Sonatine Album Index

まえがきのindex
まえがきが大変長くなってしまいましたので、まえがきにindexを付ける事にしました。
sonatine albumこもごも
出版されているsonatine albumについてのお話です。

古典派という時代区分についてのお話
古典派という時代は僅か77年か80年ぐらいの時代なのですが、楽器がCembaloからforte-pianoに変わっただけでなく、為政者も教会から貴族、民衆へと目まぐるしく変わった変革の時代でもありました。
そのために、作曲様式も大変大きな変革を遂げたのです。


forte-pianoのお話
残っていた古いversionのback・upから復元しました。Pageの作成は、時間を掛けて書かれて行くので、back・upとは言っても、その全てのPageではありませんが、無いよりはまし・・という事でご辛抱ください。


Cembaloからforte-pianoへ
音楽の作曲様式の変化は作曲家の座右の楽器の変化でもあります。
Cembaloからforte-pianoへ、そしてsingle actionからdouble actionへとPianoの歴史は変わって行きます。
失われてしまった文章で、新たに作成する予定ですので、気長にお待ちください。(19年7月28日現在)





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indexの文字をクリックすると、前書きを飛ばして、indexのPageに移動します。
indexの、曲目の文字をクリックすると、その曲の解説のPageにlinkします。

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indexのPageです。各、曲別のsonatineのPageにlinkをしています。






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まえがき
sonatine albumこもごも

こんにち、私達がsonatine albumと呼んでいる曲集は、日本版(所謂、全音版)なのでしょうが、現在も日本版として出版されているsonatine albumの底本になっているのは、ケーラー(Louis Kohler1820年-1886年)とルートハルト(Adolf Ruthardt 1849年?1934年)が編集しドイツのPeters, C. F. Musikverlag(所謂、Peters版)から出版されたSonatinen Album ISBN 979-0014006723と、有名所では、Barenreiter版の二種類でしょうかね。
但し、Barenreiter Urtextの方は、 Kabalevskyまで、載っていて、古典派のsonatineとは言い難い作品も多いので、今は同じ全音の標準版のsonatinealbumとは、一線を画すようです。

Barenreiter Urtextとして全音出版社から出版されて、今は既に、絶版になっているようですが、これは絶版のままで良いと思います。
古い方のBarenreiter Urtext版と、原点版のPeters版は今、海外発注中なのですが、何時、手に入るかは分かりません。
通常では半年後になるので、・・・。

私が教材を使用する場合には、時代考証を伴ったlessonをするので、同一の教材に古典派やロマン派の作品、或いは現代曲が混在していると、すこぶる教材としてはやりにくい。
その時代時代の勉強としては、教本を区別してlessonをするので、Barenreiter Urtextのsonatine albumは使い辛いのです。

私達が少年期を過ごした時代とは、もう随分違っていて、sonatine albumと言えば、こんにちでは、勿論、古典派の作曲家達以外の作曲家の作品も多数出版されていて、sonatine albumが固有の教材の名前としては、成り立たなくなっているのですが、しかし、今でも、殆どのPianoの先生達が「sonatine album」と呼んでいる曲種(album)は、全音版の標準版のsonatine albumの曲集を指しているのではないでしょうか。

勿論、Kohler達が編集した時代が19世紀の中期なので、古典派の作曲家の作品から、Beethoven迄の作曲家までを集めた曲集です。

主に前期、中期の古典派の有名な作曲家の作品の中から、初級程度の演奏技術を要する作品の中で、特に代表的な作品を集めた曲集であります。

ピアノ演奏上の教育教材として、非常によく使用されているのですが、子供の教材として、乱暴に演奏されたりする事が多いし、有名なpianistによって「参考に・・」として演奏される事も多いのですが、それは子供の教育教材として演奏しているのに過ぎないので、本当のこの曲集の美しさに触れられる事は無いようです。

