プロになるには
第二巻

前書き


演奏でプロになるためには、そのためのカリキュラムが必要となる。今からもう7年近くにもなるであろうか、コンクールを目指す生徒や高校から直接海外留学を目指す生徒達がいたのだが、体調を崩して2ヶ月ほど入院を余儀なくされることになってしまった。病院のベットの中で身動きもままならない状態で子供達のために「プロになるためには」というタイトルの小冊子を書いた。ソリストになるためにはそれ相応の演奏上の技術を必要とする。しかし、その技術はコンクールや海外留学の延長線上にはなかなか見出せない。どうしても、間違えた方向に進んでしまうことが多い。プロになるための正しい方向性(目標の設定)と勉強のためのアドバイスをしたためたつもりである。(しかし残念ながら諸事情でこの冊子は子供の手には渡らなかったが。)
今回は、よく人が誤って考えている「ソリストでなければ、演奏家ではない。」という誤った考え方を是正するところから、プロというものを考えていきたいと思う。

2006年12月1日第二稿改定

プロの定義(なにをもってプロと呼ぶか)


多い妄想・・音大を卒業すればプロになれると思っている(思わされている)

今だに、音楽を学ぶ人達の間で、プロになる定型のコースとして、音楽大学を卒業して、海外に1、2年留学して帰ってくれば、日本ではプロになれるという昔からの夢のような考えを持ち続けている人達がいる事は驚きです。
私達の留学時代のように、1ドルが360円の時代、或いはもっとさかのぼって、音楽事始めの明治時代ですら、そのような現実はありませんでした。
留学した人の一部が有名になったり、成功(なにを持って成功というかは知らないけれど)したりした事はありますが、それでも数多くの留学を終えて帰朝した人の一部にしか過ぎません。本人達がそういった甘い考えに取り付かれているわけなのだから、ましてや親はもっともっと甘い考え方をしています。
それは、「音大に入学さえさせればプロになれる。」という考え方であります。
しかし、このプロという言葉がまず問題であります。
日本では「演奏活動をすればイコール、プロだ。」という考え方があります。そこで、音大を卒業したり、留学から帰ってきて、年に1〜2回の演奏会をする、そして言います。「私はプロです。演奏家です。」と。
本人がプロだというのだから、それはそれでよいでしょう。
しかし、私達のように、「プロ」という言葉をたつき(たずき)の糧として捉えるとすれば、「演奏=プロ」という考え方はなりたたない。それは高尚な趣味としかならないのです。
「でも音楽は芸術ではないの?」確かに音楽は芸術です。しかし、音楽家が芸術家であるかどうかの判断は、本人がするものではなく、周りの人や、後世の人にゆだねられるべきものです。つまり、言い換えると全ての音楽家は職人に過ぎません。そしてその職人技が芸術の域に達したとき、始めて周りの人から芸術家という呼称を貰えるのです。もしも、自分が芸術家だと思っている人がいたとしたら、よほどの自信のある人か、どうしようもないうぬぼれ屋の人か、大学の先生かでしょう。
プロという言葉を職業としてのプロと限定して考えるのであれば、演奏会をしてその演奏会の上がりが30万の赤字に押さえられたとしても、それが毎回赤字であるとすれば、それは職業としては成り立ちません。音楽大学の先生達のように、半ば強制的に生徒達にチケットを割り当てればある程度は枚数もさばけるかもしれません。でもそれだけでは会場を満席には出来ませんので、残った分は招待券にしたり、色々な人に頼み込んで少しでも空席を出さないようにしなければなりません。生徒も友達同士お互いチケットを売りあわなければならないので、そのうちに生徒は先生にチケットを返す分けにはいかないので、「ただでもいいから聞きに来て!」と自分でチケット代を被ってしまうことになります。(当世は、平気で返却してしまう生徒も増えているようですが)
自分自身で演奏会を企画したとしても、お父さんが会社の社長か役員かで、チケットを社員に強制的に売りつけた(某有名建設会社の社長令嬢のように)としても、それが2年、3年と続けば、いくら社長という立場だとしても「またよろしく頼むよ」とはだんだん言いづらくなるし、先行きが尻すぼまり(尻すぼみ)になる事は目に見えています。
現に、大学を卒業した(あるいは留学を終えて帰国してきた)熱心なピアニストやヴァイオリニストの卵たちが「年に1〜2回のペースで演奏会を続けていきたい。」と、希望を述べるのに対して(一回の演奏会を準備するのに半年や一年もかけることが前提とされているように気がして)、私はその演奏活動が果たして「3年間続くだろうか?」と疑問を感じざるを得ません。
音楽社会以外の一般社会でも3年の壁という言い方をよくしますが、その職種に慣れて、一人で働けるようになるまでに、殆どの職業は最低3年間を必要とします。また、一般の場合には、その研修期間の活動でも、充分にお金を稼ぐことができますが、音楽の場合には、年間1〜2回のペースということで、そのためにピアノにしがみついて、働くことも無く、1年間必死に練習をし続ける、というのもおおよそ現実的ではないでしょう。1年2年間なら、私もモラトリアム期間ということで社会から隔絶することがよくあります。しかし、それが20年30年続くとしたら、これは変ですね?
