女性の仕事と結婚について

 

芦塚音楽研究所のホームページの中の私の教育論文を読んだ大学生から「音楽の指導者になるためには結婚してはいけないのか?」と言う質問を受けました。

 

当たり前の事ですが、私としては「女性は音楽を職業とするなら、結婚をしてはいけない。」といったようなお話はいっさいしてはいないし、勿論そういったことは、考えてもいません。

私が常日頃、「女性が何らかの職業を持つという事が日本の社会においては如何に難しいか」という事を述べていたので、それを私が女性の結婚を否定しているように勘違いされてしまった、という事なのでしょうね。

その女性が仕事を持つ事の大きな枷になっているのが「日本社会の持つ女性の結婚ということに対しての考え方」なのです。
この文章を手直ししている最中にも、ある程度、知名度のある女性が、 「私もいい年なのに、結婚もしないで親に迷惑をかけているので… 」という風に話をしていた。
今の時代になっても、ちゃんと仕事をして、「功なり名遂げている」という女性であっても、やはり女性という足枷で、結婚に対しての意識は変わらない。
女性というのは、結婚をして、子供を産んで、育てて・・・なんぼの世界なのだ。
結婚ではなく、仕事を取ってしまった女性たちが、罪の意識にさいなまれているのを見るのは悲劇である。
世界経済フォーラムによると日本の女性の社会進出は日本は75位で先進諸国の中では最下位であった。それでも前年度の98位からは改善されたものの、女性国会議員の数が105位、高等教育への進学率が98位、賃金格差99位就業率格差が83位と先進諸国の中ではダントツに低い水準であった。
日本人の女性の立場は、世界的に見ても、後進国の中でのダントツに遅れているのですよ。

という事で、この際、大学生のご質問の「音楽を職業とするなら・・・」などという回りくどい言い方より、もっと一般的に「女性が職業を持つということについて、社会がどういった反応を示すか」と言う事についてお話をした方が分かりやすいと思いますので、そのようにこのお話を進めて行きたいと思います。

 

質問をした人がまだ大学生では、現実に社会人としての活動をした経験はないので、実際の社会的な軋轢、(女性が仕事を結婚しても続けたいと考えている場合には、日本の社会では、決して女性に対して思いやりのある社会ではないと言う事)は本当には理解できないのではないでしょうかね?

まずそこのところの説明からかな?

 

私自身は教室の生徒達や保護者の方達に対して、こういった種類の問題を提起した事はないし、また扱った事もありません。
何故ならば、芦塚音楽研究所の音楽教室で子供の頃から育った生徒にとっては、教室は職業訓練(職業学校)としてのイメージが強いし、音楽を職業として捕らえている人が多いので、私の教育論文を読んだとしても、あまりそういった風に仕事と結婚を対立するものとして解釈する人はいないのです。
ですから、今回の質問のように、私の研究論文を読んで、「私が女性の結婚を否定しているという風に解釈をされることもあるのかな?」とちょっとビックリしているのですが、よくよく考えると、教室の生徒や保護者の方達ではなくて、一般の人達にとっては、私の論文をそういう風に、厳しく、ストイックに読み取る人もいるのかもしれない・・・という風に思い直して、少し補足説明をさせてもらうことにしました。

この「まえがきの文章」も、もう既に、誤解を招きやすいので、更に、補足説明をさせてもらうと、
当然ながら、私達の音楽教室で育っている子供達が、全員、音楽の道に進むわけではありません。
寧ろ、殆どの生徒達は、ピアノやヴァイオリンを単なる趣味として、教養の一環として勉強をしているに過ぎません。
という事で、私達が生徒や父兄に対して、音楽に進ませるか、一般の大学に進んで音楽を趣味させるか、或いは、早い時期に結婚をして、家庭に入るかを、教室が介入する事は絶対にありません。
一般の教室の先生達のように、優秀な生徒に対して「あなたは、とても才能があるから、音楽の道に進んだら??」と、adviceする事は絶対にないのです。
もし、親や生徒自身が、教室の先生にその一言を言って貰いたかったとしても、なのです。
それは、その生徒本人の人生の全てを決断する事であって、先生の立場では勿論の事先生として、ではなく、本当ば親でも介入すべき事ではないと考えています。
世界中の子供達は、親ではなく本人自身で決めている事なのですからね。
そこの決断を親に相談するのは、実は日本人だけなのですからね。