現代の子供達の教育教材として、「指の練習曲としての、sonatine album」としての評価しかないのでしょうから、そこの所は致し方無いのかも知れませんが、子供達にとっても、この曲集の時代考証(古典派のforte-pianoへの奏法を)きちんと守って演奏しているCDでもあれば、子供達やこの曲を指導する先生達も、この曲集の美しさ、素晴らしさを知る事が出来るのでしょうが、まだまだ、古典派のperiod奏法としての演奏を聴く事は難しいようです。

音楽大学で、古典派のforte-pianoの奏法や演奏法を研究しているpianistの方に、
「ちゃんとしたforte-pianoのtouchで演奏している演奏家のCDはないのか?」と、尋ねたのですが、世界中にはまだそういった奏者はいない・・、のだそうです。

同様に、forte-pianoの製作者の人に、
「教室で子供達にforte-pianoのtouchや奏法の指導をしたいので、子供達のために、forte-pianoが安く手に入らないのか?」と、尋ねたら、「今は、未だ黎明期なので、ちゃんとしたforte-pianoが一般の人達が買う事が出来るようになる迄には、後、30年待つように!」と、言われてしまいました。

後、30年もしたら、私は100歳を越しています。
そりゃ、無理だわサ!!


教室には、各教室に、各種の教材と一緒に、必ず上下、2巻のsonatine albumが置いてあります。
勿論、私の部屋で、生徒を指導する事はありませんが、部屋で論文を書いたり、先生達の質問に答えたりするので、私の部屋にも一応は資料としてのsonatine albumとsonate albumが置いてあるのですが、その全てが、全音版の標準版です。
勿論、資料としてのsonatine albumなので、それ以外のsonatine albumというTitleの曲集も多数、置いてあります。

今回、sonatineをちゃんと検証するにあたって、その元になった、Barenreiter Urtext版とPeters版を買って、それに全音で新たに、参考までに「今井 顕氏の校訂版」も、勉強してみようと思ったのですが、(所謂、標準版は、各教室に置いてあるし、ハイツの自宅にも、2巻ずつsetで置いてあります。)  な、な、な、なんと、Barenreiter Urtext版はそれぞれが2690円で、計5380円、Peters版に至っては、1巻が4450円、2巻が3650円、の8100円、それに参考までに、と買った今井 顕さんの2,592円と2,700円で、5292円・・・と、云う事で、合計1万8千7百7拾2円も掛かったのだよ。

sonatine albumって、Pianoの初心者が皆弾く曲なのだから、もっと安くないと・・・嘘だよね!!
いやあ、ショック!!

・・・って、言うか、本当の事を言うと、私が未だ20代、30代の頃に論文の注文が来ると、たかだか2万円とか、4万円の原稿料に対して、その論文の資料のために、惜しみなく、20万、30万掛けて資料を買い込んで、論文を書いていたのだよ。
よく、それで、お袋に怒られていました。
「そんなお金にもならない事に、お金を使って・・!!」ってね!!

後で、お袋の尊敬する広島大学の医学部の学長さんに、
「本を書くためにそれぐらいのお金を掛けるのは当たり前です!30歳になったか、ならないぐらいで、科学技術庁の広報に論文を書かせて貰うという事は、凄い事なんですよ!!」と怒られていました。

amateurの人達は、なるべくお金を掛けないように、図書館の資料でお茶を濁したりします。
しかし、論文を書くために、或いは生徒達に説明をするために、一々図書館に行くだけの時間等々は、(それが仕事になると、そんな時間は、)ある分けはないのですよ。
仕事では、時間が命なのですからね。

貧乏をしながらでも、本や楽譜、CD(私の場合にはレコードという代物ですが)、或いは、時代が下ると、video等の動画の資料等々も、長年の蓄積で、家の1軒や2軒ぐらいは建てられるぐらいの量と、財産になってきました。

コツコツと集めたものなので、音楽大学の図書館や、国会図書館にも、無い資料の本が沢山あったりして・・・!!当時の武蔵野音楽大学の図書館長であった、古庄先生から
「芦塚君、その本、図書館に寄付してよ!!」と、半分、冗談交じりに言われたりしました。

今では、ネットの発達で、海外の出版社でも、出版されていない楽譜等や資料等も、netで集める事が出来ます。
これまでの、長年の蓄積もあって、大概の、資料は、改めて本屋に行って買い揃えなくても良いぐらいに、今まで買い溜めて来た資料や、本で何とかなるようになって来ました。
但し、今回の資料みたいに、初歩の教材に関しては、今まで、資料として、買い揃える必要性はなかったので、例外中の例外の話なのです。

だから、2万以内で楽譜の資料をある程度、集める事が出来るとすれば、それは安い出費なのですよ値!!

