音楽で食べていくのは大変よ!

 

 

 

一般の学校の先生や、はたまた音楽大学の先生までもがしたり顔で、「音楽で食べていくのは大変よ。」と言う言葉は、私もよく耳にします。

しかしそれは、ちゃうなぁ〜!

今でも音大生はそう思い込んでいるのだから困ったものです。

音楽で食べていく事・・・、確かに、それがソロ活動をして、飯を食う事であったら、日本だけでは無く、世界的に見ても、或いはもっと長いスタンスで、歴史的に見ても、それが出来た人は殆どいません。歴史的名演奏家と言われる人達でさえも、です。大半の演奏家達は大学の教授という肩書きや弟子の指導料で生計を立てたりしています。「音楽で食べていく事」という話はそのまま、この話を「音楽を志す人の夢」と置き換えてもいいと思いますが、音楽を学ぶ人がその人の夢を達成することが出来るかどうかは、その人自身の夢を本人達が如何に把握しているかによります。

例えば、音楽大学を目指す人達の夢は異口同様に「ソリストになること」と言いますが、それはオリンピックに出て金メダルを取ることよりももっと難しい事ではないでしょうか?

そういった夢を抱く事はとても貴重で大切な事です。しかし、目標は目標としても、オリンピックに出れなかったからといって、その競技自体を捨てる人がいることは、本当はその競技自体を好きではなかったのであって、金メダルが取れれば競技自体は何でもよかったのではないかとも思われますよね。

それでは、あまりにも競技自体に失礼になりはしませんか?

私だったら、そんな人には音楽はやって欲しくは無いのです。

 

また、困ったことにこんな例もありました。

 

「私はピアノがとてもすきなの。何時間ピアノを弾いていても飽きないわ。」

「それはいいね。で、今度の演奏会では何を奏くの?」

「Mozartのソナタ。で、Mozartのことは何にも知らないから、プログラムの解説書いて欲しいのだけど・・・。」

「えっ!Mozartの生い立ちの事やどういう事情でこの曲が書かれたか、本を読んだことはないの?」

「あまり、作曲家のプライベートな事は好きじゃないから。」

「ハァ〜!?」

「作曲家が嫌いで、その曲が好きって事、あり?」

「うん、あり!」

 

ともかく、「音楽が好きだから、演奏活動をする」わけで、「演奏活動が目的で音楽をやる」のなら、それを聴いてくれる人はいないと思うのですが、その事を音楽大学生に何度言っても不思議な事に分かってもらえないのだよね。

 

というわけでその話はさておいて、当然ソリストにもレベルがあります。世界的な歴史に名を残す事の出来るソリストと言えば、十指に数えるぐらいしか居ないでしょうし、当然、日本人でその10指に入りえた人は小澤征爾さんだけでありましょう。

これは日本人の評価ではなく、世界の人達での知名度という事での話ですが・・。

 

しかし、音楽家であり続ける事に、世界で一番である必要は全く無いのです。世界で一番の人ですら演奏活動で生活が立たないのなら、演奏活動に経済的話を持ち出す必要は全く無いからです。

演奏活動の意味をちょっと謙虚に捉えて、お客さんにクラシックの音楽を楽しんでもらうと考えるだけで、演奏活動の場は広がっていきます。(ホームページ掲載中リンク)

不思議な事はたくさんあります。音楽大学生は、レパートリーを持たないのです。

私達はよく「この曲とこの曲を弾けるようにしておいて。」といいます。そうすると、音楽大学生は必ず「いつ演奏会があるのですか?」と聞いて来ます。演奏会の日にちから逆算して、その曲を弾けるようにするらしいのです。(らしい・・・というのは私達の教室ではそういったことはやっていないからです。私達の教室ではレパートリーの事を常設曲と呼んでいて、いつでも何処でもその場で言われたら、演奏出来なければなりません。私が子供達によくする話は、「お魚屋さんを開くのに、お店にお客さんが来て、注文があってから、『じゃぁ、今から釣りに行って来ます。』何て言っていたら商売にはなンないよね。」という話です。小学生や中学生にはメニュー・カードを作らせて「お友達から『何か聞かせてよ。』って言われたら、『じゃぁ、ここの中から選んで・・!』って言ってカードを渡すとかっこいいよね。」っていつも言っています。勿論、実行している子供もいるんですよ。)

 

音楽の演奏でリピーターを作るためには、演奏の水準も大切です。世界一の演奏家には及ばなくともそれに近い技術を持つことは大切な事です。でもそれも、方法があるのです。

自分のレベル(Niveau)を上げるには、まずは一つの事が水準に達すればよいのです。それはたった1曲の曲でも良いのです。教室では小さな子供の為に先生方にBachのメヌエットのような簡単な曲をCDに録音させています。所が、これが出来ないんだな・・・?

