の練習法についても、教室の生徒の場合であったとしても、「事、音楽の場合」には、教室で非常に効率の良い方法で勉強(練習とした方が良いかな??)を子供の時から、しているのだが、それが学校の勉強になった途端に、一般的な非効率な学習法で学習するのだから、困ったものだ!!
音楽の勉強と学校の勉強は全く違うとでも思っているのかいな??
勉強と言うのは、大きな括りであって、音楽の勉強も一般の学習も本質的には変わらないのだがね??
多くの人達が、私の効率的なmethodeではなく、一般的な儒教的な学習法を、勉強の仕方として採用してしまっているのは、(ここでは、その方法論を私や教室の先生達から教わって知っている・・という前提でのお話ですが・・)本当の意味で、教室で私が指導している効率的な、能率的な勉強の方法ではなくて、非効率的な儒教的な、ただイタズラに繰り返すだけの勉強法を、より多くの人達がしてしまう‥・という事は、どうしてか??・・というと、儒教的な繰り返すだけの勉強法の方が、「何も考えないで済む」ので、勉強に関して、時間がより多く掛かったとしても、「精神的に悩む事、考える事が無いので、」・・「楽で良い!」からなのだよ!!
しかし、芦塚メトードには、よく昔から言われている、逃げられない‥・methodeがあるのですよ。
・・という事で、これからは、lessonで頭角を表わして来た生徒達に、効率のとても良い、しかしながら、精神的に非常に辛い・・勉強法を伝授します。
・・とは言っても、それはmethode自体は、特別な勉強法では無いのですよ。
儒教の時代から、本当は誰でも知っている勉強法なのですがね??
次のお話は、そう言った効率的な勉強法を私が、音大生に指導した時の、お話です。
私のmethodeを、それまでは一般的な勉強法で練習をしていた一般の音大生達に、私が教室で指導している芦塚メトードの勉強法を指導した時の話なのですが、教室の生徒達に取っては、当たり前の指導法であり、練習法である、教室のmethodeが、一般の音大生に取っては、超難しく、受け入れ難いものであるかの実際のお話を一例として紹介しましょう。
教室の生徒ではない、一般の音大生で私のlessonを受けた人達がよく言う言葉があります。
音大生達の言葉そのままなのですが、それは・・・、「先生のlessonはとても分かり易くて、しかも、効率的なのだけど、余りにも簡単明瞭なので、心の逃げ場所がないのですよ!」だそうです。
「心の逃げ場」とは、中々上手い事を言ったものです。
その意味は、練習の方法論が簡明で単純なので、その通りにやれば良いだけなので、やる気が余り無い時に、「手抜き」をしようとしても、その「手抜き」の方法がない・・という意味です。
教室で私の元でか、斉藤先生や牧野先生の元で、音楽を初めから学んでいる生徒達は、多かれ少なかれ、私の簡単明瞭なmethodeで学んでいるので、教室での勉強法は、「簡単だ!」としか思わないのです。
しかし、他所で学んでいる人達が、教室に入会して来て、他の生徒達と一緒に勉強すると、そのやり方(学習の仕方)違いが、非常に効率的で、そのcheck事項の1つ1つを、忠実に守りながら、練習をするという事は、とてつもなく、難しいmethodeのように見えてしまうのですよ。
一例を上げるとすれば、暗譜のmethodeです。
一般的には、最初の言葉のように、暗譜の仕方を学んで来た生徒はいません。
だから、繰り返し楽器を弾いている間に、自然に覚えます。
ですから、一般では、何度も楽器を弾いて、楽譜を読んで、その結果として「覚える」ので、「覚える」という事は、とても大変で作業なので、中々覚える事が出来無くて、苦手意識を持っている人の方が多いようです。
教室には確固とした暗譜のためのmethodeがあります。
教室では、新しい譜面を貰ったら、「楽譜を読んで音を確認する」というために、楽器を演奏しながら譜面を見るのは、基本的には、1回か、2回迄しか、許されてはいません。
つまり、楽譜を初めて渡された状態の初見の時に、楽器を弾きながら音を確認する‥・という事は、許されるのですが、・・「楽器を弾きながら暗譜をする」という事は、「絶対にしていはいけない」というtabooになっているのです。
楽譜を覚えるのは基本的に譜面を見て、譜面を読んで覚えるので、譜面を見ながら楽器を弾いて、音を出して読んではいけないのです。
音は楽譜を読んで、頭の中で、音が聴こえて来なければなりません。
これは、とても難しい事のように感じますが、実は楽器を始める時の導入の時に、そのようにsystem化して、最初からそのmethodeで勉強しておけば、何の難しさもありません。
その後は曲が幾ら膨大なものになったとしても、曲数が増えたとしても、単純に慣れに過ぎないのですよ。
「暗譜は癖です。」
教室では、「本番を暗譜で演奏するのなら、練習も暗譜でなければならない。」と教えます。
家庭学習の時に譜面を見て練習をするから、lessonでも発表会でも暗譜で失敗するのです。
暗譜で練習をすれば、「暗譜の弱い所」、所謂、「うろ覚え」の所が直ぐに見つかります。
全ての練習(勉強)の基本は、自分のあやふやな所をちゃんと正確に自覚する事なのです。
自分から「あやふや」な所が無くなれば、音楽の演奏も上手になるでしょうし、学業も成績を上げる事が出来ます。
つまり勉強しなくても、成績が上がるようになるのです。
「暗譜は癖なのです。」
ですから、教室の上級生達は暗譜が非常に早いし、数十曲の曲数でも一瞬で覚えてしまいます。
オケや伴奏の曲等は、譜面を一度も見た事がなくても、暗譜で演奏します。
勿論、譜面上のミスはありません。
覚えるのが完璧ならば、譜面を一度も見た事が無くても「譜読み」のミスはないのです。
実は今回の発表会でも、上級生の男の子で、楽譜をコピーしてくるのが間に合わなくて、先生の伴奏を聴いて覚えて伴奏をしている生徒がいました。
暗譜で演奏しているのだけど、「譜面、未だ貰ってない!」とぼやいていたけど、発表会、終わっちゃったよ??楽譜要るの??
「間違えたやり方で、幾ら勉強しても、努力を幾ら続けても、その努力に見合うだけの、技術の向上をする事はありません。」
以下はその実例です。
某国立の音楽大学の教授や、半官orchestra(半分官制のorchestra)のconcertmasterの人でも、日本の音楽家は、生徒に音程を指導するのに、Pianoの音に合せて練習をさせる先生が多いのです。
勿論、指導者、本人自らもPianoを叩いてpitchの確認をします。
以前、生徒が音楽大学の講習に行った時に、proのorchestraのconcertmasterである先生に、「音叉やAの音を聴いて音を合せるのは、violinを習い始めた初心者のやる事で、orchestraではTunerの針を見て合せるのだよ!」と言われてshockを受けて、講習から、帰って来ました。
それならば、oboeのAの音に合わせる世界の全てのorchestraは、berlin‐philもwien‐philも、全部、amateurのorchestraになってしまうという事なのでしょうかね??
その先生の所属しているorchestra以外は、全てamateurのorchestraになってしまいますよね。
多くの音楽大学の教授達や、proのorchestraの演奏家達は、弦楽器の音を取るのに、(確認をするのに)Pianoの鍵盤を叩いて音合わせをします。
しかし、それでは正しい音が身に付かないだけではなく、弦楽器で一番大切な音である、konsonanzの音が出るようにはなりません。
だから、日本の弦楽器の奏者の人の楽器は鳴らないのですよ。
つまり最初からkonsonanzを鳴らそうというstanceが、最初から、ないからです。
Pianoの音は調律師によって違うし、また弦楽器の場合には、その調性によって、1個1個の音のpitchが変わるからです。
また、物理的なkonsonanzの音は、何もしない状態では、必ず正しいpitchよりも♭な所で響くのです。
それを、楽器にトレーニングをして、正しいpitchで、konsonanzが鳴るようにする事で、正確なkonsonanzが出るように仕向けなければなりません。
弦楽器の奏者は、そう言った楽器を育てる作業を、常日頃、しなければならないので、Pianoで弦楽器の音を取るというような、誤った事を生徒に指導し、自らもやっているようでは、proの演奏家である・・とはとても言えません。
それならamateurの方が未だ音程はマシなはずですよ。
日本の弦楽器奏者達が、誰一人として正しい音程を取れないのは、この根本から間違えた教育を受けて来たからに他なりませんし、誰一人正しい音の出し方(pitchの取り方)を知らないのだから、これから将来も、正しい音の取れる音楽家は、期待出来ませんよネ。
「芦塚先生の鬱々コンサート」
まあ、何時もの通りのお話なのですが、Marin MaraisのBazelaire版なのですが、フランスの作曲家らしく、編曲が薄いので、(と言うか、室内楽的にarrangeをしているので・・)相変わらず編曲が気に食わなくて、等々、幾つかVariationを加えながら、orchestraを分厚く改定してしまいました。
千聖ちゃんはBazelaire版は、既に演奏しているので、2回目のchallengeになります。
https://www.youtube.com/watch?v=ftpJVVIVOZ0
4月5日 ·
「芦塚メトードによる正しい学習法、その2」
芦塚メトードとは、私が中、高、大学生の時に、私のブキッチョを是正するために、自分から開発した方法なのですが、その基本的概念は、徹底的に無駄を省いて「時短」を図る・・という事でした。無駄を省くという事は、或る意味、時間の効率化を図るという意味でもあり、極めてブキッチョな私が人並に仕事を熟せるようになった!という事でもあります。
私の場合には、私の日常の全てを大改造を何年にも渡ってやって来たので、説明するのも、実践をさせるのも少し難しい事があります。
ですから、生徒達には、生徒達の伸び(成長)を妨げている箇所だけを、pointにしてお話を進めて行く事にします。
教室のcurriculumでは、先ずは、音楽を好きになる事が第一です。個人の方が伸びる生徒、人と一緒じゃないと練習をしない子供、それぞれの性格や人格に合わせてcurriculumを組んで行きます。「子供は仲間意識があるので、集団でやらせておけば、なんとかなるのだよ!」というのは、大変な間違いで、幾ら集団でもcurriculumがなければ、そこで続けられる分けは無いのですよ。指導と言うものは、そんなに甘いものではないのです。(これは指導者に対しての苦言なのですがね。)
毎日の練習が苦にならないようになって、自分から勉強や練習が出来るようになった。
これは一つの目標の到達です。そこまで子供が成長出来たら、親は祝杯ものですよね。お金と時間を掛けたのが報われた瞬間です。
通常の一般的な音楽教室では、此処までで、大成功です。
次は芦塚音楽研究所の特別curriculumです。
次のstageでは、練習の密度、所謂、Niveauを上げて行くcurriculumになります。
その一番の簡単な勉強の方法が、ScrapBookの作成です。
芦塚音楽教室では、昔から希望者には、薄紙でScrapBook用に切り貼りをする楽譜をコピーしていました。
ScrapBookは、市販の格好良いものよりも、お絵かき帳のように、Pianoや譜面台にしっかりと見開きで乗るもので、ノリで貼っても台紙がふにゃふにゃにならないものを使用します。真ん中に針金で両サイドの紙を固定しているものもありますが、Pianoの譜面台に乗せた時に、Pianoを傷めてしまうので、フラットなものにするように注意をしましょう。
楽譜を切り貼りしたら、注意事項を書き出さなければならないので、余白を充分取って貼るように注意してください。
子供達の成長の記録にもなるし、音楽の勉強では、繰り返し復習をする事が多いので、何年越しでも使えるように、予めまとめて置いた方が良いです。lessonで課題が出来たら、そのpassageを切り抜いて、その箇所の抜き出し練習を徹底的にします。それが出来るようになると、所謂、「鞣(なめ)す」という作業、つまり、出来不出来のデコボコを平らにするのが出来るようになります。
それが出来るようになると、そのNiveau(水準)での技術のバラつきはなくなります。
バラつきは、意外と大きなつまづきの原因になる事があります。
子供達が急激に成長して来て、その技術力が突然向上した時には、曲の出来、不出来がバラバラになって、逆に不出来の所が目立つようになって、逆に下手になったような感じに見えてしまって、親や周りを心配させてしまいます。
でも、それは逆で、出来ている所が目立つようになったから、不出来の箇所が、逆に目立って下手になったような感じになってしまうのです。
言い方を変えると、下手でも、下手なりにバラつきが少ないと、それなりに、上手に見えてしまいます。
我々指導者の場合には、「何が出来るようになったか?」という事で判断をするので、そこに間違えた判断をする事はないのですが、結構、一般的には、低く評価される元にも成り兼ねないので、早めに鞣して、目立つ所を無くした方が、より良い評価を貰えるに決まっています。
そこでそう言ったバラつきを無くすための練習の方法で、「ScrapBook」の登場になります。
日本人は世界的な評価では、とても勤勉な国民として認められています。
しかしながら、不思議な事に、日本人には、ある種の勉強(若しくは練習)に関しては、結構、苦手としている日本人の練習(勉強)があるのです。
日本人はコツコツとした勉強は得意なように思われていますが、実際は、そうではなく、期限の無い同じ練習を積み上げる事は、結構、苦手なのです。
受験のように目標、目的、timelimitがある勉強の場合には、勉強に限りがあるので、続けられるのですが、それが半永久的になると、突然、練習をしなくなってしまいます。
無限や無期限は、不可能と捉えるのでしょうね??
発表会やコンサートには、演奏会の日にちが決まっています。
だから、その日を目標にして、練習をして行けば良いのです。
でも、仕事にはendless作業というのがあります。
統計を取り続けたり、手直しをやり続けたり‥・等々、兎に角続ける事が命の仕事です。
練習にも、弓の持ち方や楽器を構えた時の姿勢、等々、常に注意をし続けないといけない箇所があります。
練習にはその場で出来るようになる技術と、常に注意し続けないといけない箇所があります。
です。
「芦塚先生の鬱々コンサート」
Ariaやla folia、Greensleevesと同じように、私がこの曲を、arrangeした理由は、Giulio CacciniのAve Mariaは、底本となるオリジナルの楽譜が、全く無いのです。
その理由は、この曲はGiulio Cacciniの真作ではないからなのです。
You Tubeにこの曲をupしている或る人のコメントを読んでいると、このGiulio CacciniのAve Mariaを、Giulio Cacciniの伝記を一生懸命調べて、「この曲は彼の真作である」と、力説していました。
しかし、Giulio Cacciniは、生まれた頃は定かではありませんが、多分、1545年頃に生まれて1618年になくなったとされている作曲家です。
そういう分けなので、Cacciniはバロック時代の作曲家というよりも、寧ろ、ルネサンスの後期の作曲家と解釈した方が良いと思われます。
もし、この生年月日が合っているという事であれば、未だに長、短の調性(長調、短調の調性)が確立する以前の作曲家なので、この作品の和音の根幹を成すdominanteZyklus(五度圏)の和音進行は、当然、未だ出てこない(使用されない)ことになります。
dominanteZyklusは、バロック時代に調性が確立して以降から始めて作曲技法として採用されるようになります。
dominanteと言うのは、調があってのdominanteなのですから、調のない時代、所謂、教会旋法の時代に、5度圏の和音進行がないのは、当たり前の話なのですがね。
ですから、調というものがないルネサンスのCacciniの時代には、5度圏と言う手法は、未だ作曲技法としてはありませんでした。
このCacciniの例では、五度圏の和音が7の和音の連鎖で書かれているので、その手法はクライスラー等の近現代の擬古典の作曲家の手に依るものと断定出来ます。
勿論、五度圏はバロック時代になって調性というものが確立してからは、VivaldiやLocatelli 等の作曲家達によって使用されるようになった時から、単なる3和音の5度圏だけではなく、baroque時代、もう既に、7の和音の連結による5度圏も、頻繁に使われていたのですが、その使用方法は非常に上品な音であって、現代のような強い長7度のぶつかりを、グイグイと前面に出していくというような破壊的な行為は、まだなされていなかったのです。
[歌詞から見た作曲年代の考察]
音楽上と言うか、作曲上の理由だけではなく、歌詞もまた、この曲がCacciniの真作では無い事を物語っています。
この曲のAve Mariaの歌詞は、Ave Mariaという言葉を、何度も繰り返すだけのシンプルな歌詞ですが、これでは、もしCacciniがまだ生きていた時代で、Cacciniが作曲をしたのなら、それは不敬罪に当たってしまい、多分、宗教裁判にかけられて、哀れCacciniは火炙りで処刑されたと思いますよ。これは現代の Vocaliseと同じです。
もし、Ave MariaがCacciniの時代の曲だとすると、宗教上の理由で、次の歌詞を使用しなければなりません。
もし、Cacciniが宗教上の理由で、火炙りにされたくないのなら、ラテン語かイタリア語の歌詞で、Ave Mariaの歌詞をそのままに、作曲されなければならないのです。Ave Mariaの歌詞は、正式にはラテン語で、次のように歌われます。
Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Jesus.
Sancta Maria mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen.
https://www.youtube.com/watch?v=3A5SCHRRlpU
4月7日 ·
「芦塚メトードによる正しい学習法、その3」
[間違いの3原則]
音楽を学ぶ殆どの学習者の場合には、課題の曲を練習する時には、何度も弾き直して練習をします。
問題の小節を抜き出して練習するのならば、未だ効率的なのですが、殆どの生徒の場合には、曲全体をいたずらに繰り返し練習をするだけです。
私が留学から帰国して、東京で大学で教えている時に、多くの音楽の著名な指導者の公開lessonを見学して歩きました。
或る時に、銀座のホールで音楽教室の東京地区の発表会を見学に行った時に、音楽大学時代の私の先輩の女の人と偶然再会して、その先生の講演後のpartyに連れて行かれました。
超有名な音楽教室の創始者の先生は、私を見て、無数に居る自分の弟子と勘違いしたらしく、「君のような若者(当時は私も未だ若く30そこそこでした。)が、日本の音楽教室を支えてくれないと!!」と親しく話掛けられました。私は、取り巻き意の女性達に連れられて来ただけの部外者だったので、心が惹けてしまったのですが、「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」で、「100回練習して出来なければ、1000回練習すれば良い!」と、彼の有名なご老人の大御所が言われているのを、若いお母様達が「お~ぅ!」と感激して聞いていたのを見て、考え込んでしまいました。
私の考え方では、10回、間違えて練習した場合、次に10回正しく練習出来たとしても、(±)練習回数は「0」になるのですよ。
だから、教室では、10回練習するためには、10回間違えた場合には、最低でも20回練習をしなければなりません。20回間違えなくって練習出来たとしても・・・ですよ。
つまり、大御所様の言うように、100回練習しても出来なければ、1000回練習しても、それは無駄なのですよ。
日本の音楽界では、仮に、良い先生に巡り合えた場合でも、その先生が生徒の間違えた箇所を指摘して、「そこを、ちゃんと練習しといてね?」と、指摘するだけで、殆どの場合のlessonは終了します。
親切なの先生場合には、先生が生徒の間違えた箇所を上手に模範演奏して、「こう弾くのよ!」と示唆してくれる場合もあります。
昔、proを目指して教室で勉強をていたしK君は、未だ中、高生であった斉藤先生達にadviceとして、①音楽大学の先生達の言葉の説明は、原則として聞いては行けない!!殆ど意味を成さないから‥・!②その先生が表現したいという演奏を出来る先生に巡り会える事は奇跡だ!殆どの先生の模範演奏を真似るとその先生は怒り出すのが普通だよ!!③だから、その先生の理想としている事は何か、どういう演奏か?を類推して判断しなければならないのだよ!それが生徒の条件なのだよ!と説明しているのを聞いて、いやあ、大変だな~ぁと、思ってしまいました。
殆どの場合には、大学の先生からの、「何故、そこの所を間違えるのか??」という指摘は無いので、だから、生徒はそこいらの箇所を何度も練習する事になります。何処を、何を訂正しなければならないのか??という事を理解出来ないままに・・です。
私がlessonをするとすれば、生徒が理解出来ていない場合には、練習をさせる事はありません。無駄な努力ではなく、間違いが癖になって、より不安定な演奏が身に付いてしまうからです。
私が音楽の勉強を始めた頃に、「何故、間違えるのか?」という事を深刻に悩んだ事があります。
私は高校生の17歳ぐらいで、音楽の道に進んだので、一般の音楽大学を受験する生徒達とのlevel差や、キャリアの差に悩んでいました。
私が音楽の勉強を始めたのは、大学病院の入院から1年間の自宅療養に切り替えて、高校に復学した高校の2年生の遅い年齢で、やっとPianoの勉強を始めたので、音楽の道に進むために音楽の勉強に勤しんでいる音大受験生達とは、(音楽の勉強は早期教育が命なので、)周りの人達が7歳で音楽を始めたとしても・・、既に10年の開き(遅れ)があり、そのlevelの落差に悩んでいたからです。
「何とか、その10年以上の技術の遅れを取り戻せないのか??」という事で、の練習時間的な事は如何ともし難いので、練習の内容を工夫する事で、少しでも遅れを取り戻すべく、練習の工夫に努めていました。
その工夫の中で、音楽を演奏している時に「間違える」という事で、大きな三つの原則論に気づきました。
それは初歩的なlevelでの「間違いの三原則」と、上級者の「意識的な間違い」という事で、その原則論を纏めてmethode化しました。
人が音楽を演奏して「間違える」のには、3つの要因があります。
その「間違い」を引き起こす3つの要因を、弾けない箇所に当て嵌めて、その原因を分析判断すれば、間違いの原因を簡単に見つけ出す事が出来ます。
そうすれば、pointを絞り込んで勉強する事が出来るのです。
その要因は
①音が読めていない。
②指使いが理解出来ていない。
③指が回らない。
の3点です。この3点を更に詳しく分析して行くと、原因となる要素が見えて来ます。そこまで考え抜く力が必要です。
また優れた指導者は、その原因を指摘出来る先生である・・という事であって、有名であるという条件は当て嵌まりません。
「有名である」という事は日本では、「優れた」という事と同様に思われているのですが、「有名である」という事を望むならば、その「有名になる」ための条件をクリヤーすれば良いだけなのです。
「有名になる」ためのcurriculumを作れば(projectを作れば)良いだけなのです。
だから、「有名である」と言う事と、「実力がある」という事は必ずしも、一致はしません。
その人の着眼点、つまり目的目標が違うからです。
ヨーロッパには、非常に優れた演奏をする音楽家が多いのですが、困った事に無名の人が多いのです。それはその人達が非常に音楽に対してstoicであって、人の前に出るのを好まないからなのです。
私が音楽家の道を歩む事になった、二人の演奏家の一人であるその影響を私に与えたAnton Heillerは、orgelやCembaloを勉強する人達に取っては、神様のような人なのですが、一般的にはそれ程知名度の高い人ではありません。
「練習の話に戻って・・」
繰り返して同じ事を言いますが、・・その3つの要因の内の、「二つの要因」迄は、楽器を練習する必要はない!!‥・という事が分かります。
つまり「間違いの原因」をちゃんと分析すると、練習が必要なのは、3つの要因の中で、ただ1つの原因の場合だけなのです。
これで、見違えるように練習が楽になり、pointを集中させて練習する事が出来るようになります。
練習が必要となる・・という場合には、楽器上で、機械的な練習が必要となりますが、中級、上級klasseになると、指の練習が必要な事は、滅多にありません。
楽器を使用して練習が必要なcaseは、初歩的な「指が回らない」という理由以外では、(つまり、中級の生徒や、上級の生徒の場合には)音楽的な表現の練習に楽器を使ってその表現の練習をします。
rubatoや「溜め」、シテとワキの会話(質問と答)となるnuance表現等々です。
また、和音の音の粗密や、passageに於ける音の粒を正確に聴き取る勉強も必要になります。
2つ目の理由では、「指使いの間違い」という場合があります。
「指使いの間違い」という意味は、一般的には、決められた指使いを守れない・・という意味になりますが、ここの前提では、その「指使い」の付け方自体が間違えている・・という事です。
音楽大学では、「指使い」の付け方を学ぶ事はありません。
楽譜に書かれた「指使い」をひたすら、真面目に従順に守る事が求められるだけです。Henle版が外国人の大人の男性のために書かれていたとしても、日本人の子供にHenle版の「指使い」を、何が何でも守る事が大切なのです。そのために子供の指が壊れてしまったとしても、それはその生徒がPianoに向かなかったというだけなのです。
もし、先生が「指使い」を付けなければならない状況になったとしても、Pianoの指導者達は、自分の好みの「指使い」を、感覚的、感情的に付ける事になります。だって、一度もその先生が、Pianoを勉強する時に、「指使い」を付ける事をやらされた事は無かったのですから・・」
ですから、「何故、ここはそういう指使いになるのですか?」とでも質問しようとすると、血の雨が降る事になります。
本当は、「指使いの付け方」には、幾つかのルールがあります。しかし、そのルールを知っている人はいないと思いますよ。
つまり、一般的な音楽指導の現場では、指導する先生の「好み」によって、「指使い」が付けられる・・と言うのが、殆どでしょうかね??
つまり、その先生が音楽大学の学生であった頃も、「指使い」の付け方の原則等という理論は習った事がないはずなのですからね??
ですから、殆どの先生が「指使い」を付ける時には、その先生の一番弾きやすい、「好みの指使い」でしかないのです。※1)
「指使い」が、そう言った情緒的、感情的なものであれば、必ず、misstouchが起こります。
私も元に来た音大を卒業してproを目指す最初の生徒も、他所の教室で音楽の道を歩もうとして、挫折をしかかって、私の元を訪れた中学生の生徒も、その根本的な原因は「指使い」の不安定さでした。
その生徒達は、既に「指が回る」し、曲も大曲を演奏するので、一々「指使い」迄に神経を使うのは、困難で、間違えた「指使い」を、lessonで指摘されても、本人はそこが分かってはいても、それを直すのは困難で、挫折し掛かっていて、私の元に救いを求めに来たのです。
ですから、「そこの指使いが間違えているよ!」と指摘する事は、無意味なのです。
それが分かっていて、私の元に来たのですから、そこを指摘するのは、主客転倒なのですからね。
私はその修正を、先ずは、「指使い」の原則論を生徒に説明し、理解させて、それから小さな生徒の「指使い」のcheckの手伝いを扠せました。(その生徒の指使いのミスを指摘する事は絶対にありませんでしたよ。)
しかし、半年後には、その生徒の「指使い」によるポロミスが、全く劇的に無くなったのですよ。
挫折の原因が無くなれば、夢と目標の達成は難しくはありません。目標の音楽大学も夢では無くなったのです。
次は、通常の受験のためのcurriculumに戻るだけです。
そう言う風に、一般では「指使い」はその先生の好みで付けられるのですが、本当はそう言った事は、有り得ないのですよ。
あくまでも論理的なルールに則ったものでなければなりません。
次に、大安売りで、正しい「指使い」の原則論を説明しましょう。
その一つは、「同じMotivは原則として同じ指使いをする」・・という事なのです。
此処で「原則として・・」と、恰も弁解のような言葉が挿入されているのは、Pianoの場合には白鍵と黒鍵があって、同じ指使いを使用出来ない場合があるからです。(弦楽器の場合も移弦を伴った場合があるので、原則は原則であり、柔軟に対応しなければなりません。)
二つ目の「指使い」は、blockによる「指使い」です。これは私のmethodeというよりも寧ろ、Leimer and Giesekingの「指使い」のmethodeであると言えます。
手の型を固定していて、鍵盤上を素早く動かして行くという手法です。この方法論の条件は、fingerstaccatoで非常に早い動きを伴った場合と言う事です。
音楽が遅い場合には、この方法は使用出来ません。
「型」なので、とても素早い動きをする事が出来ます。
3つ目の法則は、passageを和音として還元して、legatissimoの「指使い」を付ける事です。
この法則では、legatissimoの指使いとして、幾つかの「指使い」が考えられる場合がありますが、その考えられる「指使い」は、「換え指」として、学習して起きます。
会演奏当日の演奏上のconditionで、換え指を持つ事は、管楽器では極々普通です。私の場合には、1つの問題箇所の指使いを、複数の指使いで演奏出来るようにします。
ここでは、3つの「指使い」の原則論を挙げましたが、その法則で「指使い」に於ける殆どの問題は解決出来るはずです。
私がPianoを学び出した時に作りあげた、「間違いの3原則」ですが、その内の一つが、「指使い」に拠る所の「ポロミス」でした。※2)後述・・・
「間違いの三原則」の、他の二つなのですが、「指が回らない」という事についても、多くの指導者達は、無駄な練習を生徒達に強いています。Etudeは、医者の出す病気を治すための薬のようなものですから、私の場合には、Czernyの30番から50番迄や、cramerのEtude、その他のEtudeから、その生徒一人一人にあった(一番不得手なTechnikの)曲をselectして、練習をさせています。
だから、ポロミスの場合も、その不足している技術の練習曲をその生徒のlevelの中からピックアップして練習をさせると良いのです。Etudeは良薬なので、無駄に練習させると、弊害になりこそすれ、良い結果を産み出す事はないのですよ。
「間違いの三原則」の最後の一つは、何と「譜読み」なのです。
某国立の音楽大学を目指す高校生を教室の生徒が連れて来た事があります。
勿論、某国立の音楽大学の先生に師事している生徒です。
「Bachが遅れているので、少しadviceが欲しい」という事だったのですが、本来ならば、有料なのですが(笑)、「生徒が連れて来た」という事なので、その場で見てやる事にしたのですが、まあ、驚いたネ!!Bachのsinfoniaなのですが、音の伸ばしが全く出来ていないのですよ。
それも、その箇所を、先生に一度も指摘された事がないのですよ。私は、Bachのinventionやsinfoniaを指導する時には、Piano専科の生徒達には、安いKeyboardを買わせて、Bachの書いた音の伸びを意識させるようにしています。
また、sinfoniaの場合には、3声のpartを、右手と左手と、私が残りのpartを演奏して、声部の独立を意識させて、音のMotivの表現を練習させます。
2声部の時から、生徒に1声部だけを演奏させて、先生がもう一つのpartを演奏して、Motivの細かいarticulationを練習させるのです。
上級の生徒達が引っ掛かっているようなpassageは、どうせ、声部が込み入っているので、演奏が出来なくなっているのです。
だから、そのpassageの込み入った声部を分解して、各part別にして、演奏させると、1回のlessonで、そのpassageが弾けるようになってしまいます。
つまり、頭の中で、複雑なpassageが、それぞれのpartに分離して聴けるようになったからなのです。
また、そう言った上級classの生徒でなかったとしても、早い時期から、passageの拍節法(articulation)を勉強して、小節単位ではない、Agogikを学んでおくと、そう言った譜読みの問題は起こりません。
暗譜の問題はもっと別の初歩的な「うろ覚えの問題」なのですからね。
Facebookの入力のトラブルで、全く文章が打てなくなって来たので、Facebookの入力は此処までにします。
明日になれば、少しは元に戻っているかも知れないので、その時に、入力出来なくなった文章を直します。
今日はこれ以上は、何をしても入力出来ないので、今日は諦めます。(これはFacebookには何度も注意を促しているのですが、未だに改善は認められません。英語で入力する時にはこの問題はでないのかね??本人達の自覚はないようです。)
※1)以前、冗談で、Pianoの先生に、Beyer教則本に指使いを付けさせた事があります。Beyer教則本も後半になって来ると指使いが書いていないので、子供がついつい勝手な指使いをして来る事があるのです。ですから、子供達がそう言った間違いをしないように、確認のために指使いを付けさせようと思ったのですが、これが冗談になってしまいました。
Beyerの意図は、指使いの原則を指導するための教則本なので、最初の課題に指使いを書いておくと、後は「以下同文・・」になります。しかし、その「以下同文・・」が音大卒業の先生に出来ないのですよ。
そのPianoの先生は「音楽大学の学生の時代に、先生から一度も指使いの付け方を習った事がないので・・」と弁解をしながら、深刻に、指使いを付けるために、楽譜と向き合って悩んでいました。
「ヒョッとして、この先生はBeyer教則本が指使いを指導するためのmethode(教則本)だと言う事を知らないのかいな??」と、改めて驚いてしまいました。
教則本の意味が分からないままに、初歩の教則本を使用するという事は、それでは、「初期指導は無理だよね!!」という事です。
※2)「ポロミスとポニョミスに付いて」
曲がある程度弾きこなせるようになった時に、演奏している時にミスをする場合があります。
このミスを犯さないように指導する事は頗る難しい‥・し、また生徒達もそのミスを犯さないように演奏する事が困難で、一つの大きな課題になっていました。
という事で、生徒達のために、ある程度弾けるようになったにも関わらず、演奏の度に、ミスを犯してしまう、というmistakeをポロミスとポニョ・ミスの二つに分類しました。
ポロミスとポニョミスの探し方、分類の仕方は、小さな子供達の場合には、10回繰り返し演奏した時に、犯した時のミスの箇所を赤鉛筆でcheckをして、同じ小節の中に赤のcheckが二つ以上入って来た場合には、それはポロミスであり、そのmistakeには必ず原因があります。だから、「間違いの3原則」に照らして原因を追求しなければなりません。
10回繰り返し演奏して、そのミスが1回だけで、randomに楽譜上に散らばるようならば、それはポニョ・ミスになり、精神的な原因になるのです。
ポニョミスの原因は、単なる意識の問題の場合と、「暗譜が不確か」である場合があります。
暗譜の不確かさを、私はウル覚えと呼びます。
その箇所がウル覚えであれば、譜面をちゃんと検討して、正確に覚え直し、その箇所を意識を持って演奏出来るようにすれば良いだけなのです。
このポニョミスの場合には、Pianoや楽器が傍にある必要はないのですよ。ですから、楽器のない場所、お風呂や「音入れ」で楽譜を確認すれば良いのです。(何時でも、何処でも勉強出来る・・という意味です。)
次にconstantに練習が出来なくって、発表会の直前にならないと練習をしようとしない生徒達のお話をします。
「芦塚先生の鬱々コンサート」
演奏は、2013年6月30日の八千代市生涯学習プラザ主催の対外出演の風景です。
曲は音人の会の生徒さんが「ジブリ風の音楽でTelemannのアリアなんですが、楽譜があったら、是非演奏して欲しい」というリクエストを受けて、楽譜を探してみたのですが、見つからなくって、You Tubeで演奏を探して見たら、それらしいのがありました。
Kurt RedelのarrangeのTelemannのAriaです。
Kurt Redelの演奏は大変美しく、本当にジブリ風なのですが、originalの楽譜には程遠いarrangeでした。
originalのMagnificatの演奏はYou Tubeでも簡単に見つける事が出来たのですが、それはBachのcantataやoratorioに近いもので、ジブリ風とは言い難い本当のcantataで宗教的な感じの曲でした。
originalのTelemannの楽譜を注文したのですが、海外発注で演奏会までには、楽譜が着かないようなので、今回は私なりのKurt Redelの演奏の耳パクで楽譜を作成しました。
勿論、Kurt Redelの楽譜は出版されていないし、また、仮に出版されていたとしても、Kurt Redelのorchestraは大編成のfull-orchestraなので、楽譜があったとしてもそのままは使えません。
また、Kurt Redelのarrangeには幾つかの音楽理論上の間違いもあったので、それは私のarrangeでは訂正させて貰いました。
でも、Kurt Redel風というか、ジブリ風と言うかの、「その曲の雰囲気は、表現出来たかな??」と思っています。
2013年5月15日の朝までに、wineを飲みながら書き上げました。すっかり、飲みすぎたかな??アハッ!
https://www.youtube.com/watch?v=bm3iMM4cj2w
4月7日 ·
「芦塚メトードによる正しい学習法、その4」
「発表会が近づかないと練習をしようとしない生徒の場合」
「練習をちゃんとしなさい!」と幾ら親が叱っても、発表会の直前にならないと、練習をしない生徒に対して、親が幾ら毎日毎日「練習をしなさい❗」と、言っても言う事をきかない分けなのですから、私がお説教をしても、言う事を聞く分けはありません。
私は、無駄な事が大嫌いな性格なので、そういう無駄な努力をする事はありません。
でも私は、よく回りの人達からは、「芦塚先生のお話しは子供達はよく聞くよ‼」と言われますが、それは勘違いです。
実は、私は子供達が喜んで受け入れてくれる話しをしているだけなのです‼
という事で、私が勉強をしたくない生徒に対して、「練習は毎日ちゃんと、するように‼」と、強制する事は絶対にありません‼
私が生徒に、嫌な練習を強要したとしても、もし、まかり間違えて、生徒が私の言うことを素直に聞いたとしても、それで生徒が上手くなる分けでもなく、練習の能率が上がる分けでもないからです。
但し、「練習の効率」のお話はよくします。これは、生徒にとってもかなり良い条件だからです‼
それは、発表会直前で必死になって練習をして、何とか発表会に間に合わせるタイプの生徒が結構多いのですが、それならば、私のadviceとしては、同じ発表会直前の2週間の努力を、楽譜を貰ってからの2週間の間を、一生懸命に頑張るように練習のタイミングを切り替えるようにadviceをします。
生徒にとっては、同じ努力を時期を入れ換えるだけなので、総合的には、練習の量が増える分けではないのですからネ?
オケ練習ではオケbackを演奏する生徒達は、殆ど全員が上級生で、生徒が弾くその曲は上級生達は、最低でも一度は学んだ事があるので、初見同様でも、in tempoで演奏が出来ます。
ですから、最初のオケ練習から2,3週間の間に、soloを演奏する生徒が全く下手な状態であったとすると、「何だ??これくらいか??」と上級生達に思われてしまって、練習をして来てくれなくなります。本番の直前でソロの生徒が幾ら挽回をしたとしても、そこで上級生の人達が結構練習をしてくれる分けではないのです。
しかし、最初の1,2週間で頑張って練習をすると、「オット、これは頑張っているじゃん!練習しとかないと、危ないぞ!」「上級生としての沽券に関わるぞ‼」と、一生懸命練習をして来てくれます。
その後の練習では、オケが上手で練習を積み重ねるのと、オケが下手で練習をするのでは、どちらがより上達すると思いますか??
これはお姉さん達が伴奏する場合でも同じなのですよ。
だから、同じ2週間しか、練習を真面目にやらないとしたら、最初の2週間に頑張って練習するのと、発表会の直前の最後の2週間で練習するのでは、成果に大きな差が出来るのですよ。
まあ、constantに毎日練習する生徒達には、無駄な無意味なadviceなのですがね・・・??
教室の生徒達と言えど、そんな勤勉な人達ばかりではないのでね。アハッ!
この私のadviceに耳を傾けて、発表会直前の練習を、譜面渡しの直後の練習に切り替えた生徒達は、その後は練習そのものが楽しくなって、自然に日頃の練習も出来るようになっています。だから、これは日頃の練習が楽しくなる秘訣でもあるかも知れませんよね??
