芦塚先生所有の珍しいviolin
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オバQヴァイオリンとヴィオラ

Hardanger fiddleハーディングフェーレ(ミュージックプラザ所有の楽器です)

フィーデルンについて

五弦のviolinとviola

baroqueviolaについて

変形violin

pochetteviolin

上はbaroque時代でも古い時代のbaroqueーbowです。下のbaroqueーbowは、一般的にbaroqueーbowとして使用されている所謂、Tartini-bowと呼ばれるbaroque-bowなのですが、勿論、Tartiniがこのbowに関与した分けではありません。
       




                                   本文



                      まえがき

芦塚先生は昔々、・・・ヨーロッパ在住の頃から、 Bartokの研究で、珍しい民族楽器などを集めていました。
(勿論民族音楽のレコードなども一緒に。)
日本の民族楽器だけではなく、世界中の民族楽器のコレクションもありますが、写真の整理とかが間に合っていないので、民族楽器の事については、その内に、また改めて掲載します。
・・・・という事で、民族楽器については別のページ、別の機会に譲るとして、・・・ここでは、クラシック音楽で使用される楽器の中でも、弦楽器に限定してご紹介します。

芦塚先生が個人的に所有している楽器はviolinから色々なsizeのviolaや、KontrabassやCembalo、pipeorgelに至るまで、或いは、vibraphoneや鉄琴、木琴、Glockenspiel、recorderのfullset等々、数え上げればキリがないので、ここのPageでは、更に、その内の、珍しい(オーソドックスではない・・)violinとviolaについてお話をします。



オバQのviolinとviola
芦塚先生のcollectionの中でも、第一番目によく生徒達の目を引く楽器としては、芦塚先生愛用の、オーケストラの練習の時に何時も芦塚先生が弾いている変型violinとviolaです。

左の芦塚先生の写真で、芦塚先生が手にしている、瓢箪型の変な型をした愛用のヴァイオリンとビオラです。

この楽器の愛称としては、この楽器を売ってくれた楽器屋さんが、「オバQヴァイオリン」と呼んでいたので、芦塚先生も、そのまま楽器屋さんと同じに「オバQヴァイオリンとか、オバQヴィオラ」と呼んでいます。




次の写真はChanot型のviolinの写真ですが、芦塚先生の所有のChanotのviolinではなく、本当の本物のChanotの写真です。

Georges Chanot 1855



この変形の弦楽器は、よく勘違いされて、19世紀の始めの頃、フランスの有名なヴァイオリン製作者であるシャノーが、1816年にヴァイオリンの更なる改良を目指して、この瓢箪形のとても美しいviolinを作ったと言う事で、シャノー型のヴァイオリンと呼ぶ事が一般的で、芦塚先生のオバQviolinもシャノー以降の作品であるように思われてしまいがちですが、実際には、同じ瓢箪形のヴァイオリンは、シャノーが製作するずっと以前、ヴァイオリンの黎明期である1500年代の後半、所謂、まだルネサンスの最後の時代であった1600年代以前からバロックの時代に掛けて、よく製作されていたようで、この瓢箪型のviolin自体は、そんなに珍しい楽器ではないのです。

当時(baroque時代)のこの型のviolinをbaroqueviolinとして、使っている人も結構おられるようで、現代のviolinと比較しても、音量的にも、音響的にも、この形でも基本的にはなんの問題もないようです。



ちょっと小ぶりなのですが、左側はビオラで、右側がヴァイオリンです。

両方とも、一般的に言われるように、19世紀のシャノーの時代のものではなく、もっと古い時代のものです。

このヴァイオリンやヴィオラと、シャノー型のヴァイオリンの一番大きな違いは、F字孔の形です。

このf字孔は本当にFの型をしていますが、シャノー型の場合には半月形です。

次にはChanotのviolinの写真を掲載しておきます。





下はシャノー型のF字孔
このシャノー型のviolinも、実は芦塚先生所有の楽器です。


シャノー型のもう一つの特徴は、左側の写真を見ると、よく分かりますが、渦巻きが通常のヴァイオリンとは逆向きで、しかもヴァイオリンのネックがヴァイオリンの本体から下の方向についています。

これは楽器をケースに仕舞う時に、とても困るのだな??
ケースに収まらないのですよ。










渦巻きの巻きが逆さまです。
という事で、violinのcaseに入らないのですよ。
いや〜あ、困った!困った!

violinのcaseに入らなければ、持ち歩く事が出来ないので、実用性が全く無いのですよ。

violinは所詮、ensemble楽器なのでね??

勿論、写真はChanot型のviolinを横から見た写真なのですが、1本を普通のviolinにして、対比をした方が分かりやすかったかな??












