generalbass und ornament 通奏低音と装飾音



                まえがきにかえて

長年書き溜めていた「芦塚先生のお部屋」の論文を、魔の2018年の9月の29日に server上の不要fileを削除したら、論文のlayoutだけでなく、文章の大半が失われて しまい、苦節、30年の長きに渡る研究論文が全て失われてしまいました。 頑張って、保存されているdataや紙の原稿をさがしたのですが、全く 見つかりませんでした。書いた原稿が記憶の断片にでもあるならば、 recovery出来る可能性があるのですが、記憶に無いものをrecovery する事は出来ません。いつか、体調を見て、調子の良い時に、 renewalしようとは、考えているのですが、いつの事になるのか それは分かりません。気長にお待ちください。


取り敢えずは、原稿を書く体力が残っていないので、暫定的な解決策なのですが、 Facebookに書かれている関連した内容を、transposeして、お茶を濁しておこうと 思いました。それでも一作業なのですが、全く新しくrenewal-openするよりは、 現実的だと思います。recoveryとしては、機会があったら・・という事にします。

(2019年7月30日江古田ハイツにて)



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basso continuo(通奏低音)への簡単な説明

baroque-concertoへの簡単な説明No.1

baroque-concertoへの簡単な説明No.2

baroque-concertoへの簡単な説明No.3

baroque-concertoへの簡単な説明No.4

baroque-concertoへの簡単な説明No.5

baroque-concertoへの簡単な説明No.6
      
baroque-concertoへの簡単な説明No.7

baroque-concertoを終えて
夢を叶えるには・・・・2016年11月23日

楽器の手入れのlesson



baroque-bowの音の立ち上がりと日本のエイズ奏法のお話


古楽器の演奏 Biber Rosary Sonate Nr.4 (scordatura a、d、a、d)period奏法について

Heinrich Ignaz Franz von Biber
八千代の演奏会でのBiberの演奏風景

「コンサートについて」
2016年12月23日

「vibratoのお話」
2016年12月10日








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Facebookより

basso continuo(通奏低音)への簡単な説明
2016年9月5日 14:36 ・

昨日(9月4日)のオケ練習は、オケ組とsolo組が平行出来るように、二部屋が平行で使用出来る花園教室で練習をしました。
12時半には花園に到着出来るように、朝は4時起きで頑張ったので、バテてしまって、今日は朝起きても、右お尻が痛くって、椅子にもベッドにも座れない状態です。
8月の長崎旅行からの坐骨神経痛が治りません。座布団を左側のお尻の下に敷いて、辛うじて座っています。疲れるのよね??コレ!
ここまでは、私の近況です。
それはそうと、日曜日から1週間、雨の予報だったんじゃあないの??連日,超良い天気・・というか、暑いじゃん!予報??どうなっているの??


「昨日の練習についての説明」
さて、先週の日曜日(昨日の日曜日ではなく、8月28日の話ですよ!)は、夏休み明けのテコ入れ練習で、「乗せまくり練習」というのをしましたが、昨日は「乗せまくり練習」で、solo組の練習が出来なくって、練習の予定が落っこちてしまったsolo組の練習をしました。
solo組とは言っても、soloのlessonのcheckは、lessonの時にも先生から見て貰えるので、今回は、いつも練習から落っこちてしまうbasso continuoのlectureを中心にしてlessonをしました。

basso continuoの簡単な説明をします。
古典派以降から近現代迄のconcerto(協奏曲)では、orchestraとsoloの楽器の協奏になりますが、baroque時代のconcertoでは、orchestraとsolo組(solo楽器+通奏低音のcello(viola da gamba)と和音を演奏するCembalo)の協奏になります。

soloが複数の場合(soli)大コンチェルトと言う意味で、Concerto Grossoとなります。但し、二台の楽器のコンチェルト所謂、doppel-concertoという形式があって、明らかにConcerto Grossoとは形式が違うので、注意が必用です。いずれにしても、soloであっても、soliであっても、それを支える低音は通奏低音の楽器+Cembaloのbasso continuoになります。

さて、そのbasso continuo《バッソ・コンティニュオ=通奏低音》についてですが、baroque時代のconcerto《バロックのコンチェルト=バロック協奏曲》では、先程もお話したように、orchestra組とsolo、若しくはsoliとの協演ではなく、orchestraと、solo組として、通奏低音のcelloとCembaloのpartを演奏します。
通奏低音(=常に演奏される低音)のcelloのpart《若しくはviola da gamba》と、Cembaloが、左手で常に、celloのpartを上書きとでも言うのか、ウワ演奏しながら、右手で即興で和音を充填しながら演奏するという役目で、常にcelloとCembaloがセットでsoloの伴奏んをしながら、solo組として演奏して行きます。
basso continuoの意味は、basso=バッソ=低音、 continuo=コンティニュオ=続く:常に続く、で通奏低音という意味になります。


日頃のオケ練習では、全体活動であり全体練習なので、個人練習にならないように、注意(留意)しながらlectureをします。
baroqueのconcertoでは、orchestraの曲が、ritornello形式(循環形式)で作曲されているので、どうしても、orchestraのgroupだけのlecture-lessonになってしまいます。練習時間を30分以内に収めなければならないので、soloの箇所は飛ばして練習をしてしまいます。楽曲を通すだけで、7,8分は掛かるので、30分では、3回通すだけで、時間になってしまいますのでね。


soloやbasso continuo組に対して、先生がlessonするとなると、その間は、orchestraの生徒達が、待っていなければならないので、退屈してしまうので、soloのみのlessonや、ましてbasso continuo組のlessonをする事は時間的に不可能なのでネ。

ですから、私がsoloに対しての演奏上の注意をしている時には、直ぐに、平行でorchestraの練習のpointを、コンマスやプルト・マスターの生徒達が指導係になって、練習をさせるようにしているのですが、大きなintervalの時にはそれが可能なのですが、チョコチョコした練習ではそれが出来ないので、最初からsolo組を練習するという、方向で練習の企画をしておかないと、どうしてもorchestraの生徒達の練習が犠牲になってしまうのです。
という事で、soloの演奏を中心に指導するために、これまでも、orchestra組とsoloを分けて、soloに関しては、集中してlessonをした事は何度かあるのですが、教室開設以来のこれまでの教室の長い発表会の歴史の中でも、soloの伴奏をしているbasso continuo組に対してのlessonをした事が無いので、それが私のこれまでのオケ練習の指導上で、心残りになっていました。
発表会までの練習の回数の関係で、どうしてもlessonの時間が足りないので・・仕方なく、なのですが・・。
しかし、baroqueのconcertoの奏法に関しては、basso continuoの演奏法もそれなりに独特な奏法があるのですが、これまでは、時間の関係でどうしても出来なかったbasso continuo組のlecturelessonを、今回思い切って企画する事にしました。勿論、soloの生徒には、幾分のリスクはあるのですが、solo組の中のbasso continuoのlessonなので、当然、soloの生徒もちゃんと知っておかなければならないという事なので、riskにはならない・・と言う事で、今回のオケ練習では、basso continuo組のlessonを企画しました。
今回のオケの曲別のrotationなのですが、2回オケでも、Mozartのkirchen・concertoはオケとPianoのconcertoで、通奏低音がないので、basso continuoのlessonは必用は無いし、Monnは、basso continuoの担当が、珠加ちゃんなので、basso continuoの奏法は熟知しているので、本当にbasso continuoのlectureが必用なのは、2回オケから3回オケまでの真雅ちゃんの担当の5曲だけです。
曲によってcontinuoの奏法のTechnikの比重にバラツキはあるのですが、基本的には30分以内に収まる予定です。


「オケ練習の最中に怪我をしてしまった。」
それはそうと、またまた、近況に戻って、オケ練習の最後は室内楽のHaydnの「ひばり」と、KlengelのcelloのQuartettでした。隣の部屋では、平行でHandel=Halvorsenのpassacagliaでしたが、私が牧野先生に呼ばれてKlengelをcheckに行こうとしたら、「先生、行っちゃうの??」と、言われてしまいました。
こんなにモテたのは、何十年振りカシラ??アハッ!

尤も、私はGreensleevesの練習の出来が心配で、チョッとcheckをしたかったのですが、「Klengelと日の出が優先だ!」と牧野先生に怒られてしまったのですが、ち-ちゃんが、「準備に時間が掛かるから、やっていてください。」と助け舟を出してくれたので、一度だけの通し分は聴けたので、checkpointが分かって助かりました。
ちなみに、GreensleevesのCembaloのpartは、部屋の関係でCembaloではなく、Pianoで演奏しています。
隣の部屋にはspinetが置いてあるのだけど、そちらの部屋をQuartett組が使用するのでね??
Klengelの指導の前に、celloのQuartettの準備をしている時に、一回だけ、通しだけという事で、「ひばり組」の演奏を聞く事になったのですが、これが色々と問題で、先ず椅子の座り方が芦塚メトード(1点支持)の座り方ではないのだな??そうやって、改めてお姉さん達の椅子の座り方を見て見ると、これが全員、日本流のお着物の座り方をしている。超、shock!!教室開設以来、椅子の座り方や立ち方、弓の持ち方等々の基本中の基本は厳しく指導して来たはずなのだが・・・??「ひばり」の演奏も、曲を弾かせる事が精一杯で、室内楽の基本的な演奏法が全く指導出来ていない。これも超、shockなのですよ!!何かしら、日本の普通の音楽大学の演奏法になってしまっている。寄らば大樹なのかいな???
オイ!!芦塚メトードはどこへ行ったのだよ!!
Klengelの練習が終わってからの話ですが、大人サイズのハードケースのcelloをしまう時に、下に置いておくと大変な場所を取ってしまいます。ハードケースは、死体ぐらいは隠せるかもね??(普通は立てたままに仕舞うのですがネ?)と言う事で、隣の部屋に行こうしてして、ハードケースの取り付けの金具で足の皮を2箇所も剥いてしまいました。私はメガネを掛けていても足元は見えないのですよ。だから、下に物を置かないように、椎名町の事務所でも、四六時中先生達に注意しているのですがね。練習が終わった後では、譜面台とか楽譜の置きっパとか部屋中に散乱しているのでね。痛い!痛い!!
東京の自宅に帰って、汗でベタベタして気持ちが悪いので、風呂に入りたかったのだが、傷が痛くて水に濡らすと大変なので、仕方が無いので、諦めて寝ました。長崎からの荷物が積み上げられて倉庫状態になっているフローリングから、防水用の絆創膏を発掘して、やっと、シャワーを浴びる事が出来ました。
善哉善哉!


1枚目の写真は、当然basso continuo組のlesson風景の写真ですが、2枚目の写真は私の所有するviola da gambaです。
プリの写真ではありません。
gambaの写真を取ろうとしたら、僕の写真を撮るのじゃあないの??と、カメラ目線で飛び出して来ました。
viola da gambaは、通常、6弦で、ギターと同じ4度調弦です。






https://www.facebook.com/100004230614853/videos/693034080847606/









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2016年11月21日 15:29 ・

「baroque-concertへの解説No.1」
① バロックとperiodと古楽の違いと意味について、
⑤ baroque時代に 作られたのにモダン楽器で現代でに作られたのにバロック楽器・・・
 baroqueの楽器とmodernの楽器は何が違うの??
⑦ Cembaloとはどんな楽器?Pianoとはどうちがうのか?
「まえがき」
「バロック音楽とペリオード奏法と言っても、分からないのではないの?」
と言われて、一般的にはどの程度理解されているのかを、ネットで調べ用途、その事について書かれているblog等々を探してみました。結構、詳しく炎上しているblogを幾つか見つけて、その中でも、専門家である演奏家がperiod奏法や古楽に対して書いているblogを見つけて、読んで見たのですが、余りの内容に「う~ん??」という感じで、困ってしまいまって、試しに、生徒達にも、mailに添付して読ませて見ました。
生徒達も呆れていたのですが、「音楽の専門家でもその程度の知識なので、その程度を前提にして・・」と、生徒達に解説文を書かせようとしたのですが、それはやはり、時間がないので、timelimitの関係で無理と言う事で、私が生徒の代わりに曲の解説をしようかな??と思って、先生達や生徒達に「コンサートの会場で一つ一つの解説をしながら演奏会をしようか?」と言ったのですが、先生達から、「解説だけで、演奏会が終わってしまうよ!」と言われてしまって、それではどうしようもないので、Facebookで説明をする事にしました。
子供達が、自分の演奏する曲を自分自身で解説する事は、クリスマス会や夏休みのおさらい会で、練習をさせてはいるのですが、やはり、外の演奏会では、pressureが酷いのと、曲の下調べ等の時間のゆとり、曲を仕上げるだけで、今の所目一杯なので、今回、演奏する生徒自身で説明をする事は、無理なようなので、今回は、私が代わりに、曲の紹介をする事になりました。
baroque-音楽も、普通の演奏会で、現代風の演奏として・・ならば、何の問題もないのですが、periodとしての演奏とするのならば‥・という事で、専門家であるはずの演奏家の人のblogから、間違えた解釈や、取り違え、無理解等々を、ピックアップして、ざっと、箇条書きにして見ました。その演奏家の人が、baroqueの演奏に対して、批判をしていた所を中心にして書き出しました。
それが以下の丸付き数字です。

① バロックとperiodと古楽の違いと意味について、
② 4人で演奏するのに、なんでトリオ(3)・ソナタなの??
 ついでに、通奏低音(basso continuo)とか数字付きバス   (bezifferten Bas)とは何??
③ baroqueの奏法の特徴で、ビブラートをしないのは、どうして??
④ スコルダトーゥラについて・・
⑤ baroque時代に 作られたのにモダン楽器で現代でに作られたのにバロック楽器・・・
 baroqueの楽器とmodernの楽器は何が違うの??
⑥ pitchの色々
⑦ Cembaloとはどんな楽器?Pianoとはどうちがうのか?
⑧ programにRealisationとornamentと書いてありましたが、それぞれどういう意味ですか??
⑨ celloのエンドピン
⑩ baroqueのviolaについては
⑪ Canon、chaconne foliaのthemaと、rhythmに付いて、
⑫ Ferdinand Davidのchaconneについて
⑬ baroque時代や古典派の時代のorchestraや室内楽の並び方


blogを取りまとめると、こういった事でしょうかね??
その一つ一つに付いて、私なりの解説を加えて行きます。

「以下、本文です。」
「① バロックとperiodと古楽の違いと意味について、」

砕けた表現で言うと、modernの解釈は大河ドラマのように、時代区分を現代的に解釈し直して、分かり易くしたのが現代のバロックの演奏で、丁度、能や歌舞伎を見るように古典を古典芸能として見るという事がperiodである・・と言う事が出来るでしょうね。
その過程で、江戸の町の庶民の家に竃が合って、畳の上で白いごはんを食べて生活をしている。という風な、現代の生活に置き換えるという歪曲をしています。
たまに、NHKの時代劇等で、当時の生活を時代考証で再現すると、逆に違和感を感じてしまいますよね。
「え~っ??当時の庶民の生活って、こんなだったの??」ってネ。
今の人達にとっての、ノスタルジーの戦後の昭和の時代も、私にとっての「夕陽が丘」の時代は、米のご飯が食べられない事もあって、ご飯茶碗に、昔の今は食べる人もいないかぼちゃが1/4切れ入っていた事もあったのだけど・・って、話をしていたら、生徒が「私、かぼちゃ大好き!」だってさ~!!
当時のかぼちゃ、どっかで作っていないかな??食べさせて味を見させてあげたいね??アハッ!大根だって、青首は無かったし、トマトも桃太郎は無かったのだよね。

「バロック(baroque)とペリオード(period)について」
先ず、①ですが、バロックという時代は、ご存知のように、1600年から1750年に掛けての時代で、50年単位に前期バロック、中期、後期と分類されます。今回演奏する曲の中で、一番古い曲はBiberのRosaryのSonateですが、それでも、baroqueの中期になります。教室で取り上げる作曲家で前期baroqueの作曲家は殆どいません。寧ろ、Renaissanceの様式に近いからです。baroqueというと、中期からが一般的になります。
次に、ペリオードの意味ですが、一般的にはピリオードと言われている事が多いのですが、ピリオードは英語で、ペリオーデ(periode)はドイツ語になります。
別にピリオードとは言っても、終末の音楽という意味でも、もう終わった音楽という意味でもなく、ペリオードの本来の意味は、期間や時代区分を指す言葉なのです。
period(ペリオード)に奏法が付いて、baroqueや古典の時代の演奏法や演奏様式の意味になり、period-Instrumentsで当時の楽器、(勿論、当時の楽器を修理演奏出来るようにした物から、復刻楽器まで)をperiod -instrumentsと言います。

「古楽について」
ペリオード奏法とは当時の演奏様式と奏法(弦楽器の奏法)と作曲様式を言います。
演奏家のblogの中では、バロック楽器や、奏法を一把一絡げに、古楽として総称していますが、それはチョッと無茶苦茶で、私達が分類する場合には、古楽というと、Renaissance(ルネサンス)の時代様式を指す事が多いので、古楽という言い方はしません。
しかし、矛盾しているのは、バロック楽器については古楽器とも言う事があるのですが、バロック時代に用いられたviola da gambaのようなガンバ属の楽器は本来はRenaissanceの楽器なので、頗る時代区分が曖昧だから、仕方ないのかもしれません。

「⑤ baroque時代に 作られたのにモダン楽器で現代でに作られたのにバロック楽器・・・」
「violinの誕生」

しかし、弦楽器のルーツは古すぎてよく分かっていないのですが、violinが誕生したのは、1570代にザロ(Gasparo da Salo)が作ったviolinが歴史上最初のviolinと言われていますが、同時期にシンクロニシティで似たような楽器が色々な工房で作られたとされるので、ザロがviolinの最初の作者であると言う事に付いては、疑問を挟む人もいますが、ザロの作品は現存しています。
ザロの弟子がストラディバリウスの先生でもあり、沢山の銘器の製作者であるアマティーで、violinという楽器の頂点は既にその時代に出来上がっています。
StradivariやAmati以降、多くの弦楽器の製作者が挑戦していますが、それ以上の楽器が作られた事はありません。
私が、未だ音楽大学の学生であった頃(昔々)には、未だAmatiの楽器で演奏する名violinistもいて、私もAmatiの音を聴いた事があります。とても柔らかで美しい響きなので、Amatiの愛好者の方がStradivariのファンよりも多かったのではないのかな・・とも思っています。
技巧的、性能的には、確かにStradivariの方が優れてはいたのですがね。
今はもう、Amatiの音は聴く事は出来ません。もう、寿命を迎えたので・・。
もうすぐにStradivariも寿命になります。
「バロック・ヴァイオリ(baroque-violin)とモダン・ヴァイオリン(modern-violin」
弦楽器奏者であれば、垂涎の逸品である(27億円の高値の付いた事もある)Stradivariですが、バロック時代に作られた楽器でありますが、楽器を改造して現代のviolinとして使用されているので、分類はmodern-violinになります。
バロック・ヴァイオリンとしてバロック仕様で作られたのであれば、現代に作られたとしても、それはバロック・ヴァイオリンであり古楽器になります。アハッ!
バロック時代に作られた楽器を、モダン仕様に改造して使用しているので、バロック時代に作られた楽器であっても、modern-violinになるのです。
ですから、現代の弦楽器の工房で作られたものであっても、バロックの仕様で作ればバロック楽器になります。それを復刻と言います。

「⑦ Cembaloとはどんな楽器?Pianoとはどうちがうのか?」
「以下同様にチェンバロ(Cembalo)にも」

同様に、Cembaloにも、modern-CembaloとHistorische-Cembaloというのがあります。
Historische-Cembaloというのは、baroque時代の当時の楽器を修理して使用できるようにした物や、当時の設計図や実際の古い楽器から寸法を取って、復刻したものをHistorischeと言います。
このコンサートに持って来ている チェンバロは所謂、Historischeの楽器、つまり、復刻楽器で、andrea lucas というCembaloのStradivariのようなCembalo製作者の楽器(銘器)の復刻modelになります。但し、完全な復刻ではなく、 Lucas-modelでは、鍵盤の色が現代と同じように白鍵は白色で、黒鍵は黒色なのですが、一般的には、Cembaloは白黒が逆さまとされる事が多いので、説明するのが面倒くさいので、一般に合わせて、黒鍵と白鍵を逆にしてあります。
1段鍵盤で通常は8feetとoctave上の4feetなのですが、orchestraのbackで演奏する事が多いので、音量を増やす意味で、8feet、8feetにしています。後は、バロック時代には、当然必用の無かったスライド鍵盤を使用して、modernのA=443のpitchと、baroqueのA=418cycleに対応させています。
Cembaloが廃れた一番の理由は音量ですが、その音量の弱点をなくすために、20世紀になって作られたmodern-Cembaloでは、弦を引っ掻くのにスプリングを使用して強い音を出しました。
音量は強くなって、ホールでも演奏出来るようにはなったのですが、その分音がキツくなって、バロックの優しい響きが出ないので、今は評判が悪いようで、音量は劣っていたとしても、復刻の楽器の方が主流になっています。
教室には2段のグジョン-モデル( Goujon-model)の大型Cembaloと、1段の ルーカス-モデル(Lucas -model)のCembaloと、スピネットが2台ありますが、大型のCembaloの搬送には、専門の業者に委託しなければならないので、今回は自分達で搬送が可能な1段のCembaloで演奏します。

「現代のピアノと古楽器であるフォルテ・ピアノ」
ちなみに、CembaloとPianoの一番の違いは、弦を爪で引っ掻いて音を出すか、ハンマーで叩いて音を出すかの違いです。
同じPianoでも、鍵盤にハンマーが付いていてDirectに音を出す楽器をsingle actionと言い、鍵盤から、一度投石機の原理でハンマーを打ち出す仕組みの楽器をdouble actionと言います。
投石機とか投擲機のように、石を細い皮の紐で縛ってクルクルと回して投げると、人が投げる何倍もの距離を投げる事が出来て、遠くの敵を倒す事が出来ますが、しかし、自分の手で投げるよりも、不正確になります。だから、single actionの鍵盤では、微妙な指先のtouchを正確に弦に伝える事が出来ますが、投擲機と同じで、音量は、どうしても劣ってしまいます。
音量を強く出すためには、指のちからを増幅する投擲機のようなものが必要になります。それが、double actionです。Pianoのactionの部分を調律の時に、調律師の人に見せて貰うと、鍵盤からの部分と、投擲機で鍵盤の力を増幅する部分を見せて貰う事が出来ますよ。
という事で、single actionのPianoをforte-pianoと言い、古楽器のPianoになります。
double actionのPianoが現代の私達が普段弾いているPianoになります。
forte-pianoを復刻する上で、一番難しいのは、forte-pianoの音の再現でしょう。
single actionでも、ハンマーの部分が皮やフェルトで、音の質が全く変わってしまいます。
一般的にはHaydn時代のforte-pianoのハンマーの先の部分は、細くカバーも少ないので、音質は硬質でCembaloの音に近いようです。
Mozartの時代になると、ハンマーの大きさも少し大きくなって、かぶせてあるフェルトも少し厚くなって来て、丁度、CembaloとPianoの中間的な音になります。
ChopinのPleyelPianoは、現代のPianoの音と比べて殆ど違いがありません。
フランスのエラールピアノは、double actionではありますが、ChopinのPleyelとよく似た音がします。パリの友人の家に遊びに行っている時に、hungaryからPianoの勉強に来ている人が自分のエラールピアノを故郷から持って来ていて、弾かせて貰いましたが、本当にChopinのような素晴らしい、美しい音がしました。
ChopinのPleyelのPianoは、Chopinの家を訪れた人は誰でも弾く事が出来て、その演奏はYou Tubeでupされています。proのpianistよりもamateurの人の方が、上手にPleyelの特性を引き出したりしていますので、面白いです。
ChopinのPleyelPianoで探して見てください。
Pianoを最初に作ったのは1700年頃にクリストフォリが制作した、とされています。
その次に有名なのは、オルガンの制作で有名なオルガンのStradivariとも称されるジルバーマンの制作のPianoですが、それを試演に行ったBachが酷評した事でも知られています。
昔々、ジルバーマンのPianoを修理して、その音を再現したのを聴く機会があったのですが、何と、その後のforte-pianoの音よりも、現代のPianoの音に近かったので、驚いてしまいました。演奏はBachの音楽の捧げ物を弾いていたようなのですが・・ヒョッとしたら、今でもYou Tubeで聴けるのではないかな??

せっかく詳しく解説書いてあるから、印刷してプログラムと一緒に配りましょうか?
いいね! ・ 返信 ・ 11月22日 15:01

それでも良いけれど??時間次第だな??
いいね! ・ 返信 ・ 11月22日 15:13

江藤先生の悪口が書いてあるのは不味いですね
いいね! ・ 返信 ・ 11月22日 15:15


悪口ではなく、**先生のmethodeでは・・?という意味でしたので、気になって、改めて読み返してみましたが、私にとっては、悪口には思えませんでしたけれど、一応、気になるのなら・・という事で、名前を伏せ字にして、一般論としておきました。violinを専門にしている人だと直ぐに誰の事かは分かりますがね。これは、悪口ではなく、それぞれの流派の事なので、立場の違いを述べる事は、悪口ではなく、優劣を言っている分けでもないので、全く問題はないと思いますよ??
11月23日 3:05


是非配布お願いしたいです。
娘と一緒に読みしたが、この文章にも解説が必要です
11月22日 23:00


理解不能な所や、よく分からない所は是非、質問してください。自分では分かり易く書いたつもりでも、人にとっては分かり難い所があると思いますので、そういう所は、気長に書き足して行きたいので・・?
11月23日 1:44

いえ、彼女の場合は日本語の問題ですが、理解できない箇所があった場合はお願い致します(???)!!
11月23日 9:08


ああ、日本語の問題なら、小学生から高校生まで、オケのmember全員です。オケのlessonは、殆ど日本語の説明で終わっています。ハイ!
11月23日 9:14




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2016年11月21日 19:34 ・

「baroque-concertへの解説No.2」
② 4人で演奏するのに、なんでトリオ(3)・ソナタなの??
 ついでに、通奏低音(basso continuo)とか数字付きバス(bezifferten Bas)とは何??
⑧ programにRealisationとornamentと書いてありましたが、それぞれどういう意味ですか??