教室の生徒達は、結構早い時期に、音楽に進むか、音楽を趣味として、勉強の息抜きとして楽しく付き合って行くかを、決断します。
そこの所は、子供達、一人ひとりの一生を決める問題ですから、子供達から相談があれば、音楽の実情や目的と歩むべき道の整合性は詳しく説明をしますが、それで結論を促すことはありません。
その結果、どういう選択をするかは、その一人、一人の考え方によるものですから、あくまでも、その人の考え方を優先して判断をしています。
と言うわけで、「私は音楽を人生の息抜きや楽しみとして置いておきたい。」とか、「いや、私は日常が全て音楽だったら幸せだわ!」とかの価値付けは、本人の考え方で自分自身で決めた事なので、ブレがないのです。

女性の仕事の話に戻って、
私がまだ若い頃や、私の母親の時代は、女性は大学を卒業すると、仮に働いたとしてもせいぜい1,2年働いて、そこで男性と知り合って、結婚をして、寿退社で家庭に入り子育てに専念する。まあ、その後仕事すると言っても、子供が学校に行くようになって子育ての手間がかからなくなったら、スーパーや家庭で出来る片手間仕事を見つけてバイト的に家計や教育費の足しにする・・・・当時の女性の自身の仕事観と言ってもせいぜいその様なものでした。

女性自身の仕事に対しての意識がそれぐらいしかないのであれば、当然男性達が女性と一緒に責任のある仕事をすることを毛嫌いするのは当たり前の事ですよね。

でも私達の若い頃、昭和の30年代頃から40年ごろにかけての年代といったら、女性の仕事に対する意識もその程度だったのですよ。

そういった片手間的な女性の仕事感が、当時は逆に本当に仕事として働きたいと思っている女性の社会的な立場を悪くしてきた事も事実なのです。しかし、別の言い方をすると、女性達がそう考えなければならないほど、私達が若かった時代には、まだ女性が出来る(片手までない本格的な)仕事はそんなに多くはありませんでした。

ですから一概にその責任を当時の女性に向ける事は出来ないのです。昭和20年代や30年代は、戦争で夫を失った妻や、子供をなくした母親がたくさんいました。それなのに、女性が出来る仕事は殆どなかったのです。「どうやって子供達にご飯を食べさせようか?」「年老いた老人である私は、どうやって今日のご飯を食べれば良いのか?」当時の女性達にとって、それはそれは、今では考えられないほどの大変な時代でした。

仕事と言うものは男性のものであり、女性には責任のある仕事は出来るわけはない。機能的にも女性は家庭にいるべきだ。そう男性も女性も考えていた時代だと思います。

そういった男性社会の中から、やがて女性が男性と肩を並べて仕事をするようになった歴史は極めて浅く、日本ではやっと昭和40年代の後半から少しずつ、少しずつと、まだやっと40年程度の年月を過ごしただけの、とても歴史と呼べる年月を過ぎたわけではなく、まだ日も浅く本当に社会に認められたわけでもないのです。

 

私の友人の会社でも、早くから音楽大学の卒業生を一般事務で雇っていますが、社長である友人の考えによると、音楽大学の卒業生は一般大学の卒業生と違って、礼儀作法はちゃんと出来ているので教育する必要が無く、即、受付の戦力として使える。しかし、その反面、プライドが高いので、お茶汲みやコピー作業、電話の応対だけではとても満足が出来ないので、半年や1年ぐらい経つと、直ぐに会社を辞めてしまう。そうすると、会社としては、年功序列で昇給した高い給料を支払う必要はないし(いつまでも初任給のままで良いし)、いつも若くてフレッシュな新しい女の子が会社にいるので、「今度はどんな子がいるのだろう?」とクライアントの受けがすこぶる良いのです。

