Hennry purcellのtriosonate g Chaconyの改訂にあたって



まえがきに代えて

長年書き溜めていた「芦塚先生のお部屋」の論文を、魔の2018年の9月の29日にserver上の不要fileを削除したら、論文のlayoutだけでなく、文章の大半が失われてしまい、苦節、30年の長きに渡る研究論文が全て失われてしまいました。
2018年の後半期は、7月の心療内科から始まって、9月にhomepageのtroubleと、血尿から、膀胱癌と腹部大動脈瘤の手術等々、12月のクリスマス会まで、大変な作業を強いられてしまいました。
それに追い打ちを掛けるように、yahooのhomepageのserverを3月の31日で打ち切るという一方的な報告があり、Rental-serverを探すのにも、そのお引越しにも、膨大な時間を費やしてしまいました。紙原稿の残っているPageから暫時recoveryしているのですが、教育関係の論文は結構紙の原稿があるのですが、曲のAnalyseや解説論文に関しては、その殆どのdataが残っていません。
と言う事で、新たにrenewalしなければならないのですが、それには膨大な時間と決断の勇気が必要になります。
このHennry Purcellのg mollのChaconneも、miserableな失われてしまったPageなのですが、元の原稿を探しても詮無いことなので、取り敢えずは暫定的にFacebookの似た原稿を貼り付けて、なんとかPageとして存続させる所までやって、ちゃんとした文章をrenewalさせる時間を待ちたいと思います。それまでの暫定的な処置です。



参考までに:
15年5月12日(日)のFacebookからの転載です。

発表会への愚痴


前回の発表会では、programの演奏時間の都合で、baroqueの演奏が出来ませんでした。

ところが、超驚いた事に、今回は千葉に教室を構えて40年間で初めて、発表会に年長さん達がorchestraを申し込まなかったので、orchestraの演奏は、年中と年少だけのgroupになってしまいました。

この話は別の所にも載せていますので、繰り返しになってしまいますが、orchestracurriculumの年少の子供達は、ホンの一瞬で上手になってしまうので、年少(初級)のorchestraのgroupは、直ぐに無くなってしまうのですが、年長のgroupは、いつも演奏している生徒達が大学受験等々の諸理由で、オケに参加しなくなったとしても、年中のgroupからの補充があるので、年長groupのorchestraは無くなる事は、今まで一度も無かったのですが、今回は、生徒や父兄同士の自主判断で、
「年長orchestraはもう組めないだろうから・・」という事で、申し込みはなかった・・という事・・・らしいです。
年中と年少とは言っても、なにせ人数が少ないので、orchestraの水準がキープ出来るかどうかが、自信がありません。

私は教室での音楽の指導を、音楽教室としてのお稽古事ではなく、子供達の教育として捉えていたので、父兄のそういった理解には、すっかり落ち込んで、
「それなら、オケや室内楽のボランティアのlecturelessonは、全くやめて、巷の音楽教室でも良いんじゃないの??」と、先生達に文句タラタラ、不平タラタラ言ってしまいました。

巷の音楽教室から、音楽大学に進学する事も、留学する事も、ましてや、proになる事等・・あろう訳はないからね。・・と言う割には、留学したり、音楽大学に進学したり、proになったり・・と、よくあるよな〜ぁ??
それなら、普通に近所の子供達を集めて、普通に教えれば良いだけなので・・・楽なもんだよ!!で
何せ40年間子供達を指導して来て、初めての経験だったのでね。

1週間は落ち込んでいたのかな??



気を取り直して、次の発表会への企画としてのpurcellのtriosonate g Chacony

いつまでも落ち込んでいてもしょうがないので、発表会のその分の時間を、前回、programに載らなかったbaroqueの曲を是非にprogramに乗せようと、選曲を始めました。

baroque音楽の基本(所謂、古典派のQuartettに相当するensemble)はtriosonateですので、幾つかの候補の曲をselectしてcheckをしました。
その中で目に留まったHennry purcellのtriosonate gのChaconyです。

実は、教室を開く、ず〜と以前から、(それこそ、40年50年前から)やりたかった曲なのですが、なにせ、purcellのこの曲のimageは、八千代で演奏したorchestraの暗〜い、暗〜い purcellのchaconne g と調性もChaconyという形式も含めて、よく似ているのですが、譜面上はなかなか良さそうなのですが、You Tubeで参考の演奏を探したら、baroqueの演奏で...古式豊かなのは良いのだけれど、なんともかったるくて、その曲をYou Tubeで皆に聴かせると、皆が
「眠くなってしまう。」と文句を言うので、こんにちまで、一度も演奏をした事がありませんでした。

でも、You Tubeで、色々な演奏を聴いてもかったるい・・・・それは、このChaconyのinterpretationが、それだけ難しく・・適正な演奏がないと言う事なようです。

今回も梨紗ちゃんや斉藤先生が
「他の曲の方がいい!」と言っていたのですが、今回は私が、強権を発動して、梨紗ちゃんに対して「baroqueの研究とはどういうものか?」という事を知らしめるためにも、この難しい曲を、「それなら、眠くならないような演奏をしよう!」と、急遽、その曲に曲目を決定して、今日(5月12日)は、朝起きてすぐから、一日掛りで、楽譜からfinaleに入力して、ornamentやAgogik等々のところ迄、何とか入力しました。

basso continuoのcelloのpartは、楽譜を丸写しするだけなので、入力を梨紗に頼みました。
自分のpartではないのですが、他のpartを入力するのは、とても勉強になります。

「ChaconneのBasを入力するのは、無駄では??」・・、「そうそう、la foliaやChaconneのBasのmelodieは同じpassageの繰り返しですよね。」「そういう場合には、最初のBasのmelodieをコピーして、それをコピーして、それを更にコピーして・・」と、ネズミ算のコピーをすれば良いのです。

1枚が2枚、2枚が4枚、4枚が8枚・・てね。

そういう風にして、音楽の楽曲分析を学んで行くのですよ。

finaleに曲をコピーする時には、先ずtemplateを先に作ります。
曲全体の小節と楽器を設定してtemplateを作るのです。
同じ、Motivやthemaを先ずその小節にコピーしてしまうのです。
調が違う場合には、finaleには移動の機能があるので、そのthemaを選択して移動します。
それで、一瞬で曲の殆どのpartが出来あがります。


ふと、気が付くと、その日一日がいつの間にか終わってしまいそうなのに、朝食を食べるのがまだで、mailも、読まないままに、パソコンの中に溜まっていたのですよ。

相変わらず、自宅の冷蔵庫の中には何も入っていないので、台風の風の中をセブンまで、朝食の買い出しに出かけます。
とは言っても、夜の12時を過ぎます。
・・・もう、日にちが変わりましたよね。 

参考までに:You Tubeの演奏です。
8:18秒です。
https://www.youtube.com/watch?v=tjI95CyBblg

8:18秒でこのtempoで最初から最後迄、淡々と演奏します。
You Tubeで、皆にこの曲を聴いて貰って、聞いた人達が
「たまらん!」と言っていた、鬱々の演奏ですが、私にとっては、眠れぬ夜を、wineを片手に、音の流れに身を任せて、鬱々の時間を味わうのに、最高に適した曲だと、思うのですが・・ね??

