2014年9月4日より、2015年12月31日まで
2016年1月1日より、2016年12月31日まで
2017年1月1日より、2017年12月31日まで
2018年1月1日より、2018年12月31日まで
Händel-Ashizuka sarabande(passacaglia) orchestra-version
1月1日皆々様、新年おめでとうございます
1月1日今日は寒い!
「2019年1月1日pm1時11分」
1月2日amとpmの
1月2日飛び散ったヨーグルトで
1月4日排尿痛が・・
1月4日不立文字
1月4日爆発したヨーグルト
1月5日出来たチーズ
1月5日もう一つのチーズ
1月6日超寒い!
1月6日初めてのwebでのオケ練習
1月7日摂眠障害が
1月8日超現実的な夢
1月9日Händelのpassacagliaのrenewal-version
1月9日右足の爪が
1月10日今日はもう1月も
1月12日今日は今年、初めて椎名町迄
1月12日日本の演奏家の3拍子の
1月12日宮崎駿さんの
1月19日homepageが壊れて
1月22日やっとCapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった
1月23日本当の本物とそうでない物を区別する事
1月25日今日こそは、ドルプリっ歩に
1月28日無理をしてオケ室内楽の練習に
1月28日ペースメーカーのお話村田さんからのlink
1月29日思いっきり、突き指をした
1月29日携帯用の心電図計です。
1月29日ますます鬱が酷くなって来た
1月30日理不尽さを子供に学ばせる・・大人の傲慢さ
1月30日Vivaldi a moll Op.3Nr.6のwordの原稿が見つかった
今日は一日意識朦朧と・・
2月1日
今日は夜から、不定愁訴と言うか
2月3日
昨日はお蕎麦を食べて
2月3日
今日のオケ練習は、インフルや受験やら
2月3日
昨日辺りからまた、不整脈が出て
2月4日
今日は、超、鬱が酷い!!落ち込み性の鬱だ!!
2月9日
「AI時代を生き抜く教育とは・・」
2月9日
「昨日は、音人の会でした❗」
2月11日
またまた、書き上げる直前の文章が
2月11日
「TafelMusicについて」
2月12日
世間一般の人達は、「子供がどれだけ努力をしているか?」で
2月13日
突然、深夜の3時過ぎになってしまった。
2月13日
「ame-logのお話」
2月13日
ガスストーブを焚きっ放しにしているのに
2月15日
baroque-dance
2月16日
流石に今日は、鬱と意識混濁が
2月16日
テレビ朝日の子供の虐待への「第三者委員会」へのkritikです。
2月16日
体重は、精神的な物らしい
2月19日
VivaldiのCello-concerto G Durの音
2月20日
春眠暁を覚えずか、単なる体調不良かは知らないけれど
2月20日
足腰が痛くて、ドルプリっ歩に行けなくなって
2月22日
努力はしても、工夫はしない。
2月22日
「今日のつぶやきは独居老人の世迷い言です。」
2月23日
ハイツの部屋で美伶ちゃんのlessonをしたのだが、
2月23日
毎日、毎日、「鬱だ!鬱だ!」と繰り返していると
2月24日
「放下著」
2月24日
「教育の問題は口にしたくない❗」と、言いながら
2月24日
禅の基本的な概念は、
2月24日
Veracini introduction und Ciacona d Ashizuka=orgel-version
2月26日
「Veracini Ciacona 続き」
2月26日
「今日のドジ」
2月28日
今日2月28日は月一の千葉での私のone lessonです。
2月28日
3月1日今日は千葉で月1のone lessonと
3月2日
3月4日今日はお雛様です。
3月4日今日は欝が久し振に
3月5日period-baroque
3月6日prideとcomplex
3月7日寺田寅彦調で書いてみました。
3月8日ロマネ・コンティの思い出
3月9日花粉症になった??
3月11日Capuzziの練習で
3月13日昨日,今日と連ちゃんで病院に
3月13日ひかりヶ丘の病院で
3月14日Facebookがおかしくなったと
ベッドで寝たままに、Facebookを読んでいたら、いつの間にか、年を越してしまいました。
皆々様、新年おめでとうございます❗
本年もよろしくお願いいたします。
普段のジルベスターならば、椎名町の事務所で先生達とテレビのカウントダウン・コンサートでも見ながら、年越し蕎麦を食べながら、迎えているはずなのですが、腰痛が酷くて、先生達やプリドルとは別に、江古田の自宅の寝室のベッドでぼっちで、安静にしています。
ベッド・サイドででも見れるように、ワンセグやフルセグの映るテレビを折角買った所までは良かったのですが、動けないので、そのテレビの設定(配線)をする事が出来ないので、結局、テレビは見れないままなのですよ‼
これじゃあ、なんのためにテレビを買ったのか分からんわな⁉
居間兼食堂兼パソコンルームのパソコンの椅子で・・ならば、テレビは見れるのですが、長時間、椅子に座っているだけで、疲れてしまいますので、今の状態では無理です。
・・・という事で、一日中、横になって寝ているベッドの中では、これ以上は眠る事自体、無理難題なので、退屈凌ぎに、ベッドに寝ていても唯一いじることの出来る携帯で、Facebookを読んだり、書いたりする事が、mainになってしまいます。
(寝室にnet環境がないという事は、ある意味致命的だよなぁ⁉パソコンがないという事は、ベッドでは仕事をする事は、無理だという事が、確定しているしね⁉)
という事で、本年は、正月も新年もない、うれしくも楽しくもない、寝正月です。(とは言っても、毎年、大晦日から、正月休みの間は、高熱を出して寝込んでいたよな⁉冬休みは毎年、病気で唸っている時期なのだよな⁉今年に限っては、冬休みの期間が、11月からになっただけなのだよな⁉)
まあ、そう、考えると、毎年の恒例の事なのだとも思えるのかもね⁉
体調が整って、せめて部屋の中だけでも歩けるようにならないと、正月所ではないのでね⁉
明けましておめでとうございます。
ジルベスター、15秒ほど早く終わり最後の音をのばすといういつものドキドキがなかったです。
今日、届きました
ありがとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
それは見てみたかったな⁉今日届いたのはDVDの話しですか⁉
DVDと楽譜です。
ロカテリは、エチュードなみに難しいので、まだ、もう少し技術が上達するまで、保留で良いと思います。ヴィヴァルディは、技術的には、簡単かも知れませんが、音楽的には、とても高い水準の曲です。
これまで、紗來ちゃんと瑞希ちゃんが演奏していますが、今回、美音ちゃんのチャレンジは、三人目のチャレンジになります❗譜づらを見てください簡単だと思わないように、課題をしっかりと把握してください‼
DVDは子供には、文章も言葉も難しいので、説明をしなければなりません。紗來ちゃん達の課題も、出来ても出来なくても、それだけの課題があるのだ、という事が分かれば良いという考え方です。
先生!
明けましておめでとうございます!
先生!
ご健康年の幕開け❣️
最高のお正月をお過ごしです!
先生 ありがとうございます❗本年もよろしくお願いいたします。いっそうのご活躍を楽しみに致しております。
何故だかは、分からないが今日は寝ていても兎に角、超寒い‼
以前は、先生に羽毛の布団を押入れから出して貰って、それで寝ていたのだが、暑すぎて寝れなかったので、何時ものイトーヨーカ堂で緊急に買って来た毛布に戻したのだけど、それでも暑いので、部屋の温度設定を1℃低くして、何とか布団の温度が安定しているのだが、今日はどういう分けかは分からないのだが、兎に角寒い‼
ベランダ側のカーテンを見ると、2か所少しカーテンがずれて開いているのだが、ベランダ側の窓ガラスが室内から見えていると、超、寒いのだよ❢❢
それを直しに行くのは、体力的に無理なので、今回はエアコンの温度の設定を変更するだけで、辛坊する事にした‼...
練馬区の気温を見てみると、やはり0℃と、東京にしては低い。
まあ、それもあって寒いのだろうが、だからといって、またまた羽毛の布団を出すだけの気力はない❗
そこまでするのならば、毛布にしがみついて、震えていた方がましだ‼
体力気力がそこまでない・・という話だよ❢❢
「2019年1月1日pm1時11分」
ベッドの中でのFacebookの見たり書いたり・・は程々にして、兎にも角にも、寝ようと試みたのだけど、どうしても眠れなくて3時ぐらいになってしまった。それから、何とか熟睡出来て、朝、目が覚めたのだが、時計を見てみると何と未だ朝の6時半である。これは大変だ❢❢と思って取り敢えずトイレに行ってそのまま寝直したのだが、今度も熟睡出来たと思ったら、未だ9時頃だ。
一体、どうなっているのだ??と不思議に思いながら、また入眠に挑戦する❢❢ 絶対に今度は夕方の6時ぐらいだ❢❢と思いながら時計を確認すると、またまた、11時ちょい過ぎぐらいである。
その寝ている間、妙に現実的な夢を見て、どちらの世界が現実の世界であるのか・・分からなくなってしまう。部屋にある物を見て、現実界との確認をする始末である。夢の世界では、私が持っているはずのないものが身の回りにあるので、直ぐに判断出来るのだが、夢の中でも現実の部屋の小物になってしまったら、私が戻って来る場所が分からなくなってしまう。それは困った事だな??
夢の中の世界を現世と思った時がこの世に帰れなくなる時か⁉⁉
何とか爆睡出来て起きた所なのだが、6時という事で、はたと困った❢❢
Facebookでは、これまでも同じ話題で、よく書いている事なのだが、6時という時間は、朝なのか、夜なのかが、目覚めたばかりでは、時計を見ても分からないのだよな❢❢
つまり、2日の朝なのか? 2日の夜なのか? はたまた、3日の朝なのか、3日の夜なのかが、全く分からないのだよ❢❢
私の回りにある時計の数々を見ても、24時間表記の時計はないし、テレビをつけても、6時だという事はあっても、午前か午後かの、その話だけは出ないのだよな??つまり、それまで起きている人にとっては自明の事であるからだよ❗
6時という時間が、朝か夜かが分からないという人は、その時間に起きた人にかぎられるからだ❗
しかも、長時間寝れる可能性のある人に限られる❗
世の中は、そういった極めて稀な人には、対応する事はない❗
困った事だ❢❢
・・とは言っても、迷っているのはホンの2,30分に過ぎない。
6時半ともなると、空が明るくなってきて、朝焼けが始まる。
(もっとも、雨の日には、明るくならない事があって、それこそ9時10時になっても、朝か夜かが分からない事もあって、そうなると、体感的に時間が狂ってしまって、悲惨な事になるのだが・・)
今日は、絶好の正月日和らしく、6時半には空が朝焼けの空になって来た。「写真を・・・」と思ったのだが、いつもいつも、同じ窓からの同じ朝焼けの風景の写真では、あまりにも芸がなさすぎるので、写真を撮るのはやめにした。
作っておいたヨーグルト3本の内の1本が爆発して、飛び散ったヨーグルトで周りが大変な事になっていた。
仕方がないので、そのままチーズでも作るか??
それにしても、濾し布がないぞ?これは困った
たった今、12時を過ぎて4日になった所です。
病院の指示する術後3週間目の安静期をやっと過ぎた所なのですが、私の場合には、バイアスピリン等の血液サラサラの薬を飲んでいるので、血尿や腰痛が未だ収まりそうにありません。
勿論、それは担当の先生から予め言われていた事なので、然程は気にしてはいないのですが、今日(というか、昨日の3日の事なのですが・・・)はどういう分けか朝から頻尿になって、30分起き20分起きぐらいにトイレに行かなければならなかったのですが、足腰が痛くて、トイレまで歩く事が困難なので困ってしまいました。
勿論、それまでも、トイレに行く度に激痛を感じていたのですが、一時間以上は開いていたので、何とか堪えられていたのですが、同じ痛みでも、20分起きともなると、我慢の限界になってしまいます。
排尿痛も相変わらずです。...
でも、「術後直ぐの痛みを10にすると」・・という質問を良く受けるのですが、確かに、血尿、腰痛も術後直後からすると幾分は改善はしているようなので、気長に体調の回復を待つしかありません。
歳を取ると、治るのに時間が掛かるのは、自明の理ですからね。
時の過ぎ行くのは早いもので、休み中にやらなければやらなかった事が、全く出来ないままに、教室の休みがあけてしまいます。
死活問題なのに、何も出来ないでは、困った事です。
ベッドに入って、アンカにしがみついていても寒くて叶いません。勿論、エアコンはつけっぱなしなのに、寒いのですよ❗
何故だろう⁉と思って、スマホを開いて気温を見て驚いたね⁉なんと、練馬は-2℃だって‼
気力と体力があれば、毛布と羽毛布団を交換したのだけど、ベッドから起き出す気力がないのでね⁉
4日になったのに、尿道の瘡蓋が剥がれて、真っ赤な血尿と一緒に大きな皮膚片の塊が出た。これは1、2週間目に何度となく出なければならないものなので、3週間目が終わった今頃出るのは、とても治りが遅いという意味でもある。まあ、ある意味、気長に解釈すると、「治って来ている」という意味でもあるのだがね⁉
不立文字(ふりゅうもんじ)という言葉がある。
言葉にした途端に意味が変わってしまう・・というか、言葉で表す事の出来ない・・という意味でもある。
人間が自分の経験の中で知っている知識に、教わる事を無理矢理当てはめようとすると、教わる事は経験の外にある分けなのだから、当然、意味が変わってしまう。
そういった学び方をする生徒は、100回同じ事を指導して、何とかそれなりに格好をつけても、暫くすると、また元の木阿弥の自分の思い込んでいるstyleに戻ってしまう。
世界的に数人の優れた指導者がいると言われているのだが、そういった先生に師事している生徒の数は何千人という膨大な数である。
その中のたった一人、二人が優れた演奏家として育つ分けなのだけど、逆の言い方をすると、そのたった二人の生徒はどの指導者に師事したとしても、優れた演奏家になるのだよ。つまり、優れた指導者ではなく、優れた学び上手の生徒がいるのだよ。...
逆の言い方をすると、どの様な優れた指導者に師事しようと、学び方が出来ていない生徒が、優れた演奏家になる事はないのだよ。
どの様なclassであったとしても、その中でも1を聴いて10を知る事の出来る生徒は、どのようなclassでも、どの様な境遇にあったとしても、必ず頭角を表す事が出来る。
つまり、そのような生徒は、優れた指導者に師事出来なかったとしても、目標に到達するという事には、関係はないのだ。
道に至るは易く、道より出るは難しい。
しかも、家元制度の中では、道より出る事は、認められないのだよ❗
破門になってしまうのだよ。
ひたすら、その枠組みの中で、井の中の蛙になる事が良しとされるのだ。
濾し布を持って来て貰って、さっそくチーズを作ります。
1回目のチーズが出来上がりました。
お気に入りのヨーグルトを種にして、空のヨーグルトのボトルに5分の1程入れて、成分無調整の牛乳に結構大量のオリゴ糖をボトルの9割り程、入れて、常温で、二日間ほど保存します。
完全にいっぱいに入れると、発酵したら溢れてしまいます。
蓋を締めても、開ける時に爆発します。
そこだけ気を付けると良いと思います。
そうすると、2、3日後には、美味しいヨーグルトが完成します。
大量のオリゴ糖は、乳酸菌のエサになるので、甘くはなる事はありません。
普通のさっぱりしたヨーグルトになります。
しかし、私の場合には、同時に3本も作るので、本当は残りの2本は冷蔵庫に保存して、出来上がりのタイミングをずらさなければならないのですが、冷蔵庫には朝昼晩と次の日の食料も入っているので、予備のヨーグルトを入れるスペースはありません。
作るタイミングをずらせば良いのですが、それも面倒くさいので、同じタイミングでヨーグルトが大量に出来てしまいます。
今、ヨーグルトを大量に作っているのは、リハビリに必要なある重要な目的があるからの必然的な理由で、趣味で作っているの...ではありません。
極度の便秘で、どうしても、toiletでいきんでしまうからです。
病院からも、便秘の薬を貰ったり、色々な市販の薬を試したりしたのですが、どうしても、上手く行きません。
という事で、苦肉の策でのヨーグルト作りです。
リハビリがある程度終わって体調が回復したら、ヨーグルト作りは終わりにします。
普段に食べるヨーグルトの量ならば、スーパーで買って来るボトルで充分だからです。
今は腸内の環境を整えるために、大量のヨーグルトを薬と一緒に、食べています。
2回目のチーズは、美味しいヨーグルトの状態から作る事にします。
1回目のチーズもそれなりに美味しいのですが、発酵し過ぎて、少し酸味が強めなので、2個目のチーズは、甘めのカマンベールのような味を目指します。
2つ目のヨーグルトから作ったチーズのもとです。
このヨーグルトはまだ酢が立っていないので、普通に食べても美味しいヨーグルトです。だから、チーズとして熟成させると、少しもの足りなくなるかも知れません。ここの帯襷(塩梅)は超難しいです。
ちなみに、横に写っているバナナは全く何の関係もありません。片付けるのが面倒くさかっただけです。
今日は6日の日曜日です。
昨夜から、真面目に布団に潜り込んではいるのですが、足の指先から膝まが冷て寒くて全く眠れません。
勿論、アンカに足を絡めて、しがみついているのに関わらず・・・です。
それに、エアコンもフル稼働しているのにも関わらず・・寒いのですよ?