技術職の、線や図が描ける美大生などは、接客などをさせると嫌がるし、技術職なので早々辞められると困るので、そういった雑用は、有名女子大に限るそうです。

また、音楽などの芸事を音楽大学などで学ぶ女子大生は、音楽に対して職業と言うよりも、お金持ちのステータスとして学ぶというイメージが強く、その為に女性が仕事をするというキャリア・ウーマンとしての考えがどうしても希薄になります。

 

また、一昔、ふた昔前には「芸事を学ぶ事は、手に職をつける」という考え方と同義語だったのですが、今の子供達は段階の世代の父兄達の子供達なので、受験をして、より良い有名校に進学する、と言う考え方はあっても、手に職をつけるという考え方はありません。その為に。親も子供も「就職をする。」とか言う「職業というものに対しての意識」を持つ事はありません。あったとしても非常に希薄です。

 

話が長くなってしまったので、結論的に言うと女性が仕事をすることが、「家計を助ける」「子供の教育費を稼ぐ」「家のローン・・・」等等の理由ではなく、女性自身の「人間としてのi dentityの為に働く」と言うようになったのは、本当に今の今の時代の話なのです。

 

もし、貴女が結婚前で、恋人がいるのなら、「男性と女性は人間として対等なのか?」と言う事を、貴女の彼に聞いてみることをお勧めします。大半の男性は「えっ〜!えと・・、et・・・」と取り乱して、「男性と女性は体の機能的に平等ではないから・・・」とか平等でない事を正当化するためにいろいろ弁解してくるか、開き直って、「違うのは当然ジャン!」とか宣言するのではないのでしょうかね。

そういう風に言ってくる男性は、要するに男尊女卑の儒教型の「日本型の男性」と呼んでいるタイプの男性です。

 

しかし、私は此処で日本型の男性を否定し、批判しているわけではありません。それはなぜかと言うと、本当は、「日本型の男性」より「日本型の女性」の方が絶対数が多いからなのです。

日本の女性の多くは男性に尽くし、子育てに専念する事を生涯の夢としています。ですから、日本型の男性と結婚すると幸せな結婚生活を送る事が出来ます。

日本型の男性は女性を庇護し、家族を養うことを義務とする。それはそれで当たり前で、問題はありません。

通常、男性は自分が一生懸命働いて経済的に充実した生活を保障し、或いは日常の生活を精神的に指導力を発揮していけば、女性は喜んで見返りとして自分に尽くしてくれて、家庭を守ってくれると思い込んでいる。また、これまでの時代では、日本型の女性自体もそのように思っているので、社会的には何の問題も起こらなかったのです。

小学校の女の子に「将来何になりたいの?」などと聞くと「お嫁さん!」と元気よく答える子供が大勢います。
でも不思議な事に「お婿さん。」と答える男の子はいませんが・・・。

で、そう言った子に「では、主婦になりたいンだね。」と言うと、「嫌だ〜!主婦にはなりたくないよ!!」と、必ずといっていいほど同じ答えが帰って来ます。

「お嫁さんというのは、結婚式を迎える女の人を言うンだよね。『だから君の将来の目的は・・・?』と聞かれて『誕生日』、とか、『お正月』と答えることと同じだよね。」と言うと、「あっ、そうか〜!でも・・・、やっぱり主婦は嫌だな〜!」と必ず答えが返ってきます。

ブライダルの華やかな結婚衣装に憧れる事はあっても、現実的な主婦の生活は夢には程遠いのです。
勿論、これはあくまで小学生、中学生(?)位の年齢のお話ですが・・・。

と思っていたら、何と音楽大学の学生も同じように答えている学生がいました。勿論、「じゃあ、主婦になりたいのだね??」と聞くと、「主婦は絶対に嫌」と、小学生と全く同じ答えが返って来ます。
どういう、こっちゃ???