しかし、いつまでも落ち込んでいてもしょうがないので、専科オケのその分の演奏時間を、前回出来なかったbaroqueの曲を是非?、programに乗せようと、選曲を始めました。

baroqueの音楽の基本はtrio-sonateなので、幾つかの候補の曲をselectしてcheckをしました。

その中で目に留まったHennry purcellのtriosonate gのChaconyです。
・・・というよりも、教室を開く以前からやりたかった曲なのですが、なにせ、purcellのこの曲のimageは、八千代で演奏したorchestraのpurcellのchaconne gと調性もChaconyという形式も含めて、よく似ているのですが、譜面上はなかなか良さそうなのですが、You Tubeで参考の演奏を探したら、baroqueの演奏で...古式豊かなのは良いのだけれど、なんともかったるくて、皆が
「眠くなってしまう。」と文句を言うので、こんにちまで演奏をした事がありませんでした。

でも、それは、このChaconyのinterpretationが難しいのです。
今回も梨紗ちゃんや斉藤先生が
「他の曲の方がいい!」と言っていたのですが、今回は強権を発動して、梨紗ちゃんに対して「baroqueの研究とはどういうものか?」という事を知らしめるためにも、この難しい曲を、「それなら、眠くならないような演奏をしよう!」と、急遽、その曲に曲目を決定して、今日(5月12日)は、朝起きてすぐから、一日掛りで、楽譜からfinaleに入力して、ornamentやAgogik等々のところ迄、何とか入力しました。

ふと、気が付くと朝食がまだで、mailも溜まっていた。
相変わらず、冷蔵庫の中には何も入っていないので、台風の風の中をセブンまで、朝食の買い出しに出かけます。
・・・・とは言っても、もう日にちが変わりましたよね。
 

参考までに:You Tubeの演奏です。演奏時間は、8:18秒です。
https://www.youtube.com/watch?v=tjI95CyBblg
8:18秒間を、このtempoで最初から最後迄、淡々と演奏します。
色々な人達が
「こりゃ、たまらん!」と言っていた、鬱々の演奏です。

私にとっては、眠れぬ夜を、wineを片手に、音に溺れて、鬱々の時間を堪能するのに、最高にmatchした曲だと思うのですが・・ね??

https://www.youtube.com/watch?v=MW0J-rfa6ms

https://www.youtube.com/watch?v=CWvzmq9AFK8

https://www.youtube.com/watch?v=JFtiWJKEcJU
Cembaloではなく、 positive organ の通奏低音です。
https://www.youtube.com/watch?v=z9R3V7PyA3w
Cembaloの音で入っているのですが、多分computer音源だと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=cLEX7bAy_ZQ
positive organ の通奏低音です。Organのpartが結構生きています。
https://www.youtube.com/watch?v=vg2p5u4LUGw
ロビー・コンサートのような感じですが、とてつもなく下手ですが、雰囲気が面白かったので・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=NTGtyEJfhlo
tempoの設定も早く、cutが多いのですが、その割には、私の省略なしのarrangeでの演奏と同じtimeです。
不思議だな・・??



なんともはや、朝の三時に聞く曲じゃないね。おやすみ。

RubensかRembrandtの絵画でも見ながら、このChaconyを聴きながら、wineでも傾けながら欝に浸るのも乙なものですよ。

乙に浸る余裕なんてないですよ。あっと言う間に寝てしまいそう。

昔MDにダビングしたこの曲の演奏がみつかった。演奏者は、Chatham Baroque

homepage上にYou Tubeで見つかったYou Tubeにuploadされているこの曲の他の演奏をlinkさせておきました。

「芦塚先生のお部屋」⇒予告、or、「芦塚先生のお部屋」⇒楽典のお話⇒Hennry purcell triosonate g Chacony Ashizuka-version、若しくは、「芦塚先生のお部屋」⇒教材研究とAnalyse⇒Hennry purcell・・・で、入れます。勿論、折に触れて書き加えて行くので、論文としては未完成です。

検索は芦塚先生のお部屋だけでも、立ち上がるのですが、Hennry purcell云々は、まだupしたばかりなので検索が出来ません。  暫くの間は、面倒くさくても、ご辛抱ください。

ちなみに、斉藤先生の言っている、私の昔のレコードは江古田教室にあるので、まだ取りに行っていません。・・という事で、私は、まだ聴いていません。


そりゃ、おいちゃんは大昔には商売柄、「温故知新」なんてよく口にしてたはずよ。
でもさ〜 今は、おいちゃんは単に昔の思い出に浸っているだけ、、、そこからなにか学びとろうなんて姿勢は全くないのね。

大昔の彼女、それが美人だったって、今、探しだして来て見てみれば、、、しわくちゃ婆なのは当たり前じゃん。

昔の彼女の美しさ、それを見る時の胸のときめき、、それを思い出し、その美しさ、ときめきを再現しようとしたりなんてのは、やらなきゃいけないことだけど、

もう一つ大切なことは、自分を取り巻く環境、時が変わっちゃっていると言うことを、それを通じて自覚することね。
仮に、昔そのままの彼女を再現できたとして、昔感じたときめきはないはずよ。

バロックの曲を忠実に再現できたとして、それはとても大切なことだけど、
当時の人が感じた美しさはないのね、、、生きてる環境が違うもの
ピッチはともかく、テンポはもう、何を弾いても子守唄でしかないでしょう


戦前の演奏家の演奏、そして彼らが身につけているアゴーギク、、たったそれだけの時の経過ですら、今の置かれた環境では素直には受け入れられないものが多いのよね。

再現すること、そしてそれと同じくらい、なぜこんなにも違うのかを知ること、むしろそっちの方が大切かもね。

でも、おいちゃんは心配しなくてもいいのよ。
おいちゃんは、お呼びがかかるのを待っているだけだから、古き良き時代を懐かしんでいれば、、、それだけでいいんだよ。

武満徹さんが日本語の文章を英語に訳して、それを更に日本語に訳すという本を出版していました。
シェイクスピアやゲーテでも、社会環境は全く変わっているので、ピリオード奏法という時代の奏法と楽器を当時のままに演奏するという事は、何かと反対の意味で物議を醸しています。
étrangerのようにcultureshockが起きるからです。

