指導manual

F・Couperin

Soeur Monique 修道尼モニカについて

 index

1.  芦塚メトードによる終了(卒業)曲に関しての説明

2.  間違えた日本の装飾音の指導

3.  正しい装飾音(Ornament)

4.  Finger pedalの弾き方と意味



6.Coupletごとの性格の奏き分け

1.  芦塚メトードによる終了(卒業)曲に関しての説明

私達の音楽教室での、curriculumの説明にもなってしまうのですが、F・Couperinの修道尼モニカは、初級の終了曲として、芦塚メトードではBeyer教則本とBurgmullerの25の練習曲を終わった生徒達へ終了(卒業)課題として出す曲でもあります。

芦塚メトードではBeyer教則本やCzerny30番等の練習曲や小品等の指導教材の曲を、細かく各々のgradeに分けて分類して指導しています。
音楽の勉強は積み上げです。
各gradeには、そのgradeで必ず習得しなければならないpoint(技術)があります。
最も大切な事は、そのgradeに出て来る課題をキチンとmasterして、その技術の上に次のstepを勉強して行く事なのです。
次のstepのより難易度の高い曲を弾きこなすためには、その前段階のgradeの技術を確実に身につけることが、最も上達の早道です。

ですから、それまでに勉強してきたgradeのpointとなる技術を確実にマスター出来たのかを指導者の先生だけではなく、他の先生達も含めて皆で判断します。
(都合が合わないときには、私が判断指導する事もあります。)

それぞれのgradeには、卒業課題曲といわれる曲が数曲必ず設定されており、それまでの技術を確実に身につける事が出来たかどうかを判断します。
とは言っても、生徒がその課題曲の数曲を全部弾かなければならないわけではありません。
技術が身についているのかどうかを判断するのには、1曲を演奏すれば充分だからです。
課題曲の1曲を合格すると、そのgradeは合格になります。

何らかの技術が劣っていて、(或いは身についていなくって)上手く合格できなかった場合には、同じ曲を復習する必要はありません。
そのstepの課題を勉強するために幾つかの曲が準備されているからです。

何故、それぞれのgradeに卒業課題曲を置くのかというと、各gradeのpointとなる技術課題がクリヤー出来ていないままに、次のgradeの曲を勉強しても、上手に演奏出来る事がないからです。
無理をしてより高度な曲を与えてしまうと、生徒にとっても、父兄にとっても、或いは先生自身にとっても不本意な結果を生み出してしまいます。

そういった結果は一般の教室では、よく見受けることが出来ます。
発表会等で担当の先生が生徒を他の生徒よりも上手く見せたいと言う願望からか、その生徒の持つlevelよりも遥かに高度な曲を選曲してしまって、lessonの時に、先生も生徒も途方にくれていたり、発表会等で大失敗をしている姿を見受けることがよくあります。

そういった先生の個人的な願望とは別に、生徒の方が高望みをして、「**の曲を弾きたい。」と言ってくることもよくあります。

その曲が如何に高度な曲であったとしても、生徒が「弾きたい曲」という夢を持つ事は、とても素晴らしい事です。
だからと言って、その曲を発表会の曲に決めたりして、無理をして練習をさせたり、演奏をさせて、結果、発表会等で満足の行かない結果を生み出したとしたら、それはまた不幸な事です。
それが原因でピアノを止めたりする事にもなりかねません。

では、どうしたらよいのでしょうか?