「本文」
「② 4人で演奏するのに、なんでトリオ(3)・ソナタなの??

 ついでに、通奏低音(basso continuo)とか数字付きバス (bezifferten Bas)とは何??」
ピアノトリオというと、ピアノと他の楽器2台で演奏する事を言うのですが、トリオ・ソナタというと、同族楽器と通奏低音の楽器とチェンバロ等が入ります。分かり易くviolinで言うと、violin-solo1,solo-2とcello(若しくはgamba)にチェンバロが入って4人となります。この説明は「但し、」だらけなのですが、チェンバロの人は本当は、celloの楽譜を見て、celloの楽譜に書いてある数字を見て右手を即興で演奏します。ですから、楽譜上はviolin1とviolin2とcelloのトリオになるのです。

「⑧ programにRealisationとornamentと書いてありましたが、それぞれどういう意味ですか??」
これはbaroque時代の総ての楽譜は同様で、現代の譜面では便宜上一応右手の数字を音符に直した楽譜が書いてありますが、この音符に書かれた数字の事をドイツ語で、 bezifferten (数字の振られた)Bas(低音)と言います。jazzのコードと同じだと思えば良いのですが、低音の動きは決まっているし、和音の動きも和声学である程度決まっているので、即興と言うよりも、作曲家の速記法だと思った方が良いでしょうね。この数字を音符に直す事をRealisationと言います。baroque時代の楽譜では、音符をこんにちのようにそのまま弾くことはありません。corelliや沢山の作曲家達が自分の書いた音符をどのように演奏したら良いのかの模範解答を書いています。下の譜例②は下の段が書かれた音符で上の段が実際に演奏する音符であるという意味です。それをornament(装飾)譜と言います。Christmasのornamentと同じ飾りという意味です。これも、記譜上の楽譜はあくまで骨格だけで、肉付けは演奏者が自分でやらなければなりません。




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2016年11月21日 19:54 ・

「baroque-concertへの解説No.3」
「③ baroqueの奏法の特徴で、ビブラートをしないのは、どうして??」

音楽家達の一般的なbaroque時代の認識には、baroque時代の弦楽器の演奏家達は、vibratoをしなかった・・、酷い極論の場合には、baroque時代の人達はvibratoが出来無かった・・というのもあります。それは大変な誤解です。
確かに、baroqueの音楽家達が、現代の弦楽器奏者のように、常にvibratoを付けて演奏するような事はしませんでした。
baroqueの弦楽器奏者達が、vibratoを余り用いなかった理由は、現代の音楽と違って、音楽を純正調で演奏したからです。
和音の純正な3度と5度の響きをとても大切にしたからです。
今の音楽家達は純正で演奏する事は出来ません。
寧ろ、amateurの同族楽器のensembleの人達が純正を取る事が出来ます。
ブラスやグリークラブのような同族の響きの方が純正が取りやすく、vibratoを掛けると純正の美しい響きはvibratoのビブレーション(振動振幅)で、消えてしまいます。
私が留学中に食堂でよく論争をしていたかの有名なカール・リヒター教授もBachの演奏で優れた業績のあるミュンヘナー・カンマー・コアーでは、proの声楽家は一切雇わないので、その理由をリヒター教授に尋ねた所、「だってproの声楽家達はvibratoを無しに歌う事は出来ないだろう??」「vibratoは純正の響きを駄目にするからね!?」と言っていました。
しかし、勿論、歌でも、soliste達はproが歌います。しかし、proのsoliste達の発声法は、音楽大学で学ぶ発声とは、根本的に違うcantataの特別な発声法で歌います。
これは、全く別の世界のお話になります。
コンサート、冒頭のPachelbelのcanonでは、最初の入りの部分だけをvibrato無しで、純正の3度で演奏します。しかし、後は、皆様の聞き慣れた曲なので、違和感をあまり持たせないように、一般的な演奏で演奏します。
また、baroque時代には、曲のmelodieに必用なアクセント(accent)や、そのmelodieの頂点を表すような際立たせのvibrato等は、vibratoではなく、もっと表現の強いトリロやモルデントで表します。
vibratoは、装飾音の中の一つの表現型に過ぎないし、それよりも装飾音の方がより豊かに音楽を表現する事が出来ます。
装飾音はcrescendoやdecrescendoも表す事が出来ます。「チェンバロやオルガンのような楽器では、音の強弱は出来ない」とされていますが、それを装飾音で表現する事が出来るのです。しかし、日本で学んでいるような画一的で、感覚的な装飾音の入れ方では、その音楽表現をする事は、出来ませんがね??
教室のorchestraの子供達は、Vivaldi等のbaroqueの演奏と、DittersdorfやStamitz等の古典派の作曲家達のbowの弾き方、HaydnやMozart等の古典派の後期の作曲家達のbowを、弾き分ける事を学んでいます。それは弦楽器のbow(弓)が進化して来たbow(弓)の歴史と弓の使い方による、baroqueと古典派の音楽の演奏表現の違いを学んでいます。
こういった事が小学生でも出来るのは、弓の持ち方、楽器の構え方を、弦楽器の発達のルーツに從って、指導しているからです。
芦塚音楽教室の子供達が演奏出来る事が、日本の音楽家達に出来るとは、限らないのです。


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2016年11月21日 20:35 ・

「baroque-concertへの解説No.4」
④ スコルダトーゥラについて・・
⑪ Canon、chaconne foliaのthemaと、rhythmに付いて、
⑬ Greensleeves to a ground in C Dorischで、Greensleevesは良いけれど、groundとDorischってなあに??
⑫ baroque時代や古典派の時代のorchestraや室内楽の並び方

「④ スコルダトーゥラについて・・」
調弦を変える事をスコルダトゥーラ(scordatura)と言います。
教室でも、上級生がCanonを演奏する時には、Kontrabassの調弦は、下の弦からE⇒A⇒D⇒Gと4度に調弦しますが、Canonの低弦の音はD⇒A⇒H⇒F#⇒G⇒D⇒G⇒Aと、KontrabassのEよりも低いDの音が出て来るので、一番下のEの音をDに下げて調弦します。
これはギターでもよくやる調弦なのですが、これも立派なscordaturaです。
violinは勿論、下の弦からG⇒D⇒A⇒Eと調弦しますが、BiberのRosary Sonateでは、すべての曲が別の調弦をします。楽譜を見て演奏するのは不可能です。今回演奏するRosarysonate 9番は下の弦からC⇒E⇒A⇒Eと調弦します。楽譜を見て、実際の音を連想するのは不可能でしょうね??

「⑪ Canon、chaconne foliaのthemaと、rhythmに付いて」
写真2はCanonの楽譜のpart譜ですが、celloとviolinの総てのpartを私が2Pageに纏めたものです。celloは、D⇒A⇒H⇒F#⇒G⇒D⇒G⇒Aの8個の音を28回繰り返します。violinはそれぞれ?で順番に弾き始めます。
終わりは当然、?で順番に終われば良いのです。こういった決まり決まった音の上にmelodieを作る事を、cantus firmus(定旋律)in Bas(バス)と言います。
シャコンヌやフォリアやパッサカリアにはそれぞれに定められたBasの定旋律上に、figuration(音型)を繰り返して行きます。
canonは日本語では遁走曲と訳します。意味は追っかけっ子という意味でしょうかね??遁走する・・とは、逃げるという意味ですからネ。

「⑫ baroque時代や古典派の時代のorchestraや室内楽の並び方」
現代のorchestraの弦楽器の並び方は、舞台に向かって、左側から、1stviolin、2ndviolin、viola、celloと並ぶのが一般的です。例外的にviolaが弱いので、celloとviolaを入れ替える場合があります。
しかし、二次大戦の直前までは、寧ろ、Haydn並びと称される、Haydnの考案した並び方が一般的でした。でも、Haydn自身は、演奏の会場のlayoutで、その都度、orchestraの演奏効果が、最大に出るような並び方を、その都度、会場に合わせて、する事が多かったので、「Haydn並び」と決めつけられるのは、Haydn先生にとっては、甚だ不本意だったかもしれません。
いずれにしても、baroque時代の作曲法は、1stviolinと2ndviolinが対話をするように作曲される事が一般的だったので、最も効果的に対話の感じが出せるように、ステレオ型に並べて、対話の感じを出しました。
だから、baroque並びや、Haydn並びの場合には、1stと、2ndが相対するように、1st-violin、cello、viola、2nd-violinと並ぶ事が一般的でした。このviolaとcelloを入れ替えると、所謂、Munchen並び(型)と呼ばれる並び方になります。
Pachelbelのcanonの場合には、violinが1st、2nd、3rdになるので、Munchen並びの応用で、左側から、1stviolin、3rdviolin、cello、2ndviolinと並ぶ事で、音楽の立体性を出すようにしています。しかし、本当は、この並び方は、聞き合う相手が遠くになるので、音がズレやすいので、決して楽な簡単な並び方ではありませんね。一般的なオケ並びの、1stviolin、2ndviolin、3rdviolin、celloと並ぶ方が、音が隣合っているので、演奏する側に取っては、合わせがとても楽なのですがね??
教室の発表会で、Vivaldiやbaroqueのorchestraのsoloとbasso continuoのcelloとCembaloをorchestraの前に出して演奏させるのは、私の考案なので、歴史的な時代考証ではありません。教室独自の並び方です。
という事で、triosonateの並び方も、1stviolin、cello、2ndviolinと、ステレオ的に並びます。

「⑬ Greensleeves to a ground in C Dorischで、Greensleevesは良いけれど、groundとDorischってなあに??」
Greensleeves to a ground in C Dorischも同じで、グラウンド(ground)が定旋律です。その定められた定旋律上にGreensleevesのmelodieをドリア調で演奏して行きます。写真4は有名なBachのMenuet(メヌエット)ト短調ですが、楽譜では♭が一つしか付いていません。つまり、ヘ長調のドリア調で作曲された・・という意味なのです。
ネットで見つけた教会旋法の一覧表を載せて起きますが、一覧表は「ハ調」(ハ長調ではありません。基準の音がハの音という意味です。)を基準にした場合なので、先程のBachのMenuetの曲は「ヘ調」を基準にしたドリア調が、現代のト短調になる・・という事です。

実は本日演奏するcorelliのla foliaもoriginalの譜面では、ハ長調で書かれています。
つまり、Greensleevesと同じで、corelli la folia in to Dorisch auf Cという事になります。

baroque時代の短調の曲は、Doria調で書かれる事の方が多かったのです。勿論、例外的ではありますが、長調の曲でもDoria調で書かれたcaseもあります。
Handelのharpsichordの組曲にその例が見受けられるのですが、殆どの楽譜の場合には、校訂者が調を書き直しています。
一般の人達が間違わないように・・という配慮なのでしょうが、私に言わせれば、余計なお世話ですがネ。
私達の場合には、寧ろ、Dorischで書いて合ったとしても、無意識に現代の調性で読む事が多いのでね。




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2016年11月21日 21:03 ・

「baroque-concertへの解説No.5」
⑥ pitchの色々
「古典調律とbaroquepitchのお話」

「古典調律のお話」

現代では調は平均律という調律法しかありませんが、baroque時代には、無数の調律法があります。
今回のコンサートでは、そのなかのKirnbergerの調律法という調律法で調律して、演奏する事にします。
baroque時代の調律法は重要な調律法だけでも、Werckmeisterの調律法、Kirnbergerの調律法、Vallottiの調律法、Youngの調律法、最も好まれているmeantoneの調律法等があります。
また、meantoneはA#、E♭等の種類に分かれ、YoungもWerckmeisterもそれぞれに1と2があります。
それぞれの調律法で、それぞれに特性が違うので、使う曲の調性や転調の具合でベストな調律法を選ばなければなりません。
Mozartはmeantoneの調律法を好んだとされます。
また、こんにちでは「Bachの平均律」とされている楽譜ですが、こんにちでは、あたかもBachが平均律を作ったと言われていますが、実際には、Bachは平均律を使用したことはありません。それは時代錯誤です。
Wohltemperirteというドイツ語の「wohl」を平均律と訳したのでしょうが、wohlには、平均律という意味はなく、「wohl(完全に)temperirte(調律した)」Clavierという意味で、それぞれの曲を、一番あった調律法で調律した・・という意味を書いています。
BachはWerckmeisterの調律を好んでいたそうですが、それはそれとして、適材適所に色々な調律で調律して演奏した・・と思います。
調によって、どの調律法が適しているのかは、それぞれの曲で、違うので・・。
ちなみに、今回使用するKirnbergerの調律法は、Bachのお弟子さんの調律法です。
Bachの時代には平均律は未だ確立してなくって、それに近い調律法があっただけです。
Bachが、平均律を推奨していたという事実はありません。
それも私達が平均律を使用しているので、それが絶対であると思う近現代人の手前味噌な勘違いです。
教室のorchestraの練習では、harmonytrainerというKeyboardを使用して指導をしていますが、うっかりとKeyboardの操作を間違えて、「平均律の和音の音」を出してしまうと、子供達からブーイングが出てしまいます。顰蹙ものなのですよ。
一般的に、平均律でしか和音を聴いた事のない人達には、理解出来ない事かも知れませんが、一度、純正調の響きを体験すると、平均律の和音の響きは我慢の出来ない程、汚い響きがします。
Mozartのピアノソナタでも、ミーントーン(meantone)で調律された演奏を聴いて見ると、「えっ??Mozartのピアノの音って、こんなに美しかったの??」と、カルチャーショックを受けてしまうのですよ。
近現代のorchestraのように、色々な調の楽器が集まって来ると、一番難しいのは、ド(C)の音一個を揃える事になってしまいます。クラリネットは変ロ長調で、ホルンはヘ長調で、etc、etc、でたった一つのドの音でもそれぞれの楽器の調の中のドの音になる音を弾かなければなりません。純正調処の話ではないのですよ。平均律の音を出すのが精いっぱいなのです。

「baroqueのピッチのお話」
baroqueを嫌う人でピッチが低いので・・と、言う人がいましたが、これは時代的なものだし、楽器の弦の張りの問題なので、如何せん・・どうしようもない事だ、と思います。
Beethovenの第9でも、Beethoven時代の演奏を、今聴くと多分ハ長調に聴こえるかもしれませんよね。
だから、pitchの問題を云々する人達は、baroqueに限らず、古典派の音楽に関しては、periodの演奏は聴かない方が良いでしょうネ。
今回のコンサートでは、3種類のpitchを使用します。
生徒達が演奏するCanonのピッチは、標準の演奏会高度の443cycleでの演奏です。
同様に、私の作品である、「Greensleeves to a ground in C Dorisch」の曲も、チェンバロの伴奏ですが、標準pitchの443cycleです。無伴奏のcello組曲のcelloの演奏は、標準pitchです。
同じ、Bachの無伴奏組曲のviola-versionにtransposeした曲なのですが、梨紗さんのbaroque-violaだけは、ヨーロッパのrecorderの標準pitchである436cycleで演奏します。
それ以外の先生達のbaroqueのperiod-Instrumentsでの演奏では、古式豊かに、スライド鍵盤によるピッチ(つまりG#をAに見立てて)で、A=418cycleで演奏します。
実際には、その他にも、もっと低いベルサイユpitchと呼ばれるpitch等や、色々なpitchがありますが基本的には、今はその436cycleと418cycleのpitchが標準だと思わるます。
教室の生徒さん達が、baroqueの音楽をbaroqueのpitchで演奏しないのは、教室の生徒達が全員絶対音感を持っているので、baroqueのpitchで演奏をすると、音符が読めなくなってしまうからです。
絶対音感がある人達が、baroqueの音楽を勉強する事は、baroqueのpitchと言う、大きなハードルがあります。
それは、baroque音楽を勉強する上では、絶対に避けられない問題になります。
音楽大学に進学するぐらいでは、そういった問題は生じないので、音楽に進む上での問題は全く無いのですが、もし、baroque音楽で
proの演奏家を目指すのならば、そのpitchの問題は訓練して、何とかクリヤーしなければなりません。
作曲家は、絶対音感を持っていたとしても、作曲のために、和声的な音楽進行の理解を即すために、移動ドの譜読みも出来なければならないのです。
Munchenの音楽大学に在学して居た頃には、オルガニストの学生の人が、絶対音の固定ドで歌う時には、ドイツ式で読んで、和声の時には、イタリア式のドレミ唱法で歌っていて、私的には、すっかり感心してしまいました。
そういった、使い分けも、modernのpitchとbaroqueのpitchでは、出来ませんから、そういったpitchを下げる勉強をするのが、無理な人達は、baroqueの演奏には近づかない事が懸命でしょうね。
歴史的な時代考証の問題なので、baroque音楽をmodern-pitchで演奏しても、period奏法にはならないので、そこは、個人でどうにかなる問題ではありませんのでね。
参考までに:baroque時代のpitchや古典調律に関しては、この私のFacebookの10月25日のコメントと、9月10日のコメントにかなり詳しく書いているので、そちらの方を参考にしてください。
ドツボにはまると、どこまでも詳しくなってしまうので、適当に逃げながらの、解説なので・・・。



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2016年11月21日 21:22 ・

「baroque-concertへの解説No.6」
⑨ celloのエンドピン
⑫ Ferdinand Davidのchaconneについて


⑨番のcelloのエンドピンですが、19世紀の後半迄は、エンドピンは発明されていませんでした。
・・と言うか、viola da gambaとcelloの境目すら、曖昧で、5弦のcelloが主流だった・・という人もいるぐらいなので、時代考証的には、エンドピン処の話ではないのですよ。
だから、Beethovenは勿論ですが、Brahmsが生きて居た頃には、Brahmsのsymphonieを演奏する時でも、チェリスト達は全員エンドピンは付けていなかったのですよ。
それ以上に、violin属の肩当て、顎当てや、cello属のエンドピンは、全部、楽器の音の響きを阻害します。
それで、昔の演奏家達には忌み嫌われていたのですよ。
violinやcelloがmodern仕様になって、指板が長くなって弦の張りも強くなったので、響板の表板の裏側に弦の強い張りの力に耐えるために力木を入れて、violinが折れるのを防いでいます。表板の裏側に力木を入れることによって、弦の強い張りの力に耐えられるようになったのですが、自然な響鳴は失なわれることになってしまいました。
その強い弦の振動を、駒から表板に伝えて、中の魂柱を通じて裏板に振動を伝えます。つまり、baroqueとの一番の違いは、弦楽器の響鳴(共鳴ではありません。)を強制的に振動させるようになったので、あまり、violin、楽器そのものの、響鳴はそれ程大切ではなくなったのです。語弊がないように、確認しておきますが、響鳴が必用でなくなったのではなく、baroque時代程の響鳴は必用はなくなった・・という意味です。
baroqueの復刻のCembaloも、modern-Cembaloに比べて、響鳴が大きいのです。その響鳴で音を伝えているのでね。
こんにちでも、日本でのviolinの大御所と言われている**先生は「音が悪くなるから(響かなくなるから)・・」、って言って、生徒達には、肩当ては絶対に使わせなかったしね。
だから、当然、**先生の門下生達は、今でも肩当ては使わないですよね。
でも私的に言うのなら、それなら、顎当ても使わなければ、もっと良い音(よく響く)がするのにね・・??
ジプシーの人達は、violinを首に挟んで弾くよりも、手に持って、お客様の目の前に楽器を見せて、演奏します。
だから、肩当ても顎当ても、普通に使用していますが、必要性は非常に少ない・・つまり、なくても弾けるのです。
無ければ弾けない・・と、無くても弾ける・・では、基本的に違いますからね。※)
地方に行くと、方言で、江戸言葉が残っていて、感激しますが、地方の田舎のdanceの曲に、baroque時代のrhythmが残っていたり、民族音楽にbaroqueの様式の演奏法が残っていたりして、時折感激する事があります。
※)てな事を書くと、私が肩当てや顎当てを否定しているように思われる事がありますが、私は肩当ても、顎当ても否定した事はありません。教室では、幾種類もの肩当てを準備していて、その生徒に合った肩当てが見つかるように配慮をしています。(自分にはこれが合っているから・・と、総ての生徒に押し付ける事はしません。総ての生徒達はそれぞれに体型が違うのですから、合う肩当てや顎当てもちがうのですよ。)

⑫のFerdinand Davidのchaconneについては、10月の10日の投稿でかなり詳しく書いています。ピアノヴァージョンのVitaliのchaconneは底本をDavid版を使用しているので、Charier版等々も基本はDavid版と同じです。
Urtextと言われるBarenreiter版 やRicordi版も、底本の間違いの多さに、ちゃんとした楽譜が作れなかったようです。10日のコメントにも書いたように、facsimile版だったとしても、写本だと思います。作曲家本人ならば、絶対にしない間違いが多すぎるからです。
それよりも、chaconneも、la foliaも、舞曲なので、その舞曲の特徴を表すrhythmを使用しなければなりません。しかし、一般的に知られている大元のDavid版も、chaconneをarrangeする時には、舞曲としてはarrangeはしていません。その影響かは知りませんが、Barenreiter版もRicordi版も、chaconneのrhythmを使用していないので、今回、私のarrangeでは、そのrhythmを全面に押し出して、古式豊かに、chaconneらしくarrangeをしたつもりです。
それにしても、Vitaliのchaconneとcorelliのla foliaは、昨日の20日の日曜日迄でも、訂正改正をし続けているのだけどね??今、第何稿??もう、誰も分からんよ!!100稿は軽く越したかな??
1日に、3回も4回も改訂する事が普通なのでね。
写真1枚目は、ライプツィヒの図書館に所蔵されているVitaliの原本のfacsimileです。Vitaliのchaconneはこの版しか残っていないので、総てのchaconneの版はこの譜面を底本にしているのですが、これはどう見ても、写本であって、作曲家の直筆譜ではありません。ですから、この曲を底本にするには、クリティック(kritik=批評修正)が必用になります。
写真2枚目は、ネットからdown loadしたviolinを真っ二つに切った写真です。真ん中の棒が魂柱です。魂柱は上下の板(表板と裏板)で挟んでいるだけなので、violinの演奏の時の振動で微妙に移動します。良い音で弾くと、良い音の出る場所に魂柱が移動します。だから、楽器を鳴らせる人の楽器はよく鳴って、楽器を鳴らせない人の楽器は、音が出ないのです。



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2016年11月21日 23:32 ・

「baroque-concertへの解説No.7」
⑩ baroqueのviolaについては
baroqueのviolaは、viola自体が未成熟の時代だったので、violaの曲が非常に少なく、楽器もどの楽器の属の中に分類されるのか?が曖昧でした。今でも、ドイツでは、violaの事を、ブラッチョ(Bratsche)と言いますが、それはビオラ・ダ・ブラッチョ(viola da braccio)の略で、日本語では「腕のビオラ」という意味になります。つまり、baroque時代では、通奏低音等で、よくcelloの代わりに演奏されるヴィオラ・ダ・ガンバ(viola da gamba=脚のビオラ)の同族の楽器になります。下の文章では、私が昔々所有していたコントラバス(Kontrabass)の仲間であるヴィオール属のヴィオラの話が出て来ますが、そういう風にbaroqueの時代では、未だどれがヴィオラのパート(part=この場合には、中声部を意味しますが・・)を演奏する楽器であるかは、曖昧で、そのために、楽器自体も非常に珍しく、今、残っているヴィオラを見つける事自体が、非常に難しく、そういう事で、即、私の元にやって来た(買った)のですが、教室でorchestraーcurriculumの中で使用するには、教室が演奏する時のbaroqueの音楽は子供達の教育のために、baroque-pitchではなく、modern-pitchのままなので、baroque-violaは、baroque音楽を演奏する演奏のチャンスがないままに、ハイツのお蔵で、寝ていました。(私の自宅である江古田のハイツには、未だ日の目を見る事のない、そういったカンブリア紀に属するviolin達が多数、出番を待っています。)
Bachの無伴奏という曲は、学術的で発表会には向かないので、梨紗ちゃんが受験のために、Bachの無伴奏を勉強してから、音楽大学に入学後に、そのままBachの無伴奏の勉強を続けて行ったので、発表会でも、その組曲の中の1曲ぐらいは、発表会の幕間で演奏しても良いのかな??と言う事で、おさらい会や発表会の幕間でbaroqueのperiod奏法の勉強としての演奏を発表する事にしました。本格的に、Bachの無伴奏の勉強を始めたので、梨紗ちゃんに私の秘蔵っ子の本物のbaroque-violaを貸す事にしました。(本物‥・という意味は、復刻楽器ではなく、当時の楽器そのまま、・・という意味です。)
私は、昔々には、ヴィオール型(Kontrabassと同じで、背中が真っ平らな)baroque-viola(Renaissance-時代のviolaかもしれませんが)を持っていて、「ヴィオール属のviolaだ!」と言いながら、時々、演奏会で、violaの代わりに外でも弾いていたのですが、お金に困った時に、仕方なしに、売る目的で、ミュージックプラザに預けていたら、売れないままに、2,3年経った頃、いつの間にか失くなってしまいました。箱型のviolaなので、面白いけれど実際の演奏にはあまり向かないし、当時は先生達に未だbaroqueの奏法は教えていなかったので、私自身に、あまり、古楽器に対しての思い入れが無かったからです。
大変珍しい二度と手に入る事のないviola da braccio型かヴィオール属のviolaなのですが、もう既に寿命を迎えていて、演奏には向かない、どこかが壊れても、もう、修理不能なviolaという事で、私が、養老院代わりに、購入しました。
実際の演奏で使用する事は出来なかったので、たまに、orchestraで私がviolaを演奏する時に、面白半分に持って行って演奏するぐらいだったので、お金に困った時に、必用のない楽器という事で、一番最初に売り払おうと思ったのですがね。
今だったら、私達は古楽器の演奏をやっているので、かなり楽器の価値は上がっています。
そういった意味では、楽器屋が、なくしてしまったことは、私としては、非常に残念なのですがね??