BeethovenのSymphonieですら、当時の楽器で演奏すると、かなり違った物になってしますのですが、Chopinのように、現代のPianoに逆らってsingle actionのプレイエルPianoの音にこだわっていた人達もいます。

Chopinも「こう弾いて欲しい」という願望が強く、その願望を、手紙のままに再現した演奏を聞いた事があり、それはそれで素晴らしいものでしたが、問題はforte-pianoの楽器を正しいtouchで演奏出来る演奏家が未だ世界にはいないし、forte-piano自体の音がCembaloのように当時の音を再現出来るところまでは来ていないのだそうです。

私が「forte-pianoが欲しい」と言ったら、楽器製作者の人から「後30年は待つように」と言われましたが、そうすると、100歳になるので、それは無理かな??

今の子供達は、兎に角、語彙が少なく、日常の殆どの単語すら理解していません。
communicationの問題は、歴史や人種よりも、お隣にいる人との言葉の定義の共有の問題かもしれません。
昔、お腹が痛くなって、病院に行った時に、「お腹が痛い」と先生に言ったら、「どう痛いのですか?キリキリと刺すように痛い?絞るように?鈍痛?etc.etc.」と20個ぐらい、「痛い」という言葉を上げてくれたので、驚いてしまいました。
餅は餅屋だよね。
痛いという表現も、それだけあるのだな?と驚きました。

これも昔の話ですが、小学校で情緒を表す言葉をどれぐらい知っているのかの調査をした事があります。
明るいと暗いという感情表現の言葉ですが、小学4,5年生で明るい感情を表す言葉が7個ぐらいしか出なかったのです。
宿題にして「家族で探しておいで!」と言ったのですが、それでも20個は出ませんでした。
「暗い」という表現の言葉はその倍も出るのにね??

音楽も文学も絵画でさえも、それが理解出来る(共感出来る)というのは、時代ではなく、人の情緒ではないでしょうかね??Beethovenの言葉にもあります。
Von HerzenMoge es wiederZu Herzen gehn!(心から心へ至らん事を・・)です。

現代の小説でも、日本語に訳して、それをさらに書かれた言葉に訳そうとすると、けっこうとんでもない訳がでてきそう。その辺、詳しく言うと怖いことになりそうなのでやめときますね。
砂漠の国では貴重な一本の木が、ジャングルでは開発を妨げる敵ですからね。
環境が違えば、時代が違えば、当然のものが、全く未知のもの。
ショパンのイメージにあったピアノの音。プレイエルがそうなのかどうか、たんに近かっただけかも。
どっかのピアノ科の女優さんが彼のピアノを弾いているのが放映されていましたけど、あの音がショパンのイメージとすると、今のショパンの音楽って根底から覆される???

ピアノフォルテの音だって、「キンキンな音だ?」って思っていたら、素晴らしく柔らかい優しい音に出会って、頭の中に雷が落ちました。
初期のピアノもそうだけど、ピアノフォルテの音(そしてそれをもとに作られているピアノ曲)どんな音をイメージしていいのか、分かりませんね。

ところで共感ということで、蛇の足。
どんなに素晴らしい演奏でも、たんにピアノの音としてしか聞こえないことが多いのです。
でも、ポツポツでも、オタマジャクシの行進じゃない、音楽として響いてくる時があるんですよね。
そんな時、時間の経つのも、周りの状況もまったく分からなくなってしまう。
いいもんですね〜

2015-05-27
5月の10日に、子供達への曲の楽譜の渡しを終えて、今回は年長のorchestraの曲がないということなので、急遽、前回出来なかったbaroqueを復活させる事になりましたが、13日のcommentにも書いているように、兄貴の辛口messageだけでなく、先生達や梨紗ちゃんも、良い演奏を聴かせたのにも関わらず、「かったるい!」「眠くなる!」との感想だったので、12日は椎名町の事務所には誰もいないので、食事を食べに行く事もないので、purcellのChaconyに没頭しました。

baroqueのornamentや装飾法の事を調べようとして、様々な文献やhomepageを読むと、
「ornamentや即興の技術は、神から与えられた才能の成せる技で、勉強したからといっても、どうなるものでもない。」と書かれていました。
確かに、文献を買い込んで来て、幾ら読んでも、なんの参考にもならないので、結局は、Jordi Savall先生達の演奏を聴くしかないのかな??


・・・しかし、私にとっては(芦塚メトードでは)、即興演奏やornament奏法の前哨戦として、Pianoの初級の段階のBach...のinventionの辺りから、Cembalo奏法の基本である、早いaccentを表す、trillやmordent、或いは弱拍を表すtrill、glissandoやslurを表すschleifer、或いは弦楽器のvibratoを表す、triller等、曲のarticulationやAgogik等のinterpretationで、その曲にornamentや即興を与えているので、生徒の誰がornamentを付けても、即興を書いても、その表現に変わりはないので、数学のように100点万点で、回答を付ける事が出来ます。

つまり、私の概念では、ornamentや即興には、才能や、能力は要らないのです。

少子化と齢を重ねて、この歳になったので、invention等の指導をする生徒も一人もいなくなってしまったので、
「このtrillは強拍を表すtrillだよ。」とか、「このtrillは弱拍でしかも、decrescendoを表すので、こういう風に演奏するんだよ!」とかを昔のように小学生や、中学生に指導する事もなくなってしまいました。


寂しい事ですが、Facebookを始める時に書いたように、
老兵はただ去るのみ・・・なんでやんすかね〜ぇ??  
まあ、音楽の勉強を始めた最初からornamentの効能をよく理解していれば、baroqueなんて怖くないのですがね。
アハッ!

