ご飯のお話

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まえがき

「ご飯のお話」・・なんて、書くと、「何処其処の何何さんの農家のお米が・・」というような事を書かれているのが普通だとおもいますが、ここでは、一切、そういったお米のブランド品の話に付いては触れていませんので、ご承知おきください。

主な内容は、お米の炊き方のお話と、土鍋のお話です。

西岸良平さんの夕陽ヶ丘の漫画で代表されるように、昭和20年、30年代の時代は、自然と人が共存したノスタルジーと理想の時代では決してありませんでした。
当時の子供達にとっても、然程美味しくは無かった学校の給食とは、その時代の子供達の栄養失調を防ぐための止むにやまれぬ状況で始められたのです。

飽食の時代を育って来た今の若い人達からは想像もつかない事だとは思いますが、私が子供の時を過ごした昭和の20年代、30年代は、未だ、戦後間もない頃で、3食満足にご飯も食べれない日がよくありました。
だから、ご飯の代わりに、お茶碗に、かぼちゃが4分の1欠け入っていて、それがご飯だった事もよくありました。
「でも、私、かぼちゃ大好きだよ!」
それは良かったね。
でも、その頃のかぼちゃは、今の栗かぼちゃのように美味しいかぼちゃではなかったのだよ。
勿論、かぼちゃの形も今のかぼちゃとは随分、違うしね。
パサパサとして美味しくはなかったのよ。
お腹をすかした子供達にとっても、美味しい食べ物では無かったのだよね。

それまでは、お米を炊くのはカマドであって、火加減はとても大変だったのです。
・・って、言っても竈なんて知らないか???
私も子供の頃の田舎の家には、カマドが2個、3個とsetされていました。
大きなお釜で薪でご飯を焚いていたのですよ。
今、カマドでご飯を炊いた経験のある人は非常に少ないのでは・・と思います。
田舎の竈は、フローリングの台所にあったのですがね??
当然、当時の田舎の家の写真はありませんので、右側のカマドは、netで探したもので、私の記憶にあるカマドとは似ても似つかないものですが、無いので致し方なく載せておきます。
私は、カマド、七輪、ガス、お鍋、(ついでに飯盒・・これは山登り用の物ですが)等でご飯を炊いた経験があります。
ドイツでは昭和40年代の初めの頃には、ICでご飯を焚いていたしね。

自動式電気炊飯器(自動電気がま)が売り出されたのは1955年。1号機を開発した家電品メーカー「東芝(とうしば)」は開発に5年を要しました。
60年には自動保温式炊飯器とタイムスイッチ式炊飯器がそれぞれ発売され、ねる前にセットすれば朝にたきたてのご飯が食べられるようになりました。
79年には「よりおいしく」という願いを実現するため、組みこまれた小型コンピューターで火加減を調節する「マイコン制御(せいぎょ)」も登場しました。
以上、netより参照


電気ガマの発明で、竈炊飯というお米の炊き方は日本から失われて行く事になりました。


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