私達は「この曲とこの曲を弾けるようになったら、その次には*ちゃんの好きなその曲が弾けるようになるよ。」と明確に、後、幾つのgradeをこなせば弾けるようになるのか、その過程を教えてあげます。
子供達は自分の演奏したい曲が後何曲で演奏出来るかが明確であれば、ちゃんと待つ事も出来るし、明確な目標が出来るので、努力する事も厭わなくなります。
自分の好きな曲を目標にする事は、日常のとても良い励みになるのです。

ここで例に挙げているF・Couperinの修道尼モニカは、Burgmullerの25の練習曲を卒業したlevelの卒業の課題曲の一つです。
同様のCouperinの作品では小さな風車や時計等です。
ダカンのカッコウや他のロココ時代の作品も卒業課題曲にしています。

その曲を合格するとほぼ同levelのKabalevskyの子供のためのピアノ曲集 Op.27やKhachaturianの少年時代の画集に進みます。ソナチネ・アルバムに進ませる事もあります。

併用のEtudeはCzerny30番か、少し無理があれば、Czernyの小さな手のための25のEtudeに進みます。
私自身は生徒にCzerny100番や110番を勉強させる事は殆どありません。
正しく指導するならば、Burgmullerの25の練習曲やヘラーのEtudeとほぼ同levelのEtudeになりますので、100番や110番に進ませる必要が無いからです。

 

indexへ

 

2.  間違えた日本の装飾音の指導

CouperinやRameau、Daquin等のrococoの作曲家達の作品を演奏するためには、正しい装飾音の知識が必要です。

新しくrenewalした時に、装飾音の時代的な弾き方の違いに付いての文章が(教室としては自明の理として)省かれてしまっている事を指摘されたので、蛇足ではあるとは思うのですが、補足説明をします。

日本の場合には、一般的に音楽を学ぶ時には、装飾音の音は拍の前に出して弾くように学びます。

そういった拍よりも前に出して弾く装飾音の弾き方は、間違いではないのですが、時代考証的には、Cembaloやforte-pianoの時代が終わって、現代のdouble actionのPianoが始まる時代からの奏法になります。

その場合のaccentの位置は装飾音の音ではなくて、元々の音になります。
それ以前の時代の装飾音は、意味が全く違うので、所謂、Beethovenの時代が一つの端境期になって、それ以降の作曲家達は現代の装飾音の弾き方になりますし、それ以前の古典派やbaroque時代の作曲家の装飾音は拍の頭に来て、しかも、拍頭にaccentが来ます。
つまり、幹音の音は弱くなります。では、肝心要のBeethovenはどのように弾くのか??というと、曲や作曲年代に寄って、又は、演奏する楽器のgenreに寄って様々になります。(様式の境目では、よくある事なのですがね??)

という事で、この文章はrococoの時代のCouperinの作品である修道尼Monicaのornamentの解説なので、当然後者の弾き方・・・つまり、baroque時代から古典派の時代の装飾音の演奏法という前提でお話をしています。



しかし、日本のPianoの指導者達が拠り所にしている装飾音は、Bachが「invention」などに書いている装飾音の奏法の一覧表なのです。
しかし、これはBachがCembaloを学び始めた自分の息子達に与えた、あくまでも、Cembalo奏法の初心者に対しての、基本のsampleであり型にしか過ぎません。

Bach自身ですら、自分の子供達にはもっと多様な装飾音を指導しています。
その例を「Wilhelm Friedemann BachのKlavier小曲集」などに見ることが出来ます。
「inventionとSinfonia」としては全音版でHans Bishopff版が出ています。
Bachが実際に自分の弟子や子供にCembaloを指導する時に、どのように指導したのか、を推し量る事が出来ます。
Cembaloの学習を始めたばかりのBachの小さな息子がこの曲を弾けた・・という事は驚きです。

BachがCembaloを学び始めたばかりの息子に書いて与えたという初歩の練習曲です。

幾ら、Bachの息子だとしても、「始めて・・」与えたというには、少し難し過ぎる課題なので、それまでには幾つかの小品を手慰み程度に弾いていたのだと思います。

正式にBachの弟子達と一緒にCembaloやOrganの奏法を学び始めた頃の課題曲だったのではないでしょうかね??