また別の問題もあります。学生の頃、鮨屋のカウンターに座っていたときに、テレビからベートーベンの第9交響曲が流れてきて、それを見ていた鮨屋の板前さんに質問されたことがあります。「俺は1日だいたい100人分にぎらないと採算取れないんだけど、あれで採算取れるのかね・・・?」確かに第9交響曲ともなるとフルオーケストラの他に合唱を入れて総勢500名くらいの人数と成ります。
大ホールが満員で仮に3000名入ったとしても、出演者は500人いるのだから、一人当たりの売上は、僅か6名分にしか過ぎません。仮にチケットが5000円だとしても、一人当たりの売上は3万円にしかすぎないのです。しかし反対に必要経費の方はホール代だけでも100万円を超します。それにポスターやプログラム代、練習費や会場費、宣伝広告費を載せれば、絶対的に赤字にしか成らないでしょう。しかも必要経費はそういったハードの面ばかりではありません。裏で作業をするスタッフも必要です。大きいプロジェクトになるとそれを企画運営するプロダクションの役割も大切です。プロダクションやスタッフに払う費用も必要となります。いったいどこから団員の給料を捻出しているのか、一度音楽プロダクションに務めている弟子にゆっくり聞いてみたいものです。
話しは横道に逸れましたが、演奏活動のみで生活費を稼いでいるという例はクラッシックではほとんどありません。(ポピュラーではその逆で音大を卒業したばかりのスタジオミュージシャンやアレンジャーなどは20代でマンションや1戸立ての家が買えるほど稼げます。ヴァイオリンなどが大して上手くなくとも、ちょっと可愛ければ(顔やスタイルがよければ)テレビや各種イベントで引っ張りだこになります。(それで自分がうまいんだと勘違いしている人もいますが)
一般にはあまりよく知られていないことですが、アイドル歌手よりも(テレビでアップされない)バックで弾いているミュージシャンのほうがはるかに高給取りです。クラシックでは、名前がでてきてそこそこ人に知られるようになったとしても、テレビやラジオの出演料はすずめの涙にしかなりません。そういった悪条件にもめげずに、30歳を越しても一生懸命頑張って地道に演奏会を続けているまじめな人達も、数多くいて、たまにそういう人の演奏会を聴きにいくこともあります。
しかし、200席〜300席の小ホールよりもはるかに小さなホールでやっているのも係わらず、
殆どの場合、客席はがらがらです。つい先日も私が見にいってきた演奏会はお客の人数より出演者のほうが多かったようです。
不思議なことに集客力と演奏家の腕前はかならずしも比例しているわけではありません。時には客席に立ち見がでるほど満員なのに演奏の方はからきしで「金返せ」というような演奏会もあります。まあ、そういった例外はともかくとして、一般的には、学生に強引にチケットを交わせている大学教授や卒業した手の音大生、ご祝儀まがいの留学帰りの卵たちを除いたら、大半のクラシックの演奏会はがらがらの赤字で続けられているのが現状でしょう。赤字覚悟で、クラシックで演奏活動を続けることは至難のわざと言わざるを得ません。経済的問題、集客数の問題、技術の維持の問題が解決出来れば永続的に演奏活動を続けることができます。と言う訳で、私達はいわゆるコンサートのような形式での演奏会は、あまりしておりません。
教室の父兄の方々によく「コンサート・ホールでの演奏会をやらないのか?」とか「チケットを売りさばくのは任せてほしい。」とか申し出があって感謝しております。でもやるとなるとある程度、永続的にやらなければ意味がありません。単なるセレモニーとなってしまうからです。職業とするには永続的に年間何回のコンサートでいくらの収益を上げる、というペースが必要だからです。そういったわけで、私達の演奏活動はほとんどが招待か、さもなくばボランティア活動に、今、現在は限っています。最低でも衣装の洗濯代や(ステージ衣装の洗濯代は一着につき万円がかかります。六人でステージに立つと選択代だけでも10万近くいく事があります。)交通費は保証されているし、集客数も多いときには500人くらいにはなりますし、少なくともお客様の人数が演奏者より少ないと言う事はありません。そういった演奏会を年に何回か定期的に行ったとすると、結果的に集客数の上でも年二回の500名1千名の演奏会よりはるかに多い人数を集めることができるのです。
また、プロの条件としては、ステージが決まってから、練習を積み重ねて演奏に望むのではなく、いつでもどこでも注文された時間、内容(曲目、編成など)がクリアできなければならないのです。
ということで、日頃から練習を重ね、アンサンブルとしては今現在、(バロックのトリオ・ソナタだけでも)6時間程度のレパートリを常時所有しています。また、ボランティアなどの出演の場合、かなり厳しい金銭的条件がはいってくることもあるので、(例えば、自治会のような所で仮に500円ずつを100名から集めたとしても、5万円にしかなりません。そこからパンフレット代や会場費等等を払っていったとして、幾ら演奏者に捻出できるでしょうか?)そういった事情も鑑みてご期待に沿えるようにするために、チェンバロの移動やチューニングなども出演者達自らやっています。

