記憶について No.2・・・に代えて 取り敢えずの叩き台の草稿 :参考までに


記憶について補遺

文学型記憶とパターン認識型記憶

人間の記憶の方法には、「文学型」もしくは「日本型」と、「パターン認識型」の2種類の記憶法があります。前者は、文章(お経)を覚えるように、一節一節を一つの流れとして覚えていく方法で、後者は図形的に絵を見て覚えるような方法です。私どもが研究し、子供たちに指導しているカリキュラには、この後者の「パターン認識型」を応用しています。音楽は一見順に流れを追っていくお経のような要素が強いように思われがちですが、実はそうではないのです。

何度もレコードを聴いて真似したり、繰り返し何度も練習して指だけで覚えていく「文学型記憶法」は、その中の一つを忘れてしまうと、後の残りの音符が全く思い出せないという欠点をもっています。文章等の記憶も同じです。たった一つの簡単な文章の、なにがしかの単語が出てこなかったばかりに、残りの膨大な文章が全く思い出せなくなるという事があります。文学型記憶によって覚えたものは、理解をするにしても、理解をしたものを修正していくにしても、非常に大きな苦労を伴います。例えば「25小節日の3拍日の音が違っていましたよ。」と注意しても、曲の最初から弾いていかない限り、25小節目を思い出すことができないからです。次第に先生からの注意が聞けなくなり、自己中心的に凝り固まりやすい、という非常に大きな欠点を持っています。

それに対して、いわゆる「映像認識型記憶法」というものは、どのようなセンテンスが仮に欠落しても、次の文章へ、次のパッセージヘ、次の記憶へ入っていく事が出来る、という特徴を持っています。つまり、欠落した部分はそのまま空白になって、その次の記憶に飛び込める、という長所があるのです。

理解力の良し悪しや判断力の良し悪しというのは、多分にこの映像認識型記憶によるものがより優れていています。映像認識型記憶法というのは、音楽や勉強だけに留まらず、日常の記憶にも頭脳のトレーニングを必然的に経験していくので、老人ボケなどになりにくい、というメリットも持っています。 以前、他の教室から替わってきた生徒で、文学的記憶法を取っている子供や、ある程度年齢がいった中、高生ぐらいの生徒達に、実験的にパターン認識型の記憶法にチェンジするいろいろなカリキュラムを試みたことがあります。その一つは、暗譜の問題です。同じパターンから次のパターンに移るときに、どの音をきっかけに次のパターンに移るかという意識をもてるようにしたり、絵を一瞬だけ見て覚えるなど、図形的に記憶をするトレーニングをしてみました。その結果、学校の成績が顕著に上がってくるといった成果がみられました。

 

記憶法を私が試みるきっかけになったのは、俸大な昔の作曲家達(いわゆる天才と呼ばれる人達)が、記憶に関して非常に特徴のある記憶の仕方をするということを知ったことでした。それは、演奏時間が3時間にもなるようなシンフォニーの全楽章を、瞬間的に思い出す事が出来る、という特徴です。膨大な情報を一瞬で覚える(思い出す)には、映像的記憶でしかあり得ないことだと気づいたわけです。

ケンプ先生の話)

記憶法を私が試みるきっかけになったのは、偉大な昔の作曲家達(モーツアルトのような、いわゆる天才と呼ばれる人達)が、記憶に関して非常に特徴のある記憶の仕方をするということを知ったことでした。それは、演奏時間が3時間にもなるようなシンフォニーの全楽章を、瞬間的に思い出す事が出来る、という特徴です。膨大な情報を一瞬で覚える(思い出す)には、映像的記憶でしかあり得ないことだと気づいたわけです。