Hardanger fiddleハーディングフェーレ(ミュージックプラザ所有)

このヴァイオリンは、芦塚先生の所有のviolinではありませんが、violinとよく似たfiddleと呼ばれる楽器の説明のために、ミュージックプラザの陳列棚にディスプレイされている楽器を、参考のために掲載しました。

このviolinは、ただ派手派手しくデコレーションされた普通のヴァイオリンのようにも見えますが、よく見ると弦を巻くためのピン、(所謂、peg)が9本もあります。
ノルウェーの民族楽器で、勿論、violinではありません。
ハーディングフェーレというノルウェーの民族楽器です。

この楽器のディスプレーに「アイリッシュ・ヴァイオリン」と書いてあって、CDも「アイリッシュ・ヴァイオリンの演奏」と書いてあったので、てっきりこのviolinが「アイリッシュ・ヴァイオリン」というfiddleの楽器だと思い込んで、homepageに書いてしまって、読者の方から、キツイお叱りを受けてしまいました。

この楽器について、掲載する前後にテレビでも、この美しい楽器での演奏や対談等もあって、芦塚先生は、「てっきりこの美しい楽器がアイリッシュ・ヴァイオリンであると思い込んでしまった。」と言われていましたが、確かに、調べて見るとアイリッシュ‥ヴァイオリンは普通のヴァイオリンの事で、この美しい共鳴弦を持つ楽器はノルウェーの民族楽器である・・と書かれていました。

・・・という事で、楽器名を急遽訂正変更しました。
但し、文章の内容自体は訂正変更はしていません。

実際、 Hardingfele(ハーディングフェーレ)という名称を、お店のディスプレーに使用したとしても、名前を聞いた事のある人は、非常に少ないと思われるので、近頃、良くテレビ等でも、知られるようになった、アイリッシュ・ヴァイオリンという名前の方が、分かり易いと言う事だそうだ・・と思いますが、アイリッシュ・ヴァイオリンは、普通のヴァイオリンなので、8弦、9弦のハーディングフェーレとは、確かに全く別の楽器なので、この名前の代用は出来ないと思います。
しかし、それはお店のお話なので、教室のhomepageとは権限が異なるので、一応は伝達はしておきますが、それ以上はどうも・・・・???

それはさておき、この楽器を実際に使用しての演奏のCDが発売されているそうなので、興味のある方はミュージックプラザに直接問い合わせてください。私はCDのレーベル等は、調べて来なかったので・・・。



この楽器のpegを、見やすいように、糸巻きの箱の部分をクローズ・アップしてみました。



(誤解の無いように確認しておきますが、全てのHardanger fiddleが9本のpegを持つ分けではありません。
つまりこのHardanger fiddleが9本のpegを持っているという事なのです。)
fiddleには、基本的に定形は無いという事なのですが、ハーディングフェーレは寧ろ、民族楽器の領域でしょうね。。
右の写真はヴァイオリンのpegの参考写真です。

無論、ハーディングフェーレのpegではありませんが・・。

pegが9本あったとしても、実際に演奏するのはviolinと同じで、4弦だと思いますが、残りの弦は共鳴させるための弦です。
当然、ハーディングフェーレはviolinではなくハーディングフェーレ(Hardingfele)という呼び方が正しいです。ヴァイオリンではないのだから・・・。


fiddleは、時々Fidelとも、書かれます。

それは単に、・・・fiddleは英語で、Fidelはドイツ語であるという、表記の違いだけです。
時々、単語を間違えるかもしれませんが、お国の原語の違いなので、間違いではないので、悪しからず・・・!!


日本で、森繁久彌の主演でロングランの上演になった「屋根の上のヴァイオリン弾き」と訳されているミュージカルの題名は、原題では(アメリカでは)「Fiddler on the Roof」といいます。

多分、日本では、fiddle(フィデル)と言っても何の楽器の事か分からないので、ヴァイオリンにしたのだと思いますが、ヨーロッパやアメリカでは、周知の楽器名ですからそのままfiddleという楽器名で言います。
fiddleの中の一つの楽器の形態・・・ノルウェーの民族楽器がハーディングフェーレ(Hardingfele)なのですよ。

http://www.hfaa.org/Home/about-the-hardanger-fiddle

https://en.wikipedia.org/wiki/Hardanger_fiddle

http://www.hardingfele.com/


フィーデルンについて
さて、話を本題に戻して、・・・・
長々とHardingfeleの話をしたのには、それなりの理由があります。
fiddleについての誤解のお話です。

それは、よく芦塚先生所有のオバQヴァイオリンをフィーデルン(多分fiddleの複数形の事かな??)と言って、譲らない人が時々いるからです。

しかも、芦塚先生のオバQ・violinをfiddleと呼んで、譲らないヴァイオリニストのある女性の人は、fiddleではなく、フィーデルンと呼んでいます。

何故、fiddlern、or fiddlelnとその人が言うのかは、よく分かりませんが、彼女がそう言っていたので、そのまま彼女の言葉の引用の時にはfiddlelnという言い方をそのまま使用しておきます。

芦塚先生の所有のオバQヴァイオリンを、fiddleと勘違いする人の一人は、困った事に、芦塚先生の音楽大学時代のヴァイオリン科の同級生だそうです。

彼女も知り合いの楽器屋さんにオバQヴァイオリンを売りつけられたそうで、その後、音楽大学の楽器博物館の人に、「それはviolinではなくって、fiddleだ!」と言われて、頭に来て舞い上がってしまったようです。