「芦塚先生の鬱々コンサートより」
2013年12月22日千葉市検見川町花園教室のクリスマス会での演奏です。
この1年前、2012年11月26日の八千代では、originalのMüller-Hartmannのversionで、演奏しましたが、今回のクリスマス会のversionは全くrenewalされた新しい芦塚versionでの演奏で、かなり難しくなっています。
Pachelbelのchaconneは、originalの楽譜はorgelのための作品なので、八千代で演奏したMueller-Hartmannのarrangeは、Pachelbelのoriginalのorgelの3声のpartをそのまま、弦五部に移したものなので、曲の密度が薄く、arrangeの評判も今ひとつ良くなく、殆どのproのorchestraの演奏では、Mueller-Hartmannのarrangeを底本にして、更に編曲されているのが普通です。
私も、八千代の演奏の後で、しばし悩んでいたのですが、どうしてもMueller-Hartmannのarrangeに納得が行かないので、やはり曲を書き直すことにして、何とか、このクリスマス会の3週間前に書きおろしを直しました。
実際にクリスマス会で演奏するにあたっては、曲想も音楽的なimageも、おおよそクリスマス会には似合わない曲なのですが、敢えて「Probe(試演)」として演奏する事にしました。
教室のお楽しみ会という趣旨のクリスマス会なので、普段の仕事で忙しいOB,OGの方たちの助っ人出演が全くない状態なので、指導の斉藤先生一人だけ・・を除いたら、全員、純粋に現役の生徒達だけの演奏で、斉藤先生を数に入れても、僅か12名の中、高生達のorchestraなので、少し、技術や迫力に欠けるのかな?? とも思いますが、member的には仕方がありません。
練習も、本番迄の期間が、たった3週間しかなかった上に、毎週日曜日の練習も、学校や塾との兼ね合いで、練習に来れなくなる生徒が続出して、曲の出来具合は今一なのですが、まあ、それでも、生徒達は、それなりに一生懸命に演奏をした‥・という事で、ご勘弁をしてください。
アハッ・・!
https://www.youtube.com/watch?v=lglnDN0I_7Q
4月11日 ·
「子供の夢」「親の夢」
9日は発表会をお手伝い頂いた大人スタフの慰労会と、子供達の反省会でした。楽しく有意義な時間を過ごしました。
大人staffの慰労会のお話としては、「本当に(潜在意識的に)その夢を叶えようと望むのならば、夢は必ず叶う」という私の信念についてお話をしました。夢が実現しないのは、誤った選択肢をしてしまうからで、正しい選択肢をするのなら、夢は必ず叶うはずなのです。
しかし、それが難しいと言われる所以は、大人は夢を色々な色眼鏡で見てしまうからなのです。
もし、自分の目が色眼鏡であるか否かを冷静に判断出来るのなら、夢は100%叶える事が出来ます。
今回はその中のthemaの1つである、「子供の夢を叶えようとする親と、親の夢を子供に叶えさせようとする親がいる」というthemaに絞ってお話をしました。
「夢=将来の願望」が「子供の夢」と「親の夢」が同じである場合には、全く持って何の問題もありません。
しかし、こういった恵まれた環境に有りながら、(天の声としては、それは理想的な環境のはずなのですが、)人生には色々な選択の道があり、それを誤ると目標には到達出来る事はありません。100%の環境があったとしても、それで、夢が叶う事が保証される分けではないのです。
その最たる例が、指導者の選択です。
指導者の選択を間違えてしまうと、夢を叶えられる事はありません。優れた指導者とは、地位のある指導者でも、有名な指導者でもなく、proを育てた事のある指導者だけなのですから。
また、親が子供に対して、自分の夢を押し付ける場合も多々あります。一番多い例は、父親が自分の女の子供に対して、中学生ぐらいになってくると、自分の初恋の人に対してのimageを抱いてしまう事です。外から軽くそう思っている場合には、なんの問題もありませんが、それがまま、極端に現れる場合もあります。父親の場合には、子供が小学生の時にはなんの問題も起こらないのが特徴です。
それで、父親が女の子に対して、親の夢を描いたとしても、子供が親の夢と自分の将来に対して、「そんなには嫌な選択肢ではない!」という場合には、何の問題もありません。
夫唱婦随の儒教の国である日本では、親の意見には、波風を立てない平々凡々な日常が良しとされるからです。特にi dentityのない子供の場合には、親の言いなりになるのは結構心地良いものだからです。
唯一の例外的なcaseは、子供が自分の夢を持ち、その夢を親が否定し、自分の願望を押し付ける場合です。その多くの例は、父親が子供を、自分の身の傍から離さない事です。自立を扠せないで、自分で将来的も面倒見ようとします。
しかし、多くの場合には、そう言ったcaseでは子供が大学を卒業する迄には、一番父親が望まない形で家を出てしまいます。
それも、心理学的には、当たり前の事なのですが、将来の事になるので、それを認めて、自分の行動を改める親はいません。
更に、子供が余程の「孝行娘」か、さもなくば自己主張の弱い性格の場合には、自分の願望を押し殺してまで、親の希望に従おうとします。
でも、それは挫折を伴った歪んだ性格を、将来的に産み出してしまいます。
無理矢理に、子供の心を否定して、親の願望を押し付けて、子供がそれをちゃんと聴いたとしても、それは子供の人格を否定する事であり、子供を精神的に殺してしまう事なのです。
一度、殺されてしまって、虚ろになった心は二度と戻る事はありません。
自分のi dentityがなく、虚ろのままに人生を他人に指図されながら終わるのです。
引き篭もり等もその典型的な状態になります。
(但し、私の場合の引き篭もりは、単に社会適応が出来ない性格だっただけで、親の性ではありません。全く、自分自身の性格のせいです。)
また反対に、子供が親に対して従順であったとしても、ある時にその親の抑圧に対して、子供の精神力が、強かった場合には、我慢が出来なくなった瞬間に、親や社会に対して、思いも寄らぬ反抗をする事があります。
よく、マスコミで大騒ぎをしているcaseなのですが、従順で理想的な子供であり、生徒である場合にも、時折見受けられる現象で、成績も良く、親に反抗もした事もなく、生徒達からの信望も厚い子供が、金属バットを持って親を殴り殺す・・という有り得ないマスコミを騒がせている事件です。
アメリカでは、成績も良く、学校での先生や生徒の信頼も厚く、息子としての鏡であった子供が突然、ピストルを手に学校に閉じ籠もって、多数の生徒や先生達を無差別に殺傷したりします。
こういった劇的な例は、例外と思われるのかも知れませんが、よく見受けられる事では、女の子の場合には、真面目を絵に描いたような女の子が、突然、家を飛び出して、歓楽街で、異性との遊びに走って、家に帰って来なくなったりする事なのです。
対処しようと思っても、友達の家を泊まり歩くので、探し出す事自体が困難になってしまいます。
超、笑えるのは、テレビで、「こんなに良い子供だったのに、信じられない!」と、よく自称教育学者の人達や、似非コメンテーターの人達が、その原因は子供自身の資質にあるように言っていますが、それは大変な間違いで、心理学的には、至極当たり前の、教育のミスによる反応に過ぎません。
教育の間違いによる、当然の結果であり、必然的な結果であります。
それを心理学的には「SNBP(負の転換点)」という言い方をします。
「窮鼠猫を噛む」・・にも近い意味になります。
SNBPを引き起こす迄は至らなくても、親のエゴで、それに近い状態を引き起こすcaseもありますが、余りにも事例が多過ぎて、説明するのにも、くだらないので省略します。
37歳の時に、断り切れない諸事情で、音楽教室を作った時に、そう言った教育の諸問題と向き合う事はある程度は覚悟はしていたのですが、現実は、それ以上の色々なcaseがあって、何度となく「教室をやめたい」と思った事も何度もあります。
しかし、たった一人の生徒でも、私の事を信じて付いて来てくれるのなら、やはり、そこは忍耐しないといけないのでしょうかね??
家庭の環境が上手く行っている場合も、上手く行かない場合も、どちらの場合も「家庭の問題」「家族間の問題」なので、私達は介入はしないのが建前なのですが、私が音楽教室を作る以前は、そう言ったお話を保護者の方達とした事は一度もありません。
「音楽の道に進みたい」・・という希望を持った生徒が私の元を訪れて来るので、進学の悩みは既に、結論が出ていて、それ以上悩む事は無いからです。
私と「音楽大学受験生の関わり」は、私自身が、未だ音楽大学の学生であった時代から、東京で生活をするための「親の仕送り」が無かったので、Pianoの教授から、落ちこぼれの受験生を紹介してもらい、受験生の受験のためのlessonして、私の生活の一部としていました。
毎年、その教授の元には100名近い受験生が訪れるそうで、その内の絶対的に合格出来る生徒は教授自らが教えるそうです。
大学の教授達が集まる教授室では、結構、教授達同士で「何人合格させたのか?」という暗黙の争いがあるそうで、「落ちる!」と分かっている生徒を指導する事は、教授間のそう言った争いに、問題があるのだそうです。「その教授の元で、何人の生徒が合格したのか?」が重要な問題で、合格者の人数が問題なのではない‥・という事らしいです。
ですから、チョッとちゃんと指導すると、合格出来る可能性のある生徒は、助教授に回し、頑張って指導すれば、合格出来るかも知れない生徒達は、講師の先生達に回して、絶対に合格出来ないというお墨付きの生徒を、毎年、2,3名ずつ、私に回して貰いました。
その絶対的に合格出来ないはずの生徒を、私が指導する教科だけで、全員、音大に合格させたので、教授は大変驚いて、私の指導力に絶大な信頼を持ってくれて、その後、私が留学する迄、落ちこぼれの生徒をドンドン、回してくれました。
私が当時、指導していた受験生は、落ちこぼれであったとしても、「音楽の道に進学する」という前提で私の元を訪れていたので、女の子という条件であったとしても、浪人をするから、私が下見をするという条件でも、そういった家庭での進学に関する親子の問題は無かったからです。
留学から帰って、大学に勤めていた時も、2,3人の生徒を指導していたのですが、音楽を目指すという条件の生徒である事は変わらなかったので、女の子であったとしても、進学に対する問題はありませんでした。
何故、繰り返し、「「女の子」という事を強調しているのか??」というと、いずれにしても、受験生に関する親子の問題は、同じ受験生でも、「男の子」達には関係のない話で、自分達の将来も、進学する大学も、自分達で勝手に決めてしまうので、親の介入する余地はないようなのですがね。母親も父親も子供が男の子の場合には、全く接し方が違うのですよ。女の子の母親と父親とは・・ね??
ですから、私が、こう言ったお話をするのは、生徒が「日本人の女の子」の場合だけなのですよ。
ヨーロッパでは、大学は研究者になる人達のみが入学します。
ドイツでは、何らかの職業に従事したい子供達は、小学4年生から、靴屋になる生徒は靴屋の学校、パン屋になる人はパン屋の学校(Handelschule=商業学校,Berufsschule=職業学校)に行くと決まっているので、高校(Gymnasium=ギムナジウム=中、高一貫校)や大学に行く人は、専門性の高い勉強をしたい学生だけです。
「チョウチョ」で知られているギルドの唄も、中世の時代からの専門性の高いドイツならではの学習形態の話だからです。
日本では、「何故大学に行くのか??」「どうしてその大学でなければならないのか??」という事が塾や学校の成績によるだけであって、「その大学でなければならない」というその理由が皆目、私には、理解が出来ません。
また、日本の大学は、よく何をやっているのかが、分からない大学が多すぎます。テレビで、受験生が、「大学に行って遊びたいから勉強をしている」という分けの分からない事を言っていましたが、それは多くの大学生の本音かも知れませんよね??
ドイツやヨーロッパの大学は、余りにも日本の大学とは違い過ぎるので、比較の対象にはならないのですよ。
日本の大学は、まるで、女性のバッグのbrandのようです。
「どこそこの大学の方が、知名度が高い!」どこそこの大学出身という肩書を付けるための大学受験です。
でも、大学は、その教授のゼミで、学習の内容が決まるのですよ。自分が付きたい教授がいないのなら、その大学にはどうして行くのかな??・・・だから、大学をbrandとして見ていると言っているのです。
男の子達は私の話をよく聴いてくれて、共感してくれるので、進学に付いての悩み相談はありません。どの大学のどの先生が良いのか?の具体的な話だけです。
女の子の場合には、自分自身のi dentityに対して、主体性が乏しいようです。
古代中国の箴言である、「女性は幼にしては父兄に従い,嫁しては夫に従い,夫死しては (老いては) 子に従う」ものとされ,それを良妻賢母とする風潮が、現代の日本社会にも歴然としてあります。今日、その思想の元である中国には、そう言った儒教的概念の影響は最早ありません。
なにせ、共産主義にとっては、儒教は真逆の理論なのでね。
日本人の女の子達も、自分の受験や将来に対しての望みは、漠然とは持っているのかも知れませんが、そこで、親の願望のズレで、悩んでいる子供達が多いようです。
それは日本の女の子達の独特の感性によるものなのでしょうね。
親が子供に頼るのか、子供が親に頼るのか、よくは分かりませんが、私にはそのどちらの立場も、理解出来ません。
ヨーロッパやアメリカでは、高校生や大学生ともなると、勉強を続けたければ自立してバイトをしてでも、自分の力で大学に行くのですよ。
少なくても、私の外国の女の子の友人達は、皆そうしていましたがね。
昔、私が大学に入学した頃に、「音楽大学の入学式や卒業式には、親が来る!」と言って、親子離れの問題に、驚いていたのですが、一昨日は、テレビで、「会社の入社式に親を同伴させる会社が出て来た!」という報道をしていて、おったまげてしまいました。
企業側の言い訳は、折角の一流企業に入社しても、入社式に出ただけで、次の日から会社に来なくなる・・という若者が多いので、その防止策なのだそうです。
つまり、「会社に行くように、親に指導させるために、会社に対しての意識を持たせる」という意味だそうです。
益々、よく分からん!!
普段はそういう事は全く言わないように気を付けてはいるのですが、鬱が酷いとついつい、愚痴りたくなってしまいます。
「その後」
お手伝い頂いた保護者の方達の慰労会と子供達のstaffの反省会が終わったら、洗い物や、食料品はそのままにして、検見川教室に移動して、習志野の対外出演組の練習をしました。
専科組は、流石に上手になって来ていて、私が、その課題の曲をcheckをして、注意をすると、その場では、そのように演奏出来るので、後の課題は、本番の会場でも、その技術を充分に活かした演奏が出来るか否か??・・が、これからの課題になります。
そのためには、演奏活動を続けて、場馴れをする事が大切です。
普段の練習では幾ら出来たとしても、本番でそれが出来なければ、それは意味はないのだからね。
という事で、今回は習志野には私は行かない事にしました。
顔が見えると依存してしまうのでね。
習志野の練習が終わって、花園教室での、反省会の後片付けも、千夏ちゃんと梨紗さんが、時間ギリギリ迄頑張ってお手伝いしてくれました。
二人にも、感謝!感謝です。proとしての自覚が出て来たと思います。それが本物になるのも、後一息の所です。
「その後のその後」
後片付けが終わって、ニャンコ号で東京への帰り道辺りから、私は強烈な鬱に襲われて、次の日も鬱が継続したために、一日七転八倒して、体調、体力的にすっかりと参ってしまいました。
牧野先生も、8度超の熱で花園で寝込んでしまいました。
インフルでは無かったようなので、取り敢えずは良かったようですがね。
私は次の日の月曜日も、鬱が続いたのですが、それ以上に体調不良で、下痢でトイレにしがみ付いている状態に、一日悩まされてしまいました。
ただ普段ならば、疲れ過ぎると、夜が眠れなくなってしまって、次の日や、次の次の日迄体調不良の影響が及んで、酷い時には、1週間丸々の間、鬱が続いてしまうのすが、その日は、夜は比較的よく安眠出来たので、次の日の鬱は、大分楽になっていました。
私の鬱の原因は、心臓の不整脈等の体調不良から来る鬱と、精神的なstressが原因の鬱があるのですが、いずれにせよ、睡眠不足はその両方に掛かる根本原因でもあります。
眠れなくては、疲れは取れないし、精神的にも良くはなりませんからね??
夜のプリドルの散歩は、普段は絶対に飲まないのですが、散歩中に下痢になっても仕方が無いので、下痢止めの薬を飲んで散歩に行きました。(勿論、私は通常、下痢止めは飲まないので、下痢止めの薬は持っていません。下痢の本来の目的は、体に入って来た毒を対外に排出するのが目的なので、下痢は基本的には止めない方が体に良いからです。と言う事で、下痢止めの薬は、斉藤先生に貰ったものです。)
「話は少し戻って・・」
日曜日の夜は、余りにも鬱が酷かったので、「夜遅くても、行きつけの寿司屋にでも飲みに行くか??」と思っていたのですが、自宅に辿り着いたのが深夜も3時過ぎだったので、流石に飲みに出かけるのは諦めておとなしく寝たのですが、次の月曜日の夜も鬱が続いていたので、「日曜日の代わりに飲みに行くか??」と思ったら、プリドルの散歩が終わって、日曜日の残り物の食事を済ませたら、なんとなんと、深夜の2時になってしまっていて、再び、飲みに出かけるのを諦めざるを得ませんでした。
だからと言っても、部屋で一人で飲むのも、鬱が酷くなりそうなので、よしといた方が良いのでね。
今更鬱なのに、更に鬱になったら、目も当てられないのでネ。
でも、普段は、一人で酒を飲む事自体は嫌いではないのですよ。色々な昔々の燗徳利で、地酒を愉しんだり、wineをビードロのグラスで愉しんだりしていますが、近頃は、お酒が全く飲め無くなってしまって、寂しい限りです。カンダの社長も2,3年前から飲めなくなってしまったと、同じ事を言っていたよな??
「話を変えて・・」
鬱や体調不良を、仕事をサボる口実にしていても仕方が無いので、頑張って、videoの編集をしました。
しかし、videoの編集は難しくって困ります。
videoのsoft自体は、色々な事が出来るので、気に入っているのですが、兎に角、取説がないので、使い方が分からないので困ってしまいます。
ですから、netのYou Tubeにupされている解説のvideoを、print outして、30穴のfileで取説を作ろうと思ったのですが、余りにも簡単なので、1Pageをprint outして、後が続きません。簡単過ぎて取説が出来ないのですよ。
編集の作業をしながら、Händel=Ashizuka‐versionのpassacaglia gの事をふと思い出して、「そう言えば、この曲を作ったのは、昨年の正月だったよな??」・・と思い起こして、Facebookを遡って見てみたりしてしまいました。
読んで見ると、2016年の1月13日の深夜から取り掛かって、朝の7時頃には作りあげて、一人乾杯をしていたというお話が、Facebookに載っていました。
一応、曲のimageとして、パソコンの音源でYou Tubeにuploadをしていたのですが、折角、Concerto Grossoで、solo‐violinと、tuttiを対立させて書いていたのに、violin属の音が、同じ音色に聴こえて、音楽的な立体性が出なくて不本意でしたが、notationのsoftであるfinaleの付属の音源で、作りあげたdataをupしているので、致し方ありません。
音源専用のmixing‐softを使えば、音的にも、もう少しはマシになったとは思いますがね。
この半年の間、Händel=Ashizuka‐version のpassacaglia gの練習は、「春待ちコンサート」や発表会の練習が間に合わないために、(練習の曲数が多すぎたために)練習時間が足りなくなって、何度も練習のprogramから、当日に割愛されてしまったので、兎に角、本番までの練習が間に合っていません。
後半の最後の二つのVariationは、練習の量だけではなく、技術的にも間に合わなかったのですが、それでもやはり「生音」(なまおと)は良いものです。・・という事で、音楽的な出来上がりは余り良くないのですが、取り敢えずuploadしておきます。
一応は、私の擬古典の作品の1つなので・・・
「芦塚先生の鬱々コンサート」
Händel‐Ashizuka‐versionのpassacaglia gです。
https://www.youtube.com/watch?v=joUKxFqQD70
体調悪い中、youtubeのアップありがとうございます。今日はまた冷え込み明日は18度と暖かくなるとか。体調、お気をつけください。
牧野先生、前日からの準備に日曜日立ちっぱなしでしたよね…インフルではなくて良かったですが38度超えはつらいですね…
4月11日 8:32
4月11日 ·
..
(※1に往年のpianistのお話を追記しました。本文にもアボガド巻きのお話やその他少し膨らまして起きました。 ※2.の後に、draculaの映画の話を少し追記しました。16年4月18日の変更分です。)
保護者の方達からの「教室推薦の演奏会を聴きに行きたい・・」と言う申し出があり、優れた演奏家の人の来日を待っているのですが、中々、本当に聴いて欲しい人が日本に来ないので、困ってします。
・・と言うか、本当の名人と呼ばれる人達はその殆どが鬼籍に入り、若手の人達は、未だ少し往年の名演奏家の人達と比べると奥深さが足りないからです。※1.)
教室推薦の演奏家でCDやDVDで聴ける演奏家はhomepageの方に著名な演奏家の名演奏のレコードをupしているのですが、ご質問は生の演奏会のお話だったので、困っているのですよ。
「音に対する考え方のお話」
それから、教室が推薦する演奏家は、「何故、日本人の演奏家ではだめなの?」という質問もあるかも知れませんよね??
当然の疑問ですよネ。
教室が日本人の演奏家を推薦しないのは、それは音(音楽)に対しての考え方がヨーロッパの演奏家と日本の演奏家では全く違うからです。
音に対しての考え方・・というと「Pianoやviolinの音」、所謂、音色と思われるかも知れませんので、音に関して言えば、「それは好みではないの?」と思われるかも知れませんよね??
確かに、音色と言うと、「好みの要素」の部分もあります。
しかし、ここで、私達が言っている「音」とは、「音、そのもの」の出し方の事なのです。
「音の出し方」そのものが違えば、当然、奏法も違って来ます。
弦楽器の場合には、弓の持ち方そのものが変わって来るからです。
(Pianoの場合には、touchそのものが変わって来ます。)
また、弓の持ち方や演奏法が違えば、当然、演奏styleも変わって来ます。
また、baroque時代や古典派の時代では、楽器の形態や作曲の様式で、現在演奏されている演奏様式とは、根本的な違いがあるからです。ヨーロッパの人達にとっては、音楽は伝統芸能なので、traditionalな決め事、所謂、約束事としての、必ず守るべき事があります。
そこの所をしっかりと押さえておかないと、ヨーロッパ人の「蝶々夫人」や、「忍者」になって、eccentric(エキセントリック=珍妙な)な音楽になってしまうのですよ。アボガド巻きが寿司か否かは、この際どうでも良いとしても・・です。
日本人が西洋音楽、洋楽として、日本に音楽を取り込んだ明治時代の初期には、日本の教育水準としては、まだそういった音楽の学術的な考証迄は、至っていなかったからなのですからね‼※2)
大元のEuropeの演奏styleでも、ロマン主義的な様式で演奏する往年の名演奏家の演奏styleに心酔している人達の演奏様式は時代考証がなされないままの演奏です‼
しかし、Epigonen(=追従者、模倣者、亜流)の人達とは違って、大元の大家の演奏では、それが、未だ学術的には証明されていないとしても、伝統(traditional)として、そのperiodの上に表現が成されているのですょ。
私が未だ若い頃、ドイツ留学中にMünchenの映画館で見た3流のオカルトの映画(言葉が未だ不自由だったので、ドイツ語の勉強のために、よく映画を見に行きました。)では、draculaの親族達が集まって、Menuetを踊るシーンで、ちゃんとbaroque-danceで踊られているのを見て、驚いてしまいました。
また、同時期に見た映画で、Wilhelm Friedemann Bachの伝記映画をみたのですが、Friedemannが令嬢に、Cembaloのlessonをするシーンがあって、Bachの単純なMenuetの曲を「それは、こう弾くのですよ!」と模範演奏をするシーンでは、ちゃんと和音が充填されて、壮大なimageで演奏されて、その時代考証の確かさに驚いてしまいました。(後ろの席の老夫婦が、オロロン・オロロン泣いているのには、参ってしまいましたがネ??)
日本では、音楽大学の教授ですら、そのようには演奏出来ないのにね???・・というか、C.P.E.Bach風に、和音を補充しながら演奏したら、日本人の教授達は怒り出してしまうのよね!!「何処にそんな事が書いてあるのだ!!」ってネ!
‥・当時の音楽の取説には、多くの作曲家や演奏家達がその奏法に付いて書いているのにネ!
どれが本当の本物であって、traditionalであるか・・日本の教育家達は、それを知らないのよネ!!
この映画のお話は、私がドイツ留学時代の若かりし頃の、つまり60年代のお話ですよ。
音楽に無関係の、3流映画を作っている人達ですら、そういった伝統を大切にして、時代考証を守って自分の作品を作っているのですよね??
そのtraditionalを忠実に守った上の3流なのよね??
そこの所が日本の演奏家達との致命的な違いで、日本の演奏は時代の重みのない薄っぺらなものに感じてしまうのよね。
でも、知らなければ何も感じないだろうけれどね。
行列の出来るお店には、食通の人は来ないのよネ??
それ、知ってた??
3流処でも、ヨーロッパのtraditionalの力を感じますよね。
また、音楽を聴くという立場の話しなのですが、私達音楽家が、勉強として聴く…と言う事と、amateurの人達が音楽を愉しむために聴く…と言う事では、少し聴き方のapproachが違ってしまいます。…という事なので、本当に、教室推薦の演奏家の演奏が、一般の人達に取っても、参考になるのか否かはチョッと疑問です。
素晴らしい演奏をしていると思われていても、論理的に理解出来たうえでの演奏でなければ、それは単なる情緒的な感覚的演奏にしか過ぎません。
それをclassic音楽(classicというジャンルの音楽)とは言っても、Classic(古典の音楽)とは言わないのです。※2)
感覚的でなく、ちゃんと理論的な裏付けがあって、その上での情緒的な表現でなければなりません。
日本では、論理性を忌み嫌う習性があります。
情緒的に感覚的に演奏するか、さもなくば、無味乾燥に演奏するかの両極端のいずれかの演奏です。
ヨーロッパの場合には、論理的なapproachをして、その基準の中で情緒的な表現をします。日本でも、演劇とかのgenreではtheoryに従った上での感情表現というのは当たり前のお話なのですが、事、音楽の世界になると、theoryとは無味乾燥な理論の世界で、情緒表現には、theoryはないとされています。基本に基づいた音表現は日本のClassicの世界にはないのですよ。
一例を説明すると、教室で子供達に指導する体の揺らしは、情緒的感情的なものではありません。
右半身の構えで、両足を肩幅よりホンの少し広く取って、弓を全弓で演奏すると、重心の位置が移動します。その移動に体の中心を委ねると、居合と同じ体躯の移動が起こります。
その体躯の移動(重心の移動)の仕方を、最初に勉強するのが、PachelbelのCanonです。
それぞれのpartを演奏する子供達が、全く同じ体躯の移動をしていますが、これは、教室独自のmethodeなので、他のorchestraで見る事は出来ません。つまり、体を揺らす事は情緒的、感情的な事ではなく、理に叶った事でなければならないのです。
ましてや、日本では、体を揺らす事は感情的な事とされるので、絶対的にtabooとされます。
日本での、良い演奏とは、仁王立ちで、体を全く動かさないで演奏するのが良しとされるのです。
例え、Kreislerの甘い切ない曲でも、ロマン派の滔々とした曲でも、体は揺らしては行けないのですよ。
それはviolinだけではなく、Pianoの表現でも、全く同じです。
体を揺らして演奏するpianistは、椅子の上で体を円運動させて演奏します。客席で見ていると、船酔いしそうになってしまいます。
本当は、fortissimoからpianissimo迄、体の移動だけで演奏する事が出来るのですよ。
そう言った事は日本人の演奏家は認めません。
ジュリアードの非常に有名なPianoの教授のclassでは、東洋人の女の子のpianist達が、曲のclimaxの所で、お尻を椅子から挙げて、落とす瞬間に出すfortissimoを勉強します。
鶴の一声のfortissimoです。
西洋人の大きな体のpianistに対抗したfortissimoの奏法です。
しかし、日本の音楽大学にヨーロッパから客員教授で来ている1メーター80を越す大きな男性が、fortissimoの所で、お尻のfortissimoを演奏していたのですが、コンサート・グランドが壊れてしまうのではないか??と恐怖したくらいでした。
弦が切れるか、hammerが折れるか、幾らfortissimoが欲しくても、偉丈夫の男性がやるべき演奏法ではありません。
多分、女の先生にその奏法を習ったのでしょうが、意味を考えて演奏しなければならないのですよ。まあ、東洋の僻地の日本に迄、わざわざ、きて来れる先生なんて、その程度な先生だろうけれどね??
まあその話は兎も角として、Pianoの、日本の先生達の場合には、どのような情緒表現でも、体を揺らしてはいけないとされます。
ましてや、お尻のfortissimoの奏法は、許されない奏法の最たるものです。
ヨーロッパやアメリカでは普通に奏されている奏法が、日本では認めて貰えないのですよ??
全く、信じられん!!
全く音楽表現の意味と言うか、表現の根本、基礎が違うのですよ。
教室で勉強をしている生徒達の場合にも、生徒達の音楽の技術水準が上達するに從って、演奏家の好みも変わって行きます。
「昔は、あんなに素晴らしい演奏家だ!」と思えた人が、1年後、2年後には、然程に感じなくなってしまう・・という事がよくあります。
生徒は、一生懸命、勉強をしているのだから、演奏家に対しての批判、批評力が身に付いて来るのは、当然の事なので、演奏家の好みも変わって来るのは、至極当たり前の事かも知れませんよね。
しかし、音楽の勉強を全くしていない保護者の人達からも、同様のお話を聴く事がよくあるのも、面白い事実です。
子供達の勉強を見ていて、音楽の聞き所が自然と身に付いてしまうのでしょうかね??
上級生の場合には、批判力も身に付いているので、問題はないのですが、問題となるのは、その過程の「練習なかば」「成長とちゅう」の子供達の場合です。
子供達が、演奏家に憧れを持つ事、夢を持って、自分の目標として尊敬をする事は大変喜ばしい事なので、教室としてもそれを敢えて批判、批評する事は基本的には余りしたくありません。
しかし、それを放置する事で、子供達が正しい音楽を学習する上で、(特に日本人の演奏家の場合には、音楽事始めの150年も前の時代からの誤った演奏のstyleである)日本人特有の音楽的な悪癖が、色々と子供に影響を与える事が多く、学習する上で甚だ不都合が多いので、困ってしまいます。
その最たるものが、日本人の持つ音への感性の問題です。
高温多湿の国である日本の弦楽器の演奏家達は、日本独自の音の出し方をします。
その独自の音に対する感性は、それが日本人の生活の中で自然に身に付いている音の感性なので、日本人に取っては自然な感性だから、その音に対して、違和感というものを感じないのです。
でも、日本人の演奏するviolinの音をよく聞くと、二胡の音にしか聞こえないし、celloを演奏している日本人の音はどう考えても、馬頭琴の音です。
おおよそ、西洋のコンサート・ホールでの、よく響いた共鳴された音ではありません。
それが何時も繰り返し注意を促している日本人独自の音の感性なのです。
日本人に取っては、日本独自の歌い回しの特徴である演歌の小節(こぶし)や、浪花節のしゃがれた押さえつけた声は、西洋人には、堪らなく汚い音に聴こえてしまいます。Genzmer先生も、「歌舞伎の独特の発声迄は、何とか堪えられるのだが、浪花節に至っては、許しがたい!」と言われてました。
しかし、そう言った発声法は、日本人には、とても聞き慣れた(gewohntな)発声法にしか過ぎないのです。
その押さえつけた音に対する日本人とヨーロッパ人の意識の差は、致命的と言える程、とても大きいのです。
また、そう言った押さえつけた音や、キリキリと喉を締め上げた音のお話だけではなく、noiseに対しての日本人の感性の問題もあります。
日本人のpianistの多くの人達は、西洋の演奏家に比較して、pedalを使い過ぎる傾向にあります。
pedalを使い過ぎて、和音が汚く濁っても、日本人は打鍵の瞬間の音しか聞いていなくて、響き込んだ音には、無関心なのです。
そのnoiseが聞けない原因は、日本人が雑音(noise)を美しいものと捉える傾向があるからなのです。
つまり、日本人に取っての癒やしである木の葉づれの音は、西洋人にとっては単なるwhite・noiseにしか過ぎないし、日本人が演奏するPianoのpedalで和音が濁ってしまう事は、pureな音を好むヨーロッパの人達には許せないのですが、日本人はpedalを踏みっぱなしでも平気な人達が多いのですよ。
だからと言って、そう言った多くの致命的な欠点を持っている日本人の演奏家達への子供達の憧れや夢を、真っ向から否定してしまうのも・・大人気なく、忍びないのですよ。
「日本人でなければそういった欠点は持たないのか?」つまり、ヨーロッパ崇拝で、日本の音楽を貶しているだけではないのか??、と言う分けではありません。
西洋人と言えるか、どうかは分かりませんが、ロシア派の人達の演奏は、力で弾く奏法なので、多くの日本人演奏家の卵を潰してしまう悪い奏法なので、困ってしまいます。
「潰してしまう」・・というのは、日本人の女の子達に比べて、体が非常に大きなロシア人は、3点支持で普通に弾いても体を痛める事はありませんが、それをとても華奢な日本人の女の子が真似て演奏すると、特に弓を持つ手を壊して、2度と楽器を(演奏のproとしては)弾けない体になってしまうのです。そう言った事は、表には出ないのですが、よくある事なのです。(どうして表には出ないのか?と言うと、演奏家に憧れて勉強をして来た学生達に取って、体を壊して、演奏家を断念する事も、挫折に過ぎないからです。その事実をひた隠しに隠します。)日本人の華奢な体には、所詮、3点支持は向かないのですよ。日本の大学ですら、生徒達が指や腕を傷めてしまったり、腰痛に悩まされているのですからね??
ロシア派の元祖的な巨匠であるHeifetzの演奏を見ると、弓の持ち方や楽器に対しての弓の押さえ方は、Heifetz先生の場合には、ロシア派のそれとは少し違います。
Heifetz先生の場合には、ベルギー派の1点支持やロシア派の3点支持の事を深く知り抜いた上で、適材適所の演奏をしているので、ロシア派特有の悪癖があまり見えません。
音楽的に必要であれば、敢えて、音の限界を越して演奏しているだけなので、それは3点支持の悪癖とは根本的に違います。
上級生になると、判断力や批判力が身に付いて来るので、その悪影響は心配は無くなるのですが、勉強途上の生徒達には、よく悪影響が出てしまって、難しい判断を強いられます。
※1)私が未だ音楽大学の学生であった頃は、私のバイトの関係で、高名な演奏家が来日する時には、ticketをただで貰えたので、招待席で歴史的な特別な演奏家の演奏を目の当たりにして聴く事が出来ました。
Jörg DemusやWilhelm Kempff等の演奏もそうなのですが、演奏を聴いているとPianoから色の付いた音符が飛び出して来るのですよ。とても美しい緑色の音や、赤い音が‥・。大家と呼ばれる人達の演奏には、音の粒粒に色があるのですよ。
ProkofievやCortot、或いはPaderewski等の演奏家の名演はレコードでも聴く事が出来ますが、中でもProkofievやPaderewskiの演奏では、非常に速いpassageの一粒一粒の音の色が色とりどりに変化するのは、「凄い!」と驚きを禁じ得ませんでした。そう言った、音に色のある演奏家は若い演奏家や中堅処の演奏家でも、今はいないのですよ。(往年の名演奏家と較べて、演奏技術が劣っている・・と言う意味ではなく、音に対して求めているものが違うのですよ。そのsomethingがね・・??
※2)Pianoを学習する初心者が必ず勉強する「sonatine・album」という教則本があります。
「Pianoのお稽古」の教則本として、子供達が必ず学ぶ教則本なのですが、実際には古典派の奏法を学ぶ上では、とても素晴らしい教則本であり、またperiod奏法の勉強には、とても難しい教則本にってなしまうのです。
市販の標準版のsonatine・albumでは、近現代的に演奏のstyle(articulation等)が変更されて書かれていますが、period奏法的には、それは正しい解釈ではありません。
近年、全音出版社から、初版、初期楽譜による校訂版として、今井顕氏による校訂版によるsonatine・albumや、sonate・albumが出版されて、正しい古典派の奏法を指導する上で、大変喜ばしく感じています。
弦楽器の場合には、そういったsonatine・albumに該当する教則本がないので、Pianoの教則本と比べて見ると、技術的には、かなりのlevel差がありますが、(・・通常は上級のlevelになるのですが、)古典派の技術を習得するためには、古典派の時代の著名な作曲家達であるDittersdorfやStamitz、Hoffmeister等々のviolinやcelloのconcertoを演奏させていますが、このcurriculumは教室だけの例外で、音楽大学等で、curriculumに登るような、一般的な作曲家ではありません。(音楽史で、登場する作曲家と言っても過言ではないでしょう。しかも、技術的には、Pianoのconcertoのlevelに該当します。)
また、教室が提供しているcurriculumである、Seitzのstudent‐concertoから始まる一連の「student‐concerto」のcurriculumも、その殆どの曲は教室外では知られていない曲で、教室独自のcurriculumになります。
※3)classicという言い方は、甚だ難しい混乱を招くものがあります。
popular音楽(jazzやrock)に対してのclassic音楽という意味と、classic音楽の中の、ロマン派やbaroqueの時代様式に対しての時代区分のclassicという言葉があるからなのです。
但し、音楽の場合には、classicと言っても、たかだか、百年くらいしかありませんが、※3)日本の古典文学の場合には、その分類は千年以上になって、大変な事になってしまいます‼
江戸時代だけでも、265年くらいは続くのですからね⁉
※4)音楽史的な作曲家に取っての古典派の時代と言うのは、定説がありません。
1730年代から 1810年代まで続いた時期の芸術音楽の総称・・とか、Bachの死(1750年)から Beethovenの死(1827)迄・・とする説もあります。
勿論、これ以外の説もあるので、定形となる説がないのです。
同じ時代の作曲家でもBeethovenは古典派の作曲家になりますが、Beethovenと同時代に活躍したWeberやSchubertは、ロマン派に区分されます。
よく知られたwien古典派として分類すると、Schubertも古典派の作曲家になります。
https://www.youtube.com/watch?v=egK0oZb5M0Q
4月13日 ·
(16年4月18日に「鬱々コンサートについて」のPageに少し、追記しました。)
ここの所久しく内でも外でも飲む事はなかったのですが、昨晩(4月12日深夜)はYou TubeやFacebookの手直しの作業をしていたのですが、久し振りに深夜3時頃になって、何と、ついにWINEを飲み始めてしまいました。(悔恨!!)
You Tubeにupされた、私の指揮をする鬱々のコンサートをツマミに、ついつい朝の7時過ぎ迄、途中で、WINEが無くなってしまったので、それからは代わりにビールを飲んでしまいました。
仕事は捗ったのですが、ついつい飲み過ぎてしまって、朝の8時頃になって、慌てて寝ました!!
「大変だ!」「今日が始まるぞ!!」・・てな、具合に‥・!
頑張って、(仕事の道具はパソコンの前に出したままで、)なんとか朝の9時には寝たのですが、お昼の1時半頃には、目が覚めてしまいました‼(4時間半ってとこらか⁉まぁまぁなのかな⁉)
ウダウダと書類のcheckやmailのcheckをしながら、パソコンの作業をして、お腹が空いたので、冷蔵庫を開けてみたのですが、勿論、当然何時もの事ながら、冷蔵庫には食べ物は何も入っていません。
「腹が減ったぞ‼」と、言いながら、中々体が動かないので、普段は、「仕事の打ち合わせ」に使っている珈琲館に朝食を食べに行く事にしたのですが、なんと、ウダウダ状態で、幾ら頑張っても体が動かないので、準備をするのに超手間取ってしまい、珈琲館に出かけるのが、夕方の5時過ぎになってしまいました‼
とは言っても、お昼の1時半過ぎに起き出したのだから、3時間くらいしかウダウダはしていません‼
ウダウダしながらでも、ちゃんと仕事は進めながらなのでネ?
珈琲館では、茄子とベーコンのアラビアータを食べて、なんとか今日の朝の薬(!)を飲みました‼(私が「食い物が・・」と言って騒いでいるのは、薬を飲むためで・・、食欲がある分けではありません。もう、そういうドルのような若い子の食欲は持ち合わせてはいないので・・)
牧野先生は、まだ月曜日からの風邪の熱が下がり切らないのですが、シンクロするようにプリの体調も悪くなって、首や口を触っても痛がっているので、このどしゃ降りの雨の中を、病院に連れて行く所だそうです‼
私は、8時頃には、ドルのお迎えで、車で花園にお迎えに行く予定です。
珈琲館に食べに出掛けようと、ハイツの玄関を出る時には、超大雨だったのですが、江古田駅の構内を抜けて、珈琲館に着いた頃(ほんの2、3分後)には、なんと、すっかりと雨は止んでしまっていました‼
一日の内に、雹が降ったり(どっかでは雪が積もったという話ですが・・)、晴れて真夏のようになったりと、病人や老人の弱った体にとっては、とても辛い一日のこの頃ですよネ?
「その後の話です。」
牧野先生が病院から帰って来て、プリは耳からバイ菌が入って腫れ上がって、それで口を触っても痛がっていたそうです。注射をして薬を貰って帰って来たそうです。先ずは一安心という所かな??
花園へのお迎えが終わって、椎名町に戻って来て、斉藤先生はプリドルの散歩に出かけたので、プリの帰りを待たないで、取り敢えず、私は江古田に戻って来ました。
この2,3日間の心残りの「飲みに行く」という願望が今夜も続いていたので、行くべきか、行かぬべきか、小1時間程悩んでいたのですが、「悩むのなら行けばいいじゃん!!」と、心の声が言っていたので、12時を過ぎてしまいましたが、意を決して飲みに出かけました。
何時もの、2合徳利の超熱燗を小1時間掛かってチビチと飲んで、帰って来ました。
悩んでいる時間の方が長かったかな??
人生なんて、そんなもんだよね??
悩んでいる間に、10年なんて、アッと言う間に過ぎてしまうのなのにネ?
この歳になると、そういう事が分って来るのだよネ?