有名な大ピアニストであるウィルヘルム・ケンプが来日したときのことです。ケンプ先生は、四国で演奏会をすることになっており、四国に渡るフェリーの中でその日の晩に演奏する曲目のことで、相談をもちかけられました。それは、「今日の演奏曲目を変更してバッハのフーガの技巧を弾いてもらえないか」といったことでした。その曲は全曲通せば4時間程もかかる長大な曲でしたが、演奏会は勿論暗譜で弾かなければなりません。そこでケンプ先生は、「私に10分間時間をください。」と言って、目をつぶって沈黙してしまいました。その間、ずっと頑の中でその曲を思い出していたのです。そして10分が経過したとき、「ハイ。大丈夫です。全部覚えていました。弾けます。」と応えたのです。その曲を思い出すのに10分しかかからなかったわけです。もし、文学型記憶法で実際の音楽の流れを追って記憶を遡るのだったら、4時間の曲を思い出すのに4時間かかるはずです。名ピアニストの記憶は、音として順に記憶をたどるのではなく、譜面として一度図形に還元した状態で記憶していた、というわけです。

(記憶とは、思い出す訓練)

よく教育の現場では、「しっかりと覚えなさい。 とか「何度も書いて覚えなさい。といったことが言われています。これは「覚える」ということを一生懸命にやらせているわけですが、記憶のメカニズムを分析したときには、これがいかに無駄なことであるかがわかります。私共のメソード(カリキュラム)では、心理学の研究や頭脳のメカニズムから記憶の方法をあみだしています。それは、「覚えることに時間をかけてはいけない。」というものです。「記憶」とは、「覚える」のではなく、「思い出す」ものであるからなのです。「覚える」ことを一生懸命やってはいけない。「思い出す」訓練をするのです。

人の脳について、いくつかのおもしろい事実があります。

陸軍中野学校のお話し

これは、陸軍中野学校で実際に行われていた教育ですが、軍人やスパイなどを養成するのに、記憶に関する厳しい訓練が行われていました。それは、まず、23時間遭を歩かせた後、「黒い帽子をかぶった人とすれちがったはずだけど、その人の人相、服装、すれ違った時間を答えなさい。」という質問をするといったものです。答えられなければ厳しい罰があたえられました。この方法は、記憶しようとして覚えるのではなく、ただ漠然と目の前で起こったことを、「思い出す」訓練なのです。潜在意識の中には、目で見たものは全てインプットされていて、それを潜在意識の中から引き出す訓練をしているわけです。

(思い出す為のカリキュラム)

芦塚メソードでは、「思い出す」為のカリキュラムがあります。「覚える」方法では、覚える内容や要素が多ければ多い程、記憶することが難しくなります。ところが、「思い出す」方法では、思い出すきっかけとなる要素がなるべく多い方が逆に楽に記憶できるのです。音符を思い出す為の要素としては、次の要素があるのです。

「目」から入る情報:色ぬり譜,練習番号(構造分析)

②「耳」から入る情報:レコードを聴く

③「口」から入る情報:歌う

④「手」から入る情報:指づかい

(⑤残念ながら音には臭いがないので、「鼻」から入る情報はありません。)

記憶を確実にしかも遠くする為には、脳の潜在意識能力を活性化させ、より正確に速く思い出す方法を身に着けることが大切なのです。覚えることに時間をかけ、くりかえし訓練していくことは、逆に潜在意識能力を鈍感にしていきます。

記憶(暗譜)とは習慣である

記憶だけでなく、学習するということはなんでもそうですが、最初の1曲目を覚えるのは大変です。しかしそれを乗り越えてしまうと憶えるのが習慣になり、楽に簡単になります。あるコンクールを初めて受けた生徒が「今回こんなに大変だったのに、もっと上をめざすとしたらもっと大変だからもうやめたい」と言いましたが、果たしてそうでしょうか?次に受けるときにはそれまでの実力の上につみあげればよいのだから倍大変になるということはないのです。今回1つのことを習得するのに大変苦労したとしても、次回はそれはもう身についていることなのでもっと楽に出来るはずです。習得していけば逆に楽にこなせるようになって行くのです。記憶力も同じです。最初Aのことを覚えるのに1。のエネルギーが必要だったとしても、次に憶えるときは5のエネルギーですみます。だから同じエネルギーで倍のことが覚えられるのです。そしてそれに習慣性がつけば、もっと楽になり、なにもしなくても頭に入っている(いつでも引き出せる)という状態になるのです。