という事で、12日に、一日掛りで、purcellのChaconyに、ornamentを付けて、芦塚versionのinterpretationを作り上げました。

だから、私のornament奏法には、考える事や、ひらめきが降りて来るのを待つ必要はないのですよ。

しかし、まあ、「作り上げた」とは言っても、violin-soloのシテ・ワキの分だけで、
basso continuoのcelloのpartや、Cembaloのpartは、余りにもヘボかったので、数字から訂正しなければならないので、熟考が必要なので、未だに保留になっているので、音声にdown loadしていないのです。


それに、・・・・・(ここで、また、話はrepeatして、)前回は、finaleで作り上げた楽譜から、音声fileを作ったのですが、私のパソコンには、CDのためのリッピングのソフトが、入っていないので、CDやDVDに焼いて、梨紗や先生達に聴かせる事が出来ません。
softと言っても、たかだか5000円ぐらいなので、買えば良いだけなのだけどね。

なきゃあ、ないで、free-softで、何とかしているのですが、free-softの場合には、一度、使うと、その都度、
「買え!買え!!」と、後々、messageが入って来て、うるさいのですよ!!

free-softは、結構、困ったちゃんなのだよね。
mediaplayerでCDを焼いても、DVDで再生出来ないのですよ。
昔のDellのdesktopは、ちゃんとCDのsoftが入っていたので、そういう事はなかったのだけどね。

という事で、Cembaloの右手は全体の半分ぐらいは元の楽譜のままです。
・・つまり、未だ未完成なのです。

という事で、その間に、
Greensleeves to a ground in Dorischをこの3日で作り上げたので、またぞろ、purcellのChaconyに戻って作業をするつもりです。

まあ〜、年甲斐もなく、よく働くよね〜??
いい加減休めば良いのにね〜〜??


蛇足ですが、椎名町のspinetはbaroque-violinのために、426cycleに調律しました。
415cycleは、標準Aを440に調律した時のAsのpitchで、教室の場合には、標準Aが443cycleなので、Asの音は418になります。

この415cycleのpitchを、今の日本のbaroque奏者達は、正しい正式な「baroque-pitch」と思い込んでいる人が多いようですが、これは20世紀に入ってからの便宜上のbaroquepitchなので、本当の本物ではありません。
間違わないように・・!

ヨーロッパのrecorderは基本435cycleでtuningしてあるのが、普通です。
その大きな理由の一つは、古いrecorderの殆どが、435でtuningしてあるからです。

baroque音楽を勉強しよう・・というviolinの人が、pitchを半音低く読み替えて、演奏するのは、邪道で絶対に良くありません。
反省しましょうね。
この話はスライド鍵盤のお話ではなく、baroque奏者がbaroque-pitchで演奏する時に、楽譜を読み替えする・・という事に対してのお話です。

分かりにくいかもしれないので、補足説明すると、このpurcellのChaconyのように、g mollで書かれている場合には、ges mollに読み替えて演奏する・・という意味なのです。
絶対音感のあるviolinの学生が、音の間違いに気付かないのは、この読み替えによるものが多いようです。


だから、便宜上の半音下の音のpitchではなく、435cycleや426cycle等の半音下以外の音になったら、読み替えは出来ませんよね。
violaを5度下げて奏くという弾き方も、日本の音大生の独特の間違えた弾き方です。
そういうあんちょこな勉強をしたら、行き詰まってしまいますよ。
人生さえもね。

てな事を言いながら、今回の発表会のために、椎名町のspinetのpitchを426から418に変更してしまいました。
これは、子供達がbaroqueの音楽を、443cycleで演奏するからです。

baroqueのために、2台Cembaloを持って行く分けにはいかないからです。

まあ、そんなどうでも良い事はさておいて、baroque音楽の重要な大曲の形式でもある、foliaやchaconneやpassacaglia等の変奏曲形式の奏法なのであるが、困った事に、その形式についての論文は洋の東西を問わず見当たらない。

baroqueから古典派、近現代に至る迄の作曲家達が、歴然とした形式を踏まえているのにも関わらず・・である。
Bach時代から作曲家の間には当然の如く周知の事実なのに、一般の音楽家達、楽典の本や研究論文には、全く触れられていない話が多いのは非常に面白い。

・・・という事で、暗黙の了解で、Hennry purcellのtriosonate g Chaconyに関しては、変奏曲形式で作曲しているのだが、Greensleeves to a ground in Dorischに関しては、変奏曲形式は使用していない。


5月27日8:38
失礼しました。
頑張って、動画を修正したつもりが、またまたまた、とんでもない間違いをしてしまいました。
間違いの原因は、同時に、purcellのtriosonateのChaconyと、Greensleeves to a groundの作業をやっていたのですが、Chaconyとgroundは結構似ているので、曲は合っていたのですが、新しい動画のタイトルが「Greensleeves to a ground in Dorisch」になっていましたので、慌てて作り直したのですが、な!な!な!なんと、またまた、ミスってしまった。

修整した曲は、「Hennry purcellのground」ではなく、なんと「triosonate g Chacony」だったのです。

・・・もうダメだ!
groundには、作曲者はいないのですよ!!  「あ〜ぁ!!miserable!!」

これ以上何度やっても、また間違えて、同じだよなぁ〜!

集中力が全く無くなって来たので、取り敢えず、今朝は寝る事にします!!

昨夜も、徹夜だったので、・・・ハ〜ァ・・!!
「今夜も私は、眠らないでいると・・、時〜雨〜〜!!」
・・・動画がpluginの関係で、Facebookからの動画が、何度、開いても、また開かなくなってしまうので、web-video-studioからの動画です。

と思ったら、web-video-studioも開かなくなっていました。

仕方ないので、一番確実に画像をクリックすると、You Tubeへlink出来るようにしておきます。
web-video-studio消してしまったので、古いversionのCembaloでの伴奏の音声がなくなってしまいました。
という事で、linkは諦めました。

Facebookの方では、まだCembalo伴奏のgroundが聴けるようなので、そちらで視聴をお願いします。


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楽曲分析



まず、themaの入りのPeters版(Schleifer校訂版)では、冒頭のthemaはornamentは未だ、書かれていません。
というか、出版されているPeters版のChaconyには、ornamentは書かれていません。
ですから、Peters版はKarl Schleifer版となっていますが、なにを校訂したのかは、分かりません。

唯一、basso continuoのCembaloの右手のpartが書かれていますが、下手な理論的に間違いの多い、また数字譜の和音に従っていない、ヘボい和音付けです。
天下のPeters版といえど、その程度なのかな??

勿論、上記のYou Tubeの演奏には、細かい装飾音が付け加えて演奏されていますが、それは演奏者が即興的に、付け加えて演奏したもので、演奏者のoriginalになります。


昨日は、この曲をfinaleに入力しながら、ornamentも書き込みました。
曲が膨大になるので、homepageには、今回は、取り敢えず、このthemaのornamentだけを、私の校訂として、このhomepageにupする事にしました。

以下のようになります。
ornamentは、強拍を表す装飾音と、vibratoを表す装飾音、decrescendoを表すtrillと、glissandoを表すschleiferだけを使用しています。

本当は、もう少し色々な装飾音を使用したかったのですが、finaleに常備されている装飾音は、それだけなので・・・ね!!??