またまた、練馬の気温が0℃になってしまったのかな⁉と思って調べて見ると、2℃はあるようです。
勿論、外の温度で、室温ではないのですが、エアコンをフル稼働させているので、室温としては、寒い分けはないのですがね⁉(部屋の温度が何度と言わないのは、部屋のあちこちに温度計を置いているのですが、その全ての温度計が、バラバラな数字を示して、どれひとつとして信用おけないのですよ。
試しに同じ場所に温度計を3つ、4つ置いて、試して見たのですが、結果は、アナログ式のメトロノームのように、酷いものでした。
今の所は、車の室内と車外の温度計が一番正確なのだけど、あれは、netのデータだよな⁉)...
困ってしまいます。
それはそうと、今日の日曜日は、オケ練習の初練習です。
腰が痛くて、まだトイレまでも歩けないのですが、無理をしてでも、千葉まで練習に行くつもりでしたが、牧野先生から、「weblessonでも良いのでは?」というadviceを貰って、それに甘える事にしました。
まだ、一度も、椎名町の事務所までも、行けていないので、いきなり千葉までという事は、冒険になってしまうからです。
今年、初のオケ練習での、初のweblessonになるので、どうなるのか?まあ、乞うご期待! ですよね?
でも、ビデオlesson自体は、βの時代からやって来た分けなので、パソコン上でのlessonは、慣れているので、問題はありません。
問題となるのはwebの電波の状態だけですかね⁉
今日(6日)は初めてのweblessonでした。
weblesson自体は問題はないのだけど、音声がブチブチ切れて意味不明になってしまうのは、困ってしまいました。
パソコンの音声出力からスピーカーまでの配線の問題か、net環境の問題なのだろうけれど、事前のcheckをする事が出来ないので、時間ばかりロスをして困ってしまいました。
lesson内容自体は、曲を渡してから演奏上の解説の確認に留まりました。
weblessonでは、出来る事に限りがあるからです。...
結局、クリスマス会までは、発表会の曲は、ザッとしか見ていなかったので、それまでに、私が注意をして来た事を、ちゃんと理解出来たか否か、とかの確認のはずだったのですが、3回オケに新しく入って来たgroupは、私の注意を書き留める事もしていなかったし、注意や、練習のpointの説明を記憶すらしていなかったのは、初めてでは致し方がないのかも知れませんが、そういった「学ぶ」という基本的な事を、学校では教えないのかね⁉
学び方のハウツーを教えれば、指導するのは、極めて楽になるのだけどねえ⁉
私の教育の基本方針では、「学んだ事を、ちゃんと記憶して、応用する事が出来れば、メモは取る必要はない❗」と教えます。
でも、覚える事が出来ない人は、メモをちゃんと取らなければならないのですが、そのメモの取り方は、「メモが必要な時に、そのメモが出て来ない」という書き方なのですよ。
つまり、メモをちゃんと書いても、そのメモが役に立たないから、メモを取らなくなるのです。
この事は、「ニワトリと卵」かも知れませんがね⁉
一般的な子供達の勉強法はそういった無駄な勉強(努力)の積み重ねなのですよ❗
全ての勉強は、必要な時に、その知識が活かせるものでなければなりません。その方法論は、優れた子供の場合には、自然に身に付く場合もあります。でもその方法論を学んで、身に付けると、全ての分野に応用が効いて、その子供の人生が極めて楽になるのです。
しかし、私がそういった方法論を、惜し気もなく子供達に指導しているにも関わらず、中々、子供達の身に付かないのは、その方法論が一般的な勉強法と真逆の勉強法で、儒教社会である日本では、儒教の勉強法が一般の通念(常識)として、通用しているからなのです。
それにしても、12月の24日のChristmas会以来、一度もハイツの部屋から外に出ていません。
というか、12月の18日の川崎の病院からの退院以来、24日の外出が唯一の外出で、ハイツの部屋から一歩も外に出ていないのです。
そろそろ我慢の限界です。歩く練習をしないと、筋肉も段々落ちて、rehabilitationが大変になります。
しかし、リハビリはやり過ぎの判断が難しい。
去年の暮から部屋に閉じ込もったままという事だったのですが、そう言えば年賀状もたまにはハイツ宛に来るので、郵便受けのcheckをしなければならないのですが、部屋から一歩も出ていないので、食事を運んで来る時に郵便受けのcheckをしてくれるように頼んだのですが、忙しいので、中々、その場で思いついてくれないようです。年賀状をハイツ宛に送った人達は、ごめんなさい!!
今日はもう既に月曜日の朝になった所ですが、土曜日の夜から、久しぶりに、摂眠障害が起こって上手に睡眠を取る事が出来ません。この二日間、全く眠れないのですよ❗
それに、江古田周辺では、な、な、な、なんと今日の朝の気温は-2℃だそうです❗
それは大変❗ 今日こそは、頑張って羽毛の布団を掛けようか?・・とも悩んでいたのですが、やっぱり、体調不良を優先して、アンカにしがみついて辛抱する事にしました。
エアコンも入っているので、私が体験した一番の寒さである、ミュンヒェンでの時のような、-27℃の肌がそのまま凍ってしまうような寒さ、・・・ではないからです。
ミュンヒェン時代は、駅の寒暖計が-7℃だと、「今日は暖かいな~あ!」という感じで、寒さには、すっかりと体も慣れてしまっていたから、-27℃と言っても、今思う程の寒さではありませんでした。...
しかし、歳を取ってしまってからは、すっかり、暑さ、寒さに弱くなってしまいました❗
たかが、氷点下2℃で、ウダウダと騒いでいます。
・・・などと、言いながら、それにしても、あまりにも寒いので、室温を見ると20℃は越しています。それにしては、なぜだか超寒い‼
ふと、湿度計を見て驚いてしまいました。
なんと、湿度が30%を切っています❗これでは寒いはずだ❗
という事で、慌てて、物置きから極超音波加湿器を出して来ました。
水分の粒子が細かいので、吹き出し口にガラスを当てても、水分が付かない加湿器です。
部屋が湿気っぽくならない優れものなのですが、同じtypeの大型の加湿器は出せなかったので、小さな方の加湿器を出しました。
だから、部屋の温度が上がるには、だいぶ時間が掛かるとは思いますが、これで、布団の中でも、少しは暖かくなるはずです。
やっと少しうとうととする事が出来たのですが、なんと、私が幽霊になった夢を見てしまった。それにしても、若い無分別な少年になって、無意味な行動を繰り返しているのですよ。唯、何処かへ、行こうと焦って歩き回っている。次から次に出て来る見も知らぬ光景と見知らぬ人達‼
何処へ行こうとしているのだろうか?ひたすら無駄に歩いている❗
この夢には、いったいどういう意味があるのだろうか?
夢判断は通用しそうにない❗
随分昔にも、人っ子一人いない超大都会を訪れた夢を見た事があったが、今日の夢では、普通の住宅街なのだが、やはりなにかが違う❗孤独で無機質なのだ❗人が登場する事があっても、人形か、ロボットのように、実存感がないのだ❗
たしかに、子供の姿の見えない住宅街は、人気もなく寂しい❗
限界集落から始まって、シャッター街と、人気の途絶えた住宅街と続けば、次には、人影の見えない建物だけの大都会と続く。
まもなくそれは現実の問題になって来る。
今日は8日の朝4時過ぎです。チョッとだけ仮眠が出来て、トイレに起きた所ですが、なんとも不思議な、超現実的な夢を見ていたのですよ。
・・・とは言っても、今回だけのお話ではなく、いつも夢を見る時には、超現実的な夢を見るのは、いつものお話なのですがね?
超現実的・・・という意味は、surréalisme(シュールレアリスム)という意味で使用した分けではありません。...
登場人物もその場所も、一度も会った事も行った事もないのですが、妙にrealisticなので、超現実的と言っているのですよ。所謂、de ja vuとでも言うのかな??
今日の夢に登場した姪の女の子も、一度も見た事のない超可愛い人なのですが、誰なのか、私には分からなかったのですよ。
私・・とおぼしき青年も、どこから見ても私の若い頃には似てはいない。
それなのに、私と思われるのは、夢の中の主人公だからに過ぎません。
夢がその青年を中心に流れて行くからに過ぎないのです。
夢の中のお話では、海の見える林の中のひと部屋だけの一軒家を、突然に追い出されて、引っ越す事になって、一人で色々と荷物を纏めていると、姪が突然訪ねて来たのだけど、初めて見る顔なので、誰なのかが分からなかったので、誰なのかを知るために、「私が、ここに住んでいる事は誰に聞いたの?」と聞くと、「真おじさんに・・」という答えだったので、内心、『ああ、あの小さかった**ちゃんが、そこまで成長したのか??』と分かったのだけど、勿論、それは現実の話しではありません。但し、真おじさん・・の姪っ子の**ちゃんは、実在の人物ではありません。私の従兄には、息子はいるのだけど、娘はいないからです。
従兄に隠し子がいて、本当に娘が存在したとしても、彼女ならば、当然、年齢が合わないし、顔立ちも従兄とは、全く違います。
勿論、私の年齢も随分若いし、そのおじさんという従兄は、もう30年近くも前に、自宅で突然死をしているので、この夢の世界は、現実の今からは、30年以上も前の話しになってしまいます。
私の何時も見る夢の中では、私は何時も30歳程は若返っているので、その時代が私の心の居場所だったのかも知れません。
しかし、当時の私は、19世紀の若者達のように、Cosmopolitanな生活をしていました。(※1.)
夢だけではなく、現実的にもフワフワと居場所の安定しない生活をしていました。
(Cosmopolitanという言葉には、世界市民とかいう良い意味と、住所不定とか、無政府主義者とかいう悪い意味の両方があります。)
一応、江古田の住まいを本拠地(ベース基地)にして、群馬の大学や、千葉に教室を作ったり、大阪や長崎等と、日本各地に活動範囲を拡げていました。
毎日、飲みに行くお店も、帰国したばかりの頃は、渋谷で、大学の先生をやっていた頃は、新宿に行きつけのスナックがあって、出版業界の人達と毎日のように飲んでいました。やがて、行動範囲が池袋駅周辺にになって、江古田から一歩も出なくなって、今は自宅に閉じ籠もっています。アハッ!
人間、歳を取ると、動ける範囲が狭くなって来てしまいます。
歳を取っても、世界をまたに、活動を続けている人達もたくさんいますが、本当に羨ましい限りです‼
私も、早く、自分の出来る限り、出来る事をしたいと思っていますが、全く歩けない日にちを重ねていると、気力が湧いて来ないのですよ❗
とどのつまり、元気な頃の昔を懐かしんでいるだけなのかな⁉
それならば、実につまらん‼
今は朝の8時半を過ぎた所です。天気は快晴らしいのですが、まだ0℃のままです。昨年のクリスマスから、一度も雨が降っていないそうで、これも、記録的な事だそうです。湿度がないので、インフルエンザの大流行が始まっているのだそうです。そろそろ、あちこちの学校で学級閉鎖が始まっているそうです。東京、千葉は大丈夫かな⁉
千葉も年末からインフルエンザになったと聞くようになりました。
学校で貰って来ないように注意しないとね⁉
髪の毛が黒い!!
「Bachの珈琲cantata」の演奏風景です。 大学1年生の頃!!
Händelのpassacagliaのrenewal-version
1月9日 6:24 ·
全く眠れない日々が2,3日続くと、今度は惰眠のように、起き出してパソコンの椅子に座った途端に、意識が飛んでしまう日々がまたまた2,3日続く・・という、困ったroutineを繰り返して、病気療養のbalanceが全く取れません。
昨日、今日は眠れないroutineで、療養中という事で、仕事が全く手に付かないので、激しい自責の念(つまり鬱という事ですかね?)に襲われてしまって、何とか「療養中なのだから・・」と自分自身に言い聞かせてはいるのですが、夢の中で迄、自分自身が、苛まれてしまいます。
仕事をする気力が出ないのなら、せめての事で、気力、体力を使わない軽作業という事で、16年の1月の14日にarrangeをした Händel-Ashizuka-versionのpassacagliaという曲なのですが、パソコンの音源として16年の1月にYou Tubeにuploadしましたが、1年後の、17年の4月の発表会で、やっと教室の生徒達の手によって、演奏をする事が出来ましたが、パソコンの音源の音とは違って、曲の後半部で擬古典のstyleになった所から、オケが分厚く成り過ぎてsolo(soli)の旋律が活かされていなかったので、2台のfluteと、continuoのcelloとcembaloのversionに、今日、眠れぬままに、深夜にオケバックのpartを簡明に訂正をし直して、そのままYou Tubeに新しくupしました。
但し、使用している写真は、以前、パソコン音源としてYou Tubeにuploadした長崎への旅行の時の写真をそのままに使用しています。
つまり、音声だけの変更です。
しかし、まあ、それにしても、baroqueのpassacagliaはなんと、patheticなのでしょうか??
パソコンの音源と分かっていても、ついつい心打たれてしまいます。
fluteを弾いてくれる人が二人いるのなら、音人の会で演奏したいのだがね⁉
後は、弦5部とcembaloの6人が居れば室内楽として演奏可能だけどね⁉
更に、1月9日と11日に改定renewalしました。
https://www.youtube.com/watch?v=jDHMuxT1t9w&fbclid=IwAR2XtlJg3Z9eSl-rgDoT92Qo70josUOMH7D6d_JkMP0s1mHUMuVCx6UzECo
右足の爪が
1月9日 10:57 ·
手術前後の4ヵ月以上も、体を曲げる事が全く出来なかったので、自分の足の状態、特に爪の状態を見る事が出来ないままであった❗
何とか、足や、足の爪の状態をcheckするために、デジカメで写真を撮ってみたり、大きく拡大されて見える手鏡で見たりしたのだけど、上手くはいかなかったので、観察出来ないままだったのですよ‼
やっと、昨日くらいから、足腰が痛い事は、痛いままだけど、足の指の状態をcheckする事が出来るくらいまで、体を曲げる事が出来るようになって、改めて、爪を見て驚いてしまったのですよ❗
なんと、右足の爪が、全て、爪の半分以上が死んでいたのだよ❗
親指の爪は上の半分が死んでいて、白濁していて、やっと下の半分が何とか生きていた。
中指は上の半分くらいが、欠落していて、傷の所が瘤になっている。
小指の爪に至っては、紫色になっていた。
左足の爪は、見る限りでは全部正常だと思われたのたが、右足の爪は、全部の爪が、何かしら怪我をした状態だったのだよ。
以前、足の中指を常にぶつけて、何度も、爪を剥がしていたので、それを防ぐために、部屋の中でも、必ずスリッパを履くようにしてからは、爪を剥がす事は無くなったはずなのだが、これはいったいどうした事だろうか⁉
全く、理由や、その原因が分からない❗
否、爪を傷付けた覚えすらないのだよ⁉
糖尿病では、足の指先の感覚が無くなって、怪我をしても気づかずに、足先を腐らせて、足の切断という事になる・・という事があるので、かなり神経質に、注意をしていた積もりだったのだが、全く身に覚えがないのだよ⁉
これは、全く困った😨😥
今日はもう1月も
1月10日 9:33 ·
今日はなんと、もう一月も、10日だそうです。
やっと、お正月になったと思っていたら、いつの間にか一月も中旬になってしまっていました。
今日の練馬の朝の6時の気温は、なんと、-2℃だったそうです。
すっかりと明るくなった今も、練馬に限定したら、netでは-1℃なのだそうです。
尤も、色々なproviderによって、常に練馬の気温は、2~3℃は温度が違うようですがね⁉
今日も、昨日から全く一睡も出来ていません。
ベッドから起きて、パソコンの作業をしたり、またまた、ベッドに潜り込んで、うだうだしたりしているのですが、どうしても、眠れないのですよ❗
困った事です❗
しかし、まあ、段々と椅子に座れるようには、なって来たので、眠れない夜には、少しずつではありますが、仕事が捗るようになって来ました。
・・・という事で、大分、仕事が出来るという事で、精神的には落ち着いて来ているはずなのですが、・・・という事は、少しは眠れるようになって来るはずなのですが・・・、そうは、とんやが卸さないのよね❓
摂眠障害は、要因が分からない、理由が不明のままです。
心療内科も、逆に上手くいかなかったしね😭
今日は今年、初めて椎名町迄
1月12日 4:59 ·
今日は1月の11日でした。今日は、3週間振りに・・・、というか、今年は初めて椎名町まで、夜のご飯を食べに椎名町まで出掛けました。
・・・・というか、行く事が出来ました❗
残念ながら、歩くとやはり足腰が痛むので、ドルプリっ歩まではまだ無理で、もう少し練習をしてからで、今日は兎に角、椎名町の事務所までバイクで行く所まで・・、という所で辛抱します。
・・焦らないで、少しづつ、少しずつ・・、一歩一歩・・です。
以前(とは言っても13年も前の事になりますが・・)の冠動脈の手術の後でのリハビリでは、主治医の「頑張って、リハビリに励んでください。」という言葉を間に受けて、頑張って元気な時のノンとジーグっ歩に付き合って歩いていたら、逆にover‐workになって、リハビリを失敗してしまいました。
結局、逆に、3ヶ月も治りが遅れてしまったので、その轍を二度と踏まないように、今回はover-workに気をつける事にします。
病院の示唆している一般の患者さん用のリハビリのrotationよりも、私の場合には、治りが1,2週間遅いリハビリの進行情況なのですが、治りが遅いという事は、勿論、私が高齢者という事もありますが、現在服用中の血液サラサラの薬の性もあるので、病院のrotation通りに行かないのは、致し方はありません。
前回(先週)のオケ練習には、私の予後の状態は、足腰の痛みも酷く、血尿も全く治ってはいなかったので、バイクと車の乗り継ぎをして、千葉の教室までの移動は、とても体調的に無理だったので、パソコンのwebを使用して、自宅でオケ練習の指導をしたのですが、いざ、練習が始まって、生徒達が楽器を弾き始めると、誰もパソコンに映っている私の事を見てくれなくなるし、幾ら私が、注意事項を叫んでもパソコンの音量では皆に聞こえる分けはないので、speakerに接続をしてみたりもしてみたのですが、接続が上手くいかず、教室が静かな学習系のclassならばwebでlessonをする事も可能ですが、オケの練習ではとても無理だという事が今回よく分かりました。
という事で、明後日の日曜日こそは、頑張って、千葉の教室まで、オケ練習に行きたい・・と思っているので、先ずはバイクに乗って椎名町まで行く練習からの、初挑戦になります。
何事もstep by stepです。
焦らずに、一歩一歩・・・です❗
写真は、椎名町のlesson室のアップライトピアノの上のノンちゃんとぬいぐるみです。分かるかな~💕
日本の演奏家の3拍子の
1月12日 20:23 ·
日本人の演奏家達の3拍子の演奏の歯切れの悪さには辟易させられるものがありますが、まあ、それは日本の伝承音楽には歴史的に、3拍子というものが存在しない・・・という事に理由があるので、どうしても3拍子の弾き方が変になるのは、致し方はありませんがね。
特にfoliaの場合には、2拍目に強拍が来るので、日本人の演奏の場合には、例えperiodの演奏団体であっても、2拍目の強拍がコブシのような後押しになってしまいます。
今現在、音大の学生である生徒に、その日本のプロの古楽器の演奏の話しをしていたら、「その[後押し]の中で勉強しているので、そのimageはよく分かります。」と言っていました。
ヨーロッパの人達の演奏する[膨らまし]と、日本人の演奏の[コブシ]は似て非なるもので、その違いは非常に大きくはっきりとしているのに、日本人には、その違いがよく分からないらしいのですよ?