「今日の鬱々コンサート」
昨年、・・16年10月11日の牧野先生からのmailで、音人の会の方から「Händelのsarabandeの曲のcelloのPiano伴奏のarrangeは教室にはないのか?」という相談を受けました。
弦のorchestra用のsarabandeの曲は2,3年前に書いた覚えがあるのですが、弦とピアノの伴奏の、市販の楽譜を探しても見つからなかったので、急遽、私が作曲する事にしました。
sarabande(la folia)のthemaが結構長いthemaなので、originalのVariationは3っのVariationが書かれているのですが、それだけでも、Cembaloの曲としては、充分な長さになります。しかし、celloやviolaの擬古典の曲としては、もっと大きな作曲上の展開が必要です。
という事で、10月の13日の夜には、叩き台となる簡単versionと難しversionの二つを作りあげました。
曲の構成は、前半と後半の2部構成になっていて、基本的には前半部は、galante様式による作曲です。繋ぎのpassageを演奏しなければ、前半部迄を独立した曲としてperiodで演奏する事が出来るようになっています。
それから、4日後の17日には、後半に擬古典の様式によるtechnicalなfigurationのpassageを散りばめた、long‐versionのviolaの曲を二つ、三つ作りあげました。
同時期に、celloのversionも一緒に作ったのですが、violaのversionとは、曲がまた、微妙に違います。
それはそうと、曲の演奏技術としては、そんなに難しくはないように作曲してあるはずなのですが、パソコンの音源で聴くと、やたらと難しいように聴こえてしまいます。
はてさて、困ったものです!
梨紗に初見で演奏して貰ったのですが、難しい箇所はないようです。私は、例の通り、Rheumatismusで、指が全く回らないので、aboutな演奏で伴奏を付けて見たのですが、パソコンの演奏では、figurationが非常に速くて演奏不能にも聴こえたのですが、実際に演奏して見ると、passageは思った程、速くはありませんでしたよ。
これなら、春の発表会でも演奏出来るかな?と思ったのですが、やはり時間的にprogramに入れる事が出来ず、お目見えは却下になってしまいました。
直ぐに演奏を聴ける場所が見当たらない、・・という事で、取り敢えず、パソコンの音源をuploadする事にしました。
しかし、この曲は、弦楽器特有のperiod奏法のimageをふんだんに使用しているので、パソコンの音源では、この弦特有の奏法を表現するのは不可能なのだよね??
次のchanceとしては、17年の秋の発表会ならば、丁度、1年後になるのだけど、秋の発表会と八千代のコンサートでこの曲を演奏出来ないかな??
viola‐versionでも、cello‐versionでも、どちらでも良いから、か誰弾いてくれないかな??
誰が弾いてくれるんだ⁉
「う~~ん??」
⇒八千代か秋では、梨紗が弾いてくれるそうです。Cembaloはpinch hitterとして、美紀先生が演奏してくれるそうです。善哉!善哉!
この曲は、後半に向かってtempo-upして盛り上げて行っているように感じますが、実は、パソコンからの音源なので、Metronomのtempoで、実に機械的に演奏されています。
最後に向けて盛り上がってtempo-upしているように思われるのは、それは作曲上の錯覚です。
こう言った同じ単調なtempoで、淡々と流れて行くと、まるで恰も旅をしているような気がして来ます。
「Odysseyの大航海」のように、Voyage(旅)をしているような気がして、まだ見ぬ世界へのSehnsucht(憧憬)を感じてしまうのは、私だけなのかな??
https://www.youtube.com/watch?v=CAvqAhVQ-hQ
4月15日 6:37 ·
(会場のアクセスと時間等を追記しました。)
来週の土曜日(4月の22日)は習志野市民会館での賛助出演です。主催者の人達とは斉藤先生が打ち合わせをしているのでしょうが、詳しい内容(場所や時間等の)は報告は受けていないので、習志野の市民会館のhomepageから、転送します。
時間は4月22日pm2時から(演奏時間は約15分程度)
住所:習志野市本大久保3丁目8番20号
アクセス
京成大久保駅下車徒歩1分
JR津田沼駅南口より「屋敷経由・幕張中学校」行き、または「幕張本郷駅」行きバスで「京成大久保南口」下車、徒歩1分
出入り口は後方2箇所、左右に1箇所づつです。
400席(固定は364席です。)
珠加ちゃん、千夏ちゃん、梨紗さんが参加します。
これも勉強の一貫として・・、なので、私は演奏のお手伝いには行きません。
講演会の前座なので、保護者の方たちも演奏を聴きに行く事は出来ますが、演奏が終わって帰る時には、講演会の邪魔にならないように、こっそりと帰ってください。フランス風でお願いします‼
演奏の様子は、動画でupしたいのですが、そう言った小道具類は教室は今回は持って行かないので、ホンの15分程度の演奏会なので、動画編集のために、会場の後ろ正面と、上手側と、下手側の3方向から、皆様で、分担して、videoを撮っていただければ有り難いです。
今回の演奏に間に合うように、椎名町の事務所に、編集用のsoftを購入して、install迄終わらせましたので、千夏ちゃんと梨紗さんに、そのsoftの使い方を伝授する予定なので、出来れば自分達の演奏で動画編集のお勉強をして欲しいので、その素材を撮影してください。
演奏風景です。
4月25日 1:49
4月16日 6:04 ·
(4月19日6:30~6:45迄 巷の音楽教室の泣き所以降に追記)
(4月20日18時以降に、更に全体的に推敲を加えました。)
「今日(4月16日)は発表会の反省会の後の初見大会の日です。」
「楽譜渡し」と「初見大会」という、子供達が楽しみにしている「member決め」の発表の日なのですが、音楽大学とは違って、毎年同じ年齢の同じlevelの生徒達が補充されて来る分けではないので、上級生達が受験年次に差し掛かると、次の世代まで、orchestraや室内楽のmemberが組めなくなってしまいます。
高校生になって、部活等で教室をお休みしていた生徒達も何人か、戻って来るという話のようですし、オケ出演者の頭数は、中級も上級も人数的には、変わらないのだけど、楽器の編成がね‥・組めるか、組めないかの話なのですよ・・???
その都度、選曲には大変苦労します。memberの都合で、curriculum通りには中々行かないのでネ。
今回も、受験年次の上級生達が抜けたので、楽器編成のmember的に秋の発表会や八千代のコンサートが出来るか否かの問題になってしまいました。
しかし、次回の発表会や対外出演のmemberは、全回の発表会の前には決まっていますが、オケ参加の申込みが出るのは、発表会後になってしまうので、曲決めが先に決まってしまうのですよ。練習の都合でどうしても、そうなってしまうのです。
次世代のmemberが、私の「鬱々コンサート」のrepertoryを演奏出来るようになるまでは、早くても3年、通常のペースならば4年間は待たなければなりません。
技術的には、今の小学生は中々のものがありますが、鬱々コンサートともなると、技術と言うよりも、心の表現がmainになるのでね。
巷の音楽教室の泣き所ですかね??
毎年、生徒が補充される音楽大学は、生徒を集める手間暇が要らないので、兎に角、オケの曲決めに関しては、何も考えないで良いので、楽な事は楽なのですが、一旦、練習ともなると、生徒が日本中から集まって来ていて、しかも、必死に練習を積んで来ているので、それぞれの生徒達に独自の悪い癖が付いていて、それを手直しして、纏めるのは、殆ど不可能に近い状態です。
悪い癖は、不思議な事に、ホンの一瞬で身に付いてしまうのですが、良い癖は、4年や6年間(4年、5年としないのは、大学は4年で、院を入れると6年と言う意味だからです。)では身に付かない・・と言うか、それよりも、悪い癖が中々取れないのですよ。
その悪い癖が取れない限り、良い癖が身に付く事はありませんのでね。
悪い癖が中々取れない理由は、集団指導の場では、生徒の人数が30人、40人といるように、その生徒の持っている癖も、30通り、40通りあるのですから、癖は個別指導が建前なので、集団の指導では、治しようがないのですよ。
それに、音楽大学の一番大きな欠点は、仮に、やっと4年経って癖が取れて、正しい演奏技術が身に付いて来たとしても、出来るようになったとしても、生徒達が卒業してしまい、オケの有力memberにならない事です。
しかも、殆どの生徒達が未完成のままに卒業してしまうのが現状ですからね。
その点、個人の音楽教室は、先生は皆、私の弟子なので、methodeが一つで、同じなので、指導は極めつけに楽です。
一人の生徒の学習期間も、10年を一単位として、教室に居るので、「技術的に出来る」ように育てる事が可能です。
しかし、教室で指導していた先生達、生徒達も、一旦教室を離れて一般の音楽界で活躍するようになると、日本流のmethodeになってしまって、教室の独特の(periodはヨーロッパではtraditionalなのですが、日本では、私達の教室独自のmethodeになってしまいます。困ったもんだ!!)教室で指導している奏法が演奏出来なくなってしまうのですよ。
(周りの演奏家達に迎合して、教室で学んだ奏法を、「しなくなる」のではなく、「出来なくなる」のですよ。マジに!!)
教室で育った生徒や弟子ですらそうなのですから、ましてや、教室のmethodeを習った事のない部外者になると、「弾ける」という事すら、ありません。
だから、外部から助っ人を呼ぶ事は不可能なので、困ってしまいます。
教室がこういったmember不足のために、既に決まっている演奏予定の曲が、「演奏出来ない」・・という非常事態にも関わらず、外部の人達(の助っ人)を入れないのは、教室の閉鎖性ではなく、例え、誰か呼んで来ても、演奏出来ない(助っ人にならない)からなのですよ。
アハッ!
教室も、教室開設の当初の昔々には、指導する先生が多く居て、生徒の人数もそれなりに多く居た時代もあったのですが、指導者が女性であるという特殊性と、少子化という社会現象で、教室の生徒数が減ってしまって、orchestraを運営していくためには、どうしても指導する側も、指導される側も、人数が足りなくなってしまって、オケのprogram(曲目)が、組めなってしまう、そういったmember不足の「端境期」が頻繁に来て、困ってしまいます。
教室に或る程度の人数が居た昔々の時代では、そういったmember不足の状態の時でも、降り番の人をmemberに補充すれば何とかなったのですが、今回のように、教室の絶対的な先生数と生徒数が少ない場合には、上級生のmemberがドサっと居なくなると、オケや室内楽のmemberを組むのが、チョッと致命的な事になります。
「何をそんな愚痴っぽい事を、ウダウダと言っているのか??」と言うと、「・・まあ、そんな事なので、今日の『オケのmember決め』が出来ません!!」……という弁解をしているのですょ。ハイ‼
・・という事で、今日の初見大会は、「曲と演奏するmemberが決まった人達」だけの初見大会です。
memberの関係で、未だ曲が決まっていない人も多数居るのですが、おっつけ、memberや時間、キャパシティの事も考えて善処します。
但し、この話は上級生の専科組の曲決めの話なので、初級組、中級組の人達には殆ど関係はありません。専科の生徒達だけのお話なのですがネ‥・??
「baroque-concertoサヤ堂ホールの動画の画質のお話」
それはそうと、昨年の11月の23日のサヤ堂ホールのbaroque-concertでのgreensleevesの演奏のお話しなのですが、私がYou Tubeにupした教室の映像が360p※1)でボケている上に、Cembaloの音が全く聴こえない・・という状態のままで、YouTubeにupされていたのですが、昨年は、動画の編集は、教室の発表会は業者の人に任せていたし、私自身のそういった作業の時間も、編集の技術的にも、未熟だったので、uploadされた映像を見るのは、甚だ不本意でした。
三人の演奏が…、ではなく、動画の映像の状態が…ですよ‼
今回の春の発表会からは、動画の編集も教室でやる(‥・という事は「私がやる」‥・という事にってなしまうのですが・・)という事になったので、編集のsoftを買ったり、4Kのvideocameraを買ったりして、video撮影の環境を少し整備して、softの活用の練習をしました。
サヤ堂ホールのコンサートでは、他の保護者の人達からもハイビジョン(Hi-Vision)画質の動画のdataを貰っていて、画質は、そちらの方がとても良かったのですが、曲が途中で切れていたり、反対に1部が全部繋がっていたり・・と、編集前の状態だったので、そのdataをupするのには、先ずは、色々とdataの編集をしてからになるので、時間がなくて、そのままになっていました。
鬱々コンサートの動画をFacebookに載せるために、再び動画のcheckしていたのですが、baroqueの動画の映像のボケ具合が余りにも酷すぎるので、Hi-Vision画質の動画の編集を、昨日の土曜日に一日掛かりで編集し直しました。
という事で、映像の方は、同じmp4でも、4k画質のmp4迄、引き上げる事が出来たので、大変綺麗な映像にはなったのですが、(但し、You Tubeでは、解像度はスマホ用の360Pと、720P迄です。4K画質で編集したとしても、4Kで見れる分けではありません。)
音声の方(Cembaloの音)は、色々とTechnikを駆使してみたのですが、いかんせん、どうしようもなく、とうとう挫折してしまいました。
私のGreensleevesなのですが、四苦八苦して、videoの画像を弄り巻くっていた理由なのですが、この動画の致命的な点は、Cembaloのpartが、速いfigurationのpassageを演奏して、ensembleとしては、一番、活躍しなければならないのに、肝心要のこのfigurationのCembaloの音が全く聴こえて来ないのですよ!!
Cembaloの音が聴こえて来ないという事は、曲のimageが半分もお客様には伝わらないので、もう2,3日掛けて、そこの所を何とか改善しようと思っている所です。
それはそうと、今日(16日の日曜日の早朝)は寝逸れてしまったぞ!!
困ったぞ!!
今日の初見大会は夜まで体力が持たないぞ!!
どうすんべ~ぇ??
・・と思ったけれど、何とか気力で、兎に角、6時迄に、大急ぎで、発表会のprogramの初見大会をして、6時からは、習志野の対外出演の練習を急いでして、何とか9時前には、練習を納めました。
という事で、10時には、椎名町でドルプリっ歩には行けたのよネ!!
それから大チョンボがあって、精神的に疲れ果ててしまったので、それから、大急ぎで、バイクを飛ばして、自宅に戻って、さあ、眠ろうと思って、取り敢えず寝たのだが、何と、1時半には目が覚めてしまって、仮眠にもなりません。
またまた、ベッドで、「眠れない」の、七転八倒を繰り返しています。
ベッドで眠れなければ、エクゼチェアで寝れば良いのだがネ‥・!!
腰は痛くなってしまうけれど‥・、眠れないよりは、ましだからね??
「今日の鬱々コンサート」
Greensleeves to a ground in C Dorisch
(ドリア調の低旋律による「緑の袖の君」)
「楽器のbalanceの問題」
大変喜ばしい事に、baroqueの音楽の演奏には、古楽器であるがCembalo使用される事も多くなって来ました。
ただ、Cembaloを使用するとしても、弦楽器はそのままのmodern楽器のviolinやcelloを使用しているcaseが多く、violinやcelloと、Cembaloとのbalanceの問題が生じています。
「modern‐Cembaloについて」
Cembaloと弦楽器のbalanceのお話ですが、19世紀に入ってCembaloが人々から忘れ去られてしまった、と言うのはCembaloの音量の不足が原因である・・と見做されて、Cembaloの音量不足を補うために、私の若い時には、modern-CembaloというCembaloの撥弦機構に改造を加えたCembaloが主流となって、何処の音楽大学でも、演奏会場でもmodern‐Cembaloが置いてあった時代があります。(音楽大学では、今でもmodern‐Cembaloを所有している所が多いようです。)
しかし、modern‐Cembaloは、音量のめんでは現代のviolinにも対抗出来るようにはなったのですが、その半面、Cembaloの特有の美しい音色を失う事になってしまいました。
forte-pianoから、現代のPianoへ、baroque‐violinから、現代のviolinへ、等々、全ての楽器は、baroqueや古典派の時代に当然聴かれていた美しい音への拘りを失ってしまったのです。
また、それは弦楽器本体のお話だけではありません。当然、その弦楽器を演奏するための弓も同様に改造がなされて来ました。
baroque時代や古典派の時代の弦楽器に関しては、violinは当然、古楽器であるbaroque楽器であり、弓も古いbaroqueの弓(baroque-bow)でした。
現代violinに比べて音は柔らかく、とても美しかったのですが、半面、音量は弱く、その当時の音楽が貴族や教会の限られた人々のものであった時代では、ホールも小さい少人数を対象にしていたので、何の問題もありませんでしたが、時代を下って、音楽が限られた特権階級の人達から、大衆のものになるに連れて、大きなホールで、沢山の聴衆を前に演奏しなければならないようになって来ました。
そのために、大きなホールでもちゃんと響き渡るような強い弓、強い音量の楽器が求められるようになって来ました。
そこで私達の教室でもよくお世話になっているstudent‐concertoの作曲家であり、自身、高名なviolinistでもあったG. B. Viotti先生が、当時、有名な弓の製作者であったTourteを訪ねて、新しい弓の開発を依頼しました。
1786年ぐらいから10年に渡って、Tourteさんは、 Viotti先生のadviceの元に、研究を重ね、現代に使用されている弓を開発、発明しました。
それによって、violin等の弦楽器は強い音量を持つようになったのです。
勿論、violin本体の方も、竿を長くして弦の張力を強くしたり、その張力に耐え得るようにviolinの内部に力木を入れたりして、強い音量が出せるように色々な改造が加えられました。
つまり、Cembaloが人々から忘れ去られた時期は、Tourteの弓を発明した時期とも重なるのですよ!!
baroque-violinや、baroque-cello、或いは、古楽器あるでviola da gamba※2)等の楽器で演奏する場合には、当時の(Historische=歴史的な)復刻のCembaloとは、音量的に、充分にbalanceが取れているのですが、今回のGreensleevesの演奏のように、violinとcelloがmodern楽器の場合には、やはり、Cembaloはマイクを通さないと音量的に無理なようです。
教室としては、一応は、サヤ堂の会場には、マイクとスピーカーは準備して持って行っていたのですが、会場で、Cembaloの音を試して見ると、響きがとても良いので、「そのままでも行けるかな?」と、ついつい、思ってしまいました。
PA※3)を通すと、生音に比べると、どうしても音の質感が低下してしまうので、生音に拘わってしまうのは、音楽家の悪い癖です。
客席で聴いていても、balance的には、そんなには問題は無い様に思えたのですが、実際にvideoで撮影してみると、videoの音声では、Cembaloの音は拾えて無かったのですよね~?? shock!!
こういう特殊なホールでは、兎に角、一度、演奏してみないと、響き具合が掴めません。
音響に配慮して建物が作られているコンサートホールとは、根本的に音の響き具合が全く違うのでネ?
※1)pはprogressive(=プログレッシブ)の略です。
これらの数字は、映像のサイズ(解像度)をあらわしています。You Tubeでは、uploadされた元fileの解像度によって自動的に付きます。
360p・・・ノーマル画質
720p・・・HD画質(元ファイルがHD以上の解像度 1280x720 1920x1080など)
基本的にこの数字が大きければ大きいほどきれいな映像、つまり大画面にしても粗く見えない映像になります。(Wikipediaより抜粋)
※2)baroqueのorchestraのbasso continuoの低音のpartは、viola da gambaで演奏するのが普通です。音量的にはcelloは少し強すぎるのです。baroque-celloは、modernのcelloと比べると、4分の3か2分の1のサイズなのですが、それでも、音量的には、強すぎます。教室でもgambaを1台、準備しているのですが、celloの5度調弦とは違って、Kontrabassのように、4度調弦なので、演奏出来る生徒を育てるのは、難しいのですよ。
※3)Public Address(パブリック・アドレス)とは、一般に英語で放送設備を指します。略して PA(ピーエー)とも呼ばれ、電気的な音響拡声装置の総称になります。
会場では、Cembaloの音は聴こえていたのですが、videoに撮ると全く聴こえて来ません。微かにこれがCembaloの音かな??という具合ですかね。
という事で、私が編集の勉強のために少し手直ししたものを、後にuploadしておきます。こういった音声の編集はPAの人達に取っても難しいので、私達素人が手に負えるものではないのですが、何事も勉強と言う事でchallengeしました。
下の動画はoriginalのvideoです。手を加えた動画のdataは、別のcameraの撮影です。720のHDの映像です。P
https://www.youtube.com/watch?v=eD0l3fGiKLA
GreensleevesのCembaloのpartと、弦のbalanceの修整のために、大元のfinaleのCembaloのpartを音源を聴いたのですが、finaleにbugが入って来ていて、和音が別の和音の音が出たり(譜面上では合っているのに・・)melodieの音が出なかったり、と色々とtroubleが発生していました。取り敢えず、和音を打ち直して見たりしたのですが、やはり、治りません。
また、音部記号を変えたのに、自動的にoctave上の音に書き換えられたりするという不具合すら発生しました。
こう言った場合の対処法は、私の経験上は、templateを新しく作って、そのtemplateに、bugの起こっている楽譜からコピペをすると、改善される事があります。
このお話はfinaleのbugの対処の仕方のお話なので、こう言った話は、私のhomepageの「finale教室」に、manualとして書いておけば良いのですが、homepageも、Page全体が重くなってくると、たった1つの単語を入力しても、なかなか動いてはくれません。back・upをしないように!!とか、色々と変更して早く動くようにはしているのですが、重くなると、何をやっても動きにくくなります。
homepageも、そういう時には、WordやFacebookに先に文章を入力して、その後homepagebuilderを開いて、コピペすると、必要最低の時間で済みます。
4月18日 2:48
「う~‥・!」「う~‥・!!」「眠れん!!」・・とは言っても、毎夜、この時間は、同じ事を言っているようだな??ちゃんと眠れても、この時間には起きて、パソコンを弄っているようだ。それに・・、5時には体重測定‥・、これもroutineだよな??
「・・al fine」
ベッドに横になると、鼻が詰まって来るので、うつ伏せで寝ようとするのだが、それでも眠れない時には、諦めて、パソコンの前の椅子に座って、「wineを・・」って、お洒落に曰わって見たいのだが、ここの所は、体がアルコールを受け付けないので、お茶だよな??
それでも、茶筅でも出して、抹茶茶碗で、お茶を点てるなら、まだしも、粉茶を木のスプーンで入れて、お湯をぶっ掛けるだけなら、味も素っ気もないのだよな??
「あれ?トトロではないの?」って??トトロはマグなのだけど、少し私には小ぶりなので、今、取り敢えず、手持ちで一番大きなマグにしています。
もっと巨大なマグが2つ、3つあるのだけど、それは流石に、片手では持てないので・・・
やっ??
眠れない!!と、言っている間に、もう、5時を過ぎたぞ!!体重測定の時間だ!!
「あれれ、のレ??」 椎名町から持って帰って来たお弁当をバイクに入れっぱなしだ!!
こりゃ、大変だ!駐車場まで取りに行かなくっちゃ!!
・・・と思ったて、衣装を着て、玄関迄来たら、何と玄関の棚の上に置き忘れていた。
持って帰る所までは、ちゃんとやっていたのだよね??
今日は大雨で、バイクにガソリンを入れて、椎名町の事務所に辿り着いた時には、レインコートの中に着ているジャケットのポッケに入っている伝票類がビショビショで、お金も濡れていた。
勿論、靴の中の靴下もズボンの裾もです。
でも、そのまま濡れたままで、ドルプリっ歩に出かけたのだけど、人間もワンちゃんもテンションが上がらないので、4分の1コースに縮小して帰って来てしまった。
勿論、ハイツの自宅に帰る時も大雨は続いていたので、大急ぎで着替えて、寝た事は寝たのだが、・・・で、da capo al fine になるのですよ。ハイ!
4月18日 5:51
tempoの揺れは、最初の弾き始めの3、4小節の曲のtempoを探しているのが根本的な原因です‼
情緒的感情的に揺れているtempoに、finaleの機械的なtempoを付けるのは、難しい…というよりは、不可能です‼
挫折と言うよりも、不可能です‼
手直しの可能性としては、情緒的に感情的に揺れている箇所を、先にアフレコで録音して、それからパソコンの音源の必要な箇所だけをパソコンの音源で挿入すると、上手く行くかも知れません‼
ただ、アフレコとパソコンの音源と生録とのacousticの状態を統一するのが、また非常に難しい‼
4月21日 6:48
今日は4月21日です。
昨夜から2日掛かりで、GreensleevesのCembalopartを補正しました。
丸々、1日掛かりで、作業したのだけど、いや~ぁ、大変だった!!
もう、二度とやらないぞ!!
既にupされている動画は、この動画とは同じ動画ではないし、元々の音も、Cembaloのpartはcomputerで弄り捲っているし、と言う事で、元の動画は削除はしませんが、以前upしていたパソコンの音源で作った動画2本は、削除しました。
https://www.youtube.com/watch?v=_FpnhDQWZQk
4月22日 13:42
まだ、動画の編集で、どうしても納得が行かない所が、数ヵ所あるので、もう少し手直しするかもネ?
⇒という事で、22日の早朝に、その数カ所を手直ししました。
しかし、どうしても修整が出来ない所が何箇所か残ってしまいました。
勿論、頑張って時間を掛ければ、修整は出来るのですが、しかし、私は音楽家であって、映像作家ではないのですよ。
後、2,3時間掛ければ、もう少しは良くなるのだけど、その事が分かっただけで良しとします。
・・もう、知るか??
疲れた!!
編集の作業は、此処までにします。
finito!!です。(英語ではないよ!イタリア語ですよ!=英語のinfinitでは、全く別の意味なのだよね。)
4月22日 13:49
4月18日 5:42 ·
大雨の中を歩いたので、洗濯されてしまったど~ル‼
プリ!プリ‼
エッツ?これ顔だったの??お尻を撮ったと思ったのだけど??後ろ姿なら映像軒侵害はないからね??茶色は尻尾ですよ!! エヘ!! ちなみに、起こるんじゃあ??ではなくって怒るんじゃあ・・では??映像軒は意図です。ハイ!
4月19日 6:25
肖像権はお尻も含みます。念のため
4月18日 23:35
そっ、それは、失礼しました。
お尻に被せて起きました。
4月19日 6:25
法的には肖像権なんて認められていないんですけど、「うやむや」に人格権の一部として配布の差し止めとか、損害賠償とかが認められるんですよね。
だからかわいい子がいても、面倒くさくなるので、止めちゃうんです。
このモップに肖像権が認められるかは、一度訴訟を起こしてみてはどうでしょうか。競走馬で認められなかったケースがあるけど。馬は人間だとは主張しないだろうけど、モップは、人間だと思っているのでしょう?その辺が焦点になって、おもしろそう。
4月19日 6:55
政治家や芸能人は、顔を覚えて貰ってなんぼの世界なので、肖像権は結構めんどくさいのですよ。
双子のカワイコちゃんが肖像権を放棄して、netに写真をupして、無事に有名になった・・という話をつい先日テレビで見ました。
諫早のばあちゃんは、政治屋さんなので、「批判されて、クソミソに言われても、それで、名前を覚えて貰う方が勝ちだ!!」と言っていました。確かに政治家を見ていると、そうですよね。
モップは、毎日、朝な夕なに、アイドル活動をセッセとやっていて、椎名町では、超名士ですぞ!
凄い沢山のフアンを持っています。
特に中高年のオジサンに人気です。
当然、芸能犬なので、肖像権は放棄しています。
4月19日 7:47
肖像権放棄ですか、、、なんて、放棄って入れたら箒ってでてきた。PCの辞書、思った以上に賢い。
我が家のぶ太(これはさすがに、意識的に変換したもの)はちゃんとモデル料を請求してきます。まつざかうし~って騒いでいますよ。モデル料も肖像権の一面なのでね。
4月19日 8:32
口に加えているのは、骨です。この骨が2日3日持たないのですよ!!
松阪牛なら、一週間ぐらいで、骨ごと食べてしまいますぞ!!
4月19日 22:09
以前、これくらいの骨をレストランのオーナーからチビに頂きました。
20分持たなかった。
死んだら、チビ太は月でも、太陽でも食べちゃいそうです。
· 4月19日 23:50
それは凄い!!
それじゃあ、ドッグフードでは物足りないよな!!
チビ太は猟犬なのだから、猪やキョンを自前でハンティングしたら??
4月19日 23:52
自分と同じくらいか、大きいものは見えていても見えないふりをするのがチビ太の特技です。
近くの黒という白い雑犬、生まれて5か月ぐらいのときに、キョンを見つけて猛ダッシュ、お尻にかみついたそうです。丸い目の可愛い男の子なんですけど。
私としては羨ましくって、
チビ太には、「お前は猟犬なんだから」って常々言い聞かせているんですけど、植物男子、草が大好き。動物性のものは、道路でするめになっている蛙。生きているのは、怖いから、見えても見えない! です。
4月19日 23:57
長い紐には巻かれろ!ですか??
4月19日 23:58
気が弱いんですかね~?
そのくせ、相手が犬だと、秋田犬や、ボルゾイだって、平気で近寄って行くんです。
相手の親がびっくりして紐を絞るんですけど。
見慣れないものは、見えないことにしてしまうみたいですね~
4月20日 0:01
4月18日 16:38 ·
自宅の食堂兼パソコンルームの窓から見た公園
(4月19日 私は寒暖の差は・・以降を少し補筆しました。)
「今日の天気」
今日(16年4月18日)は「台風一過」ではないけれど、春の嵐が一吹きして、全国に大被害を出して、東京でも、午前中は大雨だったのだけど、午後からは一転して、「晴れ」・・って、テレビでは言っているのだけど、確かに湿度は部屋で図ると30%で凌ぎやすいはずなのだけど、空は曇っていて、温度は25度もあるのに、妙に寒々しい。
体中がイリイリとするので、5階というメリットを活かして、部屋中の窓という窓を全開にして、部屋中の空気を入れ換えているのだが、何かしら空気が重たい。
布団や畳が湿っぽくなりそうな感じだよ。
私は、寒暖の差は結構平気で、Münchenに住んでいた頃は、-28℃という寒さも経験をした。「今日はチョッと暖かいな~?」と駅のでっかい温度計を見ると、-7℃を指していたよな??
暑い方は‥・??
暑い方は、長崎産まれで、40℃超えでも、結構平気なのだよ。流石に、40℃を越えて、体温よりも、気温が高くなると、Vivaldiの「夏」の状態で、畳の上に寝転がってアヘアヘと喘いで居るのだがね。
私は温度差よりも、湿度に影響を受けやすいtypeなので、湿度が高いと鬱になって、体調も不良になってしまうのですよ。梅雨の時期のように、湿度90%近くが、長く続く時には、体中から吹き出物が出たりする。この吹き出物の1個1個が超デカくて、しかも痒いのだよネ!!、
だから、「吹き出物」対策として、梅雨の時期には、部屋を締め切って、除湿機を一日中点っ放しにしている。
クーラーは部屋を冷やしてしまうので、除湿には使わない。
コンビニ・クーラーという安い移動式のcompactな除湿機では、部屋の温度を下げないで除湿をするので、体を冷やさないで良いので、非常に助かっている。
だから、今日の気象のdataを見ると、湿度30%、温度25℃と、私には、理想的なdataになっていて、最高にご機嫌な日のはずなのに、空気がどんよりとして重たいのだよな??
まるで梅雨のような感じだ。
でも、よくよく、考えて見ると、湿度が70%ぐらいあっても、軽く感じる時もあったりするので、空気の重さは湿度とは関係ないのかな??
湿度が高くても空が高い時はあるのかな??
そもそも、空気の重さって、なんだろう??
私は湿度の事か?と思っていたのだけどね。
そらジロー君は、そう言った事は答えてくれるのかな??
今日は、湿度や温度を見ると、快晴の日のはずなのに、空を見上げると、どんよりとして、まるで恰も梅雨を連想させるような天気だ!!
花散らしの雨から、いきなり梅雨になったようだよな??
4月18日 19:52 ·
(17年4月の18日に「追記の書き込み」に関しての追記をしました。)
「追記の日にちの書き込みに際して」
私のFacebookのコメントが、後々に書き込みが増えて行って、いつの間にか膨大に膨れ上がっているので、斉藤先生から、「新しい書き込みをした時には、その日時を書き込むように!」と言われたので、今日「17年の4月18日」分から、コメントに、書き込み日時(「時」迄は書きませんが)を明記するようにしました。
4月19日 23:56 ·
..
江古田駅の真ん前に、スーパーが出来ていました。チョッと便利かも!!
出来立てのホヤホヤなので、美味しそうな新鮮なナマコと生ダコの刺し身を売っていたので、ナマコは買って来ました。
豆乳やオレンジジュースも、東急ストアで売っていたものと同じのを売っていたので買いました。中々便利です。無かったのは、蒸しパンだけだったかな??パンの売り場のテーブルには商品が殆ど残っていなかったので‥・!
4月20日 5:06
缶ビールも昨夜殆ど飲んでしまったので、買って来ようと思ったのだけど、重いから止めました。
wineも無いし、ビールも無いし、何のおつまみにするのかな??
4月20日 0:16
駅前なら遅くまでやってそうでいいですね‼︎
なまこ、美味しそう〜
4月20日 7:26
普通の真空パックのナマコとこの活きナマコがありました。
4月20日 7:29
朝の9時から夜は11時迄だそうです。チョッと早すぎるなあ
4月20日 7:51
駅前なら終電の時間までやってて欲しいですね。
4月20日 8:12
椎名町のサミットは1時迄なのだけどね??
4月20日 9:20
セイユーがつぶれて江古田には全くスーパーが無かったので、良かったですね。
しかし、セイユーと違って24時間営業ではないですよね。そこだけやっぱり不便かな?
4月20日 10:08
せめて、椎名町のサミット同様に、1時までにしてくれれば、とても利便性が良いのだけどね??
4月20日 16:43
カバー写真を変更しました。
4月20日 7:12 ·
そう言われても・・・・誰?これ?
4月20日 10:17
ドイツ留学から帰国したばかりの27歳(s47年1972年)の頃のPortraitです。
従兄弟のhotelのbarのカウンターで・・!
高校生の時から、35歳くらい迄は、体重は全く変わっていません。
当時の体重は55㌔でした。
身長が170あったので、かなり痩せ過ぎですよね。
この頃は、「若い」という事が仕事上ではnecになっていて、私の主張が仕事の相手には、中々認めて貰えませんでした。
「まあ、若いからね~ッ!!」という感じで、かわされてしまって‥・。
だから、35歳を過ぎてから少し太り始めた頃は、貫禄が付いて来た!・・と喜んだものです。
20代の時の主義主張と、全く同じ事を今でも言っているのですが、50を過ぎた頃からは、やっと、色々な人達に私の話を聴いて貰えるようにはなったのかな??
でも、その頃は、もう太り過ぎていたりして‥・!!
5月10日 17:16
大学時代や留学時代の写真がカラーなのに、どうしてこの写真が白黒なのか?よう分からん??
写真を見ているとモノクロと言う事で、大学時代とは、時代が逆さまに感じるのだよな??
別人である事は確かなのだがね??
4月20日 10:44
4月21日 7:49 ·
「VivaldiのOp.3Nr.3のG Dur Ⅰ楽章」の1stのpartをsoloとtuttiの譜面に分かれた譜面を作成しました。
Greensleevesは出来ないので、代わりの仕事です。未完成のままだと、気色悪いので・・。何か1つは完成させないとネ。
冒頭に、「眠れぬままに…」と、入れておいてください
4月22日 7:26 ·
桜が咲いて、葉桜になって、確実にツツジの季節になったのだよな⁉
緑は深く空はどんよりと、曇っている❗
正に梅雨の到来なのだが、不思議な事に、窓辺に置いてある温度計は、23℃の33%と、凌ぎやすい気候を標示している❗
私には、既に「梅雨の季節」のように思えてしまって、心だけではなく、身もすっかりとへばっているのにだが!
何時も、話しているように、私は湿度には極端に弱い!!
しかし、不思議な事に、dataを見ると、湿度は無いはずで、凌ぎやすいはずなのだが、このどんより感は、いったい、何故なのだろう??
まるで、もう梅雨の季節に入ってしまったように思えるのだが‥・。
この所、毎日の疑問だ。
セブンに朝の食事の買い出しに行くついでに、公園の道路沿いのツツジのツボミを撮って見た。
発泡スチロール製の箱に入れられて道路の間仕切りに使われている可哀想なツツジ達なのだが、それなりに頑張って咲いている。
深夜にセブンに食料品の買い物に出掛けたついでに、スマホで撮影。
スマホでもこれぐらい撮れるんだ!!
4月26日 4:47
4月22日 17:48 ·
毎度お馴染みの話なのだが、意を決して、何か食いに出掛けるために、玄関を出ようとしたら、雨になってしまった。
傘を取りに部屋に戻ったら、かったるくなって、食いに行く気力が無くなってしまった。
「腹が減ったから、食いに行こうとした」のだが、気力の衰えが「腹が減った」‥・という、欲求を上回った‥・という事なのだよな??
この話には、当然の事ながら、幾つかの前提がある。
その1つは、「腹が減った!」のは、結構早い時間からだったのだが、「演奏から帰って一緒に食べよう」という話だったので、「食べないで待っていた」のだが、「疲れたので外に食べに行くのが無理」と言う事で、「待つ必要は無かった」・・という事の話と、全く別の話である、
「何故、何時も冷蔵庫に食い物がないのか??」という事が混在している。
「冷蔵庫に何もない」事は或る程度は、作為的であり、「買い置きをすると、今の季節では、例え冷蔵庫の中であったとしても、食料品がカビてしまったり、腐ってしまうから」という理由があるからなのですよ。
つまり、「冷蔵庫には何も入っていない!」ではなく、「冷蔵庫には、何も入れていない」のが正解なのですよ。
次のthemaは、放っておけば腹が減って、限界に達して、食いに行く・・という必然と思える事は、実は、そうではなくって、・・・若者や、ドルちゃんは、放っておけば、その内腹が減って、何かを食うために、画策するのだろうが、老人になると、その欲望は頗る希薄になってしまう・・というもう一つの方向があるのだよな??
気がついたら、「1日、一食だった!」とか、「2日、3日は何も食べていなかったとか」を、気がつかないままに、「何故か腹が減っているな~ぁ??」で済んでしまうので、それはそれで、怖いものがある。
老人性の特徴かも知れない。
無理をしてでも、食いに出かけた方が良いのだろうが、兎に角、それよりも、かったるい方が先に立ってしまう。
そのメカニズムは、腹が減れば、減る程、血糖値が下がるので、更に、眠くなって、眠くなる事で更にかったるくなって、食う事に対する欲求が減ってしまうのだよな。
介護師等は、よく見ているありふれた状況なのかも知れないが、一般的には医者ですら知る事のない糖尿病質の老人特有の問題なのかも知れない。
4月23日 1:02 ·
(4月の23日の初回のオケ練習の日、習志野の対外出演の次の日ですが、少し補足しました。)
「対外出演に関してのこもごも」
昔々、生徒や親から、「教室の先生になりたい。」という希望が時々あって、(今では教室の先生になりたい、というなんて、考えられない事なのですが、当時はいたのですよ‼・・)音楽大学の受験生としてではなく、教室の先生として、生徒を育てる時には、特別のcurriculumとして、先生達の演奏活動に生徒を参加させる・・と言う事をしていました。
但し、先生と一緒に演奏活動をさせる生徒は、教室の優秀な生徒という意味ではなく、あくまでも、「教室に先生として残りたい」という本人や親からの申し込みがある生徒だけを、先生達の演奏活動に一緒に参加させていました。
「先生達と対外出演をしなかった優秀な生徒達」
どんなに技術的に優秀な生徒でも、音楽大学の受験生や留学の希望者には、普通の音楽教育が必用なので、先生の演奏活動に参加させる・・という事は、つまり芦塚メトードを学ぶ事になるので、一般的な音楽教育とは異にしてしてしまうので、演奏活動を共にする事はしませんでした。
その理由は、音楽大学の受験や、留学は、勉強の内容は、出版されている受験生としての勉強をすれば良いのですし、また、concoursに出る生徒であっても、一般的な基本的な音楽の勉強の中から、重箱の隅を突くような、maniacな勉強をすれば良いので、芦塚メトードとは関係のない一般的な音楽の勉強をすれば良かったからです。
こういった事は、芦塚メトードを出し惜しみした分けではなく、芦塚メトードは、日本では特別なメトードになってしまうからです。
それに対して、先生達の演奏活動は、教室で指導している独自の芦塚methode…、(と言うか、ヨーロッパでは教室のmethodeの方がtraditionalなのですが、)日本の音楽とは違って、主義主張が全く違うからです。
そういった、教室の方針や、主張のお話のような大上段のお話ではなく、単に、発表会等の教室内部の演奏と、外の演奏活動は、演奏する人にとってのpressureの種類が全く違うのです。
音楽教室の中での音楽の勉強や、音大受験としての勉強とは、その厳しさやstress等は、一人一人の演奏をする本人に向かっているので、本人が自分でちゃんと演奏出来れば、stressを感じる事はありません。本人の勉強不足が、自身にstressとして返って来るだけなのですからネ?