芦塚先生も同じようなオバQ型のviolinを所有しているのを知って、芦塚先生に噛み付いて来たそうです。

芦塚先生は、「自分が好きで変形violinをcollectionしているのに、どうして、怒られなければ、ならないの?」と困り果てていたようですが。



何故、そういう風に変形violinの事をfiddleと勘違いをするのか??というと、その勘違いの仕方には、色々な理由があるようです。

その中でも、一番、安易な勘違いは、violinの形をしていない変形violinを、全てfiddleと思い込んでしまっている人達が多い、・・という事なのです。

どうして、変形ヴァイオリンの事をfiddleと勘違いするのでしょうか?
それは、貧しい大道芸人や、ジプシーの人達が、ヴァイオリンが高価で買う事が出来なかったので、殆ど手作りで、自己製作のヴァイオリン擬き(もどき)を作って、その楽器でダンスの伴奏等をして、お金を稼いでいたからなのです。

素人が見様見真似で作った楽器は、ヨーロッパの諺で、「fiddleに酒をかけても大丈夫!」という言葉があるぐらい、安い手作りの、イミテーションの楽器の代名詞のように使われていました。
それが、fiddleの事をよく知らない音楽のリープハーバーの人達が、変形violinの事を、素人の作った楽器と同様に扱って、fiddleと勘違いをした・・という事から、大元の勘違いが始まります。

でも、そのviolinが、本当のviolinであったとしても、やはり、お金のない貧しい大道芸人達が、昔から、安いヴァイオリンを、fiddleの代わりに(!!)よく使用した事で、安い大道芸用のヴァイオリンと呼んだ事にも由来します。

という時代背景で、fiddleは、ヴァイオリンのイミテーションの楽器で、しかも安い楽器の代名詞のように言われていますが、実は、ヴァイオリンとfiddleはその生い立ちが全く違うのです。

不思議、不思議??のお話ですが、そもそも、fiddleという楽器は、10世紀頃の中世の時代からあった弦楽器で、弦も3本や、5本の弦を持っていたりして、ダンスの伴奏等にもよく使用された楽器です。
という事で、ヴァイオリンが発明されるよりも、数百年も前から、民衆の間で弾きこなされて来た古い古い民族楽器なのです。

という事で、オバQviolinのように変形violinと同じような憂き目(つまり、fiddleと勘違いされてしまっている)に遭っている楽器は、芦塚先生所有の5弦のviolin、(若しくは5弦のviola)も同じなのです。

下に写真を掲載してある、この5弦のviolinも実は初めてviolinが制作された1500年代から、同様の5弦の楽器が既に作られていました。

要するに、中世からあった3弦のfiddleや5弦のfiddleの他に、1500年代以降からヴァイオリンと共に5弦のviolinも作られていたのです。
要は、すこぶるややこしいのですよ。



五弦のviolinとヴィオラ

次の写真は芦塚先生所有の、5弦のviolinと5弦のviolaです。

下の写真は5弦のviolinです。
胴体の大きさがviolinの大きさになります。
つまりviolinbaseの5弦ののviolinという事です。
ということなので、G線からE線迄は、violinの弦をそのまま張れます。
そして、C線はviolaのC線から、張りの強い物を選んで張っています。

基本的には、violinもviolaも同じ格好をしているので、現物を見て大きさを対象させない限り、その違いは分かりません。

という事で、5弦のviolaの写真を載せるのは、省略して、neckの渦巻きの部分の写真を載せておきます。




本来的には、芦塚先生の希望としては、neckは、可愛らしい少女の顔か、芦塚先生のマドンナの顔の部分で作って欲しかったのですが、製作者が「獅子頭しか、彫った事がないので・・」と言われたので、「じゃあ、獅子頭でも良いや!」と芦塚先生がおっしゃったのですが、工房の人が気を利かして、そのまま少女の顔で、製作しました。
「チョッと少女の顔のimageが違ったのだよね!」「それなら、得意の獅子頭にしてくれれば良かったのに?」と、芦塚先生は、チョッとボヤいていましたがネ。






右側のMadonnaの厨子は、ドイツに留学中にチューリンゲンのクロスターの街の、お土産屋の露天で買って来た、最愛のMadonnaです。
お顔が優しくてまるでラファエロの絵のMadonnaのような表情です。







左の写真は、まるで対極の彫刻ですが、標準的な獅子頭のneckの一例です。
他にも色々なneckがあります。
芦塚先生の所有の楽器では、聖者の顔になっているviolinがあります。「芦塚先生所有のbaroqueviolin」

neckの彫刻については後日、また改めてお話をしますが、いずれにしても、violaをbaseにして5弦の楽器を製作する時には、困った問題が起こってしまいます。
それは、一番低弦のC線からA線迄はviolaと同じなので、弦の問題はないのですが、E線は、指板の長さがviolinよりも遥かに長いので、violinのE線ではviolapegには届かないのです。
という事で、代わりに張れる弦を探すのに苦労したようですが、今現在は、取り敢えずはマンドリンのE線で代用しています。
参考までに、別のPageにlinkさせておきます。



5弦のviolin=violaについて
話を元に戻して、芦塚先生が5弦のviolinや5弦のviolaを手に入れて、オケ練習等で使用しているので、「5弦の楽器はfiddleである」と、またまた勘違いされてしまいそうですね。

芦塚先生が深夜にテレビを見ながら仕事をしていたら、ロック歌手かニューミュージックかのジャンルはよく分かりませんが、5弦のviolinを片手にロックを歌っている可愛い女の子を見て、驚いた!という話をされていました。