私がヨーロッパに留学していた頃は、顔を見ると、何処の国の人なのか分かったものなのですが、日本に帰って来ると、ヨーロッパの人達は皆、同じ顔に見えてしまいます。
ヨーロッパの人達の場合、伸ばす音は、残響のように、段々と消えて行くのが、主流ですが、日本の場合には、段々と押して行くのが、普通のようです。
日曜日の深夜のNHKのアニメのテーマ・ソングを聞いていたら、音の一個一個を[押し]て歌っていたので、気持ち悪くなってしまいました。
つまり、船酔い状態です。
でも、日本人には、心地好く聞こえるようですね⁉
困ったものです。
classicの場合には、その違いが一番よく表れるのが、la foliaのthemaなのですが、その、ゆっくりしたla foliaと、早いla foliaの両方を堪能出来る演奏をYouTubeからselectしました。
la foliaに関しては、私の一押しの Savall さんの即興演奏です。
sessionの一人の、とても美しいハープのお嬢さんは、Savallさんの娘さんです。
ヨーロッパでは、家族でsessionを組んでいる団体がとても多いのですよ❗
宮崎駿さんの
1月12日 20:48 ·
今日は生徒達が椎名町に来て仕事をしているので、早めに椎名町に行く予定で準備を初めていたら、なんと、今度は右腰側ではなくて、左足首が痛くて、椅子から立てなくなってしまいました。日頃、右足腰を庇って歩いているせいです。
椅子から離れる事が出来ない・・と言う事で、椎名町に行く準備が全く出来ないので、暫く休んで様子を見ている所です。
YouTubeのlinkは、Marin Maraisのla foliaのperiod instrumentsの演奏です。
ガンバの優しい音色をお聴きください。
そう言えば、昨夜は宮崎作品の「みみをすませば」とかというアニメを、テレビで放映していたようですが、少年がヴァイオリンを弾いて、主役の女の子が歌を歌うシーンで、伴奏していたお爺さん達の楽器はガンバとコルネットでしたよね?
ギターのような楽器は、リュートだったのかな?
仕事をしながら、ちょこっと見ただけなので、よく見えなかったので、確認出来ませんでしたが・・・・⁉
古式豊かな古楽器アンサンブルでしたよね?
こんな所にも宮崎さんは、凝っているのだなと驚いてしまいました。
homepageが壊れて
1月19日 5:14 ·
19年の1月の19日の朝の4時です。
toiletに起きたついでに、随分、お久し振りに芦塚音楽研究所のhomepageのtop-Pageを開いて見たら、なんと、「芦塚先生のお部屋」のtop-Pageが開いてしまうのですよ。
有り得へんわサ❢❢
Pageが殆ど壊れてしまっていて、何処を開いても、惨憺たる事になっていました。 超、shock❢❢です。
windows10以降のパソコンの不具合は、もう仕事にならんよな??
パソコンで仕事をする・・という想定自体が大体ないからな??
朝の7時になりました。取り敢えずは、「芦塚先生のお部屋」のtop-Pageも「芦塚音楽研究所」のtop-Pageも開くように、パソコンのbugを修正しておきました。19年の4月の発表会までのオケ室内楽の予定等は今日中に出来たら良いな??
つい先日は開けましたけどね。予定見ましたし💦
なんででしょ?
ああ、それなら、椎名町でホームページを操作したのですかね⁉
ダブルブッキングしたという事ですかね⁉
それだけは、やるな😡と言っていたのだけど❗
ホームページを改定したら、必ずその旨、連絡をするように言っていたのですがね⁉
スマホでちょこっと見てみましたが『芦塚先生のお部屋』見れるページと見れないページがありましたね…
「芦塚先生のお部屋」のindexのPageで赤字で書いてあるのは、壊れたままのPageです。
次ページというのは、ぶっ飛んで無くなってしまったPageです。
古いdataでも、dataが残っているのは、再入力をしました。
紙のdataとして、残っているPageもあるので、次にはそのPageを手入力する予定ですが、手術やリハビリが難しくて、そこまで手が回りません。
ましてや、芦塚音楽研究所のhomepageは、私が直接教室の指導に携わっていないので、難しいので、昔のPageを再入力するぐらいしか出来ません。
芦塚先生のお部屋の山芋のページとベラチーニのパッサカリアのページを少し補修を始めました。
エンドレスなので、完全に復旧する事はないのだけど、出来る所までは、何とかやらないとね⁉
LINKが飛んでいて、文章そのものがない場合には、その文章を探すのは(文章が無くなっているのを知る事は)至難の業です。
やはり、教室のhomepageのオケ・室内楽の練習の日程は昨年度分でした。
後半期分はuploadしておきました。
やっとCapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった
1月22日 14:57 ·
19年1月22日の3時なのだが、CapuzziのⅢ楽章のfinaleへの入力が終わった。まあ、なんと、間違いだらけの譜面なのだろうか??
俺が・・、じゃないよ!!
原譜がなのだが、取り敢えずは、一箇所を除いたら楽譜通りに入力したよ。
どうしても許せない箇所が一箇所あったのだけど、・・でも、今回は訂正譜は作らないように頑張ろう!!
この譜面は限がなさそうなのでね??
それにしても、今日は鬱が酷い❢❢
本当の本物とそうでない物を区別する事
1月23日 17:59 ·
今日(23日)は、昨日に引き続いて、鬱が酷くて落ち込んでいます。そういう時に限って、周りからは、良い話は聞こえて来ません。
・・という事で、耳に栓をして、朝からCapuzziの3楽章のorchestraのpartの入力をして、午後はFacebookⅣをhomepageにtransposeする作業を途中までやり、ついでに今年の19年のFacebookを新たに新設しました。
兎に角、鬱が酷い時には、何もやる気が起こらないのだよな??外に出掛ける気力も無くなってしまって、ただ引き籠もりの毎日を徒に過ごしています。
音楽を究める事や職人の優れた業を学ぶ事は、本当の本物と、そうでない物の区別を知る事がとても大切で、その目を育てる事が音楽教育の目的だと思っています。
言い方を変えると、本当の本物が分からないとimitationを本物と勘違いしてしまうからです。
楽器とは言えない教育楽器や、世界の何処でも使用されていないジャーマン式リコーダー、ドイツではジャーマン式リコーダーと言っても誰も知らないし、そのリコーダーを作った張本人であるドルメッチが、自らジャーマン式のfingeringは間違いであった・・と言っているのにも関わらず、その誤りを認めようとしない小学校のRecorder教育とか、福祉の活動も3Kを省いた状態で体験学習させて、実際の福祉の現場に言って、あまりにも過酷である・・と挫折する学生の多い事!!
全く、綺麗事の過保護社会の学校教育なのだよね??
子供達が小、中学生であったとしても、そういった社会の厳しさを知る事は、とても大切な事だと思うのだが、日本の社会では、「子供だから・・」という事で、過保護に守る事が教育だと思われているのですよ。
「子供だから・・・」という事は、「proの世界には無い!!」と口を酸っぱくして言っても、一般の人達には、その事は、分かって貰えないのだよな??
腹が立つよな!!
ほんと、鬱になってしまうわサ!!
とは言っても、別に、日本の子供の教育が、私の鬱の原因ではありません。
昔、私が、子供の教育について、悩んでいた時に、ある人から、「その教育に対しての(親の)意識を含めて、その子供の才能というのだよ❗」と、諭された事があって、それ以降は、子供の才能とは、親の意識を含んだものである、と認識しているからです。
私達の時代は、子供の夢を親がbackupする事が、無かったとしても、阻害する事は無かった、という放任主義の時代だったので、自分の人生を歩む事は、楽でした。つまり、自分に、夢があれば、自分自身で歩んで行けば良かったからです。
だから、私の鬱の原因は、そう言った風な、私の活動そのものではなく、私自身がこの世の中に、居場所を見いだせないという事なのです。
あと、30年もすれば、私の主義主張は、当たり前の極々普通の事になってしまいます。その時には、一般の人達からは、「何を、そんな当たり前の事を言っているの⁉」としか、評価はされないのですよ❗
しかし、今の時代では、「何をそんな馬鹿な事を言っているの⁉」と、誰からも認められる事はないのですよ❗つまり、どっち道、社会から認められる事はないのですよ。損な選択ですよね⁉
それでも、体力気力がある時には、周りの誰一人として、自分を認めてくれなかったとしても、自分を信じて生きて行く事が出来たのですが、体調不良で、気力が上がらない時には、鬱が自分を支配してしまうのですよ❗
今日こそは、ドルプリっ歩に
1月25日 22:12 ·
今日こそは、頑張ってドルプリっ歩に付き合おう・・と思って、椎名町までバイクで出掛けたのだが、杖にすがりながら、玄関を出たのだが、痛くて、20歩ぐらいしか歩けなかった。
ドルは怒っていたぞなもし!「なんで帰るんだよ!!」てか!
無理をしてオケ室内楽の練習に
1月28日 5:34 ·
この所、腰痛が酷くて、ドルプリっ歩にも行けない日々が続いているので、木曜日は千葉でのlessonを延期してしまいました。
今回、昨日のオケ練習も参加出来るか難しい状況だったのですが、午前中の室内楽の練習で、MozartのPiano-QuartettのⅡ楽章があるので、無理をしてでも、出掛ける事にしました。この曲は演奏がとても難しいのですが、古典派のMozartやHaydnの作品の常として、(Sonate-album等の演奏を見ても分かるように・・・)演奏の技術的には然程、難しくないので、一般的には、(古典派の作品は、)雑に下手に弾かれる傾向があります。
Mozartの室内楽を勉強するにあたって、一度も、そういった演奏上の留意点(point)を説明、lectureしていないので、室内楽の練習は原則、月一のlecture-lessonなので、自主練習が基本なので、生徒達が、ちゃんと、練習のpointを理解した上で練習をするのと、そうでなく子供達が感性だけで、闇雲に自主練習をするのでは、全く練習のNiveau(水準)が変わってしまうので、一度も私がlectureをしないままでの練習では、とても心配なので、常日頃、「練習のcheckをしに行きたい!」とは思っていたのですが、Mozartの室内楽のlecture-lessonは、本来の私のlessonでは無く、自主練習が建前なのと、練習が朝からの時間なので、私の体力がオケ練習の最後まで、持つか・・という事を先生達が心配してくれて、折衷案として、先週の室内楽の練習なのですが、・・生徒達に、室内楽の自主練習の様子をvideoに撮影させて、それをcheckして、私がone point-lessonでのadviceをするように、しようという事になりました。
監督出来る先生がいないので、生徒達の準備の様子もcheckをしたいので、生徒達には、楽器の準備から練習を開始するまでの状況も含めて、videoを流し撮りをするように、条件を付けてのvideo撮影でした。
videoの撮影が終わって、SDcardがハイツに届いて、練習の状態をcheckして見たのですが、やはり、Mozartの室内楽の難しさは尋常ではなく、「どうしても、一回は演奏のpointのlectureが必要だな?」と逆に痛感してしまいました。
という事で、昨日のオケ・室内楽の練習は、私が朝早く出掛けて、練習のcheck-pointをlectureする事を日延する事は、徒に時間を無駄にする事で、結果的に発表会での発表でも満足する結果を得る事が出来なくなってしまいます。
・・・という事で、先生達は私の体力が、椎名町に帰るまで持つか??を心配してくれていたのですが、今回は無理をしてでも、timelimitという事で、敢えて挑戦する事にしました。
まあ、それにしても、Mozartは難しい❢❢の一言に尽きます❢❢
オケ練習の最後までは、とても、体力的には持たない・・という想定で、lectureをしていたので、練習の時間割りをちゃんと見ていなくて、終わりの時間をいつも通りに、定型の7時半終了と思い込んで練習をしていたので、最後のVeraciniのpassacagliaの時間が「15分くらいしかない❢❢」と思い込んで、梨紗も月一ぐらいしか練習に参加出来ないし、愛ちゃんも風邪でお休みだったので、兎に角、一回だけは、時間的に目一杯でも、取り敢えず「通し練習」をして、今日の練習を終わる事にしました。
半ギリギリに曲の「通し」が終わって、「今日はここ迄だよな?」と言ったら、誰かが「今日は8時までですよ❢」と言いました。
「え~っ❗早く言ってよ~❢」
でも、もう流石に、それから練習を続けるには、幾ら何でも、気力が戻らないので、定型の7時半を持ってオケ練習を終わりにしてしまいました。
普段ならば、大ブーイングの所なのですが、流石に、Veraciniの後では、子供達もエネルギーを使い果たしているので、おとなしく練習の終わりの挨拶をしていました。アハッ!
それでも、私達は、それから、後片付け、後始末が有るので、コンバスの花園への移動や、花園教室の後片付け等々を済ませたら、東京に戻るのは9時直前になってしまいました。
東京に到着しても、夜の食料の準備が全く出来ていないし、食材の準備も出来ていないので、半年振りに外に食べに行く事にして、私はハイツに戻って、斉藤先生はドルプリっ歩に出掛けたのですが、な、な、な、なんと、練馬は0℃です。超、寒いし、自宅に到着した途端に、やっぱり疲れがドッと出てしまって、半年振りの外食も、ハイツの保存食を食べるのも諦めて、持ち帰った荷物や脱ぎ捨てた服の全てを散らかしっ放しのそのままにして、爆睡してしまいました。
アハッ!
またまた、入力出来なくなってしまったので、暫く、書きかけの状態で放置する事にします。
体調をおしてみてくださり、ありがとうございます!
子供達にこの情熱が伝わるといいんですけど……😭
文章がおかしくなって以降の書いたコメントがぶっ飛んで無くなっていました。
編集履歴に一つだけ残っていたので、bugる前の文章の最後にコピペしておきました。
まあ、なんだろうね~え?? Facebookは・・・???