しかし、職業として、演奏活動をする場合には、stressは、本人がちゃんと練習が出来ているか否か・・ではなく、どういう演奏が出来ているのか??というaudienceの側からの、直接のpressureになります。
職業としての勉強、或いは、音楽の職人としての勉強は、学習とは、その種類が全く違うのです。
そういった外の演奏活動の中で、経験の浅い生徒が挫折しないように、しかも、音楽の技術や水準を保って、先生達の演奏活動に参加させるのは、大変難しく、先生の負担も、1人づつ育てる事が精一杯だったのですよ。
「先生達と組む演奏活動と、子供達参加の演奏活動の違い」
八千代や、花待ちのconcertでは、小学生達が多く参加しましたが、そのpressureは、教室の主催者として私が一手に引き受けているので、子供達や、上級生だとしても、演奏をする上でのpressureは、然程はありません・・と思いますよ。
という事で、今回の習志野のconcertは、教室の中では「ベテラン」と言う立場の生徒達ですが、対外出演と言う事では、「初めて組」になる上級生達が、私のback・up無し(!)に、対外出演をするという企画をしました。
これは、上級生達に取っては、当然初めての経験だと思いますが、教室としても、通常はやる事のない、例外的な得難い経験になります。
今回参加する生徒達は、八千代や、春待ち等々の対外出演に色々と参加したと思いますが、実際は、思いも寄らないpressureに驚いたと思います。
それはそうと、当然、演奏が終わって、生徒達の感想が送られて来ると思ったのですが、斉藤先生の「感想と評価の一文」しか届いていません。
そう言った、感想も含めて、かなり的確で辛辣な一文の報告なので、是非、出演者の人達にも読んで貰って、意識を再確認して欲しいのですが、個人の批評(これからの課題)にもなっているので、一般公開は躊躇しています。
(そこをベタ塗りで、省くと、骨抜きのタコ状態になるのでね~ぇ??)
4月23日 8:13 ·
..
(17年4月28日に摂眠障害の所に少し追記しました。)
「また、何時もの鬱々の愚痴か??」と思われるといけないので、コメントは差し控えますが、毎週、土曜日の夜は、全く眠れなくって、次の日曜日のオケ練習は、徹夜になってしまいます。徹夜になると、夜のlessonと帰りの運転がキツいのよね~ぇ!!
なんで眠れないのか??と考えても、子供達のオケの指導に関しては、pressureがある分けはないので、pressureがあるとすれば、「*時に起きなければならない」という時間に対してのpressureだと思います。
「その時間に起きなければならない」という制約が無かったら、多分、普通の曜日のように時間に関係なく任意の時間には眠れると思うのですがね。
でも、よくよく考えて見ると、「眠れない」という摂眠障害は、高校生、音大生の頃からのようです。その当時の日記を読み返して見ると、そこかしこに、「眠れない」の文字が見当たります。次の日には、学校があるので、夜の11時頃から、1時、2時頃迄には就寝していたのですが、眠れないままに、妄想をしながら、それこそ、朝の11時頃まで、半徹をしていました。(大学は、当時は午前中は組んでいなかったので・・ネ?)
妄想をしながら、と言うのは、妄想する事で、眠れなくって、布団の中で、バタ狂うのを防いでいたのです。
時々は、それがShéhérazade並の、2日、3日も続く連作のドラマになる事もありました。
勿論、小説のMotivとして、しっかりと書き留めていましたがネ。
オケ練習の指導では、第一回目のlessonでは、前回の発表会で演奏した時の注意事項、留意点を、先ず最初に確認して、その部分を、lectureをする事から始まりますので、八千代で演奏予定の「Vivaldi a moll Op.3Nr.6」の曲に関しても、以前、Facebookで、この曲に対しての詳しい説明を何処かにしたはずなので、今日、この曲の課題となるconceptを、「以前のFacebookのコメントに追記しようかな??」と思ったのですが、Facebookのコメントの何処を探しても、Vivaldi のa mollに対しての、コメントのPageが見当たりません。
「おかしいな~??」
「あれは夢だったのだろうか??」
「母さん、あのPageは何処に行ったのでしょうか??」
Facebookとは別に、homepageの方には、八千代の演奏会のprogramの解説のPageに、AnalyseのPageを掲載しているのですが、チョッと内容的には、専門的過ぎるので、Facebookの方が、より雑談的だと思ったので、以前、掲載していた雑談っぽいPageに、「少し、四方山話を交えながら、追記しようかな??」と思ったのですがね??
・・見つかりません。
不思議だ!!
「Vivaldi a moll Op.3Nr.6についての追記の雑談」
Vivaldi の Op.3Nr.6のa mollという曲は、今では、教室でも、普通に必須の教材として、子供達が演奏していますが、この曲を教室の教材として取り込む迄には、かなりの紆余曲折がありました。
私が大学で学生達に音楽を指導をするのを止めて、音楽教室を開設して、子供達を指導するように、求められた時に、芦塚メトードとしての新しいcurriculumとして、通常のlessonの他に、「orchestraや室内楽の指導」を取り込もうと思いました。
日本の西洋の音楽教育に関して、それもviolinの教育に関しては、二次大戦後に、鈴木先生の指導によって初めて広まったように思われています。
violinという楽器が広く一般に広まった功績は鈴木先生にある事は全くその通りだと思いますが、「初めて・・」というのは、実は違います。
明治や、大正、昭和の初期の文豪達の本にも、巷の家々からviolinを練習する音が聴こえて来た・・という描写をよく読む事が出来ます。また、当時は、著作権も今ほどはうるさくなかったので、昭和初期に出版されたHohmannの5巻全巻や、violin教則本のFaure 等の近現代の作曲家の楽譜も多数出版されていて、私の個人所有になっています。Beethovenのviolin-sonateの全集等も持っています。
しかし、そう言った音楽は、二次大戦が近づいて来ると、排他運動で、全く影を潜めてしまい、ます。根無し草になって、
それは、当時の音楽教育が、あくまでも、一人で演奏するsolo楽器として日本に導入されて来たからなのです。
雪に閉じ込められる冬場に、家族で室内で音楽を楽しみ暖かい春を待ったというtraditionalな強さが西洋のensembleの強みとして、民族に残っています。
soloだけを導入した日本の音楽は、物珍しさとお金持ちのstatusとしての根無し草となって、二次大戦が近づく事によって敵性音楽として、廃れてしまいました。
ensembleの指導、それこそが日本に正しい音楽のimageをもたらす方法に違いない。
それは、私が子供達を指導しようという事になった、その当時には、未だ、日本の音楽教育界では、ensembleという概念が全く無かったからです。
その当時、音楽の学校で、Pianoの指導をする時に、curriculumの中に、連弾のoriginalの曲を入れようと思ったのですが、未だ全音や音友では、子供の育教材として、originalの教材はなく、日本人の書いたarrange物の楽譜しかありませんでした。
Pianoですら、そう言った状況なので、violinはもっと惨憺たる有様で、celloに至っては、未だcurriculumというか教則本すら出版されてなかったのです。
何時も、よくお話をしていますが、methodeが、methodeたる所以は、私が優秀な生徒を育てるのではなく、優秀な者を指導育てなければ、芦塚メトードとしての音楽教室としての、意味はありません。
私が教えた弟子達が、優秀な生徒を育てる事が出来て、初めてmethodeであり、curriculumである‥・という事が、文部省側の絶対条件でした。
という事で、音楽教室の開設にあたって、私のmethodeを学んで来れる人を探すのは、とても難しかったのですが、昔、私が受験生として指導した事のある、私の弟子に音楽教室を作るのを手伝って貰う事にしました。
早速、芦塚メトードと言う事で、orchestraや室内楽のcurriculumを取り入れようと、orchestraでは、Vivaldiのcurriculumを導入する事にしようと思っていました。
しかし、音大生は、自分が学んで来た事に、prideがあるので、海千山千の私のviolinのmethode等を学んで来れる先生は、皆無でした。
ある時に、偶然、道で私の昔の弟子とパッタリあって、その話をしたら、「協力しても良い」という返事を貰いました。
violinistに取って一番の基本、基礎となる弓の持ち方や、楽器の構え方、methodeに対しては、なんの問題もなく、受け入れてくれたのですが、この「Vivaldi a moll Op.3Nr.6」に関して、大変嫌な思い出しかなく、「その曲だけは、絶対に嫌!」と毛嫌いして、Vivaldi-curriculumだけは、断られてしまいました。
その後、多くのviolinistに遭遇しましたが、異口同音で、「Vivaldi a moll Op.3Nr.6」だけは、皆さん、以上に毛嫌いしていて、教室のcurriculumとして、演奏される事はありませんでした。
私が教室を開いたその当時は、未だYou Tubeのような便利なものは無かったので、私の所有しているFelix AyoのI Musiciのrecordを聴いて貰って、曲のimageは日本で知られているものとは、違うと言う事を納得して貰うのに、数年も掛かりました。
曲を一度聴いて、「え~っ??こんな曲だったの??」と、理解し、納得出来たとしても、子供の頃に学んだ、そう言った奏法のimageから抜け出すのは、何年も掛かる程、その人達には、難しかったのですよ。
三つ子の魂100まで・・てね??
‥・またまた入力がおかしくなっていて、文章が修整出来ません。困った!!
しかし、何とか、この「Vivaldi a moll Op.3Nr.6」を除いたら、他のVivaldiの曲のcurriculumを作る事は、やっと拒まなくなったので、orchestraと室内楽のcurriculumを作成する事が出来ました。
このVivaldiの演奏法の最たる誤りの1つは、弓の「弾き留め(detacheの勘違い)」の演奏法にあります。
多分、音符の長さを正確に教えるために、出した音の最後の音を、押さえつけて、音を留める、(弓を停止させる)のでしょうが、それは、私達には耐えられない雑音を産み出します。
また、小さな子供の内から3点支持で弦を弓で押さえつけて弾くので、violin特有の一番嫌な音である、ギ~ィ、ギ~ィとした音がして、当時、教室のstarPlayerの子供の伴奏をお願いしていたpianistが「violinって、上手い子は良いのだけど、下手の子のviolinって耐えられないのよね~?」「何処に避難すれば良いのかな?・・と思っていたのだけど、芦塚先生の所の生徒達は、どんなに小さな生徒でも、そう言った音は出さないけれど、どうして??」と不思議がっていました。
最初から汚い音を出さないように、指導すれば、どんなに小さくてもそんな汚い音を出す事はないのですよ。
以前、題名のない音楽会で、Wienでも指揮をした事のある指揮者の人が、Vivaldi奏法ではなく、Wien奏法としてですが、「弓の元をclipして、一気に弓を先端まで持って行くと、「カン!」とか「ケン」とかいう音になって、それがwienのよく響く会場では、「フォワン」という素晴らしい音になるのだよ!」と実しやかに、orchestraの弦楽器奏者に演奏させていました。
実に汚い音で、ギャン、ギャンと弾かせていました。「日本の残響の少ない会場で弾くと、そんな綺麗な音にはならないけれども❗」と、弁解しながらなのですがネ?
でも、ヨーロッパのオケが日本に演奏旅行に来て、日本のホールで、その奏法をした時には、wienのホールで演奏しているのと同じ音(響き)がするのだけど、それはご存知ないのかな??それで、よく世界的な指揮者だと言えるよな??
Vivaldiのこの曲のお話に戻って、世界一流のorchestraで、殆どのVivaldiの曲では、素晴らしい響きの(余韻)の音で演奏しているのに、不思議な事に、この曲に限っては、キャン、キャンと汚く弾いているのですよ。
いや~ぁ、その教室が、幾ら世界を席巻していたとしても、これは被害甚大だなや~ぁ!!
You Tubeでは、或る1つのbaroque-orchestraだけが、余韻を残して演奏していたのですが、3楽章は普通にVivaldiの奏法で弾いているのに、1楽章だけは、まるでリチャードクレイダーマンのorchestraのように、休符を無視して、余韻を繋げて演奏していたので、驚いてしまいました。
私と同じで、腹に据えかねて、ついついオーバーになってしまったのでしょうね?
しかし、そこまでやるかよ・・??!!
という事で、「世界のbaroque-orchestraでも出来ないのなら、教室の小学生の生徒達に演奏をして貰おう」という事で、今回の八千代のprogramに入れました。
violinは余韻のVivaldiの奏法と、純正のharmonyが課題となります。
8beatのviolaとcelloが、音色を共有出来るか否かが曲の出来のpointになります。
日本では、この曲は、3歳の子供でも(教室でも2歳半の子供が半年間で、1,3楽章をほぼin tempoで演奏しました。)よく演奏する曲なのですが、学習教材と言う事を離れて、ちゃんとしたVivaldiの曲として演奏するとすれば、中々、難しい課題が山積します。
その1つは、暗譜の問題です。
proの人達にとっては、この曲ぐらいの曲を覚えるのは、なんでもない事なのですが、violinの初心者にとっては、この曲を覚えるのは、難解なのです。
それは、Vivaldi先生が生徒にこの曲を指導する時に、間違えて演奏をする事が無い様に、配慮した事が、正しい暗譜のmethodeを学んでいない日本人の生徒達には大変難関になってしまうのです。
この曲はritornelloの形式で作曲されています。
ritornelloとは、tutti(orchestra部)とsoloの部が、combiで作曲されていて、通常、Locatelli 等の作品では、tuttiは、全く同じに反復されるのですが、それでは反復されたtuttiが、3回目か5回目か、分かりません。tuttiを弾き終わって、別のsolo部を演奏する可能性ですらあります。
そのために、Vivaldi先生の場合には、tuttiが繰り返される度に、そのtuttiにチョッとした変更を加えています。
tuttiのthemaが「今日は絶好のお花見日和だ!」というthemaだとすると、2回目は、「絶好のお花見日和だ!」となって、3回目には「今日はお花見日和だ!」で、4回目には「今日はお花見だ!」と変化します。生徒はそのテーマの変化で、このtuttiが何回目かを判断して、それに続くsolo部を演奏すれば良いのです。
Seitzのような近代の曲でも、「レラファミレ(ラ)」というthemaが、二回目には、「レラファミレ(ド)」という音に変化します。これを私はturning pointと呼んでいます。そのturning pointをしっかりと覚えると、暗譜は非常に正確なものになるのです。
勿論、これは、芦塚メトードに於ける暗譜のmethodeの1つに過ぎないのですが、そう言った暗譜の留意点を勉強するだけで、記憶を正確にしていく事が出来ます。
http://music.geocities.jp/ashizuka_sensei/vvd-a-1-analyse.html
4月25日 7:22
「習志野市民会館での賛助出演」の動画を編集、作成しました。撮影して戴いたvideo-dataが集まるのを待っていましたが、やはり、動画は生物で痛み易いので、先に貰ったvideoで、uploadする事にしました。
https://www.youtube.com/watch?v=xbN-Y9b1364
客席からの光景です。このangleは珍しい。
舞台が高いと「このangleもあり」、という事かな?
自治会館のように、フル・フラットな会場では、お客様をangleに入れると、演奏者が埋没して、見えなくなってしまいますのでね。
勿論、このangleでも、演奏中になると、舞台上にzoom‐upしてしまうのだけれどね。教室の発表会もこれくらいの集客力があると良いな??
4月28日 3:16
4月26日 1:28 ·
「17年4月27日 少し、愚痴を追記しました。」
「17年4月29日 少し、全体的に補筆しました。」
Facebookやblogにcommentを書く場合には、不特定多数をimageして書く場合と、特定の共通の趣味主張の人達に対して書く場合があります。
私の場合にも、Facebookにcommentを書く時に語り掛ける人達は、当然、私の生活圏である周りの人達は、教室で音楽を学んでいる人達とその関係者になります。
当然、話の内容は、音楽の勉強の仕方や、学習する上でのadviceがmainになるのですが、しかし、所詮は巷の音楽教室に過ぎないので、教室で音楽の勉強している人の大半の生徒達は、学校や塾の勉強が主であって、音楽は、単なる息抜きであり趣味にしか過ぎないのが実情です。
ですから、私が、常日頃、Facebookやhomepageで、厳しいお話をするのは、音楽に進もうとする人達の場合だけです。
「針の穴に駱駝が入るための方法論」を説明しているのですよ。
音楽への道、これは中々狭い道であって、世間一般で言われているように、「音大⇒コンクール⇒留学」の延長上には、proの世界はないのです。※1)
そう言った事は、proとして現場で活躍している人達に取っては、周知の事実なのですが、それでは、日本の教育界は成り立たないので、音楽を勉強する人達へは上記のroutineが、厳然として存在しています。
だって、それは当たり前の事で、proとしての演奏家に指導を受けている子供は、基本的にはいないと思いますよ。だって、私の知り合いのproの人は、演奏活動が忙しくて、年に、2,3回のlessonをするのが、限度なのだそうですからね。それでは、音楽の勉強は出来ませんよね。
という事で、当然、音楽教育の専門家である音大の先生に付いて学ぶ事になるのでしょうから、自分の属している世界を悪く言う分けはないのですよ。
proとして活躍している人達でも、疲れて来て、演奏活動をやめて、音楽大学の先生になってしまうと、今までの主義主張をひっくり返して、routine型の勉強を推奨するようになってしまいます。(どうしてって?? それはその人がそのroutineの中に収まってしまうからなのですよ。アハッ!)
そのroutineの道の延長線上に、proとして活動出来る世界はないのですが、一般の人達には、routineとしての、安心感があるのでしょうか?‥・今でもそれを信じている人達が多いようです。(学校でも、有名高、有名大学、一流企業、というroutineを信じている人達が多いのでね。)
そのために、繰り返し、同じ話を、する事になります。
30年間もです。
私も、そろそろ歳になったので、そう言った無駄なroutine作業から離れて、思い悩む事をやめて、楽になるために、私のadviceに賛同してくれて、付いて来てくれる生徒だけを指導しても良い頃かな??・・と思っています。
教室の先生達からは、「それでは、啓蒙活動にはならない!」と、ブーイングされそうですが、心労が祟って、ポックリ逝っても、それも問題だからね??
「お話を元に戻して・・」
私が教室の生徒さん達にadviceする時の内容は、先ず第一に、「学業が優先なのか」、「音楽が優先なのか??」・・というその子供の将来の目標目的で、話の内容が、根本的に変わってしまいます。
Facebookでは、音楽に向かう人達に対してのお話が中心なので、だから、一般の大学に進学をしたい生徒さん達は、基本的には、勉強の事については、学校や塾に相談した方が良いに決まってします。そちらの方が、より専門家だと思うのですからね。
生徒達が教室で学ぶ音楽は、趣味の領域で、学校でのお友達との学校生活が優先する場合には、部活で学校のオケ部に入ろうと、教室のオケをやめようと・・、教室がそれにダメ出しをする事はありません。
逆に、部活で演奏する曲の弾き方のadviceや、後輩の指導のadviceを生徒から求められるので、よくadviceをしています。
その指導の内容が、日本の誤った方法論であったとしても、敢えてそれを否定する事はありません。
音楽を趣味とする人達のお話はそこまでとして、次は・・・
「音楽の道を歩む人達へのadvice」
へのadviceです。
就学年次以前や、小学生の時に、難しい曲を結構上手に演奏すると、「凄い!!」という事になる。
教室のmethodeを使用すると、就学年次以前の生徒ですら、超上級の曲を平気で演奏する子供が、結構頻繁に育って来る。
確かに、それ自体は凄いし、喜ばしい事だと思うのだが、しかし、それが音大生ともなるとそれぐらいの曲を、それぐらいのlevelで弾くのは・・「当たり前の事」にしかならない。
しかも、教室で小学生の時にそれだけの能力を見せながら、proに成り得た生徒は殆どいない。
それは、その次の年齢での選択肢を間違えてしまうからなのだよ。
小学生の時や、就学年次以前の生徒の「凄い!」というのは、その年令に於いてしか、・・過ぎないのだよ。
その次の年次に於いて、必要な課題を熟し、水準を常にupしていかなければ、「凄い!」という評価が持続されて行く事はないのだよ。
早期教育で幾ら凄いlevelを確保しようとも、或いは、真逆に、私のように、結構、slow-starterで、音楽を遅く始めた・・としても、コツコツと勤勉に勉強を続ければ、必ず、目的の高さに辿り着く事が可能である。※1)
勿論、意識の高さをkeepする事が、必須条件ではあるのだが‥・??
では、早期教育は無意味なのか??
いや、そうではない。それは決して、無意味な事ではないのだよ。
小学生の時に到達した、start-lineがそれだけ高ければ、同じ努力を次の年次で、続けるのなら、大学生になった頃には、もっともっと、楽により高い「高みの目標」を目指す事が出来るからなのだよ。
それこそ、その場合には、世界も夢ではなくなるのだよ。
問題は、小学生の時期に幾ら高いlevelに辿り着けたとしても、それ以後の努力がなければ、どのような天才児だとしても、大人になれば、ただの人なのだよ。
世界のtopになるという事は、非常に稀な特異な事だよな?
だから、普通の人間が普通の努力を幾らhardに続けたとしても、その夢が叶う分けはないのだよ。
人がやらない事を努力するから、その夢は叶うのだよな?
日本の社会では、小学生迄は、結構夢に向かってひたむきに邁進するのだが、中学生になると、学校教育(学業)との兼ね合いで、ウダウダと、一般的な日常を送ってしまう。
・・中学生の時に・・、或いは、高校生の時に、学校のペースでウダウダすれば、音楽一途で、ひたむきで、一生懸命頑張っている生徒達に、一瞬の間に追い越されてしまうのは、当たり前の話なのだよ。それなのに、学業に囚われている生徒や親は、自分達が追い越された事を気付かない!周りを見ていても、それが見えないのだよ。
「心此処に在らざれば、見えど見えず、聴けど聞こえず」・・だなや??
つまり、幾ら小学生の時に高いlevelに居たとしても、その後の努力がなければ、大学生の時には、普通以下にしかならないのだよ。
そこの所が、事なかれ主義の大人の人達には、幾ら説明しても、中々分かって貰えない。人と同じように‥・という事は、一般の人達と同じlevelになるという事なのだが、親方日の丸のどんぐり症候群ってトコか??
一般人の考え方とすれば、高校受験のために、勉強で遅れた音楽の技術を、高校になって頑張って取り戻せば良いと思っているのかも知れないが、それでは、余りにも、音楽の水準(level)の事を馬鹿にしているし、音楽の勉強を真摯にやっている生徒達に対して失礼であるぞよ。
中学生の時の音楽の勉強と、高校生の時の音楽の勉強では、音楽に進む場合には、その求められる水準(level)が全然違うので、一般の人達の、「後で、高校生になってから、頑張れば良い!」なんて、生半可な世界は、professionalな世界には、何処にもないのだよ。
ましてや、音楽の勉強と言うか、専門的な教育に関しては、中学生では中学生の年齢でないと、得る事の出来ない習得すべき技術があるし、高校生時には高校生の年齢でないと、得れない技術があるのだよ。
高校生になって、「中学生の時に習得する技術を学べる事」は有り得ないのだよ。
それは人間形成上の、「年齢に於ける習得」の問題になるのだよ。
そこが欠落すると、大学生になって、そこの所を補填しようとしても、中々、難しい。(・・と言うか殆ど不可能なのだがね?)
一般の人達が、分かっていない事は、professionalな世界では、「年齢は、全く無い」という事なのだよ。未就学児童であったとしても、業界にproとして認められれば、父親の数倍の収入を得る事が出来る。その歩みは、その次点から、キャリアとして認められるのだよ!
音楽の道に進むのに、高校生ぐらいになってから、一生懸命やれば、何とかなる・・ような道はない。
それは、フィギュア・スケートでも同じだし、balletでも同じだろうよ!!
それぞれの年齢でそれぞれの技術をマスターしなければ、後で、頑張って何とかなる・・という世界はない。
それはどんな道に進もうと、専門的な世界では、同じ事なのだ。
まあ、過去を悔いるのは人間の常ではあるのだがね??
一瞬の気の迷い、気の緩みが、topである事を2番手に譲ってしまう。
一度、譲ったtopの座を、取り戻す事の出来る人は、現実的には少ない。(オリンピック等で、1番手、2番手の争いをしているのだが、そこには2番手を譲る人にも気の迷いや緩みはない。張り詰めた頂点の争いの中の1番手であり、2番手なのだ。)
topを続けられる人の条件は、ひたすらに、ひたむきに、その道に邁進した人だけであり、道を誤らなかった人だけに限定される。
どのような、分野であろうと、日本の頂点に立つ事は難しい。
世界の頂点ともなろうと‥・、それは問題外であるぞよ。
こういった「ひたむきさ」は特別な人の特別な才能と思われるかも知れないが、実はそうではない。
周りの、雑多な事に惑わされる事の少ない小学生の時代には、結構、「ひたむき」は、普通にある。
それが成長に伴って、学校の受験や塾の教育によって、一般常識、一般的な通念による概念によって、壊されて行くに過ぎない。
私がもし親であって、自分の子供を教育する立場であるならば、自分の子供に対してだけは、その「ひたむきさ」を一生の宝にしてやりたいと願う。
何かにひたむきになれるという事は、人生最大の神からの贈り物(gift)だからなのだ。
そのために、学業がおろそかになろうと、成績が落ちようと、人生に取っては、そんな事は何の問題も有り得ない。giftに較べて、全くの無価値であるという事だよ。
実際に、私が登校拒否の私の姪っ子にadviceをした事は、「何かやりたいことがあるのなら、その事に邁進して、学校なんか行かなくても良い。やりたい事を勉強するためのback・upは、私がしてあげよう。しかし、何もやりたい事が見い出せ無いのなら、学校に行って、やりたい事を探しなさい。」・・とadviceをした事がある。
高校卒業の資格や、大学卒業の資格は、本人が望むのならば、通信でも得る事が出来るからね。
実際に姪っ子は通信教育で資格を取っている。
専門的に音楽の勉強をするとなると、一緒に勉強する仲間が減っていくのは、音楽の世界に限らず、全ての専門職の場合には仕方がないことだ。
ということで、本当の仲間(友人)は、常に「ライバルである」ということになってしまう。
浅田真央ちゃんのキム・ヨナ選手のようにネ??(それは違う!という話もあるのだけどネ??)
また、自分と同じlevelの相手でなければ、本当の悩みを理解する事は有り得ないからね。
ライバルであるから、同じ悩みを共有出来るのだよ!!(キム・ヨナの話はさておいたとしても・・だが)
まあ、今は、二人共、「ひたむき」に生きるのを止めて、athleteの頂点に君臨する事も止めて、普通の人間として、結婚や恋愛をしたいようなので、栄光は過去の話であって、今現在は、athleteとしては、もう問題外の人間であるのだが。
真央ちゃんがこれからもしまかり間違えて、元の道に戻りたいと思ったとしても、その「ひたむき」が戻って来る事は無いと思うよ。
これからの「ひたむき」はスキーの沙羅ちゃんかな??
・・でも、沙羅ちゃんも、随分、色っぽくなって来たので、此処ら辺迄がathleteとしては、限界かな??
athleteは、意識の問題だけではなく、体力的、年齢的な問題もあるので、balletや音楽等の一生の職業とは、少し違うよな??
まあ、それにしても、男性陣は安定しているよな??
その人のレベル(水準)は、意識的にしろ、無意識にしろ、その人が付き合っている仲間の水準で決まる。
自分が巷のヤンキーと行動を共にする場合、自分が何を言ったとしても周りの人はその人がヤンキーではないという事は認めないだろう。
自分が自分自身に対する目と、周りの人達の自分に対する目は、根本的に違うのだよ。
学校の部活で、音楽をいくら頑張っても、プロの水準に到達することはありえない。
それは音楽に対する基本的な意識、考え方が基本的には、違うからだ。
全ての社会の構造は、ピラミッドの構造になる。
芸術や、スポーツでなくても、会社の構造式ですら、同じナノだから。
会社でも、上行嗜好があるのなら、ピラミッドを目指さなければならない。
それは、どの社会でも全く同じナノだよ。
※)slow-starterと言う事では、私は高校2年生で音楽の道に進む事を許して貰った。
祖母に、Pianoを買って貰ったのも、高校2年生の時で、病院から退院した後の話だ。
それで、私の「夢は叶ったのか??」って??
それは酷な質問だよな??
しかし、よくよく考えると、・・・潜在意識的には私の夢はちゃんと叶えられているのだよな??
一般の人達から見ると、私の夢は叶えられていないように見えるのかも知れないのだが、ただ、幾ら引き篭もりの私でも、Brahms迄には、引き篭もりにはなりたくないし、況してや、当世風の、チャラチャラしたContemporaryな音楽は嫌いだ。
美術品でも絵画の世界でも、Contemporaryな作品は私には理解出来ないし、現代作品と言われる、Stravinskyの春の祭典(Le sacre du printemps)は、実に古典的な技法で作曲されているので、Contemporaryな作品ではないのだよな。私のPiano曲でも、音はsharpであったとしても、作品自体はContemporaryでは無いのだよ。
私が留学から日本に帰って来て、作曲家としての生活を探して、放送局や色々な所を紹介して貰ったのだが、放送局やマスコミの世界に、安住の地は何処にも見つからなかったのだよ。
まるで、bossの絵のように、足が地に付いていなくて浮ついた世界に見えてしまった。
所謂、音楽大学のように、academicな音楽大学関係の世界も、私の望む世界とは程遠かったのだよな。
実力もないのに、教授になる事だけが、唯一の目的で、勉強を全くしようとしない有名教授達を見るに付け、私にとっての音楽の勉強は全く別の物であるように見えてしまう。
音楽大学の教授達を見ていると、私は「こうはなりたくない」・・という反面教師にしか見えないのだよな??
そもそも、私が作曲家になりたかったのは、「創作家という仕事は、自分の庵に引き篭もっても生活が出来る」・・と思い込んでいたので、作家になりたかっただけなのだが、現実の作曲家の生活は日本では、実につまらない生活で、私の望む生活の形態ではなかった。
生徒達が憧れる演奏家という人種は、スター性が命なので、人の前で演奏をする事が好きで、観客から拍手をされる事が好きでなければならないので、例え、指揮者として・・であったとしても、引き篭もりの性格の私にはpressureが大きくて、仕事として続けるには、無理のある仕事になるのだよ。カーテンコールを逃げるようでは、starになるのは無理だよな?
つまり、私の夢を叶えるだけの環境は、今の日本の社会にはないのだよな??
どういう仕事なら、私の夢を叶える事が出来るのか??と・・言っても、私の夢が見えないのだよ。
歴代の作曲家を見ていると、理解出来ないのは、あれほどのstarであり、国家的に大騒ぎをされたFranz Lisztですら、修道院に引き篭もってしまうのは、どういう分けなのだろうか??
「引き篭もり」とは・・言っても、山奥の人っ子一人居ない場所に一人だけ、寂しく暮らすのは、怖いし、そこはかなり矛盾しているのだよな?
「修道院に行きゃれ!」てか??
・・かと言って、子供の頃の話のままに、周りの人達の言う事を聴いて、医者になる道もあったのだが、それは今でも、その道は私には辛すぎるようで、私の道ではないと・・確信している。
それに、よく勘違いされる事なのだが、芦塚音楽研究所とは、会社なのだから、私の個人の教室ではない。
本来の意味は、「芦塚メトードで指導する先生達の音楽研究所」であり、且つ「教室」・・という意味であって、何処にも私の個人の教室という概念はない。
もしあるとするのならば、それは会社という組織にはならない。もし、私の個人の教室であるとすれば、どの様に大きな規模であっても、個人の音楽教室なのだからね。
これは法務局の概念でもあり、一般の社会通念でもある。
私が教室で、個人的にたまに生徒を指導するのは、単なるaftercareであって、仕事として・・ではない。
orchestraや室内楽も同様で、これは先生達の生徒サービスのvolunteerであって、仕事としては、その収入は、先生達の「顎足のお金」にもならない。
本来は、orchestraや室内楽等のensemble教育は、私の教育のmethodeの証明のために始めたのだが、結果は、完全に証明されているので、これ以上の証明はする必要がないからだ。
単に、生徒達が異常に上手になるから、volunteerで先生達がやっているに過ぎないのだよ。
※1)留学先の先生が非常に優れた指導者で、proに成れた人はいますが、それはあくまで例外的な例です。
では、何故、その延長線上にproの世界がないのか?という事には、厳然とした理由があります。それは、世界の音楽教育は、技術教育であって、audienceを対象にした、表現の勉強ではないからです。また、表現と言っても、そこには歴史的な奏法の基礎があって、その基礎の上に表現を作らないと、それは、単なるamateurの音楽になってしまいます。
ですから、baroqueや古典の演奏法を学ぶ事はその基本の勉強をする事になります。
しかし、世界の音楽大学の先生で、古典の指導が出来る先生は今はいません。ちゃんとした古典の演奏法を指導出来る先生が誕生するためには、後、30年は待たなければならないのです。
何故、後、30年なのか??
それにも厳然とした理由があります。
それはforte-pianoの復刻が、未だ未完成で、それがCembaloのように、一般的になる迄には、後、30年ぐらいの年月が必要だからです。
4月26日 18:54 ·
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「春待ちコンサート」でのVivaldiのa mollのdoppel-violin-concertoですが、初めての動画の編集の挑戦で、動画編集softを買う前のお試しセットでの編集で、出来る事が限られていて、その上に慣れない事もあって、編集作業の時の凡ミスと、音声が1カメから2カメに変わる時に、音声も2カメに変わって、音色や音量などが場面転換の度に変わって、「聞き辛い」という指摘もあったので、最初から作り直しました。
cameraが2台だけなので、angleが選べないという問題もあったのですが、一応、画面をズームしたりと、色々と勉強した技術を駆使してrenewalしました。まあ、素人の作業なので、こんなもんでしょう??
https://www.youtube.com/watch?v=pv5rG28sMQI
4月27日 7:01 ·
..
Vivaldiの a moll Op.3Nr6のⅢ楽章の最後の6小節です。
通常の出版されている版では、141小節目はviolinのsoloのpartはミ♮になっています。
多分、その方がorthodoxに聴こえると思うのですが、3枚目の楽譜に見られるように、soloの部分から、5度圏(quint-Zyklus)で、AからA迄の5度圏で書かれています。その場合には、chromaticの進行なのか、diatonicの進行であるかが、問題となります。
baroque音楽の進行では、通常は増4度の進行はしません。つまり、141小節目の2拍目の裏のFから、次の小節の頭のhへの進行は、baroque時代には禁則になります。
禁則が起こらないようにB♭にすると、そうすると、(導音のgisの音はAsに読み替えが出来るので、)B♭、D、F、Asの単なる属7の和音になります。
つまり、soloの始まりの、Aの和音から始まって、E7,A7,D7,G7,C7,F7、B7,E7で、Aの音に一巡(回帰)します。
これは勿論、chromaticの5度圏なので、141小節目の2拍目の頭の音は(F7の和音)になるので、ミ♭でなければなりません。次にFからHの進行は、増4度になるので、禁則出し、Sequenzとしても、B(♭)が正解であります。
B♭とG#は一見すると、短2度でぶつかっているように見えますが、実際には、G#の音は、A♭の音になるので、B♭7の属和音のコードなので、前からの属和音のSequenz進行にしかなりません。
実はこちらの方が、音楽理論的には、より自然なのですよ。
馴れで、E♮の方が自然に聴こえるのですが、そうすると、E♮と基音のFが長7度でぶつかるので、凄い不響和な音がします。(cembaloのpartでは、短2度でぶつかってしまいます。)
それを逃れるために、一般的な譜面ではSequenzは139小節と140小節の2小節だけを5度圏にして、後は、Sequenzをしないで、問題の141小節目はCの3和音にして、次の音をシナチュラルにしています。
同様に、2拍目はCのⅥ度からⅣ度の7の和音、次の小節の頭をCの7度=a mollのⅡ度の和音からⅡ度の2を経て、Ⅴ度の56からⅤ度に進行させています。
簡単で良いのですが、折角のVivaldiのⅤ度cycleは聴こえて来ません。
diatonicの和音で、お茶を濁して逃げています。
Vivaldi先生に怒られそうですよね。(参考のscoreの3曲迄は私のversionです。4曲目の楽譜はRicordi版です。)5曲目のcello‐partに低音の基音のBaßの音を加えて、Ⅴ度圏を表示しました。
ナチュラルが標示されていないで、空白になっている‼
そうなんだ‼スマホにはナチュラルのフォントがないんだ!!
4月27日 10:41
4月27日 11:05 ·
「The Bird!」
おっ!おっ!襲われる~!!
丸々とした美味しそうな犬だ!!と鳩ポッポ!
硬直するドル!!
4月27日 13:46
鳩ポッポに睨まれているドル
5月6日 9:44
4月28日 5:48 ·
..
近頃は、発表会やおさらい会に加えて、対外出演も回数が増えて来て、色々な曲を多数、勉強する機会も増えて来ています。
という事で、私が子供達、生徒達によく繰り返し言う言葉があります。
それは「今回の演奏会は次回のrehearsalだよ!」という言葉です。
音楽の勉強をする時でも、或いは、一般の勉強をしている時でも、日本の教育では、1つの単元を勉強し終わると、「終了した‼」という風に受け取られてしまいます。
学校等でも、その単元はもう終了したのだから、勉強しなくても良い、とされる事が多いようです。
という事で、「Vivaldiのa mollは、小学生の時に勉強した曲だから、勉強しなくても良い!」と、よく音大生達が言います。
しかし、私達の教室では、もし教室の生徒が、そう言う風に曲の演奏に対して思った時には、その生徒に、その曲を模範演奏としてのrecordingをさせます。
自分の弾いた演奏の録音を聴きながら、模範となる演奏になる迄、何度も、何度も弾き直して、その演奏を修整を加えて、bestな演奏になる迄、録音のchoiceを重ねて行くのです。
その作業を2,3回、体験する事で、「初歩の曲を演奏するのは簡単だ!」という考え方は2度としなくなります。
模範演奏のrecodingする事は、初歩の曲になればなる程、誤魔化しようがないので、自分の技術の根本が試される事になり難しくなります。
昔は、この作業をするために、mixerとハード・ディスク、それにmikeを買わなければならないので、その投資に50万以上のお金が掛かりました。
勿論、教室から出費して貰える事はないので、自腹です。
しかし、今は、パソコンの中で出来るので、それこそ無料のアプリで同じ作業が出来ます。
「母さん!私のあの投資はいったい何だったのでしょうかね?」
私が、仕事で、車で全国を旅行している時に、旅のついでに、旅行のガイド・ブックではなくって(ガイド・ブックは、人気のあるお店が掲載されているので、名店は掲載されているのかも知れませんが、本当に美味しいお店が載っている分けではありませんからね⁉)、その街の古老達や友人達が「上手い」とお薦めする蕎麦屋に行って、汚い旅行服のままに、盛り蕎麦を注文すると、何時も驚いた事に、奥から店主が飛び出して来て、「お味は如何でしょうか?」と聴いて来ました。
汚い格好の若者(今は老人ですが・・)が、盛り蕎麦を頼んだだけで、お店の主人が出て来るのかは、今でも分かりません。まさか「こりゃ、駄目よ!」とは言えないしね⁉
牧野先生の話によると、「盛り蕎麦」は、蕎麦の原点なので、頼む人は、余程の食通か、お金が無いか?なのだそうですが、私は汚い格好で行ったので、お金のない方に見えるのでは・・と思ったのですがね。
食通と勘違いされたようです❗
そう言えば、時々、素うどんが食べたくなるのですが、近場で、素うどんを出すお店が無くて、困っています。一応は、江古田にも、椎名町にも、なか卯はあるのですが、美味しい素うどんを食べたいのでね⁉
私の場合は、蕎麦はセイロで、うどんは素うどんが信条なのでね。
私はよく、(家でも、)とろろ蕎麦を食べますが、とろろで蕎麦の味を誤魔化しているのではなく、本当にトロロが好きなのと、トロロで、疲れを取るのが目的なのでネ?
先日も、久し振りに、春の発表会開けで、教室がお休みになったので(今回は、珍しく、先生達は、悪性の風邪に掛かって、lessonをお休みしたので、その補講で、あまり休みはなかったので、3人の休みが噛み合った偶然の一日です❗)、先生達と一緒に、蕎麦屋に美味しい蕎麦でも食べに行こうと思ったのですが、何時もの美味しい蕎麦屋にことごとく、ふられてしまったので(何故かお店が全部休みか無くなっていたのですよ!)、椎名町の小さな鰻屋に行って、(この鰻屋は一見ではなく、2回目の訪問になるのですが、)店主のお爺さんと話込んでしまいました。
3人か、4人座れるカウンターと小さなお座敷が二つぐらいのこじんまりとした鰻屋なのですが、トヨタの会長さんとか、直木賞の作家さんとかも訪れる店なのだそうです。
椎名町には、私が目を付けている鰻屋が、後、2軒あるのですが、時間帯がどうしても合わなくて、中々行けません。
目を付けていた蕎麦屋は、一通り全部一度は行ったのですが、その内の2軒はもう潰れてしまいました。
趣味の店は幾ら美味しくても長続きはしないのです。
演奏家と同じでね。
趣味の延長線上の演奏家は、ある程度迄行くと、直ぐに、演奏家であることを、やめてしまいます。それでは、本当の音楽の事は分からないよネェ?表面的な美しい所だけを学んで、終わりかな⁉
音楽は、そこから始まるのにネ?