一般に音大あがりの人達は、プライドが高いためにボランティア活動のようなものを極端に嫌がる傾向があります。職業として演奏活動をしている人は、最初に「ギャラはいくらか?」と聞いてくる人が多いようです。それを真似して音大卒業したての人が経験も浅いのに同じようにギャラを優先に聞いてくることは残念なことです。経験をつむことはとても大切です。自主上演で身内ばかり聴きに来ている所では、お世辞ばかりで本当の批評を聞く機会はありません。それなのに音大を卒業した若い演奏家の卵たちが「クラシックでは演奏する場がない。」とか「仕事がない。」とか嘆いているのは私にとってはただのわがままのようにしか思われないのです。
少なくとも私達の仲間のプロ活動を10年以上続けている演奏家の人達で金額の事を聞いてきた人は誰もいません。結構有名な人達ですらです。
若い演奏家の卵達は「演奏する場所がない。」と言う割には、そういった金銭関係を含めて色々な条件をやたら気にするし、「あなた達に弾いてあげるのよ。」とか「聞かせてあげるのよ。」とか結構高飛車な態度をとる子もいます。そういう態度では折角一度演奏させてもらったとしても、2度目の注文(オファー)は無いと思います。

留学帰りの女の子達と私が演奏活動についての話をしていたとき、「ボランティアで演奏活動をする事自体は嫌ではないけれども、クラシックでは演奏する場所がほとんどない。」と言っていました。私が「私達のグループはクラシックしか演奏しないと決めているのにも拘らず、演奏する場所について困ったことはない。」と言ったら、信じられないような顔をしていました。その彼女は海外留学にはCDなどを沢山出している日本でも大変有名な演奏家に師事し、彼の元で研鑽を積んで日本に帰ってきて既に三、四年経つにもかかわらず、未だに演奏会を開くことはおろか、ボランティア活動ですら自分の演奏を披露する場所は見出す事は出来ないと嘆いて言っていました。私の友人にも、いまだにCD売上No.1を誇るような先生にめぐり合い師事することの出来た人がたくさんいます。しかし、現在は、せいぜい大学で後進の指導をするぐらいで、演奏活動をつづけている人は殆んどいません。どうしてなのでしょうか?