1月28日21:38
親ゆずりの無法者が あきら:45
夕暮れの風景:今の気持ちのような空
心臓エコーでは心臓自体にはやはり異常はなかったが、24時間ホルダーで、徐脈、頻脈の双方が・・・前者は悪化して死につながる危険もあるので、ぺースメーカーを、後者はカテーテルアブレーションで・・・回生病院では双方やる方がいいとのことで、でも前者はここで行ってるが後者はやってないからと、桜橋渡辺病院への予約をされて、2月7日に紹介状と今までのカルテ、データーをもって行くようになった。そこでの判断になるだろうけど、双方やる必要があるなら一度の入院中にやってもらえるように・・・そして合唱、声楽活動に影響が出ない日程で手術するつもり・・・成功したら不安ながらに練習に参加しなくても良くなるから・・・迷ったがこの際、やると決めた
私の場合には、3回程、不整脈が出た事があります。最初は、環動脈のバイパス手術の後、退院しても、不整脈が取れなくて、主治医に相談したら、「心臓は1回でも止まるとそれで終わりだから・・・」と言われて、「即ペースメーカーの手術を❗」と言われてしまい、すっかりめげてしまいました。
同じ病院の中なのですが、心外の先生から、循環器の先生に代わって、薬のcheckをして貰って、処方された薬を、半分に割って呑むようにしたら、不整脈は治まってしまいました。
その次は、鬱が酷く、不整脈が出ると、鬱になるのか、鬱になると不整脈になるのか、という事で、自宅のすぐそばに出来たばかりの心療内科に行って、薬を処方して貰ったのですが、最初に、処方して貰った薬はとても良くて、日常生活も随分と楽になったのですが、医者に薬の効き具合を尋ねられた時に、「一週間の間に、2回だけ、軽い鬱状態にはなったのだけど、とても楽でした。」と答えたのですが、医者は、その2回程度が、よほど気に食わなかったらしく、より強い薬に変更されて、逆に鬱が酷くなってしまい、「前の薬の方が・・」と何度も言ったのですが、毎回より強い薬が処方されて、等々、毎日、ベッドから起きれなくなってしまいました。調剤薬局に相談をすると、「処方された薬は、老人等で寝たきりでも良い人にしか処方されない薬で、芦塚さんのように、日常働いている人には処方しない薬だ!」という事で、処方された薬の量を減らしてみたのですが、やはり、無理があるようで、それで、その心療内科に通院するのはやめてしまいました。
病状の説明も、やたら難しい専門用語を連発して説明するので、難解で困ってしまったのですよ。
その事を調剤薬局に話たら、「商売敵のように専門家に思われたのではないのかな?」と言っていました。
「私は音楽教室の先生で、子供達を相手にしている職業だ」という事は、初診の時に説明をして、カルテにはちゃんと書いてある筈なのですがね??
またまた、入力出来なくなってしまいました
クスリでの治療は回生病院の医師はあまり進めない感じでした
病院によって、考え方の違いもあるのでしょうが、「心臓は、一度でも止まると、それで終わり❢」という考え方が基本なのでしょうね?
私の場合には、「また、手術??」という事と、日常生活や、その後の病院での検査等で、色々と制約を受ける・・というのが、second opinionの理由でした。
術後5年間は、体調は安定しなかったのですが、不整脈はそれで一応は収まりました。
その後も、度々、酷い不整脈に襲われる事があったのですが、心臓のバイパスで入院している時に買った携帯用の心電図の器械で、即、医者に駆けつけるべきや否やの状況を判断出来るし、また、全く心臓とは関係のない随分遠い箇所でのトラブルが治ると、結果として、不整脈も治ってしまうので、ペースメーカーは付けないままで、14年を過ごしています。
今回の大きな手術の前にも、それが発覚する以前の8月、9月ぐらいにも、少し不整脈が出たのですが、血尿で色々な重篤な病気が見つかって、体調不良の原因が特定されてからは、不整脈は出ていません。
この14年間、その繰り返しです。
体は自分を守るために、色々な信号を出しますが、現代の医療では、その状況でしか判断をしないので、心臓の調子が悪いと、心臓のcheckしかしません。
血尿で膀胱癌が見つかったのですが、その結果、より緊急性のあるサイレントキラーの腹部大動脈瘤が見つかったのは、私はラッキーだと思っています。
前回のペースメーカーの時にも、同じ病院でのsecond opinionだったのですが、薬の処方を変更した医者は、ペースメーカーの事については、何も言いませんでした。
腹部大動脈瘤の手術も、最初の病院では、「動脈の形状からステント治療は絶対に無理で、開腹手術になる」と言われて、「どこの病院にsecond opinionに行っても同じですよ❢」と言われたのですが、手術件数の多い順番に病院を探して、ちょっと遠いのだけど、川崎の腹部大動脈瘤の専門病院に行きました。
そういった病院では、難しい患者しか来ないので、私程度の症状では、「そんなに難しくない」「充分、ステント治療で対応出来る!」・・という事でした。
これは手術の経験値の違いだと思います。
それに、前の病院ではriskの話ばかりしていて、consultingを聞けば聞く程、不安感が増長されていくのですが、川崎の病院の先生の話では、言葉に安心感があって、信頼に足る先生だ、と思いました。
病院に通う上で最大に必要なものは、先生に対しての安心感だとつくづく思い知らされました。
思いっきり、突き指をした
1月29日 5:31 ·
椎名町から、帰って来て、寝る準備のために、テーブルの上に置いた明日の食料品を冷蔵庫に片付けている時に、茶筒を落としたのですが、無意識に掴んでしまったのは良いのですが、思いっ切りテーブルの縁に指先をぶつけてしまいました❗うん十年振りの突き指です‼超、痛かった❗多分、骨にヒビが入ったのだよな⁉
いや、これで暫しパソコンが打てなくなってしまう❗これは困った❗
また、仕事が滞ってしまうよな⁉
今日は右手薬指の第2関節が少し腫れ上がって超痛くてパソコンを打てません。
昨夜は第一関節だったのにね??
携帯用の心電図計です。
1月29日 10:53 ·
携帯用の心電図です。
心拍と心電図を10個程、保存が出来、ABCDと4段階で、緊急性の判断をしてくれます。
勿論、パソコンと連動させて、パソコンに記憶させる事も出来るし、私は不安な時には、これを医者に直接見せて、波形の判断を仰ぎます。
14年前に、冠動脈バイパス手術の時に、大和成和病院の売店で買ったものです。
今では、もう少し良いものが売られているのではないでしょうかね??
ますます鬱が酷くなって来た
1月29日 17:08 ·
またまた、鬱が酷くなって来た。
それなりに仕事を片付けながらの、自宅静養だったはずなのだが、突然、仕事をするだけの気力が失くなってしまった。
音楽教室は先生達に任せて、海の傍の丘の上に引き籠もろうかな??と、マジに思ってしまう。
「Von Herzen - Möge es wieder - Zu Herzen gehn!"」
Beethovenが自分の作品(Missa solemnisミサ・ソレムニス)の楽譜に書き込んでいたその作品に祈りを込めた言葉です。
天下のBeethovenが自分の作品で、人々に願いを込めていた事が分かりますが、果たして・・・
日本の伝統芸能は歌舞伎や能、話芸等の落語の世界では、物語り性や、人を感動させる事が究極の目的とされます。
しかし、Classic音楽に限っては、そういった人を泣かせるような演奏を忌み嫌う傾向があり、コンクール等で、テクニックを競いあう、styleの方が一般的です。つまり、秒やテクニックを競いあう、アスリートの世界に近いものがあります。
私の主義主張では、大人の人達を泣かせるには、メカニカルな技術は不必要で、真摯な心からの語りかけのテクニックがあれば、小さな子供達であっても、人を泣かせる演奏をする事は出来ると思います。
それは音楽を追求する姿勢の問題だと思います。
数億円のヴァイオリンで演奏していても、その本来の楽器の持っている美しい優しい音を追求しないのならば、数万円のヴァイオリンで弾いた音でも、変わり映えはしない・・という事なのですよ。
だけど、プロの音楽家達には、素人には、本当の本物の音楽は分からないのだ・・という自負(自惚れ)があります。
その自負とprideだけで、一般の人達が音の違いが分からない・・と言ったり、演奏の違いが分からない・・という事を、「自分はこれだけ、一途に音楽を極めようとしているのだから・・?」というprideで乗り切っています。
確かに、Classicの音楽は、或る程度の慣れが必要かも知れません。
でも、本当の音楽の良さ、楽しさ、美しさ、感動を教えるのも、プロの役目ではないでしょうかね?
「音楽は、限られた特別な人達のもので、私の努力を分かってくれる人達だけのものだ❢」という事で、一般の人達に感動を与える努力をしないのならば、「音楽は、芸術だから、一般の人達が分からないのは当たり前なのだ❢」という姿勢ならば、音楽は、より限られたmaniacな特別な少数の人達だけの音楽になってしまいます。
明治維新が始まって、ヨーロッパの社会に追いつけ、追い越せ・・という運動の一環として、廃仏毀釈運動の一つとして、日本の伝統芸能も位置は低いものと定義付けられて、ヨーロッパからのClassicは上流階級のstatusとして入って来たのです。
その時代のお金持ちの上流階級のお稽古事としての延長としての意識が未だに日本の音楽に残っていて、statusとしてのClassicという意識が、未だに一般の人達への音楽への理解を妨げているのです。
そのうちClassic音楽のフアンは一人もいなくなったりして・・
理不尽さを子供に学ばせる・・大人の傲慢さ
1月30日 9:29 ·
テレビを見ていたら、(勿論、仕事をしながら、付けっ放しをしていたら・・という意味ですが・・・)「教育とは、子供達に『理不尽』を教える・・という事だ」という話をしていました。
「子供の教育とは大人社会の理不尽を学び、妥協する事を学ぶ、という事だ❢」という論旨で、異を唱えるコメンテーターもいなくて、盛り上がっていました。
コメンテーター達が言っている「理不尽」という意味は、「対社会的な妥協」という意味のように思えました。
テレビのコメンテーターたちは、「子供達が、社会的に成長して大人になるという事は、妥協する事を覚えるという事だ❗」と、「随分、大人の理論として勝手な事を言うナ??」と半ば呆れて、聞いていました。
世間の一般通念で、自分の志を曲げる事を学ぶ・・、それが大人になる事だ・・・そんな大人社会の理不尽さを、子供達の教育に持ち込まれては、子供達が大人達に反抗して、言う事を聞かなくなる、・・・大人達の指導に付いて来なくなる・・という事は、当たり前の話です。
何故??思春期の子供達がギャング・エイジの子供達に憧れるのか?何故、子供達は、大人に相談する事もなく自殺してしまうのか??
それが、理不尽な要求を突き付ける大人への不信感である・・という事を理解しようとしないのですよ。
音楽教室では(別に音楽教室でなくても全ての教育機関であれば同じですが・・・)、clientは親になります。
教育に熱心な先生は、親からの将来の希望や、家庭での子供の状態を聞いて、それを子供の教育に活かそうとするのですが、子供の側の希望や意見は、「未成熟な考え」として、聞こうとはしません。
子供の話しを聞くことを、信条としている先生達でも、子供の話しを聞いて、その未熟な論理性の弱点を突いて、説伏しているに過ぎません。所詮は、ポーズだけの理不尽な大人に過ぎないのだけど、一般的には、それだけでも、非常に優れた教師として、評価される事が多いようです。
つまり、ポーズだけだとしても、子供側の話しを聞くという事をする大人は、非常に希であるということなのです。
そして、子供がSNBP(負の転換点)として、社会に反抗した時に、言い換えると、子供が社会の理不尽さに、耐えられなくなった時に、初めて、理不尽を要求する大人達は自分達の教育の誤りに気づくのですが、残念ながら、もうそこに「後」の手段はありません。
「何か??」が出来るのは、「前」だけだからです。
しかし、私が常に、前へ、前へとそのターニングpointのadviceをしても、「前のadvice」では誰も私の忠告を聞こうとはしません。
何故なら、そこには、まだ何かが出来る余地があるので、今まで出来なかった指導説伏が、後、一歩で、何とか出来るかも知れない・・という願望があるからです。今までダメだったけど、後、一歩で、何とかなるかもしれない❗
でも、その余力の一歩で、駄目だった時には、そのSNBPに対して、大人達が出来る事、子供に対して成すべき事はもうないのです。
死者は生き返る事はないのですよ。(生物学的な死にしても、心の死にしても・・です。)
親と指導者は、教育上の観点が全く違わなければなりません。
子供の夢に合わせて、子供の将来の長期的な教育のprojectを組むのは教育者です。
それを、親に説明するのも、教育者の役割です。
「将来、このようになりたければ、今、現時点で、これをこうしなければならない。」という説明です。
親が、今現在しか見えないのは、当たり前の事で、教育上はそれで良いのです。
将来を見るためには、経験と客観性が必要だからです。
親が教育者になってはいけません。
子供と一緒に一喜一憂する事が大切だからです。
小、中学校の先生である親が、子供の教育に失敗するのは、子供を生徒と同様に、客観的に見てしまうからです。
ここまでが、Facebookの限界のようで、そろそろ入力出来なくなってきました。
残念ですが、この文章はここで終了します。
あら~続きが読みたいです‼
「芦塚先生のお部屋」から、一般教育論文のindexのPageが一番該当して、特に「摩訶不思議な日本の教育」というPageが一番該当する文章だったのですが、この教育論文のPageの殆どのPageがぶっ飛んだままなので、「摩訶不思議・・」のPageは、膨大な論文なので、print
outされた紙の原稿すら残っていません。
先ずは、どのPageが、ぶっ飛んでいるのか?をcheckする所から・・の作業なので、assistantが必要なのですよね??
冒頭のindexと、それぞれのindexのTitleを赤字にする事で、読めるPageか否かのPageにするという、単純作業なのですが、これがやはり、一手間なのですよ。
indexをcheckしてみたら、紙の原稿は残っているのだそうですが、文字のフォントが小さ過ぎて、OCRが出来ないので、保留になっているようです。あまりにも長い文章なので・・・??
パソコンを弄っていたら、昔々、downloadした、古いOCRのsoftが出て来ました。
「それならば‼」と、超小さな文字でprintoutされた原稿をスキャンして見たら、なんと、なんと、なんと、OCRが出来たのですよ‼
プリンターのsoftでは、全く無理だったのにね⁉
勿論、誤変換や、解読不能な箇所も多々ありはするのだけど、27pageのOCRの変換は、3、4時間で終わって、homepageにup出来たのですよ❗
後は、indexを付けて、誤変換を訂正すれば良いので、なんとか、recovery出来そうです❗
indexを付ける作業も、30日の内に終わりました。後は、ご変換だけです。
このFacebookのPageの最後の部分の文章がまたぶっ飛んでいました。
編集履歴からコピペしてrecoveryしました。
なんだろうね~え? Facebookは・・・
人様(client)に対しての敬意がないのだよな??
勝手に削除する・・とは無礼極まりないだろうが❢❢
Vivaldi a moll Op.3Nr.6のwordの原稿が見つかった
1月30日 11:56 ·
「教育は理不尽」のPageで、斉藤先生が、「続きが読みたい!」と書いていたのだけど、色々とあって、超、面倒くさくなってしまって、続きを書く気が失くなってしまったので、「『芦塚先生のお部屋』から、続きを書いている(欠落していない満足な・・)Pageが無いのかな??」と、パソコンのPageやdataをcheckしていたら、Vivaldiの a moll Op.3Nr.6の解説のPageが、printoutするためにwordに変換して保存されていたのを見つけたのだよ!!
Bravo!
Recovery出来たぞよ!!
Pageが1分で戻った!!
喜!喜!喜!!
今日は一日意識朦朧と・・
2月1日 23:30 ·
10時過ぎに食事だったのだが、その直前から意識混濁になってベッドの中で、「動けない!」とか「食べに行けない!」とか事務所のlineに送ったはずなのに、今、toiletに起きたついでにlineを見てみると、一切メールが送られた形跡がない。
どうやら、「送った❢」と思ったのは、夢の中だったらしい❢❢
しかし、夢の中で「書いた」「送った」というのは、実に頻繁によくある事なのだがね❢❢
という事で、今日はまるまる、一日中、意識朦朧としていて、何も出来なかった。仕方がないので、videoの編集と纏め・・だけをした。
videoの編集で、trimmingや色々なangleの調整とかしないで、単純に動画を幾つか結び付けるだけの作業では、実際の編集作業は2,30分程度で、routineの作業なので、意識朦朧状態でもなんとかこなす事が出来るし、後は、パソコンが独りで勝手に5時間、6時間掛かって、仕事をしてくれるので、パソコンがbusyで、他の仕事が出来ない時には、頗る良いのだよね??
こういった、やる気が起きない時や、意識混濁で、仕事にならない時に、videoの編集作業のように、computerが勝手に仕事をしてくれる作業は、逆に「時短」になって、全体から見ると、仕事効率が良いのだよ❢❢
「時短」とは、千**子さんが言うように、「急ぐ」事ではない。教室ではそれはタブーの勉強(仕事)法なのだよ!!
「慌てる乞食は貰いが少ない」のだよ!!
効率を良くして、ノルマを上げる事を「時短」というのだよ。
日本人は兎角、「考える時間があったら、先に仕事をしろ!」という傾向がある。
何処かのviolin-methodeの先生が何時も言っている「1時間でダメなら10時間、10時間でダメなら100時間」という努力に対しては、世間一般は評価をして、その努力を認めるのだが、逆に、頭を使って1時間でする事を10分で済ませる・・という要領の良さに関しては、絶対に評価をしない。
昔、大人の生徒で、経理の会社をやっている人が、会社のためにより良い社員を集めたいと相談があった。
「取り敢えず、バイトで学生を集めて、その中から会社に正社員として雇用する生徒を探す」という事のようだった。
私がadviceをしたのは、ノルマ制のバイト代である。
仕事がちゃんと出来るのならば、1時間を10分で終わっても、同じ給与ならば、実力のある生徒にとっては美味しいバイトになる。と言う事で良い学生だけが集まって来る。
出来の悪い生徒はノルマが終わらないから給与の枠も減ってしまうからだ。
社会とはそんなものだよ!!