音楽は金食い虫ですよね??

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古典派という時代区分についてのお話

長々と、「sonatine album」のお話をしましたので、さて、次は、時代区分のお話をしましょう。

「sonatine album」とは、つまり、一般的には、古典派の作曲家達の易しいsonateを集めたalbum(作品集)を言うのです。
一番有名なのは全音楽譜出版社等で出版されている上下2巻のsonatine albumでしょうかね?
(勿論、ケーラー(=Louis Kohler1820年-1886年)とルートハルト(=Adolf Ruthardt 1849年?1934年)が編纂して、ドイツのPeters Musikverlagから出版されたSonatinen Album を指します。)

しかし、実際には、sonatine albumと名前の付いている曲集は、洋の東西を問わず無数に出版されているのです。
日本で簡単に手に入るsonatine albumだけでも数種類はあります。
その内に、気が向いたら列挙して見ます。自宅の本棚のsonatine albumの所を列挙すれば良いだけなのですが、超、面倒くさいので・・・・、「いつか??」・・です。


さて、古典派の時代についてのお話なのですが、古典派の時代区分については、困った事に、諸説紛々とあって、古典派の始まりと、終わりがそれぞれの主張で、別の年代になってしまいます。

それに、もっと困った事には、色々な作曲家達がロマン派になったり、古典派に分類されるようになったりします。
その諸説紛々の主張の中でも、一番権威があって、音楽の世界でも認められている分類は、「Wien古典派」と呼ばれる分類です。「Wien古典派」という分類では、WeberやSchubert等のロマン派の大家が、古典派に分類されたりっします。

つまり、色々な時代区分の分類があって、未だに、統一された時代区分はないのですよ。
つまり、日本の学校の教科書のようには、行かないのですよ。

それに、baroque時代と古典派の時代の間には、端境期とも言える「rococo時代」というギャラント様式の時代があって、多くのCembaloの小粋な曲が、このrococoの作曲家達の作品になります。その中でももっとも有名な作曲家はCouperinやRameau、J・C・BachやC.P.E.Bach等の作曲家達等です。

では、rococoの時代は「いつから、いつまでか??」という質問ですが、その質問にお答えするのは、容易な事ではありません。
それは、古典派の時代にbaroqueの作曲家が活躍していたり、baroque時代にrococoの作曲家が活躍をしているからです。
古典派の作曲家でも、baroqueの後期に産まれて活躍した作曲家もいるし、古典派の時代にロマン派を代表する作曲家すらいるのですからね??

そういった、konplizierteな複雑怪奇な時代区分を、明瞭、明確にするために、昔々、教室の生徒達に夏休みの宿題として、100人の重要な作曲家達の年表を作らせた事があります。

夏休みに教室に集まって、自主的に年表を作成しました。
発表会の会場に展示して、その前で撮った写真です。
作成者一同・・てな感じかな?


「生徒達のために」・・だけではなく、私は自分のパソコン上には、Excel で膨大な音楽史年表を2つ作っています。

それは、私の個人的な年表なので、一般公開する事はありませんが、膨大なdataです。


その一つは、
「教室がお世話になっている作曲家」というTitleで、もう一つは古典派のPianoの作品の作曲家に限定した「古典派のforte-pianoの作曲家達」という音楽史年表です。

この年表を作成する勉強は、音楽史を理解する上での大きな誤解と解く、非常に重要な作業になります。

それは、音楽史ではbaroque時代の後期に、それこそrococoの作曲家やロマン派の作曲家が産まれて活躍を始めているからなのです。
逆に、非常に長生きな作曲家の場合には、古典派の時代になっても、未だbaroqueの作曲家が活躍をしている場合すらあるからなのです。