彼女と話をしていて、なんとなく演奏活動の場所がない理由が分かりそうな気がしてきました。それは彼女の音楽に対してのプライドの持ち方に拠るような気がします。そしてそれがとりもなおさず、一般的な音楽家達が持っている音楽に対する意識のように思われてならないのです。
音楽に対するプライドとクライアントに対しての意識は私に言わせれば関係の無いものです。沢山の人達にこんなにも素晴らしい音楽を聴いて貰う・・そして一人でも多くの人に音楽を通じてメッセージを送り届ける、それが音楽家のあるべき姿ではないでしょうかね。
私はこの十年以上人の前でピアノなど演奏することはなくなりました。持病のリューマチが悪化して年々指が動かなくなっているのです。ですからたまにパーティなどで酔っ払った勢いで弟子のバイオリンの伴奏をしたり、発表会で子供のオーケストラのビオラやチェロのパートを当日気分が乗ったら、助っ人に入って子供達のじゃましたりするぐらいです。ですからいろいろな場所に演奏に出かけても、逆に演奏を聞く側の立場で会場の皆様と話が出来ます。
難病の患者のいる大病院や高級な老人マンションのようなところではボランティア活動が集中して行われており、有名オーケストラの団員や有名タレントなども一種のステータスとしてボランティア活動に積極的に参加しているし、逆に可愛いといえば近所の幼稚園や保育園なども地域のボランティア活動として参加しています。そしてそれが必ずしもボランティア活動を受けている人達にとって、手放しで喜ばれているわけではないのです。有難迷惑という感情をもろに出される方もいます。
私達は教室で子供たちを教えることがメインですから、決して積極的にボランティア活動をしているわけではないので、こちらからボランティア活動の場所を探すというより、逆にいろいろな団体の関係者の方から依頼を受けて演奏をすることが殆どです。それでも始めて団体の方とお話をするときには、ご多分に漏れず、私たちも「またか!」という顔をされます。これは、紹介をしてくださる人と、主催者は往々にして違うので。
しかし、本番で演奏の途中当たりから、演奏を聞いてくださっているお客さんやスタッフの人たちの表情が和んできます。演奏が終わって私達が帰る頃には、下にも置かない様な丁寧な態度で感謝されて、逆に私たちの方がすっかり恐縮してしまいます。
私達がそんなことを言うと「そんなに素晴らしい演奏なのかな?」と思われるかもしれませんが、実際にはボランティア活動に参加する子供達は、四歳児五歳児や小学低学年生、中高生まで希望参加の児童、生徒達までが参加していますし、演奏する先生たちもあくまで教育活動の合間の対外出演であり、「本来の教育活動に支障が出るような演奏活動はしない。」という教室の基本原則があります。
ですから、技術的に言えば常時練習や演奏活動を続けているプロのオケマンや、放課後の時間をうんと有効に活用出来る中高生の部活の方がより高度な技術を持って演奏が出来るはずなのです。先日などは教室と事務所の連絡の手違いで、2週間前に演奏の日が変更になり、半年前からボランティア活動に参加を募って、練習を積み上げてきていた生徒達が突然出演できなくなり(曜日がかみ合わなくなり)、急遽新しいメンバーで〔メンバーに合わせた新しい曲〕を演奏しなければなりませんでした。勿論、先生方はそういった色々な状況に対応できますが、5,6才の児童や小中学生では納得のいく演奏など望むべくもありません。2週間の間に練習の時間が取れたのは4回に過ぎませんでしたが、精一杯真剣に取り組んでまいりました。結果は暖かい絶賛の声を沢山戴くことができたのです。そういったことでも一般の方が望んでいる演奏とは、上手な演奏ではないのだということが分かります。