まあ、社会性のない音大生の話は放っておいたとして、高校生や大学生ぐらいになってくると、話は全く変わってきます。
つまり、「結婚をしたい。」と言うことよりも「彼氏が欲しい!」ということが最優先になり、結婚はあくまでその結果という事になります。
 

「人間として、勉強して来た事を活かして行きたい。」「仕事をして、自分としての i dentityを育てて行きたい。」
「彼氏は欲しいけれど、結婚をする事で、仕事を続ける事を諦めたくない。生活を束縛されたくない。」と考える女性が増えて行きました。
その結果と言えば、当然ですが、未婚女性の増加のみならず、20代から30代の後半までの結婚したての出産適齢期の女性の離婚率が、これまでの3倍近くになってきました。勿論、その背景には、女性が一人でも、子供を育てていけるという女性の仕事上の立場の変化があります。

厚生労働省の人口動態統計2002年版によれば、離婚件数は28万9838組で、前年の28万5911組より3927組増加し、離婚率(人口千対)は2.30、前年の2.27を上回り、離婚件数とともに明治32年以降最高となったそうです。結婚が42秒に1組なのに対して、1分49秒に1組が離婚していることになります。
●定年前後が危険?
中でも注目は、結婚10年未満の離婚が対前年比で減っているのに比べて、10年以上から35年以上までの世代でいずれも増加していること。

≪離婚件数と伸び率≫
10〜15年未満  約39,000組  対前年比5.9%増
15〜20年    約27,300組    〃 4.2%増




そういった現状は、必然的に少子化や、高齢出産という社会問題を引き起こしています。
勿論、政府もそういった現状を危惧して、色々な対策を考えたのですが、政府の対策は全く、的外れな対応でした。

それは、政治家の女性に対しての意識が、前近代的な儒教的な意識のままで、女性の置かれている現状を見ようとするからです。
それが一番、よく表れている話があります。
それは柳沢大臣が女性に対して、苦言を呈した時に言った話に表れています。

「15歳から50歳の女性の子供を産む人数は決まっている。女性は産む機械で産む人数は決まっているから、・・・」という一言が社会に物議を醸したのは、そんなに昔の事ではありません。

結婚について一般的に、普通によく言われる言葉があります。
「とにかく一回結婚してみればいいのよ。それで気に食わなければ分かれればいいじゃない?」

しかし、現代の日本社会では、まだ離婚した女性に対しては風当たりが強いです。
ましてや、子持ちになるとね。
そして「気に食わなければ、別れれば良い」という事を言った同じ人がこう言います。
「ご近所に恥ずかしいわよ。」それからはひっそりと、なるべく目立たないように暮らさなければなりません。
それでも、ご近所のうわさは消えません。
これが10年経った後にでも、「あの人は離婚した、出戻りだから・・」という、差別はなくなりません。
そして、次のお見合いの機会でも、「あなたは出戻りなのだから、そんな良い条件は言えないでしょう!!」と、余りのおこぼれを強引に押し付けられるのですよ。
それで、「一度、取り敢えず、結婚してみればいいのよ!気に食わなければ・・・」とよく言えたものです。
世間の親切の押し売りは、無責任なものですからね!!