へ〜ぇ!violinを持って、ロックを歌っていた事にも驚いたのですが、それ以上にliveで5弦のviolinを見たという事に驚いた・・という意味です。

話をfiddleの話に戻して、さだまさしさんが、芸大のviolin科を目指して、子供の頃から頑張っていたとしても、ポピュラーで演奏しながら、歌を歌う場合には、習って来た楽器がclassicviolinであったとしても、演奏している楽器が普通のviolinでも、ジャンル的に言うと、fiddleになって、fiddlerなのですよ。
楽器がviolinであっても、ヨーロッパやアメリカ的に言うと、fiddleと呼び、あくまでfiddler(フィデル奏者)なのですよ。
これだけくどくどと言えば、これを読んだ人達だけは大丈夫かな??と芦塚先生が言っていました。
よっぽど、堪えたのね!!


さて、余談はこれくらいにして、本来のfiddleの話に戻って、fiddleの代名詞的な意味はすこぶる悪い意味が殆どで、あまり良い表現には使われる事はないようです。
基本的には、「くだらない」とか「つまらない」「下卑た」とかいう意味の代名詞に使用されます。

という事で、fiddleの奏者というと、下卑た大道芸人という愚蔑的な意味の悪口に使うようなのですよ。
アハッ!これは、困った!?
(+o+)

(しかし、fiddlerは、大道芸人だけを意味する分けではなく、カントリー・ミュージックやジプシー音楽などの.民族音楽を奏く人達、ヴァイオリン奏者の事をfiddle奏者(fiddler)と呼び、そのヴァイオリンをfiddleと呼ぶのです。
それは、演奏している楽器が、本当のヴァイオリンを使用していたとしても、民族音楽を演奏している場合には、fiddle奏者(fiddler)でヴァイオリンもfiddleになってしまいます。

しかし、5弦のviolinやviolaやChanotのviolinのように、Classicの世界でも、そういった楽器を普通に演奏する事はザラにあります。
その場合には、5弦のヴァイオリンであっても、Chanot型のヴァイオリンを演奏しても、それはヴァイオリニストであり、fiddlerとは呼ばないのです。

と言う事で、話は、実に混み入って、混乱してしまいますよね?
この混み入り具合も、そもそも勘違いを引き起こす原因かもしれませんよね。

それは、民族音楽の場合には、極々当たり前の事で、宿命と言ってもいいかもしれません。
先ほどの、楽器が買えない程貧しいから・・・云々の補足説明ですが、お座敷で芸者さんが演奏する三味線は、とても高級で皮も猫の皮をなめして張ったりします。
(だから、芸者さんの事をネコとかいう隠語で表現したりします。「あたしの好きなネコは、ノルエージャンforest(=ΦエΦ=) ・・・etc.etc.」)

逆に貧しい、おコモさんや瞽女という門付けの人達は、勿論、そんな高級な三味線を買うお金はありません。だから、木で箱を作って、それに弦を張って、門付けをしました。それを箱三味線といいます。

沖縄で使用される三味線は、ハブ(蛇のハブ)の皮で作った蛇ミ線で、とても豪華なものです。
しかし、第二次世界大戦の沖縄陥落後は、そういった日本人も、蛇ミ線を作るだけの経済的なユトリがなかったので、米軍が捨てていった、空き缶で三味線を作って演奏していた時代がありました。
缶三味線です。
米軍統治の時代の話として、沖縄の人達がよく話てくれます。

なんて事を言っても、そんな事、今の人達が知るわけないか??!!
つまり、fiddleという楽器の社会的な位置を理解して欲しかったのですがね。

先ほどの話に戻って、芦塚先生の音大時代の級生である女性のviolinの人が、芦塚先生にオバQヴァイオリンを見せて、「この変形violin(オバQヴァイオリン)を楽器屋に売りつけられた!」「これはフィーデルンでヴァイオリンではない!」と言って、芦塚先生がオバQヴァイオリンを持っているのを知ると、「芦塚さんも楽器屋に騙されて、売りつけられたんだよ!」と怒りまくっていました。

芦塚先生は楽器屋さんから、「変形ヴァイオリンなので、一般の音楽家には売れないので、買ってくれない?」と頼まれて、二束三文で、非常に安く買ったので、「別に騙されて売りつけられた分けではないのだけど・・・??」と困り切っていました。

それにオバQヴァイオリンは、正真正銘のヴァイオリンであって、決して形が少し変形しているからといっても、それはfiddleではないのですよ。

芦塚先生がその女性に「誰がこの楽器をfiddleだと言ったの?」と、訊ねると、「音楽大学の楽器博物館の人が、そういう風に説明してくれた。」と言っていました。

彼女には、変形ヴァイオリン=fiddle=大道芸の楽器=おもちゃの楽器・・・というimageがあって、怒りまくっているのでしょうが、芦塚先生が、「この楽器の事を、どのように彼女に説明しても、「騙された!」という意識の方が彼女には大き過ぎて、私の話を冷静に聴くと言う気持ちはないようなので、この楽器の事を説明するのは、諦めてしまった。」と、芦塚先生は、言っていました。

芦塚先生が、旅行から東京に戻ってから、さっそく音楽大学の楽器博物館の館員の人にその話をすると、「私はそんな事を言った覚えはない。」と、驚いて芦塚先生に必死に弁解していました。
後輩だから、恐かったのかな??