昔々の(未だ音楽教室を立ち上げる前の)お話しなのだが、小学校の4年生を担当する事になった学生から「4年生のクラス対抗で、漢字のテストがあって、何時も学年主任の先生がtopで、若い先生達のクラスの生徒達は中々漢字が覚えられないので・・」と、相談があった。
ルールは、毎週新しく出た漢字のテストをして、クラスの全員の成績で評価を出すのだそうな。
・・と言う事で、子供達が書いていた漢字の練習帳を見せて貰った。
宿題は「一つの漢字を20個書いて覚える」と言う事なのだが、最初の2つ、3っつは丁寧に書いてあるのだが、数が増えれば増える程、雑に、乱暴になっていく。
「芦塚メトードの記憶法の良い実証機会だ」、と言う事で、生徒達には、漢字を書く宿題を「覚えるだけ書く事」「書かなくても覚えられるのならば、書かなくても良い」という宿題に変えた。
次の週からは、その若い先生のクラスだけ断突に成績が上がって、一月も経った頃からは、全員100点満点を取るようになった。
芦塚メトードとそうでない一般の教育法との区別を付けるために、若い先生には、「その指導法を他の先生にはlectureしてはいけない!」という条件を付けたので、学年主任の先生は、ムキになって、一つの漢字を100回書くように宿題を出した。
子供だけでは、宿題をこなすのはとても無理なので、両親が漢字帳で毎週100個の漢字を書く羽目になって、そのテストは終了してしまった!
(当然、保護者のclaimによって・・だが)
この学習法は、教室を立ち上げた後に、更に改善されて、オセロ練習法として、ゲーム化されているのだけど、見た目は楽しく遊んでいるようにしか見えない練習法なのだが、実はproの演奏家でも、非常に難しい練習法なのだ。でも、子供の内から、その練習法に親しんでいると、その難しさは然程ではない。
日常生活を、より効率化するために、学校から帰ってから音楽の練習に専念するために、「学校の宿題を学校の休み時間に済ませて、宿題の時間を練習に当てたら・・??」とadviceしたら、学校の先生が「学校で宿題を済ませるのならば、別の宿題を追加で出す!」とか怒り捲っていたそうだ。(これは、一つの特定の学校での話しではなくって、色々な学校でのお話です。今は、宿題は必ず家でやらなければならないのだそうです。)
それじゃあ、会社に勤めるとかいう実社会生活では社会適応は出来ないよな??
またまた文章が、(今度は文章の80%以上がぶっ飛んでしまっていた。
編集履歴から・・多分これだ❢❢と思われる文章をコピペしたのだが、最終稿が分からないので、どれが最終履歴かは、当てずっぽうである。
長文でも文章の飛ばない、homepageにでも、戻したい所なのだが、homepageは、homepageでそれなりに色々と問題があるのだよな?
要は、こういったnetでは、essayのようなものは書けないのだよな?
今日は夜から、不定愁訴と言うか、心悸亢進というか、鬱になりそうな感じで、携帯心電図計で心臓の調子を見たのだが、「気になるようならば、医師に相談をしろ」という不整脈迄は行かない、微妙な判定だ。
健康な時ならば、行きつけの寿司屋で日本酒の熱燗を飲んで憂さ晴らしをするか、心の置き場所を臍下、丹田まで下げて、心臓を落ち着かせる所なのだが、心が捕まらなくて、どうも上手く行かない。
鼻詰まりも少しあるので、呼吸の性もあるようだ。...
胃も、少し胃酸過多気味だ❢❢
それに、心臓も不整脈気味である❗
まあ、結論的にいうと、自律神経失調症、所謂、不定愁訴である❗
要するに、心と体のbalanceが崩れているようだな??
困った❢❢
さてどうするか・・???
明日、オケ練習がなくて、自宅に閉じ籠る事が出来るのなら、鬱々の曲を聴きながらwineでも飲んで、この鬱々の時間を味わうのだが・・・・
出発の時間のtimelimitがあるので、それも出来ない❗
wine-timeでは、飲酒運転に、引っ掛かってしまうのだよな?
alcoholが完全に抜けるのには、7時間以上は掛かるからだ❗
あの手この手の、「無い無い尽くし」である‼
鬱に堪えながら、ベッドで横になるしかあるまいて?
4時近くまで、ベッドと椅子を往復していたのだが、4時頃には、無事に入眠する事が出来た❗
普段の土曜日でも、timelimitのpressureから、中々入眠が出来なくって、3、4時間も眠れたら良い方なので、鬱々なのに、無事に眠れたのは、luckyと言う他はあるまい‼toilet-timeで、7時頃に起きたのだけど、3時間は、しっかりと眠れたのだから、良しとしよう‼
昨日は夕方の4時から5時の間に、お蕎麦を食べて、lessonをして8時近くにハイツの自宅に帰ったのだが、それから、すぐに鬱に襲われて、寝たので、持って帰った夜食は食べないまま出会った。12時過ぎにtoiletteに起きて、3時間程鬱々として、また寝たので、痩せたはずなのだが、そうは行かない❢❢
しっかりと、前日比で0.5㌔、痩せた時からは、約1㌔リバウンドしてしまった。鬱によってホルモンバランスが崩れたせいだ。
オケ練習の後は、必ず1,2㌔は肥るので、都合、3㌔程のリバウンドが予想される。オケ練習で肥るのは当然予想されているので、一度は何も食べないでお茶だけ飲んでいたのだが、関係なくやはり肥っていたよ❢❢
オケ練習が人生のpressure(精神的なpressure)になる分けはないのだから、単なる日常のbalanceの崩れ・・という理由のハズなのだから、月曜日から日常のrotationが戻ってくれば、体重も戻るはずなのだが、そうは行かない❢❢
困ったものだ❢❢
昨日辺りからまた、不整脈が出て鬱が酷い❢
鬱が酷くなったから、不整脈が出ているようだな?
鬱が酷いと、横隔膜が上がって来て、丹田呼吸が出来なくなってしまうからだ。
一番、必要な時に、呼吸法が出来ないと言う事は、意味がない・・というか、問題だよな??
一つ一つ鬱の根本的な原因を取り除いて行かないと、段々とより不整脈が酷くなって、control出来なくなってしまう。...
なんとかcontrol出来ている間に、何とかしないと・・ナ??
取り敢えずは、寝る事にした。多分、起きたら元の木阿弥だろうが、何も出来ない時には、安静にしておくには、越した事はないのでね⁉
今日は、超、鬱が酷い!!落ち込み性の鬱だ!!
どうしよう??
鬱の対策には、「仕事をしない」・・のが、一番だと思われるので、溜まりに溜まったシンクの洗い物を洗ったのだが、勿論、足腰が痛いので、普通に、シンクの前に立って洗う事が出来ないので、何時もやっているように、椅子に座ったままで洗うのだが、手の肘まで洗っている水が伝わって濡れて来るのだよ❢❢
手より肘の位置が高いと何の問題もないのだが、椅子に座ったままでは、致し方はない❢❢...
洗い終わったら、腕全体を乾いたタオルで拭く他はないのだよな??
弁当箱のタッパー類は、食器洗いの棚に入り切れないので、机の上に置いて、椎名町に持って行けるように直接準備をします。
ハイツの食器類は入れ場所が決まっているので、取り敢えずは「水切り」に置いて、体調を見ながら暫時仕舞って行きます。
仕舞うにしても、椅子から立ち上がって水屋に仕舞うのが難しいので・・・
TBSの報道特集で、「AI時代を生き抜く教育とは・・」、という、私が40年前に提唱したcurriculumの授業をやっていた。
それは、今でも、毎回のオケ練習でも、結構な時間を使ってやっているよ!!
ただ、私の場合には、目的は音楽を理解させるためなので、半分遊びのように・・、冗談のようにやっているに過ぎないのだけどね??
だって、読解力や、読み解く力を身に付けさせるのが目的ではないからね??
指導者は、子供達が何処まで理解出来たか??・・、を正しく把握して、どういう風に説明すれば、理解するのか??を判断出来れば良いだけなのだからね??...
目的は、音楽に対する理解なのだから・・、そんなくだらない事に時間を浪費出来ないからね??
相変わらず、コメンテーターは、「情報が多すぎるからだ!」、とか、素っ頓狂な事を言っている。
困った事だ!!
番組に触発されて、云十年も前に書いた教育論文にlinkを張ろうと思って、ホームページを開いて見たのだが、殆どのページがブッ飛んでいるので、紙原稿からスキャンして取り込まなければならない。
(殆どと、いうのは、ブッ飛んでいないページもあるから、先ずはそのcheckからなのだがね⁉)
教育論文は、音楽論文よりも、後回しになってしまっているのだが、ブッ飛んでいるページをpickUPして、それから、取り敢えずは、紙原稿を探す所から始めるのだが、その作業を、全部を一人でやるのは、結構辛いものがあるよな⁉
assistantでも雇うか⁉
今は、経済的にも、技術的にも、それは無理だよな⁉
まあ、気長にやるか⁉
今日は、やる気がなかったので、料理教室のページを大分、復元したけれどね⁉
「昨日は、音人の会でした❗」
・・・という文章を書いていたはずだったのですが、朝起きて、追記の文章を深夜書いた文章に書き込もうと思ったら、どうした事か、元の文章がありません。
確かに、ベッドの中で文章を書いていると、勝手に文章が居なくなったりして、再起動を何度もかけたりしたので、その間に文章がブッ飛んだのかもしれません。
書いた文章を私の記憶に依ると、・・・先生達に負担の掛かり過ぎる音人の会を、新しくshapeUPして、renewalして企画し直すつもりで、食事付きの「TafelMusic」よりも、alcoholの出ない「おさらい会」に近い形にして、大学生達が参加しやすいような会にして、積極的で、若々しい雰囲気にするつもりだったのだけど、牧野先生が、頑張ってお料理を作っていて、恒例のTafelMusicになっていたので、驚いてしまいました。
先生達のお料理の準備が、ちょつと、大変なのと、私もalcoholを控えなければならなくなったので、sandwich位のMatineeとして企画する予定にしていて、飲み会だと呼ぶのに躊躇していた大学生達を今回か...ら積極的に参加させるようにしていたので・・・、等々のお話です。
二つ目のcommentは、「音人の会」が終わって、やっとこ、ハイツに帰りついてからのお話ですが、(これも、色々とhappening続きで、お話が尽きないのですが、それは割愛して・・・)何とか・・かんとか、ハイツの自宅に辿り着いて、バテバテなので、直ぐに眠ろうとしたのですが、昨夜は余りにも部屋の中が超寒くて、一晩中眠れなくって、寒さと格闘していた・・というお話です。
寝室が余りにも寒くって、寝室のエアコンと加湿器では、部屋が温まらなくって、布団に潜り込んでいても、寒くて仕方がないので、居間兼パソコン室兼食堂のガスストーブをつけたままで、サーキュレーターで、温かい空気を寝室に流し込んで、しかも、電気アンカにもしがみついて、何とか、やっと眠る事が出来たのですが、目が覚めると、小一時間しか、寝ていない事に気がついて、驚いてしまいました。
ガタガタ震えながら、toiletに行って、またまた寝直しましたが、何時もの、小一時間の頻尿timeの繰り返しになってしまいました。
・・・てな事を、そこはかとなく書き綴ったはずなのですが、何処にも見当たりません。
「母さん、あの文章は何処に行ったのでしょうかね?」
「Facebookは・・・」と、いうよりも、携帯自体が、私には向いていない感じがします。
しょっちゅうブッ飛ぶしね⁉
幾ら、老人の暇潰しにしても、不安定で、故障が多すぎる‼
これが飛行機だったら、catastropheものだよ‼
またまた、書き上げる直前の文章が、書いている最中に、ぶっ飛んで、跡形もなく失くなってしまいました。
つまり、他の人がFacebookに文章をuploadした途端に、私の入力中の文章がぶっ飛んでしまうのですよ。
勿論、一度も保存されていない状態なので、編集履歴にも全く残りません。
私の、この1時間の努力は一体何だったのだろう!!Facebookに弁償して貰いたい感じなのだけど・・
長年の努力の結晶が、一瞬でぶっ飛んでしまった「芦塚先生のお部屋」と言い、パソコンはどうも、いただけないよな??...
パソコンの不安定さは、Facebook等で昨年や、一昨年と、見て行っても、毎年同じ事を書いているし、そんなに不安定で、どうして仕事として成り立つのだろうか??と不思議でしょうがないのだけど・・・よく、皆さん、辛抱しているよね??
私は、パソコンは、どうしても、好きにはなれないけれど、だからと言っても、なければ無いで、仕事にならないし・・・、全く困ったものだよ!!
Tafel=テーブルと言う事で、食卓の音楽と和訳されているようですが、演奏styleのgenreの一つであり、且つ、Telemannの有名な曲のTitleでもあります。
古の作曲家達はbaroque時代から、貴族か教会に属し、音楽を作曲して来ました。
教会の場合には、毎週の日曜日毎のGottesdienstや、宗教行事のために作曲をしましたが、貴族の場合には、食事の時や、partyの時のBGMとして作曲される事が殆どで、当然、会食の雑談のBGMとして使用されて来ました。
ロマン派の時代に至って、音楽家の地位が向上して来た時には、かの有名なFranz LisztやClara Schumann等の名pianist達の努力によって、音楽とpartyに於ける雑談はしっかりと分けられるようになって、「音楽を真摯に聴く」という状況、姿勢が作り上げられて来ました。
しかし、日本では、ちょうどその頃の時代に、文明開化の一つの方策として明治政府の手によって「音楽事始め」として、西洋音楽が富国強兵政策の一環として導入されたので、音楽は貴族階級の物、若しくは軍隊教育を目指して、「畏み畏まって聴く」という状況のみが導入されて来て、音楽の原点であったBGMとしてのClassic、娯楽としての音楽は日本には入って来ませんでした。
そのために、BGMとしての音楽はClassicではなく、あくまでもeasy listeningの音楽としては、popularの音楽がその地位を占めたのです。
つまり、popular音楽の場合には、生演奏、生バンドとして、Tafelmusicとしての、形式のpartyが開催される事は、日本でもよくあったのです。
日本のclassic界でもparty形式で演奏会がなされる事は多いのですが、その場合には、先ず最初に演奏会があって、その演奏中は「畏み畏まって」演奏を拝聴して、その後の使役の対価報酬として、tableに軽食が運ばれて来て、お食事timeになる事が殆どで、お食事を食べながらのBGMとしてのclassicの演奏会は日本ではこれまでも開催された事はありません。
私が日本に帰国した時に、この「TafelMusicとしてのpartyを是非企画したい」と言う願望があって、帰国当時は音楽大学生以上の大人の生徒達しか私の生徒達は居なかったので、当時行きつけで、私がお店のインテリアを企画したスナックで徹夜の飲み会と同時に演奏会を企画したのが最初です。その後、音楽教室を主催するようになってからも、40年間「音人の会」として、その企画が継続し、存続しています。
そして、その企画や音楽会の趣旨をご説明するために、冒頭にTelemannの「TafelMusic」の冒頭の曲をalto2本とtenor、Baßrecorderによる演奏をして、「この演奏会が『TafelMusic』としての企画であり、趣旨である」・・という事を宣言していました。(いつの頃からか、TelemannのTafelMusicの演奏は無くなってしまいましたが)
元来は、音大生の発表会(Probe)としての意味合いが、mainの趣旨なので、「自分のrepertory(持ち曲)を人の前で弾き続ける」と言う事が本来の意味なので、ご招待のお客様達もproの人達が多くいて、対抗して演奏をするので、当然、一日中弾き続ける事になって、音楽の途切れる事のない演奏会だったので、alcoholを飲みながらの発表会なので、お喋りをしながら・・の無礼講の実に楽しい音楽partyでした。
勿論、当時はお食事やスナックは、Restaurant等のお店が担当していたので、先生達がpartyのお食事の準備をする事は、全くありませんで、音楽の演奏の準備だけでしたが、会場を提供出来るRestaurantが無くなってしまったのと、Restaurantでの会場費が少し高額になってしまったので、学生達からは、「会場費が、経済的に無理がある」・・というclaimを受けたので、或る時から、「お食事を持ち寄って、partyをする」・・という現在の形に改められました。
お食事や軽食を安く請け負ってくれるというRestaurantが見つからなくなったせいであります。
このBGMとしての音楽であるparty‐styleは、日本では未だに私達の教室の「音人の会」だけで開催されていて、一般的ではないので、このTafelMusicの形式に慣れさせる・・という事は、日本では、そのような演奏会を見る事は無い・・と言う事で、若い生徒達に、このTafelMusicの形式の演奏会に慣れ親しませる・・という事には、無意味に思えて、音楽を学ぶ学生にこのTafelMusicの形式を学ばせる事に対しては、二の足を踏んでいます。
自分のrepertoryを弾き続ける・・というrepertoryを持った生徒も数少なくなって来て、alcoholを飲みながらのコンサート・・という事も、歳を取って、難しくなって来たので、私のこれまでの意図であった「本来的なTafelMusicは終わりにしよう!」とこの2,3年言い続けているのですが、なんとなく、今回も継続してしまいました。
毎年、来年は、Matineeとして、軽食で、alcoholは抜きで、乾杯も無しで・・と言っているので、来年こそは、「Matinee形式で「音人の会」を企画する事にします。」・・・と、毎回言っています。アハッ!