しかし、現代ではそのように考える女性は60%程度に減っています。

「まぁ、バイト的に日常生活が単調にならない程度になら、主婦のバイトもありか・・?」などと考えている男性も、この60%の女性である奥さんとの間なら何の問題も無いのです。

今までの女性と同じように女性が全て日本型の女性であるならば、結婚しない女性の話も、今年もまた大きな問題になっている熟年離婚も、或いは少子化の問題も、そう言った問題は起こりえないのですよ。

しかし、この60%の女性の考え方が、逆に働く女性の立場を弱くしてしまっているということは否めない事実でもあります。

正確な数字は分かりませんが、今現在多分90%以上の男性が日本型の男性であろうと思われます。(この数字については、根拠はありません。)

それに対して、日本型の女性のパーセンテージは、先ほどは60%と書いていましたが、実際には、現在はこの数字はかなり下がってきていて、単純な計算上では40%を切って50%に迫る勢いであります。(この数字については男性の場合とは違って、10代の後半から70歳ぐらいまでの女性の就労率や結婚の率、一世帯あたりの年齢と子供の数、等々を読み取る事によって、かなり詳しく分析する事が出来ます。)

それによると現代の女性は、生活のためや、家計を助けるためではなく、男性と同様にライフ・ワークとして仕事をこなしていきたいと考える女性が増えていることを表しています。

しかし、私が先ほど日本型の女性の%をあえて60%としたことについては、実際に働く事を希望する女性の%が単純計算では40%を切るであろうということを言いましたが、それでも女性としては、ある程度の年齢が来ると、現実的に結婚や妊娠や子育ての問題が直接的な障害となって、働く事を諦めざるを得なくなって、約20%ぐらいの女性達は自分が社会で仕事をして行く事を諦めてしまうという現実があるからなのです。
その為に本当の意味で、i dentityを求めて社会の中で活動を続けていく女性は40%を越す事は無いであろうと思われます。

世界中の男性の憧れの的である「日本型の女性」の夫に対して従順で貞淑な妻であることを(今の女子大生に質問して本当に驚いたことには、今の若い女子大生達は貞淑や貞節と言う言葉自体を本当に知らないのです。)夢見る女性の場合には、日本型の男性は一つの理想の男性像になります。つまり日本型の男性と日本型の女性の結婚は、幸せな結婚であると言えるのです。
ですから、私にはそれ自体を否定する理由はありません。

私の論文は女性の仕事のあり方について書かれているので、今、現実の男社会の中で「男性に対して甘えている女性」は仕事人間としては必要ないというお話をしているのです。
つまり、「仕事には男性も女性もその性差はない」という事を言っているのに過ぎませんし、女性であるから許してくれるというクライアントもいないはずです。

ですから、私のお話は残りの40%の女性にとっては当たり前の話にしかならないのです。
別に私がこういうお話をしたからと言っても、それを厳しいと感じる女性はいないだろうし、それが普通で、当たり前、としか思わないでしょう。

でも、もし私のこのお話を読んで、貴女がこのお話が少しでも「厳しいな」とお感じになるようでしたら、貴女は職業を持つi dentityのあるタイプの女性ではなくって、世界中の憧れの貞淑で従順な日本型の女性だということなのです。

ですから、なまじ「仕事をしてみようかな」と思われるより、料理、洗濯、お茶、お花と言った花嫁修業の勉強をされることを、お勧めします。
それは、決してあなたの事を愚蔑して、揶揄して言っている分けではないのです。
そういった、日本型の女性は、世界中の男性達の憧れの的であるからなのです。

しかし、女性が自分で働く事にi dentityを感じて、社会に奉仕する事、仕事をする事を生きがいとして生きて行きたいと考えるのなら、こういった日本型の男性の考え方とは相容れないことになってしまいます。

都会ではヨーロッパ型の自立型の女性は地方よりはなるかに多く、60%以上の数になります。
働いている女性の大半はアイデンティティの主張として仕事を持っています。
しかし問題は女性にあるのではなく男性の方にあるわけなのです。
「結婚したい」と思っている男性の90%は日本型の考え方で、女性が家事全般(所謂、掃除洗濯、と料理や夜の営み)と子育ての全てをやってくれないと、結婚する意味がないからなのです。

女性が結婚をして、それでも社会で働き続けるためには、男性の協力が必要なのです。
つまり、女性を女性としてではなく、人間として対等に尊敬して見てくれる人、「女性だから掃除、洗濯は当たり前」と言う人ではだめなのです。
ましてや子育てともなると、女性だけに責任を被せるのは無理な話と言わざるを得ません。