Beyer教則本では、106曲の課題曲が、幾つかのgradeに分かれていて、指導内容がどんどん進んで行くのですが、その指導で、もっとも大切な留意点は、第一gradeから、第二gradeに進んだ時に、第二gradeで学ぶ事は、第一gradeのbase上でなければならない‥・という事です。
つまり、「第一gradeは終了したから、新しく第二gradeを学ぶ」という考え方は基本的に、間違いなのです。
第一gradeで3つの事を学んで、第二gradeで更に3つの事を学んだ時には、練習では新しい3つの事を勉強するのではなく、第一gradeからの6つの事を同時に勉強しなければならないのですよ。
ですから、発表会や対外出演で、演奏が終わって、次の曲の練習に入る時に、その曲の反省上に練習に向かって行くのと、全く新しく、曲の練習を始めるのでは、その後の上達に、大きな差が出来てしまいます。その終わった演奏会を、次の演奏会のためのrehearsal と考えると、上達が著しいのですよ。
勉強をしていると、「slumpや行き詰まり」はしょっちゅうありますが、その「slumpや挫折の原因」は、新しく学んだ技術に付いて行かないのではなく、前のgradeで、理解出来ていない、弱い箇所を放ったらかしにしたままだったからなのです。
これは、指導をする教師側も、生徒がどのgradeのどのpointが理解出来ていなかったのかを判断し、修整出来なければなりません。
その行き詰ったpointを放ったらかしたまま、次のgradeの指導をして、その場は、何とかやり過ごす事が出来たとしても、次には必ず、同じ箇所で躓いてしまうからです。
対外出演が終わって、一人一人の生徒達に「自分の演奏をちゃんと、checkしたのか?」と生徒達に確認したのですが、「時間が無くて、未だやっていない」という答えでしたが、こういうものは「刺し身」と同じ、生物なので、新しければ、より新しい方が、新鮮で良いのですよ。
発表会が終わって、その日の内に、videoを見て、反省点や良かった点を書き出して起きます。
それが、本当の演奏会の反省であり感想なのです。
しかし、それが、1月後に、もう一度、videoを見直した時には、印象が全く変わってしまうのよね??
反省点も感想も、初回に見た時とは、全く違って見えて来ます。
そして、1年も経つと、全く別の印象になってしまいます。
その時に反省文を読み返すと、何故そう思ったのか・・すら、理解出来なくなっています。
人間の反省なんて、そんなもんなのですよ。
4月29日 14:45 ·
今日は朝早くから又々鬱が酷い❗
勿論、その鬱の原因はちゃんとあって、分かり切ったものなので、その処理の方法は分かってはいるのですが、それでもその事に捕らわれて、執着して、鬱になっています。
原因が分かつているのだから、それを何とかしようと暗中模索するのではなく、ただ、人様の事なのだから、「自分には関係のない事でござんス!!」って、単に切り捨てればよいだけなのですがネ?
それが中々出来ないッスよ‼
頭の中の理窟の部分では、もう既に、切り捨てているのですが、感情的には、少しも切り捨てが出来ていないのですよ⁉
自分に直接、関係する事ではないので、何がその事について妄執を引き起こしているのかさえ分からないのですがネ?
そうです。
理屈が立たないから、抜け出せないのですよネ⁉
放下着ですかネ?
もの持たぬ たもとは軽し 店の前
うひゃ~ぁ⁉ 喝‼😠
今日の椎名町詣は、私には精神的に辛い‼鬱の状態で、平静を保つのは、結構大変なのですよ‼
朝、鬱っぽいので、もう一度、寝直していたら、夢を見ていて、mailの着信音で起こされたのだが、・・・急遽、引っ越しを余儀なくされて、その巨大なマンションのエントランスにある、シューズボックスのどれが私のシューズボックスだったのか分からなくなって、必死で探している夢だった。
そうこうしていると、先生達がそのマンションに、自転車で帰って来て、ボックスの中の靴のサイズが合わないので、私のシューズボックスではないのではないのかな⁉・・とか、あれこれ言っているのだが、その話が終わらない内に、さっさと、ジュースでも飲みに行こう!という事で、シューズボックスの話しは、そのままになってしまった😵💧・・という、分けの分からない夢だったのだよな⁉
フロイドの夢判断でも理解不能な、現実的な夢だなや??
いったい、何の夢だったのだろう⁉
単純に言うと、引っ越しをしなければならないのが、心の端に引っ掛かっているのだよな⁉
でも、それは、諦めているので、鬱の材料にならないとは思うのだけどね⁉
兎に角、今日の鬱の原因は、私には、無関係の事なのだよ‼
心を別に捕られればよいだけなのですがネ?
4月30日 7:04 ·
「楽譜の準備のお話」
今日は(17年の4月の29日の土曜日で)、椎名町の事務所では千夏ちゃんと梨紗ちゃんがオケで配る楽譜の準備をしています。
「出版されている楽譜がない一般的な場合」
準備する楽譜は、既に出版されている楽譜があるの場合と(殆どのorchestraや室内楽の場合には、楽譜が出版されていない場合がありますが、「楽譜が無い」・・という場合には、一般的には、その時点で、その曲が演奏される事は、無くなってしまいます。(その曲に拘る理由もさしてないからです。)
「教室で出版されている楽譜がない場合には、」
しかし、教室では、曲は生徒達の技術の向上のためのcurriculumの中に組み込まれて、選曲されるので、該当する曲が出版されていない場合や、出版されていたとしても、演奏上何か問題があって、私がその曲を校訂する必要がある場合等は、教室で、楽譜の入力のsoftであるfinaleで教室として入力をして、楽譜を作ってしまいます。
「楽譜は出版されているのだが、間違いやミスが多過ぎて、使用出来るに足らない場合」
その場合、Vivaldiや他のbaroqueの作曲家の作品のように、楽譜上の間違いを訂正しただけの場合は、kritik版と言って、その間違いの箇所が訂正されているだけなので、finale等で、楽譜を制作し直したとしても、大した手間暇ではないのですが、楽譜が全く、出版されていなくて、その資料すら無い時ですが、そういった楽譜を作る場合ですが、ただpart譜がないのでpart譜を作る場合や、その逆に、scoreが無くって、part譜から、scoreを作る場合と、TelemannのAriaのように、全く楽譜自体が存在しないので、You Tubeやrecordから、私がair‐checkをして、耳パクで、作曲してしまう場合があります。
「教室の生徒のneedsに合わせて、arrangeをやり直す場合」
その場合には、その時に発表会等で、出演する人数や、生徒達一人一人の技術のlevelに合わせて、少しづつ譜面を違えて書きあげています。
同じ曲を、2度、3度と演奏する場合には、その都度、生徒達のneedsに合わせて作る事になりますので、市販の楽譜とは違って、完成原稿が一つ・・という分けには行きません。
そういった事で、私が校訂した楽譜の場合には、どの稿が最終稿になっているのか?を判断するのが、結構難しいのですよ。
「一つの曲なのに、versionが多過ぎて、どのversionが必要なのか?の判断が付かない場合」
という事で、今回、生徒達に配ったVocaliseの譜面が、私の予定していた「最終稿」とは違った版だったので、「コピーのやり直し」‥・という事になってしまって、椎名町のパソコンに残っているfinaleの Vocaliseの楽譜のdataをcheckしたら、やっぱりハイツで私が持っているscoreとは、全く違っていました。
Vocaliseを演奏する過程で、それぞれの教室の生徒達の水準(level)に合わせて、versionを作ったりした分けなのですが、この曲のversionが幾つものversionになった理由は、もう一つのやむにやまれぬ理由があります。
この Vocaliseという曲では、soloをする人の他に、orchestraの中での、オケのsoloのpartがあるのですが、そのpartを、cello‐soloが演奏する場合には、かなりのhigh‐positionになってしまって、演奏上、結構、大変なので、より簡単に無理なく演奏出来るように、violaのpartにsoloのpartを持って行ったversionを作ったのです。
勿論、cello‐soloの版は、削除された分けではなく、celloにsoloをさせたい場合のために、取って置いてある・・という分けです。
その都度の演奏する生徒の技術力に合わせて編曲してしまったのが、finaleのfileのarchiveに、vocaliseの色々なversionが増えてしまった直接の原因があります。
「単なる、filingの下手さで、紛失する場合」
パソコンのfinaleのarchiveに、dataを保存する時に、分類するためのTitle付けがまずかったり、filing自体が下手だったりして、どのversionが、どの目的のarrangeなのかが、皆目分からなくなってしまっていました。
「これは悲劇です!!」
lessonやlectureで、夜遅くなって、結構疲れてしまったので、早めにハイツに戻って、楽譜のcheckだけをして、取り敢えずは、寝よう・・と思っていたのですが、checkをすればする程、どの稿が最終稿なのかが、全く分からなくなってしまったので、面倒くさいので、最終稿と思(おぼ)しきものを1つ選んで、そのscoreに修整を加えて、(やはり、オケsoloはcelloになっていたので、violaに持って行って、tuttiのviolaを作って‥‥・etc.)その曲のCodaの部分を大幅変更していたら、突然、入力中のfinaleのdataがぶっ飛んで、dataが無くなってしまった。
眠たいのを、無理をしてパソコンに向かっていたので、超ショックで、「頭に来たな~ぁ! もう!!」
パソコンの中にあるfinaleのfileの中の 、Vocaliseのdataを、全部立ち上げてcheckして見たのですが、その時に校正していた楽譜は、とうとう見つからなかった。
全部ぶっ飛んで、疲れた時間の彼方へ、消えてしまって行ったらしい。
fileを、頑張って探している最中に、いつの間にか、そのままパソコンの前で、パソコンの椅子で寝てしまって、明け方近くになって、寒くなって目が覚めたので、諦めて、急いで布団に入ったのだが、横になっていると、だんだん、腹が立って来て、ますます眠れなくなってしまったので、仕方なく、寝るのを諦めて、ベッドから起き出して、修整箇所を、全部ぶっ飛んだ箇所と同じ修整をもう一度した。
修正箇所は、ちゃんと覚えているので、訂正自体は早いのだが、やはり、finaleに入力をしている最中に、finaleが、おかしな動きを何度かしたのだが、「これはまずい!」と思って、毎回、修整する度に、「ctrl+S」でdataを保存しながら作業をしたので、何とか事なきを得る事が出来た。
という事は、finaleに、かなりのbugが溜まっているらしい。
いずれにしても、これから、寝ます!!
各、partも大幅に更変されています。
melodieには変更はありません。全く同じです。‥・・当たり前なのだが
それと、椎名町のパソコンで無事に開けば良いのだが???
finaleのversionが少し違うので、それで、bugが発生するのかも知れないね。
「土曜日の梨紗ちゃん、千夏ちゃん達のlecturelesson」
は、encore‐programとしてのFaure の小品を3曲を楽譜を作りながらしました。
しかし、Faure のSicilienneは、本来はFaure はcelloとPianoのために作曲したはずなので、教室には私のoriginalの譜面があったはずなのですが、何と、arrange物で製本されてしまいました。
曲が探し出せなかった・・という事らしいです。
(timelimitに間に合わせる‥・という意味ならば、兎も角として、仕事としてならば、これも当然やり直しネ??)
元来、生徒達には結構悪い癖があって、自分の都合の良いように、事実認識を捻じ曲げる傾向があります。
自分の手間暇が省略で来るように、事実認識を、理論を、歴史さえも曲げて解釈しようとする傾向があります。
それがただの面倒くさがり屋としての傾向だったとしても・・・です。
それは自分が向き合っている音楽に対しての・・・、(でも、それは、結果としては、自分に振り返って来る分けなので、結局の所(究極の所)では、)自分自身を貶める事にもなるのですが、「面倒くさい」‥・という感情は、その一手間を惜しんでしまうのですよ。
まあ、そこが若い‥・、或いはamateurだ・・という事なのだろうけれどね。
でも、私は、「若さはいちづさだ」と思っているので、そこの所は、許せないのですよね。
これが男の子の場合ならば、将来の生活が掛かってしまうので、そこで、安易な妥協をする事はないはずなのですがね。
(基本的んは、私の周り‥・と言うか、教室の周辺の男の子達は、仕事に対しての、ひたむきさは持っています。
しかし、引き篭もりは、女性よりも、圧倒的に男の子の場合が多いようですが、引き篭もりは、父母に依存する事であって、自立力の欠乏に過ぎません。だから、女の子に言わせると、将来を見据える事が出来ないのは、男の子も同様なのだそうです。
教室を離れて、社会的に見てみれば、・・・
「そう言えば、そうだよな~ぁ??」
「finale入力のお話」
パソコンの入力の作業では、以前、千夏ちゃんが入力を、し掛けたままで、保留状態になっていた箇所を、コツコツと入力しようとしていたので、そう言った超、面倒くさい箇所を素早く入力するための裏技を伝授出来るように時間を作りました。
裏技なので、finaleの取説には、勿論、書いてありません。
何時もの通りに、操作の手順を、文字に書くと、途轍もなく面倒くさいものに思えるのですが、私一度代わりにやる作業を見て覚えると、如何に簡単なのかがよく分かります。
という事なので、実際の入力の時に、それぞれのcaseで指導すると分かり易いので、今回の課題の曲である、Leclairの入力を通して、超面倒くさいpassageを一瞬で入力する方法を伝授しました。
この裏技というのは、頗る問題で、finaleのsoftは、本来はMac用に作られていて、実際にはwindows用には、softを変更された物だからです。
そのために、パソコン自体が変わると、操作の手順が変わってしまって、私の子供達へのfinaleの解説である「finale教室」でも、取説の説明通りでは、そう言った動きをしない場合が多くて、取説通りには、動かない操作手順を、赤のfontで表示しています。
私が、経験上に編み出した(!!、パソコンに経験上って、いったい、なんじゃろね~ぇ??)裏技を、黒字で入力しています。
しかし、そういった裏技を、一つ一つ、homepageにupするのも、超、手間暇が掛かって超!面倒くさい!!
‥・などと、ウダウダと書いてないで、寝よう!!
……と、書いていたら、またまたいつの間にやら、椅子で、熟睡していました‼
こんどこそ、ベッドに入ってちゃんと寝ようと思ったら、またまた……??? こんどこそ・・・??? こんど・・・???
4月30日 14:56 ·
..
今日は(17年4月の30日(日))4月の最後の日で、明日からは、何と5月です。今日は、 Vocaliseの入力が終わって、睡眠もある程度は取れたので、朝は何とか元気だったのですが、起きて1時間後には、鬱が再発してしまいました。
もうすぐ、千夏と梨紗のlessonに椎名町に出発しなければならないのですが、相変わらず鬱が酷くて、出かけなければならない‥・3時45分というtimelimitに、悩んでいる所です。
バイクに乗って、椎名町の事務所に、行ってしまえば、lessonとか、lectureとか、何かと忙しいので、それなりに気は紛れてしまうのですが、今悩まなければならない事も、江古田教室の事等、結構重要な事なので、本当に鬱ってしまいます。
それにしても、このFacebookでは、自己紹介のPageが勝手に開いて、「好きな食べ物は‥・?」とか、「行って見たい場所は?」とか聞いて来て、一々削除しないと、煩わしいのですが、設定の画面を開いても、それを削除出きる場所が見つかりません。困った。
2,3日前からバイクで江古田と椎名町を行き来していると、多くの家からjasmineの香りがして来ます。
勿論、椎名町の家にもjasmineの花が咲いています。
君知るや南の国 オレンジの花咲き・・・
5月1日 6:00 ·
(17年5月3日の深夜に、少しだけ全体的に補筆しました。)
「仕事としての音楽への意識」
若い頃のお話ですが、私が留学から帰って来たばかりの頃の事なのですが、お友達と言うよりも、(少し年上の女性だったので、)先輩というべきなのでしょうが、桐朋のPiano科の主任教授の先生をやっている女性の家に遊びに行った時に、彼女が「この歳になって(アラフォーって事なのですが)やっと、自腹ではないコンサートが出来るようになったのよ!」と、自慢げに私に言ったので、驚いてしまいました。
「え~っ、桐朋の主任教授という立場の人でも、コンサートは自腹なのか??」と、すっかり驚いてしまいました。
勿論、ticketの大半は生徒に持たせたとしても‥・、それでも、自腹が派生するのですよ。
(音大の常識としての話しなので、一般の人には、分からないと思いますのでちょっと説明をすると、音大の先生には、資格の関係で演奏会を開かなければならないという義務があります。そのために演奏会のticketを売らなければならないのですが、勿論、自力でticketが、一般で買ってくれる人がいる分けではないので、自分の生徒に、20枚、30枚と割り当ててしまうのです。
先生は、一応は、「売れなかったら、ticketを返して❗」とは言ってくれるのですが、自分の先生のticketなので、返却できる生徒はいません。
他の生徒も同じなので、お互いにticketを交換して割り振るのですが、一人一人の先生に取っては、年1回のステージでも、音大では演奏会を開く先生の数が、余りにも多いので、結局、生徒同士で、ticketを持つ‥・という事が不可能になってしまい、結局、自分で自分の先生のticket代は持ってしまう(買い取ってしまう)事になります。
しかし、ticketを(買い取ったままの)そのままにしてしまうと、会場で、空席が目立ってしまう事になりますので、ticketを演奏会に行って来れる人達に、ただであげる事になります❗
音大の先生達のコンサートは、そういった犠牲の上に立ったコンサートだったのですよ‼)
音大生が演奏会を開く事は、(唯一の例外の音大である、桐朋を除いては)基本的には許されてはいません‼
生徒がコンサートで、失敗すると、学校の恥になってしまうからです。(卒業してしまうと、学校の名前を出したとしても、卒業生なので、学校は関知出来ません。自主責任の上での演奏会なのですからね!!)
音大を卒業してから、熱心な生徒は卒業をした記念に演奏会を開く事もありますが、演奏会は、或る意味、statusなので、人は、演奏会場のホールの立派さで、演奏会の水準の価値判断をします。
一般のお客様には、理解不能な難しい曲ばかりを集めて演奏会のprogramとする(自称)演奏家がよくいます。
「こんなに難しい曲が弾けるんだぞ‼」という事なのでしょうが、聴かされる人にとっては、たまったものではないよネ?
「こんな難しいrepertory!! いったい、どういう人が聴くのだろう??」と考え込んでしまうのですが、なりにそれお客様が集まっていたりします。
「何故・・??」
それが自分達の企画で、自腹の、所謂、持ち出しの演奏会であったとしても・・音大生のコンサートには、聴衆に対しての、思いやりは持っていません。
コンサートを開く事に意義があるのです。
私は音楽会の自主公演は、proとしての活動ではない・・と思っているのですが、音大生にその話をすると、逆に、「演奏会を開くのに、金銭の事を考えるのは、音楽に対しての冒涜だ!」と、言われてしまいます。
芸術は、金銭の事を考えるのは、tabooだそうです。
まあ、分かりそうな気はするのだけどネ?
しかし、苦学生であった私に取っては、自腹のコンサートは、どんなに素晴らしいホールで演奏しようとも、発表会に過ぎない・・としか見えないのですよ。
自分がお金を払って演奏会をするのならば、それはproの演奏活動とは言わない・・と、思うのですがね??1回、2回ならば、その可能性は、あるのかも知れませんが、3回、4回ともなると、生活が厳しくなって来るからなのですが、・・ね~ぇ??
そこの所が、お金に不自由した事のない音大生には分からない。
まあ、一般の子供達や若い世代の人達が、学習や勉強をする場合でも、「勉強をする」のではなく、「仕事をする」という事を学べる機会は全くありません。その機会が与えられる事はないのです。それは、未経験の子供達や若い学生達には、本当の意味での社会的な活動(所謂、仕事ですが、)は出来ない・・という想定が成されているからです。
学校や、政府、企業がやっている、体験学習は、3Kを取り除いた「良いとこ取り」の綺麗事を学ぶにしか過ぎません。
綺麗事の上で仕事は、それで、お金を稼げる事はないし、職業としての厳しさを学ぶ事はないのです。
職業が「厳しい」と感じたら、誰も就職してくれなくなるから・・というのが、企業側や、教育機関の考え方だからです。
しかし、本当ならば、働く人達が、3Kを厭わなくなった時に、お金は自動的に入って来るように成るものなのですよ。つまり、人の出来る事をしても、お金が入って来る分けはないからです。
ですから、当然、介護に憧れて勉強をして、資格を取って、いざ実際に施設に勤めた段階で、先輩から要介護者の下(しも)の世話を求められた時に、「これは私が憧れた楽しいvolunteerの仕事とは違う!」という事で、1月も経たない段階で、仕事をやめてしまいます。
何のために、長い歲月を勉強してきたのでしょうかね??
企業や、教育機関の人達は、3Kを省いて、体験学習をさせる事は、「就職してくれる人材を集めるために」・・と言い訳をしますが、それで、長く続いた試しはないのですがね~ぇ??
私達の教室でも、「江古田詣」や「椎名町詣」では、「音楽の道に進みたい」という教室の生徒達を、ただ単に、「学ぶ」・・という所(立場)から、「音楽は仕事である」・・という意識を育てるために、「椎名町詣」で、体験学習として指導しているはずなのですが、仕事という概念を学ぶ事は、今の若い世代には難しいようです。今の日本の子供達や親達には、そうまでして、「お金を稼ぎたい」「お金を稼がせたい」・・という気持ちはないからです。
今の日本の人達に取っては、幸せである事は、何もしない事なのですよ。(勿論、楽しい事・・以外はネ??)
特に、お金持ちの音大生には、生きて行くためには、金を稼がなければならない・・という意識が全くない‥・という事に改めて、驚かされます。
音大生に取っては、お金は、欲しければ、「そこにある」ものなのですよ。
いや~ぁ、不思議だ!!
まあ、育って来た時代の違いもあるけれどネ?
戦後の復興期に、食べるものを買うために必死に働いて来た世代と、バブル以降の世代では、人生の基本概念が違うのですよ。
まあ、仕方のない事なのですがね。
・・でも、まあ、音大生は良家の子女なので、結婚してしまえば、「働く」という事は全く必要なくなります。音大生に取っての「働く」という概念は、(一般庶民の抱く生活感というものは、しもじもの生活の中の事なのでしょうから、)「働く」という概念が生涯を通じて一度も起きた事が無かったとしても、理解出来ます。
サハラの砂漠の民の諺に、「金持ちが天国の門に入るのは、駱駝が針の穴に入るよりも難しい」と、いう諺があります。
真の意味で悩む事がなければ、真の意味で人生を理解出来る事も無いからね??
音楽でもやって、人生を愉しめば良いだけなのでしょうからね。音大生に取っては、音楽は愉しいものなのでしょうからね??(音楽を学ぶ事は厳しい‥・というお話とは別の次元のお話ですよ!!)
という事で、一般の音楽大学の学生達にとっては、「pro」‥・ equal「職人」・・という意識も、思考も、全くないのが普通なのでしょうからね??
もし、音楽大学の先生としてではなく・・、「proの音楽家として生きて行きたい」のならば、どんな些細な仕事だったとしてでも、雑な仕事をする事は許されません。
仕事には貴賤は無いし、どんな、軽く見える仕事でも、軽く仕事をしてはproとは呼べないのですよ。
1回のミスは、一人の客を失う事にもなってしまうのですからね?
仕事に優劣や貴賤を作るのは音大生だけです。
proは職人なので、与えられた仕事に優劣や貴賤を作る事はないし、また、その仕事に対して妥協をする事はありません。
勿論、妥協をするような性格では、proに成れる事はありません。
それが分からないと、社会では生きて行けないのよね~ぇ??
どうして分からないのかな~ぁ??
不思議だな~ぁ??
教室の演奏活動の基本方針は、「演奏したい曲(Classicというgenre、only)しか演奏しないけれど、もし、私達が演奏する曲を聴いてくださるのならば、顎足を出してでも、演奏しに行きます。」
「そのための練習に対して、手抜きをする事は絶対にありません。」
「但し、顎足以上の持ち出しの演奏は絶対にしません。」
顎足以上の持ち出しとは、会場の費用を負担したり、演奏者に対しての謝礼を払ったり、と色々な経費を払うという意味です。
これが教室の対外出演をを受ける基本的な姿勢であり、先生達が演奏活動をするための条件のlimitなのです。
自主公演をしたければ、或る程度は持ち出しを必要とします。
学生ならば、それは可能でしょうし、結婚して大金持ちの旦那がいればそれも可能かも知れません。
でも、既に、社会人であって、音楽で生計を立てているのならば、それを許す事は、生活して行く上で致命的なものになってしまいます。
1回か2回ならば、それでも可能かも知れませんが、3回目からは、もう生計が立たなくなります。
という事で、教室では、先生達だけの演奏活動を、結構頻繁にやって来ましたが、しかし、自主公演だけは、一度もやった事はありません。
homepageやFacebookでも、何度も言っているように、発表会は、先生達の演奏活動の履歴の中には入っていません。
発表会は、運営費を払っているのは保護者の方なのでね。
教室は代表をやって、纏めているに過ぎないのですよ。
どの業界でもプロ=専門性の高い職業、ということばかりに意識が行ってしまって、プロ=専門性を活かして収入を得る、ということが隠れて(あるいは意図的に隠されて)いるように思いますね。学習段階あるいは仕事の初期段階において「技術を以て収入を得るためにはどうすればよいのか」を身に着けていかないとその業界ごと衰退していきます。
5月1日 7:05
あれ???書いたはずの返信の文章が全く消えている!!
どうなっちゃってるの?
編集履歴にも表示されていないのだけど、何時もの事で本当に困ってしまうな??
文章はもう覚えてないぞ!!
5月1日 13:50
微かに覚えている内容は、当に音楽の道を歩み始めた当初から、Classicの人達が持っている芸術家意識が、自分達の世界をより小さな物にしてしまっていて、その世界から抜け出せないでいる‥・と言ったような事を、つれづれと言ったような気がします。ハイ!
5月1日 8:40
proを目指す勉強途中の人達が、一般的な音大生や、amateurのorchestraの人達と一緒に演奏をしていると、amateurの人達の持っている、特有の
雑さや、いい加減さ、曖昧さが、いつの間にか、自分の日常の勉強のstyleや、演奏そのものに、無意識に反映されてしまう事があります。
そのlimitが、「自分自身の仕事が雑になっても、それが許せるようになる」‥・という事であって、すなわち、「amateurismが、その人の身に、しっかりと纏わり付いてしまった」‥・という事なのですよ。
proの人達は、「出来て」お金を貰えるのだから、「出来ない」で許される‥・という事はないのですよ。出来てナンボ・・て言うでしょう??
だから、雑な仕事をして、その仕事でお金を貰うという事は、あり得ないのだけど、その雑な仕事でも、許せると思っているのか、それとも雑な仕事であるという事すら、気が付かないのですかね??
雑な仕事を自分で見ながら、それがお金になる・・とでも、思ってるのかな~ぁ??
どうして、そこの所が分からないのかな~ぁ???
分からないから、音大生なのだがね??
5月2日 7:10
そういう意識教育がされていない(教える人がいない?)こと、proの責任感を持たなくても生活できてしまうとうい環境によるのかな、と思いますね。
5月1日 14:05
幸せである故の不幸と言う人もいますよね??
5月1日 16:52
多くの日本人達にとっては、勉強をするという事や、働く事は、遊ぶためのお金を得るための手段になります。言い換えると、遊ぶ事が究極の目的になります。それをHieronymus Bosch は、「快楽の園」という3部作で表現しました。15世紀のお話です。
時代を超越した、大好きな絵画です。
5月2日 7:17 · 編集済み
Hieronymus Boschの絵は、Genzmer先生のMünchenの音楽大学の作曲家の前任の教授であった20世紀の作曲家であるCarl
OrffのCarmina Buranaに描かれている世界感に相通じるものがあります。
5月2日 7:22 · 編集済み
プラド美術館ですね。20年ほど前に見ました。寓意をちゃんと考えたことはなかったかもしれませんが魅了される絵ですね。
5月2日 7:44
一つ一つが聖書から来る寓話の中の話にも通じていて、本を買い込んで来て、解説を読み漁ったのですが、中々難解なものも多いようです。天国と現世と、地獄が分かれて描いてあって、素晴らしいです。1400年代の後半にこんな絵を描くと言う事は、時代を超越した画家だと思います。19世紀のGustave
Moreauの絵にも通じる所がある。 Moreauも時代を超越した大天才だと思うのだけど、更に、400年も古いのですから‥・、信じられない!!超、天才です。
5月2日 8:03
何れも素晴らしいです。近い時代ではPieter Bruegelも大好きです。
5月2日 8:24
Bruegelは、バベルの塔が有名ですが、教室では、「盲人の寓話」にお世話になっています。
「親方日の丸」や「長い物には巻かれろ」の国民には、痛い寓話です。マタイの福音書からの引用です。
5月2日 8:57
あ‼偶然ですがBruegel展今やってますよね❗バベルの搭初来日とか書いてありましたよ。面白そう❗
5月2日 13:39
..
都美ですね。でも休日はかなり混みそうですね。
5月2日 21:54
連休中はとても無理だろうという話をしていました‼
5月3日 0:42
5月1日 7:46 ·
「有名な演奏家である事と、優れた演奏家である事の条件」
この事は、私達に取っては、余りにも当たり前の事として、言の葉に触れる程度にしか、書いて来なかったように思います。
しかし、先程の音大生のお話を書いていて、ふと感じたのは、主体的に評価をする事の出来ない音大生に、「優れた音楽家である」事の条件が理解出来るのかな?という疑問でした。
私が未だ高校生出会った時代に、Bärenreiter‐archiveの原典版の楽譜とそのperiod奏法のrecordを購入しました。女性のviolinistでしたが、この演奏は典雅で天上的に美しく、何と素晴らしい演奏なのだろうか??と驚きを禁じえませんでした。
しかし、その人は、全くの無名の演奏家なのですよ。
私が留学をして、色々な演奏家と触れ合う時に、優れた演奏家が、 equal有名な演奏家ではない・・という事に、改めて気付かされました。
私の音大時代にも、演奏家へのpromotionはしていたのですが、留学から日本に帰って来て、色々なcaseで外国人のsolisteやorchestra等の、promotionをする機会を得たりしました。
そう言ったpromotionをする・・という機会を通して、そこで実際の演奏家達に学んだ事は、「有名になる」‥・という事は必ずしも、「実力のある」・・という意味ではないのだ‥・という事を学びました。
こういったお話は、実際の例を上げてお話をすると、とても分かり易くなるのですが、その状況を説明しながら、お話をすると、個人名を特定してしまう事になってしまうので、残念ながら実例は上げられません。
しかし、日本の音楽界の場合、特に言える事は、大した実力もないのに、マスコミの力だけで、でっち上げられた音楽家が多い事には、辟易されます。
「優れた音楽家は、有名である。」
否、逆の方が分かり易いのかな??
「有名な演奏家である事は、優れた演奏家である事を意味する分けではない」という具合かな??
本当に、ヨーロッパの演奏家達でも、本当に実力のある演奏家は、無名な人が結構多いという事です。
その一番の理由は、演奏家本人の資質である、stoicな性格の人達が多い・・・と言う事ですかね??
優れた演奏家であるためには、コツコツと練習や研究を積み重ねて行かなければならないのですが、そういった日常を平気でおくれる人達は、性格的にstoicな性格の人が多いという意味です。
二番目の理由は、その人達が研究している音楽自体が、maniacである場合が多いのです。
多くの優れたperiod奏法の演奏家達がそれに属します。
period奏法の演奏家であれば、それは特殊な演奏家達だと、思われるかも知れません。
しかし、MozartやHaydn、果てはBeethoven迄も、正しくinterpretationをして演奏をしょうとすると、そこはperiodの解釈が必要不可欠になって来るのです。
そう言った時代考証に基づいた演奏こそ、本物の演奏になります。
ですから、本当に一流の演奏家(神様)と言われる人達は、そういった理論的な研究や、traditionalな奏法に付いての知識も、音楽の理論家並に優れているのです。
名人の演奏を見ると、ちゃんと、traditionalな奏法の上に、自分の独自の解釈を展開しているのですよ。
決して、日本人が思うように、情緒的、感情的に・・上手い、下手ではないのですよね。
またまた、文章がぶっ飛んでしまった。腹立つな~ぁ!!
日本で、有名になろうと思ったら、あなたが美人ならば、色気を売りにすれば良いし、美人でもない、殊更取り柄もない場合には、easy listeningの音楽を勉強すれば良いのですよ。
「人受け」するには、それ相応のTechnikがあるのですからね。そう簡単ではありませんよ!!
[イジーリスニングイジーリスニングイジーリスニングイジーリスニング]・・・どうなっちゃってるの??・・・これは??
なんじゃ、これは???
全く日本語入力が出来ないぞ!!
やめた!やめた!!・・・仕事にならん!!
..
Rakhmaninovの Vocaliseの参加者は、下のURLで、1小節毎のMetronomのtempoを計って見てください。とても素晴らしい「揺らし」で、模範的な「揺らし」の演奏です。
正確な「揺らし」の勉強になります。
Metronomのtempoを楽譜に書き込む時には、楽譜を薄紙にコピーして書くと良いでしょうね。
出来たら、先生に提出してください。(八千代組だとしても、希望者のみの参加の宿題ですよ!)忙しくて出来ない人はやらなくても良いです。やりたい人だけの宿題です
https://www.youtube.com/watch?v=QAwETLTAHHM
紗來ちゃんへ!
「此処から先は、皆にも読んで欲しいので、Facebookの方に書きます。」
曲は、一般的に、そのtempoの範囲内で演奏しなければならない場所と、新しいtempoで演奏する事が要求されている場所があります。
・・という事で、「tempoの揺れ」の場合には、先ず、最初の小節のtempoを丁寧に決める(探し出す)と良いのです。
tempoを探すコツは、基本的には、tempoの変化ではない、単なる「揺れ」の状態を、探して行くので、決まった(定まった)tempoを探したら、その前後のtempoをMetronomで、一つ、二つのズレた目盛りで、探すと見つかります。
tempoの変化ではないので、余り大きなtempoの差はないので、目盛りを「一ます」、「二ます」ずらして見ると、簡単に合うtempoが見つける事が出来ます。
新しいtempo、つまり大きなtempoの変化の場所は、 Vocaliseでは出て来ませんよネ。
だから、一つのtempoが最大何処まで動くか?で決まります。
「但し、tempoがup(accelerando=accel.)やdown(ritardando=rit.)をする所等は、小節全体のtempoが揺れているので、小節の中のそれぞれ、一つ一つのbeatは合いません。だから、その小節の頭を合わせて、次の小節の頭の拍が合うように設定すると良いのです。
4拍ならば、小節の頭から、同じbeatで、次の小節の頭合えば良いのですよ。
Metronomでは、accel.やrit.等のtempoの「揺らし」は出来ませんので、拍頭を合せる事も出来ないといけません。
そこら辺は、小節内のbeatが合わなくても、fuzzyファジー=aboutアバウト=何となく・・が出来ないといけません。
この曲にはそう言った場所が多いので、Metronomのtempoを探すのは、結構、難しいかもネ??
もう一つのヒントは、この Vocaliseでは、melodie担当の1stviolinと、刻みのrhythmが合っていません。しかも、1小節もtempoが安定していなくて、84から85、86と不安定に動きます。だけど、刻みは、結構一定で刻んでいるので、そのtempoを取ると良いでしょう。
5月2日 12:03
てな事を書くと、大変難しい事をクドクドと説明しているように見えるけれど、実際の曲を、Metronomを使って、説明すると、ホンの一瞬の話なのだよね。
それに対して、当たり前の事を、クドクドと書いているのに過ぎない。
C.P.E.Bachや、Quantz等の大作曲家達がbaroqueの演奏法を、一生懸命に説明して、本に残しているけれど、世界のperiod奏者がそれを読んで、忠実に守って、実に素っ頓狂な演奏をしている。
言葉尻に捕らわれて、本質的な意味を見失うからです。
日常の実に簡単な動作でも、文章で書くと大変な事になってしまうのだよ。
そこで、チョッと、視点を変えて、baroque-danceを踊っているのを、videoで見ると、実に、C.P.E.Bachや、Veracini等の大家が書いた当時のrhythmのとり方が、よく分かるのだよね??
書かれているrhythmを、専門の人達のdanceで見ると、そのrhythmのswingの仕方が一瞬で分かるのにね。
文章に書いてしまうと、同じ事を言っているのに、実にeccentricになってしまう。
今だと、videoでその演奏法を公開するという手もあるけれどね??
こういった事は、文章は不得手なのよね~ぇ??
5月3日 7:58
(17年5月2日に少し、文章を追記しました。)
日本の音楽大学の先生達は、Metronomをとても毛嫌いします。
「Metronomは、音楽を勉強する人達は使ってはいけない!!」「非音楽的になってしまう。」と言って、生徒達には絶対に使わせないのが普通なのです。
自分の情緒的な揺れが気になって、ちゃんと、そこの所を勉強するために、先生には内緒で、こっそりと、Metronomを買って来て、家で練習していて、後で、先生にMetronomで練習していた事がバレてしまって、大変な事になった生徒がいました。
破門よ!破門!!
でも、大学の教授は生徒を追い出す権限は無いので、先生が変わっただけなので、本人は喜んでいましたけれどね。
Metronomは、単なる道具に過ぎません。
だから、Metronomが弊害に成るのか、勉強を助けて来れる、とても良い武器に成るのかは、使い方次第だけなのです。
確かに、一般的には、Metronomを、鳴らしたままで、練習する人達が多いのかもね??
音楽大学の先生達は、Metronomと言うと、そういった練習法しか、思いつかないのかもね??
確かに、そう言った下手な練習ばかりしていると、非音楽的な演奏になってしまうかもね??
でも、それは、Metronomのせいではなく、練習法を知らない使う人のせいでしょう??
それはMetronomに限った話ではありませんよね。
教室でも、仕事を速く丁寧に出来るようにするために、色々な手順を考えたり(「時短」の方法)、道具を買い込んで来て、その使い方の指導を先生達にしたりします。しかし、その手順や、道具の使い方が少し難し買ったりすると、「時間がない!」とか、「逆に手間が掛かる!」と言って、中々使用法を覚えようとはしてくれなくて、時々、私が切れてしまいます。「仕事をしていて、時間が無くなるのは、道具や手順を使いこなせないせいなのだよ!」とね!!
Metronomも、proの人達が使っているように、上手に要所要所で、使いこなせば良いのですが、それが出来ない人達が多い、もう一つの原因は、一般的な人達の場合の練習法は、「抜き出し練習」をしないし、それに、考えない「闇雲練習」をするからなのですよ。
そう言った練習にMetronomを使用すると、Metronomの効果は確かにマイナスな事になりますよね。
ですから、Beyerの教則本の初歩の段階から、上級version迄、Metronomを使ってlessonをする私達の教室は1点支持と同じで、日本では、超、異端なのですよ。proの世界では、世界standardでなくって、日本の音楽界でも、至極、当たり前なのにね??音楽大学の世界だけは違うのよネ??不思議だ!
一般の音大生達は、殆どの生徒達が、Metronomを使った事が無いし、Metronomという物自体を持っていないので、日本人の音大生達は演奏のtempoが無意識に揺れてしまうし、演奏している本人自身が、揺れている事すら理解出来ません。
曲を弾き始める時に、tempoを設定する事が出来ません。
ensembleの時でも、tempoを探り合っています。弾き始めから、2小節、3小節目になって、やっとtempoが定まって来ます。教室だと、冒頭の1小節目から、ちゃんとtempoが決まっていないと、大目玉だよネ!!
tempoを探していたら、私に怒鳴られてしまうよね??
でも、一般の音大生は、どうして、tempoを決めて弾き出す事が出来ないのかな??
・・・それは、どうしてか分かるかな??
それは、絶対tempoが無いからなのだよ!
つまり、一般の音楽を勉強する人達は、絶対tempoという概念を持ち合わせていません。曲をimageで捉えて、tempoもその中で、設定を決めているだけなのですよ。
だから、舞台に出て、お客様が満員だったりすると、情緒的に、感情的に狂って来るので、tempoを見失ってしまうのですよ。
ちなみに、「絶対tempo」と言うのは、教室の言葉であって、一般的な言葉ではありません。
私の作った、教室での造語ですよ。
ちなみついでに、オケ練習では、昔は2回オケ等もlessonを見ていたので、最初は、遅めのtempoの設定で練習をして、発表会のtempoは目標tempoとして、練習のlevelに從って、徐々にtempoを上げていましたが、前々回ぐらいからは、最初から目標tempoで練習をしています。練習の水準も上げている・・という意味です。
ですから2回オケは私は見ていません。
私が未だ若い頃、伴奏の仕事などをしていた時に、合せる時間が無くて、いきなり舞台の事がよくありましたが、本番の前日に、電話で(当時は電話だったのですよ!未だ携帯が無かったのでね)楽譜にMetronomのtempoを設定して、次の日の本番に臨んだ事があります。(本当に、一度も合わせをしなくて、本番に臨んだ事も何回もあります。)
それに、超有名なproの演奏家の人達がrecordingする時には、1日では録音は終わらないので、次の日に曲の途中から撮り直す事になります。
orchestraの場合でも、一つの曲を、1月や、2,3ヶ月掛かって録音する事がよくあります。
その日に途中迄録音して、次の日には、正確なtempoで、次のpassageを録音したのですよ。カラヤンの録音は、その切り貼りで有名でした。と言うか、初めて切り貼りの録音をした人という事で有名なのですが、当時はpianistのグレン・グールドも切り貼り録音をしていたので、カラヤンが初めてと言うのは、チョッと眉唾だけどネ??