J.S.Bach applicatio装飾譜と演奏譜 - YouTube

演奏譜

上記の楽譜のornamentを演奏譜に書き直した楽譜になります。

勿論、装飾音は拍よりも前には出さないので、左記のような楽譜になります。

他声部への奏き分けが必要になるので、現代ではBeyer教則本を終了したぐらいのlevelでは、演奏するのは未だ難しいのではないでしょうかね??








Deutsch(ドイツ)のbaroque時代の作曲家達に比べて、France(フランス)のCembalo奏者達は装飾音をもっと柔軟に音楽的に表情豊かに演奏しました。
しかし残念ながら、そういった表情豊かな演奏styleは楽譜に記譜出来るものではありません。

現に私がいろいろな曲を子供に指導する時にも、付点8分音符と16分音符のスキップですら、音符に書き表す事は出来ないのです。ですからlessonで「ここはもっと柔らかいスキップで!」とか、「ここのところは複付点のスキップのように鋭く!」とか、口伝で伝えていくしかないのです。

演奏で伝達すれば、小さな子供でも理解できる単純な表現ですら、音符に書いて表すと大変難しい細かなリズムの音符になってしまいます。

(今回はそれを承知で、話を進めていきます。)

 

また、日本で普通に演奏されている装飾音の弾き方ですが、唯単に素早いだけならまだ許せないわけでもないのですが、多くの人達がPianoを演奏する時には鍵盤の底まで打ち抜いてしまうように力強く叩いて、カタカタ鍵盤の音をさせるようなtouchを好みます。
そういったtouchのままで、装飾音のすばやい音を弾くとどうしても、装飾音に不自然なaccentがついてしまいます。

何故そういったカタカタとしたtouchが好きなのかは、教室のホームページから「芦塚先生のお部屋⇒インストマニュアル⇒touchについて、あるいはfortePianoについて」を参考にしてください。



修道尼Monica

ここからはいよいよ、Couperinの修道尼Monicaの装飾音の演奏法に入ります。

 

 

最初のモルデントの装飾音にかまけてmelodieがぶち切れになってしまっている例があります。



装飾音を一生懸命に鋭く弾こうとして、音が切れてmelodieが繋がらなくなってしまっている例です。

モルデントの音を一生懸命に弾こうとするために、melodieが切れてしまうわけなのですが、ここのpassageでは、その他にも原因を見る事が出来ます。前の小節の最後の音のFaと次の装飾音の頭の音が同じFaであるために弾き直しをしようとして、切れてしまうと言う原因もあるのです。ここのFaとMiのmelodieが繋がりにくいのはそういった複数の要因のためです。

こうなると美しいmelodieを歌っていく事は出来ませんよね。

私も音楽大学時代とか卒業をしたばかりの頃には、trill等も規則正しい律動で弾いていました。
音楽大学を卒業してEuropaに留学をして、Parisに遊びに行った時にFranceの若い(とは言っても当時の私よりは年上でしたが)Cembalistと知り合いになって、salon‐Concertoで彼の演奏を聴く機会がありました。
CouperinやRameauの小品をCembaloで演奏していたのだけど、まあなんというtrillやmordent等の装飾音が自由で美しいのだろうか??また、歌い込みの旋律の言葉のような自由さに超、Shockを受けてしまいました。
CouperinやRameauの音楽の真髄を教えられた思いがして、私が日本で学んでいた音楽が滑稽に思えて来ました。
rubatoの素晴らしさ・・を、眼前に見せられたのですよ。

Helmut WalchaやGustav Leonhardtとは全く違ったFranceのespritが表現されていたのですよ。
しかも、彼は無名の若手のCembalistに過ぎません。France人の国民性とでも言えるのかな??