何時も愚痴っている事なので、繰り返しに過ぎない事ではありますが・・・、世間一般の人達は、「子供がどれだけ努力をしているか?」で、自分の子供のNiveauを判断します。
子供達は、それを逆手に取って、教科書の下にゲーム機等を置いて、教科書を見ているフリをして、ゲームに余念がありません。しかし、それでも、机に向かっている姿を見て、親は安心するのですよ。
つまり、親が、子供の努力をする姿を見る事がなければ、子供のNiveau(この場合は意識かな??)は低いものである・・と、判断をするのです。
... だから、親にとって、良い音楽教室である条件、良い学習塾である・・という事は、「子供に努力を促す」塾であり、教室なのです。
逆の観点から言うと、努力をしているフリ、勉強をしているフリをすれば良いだけなのだから、子供にとってはこれ程楽な事はありません。成績は、塾の先生が頑張って何とかしてくれるからです。
そういった人達が、良い大学に入学して、公務員になって、言います。「私達は一生懸命に何が出来るのか?を、探して努力しているのですがね!」と・・・
でも、その努力をしている間に、どんどんと子供達は死んで行きます。探しているのではなく、今出来る事をやらねば、なんの助けにもならないのですよ。
交通事故で血を流している人を、見ながら、私は医療関係者ではないから、医療行為をすると処罰されるから・・、といって、死んでいく人を見守る事が正道になってしまっているのですよ。警察がよく言う言葉は、家庭内の暴力については、警察は不介入だから・・・なのですよ。
教室で2時間しか練習が出来ない生徒が、一般の人達から「それでは大学の入試に合格出来ない」と意見をされて、音楽大学の教授を紹介されて、師事をしたのですが、「その日の内から、毎日7時間も練習が出来るようになった」・・という事を、親は「流石に、大学の先生は違うよな?」と感激していました。
その後、一月も経たないで、その先生の生徒達の発表会を見た生徒が、「教室から代わって行ったその生徒が一月も経たないにに驚く程下手になった!」とビックリしていました。勿論、親にはその音楽のレベルの事は理解出来ないので、上手くなったか下手になったかは理解出来ないのですがね。
つまり、練習で、自分の音を聞く事もなく、練習の方法を何も考える事もないままに、ただ闇雲に練習をすれば、どんな人でも、何時間も練習出来るようには、なるはずなのですよ。それを勉強が出来るようになった!!と思い込むのは、単なる無知蒙昧の世界なのですよ。
私が、いつも、主張している日本型の無駄な練習の典型的な勉強法が、テレビでは、超一流になるためには、そこまでの努力をしなければならない・・と言う趣旨で放映されていたので、それなりに超Shockで、専科の生徒達に、番組を見て、その感想を尋ねたのですが、orchestraに参加している教室の生徒達は、毎週、日常的に私から注意喚起をされていたはずなのに、「誰もその批判が出来なかった」・・という事は、私の教育不行き届きで、私のsystemも、色々と問題点が多いようですね?と、自己反省させられました。
生徒のみならず、親も教育に対して、成績を上げる事のみの教育ではなく、AIに対しても、負けない考える事の出来る、(判断を正しくする事の出来る)教育を受けないと(学ばないと)、2045年のAIの問題には対処出来ませんよね??
しかしながら、公開授業を見ている限りでは、無駄な定義の問題に多くの時間を裂いて、子供達の興味ややる気を阻害しているような気がしてなりません。
まあ、そこが私との立ち位置の違いかな??
それが、私の日本の教育界に対しての最大の批判です。
日本音楽のClassicの世界は兎も角としても、一般の社会では、唯、単に、時間だけ掛かって、効率を上げる事が出来ない仕事は、「お役所仕事」でしか成り立たないのですよ。
私達が仕事に対して、望むのは、「速い、丁寧、より良い」所謂、効率に対しての三原則です。
「児相」のように、「遅い、雑、逃げ(保身)」・・では、社会では、仕事としては成り立たないのですよ!
それでも首にならないのだから、日本のお役所仕事は、生涯教育として素晴らしい!!
日本の音楽教育とよく似ていますよね??
突然、深夜の3時過ぎになってしまった。
12時のCinderella‐timeに、ドルプリっ歩の前に、千葉でのlessonが終わって、椎名町に帰って来た牧野先生が、椎名町から夜食を運んで来てくれて、それから、遅い食事を食べたのまでは、記憶の範疇(時間の認識)の中にあるのだが、それから、突然、何故にこの時間(深夜の3時過ぎ)になってしまったのかが、よく理解出来ないし、突然、鬱になってしまったのだけど、何故、鬱になってしまったのかの原因も、自分自身では、よく分からない!!
そう言えば、その時間の間に、動画の編集をしていて、その練習風景を見ながら、ある会話に動揺して、その愚痴をFacebookに書いたような記憶もあるのだがね?
それにしても、ガスストーブを焚きっ放しにしているのに、どんどんと部屋が寒くなって行くのはどういう事だ??...
外界の気温が冷えて来ているせいなのかな??
それとも、心が冷え切ったせいなのかな?
鬱が酷くなる前に眠らないと、明日は川崎まで、足腰の痛みを我慢しながらの難行苦行が待っているのだからな⁉
普段は、私のFacebookやhomepageでは、私が、一方的に、自分自身の自己主張をぶちあげるだけで、他の音楽の指導者の人達の主張を聞くことはありません。
それは、基本となる立ち位置が違うと、その主張が平行線になってしまい、発展的な意見交換ではなく、相容れない物になってしまうからです。
不毛な会話をする程の体力は、私にはもう残っていないから、極力そういったtroubleを避けるのが目的です。
今回、珍しくも、石川先生のblogを見て、音楽指導者の人達のお悩みや、その解決法のお話に興味を抱いて、ameba-blogを閲覧したのですが、やはり、先生達のお悩みは、「音楽を指導する上での、立ち位置の問題かな?」と思いました。
私は、音楽を始める時に、一度も音楽の基礎、基本から始めていません。いきなり、高校生の時から音大受験の勉強を始めて、いきなりドイツ人の先生に師事したので、日本人の先生に音楽を学んだ経験は音大時代以前の1,2年だけで、経験がないからです。つまり、音楽大学に入学する1,2年前までは、なんの音楽経験もない一般人だったのですよ。
と言う事で、殆どここから先は、その音楽のお話ではなくて、「ameba-blogのお話」です。
昔々の私の古い生徒が演奏活動をしていて、その活動の一環として「ameba-blogをやっている」という話を聞いたので、そのサイトを閲覧するために、私もameba-blogに入会して、昔の生徒とchatをした記憶があります。
その生徒は、古い生徒で私が、始めて子供達を指導した時の生徒だったので、私はとても懐かしかったのですが、活躍中の演奏家だったので、「ちょつと、私の生徒である事が、迷惑だったかな?」という事でアメーバブログは、さっさと退会してしまいました。一フアンとしての立場だったら、良かったのですが、後の祭りでした。
その後、別の生徒の話しになりますが、「ame-logに、私の悪口が書いてある・」・・・という事を聞いて、・是非とも読んで見たい」、と思って、ふたたび、ameba-blogに入会しました。
その悪口のblogを読んだのですが、逆説的に大変なお褒めの言葉がしたためられていて、生徒のいう悪口は全く書かれていませんでした。
その生徒にとっては、逆説的表現の理解が未だ難しかったようです。
そのお話も、今となっては、随分、昔々のお話で・・・、ameba-blogは、私にとっては使い手が難しく、そのまま一度も使わないままに、ameba-blogを持っている事さえも忘れていました。
ということで、今回、昨日も少し弄って見たのですが、全く理解不能で、機能が分かりませんでした。
どうも、ame-logとは、相性が良くないようです。
今回も、何も生かされないままに、そのままになってしまいそうです。それでも、退会して・・・・・これ以降の文章がぶっ飛んで、編集履歴にも残っていません。如何ともし難い事です。
朝起きてガスストーブを焚きっ放しにしているのに、20℃から部屋の温度が上がらないので、netで練馬区の気温を見たら、なんと1℃で体感温度は-1℃でした。湿度が30%なので、部屋の中でも体感的には超寒いのですよ!!
加湿器の大を未だ出せないので、応急処置でおやかんでお湯を沸かして、加湿しています。部屋の温度を急激に上げるには、やかんが一番です。
一昨日は、お久しぶりで、外出して、1日、川崎まで電車で出掛けました。次の日はすっかり疲れで寝込む予定だったのですが、なんと、股擦れで椅子に座っていても痛いのですよ。
たまに歩くから、そうなる・・・、ドルプリっ歩をサボっていた報いです。...
体力の衰えだけは、防がないとね??
periodの演奏と歌とdanceでLullyのBühnenwerkです。baroque時代の服で、リコーダー等の古楽器の演奏で、baroque-danceです。舞曲のrhythmというか、stepを学ぶ事が出来ます‼
今日は鬱が酷くつて、意識混濁で、ベッドから起き出す事が出来ない❗
困った‼
しかし、まあ、考えて見ると、音人の会にCscheduleに、一日がかりの川崎の病院と、今週は、何かとhardだったのだよな⁉
一日、二日は寝込む予定だったのだけど、それにしては、元気だったのだけど、流石に今日は・・・という事なのだよなぁ?
テレビを付けっ放しでのFacebookへの入力です。
5channelテレビ朝日の子供の虐待への「第三者委員会」へのkritikのapproachです。
manualを作る側が「『何が出来るか?』と言う事で、作っているのに・・」と口籠っていたのだけど、2次世界大戦の時の大本営の弁解のように聞こえてしまいました。
「何が出来るのか?」と言う事は、自分自身が大上段に居て、安全な所から、バタバタと死んでいく戦士達に対して「何が出来るか?」という事をんびりとの考えているように見えてしまいます。...
本当に、子供達のためを考えるのならば、真逆の発想をしなければなりません。
「何が出来るか?」ではなく、「今、子供達が何を望んでいるのか?」の聞き取りや、それに対しての取り組みです。
病院でさえも、先ずは患者の痛みを取る所から始めます。
その被害者が子供ならば、痛みに対する抵抗力はないはずです。
だから、「何から出来るのか?」というような時間的なゆとりは無いはずです。だから、「今でしょう!!」というはずなのですが、「だから、今、考えているでしょう??(考えている・・という事をやっているでしょう?)」と言う人は、もう、その時点で、子供の痛みに対して、他人事なのですが、そこの所(自分が子供に対して、他人事である・・という事)が分からない人達に何をさせても、子供達への対応が出来る分けはありません。
つまり、いま子供に対して出来る事は考える事しか出来ない・・という弁解なのですからね??
本当に必要な事は、「今、出来る事をする」・・という事なのですよ。
そんな当たり前の簡単な事をしようとしないのは、子供の痛みを体感として感じられないからで、自分の保身しか考えないからなのですよ。
今の「第三者委員会」は、あくまでもtop-downの中央集権的な構造になってしまっているのです。
音楽教育も同じです。
それが日本人の儒教的な体質なのですよね??
この40年間、全く同じ事を延々と、喋っているので、もうすっかり、疲れてしまいました。
いやあ、超、鬱が酷くなって来た。鬱がどんどん膨れ上がって来るのがよく分かる。今にも心臓に来そうな雰囲気だよな??参った!参った!!
鬱には基本的に心臓が張り裂けそうになるHennry PurcellのChaconne gのような爆発性の鬱と、丹田から落ち込んで行くようなPachelbelのChaconneのような鬱がある。
一応は、doctor-stopが掛かっているので、alcoholは呑まないようには、していたのだが、今日は諦めて呑むことにした❗勿論、おつまみは、パーセルとパッヘルベルのシャコンヌからだが⁉
それでも、不思議な事に、しっかりと、肥るのだがや?!
体重は、精神的な物らしい‼
前回のオケ練習でscoreとpart譜の音符の違いを調べました。「い」の2、25小節目の2拍目の8分音符ですが、Vivaldiのfacsimileでは4分音符になっているようです。part譜の方が正しいと言う事で、前回のオケ練習での訂正が正しいという事です。scoreを訂正しておいてください。
春眠暁を覚えずか、単なる体調不良かは知らないけれど、今日は一日意識混濁状態で、何度も何度も、椅子の上に座ったままで、眠ってしまった。
テレビでは、「暖かくてとても良い天気だった!」と、梅の花の情報等を放送していたが、私にとっては、体がもうついていかないのだよな?
これでは、仕事にならないよな~ぁ??
いやあ、困った事だよな?
2019年3月4日 ·
今日は3月3日のお雛さまです。
いつもの通りに、前日、土曜日の深夜は眠れなくってバタ狂っていたのですが、それでも何とか、3時過ぎ、4時過ぎ頃には、3時間程度は眠れて、朝の7時に目が覚めました。
オケ練習は検見川教室にお昼2時からのinなので、少し早めに千葉に向けて出発して、「溜りに溜まった買い物」を途中で済ませようと、超、大雨の中を、早めに椎名町に移動しました。
この所、千葉までの車での移動では、椎名町で車に乗る前に、必ずをtoilette済ませてから運転するように、気を付けているのですが、それでも車の移動中にtoiletteが間に合わなくなってしまうので、コースをいつもの京葉道路周りから、湾岸周りに変更をして、途中のイトーヨーカ堂の駐車場に車を止めて、toiletteに寄ってから、教室に行っているので・・・。
今日は、外での買い物をなんて思いつく程、比較的に元気な状態で椎名町の事務所に行ったのですが、車への荷物の積み込み中に、なんと、バイクの鍵を紛失してしまい、必死に探したのですが、ついに出て来なくて、すっかりメゲて、精神的にもバテてしまいました。
今日は大雨なのですが、それでも首都高の出口、出口は東京マラソンのために閉鎖されていたので、大渋滞になるはずでしたが、大雨が降ったので、車の大渋滞は避けられたようです。
頑張って車を走らせて、池袋で買い物をする予定の、多雑な買い物を、千葉のヨーカ堂で済ませたのですが、それでも、予定よりもかなり早い時間に、検見川教室に辿り着く事が出来ました。
しかし、検見川の教室に入った途端に、超、バテて、疲れと鬱で、生徒達の前に立って指揮、指導をする事が出来なくなってしまいました。
まあ、普通ならば、そこで、自分で指導する事を諦めて、斉藤先生にでも代役を任せる所なのでしょうが、転んでも・・、鬱でも・・、疲れても・・、ただでは起きない所が私の良い所で・・・!!!
・・と言う事で、コンマスの生徒達を一人づつ、私の指導する場所に立たせて、「弾き振り」をさせる事にしました。
子供達は、指揮棒を用いての指揮は、未だに経験をさせた事が殆どないので、今、それをさせても、ぎこちないし、無駄なので、先に指揮振りや指導に慣らすためです。
指揮棒を持っての指揮は、次の段階で良いからです。
体調不良の時には、指揮の位置には立たず、オケの後ろの方で、お茶を飲みながら、楽譜をcheckして、生徒達のlectureをします。
生徒の前での指導とは違って、かなり体調的には、楽になるのですが、演奏表現を生徒達に伝達するには、やはり、距離感が出てしまいます。
だから、指揮指導をコンマスの生徒に代講させるのですが、先生の代わりに、演奏指導をする事は、自分の立ち位置で演奏するのとは違って、pressureがあるので、以前は、「出来ない!」という気持ちが先行してしまって、気持ちが引いてしまって、全く演奏しようとしなかったのですが、今回は皆、頑張って積極的に演奏表現の代役を熟していました。
まあ、私が「疲れた!」「眠ていない!!」と言っているから、「仕方がない!」という気持ちなのでしょうが、それでも、大きな進歩です。
ほんと、step by step、日進月歩ですよね。
一回毎に・・、少しづつではありますが、進歩が見受けられます。
先週は、violinの先輩でしたが、今週はCelloの先輩が助っ人に来てくれました。
流石に、幾ら疲れていたとしても、la foliaとpassacagliaは、私が指導、lectureしないと無理なので、(老体に鞭打って・・)皆の前に立って、指揮とlectureをしました。
la foliaはCelloのsoloが、殆どviolin-soloと対等に動くので、初見ではとても大変なのですが、珠加ちゃん、頑張って演奏してくれました。
私のimageでは、八千代のcorelliの演奏の時には、(ワキだとしても、)珠加ちゃんも舞台に出ていたような気になっていたのですが、8年も前の事なので、珠加ちゃんはその頃は、未だ10歳ぐらいすよね?