私達の江古田の事務所の近くに行きつけの喫茶店があります。そこでも年に何回かはいろいろなグループがミニコンサートをします。コーヒー屋の店長さんが「どんな曲でもいいよ。」と言ってくれるので、年に一回、思い切りマイナーなトリオソナタのコンサートや、バロック・オンリーの超マニアックプログラムをしかもバロック奏法、バロック楽器で演奏します。殆どの曲が、日本初演であろう様な、そんな超マニアックプログラムにかかわらず、演奏会の日にちが決まった次の日にはもうチケットは予約で満席で、私達が招待しようかと思っていた人達のための席すらありません。チラシやプログラムの方が後に出来上がる始末であります。
ほかの日ですが別のグループが、誰もが知っているような曲を集めた名曲アルバムのような演奏会をやっていました。私たちもよく演奏するような曲目です。でも見ると、三十席に満たないのに、結構空き席が出来ていました。
演奏活動をしたい人に繰り返し言いますが、「完ぺきな演奏と評価は必ずしも結びつかない。」ということなのです。私達が演奏したあるところではチェンバロはおろか、「ヴァイオリンやチェロをはじめて見た。」という人ばかりでした。しかしその次に行った所の人達は、「若い頃「往年の名演奏家○○の生の演奏を生で聴いた。」という人や、今活躍している有名な演奏家たちの若かりし頃の演奏も知っているし、中には有名な演奏家のお母さんも居たりします。また、若いころはリユウトを著名な演奏家たちと共演していたという人もいました。そういった人たちも「とても楽しかった。」と言ってくれました。それはなぜでしょうか?
その答えは、もしもあなたの演奏が自分に向かっているのだったとしたら、その演奏がどんなに完璧だったとしても、だれも感激しないだろうということなのです。私はよく「完ぺきな演奏を望むんだったら、コンピューターにやらせればよい。」といいます。私はコンピューターで演奏したショパンのゴドフスキー版を持っています。なかなか面白いですよ。音の間違いが何カ所かありますが当然それはコンピューターのせいではありません。私自身も3声のインベンションや平均律の模範演奏のテープを作るのにコンピューターに演奏させて作ったことがあります。細かいディナミークや強弱など人間の演奏では不可能に近い超絶難度もこなしてしまうので、勉強の為の参考にはなります。今のコンピューターは微妙なテンポの揺れや強弱なども、表現することが出来ます。
私が子供たちに要求している演奏は、聞いている人が涙を流してくれる演奏であります。ボランティアのときだけでなく、いつもの発表会のときにも子供の演奏を聴いて涙を流している人を見受けます。子供の下手な演奏でも涙を流してくれる人がいるのですよ。
しかし、心を込めて演奏することは、感情過多なオーバーな表現のことを指すわけではありません。技術をひけらかす演奏では、どんなに完璧に弾いたとしても涙を流すことはないのです。子供自身が自分に対しても音楽に対しても誠実に取り組むことによって初めて人を感動させる演奏というものができるのです。
演奏活動している先生方にしても同じであるべきです。完ぺきな演奏を望むとすれば練習時間がたっぷりある音大生の方がより完ぺきな演奏が出来るかもしれない。しかし、人を感動させるものは見せかけの表現ではありません。自分をひけらかすことでもないのです。音楽に仕える僕(しもべ)としての誠実さであります。他人に対する安っぽい同情などくそくらえです。
がんセンターで演奏する前の練習の時に、子供達に言った言葉があります。「君たちと同じ年頃の子供たちが病気と命がけで戦っているときに、君たちは彼らに何を言うことができるか?」「安っぽい同情ならばボランティアなどしない方がよい。」「君達が出来る最高のことをしなさい。」結果、子供たちはとても素晴らしい演奏をしてくれました。

私達の演奏会では、今まで演奏をした色々なところから「是非もう一度やってほしい」とか「毎月でもやってくれないか」などのリピートがあります。顧客を増やすことが演奏会を定期的につづける秘訣です。顧客を増やすということは、再現なくお客を開拓していく事ではなく、リピーターを増やしていくということなのです。これが営業の秘訣なのですよ。


演奏家以外の音楽のプロ
専門家というのは必ずしも演奏家を指すことだけではありません。音楽関係の色々な職種を目指す人達がいます。蛇足かもしれませんが、少し、就職についてお話をしましょう。