baroque時代から古典派の時代に至る『端境期』には、C.P.E.Bachの提唱する「感情表出主義」という時代があります。
しかし、J.S.Bachの息子達、C.P.E.Bachや、J・C・Bach等々の作曲家達は前期古典派と言える分類になって、古典派を先取りした作風になります。
ItaliaのScarlattiはBachやHandelと同時代に産まれた作曲家なのだが、作風は後期baroqueの作曲家と言えるので、Franceを中心とした作曲家達である、CouperinやRameau等のrococoの作曲家は異色であって、私はロマン派の先駆的な作曲家達ではないか??と提唱している。Franceにはその後はロマン派まで、優れた作曲家が誕生していないのは特筆すべき事である。
その理由は面白いthemaなのだが、この文章からは逸脱してしまうので、次の機会にする。 

 indexへ

3.  正しい装飾音(Ornament)

装飾音には主に二つの意味(役割)があります。

その一つ目は、言葉通り 「飾り立てる(装飾Ornamentする)」という意味で、弦楽器のvibratoを意味します。

baroque音楽では即興的に色々と飾りを入れて演奏するように言われています。
その飾りの入れ方は才能であって天性のものと一般的には言われているようです。
それはもう殆どバリエーションの技術で作曲の技術ですよね。

私達の教室では、教室の先生達はbaroqueやrococo時代の装飾法、即興演奏の方法を私の指導の元に勉強して、Fiori musicali baroque ensembleという名前のアンサンブルで演奏活動をしています。
しかし、それはとても専門的な知識と演奏の技術が必要ですから、普通にピアノを学ぶ人達にはそこまでの勉強は必要ではないでしょう。

基本的なbaroque時代やrococo時代の演奏を勉強するための第一歩は、まず装飾音の記号の演奏に慣れることです。

記号自体はBachがサンプルに書いたものが殆どであり、その数はさほど多くありません。
殆どの音楽家の人達はこのBachの書いた装飾音のsampleを盲信しているようなのですが、BachはこのsampleをCembaloを学び始めた自分の息子のために書いた分けなので、実際にBach自身がそういう風に弾いた分けではありません。
あくまでも、子供の教育のためのsampleとして書いたに過ぎないのです。

基本的な装飾音の記号は、Cembaloではその撥弦の機構が、機械的である所から、表現できないビブラートや accent、強拍や 弱拍を表したりするために装飾音を入れて表現をする・・という意味があります。

period奏法ではviolin等でもよく用いる事のあるcrescendoを表すtrillなのですが、最初はtrill無しで、少しずつtrillの振幅の幅とbeatを速くして行くtrillがよく知られています。
また、glissando(グリッサンド)またはportato(ポルタート)を表すschleiferと呼ばれる装飾音等もあるのです。

しかし、forte-pianoから近現代のdouble actionのPianoの発達によって、装飾音に寄らなくてもそういった音楽的な表現は可能になったので、古い奏法として、装飾音の演奏法は忘れ去られてしまいました。

Cembaloやpipeorgan等では、音列の音の強さは均一、均等になります。

しかし、弦楽器や管楽器では、個々の音のnuanceを表現出来るのですが、当時の鍵盤楽器ではそのarticulationの表現は出来ませんでした。
つまり、強拍であったり、弱拍であったり、melodie-lineの頂点の音を意味したりという、その微妙な音符の演奏表現のために、・・・或いは、楽譜上には、書き表す事の出来ない微妙な演奏上のnuanceを表現するために、装飾音が使われるようになって来たのですが、現代のPianoがそういった表現が出来るために、baroqueやrococo時代の装飾音の表現の色々な技法が失われてしまう結果になってしまいました。
それがこんにちでは、baroque音楽やrococoの音楽の装飾音を勉強する上での、neckになっているのです。

しかし、指導者たる者がbaroque時代やrococo、古典派の時代の装飾音の奏法に対して、正しい理解を持って、子供達の比較的に幼いうちから、そういった微妙な表現方法を指導するのならば、そういった趣旨で装飾音の演奏法を学んでいるのならば、baroqueの装飾音の持つそういった微妙なニュアンスの奏き分けは決して難しいものではありません。