つまり、端境期には、前の時代の作曲家と次の時代の作曲家が混同して活躍をしていて、それにrococo等の別枠の分類の作曲家が紛れ込んでいたりするので、複雑怪奇になって、スッキリとした時代区分は出来ないのですよ。


「なんで、古典派なの??」このthemaの設定の後の論文が、紛失してしまっていますが、これはとても重要な課題になります。
私達、音楽を学ぶものは、有名な偉大な作曲家を時代を開拓した作曲家として捉えて、余り、自分に直接関係しない作曲家は、亜流の、その偉大な作曲家達から音楽を学んだEpigonenとして、捉えてしまいがちです。

教室のorchestraでは、古典派の多くの作曲家達の曲を演奏しますが、それを聴いた・・一般のAudienceならば、いざ知らず・・音楽の専門家であるはずの人達、所謂、proと自称している人達が、『StamitzやHoffmeisterやDittersdorfや、J・C・Bach等の作品を聴いて、「Mozartにそっくりね!」と言います。私は、すかさず反論して、「Mozartがそっくりなのですよ!」と答えます。』
そうすると、皆、一様に私の言った事が、「信じられない??」・・と驚いた顔をしてしまいますが、それは年表を見ると、理解出来ます。
皆、Mozartよりも、歳上で、Mozartが活躍を始める前の作曲家達なのですよ。
StamitzやHoffmeister、或いはDittersdorfは、古典派の偉大な作曲家達です。しかし、Mozartに比べて、余り一般的ではないので、ついつい、Stamitz達の方が、MozartのEpigonenとして捉えられてしまうのです。
でもそれは時代錯誤です。
これは様式なのですよ。
Mozartも古典派の時代の作曲家であるのならば、その時代の様式に強い影響を受けます。そして、その時代の奏法で演奏をし、作曲をするのです。

だから、音楽の勉強でもっとも大切な事は、その時代の演奏様式、作曲様式を学ぶ事です。

そうすれば、その時代の音楽が分かります。
Beethovenにしても、Mozartにしても、感情的、感覚的に弾いてはダメなのですよ。




以下、原稿紛失のため、略





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forte-pianoのお話
forte-pianoは未だ未成熟な発展途上の楽器なので、音が割れたり歪んだりする・・・・???
それ、ほんとう??

芦塚メトードによるピアノ奏法

「音楽夜話」より抜粋

Fortepianoについて

私の住まいのある江古田は池袋から10分もかからない距離にあります。そんなに近い池袋ですが、病気がちで、体力がなくなった今、現在は、1年のうちにわずか1、2回しか、その池袋ですら、出かけて行くことはありません。

そんなある日、「どうしても」という事情が出来て、かなり体力的にも精神的にも無理をして、池袋まで出かけました。仕事を何とか済ませて、まっすぐに江古田の自宅に帰るには、ちょっと疲れ果ててしまったので、その帰りがけついでに、池袋で行きつけの蕎麦屋に立ち寄労と思ったのですが、蕎麦屋の前にある中古CDの売り場に、ついつい目が入ってしまいました。

ということで、日頃のストレスもあって、いろいろなCDやDVD(おもに全集)を、衝動的に買い漁ってしまいました。(ひぇ〜!自己反省!!)

そのときに衝動的に買ったCDの一つが、クレメンティのソナタの全集です。

(所謂、一般によく知られているソナチネアルバムに載っているソナチネではありません。とても難しい演奏技術を要する高度なPiano Sonateです。)

ちなみにクレメンティのソナタは、日本版では全音版が1、2巻と出版されています。

CDの演奏者は私の知らないピアニストであったが、一応古式ゆかしく、装飾や即興などを丁寧に入れて演奏しています。
そこまでは、とても良い演奏なのだが、困った事に、何とも音が汚い。
きゃんきゃんとした音で、ピアノの音がみんな割れて歪んでしまっているのです。

まるで日本の音大生が弾いているピアノのようなお粗末な演奏なのですよ。

その困った音の理由は、古楽器であるfortepianoのsingle actionの鍵盤を、現代のdouble actionのピアノのように、力強く弾くからなのです。