それにしても、私の所有するbaroqueのviolaは、演奏する機会がなかなか無いままに、ハイツの自宅で眠っていたので、ティールピースや指板等は、ミュージックプラザから買った時のままの状態で、baroque仕様の復刻はしていません。
今回のコンサートには復刻は、間に合わないので、次回のコンサート迄には、復刻して完全なbaroque仕様にして、お目見えしたいと思っています。復刻とは言っても、内部を弄るのではなく、指板の交換とティールピースと駒を変えるだけなのですがね。内部はbaroque時代のままなので、寧ろ見た目の話なのですが・・ネ。

「梨紗さんが演奏している、写真の楽器は今回コンサートで演奏する私のモノホンの大変めずらしいviolaです。
本当はbaroque仕様に復刻してから写真を載せるべきなのでしょうが、・・Before-Afterも良いのかな??」


今日、violaの復刻を、ミュージックプラザにorderを出しました。
細かいorderは、工房の人とするので、楽器を届けた時にします。
・・・・という事で、来年は完全な形のbaroque‐violaをお見せ出来ます。


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baroque-concertoを終えて




11月23日 19:27 ・
夢のような時間でした
娘たちもいつかこんな舞台に立てるかなぁなぁんて想像してドキドキしてみたり(親バカ全開ですみませーん、想像するのはただだからねっ!)
私も仕事がんばろうっと!





芦塚メトードでは、三つの条件さえ守る事が出来れば、夢を叶える事が出来るとお約束しています。
その三つの条件は別に極秘でも無いので、どなたにでもお教えしているのですが、難しい事は難しいようです。
その
一番目の条件とは、その夢を叶える事が潜在意識的に一番目の夢であるのならば・・、と言う事です。
アスリートやバレリーナを目指す人達が、学校とか家庭との生活とぶつかってしまう話をよく聞きます。
職人を目指す人達は職人の生き方をしなければならないのですよ。
何時もお話をしているので、耳タコですかね??
11月24日 22:01

知っているのと行動できるのと、違いますがねd( ̄  ̄)
あと条件二つは何でしょう?
11月24日 22:36

二つ目の条件
とは、その夢と本人や家族が望む夢が合っているのか、否かです。
proにも段階があるので、どのlevelのproを目指すかで、勉強の条件も変わって来るからです。
それと、男性の場合には、音楽のproになる、という事は、音楽をタツキにするという事なので、それ相応の勉強をしなければなりませんが、proのオケに入団する事や、演奏会を開く事は大した事ではありません。

その程度の夢ならば、演奏出来る曲のレパートリーをちゃんと作れて、プロモーションの方法論を覚えるだけで充分なのですよ。
でも、ソリストとして音楽だけで生活をするのは、それなりの意識と勉強が必要だという事なのですよ。後のadviceは、自分が完成して、勉強する事はない・・と思ったら、その時は、音楽家である事を止める時です。音楽大学を出ただけで、音楽家であると勘違いをしている人達の音楽を聴く気はありません。もっと優れた演奏は幾らでも聴く事が出来るのでね。
道に至らなくても、その努力を続けている人達を見る事は、もう齢を経た私達にも勇気とエネルギーを与えて来れるのですよ。
音楽の完成度なんて、どうでも良いのです。それに向かう姿勢が大切なのですからね。
11月24日 23:08

三つ目の条件は、自分を正しく導いてくれる優れた指導者です。

世界の音楽を勉強する学生達には問題はないのですが、日本人だけのブランド志向の気質が問題点なのです。
日本では、どんな分野でも、親方日の丸が一般的なので、有名演奏家や、有名大学の教授等が優れた指導者とされます。
しかし、私に言わせれば、それだけ目的意識を持った直向きな生徒達をproに出来ないのは、とても、優れた指導者とは言い難いと思うのですがね??

病院に入院する時でも、何が何でも、東大病院が良いとか、大学病院のい友人の方が良いが良い・・とされますが、本当の名人はフリーランスの人が多いのですよ。
ドクターXとは関係はありませんがね。
私も、大学病院を逃げ出して、当時は地方の病院の先生に過ぎなかった先生に手術をして貰いましたが、命が掛かると、親方日の丸でもないのよね~ぇ??

もっとも、大学病院の先生は、「何処に行っても、同じですよ!」と、怒っていましたがね??
「手術は、人工心臓でやるので、50分ぐらいしか心臓を止められないので、三つ詰まった血管の1本しか助けられないので、寝たきりになったとしても、生きていれるから!」と恩着せがましく言われても・・・(その事は病院の先生は言わなかったので、私が確認をしたのですよ。「この血管は脳に行く血管なのですよね。それなら、手術が終わったら寝たきり・・になるのではないですか?」と質問したら、嫌々ながら、「そうだ!」と答えていました。)人の迷惑になりながら生きて行くのも、結構重荷なのでね。逃げ出した病院の先生は、人工心臓を使わなかったので、時間の制約が無くて、3本ともバイパスを作ったのですよ。「この血管をこっちの血管に繋いで・・!」とかね・・??今では、こちらの手術が一般的になって来ていますが、私の時には、まだ出来る先生は、一人、二人だったのですよ。
その先生は今は親方日の丸の総代みたいな人になっています。
野にいても、有名になると、権力志向になるのかね?? 
ヨーロッパの音楽界では、演奏家と指導者は独立していて、演奏家をしながら、指導者を兼業をする事は出来ません。兼業出来るのは作曲家だけでしょうかね?それでもホームレッスンは出来ません。しかし、作曲だけは、作曲だけでは生活出来ないので、音楽大学でも指導出来るようですがね。
でも、私の友人が
「優れた指導者を見いだして、人の意見や、名声に揺らがない事も、一つの才能になるのだよ!」と言っていたのを聞いて、「なるほど!!」と、感心してしまいました。
一流の演奏家ともなると、目が曇らないのだよね~ぇってね?? 
逆か??・・目が曇らないから、一流になれたのかね??
11月24日 23:31

 よく勘違いされるのは、
「proを目指すならば、努力と忍耐が必要だ!」という事なのですが、芦塚メトードでは、そんな「かったるい事!」は必用はありません。もし、その人が、「音楽が好きだから、音楽を勉強したい!」という事ならば、音楽にどっぷりと浸れる事は、楽しい時間なはずですからね??もし、その楽しいはずの時間が辛い、忍耐を必用とするものならば、それはその練習法が間違えているのか、練習の目的が間違えた方向に向かって練習しているからなのですよ。その間違いを正せば、音楽を勉強する事で、辛い事は一つもなくなるはずです。
11月24日 23:16

昔、私が指導した事のあるproのピアニストの女性が、Pianoに向かって、一日中、一生懸命練習しているのに、色々と問題点が直らなくって私の元にレッスンに来たのですが、1ヶ月も、2ヶ月も指導しても直らないので、「私の言った通りに練習しているの?」と聞いたら、
「ちゃんと、毎日、4時間は練習しています。」という返事だったのですが、それでも治らない事を不思議に思って、更に質問をしてみたら、私の言った練習法を「3時間、4時間やると、精神的に追い詰められてしまうので、気晴らしに残りの6時間、7時間を自分の思い通りに練習している」と言っていました。
それじゃあ、幾ら練習しても、変な癖が取れる分けはないよね?と言う事で、レッスンは、私の友人のproのpianistにお任せしたのですが、半年も経った頃、そのpianistの友人から、「ありゃ、無理よ!」と泣き付かれてしまいました。その後は・・、「多分、破門された!」と思いますが、知った事じゃなのよね?
11月24日 23:24

教室の講師の先生の面接をするために、音大の卒業生を面接した時のお話ですが、私が
「教室では子供達に音楽の楽しさを教えて、音楽を好きにさせて欲しいのです。」と面接をした人に言ったら、「音楽は楽しいものではありません。辛い厳しい練習に耐えて、音楽が上手になるのです。」と反論されてしまいました。
「音楽を楽しく・・」と言ったのが、「子供達に迎合して、コマソンやアニメの曲でも指導しろ!」と言った風に、誤解されたようです。「Classicの音楽そのものが、楽しい美しいものだ!」とは、信じてくれませんでした。「Bachはつまらない教科書か、参考書のようなもので、sonatineやHaydnのsonateは教育教材である・・そんなものが楽しい美しい曲である分けはない・・」と、信じていましたね。
「じゃあ、音楽やって楽しいの??・・」
と、聞き直したい所ですが、・・いやさ、それじゃあ、堂々巡りだよな??音楽の楽しさ、素晴らしさを教えないのなら、生徒達が音楽を嫌いになって、教室をやめて行くのは当たり前だよね??
11月25日 6:19

先日はありがとうございました。そしてアップロードもありがとうございます。
214回も再生されてる・・・!
11月25日 0:40


初めてライブ動画というものにチャレンジしてみました
ケータイを横にして撮ったら、こうなっちゃったので、次回は縦で撮ります!
勉強させていただきました(???)

りささんカッコよかったです痩せたいと言っておられましたが、痩せない方が舞台映えすると思います!
11月25日 18:01


どなたが生徒さんかは分からなかったのですが
いらしてたら、ありがとうございました!
いいね! ・ 返信 ・ 11月23日 21:07


今度のレッスンできいてみます!
11月23日 21:12

あ?横になってる、、、
11月23日 19:30


行きたかったのですが、都合がつきませんでした。生徒に勧めたけど、行ったかな?

画像が横になってるけど笑
耳から入る音楽に変わりはないから大丈夫?
すごいすごい素敵だったのね??
やばいわ?
目 閉じたら天国行っちゃいそう(?>?<?)
11月25日 9:33


そーなのよ。
横になっちゃったの。
ライブは縦で撮らないといけないみたい。
会場で聴くと、天井に上った音楽がふたたび降りてきて、本当に幸せな気持ちになれました
11月25日 18:03






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11月23日 18:00 ・

さぁ、楽しい音楽のはじまりです!
(のだめカンタービレ風)



昨日は素敵なお花ありがとうございました。準備、片付けなどもお手伝いいただき助かりました。
11月24日 8:13

とんでもない!
楽しかった!
11月24日 12:15


23日はお花まで用意していただき、本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
11月25日 23:23


とんでもないです!

本当に楽しかったのです娘もあっという間だった!と、充実した時間だったようです
また楽しみにしています!
11月26日 21:40



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2016年11月24日 20:44

昨日は、大変ありがとうございました。お久しぶりでお会い出来たり、色々とお手伝い頂いて、大変感謝しております。コンサートの報告のPageを作成しなければならないのですが、コンサートの前から、目が痛くてメガネをかけていられないので、パソコンの画面を見る事が出来ません。それに、未だ、写真や動画が、ハイツに来ていないので、dataが集まって、目の痛みが取れたら、改めて、baroque‐concertのご報告をしたいと思っています。
   

それはそうと・・どうして、文字が巨大になるのかな?文字数がある程度行くと、通常の大きさに戻るようだけど・・。スマホの設定のようだけれど、余計なお世話だよな??

文字が大きいのは余計なお世話ですね。笑

昨日はとても良い時間をありがとうございました?興奮してしばらく眠れませんでした

目も痛いんですか神経痛ですかd( ̄  ̄)?
お大事になさってください、我らが大先生!
11月24日 22:34

結構昔から、左右の目のピントが大きくズレていて、そのために、メガネをちゃんと作る事が出来ません。左右を均等にぼかして作ります。目からの肩こりや偏頭痛は長年続いていたのですが、それが歳とともに治るのではなく、酷くなって来て、年に何回か、酷い眼球の痛みに苦しめられます。こうなると、冠動脈からの肩こりか、目からの肩こりか、脳梗塞からの肩こりか分からなくなってしまいます。
11月25日 2:09

「目が痛い」と思っていたのですが、なんとそれは帯状疱疹の始まりだったのですよ。12月も正月休みに入って寝込んでしまいました。
17年3月31日7:20





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レンブラントの絵画の夜警のように、薄暗い中に夜明けを告げる鶏の鳴き声が聞こえて来ます。
夜明け間近い帳の中からはナイチンゲールの鳴き声も聞こえています。
11月25日 5:35

何時の頃だったかは忘れてしまいましたが、テレビを見ていたら、夜警の絵画のあの深み(渋み)は絵の具のニスの経年劣化による誤解で、Rembrandtが描いた当時の色合いをcomputerで再現した映像を見たのですが、Rembrandtがあの絵を描いた当時は夜警ではなく、これから出動する軍隊の明るい昼中の光景だったそうです。ニスの汚れは今は取り除かれて、明るい「夜警??」になっているそうです。
(・・パソコンに入力する時に、目が痛くて、メガネをかけられないので、文字が全く見えなかったので、・・
「夜警ではなく、夜景になっていた」・・と指摘を受けました。
慌てて訂正しました。)
Rembrandtの絵画に何処にも鶏の声も、ナイチンゲールの声も描いてないのですが、何処にそんな鶏の事が描いてあるの??とも指摘をされたのですが、それは昔々、未だRembrandtが夜警の出動前の風景を描いたものだ・・と信じられていた頃の解説を鵜呑みにして覚えていたので、それをそのまま思い出して書きました。

昼間じゃぁ、鶏もナイチンゲールも鳴かないわな・・??
11月25日 5:45

なんで、Rembrandtなの??と、聞かれてしまったので、そのお話ですが、Renaissanceの時代からbaroqueの初期、中期にかけてのBiberやPachelbel等の作曲家達の作品では、非常に静的な・まるで宗教画を見るような痛々しさを伴った作品が書かれる事が多くあります。

そういった描写的な静的な音楽は、baroqueも後期に差し掛かると動きのある壮大な音楽に取って変わって、それ以降はどの時代の音楽にも現れる事はありません。

また、そういった静的な音楽の次には、楽しい舞曲が演奏される事が多いのですが、静的な曲とは真逆に、素朴で、実に可愛らしい単純(primitive)なmelodie作曲されている事が多いのですが、この素朴さも、baroqueの初期、中期時代だけの特徴になります。

そのルーツは王宮のマヌカン達の踊りであったり、la foliaやchaconneのように、源流は、粗野で卑猥な酒場のdanceであったりします。そういった音楽がbaroqueの音楽には歴然とあるのですが、古典落語のように、ひねりが分かれば、とても面白いのですが、それが珍紛漢紛なら、baroqueの音楽は、宗教音楽のように面白くないのですよ。
(一般的なお話なので、宗教音楽から怒られそうなので、補足説明をしておきます。宗教音楽は、歌っている歌詞が分かると、テレビで物語を見るようなstory構成になっていて、テレビや映画の代わりの、民衆の娯楽にもなっていて、また同時に宗教の教育にもなっていたのです。
丁度、一休さんの説法のように、怖いけれど、民衆の心を引き付けていたのですよ。)

舞曲には、時折登場するhemiola(フェミオラ)のような、独特のリズム(rhythm)も音符で演奏していては、stepにはなりませんからね。
11月25日 6:49



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2016年11月26日 17:11 ・

おまたせいたしました。先程、動画がギガ便でハイツに届いたので、早速、You Tubeにuploadしました。
残りの4曲は、今暫くお待ち下さい。
dataが到着次第、また、uploadする予定なので・・。

検索はbaroque‐concert さや堂ホールでも良いのですが、上手く行かない場合には、402a42kaのaddressでサーチして見てください。

夜には残りの後半の曲の動画もギガ便で着いたので、早速、trimmingして、You Tubeにuploadしました。

梨紗ちゃん、videoと写真、ありがとう!
今回は色々とハプニング続きでしたが、皆様のお陰で、万事恙なく行きました。

感謝です。ハイ!
11月27日 9:27



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2016年12月11日 9:24 ・

「baroquebowの音の立ち上がりと日本のエイズ奏法のお話」
「弓の持ち方のお話」
弓の持ち方には、一般的な3点支持の持ち方と、教室で採用している1点支持の持ち方があります。日本の音楽大学や多くの演奏家達が採用している3点支持の持ち方の最大の利点は、直ぐに弓を持つ事が出来るとか、弓にプレッシャーを掛けるのが楽なので、強い音が出せるという利点(?)があります。※)利点に(?)を付けたのは、
「本当に、そうなのか?」という意味です。


3点支持の弓の持ち方には、多くの欠点があります。色々な演奏技術では、3点支持では演奏不能な奏法が多く存在します。

これは、baroqueとは無関係な話で、ロマン派の曲は元より、近現代の曲を弾く時にも、3点支持では弾けないpassageが多く存在します。

日本のorchestraの演奏家達も、その奏法の時だけは、右手の薬指と小指を離して、1点支持の持ち方に変えて演奏しています。

つまり、無意識にでも、意識的にでも、その時だけは、1点支持の奏法をしているのです。

「それなら、最初から1点支持にすれば良いのに?」・・私もそう思うのですが、これがtraditionalである・・という怖さと、実はもう一つの理由、・・1点支持で弓を持つ事は大変難しいのですよ。私も子供達に「弓がちゃんと持てるようになるには、10年は掛かるよ!!」と何時も言っています。

但し、violin演奏の神様達である、Grumiauxにしても、Szeryngにしても、ベルリン・フィルのSchwalbe先生にしても、多くの有名な演奏家達は、1点支持の奏法を取ります。そういった1点支持の奏法の事を、一般的にはベルギー派と呼ぶ事が多いのです。

教室もベルギー派と言われる事が多かったので、一時期は教室でも「ベルギー派のmethode」としていた事もあったのですが、本来はやはり「芦塚メトード」であり、完全にはベルギー派とは同一ではありませんので、今はベルギー派という呼び方はしていません。

単純に「芦塚メトードによる自然体奏法」です。

しかし、1点支持の弓の持ち方は、弓のmitteからSpitzeに掛けて、右手の薬指と小指を外さないと、violinの本体と並行に正しくは弓が行きません。小指を弓の背に乗せたままでは、腕の長さが届かないので、弓を後ろに弾いて逃がす形になってしまいます。1点支持の奏法の場合には、froschの時には、構えだけは通常の3点支持の構えとはあまり違わないのですが(弓のholdingは人指し指と親指の間で持つ事は変わらないので)、最初から人指指と小指と親指の3つのpointで支持をしている3点支持とは、やはり、基本的に構え方が違います。

mitteからSpitzeに掛けては、薬指と小指を外さないと、弓が楽器本体と真っ直ぐに動かないので、薬指と小指を外すように、1点支持で教えていても、いつの間にか、指を外すのが怖いので、3点支持のように弓を体の後ろ側に引いているのよね~ぇ??

しかし、これは結構、自転車の乗り方と同じで、生徒の中には、一度教えただけで、本能的にパッと1点支持で持てる子供もいるので、これは、感性の問題もあるようなので、こればっかしはなんともね~??



「弓の持ち方の歴史」
弓を持つという事の歴史を知る事は簡単です。
文献にも記してありますが、一番の説得はbaroque時代や古典派時代の絵画を見る事です。
3点支持の持ち方が出て来たのは、Tourteによる弓の改良(?)※)と、ガット弦の材質の向上なので、強い張りのある逆反りの弓が作られて強い押さえ込みに耐えられる弓になった所から、3点支持の持ち方が始まったのです。
※)Tourteが新しい弓の制作を始めたキッカケとなった出来事や、詳しい話をhomepageに書いたはずなのですが、indexがなっていなくって、探し出す事が出来ません。だから、Tourteの簡単な略歴を書いておきます。

「Francois Xavier Tourteと弓の簡単な略歴」
Tourteは、18世紀初頭に誕生した所迄は知られているのですが、フランス革命の混乱で戸籍は残っておらず、正確な出生日、住所等は不明です。
1748年4月17日~25日の間に、大工であり弓職人そしてバイオリン作りでもあった父 Nicolas Pierre TOURTE の次男として Saint-Antoine で生まれたようです。
1782年34歳の時に、バイオリニスト Jean-Baptiste Viotti (教室でもよく、お世話になっているVottiですが)作曲家が、Tourte 兄弟の元を訪れて、ヘッドとフロッグの高さが等しい、反りのある弓の制作を依頼したのです。
1790年Tourte42歳の時に、Viotti と R.Kreutzer 両名のviolinistからadviceを受けながら研究を重ね、5年の歳月をかけて現代にその名を残す弓を完成させました。
弓毛の不安定さを補うためにリング(フェルール)を発明したり、同時にオープンフロッグからスライドのある、カバードフロッグへの改良、スティックの重量バランスを確立。
1792年44歳の時には、france革命の中を、Viotti はStradivariのviolinとTourteの弓を携えて、新しい弓を世界に広めるために、franceを出発しました。
「Tourteの弓が世界を席巻するに至ったもう一つの理由」
 VottiがTourteに、張りの強い弓を依頼したのは、France革命に寄って、音楽が限られた貴族達の音楽から、民衆の音楽へと移行下からなのです。
それまでの音楽は、王宮のホールで限られた貴族を対象に演奏したり、教会の中で演奏されたので、強い音量を必要とはしなかったのです。
音楽がpetit・ブルの物になって、大きな演奏会場や、劇場で演奏されるようになって、大音量を出す楽器が必要になったからです。Vottiの依頼には、そういった時代背景のニーズがあります。
マリー・アントワネットの悲劇は、音楽の悲劇でもあったのですよ。ハイ!