勿論、generalbassも私が作ったものです。

演奏するのは簡単なのですが、いちいち、finaleに入力するのは、とても面倒くさいのですよ。

声部か変わるといちいち、レイヤーを変更しなければならないのでね。

余談ですが、奇しくも、この曲の校訂者の名前もschleiferですよね。


通常は、ornament譜だけなのですが、斉藤先生の希望で、finaleに入力したoriginalの楽譜の上に、新しい段を作って、その段にornamentを書き込みました。原曲のmelodieと対照させるためです。





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練習番号2はVariationTです。
この曲は、単なる装飾的variationであると同時に、全体的にCanonの手法のpolyphonyの形式で書かれています。
所謂、triosonateの中の、kirchensonateの様式で作曲されています。(chaconneだから、cantus firmus in bass所謂、groundなので、当たり前ですがね。
一応念の為にの確認です。

1stが先行する交唱です。)



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練習番号3はvariationUです。
ややこしいのですが、themaが練習番号1なので致し方ありません。

さて、VariationUもTと同様に自由なCanonの型ですが、シテとワキが入れ替わって、2ndが先行して、1stが後行します。triosonateでもKammersonateの場合には、1stがシテ、で2ndがワキの場合が多いのですが、kirchensonateの場合には、対位法的なpolyphonyの作品なので、1st、2ndは対等に書かれます。
これも、様式的に言えば当たり前の話なのですが、一応老婆心までに確認しておきます。

homepage上にYou Tubeで見つかったYou Tubeにuploadされているこの曲の他の演奏をlinkさせておきました。
「芦塚先生のお部屋」⇒予告、or、「芦塚先生のお部屋」⇒楽典のお話⇒Hennry purcell triosonate g Chacony Ashizuka-version、若しくは、「芦塚先生のお部屋」⇒教材研究とAnalyse⇒Hennry purcell・・・で、入れます。

勿論、折に触れて書き加えて行くので、論文としては未完成です。検索は芦塚先生のお部屋だけでも、立ち上がるのですが、Hennry purcell云々は、まだupしたばかりなので検索が出来ません。

暫くの間は、面倒くさくても、ご辛抱ください。

ちなみに、斉藤先生の言っている、私の昔のレコードは江古田教室にあるので、まだ取りに行っていません。という事で、まだ聴いていません。






変奏曲形式について

まあ、そんなどうでも良い事はさておいて、baroque音楽の重要な大曲を構成する形式でもある、foliaやchaconneやpassacaglia等の変奏曲形式なのだが、困った事に、その形式についての論文は洋の東西を問わず見当たらない。

baroqueの作曲家達から、古典派、近現代に至る迄の作曲家達が、歴然とした変奏曲の形式を踏まえているのにも関わらず・・なのです。

作曲家達の間では、当然の如くの周知の事実なのに、一般の音楽家達、楽典の本や研究論文には、全く触れられていない話が多いのは非常に面白い。
つまり、baroque奏法が、Mozart奏法と呼ばれたり、古典派の奏法として、或いは、Wien奏法として、こんにち、生き残っているのにも関わらず、その奏法は誰も知らない・・という不思議な事実があります。
さしずめ、宮本武蔵の五輪の書のように、「・・以下、口伝」という事なのでしょうかね。

・・・という事で、暗黙の了解で、Hennry purcellのtriosonate g Chaconyに関しては、変奏曲形式で作曲しているのだが、Greensleeves to a ground in Dorischに関しては、変奏曲形式は使用していない。

最初の動画に付けていた、長崎旅行云々のcommentも削除されてしまいました。

他の人達の「いいね!」も消えてしまいました。この写真は、長崎への帰省の時の写真をランダムに集めたものです。

主に高速と雲仙の山、高速の大村サービスエリアの大村湾のviewです。

もう一度、何とかしようかとも思ったのですが、この動画は、曲のarrangeの途中経過の作品なので、完成したら、削除する予定なので、暫くの間は、Titleを間違えたままにしておきますので、悪しからずご了承ください。

2015年5月28日
Hennry purcellのtriosonate g Chaconyの大元の楽譜はedition Petersですが、個の楽譜は、兎に角、continuoが酷い!
確かにこの曲は対位法的な複雑な動きをする曲であって、Vivaldiや、corelli等のように、明瞭な和音進行の曲ではないので、和音を書き加えて行くのは超難しい難解な曲ではある。
こういった難解な曲を簡単に数字付き低音に和音を付け加える一番安直な方法は、上二声のpartをそのまま、コピペする事なのです。
この楽譜のarrangeも殆どそうなってしまっていて、ドイツの有名な教授かもしれないが、マジ
「ズブの素人か??」と疑うばかりである。
「上二声のmelodieのコピペがなぜ悪いのか??」

そりゃあ、演奏する時に、音痩せしてしまうからであり、それなら、basso continuoのCembalo(Organ)partは必要ないからである。
今回uploadしたChaconyは、上二声のpartには、articulationやAgogikに合わせて、合理的にornamentやimprovisationを施したのだが、未だ製作途中という事で、肝心かなめのCembaloのpartは未だ作成途中で、半分迄しか進行していないのだが、明日の木曜日から、日曜日迄は、one lessonや、orchestraの指導、室内楽の指導があるので、ハイツに戻って来るのは、深夜を回っているので、仕事が出来ないので、この先、楽譜の手直しは、月曜日迄、保留になってしまいます。

金曜日には、梨紗と斉藤先生がbaroqueviolinで合わせをやるので、その時迄には、メドを付けておきたいよね!
あ〜ぁ!時間がない!!
ジャネーさんの法則かいな??
それジャ〜ネ〜!!

下の楽譜は、purcellのこの曲のthema(cantus firmus in Bass)です。
5小節しかありません。(通常なら、このthemaのcaseなら、4小節ですかね??寧ろ、5小節もある!!と言うべきかな??)



2015年5月29日

5月も終わりだというのに、今日も朝早よからpurcellのtriosonateのChaconyのCembalopartをセッセカ作っていたのだが、部屋の中が、なんとも寒い!
「今日こそはストーブをしまおうか??!!」と、思っていたのに、兎に角、部屋の中が寒い!!
風邪引きそうに寒いのだよ!!