この話とは直接は関係はありませんが、以前、放送大学のチャンネルを見ていたら、偶然**のピアノの博物館(?なんという博物館かは、すっかり忘れてしまいましたが・・・)でその楽器博物館の専属のピアニストが「Chopinのノクターンは、如何に弾かれなければならないか?」を、Chopinの使用していたピアノとほぼ同時代の、しかもChopinが使用していたのと同じメーカーである、プレイエル・ピアノで、再現演奏をしていました。

Chopinのお弟子さん達の楽譜に書き残されたChopin自身の書き込みなどを細かく校定して出版された楽譜に基づいた演奏です。

Chopinのノクターンの原譜に於ける楽譜上の弱さが、見事にカバーされていて、それは素晴しい演奏のスタイル(?)であったのですが、こちらの方も、インタープリテーションは見事なのだが、如何せんピアノの音が汚い。

相変わらず、double actionのtouchの音で、じゃらんじゃらんとした音で、弾いている。

Chopinの愛用するピアノは、よく勘違いされる事があるのだが、フランスのエラール・ピアノではなく、何とドイツのプレイエル・ピアノである。
そしてそのプレイエル・ピアノをChopinはとても気に入っていて、よく手紙などで絶賛している。
ちょっとした指先のtouchの変化を繊細に表現してくれるからだ。

Chopinの活躍した時代では、ピアノは力強く、安定性のあるdouble actionのピアノが主流になろうとしていた。
フランスの誇るエラール・ピアノも既に、double actionを採用していたのですよ。

それに対してChopinは、力強さにかけて、安定性にも劣っているが、指先の繊細なtouchやPPの美しい音を表現してくれる、古いsingle actionを踏襲したプレイエル・ピアノを好んだようです。

と言う事で、・・・先ほどの放送大学の話に戻ると、クレメンティのCDに於けるfortepianoの話と全く同じ理由で、「ピアニストがsingle actionのプレイエル・ピアノを、double actionの現代的なtouchで弾いている」から、音が汚くなってしまうのです。

single actionは、それこそ「そう〜」と触っただけでも、音が立ち上がってしまう反面、強いtouchでforteで弾き切ると、直ぐに音が割れてしまいます。
FortepianoのtouchはCembaloなどとおなじように、指を鍵盤の底まで弾き切る様に、しっかりと弾く事など「もっての外」なのです。

Cembalo奏法のエタ ハーリシュナイダーはCembaloを弾くときに、キーの底に達する前に、指をぴたっと止める練習を弟子達にさせました。
キィーを弾き切った時に出るカタカタという音を出しながら、鍵盤楽器を演奏するなどということは、Cembalo奏者にとっては言語道断なのです。
Cembaloを傷めてしまうか、さもなくばキーを折ってしまいます。
そのCembaloのtouchが、当然、forte-pianoのtouchに伝承されているのですよ。

ソフトに弾くときには、当然な事ではあるが、力強く弾くときでさえ、鍵盤の音をカタカタさせてはいけません。

それがCembaloやsingle actionのfortepianoを弾くときの鉄則です。

何もこのtouchは特殊なtouchではなく、新しくfortepianoが開発されたときには、当時のピアニスト達はまだチェンバリストであったのだから、このsingle actionのtouchは、当時としては、当たり前でした。

Cembalo奏法が当たり前の時代だったからです。

ましてや、現代のPianoであるdouble actionのtouchで、forte-pianoを弾く人は、誰一人として、いなかっただろうに!

double actionそのものがなかったのだから、至極当たり前の話なのだが、それが現代の音楽教育を受けてきた音楽家の人達は、どうしても理解出来ないのです。
自分達が学んで来た以外のtouchが有る事すら、分からないでいるのです。

自分達が学んできたtouchで、「single actionのピアノが弾ける」と思い込んでいるだけではなく、音が割れるのは当時のピアノのアクション部分が貧弱なせいで、自分達のtouchのせいではない、と思い込んでいます。

それは音楽家特有の傲慢さ(不遜さ)だと思いますがね!