「本文に戻って・・」
つまり、Tourteが新しい逆反りの弓を作る迄のbaroqueと古典派の時代迄は、弓の持ち方はおしなべて総て1点支持であったわけです。
その理由は、絵画のようなものを持ち出さなくても、3点支持の持ち方では、baroqueや古典派の時代の弓では、一瞬にして折れてしまうからです。
ですから、3番目の写真は、Tartini‐bowの弓の先の写真ですが、教室で使用しているbaroque時代の古いタイプの弓先の写真が6枚目の写真であります。この写真を見て、分るように、先が細く繊細であることが伺えます。
ですから、この種類のbaroque‐bowでは、ほんの少しの力でも、加えると弓は折れてしまうでしょうね。(勿論、当時のガット弦も、直ぐに切れてしまうでしょうしね。)
ですから、この弓で演奏出来る日本人はいない・・(世界的にもこの弓で演奏している演奏家は非常に稀である)と、されているのです。
(私達の教室の生徒達は1点支持なので、この弓で演奏したとしても、弓先に力が加わって弓を折る事はありません。根本的に弓の奏法が違うのです。)
この弓を持つ・・という持ち方の違いが、日本人のviolin奏者がbaroque‐violinで演奏出来ないもう一つの理由です。(他の理由は、vibratoの話に書いてあります。)
1番目の写真の上のタイプの弓は、古い時代のbaroque‐bowで、弓の毛を緩める時には、写真5のように箱(毛箱フロッグ)を外します。
写真1の下の弓は、私達がTartini‐bowと呼ぶ、同じbaroque‐bowでも、少し新しい時代のもので、弓の張りの調整は現代のbowと同じように、ネジ(スクリュー)で毛の張りを調整出来るようになって、弓の長さも殆ど、現代bowと同じになっていて、しかも、弓の反り具合も大分現代のbowに近づいています。




・・・・という事で、少し強い圧力にも耐えられるような弓です。
ですから、この弓ならば、あまり意識をして強く押さえ込まない限り、3点支持の持ち方でも、弓が折れる事は(少)ないと思います。(ない!と言い切って、折れたから責任を取れと言われてもね~ぇ??)
いずれにしても、3点支持の押さえ込みに対応するbaroque‐violinはないので、無理な事は無理ですが・・。(これは3点支持では楽器本体が壊れる事がある・・という意味なのですよ。弦の話は後でします。)
2枚目の写真は、baroque‐bowとmodern‐bowを並べて見ました。
長さの違いを見てください。


3枚目の写真は、baroque‐bowの弓の先の部分のクローズアップです。
この時代の弓には、弓の毛の張りを調整するネジ(スクリュー)は、未だ出来ていません。



4枚目の写真は、弓の張りを調整するネジ(スクリュー)のクローズアップです。古いタイプのbaroque‐bowの毛箱(フロッグ)のクローズアップです。



5枚目の写真は、古いtypeのbaroque‐bowの弓先の部分です。如何に華奢で、折れやすいかお分かりだと思います。




「音の立ち上がりについて」
やっとここまでの前振りで、本題の音の立ち上がりについてのお話が出来るようになります。論理的に説明するのは、兎に角、大変な手間なのですよ。アハッ!
現代の演奏家達が、Mozartや、Haydnの3弦を同時に演奏したり、fortissimoで弾き始める時に、思いっきりclipを入れて、sforzandoなaccentを付けて演奏する人達が殆どだし、また音楽大学の先生達もそのように指導するようなのですが、それでは、古典派の時代には、絶対に無かった奏法であって、baroque時代や古典派の時代の弓では、そんな弾き方をしたら、弓が一瞬で折れてしまいます。
また、こんにちでは、baroqueの演奏styleの代表と思われているstefano_montanariさんですが、彼のように、急速な弓を使っては、gut弦(gut string)が一瞬で切れてしまいます。
stefano_montanariさんが、演奏会等で、そういった奏法が出来るのは、弦がbaroque時代の本当のガット弦ではなく、ナイロンで作られた模造の弦で、modern‐violinで使用している金属弦よりも、強い張りを持った切れない弦なのだからです。
多分、私が思うには、baroqueや古典派の時代には、ナイロンやビニールの素材は未だ発明されていなかったと思われるので、その弓速で演奏する事は無理なのですよ。
(確かに私達も、baroque特有のsyncopation等を演奏する時には、ある程度の弓速を付けて演奏しますが、それも常識の範囲内の話です。)
・・という事を理解出来ると、音の立ち上がりでclipをしたり、強い力で押さえ込んで音を出したら、それはbaroqueや古典派の奏法では無い・・と、いう事が理解出来ると思いますがね。


初速がピストルの玉や、弓のように速すぎると、弦を切ってしまうので、上手な電車の運転手が出発するように、ほんの少し加速をして弓を弾き始めなければなりません。


このお話は、弦楽器の場合と、Pianoの場合では少し異なります。
現代のPianoの弾き方では、touch(打鍵)をする場合には、打鍵の速度は殆ど問題視されませんが、forte-pianoでは、打鍵のStroke(鍵盤に触れてから音が立ち上がる時までの遊び)が殆ど無く(7ミリ程度で)、しかも、直接、弦にhammerの力が伝わるので、少しの力が入っただけでも、音が割れやすいので、指先に力を加える事が出来ません。
音の音量は、私の理論では、Vectorで表されて、「速度×力(重量)」なので、forte-pianoの場合には、Cembaloの場合以上に、指の速度が必要になります。

しかも、音が立ち上がるまでの遊びが殆ど無いので、指先に瞬時に初速を付ける事がforte-pianoを弾く上での重要なpointになります。
こう言ったforte-piano特有のtouchをMozart‐touchと呼んだり、leggiero‐touchと呼ぶ事もあります。

しかし、forte-pianoを演奏する上で非常に難しい事は、初速を上げる時に、ほんの少しでも力が入ってしまうと、音が割れて歪んでしまう‥・という事なのです。その難しさは、殆どのforte-pianoの奏者が、Pianoを学び始めた時から、double actionのPianoでPianoを学んで来たので、forte-pianoのtouchが出来ない・・という事にあります。Beethovenが忌み嫌ったPianoのdouble actionの問題点が力んだ演奏にあるのです。優美は古典派の演奏のstyleとは相容れない奏法になるのです。

大学の楽器博物館に、若い女性の先生なのですが、forte-pianoの研究をしている先生がいて、私が質問をした事があります。

「forte-pianoの演奏のCDで、ornamentや即興は結構素晴らしい演奏をするのだけど、音がジャラン・ジャランと汚くて耐えられないのだけど、forte-pianoの独特の音を出す綺麗な音(touch)の奏者はご存知ないですか?」というと、即答で、「世界中に一人もいません!」と言われてしまいました。

chopinの家にあるPleyelのforte-pianoは、訪れた人達に開放されていて、誰でも試演をしてみる事が可能で、その演奏はYou Tubeにuploadされています。多くの演奏家の人達と多くのamateurの人達がそのChopinのforte-pianoを演奏しているのですが、本当にChopinのように美しい音で演奏しているのは、皆、amateurの人達で、proはそういった音は出せないようです。proの人達は、double actionの呪縛から離れられないのですよね。きっと・・!!




弦楽器の場合には、いきなり初速を上げてしまうと、音が裏返ったり、本物のガットでは、弦が切れたりするので、そういった演奏は出来ません。

そこが、baroqueと古典派の奏法の弓の立ち上がりの弾き方のpointになります。
弓の初速が速すぎると、ガット弦の振動が付いて行かなくって、音が裏返ってしまいます。
これを
「baroque楽器だから、responseが悪いので、仕方がない!」と曰わっているとんでもないbaroque‐violinの奏者がいますが、それは無知蒙昧な人で、所詮、baroqueの演奏は無理な人達です。

baroqueや古典派の音の出し方のもう一つの本領は、音を弓で弾いて出すのではなく、響かせて音を出すという事です。
つまり、konsonanzの音を増幅させて音量を出すのですが、それを日本人は後押しをした音と勘違いして、その「後押し」のSchwalbe先生曰くのエイズ奏法が)音楽大学の音の出し方の主流になってしまっています。
音楽大学の生徒達の殆どが、どんなに速い音でも後押し奏法をして弾くので、船酔いをするそうです。
船酔いではなくって、「弓酔い」という言葉でも作ろうかな??

日本人に取っての「後押し奏法」は、演歌に近い、或いは浪花節や民謡にもよく見受けられる日本人独特のこぶしの利いた歌い方に近い歌い方なので、日本人のClassicの音楽家達にとっては、民族的に違和感がないのでしょうが、そういった日本特有の伝統の無い・・ヨーロッパ人に取っては、大変に忌み嫌われる奏法で、以前、ベルリン・フィルのコンサートマスターであった、Schwalbe教授が、日本に度々やって来て公開lessonの度に注意しても治らない「死に至る病である」(当時は治療方法のない病だったのですよ。)という事で、日本人の後押し奏法の事を「エイズ奏法」と呼んで、その奏法の事を愚蔑していました。

(そのSchwalbe先生の公開lessonの会場には、毎回、その奏法の大元の教授もいたのですが、その先生は自分のことを言われているとは思いも掛けていないように見受けられました。自分の奏法を死ぬまで信じて疑わなかったのでしょうね??幸せな人ですよね~~??)

でも、その日本の音楽大学では有名な教授がお亡くなりになった後も、その忠実なお弟子さん達に寄って、その「エイズ奏法」が引き継がれて行って、多くの音楽大学で、未だにその奏法が頑として、見受けられるのですが、その奏法を生徒達に指導したのは、たった一人の教授なのですが、困った事に、未だに、その奏法の方が日本の主流の奏法なので、参ってしまいます。
いや、pandemicもたったひとりの感染者から始まるのですよねぇ??


教室では、長年の指導の中で、前々回ぐらいのオケ練習からは、orchestra組の3回オケからも、baroqueの基本的な奏法を取り入れるようにしました。

・・とは言っても、世間一般の音楽の道を目指す子供達とは違って、八千代組のmemberは、皆さん音楽は趣味で、今は、中、高生達は受験で、皆さん、音楽の勉強は、ポシャっているので、今の主流のorchestraのmemberは、小学生達なのですよねぇ~??
マジにKnabenkammmer-Streich-orchestraだよね~ぇ??

ドイツ語のKnabenは小学生までしか使えないのだそうですよ。
ですから、今回のクリスマス会の冬のsoloやorchestraは、小学生が主軸で演奏します。勿論、soloも・・!!
純正の和音の勉強は、教室開設の最初からしているので、どうせなら、難しいのは承知で、正しい音の出し方に挑戦させるのも悪くはない‥・という事で、冒険を始めて、1年、2年が経った所です。

1年、2年と始めた時期が曖昧なのは、少しずつ、出来る所から、取り入れて来ているからなのです。
でも、新しくオケに入る人は大変ですよね~~??
・・そのための2回オケなので心配は要りませんよ。


「私は弓の弾き方(運弓)を、弓の場所に合わせて3つに分けて指導しています。」
この話を真面目に説明すると、またまた一大論文になってしまいますので、軽く触れておく程度にしておきます。

①「弓の弾き始め(音の立ち上がり)」
弦楽器の場合には、先ず初歩の練習として、detacheの弾き方がありますが、実はこの弾き方は、自然界には存在しません。あくまでもimage上の架空の演奏方なのです。・・理由は簡単です。

a) 自然界では、いきなり所定の速度で動き出す事は有り得ないからです。電車でも飛行機でも、巡航速度に達するには、等加速度運動が必要だからです。

b) 音が出るためには、弦と弓の毛の間で摩擦が必要になります。
弓の毛替えをしたばかりで、未だ松脂を塗っていない弓で演奏しようとすると、全く音が出ません。微かに音が出る場合もありますがそれは、弦に以前の松脂の油脂が残っているからです。

c) 松脂を塗った状態の弓で、全くのpressureを掛けない状態で弾き始めると、(当たり前の事ですが)弓が空滑りをして、音が上ずった空滑りの音(flageoletの音)がします。音を出すためには、最初のキッカケの動作が必要になります。
このキッカケとなる最初の音の事を、私は音の「立ち上がり」と呼んでいます。

この「音の立ち上がり」はbaroqueや、古典派の演奏の時代区分に取って、非常に重要な意味があります。
今の演奏ではゾンザイに時代様式を無視した、modern‐bowで、現代的な演奏法で、BeethovenやBach、Mozart等の曲を演奏していますが、歴代の作曲家達は、そういった音は望んでいなかった、という事が、作曲者の手紙等によく書かれています。
作曲者が望む音は美しい音であって、決して乱暴なnoiseの多い音ではないのですが、音楽をスポーツとでも思っている音楽家が多くて困ってしまいます。

勿論、音の立ち上がりは、時代と共に、エグリの程度が強くなり、Beethovenの後期では、Tourteのbowが出来るので、clipの奏法が入って来ます。エグリの程度は、Sweelinckのような前期baroqueから、Biber等の中期、HandelやBachの後期baroqueと、少しずつえぐり具合が強くなって来ますが、HaydnからMozart迄は、未だ絶対にclipの奏法を使用してはいけません。Tartini‐bowを使用したとしても、Tourteのbowではないので、未だclipには耐えられないからです。
(弓が耐えられたにしても、弦の張力が弓の圧力に耐えられないのでね・・)

弓が弦が強いpressureに耐えられる、Tourte‐bow(のmodern‐bow)で、clipをした場合には、clipされている時は音は出ません。それは演奏者が、弓が動かないようにpressureを掛けて、clipしているからです。clip奏法では、弾き始めの一瞬には、clipを解除する時のnoiseが出るのですが、演奏家をそのnoiseを聞こえないように、一瞬で実音にします。そのnoiseが音のメリハリを出して音を立ち上げるのですが、それはorchestraの場合には、太鼓のような楽器で、音を立ち上げるのです。つまり、太鼓やcymbalsのような各種の打楽器もその殆どがnoiseを出す楽器なのです。




③「弓の弾き終わり」

弓の弾き終わりは、その残響の有無と、長さで、大きく分類されます。
a) 全く残響を残さない場合の奏法を「弾き止め」という言い方をしています。「弾き止め」を強く出す場合には、最後の「弾き止め」の音を丁度Pianoのdamperのように弓でclipして響きを止めます。
b) 通常は弾き終わりの音を弓速を弱めて、丁度、電車がホームに停車するように、ゆっくりと弱くしながら終わりの音を弾きます。

c) これらの奏法の他に、教室では、弓の弾き終わりに(melodieの終わりの音に対して)、弓をそ~つと浮かせながら、残った残響の音に対して、vibratoを掛けて、余韻の音を作り出します。その響きは、あたかも、ホールで残響が残って響いているように聞こえます。八千代のホールのような、多目的ホールでは、弦楽器が演奏しても、全く残響は残りません。
ですから、弦楽器の演奏で余韻の音を、作ってしまうのです。

この奏法の事を、教室では「んのbowing」と呼んでいますが、これはproのorchestraの人達でも知らない技術(弓の奏法=bow‐Technik)です。(・・・もっとも、Wienのorchestraの人達は、生まれついてその奏法に堪能ですが・・)


②「弓の移動」
wien奏法では、(と言うか、baroqueや古典派の奏法が、伝統的にwienの人達の間に残っているのに過ぎないのですが・・)弾き始めの最初の音を出したら、一瞬で、弓の先っポに移動するという奏法をwienPhilのmemberはよくします。
日曜日の
「オーケストラがやって来た」という番組で、Wien奏法の説明をする時に、指揮者の人が、「wien奏法ではこういう風に弾くのだ!」と言って、弾き始めの音を鋭く引っ掻いて、一瞬で弓を弾き切る、「ギャン!!」という奏法をorchestraに演奏させていました。
そして一言、
「wienのホールは残響が大きいのでこれで、美しく響くのですよ!」と曰っていたね??


本当は、弓の弾き始めの時には、少し強めに弾いて(この強めの塩梅で、時代がbaroqueから前期古典派、中期、後期と分かれているのですよ。)教室では「エグリbow」と呼んでいますが、そのエグリ具合が大変に難しい。
「それじゃあ、Mozart時代だろう!」とか、「Haydnの時代は・・!」とか、叱責が飛ぶ要のbow‐Technikの方法です。
froschからSpitzeに一気に移動するのですが、決して、空中bowではありません。弦上を滑らせて、音が切れるのを防ぐのですが、音が立ち上がってしまっては、目障り(耳障り)になります。Spitzeの余韻の音を充分に出さなければならないので、その余韻の音を邪魔してはならないからです。邪魔しないように・・と空中bowをしたら、敏感な人には音が切れたのが聞き取られてしまいます。これは逃げなので、空中bowは駄目なのです。

私は、教室の生徒達に理屈で
「あ~だ!こ~だ!」と口を酸っぱくして説明しているのですが、wienの人達には、これが体臭になっているのだよね~ぇ??口で説明しなくても、「この弾き方の事だよね!!」といとも簡単に、弾いて見せてくれる!!腹立たしいけれどね??お国柄なので、しゃ~あないか???

しかし、それにしても、日本人の有名な指揮者の人には、すっかりと、呆れてしまいました。
無知にも程があるし、仮にも指揮者でしょう?
そんな、無知蒙昧な事は許されないはずですよ。
でもその程度のlevelが、日本の名指揮者なのだからね~ぇ??
困ったものだよ!
泣けてくるよねぇ~!!
ホールの残響時間とは関係なく、wienPhilは、演奏旅行の時には、何処の国のどのホールでも、wienで演奏する時と同じような余韻の響きで演奏しているはずですよ。

それは単なるbowのTechnikであって、ホールの残響のせいではないからです。
教室の子供達でも、それぐらいの残響を持った余韻の弾き方は普通に出来ます。
「子供が、何故出来るの??」って??
・・それはその奏法を知っているか、知らないかの違いなのですからね。じゃあ、芦塚先生はなんで知っているの??って??
それは内緒に決まっているじゃないの・・??wienの演奏家の人達に聞いても、絶対に教えてくれることはないのですよ!!
そこは日本人とは違うからね。
きっと、
「教えて!」と言ったら、「これはお国言葉なのでwienに産まれないと無理なのよ!」って言われて終わりなのよね。
アハッ!


先週は帯状疱疹でオケ練習はお休みしてしまったし、斉藤先生は今日は四日市の出向でいないので、遅れないように検見川教室に駆けつけないと、・・・という事で、今回のお話は、此処迄にします。
ご静聴、ありがとうございました!


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古楽器の演奏 Biber Rosary Sonate Nr.4 (scordatura a、d、a、d)period奏法について 


period奏法について

古楽器の演奏 Biber Rosary Sonate Nr,4 (scordatura a、d、a、d)

古楽器(その曲が作曲された当時の楽器)で、その当時の様式による演奏をする事をperiod奏法と呼ぶ事があります。

baroque時代や古典の時代の現代楽器(modern楽器)による現代的な解釈(interpretation)と、区別するためです。

当時の演奏、と言ってもよく言われる事は、
「baroqueや古典の時代には、まだ録音機器はなかった分けなので、どうしてその当時の演奏が分かるの?」と言われる事があります。

しかし、その当時の著名な作曲家達(C.P.E.BachやCouperin、fluteのQuantz等多くの作曲家)は、ornament奏法や、basso continuoの奏法のlecture(教科書)を作っています。

その中には、baroque特有の奏法等を、かなり詳しく説明してあるものも、多数あります。

ただ、勿論、演奏が録音されている分けではないので、文字を読み取るだけで、その当時の演奏を忠実に再現しようとすると、どうしても、文字に書かれている演奏を過剰に表現してしまって、period奏法をしている演奏団体の多くの演奏が、eccentric(エキセントリック=奇妙)な演奏になってしまう傾向があります。

どうしても、現代(modern)楽器の奏法での影響を脱する事が出来なくて、頭の中で考えたeccentric(奇妙な)奏法を、
「文献にはそう書いてあるから・・」と信じて疑わない奏者も多いようです。

普段何気なく見過ごしているような、当たり前の事でも、言葉だけで説明しようとすると、なかなか伝わらないという経験をお持ちの方も多いのでは?・・・とおもいます。

私の古典派の奏法やbaroqueの奏法を、曲の演奏法の解説として、文章に書いて、homepageにupしていますが、実際には、その弾き方を動画に録画してupすれば、一瞬で説明出来る事が、文章にするととんでもなく難しい事のようになってしまいます。

音楽の演奏表現を言葉で伝達する事は、それが当たり前の事だとしても、難しいのですよ。
その当たり前の一つの例として、swingの奏法(=notes inegales奏法)を、period奏法の演奏家達が拡大解釈をしてしまって、オーバーに演奏している例を、数多く見受ける事が出来ます。

舞台芸術という意味で、
表現をオーバーにするという意味と、文章をそのままに表現するために結果として表現がoverになってしまう・・・という事はその意味が全く違います。

舞台での表現方法としてのoverさは、舞台芸術におけるホール効果・・・、ホールが大きくなって、聴衆の人数が増えれば増えるほど、表現はオーバーに表現せねばなりません。それが、言葉で演技を伝達する上での、neckになるのです。
歌舞伎が被く(かぶく)理由の一つでもあります。

ですから、逆の読み方で、先ほどのnotes inegalesの奏法にしても、non-vibrato奏法にしても、言葉と表現上の問題ですから、
「その言葉の表現がどういう風に表現すれば自然になるか?」という事に着眼点を移して、書かれている文章を読み直すと、意外と、当たり前の事しか、書かれていない・・という事に事に気づきます。

notes inegales( inegales奏法)と呼ばれる奏法なのですが、C.P.E.Bachによると、同じbeatが単純に繰り返されるpassageの場合には、その拍をskipして、(正しくは、swingして)奏する・・・という原則があります。

特にMenuettの場合に出てくる8分音符の例等です。
参考までに:「la folia」 chaconneとla foliaについて


また、baroqueの弦楽器の場合には、「vibratoをかけないで演奏する。」という事が、一般的なのですが、実は、楽器の演奏に留まらず、声楽、それも複数の人数で合唱するオペラやcantata等の、chorusの部分も、弦楽器と同様に、vibratoをかけないで歌うのが普通なのです。

それに対して、baroqueの音楽を演奏しているにも関わらず、modernviolinと同じように、或いはそれ以上に、vibratoをして演奏している演奏家も、たまにいたりして、
「まだ、まだ、だなあ?」と思う事もあります。
しかし、その理由は、「baroque音楽で、何故、vibratoをしないのか?」という理由が分からないままに、当時の慣習として、non-vibratoで演奏されていると思い込んでいるからなのです。

人々の勘違いが、ただ単に、「vibratoを用いないという理由」を、当時の慣習とするならば、それでも許されますが、もっと酷い例では、音楽技術は時代と共に発展して来たという思い込みから、「何故、baroque音楽では、vibratoを用いないのか?」という理由を、「baroqueの演奏家達は、未だvibratoが演奏出来る人が少なかったから・・・、」とか、「vibratoが未だ一般的でなかったから、」等と主張するperiod奏者も、(日本のperiod奏者のみならず、世界的に見ても、)未だに多くいて、baroque音楽の研究者としての私の立場としては、甚だ困ってしまいます。
「おお、神よ!許し給え!!彼らは自分のしている事が、分からないのです。」


baroque時代にも、vibratoは使用されていたのですが、その使用法は、
「全ての音にvibratoを掛ける」というこんにちの奏法とは少し意味合いが違います。
こんにち、使用されているvibratoの意味は、
「音を膨らます」・・・「音量を出す」・・「音を豊かにする」、・・・という意味に他なりません。

しかし、baroque時代の奏法で、「音を膨らます」・・「豊かにする」・・という役割は、vibratoではなく、konsonanzがその役割を担っていました。

このkonsonanzによる奏法は、viola da gamba等の大型の楽器でよく聞き取る事が出来ますが、それを小型のviolin等の楽器でkonsonanzを表すのに、
歌の奏法である、messa di voceの奏法を使用して演奏します。

小型の弦楽器では、どうしてもkonsonanzの響きが弱いので、その感じを演奏で真似をして演奏します。
それで、通奏低音のviola da gamba等のkonsonanzに整合させる分けです。
つまり、
音を膨らます、豊かにする・・という役割は、vibratoではなく、messa di voceの奏法でしていました。

vibratoの役割は、本来のvibratoの他に、特定の音を強調したい場合(accentvibrato)や、上手に収めるための表現(句読点の表現ゆっくりしたvibrato等)をする時に、vibratoでその表現をしたのです。
Cembalo等のvibratoが出来ない楽器では、trillやmordent等がその役割を担いました。

それが、当時のvibratoの役割でした。


必要最小限で最大の効率を表す事・・・それは、歌舞伎や能の世界にも、・・或いは茶道や華道にも、相通じる世界です。


強勢を表すvibratoや弱拍や収めを表すvibrato、・・・つまり、vibratoの掛け方は、trillerやmordentの奏法に準じます。

ですから、modernviolinの場合のように、音量を求めて、常にvibratoをかけ続けるような雑な演奏のstyleではなく、必要最小限の場所に必要、最小限のvibratoを使用したのです。

それが、こんにちのvibrato過多の演奏に慣れた人達に取っては、vibratoを演奏出来なかった、という風に誤解されて来てしまったのです。

何故に必要最小限にしか、vibratoやornamentを用いなかったのか??という事は、baroque時代の音楽の様式からその理由を見出す事が出来ます。

今ご説明して来たように、一般のviolinの奏者達は、vibratoは、音を豊かにする・・・という意味だけを捉えて、vibratoを掛ける事でのマイナス面を、理解していないことも、baroque音楽を、non-vibratoで演奏する・・という事が、vibratoをするという事よりも、劣っていると見做してしまう要因になっています。

これも、コロンブスの卵に過ぎない理由なのですが、それが一般的に言われた事は、こんにちまでないのですが、
「baroque楽器の演奏(period奏法)では、原則としてvibratoをかけない」・・という事の理由については、baroque時代は、弦楽器のensembleは、殆どの曲で、純正調で演奏した・・という事をしっかりと抑えておけば、分かる事なのですよ。

曲を純正調で演奏すると、vibratoを入れてしまっては、純正調の和音の美しい響きが壊されてしまいます。
vibratoを入れて演奏したら、純正調も平均律もあったものではないのですよ。
それぐらい、音の響きが乱れてしまうのです。

MunchenのKarl Richter教授が率いるミュンヘナー・カンマー・コアーは、chorusの歌い手達がvibratoを入れて歌うと、純正調の美しい和音の響きが失われてしまうという理由から、音楽大学の声楽科の卒業生を採用しなかったので有名です。
このお話は、Karl Richter教授が、Munchenの音楽大学の食堂で、彼自身が、私に直接話してくれた(説明してくれた)事でもあります。

このPageからもYou Tubeにlink出来ますが、私の率いるAshizuka-Kammer-Streichorchestraの、「Corelli=Geminianiのla folia」の演奏では、orchestraで
vibrato無しの純正調のharmonyから、vibratoを入れたmodern奏法に突然、changeするという、純正調と平均律の対比の極めつけの演奏をしています。

曲の至る所で純正調のvibrato無しの響きのpassageと、通常のmodernviolinの奏法でvibratoを入れて演奏しているpassageを対比させて演奏しています。

曲の途中で、soliの人達以外にも、
orchestraを演奏する子供達も含めて、現代の弓の持ち方から、baroqueの弓の持ち方に変えたりして、演奏をしています。(流石に、音楽が趣味の生徒達なので、baroquebowを全員に買わせる分けにはいかないからね!!)

基本的には、一つの曲の中で、こういった時代を超越した、時代錯誤的な演奏をする事はありません。
古式豊かに、period奏法で演奏するのなら、常に純正の和音でbaroque奏法で演奏するし、modernの奏法をするのなら、baroque奏法を途中に持って来る事はありません。

という事で、この演奏は定石を覆した演奏でもあります。
でも、今のところ、誰も、その演奏を疑問に感じてくれた人はいません。
まあ、しかたないか???