日本の音楽大学の先生達のように、Metronomを毛嫌いしていては、そう言ったprofessionalな事は出来無くなってしまいますよね。「日本の常識、世界の非常識なのですよ。」ハイ!
5月2日 12:06
「芦塚先生のお部屋」の「Metronomに付いて」のPageは、未だ「書きかけ」で書き終わる迄、passwordで開くようにしていて、未公開の文章でしたが、永遠に、このまま未完のままのようなので、人生諦めが肝心、という事で、・・・本日を持って、passwordを解除しました。
どなたでも閲覧可能です。(但し、未完の、未校正の文章でありますので、悪しからず、ご了解の上、閲覧ください。)
http://music.geocities.jp/ashizuka_sensei/metronom.html
5月2日 6:46
7日のオケ練習の時に、紗來ちゃんと梨紗さんが、Metronomのtempoを書き出して、提出してくれました。
梨紗さんは、1小節の半分迄、丁寧にMetronomを計っていたのですが、しかし、まあ、1小節も同じtempoの箇所がない・・というのは、面白い!二人共「超、難しかった!」と驚いていましたが、千夏ちゃんも、Greensleeves
to a ground in C DorischのMetronom‐tempoを計って、「出来ない!」と驚いていました。
実は、それぐらいMetronomのtempoを図るのは難しいのですよ。その難しさが分かっただけでも、一つも二つも進歩ですぞ!!
5月9日 23:19
折角、頑張ってMetronomの回答を持って来たのに、その回答合わせが無いと、物足りないと言う事で、二人だけだったので、私が作った今回の Vocaliseのfinaleの楽譜に、Metronomを打ち込んで、音声で再生させて、皆さんに聴かせようと思ったのですが、梨紗さんの1小節半分は、finaleでは最小でも1小節単位だったので、出来ませんでした。と言う事で、取り敢えずは、梨紗さんの回答も紗來ちゃんの回答と同様に、1小節単位で二人分作って見たのですが、Metronomのcrescendoや、fermataが出来ないと、やはり様にならないようで、回答として公開するのは、断念しました。tempoを決める時にはMetronomはとても有効なのですが、こういった「揺らし」に関しては、とても弱いと言う事で、sampleにはならなかったですね。
しかし、この勉強はとても大切で、役に立つのですから、無駄には絶対になりません。形にならなかっただけです。音楽の場合には、fuzzyを扱うので、形にならない事はザラなのですからね!!
そういった事も慣れるようにしてください。
5月15日8:50
本文の方でも書いたように、proの人達の場合には、合せる時間が全く無い場合が、結構あります。お互いの時間が噛み合わないのですよ。
・・という事で、楽譜を見ながら電話で打ち合わせをするのですが、カラヤンではないけれど、Metronomの10分の1迄も、正確にtempoが取れないと、電話での合わせは出来ません。本番=初合わせ、というのはproの世界では、ザラなのですからね!!
5月9日 23:23
5月5日 18:47 ·
..
「3月27日の江古田教室のお話の続きです。」
3月27日のお話を要約すると、40年間住み続けた江古田教室の話ですが、留学から帰国して、長崎で少し療養して、その後、東京に戻って来て、その頃は、マンションというのが未だない時代で、Pianoが持ち込めるような部屋を探していたて、最初は、江古田のビルの2階の真ん中の部屋だけを借りていたのですが、その後、音楽教室を開設したので、手狭になったので、会社と教室と私の住まいスペースとして、2階全部の部屋を借りたのですが、ある時に突然、部屋を出るように言われてしまいました。
その日の事は、2,3年前の事と思っていたら、もう、7,8年前の話になってしまったのですが、「息子さんにビルを渡す事になったので、会社として借りている人達は出て貰う!」と言われて、それこそ、突然、追ん出される事になって、今の椎名町教室に引っ越す事になったのですが、江古田教室の沿線では、広いスペースと、ペット可の部屋は、それ以上広い部屋は、とうとう見つからなくって、事務所スペースの分を引っ越ししながら、lessonスペースの部屋を探していたら、大家が「芦塚さんは、おつきあいが長いから、引っ越ししなくても良いよ!」と突然、言って来たので、「もう、引っ越しで、4百万以上使ったので、戻るのは、無理なので、最初に借りた真ん中の部屋だけ、そのままに借りて起きます。」と言う事になって、それが、もう7年近く前の話なのだったのですが、今回、またまた、突然、「ビルを売った」と言う事で、不動産屋から電話で連絡があって、8月迄には、部屋を追ン出される事になった・・、という困った経緯がありました。
・・そこまでは、前回の3月27日のcommentに書いて起きましたよネ。
それにしても、3月の27日以降から連休迄の日々は忙しくて、とても直ぐに引っ越すための部屋を探す暇はとてもありませんですよね。
4月の2日は教室の発表会で春の「コンサート」だし、22日は習志野の演奏会です。
それから、「反省会」、「member決め」「楽譜の準備」、「曲決め、初見大会」と慌ただしく時は流れて、息つく暇も無く、5月の連休に入ってしまいました。
連休に入って、やっとこさっとこ‥・・、で部屋探しや、江古田教室の荷物の整理等々が出来る『時間』!!・・が出来たのですが、私は、長崎の親の家を売却したので、そこで処分出来なかった荷物が、私の自宅の部屋に散乱していて、自分自身の部屋を人間が住めるように荷物を整理しなければならなかったのですが、(もう、そろそろ、10ヶ月近く経ったのですが)、忙しくて時間がない・・と言うよりも、どちらかと言うと体調不良で、そのまま人間の住む部屋ではない、片づけられない人の状態のままに、放ったらかしになっていたのを、この連休を利用して、整理する事で目一杯で、斉藤先生も椎名町教室の2階の整理が出来ていなかったので、江古田教室から東京の事務所で必要なものを入れるスペースを作っていたのですが、それも連休の3日辺りからは、体力の限界・・over・workで、・・腰痛になってしまって、動けなくなってしまいました。
今日は、もうGWの5日目も終わりになろうとしていますが(但し、今回のGWは9連休なのだそうですが・・)、斉藤先生は腰痛が酷くて、荷物の移動どころではなく、立ったり座ったりする事もままならないようなので、重い荷物の持ち運びをしなくても仕事が出来るパソコンの前に座ったままの作業という事で、2,3年も前から保留のままになっている「スマホで教室のhomepageが見れない」というクレームの対処のパソコン作業をやって貰おうと考えました。
私が以前、homepagebuilderで作り掛けたスマホ用のhomepageなのですが、一応、スマホ用のtemplateで作成したのですが、写真や文字のサイズが合わないし、当時は、私達はスマホを持っていなくて、全員ガラケーだったので、画面のcheckすら出来なくって、とうとう頓挫してしまっていました。
私のhomepageの作成の作業の負担は、「芦塚音楽研究所」のhomepageと、音楽の勉強のためのPage「芦塚先生のお部屋」と、私個人のhomepageである「芦塚陽二の病床記」と三つのhomepageを書いていたのですが、一昨年からFacebookも始めたので、homepageとFacebookで目一杯になってしまいって、homepageの発表会のご報告のPage等々がおざなりになってしまいました。
本来ならば、教室のhomepageである「芦塚音楽研究所」のPageだけでも、教室側で作成して、uploadしてくれると良いのですが、先生の人数もすっかり減ってしまって、指導するにも、教室の雑用を熟すにも、先生達の負担が、目一杯になってしまい、とてもhomepageどころではなくなってしまいました。
それに、一番簡単な便利な方法は、私の自宅のパソコンと、椎名町のパソコンの両方で同時にhomepageを入力出来ると良いのですが、だんだんとパソコンのsoftのsecurityが厳しくなって来て、しょっちゅうhomepageのパソコンを入れ替えるのは難しくなってしまいました。
芦塚音楽研究所のhomepageを椎名町のパソコンに持って行くのは、教室の連絡だけではなく、色々な教室関連のPageも作成しなければならないので、先生達には時間が無いようなので、無理という事で、新しく教室の連絡と宣伝の二つだけを限定したPageを作成するために、新しいproviderで、教室では未だ使用していない無料のproviderを探しました。
パソコンのhomepage作成softのtemplateで、スマホの設定が、がいい加減なのは、スマホの大きさが色々とあって、その分、fuzzyで作るからなのでしょうかね??
昨年中には、教室もスマホ(Android)に買い替えたので、スマホでhomepageを作ってしまえば、斉藤先生が教室に行き帰りに、入力訂正する事が出来るので、他の問題(mailがone‐clickで開かないとか、未読のcheckの付いたmailを一括で既読に出来ない・・とかの、問題を片付けるついでに、スマホでhomepageが作れないのか?と、auショップ迄、相談に行って来ました。
ところが回答は全滅で、auのAndroidではhomepageは作れないし、auではproviderもやっていないのだそうです。
ドッチラケ!!
しょうがないのいで、斉藤先生のnotePCが教室のproviderとは違うので、斉藤先生のnotePCにproviderの設定をしました。
引っ越しの作業は少々保留になってしまいましたが、まあ、何か(something)はちゃんとやっているので、良しとしましょう!!
東京の教室は、生徒を集めるという事が先生達が忙しくて無理なので、生徒達が遠くから来ている八千代に江古田の教室を引っ越す予定です。八千代の対外出演もやっているので、教室の知名度も高いし、数人の生徒さんもいるので、生徒募集が東京よりも楽だからです。
という事で、事務所に置いてある新教室を作った時の荷物や、ハイツの倉庫にしまってある大道具類を江古田教室に集めて、集荷して貰わなければならないのですが、lessonは教室を閉鎖する迄は、続けているので、荷物を何処に置くかが問題です。昔のように自分達で車に積み込んで、新教室で降ろすという体力はもう無いので、全て業者に頼みたいのですが、そのために江古田教室に大荷物を集めて行かなければならないので、それだけでも一作業なのですよ。
いや~あ、困った!!
5月7日 9:37
5月9日 1:14 ·
自己紹介の設問事項がFacebookを開く度に表示されて、目障りなので、削除しようとしたのだが、どうしても出来ないので、諦めて、その設問に回答をしたら、それが、一般に表示されてしまった。
その文章を削除したのだが、削除出来ないままに残っている。
削除出来ないので、切り取りをしたら、またぞろ、自己紹介をしろと、messageが動いている。どうも目障りだ!!
どうも、Facebookの動きは稚拙である。
以下はその文章です。
「私が幸せと言うか、精神的にほっこりとするのは、「ひたむきさ」とか「いちずさ」とか「Gedult」を心に抱いている人に、めぐり会った時なのですよ。そういう人と合う機会は殆どありませんがね。」
何と、いとも簡単に出来てしまった。同じ事をやって出来なかったのに、不思議だ!!
5月9日 4:04 ·
「防音室」
音楽を勉強していると、近所とのトラブルになり兼ねないのが騒音の問題であります。
赤ちゃんの鳴き声は、親に取っては最高の音楽なのだろうが近所とのトラブルでは最悪のケースとなる場合が多いのです。
借家を借りる時には、Pianoを持ち込むのか?赤ちゃんがいるのか?を聞かれる事がよくあります。
勿論、音楽家や赤ちゃんのいる家庭は、部屋を借りる時のネックになります。
持ち家の人達は、防音に対して、音楽の練習室の防音室を買ったり、部屋を作る時に最初から防音対策をする事が可能なのでしょうが、地方から来た音大生達が、「Piano持ち込み可」の借家や「音出し可」の部屋を探すとなると、結構、足元を見られて、高い賃貸料を要求される場合が多いのですよ。
昔、そういった地方の貧しい音大受験生達を教えていた時に、受験生に対して、部屋の改造をしない(借家の場合の)有り合わせの材料での、防音対策のadviceを、記憶を頼りに書いて見ます。
先ず、基本の考え方は、音は振動を媒体として伝達される・・と言う事です。
一例なのですが、或る音楽家の夫婦が、マンションを購入して、当時(今から30年も前に500万以上を防音に掛けて)万全の防音対策をして入居したのですが、ご多分に漏れず、下の階の住人とトラブルになって、折角購入した部屋を出なければならなくなった・・という悲劇があります。
しかし、そこで、笑えるのは、その苦情を言って来た住人というのが、お琴の先生で、私から見れば「同業者ではないのかな?」・・と思えたのですが、騒音問題は、感情的な問題も含むので、とても難しいのです。
例えば、「子供がいない」・・と、大騒ぎをしている地区で、保育園を持って来ようとすると、住民の反対運動が起こったりします。
子供達の声が喧騒に聴こえる・・、安住出来ない、という事です。片一方では、「保育園が無い」、「幼稚園が無い」と、大騒ぎをしていて、その保育園を建てようとすると、「子供の声がうるさい」と、住民運動が起こったりするので、自治体も溜まったものではありませんよね??
それに対する有効な手段を見つけた自治体もあるのですがね。(後述します。)
「部屋の中に作る防音室なのですが、市販の防音室を買ったのだけど、思った程ではない」・・という意見はよく聞きます。特にviolinの場合には、小さな子供の間は問題はないのですが、大きくなったりすると、弓が天井にぶつかったりして、思いっきり弓を弾けない事にもなります。音楽家にとっては、天井の高い部屋は或る意味、理想的な部屋なのですよ。勿論、音的にもね。Pianoやcelloのように座ってしか、弾かない楽器には、天井の高さは、音響的な問題だけなのでしょうが、どっちみち、狭い空間では、音を響かせるとnoiseがするので、吸音しなければなりませんから、空間の問題は練習室では、余り意味がありません。
防音室の考え方は、部屋を如何に密閉出来るか??という話なのです。
・・という事なので、防音室は密閉された閉ざされた空間なので、エアコンなどの空調を入れると、その空調のダストから音が逃げて、防音にならない・・というケースが昔はよく起こり、高い金額を掛けて、防音室を作ったのに‥・??と、よく問題になった事がありました。(今は、その問題は少しは改善されたのかな??その後の話は聞かないけれども‥・??音楽教室を作ってからは、防音室の事で相談を受けた事はないので・・・。)
防音室のお話は、基本的には、業者との話なので、私は介入しないし、また、それだけの知識もありません。
ただ、防音は一般の建築とはまた、別のgenreのお話なので、専門の業者でないと、一般の建築業者の「防音室も出来るよ!」という程度の防音と、音楽の練習室では、防音のlevel(音のデシベルの範囲)が全く違うので、普通のお稽古事や、テレビの鑑賞程度を想定している一般業者の考えている防音施設とは根本的に違う‥・という事を知っておいてください。
昔は、私の従兄弟が大手建設会社(黒川さんの所)で設計士として務めていたので、「防音室の設計をしないか?」と持ちかけて、従兄弟も、それは超レアなitemになる‥・という事で、大乗り気で、何軒かの防音室を作ったのですが、60代を待たずして、心筋梗塞で死んでしまったので、その話も立ち消えになってしまいました。
それに私自身がadviceを出来るのは、地方からの貧乏音大生達で、お金もない借家住まいの音大生達の出来る範囲のお話なので、お金をふんだんに掛けた業者の話ではありませんので‥・。
「防音の原則」
防音の原則は、遮音と防音(吸音)がありますが、それらは、チョッとした工夫でかなりの改善をする事が出来ます。
関西圏のマンションは、東京とは違って個人のプライバシーを大切にするので、壁の厚さが東京とは全く違います。
約、30センチ以上の壁の厚さがあると、殆ど隣の音は聴こえません。
しかし、その分部屋の広さが狭くなるので、関東圏では、部屋の広さを確保するために、壁が薄いのが原則です。
「音の伝達」
音は、床、壁、天上伝いに振動として伝達されます。
Piano等は、通常、木の床(フローリング)の上に直接置かれる事が多いのですが、木は音響を増幅する働きがあるので、音的には良い響きがするのですが、防音としては最悪です。(自治会館は多目的ホールなので、音響に関しての配慮は全く成されていません。しかし、床が木の床なので、弦楽器に取っては音響が良いのです。)
「響きは容積率で決まる」
但し、6畳から20畳以上の部屋でも、音響的には狭いので、響かせる工夫を施しても、音は良くなりません。
反射が多過ぎてnoiseになってしまうからです。(音の反射が耳に心地良い物になるためには、或る程度の距離が必要だからです。この距離は5メーターや10メーターでは、とても無理な距離なのです。)
音響が良くなる秘訣は、入れ物(会場=ホール)の体積によります。
幾ら、広い会場で500席も入るようなホールでも、天井が低くて、容積が足りない場合には、音は歪んで来ます。
だからpopularの客席の場合には、天井や床を吸音材で音を吸音させて、スピーカーで音量を出します。つまり、これは響鳴した音ではないので、studio録音のClassicとも同じで、ホール効果はありません。電気的にエコーを入れても、生の会場録音には叶いません。
ヨーロッパの有名なrecordでは、録音された会場が書いてあって、何処其処の宮殿だとか、教会だとか・・の録音です。羨ましい限りです。
ですから、日本の狭い(借家)の場合には、寧ろ、吸音に心がけるべきなのです。(それ自体に共鳴箱を持っていないFlöteや歌の人達は嫌がりますが・・ね、)
「床の吸音と遮音」
床の吸音材としては、畳が一番です。和室にPianoを置くだけで、下の階とのトラブルはかなり防げます。
検見川教室はラバーが下に付いたかなり厚手のマットを敷き詰めていますが、実は、前の教室で厚手のマットをひいていたのを業者が剥がそうとしていたので、そのマットの上に二重にひくように言いました。
コンクリートは特に音響を伝達し易いので、そのための配慮です。
またPianoを置くお皿には、中空になったお皿がありますが、これは耐震の時にPianoが移動するのを防ぐ意味でも、音が床に伝達されるのを防ぐにも有効です。結構安いしね!!但し、その分、鍵盤の位置が高くなるので、椅子の高さの調整が難しくなります‼
「壁の吸音と遮音」
壁は、隣の部屋に音が伝達されてしまうので、マンションのように部屋が複数ある場合には、音を出す部屋を部屋の真ん中に設定すればかなり隣との関係は改善されます。
音は吸音材の厚手のカーテンと壁の間の空間で、かなり減少するので、検見川教室のように、遮光吸音のアルミ入りのカーテン(市販のカーテンでは、一番分厚いものです。学校用なので、全部の壁を隠して、昼でも真っ暗にして、mini‐concertや、録音をするには、とても便利だし、厚手のフェルトのようなカーテンはかなり高価なのですが、部屋を豪華にするには、Liszt先生のように、それでも良いと思います。)
ここで大切な事は、壁とカーテンの間に空間を作る事で、最低でも15センチ以上は壁から離してカーテンを取り付けなければ、吸音遮音の効果は出ません。
また、部屋の四隅のカーテンの切れ目は、必ず重なりあうようにするのがコツです。天井から、床に触れて、壁全面が隠れるようにするのがコツです。検見川教室のカーテンは、業者に頼んだので、天井に直接、カーテン・レールを取り付けています。少しでも、カーテンが壁を隠していないと、直接、壁が振動するので、何の役にも立たちません。一般の業者の場合も、防音に対する過信が、防音の不具合を生み出してしまっています。
grandpianoの場合には、壁よりも離す場合が多いので、壁よりも床の振動の伝達が基本になるので、先程も言ったように、中空のお皿が有効ですが、uprightPianoの場合には、壁に寄せて設置する場合が多いので、壁から離す事が最優先です。
それと、裏の響板の後ろに、吸音マット(厚手であれば、使い古しの布団のマットでも良い、勿論、畳でも構いません)を置くと、直接、音が壁に当たって、振動が伝わるのを防いでくれるので、良いと思います。
市販では、uprightの後ろの木材部分に取り付ける専用の吸音マットが売られていて、調律師に頼むと、Pianoの裏に被せてくれますが、共鳴の音を全部防いでしまうので、音が小さくなって、こもってしまうので、あまり付けた人達の評判は良くありません。
「天井の吸音」
問題は天井なのですが、それは天井は、ものを吊るすだけの耐荷重を持っていないという事です。
重い吸音材を天井に貼り付けると天井が落っこちかねないのでね。
勿論、天井の場合には業者に任せるのが一番なのですが、業者と言うのは、防音の知識のある業者は非常に少ないので、何時も、その後、問題が起こってしまいます。勿論、防音を売りにしている業者なら、問題はないのでしょうが、防音に関して、軽い気持ちしかない業者が多いからです。
そこで、私が考えたのが、発泡スチロールです。
日曜大工センターに色々なサイズの発泡スチロールが売っているので、乱反射をさせるために、丁度、スタジオのように、色々なサイズの発泡スチロールの箱(最低でも10センチの厚さ)を組み合わせて、天井に接着剤で貼り付けると良いと思います。
借家で、天井に貼り付けるのが無理ならば、四隅から釣り糸のような強い切れにくい糸で、発泡スチロールをディスプレイするようなimageで吊るすとよいでしょう。(でも、これは音が全く反射しなくなるので、楽器の音がスカスカになってしまうので、管楽器の人でなくても、弦楽器の人達も結構嫌がります。)本当ならば、音楽を勉強する人達はある程度の音の響きは欲しいのでね。
発泡スチロールの断熱吸音効果は、今では、家やマンションの壁の隙間に埋め込むのは、一般的になってしまいました。ネズミやその他の動物が入り込まない対策にもなるし、金額的にも安いので、かなり普及しています。
これだけの作業ならば、音大生の女の子達でも自分で出来る作業だし、お金も殆ど掛からないのですが、不思議な事に、こんな簡単な日曜作業でも、思った以上の防音効果があって、結構、それだけで、クレームが無くなってしまった、という経験をしました。(今までの私の生徒達へのadviceとしての経験上では・・・という意味なのですが…??)
生徒達だけでなく、江古田教室等もそういった配慮をして、部屋のコーディネートをしています。
「雑談に戻って・・」
先程の保育園のお話は、子供達と近所の人達の、音のトラブルを何とかしたのでは無く、保育園の中に無料の珈琲やお茶を飲める休憩所(community)を作って、子供達が望むのならば、いつでも老人達とも触れ合えるような場所にしたのです。
都心の地区に住んでいる人達は、自分の子供達はもう巣立ってしまって、孫が訪ねて来る機会も少ないのです。都会の独居老人になってしまっているのですよ‼
ですから、触れ合える子供達がいれば、遠くの身内よりも、近くの他人なのですよ。
それこそ、親愛の情が産まれて来ます。
老人が子供達を見守る事が出来るようにするには、老人達の居場所を作る事が大切なのですが、そこに気づいた自治体は少ないのですよ。何の事はない、昔の日本に戻るだけなのですがネ?
先程の若い音楽家夫婦の場合も、下に住んでいる老人を、洋楽と邦楽を異文化として捉えてしまえば、幾ら防音に気を使っても、それでクレームを減らす事は出来ません。
もし、その音楽家の夫婦が、同じ音楽をやる仲間か、身内のようなcommunityとして捉えたならば、そこまで騒音問題はこじれる事は無かったと思います。
「騒音問題は情緒論にしか過ぎないのですよ。」
「受験勉強をやっているので、練習する音が耳障りだ!」と思うのと、「練習、頑張っているな~あ、私も頑張らなくっちゃ!」と思うのでは、勉強はどちらが捗るかは、明白なのですがね。
音が、騒音として聞こえて来るという事は、その人が集中出来ていないという事なので、騒音が無くなったとしても、集中出来る事はありません‼
私は、ミュンヘンの留学生時代には、何時でも、パッと集中出来るように、ミュンヘンの駅の雑踏の中で、本を読む訓練をしました。だから、今では、ヤマハの楽譜売り場の、迷惑なBGMの中でも、スコアーのオケの音を、聞き取る事が出来ます。「安禅は必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」です。
杜荀鶴「夏日悟空上人の院に題す」より
今の日本人が失ったものは、「ゆとり」なのですよ。
その、失った「ゆとり」を引き出すようにすると良いのです。
「声掛け」のたった一つが、その問題を解決するのですよ。
5月9日 12:49 ·
5月10日10時50分に全体的に少し書き加えました。大した内容の変更はないのですが・・・
「まあ、良いか?」に対する考察
(まえがきに変えて)
2,3日前にこの文章を書きかけたのですが、色々と個人的な考え方もあるので、途中迄ある程度は書いていたのですが、全部、削除してしまいました。
しかし、日をおいて、改めて考えて見るにつけて、やはり、社会人になるために、・・と言うよりも、音楽を勉強する上では、この日本人特有の考え方である「曖昧模糊」とした日本人特有の独特の考え方を理解する事は、‥・・(つまり、この「まあ、良いか?」の思考法を理解する事は、)とても大切な事ではないか??・・と思い直して、この文章をもう一度、書き直す事にしました。
「まあ、良いか?」の感情表現は、一般的にはありふれた感情表現であって、それを、殊更に問題視する人はいません。
しかし、道具はそれ自体は、「良し悪し」はないのですが、寧ろ、使う人間の、使い方次第で「良い道具」か、「悪い道具」かが決まってしまいます。
道具に限らず、物事にも、或いは、そういった感情にも、同じく、必ず裏表があります。
ですから、「まあ、良いか?」という感情は、それが良い場合と、それがその人自身に取っての心の成長を止めてしまう場合があるのです。
つまり、人との豊かな人間関係を築くためには、人の言った事を「まあ、良いか?」と言う風に、「清濁併せ呑む」事は、上手な人間関係を築く上でも、とても重要な事であり、人間としての奥深さを表しています。
しかし、自分が、社会人として、或いは職業人として、周りの人達から認められるためには、「まあ、良いか?」という感情表現を認める事は、自分自身の社会生活を、自分本人で摘み取ってしまう事になり兼ねません。
その一つの例としては、「引き篭もりの人達」の殆どの人達は、社会生活上で人との共同の生活を出来ない・・強調出来ない・・と言う事が発端の原因で、自分の世界に閉じ籠もってしまうのです。
「引き篭もりの人達」は、自分への価値観や評価を自分自身で定決してしまいます。
そこに他の人達の考え方や評価を、取り込む事はないのです。
他人が自分の仕事への評価や価値付けが見えれば、引き篭もりに陥る事はありません。
しかし、多くの「引き篭もりの人達」は、他人の評価が。自分の仕事に対する評価ではなく、自分自身の人間性に対しての評価だと思い込んでしまいます。
仕事への評価と、人間性としての評価の違い・・、それが見えないから、引き籠もるのです。
「引き籠もる人」は、「自分はこれだけ一生懸命やったのに、どうして、皆は認めてくれないの??」とよく言います。
でも、人が認めてくれない原因がその人の「まあ、良いか?」である事を理解出来ないのです。
分かり易く、その事を商品に例えて説明をし直すとすれば、「まあ、良いか?」で作られた商品に良いものがある分けはないのです。
「まあ、良いか?」は、作る側の立場では、それを作った本人にとっては、「完璧でない・・けれど、これぐらいで、まあ、良いか?」という意味合いが入ります。
仮に、その作られたものを購入する人自身が、普段は「まあ、良いか?」を連発する人であったとしても、その人が、お金を払って、商品を買う時には、同じ値段ならば、必ず、より完璧なより良いものを選んで買います。
その人が「まあ、良いか?」と普段、日常的に言い続けていたとしても、その人が、ものを買う時には、「より悪いもの」を選ぶ事はないのですよ。
どうして、ものを作り出す勉強をする人達が、そこの所が分からないのかが、私には不思議でなりません!!
このお話は、只の、仮定なのですから、音楽の勉強と置き換えて考えても良いのですよ。
そして、当然の事ながら、結果的には「まあ、良いか?」の商品は売れ残ってしまうのです。
そして、「まあ、良いか?」の商品を作った人は、その商品を作るrepeatが掛かって来なくなってしまって、その世界で生きて行くという夢を持ち続ける事も出来なくなってしまいます。
結果的には、他の周りの人達から、その作りだす物の価値を信じて貰えなくなってしまいます。
でも、それでも、その人にとっては、その仕事は、「まあ、良いか?」に過ぎないのだから、それで、その仕事を失ったとしても、それでも傷つく事はないのかもしれませんよね。
今日の社会では、例え、自分に自信が無くなって、引き篭もってしまったとしても、親が食べさせてくれるからです。
親が死んだら、その時は、成り行きに任せて、野垂れ死にすれば良いだけだからです。
そこまで考えて引き籠もる分けではないのだから、「まあ、良いか?」の人生ですよ。
話は少し変わるかもしれないけれど、以前、NHKのテレビ討論番組で、男性と女性、若者達と老人に分けたテレビ討論をやっていて、考え方の違いがはっきりと見えてとても面白くて、ついつい仕事をしながら見てしまいました。
老人の工場の経営者が、女性の起業家に向けて、「深夜、工場のlineがstopした時にも、あなたは直ぐに来てくれるのか?」と質問しているのに、女性の起業家は「私達は男性の人達に負けないように、しっかりと仕事をします。」と答えて、老人の「深夜、駆け付けて来れるのか?」という質問には答えなくて、話が平行になってしまっていたのが、面白かったのですよ。
日本の女性の起業家には、家庭もあって、子供もいて、旦那もいます。その中で、全てのgenreに責任を持つ事は、やはり難しいのだよな??と、改めて思い知らされてしまいました。
もし、男性の会社員ならば、「ハイ、何時でも、直ぐに駆け付けます!」と、躊躇なく答えたでしょうしね。また、問題なく、そう出来たはずです。女性が回答を渋ってしまうのは、女性の立場としては、致し方ないのかも知れませんが、工場の経営者に取っては、24時間駆け付けて、helpをしてくれるか否かは、それこそ、生命線なのですよ。
つまり、このお話も「まあ、良いか?」に一脈通じる所があるのですよ。
ひや~あ、Facebookが閉じなくなってしまった!!
どうすんべ~え!!
しゃぁ~ない!タスクマネージャーで閉じなければ、強制終了だなゃ!!⇒タスクマネージャーで、何とか閉じたけれど、Googleが勝手にFacebookを乗っ取ろうとしていたってさ!!
怖いね!!
「まあ、良いか?」の性格は、教育によるものが大なのですが、私が子供の頃は、それだけの教育を受けるだけの環境はありませんでした。この場合の教育とは、学校教育と言うよりも、家庭の教育のお話です。
東京等の大都会はさておいても、地方の都市では、江戸時代そのままの文化であって、それも戦後で、食べる事、明日の食事を食べれるか否かが、その日の問題であって、子供に教育を施す・・なんて、夢の又夢の時代だったのですよ。
家で、勉強(宿題)してから、学校に来る子供なんて殆どいませんでしたしね。
子供は風の子、子供は遊ぶものと言うのが、一般の常識だったのですよ。
家庭の環境は、父親が復員して来て働き出した家庭から、段々と改善されて来たのですが、私達のような母子家庭では、それも叶わず、時代に取り残されて、一番据え置かれてしまったのです。
当然、私の幼年時代には、ご飯の代わりに、(昔の極めつけに固くて不味い・・)かぼちゃが4分の1切れだけ・・という時もありました。、それでもその日に食べ物を食べる事が出来たという事は、充分幸せだったのですよ。
毎日毎日を、祖母や母は必死に子供達に食べ物を与えるために働いてくれていたのです。
当時既に、齢い60を過ぎていた祖母も、自給自足で本家の畑を耕して、食べ物を作っていました。
勉強どころではなかった時代です。
子供の教育もへったくれもない戦後のどさくさの時代だったのですよ。
当然、教育の教の字さえなかった私は、勤勉さも全く無い、「まあ、良いか?」の典型的な子供として、幼年時代を過ごしましたとさ。
そんな私が、60歳、70歳を過ぎても勤勉に仕事をしている私になっている‥・なんて、昔の私からは、とても想像も付かない事です。ハイ!
普通ならば、もう楽隠居の年齢だろうが・・、何処で間違えてしまったのだろう‥・??
「ひたむきさ」から「まあ、良いか?」を引くと、夢は限りなく遠退いてしまいます!!
でも、子供達のひたむきさを、社会通念(一般的な常識)と置き換えるのも親なのですからね??
それにしても、夢とproを取り違えている音大生には辟易させられる。
どんなに格好良い演奏でも、amateurはamateurに過ぎないのであって、どんなに嫌な仕事でも、仕事は仕事だ、と言う事を分からなければ、その人の将来はないのだよな??
格好良さだけを追求するのは、マスコミに踊らされた、brand嗜好と同じようなもんだよ。
仕事と趣味の区別が付かないのが、現代の人達の特徴ですよね。
それも「まあ、良いか?」の一つなのだがね??
「まあ、良いか?」では、全てが見えなくなってしまうのだよ!!
いや~あ、困った!!
勿論、lifeworkは趣味だというのも、良い事だと思います。
それで、人生を全うすればそれはそれでも、充分に満ち足りた人生だと思います。
但し、趣味は、あくまで自分のものであり、人と売り買いするものではありません。
私が「夢とproの世界を取り違えている音大生・・」と言っているのは、その趣味的な夢へのapproachを持って、proとしての人生である・・と勘違いしている点なのです。
音大生がその音楽を自分の高尚な趣味として、自分の楽しみとして、amateurのオケや室内楽を愉しむのはやぶさかではないのですよ。
でも、それで金を取るとなると、「おいおい、チョッと待ってよ!」てな事になるのですよ!!
でも、まあ、自分自身の心の平安のためには、音大生(人様)の事等、「まあ、いいか・・・?」だよな!!
それこそ、「不識=そんな事、わしゃ知らん!」だなゃ???
あ、あれ?つまり、のあとはどうなりました?
5月9日 14:41
つまり、の後は、Facebookがfreezeしてしまったので、中座して、何を書くのか忘れてしまいました。その内に思い出すでしょう??
5月9日 16:29
「ひたむきさ」から「まあ、良いか?」を引くと、夢は限りなく遠退いてしまいます!
のところがよくわからないのですが、詳しく教えてもらってもいいですか?
5月10日 21:07
..
「ひたむきさ」と「まあ、良いか?」には、「水準」があります。
小さな子供が「ひたむき」になって一生懸命に音楽を演奏したとしても、proの人が「まあ、良いか?」と演奏するよりも、水準は当然proの演奏の方が良いはずなのです。
でも、溝の口に演奏に行った時に、聴きに来てくれたhomeの人達が言った言葉があります。「近所の幼稚園の子供達やN饗のmemberの人達がvolunteerで演奏に来てくれるのだが、自分達はカザルスやカルソー等の演奏を生で聴いて来たし、ちっとも感動をしない。」
そういった耳が肥えたお爺胃酸御婆さん達が、私達の子供達の演奏を聴いて、目に涙を浮かべて感動してくれました。
それが「一途さ」です。
純粋な欲の無い無垢の「一生懸命」なのですよ。
でも、小さな子供が、一生懸命に演奏したからと言っても、それが一途さになる分けでは無いのですよ。つまり、N饗の演奏も嫌だけど、近所の幼稚園の子供達の演奏も可愛いいとは思わないのですよ。
「一途さ」は、夢に向かって「ひたむき」になれるから、感動を与えるのです。
5月10日 22:04
..
「まあ、良いか?」と言うのは、本当ならば、その人の水準では、もっと上の段階まで、水準を上げる事が出来るのだけど、・・「まあ、良いか?」と、続きます。
つまり、安易な妥協を意味するのですよ。
自分に妥協をするのならば、当然、本当の意味での、向上はありません。
私が何時も言っている芦塚メトードの基本の理念である99%の意識と1%の努力というのも、その意識の持ち方を表しているのです。
私が子供達を教え始めた頃、地位のある超有名な演奏家の人と待ち合わせをするchanceがありました。
でも、その人の開いている時間と子供との時間がdouble-bookingした時に、子供との時間が先に決まっていたので、それを優先させたら、周りの人達が驚いていました。
私は「仕事には貴賤は無いから、子供に指導する時間も、超有名な演奏家とmeetingする時間も私に取っては同じなのですよ。」と言ったら、皆驚いていました。
でも、この考え方は、茶道でも禅でも、それは同じ考え方なのですよ。
物事に貴賤はないのです。
子供との仕事はいい加減で、オケや室内楽だけを優先する人達に音楽の本質は分からないと思います。
ある日、Brahmsが散歩に出ようとしたら、立派な(偉そうな)紳士が、「Brahms先生の家はここかね??」と尋ねて来たので、「あなたの会いたいBrahmsさんの家はそこですよ!」と言ってそのまま散歩に出かけたそうです。
Brahmsが言っている意味は分かりますか??全く同じ事をBeethovenも言った事があるのですよ。
つまり、あなた達が憧れているBrahms先生は、あの家にいて、私は只の老人に過ぎないのだ!と言っているのですよ。
5月10日 22:32
「一期一会」と言う言葉は、音楽にも相通じる所があります。
「1年に100回の演奏をしようとも、常に、自分のbestな演奏をしなさい。」と、いう意味になりますよね。
でも、それは、日常にも同じ事が言えるのです。今日は幾つ、「まあ、いいや?」を言ったのかな?
それは、即ち、人生を無駄にした・・という意味になるのですよ。
勉強中の子供達には、もし、疲れていて、眠たくて、集中力も、気力も出ないとしたら、その日は丁寧に楽器を磨いて、楽譜を読むだけにして、練習は無しにした方が、より良いのですよ。
絶対に惰性で練習をしてはいけないのです。
それも、一期一会なのですよ。
5月10日 22:34
今、ドルプリと斉藤先生のお迎えに行って、斉藤先生から同じ質問をされて、始めて梨紗の質問の意味が分かりました。
な、な、なんと、足すか引くかの、言葉尻に引っ掛かっていたのですよねぇ?
では、「ひたむき」を「ピュアな水」に例えて、説明しましょう。
そのピュアな水が10あるとします。(単位はLでも何でも良いでしょう??)
「まあ、いいか?」は、水溜まりの水で3あるとします。
水溜りの水は綺麗な水ではありません。
だから、綺麗なピュアな水の中には汚い水は含まれてはいないので、水溜まりの水の分を、綺麗な水で引く事は出来ないので、水溜りの水を加えてピュアな水10+汚い水の3で、合計13になるのでは??・・と考えてしまったのかな??
これは、例を水で例えてしまったから、理解出来なくなったのよね??
綺麗な水を汚い水で引く・・と、いう事が、理解出来なかったという事なのでしょうが、それは単なる言葉尻の問題で、実際にはそうはなりません。
綺麗な水は、加えられた水で汚れてしまう分けなので、10の綺麗な水は、汚れた3の水で汚なくなって、綺麗な水の3は無くなつてしまうのですよ‼
つまり、綺麗な水の10は汚ない水の3の分だけ、無くなってしまうのですよ‼
だからといって、「ひたむきさ」から「まあ、いいか?」が、引く事が出来るのですよ‼
結論的に言うと、綺麗な水の10が、汚れた水によって、目減りしてしまうのですよ‼
実際のお話しでは、「ひたむき」な時に学んだ技術も、「まあ、いいか」が入ってくると、一瞬で、その技術を失ってしまうのですよ‼
それが現実なのですがネ?
例えた例が分かり難かったという事なので、教室でいつも使用しているオセロの練習で考えれば、簡単ですよね??では、次にオセロの例で説明し直しましょうね??
5月11日 21:12
ありがとうございます。はい、言葉尻に引っかかっています。
「今までできていた技術が一瞬でできなくなる…」という話に繋がるということですよね?
綺麗な水がいくらあったとしても、汚い水が少しでも入ってしまったら濁った水になってしまうということであっていますか…?
5月10日 23:56
..