そういった意味でも教室の子供達には、baroqueやrococoの装飾音と古典派、ロマン派の装飾音の奏き分けなども、早い時期に折に触れて説明し学習させています。

 

では、修道尼モニカの解説を始めましょう。

まず最初にテーマを弾いてみましょう。

修道尼モニカを弾くときにいちばん大切な注意は、装飾音がいっぱい入っているので、装飾音のところで音が強くならないように気をつけることです。私がよその教室の発表会などを聞きに行くと、殆どの子供達が装飾音を強く弾いていました。

一般に日本の音楽教育では、装飾音というのは一種類しかなく、常に“すばやく鋭く弾く”・・だけなのです。

日本の音楽教育をリードする音楽大学ですら、baroque時代の装飾音の弾き方を正しく古式豊かに、楽典的に捉えて指導している先生には、まだお会いした事がないので、音楽大学の学生達もそういったOrnamentの勉強をしないままにみんな音楽大学を卒業してしまいます。

ですから、私が、音大生等に「本当は、装飾音の弾き方というのは、速い装飾音からゆっくりした装飾音まで、いろいろあるんですよね。」と言って弾いてみせると皆驚いてしまいます。

速い装飾音というのは、音のaccentアクセントとか、forteフォルテとか、音の(音符の)強勢を表します。

それに対して、ゆっくりした装飾音というのは、弱い、柔らかい音を表現します。

だから、装飾音はたとえ小さい音符で書いてあるからと言っても、常に素早く鋭く弾いてはだめなのです。

ハッ、ハッ、ハッ!

 

triller(トリラー)やmordent(モルデント)は、melodieの流れに対して、それ自体に不自然なaccentがつきやすいので演奏するには細心の注意が必要です。

どうしてaccentがついてしまうかというと、装飾音のときに指を速く動かさなければならないので、指に力が入ってしまうからです。

装飾音というのは、手の型さえきれいに整える事が出来れば、指の力を抜いて、ころころと転がすような感じで弾くと、上品に美しく聞こえます。

 

まず、修道尼モニカのメロディーがどうなっているのかということを自分でよく理解するためには、一度装飾音をとってmelodieだけにして、練習してみましょう。

 

譜例:(装飾音をつけずに)

装飾をつけずにピアノで弾いて見ると、こんな風にmelodieのラインが見えてきます。

小さな膨らましが2回、その後に大きな膨らましがあって、「↓」の「B♭」の音が頂点で、収めのdecrescendoに続きます。

余談ですが、こういったFormの事をbogen formといいます。a(1小節)+a(1小節)+b(切れない大きな2小節)というFormです。

装飾音というのは、チェンバロやピアノはヴィブラートが出来ないからヴィブラートのつもりなのよね。
だからそういう音を「きれいにきかせたいなぁ!?」と思うときに装飾音を入れます。
弦楽器には、accentを表す、所謂、vibratoaccentもあります。
強く弾く事だけが、accentを表現する事ではないのですよ。

チェンバロなどの楽器では、ピアノと違ってアクセントが出来ないので、強拍を表すために弾く装飾音があります。
しかし、反対に、全く同じ記号で表すので、困りものなのですが、音を弱くきかせるための装飾音も(弱拍の装飾音の)あります。
それを弱拍を表す装飾音と言いますが、今さきほども書いたように、装飾音記号も強拍を表す装飾音記号も同じなのです。

上記の譜例は装飾音を省いて書きました。

注1はドの音であり、しかもトニカの裏拍で当然弱拍になります。下記の譜例では3連音になっていますが、3連音に近いぐらいの柔らかな優しい感じで演奏すると言う意味です。