結論的に言うと、勿論、baroque音楽でも、必要なpassageには、vibratoは入れますし、ensembleではない、soloの楽器の演奏の場合には、vibratoはもっと多用されます。

だから、
「baroqueの時代は、未だ弦楽器の黎明期なのだから、vibratoの奏法が出来なかったのだ」・・という主張は、「今の演奏が古典の人達の演奏よりも優れている」・・といったような無知蒙昧な演奏家達の「baroqueの人達よりも、自分達の方が、技術的にも音楽的にも優れている」・・・と言った、自己満足的な自惚れの考え方なのですよ。

音楽の歴史は、様式の歴史でもあります。
近現代の曲を、何気なく演奏出来る技術を持った奏者が、baroqueを演奏して、その難しさにあたふたしているのを、よく見る事があるのです。

演奏の技術はそれなりに時代、時代で難しいのですよ。

音楽のinterpretationでは、至極、当たり前の事ですが、
「何故、baroque音楽ではvibratoをしないの?」という事について、その理由となる根本を見出すことが出来なければ、その演奏表現は、eccentricな演奏になってしまうのは、当たり前の事です。

また、baroque音楽を演奏する人達の、もう一つの大きな勘違いは、音を伸ばす時の大きな不自然な膨らましがあります。
しかし、その奏法はbaroqueviolinだけではなく、日本人の演歌の弾き方とも相まって、まるで小節のように不自然な奏法として、日本人の音楽家の間に蔓延してきました。

Berlinフィルのconcertmasterであり、ベルギー派の名手でもあるSchwalbe教授は、以前から注意しているこの誤りの演奏法が、20年経っても改善されない事から、この誤った弾き方の事を
日本の音楽家達の治療不可能な奏法として、「エイズ奏法」と呼んで、「あなたはエイズに罹っている!」と言っていました。

「G線上のaria」とか「タイスの瞑想曲」とかの冒頭の音を、膨らまして演奏する方法は、常套手段としてよく見受けますが、それと、不自然な膨らましによる、所謂、エイズ奏法とは根本的に違います。

それとbaroqueの音の伸ばしの時にも、よく膨らましをしますが、その場合の膨らましは、作為的に弓の力で膨らますのではなく、konsonanzの倍音の膨らみを利用して膨らますのです。
この奏法を、
messa di voceの奏法と言います。

元来は、声楽の奏法だったのですが、baroqueの早い時代に失われてしまって、今は、声楽の世界ではこのbaroqueの特有の奏法は、voicetrainingの方法として残っています。

勿論、viola da gamba等の楽器でも、このmessa di voceの奏法は頻繁に使用されていて、声楽のみならず、弦楽器の世界に於いても、膨らましの奏法として演奏されています。

多くのbaroqueviolinの奏者が実際に演奏でやっている膨らましと、
「baroqueのviolinとは、長い音符は膨らまして演奏するのだ。」と、思い込んで、あたかも演歌のように押さえ込んで膨らましている奏法とでは、音楽上の演奏表現としては、言葉としては、全く同じような「膨らます」・・・という言葉で、表現されはしますが、その表現は、「似て非なるもの」の代表のようなもので、正しい膨らましと演歌っぽい不自然な力んだ膨らましでは、月とすっぽん程は違うのですよ。

しかし、その誤った奏法の意味の違いを知っている日本人のviolin奏者は少ないのですよ。
師匠から学んだその誤った奏法を、ひたすらに
「それが正しいbaroqueの奏法だ!」と信じている・・・今流行りの、変な新興宗教に凝り固まっている人達に似ているのかな??
しかし、それは、所詮、無知のなせる業なのですがね??
アハッ!


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Heinrich Ignaz Franz von Biber

八千代の演奏会でのbiberの演奏風景

https://www.youtube.com/watch?v=944nRyj7LQM

以前・・・、とは言っても、ほんの2,3週間前のお話ですが、このFacebookにuploadした画像をよくよく見たら、本当のbaroque楽器の(古楽器による)演奏が、一曲も無かったので、急遽、追加でbaroque楽器(所謂、古楽器の事です。)による演奏を2曲だけupしておきます。

2曲だけ、・・というのは、古楽器の演奏の研究は、世界の古楽器奏者達に先駆けて、1990年よりも前から、original楽器による公開の演奏活動を続けているので、公開された演奏会の分だけでも、動画でuploadしようとすると、限がないからです。

それでも、その中の数曲は、You Tubeにuploadしているので、芦塚音楽研究所で探して見てください。

ここで演奏している曲は、biberのRosary Sonateという曲で、公開で演奏されるのは大変珍しい曲です。

RosaryのSonateは、全15曲のbasso continuoを伴ったscordaturaによるsonateと、1曲の無伴奏のpassacagliaからなっている曲集です。
最後の無伴奏の1曲のpassacagliaは、後にJ.S.Bachの無伴奏のviolinsonateと組曲に影響を与えた、と言われていますが、私達がこの曲を公開していた
1990年代には、未だ、無伴奏というgenreの曲は、そんなに数多くは知られていなかったので、そういう噂がたったのだと思います。
passacagliaや無伴奏というgenreについては、別の機会に詳しくお話するとして、Rosary Sonateの全15曲には、それぞれ受難の絵が挿絵として描かれており、その曲との好印象を与えています。
Mussorgskyの「展覧会の絵」も、実際には、その絵の表題となる絵画があったとして、絵を掲載している楽譜もあるようですが、真偽の程は、定かではありません。

いずれにしても、biberは色々な面白い試みを沢山した人でもあり、斉藤先生が、年に2回の定期の演奏をしていた珈琲館ブナのコンサートや、この八千代でも演奏したSonata representiva(モノマネソナタ)では、鳥のさえずりとか、カエルの鳴き声や、猫の鳴き声を真似して演奏します。とてもユーモア溢れた曲です。

Rosary Sonateはキリストの受難をthemaにしているので、とてもserious(真面目)な曲ですがね。

演奏は斉藤純子baroqueviolin、basso continuo celloは牧野由起子、Cembaloは萩本美紀です。
pitchはA=418、violinとCembaloのornament(装飾奏法Improvisation)は、本人達が私の監修の元に演奏しています。

そこまでは、通常の古楽器の演奏と同じなのですが、biberのRosarysonate全15曲は、全て
scordatura(異なった調弦で作曲されています。

ですから、楽譜上に書かれた(演奏した)音符と実際に出る音が全く違って、楽譜を見るだけでは、どんな響きがするのか分からないのです。

しかも、pitchは、A=418なので、半音下の音が出ます。
violinを勉強している人達にとっては、このbaroquepitchは、楽譜の音と実際の音が違うので、baroque音楽を勉強する上でのネックになってしまいます。特に絶対音感のある人にとっては、演奏不能な曲となっています。

scordaturaについて

更に、biberのscordaturaに至っては、楽譜を見て、その曲のimageすら分からない・・・という事で、この曲を演奏出来る演奏者は世界で非常に数が限られてしまいます。

下のCembaloのpartを見ると、(勿論、baroquepitchなのですが、pitchの問題はさておいて、)Cembaloの譜面は、scordaturaではなく、普通の譜面で書かれているので、楽譜を見るとだいたい音もわかります。

でも、violinのpartに関しては、この譜面からmelodieを読み取るのは難しいでしょうね。

scordaturaというのは、guitarやKontrabassでは、よく最低音のEの音を、Dにして演奏します。

教室で演奏する場合にも、Pachelbelのあの有名なcanonを演奏する時には、Kontrabassは、上級生の場合には、最低弦の調弦をEから下に下げてDの音にして演奏します。
通常、Kontrabassは、調弦が下から、E,A、D、Gと調弦します。
だから、有名な、低音の音、所謂、canon・chordと呼ばれる、「D→A→H→Fis→G→
D→G→A」のostinatoの進行は、赤字のDの音がKontrabassの最低音よりも、低い音なので、通常は、Dの音をoctave上の音で弾きますが、上級生はEの弦をDに下げる事によって、楽譜通りのDの音で演奏します。
これもちゃんとしたscordaturaの奏法なのですよ。

という事で、耳慣れないscordaturaという言葉も、実際には、意外と身近で、よく聞いてはいるのですが、さすがに、biberのように、ここまで複雑なscordaturaを使用した曲は、そんなには(biber以外には)ありません。

通奏低音について

基本的には、baroque時代の音楽では、Cembaloのpartは書かれていません。
Cembaloの奏者は、celloのpartを左手で演奏し、音符の下に付けられた#や♭等の記号や和音を表す数字を見ながら即興で右手の和音やmelodieを演奏していきます。

出版された楽譜でも、通常は、amateurを対象にして楽譜を作るので、このCembaloのpartはPachelbelが書いたものではなく、出版社が参考までに作っているpartに過ぎないのですが、後生大事に、この楽譜のまま、演奏されるのは甚だ残念です。
実に下手なarrangeなのでね。

参考までに:一般に出版されているcanonの楽譜のCembaloのpartです。(scoreを兼用しています。)
左手は所謂、canon・chordと呼ばれている有名なgeneralbass(通奏低音)のostinatoのpassageで、Cembaloとcello、Kontrabassの人達は、27回このmelodieをくり返し演奏します。
この版はスイス(schweiz)のAmadeus Verlagという出版社の楽譜です。

この出版されているアマデウス版の楽譜は、私が論文用に書き込みをしている楽譜なので、書き込み等々で、チョッと、汚いのですが、教室として使用している綺麗な譜面は事務所に出向中なので、このまま掲載しておきます。

このアマデウス版は、Realization of the continuo by Caspar Diethelmという事で、DiethelmさんがCembaloのpartを作っている・・・という事なのですが、後述の
やってはいけない下手なRealizationの典型的な例で、Cembaloの右手が、violinの入のpartと全く並行で重なっている・・・というか、melodieをなぞってしまっています。

一般的にはCanonchordと呼ばれる、2小節のcantus firmus(定旋律)が、2回繰り返される事で、一つのmelodieが追いかけっこのCanonをするわけなのですが、このCembalopartは、教室では、演奏上の難易度に合わせて、4種類も作られています。子供達が演奏する時に、それぞれの子供のlevelに合わせて、Cembaloのpartが選べるように・・・という意味です。








Canonは教室の常設曲なので、結構小さな子供も先輩のお姉さん達と一緒に演奏します。
そのために、その4種類のCembalopartの演奏の技術の第一段階のlevelは、同じ歳のお友達と一緒に演奏出来るように、このCembalopartを、3種類のpatternに分類して、そのpartを練習すれば、皆と合わせられるようにしました。

下手なarrangeと貶しているのですが、インtintroの4小節はアマデウス版をそのまま使用しています。

全体はAの繰り返しなのですが、飛び飛びに書いてある音符だけが違うので、そこのところだけ覚えれば、このCanonの伴奏が出来るようになります。
曲は6,7分も掛かる長い曲なのですが、伴奏はこれだけ出来れば、初級versionでは演奏出来ます。

先程も書いたように、作曲者がorchestraのCembaloのpartを書く事はありません。

右手はCembalistが、そのVariationが繰り返される毎に、少しずつ、melodieを変えて(変奏して)演奏するのですが、そういった譜面が出版されている分けではありません。
それは、こんにちでもCembalistが、即興でimprovisationするものなのです。

教室では、公開演奏をするようになった、Cembaloの生徒に、私がそういったornament奏法のlectureをします。

次の譜面は、教室で通常使用しているcanonの冒頭の小節です。

教室で、Cembaloの勉強をしていた萩本(大場)美紀さんが、音楽大学の学生の頃、教室の対外出演の度に、幾つかcanonのCembalopartをimprovisationしましたが、その幾つかのversionを、後輩達のために、実際の譜面にしました。

そして更に、萩本美紀さんの作ったcanonのpartを土台にして、更に、教室の生徒達が、八千代の公開演奏会や、教室の発表会の時に、Cembalo担当の生徒達が、自分なりの変奏を加えて演奏して行きます。





先程のmelodieをなぞっただけの、Cembaloの右手のpartが、上級生達の演奏では、下の譜面のようになります。

baroque音楽の真骨頂は、即興(improvisation)と装飾(ornament)、それに純正の和音の響き(harmony)に尽きるでしょう。

Improvisationは、Cembaloだけではなく、soloをするviolinやfluteにとっても、重要な要素になります。
baroque時代の楽譜は、演劇のscenarioに過ぎないのです。
それをどのように表現するかは、その演じる人に任せられているのです。



しかし、任せているから・・と言って、自由に勝手にarrangeする事は、許されません。
それは、能でも歌舞伎でも同じでしょう。
ad.lib.の範囲は、何処の箇所をどのように・・という事は、厳格に定められているからです。

という事で、出版されている楽譜についても、本当に厳格にornamentやimprovisationを書いている楽譜は、現在の所、存在しません。
baroqueの正しい奏法は、まだまだ、未知の領域だからなのです。

しかし、baroque音楽を演奏している人達の多くは、まだ、
書かれている(出版されている)楽譜を、忠実に守って演奏するというkinderei(子供じみた)なstyleに甘んじているようですね。
それだけの実力がないという事なので、仕方がない・・と言えば、仕方がないのかな???












さて、気を取り直して、・・・・下に参考のために掲載した楽譜の曲のお話です。



この曲は先ほどのbiberの曲とは、曲が違いますが、同じbiberのRosarysonateのⅥ番の曲の冒頭の部分です。

しかし、この曲のviolinのpartを見ると、先ず・・・・・、と言うか、その前に、だいたい、調号すら変ですよね。

violinの譜面で、下のFaには、#が書いてあるのに、上のFaにはわざわざ、Fa?と書いてあります。

でも、この調号は、間違えて書いてある分けではないのですよ。

少し、説明を加えておくと、この曲のtuningは、下からas,es,g,dなので、下のes線上のfaは#で、上のd線上のfaはナチュラルで演奏する、という意味なのです。
調号のナチュラルと#は、その弦の線上の臨時記号を意味するので、調号とは少し意味が違います。

そして、この冒頭の音は、実際に演奏された音とは、全く違う響きがします。
この楽譜からは、想像もつかない美しい音がします。

参考までに、下のurlをクリックしてみてください。You Tubeにuploadした八千代での演奏が見れます。
baroqueviolin: 斉藤純子 basso continuo Cembalo 萩本美紀 baroquecello 牧野由起子の演奏です。
interpretation und realisation : 芦塚陽二です。
https://www.youtube.com/watch?v=mIUDbM1fQA8


なぜ、Biberなの?

勿論、教室の先生達は、baroqueの音楽だけを専門に勉強しているわけではなく、現代の音楽からbaroqueの音楽迄、実に幅広く勉強しますし、常設の室内楽の曲も膨大な数にのぼります。

それはそれとして、lifeworkとして、一生の研究themaを持つ事は、人生を極める意味で、とても重要な意味を持ちます。
何か一つの事を、突き詰めて、生涯、研究をし続ける事は、一つの事を極めるという意味で、非常に勉強になります。

しかし、殆どの人達は、一般的な作曲家や、一般的な事案をthemaにしてしまいます。
具体的に言うと、Pianoの人達がlifeworkとして勉強するのは、その殆どの人達が、Chopinでしょうね。

例外的にBachや、Brahmsが好きだ・・という人もいるかもしれません。
それが、Mozartでも、Schumannでも、Rakhmaninovでも、実際には大同小異なのですよ。
有名でメージャーな作曲家に変わりはないのです。

私の教育方針として、(人のやっている事を、人と同じように勉強する事は、大変楽なのですが)、人と同じ事をやっていては、その人独自のi dentityが出る分けはない、・・というのが持論です。
人がやっていない事をやる事が、スペシャリストになるための、一番簡単な方法であり、音楽の世界でも、音楽史的にも価値があります。

それは、分かりきった事なのですが、・・・でも、人がやっていない事をやろうとすると、世界中の図書館を調べても、それについての資料や、文献すらありません。

だから、その作曲家や曲について、全てを自分自身で研究して行かなければなりません。
では、資料がないのに、どうしてそれが正しいと証明する事が出来るのか?・・・という**に陥る事になります。

それは簡単です。
その**ドツボに嵌ってしまうのは、師匠からの伝承(口伝)に頼ってしまうからなのです。
或いは、音楽の研究者達の研究書(文献)に頼ってしまうからなのですよ。
そういった音楽の様式の時代考証に必要な音楽の研究資料は、単に楽譜だけではないからなのです。
それ以上は、企業秘密です。アハッ!

ちなみに、先ほど、
作曲家と「一般的な事案」と書いてしまいましたが、それじゃあ、何の事か分かりませんよね。
人がやっていない・・という事ではないのですが、日本のviolinistが、苦手なものがあります。
それは、
揺らしのTechnikです。

日本人の場合には、どうしても、
「揺らし」というと、情緒的、感情的な表現という事になってしまいます。

という事で、
私は「揺らし」が、情緒的、感情的な表現になる事をキツく戒めています。
MazurkaにはMazurkaのtempoとrhythmがあり、Polonaiseもまた然り、です。

rubatoには、tempoの帳尻を合わせるという、大原則がありますし、ritardandoや、crescendo等も、否、ad.lib.すら、自由に演奏する事は許されないのです。

総ての、音楽は自然界の原理と摂理に従わなければならないからです。
情緒的、感情的であっては、その自然界の法則に乗っ取る事は出来ないからです。

その情緒的、感情的な演奏を自然にするために、violinの生徒には、「Spain舞曲」というthemaを上げています。
SarasateのSpanishdanceだけでも、30数曲の曲があります。
勿論、Sarasate以外の作曲家のSpanishdanceもあるのですから、それだけthemaを限定して捉えても、曲数は結構膨大な数になります。
つまり、作曲家という括りではなくても、Spanishdanceという括りもあるし、何かをselectすれば、結構それだけで、一生を掛けるだけの膨大な勉強が必要となります。

ちなみに、Pianoの生徒にはChopinのMazurkaや、nocturneを勉強させます。
正確にtempoを揺らす事が、rubatoの基本になります。
情緒的な「揺らし」は、絶対にtaboo(許されない罪!!)なのですよ。


baroque楽器とmodern楽器の使用について

近年、結構、突然に、baroqueブームになって、baroqueの音楽が、広く一般に演奏されるようになったのは、とても喜ぶべき事なのですが、演奏する古楽器を揃えて・・・というのは、経済的にも、演奏の技術的にも、大変に難しいので、古楽器の演奏団体と称しながら、或いはbaroqueの奏者と自称しながらも、実際にbaroque楽器を持って、それで演奏するbaroqueの演奏団体は、残念ながらまだ数が非常に少ないのです。

例えば、baroqueviolin一つをとっても、modernviolinを弾く技術そのままで、baroqueの楽器を演奏出来る分けではないのです。
弓の持ち方や、baroqueの特有の音の出し方等々、今のヴァイオリニストには、理解出来ないたくさんの奏法がありますが、それは、baroque時代の古楽器にとっては、ちゃんと理に叶っているのですよ。

という事で、例え、古楽器の奏者と名前を出していても、或いは古楽器の団体と銘打っていたとしても、演奏は現代の楽器で、現代風に演奏している折衷的な人達の方が多いのです。というか、世界的に著名なbaroqueの演奏団体ですら、eccentric(エキセントリック=奇妙な)な演奏をしています。・・・・というか、(×2)ヨーロッパの有名なbaroqueの演奏団体でもそういった演奏の方が主流で、私達の演奏の方が、minorityなのですよ。

本当の意味での古楽器奏者達は、未だに少数派の存在なのですよ。

私達も演奏会や発表会等では、折角のbaroqueなのに、古楽器ではなく、modern楽器で、そのままbaroque音楽を演奏する事がよくあります。
勿論、私達の教室の場合には、(というか、教室でbaroqueの楽器を買う事は出来ないので、私の個人の趣味としてのポケットマネーでの所有なのですがね。)  baroqueviolinやbaroqueviola、baroquecello等々の古楽器を何本も所有しているので、「古楽器を持っていないから」・・・というのが、modern楽器でbaroqueを演奏する理由ではありません。

それは、ホールの音響の都合で、八千代のように多目的なホールで、音響的にコンサートホールの音響を持っていない場合や、逆に音楽専用のホールであったとしても、会場が広すぎるために、音が届かない場合には、やむを得ず、modernの楽器で演奏しているのです。

勿論、baroque楽器をそのまま使用して、マイク・セット(所謂、PAset)を使用して演奏する方法もあります。
しかし、スピーカーを通した音は、violinの美しい音を、結構台無しにしてしまいます。
それでも、止むに止まれぬ状況で、マイクをCembalo等に使用して、会場にCembaloの音を届かせる事もよくあります。

マイク無しでmodern楽器で演奏するか、baroque楽器でマイクを通して演奏するかは、その都度、会場と曲によって選択します。

baroque-pitchとスライド鍵盤について

baroque時代のpitchは、現代のpitchよりも低くかった・・とよく言われますが、本当は、そうでもありません。

ヨーロッパの村にはどんな小さな村にも教会があって、パイプオルガンがあります。
困った事に、それぞれの村々で、パイプオルガンのpitchが違っていました。
一般には、弦楽orchestraを持つ村では、パイプオルガンのpitchは低く、管楽器が中心の村ではpitchが高い傾向にあります。
ヨーロッパの田舎の村では、baroque時代にも、A=448サイクルの所もあったそうです。

ですから、baroque時代のpitchが低い、という俗説は、baroque時代の弦楽器に由来するお話なのです。

ちなみに、近頃は、A=415があたかもbaroque時代のpitchであるという風に、俗に言われる事がよくありますが、それは歴史的には全く根拠がありません。

何故、A=415という風説がまかり通るようになったのかというと、それは現代になって、Aが440サイクルと定められた事にその原因があります。

Cembaloという鍵盤楽器を使用する場合には、その都度、Cembaloのpitchを標準の440サイクルのpitchから、baroqueのpitchにtuningを変えて、調律すると、楽器が傷んでしまいます。

Cembaloという高価な楽器を大切に使用するために、楽器のためにtuningを変えないままに、pitchを下げるために、考案されたのが、スライド鍵盤という機構です。

baroqueの色々な楽器と、Cembaloがコラボする時に、標準のA=440のpitchに調律されたCembaloで、鍵盤全体を横にスライドさせる事によって、一つ下の音As(若しくはGis)の音(音名は違いますがenharmonischな音という事で、キー(鍵盤)は同じ音です。)を、
Aの音に見立てて、、baroquepitchとして代用したのです。
つまり、本来なら、Aの音を弾くべき鍵盤を、スライドさせる事で、鍵盤はAの音そのままなのですが、一つ下のAsの音を弾く・・という事にしたのです。

教室で使用している一段や二段のCembaloも、orderする時に、スライド鍵盤を当然、orderしました。
当然、「orderした」という意味は、baroque時代には、Cembaloにはそういう機能はなかったからです。
(勿論、私が音楽大学の学生であった頃や、留学中もそういった機能はCembaloにはありませんでした。非常に新しい機能です。)

という事で、教室のCembaloも、鍵盤を横にスライドさせる事によって、A=415サイクルで演奏する事が出来るようになっています。

子供達がbaroqueの音楽を演奏する時には、子供達の楽器は、baroque楽器ではないので、そのまま、Cembaloは標準pitchのA=443で演奏します。

先生達のbaroqueの演奏の時には、鍵盤を「よいしょ!!」と、スライドさせて、所謂、baroquepitchとしてA=418サイクルで演奏します。

教室の標準pitchは、A=443なので、鍵盤をスライドさせると、A=418サイクルになります。

今日、色々な現代の楽器、(Traverso等の楽器)は日本製では、A=415サイクルで制作されています。

この便宜上のpitchが、baroquepitchとして、定着しつつあります。
そこで、とんでもない、勘違いが起こってきます。

それは
baroqueのpitchがあたかもA=415であったかのような思い込みです。

日本人のbaroqueの専門の演奏団体が、なんとbaroquepitchという事で、A=415サイクルで演奏していたのですよ。

私達のように、一日の演奏会の中で、modernpitchとbaroquepitchに、tuningをしてpitchを変えなければならないCembaloの場合にはいざ知らず、baroqueの専門の団体では、Cembaloのpitchを、modernのpitchにtuningしなおす事はないはずなので、A=415というのは、余りにも、無知、無神経で、呆れてしまいました。

baroque時代には、未だ標準のpitchというものは、ありませんでした。
だから、色々な文献を読むと、
「その日に一番楽器がよく鳴るpitch」と言われています。
「それなら、A=415でも良いのでは??」と、思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そうはいきません。

A=415では、問題がある・・というのは、
弦楽器にとっては、415サイクルは、低すぎて、ガットの弦がブヨブヨしてしまいます。

baroquepitchのrecorderでも、分かるように、430から435サイクルの間の方が、recorderだけでなく、弦楽器に取っても、ガットの弦の張りが丁度良いようで、baroqueの弦楽器は、それくらいのpitchの方がよく鳴ります。
415サイクルのbaroquepitchとは、あくまで、Aを440とした時の、利便性を考えたpitchであり、音楽史的には全く根拠のないpitchであるという事を知っておかなければなりません。
知っておいた上での、415サイクルは、自己責任ですよ。

ちなみに、このCembaloに描かれている模様は、CembaloのStradivariと言われるルッカース一族のタツノオトシゴの文様なのです。


ヨーロッパの街には、今でも古い時代のものがそのまま残っています。
それがtraditionalの強みなのでしょうかね。
右の写真の楽器は、私の所有しているドイツ製の3本setのrecorderです。勿論、ハンドメイドの楽器です。

勿論、私はこの他にも、bass recorderからkleine sopraninoよりも、もっと小さなrecorderまで10数本所有しています。

もっと、小さな、kleine・sopraninoよりも更に小さなrecorder・・・に至っては、私には、演奏不能です。
それよりももっと小さな、音の出るnecklaceのrecorderも、あります。
勿論、単なる音が実際に出る装飾品であり、実用性はありません。



逆に、bassよりも大きな楽器も売ってありますが、実際上は学校のrecorderensemble等でしか、使用しないので、私は教室用にも、recorderの資料としても買っていません。
baroqueの演奏にも、出てくる事はないので。

さてさて、この写真のcaseに収められている楽器は、sopranoとaltoと、tenor recorderのsetです。
私が所有している、このrecorderも、ハンドメイドの素晴らしいrecorderなのですが、残念ながらrecorderのbaroquepitchであり、A=435のヨーロッパのpitchなので、教室の発表会等では使用したことはありません。
低すぎてmodernの楽器とコラボするのは無理なのでね。

つまり、ヨーロッパ仕様のrecorderは、baroque ensembleの専用の楽器なのです。
音が素晴らしいから・・と言って、ハンドメイドのヨーロッパ仕様のrecorderを買おうと思っている人は、買う時にpitchには、くれぐれも注意してくださいね。

recorderは、現在売られているrecorderでも、baroque pitch仕様のrecorderが多いですし、例え、スライド式の鍵盤のついているCembaloを持っているので、baroque pitchと分かって買ったとしても、日本のスライド鍵盤の415のCembaloでは、逆にpitchが高すぎて、recorderとのensembleは出来ないので、435でCembaloをtuning出来る人だけしか、ensembleが出来ないので、気をつけてください。
多分、入れ物の箱に書いてあると思いますよ。

右側の写真は、bassrecorderです。
bassの楽器は、1本だけで、これぐらいの大きさのcaseになります。小学生では、肺活量的に、少し無理があるので、bassを入れたensembleが出来るのは、中学生からでしょうかね?



pitchのお話のまとめ

話が混乱してくる大きな原因の一つに、ベルサイユピッチというものがあって、結構そのpitchを信奉している人達が多いからです。ちなみに、このVersailles・pitchでは、A=392Hzの低いpitchになっています。
但し、このVersailles・pitchという言葉は、フランス語にも英語にもないそうですから、
文献としての信頼性はないので、気を付けてください。

イタリアのorgelではA’=464の高いpitchもあります。
A=440とした場合には、平均律ではA#は466.16 になります。
いちいち説明するのは、面倒だし、netで調べても中々出て来ないので、一応、一覧表を掲載しておきます。
但し、これは音楽のpitchであって、音響学上の標準pitchではないので、注意しておいてください。

一番低いとされるVersailles・pitchは、基準音のGを、一般的なbaroquepitchはGisを、例外的なイタリアのorgelのpitchはA#を、取ることでpitchの利便性を出しています。

教会のpipeorganのpitchが、その町や村の標準のpitchだったのですが、それでは隣の村との演奏も出来なくなってしまうので、ヨーロッパとしての統一のpitchが求められて、1859年のパリでの会議、1885年のウィーンでの会議で、A = 435 Hzを標準として定められました。
今でも、ヨーロッパのrecorder製作者は、パリとウィーンで定められたA=435のpitchを守ってrecorderを製作しています。

AとG#の間のpitchですが、G#までpitchを下げると、弦楽器にとっては、音の張りがなくなってブヨブヨしてしまうので、435辺りのpitchは、弦の張りや撥弦も良いので、
歴史的に考えてもそれぐらいのpitchの方が良いのでは??というのが、私の考えです。
教室では、baroqueの演奏は、418のpitchで演奏していますが、教室の標準pitchが443Hzなので、G#は415ではなく、418になってしまうという、単なる便宜上のお話で、主義主張とは無関係なので悪しからず!!