fortePiano
touchの違いについての補足説明

fortePianoのtouchについては、本当は一言では言えません。
fortePiano自体が過渡期の楽器だったから、その性格も多種に渉ったからなのです。

fortePianoのTouchについては、一般にも分かりやすいように、乱暴に大きく分けると、構造の違いから「イギリス式アクション」と「ドイツ(ウイーン)式アクション」の二つに分ける事が出来ます。

ノイペルト社で製作されているのfortePianoで、所謂Mozartfl?gelと呼ばれる楽器(あくまで製品名で実際のMozartのPianoの複製品ではありません。)や、Chopinの愛用するプレイエル社製のピアノも、或いはフンメル(教室でPianoを勉強している子供達がよく演奏しているPianotrioの作曲家です。)やBeethovenですら、「ドイツ(ウイーン)式アクション」のtouchを好んだのです。
ではそのtouchはどのように違ったのでしょうか?
実際に先程のMozart fl?gel弾いて見ると、そのtouchの浅さに驚かされます。
鍵盤はわづか6ミリしか沈みません。
touchもきわめて軽く、ちょっとうっかり横を向いただけでも音が際立ってしまいます。
力を入れてfortissimoを弾いたり、ちょっと無意識にsforzandoを弾いたりすると、音が汚く割れてしまいます。

先程の作曲家で大ピアニストでもあったフンメルは、「楽器は重くtouchをしたり、腕の全ての重さをかけて弾いたりする事は許されない。音の強さは、指の柔軟さから来るものでなければならない。」と彼の著書「ピアノ奏法」に書いています。
音量的には少し弱いのですが(弱いとは言ってもCembaloの音量とは比べ物になりません。サロンコンサートには充分な音量です。)、その反面とても華やかで華麗なpassage等の演奏に効果的です。

それに対しての「イギリス式アクション」は当然touchも重く、鍵盤の沈みも深い。
よって、重厚な和音の響き、音量的には優れていが、鍵盤の重さのために微妙な表現力の不足は殆どの作曲家達の非難の的で、Beethovenも「double actionのPianoのための曲は書きたくない。」と、不平を言うほどでした。そのために、エラールはそういった「イギリス式アクション」のPianoの欠点を改善するために、モシュレスをテクニカルアドバイザーとしてtouchや性能のアドバイスを求めて、改良に努めました。

今日、我々が普通に弾いているPianoはイギリス式とドイツ式(ウイーン式)の双方のハイブリットを更に改良したものです。

(参考までに)

Fortepiano


モーツァルト時代のピアノ (Ferdinand Hofmann, Vienna c1790)

私達が Fortepianoと呼ぶときには、Cembaloから移行したばかりの、初期のsingle actionのピアノを指して呼ぶことが多い。

しかし、ピアノが初めて作られた当時には、その呼び方もさまざまであった。

参考までにいろいろな呼び方を載せておく。

ピアノフォルテ( Pianoforte)単純に逆にさかさまに呼ばれたもの

ピアノ(Piano)同様にforteが省略されたもの

ハンマーフリューゲル Hammerflugel

ハンマーはドイツ語でもハンマー(トンカチ・所謂かなづち)で、弦を叩くアクションの事を言います。そのものずばりハンマーで弦を叩いていたからです。

フリューゲルは「鳥の翼」を意味します。胴体が(真上から見ると)鳥の翼のような形をしているところから付けられた名前です。

所謂今日のグランド型のピアノです。

ハンマークラヴィーア Hammerklavier
ハンマーはそのままですが、KlavierのKlaviというのは、以前私のホームページのCembaloのところでも説明したように、鍵盤という意味でハンマーを持つ鍵盤となります。
Beethovenのソナタで有名ですよね。

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Pianoの歴史

 ピアノを発明したのは、クリストフォリ(1655-1732)が「1700年頃」に作ったという事になっています。

「・・・なっています.」というのは、当然、別の解釈(異論・反論)があるからで、それは「弦を叩いて,音を出す鍵盤楽器」という広い意味においては、既に1440年頃、アンリ・アルノーが、チェンバロンに撥を取り付けて、弦を撥で叩いて音を出す楽器を発明しています。

