舞台での表現
                    (ビブラートについて)
ある日、小学校4年生の美音子ちゃん(仮名)が、芦塚先生のヴァイオリンのレッスンを受けていました。美音子ちゃんはビブラートを習い始めて半年程経っていました。
「そんなビブラートじゃ、お客さんには聞こえないよ!そういうビブラートのことを、僕は小波(さざなみ)ビブラートと呼んでいるんだよ。もっと大きくゆっくりビブラートをかけなくっちゃ。」と芦塚先生が言うと、「でも、これ以上大きくビブラートをかけると、音がグワングワンってなって変な音になっちゃうんですけど…?私にはこれぐらいで綺麗なビブラートに聞こえるんですけど。」と、美音子ちゃんは怪訝そうに言いました。
「ああ、音の遠近感に引っ掛かっているんだね。じゃあ、ちょっと面白いお話をしてあげよう。」
そこで芦塚先生は美音子ちゃんに、次のようなお話しをしました。


                   (左甚五郎のお話)
江戸時代にね、左じんごろうという名工(名人の大工さん)がいたんだよ。日光の東照宮だとか他にも色々な日本の文化的財産となるような建物や彫刻を沢山作った有名な人なんだ。どういった作品があるかは学校か図書館でしらべてごらん?なぜ左じんごろうと言うかというと、左手を使うのがとっても上手で、左手も右手と同じように器用に使いこなせたから皆がそう呼ぶようになったんだよ。建築や彫刻の天才と言われていた人だけど、ちょっと変わったところのある人でもあって、それでも有名だったんだ。


ある時、江戸の将軍様が日本中から天才建築家達を集めてその腕を競わせようと考え、とても大きな釣鐘を吊るす建物の四本の桂に竜の彫刻を彫らせて、江戸中の人達にどの彫刻家が一番かを決めさせようということになった。当時の建築家は彫刻家も兼ねていたから、建築家というのは細かい細かい彫刻を彫ったりとか、絵画的なセンスも持っていたんだよ。

日本国中から集められた4人の彫刻家達は『自分こそが日本一の大工だ。』とそれぞれ竜の彫刻を彫りはじめた。みんな一世一代の腕の見せ所だからと、丁寧に丹精に細かいそれはそれはすばらしい竜の彫刻を彫ったんだよ。江戸の町民たちも「さすがは日本を代表する棟梁(大工の親方)達だ。」と感心して見物していた。
ところが左じんごろうさんの所にきてみると、じんごろうさんは、いったい何を思ったのか、とても竜には見えない、まるででっかい松ぼっくりのおばけのようなものを彫っていたんだって!見物に来ていた皆は「じんごろうさんはふだんから変な人だとは思っていたけれど、とうとう気でも狂ったのかな?」と噂していた。やがて彫刻され出来上がった竜は高い高い台座の上の鐘撞堂の四本の柱に巻き付けられて、一般の人に見えないように紅白の幕で隠されてしまった。それからいよいよ四人の名工達が作った竜を一般の人々に公開する日がやってきた。日本一の彫刻家は誰なのか、自分の目で確かめようと、江戸の近郷近在から何万人もの人々が集まってきた。石積みの高い台座の上にある幕のかかったその4本の柱の鐘楼に皆の注目が集まった。
いよいよ開幕です。
幕がパラリとおとされると大勢の人々はびっくりしてしまった。
どうしてかというと、近くで見たときにはすばらしい竜に見えた3人の名工達の竜は、遠く離れた観衆からは、小さなみすぼらしい青大将にしか見えなかったんだ。
ところがじんごろうさんの彫った竜は、一番遠くの見物客からでも鱗の一枚一枚がはっきりと見え、生き生きとして、今にも天に登っていきそうな立派な竜に見えたんだよ。その時初めて見物に来ていた江戸の町民達は、なぜじんごろうさんの竜が松ぼっくりのお化けじゃないといけないのか、という意味が分かったんだ。「やっぱりじんごろうさんは大変すごい人だ。」と改めて感心した。んだとさ!!
所がこの話には後日談があって、『その左じんごろうさんの竜は夜な夜な近くの池に水を飲みに鐘楼から下りてきて、そのうちに本当に天に登っていってしまったそうな。』  本当かどうかは知らないけれど。
「え〜、今のお話ほんとの本当のお話って思って聴いていたんだけど、物語なの?」
う〜ん、竜が水を飲みに来たり、天に登った、というのは伝説だろうけれども、本当は鐘楼は火事で焼けてしまったらしいんだ。