或いは、ブルグミュラーなどの曲を楽譜に書いてある通り、指使いもarticulationもそのままに模範演奏してといっても音楽大学の卒業生の皆さん、これが出来ないんだよね?いや、不思議、不思議!

しかし、努力をすれば、ブルグミュラーの中の1曲ぐらいは、世界的水準で弾く事は出来るのではないかな?

名曲の100曲を世界一の水準に達せさせることが出来なくとも、少なくとも小品の1曲2曲だけでは世界の水準に到達させる事が可能ではないでしょうかねぇ・・・・。

音楽大学では、音楽大学生が一生に一度も公開演奏で演奏することの無い、コンチェルトや大曲を4年間かかって勉強させます。しかし、一番演奏する機会が多いはずの、小品、特に名前を持った小品の数々を指導してくれる教授はいません。(いたとしても、アカデミックに学術的に小品を指導された日には、こちとら、たまったものではありませんがね。)

 

大学というものは本来アカデミックなものです。ごく一部の勉強(研究)したい人だけが大学に進んだのです。今でもドイツなどではそうです。ドイツは小学4年生で自分が何になるのかを決定しなければなりません。そして肉屋になるなら肉屋の学校に行きます。靴屋の学校、仕立て屋の学校、ギムナジウムに進む学生は大学に進学する生徒だけなのです。それは一部のエリートであるわけです。ですから、職業学校を出た人も、それはそれは自分の技術に対して自信を持っています。それだけ勉強を積み重ねてくれば当たり前でしょうね。日本でも職業が親の後を継いでというのは当たり前でしたが、大学が民間になって、大学自体が営利を追求するようになってきてから、日本では話は少し変わってきました。

その時は、女子大生亡国論が叫ばれて来る昭和40年頃からです。一般の大学はその後は、就職するための予備校に変わっていくのです。それを学閥といいます。「何処そこの会社に就職したいから何処の大学に行く。」と言う風に大学が本来の勉学の追及の場から、就職のためのリクルートの場所として変貌していった時代でもありました。

昔、昔は音楽大学もはっきりとエリート階級の進学する大学という事が眼に見えていました。サラリーマンの中には娘をエリートと結婚させたいが為に、かなりの無理をして音楽大学に入学させていた親もいました。上流の人がまず花嫁候補で探すときのステータスの一番が音楽大学卒業のお嬢様だったからです。

しかし、それは昭和40年頃までの音楽を学ぶ人達がある特殊な階級に属していた時代の話しです。

私の学生時代もそうでしたが、音楽大学生はエリート中のエリートで、学校に続く道は当たり前ですが、渋谷や池袋の人ごみの中を歩いていても、音楽大学生は一目で見分けがつくほど、衣装のセンスも飛びぬけて洗練されたものでした。

そういった彼女達にとっての人生は、もっと勉強を続けたければ留学すれば良いし(1ドル360円の時代ですが)、留学して帰ってくればその成果を1、2回演奏会でも開いて見せれば、それで後は、良家の子女としての縁組が待っている、というわけで、いずれにしても生活のために働くと言う考え方は音楽大学の先生や生徒の中にはありませんでした。

しかし、音楽大学も現在は御多分にもれず,少子、高齢化、や人口の減少の影響で受験生の数も驚くほど減ってしまい、まずは、センスが普通になって、池袋どころで無くそこらの一般大学生との区別がつかなくなって、「あれあれ」と心配していたら、江古田や池袋、上野の町の界隈から音楽大学生が姿を見せなくなってしまいました。音楽大学を受験する生徒達も、中流の一般的な家庭からの生徒が大半になって、卒業して就職先を探して大騒動することなども当たり前の時代になってきました。

 

受験して入学してくる生徒が変わっているのにもかかわらず、指導する学校側、先生側の意識は相変わらず明治、大正、昭和時代のそのままの意識です。

その根本原因のひとつは、音楽大学で指導しておられる先生方自身が実社会の経験を持たない、(音楽大学を卒業と同時に音楽大学にそのまま就職してしまっていて、大学から一歩も外に出た事が無い、或いは実社会で働いた事がない)という事に根ざします。つまり音楽大学の先生は「音楽に関する仕事を上げてみて。」と言われても、経験が無い事は答えられないのは当たり前で、音楽大学の教授連中がいったいいくつの音楽社会の現場の仕事を数え上げられることが出来るでしょうか?