要するに、その女性は、変形violinは、全て民族楽器か、(fiddleという楽器は今現在も、よく使用される民族楽器ですし、逆に普通のヴァイオリンや普通の5弦のヴァイオリンでロックを演奏して、fiddle奏者と嘯いているロック歌手もいます。)おもちゃの楽器かと思い込んで、「騙された!」と思い込んでいたようです。
「そんなにそのオバQヴァイオリンが嫌いならば、私にその楽器を買った時の値段でいいから、売ってくれれば良いのに!」と、オバQヴァイオリンのコレクターである芦塚先生は言っていましたがね。

もう一つの勘違いの理由には、fiddleが、ヴァイオリンの原型(祖先)だ・・とよく勘違いされている事にも拠ります。
少なくとも19世紀の終わりのころまでは、「ヴァイオリンはフィドルという民族楽器から改良されて、発展して現代のヴァイオリンになって来た」と間違えて思われていたからです。

しかし、ヴァイオリンはフィードルとは基本構造が全く違っていて、とてもフィードルが改良されてヴァイオリンになったとは考えにくいのです。
fiddleの生い立ちを遡れば、何と10世紀ぐらいまでは軽く遡る事が出来ます。
ジプシーの歴史とfiddleの歴史は、切っても切り離せない関係にあるのですよ。
それこそ、ヴァイオリンの歴史ではなく、箱ヴァイオリンの歴史にもなってしまうのです。
芦塚先生から、民族楽器を色々と見せて貰うと、celloの祖先のような楽器や、オーボエの元のような楽器を見せて貰える事が出来ます。
ヴァイオリンとは言えない、ヴァイオリンのような楽器は何時の時代にもあったのですよ。

しかし、ヴァイオリンはある日奇跡のように完成された形で突然現れました。ヴァイオリンを始めて作った人の名前と、その年代は正確に分かっています。
ヴァイオリンを今日の形に完成させた人はガスパロ・ダ・サロ(Gasparo da Salo1540年〜1609年)、若しくは ジョバンニ・パオロ・マジーニ、若しくはカスパール・ティーフェンブルッカー、と言われています。その内の誰が本当のヴァイオリンを発明した人なのかは、なにせ昔々の事なので、今一つ、よく分かりません。

左側の写真と右側の写真は、そのGasparo da Salo製作のoriginalのviolinです。
左側の写真はviolinの裏板で、右側の写真はneckの裏の部分のSaloの署名です。

「ヴァイオリンが今日の完成形の型になるのは、1550年頃である」、と言われています。でも、それなら、Gasparo da Saloはまだ10歳ですよね。
現存する最古のviolinは、アマティのviolinで、博物館に展示されているそうです。

つまり、シンクロニシティーという心理学の用語がありますが、時代が熟すると、同時多発的に、ほぼ同じ技術のlevelが世界のあちこちで、開発されてくるのです。

同じ時期に色々な国で、沢山の工房でviolinが発明されて、その構造が殆ど同じだったのですよ。
現代のように村と村を行き来する事が、車で数時間の距離であったとしても、1500年代なら、道すら未だ整えられていないわけなので、ミッテンバルトとクレモナの距離は、徒歩なら、山越えの1月近い距離だったはずなのですからね。
今なら実に近いミッテンバルトとミュンヘンの距離であったとしても、当時なら、二日も三日も掛かったのですからね。

ついでに、間違いの無いように老婆心から敢えて確認をしておきますが、Gasparo da Salo(ガスパーロ ダ サロ)の弟子がAndrea Amati(アンドレア アマティ)でその息子が、クレモナの開祖であり、稀代の名工であるNicolo Amati(ニコロ アマティ)です。

・・・で、その弟子がアントニオ ストラディバリウスやアンドレア ガルネリ、その他、グランチーノ、ガリアーノ、ルッジェリ他の優れた名工が沢山います。

この弦楽器製作者の系譜に興味がある人は、一般に樹形図が出版されて、売ってありますので、そちらを買ってください。
著作権があるので、掲載する事は出来ませんので、こちらも「悪しからず!」です。
以前はアカディミア・ミュージックにクリヤーファイルやポスターとして売ってあったので、ひょっとしたら今でも置いてあるかもしれませんよ。
問合わせて見てください。

最古のヴァイオリンの為に書かれた曲とヴァイオリン製作の資料を比較検討した時に、多分それ以前(Gasparo da Saloの1500年以前)にはviolinという楽器は、未だ存在していないであろうと言うことが一般には言われています。
しかし、これは、このホームページを作成中の現在の2005年の時点でとしておきます。
(何故、上記のような但し書きを付けるかというと、1年毎に音楽史の常識が変わって行くからなのです。)

芦塚先生が音楽大学生であった当時には、baroqueviolinという存在自体がなかったのですからね。
日本にpipeorgelが2台、Cembaloだって、音楽学校やNHKに(つまり、日本に)数台しかなかったのですからね。