「僕は家事を手伝っているよ。」と言う旦那に、「じゃぁ、今日、あなたは何回子供のオムツを取り替えたの?」って一節が、内田春菊さんの本に載っていました。

日本社会ではたった一回子供のオムツを替えただけでも「良い旦那じゃない!」と言う事になってしまうからね。

旦那は仕事で泊まりになっても、当たり前としか思わないだろうけれど、奥さんが仕事で泊まりや出張になると、家庭内では大変なことになるのではないかな。

奥さんの単身赴任なんていうのはありかな?
大体、女性の寿退社はあるのに、何故、男性の寿退社は無いのかな?

女性が仕事をしながら、結婚をするためには、家事や子育てなども平等にやってくれる男性でなければなりません。
それを一生懸命に、愛する貴女の為にやってくれる人ではなくって・・・・(一生懸命と言うのは、どこかに無理があって、必ず破綻をきたすからです。)それが当たり前であると感じれる人で無ければ、日常生活を日常として生活していく事は出来ないのです。

仮に、私達はそういった男性を、便宜上、「欧米型の男性」と呼んでいますが、実は欧米でも田舎の方に行くと、殆どの男性は所謂「日本型の男性」なのです。勿論、女性の仕事は昔と変わりませんしね。

但し、世界の先進国では、国を指導する大統領ですら女性がなる時代なので、そういった旧タイプの男性は欧米ではだんだん少なくなってきていることが現実です。

また一般には、そういった欧米型のタイプの男性は、現代社会の若者世代の考え方だと思われがちですが、実はそれは正しくはありません。
「自立した男性」ということなので、年齢に関係なく100年前も千年前も、どの時代にもそういう男性はいたのです。

但し、時代が遡れば、絶対数が少なくなるのは、当然ですがね!

今の大都市でも、そういった自立をした男性にめぐり合うチャンスは本当に少ないと思いますよ。

と言う事で恋愛のときに相手の男性が何を言っても信用しないようにしましょう。

「釣った魚にえさはいらない。」と言うのが男性の口癖ですから。
常に男性が望んでいるのは「絶対的な支配」と言う事なのですから。

此処まで来れば、私が「働く女性は結婚してはいけない。」と言う事を話しているわけではない、と言う事はもうお分かりでしょう?

女性が働く事をライフ・ワークとして考えるのなら、「結婚相手を探すことは非常に難しくなるのだ」という話をしているだけです。

 実際上は、多くの女性達が、めんどくさくなってしまって、まあ、一言で言えば、「そんな男を捜す暇があったら、仕事をするわ。」「結婚なんてしないで、恋人を持てば、一人に貞節を尽くすこともないし、楽だわ!」という事になってしまいます。その結果、未婚女性、晩婚女性が増えてしまうのですよ。

と言うわけで、女性の結婚率がどんどん下がってしまうのも当たり前です。

日本型の古いタイプの政治家はそこのところがどうしてもよく分からないので、「女性は産む機械だ!」なんてついつい「男性の本音」を漏らしてしまうのです。そういう事は、大人の男性なら、思っていたとしても、口に出しちゃいけないのですよ。
ハッ、ハッ、ハッ!

私は今、定年を迎えている団塊の世代よりも少し前の世代に属するので、潜在意識的には、古いタイプの日本型の男性であると思っています。

しかし、私は音楽を学ぶ生徒達に職業としての音楽を指導している関係上、あくまで仕事をすることを望んでいる女性を擁護する立場を採らざるを得ません。

と言う事で日本型の男性に対しての当たりが厳しくなって見えるのかもしれません。

一般の人が私のホームページを読む場合には、「女性の仕事を考える上での啓蒙」と言う立場で読む場合と、仕事をするということと関係なく、「女性が結婚するには」と言う考えで読む場合には、こういう風に、話が逆転してしまいますよね。

儒教的な社会は、男にとってはすこぶる都合の良い社会でありますが、女性にとってはいかがなものでしょうかね?