ですから、ここのモルデントは弱拍を表すモルデントでなければなりません。

注2はドミナンテの和音であり(トニカに対してドミナンテは強になります。)拍頭でもあるので、このミの音は軽い強拍を表すためのトリルでなければなりません。(但し、前の拍からmelodieラインが繋がっているので、accent気味のトリロよりも、melodieの滑らかさを生かして、より柔らかい感じのするプラルトリルの方が良いかもしれません。でも強拍である事は変わりありませんので、前の拍の16分音符に対して32分音符に限りなく近い音符でなければなりません。その速度差のコントラストはとても大切です。

 

注3のシ♭の音はmelodieの頂点の音になるので、すばやいダブルのモルデントでaccent気味に強調します。(すばやいダブルのモルデントの装飾音を弾き終わった後のB♭の音が、不思議な事にピアノのポルタートのようにaccent気味に美しく響くはずです。)

注4のプラルトリラーはdecrescendoしたphraseのおしまいの収めの音ですから、丁寧に演奏されなければなりません。ですから、3連音に近い、ゆっくりとした優しい柔らかなプラルトリラーとなります。

とは言っても完全に3連音になってしまっては、装飾音の感じがなくなってしまいます。

そこはしっかりと奏き分けをしなければなりません。

弱拍の装飾音を弾く時には、melodieラインの膨らましを邪魔しないように、滑らかに装飾音が演奏されなければならないのです。

今回この論文では、Couperinのモルデントとトリルの話に限ってのみ、書いてみたのですが、モルデントとトリルの二つの装飾音を取り上げるだけでも、速いaccentを表すtrillと、弱拍を表すmordentや、sostenutoを表すmordentや、ritardandoを演奏するためのritardandoや、音を長く続けるためのtrillなどもあります。
装飾音だけで、これだけの細やかなニュアンスの違いを弾き分ける事が出来るのです。

それが装飾音の持つ本来の力です。

netで装飾音やornamentに付いての論文を探していたら、装飾音やornamentを付けるのは神から与えられた才能である・・と書かれた論文を見つけました。
日本の音楽の教育界では、装飾音の弾き比べやornamentを作らせる事はないので、日本人にとっては未知の分野なのかもしれませんよね??

一切の情緒的な表現を無視して、melodieとして音符が本来的に持っている音符の特性をそのままに、装飾音譜を付けてsampleの演奏をしました。
強拍を持つmordentや弱拍を表すmordent、或いは持続のためのtrillやsostenutoを表すtrill等だけで、表現をしたのだけど、誰もが普通の装飾音にしか思わなかったよな??
そんなもんよ!!
天才も才能も、装飾音には必要はないのだよ。

参考までに、装飾音を実音で書いた譜面とその演奏を掲載しておきます。

      

 修道尼Monica Couperin 装飾譜 - YouTube

繰り返しになりますが、「装飾音というのは、唯、単に『速く』弾けばいい。」というものではなくて、ヴァイオリンのヴィブラートのように、綺麗に美しく聴かせたいと言う、その音に対して、装飾音をかけるのです。
ですから、もし装飾音を弾こうと思ったときに、指使い等の何らかの理由で不自然なアクセントがついてしまうようだったら、逆に装飾音をいれないで演奏する方がまだ音楽的に美しく表現する事が出来ます。
装飾音にはあくまで本来の意味があるのですから・・・。

 indexへ

4.  Finger pedalの弾き方と意味

Cembaloという楽器には(ピアノのように)音を残すためのpedalというものはありません。

(時々、pedalがたくさんついているCembaloを見かけますが、それはレジスター(音色)を操作するためのpedalで、所謂、音を伸ばすためのpedalではありません。ちなみに、pedalCembaloというのはオルガンのように足鍵盤のついたCembaloを指します。pedalつきのCembaloは5本pedalのCembaloというような言い方をします。)

では、pedalがないと言う事は、Cembaloという楽器は余韻の響きの少ないシンプルな音がするのでしょうか?