こんにちのbaroqueブームを作ったのは、ひとえにI Musiciのおかげです。
で、そのI MusiciがVivaldiの「四季」を引っさげて世界中を演奏して広めて回ったのは、1952年以降のお話なのですよ。I Musiciの結成が1952年なのでね。
それから、爆発的にバロックブームが起こります。

この40年で、革命的に音楽史は変わったのですよ。
特にbaroque音楽の歴史は1990年代から、革新的に解明され、歴史の常識が変わって行きます。
その最先端に芦塚先生がいて、独自に研究をしています。

芦塚先生が、その最先端の分けには、幾つかの理由があります。
芦塚先生がbaroque音楽の研究を始めたのは、先生が音楽大学に在学中からの話なので、もうかれこれ40年baroqueの研究を続けている事になるのです。

だから、芦塚先生が、書物で勉強するのではなく、逆に時代が後発的に、芦塚先生に付いて行っている感じなのですが、それは芦塚先生の研究の姿勢の違いです。

他の研究者が図書館や博物館にその根拠や資料を求めているのに対して、芦塚先生の場合には、作曲家という立場から、楽器の発達や弦や楽器を作り上げる製品の技術の発達、つまり工学の発達史や、作曲技術の変化を捉えて、時代、時代の演奏法の変化と比較して、当時の奏法を研究しているからです。

また、資料は音楽だけではなく、baroqueやルネッサンスの音楽絵画や教会の絵画から楽器の発達の歴史を追求しています。

芦塚先生は音楽家の知識をあまり信じてはいないので、そうすると、よく日本の音楽界の主流となる(つまり一般的な、或いは常識的な)音楽の解釈と真正面からぶつかる事もよくあります。
音楽家の大半の人達は、自分の音楽上の信念に対して、「私はそう習ってきたから」とか「私の師匠がそう言ったから!」という事を論点の根拠にします。

芦塚先生が「誰がどう言おうと、それは私の知った事ではないし、誰がどういう風に習って来たからと言っても、それが学術的な根拠になるわけではない!」と言うと、それを言われた音楽家達は、自分の生涯を否定されたように、怒りまくります。
幾ら怒りまくっても、論拠がなければ、それは単なる押し付けにしか過ぎないのですが、音楽家にはそこの「通り」が分からないのです。
「うちの先生が言う事は常に正しい!」幾らそう言われてもねえ〜???
(;´Д`)もんだ!!

しかし、「音楽界で一般的に正しいと言われている事を、学術的に否定して行く事が面白い!」というのが芦塚先生の持論です。

ヴァイオリンの話に戻って、ガスパーロ ダ サロやニコロ アマティのヴァイオリンを、また更に改良して現代のヴァイオリンの基本の形に仕上げたのが、後世のストラディバリです。「Stradivariはviolinを完璧なstyleに完成させた。」と言われますが、楽器は、ブランドではないのでね。
Stradivariでも、良くないものは、やっぱり良くないのですよ。
名前と楽器としての価値は違います。
作者が分からなくなった楽器や、多分、正真正銘の偽物であったとしても、楽器としては非常に良い物もあります。

Stradivari型のviolinは、安定してちゃんとした音を出す事が出来ます。
それ以前の型は、楽器が良くないといけないという難しさと、演奏の難しさがあります。
Stradivariのように、ギシギシとこすってもある程度の音は出してくれる・・・という風にはいきません。
気難しい恋人のように接する事が出来ないと、音すら出て来ないのです。
しかし、その分、ちゃんと音を出せるようになると、思いもよらないような美しい音を奏でる事が出来ます。
弓で弾きさえすれば音は楽器が出してくれる・・・という勘違いをしている人達には、良い楽器を鳴らす事は出来ません。

ストラディバリの前の過渡期というのか、それ以前のヴァイオリンの名工は、基本的にアマティ型と芦塚先生の個人的な好みのシュタイナー型、があります。
一般には、ストラディバリウスがヴァイオリンを完成させたと言われますが、実はそれは好みなのです。
残念ながら、アマティのoriginalのヴァイオリンはもう寿命でその美しい甘い音色を聴く事は出来ません。
でも、クレモナの甘い蜂蜜を琥珀で溶かしたような音は、Stradivariというよりも、Nicolo Amatiの音に近いのですよ。

芦塚先生の未だ若い頃、中、高校生の時には、まだアマティを演奏している演奏家はいました。
ですから、芦塚先生はStradivariよりもアマティの方が好みだそうです。

ヤコブ・シュタイナーのシュタイナー型は、その形のヴァイオリンを作って素晴らしい音を出す事はシュタイナー以外には出来なかった、つまり、弟子達にその楽器製作技術が伝承されなかった、と言われていて、そのままシュタイナー型のヴァイオリンは廃れてしまいましたが、結構芦塚先生は個人的には、その型が好みで、Munchen時代に、古道具屋で、シュタイナー型のヴァイオリンを見かけてとても気にいって買って帰ろうと思ったのですが、買えない金額ではなかったのですが、少し高かったのと、演奏するには修理が必要だったので、別のストラディバリウス型のヴァイオリンを買って帰りました。

今でもそのシュタイナー型のヴァイオリンを買えなかったのが、心残りらしく、同じようなとてもグラマーなシュタイナー型のヴァイオリンを今現在も探しているそうです。
ジェイハイダー等でも、シュタイナー型のヴァイオリンの復刻版を作っているようですが、それとは芦塚先生の理想とする型と、少し違うようで、中々気にいった楽器を見つける事が出来ません。