そう理解しても良いと思います。
昔、私が高名なviolinの指導者の講演会に指導の勉強をしに、部外者なのだけど、しらばっくれて、聴講に行った事がありますが、その先生が「10回練習して、上手くならなかったら、100回! 100回練習して弾けるようにならなかったら、1000回練習すれば良いのだよ!」と言っていて、来場していた皆さん達は感激していたのですが、私はその意見には根本的に反対で、それで、オセロ練習法を作ったのですよ。
10回上手に練習して、ちゃんと弾けたとしても、その後で、10回間違えた練習をしたら、プラマイ0回練習した事になる・・という理論で、これはcomputerの考え方なのですよ。
教室の生徒達が、超少ない練習時間で、concoursに合格したりしているのは、その無駄を省いた練習法のおかげなのですよね。
つまり、10の技術を身に付けたとしても、「まあ、良いか?」の意識が3入れば、(±)7になってしまって、「まあ、良いか?」の意識が、一つ増える度に、限りなく下手になって、音楽の将来の夢が遠退いて行く・・のですよ。
それが、amateurismの話なのです。
amateurの人達には、音楽で身を立てようという人はいません。(だって、もし居たらその人はproの道を目指すはずですからね??当然、意識も変わって来るはずなのですからね。)
私の教育理論では、「夢は(潜在意識的に)望むのならば、必ず叶う」という事を言っています。
その「潜在意識」とは、その人に取って、その望が一番であるならば・・という意味です。
男の子達は、大学を卒業して、社会に出ると、(本来的には、)自活しなければなりません。
望むのならば、伴侶や子供のためのお金も稼がなければならないのです。
しかし、女性の場合には、社会に出て、夢を追い求める事が厳しくなって来たら、結婚をして、主婦として音楽と関わって行けば良いのです。
そこには、潜在意識的に致命的な落差があります。女性の場合には、基本的には、社会で自立して生活をするという意識は無いのです。
だから、音楽の勉強をしていても、結局の所、趣味の域を出ないのですよ。
日本の音楽大学から、Münchenの音楽大学に入学した時に、一番驚いた事は、女性が殆どいなかった事なのです。
Münchenの音楽大学は、statusとしてではなく、職業の訓練所的な学校だったから、女の子達は、他の音楽大学に行っていたのですよ。
Münchenの音楽大学に教育学部はありませんからね。
5月11日 8:05
それと、同じぐらいに大切な考え方、いや、それよりももっともっと大切な事は音大生の「仕事に対する貴賤」(所謂、価値観)の考え方です。
学生なのだから、先生のlessonが一番なのは理解出来ます。学生に取っては、学校のオケ練習も授業の中なら大切な事は理解出来ます。しかし、もし、従業の合間にお金を取って子供達のlessonをしているのなら、それはもう職業です。でも、学生達はそれを、「バイト」という言葉で表現します。学生達は相手が子供だから・・と言う事で、ナメてバイトをします。
私は学生達がよく口にする「バイト」という言葉が大嫌いです。
それこそ、学生の無責任さを表している言葉だからです。
そもそも、ドイツ語のarbeitという言葉には、日本語で言う所の「バイト」という意味は全くありません。arbeitは、本来的な「仕事」という意味なのですからね。
教室に超有名音楽大学の生徒達が以前は、面接に来ていて、牧野先生達を怒らせていました。
「concoursを受けるので、江古田までlessonに来るので、その前後で教えたいのだけど・・?concoursに合格したら、その後の事は分からないのだけど、3.4ヶ月の間は教えられるので・・」
この話を聴いて、すっかり驚いてしまいましたが、多かれ少なかれ、毎年、面接に来る学生達の意識は、何時も、音楽教室に対しての意識は、その程度でしたよ。
挙げ句の果ては、私に向かって、「先生達は子供を指導する事にprideを持っているのですね??」だって!!
彼女等の意識は、「音楽教室は演奏家としてproになれなかった人達が、仕方なく教える所」なのですよ。自分達はproになるために勉強しているのだから、子供を指導するには、勉強は必要はない!初歩の知識と技術で充分である。
そういった態度が見え見えです。
ほんと、ぶっ飛ばしてやりたかったよな!!
それが某超有名私立の音大ですが、某国立の生徒達も同様でしたよね。
超有名な某国立や某私立の音楽大学は、学生の意識でも、日本の音楽界を席巻するものでなければならないと思うのですがね。
・・という事で、今では音楽大学に講師募集をするのはやめてしまいました。
腹が立つからね。
魂の平安のためには、音大生は雇わない事がbestなのですよ。
どうせ、来ても、また、今なら(桃迦ちゃん達に)「なんで、そんな事も出来ないの??」と素直な瞳で訊ねられるのが落ちなのでね。
昔々も、教室での面接に何とか合格した数少ない希少(レア)な学生が、検見川教室のオケ練習を見学に来た時に、小学生の低学年であった梨紗達に同じ事を言われたのだけど、自分達がなんと言ったのかは、言った当人達は忘れているのだけどね。
今まで講師募集で面接した有名音大生で、譜面の書き方のテストで、ちゃんと譜面が書けた学生は今の今まで、たった一人もいないのですよ。音大生は、ト音記号やヘ音記号ですら、書けないのです!
譜面を書いた事がないのですよ。
「そんな初歩的な勉強はする必要はない!!」と自惚れているのです。
大学の授業でも、そんな初歩の事は、出来て当然とシカトしているのですよ。
それで、音大生と呼べるのかね??
5月11日 7:36
音大生が面接に来た時に、私が教室として要求する事は、「Beyer教則本とBurgmüller、それにsonatine‐albumの1巻ぐらいは暗譜で弾けるようにしてください。」という事です。
そうしたら、「Beyer教則本は106曲もあるので、覚えられません。」と言った先生がいました。
私は「でもchopinのBallade、1曲よりも音符の数は少ないはずだけどね?」と言ったのだけど、結局、こんにちまで、誰一人として覚えてくれませんでした。
私の場合には、それぐらいの曲は暗譜しているし、(私が暗譜しているから、面接に来た学生に暗譜を要求するのですよ。)それに私は、耳で子供の弾くPianoの音を聞くだけで、指使いが見えます。
しかし、それには、相当な慣れが必要だと思うので、子供が指使いを間違えていないか?をcheckしながら、音の間違いを正すには、子供の指を見ないと無理だと思うのですけれどね??
指使いのcheckが出来ない先生に、「何故、生徒の指を見ないのか?」と質問したら、「音の間違いを指摘するために、楽譜を読んでいるから!」と答えました。曲を覚えていれば、譜面の間違いは、指使いをcheckしながらでも出来るはずだけどね??
でも、その当然の事を予習してくる学生は一人もいないのですよ。
「その程度の初歩的な事は、予習しなくても出来る!」と、思い込んでいるのですよ。
同じ音楽教室でも大手の企業の音楽教室ならば、教室も綺麗だし、或る程度はstatusにはなるので、「**に就職しました。」と宣ふのですが、企業の音楽教室では、会社員として、勤めているのは、売り子の女の子であって、指導をする講師は、正規雇用ではなく、単なる日雇いに過ぎないのですがね。そこの所も分からない。もし、「**に就職した」と言いたければ、売り子として就職しなければならないのですがネ??音大生には、そういった一般常識すら無い。困ったものです。
5月11日 7:49
「まあ、良いか?」のお話は、とても長いcommentになってしまいました。
それだけ、日本人に取っては根深い問題だからです。
「音楽の世界でproになるのは難しい」とか、「音楽で食べて行くのは不可能だ」という事が一般論になっていて、教室に来た先生から「Classicの音楽で生きて行くのは無理ですよねぇ~??」と言われた事があります。
私は音楽大学に入学をする時に、養父から勘当されて、音楽の世界に入ったので、自立と言えば、その音大生の時代から既に、自立をしています。
その頃の夢は、未だ日本に2台しかないCembaloを買いたい、steinwayのgrandpianoが欲しい・・というのが夢でした。Cembaloは今spinet2台を含めて4台持っているし、steinwayのgrandpianoは、置き場所さえあればいつでも購入する事は出来ます。
では、何故、音楽をやっていて、飯を食う事が出来ない・・と言われているのでしょうか??
それは、指導する方も、指導を受ける方も、職業として学んでいないからです。
大学院を卒業して、更に留学をしようとしている女の子に、「留学するのは良いけれど、それから日本に帰って来てどう生活をするのですか?」と訊ねた時に、「音楽大学は職業学校だから・」と言ったら、その院生が驚いて、「音楽は職業なのですか?」「これまで音楽を勉強していて、一度も音楽が職業なんて、考えた事は無かったわ!」と言われてしまって、私の方が、ビックリしてしまいました。
確かに、音大生で、職業としての音楽と言ったら、音楽教室で教えるか、高校の先生になるかだけで、後は、生活のためではなく、演奏活動をするのでしょうからね。
それじゃあ、音楽でproになるのは、難しいのは当たり前だわさ!!
5月11日 8:21
5月11日 22:02 ·
(12日の22時半に少し追記しました。)
「無駄な一日」
今日(11日)は、パソコンの作業だけで終わってしまいました。
アハッ!パソコンの作業と言うのは、パソコンで作業をした・・という意味ではなく、パソコンの修理に一日費やしたという意味です。
CyberLinkで動画の作成をしていたら、勝手にドラゴンスピーチが立ち上がって、終わらせる事も出来なくなってしまいました。デバイスマネージャーでも、終わらないので強制終了をさせたのですが、outlookを立ち上げる度に、一緒にdragon‐speechが立ち上がってしまうのですが、dragon‐speechは開きません。何度も試していると、突然、パソコンがrecoveryを勝手に始めてしまって、2時間程掛かってしまいました。
makerから削除ツールを取り寄せて、installし直したのですが、何度色々な方法で試しても、全く同じ症状になってしまうので、今は削除をしたままです。makerの改善策を待っている所です。という事で、2日間、パソコンと格闘しています。
それはそうと、動画の編集はやって、編集のsoftで、出来る事と、出来ない事が分かって来た所かな??
5月13日 4:45 ·
生徒からの質問に対しての回答を、ベッドに寝ながら携帯でFacebookにせっせと書いていたのですが、ふと気づくと、私は携帯を放り出して寝ていて、『一生懸命に携帯のFacebookに書き込んでいていた』・・のは、何と❢❢・・夢の中で、現実には、一文字も打ち込まれていなかったのですよ。
でも、打ち込んだ内容はしっかりと、覚えていたので、その文章を忘れないように、慌てて起き出して、今はパソコンに向かって書き始めている所なのですが、又、目が覚めるとそれも、更に夢だったりして・・・・??
Après un rêve!!
「指導の仕方と3点支持について」
「初心者の子供達に何処まで指導出来るのか?」
生徒からの質問の第一の要点は、「初級、中級、上級の生徒達に、何処まで弓の持ち方を指導して良いか?」という事ですが、その結論は意図も簡単で、それは「その生徒が出来る所まで・・」です。
ただ、そういう風に言ってしまうと、私が生徒が「出来る所までしか説明しない」ように、捉えられがちなのですが、それは全く違います。
私はmanualの出し惜しみはしないので、年齢が低くても、初心者でも、理屈だけはちゃんと説明します。
なるべく理解出来るようには、説明するのですが、年齢が低い場合や、技術力を伴っていない場合には、その説明が理解されない場合も多々あります。・・と言うよりも殆どなのです。
と言う事なので、年齢が低い生徒に分かりもしない事を教えるのは、一見すると無駄なように思われがちなのですが、実際の指導では全く違います。
その時には理解出来なかった事でも、潜在意識の中にあれば、子供が一人で練習をしている時に、ふと、そのsuggestに因って、理解出来る一瞬が来る事がよくあるのです。「ああ、これが芦塚先生が言っていた事7日??」と言う風に・・❢❢
但し、理解出来るか否かの、その一瞬は、指導される側の子供達が、必ずしも、「幼いから、分からない」・・という事では無く、また、「歳を取って、教室の在籍年数が長いから」と言っても、それで「理解力が出来る」という分けでもありません。
理解力は、その生徒の音楽的、また技術的水準、所謂、Niveauの高さで、説明された内容を理解出来たり、また技術的にも演奏出来たりします。
だから、こればっかりは、年齢とは無関係なのですよ!!
また、生徒が、頭の中で、理屈的には完全に理解出来たとしても、それをちゃんと技術的にも「演奏出来るように」指導者が生徒を指導出来る・・というのは、その生徒が「その技術を、一人でも練習出来る」という、前提があるのです。だから、当然、その技術の指導のpointは、その生徒が一人でも、練習可能な技術迄・・という技術のNiveauの限界を、配慮した上で、・・なのですよ。
(・・・言い方が難しかったかな??逆の言い方をすれば、指導される側の生徒が「話が理解出来ているのか否か」を、技術の指導でcheckしてはいけない・・という意味です。
「教えてみたけれど無理だった!!」では様にならないでしょう??)
えっつ?? それでも未だ、理解するのが、難しい??
もっと、かいつまんで言うと、子供が出来るか否かは、子供の理解力と技術力だけではなく、練習の量や質、それに意識等の総合的なものが伴うからです。
教えられる側の生徒が、「幾ら練習しても出来ない」・・或いは「練習そのものが上手く行かない」・・という事ならば、決してその段階で無理をして指導してはいけません。
家庭学習の量と質、それに本人の音楽に対する意識が伴って、始めて或る程度のlevelの指導が出来るからなのです。
極稀には、そういった全てを持ちながら、一般的な音楽の技術や理論・・そんな難しい事ではなくて、先生に対しての、信頼度の低さ・・つまり、巷の音楽教室の先生の言う事よりも、世間一般通念の方が、正しい・・と思い込んでいる・・という事です。
世間の一般通念に流されて、教室のmethode(私の芦塚メトード)を受け入れられない生徒も、教室には、結構多く居たりします。
まあ、なんと言うか、不徳の致すところではありますがね・・・??
この場合は、自分(生徒)が、尊敬出来る、先生信頼出来る先生に、先生を変わるのがbestの選択ですよね。
昔は、生徒(保護者)に、「何故、先生を変わらないのか??」と、尋ねた事があります。
答えは「音楽の専門家になる分けではないので、巷の音楽教室で充分」・・なのだだそうです。
でも、本人達は、自分が随分失礼な事を言っているのを、分かっていないのですよ。
つまり、生徒達は、それが本当だから、失礼な事を言っている分けではない・・と、思い込んでいるのです。
だから、そういう事が平気で言える。
「神よ!許し給え!彼らは自分のやっている事が分かっていないのです。」十字架上の7つの言葉より)
そういった高度な指導のlectureではなく、もっと、初歩的な内容で躓いている場合もありますよね。
つまり、幾ら1点支持の持ち方を説明しても、3点支持の持ち方になってしまうのは、1点支持の持ち方が、それだけ、難しい持ち方であるからなので、未だ弓が持てない「箱持ち」をしている初心者の生徒達に対して、1点支持や、3点支持の話をしても、それは無駄なのですよ。
先ず、1点支持や3点支持ではない、基本の弓の持ち方を指導するべきなのです。
ちなみに、安いbowの場合には、1点支持の奏法では音が出ない場合もあります。
本物の1点支持用の柳腰のFrenchbow は、現在では高騰して、150万以上します。
つまり、1点支持は、専門家の持ち方で、一般的な持ち方ではありません。
でも、だからと言って教室が3点支持の持ち方を推奨する分けでは絶対にありません。
弓は基本的には、幾ら力で抑えつけても折れないのが、原則なのですが、それでも良いFrenchbow の場合には、3点支持の無理な力で抑えつける演奏では、過去に実際に演奏会での演奏中に、弓を折ってしまった演奏家がいます。
力で演奏する3点支持の人達は、基本的には、ドイツbowやイギリスbowを使用するべきで、Frenchbow は使用するべきではありません。
また、1点支持と3点支持の間に、古典的な基本の弓の持ち方があります。baroque-bowは弓の長さが、現代のbowに較べて、非常に短いので、fingerbowのような奏法出ない限り、古い弓の持ち方ならば、欠点が出ない弾き方も出来ます。(後述)
ですから、1点支持の持ち方を指導しないのではなく、出来る所迄、少しずつ、ちゃんと指導するのです。
「教育は少しづつ、出来る所迄です。」
私がPianoの生徒にleggiero奏法を指導する時に、leggieroが弾けるようになるには、最低でも3年は掛かるのですよ。
(leggiero奏法=finger‐staccato=Mozart奏法=forte-piano奏法等々、色々な言い方が成されています。手首や指の力を抜き切って、速度だけで弾く鋭いstaccatoの奏法です。)
他所の教室でPianoを習って来ていて、手首がガチガチで弾いていても、「手首の力を抜いて、指先に力を込めて!」なんて、無理難題は指導しないのです。(それは生理学的に医学的に不可能です。)
その代わりに、手首の回転運動や、手首の抜きの仕方の指導をします。それ等が出来るようになったら、手首のガチガチは自然に治るのでね。
では、1点支持は‥・?? 私は何時も、「まあ、最低10年で早い方だよ!」と言っていますよネ。
「教えたから出来る」というそんな夢のような話は、現実的には無いのですよ。
だって、私はあなた達に、何回同じ話をしているのだろうかね??
否、それどころか、私は、いわんや、衆生に30年、40年同じ話を繰返ししているのですよ。
それでも、分かっては貰えないのです。
私が先生達と、何時も話す話は「やっと生徒が、此処まで出来るようになった・・!」という事なのですからね。
職人の技術と言うものは、学校教育のように、ちゃちゃっと黒板上で、教わって出来るようになる・・といったようなものではありません。
一つの事を完全に出来るようになるには、色々な要素との絡みが必要になります。
だから、もし上手く行かなかった時に、「それを阻害している原因となる要素は何なのか??」という事を知る事は、もう一つ上の段階なのです。
それを簡単に要因という言い方をします。
一つの曲を演奏して、「その曲が完全に演奏出来るようになった」と思う人は、演奏家としては、不向きです。演奏家はやめるべきで、音楽を趣味にする事を推奨します。
その曲が完全に演奏出来るようになった・・という事は、その人の努力が限界に達した・・という意味だからです。
BachのMenuetのような簡単な曲があります。
でも、この曲をrecordingしようとすると、半年掛けてrecordingしても、完璧に演奏出来ないのですよ。完璧とはそんなものです。
椎名町でMünchenの国際コンクールの風景の動画のvideoを見ました。先輩が出演していたからだそうです。
勿論、そのlevelになると、音のミスは一つもありません。完璧な演奏なのです。しかし、日本人の演奏は、何かが違うのですよ❢❢
勿論、日本人だから・・とかいう精神論を持ち出す気はありません。
何かが違う・・の何かは、日本人(アジア人)の特有の勉強の仕方・・なのです。音楽の勉強を技術だけだ❢❢と思い込んでいる東洋人の特徴がコンクールの演奏に垣間見えるのですよ。
音楽の勉強の基本、基礎が指導する側の先生も、学ぶ側の生徒も分かっていないのですよ。
proと呼ばれる演奏家達は、完璧に弾けたと思われる演奏を、それこそ、何度も、何度も、checkをして、シミや汚れを見つけ出して、その上手く行かなかった箇所をcheckをして「何故上手く行かなかったのか?」を分析、判断して、更に練習をして、演奏の向上を目指すのです。
そういった努力に対して、「辛い」「苦しい」と思わないで、楽しんで、勉強、研鑽を積む事の出来る性格の人は、100%演奏家に向いている人です。
つまり、練習が楽しくてしょうがない・・というtypeの人達はproになれる素質がある人達なのです。
こういったtypeの人を職人という言い方をするのです。
「何時から完全な1点支持を指導するのか」
私が教室で指導する場合には、生徒達に完全な1点支持を要求するのは、3回オケの生徒達からです。
それは、3回オケの生徒達が演奏する曲では、Spitzeのfingerbowや、同じSpitzeの色々な奏法が演奏上必要になって来るからなので、その段階では1点支持の奏法が演奏出来なければなりません。
日本の音楽界では、1点支持が指導される事はありませんが、それでも、色々な曲には、1点支持でなければ演奏不可能なpassageが出て来ます。
ですから、必要に迫られて‥・なので、どんな日本のproのオケであっても、そこのpassageは1点支持で演奏をしていますよ。
曲を演奏するlevelが高くなって、その技術でしか演奏出来ない曲を演奏するのだから、当たり前の話です。
「基本的な古典の弓の持ち方」
1点支持と言っても、常に人指し指と親指だけで持って演奏する分けではありません。
「教室で1点支持の持ち方を指導していても、3点支持で子供達が弾く」という話なのですが、そこには大きな勘違いがあるような気がします。
3点支持の弓の持ち方であるか、1点支持の持ち方であるかは、弓の背に小指を乗せているか否かの違い・・という事ではありません。
此処の所を勘違いすると、1点支持の基本的な理解が出来ていない‥・という事になります。
例え、弓の背に小指を置いていたとしても、弓の持ち方そのもので、1点支持か、3点支持かが変わってしまいます。
ちゃんと理解しておかなければならない所は、1点支持の場合でも、froschの位置からmitte迄(untere-hälfte)は、弓が不安定なので、3点支持のように弓に小指を乗せて、弓が不安定になるのを防ぎますが、その場合にも、一番の3点支持との根本的な違いは、3点支持の場合には、弓をしっかりとholdingするのですが、1点支持の場合には、ファッと力を抜いた状態で持って、弓を腕の延長にしないのが、基本的な大きな違いになります。
つまり、3点支持の場合には、腕の力で弦を弾くのですが、1点支持の場合には、弓の重さで弦を弾くので、弦に対しての説現位置や弓の当たり具合(私は弓の切り具合と言っていますが)弓速がきちんと出来ていないと、音が貧弱になってしまいます。
3点支持の場合には、(某大手音楽教室の超著名な指導者が、何時もperformanceをしていたように)弓を振り回しても、弓が腕の延長線上になるようにしっかりとholdingしますが、1点支持の場合には、フアッと(力で支える事は無く)、持つだけです。某指導者のように、弓を振り回したら、それこそ何処かへ飛んで行ってしまいます。
人指し指と小指と親指の3っつでしっかりと弓を支持すると、手首に力が入って、手首のしなやかな動きが無くなってしまいます。violinの先生達が、教室の生徒達の演奏を見て、何故、手首が柔らかく自然に動くのかを不思議がっていましたが、弓をしっかりとholdingする持ち方では、手首は柔らかくはなりませんからね。
「自然な小指のrelease」
froschからSpitzeに向かって、ゆっくりと弓を駒と平行に弾いて行くと、自然に、ある箇所(多分、mitteぐらいの位置)から小指が離れて行きます。
それも駒に平行に弾いて行くと、自然に人指し指と親指だけで弓と持つ形になります。
逆に、3点支持の場合には、小指を弓の背から離す事は出来ないので、手のreachが足りなくなって、自然に体の後ろにRを書いて弓を後方へ引いてしまうのです。
そのために、駒と弓がspitzeでは平行になる事は出来なくなって、駒に対して、外側に弓の先が逃げてしまいます。
小指を弓から離さないない分けなので、当然、fingerbowの奏法は出来ません。baroqueから近現代迄の多くの曲で登場するSpitzeのtremolo等は論外です。
(あの格好良いWagnerの Lohengrinの"Wedding March" も弾く事が出来なくなってしまいますよね??)
しかし、目が覚めると、これも夢だったりして・・・
小さな子供達に、弓が後ろへ流れてしまわないようにする、矯正法と小道具は、2,30年前から作ってあるのだけど、今は誰も使っていないようだよね。簡単なのにね??もう、使わないのなら、欲しい人にあげちゃえば良いのにネ??
5月15日22:16
昨夜から、何となく、その予兆はあったのですが、やはり、朝方から、酷い鬱に襲われてしまいました。
こういった場合には、下手に自分の鬱に抗わないで、回りの人に目下鬱である事を宣言する事にして、私の無礼が鬱のせいである事を公言するようにしています。
割れ物にでも触るように…、か、腫れ物に触れるようにでも、扱って貰えば、少しは生活をするのも楽になるのかな?と、思っているのですが、年若く、元気一杯で、鬱にはなった事のない生徒達一同は、先生の取説等、全くお構い無しです。
少しは、気を使えよ‼
…と、言っても、箸が転んでも、嬉しくてしょうがないのだから、・・・まあ、無理か⁉
という事でオケ練習でしたが、相変わらず、上級生達も先生達も、誰も助けてはくれない!!
仕方なく、鬱に鞭打って、いつものようにオケ練習を、こんなに寒いのに、孤軍奮闘で、汗ぐっしょりで、やりました。
いや~あ、てえへんだ!!
鬱は精神的な不安定さが原因なのか、肉体的に何らかの病的な原因があるのかよく分かりません。
今回も、鬱と、若干の微熱や腰痛、それに悪性の切れ痔等を併発して鬱状態になっています。
まあ、卵が先でも、鶏が先でも、どちらでも良いから、そのいづれかでも治ってくれれば、少しは楽なのかな??
5月16日 2:05 ·
「Facebook、blog、homepage、twitter」
日本の文学の歴史では、物語文学や御伽草子文学、或いは、諧謔的な十返舎一九等による滑稽噺というgenreがあって、江戸時代には、赤本、黄本(黄色表紙=所謂、yellowエロ本ネ??)として分類されていた。
その他にも、日本には日記文学という独特のgenreがある。
その代表的な作品は「徒然草」であり、且つ、先程の十返舎一九の東海道膝栗毛等も、完全な創作文学でありながら、「旅日記」の体をなしている。
色々な時代にそれぞれの有名な日記文学が、存在している。
日記には、徒然草のような時事を書いたものや、土佐日記のように旅日記が有名で、そのgenreは今日迄延々と引き継がれている。
そういった独自の日記文学とよく比較されるgenreに、寺田寅彦を代表とするessayというgenreがある。
日本語では、随筆、随想に訳されるのだが、日本文学の場合には、寺田寅彦のessayを除いて、一般的にはessayというと、殆ど日記に近い。随想録としながら、毎日の生活の一コマを描写している随想文学があって、「少し、意味が違うだろう?」と思ってしまう。
essayの本来の姿であるべき少論文という形であるが、日本の哲学としてのessay(小論文)というgenreとしては、日本人の基本的な内観方は、根本が仏教哲学によるものが主流なので、その思考の方法に、論理性で物事の解明をする事は非常に少なく、寧ろ、精神的なsymbthyによる(共感的な、響鳴的な)理解が求められる。(所謂、瓢簞鯰の世界観だな・・や??)
ヨーロッパのessayに見受けられる内観的な、或いはlogisch(論理的)な思考法は、日本では、「理屈っぽい」‥・と言われて毛嫌いされる傾向にあり、essayというと、日本独自のessayというヨーロッパのそれとはまた異なった独自のgenreを形作っている。
essayと滑稽噺の両方の良さを併せ持ったような、日本独自のgenreである醒睡笑に代表されるような「小噺」というgenreさえある。(小噺はconte=コント=フランス語)と訳される事が多いのだが、このconteもまた、定義が安定していなくて、jokeとも同じ意味に解釈される事もある困り物である。)
江戸時代から受け継がれている「落語」というgenreで、息抜き的によく話されている「小噺」所謂、落とし話は、洗練された世界に誇るべき文学であると思う。
高校一年生の時に、大病を患って、一年程、大学病院に入院していた時には、病床で立原道造の詩集全巻を看護婦さんに買って来て貰って読破したのと、江戸小噺を読んだものである。
高校1年の時に、黄表紙の草子をね~ぇ??とは思うのだが、私の勉強の方法では、日本の教育のように、歴史を源流から勉強するのでは、負担が大きいと思うのだよ。御伽草子であったとしても、日本最古の物語では、単語や文法が難し過ぎる。高校生にとっては、表源氏も裏源氏も、源氏物語に代わりは無いのだよ。だから、時代を逆行するのが私の勉強法なのだよな。
なにせ病院では、すずめ達の観察をするぐらいに時間があったのだからね。
さて、旅文学の話に戻って、・・日本最大の文学とされる松尾芭蕉の「奥の細道」であろうと、基本は、旅日記である。(月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。と続く旅への誘いである。私は高校時代には光陰は百代の過客にして‥・と習ったのだが、それは李白の詩に対しての序文から来ているので、芭蕉の言い換えではない。)
その日に見た事、感じた事を書く留める事が、所謂、日記であり、blogである。まあ、日本人は何と日記が好きな事よ。
しかし、文学は映像の世界とは違って、人や物の動きを正確に表す事は、苦手である。たかが、melodieのswingですら、言葉に置き換えると実にeccentricになってしまう。
という事で、私も中、高時代には、文字で正確な描写をする・・という事を試みて見たのだが、それはあっさりと挫折、断念してしまった。それだけの語彙や文章の表現力を持っていなかったのに気付かされてしまったのだよ。
私が物心がついてから、始めて、日記のような、散文のようなものを書いたのは、ノートという物を身近に買う事が出来るようになった、戦後の時代である小学校5年生か、6年生の時である。
その頃の小学生達は、「肥後の守」という小型のナイフで、鉛筆が何処まで、小さく削れるか・・を、争ったものである。
そうして、貴重な、たった1本の鉛筆で書かれたその内容は、とても、日記と呼ばれるような高尚なものではなく、単なる「思いつきmemo」であり、日常の生活の一コマが描写される事は何一つなかった。
それは、私が成長して行って、中学、高校生になった時のノートでも同じで、非日常的な詩や散文、論文の思いついたmemoが書かれているに過ぎない。
つまり、私には、「日記を書く」という概念は、限りなく無駄な事に思えて、一度もそういった日常の思い出を書いた事は無い。
(・・例え、それが貴重な、記念すべき旅への思い出であったとしても・・、私がそれを書き残す事は無かった。)
教室の報告と音楽教室としての宣伝のために、homepageを起こして、その音楽の理論の解説のために「芦塚先生のお部屋」というTitleで、教室のhomepageとは別にhomepageを立ち上げた。また、私的な、愚痴や病床の感想等を、個人のproviderで「芦塚陽二の病床記」として立ち上げた。
しかし、何れのhomepageも著しくその内容を制限していたので、「もう少しrough に、文章を書きたい」と言う事で、3年前に、「おみなもすなる 日記といふものを おのこもしてみむとするなり」という事で、日記的、散文的な、genreを特定しない散文を、blogとして、私も、他の人達に習って、「書こう」と思い立った。
そこで、改めて、ネット上の色々なgenreを検討して、私が書く物に一番matchするnet上のgenreを探してみた。
(Facebookを含めて)twitterや、blog等の、色々な人達の文章を閲覧して見たのだが、私が書いているgenreにあったものは無かったのだが、私がその中でFacebookを選んだ唯一の理由は、私の昔の知り合いの多くがFacebookに入っていて、お試しで、Facebookを試みた時に、再会を喜ぶ昔の友人達からのmailが幾つかあったからである。
しかし、私の文章の書き方(方法論)は、最初から丁寧に、文章として書き上げるのではなく、徒然なるままに思い浮かぶ由無し事を、そこはかとなく書き綴り、その後、読み返す度に、少しづつ、補筆訂正をするのが私の套常なのですが、Facebookでは、日にち順に、年代順に繰り越されるので、いつの間にか、書き途中の文章が何処に行ったのかが、分からなくなってしまいます。
また、書いている内容も、genreが限られているので、読む時に、そのgenreを見つけ出しながら読むという面倒くさい事になってしまいます。
Facebookの場合には、或る程度経つと、文章が見つからなくなってしまうので、私はFacebookを1年毎に、homepageに移して、indexを付けて探しやすくなるようにしています。
特に、生徒達が、thema別に私の文章を拾い読みをして、勉強が出来るように、indexを付けるという事は、私の文章の生命線でもあります。
それとは別に、人の書いたcommentに共感して、その人のcommentにmessageを書き込んで、私の文章に、そのcommentをシェアしても、その人から寄せられたcommentはシェアされたmainの文章には付いて来ないので、不思議に思って、Facebookを調べたら、友達の友達は赤の他人と言う事で、プライバシーの問題が生じるから、共有されないので、それはFacebook側の意図だそうです。
その割には、誕生日や、誰が誰の友達になった・・とか、何度そのmessageが出ないように、何度も直しても、しつこく、また、表示されてしまって、何度もFacebookにcreamを付けているのにも、関わらず、またぞろ、出て来るので、本当に、辟易するのですがね~??
一度も会った事もない人が、一度も聞いた事のない人と友達になったと言われても、ね~ぇ??
困ってしまう!!
また、文章が書けなくなってしまった。文字が入力出来ないのだ!
Facebookは相変わらずヘボい!!
5月16日 2:22
一夜明けて、またぞろ文章を書き加えていたのだが、文章の中に訂正文を入力する事が出来なくなってしまったので、また中止をせざるを得なくなってしまった。とは言っても思考が停止したからでは無いですぞ!!
5月16日 14:27
またまた、文章を少し補筆していたら、Facebookがfreezeしてしまって、暫く待ってみたのだが、動かなくなってしまったので、補筆した文章を諦めて、捨ててしまった。腹立つよな!!
5月17日 6:47
夜中の2:00からなにやってんですか~ちゃんと寝てくださいね。
5月17日 10:31
眠れないから、書いているのだよ!!
5月17日 12:07
5月16日 2:28 ·
「昨日のオケ練習で、Vivaldiの2台のviolinのためのconcerto dの色塗りの宿題を集めようと思ったのだけど、提出する生徒は一人もいなかったので、改めて問題を提起します。
最初のfugaの入りの部分は、私が塗り絵をして、Facebookの写真に掲載するので、以下、各自、続けてください。塗り絵用の楽譜が未だ、貰って無いので、楽譜を貰ったら、このPageに掲載します。
Vivaldi violin‐concerto Op.8 Nr.11 D Dur Ⅲ楽章の解説で、詳しく塗り絵の仕方を説明したので、このdoppelのd mollでは、suggestするだけにします。全く同じ作曲法なのでね。
1枚目のfugaの入りのthemaは、D Durと同じで、themaの前半部のAと、後半部の5度圏のthema Bに分かれます。
themaに対するKontrapunkt(対位主題)は青のMotivと、緑のMotivが4回繰り返されて、纏め(終止)の紫で終わります。
cello・Kontrabass等が終わって2ndがthemaの入りを始める時には、violaのpartが対位旋律に入るので、
ダーマトグラフ色鉛筆の青で書かれたMotivは終止句(kadenz)になります。
同様に、そのままのcello・Kontrabassの茶色のMotivは、第二対位主題になります。
つまり、themaの対して、第一と第二の対旋律があります。
以下同様に、D Durと全く同じ展開が成されます。
練習番号の55小節目(通し番号では89小節目)からは、fugaのお定まりのorgelpunkt(日本語ではオルガン点と訳されますが・・)がAの音で持続されます。
Vivaldi Op.3Nr.11 d doppelのⅠ楽章の後半のcello‐soloの部分ですが、24小節目から25小節目を次のように変更します。solocelloとCembaloの人は譜面の変更をお願いします。
その理由は昨日のオケ練習で説明した通りのSequenz進行を活かすためです。
5月22日 10:32
5月16日 3:33 ·
Tartiniの3曲ですが、Peters版はUrtext版ではなく擬古典版なので、ハイツからoriginalのUrtext版を事務所に持って行きますが、この版は目下絶版なので、コピーが終わったら、直ぐにハイツに持ち帰ります。
以前、事務所にこの楽譜を置いていた時に、貴重書である事を何度も確認をしていたのに、表紙にシミを付けられてしまったので、ハイツに撤収しました。
carisch版でMilanoの出版社です。
ドイツ留学中にMünchenの行きつけの楽譜屋で買って来た版です。
Peters版は、日本人は聞き慣れているのかも知れませんが、擬古典版なので、色々とbowingや、articulationやarrange自体にも色々の問題点があります。
但し、皆さんが聞き慣れているのは、勿論、今回のselectされた3曲とも、Peters版なので、逆にUrtext版は、聞き慣れないので、面食らって驚いてしまうかもしれませんよね。
・・という事で、先ず、一度、orthodoxなPeters版で勉強するのも良いかもしれませんね。
悪魔のトリルの原典版は、Bärenreiter Urtextから出版されていますが、carisch版からは出版されていません。
多分、同じcarisch版のautograph版の中には、悪魔のトリルも、入っているのかも知れませんが、今の所、全巻を揃えるのは、無理なので、必要な曲だけが入っている巻をselectして買う事になるので、もう少し詳しく調べてからにします。
必要のない曲を集めても、楽譜の利用頻度が少ないのでね。
それと、netでのamateurの人達の誤った解釈を鵜呑みにする傾向がありますが、日本語では、大した解釈は表示されないので、ヨーロッパのWikipediaの論文ならば、専門的な知識の元に解説してある文章が多いので、そちらを参考にするようにしてください。
高校生た大学生ならば、英語で論文を読破する勉強にもなって良いと思いますよ。殆どの単語がイタリア語であったり、ドイツ語、ラテン語などの音楽用語の表記なので、逆に音楽家にとっては、慣れれば英字新聞を読むよりも、楽で良いですよ。
悪魔のトリルのoriginalの譜面です。
5月16日 4:00
コンピューターの楽譜を見慣れてくると、こういう楽譜がやけに美しく見えますね。これいつかbaroqueviolin で弾きたいです。
5月17日 10:47
まえだただしさんという人が原典版の伴奏譜を作っていたよ。中々の腕前だよ!!