いえ、そんな事はありません。私達がCembaloを弾いた時には、ピアノと同じようにpedal効果を出す事が出来ます。

昔の人達は指でpedal効果を作っていきました。それをfinger pedalと言います。

修道尼モニカの最初の小節の左手のパートを見てください。

  

現代風に書くとしたら、下記の譜例でもよいはずです。

baroque時代やrococoの時代も、実際には下記の現代的な譜面のように書かれる事が殆どでした。

むしろ、この曲のようにfinger pedalが書いてある譜面のほうが珍しいのです。

(理由はfinger pedalをちゃんと書こうと思ったら、とてもめんどくさいのでネ。)

しかし、どのように書かれようと、慣習的にはCouperinの譜面のように、あたかもpedalがあるように演奏されました。こういった演奏法の事をfinger pedalと言います。

finger pedalを指導するときには、実際に生徒の前で演奏して見せると、別に何等 難しい問題はありません。

しかし、finger pedalを譜面にするととんでもなく難しい事になってしまいます。

よく考えて見るとすこぶる単純な頭の体操なのですがね。

次の例を見て、考えて見てください。

平均律1巻1番プレリュード

見ても咄嗟には何の事か分からないと思います。でも、演奏すると極めて単純です。

ですから、ffinger pedalが書かれる事は極まれだったのです。

現代風にpedalを入れて弾くと、3拍目や、次の小節の1拍目は1個の音になってしまいます。

しかし、finger pedalの奏法で弾くと、常に音の比重が、上に4声部の響きがして、和音の強弱が出ません。また、和音の移り変わりがとてもsmoothです。
これはpedalでは表現出来ない奏法になります。



 

1.  抜き出し練習とそのpoint

Beyer教則本やBurgmullerの教則本を学ぶ時に、抜き出し練習の躾をしなければなりません。

Pianoの技術が上達するにしたがって、曲数も増え、1曲1曲の長さも長くなり、練習するpointも増えていきます。ですから、通し練習ばかりしていると、練習時間が足りなくなってしまうばかりでなく、練習そのものも、上手く成り行かなくなってしまうからです。

生徒によっては、全く抜き出し練習をしてくれない生徒もいます。私はそういった生徒には曲を渡す時に、最初は曲を渡さずに、抜き出し箇所だけを渡す事にしています。

子供達が間違うところは曲によって大体決まっています。修道尼モニカの3eme Couplet の16分音符の所は、むしろ指使いで引っかかっています。正しい指使いを覚えればそんなに難しくはありません。

一般的には、ロンド形式のように、たくさんの独立した曲が集合して出来ている曲の場合には、子供達は、それぞれのドウブルのカデンツ(終始句)の所で引っかかってしまうことが多いようです。

修道尼モニカの場合には、繰り返しを除くと、6種類のカデンツが出てきます。

この曲に関してはあらかじめカデンツ(終始句)をキチンと予習させておくと、子供達は問題なく弾けるようです。勿論、6拍目の32分音符のskipは拍子通りのrhythmでは鋭すぎるので、終止句としてpoco rit.をすることで、丁寧に収めるように弾かなければなりません。
rococoの時代では、自然なritardandoに従って、ornamentを演奏する場合に、ornamentを拍の中に無理やりに収めて書くという習慣があります。勿論、その場合にも、ritardandoに従って、自然な「揺らし」で演奏します。(譜例を持って来ようと思ったのだけど、Monicaとは別の曲の譜例になるので、紛らわしいので掲載はやめておきます。)

譜例:themaのカデンツ(終始句)

後は以下、ドウブルごとに、カデンツを抜き出して、そこの部分だけをあらかじめlessonしておくと良いでしょう。
初めての生徒やまだ抜き出し練習に慣れていない生徒の場合には、抜き出し箇所を作る時には、楽譜をコピーをして、切り張りして、スクラップブックを作らせても良いでしょう。