押し入れにしまい込むつもりで、洗濯をしてしまった冬の部屋着をまたぞろ引っ張り出して来て着ている。

purcellのtriosonateのbasso continuoのpartは、作っていて思うのだが、やはりChaconyは、genreがkirchensonateなので、伴奏はCembaloではなく、Organのような雰囲気になってしまうのだよな。

幾ら書いてもCembalo用にはならないので、とうとう諦めて、Organpartに変更して書いているのですよ。
時々、漫画家が、自分の書いている漫画の主人公が思うように動いてくれない言う事を聴いてくれない・・と、悩んでいる話がありますが、正にそういった感じで勝手にOrganのpartになってしまうのですよ。

basso continuo用のOrganと言えば、昔々、私が未だ若かりし頃は、自分がcantataを演奏する為に、携帯用のpipeorganをideaを出して、演奏会のために作ったのだよね。

その頃、私の下で、assistantをしていた歌の女の子にcantataの独特の発声法を教えて、自分の生徒達で作ったorchestraを引っ提げて、教会をめぐってcantataの演奏会をして回っていたのです。
その頃は、未だ日本には、大きな教会と言えども、未だ、pipeOrgan等というものは存在せず、(唯一、例外的に、NHKと武蔵野音大にはあったけれどね。)黒田オルガンという電子Organが、主流となって、pipeorganの代わりに教会には置いてありました。
未だに、本当のpipeOrganはなかったのですよ。

そこで、
本当のpipeorganの音を・・という事で、自分が自分達だけで、演奏会場に持ち運べるように、考え得る限りの工夫をして、世界初の携帯用 positiv organを作りました。

しかし、それがあまり実際の使用に至らなかったのは、pipeorganの重さもさる事ながら(・・というか、Organ自体は、そんなには、重くなかったので、Organ本体に持ち手を作らなかった・・という事が、大きなミスで、重さだけを気にしていたので、Organの持ちにくさは、考えなかったので、重さが倍に感じられたのですよ!!)、二つ目のミスは、そのOrganを作った頃は、未だbaroqueviolinというものが、製作されてなかった頃の古の昔の話なので、pitchがmodernviolinのために、442で作ってあるので、Vivaldi等のbaroqueの音楽の演奏を外でやるためには、pitchが高すぎて、チョッと困るのだよな??

それに、一般の人達が、Organに対して抱くimageは、大型のpipeorganの音であって、cantataのcontinuoや、baroqueorchestraのcontinuoを演奏するcontinuoOrganというOrganがある、という事が、未だ一般的には知られていなかったからです。

だから、pipeorganという事で、期待をした人達が、小さなOrganを見て、期待外れをしたのですよ。

つまり、 positiv organという物がある事を、未だ誰も知らなかった・・という事ですよね。

それに、
「私の設計したpipeorganが、世界初の positiv organである。」という意味は、本来は、 positiv organという小さなOrganでも、基本は、標準の16’8’4’の3列はあって、楽器としては非常に重たいものだったのですよ。

或いは、もう少し小型で、16’を持たないで、8’8’4’という3列の positiv organもありました。
8’8’がpipeorgan特有の金管の音と、同じ標準の8’で木管の音を持って、pedalを16’にしたOrganは軽いのですが、勿論、だからと言っても、
『持ち運ぶ』・・という意味はありませんでした。

大型の positiv organは、4’8’8’に16’でそれだけでも、大型のpipeorganのように重厚な音がして、それに32’が入ると、大きな教会のOrganにも遜色はとりません。

・・で、Organの先生に
「32’のpipeは何処にあるのですか?」と質問したら、足元のpedalの周りに蠢いているアナコンダのような巨大な物を指して、「これが32Feet’ですよ。」と、教えてくれました。

positiv organとは言っても、大きめの positiv organになると、だから、その基本の音列しかない positiv organでも、16’が入ると500`を有に超えてしまって、専門の業者でないと持ち運べないのですよ。
但し、 positivは持ち運びを想定している分けだから、500`あったとしても、しっかりと台座に固定されていて、台座ごと大型トラックで運ぶので、専門の業者の人達に言わせると、そんなに重くはなく、移動は簡単で大した事は無いそうです。

もっとも、Organ製作者の人は、教室に運ぶのに一人で本体の中央部分を抱きかかえて、
「大した事はないですよ!」と言っていたのですよ。
ホントに、「餅は餅屋」だよね。
いずれにしても、pipeorganの小型の positiv organであったとしても、pipeorganは基本『持ち運ぶ』という発想自体がないのですよ。


一番左側の大きめの写真でも分かるように私の製作したpipeorganは台を除いて、右と左のpipeの部分と本体の部分の3つに分解できるし、フイゴに弁が入っているので、関西や関東で電圧が変わった状態で演奏しても、pitchが変わらないようになっています。

楽器をバラすと、自分達のバンやワゴン車で運べるという利点があります。



携帯用のOrganという事については、勘違いしないように、老婆心から確認しておきますが、 positiv organよりも更に小さな
卓上に乗る小さなpipeorganがあります。

写真の一番右下の可愛いOrganです。

4feet一列で、octaveぐらい鍵盤しかないpipeorganもありました。

しかし、このOrganはフイゴが小さいので、和音を弾く事が出来ないので、melodieの一声部しか弾けません。

教会のchorusで、歌のmelodieを補充するものでした。

これではもう、Organとは呼べないかな??

例外的に、cantataのChoralのmelodie(旋律)をchorusと共に、受け持つ事がありますが、こんにちでは大型のpipeorganがその小型のpipeorganの代用します。


何故なら、この古いpipeorganでは、音が余りにも音が小さくて、大orchestraや大コーラスの音に負けて、聞こえないからです。





教室のpipe organのお話に戻って、このOrganを作った切っ掛けは全くの偶然でした。

兄貴の家を訪問して、当時は未だ元気だったので、北区から歩いて練馬区江古田の(当時の)自宅に帰宅するために、河川敷を散歩していた私達が、偶然、黒田Organの工房を見つけて、図々しくも、工房に見学しに行って、そこで、若い職人の人に私のideaを話たら、皆さんが面白がって聴いてくれたからです。
当初は、自分が研究をしていたcantataのために、このOrganを作ったのだけど、実際の用途では、cantataだけではなくて、baroqueorchestraのbasso continuoのためや、violinのsoloの伴奏等に使用するのが普通です。

日本のbaroqueの演奏会では、通常はbasso continuoはCembaloで演奏されますが、corelliやVivaldi等のbaroqueの作曲家達にとっては、Organで通奏低音を演奏するのは、当たり前だったのですよ。

それに、baroqueの室内楽のgenreの一つでもあるkirchensonateは、基本はCembaloではなく、Organ伴奏が基本なのでね。
勿論、violinsoloの曲もOrganで伴奏する事が多いのですけれどね。

しかし、先程もお話したように、日本ではやっと、pipeorganが一般にも聴けるようになって来たばかりで、 positiv organという存在は未だよくは知られていないようですけれどね。


「閉管について」


閉管についての説明のPageが、探してはいるのですが、全く見当たりません。これも、もう一度、新たに書かなければならないのかな??