この音楽話しはヴァイオリンの歴史のお話で詳しくしたいと思います。(お話がとてつもなく長くなってしまうので。)


baroqueviolaについて
再び、芦塚先生の所有する楽器のお話に戻って、第二番目のお話はbaroqueviolaの紹介です。

一見何の変哲もない楽器に見えるかも知れませんが、珍しいバロック・ビオラです。

だいぶ、小ぶりなのですが、フルサイズのバロック・ヴィオラです。

・・で、何故、珍しいか?と言うと、baroque時代は、未だviolaは、未完成の時代だったのですよ。








だから、HandelやcorelliのConcerto Grossoでも、violaが活躍する事はあまりなかったし、violaが入っていないorchestraも、当時はザラだったのです。

violaがorchestraの編成の中に、組み入れられていたとしても、演奏はviola da braccio(ヴィオラ ダ ブラッチョ=肘のヴィオラ)等の楽器で、代奏される事も多かったのですよ。

また、baroque以前のRenaissanceの時代ともなると、violaはviole属に属していたのです。ですから、下に書いているように、violin族の楽器ではなかったのです。寧ろviola da gambaの一族だったのですから。
と言う事で、その当時にviolin型のviolaと言うのは、大変珍しいのです。
勿論、古典派の時代になると、violaも大変活躍するようになって、楽器の数も爆発的に増えて行きます。


上の楽器は、violoncello(ビオロンチェロ)という楽器です。
これは6弦ですが、4弦の楽器もあります。
violinとcelloの間の楽器かな??・・ならviolaだよね??じゃあ、やっぱり、violaとcelloの間かな??
Bachの無伴奏のチェロのための曲がこの楽器のために書かれていると言われています。




次の写真の意味は、非常に分かりにくいですね。
いったい何が珍しいのか??分かりませんよね・
下の写真の上下2台の楽器の内の、上の小さい方の楽器が大変珍しい楽器なのです。
下にある楽器は、上の楽器のサイズを比較対照するために置いていますが、この楽器は何とbaroqueviolinなのです。

上の楽器はそれよりも、はるかに小さな、何と!何と!分数サイズのviolaなのです。











下に置いたバロックヴァイオリンと比較してもこのビオラが如何に小振りか分かりますね。
これも、baroqueviolinと比較しない限り、一見するとなんの代わり映えもしない分数のviolinのように見えてしまいますので、比較のために楽譜を置いてみました。

そうすると、この楽器の小ささが分かると思いますが、つまりこの楽器は分数のviolinではなく、1/4サイズの本物のviolaなのです。

同じサイズだとしても、violinとviolaでは胴体の厚みが違います。
violinの胴は薄く、violaの胴は厚くなります。
それが1/10のcelloだとして、(1/10のサイズのチェロは、ほぼviolaと同じサイズになります。)が、胴がとても分厚くなりますので、顎に乗せる事も、挟む事も出来ません。




この分数サイズのヴィオラは、楽器自体は、相当良い作りなので、銘器(名器)の部類に属します。
一体、どういう子供がこのviolaを演奏したのでしょうかね?

このお話の分数サイズのviolaも、大変古い時代の楽器です。
大きさが分かりにくいのでフルサイズのビオラと比較して見ました。
大きさの違いがよく分かるのではないでしょうか?






参考までに、お話をすると、日本で言う所のフルサイズのビオラというのは、世界サイズでは、3/4のサイズになります。
(コントラバスも同じで、一般にいう所の4/4のサイズのKontrabassは世界サイズでは3/4のサイズになってしまいます。)

本当のフルサイズのビオラを奏ける人は世界中で数人しかいないそうです。
また、一般的に日本でフルサイズと言われている世界サイズの3/4のビオラにしても、それでも、日本人の女性には大きすぎるようで、皆さん、結構、無理をして奏いているようです。

ビオラは音楽史的にはヴァイオリン属の中で一番最後に発達した物で基本的にはビオール属に属します。
現代のviolaは、violin族の型をしていますが、本来はKontrabassやviola da gambaと同じヴィオール族に属します。













昔昔のお話ですが、バロックビオラといえば芦塚先生は、以前、ビオール型のビオラを所有されていました。
大きさは、殆んどヴァイオリンと殆ど同じ大きさで、裏板は膨らみのない平板で、肩はコントラバスのように撫で肩でした。Telemannのviolaconcertoの演奏の時に、実際に使用して演奏してみたのですが、他の楽器がmodernの楽器で、まだbaroqueensembleを先生達に指導される以前の時代だったので、利用頻度がデスプレイ程度しかなく、芦塚先生が、お金に困った時に、楽器屋に販売を委託して半年程、預けていたのですが、楽器屋の内紛で紛失されてしまいました。
写真も残っていないので、芦塚先生の一生の唯一の後悔だそうです!!
左側の写真は、Kontrabassですが、参考までに肩の所や、後ろ側の形を見てください。
