と言う事は、la foliaの演奏には出演していなかったのだよね??
corelliを前回演奏したのが、そんな前の昔の話だったとは、すっかり驚いてしまいました。
corelliの演奏も、演奏表現の伝達は、随分出来て来て、後は個人の技術練習だけになって来ましたが、passacagliaの方も、随分、曲のimageが出来て来たようで、melodieの移り変わりの所のtempoの揺らしも、大分大きく変化が付けられるようになって来たようです。
頑張りましょう!
(追伸:失くしたバイクのkeyは、検見川教室行きの袋の中に落っこちていました。オケ練習の最中に荷物をcheckしていたら、keyが出て来ました。アハッ! ・・と言う事で、帰りは恙なくバイクで帰る事が出来ました。大雨の中、・・レインコートを着込んで・・、ですが・・)
2019年3月4日今日は欝がお久しぶりに·
今日は4日の月曜日です。
朝、目が覚めてからも、鬱が再発しそうな感じなのだけど、朝からこういった状態ならば、夜は100%、超、鬱になる事が決まっている・・のだよな??
勿論、鬱が起こりそうな状態の時には体調も良くはない。
体も、思うように動かないのだよ!
起きていても仕事にならない時には、パソコン作業等の軽作業で、前に書いた原稿を推敲するのが一番楽で良いのだよな?
・・なんだか徒に時間を浪費しているような気もするのだが、推敲をする事は、それなりに重要な作業なので、体調不良で部屋で引き籠もりを余儀なくされる時には一番良い作業なのだよな?
鬱が酷くて体調不良の時には、「ドルプリっ歩を断念する」事は当然なのだけど、それだけではなく、部屋で寝込んでしまう事の方が多いのだよ。
それでも、椎名町から食事の時間の連絡があれば、無理をしてでも、椎名町までバイクを飛ばして出掛けるのだが、今日はドルプリっ歩の時間の連絡はあったのだが、食事の時間の連絡は無かったので、(鬱が酷いし、超冷たい雨も降っているので、)連絡の無い事にかこつけて、食事のために椎名町まで行く事をやめてしまった。
「食事を抜いてしまうのでは、お腹が減るのでは??」と、思われるかもしれませんが、鬱が酷いと、同時に食欲も失くなってしまうので、体調の無理をしてまで、食事に行く気も起こらないのだよな?
2019年3月5日 ·
昨夜、4日は、余りにも鬱が酷かったので、部屋に引き籠って、出来る仕事として、「昔、You Tubeにuploadした曲で、解説があまり書かれていなかった曲」に解説を新たに書き加えました。
You Tubeにuploadした曲は、ある程度期間が経つと、access数が極端に減ってしまうので、Titleを変えたり、内容が分かり易いように、コメントをrenewalして、新しい人がaccessし易いように、新しい人やrepeaterをもう一度、呼べるように工夫をします。
たまに、そういった一手間が上手く行く事があって、access数が幾らか増える場合もあります。
昔々にuploadした曲は、そういった工夫をしなければ、You Tubeのfileの肥やしになってしまうのですが、そういった作業は体力や気力を必要としない、単純な作業なので、仕事が出来ない鬱の酷い時に、コツコツとする事にしています。
元気な時には、もっと別の作業が一杯あるのでね?!
特に、baroqueのperiodの演奏は、Classic音楽の中でも、特にmaniacなgenreなので、元々、基本的にaccess数が極端に、少ない分野なので、そういった地道な努力の積み重ねが必要なのですよ。
こう言った努力を、隠匿・・(冗談です。)??・・・とでも言うのかね??アハッ!
私が、こういった地道な努力を、コツコツと、普段の仕事が出来ない鬱の時に、しているという事は、斉藤先生達も知りません。
だから、隠匿・・影でコソコソとする・・隠匿なのですよ!
陰徳ではありませんよ!!
Hennry purcellのtriosonate g moll chaconne 15年10月11日芦塚音楽研究所千葉教室秋の発表会、第4部1番baroque楽器による演奏(period
instrumentsと奏法)です。 periodに関する演奏法とinterpretation、ornament指導は芦塚陽...
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Chaconne g Purcell triosonate Nr.7 period instruments15年10月11日
Hennry purcellのtriosonate g moll chaconne 15年10月11日芦塚音楽研究所千葉教室秋の発表会、第4部1番baroque楽器による演奏(period instrumentsと奏法)です。 periodに関する演奏法とinterpretation、ornament指導は芦塚陽...
芦塚 陽二 2006年の9月23日の東京大泉学園ゆめりあホールでの演奏です。このホールは音の響きが室内楽的でbaroqueの演奏も可能なホールです。ホール取りがダブってしまって、このホールはキャンセルをする事が出来ないので、折角なので、ちょうど良い機会だということで、先生達のbaroqueの演奏会を企画、開催しました。
勿論、無料公演です。
その後は、東京の教室は基本的に畳んでしまったので、このホールでの発表会や演奏会はしていません。
現在はrenewalしているので「ホールの音響は現在どうなのか??」とかの具体的な状況は分かりませんが、この時の録音では、ホールの空調の音がうるさくて、演奏の録音が上手く行かなかったのが残念でした。折角、ホールのacousticはとても良かったのにね??
https://www.youtube.com/watch?v=mP-ZVPWoE1w
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Biber 8つのsonateより Nr.6 baroqueviolin Junko Saito.wmv
Biber 8つのsonateより Nr.6 baroqueviolin Junko Saito.wmv
2016年の11月23日の千葉市美術館さや堂ホールでのbaroque-Konzertでの、BiberのRosary Sonate Nr,9のbaroque-violinでの演奏です。
このホールは、昭和2年に川崎銀行千葉支店として建てられた歴史的建造物なのですが、演奏会のホールとしても、使用されています。石造りの建物なので、残響が非常に大きく、baroqueの曲を演奏するにしても、演奏が難しいホールです。
演奏会は、私の擬古典の曲や、Trio-sonataや無伴奏の曲等色々と演奏しましたが、勿論、biberのrosary-sonataも、斉藤先生のlife-workの曲なので、当然、演奏をしました。勿論、baroque-violinとbaroque-cello、cembaloのperiod-instrumentで、scordaturaとbaroque-pitchのoriginal-baroqueでの演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=AYrHHc52Oj4
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Biber Rosary Sonate Nr.9 a moll baroque‐violin Junko Saito
Biber Rosary Sonate Nr.9 a moll baroque‐violin Junko Saito
だいぶ古い演奏になってしまいましたが、06年の7月25日の珈琲館「ブナ」での演奏です。
カウンターの横が客席になっていて、30名限界の喫茶店です。
絵や色々な展示を常設していて、音大生達やproの人達も演奏会をしたりしています。
江古田に住んでいた頃は、行きつけの珈琲店だったので、私も「企画演奏をしても良いのかな?」と言ったら、「無料奉仕だけど、それでも良かったら、好きな曲を演奏しても良い!」て事を言っていたので、「それならば先生達の研究発表の場に・・』という事で、超maniacで、stoicな演奏会をする事にしました。
「お客様は0で良い!」と言う事だったのですが、演奏の日にちが決まってprogramを作る前に日にちだけの報告に行ったら、その日の夕方には、もうsold outで、私の座る場所も無かったのですよ。
千葉教室の保護者の人達が、「先生の演奏を聴きたいのに・・」と怒っていました。
それから、年2回程の予定で演奏活動を続けて行きましたが、毎回、時間で予約が埋まってしまうのですよ。
曲は超maniacで、面白くないと思うのですが、不思議だ!!
passacaglia d Heinrich Ignaz Franz von Biber Rosenkranz-Sonaten、珈琲館「ぶな」コンサートより抜粋の1曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=JYmS-EYKXiY
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passacaglia d Biber珈琲館「ぶな」2006年7月25日baroque コンサートより抜粋
passacaglia d Biber珈琲館「ぶな」2006年7月25日baroque コンサートより抜粋
斉藤先生の演奏、素晴らしいです!!素敵な曲ですね〜。タイムトリップした気分になりました。バッハのシャコンヌみたいなところもありますね。難しそうですが簡単そうに弾かれていてすごいです。
嘘か真かは兎も角として、一般的には、Bachがこの曲を参考に勉強して無伴奏を書いた・・と言われています。でも、baroque時代には、genreとして無伴奏の領域があったので、がBachこの曲を勉強したのか否かは定かではありません。Bachの無伴奏の作品だけが有名だけど、教室ではBachの無伴奏に入る前に、Telemannの12のfantasiaという曲で無伴奏独特の演奏法の勉強をさせています。いきなりBachだと、「難しい!」というimageが先行してしまうので、そういったgenreの演奏法がある・・という事を知っておくと、導入は楽ですからね。
参考までに:Telemannの12のfantasiaよりNo.1の演奏です。
斉藤先生、18歳(高3)の時の演奏だそうです。
年齢を書き加えるついでに、教室のconcept等をYou Tubeのコメント欄に書き加えて起きました。
https://www.youtube.com/watch?v=G8csyetu0SU
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Telemann 12fantasie Ohne Begleitung für violin No.1 B Junko…
Telemann 12fantasie Ohne Begleitung für violin No.1 B Junko Saito
やっぱり!!エキサイティングです。斉藤先生のテレマンも素晴らしかったです。実はこのテレマンの曲、私も、まさにバッハの無伴奏の前段階で生徒に教えたことがあるのですが、この中にも、バッハの作品にそっくりな部分があって、作曲年を調べるとバッハより先だったから、「もしかして?!」と生徒と話していたのです。先生のお話でリアルになり、またこの曲を勉強したくなりました。質問なのですが、無伴奏の重音の部分の暗譜が苦手です。やはり和声学の勉強ですかね・・。
勿論、和声学も手助けにはなります。でも、和声学をまだ習っていない子供達には、声部の動きをmelodie-lineとして教えます。「この音はこの音に掛かって・・・」という風に声部毎の流れを説明して、それぞれの声部を歌えるようにします。横の動きが把握出来れば、多声部の暗譜は簡単です。生徒達には、縦の和音ではなく、横の流れを・・と指導します。
ありがとうございます😊
拝見しました。素晴らしい!❣ヴィデオの下の詳しいご解説も大変勉強になりました。装飾音、難しいです。今ヴィヴァルディの「冬」を生徒とやっていますが、最後の長めの音にトリルがついているのの解釈がわかりません。どう弾けばいいのでしょうか?例えば2楽章のソロの最後の長い音符とか。
Ⅱ楽章のsoloの最後の長い音符というのは、私のオケ譜には無いので、分かりません。16小節目の2拍目のtrillの事でしょうか?その後の2小節半の伸ばしっ放しの音がoriginalでは伸ばしになっていて、trillは掛かっていません。violinの1stと2ndがpizzicatoでdecrescendoをしながら静かに消えて行くように終わるので、trillが入るとうるさいと思うのですが、長い伸ばしっ放しの音符は一つの伸ばしのように弾くのは、結構難しいので、trillで伸ばしっ放しを誤魔化しているのかな?
多分石川先生が千葉教室のオケ練習を見学に見えられた時に、ちょうど私が弓の上死点下死点のお話を生徒達にしていたと思いますが、この長いdecrescendoも弓が足りなくなるので、教室では円回転を使って、一つの伸ばしに聴こえるように演奏します。だからtrillが必要ないのです。
trillをすると上死点下死点が聴こえないからですよね??
このお話の答えでよかったのかな??それとも、場所や意味を取り違えてしまっていたのかな??
間違えたのならご免なさい!!
うわあ!解決です。ありがとうございます。オリジナルにはないのですね。それで全て納得です。疑問に思ったらオリジナルを調べるのが大事ですね。1楽章も調べてみます。
一般的には装飾音は、感覚的に付けるとされていますが、CembaloやpipeOrganのように、baroque楽器では音に強弱が付けられない楽器が多いので、以前にもお話したように、学校で教えているように、「拍頭が強拍になる」・・という事は、音楽の表現ではない事の方が多いのです。という事で、拍節法によって、弱拍であるはずの音符が強拍になったり、終止で弱拍になったり、という表現が、cembalo等の楽器では、音の強弱で表現出来ません。それで、articulationの表現のために、ornamentが発達したのですよ。
和声のdominanteの法則に合わせて、強拍と弱拍を装飾音で表現すると、音楽のmelodyが、活きて来て、自動的にbaroqueらしい音楽表現になります。
そのmelodyのarticulationによる表現の例は、装飾音に関してのpageの、Couperinの修道尼モニカの解説のPageに詳しく、articulationの表現の違いが詳しく書かれています。あれっ?ひょっとして、pageはまだ壊れたままだったかな??
originalは日本版のポケットscoreを買うと一応は充分です。Peters版やRicordi版とも殆ど変わらないので
子供達に、装飾音を最初に教える時には、強拍を表す装飾音と弱拍を表す装飾音から、演奏の違いを説明します。
なるほど。これまでに教わったことのない素晴らしい視点です!そういう物差しをいただくと演奏法が見えてきますね。いやあ、改めて、先生ところの子供達はラッキーです。
生徒がそう思ってくれれば、私もラッキーなのですが⁉誰もそう思っていないのよね⁉
そう言えば、物差しで思い出したのだけど、つい先日、ピアノの生徒に、melodyのどの部分からだとしても、scaleになるpassageは、そのscaleの指使いになる・・・と説明したのですが、scaleは物差しだという意味が中々分かって貰えなかったのですよ❗つまり、scaleの指使いと、melodyに出てくる指使いは、別物として、一々考えるのよね⁉人生の無駄だから❗って言うのだけどね⁉
2019年3月6日 ·
「Prideとcomplex」
prideと増上慢(うぬぼれ)とを勘違いする事があります。
人(他人)は兎も角としても、自分にとっては、complex(劣等感)よりはprideの方が、より積極性があって、マシではありますが、prideは兎も角として、増上慢(うぬぼれ)では、自分の成長を疎外し、止めてしまいます。
物事を学ぶ上では、謙虚さはとても大切で、人(他人)を理解する事は成長に繫がって行きます。
しかし、謙虚さはよくcomplexと勘違いされてしまい、prideは自惚れと誤解されてしまう事があります。
「jealousy(=嫉妬)とrival(=ライバル)」
また、成長をしようと、努力を続けている人にとっての、最も気をつけなければならない事は、jealousyです。
jealousyの最も気をつけなければならない事は、jealousyとは、自分を人と比較して、人よりも劣っている所を羨むだけであり、そこの所を努力して克服しよう・・という姿勢がないという事です。
jealousyが、もっと悪く表れた場合には、自分の周りの友人達の自分よりも優れた面を、自分のlevelにまで下げるために、並々ならぬ努力をする事さえあります。
「その努力を自分のために使えば・・・」、と、思われるかも知れませんが、その場合、自分の技術を下げるための努力をするのは相手であり、自分ではないからです。
jealousyを起こす人は、所詮、怠け者なのですよ。
日本の女の子が、よく口にする・・と言われている言葉ですが、「今のままの私を好きになって・・・❗」という言葉をよく耳にします。
有り難い事に、現実の世界で私が耳にした事は一度もなく、あくまでもテレビ等のdrama(=ドラマ)の中の世界の話ですが、その言葉の潜在的な意味は、「私はあなたのためには、何も努力もしたくはない❗」と言っているという事と、同じ意味なのです。
それを「可愛い❤」と言う人がいる・・という事は、私には信じ難い事です。
まあ、いずれにせよ、それは人様の勝手なので、私には関係の無い事ではありすが、私の場合でしたら、仮にその子が、どんなに可愛いかったとしても、そんな女の子と私が、直接、接する事はありません。
そのタイプの女の子は、何時かは必ず周りの人を不幸にするタイプの人だからです。
日本の社会ではでは「jealousy」は、結構、いろんな場所で、幅を利かせていて、社会的にも或る程度は、その存在を認められているので、「jealousy」を忌み嫌っている私としては、困ってしまいます。
athlete(=アスリート)に限らず、努力を続ける若者に一番必要な人は、ライバルです。
ライバルとjealousyが根本的に違っている所は、ライバルとは、相手の自分よりも優れている所を認めて、それを学び越えようと努力をするという所にあります。
優れたアスリートは、必ず優れたライバルがいて、その人を目標にして頑張ります。
ライバルは、時としては、歴史的なlegend(=レジェンド)である偉人の場合もあります。
Genzmer先生のclassで学んで、最初に教わったRat(=助言、忠告、座右の銘)は、「作曲を学ぶ者は、全ての作曲家に対して、謙虚でなければならない❗」という事でした。
つまり、作曲を学ぶ者は「作曲家に対しては、好き嫌いを持ってはいけない」という事です。
このGenzmer先生の言葉は、私が教室を開いて、音楽を学ぶ生徒達に「Genzmer先生の忠言として」、必ず教えているRatです。
私がイタリアの国際コンクールで1位入賞をして、Genzmer先生が私に対して、一人前の作曲家として対等に接して来たので、私は驚いて、先生のその態度の意味を尋ねたのですが、先生は「あなたが国際コンクールで1位になったという事は、社会で作曲家として認められたという事なので、私もライバルの作曲家として、あなたから学ばなければならないのですよ❗」と言われました。
流石は、世界のreader(=リーダー)の言葉は違います。
師匠のその謙虚な姿勢は、私達が本当に学ばなければならない姿勢であります。
ライバルを持つ人には、jealousyはありません。
jealousyがあれば、ライバルを持つ事は出来ないからです。
それはそうと、今日の(・・・というか、もう昨日の事になってしまいましたが)朝は、初めてドルちゃんがハイツにやって来ました。
全く知らない初めての部屋に、私が居たので、驚いていました。「え~っ?何でここにいるの⁉」てな感じかな⁉
ドルちゃんは、結構ジェラシックな女の子なのだけど、それでも可愛い❤
素晴らしい文章で、大変共感いたしました。公開設定にされていないので「シェア」できなくて残念😌
お褒め頂いて心いります。鬱日記的な文章が多いので、友達公開にしているのですが、この文章に限って(文章毎に)公開というのは出来るのですかね?