2月28日「教室のpipeOrganについて」

私が日本に帰国して直ぐの時には、弟子達にviolinやcelloの演奏法の他にも、歌の生徒に、cantataの特別な呼吸法を指導して、その生徒が或る程度、cantataが歌えるようになると、他の私の弟子達と一緒に、solo-cantata(※)で、教会でのcantataの演奏をして回っていました。
勿論、Bachのcantataだけではなく、VivaldiやPergolesiやHandelやその他多くの作曲家達のcantataです。

(※)cantataはドイツの村々では、毎週日曜日に村の教会の楽団がGottesdienst(日曜礼拝)の時に、演奏をしていました。

Bach先生は1年、365日のそれぞれの日のGottesdienstに合わせて、曲を作曲しようとしていましたが、2百数十曲を書いた所で、寿命が尽きてしまいました。
Bachの作品目録はBachの作品番号としてBWV(Bach-Werke-Verzeichnis=バッハ作品目録=そのままの意味ですが)1番から216a番まで・・(作品には小文字のaが付いている番号がありますが、後で、発見された曲を足すために、小文字のaが付いた曲があります。)と、後日、完全に「偽作である」と証明された曲があります。

cantataはミサ曲や受難曲とは違って、曲も比較的(ミサ曲や受難曲は演奏時間が有に4時間を超えるものも多くありますし、orchestra等も大orchestraで、演奏には、非常に多くの人数を要します。とても、村の教会で、その村の教会の専属のorganistがこなせるものではありません。本来ならば村々では、毎週の日曜日毎に、cantataが演奏されたはずなのですが、そこはその教会に所属しているorganistの力量によります。

baroque時代の多くの作曲家達が、cantataの作曲を手掛けましたが、弦楽orchestraとsoloの歌だけで演奏出来るsolo‐cantataというgenreがあって、多くの演奏家達を所有していない小さな村の、小さな教会に取っては、非常に貴重な演奏可能なcantataのgenreになります。

私が日本に帰国したばかりの頃は、未だ本物のPipeorganを所有している教会は非常に少なく、ヤマハのエレクトーンや、黒田さんの黒田Organと言う電子楽器が、Pipeorganの代用をしていました。

(ヤマハやカワイ、黒田オルガン等の教会用の電子楽器は、通常のエレクトーンや、電子楽器とは違って、ただの電子Organと言うものではなく、世界中のPipeorganの音や、世界のHallのacousticを出せる非常に高価な楽器でした。当時としても、500万ぐらいの値段でした。つまり、教会で使用するための専用の電子楽器だったのですが、やはりPipeorganの音に比べると、本物には比べるべきものではありませんでした。)

その当時は、兄貴は北区の一軒家に住んでいました。
そのご近所さんにお願いをして、中学生の子供を、指導の勉強にhome‐lessonに場所を借りていました。
だから兄貴の家には、時々、生徒の指導の様子を見るために、訪れていたのですが、その帰り道に、気が向いたので、「歩きの散歩」をしながら江古田の事務所に向けて、散歩をしながら帰っていた時に、偶然に黒田Organの工房を見つけて、アポなしに工場見学をしました。

その時に、私が、「cantataに使用する、そんな楽器があったら良いな??」と思っていたideaを色々と披露して、「個人でも運べる positiv organ」の話をしたら、工房の人達が面白がって、それで、社長の黒田さんが「pipeの実費を出すのならば・・」と言う事で制作を引き受けてくれました。

Organを作る作業料とか技術料は、私の30数項目のidea料と相殺と言う事でpipeをドイツに注文する費用だけで作ってくれました。
・・とは言っても、Pipeの材料費だけでも、ウン百万はするのですがね??

当時は、世界的にも、未だperiodという言葉さえ無かった時代で、単に「現代の解釈で、baroque音楽を演奏する」・・という事が、総て・・だったのでですが、Organを作るに当たって、「pitchをbaroqueにするか、modernのままのpitchにするか??」と言う事を悩んでいましたが、当時は未だbaroque-pitchが一般的ではなく、それ以上に、pipe organの利用頻度、演奏回数を考えると、「baroque-pitchは、通常は、有り得ない」と言う事で、modern-pitchを採用する事にしました。

まあ、pitchはmodernでも良いとしても、次には音量の問題です。
利用頻度から考えると、solo楽器に対しての、basso continuo用のOrganというよりも、20名ぐらいの小編成のcantataの為のorchestra用のcontinuoの楽器としてのneedsを考えていたので、baroque編成のorchestraのbasso continuo専用のOrganと言う事で、音量は、soloの楽器としての、音量よりも、少し強めになっています。

ですから、演奏会でviolinの伴奏と言う事で、持って行くとしても、solo-violinの伴奏用の楽器としては音量が強すぎるという問題が派生します。

soloの弦楽器の為だけではなく、4名で演奏する、(2台のviolinとcontinuoのcello(gamba)Cembaloの為の、)triosonateの場合にも、少し、強すぎるかも知れません。

でも、それは演奏会の会場の場合の話で、録音をする時には、PAのmikeの位置を調整する事で、録音用には何とか音量の調整が出来ます。

まあ、いずれにしても、このPipeorganは、当時演奏に回っていた教会での、solo‐cantataの演奏用を想定してorderした楽器なのです。


その後、教室を開設してからは、教会にcantataを演奏しに行く事はなくなってしまいました。
その理由は、教室の発表会と、教会でのcantataの演奏のDouble‐stageでは、私の負担が大き過ぎたからなのですがね。

発表会では、車でCembaloとOrganの二つの楽器を会場に持って行くのはとても、負担が大きいので、2,3度、発表会会場に持って行っただけで、後は、Organは演奏の場が無くなってしまい、単に、教室のdisplayになってしまっていました。

世界でも稀な positiv organなのに、displayとしてしか、使われていないのでは、余りにも勿体無いので、今回は、斉藤先生に、baroque‐violinとOrganの演奏を公開する目的で、Veraciniの「passacaglia sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d moll」を、16年の4月3日の発表会での演奏のために、orchestra用に、arrangeしたついでに、折角、同時並行で作り上げたCembalo用の譜面を、今度はOrgan用に書き換え始めました。

Organ譜の作成は、今日、18年2月28日、(2月の最後の日)からになります。

Cembalo譜の場合には、Cembaloという楽器は音量が弱いので、右手の和音を厚めにして作曲します。
しかし、Organの場合には、逆に、音量が強すぎるので、なるべく音を薄く作ります。