左の写真のようにKontrabassは、ビオラの原型なのです。
ビオラ・ダ・ガンバ(膝のガンバ)やビオラ・ダ・ブラッチョ(肱のガンバ)などの仲間です。
その為にサイズもまちまちで、決まった大きさと云うものがありません。
また、一般に小振りのビオラは低音域の音がよくないと言われていますが、良い楽器になると小振りであっても低音域に対しても素晴らしい音を、出す楽器も数多く見受けられます。solo用のviolaと室内楽用のviolaも楽器は同じですが、求める音や響き等が微妙に違います。













変形violin

次のコレクションは、少し面白半分になってしまいますが、
左側の写真は、芦塚先生所有の変形ヴァイオリンです。

変な型のviolinですが、この型もルネッサンスから、バロックに掛けては、そんなに珍しい型のものではありませんでした。















左側の写真は、武蔵野音楽大学の楽器博物館にあるviola d’amoreという楽器ですが、芦塚先生の変形のviolinはこの楽器とそっくりですよね??
芦塚先生、変形のヴァイオリンを手に入れてすこぶるご満悦です。
物凄い数のペグですが、右、左にそれぞれ7本づつありますよね。

viola d’amoreは演奏するそれぞれの弦の下に共鳴させるための弦を作ったので、このように無数の弦を張る事になりました。

viola d’amore(愛のヴィオラ)という名前でもお分かりのように、とても繊細で美しい音がする楽器だったのですが、余りにも調弦の手間が掛かりすぎるので、自然に廃れていってしまいました。

上の写真の芦塚先生の変形ヴァイオリンの楽器、見れば見るほど、左の写真のviola d’amoreに、そっくりですよね。

でも芦塚先生の楽器はviolinです。
アハッ!

次回の斉藤先生の演奏するbaroqueviolinで、皆様の前に初お目見えする予定です。




芦塚先生の大変珍しいviolinやcelloのcollectionは、他のページにも掲載されています。
象嵌のお話もそうですが、芦塚先生所有のbaroqueviolinのお話でも、色々な楽器の説明があります。(こちらは別サイト(芦塚先生のお部屋)へリンクします。)







pochetteviolin

芦塚先生のcollectionの変な楽器ついでに、次はpochetteviolinです。

この写真では、この楽器の大きさが分かりませんね??
実は、pochetteviolinのpochetteは、日本語ではポケットですよね。
だから、ポケットに入る程の大きさのviolinです。
横にfullsizeのviolinを並べて撮影しようかと思ったのですが、violinを習った事のない人達には、violin自体大きさの基準にならないので、生徒に持って貰って写真撮影しようと思ったのですが、lessonの時で、余りに普段のカッコウだったので、やめました。
その内に比較対象出来るうまい方法を考えておきます。

pochetteviolinは、所詮violinのあだ花なので、定形がありません。
violinを極端に小さくして、長いネックで・・というのが、一般的styleかもしれません。

写真にしてしまうと、実際の大きさが分からないので、この変形violinのeccentricなimageは、中々、掴めませんよね。

このpochetteviolinという楽器は、一般の人達の間にdance・boomが起こった19世紀の中期から後期に掛けて、dance教師が、danceを指導する時に、フロックコートのポケットから、このviolinを取り出して、danceの曲を演奏しながら、生徒達に指導した・・という事に由来します。

それ以前の宮廷のdanceのlessonならば、専門の音楽家がついて、danceの先生が貴族の令嬢や若者のlessonをしていたのでしょうが、19世紀になってくると、貴族社会から一般のpetitbullのお金持ちでも、そういった楽しみが浸透していきました。
という事で、lessonも、小さなホールや、出張のlessonもあって、dance教師が、violinを演奏しながら、stepを教えるという事が、普通になって来たのです。
そのために、携帯出来る楽器の必要性が出て来て、このpochetteviolinというviolinのあだ花の楽器が作られるようになったのです。

そもそも、Waltz英( Walzer独 Valse仏)は、ハプスブルク家のBayern地方の民族の踊りのWellerから始まりました。
ハプスブルク家は、Bayern選帝侯であり、チロルやミュンヘンからウィーン、ハンガリーに至る広大な地域を治めていました。
Bayernの農民の踊りであったWellerは、landlerや、 Walzerに発展して行く。
特に、MozartやBeethovenが、好んで使用したWaltzは、19世紀に入って、爆発的に庶民の間に流行する事になる。

有名なヨハン・シュトラウスやヴァルトトイフェル等のWaltzの曲は、その殆どが、1830年から50年の間に集中して作曲されている。

この時期は、所謂、ビーダーマイヤーの時代でもあり、大衆文化が花開いた時期にもなる。

19世紀の影絵で、ちょうど実際にdance教室の絵があったのですが、資料が探し出せなくって、ネットで調べて見たのですが、流石に見つかりませんでした。
楽器の資料としては、pochetteviolinは、絵も資料もあるのですが、それがどういう風に使用されていたのか、という事は、風俗の歴史という事になって、資料を探すのは難しいのです。
つまり、ビーダーマイヤー時代の風俗絵画を探さなければならないので、一般的な資料ではないので、ネットでは探すのは難しいのです。
勿論、芦塚先生の膨大な書籍の資料の中には、風俗の歴史というgenreの本が、ちゃんとあるそうなので、その内、暇を見つけて、芦塚先生の部屋を大掃除がてら、探してみる事にします。