 C : 261.6  C# : 277.2  D : 293.7 D# : 311.2  E : 329.7  F : 349.2  F# : 370.0  G : 392.0   G# : 415.4 A : 440.0  A# : 466.2  B : 493.9 
 C : 523.3  C# : 554.4  D : 587.4  D# : 622.3  E : 659.3  F : 698.4  F# : 740.0  G : 784.0  G# : 830.7  A : 880.0  


ちなみに、歴代の音楽家のpitchを参考までに掲載しておきます。
ヘンデルの音叉はA=422.5Hzだった。
Steinの使用していた音叉 はA=421.6だったことから、この値がモーツアルトの使っていたピッチと想像されている
カラヤンの録音された曲のpitchはA=446Hzだったという。これが、いわゆる「カラヤン・チューニング」である。
ストラディヴァリは、A=432Hzで最適の共鳴スペクトラ ムを出したという。他のストラディヴァリも同じ結果が出たそうである。もちろん、ヴァイオリンの経年変化を考慮に入れる必要はあるが、数十年に渡っ て作成されたストラディヴァリウスの最適値がA=432Hzであった

ちなみついでに、現代のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団では A = 444?445 Hzが基準とされている

日本の音楽大学の受験のための標準pitchは、A=442で、日本のorchestraの標準pitchとされているのだが、実際上、演奏会場のgrandpianoのpitchは、殆どの場合には、A=443であり、このpitchを日本の演奏会pitchと呼ぶ人もいる。
但し、日本の教育機関である教育大学や教育会館等では、文部省の厳しい締めつけで、未だに440を厳守している。
教育会館の大ホールの場合には、、pitchを443にtuningした場合には、演奏会が終わった後で、440にtuningし直さなければならない。その時間も含めての時間である。1日ホールを借りても、tuningに4時間も5時間も失ってしまうのでは、金額的にも利便性としても無理である。
本当、学校とは困ったものだ!!



左側の写真の楽器は、私の家にある大型二段のconcertoCembaloです。
イムジチ等の海外の有名なbaroque演奏の団体が日本公演の時に、使用していた楽器です。
その勇姿は、NHKのオンデマンドで見る事が出来ます。

しかし、このCembaloは、私達の発表会等で、演奏会場に運ぶのは、重すぎて、演奏会には持って行けないので、modernpitchの443サイクルでtuningしているので、baroquepitchは418サイクルのままです。

ですから、私が所有しているspinetの2台の内の一台を、A=435のbaroquepitchにしてあります。
東京用のspinetは、baroqueの練習のために、今は椎名町に置いたままになっていますが、前回の東京でのpitchが426cycleだったので、今現在も、426cycleに調律されています。

先程もお話したように、教室の標準のpitchは443なので、baroque音楽を演奏した後に、Vivaldi等のbaroqueの作曲家であったとしても、子供達用に標準のpitchで演奏するので、その都度、pitchを変えて演奏すると、楽器が結構、傷んでしまうし、pitch自体も安定しなくなって、演奏中にpitchが狂ってしまったりします。

という事で、Cembaloのような大きな鍵盤楽器の場合だけではなく、baroqueviolinのように、scordaturaで調律をしなければならない場合には、violinのために、それぞれのbaroqueviolinに一台づつに、それぞれのscordaturaの調弦を与えて、その楽器の調律はあまり変えないように注意しています。練習の度に、その曲に合わせてtuningを変えるのはbaroqueviolinにとっても、非常に不都合だからです。

もっとも、biberのRosarysonateには、曲の途中で、scordaturaをtuningし直すように指示されている曲もあります。
しかし、その場でtuningをし直すと、演奏中に弦が狂って来たり、最悪の場合には、弦が切れたりします。

私はそういったCaseを踏まえて、scordaturaの曲を演奏する場合には、baroqueのviolinを2台、2台と準備して、それぞれに別のscordaturaのtuningをさせて、その場所で持ち替えさせる事にしています。

一般ではbaroque楽器を2台、3台と準備して演奏会をする事は少なく、自分の愛用の楽器をその都度pitchを変えて演奏する事が普通で、そのために、演奏中にtuningが狂って来たり、弦が切れたりしても、それは不可抗力と捉えてしまいますが、それは、当時の時代考証を知ら無さすぎです。
これも、baroqueや古典派の時代には、ごく普通になされていた事で、知ってしまえば当たり前の事なのですが、それを知っている人は少ないのですよ。
それ以上に、biberの曲を演奏する人自体が少ないかな??
誰しも危険は犯したくないもんね。
日本人は特にbaroqueのviolinを2台、3台持っている人はいませんから、そういう使われ方をする・・という事を知らないからです。
演奏家は演奏技術は研鑽をしても、そういった一般的な知識を勉強しようとはしないのがね~ぇ???
困ったもんですよ。

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Facebookより


楽器の手入れのlesson




日本の音楽教室では、Pianoを習っていても、Pianoの磨き方手入れの仕方を習う事はありません。
否、寧ろ、指導者である先生自身がPianoの手入れの仕方を知らないのですよ。何処かの音大の冬季講習に出かけた生徒がペダルの踏み方が悪いと、大学の先生にハイヒールで靴の上から直接押さえつけられて、
「二度と講習には行かない!」と、怒り捲って帰って来ました。

それと似た事は、私が大学生の時代に、
「寿司屋の師匠が怒って包丁をまな板に投げつけて怖かった!」と、若い寿司屋の見習いが言っているのを聞いて、近所の寿司屋のオヤジさんが、「そんなのは寿司屋ではない!」と、怒りまくっていました。包丁やまな板は寿司屋にとっては命なので、その命の道具に八つ当たりをするようでは、proとは呼べないと怒っていたのです。

超有名な某国立音楽大学の超有名な教授が、lessonの時に怒って楽譜をビリビリと破って投げつけたり、Pianoの蓋をバタンと閉じて、そのために女子学生が怪我をして裁判になったという信じられない話もあります。
当時の音楽大学では、「厳しい」という言葉の意味を取り違えていたのですよ。

私のlessonを見て、
「超、厳しい!」という人と、批判的に、「アバウトで優しくて、lessonのけじめがない!」という保護者もいます。

年齢の小さな子供達は一様に
「芦塚先生のlessonは、とても優しいよ!」と言うのですが、これが高校生ぐらいになると、全く同じlessonをしていても、「逃げ場所が無くて、とても厳しい!」というようになります。

少しlessonの内容が分かるようになって来たからでしょうね。

特に、男の子にとっては、怖い存在らしいですよ。
でも、私は音楽を指導する時に、一度も声を荒らげた事はありません。
でも、子供達を叱らない分けではないのです。
躾やマナーに関しては、結構厳しいです。

しかし、事音楽の事では、怒った事はありません。
その必要がないからです。
音楽は出来なくて当たり前なのですから。
先生の醍醐味は、その出来ない生徒を出来るようにする事なのですから。

何げなく、Pianoの先生達のブログを見ていたら、「練習を全くして来ない生徒の話」についてのblogがありました。

結論は、親も先生も
、「練習を一度もして来ない生徒の指導は不可能だ!」という事でした。

という事で、昨日のオケ練習で、生徒達に
「先週のオケ練習から、今日まで、オケの曲を一度でも練習した人は?」と、質問して見ました。
結果は、2人だけは、少し練習したらしい??・・・??の意味は、首を傾げながら手を上げていたのでね。
教室では、一度も練習して来なくても、叱る事も怒る事もないのですよ。
何故なら、それなら、先生が生徒と一緒にその課題の曲を時間まで練習すれば良いのですから。
生徒が自分なりに下手な練習をするよりも、先生が無駄を一切無く、30分、1時間の練習を生徒とすると、その生徒は、1、2年もすると、驚く程、上手になるのですよ。
何せ、先生の練習法には、子供達が自分でやる練習とは違って、練習の仕方に全くの無駄がないのでね。

家では一度も楽器を開けた事もない生徒が、難しい曲をサラサラと演奏しているのは、先生にとっても、
「快感!!」ですよ。


教室では、楽器そのもののlessonの他に、その楽器に対してのメンテナンスも、指導します。

教室で、Pianoの副科として、Cembaloを学ぶ生徒達には、簡単なCembaloの調律の仕方も指導します。
Cembaloの調律師を呼ぶと、Pianoの調律師の3倍、4倍の金額を取られます。
千葉あたりまで、来てもらうと、それに交通費と、掛かった時間に対する費用対効果で、それこそ5万、7万、払わなければならない事もあります。
それに、折角、調律師に調律して貰っても、Cembaloは30分もあれば、気温が変わって、湿度が変わると一瞬で狂ってしまいます。
つまり、その度に調律師を雇うという事は、不可能なのですよ。

Cembaloを音楽大学で習って、さて自分の家にも欲しいと思っても、手入れや調律の仕方を音楽大学で学べる事はありません。

でも、楽器のメンテナンスが出来ないと、Cembaloを自宅に買っても、狂ったままで練習しなければならないし、楽器のコンディションを整えておく事は出来ません。

音楽の勉強は、幾ら技術が向上したとしても、それだけで、音楽家として生活する事は出来ないのです。

それ等が、音楽の雑用の力です。
職人として学ぶ事と、学校で学ぶ事の違いですよ。

雑用を勉強しない限り、学んだ音楽の技術を職業として活かす事は出来ないのですよ。

一般には、大人の男性であれば、「Pianoを動かす」・・とかいう事は、簡単に出来ると思いがちですが、実際にはPianoや、pipeorgelを動かすのは、経験がなければ出来ません。
楽器は、大人の力では、ビクともしないのですよ。

という事で、結局、grandとuprightのPianoを2台所定の位置まで戻す事は、私と先生達だけでしなければならなかったのです。

塗装業者が、私達の指示の前に、大家の指示で、勝手に家具と勘違いして、楽器を動かしてしまっていて、Cembaloの金箔に、養生用のテープを貼っていました。

超、驚いて、必死に、細心の注意で、金箔を剥がさないように、テープを取ったのですが、金箔を金色のペンキとでも勘違いしたのでしょうね。
Cembaloの金箔は、正倉院等で使用されている金箔と同じ、本当に本物の金箔なのですよ。
ですから、1センチ平方で幾ら・・という世界なのですよ。
その価値が分からない人達には、花園の黒Pianoと同じで、黄色く変色した鍵盤の価値が分からないのですよ。
勿論、調律師に頼んで、白く漂白する事は出来ます。
しかし、それでは象牙の本当の価値は、半減してしまうのですよ。



Cembaloの金箔のお話も、Cembaloにとっては、その価値を失い兼ねない危ない状況だったのですが、楽器は、
「力業で動かせば良い」力さえあれば、(男性ならば、動かせる)というものではありません。
繊細な、正しい楽器の取り扱いが分かって、初めて楽器の移動が出来るものなのです。

教室で楽器を初めて習う子供に、楽器を弾いた後の、お手入れの仕方を指導して、ちゃんと拭いてから楽器ケースに仕舞うように、させていますが、この楽器を大切に「拭く」という作業を指導する事も、「躾」としての教室独自の指導法なのです。
楽器のメンテナンスの第一歩なのです。

一般的な他所の教室では、そういった「躾」としての「楽器の手入れ」を子供達にする事はないので、
「どうせ、家に戻ったら、楽器を出すのだから」と言って、教室でのlessonが終わっても、楽器を拭かないでそのままケースに仕舞います。
先生も次の生徒のlessonの邪魔にならないので、敢えて注意はしません。

当然、家庭でも、楽器を
毎日、練習する時に、ケースから開けて出して練習するのは、面倒だからと言って、Pianoの上に裸で置きっ放しにしている生徒さんも結構、いるそうです。

でも、それは鈴木の使い捨ての、安い楽器だから出来るのですよ。
そこで、一手間を省く事は、決して時短にはならないのですがね。

それに意識を育てる上でも、毎日の練習が終わったらキチンと楽器を磨いてしまうところまでが、練習の時間なのですよ。
子供達が楽器を学んで、それで上手になりたいのなら、安い楽器を使用している間に、本当に高い楽器を買った時に、その楽器を、大切に扱う練習と準備をしなければなりません。
勿論、高い楽器に一生、買い換える気がなければ、Pianoの上に出しっ放しでも構いません。
落っことしたら、また買えば良いからです。

高価な楽器は、そうは行きません。
高価な楽器に、幾ら保険を掛けていたとしても、自分が気に入った楽器には、絶対に、二度と巡り合えないのです。

お金の問題ではなく、楽器との巡り合いの話なのですからね。

一般の教室の生徒達は、楽器屋に楽器を下取りに楽器を出す時でも、
「どうせ業者がやるのだから」と楽器が汚れたまま、所謂、指紋が付いたままの汚いままに、楽器屋さんに下取りに出します。

しかし、それは
「指導者の音楽に対する姿勢の問題ではないか?」と私は思っています。

私が指導するPianoの生徒達は、lessonが終わったら、Pianoを磨いて仕舞う所からお手伝いをします。
でも、私はこれを教育と思っていて、お手伝いとは思っていないのですがね。
しかも、Pianoを磨くという当たり前の事も、先生がちゃんと指導しないと、子供が自発的に、ちゃんと磨く事が出来ようになる事はないのですよ。

私達の教室では、子供が落ち着きがなく、楽器に対する「躾」も出来ていなくて、未だに、「高い楽器を持たせるのが無理!」と判断した場合には、高価な楽器を購入する事を、お断りする場合もあるのです。

楽器とは、幾らお金を出して、買ったとしても、その人の所有のものとなる分けではありません。
土地や絵画と一緒で、次の世代に渡して行くものだからなのです。
もっとも、Pianoは消耗品の要素が強いけれども、本当に良いPianoはこの限りではないのです。

昔は、小学校でも、中学校でも、冬の寒い時でも、教室の掃除は生徒達がやったものです。
しかし、今の時代では、塾やお稽古事で超、忙しい子供達に、そういった事をさせようものなら、保護者の人達から、学校が総スカンをくらってしまいます。
学校のcurriculumの中に、教室のお掃除もあるようですが、本当に掃除をするのではなく、ただの教育として、カタチだけ掃除をするだけです。

そういった教育は、子供達に本当の本物を知る機会や、本当の本物の楽器を手にする機会を奪ってしまうのです。
どんな、楽器屋さんでも、幾らお金を積まれたとしても、楽器を粗末に扱う人には、本当に良い楽器は売りません。
同じランクの、つまらない楽器を売りつけるだけです。
それが人間というものですよ。


「先生は、子供に技術だけ指導すれば良い」もしも、音楽を指導する先生が、そう思っているのなら、私はその人は教育者ではない、否、音楽家でもないと思います。
それは教育ではなく、単なる弊害です。

violinを楽器屋さんに返却(下取りに出す時に)する時に、テープを剥がして、ピカピカに磨いて、その楽器に感謝する事なしに、本当の音楽が学べる事はないと思うのですが、楽器屋さんに聞くと、私達の教室のように、楽器をピカピカにして返却してくる教室は、今は、私達の教室の生徒達を除いては、あまりないのだそうです。

私は、
音楽の勉強とは、恰好良く演奏が出来るようになるための勉強なのだ・・と言う事ではなく、一人でも多くの人達に自分の気持ちを伝えるという事で、音楽の勉強は、教養ではなく、心を伝達するのだという事だと思うのですが、如何でしょうかね??

天下のBeethovenも
「心から、心に至らん事を・・」という名言を言って(書いて)います。

心を学ぶ事無しに、人の心に届く音楽を演奏する事は、出来る分けはない・・と、常日頃から、私は思っているのですが、残念ながら、今はそういった考え方は、古い昔の考え方なのだそうです。

坐禅がそうであるように、楽器を磨くという事は、自分の心を磨くという事であり、私にとっては、寧ろ、音楽を勉強する以前の問題だ・・と思いますがね。

そういった考え方は、昔々の精神論と思われるらしく、今、現在の若い親達の間では、中々、理解しては貰えません。
「芦塚先生の考え方は、昔々の精神論で根性論なのだから・・・」と言われてもねぇ~??

私は未だ、10代か、20代の若者と思っているので(気分だけは・・)、
昔々の考え方と言われても、それは時代とは無関係の話で、実際には、今の若い人達のような考え方をする人達は、江戸時代にも、普通に沢山いたのですがね。

愚痴はさて於いて、昨日の報告ですが、・・・・Cembalo等の移動は、碧人君達もお手伝いをしました。

八千代の搬入、搬出で、碧人君もお手伝いさせられていて、持ち慣れているからです。
KontrabassやCembaloの搬入搬出を、普段、何時もお手伝いしている、美帆ちゃんや智子ちゃん達は、受験年次の本番の試験中なので、今回は「お手伝い」には、誘ってはいません。

だから、教室の雑用のお手伝いとは言っても、Pianoを動かすという作業は、基本的には生徒達には出来ないのですよ。
楽器を動かすという、楽器の搬入、搬出は、大人で力があれば、誰でも出来る・・というものではなく、これも立派なhow-toのある専門職なのですよ。

家具を動かす引越し業者には、楽器の移動は出来ないので、大手の引越し業者は、自社で、楽器の移動が出来るように、楽器の専門の技術者を雇ったり養成したりしているのです。

ちまちましているけれど、結構手間の掛かる、楽譜を戻したり、キーボードを数台閉まったり、Kontrabassやcelloを所定の位置に戻すという作業は、生徒達が頑張って手伝ってくれました。

忙しくてついつい忘れてしまったけれど、千夏ちゃんが
「ビフォーアフター、撮っとけば良かったのに??」と言っていました。
いや~あ、本当にそうだった!!
残念です。

教室いっぱいに楽器と楽譜等が溢れていて、足の踏み場、トイレにも入れない状態から、段々片付いて、元のlesson室の状態にまで戻る(整理整頓で、前回よりも綺麗に)・・と言う風には行きませんでしたが・・・。

という事で、orchestraの練習と室内楽の練習が終わって、生徒達が帰った後では、最後の部屋の後始末をして、楽器や、出たゴミ等を車に積み込んで、・・・・etc.・・etc.

次の日の朝、つまり月曜日のお話ですが、流石に、朝起きて、トイレに行こうと思ったら、治りかけの膝がまた痛くなって、トイレまで、歩くのがとても大変でした。

「朝起きて・・」と言えば、夢の中の話なのですが、江古田の教室に行ったら、江古田の教室のビル自体が、大きなオープンエントランスの、木彫風で綺麗なインテリアになっていて、玄関を入ると、右側の壁伝いに、木の螺旋階段になっていて、lesson室の部屋が美しいガラスとマホガニーの木の枠の大きな扉のおしゃれなレストランになっていました。

教室の中に確かに有ったはずの、grandPianoや楽譜類や一切の物も、私の部屋である・・・という痕跡自体も全くなくなっていたのですよ。

昔、花園でそれに近い経験をした事があるのですよ。

しかし、それは・・・???

いや、人生なんて、そんなもんか??

下の写真は京成検見川教室のlesson風景と、Cembaloのtuningのlecture風景です。

               


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「コンサートについて」

「コンサートの種類」
コンサートには色々な呼び方がありますよね。子供達のために、折に触れて、少し纏めて見る事にします。
「リサイタル=recital」
まずは、コンサートに対して、リサイタルという言葉があります。通常は、リサイタルは、一人で演奏する時、violinと伴奏の場合等で使われる事が多いようです。勿論、一人で演奏する時にもコンサートを使用する事は良くあります。
しかし、orchestraのリサイタルというのは、余り聞いた事はありませんがね。orchestra、backのsolo・recitalと言うのは、良く有るけれど・・ね。
ちなみに、モノの本や、netでは、recitalを始めたのは、Franz Lisztだとされていますが、私は、疑問に思っています。
嘘か本当かは定かではないのですがね。
私の記憶では Paganiniがsolo・recitalをよくしていたはずだし、その前のMozart等も演奏旅行をしているので、誰がrecitalという言葉を最初に使用したのかは、曖昧で、自然発生的なはずですがね??