また、Cembaloの場合には、basso continuo(左手のmelodie=基本的にはcelloと同じmelodieになります。)に対して、右手は、和音として演奏しますが、Organの場合には、右手は「和音として」ではなく、「melodie(旋律)」としてbasso continuoに対しての対旋律(Kontrapunkt)を作ります。

基本、優しい柔らかいpassageでは、音量を弱くするために、対旋律は、1声部の、都合2声部の書法で書きます。

元気なfortissimoのpassageでは、3声部や4声部と必要に応じて、声部を増やして音量を増やして行きます。

Organのpartに、和声学上の禁則を書くのは、言語道断の事なのですが、海外の権威のある楽譜でも、Cembaloとsoloのpartが引き起こす禁則に付いては無頓着です。

異種楽器なので、同じ声部間の禁則のようには、目立たないからなのですがね。
しかし、禁則は禁則なので、異声部間の禁則も厳密に対処するのが本当なので、Organとviolinのpartとの禁則が起こるとまずいので、細心の配慮が必要になります。

取り敢えずの叩き台の楽譜は、edition Petersの版を使用していますが、やはり、basso continuoのaussetzungは素人っぽくって、とても上手なaussetzung だとは言えません。

どっちみち、書き直すので、私に取っては、関係はないのですがね???

まあ、いずれにしても、この曲のvortragsのコンサートの日にちが決まっている分けではないので、のんびりやって行きます、・・と言っても、もう3部に分けた内の、T部を完成させてしまいました。(2月28日の内にです。)

finaleのsoftの悪口を何時も言っているのですが、オモチャにしても、実際の音でcheckが出来るのは、とても楽です。
但し、notationのsoftなので、音量とかは自由にchange出来ないので、そこいらは、やはりヘボいのですがね??

・・・てな事を書いている間に、未だ、2月1日の朝の9時前なのですが、V部も完成させてしまいました。
U部は、チョッと、身構えなければならないので、今日はもうやらない事にします。
目が限界に差し掛かって来たので、今日は目を休めないといけないからね??

と思って、2月中には、風呂にでも入って寝る予定でだったのですが、chatが入って来てしまったので、chatの相手をしながら、平行で一緒に作業をしていたら、(まあ、次いでに、)残りのU部の校訂も終わってしまいました。

・・と言う事で、F.M.Veraciniのpassacagliaは、丸々1日掛かりで、第T部から、U部、V部と全部終了してしまいました。
(28日の深夜から1日の朝に掛けての、18時間ぐらいの時間です。今年は閏年ではないのでネ??)


バテたぞよ??
今から頑張って寝込むぞよ??

ちなみに、叩き台にしたPeters版の元の譜面は、Cembalo用の譜面です。
私が入力したfinaleの楽譜には、右手のpartは入力されていません。
ですからPeters版を見ながら、それを叩き台(※)にして、Organ用の譜面を作って行きました。

(※)今、ふと「『叩き台』・・という意味が一般的には別の意味で解釈されるよな??」と思い付きました。
一般的には、「敲き台」というのは、それを元にして、その上に改定を重ねて行くという事になるのでしょうかね??
つまり、元の形をarrangeして推敲をする・・という意味ですよね??

それならば、basso continuoの「 bezifferten Bas」の場合には、「叩き台」という言葉は使えませんよね??
何故ならば、数字譜の場合には、basso continuoの上手な人に拠る右手の回答は、答えが同じになってしまうからなのです。

baroqueの鍵盤partの bezifferten Bas(所謂、数字付きBas)なのですが、一々、音符を書かなくても良い為の、作曲家の速記法なのですが、ジャズやrockのような自由さはありません。
jazzの場合には、chordは指定されていても、その配置迄の指定はないからです。

和音が決められているだけでなく、同時に、和声進行や、非和声音等の動きも細かく指定されているので、誰が解いても、大体同じような楽譜が出来上がります。

上手な人になればなる程、模範解答に近づくので、上手な人の書くbasso continuoは、誰が書いても、同じ楽譜になってしまうのですよ。

しかし、下手な人が書くと、それこそ、面白い回答集が出来上がります。
ヨーロッパの権威のある楽譜と言えども、この bezifferten Basに関しては、碌な回答はありません。
音楽学者やCembalistが回答を書くので、間違いが多くて困ります。
また、演奏効果も然程ではありません。

元来はperiodの演奏家達は自分で作るので、それこそ、叩き台にもしない場合が多いのです。

proの演奏家の場合には、baroque音楽の譜面は、出版されている楽譜を演奏する事はありません。
period奏法の場合には、それぞれの演奏家達が自分の演奏をするのがruleなのですからね。

出版されている楽譜に書かれているCembalo‐part等の楽譜を使用して、演奏するのは、一般の音楽愛好家か、未だ未熟な音大生ぐらいだけなので、proの演奏家達が参考にする事はないのですよ。

・・と言う事で、今、私が参考にしているPeters版でも、Petersの校訂者がちゃんと模範解答として、正しく回答出来ている所は、私が回答を作成しても、全く同じような譜面(回答)になります。

しかし、今回は、Cembalo譜として・・ではなく、Organの為の bezifferten Basなので、そのPeters版の bezifferten Basの回答が正しい回答だとしても、Organ用には使用出来ません。
全く新しく、編集、回答し直さなければなりません。

練習の過程で暫時、またまた、修正していくので、仮に、Peters版を参考にして bezifferten Basを書いたとしても、Peters版の面影は全くない、完全なAshizuka‐versionが出来上がる事になります。
叩き台があろうとなかろうと、 bezifferten Basの場合には、回答の違いはないのです。


今日は3月3日、雛祭り兼満月の朝9時前です。
朝の体重測定を終えて、Veraciniのpassacagliaを書き上げました。
Veraciniが書いているviolinのsoloのmelodieと対旋律のcontinuoのmelodieに対して、更にもう一声部を書き加えるのは、作曲家の腕が確かな場合には、その作曲家の書き下ろした声部が非常に強いので、非常に難しくなります。
作曲家の腕がそんなに確かでない場合や、多作で、書きなぐった兆候がある場合には、その声部は弱いので、新たに声部を加えるのは比較的楽です。

Veraciniは、BachやHandelに劣らない非常に優れた作曲家なので、もう一声部を書き加えるのは、至難の業でした。
なんと、3日も掛かったぞよ??
生音が撮れる迄の応急処置として、何時もの様にfinaleの音源でも、載せて起きますかネ??

https://www.youtube.com/watch?v=HzmyhX_iV7I

















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