2月、3月ぐらいになると、以前は大学に務めていた関係で、色々な音大卒業生が伝(つて)を頼って電話をかけてきたり、訪ねてきたりしました。だからといって誰でも希望の所に紹介できるわけではありません。紹介するには、やはり紹介者としてのある程度の責任もあるからです。
昔、人に頼まれて、私がある関東で一番大きな音楽教室に講師として紹介したある音楽大学の卒業生が一月もたたないうちに勝手にその子の友達を紹介して、自分はさっさと辞めてしまった、という苦い経験もあります。自分の弟子と違ってなまじ知らない人を紹介することは難しいことなのです。友人の頼みでもね。
しかしながら、音大の卒業生たちが人づてに紹介を求めてくるのには、やむにやまれぬ音大の事情もあるようです。音大の先生方は、現場とは隔離された環境にいますので、現場のことを知らなさ過ぎるということがあるようです。良家のお嬢様で、バイト一つしたこともなくただただ練習に励んで、大学に行き、留学して、音大に勤めやがて教授になった。つまり、社会との接点がまったくない(或いは、必要もない。)ということです。
また、学生側の問題点としても同じことが言えて、現場の職種をあまりにも知らないのに、ただテレビのドラマなどでその職業に憧れて、それだけで「就職したい。」と言う子も多いのです。
ミキサーになりたいという女の子が訪ねてきました。最初はまじめに「ミキサーになるには三通りの方法があるんだよ。」などと、その職業に就くための道順を説明したのですが、その子の反応があまりにも無反応なので、ふと「ところで、ミキサーってどういう仕事か知っているの?」「ミキシングってどういうことをするのか知っているの?」とポータブルのミキサーを出してきて「まずこのスイッチの名前はなんというか知ってる?」「こんな機械見た事ある?」と質問をしました。その結果彼女はPAはおろか、ミキシングどころではなく、カセットに自分のピアノを録音したこともない、ということに気がつきました。
ミキサーやPAの世界は、まだまだ男の世界で、女性のミキサーはまだいないか、いたとしても非常にめずらしい存在だと思います。
その男性社会の中で仕事をしていこうと思ったら、相当な覚悟が必要となるはずです。
自分が就職したいという職種のことを、何一つ知らないままに就職活動するということはいったいどういうことなのでしょうね?
あまり知られていないことではありますが、音楽にたずさわる職種は演奏家や音楽教室の先生、中高の音楽の先生などに限らず色々な職種があります。
中央の法科を卒業間近の女の子(16歳までは地方で芸大のピアノ科に進むべく頑張っていたのですが、とうとう挫折して一般大学に進学しました。)ですが、やっぱりどうしても音楽関係の職に就きたいということで、回りまわって私のところに訪ねてきました。
「演奏家になるのは今からは無理だよ。」と言うと「演奏家は無理でも、演奏家の人達と関わっていきたい。」という希望なので、法科という職種を活かして、彼女には語学の勉強(英会話)を至急するように言って、大手のプロダクションを紹介しました。まず、学生なのでもぎりのバイトから始めました。そこで彼女がまず驚いたのは、もぎりという、チケットを受け取るおばさん達の仕事です。チケットを受け取ったらA席B席と席別に分類して20枚くらいずつの束にしてもぎりが終わります。お客さんが全員入場し終わったら、
バイトの子たちが皆集まって値段別に分類するので、入場し終わってから、1時間くらい分類に掛かります。もぎりをプロとしているおばさんたちは、その作業をチケットをお客さんから受け取ると同時に、手の中で済ませてしまいます。
手の中で値段別に分類して、20枚ごとの束に輪ゴムでまとめて、下に置いてある紙箱にポンと入れます。それを、お客さんからチケットを受け取りながら同時にこなしてしまうのです。ですから、最後のお客さんが会場に入ると同時に、さらさらとデータを伝票に書きこむと「お先に」と言って、さっさと帰ってしまいます。
一見するとただチケットを受け取っているだけのように見えますが、「もぎり」でもプロとなるとそこに大変な技術があるのが分かります。
彼女は音楽関係の色々な分野のバイトをしながら、プロの技術を見学しました。そして日本には数社しかないクラッシック専門の音楽プロダクションに無事就職できました。それまでに(約半年かな?)英会話教室で会話の技術をマスターした彼女は、就職と同時に彼女の夢である外国人の演奏家と一緒に日本国中を演奏活動で旅することができるようになったのです。
会社でも音楽教室でも雇うのなら即戦力となる人が良いに決まっていますからね。