さてこれからが音楽のお話になるんだけれども、演奏家っていうのはね、この左じんごろうさんと同じように、お客さんとの距離というものを常に考えて演奏しなければいけないんだよ。美音子ちゃんの耳元でとても綺麗なビブラートが聞こえていたとしても、お客さんとある程度の距離があると、、小波(さざなみ)のように、或いはぶ一一んといったモーターの振動のような響きにしか聞こえてこない。近くで見てとても立派な竜が離れてみると青大将のように見えてしまったように。一流の演奏家は、30人位のサロン・コンサートの時と、五百人位の小ホールの時と、二千人を越す大ホールの時とはビブラートや、ダイナミック(強弱)などの幅も変えて演奏するんだよ。基本的にはテンポに関しては、ホールの大きさとはあまり関係ないんだが、それでも少しはホールが大きくなるとオーバーにしなくては行けないんだよ。
歌舞伎役者の玉三郎って知ってる?
「・…?知らない。」
歌舞伎っていうのは聞いたことがあるでしょう?
歌舞伎役者っていうのは、女の人の役も男の人がするんだよ。それを女形(おやま)っていうんだけどね。女形の人は女性らしいしぐさを徹底的に研究してね、お化粧をして舞台で女の人の役をしているときは、本当の女の人よりももっと、女らしいくらいなんだよ。それでね、ある人がね、「うちの娘が年頃になったのに、全然女らしくならないから、玉三郎さんのところに弟子入りさせて女性らしいしぐさを教えてもらえないだろうか。」って聞いてみたんだって。だけど、それに対して玉三郎さんはこう応えた。「私がやっている女らしさというのは、いかに舞台の上で女性らしく見えるかというしぐさですから、それを普段の生活の中で真似をしたら、おおげさすぎてとてもおかしく見えてしまいますよ。」
玉三郎さんが言うように,役者さん達もちゃんとお客さんとの距離を考えて演技をしているんだよ。舞台の上では自然で素敵に見えることも、近くで見るととってもオーバーな大きな動きなんだよ。分かったかな?さて。


だから、ビブラートもそうだけど、フォルテとかピアノなどの強弱だとか、或いは音楽上の表現だとかは、舞台の上では自分が思っているよりもオーバーにやらないといけないんだ。
舞台ではどれぐらいオーバーにプロの人が体を使っているかを、簡単に知る方法があるんだよ。
ビブラートの場合、一つはテレビ等を使って、テレビに映っているプロの演奏家の
手の動きの幅と同じ幅で自分の手の動きがテレビに映るように、ビデオに自分のビブラートを撮ってみる、ということなんだ。
テレビの場合、画面が実際よりも非常に小さいので、プロの演奏家は少ししかビブラートに対しての手の動きの幅をかけていないように思いがちだけど、同じ幅になるように自分でビデオに映す場合には、非常に大きくかけなければ同じ
にはならないんだ。捨て弓やピアノの手を上げる位置などは、手首や指先が演奏者の体のどの部分まで上がっているかで、その位置を正確に掴む事が出来るんだよ。

〔一流の演奏家のビデオをつける〕

ほら、このパセージでは、捨て弓を頭の上まで持っていっているだろう?
〔美音子の頭の上に、弓を持っていかせる〕

「えっ?こんな上まで弓がくるの?」
でもビデオで見てる限り、変じゃないでしょう?
「うん、とっても、かっこいい!」
そうだよね!
そのまま、芦塚先生はレッスンに入りました。以下略
追記
このコーナーは、レッスンのコーナーではないので、ビブラートそのものについての説明はありません。しかし、芦塚先生はビブラートを分かりやすく説明するために、色々なビブラートについて名前を付けています。その一部をご紹介すると、
@先ほどのお話にも登場した「さざ波ビブラート」
A痙攣ビブラート
Bそれが更に末期症状になってくると「チアノーゼビブラート」
 等等です。