5月17日 11:20
original版で演奏している人を2、3人YouTubeで見つけたのだけど、cembalo伴奏なのだけど、演奏そのものは、periodではなかった‼一人だけpickupしておいたので、そのうちに、聞いてください❗
5月17日 16:14
5月16日 14:56 ·
「八千代のコンサート出演について」
は、本来は八千代市の50周年の記念イベントで3月の開催の予定への依頼だったそうなのですが、発表会や春待ちと習志野市のコンサートと演奏会が立て続けに入っていたので、教室の都合で6月にお願いしました。
3月の記念イベントとしての、いろいろな企画の中の三十分ぐらいの予定の依頼だったのですが、4月になって、生涯学習プラザの担当の職員の方達が入れ替わったので、企画が市の方になって、10月に変更される事になったのですが、八千代市の50週年の記念のイベントとは関係なくなったので、10月は教室のコンサートのための単独のイベントになるために、企画が教室のコンサートが全日の企画となって、三年前の企画と同じprogramの企画で開催したいそうで、そうなると1時間半の2回のprogramになってしまいます。
「八千代のコンサートへの参加の趣旨」
八千代からのコンサートの出演依頼をお引き受けしたのは、日本の教育では得る事の出来ない本当の社会活動の勉強になるからです。
学校教育等でよくされているvolunteer的な社会活動は、子供の社会生活の体験学習をさせるために、子供に楽しく体験が出来るように配慮されているので、子供の処遇は、あくまでお客さまという立場であり、その中心は子供自身です。
ですから、そこで得た、活動の知識で社会活動の勉強を続けたとしても、現実の社会に出た時に、社会が自分に対して、要求することは、その社会が必要とする事だけで、子供のための体験学習で身につけた知識は、お荷物にしか過ぎなくなっています。
そこで、自分は、体験学習で学んだことを一生懸命頑張って、勉強してきたのに、会社は、自分の事を認めてくれない、とか、現実とのギャップに反発してしまい、社会のneedsに対して、対応の出来ない子供になってしまい、引き篭もりや、ニート等を引き起してしまいます。
これは音楽の世界でも全く同じで、音楽大学でも、先生から「私の言う通りにやっていれば、proになれるのよ!」という言葉を信じて、一生懸命、勉強して来ても、それが、自分が人よりも、上手だと認めて貰えるための、演奏であるならば、audienceからの評価を受ける事はありません。
当然、proとしての演奏活動がなりゆかなくなってしまいます。
それは、clientのための演奏ではなく、自分が認められたいがための演奏なのだからです。
八千代の演奏会を企画したのは、例え、子供であったとしても、大人と全く対等に、演奏が出来るのならば、・・・そう言った意識で演奏が出来るのならば、一般の人達から子供であるという事とは無関係にproとして、大人として扱って貰える,認めて貰える・・という事を学ぶための対外出演だったのですが、そこの所が、前回はどうしても参加者の方達に、分かって貰えず、audienceの人達の暖かいご支援がまだ有る内に、演奏活動を撤収する事にいたしました。
子供達の思い出は、辛い厳しいものではなく、楽しいものであって欲しかったからです。
今回、八千代からの依頼があって、春待ちコンサートや、習志野市市民会館でのコンサートも中々良い評価を頂いて、八千代も頑張れば何とかなるのかな、と思っていたのですが、その後のmotivationが思ったほどでもなく、orchestraや室内楽の編成を決める事も中々ママなりません。
こういったorchestraや室内楽は、生徒、一人、二人の頑張りではどうにもなりませんし、また、発表会後からのmember不足も、問題としては何も解決しておりません。
一昨日(7日)のオケ練習の出来で、10月迄に、演奏上の音の雑味を取る事が可能か??・・という事に疑問を感じている事と、発表会迄の曲数が多すぎるという事を鑑みて、八千代の練習を継続するか否かを、目下、考慮中です。
後、1,2回、オケ練習の出来と、orchestraのmember全体の意識のlevelが、10月迄に何とかなりそうだったら、このまま頑張って継続しますが、無理なようなら、今回のコンサートは見合わせるか、さもなくば、先生達を中心にして、習志野市のコンサート同様に、少数の希望者だけのmemberで、演奏会に臨む事にします。
なるべくならば、一人でも多くの生徒を、出演させてあげたいのですが、volunteerの出演と違い、対外出演で最も重要な事は、水準をkeepする事なのですが、もし、それが難しいのならば、無理を押して迄は、練習を継続する事は、生徒達にとっても、過剰な負担と成り兼ねないので・・
5月16日 17:04 ·
Mioちゃんの発表会のVivaldi violin‐concerto Op.8 Nr.11 D Dur Ⅲ楽章の塗り絵の課題です。
後は同じように丁寧に色塗りをして見ましょう。
以下の文章は、途轍もなく難しい事が書いてあって理解不能なように思われるかも知れませんが、実は、普段のオケ練習では、何時も言葉では、毎回説明して、皆さんも既に理解出来ている筈の事を文章に直したものです。
文章にすると、結構、難しいので、period奏者達がとんでもないeccentricな演奏をしてしまう事になってしまうのです。
文章を読む時のコツは、横に楽譜を置いて、説明されている箇所をcheckしながら、見比べて読んでください。
そして、私がオケ練習で言っていた事を、映像的に思い出すとよく理解出来ます。
八千代で演奏予定の、Vivaldi concerto in re minore per 2vionini,viononcello,aruchi,e cembalo・・・!! (ひえ~ぇ!長い!!)(つまり、「doppelのd」ですよ!)と同じに、教会sonate様式(複音楽=polyphony様式)で書かれています。
という事で、themaのritornelloの主題が対位法的なfugaの入りのようになっているので、themaの入り(赤)の部分と、伴奏になる対位主題(青)の弾き分け(thema部を少し強めに、伴奏の対位主題の部分を楽に・・)が大切です。
細かく更に見て行くと、themaは前半部のthema Aと、後半部thema Bの二つに分かれています。
伴奏のpartになる対位主題(Kontrapunkt)は、前半部が二つのMotiv(Kontrapunkt Cと、Kontrapunkt C'の二つに分かれて)後半部のMotiv、(Kontrapunkt D)に、三つに大きく分かれます。また、KontrapunktDは、部分動機、MotivE(楽譜にはKontrapunkt Eと記載してしまいましたがgradeとしてはKontrapunktよりも下のgradeになります。)として、重要なMotivとして使用されています。
fugaの入りは、dux(ドックス=主題)、comes(コメス=応答)と、定形通りに主音(alto=2ndviolin)、属音(soprano=1stviolin)、主音(Baß=cello)属音(tenor=viola)と練習番号「お」(17小節の頭拍)で一回目の入りが完結します。
scoreの小節番号はⅠ楽章からの通しの小節番号なので、scoreに書かれている番号から、Ⅰ、Ⅱ楽章の159小節を引いたのが、Ⅲ楽章の小節番号になります。
17小節目からは、MotivのEとthemaのBによる自由な展開になって、ritornelloのsolo部に入ります。
32小節目、練習番号「き」からのsolo部は最初の6小節のostinato部分(1拍目裏からレミレレレというMotivが繰り返されて、拍頭に音楽の流れを示すsoprano-führung(一般的に支持動機と言います。sopranoは声部を表すので、女性が歌うという意味はありません。また、führugは「導く」と言った意味のドイツ語なのですが、この言葉は分析用語なので、日本語の訳語はありません。)赤い丸で示した音が音楽の流れを作ります。
38小節目には、練習番号が書かれていませんが、ここは是非、練習番号は、欲しい所ですよね。38小節目(通し番号197)からは、solo部の典型的なSequenz進行です。暗譜の勉強も兼ねて、私が練習用のscoreを作る場合には、春待ちコンサートのdoppelのa mollで作ったように、次のように作ります。(譜例:参照)
47小節目=通し番号206からは、最初のostinatoとführungsMotiv(導き音)である拍頭の音と、1拍目の裏からのostinatoの音である音型が、32小節目の練習番号「き」と全く同じに繰り返されます。「き」の小節では36小節目と37小節目が繋になって、Sequenzのpassageに移動しますが、47小節目からは更に2小節追加されて(51、52)「く」の55小節目から再びSequenz部が68小節目(通し番号では227小節目)迄、繰り返されます。
つまり、このsoloの部は、二つのsoloの部が一つになったものなのです。
練習番号「こ」の68小節目からは、定形通りにfugaの入りを、順番を変えて、今度はsopranoから繰り返されます。
91小節目(通し番号250小節目)からは、再び、solo部でSequenzの進行です。
練習番号「つ」120小節目(通し番号279小節目)からは、丁度、fugaのstrettoを表すような、solo部とfugaのthemaだけで展開されて行きます。
その目まぐるしい展開を、145小節目(通し番号では304小節)で音楽の流れをsoloがmelodieのpassageを演奏する事で、tempoの流れを一度停止させます。
そして、恰も、152小節目(通し番号311小節)で、fugaの入り部が再現された(再現部)ようになるのですが167小節目(通し番号では326小節目)で、Baßの入りが突然中断して、対位主題だけの演奏になります。
171小節目(通し番号で330小節目)で再び技巧的なfiguration(訳語はありません)のsolo部が始まるのですが、練習番号「に」の後半部の145小節目と同様に突然、186小節目(通し番号345小節目からは)音楽の流れを停止して、恰もrecitativoのように自由に歌わなければなりません。
最後の締めになるorchestraのtutti部は前に中途半端に終わったfugaの入りの後半部が再現演奏されて終わります。
これがこのVivaldi violin‐concerto Op.8 Nr.11 D Dur Ⅲ楽章の構造式になります。
(Genzmer先生は構造式の事を、建築になぞらえてbau‐planと言っていましたがね)
1枚目の楽譜が斜めにprint outされていたので、cutterで切って、コピーをし直したのですが、それがパソコン上で更に修整されて、またまた、斜めに、取り込まれてしまいました。画面よりも、紙の平行を優先する見たいで、print outのし直しをしないと、cutterで紙を切って修整するだけでは、無理なようです。便利になったようでも、所詮はcomputerのやる事です。間が抜けています。ま・・、
5月17日 17:07
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娘『色ぬりの宿題、ぜんぜんわかんなかった』と話していたのでこれを読みながら一緒にやってみますがどうなることやら😅
5月17日 18:59
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「分からない」という意味は、音型を把握出来ないのか・・です。色付きの楽譜をthema別に切り抜いて、同じ音型を探してみると良いのかもね??
violaやcelloの楽譜になっても、同じ音型と分かるのかな??
5月17日 19:06
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分かり易く説明すると、子供が覚えていると言う事は、音として覚えているのか?音符として覚えているのか??です。私が何時も、一瞬で覚える暗譜の方法を説明しているのに、出来る生徒が殆どいないのは、昔の生徒と違って、今の生徒達は音符を映像で覚える事が出来ないからなのですよ。音で覚えている生徒達は、分析は出来ないのです。
歴史に名を成す作曲家達は、皆映像記憶が出来るのですが、それは作曲が構造式によるからなのです。そこがClassicの作曲家とpopularの作曲家の違いになります。
5月18日 1:54
何色で何をどこにぬるのかがわからなかったようです。
ビオラ、チェロのテーマを見つけるのは出来ました。
5月17日 19:23
1枚目の上に色のindexを書いて起きましたが、言語表記なので、日本語に直しておいてください。完全にthemaが出て来る場合は、themaの色になり、themaの前半分が出て来る場合には、前半分のthemaAの色を塗ります。勿論、後半だけの場合にもその色を塗ります。同様にKontrapunktも完全型なのかMotivなのかを塗り分けるのが大切な課題です。
5月17日 19:50
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これを読んで、Musikalische Strukturanalyseのテストを思い出しました!ドイツ語で口頭試験ってもう今は無理かも~
5月17日 22:18
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Strukter-analyse(構造分析)というのは、予め譜面があって、演奏する側の立場で研究するという事ですが、Genzmer先生は作曲者の立場から、建築用語のBau-planという言葉を、よく使っていました。Genzmer先生の作曲の課題では、楽器編成の他に、演奏時間も設定されます。曲自体のimageは課題に登る事はありません。
そのために、aboutな構造式を作ったら、次には、まだ、曲を書いていない反古や、sketchの状態のままに、rough-layoutに、書き込んで行きます。
つまり、もし、Genzmer先生の課題が「10分」という課題ならば、ABA+Cdの構造式(音楽形式)ならば、Aは3分弱の持ち時間になります。それならば、曲の大体のimageは確立出来ます。
又、この構造分析譜の塗り絵は、そのまま、finaleの入力にも使用出来ます‼
先に楽器編成の段数と、小節数を合わせたscoreを作って(私はそれをtemplateと呼んでいます。)、themaやmotiveを、それぞれの小節と段にコピペして、移調等で修正して、roughのscoreを虫食いでtemplateに作ってしまいます。
それでroughの状態で、完成させたら、後は、虫食いの空白の部分に、真面目に入力します。
勿論、tuttiの部分だけではなく、soloの部分も同様で、コピペで、Motivを幾つもコピーしたら、それぞれを移調で、実際の音に直します。
celloのpartは、一括して最初から最後までを、KontrabassやCembaloの左手にコピーします。不必要な小節も一括で削除します。
このやり方だと、vivaldiのscoreだったら、4時間ぐらいで、作ってしまいますよ‼
全楽章でも、1日ぐらいで出来ます。
それから、ゆっくりと、Cembaloの右手のpartや、ornament、装飾音等の頭を使うところを書き加えて行きます。
出版されている楽譜は、曲のforteやPianoは原則として、構造分析から決めて行くのですが、音楽理論の専門家が分析するわけではないので、結構、間違いが多いのですよ‼
それに、楽譜上に単に、forteとPianoと単に書いてあるのを演奏する事よりも、分析して、なぜ、このpassageはforteなのか?Pianoなのか??・・・が、分かった時点で演奏する方が、演奏する上で表現により深みが出る事は明白なのだからネ?
5月18日 7:37
補筆訂正をしていたら、突然、blue‐outして、パソコンがぶっ飛んでしまった。勿論、書いた文章も全てぶっ飛んだ!!shock!!
5月17日 23:42
.
今日も補筆訂正をしていたら、Facebookがfreezeして、書いていた文章が消えて無くなってしまった。何度、同じ症状が現れるのだろう!!
5月18日 7:16
省略譜のⅢPage目です。soloの部分だけです。練習の仕方や記憶法に役立ててください。
5月23日 21:49
.
ありがとうございます🎵
5月23日 22:41
5月17日 17:29 ·
いや~あ、鬱と体調不良と摂眠障害とが酷い!!
あまりにも気力がなく、意識も朦朧としているので、パソコンでの仕事は諦めて、少しでも仮眠を取ろうと思ってベッドで横になっても、今度は、イライラして眠れないのだ。
寝室も、部屋全体が「片付けられない症候群」の部屋になってしまっていて、うっとおしい。
どうせ、眠れないのならば、気分転換に、お茶でも飲みに出かけようか・・と思うのだが、体力がそこ迄、付いて行かないのだよな??
これで明日の千葉教室でのlessonは出来るのかいな??という不安が過ぎる。
今日一日の体調を見ている限りでは、明日に体調が少しでも良くなるという可能性は万に一つもないな??
と言う事で、何時迄も鬱々と愚痴っていても仕方がないので、思い切って気分転換に、ハイツの前に新しくオープンした駅下の1000円理容室に行って髪を切って来た。
短くなった髪を見ての私なりの感想は、結構、shockで、髪にボリュームがないので、顔の下膨れが目立って、何時もにもまして太って見えるな~あ??
ついでに、バイクで走る時には、半袖では少し肌寒いので、駅の反対側にあるbebeにJacketを買いに行ったのだが、流石に、BigsizeのJacketは無かったよな??
サカゼンの領域だよな??
それにしても、空を見上げると、鬱を冗長するようなどんよりとした雲で、見るからに寒い。
何時も言っているように、私は寒暖の差よりも、湿度が弱い。長崎県人なので、高温多湿には極めて弱いのだよ!!
アハッ!
前回の日曜日のオケ練習も、雨が振ったりしていて、湿度が高かったので、子供達の乗りも今三、良くなかった。
それも遠い今回の鬱の原因の一つなのだが、それならそれで、練習の時に、除湿を掛ければ少しはマシになるのだが、子供達が寒がって話にならない。
ハイツのように、コンビニクーラーがあれば、室温を暖めながら除湿をする事が出来るのだが、普通のクーラーは、除湿をすると室温を下げてしまうので、子供達には逆効果になってしまう。
温度を下げない設定のあるクーラーもあるようなのだが、それでも室温は下がってしまうようだ。
これは誤解を招くな??
室温は下げないで、除湿をすると、同じ温度でも、気温は下がって感じるのだよ。
テレビで「クールビズ」の話題が出ていて、会社での温度設定が28度である事が、巷では何かと話題になっている。
「28度は熱い」という事らしい。
しかし、28度の設定を冷房ではなくて、除湿にすれば、結構寒いのではないのかな??
外界の気温が30度近く迄は、涼しいはずなのだがね??
子供達が寒がらないように、除湿を設定するには、いっその事、クーラーの設定を、洗濯乾燥の設定にすれば良いのかな???
「blue-out」
5月17日 23:34 ·
パソコンでFacebookに入力していたら、突然、blue-outしてしまった‼
black-outではないよ!! blue-outなのだよ!!
被害甚大なのだよな!?
泣けちゃうよな⁉
shock‼
毎度の事なのだけどね??
書き途中の文章が履歴にも残らないのは、結構、shockなのだよね‥・??
そういったtroubleは、スマホに直接入力する分には、ないのだそうだが…⁉
私はスマホの入力はとても時間がかかって無理なので、困ってしまうのだよな
5月20日 19:10 ·
相も変わらず,超、鬱が酷い!!
この所、毎日毎日、鬱が続いて、中々、治らないのだよな??
酷い鬱になると、その鬱がそのまま1週間から10日以上も継続してしまうのだよな??
そして、鬱になると、どうしても体が思うように動かなくなるので、色々と、不都合が起こって来てしまう。つまり、鬱が原因で、更に、鬱が酷くなる状況を呼び起こしてしまうのだよな??
だから、鬱が継続している間に書いたFacebookのcommentは、どうしても、鬱の話になってしまう。
今日(5月20日のpm2時半頃)椎名町にlessonに行くのに、自宅の玄関を出ようとして、(新しい教室用に玄関に出していたテレビの入った)ダンボールに、右足の人差し指の爪を思いっきりぶつけて、爪を剥がしてしまった。
実は、その爪は、やはり、一年前に剥がして、一年掛かりで、少しづつ治って来て、あと2~3㍉で、全部の爪が元の生きた爪に戻るはずだったのだがね。
爪が元に戻る前に、一度、変形しておかしくなってしまった爪が、もう一度新しい、まともな生きた白い爪に変わって行って、変形した病的な死んだ爪があと、2,3㍉で、新しい爪になるはずだったのだが、その病気の爪を2,3㍉残したままに、新しい爪は、一瞬で白い色から青い色になってしまったのだ。
結構、爪の周りからも、真っ赤な鮮血が吹き出して来て、外の共有の廊下にも、べっとりと血がついてしまった。
この所、糖尿病が悪化して来て、この5年ぐらいの間に、ほぼ毎年か、1年に2回ぐらいの割合で右足の中指の爪を剥がしているのだよ。
勿論、その原因の大元は、糖尿病で、爪が薄くなって剥がれ易くなったからだ。足の爪に関わらず、手の爪も、伴奏等で、Pianoを弾くと、爪が少し欠けてしまう。布に引っ掛かったりしてしまうので、今までは使った事のない爪切りに付いているヤスリで、欠けた爪を均すのが日常になってしまった。
足の爪を欠がすもう一つの原因は、メガネを掛けていたとしても、それでも足元が良く見えないのだよな??
だから、私の自宅であるハイツでは、ぶつかり安い場所には、古くなって捨てるクッションを剥がして、スポンジをcutterで切って、巻いて、足先がぶつかっても怪我をしないようにしているのだが。特にベッドの足はベッドに隠れて見えないので、良くぶつけてしまう。
トイレに行く途中のドアを開けた所に文庫本の本棚を置いているのだが、薄い本棚なのだが、ひっくり返らないように、足だけが広くなっている。その角に良く足を引っ掛けるので、スポンでガードしていたのだが、何度ガムテープで固定しても、取れてしまう。角の部分をノコギリで取ってしまおうと思っているのだが、カバーのベークライトの部分がノコギリでは歯が立たないので、ノコギリでは切れないのだよな?
そのためにベークライト迄、切断出来るような電動の工具を買ったのだが、未だカットの作業はやっていない。
やる気が起きないのだよな??
今回、玄関に置いてあったテレビにぶつけたのは、江古田教室を引っ越すために、新しい教室へ持って行くテレビを、暫定的に玄関に置いていたに過ぎないので、そこまでの防御は、思いつかなかったのだよな??
尤も、「相変わらず」の鬱の話と、足の爪を剥がした話とは、なんの関係もないのだがね。
今日(20日)は結構、マジで鬱が酷くて、自分の精神状態をcontrolするのが、とても辛かったので、鬱の薬が欲しかったのだけどね??今の掛かり付けの医者は鬱の薬は出してくれないのだよな。
鬱が酷いのは、人生に上手く行かない原因があって、それが鬱を引き起こす分けではないのだよな。
日常生活の中に、鬱を引き起こすような切っ掛けとなる状況があったとしても、それが鬱の直接の原因である分けではないのですよ。
勿論、色々と上手く行かない事は多々あるのだけど、何時も言うように、それは私自身の問題とは関係はないのでね。
よく「鬱」で、一般の人達から勘違いされるのは、仕事や日常でトラブルがあって、それで落ち込んで「鬱」になっている、と思われる事があるのだが、それは単なる「落ち込み」であって、そういった事は、極々普通の人間にも起きる正常の範囲内での、誰でも落ち込む「落ち込み」なので、それを「鬱」と呼ぶ事はないのだよ!
つまり、鬱の場合には、人生の全てが上手く行っていても、そういった事とは無関係に、どうしょうもない鬱に落ち込む事がある。
心臓の手術をした後は、リハビリが中々上手く行かなくって、心臓に、恰も細動のような不整脈が出る事があったのだが、そうすると確実に、鬱になったものだ。逆に、鬱が酷くて心臓の調子がおかしくなったのかも知れない。
心臓の手術から、体調管理がどうしても上手く行かなくって、血圧の薬も、或る時には、効き過ぎたり、逆に血圧が上がり過ぎたりの試行錯誤を、7,8年の間、繰返していたのだが、この2,3年は非常に落ち着いてbalanceが取れているので、鬱にはなりそうもない体調なのだが、それとは無関係に、体調不良と意識混濁の状態が酷い。
当然、鬱も中々治らない。
兎に角、自分の体をcontrolするのは難しい。
5月23日 7:09 ·
「Vivaldi a moll Op.3Nr.6Ⅰ楽章の補足説明」
Vivaldiのこの曲は昔、homepageでも説明したように、最低人数9名で演奏する事が可能な曲です。
つまり、kammerorchestra(室内オーケストラ)と言うよりも更に小規模の室内楽的なorchestraで演奏される事が多かったのです。
(baroque-orchestraの基本的な人数は、I Musiciの12名による編成、つまり、violin6名、viola2名、cello2名、Kontrabass1名、Cembalo1名の編成が基本的な人数でした。このVivaldiのa mollの曲は、violinが1partしかありませんので、2nd-violinの3名を降ろすと、当然、I Musiciの編成でも、9名(violin3、viola2,cello2,Kontrabass1、Cembalo1)の編成になります。)
また、この曲は、violaとcelloが対話をするように(交唱の形で)書かれているのですが、現代の楽器で演奏する場合には、violaとcelloの楽器の大きさや音色が違い過ぎるので対話が(contrastになってしまって、)上手く行きません。
本来的には、実際のbaroque-celloは、現代のcelloよりも小ぶりで、今の楽器のsizeでは、子供用の分数celloの3/4sizeぐらいの大きさになり、(celloではなく、gambaで演奏したとしても)音量や音色もviolaに近く、音が溶け合うので、ensemble的に見ても、非常に対話がうまくいっていたのです。
この曲は、教室の常設曲なので、毎回、このviolaとcelloの対話(交唱)を、課題として練習させているのですが、これまではこの絡め合わせが、一度も上手く行った試しはありませんでした。
練習の時には、苦肉の策として、celloのmemberの半分にviolaのpartを弾かせて、violaのmemberの半分にもcelloのpartを弾かせる事で、音色の融和と整合性を取って、練習をしてみたのですが、やはり、celloとviolaのpartは、分離したままで、うまくいく事はありませんでした。
という事で、本番の演奏でも、これまでは諦めたままでの演奏をしていたのですが、今回(21日のAschedule)の練習では、思いつきで、celloを弾く子供達と、violaを弾く子供達を向かい合わせて、お互いの顔を見ながら、呼びかけるように演奏させたら、何と、これまで全く出来なかった「呼びかけ」と「応え」が、上手に出来たのですよ。
一度、じょうずに出来ると、不思議な事に、音量、音色までちゃんと整合が出来たのですよ。
いや~あ、子供は、不思議だ!!
理解不能だよな??
でも、舞台でその交唱の並びをすると、実にeccentricな並びになってしまうよな??
さて、どうしよう?? 困った??
「orchestraの並び方と歴史」
Vivaldiのa mollの並び方(setting図)を書いて見ました。
実に変則的な配列なのですが、Vivaldiは、このviolinのpartが一つしかない編成の曲を結構、数多く作曲して残しています。
但し、violaとcelloが交唱をする曲は、基本的にはこのⅠ楽章を除いてはありません。
ですから、この並びはOp.3Nr.6のⅠ楽章だけに対する並び方かもしれませんよね??
baroqueの交唱を活かした並び方(つまり、1stviolinと2ndviolinが左右、所謂、上手と下手に別れる並び方)は、こんにちでは、全く知られていなくて、HaydnやBeethoven時代迄の並び方のように思われているのですが、実は20世紀の始めと言うよりは、二次大戦の前の戦前迄は、この並び方(左側から1stviolin、cello、viola、2ndviolinと並ぶ並び方)は、普通に見る事が出来る並びだったのです。俗に言われているHaydn並びというこの古典派の並び方がorchestraの基本的な並び方だったのです。
現代のorchestraが並んでいる並び方(1stviolin、2ndviolin、viola、celloの並び方)は、未だ100年の歴史もないのですよ。
驚くべき事なのですがね。
(ちなみに、この順番に並ぶ並び方をQuartett並びと呼ぶ人がいますが、必ずしも、Quartettがこの並び方をする分けではないので、それは間違いです。
celloのf字孔が下手を向くと、客席に音が飛びにくいので、celloを真ん中に配置する並び方も普通によくされている並び方なのです。その場合には、1stviolin、2ndviolin、cello、violaと並びます。orchestraでもこの並び方をするorchestraは非常に多いのです。)
baroque-音楽では、1stviolinと2ndviolinが対話をする交唱形式の曲が多いので、その音楽の立体性を活かすために、1stと2ndが向かい合って演奏する並び方をする場合が殆どでこれをbaroque並びと総称します。1st、cello、viola、2ndと並ぶ並び方がbaroque並びになります。
このVivaldi a moll では、violaのpartを左側(下手側)に配置していますが、これは逆だと、violaのF字孔が客席に対して、完全にそっぽを向いてしまうからで、私の個人的な考え方によります。
また、solo-violinとbasso continuo celloとCembaloをsoliとして前に出すのも、私の個人的な配列で、一般的には、orchestraの並びの中で、それぞれのpartのconcertmasterがsoloを演奏します。
5月24日 15:39
ちなみついでに、Haydn並びなのですが、実際にはHaydnが演奏会を開催した頃は、未だコンサートのための専用のホールはありませんでしたので、orchestraの並び方の基礎を作ったHaydn先生の場合には、演奏会をするホールの形状や響きに合わせて、その都度、orchestraの並び方を最良の音響にするために、並び順を変えて演奏していました。
Haydn先生の書いたその並び図(setting図)は、幾つかこんにち迄残っていて、見る事が出来ます。
つまり、「Haydn並び」と言われて、orchestraの配置の基本を作ったHaydnですが、Haydn自身は頑迷に自分の作った並び方を守った分けではなく、あくまでも、会場の響きの状態でorchestraの並び方を柔軟に変更していたのですよ。
中には、1stviolinや2ndviolinを分割して、アチラコチラに配列したorchestraのsetting図もありました。特殊なホールで、stageになる場所に巨大な柱があって、演奏を妨げているホールなので、Haydnの工夫の権化のようなsettingで、どういう音になるのか、チョッと思いつかないので、是非、そこのホールで、Haydnのsetting図通りの演奏を聴いて見たいものでした。
作曲だけではなく、音楽の指導や、orchestraの配置等々、そういった所もやはり、Haydnは凄い作曲家なのですよね。
5月24日 15:47
ベッドの中で携帯でHaydnのオケのお話の続きを書いていたら、薬指が画面に触れたらしく、書いていた文章が、全部ぶっ飛んでしまいました。Facebookにはsaveのキーはないようなので、困ってしまう!!
5月24日 5:04
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古典派の時代考証と言う事で、Haydnのcelloconcertoのオケの編成を、当時のHaydnの王宮にいたmember(楽器)だけの人数で演奏しているのを見付けて、「それは、チョッと違うよな??」と、反論迄は行かないけれど、当時のorchestraの常識を書いていたのですがね??
文章が、ぶっ飛んでしまったので、もう一度書きます。とは、言っても、このお話は、随分昔々にhomepageの方に書いていたお話です。
だけど、自分でも何処に書いたのか忘れてしまったので、もう一度Facebookに書く事にしました。
当時、ヨーロッパの王宮は、どこでも台所は火の車で、オケのような不要なmemberを雇って置くほどの経済力はありませんでした。
・・と言う事で、基本的には、必要最低限の人数、(作曲をしたり、part譜を作ったり、楽器のメンテをしたり)・・という必要最低の事務方の人数だけ雇っていて、本番の時には、近郷近在の王宮からオケの助っ人を雇って演奏をしていたのです。
何処の王宮に努めていたとしても、所詮は薄給のオケのmemberにとっては、オケトラのバイトは、とても良い仕事だったので、皆喜んで出掛けていました。
王宮の方も、薄給の文句を言われないで済んだので、喜んで出張させていました。
それはエステルハージのような大王宮でも同じだったのですよ。
そう言った互助会のような組織が既に出来上がっていたのです。
普段の演奏と、eventでは、掛けるお金の規模も違って、王宮のプライドもあったのでしょうが、それでも、「無い袖は振れぬ」・・は当たり前の時代でした。貴族の時代はもう、末期の時代だったのですよ。 アハッ!
5月24日 5:29
ウィーンで勉強したのに、ハイドンの並び図があることや並び方を変えていたことを初めて聞いてショック!並び図はどこに行くと見られますか?
5月23日 23:59
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wienの国立音楽図書館にも、少しはあるとは思いますが、図書館員の人に聴くのが最良だと思います。このgenreは、未開拓の分野なので、参考資料はそんなには多くはありません。直ぐに、ネタが尽きるgenreなので‥・。
5月24日 2:58
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「並び図」は、正しくは「Setting図」,若しくは 「Aufstellung」 と言うのでしょうが、orchestraの響きを研究していたストコフスキーが、1930年代に提唱した「ストコフスキー・シフト」と呼ばれているorchestraの並び方が現代のorchestraの並びの基本です。
それまでのtraditionalな並びは、ヴァイオリンの「両翼配置」と呼ばれていた、「1stviolin、viola、cello(Kontrabass)、2ndviolin」の並びが標準の並び方でした。(教室ではcanon並びとして、violaの代わりに3rdviolinが配置されていますが、「1stviolin、3rdviolin、cello、2ndviolin」として並んでいます。交唱するorchestraのpartに取っては、交唱するpartが遠くなるので、演奏は非常に難しくなるのですが、audienceからすると、stereo効果バツグンで逆に聴きやすくなります。)
また、教室が普段、並んでいる、所謂、「baroque並び」も「traditionalな両翼並び」の中のviolaとcelloの位置が変更された形なので、現代のorchestraの並び方としては、異端視されますが、100年前迄の、traditionalな並び方としては、極々一般的な並び方なのです。
但し、この「並び方」を私が使い始めたのは、このbaroque並びが、一般的に知られるようになるよりも、随分前の時代の話ですから、私が「traditionalな並び方だから」とか、baroqueや古典派の時代の、時代考証に從って、この並び方を使用した・・という事ではありません。
私が、この並び方を考えるに至ったのは、baroque時代のVivaldiや他の多くの作曲家達が、声部の交唱の手法を用いて作曲をしていたからであって、その交唱の演奏効果を最大限にするために、私が独自に考え出した並び方だったのです。
また、当時一番よく書かれていたgenreであるtrio-sonateの形式も、melodie楽器2本とbasso continuoのcello(viola da gamba)と、Cembaloという編成ですが、その2本のmelodie楽器は、和音を形作る事よりも、交唱で対立する演奏をする事の方が多かったのです。
それ迄のtriosonateの並び方は、1st、2nd、basso continuo-celloに、後ろにCembaloという並び方が一般的でした。勿論、こんにちでも、その並び方が主流です。
但し、私は、曲の立体性(stereo効果)を最大に活かすために、triosonateに関しても、1st、basso continuo-cello、2ndという左右対象の並び方を、最初からさせています。これは、教会の作り方もそのようになっていて、前方が祭壇で、神父の位置であり、後方がpipeorganとorchestraの演奏位置になります。
交唱をするchorusは、左右に配置される事が多いのです。
こういったbaroque型の並び方は、当時のopinion leaderであった「I Musici」でさえも、‥・と言うか今だに、この並び方をするbaroque-ensembleは非常に少なく、現代でも、この並び方をするbaroqueや古典のorchestraは、例外的な少数のorchestraです。
という事で、「baroque時代のtraditionalな並び方」というのは、後の時代(1990年代)になってからの、結果論であって、私がこの並び方を採用して演奏していた時代には、未だそう言った並び方をするbaroqueorchestraを見た事も、文献を読んだ事もありませんでした。
Haydn同様に、あくまでも、「ホール効果」を狙った並び方でしたよ。
Haydnのfullorchestraのsetting図は、Haydn自身が演奏するそのホールのために、memoをして残したものが数枚残っていると思います。
それ以外には、Haydnが演奏会で、実際に並べたsetting図を、その時代の人が書き残したものがあり、その資料も含めて、とても大切に保管されているので、私達が実物を見れる事はありません。(eventを除いたら・・)
つまり、未だ、研究としてはそういったgenreはないので、そういったmemoのたぐいは、未だ散乱した状態なのです。
Haydnのoriginalのsetting図をコピーして智ちゃんに添付して送ろうと思ったのですが、そのsetting図がどのscoreに掲載されていたのか、全く覚えていません。(そのうちまた、どこかで見つかると思います。score自体は無くなってはいないので・・)
scoreの参考資料として、Haydnの書いたmemoが掲載されていたりするのですが、あくまで、参考として、の掲載なので、資料として、本として、まとまったものはないようです。
(つまり、originalのsetting図は、図書館ではなく、オケやホールが保存しているcaseが多く、イギリスを含めて点在しているからです。)
但し、ヨーロッパでは、オケのsettingを専門に研究している人達が結構多くいるので、そういった専門的な論文は、pdffile等で読む事は出来ます。英語かドイツ語なので、智ちゃんも問題なく読めると思います。
また、日本版としては、私が日本の音楽大学時代に参考にしていた「17.8世紀のorchestra」という薄い本が、それぞれの時代に作曲家が勤めていた王宮の楽団員の人数等をとても詳しく調べていて、また、演奏会の時の人数も正確に調べていたので、分かり易くって、よく参考にしていたので、出版社等を調べて智ちゃんにお教えしようかな?と思ったのですが、本棚に見当たりません。(尤も、こういった本は売れないので、一度絶版になると、二度と見る事は出来ません。)
何処其処のホールのHaydnの並び方(setting図)は、有名な図は、score等に参考として掲載されているので、そういったものを参考にすると良いと思います。
このgenreは何冊かは、とても良い文献も出版されているようなのですが、日本版では、余り出版されてはいません。
いずれにしても、ヨーロッパや日本にかぎらず、このgenreは、これからの研究のthemaになるのでしょうね。但し、本を買う人がいれば??・・・・ですが‥・。
5月24日 19:04
baroqueや古典派の時代から近現代迄の、「両翼並び」なのですが、violaとcelloの位置が入れ替わる事はよくあったので、珍しくはないのですが、ストコフスキー等でも、驚くことに、1stviolinが上手に座る逆並びもそんなには珍しくは無かったのですよ。ストコフスキーのそう言った並びの写真すらあります。並びが決まって来たのは、この50年ぐらいの話なのですよ。baroque時代から、現代の並び方が脈々と続いて来たように思ってしまうのですが、事実は驚きです。
5月29日12:20
5月25日 2:50 ·
くちなしの季節になって来ました。
5月27日 20:05 ·
「Urtext-Ausgabe=原典版」
原典版の話を書く気になった切っ掛けは、斉藤先生から「原典版なのに、何故校訂者がいるのか?」という質問を受けた事でしたが、私の立場からすると頗る当たり前の事なのですが、説明するとなると、結構色々とあって、その質問は大変おもしろいので、Facebookで公開で回答する事にしました。
原典版ならば、誰しも、一冊あれば事は足りる、と思われる筈なのですが、実に沢山の出版社から、色々な曲の原典版が出版されています。
勿論、校訂者の名前入りで・・です。
そして、そのUrtext=原典版を見ると、本当に、色々なところが、実に違うのですよ‼
(音符だけではなく、rhythmやslurの有る無し、フォルテ、ピアノ等もネ?)
では、それはどうしてなのか?
原典版を作るための鉄則では、originalの譜面に書いてある事はそのままのfontで書き表し、校訂者が考えた(修整した)箇所はより小さなfontで書きます。slur等は点線を使って書き表します。#や♭が落ちている場合も、小さな音符で括弧の中に表示します。
そう言った明らかに校訂者のcheckが入ったものと、手書きの譜面を読むと、どうしても、どちらの音なのか?分からない場合や、slurがどの音符にまで掛かっているのか??とか、明らかに臨時記号の書き間違いの音があったりと、それなりに色々な事があるからです。
それに、前半部と後半部の整合性の問題もあります。
同じthemaであっても、前半部には臨時記号が付いていて、後半部には付いていなかったりします。それが単なる書き忘れなのか、作曲者の意図なのかは、校訂者の判断に委ねられたり、音楽理論の範疇であったり、様々です。
私の部屋には、色々な原典版を比較した小冊子があったのですが、昨年の夏に親の家を処分してから、ますます、部屋に長崎からの親の荷物が積み上げられて、散乱して来て、とうとう研究資料も出せないようになってしまいました。
本棚の前にも荷物の山なので・・・ね??
引っ越しが終わると少しは片付くのかな??それとも倉庫を借りた方が良かったりして・・・。
Mozartは、sonate等を書く時には、reprise反復(再現部=recapitulation)は同じだから・・、と言って「31小節」とか、小節数だけを書いて、音符を書くのは省略してしまう事がよくあります。作曲者と演奏家が同じであった古典派の時代迄は、そういった書き方の方が一般的なのでした。
Händelに至っては、orgel‐concertoのⅡ楽章は全て省略して、orchestraの繋の2小節の和音ぐらいしか書いていません。後は、Händel自身が演奏する時の気分で即興演奏をしていたのですよ。でもそれは、後世の我々としてはとても困ります。Mozartの用に、少しはkadenzの即興演奏のstyleを残してくれたら良かったのにね。当時はそういった慣習は無かったのですよ。
しかし、そのMozartのPiano‐sonateのfacsimileなのですが、省略された楽譜の主調に戻る箇所なのですが、困った事に、提示部(=exposition)は第二主題は基本的に属調になるのですが、recapitulationの場合には、そのままの主調のままになります。
という事で、提示部で属調への転調楽節は、主調のままなので、臨時記号が無くなるのですが、それがどういう風になるのかは、Mozartでないと分かりません。
という事で、ありとあらゆる版でそれぞれの解釈が成されてしまいます。
♭か♮かが理論で判断出来る場合は、それで良いのですが、判断出来兼ねる場合もままありますからね??
原典版ではarticulation等も書かれていない場合やforte・Pianoの強弱すら書かれていない楽譜が多いのですよ。
勿論、指使いを書いた楽譜等は皆無です。
指使いに関しては、Henle版の楽譜には、御親切に・・というか、余計なお世話と言うか、指使いが付けられているのですが、これが権威のある指使いと勘違いして、ひたすら神のお告げのように守っている先生が多くて辟易させられます。
Henle版の楽譜を使っている先生達が、本人がその指使いを守って演奏する場合には、なんの問題もないのですが、子供達にHenle版の指使いを守らせようとしているのはいただけません。
先ず、確認をしておきますが、その指使いは作曲者が書いたものではありませんし、子供達に演奏させる事を想定して書いたものでもないので、Henle版の指使いは子供達にとっては不自然で、致命的に無理がある場合が多いのです。
しかも、Henle版の指使いは150年も前の古い指使いなので、その指使いの原則論は必ずしもこんにちでは、「正しい」とされる指使いではありません。
Henle版の「指使い」を守る事はこんにちでは、何の根拠もないのですよ。
原典版に書かれているすべてのものが作曲者の意図ではないのですよ。
その多くは、校訂者の独断と偏見なのですからね⁉
実は楽譜で作曲者の意図を忠実に反映するために、原典版が作られるようになったのは、音楽史的に見ても、新しい事なのです。
Beethoven等は、自分の楽譜の細部に至るまで、校訂者に対して、実に厳格に忠実に守らせましたが、そう言った作曲家は、寧ろ稀で、Chopinの場合は、校訂者任せで実にいい加減でした。
Chopin自身が貴婦人の生徒達に指導する時にも、生徒の技術に合わせて、自分の譜面を簡単に改造して生徒に弾かせて居たりしていました。
そのお話しは、chopinの手紙の中に、Chopin自らの手で、詳しく書かれています。
こんにち、世界中のChopinの楽譜の底本になっているのは、何と、Peters版なのです。
その際、Petersの校訂者はChopinの和音の譜面に音を充填して書いて出版しているのですが、それが世界の楽譜の定番になっています。Peters版の底本という事です。勿論、日本のChopinの標準版もPeters版なのですよ。
或る有名な音楽大学の教授が生徒がChopinの日本版の楽譜を持って来たので、烈火の如く怒って「Peters版を買って来なさい!」と言ったという話があります。
音楽大学なのに、何故、Paderewski版ではないのか??と今の学生ならば不思議に思うかも知れませんが、これは私の音大生時代の頃の話なので、Paderewski版は、未だ日本には入って来ていませんでした。なにせ、共産圏の出版社だったので、輸入するのが難しかったのですよ。だからその頃の権威のある版はPeters版だったのですよ。でも、日本の楽譜の殆どはPeters版を底本にしているので、日本版からPeters版に買い換えてもね~ぇ??意味ないのよね~ぇ??
しかしながら、今現在、音大の先生達や学生達が最も信頼して使用している版の定番であるPaderewski版ですら、originalの譜面とは、違う所が随所に見受けられるのです。
私が未だ、音大生であった時代(つまり、50年以上も前の時代)に、ポーランド政府は、Chopinの正しい楽譜を世に知らしめるために、Chopinのfacsimile版を実に廉価で世界に販売しました。
当時、と言うか、今現在もfacsimile版は非常に高価であって、数万円どころではなく10万を越す楽譜も大量にあります。
それを国家がback・upする事で、非常に安くに世界売り出したのです。
世界中のChopinの楽譜に於ける誤りを訂正させるために‥・です。勿論、共産圏で物価がとても安かった・・という利点もあって・・の話なのですがね。
音楽大学時代に、偶然、本郷のアカデミアで、その楽譜を見付けて、当時の私の経済力で可能な限りのfacsimile版を購入しました。(まあ、それが、facsimile-maniaの切っ掛けとなったのかもしれませんがね。)
先ず、Urtext-Ausgabe=原典版と呼ばれるものなのですが、運良く作曲家のoriginalのHandschrift(手書き譜)があれば良いのですが、中々そうは行きません。
ですから、当時出版された楽譜がある場合と、Tommaso Vitaliの楽譜のように、何処の誰が書いたのかは分からないけれど、なんとか写本が残っている場合もあるし、その次には、それも無くって、BachやVivaldiの楽譜のように、演奏をした時の、part譜を集めてscoreを再編集したりと、信じられないような手間暇を掛けて、再編集して行くのですが、そのpartが全Page見つかる事は稀で、他の楽器のpartから、失われたpartを類推して復元したりします。
その復元が、明らかに間違いの場合や、非常に幼稚な技術力しかない人の手によって元復された場合には、諦めて、Ashizuka‐versionのように、出版された楽譜を捨てて、私が作り直したりもします。
こういったものの全てを、kritik-Ausgabe=批評版(校訂版)と言う言い方をします。
古典派やロマン派ぐらいの時代になると、作曲者立