「辺から点へ」のお話しは以前完成原稿として脱稿したものがあります。しかし他のワープロ文章と同じくフロッピィはおろか、プリントアウトした原稿も見つかりません。大量のワープロ文章の中に埋もれて紛失してしまいました。と言うことで反古のメモの中から、最低限の文章を起こしてみました。これはあくまで取り敢えず、と言うことです。元の原稿が見つかり次第、差し替えを予定しています。

 

辺から点へ

子供たちの譜読み等に対する指導の甘さ
 私は、よくlessonに行き詰った先生方に頼まれて、ピアノやヴァイオリンなどのレッスンのlectureに出かけることがあります。そして、先生達のlessonを聴講しながら、色々とcheckしてみたところ、「自分がどこをどう間違えたのか」を理解していない生徒達が結構、多く見られました。

 あるパセージに子供がつまづいた時に、私が生徒に「どこをどう間違えたの?」 と聞くと、『ここら辺を間違えました。』と、殆どの生徒達が答えます。

 その答えに対して私がもう少し突っ込んで 『じゃあ、ここら辺のどこなの。』と、質問を返してみると、それに対しては生徒達は、全く答えられませんでした。

つまり、「ここら辺」と言っている生徒達は、本当のところは、何処の所をどういう風に間違えたのかは、本当には分かっていない(理解してはいない)と言う事なのです。

当然、生徒は理解をしていないのだから、先生が幾ら熱心に、そこの所を毎回同じ注意をしても、次のレッスンでは、又、同じ間違いを繰り返し、して来る事になります。
そして、それは、先生の悩みを引き起こすだけではなく、その指導による結果、直接、間接の原因で、ピアノやlessonを受ける事が嫌いな生徒が育ってくる事の原因になってしまうのです。

しかしながら、私が先生達に、この「辺から点」のお話をした時に先生方からこういう反論をされたことがあります。

『間違えたのが分からないから、間違える』のだから『何処を間違えたか』を指摘できないのは当たり前なのではないか。

確かにそういった生徒を見かける事はあります。

@     曲を耳で覚える生徒

A     なんとなくアバウトで覚える生徒

B     しかし最も多いケースは、譜読みの出来ない生徒です。

言い方を変えると、譜読みが出来ないからアバウトになったり耳で覚えたりするようになるのです。

初級の生徒の場合には、音楽を学ぶ上でもっとも大切な事で、生徒にマスターさせなければならない事は、譜読みです。
上級になってくると、ただ単に音を読むだけではなく、音楽の持つ構成や構造、また音色などの表現も譜面から読み取らなければなりませんから。
それに、音楽大学の学生や、所謂、プロとして演奏活動をしている人ですら、譜読みに苦しんでいる音楽家が居る事は、驚愕的で信じられないけれど現実の話です。

いずれにしても、そういった間違えた学習をしている生徒は遅かれ早かれ、行き詰まってしまいます。
曲を耳で覚えて演奏している生徒の場合、弦楽器等では(伴奏がついていたとしても)半音位、音が下がっていても、平気で、気がつかないままに演奏している音大生もいます。
それは音を頭の中でコピーしているだけで、自分の音を聴いているわけではないからです。
「貴女は今半音低く弾いていたでしょう?」と指摘しても本人は自分の音を聴いているのではないので、理解出来ないのは当然です。テープに録音して客観的に聞かせることによって初めて自分の間違いに気がつきます。

 

辺から点の指導について

生徒が自分自身で「何の音を何の音に間違えた。」とか「何の指を何の指で弾いてしまった。」とか指摘できるようになることは生徒自身のみでなく先生にとってもより良いレッスン環境をもたらします。

 

まず一番目に上げられるのは、レッスンで譜読みに時間をかけなくてよいということです。生徒が上達すると、それににしたがって曲が長くなりますが、子供が自分でチェックが出来なければ、レッスンは譜読みだけに時間を取られてしまい、本来教えたい曲想や楽曲の分析にまで手がまわらなくなってしまいます。

二番目には生徒が本当にレッスンで指摘されたことを理解出来ているのか、漠然としか分かっていないのかを自己判断出来るということです。

 「辺から点へ」の指導に対しては、指導者側が気をつけなければならない(守らなければならない指導上の留意点)ポイントが幾つかあります。

沢山の先生のレッスンを見学していて思うことは、意識的にしても無意識にしても、生徒が弾けないポイントを先生が指摘してしまうと言うケースが非常に多いということです。先生が「ここら辺」を指摘しても、生徒がポイントを見つけ出せないとき、指導する側がなすべきことは、正しいものと間違えたものの違いを生徒に認識させることです。

私のレッスンは常にVTRで撮影していますので、生徒が自分で見つけ出せないときには何度も同じ場所を再生し、微妙な違いを聴き分けられるまで繰り返し反復して見聞きする事が出来ます。それでも分からない場合には、先生が生徒の間違えた通りに真似をして演奏し、それから正しいものを繰り返し演奏して聞かせ、その違いを理解させます。いったん理解できると、自分が間違えて弾いたときと、正しく弾けた時が分かるようになります。(だからと言って間違えなくなるわけではありません。)音が飛んでいるのが原因の場合や、音の間違いがいつまでも直らない場合には、「間違いの練習」と言うのをさせます。あるフレーズを敢えて間違う音を意識して(間違えたまま)弾かせ、その後正しく弾かせます。それを何度も繰り返し練習させます。これを私は「間違いの練習」とよんでいます。(特に弦楽器の場合の、音がフラットになる癖の矯正などに有効です。)間違えた音、正しい音の弾き分けが100発100中になったとき、2度と同じミスは犯さないでしょう。

 

「辺から点へ」の指導は、子供の自主性を育てるための指導法です。 子供たちが将来スランプなどに陥ることもなく、順調に育って行くためには、「曖昧さ」と「確実性」の違いを子供自身が自分で判断できるようになることなのです。

 

余談ですがオケ練習で通し練習が終わって芦塚先生が「それじゃ、各自でチェック!」皆が自分で間違えたところなどのチェックに入ります。しかし、始めてオケに参加した小さな子供は何処をチェックすればいいのか、何処を自分が間違えたのか分かりません。すかさず芦塚先生から「小さい子を見てあげて!」と指示が入ります。お姉さん達が小さい子の譜面を取り上げて「此処の所音を間違えてファで弾いていたでしょ。ここは弓使い違ったよね。」等等、指摘していきます。オケも年中、年長組み(小学校の年中、年長と言うわけ方とは違います。曲の技術に由る組分けです。)になると自分の間違いだけ出なく、周りの観察も的確に出来るようになります。また、「点のチェック」ができるまで上達した子供は、発表会で演奏を終えて退場してくると、まずこんな風に言います。「あーっ!! 6箇所間違えちゃったー!! 48小節目のラが滑っちゃったのと、52小節目のシ♭を忘れたのと、65小節目のドの音を・・・・・・」

 

             後書き

「辺から点への」お話しは(これも紛失した原稿である)「うる覚え(うろ覚え)のお話し」や「ピアノと成績」などと密接なつながりを持っています。自分の子供がどう成長して欲しいか、しかしその望には常に矛盾が付きまとう事もお話しました。子供の性格付けでうる覚えが気持ち悪いと思えるような性格に育てる事が、楽器の上達のみならず、学校の成績や子供や親の夢をかなえるためのもっとも大切な要因になると思います。「うる覚え」とは言っても、自分が覚えていることがアバウトなのか正確なのかを理解出来るようになる事は、大人にとっても難しいことです。