これは図面だけが残っている事のようで、本当に楽器として、復元された事があるのか否かは、定かではありません。
当たり前の事ですが、ピアノが初めて作られた当初は、ピアノは「新種のチェンバロ」として受け止められていました。

私が調べた限りでも、1700年頃には、複数のチェンバロの工房で、新種のピアノへのアプローチがされていたようで、またそれぞれが発展して行ったり、統合されていったりしました。ですから、はっきりとPianoforteの発明家は誰かと言う事は、なかなか難しいことのようです。

モーツァルトは1777年にシュタインの工房を訪れ、彼のピアノに強い感銘を受けた。しかし、シュタインの楽器は余りにも高価だったので、モーツァルトは、シュタインのピアノを購入することを、諦めざるを得なかった。と資料に書かれています。

モーツアルトは、1781年にウィーンに移り住んだが、1782年頃に、アントン・ヴァルターのピアノを買った。今現在、この楽器は、ザルツブルクのモーツァルト博物館に残っており、実際にモーツアルトが奏でていた、当時の音を聞くことが出来ます。

モーツァルトは、明らかにフォルテピアノのために作曲している時でさえ、自筆譜には「クラヴィチェンバロの為に」と書いています。





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Cembaloからforte-pianoへ
紛失されてしまった項目です。
data自体が失われて、全く復元の可能性がありません。 内容的にはCembaloの時代から、HaydnがCembaloから forte-pianoに移行するまでと、single actionのforte-piano から、double actionの現代のPianoに移行するまでのお話を 詳しくして、その音と表現の違いについて解説していたはず なのですがね?? 残念です。

不要fileのserver上の削除をしたら、 layoutと、この先の文章全体がぶっ飛んで しまいました。paperの原稿では保存して いないので、pickupのしようがありません。 申し訳ありませんが、新しく文章を作成 する迄、しばらくの間、お待ち下さい。




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sonatine album index

「教材研究とAnalyse」のindexのPageからlinkの張られていたPageです。 内容をこのPageに掲載する事も考えたのですが、それでは、Pageが、とて つもなく膨大になるので、linkを貼るだけにしておきました。教材研究のPage だけではなく、独立したPageとしても、幾つか曲のAnalyseが掲載されている ようなのですが、それは発見出来次第、このindexのPageにもlinkが張れるよ うに、したいと思っています。


Clementi sonatine 第7番 Op.36Nr.1ハ長調(教科書Sonateと構造分析)
word原稿からのrecoveryです。

Clementi sonatine Op.36Nr.6 D
この曲もdataも、紙の原稿も、見つける事が出来ませんでした。引き続き探している所です。


Beethoven sonatine G U楽章 Romanze(と版のお話)
word原稿からのrecoveryです。


Haydn Piano Sonate C Dur T楽章
この曲はPiano Sonateの分析というよりも、double teachers systemとしての指導者へのlecture-lessonとしてのmailの交換であり、double teachers systemへの文章なのです。


Mozart Piano Sonate K.311 D Dur T楽章
word原稿からのrecoveryです。
      古典派のトリルのお話

      古典派のtrillのの演奏上の留意点のPageは MozartのPianoSonate K,311のD Durと同じ Pageになります。trillの説明が主に書かれて いるので、同じPageになってしまいました。

Mozart Piano Sonate in F K.332 T楽章
word原稿からのrecoveryです。


Mozart トルコ行進曲の装飾音について
この論文は殆ど壊滅状態です。
dataを探したのですが、紙の原稿すら見つける事は出来ませんでした。


この文章はかなり昔に書かれたもの(私がPianoの生徒達を指導していた頃の)なので、なにをどのように書いたのか記憶の断片すらありません。
少しでも、書いた事への記憶があれば、なんとかrecoveryする事も出来るのですが、記憶の断片すら無いのであれば、recoveryの可能性は0です。
全く新しくrenewal作成しなければならないのですが、体調的にも仕事的にも今は無理です。
「気長にお待ちください。」としか言えませんよね??






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