私の生徒の例をもう一つ、お話しましょう。お題は「急がばまわれ」と言うところでしょうかね。
ずいぶん以前の、6月頃の話です。彼は、地方から出てきた普通(一般)大学受験の浪人生でした。条件は、受験勉強のストレスの解消として、追い込みとなる10月、11月頃までヴァイオリンをやりたいということでした。
それから、タイムリミットの10月、11月になっても「もう少し続けます。」と言う事で、12月になってしまいました。
所が12月も後半になってくると、彼の目標としていた学校が毎週ころころと変わりだします。「先生、此処を受験する事にしました。」挙句の果てには「先生、音大を受けます。」と言い出す始末です。いわゆる受験ノイローゼでしょうか?
そこで、私は彼の受験勉強について、テコ入れをする事にしました。
まず第一には、だらだら勉強するのを止めて、時間割を作ることです。
50分勉強したら15分休む事にしました。それまでは、納得の行くまで時間を決めないで(もちろん大まかには決めてはあったようですが)勉強していたようです。
「その時間内に出来なかったとしても時間は延長しない。」と言うルールを作りました。
数学をやったら英語、国語をやったら物理、と言うように前後に暗記系の科目などがダブらないように配列しました。
でも一番大切なのは、休みの時間のすごし方です。いったんTVなどを見て、だらだらすごしてしまうと、次の勉強の時に集中が出来なくなるのです。ですから細かく休みの時間の内容を決めて行きました。本当は、一日のうちで1時間半程度のだらだらタイムも(食事時間の後などに)欲しいのですが、ノイローゼがひどいので下手にだらだらタイムを作ると悩み考え込んでしまい、逆効果なのです。
15分の中身は、まず軽いジョギング(額に汗をかく程度の)主に夜の音出しが出来なくなった時間、昼はヴァイオリンの練習を中心として、部屋の掃除などもこの15分の時間に入ります。
食事、風呂なども(勉強が終わってと言うわけには行きませんので。《借家住まいで銭湯とかでは時間に何かと制約されます。》)当然時間割の中に組入れなければなりません。そこが自動的にロング休憩になります。
一見すると休み時間さえ、時間に拘束されて追い込まれてしまうような感じに見えますが、実際にはけじめがついて体が楽になるのです。
タイムテーブル(スケジュール表)はまず一週間だけ使用します。何故なら、時間割を作るのがなれない間は、理想ばかりで現実味を帯びないからです。
上手く行かなかった時間の配列や過不足を調整します。次の調整は2週間後です。
その次は・・・・週間後にと言う風に、少しずつ現実味を帯びたタイムテーブルを作り上げますが、理想のタイムテーブルが出来上がった頃には、もう受験は終わっていることでしょう。
次のノイローゼ対策は、新しくビオラを学ばせて、先生方の対外出演に参加させたという事です。入試の時にも受験会場にヴァイオリンとビオラとステージ用のスーツケースを持って行き、試験が終わると、演奏会場に駆けつけると言う事をさせました。
後で彼は「周りの受験生から『何事?』と言う感じで白い目で見られてしまった。」と笑いながら話してくれました。
白い目を向けられたと言えば、実は彼だけ出なく私自身も、彼と同じ年頃の弟を持つ(私のチェロの生徒で大学の心理学の講師でもある)人や私の音大時代の友人で高校の教師をやっている先生等のその道の専門家からも、非難ごうごうでした。「ヴァイオリンやビオラはすぐにでも止めさせて受験に専念させるべきだ。」
大学講師の生徒の弟さんで、同じ浪人生は逆に彼の事をうらやましがり「いいナ。僕もリコーダーなどを習いたいな。」と口走ってしまって、「とんでもないでしょう。今は受験に専念しなさい。」とお姉さんに怒られてしまいました。
そして私に向かって「今は追い込みだから、少々のノイローゼなど当たり前なのです。」と怒っていました。
もちろん結果は言うまでも無く、ヴァイオリンやビオラに専念した彼は、第一目標の大学の国文に見事合格して、私に文句を言ってきた弟子の弟さんは、2浪が決定しました。(今はコンピューター関係ですばらしい仕事をなさっていますが)
これは私のメソードの中の、ストレスの理論によるものなのです。教育論文「よいストレスと、悪いストレスについて」参照
憧れの大学には行った彼は、どう言うわけかそれからもヴァイオリンを続ける事になりました。と言う事で毎週(と言うよりほとんど)教室に入りびたりで対外出演などに参加していました。卒業をまじかに控え、いよいよ教育実習です。子供のオーケストラなどで進行表の計画の仕方や書き方などを教室で教え込まれていた彼は実習でも別格に扱われて、ちょっと天狗になっていたようです。「今はどんな教室にも2,3名の落ちこぼれが居て、その女の子の一人が相談に来たのだけど、4,5名の生徒ならともかく、30名、40名の生徒の家庭環境などを把握する事は無理ですよね。」と言いました。私は怒って「卒業して中高の先生になるのは許さない。大学院に行ったつもりで、大学の特殊を受けなさい。」と申し渡しました。まず、入学した彼が驚いたのは、来ている生徒が学校の先生か教育関係に従事している人ばかりで、彼のように大学卒業と同時に学びに来ている、という人はあまり居なかったということです。次に最初の授業で講師の先生の開口一発「皆さんを半数ぐらいは落ちこぼすつもりでやります。特殊には(現場には)いい加減な人は必要ないのです。」の言葉でした。
しかし、生徒達も必要だから来ている人がほとんどで、それに驚いたりビビッたりする人は居なかったのです。特殊ではいろいろな状況の子と接する事が出来ます。その話は此処ではいたしません。ただ彼の考え方や社会に対する見方がすっかり変わってしまった、と言えば十分でしょう。
この話にはおまけがつきます。
今もそうですが、教員はとんでもない就職難です。
せっかく教員免状を取って、教員採用試験に合格したのに自宅待機です。自宅待機中は別の所へは就職出来ません。
彼の友人(同級生)は5年間の自宅待機の後やっと学校に勤める事が出来ました。大学の特殊を卒業した彼は、ストレートで採用されてしまいました。5年も待って居る(その時は浪人分も含めて、都合3年ですが)彼の友人をさておいてです。
何故なら、男性でスポーツマンで、ヴァイオリンが弾けて特殊の資格を持っている、おまけに進行企画が書けるとなると・・・・採用されないわけが無いでしょう?
県は特殊の出来る先生が欲しくて、わざわざ学校の先生を特殊の勉強に大学へ送り込んでいるのですから。
まさに、急がば回れ、とは思いませんか?