そういった練習法に慣れてきたら、自分で抜き出し箇所を見つけさせるようにします。


次の譜例は、頂点のBの音とkadenzのritardandoを表すための装飾音になります。
頂点の溜め(tenuto=音符を引き伸ばす意味のmordent)と、自然なritardandoを表すための装飾音になります。
FからB♭へのGとAのschleiferは、歌で言う所のglissando(音を繋げる事)を表しています。

indexへ

 

6.Coupletごとの性格の奏き分け

ロンドでもっとも大切な事は、themaとドウブルが1本調子にならないように演奏することです。
修道尼モニカでは三つのCouplet(クープレ)が出てきます。
その一つずつの独立した曲の性格を三者三様に弾き分けることがとても大切です。
それが上手に弾き分けられたときに、themaに戻った時の安堵感がロンドの醍醐味なのです。

Rondeauの形式なので、themaAに対して、第一Couplet、第二Couplet、第三Coupletが出て来ます。
楽譜に寄っては、Rondeauと第一Coupletから第三Coupletまでしか書いてない楽譜もありますが、勿論、Couplet毎にRondeauのthemaに戻って演奏します。A+Couplet1、A+Couplet2、A+Couplet3、Aという風に演奏します。
Rondeauのthemaはそのままのtempoで演奏される事の方が多いのですが、その都度現れるCoupletは毎回tempoを違えて演奏するのが、普通です。(日本の場合には、全て同じtempoで演奏する事が多いようですが・・、それはtraditionalではありません。

ドイツの空港に着いて、Munchenの街に辿り着いた時に、電車の道で大声で顔を真っ赤にしながら、怒鳴りあっているおじさん達を見ました。「何を喧嘩しているのだろう??」と思って、傍に寄って会話を聴いて見たら、なんと道を説明しているだけなのでした。
日本人ならば、静かに説明するのでしょうが、流石は、Europaです。日常の会話にすら、その表現のoverさにすっかり驚いてしまいました。

それにも増して、salon・Koncertでの音楽表現と、500人程度の小Hallでの表現、3000人ぐらいの大Hallでの表現は全く違うという話を学びました。
だから、こういったCouperinの小品でも、Couplet毎にtempoを変えて弾くのが、普通なのですが、日本では淡々と同じtempoで弾く事が多いようですよね??

私の場合には、Rondeauのthemaを付点4分音符のMetronom‐tempoが52だとすると、CoupletTは56ぐらいで、CoupletUは前半部Aが56で、前半部Bは58です。後半部のAが56に戻って、後半部のBが54ぐらいになります。

勿論、Rondeauのthemaの52に戻って、最後のCoupletVになって、前半部が60、後半部が58になります。そして、Rondeauのthemaのtempoに戻ります。

 

後の注意事項はピアノのlessonの一般的な事項になってしまいますので、修道尼モニカの解説で述べる必要はないでしょう。

Baroque時代の音楽やrococo時代の音楽特有の装飾音の演奏法の導入の手助けになればと思っております。

 

芦 塚 陽 二  拝

江 古 田 の 寓 居 

一静庵にて

2009年9月3日脱稿

indexへ

追伸:

この論文は、私の書いた資料としては最も古い反故から起こしたものです。
この論文の最初の草案は35年以上も前の、(音楽教室を創設するよりももっと前の)大学講師時代に書いた論文に属します。

ですからこの草稿は失われた原稿を、その草稿からtap起こしをしたり、ワープロの2DDのフロッピーの文章から、パソコンのOCR操作を経て、やっと今のパソコン用のワード文章として、書き起こされたものです。
勿論、その都度、文章の変更や修正がなされて、元のtapeの文章とは見ても、見間違う程の改定がなされてきました。

いずれにしても、この古い文章が残っていた事すら、奇跡的なことですけれどね。 アハッ!?

 

追記:
更に、2018年の9月に「芦塚先生のお部屋」のPageが全てぶっ飛んでしまいました。という事で、このモニカのPageも無くなってしまいました。
古い古い第一稿が残っていたので、仕方がないのだけど、この初稿をupする事にしました。

indexへ