・・・・果たしてどうでしょう?

儒教的な社会では子供を作る(子孫を残す)と言う事が全てに優先します。
ですから、日本の場合にも結婚は、「子孫を残すために、結婚する」いう事がいえます。
会社で上司から言われる事は、「君もそろそろ身を固めて、社会的信用を得ないとね。」「私の知り合いにいい子がいるから、結婚しなさい。」
それで、上司の紹介だからといって、喜んで、ほいほいと結婚する。
お見合いというsystemは、日本の独自のsystemです。
それを言うと、殆どの日本人が驚いてしまいます。
「じゃあ、異性と知り合う機会のない人達はどうするの?」
日本のように、結婚相談所も所詮は、他人に自分の将来を任せる事です。
そんな、恐ろしい事は、ヨーロッパの人達には理解出来ないでしょうね。
何時、寝首をかかれるか分からない人を自分の伴侶にする。しかも、それを、責任の無い赤の他人の業者に委託する。それは、絶対的な信頼、信用です。
日本の社会でも、徳川家康が儒教の思想を取り入れるまでの、戦国時代の日本人にはとても、理解出来なかったでしょうね。
奥さんは敵国のお姫様で、ちょっとでも油断をすると、何時寝首をかかれるか分からなかったのですからね。
その人をよく知って、本当に愛して、結婚するのが普通の事だと思っている私には、自分の伴侶を人に決めて貰うなんて事は、信じられない話です。
「一緒に暮らしていけば、自然に愛が芽生えるものだ。」
それは違いますよ。それは「馴れ合い」であって、「愛」とは呼ばないのですよ。
所謂、日本人は結婚して家族を作り子供を作るために結婚するのであって、愛して、尊敬して、認めているから、結婚をするのでは、ないのですよ。

本来、結婚とはお互いを愛し、尊敬し助け合おうとするから、共同の生活をするのであって、相手の遺伝子と自分の遺伝子を半分ずつ持った子供が欲しいから、子供を作るが本来の姿である筈ですがね。

「子供は欲しいけれど、姿、形、性格は、亭主には似ては欲しくない。」なんて言ったら子供がかわいそうでしょうが!
結婚できるのなら、誰とでもいいのかね?

誰でもいいと思うから、精子バンクなんかがはやるんだよ!
それなら、DNAが他人のものでも、jealousyとか、男と女の軋轢に悩む事は無いモンね。

そういった意味では人間は野獣にも劣ると言いたいのだが、野獣が気を悪くするかな?
全ての動物の雌は自分の気に入った雄としか交配はしないのでね。
そう言う意味では、動物の方がはるかに人間より愛を知っているのかな?
人間は交配する時期も、相手も誰でもいいんだもんね。

人間が自然界で生物の頂点に立った理由は、年中繁殖している事と、何でも食べる事の二つだって知ってた?
人間の男性のpenisが松茸型をしているのは、交尾する相手の女性の胎内に残っている他の男性の精液を掻き出して、自分の精液だけを残すための型なのだっていう事は知っていた??
ピストン運動を長時間やるのは、別の男性の精液を確実に外に掻き出してしまうための作業なのだよ!!
要するに、penisの形状からも、年中繁殖している、という事でも、人間は自然界に於いては、所詮、一夫一妻制ではないということなのだよね。一年中繁殖している理由もそれで、頷ける!!
そのために、儒教のような厳しいモラルが必要になるのだよ。
それがひいては結果として、自分の家としての血統、所謂、血筋を守る事になるのだよね。
だから、日本社会では、女性の仕事を認めようとしないのだよ。
お後がよろしい様で・・・!!
アッ、ハッ、ハッ、ハッ!

(ホームページ参照)

 

07年8月脱稿

江古田一静庵にて

拝  一静庵寂鬱