 

それともう一つは音楽大学で指導する先生方の「音楽を職業として捕らえられる事に対する意識」が、全く私達とは違います。音楽の楽しさ、素晴しさを私達に伝えると言う事ではなく、芸術至上主義で音楽の前にひれ伏せよ。私は崇高な音楽の伝道者である。と宣っているのです。だから自分は偉いのだと!と。しかし、私達は本当に素敵な演奏を生で聞きたいと思ったら、有名な演奏の演奏会にチケットを払って、聴きに行けば良いのです。別に、自分はえらいと思っている、若い女の子の演奏を、無理をして我慢して聴かなくってもね。

 

と言うわけで音楽大学を卒業した人達にとって演奏会をやることは夢のまた夢になっています。一つは会場にお客さんを呼ぶ事が出来ない。誰もチケットを買ってくれない。特にクラシックではね。

もう一つは、演奏会をやろうにも、それだけのレパートリーがない。

私達の教室にはプロとしての活動をするための、カリキュラムがあります。どうやってレパートリーを作っていけば良いのか?どうやって、演奏会を開いていけば良いのか?などなどです。

 

私の門下生だけで作っているFiori Musicaliはバロックでもオリジナル・バロックといって古楽器を使って古いままの奏法で演奏する団体です。

一般には、オリジナル・バロックなどと言うウルトラ・スーパー・超マニアックな曲目でコンサートをやろうとすると何処の演奏会場でも、普通は広い会場にお客さんの数が10名に満たないぐらいの、がらがらの状態になります。

ヨーロッパに長年留学をしてきて有名なメルクスにバロックヴァイオリンを師事してきた人も、日本に帰ってきて、もう4,5年も経つのにこれまでに一回も演奏活動をしたことが無い(お呼びがかからない)と言う事で悩んでいました。

ところで、私達のFiori Musicaliは、近所の喫茶店で定期的に年1,2回位のペースでオリジナル・バロックの演奏をしていますが(勿論、年に1,2回のペースと言うのは古楽器の演奏会、Fiori Musicaliとしての話しで、通常の演奏活動は、多いときには月2回位のペースで演奏活動をしています。月1,2回と言うのは、演奏会をするためには、演奏時間の関係で教室のレッスンをお休みしなければならないことが多いのですが、(例えば金曜日の5時以降の生徒さん達とか、どうしても平日よりも週末や、花金に演奏会が集中するために、)同じ曜日、同じ時間に演奏会をしなければならないことが多いので、特定の曜日の生徒さん達にしわ寄せが来てしまって、迷惑をかける事が多くなります。先生としての義務をちゃんと果たしたとして、それ以上演奏活動をすることは、教室の先生としては無理なのです。(あくまで教室の先生としての立場がメインなのですから!)

と言うわけで、やっとlesson時間の調整をして、演奏日の予定が決まって、その喫茶店に演奏日の報告に行ったその日の夕方の内に、あっという間に予約が終了してしまい、次の日の朝には全く席がなくなって、今までも教室の父兄の方々や、生徒さん達にも演奏をお聞かせ出来ないのです。そのお客様方は以前私達の演奏を聞いていただいたリピーターの方々なのです。

ですから、バロックヴァイオリンの演奏の場所がないと悩んでいらっしゃるメルクスのお弟子さんの方にも、「もし演奏する場所が無かったら、私達とコラボレートしてもいいよ。」と声をかけてみるのですが、(別にそのメルクスのお弟子さんの達のような特定な人のお話ではなく、私が知り合う事が出来た、不特定多数の音楽家の話なのですが)不思議な事にいくら声をかけても、何の反応もありません。多分喫茶店などで演奏活動をすることは、プライドが邪魔をするのでしょう。

彼女達にとっての理想的な演奏活動の場所とは上野のコンサートホールかオペラシティの大ホールなどの公開演奏なのでしょうが、オリジナル・バロックは100名が限度ですから音量的には、マイクでも通さないと無理なのですがね。

私達の考え方は、年に1,2回、ホールで演奏会をしても、100名ぐらいの小さな会場で5回、10回演奏活動をしても、年間で通算してしまえば、お客様の人数的にはホールでの演奏を聞きに来てくださるお客様の数と変わらないし、足を出さないで演奏活動を続ける事が出来るので、(例え建前は、無料奉仕であったとしても、良い演奏をすれば)顎足ぐらいのお足には必ずなるので、損をすることは全くありません。ですから、体力さえ続けば、私達にとっては「演奏会を開くためにお金をかける」なんていう事は有り得ないのです。500名のホールと100名の演奏会を5回することには、基本的に違うことがあります。それは、100名の演奏会でも結構リピーターの方は、会場が遠方であったとしても、何処までも聴きに来られる方がいらっしゃるので、プログラムを5つ作らなければならない事です。お客様に「その曲は前の演奏会でも弾いていましたね。」と言われてしまったら演奏家のプライドとしては溜まったものではないので・・。

 

と言う事で、「音楽で食べていくのは大変だ」というのは、殆どが音楽を勉強する人の状況の把握の甘さや勘違いであります。

まあ、いまだに私の教室からは一人もホームレスは出ておりませんネ。(ホームレスに憧れるひとは結構いるかもしれませんが・・・)みんな音楽の仕事が忙しくててんてこ舞いしています。