音楽教室の場合
私達の教室は音大生以外にも、一般の大学生のオーケストラも指導している関係上、一般の大学生とも接する機会が多いのです。
そして感じる事は「音大の学生達は一般大学の学生に比べて就職にたいする意識が非常に低い。」ということです。
一般大学の場合には就職活動は2年生のときから始まります。3年生の時にはもう就職活動です。卒業年次には職場での研修と大学の二束のわらじですね。「30社回った。」とか「50社回った。」とかは当たり前で、冗談で泣く「100者回りました。」という生徒もいました。
音楽教室に務める場合でも、逆にその音楽教室はどういう先生を求めているかという問題や、音楽教室では自由に教えられる教室と、その教室のシステムに従がって教えなければいけない教室があるということすら知らない人が殆どです。
特に留学帰りの人などにとっては、「教室のメトードで教えてください。」とこちらがいうと憮然とされる人がいます。自分のプライドを侮辱されたように感じるのでしょう。
他のメトードやシステムなどを研究することはとてもよいことだと思います。私は自分の教室の先生には色々なメトードを研究させています。何故なら、色々な教室で挫折してくる生徒がいますが、いきなり芦塚メトードで指導したのでは(全く別世界で)受け入れてはくれません。別の教室で習っていた期間が長ければ長いほど、新しいものは受け入れにくいのです。
その為に他所の教室からの生徒が入会して来た場合には、まずは、私達の教室の先生はその生徒が前の教室で今まで習ってきたメトードのままで教えるのです。そして1,2年かけて一つづつ、徐々に芦塚メトードに換えていきます。
ショパンはリストそっくりにピアノを弾く事が出来ましたし、リストはショパンそっくりにピアノを弾く事が出来たのです。優れた演奏家は常にいろいろなメトードを研究しています。
アメリカの有名なヴァイオリン奏者でアーロン・ローザントと言う人がいます。私の弟子達と初めて公開レッスンを見に行った時、「なんだ、まさにジュリアード風じゃないか!」と腹を立てて帰りました。2年後ぐらいに弟子達が「又、ローザントが来るそうですよ。先生、見に行きましょうよ。」私は「あんなレッスンは見たくないな。」と嫌がっていたのですが、無理やり弟子達につれられて行って、びっくりしました。
何と何と、弓の持ち方から、ヴァイオリンの構え方、音出しに至るまで、全く以前とは逆の事を言い、しかもそのように弾いていたのです。まさに私達のヨーロッパ・スタイルで!
「この年になって、自分のメソードの全てを変える事が出来るなんて!」
あらためてアーロン・ローザントの人間性に感激いたしました。
ローザントおじいさんだってがんばっているのに、若い女の子が20代、30代で凝り固まっているなんて信じらンないね!


就職の為に私達の教室を訪れた某有名大学の学生の中には、自分がコンクールを受けるためにレッスンで通っている先生の所への通り道なので「ついでに寄って教えたい。」などという人もいました。「コンクールを受けるの!すごいでしょう。」「ついでにあなたの所で教えて上げるわ。」そう言った態度が見え見えなのかな。
よっぽど「貴女の受けたがっているコンクールなどは、私達の教室では趣味の子達が全国大会で入賞しているよ。」と言いたかったけど、大人げないのでぐっとこらえて、そういったことがいかに失礼なことなのか、教育とは何かを説明していたら、その子がびっくりした顔(不思議そうな顔)をして一言
「先生は教育に対してプライドをお持ちなのですね。」
「たかが子供を教えるのに、何でそんなに真剣にならなければならないの。」
と言う事なのです。
その子は某一流音楽大学の卒業生です。そういった人は面接にも来て欲しくはありません。
「芸術家はどんなに生意気でも許される。」というのは妄想です。極々限られた変人を除いて、ヨーロッパの超有名な音楽家は、とても腰が低いのですよ。それは自分に自信があるからなのです。

箴言
自分に甘い人は他人に厳しく、自分に厳しい人は他人に優しい。(ヨージーの法則)
                      05:4:2脱稿(06年12月1日改定)
                      一静庵 庵主