「演奏時間での区別」
ドイツ語では、講演会や演奏会の事をフォートラーク(Vortrag)と言います。
夕方から夜の演奏会(ソアレ-=soiree)の事をvortrags‐abendと言います。

「お祝いのコンサート」
コンクール(concours)等の入賞者が、主催者の企画で演奏をするのを、ガラ・コンサート(gara‐concert)と言います。garaの意味は、祝祭と言う意味になります。音楽祭の初日のコンサートにもよく使われますが、フィギュアスケートのエキシビジョンとも同じ意味になります。

「食卓の音楽」
baroque時代には、貴族達の食卓のBGM(backgroundmusic)として、Telemann等多くの作曲家が音楽を作曲しました。
それをターフェルムジーク(食卓の音楽or宴席音楽=Tafel-Musik)と言います。1月の「音人の会」が典型的なTafelMusicです。

「Probe(試演)を公開する事もあります」
教室で時々やる、試演の事をドイツ語でプローベ(Probe)と言います。Probeの語源は「試す、テストする、調査する」という意味です。rehearsal とProbeを同義語としている辞書が多いのですが、rehearsal はその直後に本番の演奏がありますが、Probeの場合にはProbeだけで終わってしまう事が多いので、慣習的には同じとは思いません。

Probe(試演)は非公開と公開の試演があります。
公開とは言っても、一般公開ではなく、Facebookで言う所の、公開(友達と友達の友達まで)と、(知り合いのみ)の限定公開では、大分意味が変わるようですが、そこはcase-by-caseでしょうね。
有名な所では貧しいSchubertのために友人達が集まって、開いていたシューベルティアーデや、Brahmsの試演のために著名は演奏家達が集まったProbeが有名です。
このBrahmsの晩年のProbeに若いKreislerが参加出来た事をKreislerは生涯の誇りにしていました。

Probeには、作曲家が作ったばかりの曲を始めて演奏して、曲の出来具合をcheckする事を言いますが、古典の曲を始めて演奏する場合もProbeと言います。
Sweelinckの「Mein junges Leben hat ein End」という曲を弦五部にarrangeをしましたが、そのままでは弦の響きが悪くなるので、調を5度あげて、弦楽器がよく響くように移調してあります。
その過程で、そのままでは演奏不能なpassageが出来てしまうので、そこはcase by caseで細かい細工はしています。
そのProbeで、発表会や演奏会にup出来るかを判断します。
私の場合には、楽譜上の修正は殆どないのですが、(音的なミスはfinaleのパソコンの音源でcheck出来るからです。)実際に弾いた感じはパソコンとはまた、別なので、その最終checkはどうしても重要になります。
下の動画は12月25日の合宿初日に組んだ(梨紗さんがその日にしか来れなかったので、memberの関係でその日だけしか可能性が無かったので・・)Probeの風景です。練習風景とはまた違って、教室でも、珍しい光景です。
でも、発表会後の、恒例の楽譜渡しの時に、お姉さん達が模範演奏をしてくれて、それから曲を演奏する子供達と一緒に練習を始めるのも、初見なので、これもProbeの一種ですよね。

「演奏会への練習」
コンサート直前の総合練習の事をゲネ・プロと言いますが、ゲネラル・プローベ(Generalprobe)の略語です。
音楽の辞書ではGeneralprobeとrehearsal を同義語としていますが、慣用的には、ゲネ・プロは独立して練習される事が多く、rehearsal は演奏会直前にやる総合練習の事を言う場合が多いようです。但し、これは慣用語なので、人によって使用の仕方が違います。辞書のようにrehearsal と全く同義語にしている人も多いようなので・・。

舞台上でリハーサル(rehearsal) をする事を、略してステリハと言います。破れかぶれの「捨てリハ」と言う意味ではなく、当たり前ですが、stage‐rehearsal の略です。
この言葉は一般的ではないので、多分、業界用語かな??
何故、一般的ではないのか??と言うと、rehearsal は舞台で本番同様にやるのが一般的なので、ステ・リハという言葉は使わないのが一般的なのです。
オペラやバレーの場合には、ドレスリハーサルと言って、実際の本番で着る衣装を着用してリハーサルをします。ミラノのドレス・リハーサルの時にも、テナーの主人公の人が舞台上に作られた2階で歌って、次に1階まで降りて来て、ヒロインと二重唱をするシーンがあったのですが、合唱の人数が多すぎて、掻き分けて一階まで走ったのですが、間奏の間に移動が間に合わなくて、困っていました。本番はどうなったのか??って??私は本番は聴かないのが癖なのですよ。

発表会などの会場のリハーサルでは、ドレス・リハーサルをするだけのそんな時間はとてもないので、自宅で衣装合わせをして、演奏してみると良いでしょうね。衣装を買う前に、着てみてどんなに美しくても、手が上がらなかったり、足が広げられなかったら、それはstage衣装にはなりません。
どんなに素敵な衣装でも、演奏出来なければ意味はなさないのでね。

「soireeの思い出」
午前中の演奏会の事をFrance語でマチネー(matinee)と言い、夕方から、夜の演奏会の事をソアレ-(soiree)と言います。
サロンで演奏するsalon‐concertもあります。
Münchenでは、超有名なsalon‐concertに呼ばれて行った事があります。
招待状には、「普段の格好でおいでください。」と書いてあったのですが、Genzmer先生に尋ねると、「あそこの普段の衣装は、タキシードではない、という意味だよ。」と教えて貰って、黒びろに蝶ネクと、おしゃれな西陣織のネクタイを準備して(ヨーロッパでは珍しいので)、玄関の受付で、お客の衣装を見て、メイドさんに目隠しになって貰って、パッと蝶ネクに変えました。主催者のおばあさんがスポンサーになって支援している若手pianistとviolinistのお披露目で、お客は、自家用機でニュヨークから飛んで来た有名設計家やベルリン・フィルのconcertmasterやWienフィルのコンマスや、有名な絵描き等々で、世界中から100人程の超有名な人達が集っていました。食事は勿論、フルコースで高級なwineやシャンパンが出て、ついつい飲み過ぎてしまいました。それに、会話のlevelが高すぎて、ドイツに着いたばかりの私にはドイツ語の会話の内容が難し過ぎて、隠れて目立たないように引っ込んでいたら、主催者のおばあさんがやって来て、「お話をするのがエチケットなのよ!」と優しく怒られてしまいました。
仕方なく、会話に加わったのですが、話が難しい事・・困ってしまいました。若い人は、招待客のなかにはいなかったしね。

その日はおばあさんのお屋敷の二階の部屋で、若手のpianistやviolinistと一緒に、泊めて貰いました。
二階には、お客様用の部屋が10以上あるのですよ。
朝は、pianistやviolinistと一緒におばあさんと談笑しながら、食事をしたのですが、当然、若い美人のメイドと執事付きのモーニングでした。朝も遅くの11時頃に、直接学校に行ったのですが、映画じゃなくて、本当に、こういう世界もあるのだよなぁ?・・と思いましたが、その後は、お呼ばれしても、そのおばあさんのお家には行く事はありませんでした。なにせ、私は、演奏家ではなく、作曲家なのでね。おばあさんに、スポンサーになって貰っても仕方が無いのですよ。作曲家には楽譜代以上は、お金は掛からないからね。
Genzmer先生、羨ましがっていました。「俺はパーティーには呼んでくれないのかよ!」・・てね??

「公共の場での子供への対応について」
ヨーロッパの社会では、就学年次前の子供をレストランに連れて行く事はありません。
それは、社会の構成が日本とは全く異なっているし、子供の育児に対しての考え方が日本とヨーロッパでは全く違うからです。
乳幼児の場合には、母親が付きっ切りで育てる日本とは、違ってヨーロッパ社会では、ある程度子供が成長し、安定をして来たら、乳幼児と言っても良い年齢でも、部屋に独立して寝かせる事が多いのです。子供は幼い時から独立させて子育てをします。
ヨーロッパでは、乳飲み子を持っているお母さんでも、ベビーシッターの制度がとても発達しているので、子育て中のお母さんでも、音楽会や買い物にも普通に出かける事が出来ます。
その反面、公共の場に、controlの出来ない子供を連れて行く事は出来ません。公共の場の雰囲気を壊す事は許されないのです。
そこはヨーロッパの社会のマナーは、日本とは違って、とても厳しいです。
日本ではそういった子育て世代の母親への社会の環境整備が徹底されていないので、逆に企業側のファミレスのような赤ちゃんを連れて行く事の出来るレストラン等々が発達して来ました。

当然、ヨーロッパの社会では、音楽会は、大人社会の社交の場として歴史的に発達して来たので、大人の場所としての意味合いが強いので、子供を同伴する事は原則禁止で、母親が子供を同伴する事はとても難しいのです。
Classicの音楽会のマナーとして、日本に持ち込まれて、それが日本の音楽界の一般的な常識として、コンサート会場でも就学年次以前の子供を演奏会場に連れて行くのは、難しいのがこれまでの現状でした。

しかし、一般のファミレスのように、企業側が率先して子育て世代の母親をターゲットとする同じ現象が、音楽の世界でも起り始めて、proのorchestraが率先して、日曜日のお昼を中心に「母と子のためのコンサート」とか銘打って、赤ちゃんを連れて行けるコンサートが、広く開催されるようになりました。

それに連れて、セミproのorchestra、或いは個人の演奏会等でも、子連れで聴きに来れる演奏会を開催する所が増えて来ました。
これは聞く側へのサービスとして、ですが・・、演奏する側の方も、具体的な一例を上げると、美紀先生が所属しているママさんオケも、子育て中のママさんのために、orchestraの練習をしている間は、専門のベビーシッターがホール内の部屋で面倒を見てくれるというamateurのorchestraも増えて来ているようですね。

しかし、流石に、proオケでは、未だに保育室を持っているようなそんなオケはないようですが・・ね??
私が指導していたproのオケの連中も、子育て年次の時には、母親のおばあさんが代わりに子供を預かるのは当然として、ベビーシッターが見つからない時には、自分の音大生の生徒にバイトを頼んだり・・と、涙ぐましい努力をして、オケと両立をさせていました。先程も言ったように、オケの練習場にシッター付きの部屋はないのでね!!

八千代市のconcertの依頼も、最初の依頼の条件は、「音楽が好きな母親が赤ちゃんを連れて音楽を聴きに行けるコンサートを・・、」と言う市側からの要望だったので、一部は「母親と子供のためのコンサート」として、子供達が聞いても楽しめる曲を中心にして集めて、二部は音楽をじっくりと静かに聴きたい人達のために私の少しmaniacな曲を集めて、演奏会を企画しました。

これがまた、以外と難しいのですよ。
Classicの音楽の中で、子供向けの曲は教育音楽以外には余りないのですよ。
苦肉の策として、オースチンの「人形の夢と目覚め」をPiano‐concerto風にarrangeをしたりしました。
「無ければ作れ!」の、無茶振りのパターンです。

公開の演奏会で、もし、子供が演奏する機会を得たとしても、『子供だから、ある程度下手でも許される・・』という概念はありません。可愛ければ、チーチーパッパでも良い・・という条件は、基本的には(教育の現場でもない限り)社会にはないのですよ。

という事で、最初の八千代市からの依頼は、「母と子(が聴きに来ても良い‥・という意味)のコンサート」だったので、当然、「子供が演奏しても良い」という条件は、全くありませんでした。

そこを、私が「子供達を参加させても良いか?」という条件をゴリ押しした時の、市側が私に出した条件は、「一般の音楽教室のような可愛いだけの「チーチーパッパ」の水準ではなく、(例え子供であったとしても、)ちゃんとproとしての音楽的な水準を保って演奏する事が出来るのならば・・」と、いう条件でした。

それに「母親と子供のための・・」という事なので、「前述の条件が整いさえすれば、寧ろ、子供に演奏させることは、望ましい・・。」というお話を頂きました。

つまり、最初の仕事としての依頼は、先生達の出演依頼だったのですが、それを私が強引に子供達の出演に持って行ったのです。
公開の演奏会は、肉親やお友達が聴衆である発表会とは違って、赤の他人が演奏を聴きに来ます。
だから、発表会等の子供を中心にした演奏会とは、conceptが違って、「可愛いだけの子供の演奏」では、厳しい批判が来てしまうのですよ。
そこは、大人社会の冷徹な視線に晒される事になるのですからね。音楽を完全に自分の趣味として、音楽での向上を望まないとしたら、対外出演(公開の演奏会に出演する事)は、その練習が、かなり辛い物があります。
水準(Niveau)に達しないと、世間は子供に対してでも、容赦ないですからね。親は自分の子供の事となると、どうしても贔屓目になるので、ついつい「そんな事はないよな~ぁ」と、思ってしまうのだけど、逆の立場で考えて見ると、無意識にでも、結構、周りの子供(この場合には教室外の子供という意味ですよ。)には、厳しい目で批判をしている場合が多いのですよネ。
その目が他人が自分の子供を見る目だと自覚出来れば、人の目が理解出来ます。

その代わりに、今回の自治会館のコンサートでもそうなように、子供達が頑張って、一生懸命に練習して、そのNiveauを超えた時には、その厳しい目を持ってしても、ちゃんと認められた時には、とても大きな自信になって、その達成感は学校ではとても得れない貴重なものになります。
その子供の人間そのものが変わるのよね~え??

時々には、子供が自分を超えるのを認めたくなくて、逃げる親もいるようですがね。
親が似たような仕事をしている場合だけですがネ。子供がproの道に進むのを断念した途端に、自分の子育ての過ちに気づく・・、子供が目的を断念したので、親としての立場が安全になったからね。それから反省しても、親の立場は変わらないしね。アハッ!
・・でも、それは先生でも、そういう先生がいるのよね?自分の指導している生徒が、自分を追い越そうとすると、必死に潰しに掛かるどうしようもない先生の事ですよ。自己中の強い先生ですが、その分押しが強いので、世間の受けは良い!!親は先生から潰されたと言う事は、分からないからね。単純に生徒の才能が足りなかった・・としか思わない。でも、そういった先生は、自分が大将で、生徒の跡継ぎはいないので、直ぐに分かりますよ。
「出藍の誉れ」は、そういった先生にはないのだからね??

私達の教室の発表会も、一般の音楽教室の発表会とは違うので、子連れの親が見に来る(聴きに来る)のは、中々敷居が高いようで、子供達も学校のお友達を呼びづらいような感じです。特に同じ音楽を一生懸命にやっている外部の子供達には、教室の事が別世界に見えてしまうようですね。
コンサートの曲目も、一般の発表会とは違って、音楽大学や一般の演奏会でも演奏されたことのない、maniacで難しい曲が多いので。

・・と言う事で、色々な教育的な制約をある程度、取って演奏曲目の条件を緩和した「お楽しみ会としてのコンサート」と言う事で、安心してお母さん方が、子供を抱いて聴きに来る事が出来る・・という想定で、教室が新たに企画したコンサートが、「クリスマス会」や「夏のおさらい会」なのです。だから、私達の教室の、この手のコンサートのconceptは、「会場の雰囲気がうるさくても、その中でも、乱されないで、集中して演奏出来るようになる」・・という集中力の訓練の場でもあるのですよ。ねッ~??

こういった企画や演奏会の形態は日本の社会の独自のものでしょうかね?日本では「胎教」という考え方がありますが、ヨーロッパでは、そういった考え方はないので、「音楽が理解出来るようになったら、聴きに来なさい」という考え方なのですよ。

「concert‐hall(英)」「Konzertsaal(独)」について
concert‐hallとは、基本的にはClassicの演奏会を開催するために作られたホール(hall)の事を指します。
同じ、concert‐hallでも、講演会やロック・コンサート等、多目的に作らてたホール(hall)の事を多目的ホールと言います。
八千代の生涯学習センターのホールは、典型的な多目的ホールで、音楽の演奏会を想定していないホールなので、音響は最悪なホールです。
でも、教室の奏法では、そういった音響が最悪なホールでも、まるで、コンサート・ホールのように響きを出して演奏するmethodeがあるのですよ。
以前は、対外出演をする上級生にだけそういった奏法を教えていたのですが(出し惜しみをしたのではなく、本当に難しい奏法だから、上級生にしか演奏出来なかったからです。)、今は私も歳を取ったので、余命の心配もあるので、小学生の初歩のclassの生徒達にも、指導する事にしました。
以下、古典派の奏法やbaroqueの奏法等、日本では音楽大学ですら、指導していない奏法のlessonを積極的に、教育の制約を外して暫時、指導しています。

「concert‐hallの容積率」
コンサートホールには、Münchenで訪れた大富豪のおばあさんの自宅のsalonを使ったsalon‐concertもあります。通常はChopin等が演奏していたsalon‐concertは30名ぐらいで、Münchenのおばあさんの自宅には100名ぐらいのお客様が来ていましたが、実際のホールの大きさは、客席数ではなく、天上と周りの容積率がそのホールの大きさになります。八千代の多目的ホールは、満席に椅子をsetすると、220席は楽に座れます。検見川の教室は今はもので、溢れていて、20席ぐらいが関の山なのですが、教室を開いたばかりの頃は50席の小発表会をやっていました。勿論、Cembaloやpipeorganは置いていなかったのでね。花園の自治会館もコンサートホールではなく、多目的ホールなのですが、クリスマス会等の満席に近い時には、150席以上になる場合があります。一般的なホールでは、500名ぐらいまでのホールを小ホールと言い、500以上1200ぐらいのホールを中ホールといいます。1200以上のホールを大ホールというのですが、大ホールの舞台から会場迄の距離は大変なものがあります。
このホールの容積率は、実はvibratoの振幅や、forte、Pianoの強弱のダイナミズムにそのまま影響するのです。日本人のvibratoは、こういったホールの容積率を一切考慮しないvibratoなので、本人が自分で、そのようにvibratoを掛けている・・と思い込んでいるvibratoの振幅の幅と、実際のvibratoには、大きな隔たりがあるのです。このvibratoの振幅の聴こえ方、forte、Pianoの音量の幅は、演奏者と聴き手の距離に関係します。(homepage「芦塚先生のお部屋」の左甚五郎のお話の中の33間堂のお話に書いてあるように、目の前で美しい龍の鱗も、33間の距離があっては、タダの青大将の鱗にしか見えないのです。Vivaldiの冬の27小節目の3拍目の8分音符から次の32分音符の休符は、とても速度が早いので、余韻の音が休符を消してしまいます。32分音符の休符があっても、それを余韻の音として、実際に演奏します。これは紗來ちゃんは、とても上手に弾けていました。でも丸付き数字で表した、①②③のvibratoは、合格はしませんでした。何故??
それは日本人の演奏家に特有の・・「耳元で聴こえたvibratoが客席に届いているvibratoだ」との思い込みなのです。ヨーロッパの非常に優れた演奏家の人達は、このホールの広さで、vibratoの振幅の幅やダイナミズムを調整して演奏します。2000席の大ホールと100席のホールが同じ幅のvibratoだと、それはeccentricになってしまうのですよ。私達の教室が、色々な場所で演奏をする機会を生徒達に与えているのは、そういった場所に慣れるという意味が含まれているのですよ。この文章を書いている時に、de ja vuに陥りました。つまり、このpassageは歴代の生徒達が同様に引っかかってしまい、何度もhomepageに書いたお話でした。勿論、ホールのお話ではなく、vibratoのお話の時にね??

「concert‐hallの歴史」
18世紀の前半の時代までは、音楽は教会や王宮の中のホールで演奏されていました。しかし、一般大衆が力を付けて来た18世紀の後半からは、お金さえ払えば一般大衆でも演奏会を聴くことが出来るようになったのですが、その頃は、音楽を聴くための専門のホールは未だ無く、大きな場所、つまり、教会や大型の建造物を利用して演奏会がおこなわれていました。
有名なLeipzigのゲバンドハウス・オーケストラですが、そのゲバンドハウスは織物会館の会議場を利用していました。
ベルリン・フィルの会場は、なんとスケート・リンクだそうです。つまり、ヨーロッパでも、Classicの音楽を聴く事が出来る専用のホールが作られるようになったのは、19世紀以降になるのですよ。

「コンサート・ホール(concert‐hall)の基本的な型」
コンサート・ホール(concert‐hall)には、基本的にシューズ・ボックス型とヴィンヤード型(vineyard(ぶどう畑))の二つがあります。
そして、舞台が中央にあるのを、アリーナ型と言います。

シューズボックス型の代表は、ドイツのヴィーン楽友協会大ホールが有名です。
ヴィンヤード型の代表は、ベルリン・フィルハーモニーのホールや、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス等のホールで、舞台から見やすいように客席が階段状になっているホールの事を言います。

Classic音楽に限定して言えば、音響的には箱型(シューズ・ボックス型)の方が音響的に優れているので、コンサート・ホールの場合には、最近(1990年以降に)作られるホールはまた、シューズ・ボックス型に戻って来ています。

「コンサート・ホールの理想的な条件とは・・」
どういうホールが理想的なホールか??というと、その条件・・これがまた、限がないのよね~ぇ??
先ずは残響時間、これが大きすぎても少なすぎても駄目なのよね?それと音の広がり・・、前の席は音が良く聴こえるけれど、後ろの席は全く音が聴こえなかったり・・、天井桟敷には音が届かなかったり・・と、席によって聴こえ方にバラツキがあるホールは最悪です。
後は音域によって、音の伸びが変わるホール、これは東京の有名なホールにはよく有るホールで、歌には向いているけれど、Pianoの演奏会は全く駄目とかね!つまり、中音域はよく響くけれど、高音域や低音域は全く駄目・・とか!!
ヨーロッパの宮廷では、客席の両サイド側から舞台がよく見えないオペラハウスがありました。「どうしてこんな設計をしたの?」と聴くと、「貴族はお喋りに来るので、舞台なんか見はしないのよ!このボックスで談笑をしても、会場にはお喋りは聴こえないのよ!」との自慢げな回答でした。しかし、会場に声が聞こえない‥・という事は、舞台の音楽も聞こえないって事じゃあないの?? それってあり??
そんなもんかね~??それ、設計士のブラックユーモアじゃないの?? アハッ??

私があちこちの演奏会場で、見かけて驚いたのは、日本のコンサート・ホールで一番多いのが、更衣室(楽屋)が、舞台を通らないと行けないホールや、全く更衣室が無く、他の階の部屋で着替えてから、廊下を舞台まで階段やエレベーターを使って歩かなければならないホールです。音友ホールも、更衣室に入るには、舞台を通って行かなければならない・・という、その典型のパターンだし、さや堂ホールも、客席から控えが丸見えで、更衣室としては使えません。(さや堂ホールは昔の銀行をそのまま利用しているので、致し方はないでしょうが、音友ホールはコンサート・ホールとして、そのために設計して作ったホールなので、日本人の設計技師のconcert‐hallへの知識の貧弱さは、チョッと問題ですよね。

この話・・って、書き出すと、限がないのよね~ぇ??
折に触れて書く事にしないと、終わりがなくなってしまいます。




初見の事をドイツ語でBlatt spielen(ブラットシュピーレン)と言います。Probeと言うのは当然新曲が多いので、その殆どが新曲を演奏する事になります。事前に楽譜を見せてもらえる事は殆どありません。曲のimageが分かれば良いのですから、ちゃんと演奏出来る必要もありません。私も、自分の作品を、これまでも、色々な演奏家に初見の演奏を頼んだことはありますが、うまく行った試しはありません。その点、教室の生徒達の初見力は素晴らしいものがあります。Vivaldi・classの曲ならば、殆ど初見で通常の演奏が出来るのですから。しかし、このSweelinckは、教室で勉強をしている作曲家とは違って、Renaissanceから初期baroqueに生きて活躍していた作曲家であり、調性の音楽ではなく、旋法の作曲家なのですから、Vivaldi以降のbaroqueの作曲家とは、調の概念が全く違って、演奏も色々と難しく、演奏には悩んでしまいます。Renaissanceの時代には、violin等は未だ出来ていなかったので、教室としてRenaissanceの曲を演奏する事は、めったにないのでね。12月25日の合宿の初日の検見川教室での初見練習です。弦五部 ちなみに、楽譜の訂正もあり得るので、scoreは未だ作っていません。初見のProbeとは言えども、それは反省点でした。ちなみに、この動画はFacebookのみで、You Tubeにはupしていません。

練習の開始で揉めていたのは、themaの小節が1stのpartにだけ書かれていて、他のpartの楽譜には、小節自体が省略されていて、いきなり12小節目から始まったからです。それで皆さん、戸惑ってしまったのよね。そんな楽譜をこれまでに見た事が無かったからね??orgelの原曲がそうなっていたので、ついつい、楽譜を原曲と全く同じにしてしまったので、逆に混乱を招いてしまいました。


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Facebookより

「vibratoのお話」
日本では、(・・と言うか世界でも)・・常識的にはvibratoは下に掛ける事が一般的で普通なのです。
「下に掛ける」・・と言っても、よく意味が分かりませんよね??
日本では(・・世界でも)って、長ったらしいから以下「一般的には」としますが、vibratoの振幅を正弦波に見立てて説明すると、上死点の位置を定めてvibratoをする事を下に掛ける・・と言います。図では、3番目の図になります。つまり、グラフでは振幅のY軸の上死点を先に決めて、逆に波形の中心点であるX軸の0点を決めるという実にaboutな弾き方です。

vibratoの正しいかけ方を説明する時には、私は算数の正弦波の図を代用して説明をします。・・具体的で分かりやすいからです。
vibratoをする人達でも、振幅の上下の(上死点と下死点の位置)が安定していない場合や、幅(波長λの長さ)が不安定な場合は、基本的には「痙攣vibrato」と呼びます。
また、振幅の幅や振動が一定でないvibratoの中でも、振幅が不安定なだけでなく、止まったりするvibratoを、特に、チアノーゼvibrato ※)と呼んで厳しく戒めにする場合もあります。

正弦波のように、一定の正確な振動(律動)と振幅を持ったものだけをvibratoと呼ぶのです。
正確な律動と言うのは、同じ振幅と律動のみではなく、等比級数的に加減の幅が一定の比率に從っている場合も、正しいvibratoになります。
私はそれをvibratoのcrescendoとか、vibratoのdecrescendo、或いはvibratoのaccelerandoや、ritardandoと名付けています。
※)チアノーゼとは、勿論、人間や動物達が死ぬ時に痙攣する事を言いますが、音楽の場合には、hystericな痙攣vibratoもあって、区別されているので、確認ですが、痙攣vibratoの場合には、振幅の幅が異常に広くvibratoのbeatが異常に細かい事を言い、チアノーゼvibratoは、振幅の幅や、beatが一定でなく、発作的である事を言います。

ついでに、私の造語では、振幅の幅が小さく、小刻みなvibratoの事を「さざなみ(漣)vibrato」と言う事にしています。
正しいvibratoの掛け方を習っていない生徒達には、こういう「さざなみvibrato」しか掛ける事の出来ない可哀想な弦楽器の生徒も多いようです。
私達の教室では、子供達のorchestraの練習の時にも、常に楽譜上の必要な場所に、決められたvibratoの幅と速度を、指定して学習させて、指導するので、1種類のvibratoしか出来ない生徒はいません。(勿論、vibratoの習い始めは、仕方がない事ですが・・)たった一つのvibratoしか出来なければ、たった一つの曲を演奏したとしても、その曲を音楽的に演奏する事は無理だからです。つまり、たった一つの曲であったとしても、そのmelodieの場所、場所で要求される大きさの(振幅と波長を持った)vibratoが必要となるからなのです。音楽のintroとclimaxが同じ幅と波長のvibratoであると言う事は有り得ない事なのですからね・・。

「追記:」
「vibratoをいかに掛けるか?」という定まったmethodeは歴史を見ても無いようで、vibratoに関する本も殆ど出版されていません。
唯、慣習的に指導されているだけなのですが、vibratoを掛けるための指導の中で、これも、一般的には非常に多いcaseなのですが、vibratoをするためには、「親指とvibratoをする指で楽器をしっかりと挟んで、指の位置がズレないように押さえてvibratoを掛ける」と指導する先生が多いのですが、それでは物理的にvibratoを掛けるのは無理です。

一般的には、親指と音を取る指で、しっかりと楽器を固定して持つ事を、「楽器を挟む」という言い方をします。
指導者にそう言う風に指導された分けでは無いのに、「楽器を挟んで持っているために、vibratoが掛からない生徒や演奏家達を多く見かけますが、その根本的な理由は楽器のholdingが悪いのが根本の原因である場合が非常に多いのです。
つまり、楽器を親指で押さえておかないと、楽器が体から落ちてしまう・・・。
こう言った場合には、結果として、vibratoをする時には、「楽器を挟む」という形になるので、vibratoがうまく出来ないばかりではなく、position移動さえ、うまく出来ない・・、position移動の時に、glissandoが入ってしまって、そのglissandoの音を、幾ら練習をしても、消す事が出来ない事になってしまいます。この多くのcaseの場合には、楽器の正しい持ち方(構え方)を指導すると、一瞬で直ってしまいます。
もっとも、baroqueの時代には、肩当てや顎当ては未だ発明されていなくて、基本的にはviolinは手に持って演奏していました。そのために、positionの移動が難しく、小指を伸ばしてflagiolettoを弾く事で、5指(5番目の指)の代用をする・・というperiodのviolinの奏法があります。また、fiddleからviolinへの移り変わりの痕跡が多く見受けられるgypsy‐violinの演奏者達も古楽器奏者同様に、violinのnecを持って演奏する事が多いのです。
楽器をholdingして(持って)演奏する事の多いviolinの奏者は、position移動よりも、移弦を多用します。楽器を顎でholdingする奏者は、position移動を多様する事が多いのです。
但し、holdingする演奏家でも、楽器をしっかりと親指と他の指で支える事はしません。演奏の自由さを失うからでもあります。
しかし、時折、楽器をしっかりと指で支えさせて、演奏させる先生も音楽大学等の先生で見かけて困惑してしまいます。

昔、同様に、Pianoの先生で、「指先をしっかりと構えて、手首を楽にして弾くのよ!」と、指導されている先生が数多くいましたが、(というよりも、殆どの先生達がそう指導していたように思いますが・・)それは、医学的に生理学的に、不可能な事です。
もしそれが可能な人がいたら、医学界の一大発見になるでしょうね??
そんな風な指導をクソ真面目に聞いて、一生懸命に練習したら、一瞬で腱鞘炎になってしまって、腕や指を傷めてしまって、二度とPianoを弾けなくなってしまいますよ。くわばら!くわばら!!