各投稿の右上の…マークをタップし、「プライヴァシー設定」から個別に設定可能です。
2019年3月7日 ·
3月7日の早朝です。
まだ眠れぬ深夜です。
椎名町から大雨の中をバイクで帰って来て、弁当を冷蔵庫に入れようと思ったら、ケースの中のお味噌汁の洪水で、ケースを洗って、濡れたレインコートを玄関のコート掛にかけて、パソコンに動画のデータを取り込みながら、ベッドで悶々としていたら、誰もいないはずの台所の方から、ガサゴソと人のたてるような音が聞こえて来ました。
「泥棒でも入ったのかな?」と思ったのだが、ベッドから起き上がるのも、かったるいので、泥棒ならば、そのうちに寝室にも、入って来るだろうし・・・と、そのままベッドで悶々としていたら、今度は、反対側のベランダからガサゴソと音が聞こえて来ました。
「ああ、なんだ?これは雨音ではないだろうか?」と思ったのだけど、やっぱりそれをcheckするために、布団から出るのが、面倒なのですよ。
雨音だろうが、泥棒だろうが、コートが落ちる音だろうが、パソコンの作業が終わった音だろうが、まあ、いずれにしても、寝室に誰かが入って来ない限り、何の問題もないのだから、どうでもよいのだよな!
・・・と、うだうだとするのだが、やっぱり眠れない❗
さっきは一瞬だけ、椅子の上で、ウトウトしている瞬間があったのだが、その時にベッドに行けば、なんとか眠れたと思うのだが、お味噌汁の洪水で、ケースを洗っている間に、その瞬間を逃してしまったのだよ❗
そろそろ、ベッドで寝ているのも疲れて来たので、起きようかな⁉
もうすぐ朝の5時です。
寺田寅彦調で書いてみました。
2019年3月8日 ·
3月8日(金曜日)の早朝というか、3月7日(木曜日)の深夜というか・・というと何時もの書き出しなのだが、まあ、定形句のroutineとでも思って貰えば良いのかな⁉
昨夜は遅い食事に出掛けて、帰ってから出発直前までやっていた作業を纏めながら、弁当を冷蔵庫にしまったりしていたら、どうしようもなく睡魔に襲われて来たので、大急ぎで、ベッドに入ったら、ベッドの冷たさで、眠気がブッ飛んでしまった。
さて、どうしようと思ったのだが、いつものように「wine逃げよう!」と思ったのだが、もうをmy-wineは飲んでしまって、注文中なのだが、注文してだいぶ経つのにmy-wineはまだ届かないので困ってしまう。
本当の事を言うと、高いwineは、数本あるにはあるのだが、普段の鬱に飲んでもしょうがないからね⁉
まあ、いつもの摂眠障害の分析をすると、膝から下が、・・特に踝から指先が氷のように冷たい❗
いくら、アンカで温めても、このpatternでは体は温まらないので追いつかない❗
昔、お袋が「足が冷たい」と言っていたので、電気の足温器を買ってpresentしたのだが、多分、一度も使わないままに、押入れに置いたままであったので、家を処分する時に、ユーカリに持って帰ったのだが、ユーカリは誰もお泊まりをしないので、そこでも押入れの肥やしになってしまっている。
足の冷えには、足湯はとても有効なのだが、準備や後片付けが大変なので、電気の足湯ならば簡単だと思ったのだが、お袋には、使って貰えなかった。新しいものには、苦手なので、使用法を説明するのだが、中々覚えて貰えないからね?
持って帰って来た電気の足温器は、私が自宅のハイツで、足が冷えて眠れない時に、使えば良いのだが、ハイツは部屋が狭くて、物が散乱しているので、何一つ置くことが出来ないのだよ❗
それにしても足だけを温めるのは、結構難しい課題だ。
寝室のアンカは、直ぐに準備出来るようになっているのだが、温まるまでには、結構、時間が掛かるし、それから足が温まるまでにはまた、時間が掛かるのだよ❗
しかし、鬱の時には、不思議な事なのだが、冷たい布団に入って、しばらくして、体は温まって来ても、足先だけは何時まで経っても温まらないのだよ❗
それこそ、一晩中でも、体は温まっても、足だけは冷えたままで冷たいままなのだよ‼
勿論、それでは眠れる事はない❗
と言う事で、摂眠を良くするためには、強制的にでも足を温める事しか方法はないのだよ‼
それはそうと、今日も超、鬱が酷くなって来て、心のcontrolが利かなくなって来た。
仕方がないので、高いwineしかないのだけど、諦めて飲むか??
と言う事で、Franken=フランケンのbottleをselectして、wineを開けようとしたら、なんとコルクが割れて、ボトルの中に入ってしまった。
コルクのクズが入らないように気をつけながら、wineglassにwineを注いだら、白wineなのに、なんと黒酢のような色をしていた。
「え~っ??」とビックリして、ラベルを見たら何と、1983年の、40年物のwineだったのだよ。
そりゃあ、美味しいわさね~ぇ??
今日のくだらない鬱のつまみにするには、超贅沢なwineだよ!!
まるで、味は濃くて、Brandyになる前のwineだなや??
日本酒のように、というよりも、もっとチビチビと、1滴づつ舐めるようにすると美味しいのだが、普通にwineのようにゴクンと口に入れると味が濃すぎる。
勿体ないおばけが出るかもね??
コルクを落とした・・・といえば、昔々、郷里の長崎に帰省していた時に、日フィルの三角氏に連れられて、ちいさなwineセラに斉藤先生を連れて行ったのだが、三角氏がmyーwineという事で、ロマネ・コンティの80年物を自宅のセラから持って来た。お店のソムリエ見習いの若い女の子にbottleを開けさせたのだが、女の子が緊張で、手が震えて、コルクを割ってしまった。残ったコルクの欠片が、どうしても取れない。100万以上するwineに、ソムリエの師匠は真っ青な顔で、見習いの女の子も半泣きだったのだけど、三角氏は「いいよ❗いいよ❗」とこともなげにコルクを瓶の中に落とさせた。「コルクがグラスに入らないように、気をつけて注いでね?」
オークションで落とした80年物のwineのコルクは、もうボロボロに腐っていたのだよな⁉
そういう事も、よくあるのだそうな⁉
私は、基本、赤は飲まないので、グラス一杯だけ、味見にお相伴して、後は白のwineを一人で飲んでいたのだけど、斉藤先生達は「美味しい❗」と言って、感激しながら飲んでいたよ。
アッシには、カビ臭かったけどねぇ?
どうも、赤の味は分からん⁉
2019年3月9日 ·
木、金と、24時間以上も全く眠れない日が続いた話しは、もう、しましたが、その間、産まれて初めての、花粉症のような鼻水ポタポタの状態が寝ても起きても続いてしまって、参ってしまいました。
「とうとう、この歳になって、花粉症になってしまったのかな?」という事です。
私達、回虫世代は、基本、花粉症にはならないと、たかをくくっていたのですが、病院では、「歳を取っても体が変わるので、アレルギーになることは、よくあるのですよ。」と先生に言われていたのでね⁉
布団の中でも、鼻水が出続けるので、全く困ってしまいました。
何とか、3、4時間眠れて、トイレに起きたら、何と、鼻水はすっかり止まってしまいました。
「何だったのだろうか⁉」 いつもの、鼻づまりの状態に戻ってしまいました。
明日は、通常の千葉でのオケ練習ですが、来週は病院weekで、川崎での、術後3ヶ月の膀胱鏡での検査と光が丘の糖尿外来が続けてあります。毎日では、体力的に厳しいのですが、病院の都合なので、二つの病院の予定が上手くかまないので、しかたありません。私の都合は、聞いて貰えないので・・・
大正生まれの私の祖父も、70歳を過ぎてから花粉症を発症しました。
「ワシも若いんだなぁ〜♫」と、本人は満更でも無い様子(?)でしたが・・💦
2019年3月11日 ·
3月11日の月曜日です。
昨夜、日曜日のオケ練習の帰りに高速に乗ってから雨が振り始め、ハイツに戻る頃には、とうとう本降りになってしまいました。
今日の朝になっても、延々と同じペースで降っています。
予報では明日は晴れる事になっているけれど、明日は術後3ヶ月検査で川崎まで電車とお迎えのバスを乗り継いで行かなければならないので、晴れてくれないと困るのだよな?
明後日の水曜日は、ひかりヶ丘の糖尿病外来だしな??
2日連チャンの病院通いは流石にきついし、川崎の病院の術後検査は麻酔を掛けての検査なので、帰りの電車が何かと心配なのだよな!
まあ、明日の事は明日悩むとして、昨日のオケ練習では、突然、大阪から碧人君が大学の春休みで、オケ練習の検見川教室に来て、VeraciniのpassacagliaのOrgan-partを初見で弾いてくれたよ!!
Organ-part担当のひかりちゃんが、練習の途中で熱が出て、早退させたのでね!
「Foliaとpassacagliaは、年齢層が上がった」と紗來ちゃんが言っていた。
確かに、Stamitzからは、大学生達の総出演で、グンと年齢が上がるよな?
毎週日曜日の、オケ練習のrotationでは、memberの入れ替えを休憩時間にするように組んであるので、休憩を挟んで3曲ずつのgroupingをします。
2回オケのgroupの3曲の練習時間は、それぞれ曲の練習時間が30分づつで、total1時間半で、問題はないのですが、私が指導する3回オケの前半のgroupの1時間半は、人は一応3人なのですが、曲が難しく、また1曲辺りの演奏時間が長くなったのと、曲が桃迦ちゃんのVivaldiのcello-concerto G を除くと、後の美音ちゃんのVivaldiのe mollのⅠ、Ⅱ楽章と綾乃ちゃんのCapuzziのⅡ、Ⅲ楽章で、実質的には、合計5曲になるのですが、練習時間は、仕込み(楽器の持ち替えやtuningの時間、楽譜の準備も含めて、なんと、2回オケと同じ、1時間半なのです。)
つまり、1曲あたりの持ち時間は、準備の時間も併せて18分しかないのです。当然、通しで、8分は掛かるので、もし、真面目に時間を守って練習をするとすれば、one point-lessonでもきついかも知れません。
という事で、桃迦ちゃんのlessonを通常のオケ練習のように指導をすると、次の、美音ちゃんのVivaldiのⅠⅡ楽章だけで、練習時間が終わってしまって、最後の綾乃ちゃんのCapuzziのconcertoのⅡⅢ楽章の練習時間は全く無くなってしまいます。
つまり、Capuzziの練習時間が、前の曲の練習のシワ寄せを受けて、ざっと、一度通しただけで終わってしまいます。
今回は、桃迦ちゃんが学校の試験でお休みだったので、順番をひっくり返して、Capuzziからオケ練習を始めました。
cello-concertoのオケのpartは、練習箇所は出尽くして、練習の箇所は、毎回同じroutineになってしまっているし、桃迦ちゃんの練習箇所も、抜き出しで牧野先生の個人lessonで、充分だからです。
と言う事で、今回のCapuzziの練習をuploadする事にしました。
最後のgroupは、StamitzのViola-concertoのⅠ楽章と、Corelli=Geminianiのla foliaと、Veracini=Ashizukaversionのpassacagliaの大曲3曲です。
出演のmemberの関係で、Stamitzだけは、最初に練習をしなければならないので、この3曲も順番の入れ替えは出来ません一番大変な膨大な長さの、体力勝負のpassacagliaがオケの最後に来るのは、とても大変なのですが、これも、致し方はありません。
https://www.youtube.com/watch?v=z07qAEy7cSs&fbclid=IwAR1BgK-3OVKozOXSBiK5_9BcFrFJCi
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芦塚音楽研究所千葉音楽教室、Antonio Capuzzi Kontrabass-concerto D Dur ⅡⅢ楽章、検見川教室の練習風景です。川島綾乃(中2)Kontrabass-solo、指導芦塚陽二先生 毎週日曜日のオケ練習では、午前中は小さな子供達の室内楽や全体合.....
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Kb.concertoⅡⅢ楽章Capuzzi芦塚千葉音楽教室19年3月10日練習風景
芦塚音楽研究所千葉音楽教室、Antonio Capuzzi Kontrabass-concerto D Dur ⅡⅢ楽章、検見川教室の練習風景です。川島綾乃(中2)Kontrabass-solo、指導芦塚陽二先生 毎週日曜日のオケ練習では、午前中は小さな子供達の室内楽や全体合.....
てな事を書いていたら、今日はまた、血尿が出てしまった。
昨日は少し頑張り過ぎて無理をしたのかな??
それとも明日の検査へのpressureが原因・・・??
それにしても、今日は、未だ疲れが取れない!!
2019年3月13日 ·
川崎の3ヶ月点検に12時前に出掛けてから、検査を終えて、7時過ぎに何とかハイツに辿り着きました。病院の後片付けをしたり、火曜日の予定の注射をしたり、色々と雑用をして、次いでに、午前中に作っておいた、vivaldiのa mollの1楽章の分析譜を、homepageにupして・・・と、雑用を始めたのですが、超、バテてきたので、9時前に寝てしまいました。
2時間後の11時には、routineのtoilette-timeで起きたのだけど、それから何時ものように、眠れなくなってしまいました。
明日は朝9時からひかりヶ丘の糖尿外来の診察日なので、その30分前までには血液検査を済ませておかなければならないので、遅くても8時半にはひかりヶ丘の病院に着いていなければなりません。
・・と言う事は、8時にはハイツを出発しなければならないので、7時には起きて準備を開始しなければなりません。
と言う事は、今はもう3時なので、寝ておかなければならないのですが、pressureで眠れないのですよ。
昨日は、注文していたwineが着いたので、wineでも飲んで寝たい所なのだけど、血液検査があるので、alcoholは飲む事が出来ません。
困った事だよな??
2019年3月13日 ·
朝の7時45分には、ひかりヶ丘の病院に出発して、9時前には病院の検査を済ませて、9時の予約時間から、1時間以上待たされて、5分で診察を終わってしまった。それから、またまた、手続きで延々と待たされて、病院を出たのは、なんと11時過ぎだった。たった5分の為の4時間という、この途方もない時間の無駄は、もう、我慢の限界かも知れない。
診察の結果は、「腎臓の機能が半分くらいに低下しているので、問題だ」、と言っていたよ。
昨日の泌尿器科の検査の時には、腎臓の機能が衰える張本の科なので、先生はそれについては、何も言わなかったのだがね⁉
・・・で、糖尿の先生は、「痩せろ❗」としか、言わないし、「食べるから肥る」・・が、どうやら持論らしい事が判明した。
「このひと月近く、stressが続いていて・・・」と、話しても、それに対しての興味は全く無くて、聞く耳もないようだった。
あれだけ「食わなきゃ痩せる」という通念に苦しんで来た事を、毎回話して来たのに、今はもう、興味はないようだ。
病院を11時過ぎに出て、小一時間掛かって、12時過ぎにハイツに帰って来て、超、疲れが出たので、何もかにもそのままの状態で爆睡してしまって、公園の子供達の遊び声で目が覚めて、暫くの間は、次の日の「木曜日の朝だ!」と思い込んでいたのだが、時計を見て、未だ水曜日の夕方だと気がついた。
「時間を儲けたのかな?」と思って、パソコンを開くと、何時もの通りに、またまた、鬱な報告が・・。
まあ、これも仕事の一分なので、仕方がないのだが、でも、勘違いをされて、困るのは、「教室が何をしてやれるか?」ではなくて、「教室に何を望むか?」なのだよ。
もし、教室に何かを求めれば、それを与える事は出来る。
しかし、教室に望まなければ、教室が幾ら頑張って、とても大切な物を与えたとしても、その与えられた物には、何の価値もないのだよ。
その原理を知らないと、指導者は消耗してしまうよ⁉
2019年3月14日 ·
今日も、Facebookは使い物にならない‼upload出来ない❗
あれれのれ??
error-messageが出ているのにupload出来ているぞ??
不思議だ!
今度はuploadをしている文章が、uploadの保留中になっている・・とシェアを求めて来た。同じ文章が2つ出来てしまったので、求めて来たシェアの分は削除した。元の文章も削除されるかな?と危惧したのだが、それは無かった!!
何、やっとるんじゃ??Facebookは・・??
何と、テレビで今日はFacebookがおかしくなった・・という放送をやっている。
でも、今日に限らず、普段からじゃん!!何を今更・・・