人間は正弦波の振幅の上の点を音のpitchと感じます。
つまり、正確なpositionを取って、その点からvibratoを掛けると、人間の耳に聴こえるpitchは、実際の音よりも高く聞こえてしまうはずなのです。私達の教室では、生徒達に正しいpitchを取ってから、(それを振幅の中心点にして)vibratoを掛けさせるので、本来ならば、演奏する時には、音(pitch)は高く聴こえるはずなのですが、不思議な事に、誰も気が付きません。「気がつく」とすると、日本流の下に掛けるvibratoにどっぷりと慣れ切っている日本人の演奏家だけです。一般の音楽愛好家の人達で気がつくcaseはまずありません。その理由は後述します。

「図例:1」の例では、取ったpositionが茶色の線で、聴こえるpitch(高さ)の音は緑色の線になります。

本来の音は、上下の振幅の中心にありますから、vibratoをしない場合には、その音が演奏している音になります。指のpositionは常に正しい位置にあるので、純正の和音を弾く事は難しくはありません。どんな、vibratoを掛ける事が不可能な早い音を演奏したとしても、pitchが狂う事は無いのです。でも下にvibratoを掛ける人達は実際の正しい音よりも低い音を基準のpositionにしているので、vibratoを掛ける事の出来ない速度でpassageを演奏すると、vibratoの掛かっていないすべての音が正しい音よりも低い音になってしまいます。(当たり前の事なのですが、日本人の演奏家達はその現実を見ようとはしません。学んで来た事が常に正しいからです。これが伝統に縛られる‥・という意味なのです。でも、本当の本物のtraditionalならば、pitchを正確に取る方が、低めに取るよりもtraditionalなはずなのですがね??歴史認識ではね・・!!)

一般の弦楽器奏者が、本当のtraditionalな音楽、つまり弦楽器のrootsとなる時代の、baroqueの音楽を演奏しようとして、純正のpitchが取れないのは、子供の頃からの誤ったtraditionalな学習法によって、無意識にpitchを実際のpointよりも下に取る傾向があるからなのです。
その例を図で示すと、「図例:3」のように、弦楽器の奏者がpitchとして取った音が、緑色の線で表され、聴こえる音の高さは茶色の線になっています。
この場合には、一見すると正しい音を出しているように思われますが、実際には、聞く人達には、positionを取った最初の音をpitchとして聴いてしまうので、実際の素人目には、低く聞こえてしまいます。(その低く聴こえる理由は、もっと色々な理由があるのですが、それをくどくどと述べるのは、後回しにしておきます。)

もしも、出来る事ならば、(可能ならば)pointを実際の音に取って、しかも、vibratoを下に掛ける場合には、振幅は半分になって、とんでもない事になってしまうし、(そんな波形は自然界には存在しないのですよ。)通常のtrillも下に掛けなければならなくなってしまいます。trillは演奏されたvibratoなのですからね。「図例:2」電気的に作り出したこの波形の音は、ブチブチとnoiseの音になってしまい、楽音にはなりません。

私が音楽大学の学生であった昭和40年ぐらいの時代には、音楽大学の先生には、(Pianoの先生であるにも関わらず、弦楽器のそういったtraditionalな解釈を信じ切って、Pianoのtrillを下に掛けさせる先生もいたのですよ。「Mozartの時代はtrillはこう掛けたのよ!」と、まことしやかに言っていたのですよ。) 
きっと、vibratoは下に掛けなければならない・・という弦楽器奏者の先生は、古典派の時代のtrillも、きっと下に掛けるのでしょうね?アハッ!

確かに、押さえたpitchを中心にして正弦波の振幅を掛けると、pitchは高めになってしまいます。
では、普通に正しいpitchを、positionとして取った上で、vibratoを掛けているのに、教室の先生や生徒達のvibratoは、(「図例:1」のvibratoを掛けているのに)どうして、高めに聴こえないのでしょうか?

それは、大きく二つの理由があります。
その理由は、いずれにしても音響学上に理由によります。

その一つは、本来のoctaveの音は、konsonanzに対して必ず、低めの音になるのです。
オシログラフ等で、octaveを作ると、その音は、必ず低め、低めの音になってしまうのですよ。
これは物理の法則上の音と、人間の感覚上の音の差なので致し方のない事なのです。

ですから、一流のviolinistは正確なpitchのpoint(所謂、konsonanzのpoint)から正弦波でvibratoを掛けますが、丁度、それがoctaveで低めになった音の補正になるのです。音と音の幅は高音域になればなる程、狭くなります。
理論では440サイクルの場合には、octave上の音は880で、octave下の音は220サイクルになります。しかし、実際には、そうはならないのですよ。440のoctave上の音は880よりも少し高めの音にしないと、低めの音に聴こえてしまうのです。
しかし、実際のpositionとpositionの感覚は上に行くほど狭くなっていきます。ギターのフレットを思い浮かべて見ると良いでしょう。
フレット間の幅は、下は広く、高音域になるに從って、等比級数的に、狭くなっています。
もしも、弦の最初のoctaveの時のvibratoの振幅の幅と同じ幅で、高音域もvibratoを掛けると、高音域になるに從って、vibratoの幅が広くなって行きます。
ですから、violinistは高音域になるに從って、vibratoの振幅を小さくして、その代わりに振動を速くしていきます。
低音域のvibratoは、真逆で、低音域に行くに從って、振幅の幅を広げて行き、振動の数を減らして行きます。
vibratoも、手首のvibratoから、腕のvibratoへと移行します。

vibratoの話という意味だけではありませんが、(vibratoには関係なく)実際の音よりも、高めのpitch(position)を取る事を「solo‐pitch」と呼びます。
但し、solo‐pitchにはもう一つ別の意味もあります。
それは、orchestra等のsoloをする場合に、orchestraよりも、少し高めのpitchで演奏する事を言います。その場合にはtuningのpitchをsoloだけ少し高めにずらして演奏する事が多いようです。
それでも、solopitchの一つになります。

こういったお話は演奏家には難し過ぎるのかな??
正確なpitchを軸にして、正弦波を掛けるのは、melodieの総ての音に対して、同じ比率(振幅と振動数)で、全体のmelodieを演奏します。
その話とは違って、もう一つの注意事項はoctaveに掛かるvibratoの事ですが、octaveに関してのpitchの補正は、勿論、Pianoの調律師の人達も、octaveは下に狭く、上に広くと、振幅の幅を補正して行きます。
その補正は感覚的なものなので、2台のPianoを調律する時には、1台をしっかりと調律してから、そのpitchをもう1台のPianoに移して行くのです。

私がCembaloのtuningの時に、基音のoctaveは、器械で合わせますが、それ以上、以下のoctaveは、耳で合わせるのは、その補正をするためなのです。

violinの先生はそういった事を意識して演奏しているのかね??
常にkonsonanzで取るpitchが、正しい本来のpitchだと思いこんでいるのではないかな??

Perlmanは、concertoでsoloをする時に、highpositionの音を半音も高く取っていて、聴いていた聴衆の人達から、「行き過ぎじゃあ、ないのかね?」と論争を巻き起こしましたが、Perlmanの場合には、意味が少し違っていて、指の大きさがぶっといので、highpositionのvibratoを掛ける時に、最小限の振幅でも、半音近いvibratoになってしまうのです。
Perlmanの場合に、驚いたのは、半音の下行進行を弾く時に、そのままの狭ポジ(enge lage)では、半音の幅が広くなってしまうので、指をすり替えて、少しずつずらしながら弾くのですよ。
これはとても、名人芸だと驚いてしまいました。

ですから、Perlmanの場合には、melodieの頂点のhighpositionの音で、大きなvibratoを掛けると、正確なpositionに音を取っていたとしても、半音ぐらい高い音になってしまうのです。
それでもPerlman先生遠慮して小さめにvibratoしていたのだけどね。
指が大きいとvibratoは小さめに掛けなければならないし、指が小さいと同じvibratoを掛けるにも、大き目のvibratoをしなければ、なりません。

「追記1」
もし、vibratoは下に掛けなければならない、と、その話をしたのが、一流の演奏家であったとしても、室内楽等のensembleをするためには、pitchのpointになる音は純正で取らなければ、ensembleがハモる事はありません。
つまり、音楽大学の先生の言うように、実際のpitchよりもpositionを下に取った状態で、ensembleで和音を作る事は不可能だからです。曖昧なpitchで取られたpitchで、和音が響く事はないからです。

でも、このpositionの取り方を公言する指導者は非常に多いのですよ。
つまり、図例:3のように、実際の音に対して、低めのpositionを取って、上にvibratoをして、実際のpitchに振幅の上を合わせる‥・という事です。
でも、常にpitchとして、取る音は、本当のpitchよりも、下の音なので、その人達がもしvibratoをしないで、正確な音程を取るためには、一度取ったpitchを瞬間的に正しいpitchにずらして取り直す必要があります。
このpitchを低く取ってからvibratoで補正をする方法には、多くの欠点があります。勿論、常にaboutな音を取っているのですから、音程が不安定になってしまいます。日本人の多くのviolinistの音の不安定さの根本の原因はここにあるのかもしれません。
次は、音を下に取ってから上の正しいpitchにvibratoをする分けなので、vibratoの振幅が小さくなってしまいます。多くの日本人の弦楽器の演奏の振幅が小さい原因は、耳によってvibratoの幅を決めているのと、半分しかvibratoをしていない‥・という所に原因があるのかもしれません。つまり、取った低いpositionから正しいpitch迄の正弦波の半分の音しかvibratoの意識をしていないのですよ。だから、vibratoが自動的に小さくなってしまうのです。
最初に取った音は、常に正確なpositionの下のabout(!)なpitchなのですから、aboutから正確なpitchを取るのは、無駄にしか思えないのですがね・・。
そんな事を一々やっていたのでは、baroqueも古典派も、いやさ、音楽そのものが演奏出来なくなってしまうのでは、ないでしょうかね??

日本人の弦楽器奏者の音程の悪さは、日本人特有の悪癖の他に、そこいらの思考方法にも、原因があるようですよね。

ensembleのためには、positionは、baroqueの時の演奏と同じように、正確にそのpositionのpitchを取れなければ、ensembleで言う「和音がハモる」という事は有り得ないのですよ。

だから正弦波を描くために、positionを下にとる事は有り得ないのです。
(その仮説ならば、そのviolinistは、positionを正しいpositionではなく、常に正確なpositionよりも、常に下に取る・・と言う事だから・・です。)

例:2のような、正弦波の下の部分だけを演奏する事は人間には不可能な出来事です。
自然界には存在しない波形なのです。勿論、vibratoには、成り得ない非常にゆっくりとした振幅ならば、の可能性もそ無くはないのかも知れませんが、れがそvibratoのbeatになると、不可能です。自然界の動作の中で、回転運動を途中で止める事は出来ないからです。
それでお終いならば、可能性もあるのかも知れませんが、次の回転運動に続けるのならば、それは不可能ということなのです。
そういった正弦波の上半分を切った音を出す事は、パソコンにも難しいかも知れません。
それが耳に聴こえるか否かは兎も角としても・・です。

こう言った話は、一般の音楽家には分からんかね??
これも「盲人の行列」の一つなのですよ。
100年間も、申し送られて来た伝統は常に正しいという・・日本人特有の話です。
でも、実は、この伝統は、violinが作られた当時の伝統ではありません。
こう言った、私の主張は、一般的には、非常にeccentricでabnormalな主張のように、捉えられがちなのですが、実は、弦楽器のルーツを調べれば、全くorthodoxな事になってしまうのですよ。

古典派の時代の人達の多くが、vibratoの乱用を危惧していました。
orchestraの管楽器が自然管の楽器から、ベーム式の平均律の楽器に変わった時から、利便性の代わりに、純正のpitchを失ったに過ぎないのです。

つまり、baroque時代の人達はvibratoの意味をよく理解して、純正の和音の音を大切にするために、vibratoは必要最低限しか使用しなかったのですよ。

もし、そうならば、vibratoを下に掛けるというとんでもない話は有り得なかったのです。
つまり、近現代のorchestraの人達は、和音を純正で合わせる前に音の膨らみとして音を出していたので、pitchは然程正確である必要はなかったのですよ。

しかも、フル編成のorchestraに取って、「ドの音」一つ揃える事は至難の業なのでね。
「ドの音」一つが1つの音に聴こえるように、響いたorchestraはないのですよ。
何故って??
だって、B管のclarinetや、F管のhorn、それに、・・・限がないでしょう??
B管のAの音と、F管のAの音は、基本的に違う音なのですよ。
それにEs管のAは、基音から増の音程になるでしょう・・??
そんなのが合う事自体が奇跡なのですよ!!

昔、Clara Schumannがフランスに演奏旅行に行った時に、franceのorchestraを聴いて、「まるでQuartettのように聴こえる!」とビックリしていたのですが、残念ながら、私にはその経験はありません。日本のorchestraはヨーロッパのorchestraと違って、vibratoを揃えて演奏する習慣さえ、ありませんからね。
アハッ!

「追記2」
私の兄がヨーロッパでのプロモの時にヨーロッパのorchestraの練習に立ち会う機会があって、丁度、弦楽器のgroupがvibratoの練習をしていたそうですが、concertmasterが「120!」とか「90!」とか声を掛けると、orchestra全体が瞬時にvibratoの速度を変えて、それはそれは素晴らしかったそうです。日本のorchestraでは1stviolinだけでもvibratoが揃う事は無いのですからね??

「追記3」
vibratoの方法の話ですが、タイスの瞑想曲や、G線上のアリア等のviolinの入りの音を、先ず最初に、全くvibrato無しに始めて、徐々にゆっくりと小さな振幅から段々振幅を速く大きくして行くvibratoを生徒達にさせていましたが、私が昔々買ったカラヤン指揮のベルリン・フィルのアリア(所謂、G線上のアリアなのですが、)orchestra1stviolin全体で、そのvibratoをしていて、驚いた事があります。でもその曲はorchestra全体のvibratoが聴こえるのですよ。
流石、カラヤン!!、見事です!!クラッチ!クラッチ!!
という事で、そのvibratoをグラフで表そうと思って、「人口増加率」や「等加速度運動」等々のグラフを探して見たのですが、丁度サンプルになる良いのが全く無いのよね??困ってしまいました。等比級数のグラフなので、Excel で自分で作るのも考えたのですが、かったるくて、たかがvibratoの説明にそこまでしなくてもね~ぇ!!面倒くさいし・・ね~ぇ??という事で、弾き始めは座表のX,Y軸とも0の地点になります。人口の増加率と同じなので、X軸のtimelineは動きますが、Y軸の振幅の幅は未だ動きません。まあ、ただのsampleなので、2sec.ぐらいは動かしますかね?それから少しずつ0点の上下に振幅を始めるのですが、一番大きな違いはtimelineは放物線の点が均等に時間軸を表します。そうすると、X軸の目盛は段々と詰まって来ます。つまり、ゆっくり小さなvibratoから、段々おおきな振幅の速いvibratoへ変化していくのです。まあ、只の関数よ!!自分でワザワザと書くのが面倒くさかったので、そこらにあった等比級数のグラフを使ったので、正しいグラフを誰か書いてください。y軸がvibratoの振幅の幅で、x軸がvibratoの速度、放物線を時間の目盛にすると、自動的に振幅の幅が広がって、vibratoの速度も速くなります。Metronomで、90以上、130ぐらいまでの間で、振動(vibratoの速度)は固定されるので、放物線は直線に代わります。(そこまで書くか・・??)
このお話は自然界の法則なので、crescendoやdecrescendo、accelerandoやritardando、forteからpianissimoに至るまで、総ての比率はこの等比級数の中に収まるのですよ。西洋の音楽が等分割による音符を構成していたとしても、演奏に関する場合には、自然界の法則に従うのです。

baroque時代のornamentのtrillのように、vibratoも可変的流動的な動きをして、crescendoやdecrescendoを表したりするのですよ。
音楽大学時代に高校生の時から私の敬愛する Helmut Walcha の演奏を真似て、Bachの平均律でtrillのcrescendoとdecrescendoの膨らましをしたら、Pianoの先生に、「Bachの時代のtrillは、ちゃんと数を合わせて弾くのよ!」と怒られて、16分音符の動きを等倍で分割して32分音符でtrillを弾かされてしまいました。いや~あ、屈辱的であったよな??俺、音大生なのだけど・・てな具合で・・!!
それはそうと、音楽大学のPiano科を卒業した母親の子供のPianoを指導している時に、Bachのinventionのtrillで、3連音で演奏させていた時に、突然母親が「3連音のtrillは有り得ない!」と噛み付いて来ました。「音楽大学でそう習った!」と言う事で、相変わらず、根拠は「恩師がそう言った!」の一点張りです。「恩師が言う事は常に絶対的に正しい」のですから、説明をしても理屈が通らないのですよ。trillは曲に対して早すぎると美しい音の粒が痙攣になってしまいます。「連符のtrillは有り得ない」と言うのは、baroque奏法で言う所の、「trillはvibratoを表現している」という所に起因します。つまり、vibratoは3連音、5連音のvibratoは有り得ないので(単なる振幅なので・・)、等倍のvibratoしかないのです。しかし、trillは、vibratoの意味から発展して、音の持続やcrescendoを表現したり、弱拍をも表現する等の多彩な効果を出すように、vibrato本来の役割から独立して来ました。それ以上に、Bachのinvention等で、(例えば16beatの)音価の単位が早い場合には、それを更に等分割すると、trillが痙攣vibratoのようになってしまい、非音楽的になってしまいます。ですから、16beatの等分割された32beatの単位ではなく、16のままの3連音の単位にすると上品なtrillを演奏する事が出来るのです。だいたい、trillが等分割の単位である‥・という事自体が、おかしいのですよ。Bachが書いた装飾の一覧は、Cembaloを学び始めたばかりの息子に書いて上げた、templateに過ぎません。子供達が大人になった時には、素晴らしいornamentを演奏し、またそのように楽譜に残しています。Bachは非常に優れた教育者でもあった‥・という事を忘れないように・・・!!
いや、今から50年も前の話を、根に持っているのよね~ぇ?
アハッ!

positionを実際のpitchよりも下に、掛ける奏法が音楽大学の先生方やproの演奏家達のvibratoとしては、一般的なのですが、その奏法には致命的な欠陥が幾つかあります。
1番目としては、正確なpitchよりも下にaboutな位置にpitchを取る事は正確なpitchを取る事が出来なくなってしまいます。
先ずは、高音域の音程のintervalは狭く、低音域の音程のintervalは広くなります。同じ振幅のvibratoを掛けていても、低音域では低めになってしまうし、高音域では高めのpitchになってしまうからです。
2番目の問題は、1つの曲の中であったとしても、melodieに対応して、振幅の早いvibratoや、狭いvibratoゆっくりした大きなvibrato・・、手首のvibratoや腕のvibrato等があって、聴こえる音とpositionが一定では有り得ないからです。
3番目の問題は、vibratoは必ずしも、全部の音にする分けではないので、vibratoを掛ける暇のない早いpassage等では、vibratoを掛ける音と掛けない音が混在する形になります。その場合には、vibratoを掛けた音が正しいpitchに聴こえたとしても、掛けない音は常にフラットな(低い)音になってしまうから、1つのpassageの中に正しいpitchと低いpitchが混在してしまう事になるからです。
4番目のお話は、正しい音を聴衆にappealするためには、最初の音をNonvibratoで演奏してそれからvibratoを掛けるという奏法が多いからです。勿論、baroqueや古典派の場合は当然ですが、近現代でもその奏法は出来なければならない、基本の奏法だからです。
5番目は・・、限がないのでこれくらいまでにしておきます。
つまり、日本や世界の常識として音を取る方法は、間違った奏法なのです。
それに、子供達を指導する時には、どんな先生でも正しいpitchを取らせます。それがvibratoを指導する時には、それ迄の指導を否定するのは、それ自体おかしいでしょうが・・・???

蛇足ですが、丁度、今回のクリスマス会に向けて、小学4年生の生徒が、今回始めて、MassenetのThaïsの曲で、vibratoのcrescendoや、腕のvibrato等色々なvibrato等、或いは揺らし等に挑戦を始めました。
日本の一般的な指導法では、一つの種類のvibratoなら、その種類のvibratoだけを完璧に出来るまで指導、練習させ、それが出来上がったら、次の技術の習得に向かうのが普通の方法論です。しかし、私のmethodeでは、「どのような技術であったとしても、完成形はない」というのが私のmethodeです。だから、一つの技術が今だに未完成の間は、寧ろ、色々なvibratoの技術を同時進行的に指導します。
広く浅くの原則です。
そうして色々なvibratoの違いを先に身に付ける事が出来るように、或いは、理解が出来るように指導するのです。
そして、aboutな型としてでも、色々なvibratoが出来るようになったら、それから、一つのvibratoを徹底して勉強していきます。
この方法は最初に技術上の近いを理解させる方法なので、逆に確実に早く、色々な技術をマスターする事が出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=nOrDOSvOTPg

Massenet Thaïsの瞑想曲 古川紗來(小4)伴奏岡村智子(高2)
2016年12月23日クリスマス会


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このお話は一応はvibratoのお話とも関係しているのですが、pitchのお話なので、pitchのお話の所に書こうかな?と思って、探して見たのですが、見つからなかったので、このコメントに続けて書く事にしました。ご存知のように私達の教室のpitchは443cycleなのですが、音楽大学等では、演奏会高度として、442cycleが一般的になっています。私達の教室が、一般的な442cycleの演奏会高度ではなく、443cycleのpitchは、私がまだ教室を開設するよりも、大分、前の話なのですが、実際に日本の有名orchestraだけではなく、世界のorchestraの演奏会のお手伝いの仕事で、色々なホールを回った結果、殆どのコンサートホールが443cycleで、ヨーロッパのorchestraも基本的には443cycleを使用しているorchestraが多いので、子供達が発表会等でホールで演奏をすることを前提として、教室も443cycleを使用することとしました。 しかし、音楽大学や日本のorchestraでの練習も、未だに442cycleを使用していますので、音楽大学に行っている生徒が「大学の先生から『pitchが高いからPianoの音に合わせるように!』と言われた。」と報告して来たのですが、この手のお話(「音取り」をPianoに合わせる!ということ)は良く聴きます。一般的には、日本の弦楽器奏者は、調律されたPianoのpitchを正確な標準pitchとして、信頼していますが、これは大変な・・ズブの素人的な間違いなのですが、日本の最高のorchestraのsolisteが、平気でそんな誤った指導をするのは困ったものです。 その誤りの、まず、第一番目は、Aの音を一つとっても、本当は、B Dur(B♭major)の導音である「A」と、A Durの根音である「A」と、F Durの第三音である「A」の音では音(pitch)が全く、違うのですよ。もし弦楽器が平均律の音しか必要がないのなら、violinもギターのようにフレットをつけて演奏すれば良いのです。そうしたら、pitchを取るための練習など必要がなくなります。無駄な練習になってしまうのですよ。 今回の冬の合宿で、初見で、SweelinckのOrganの曲の合わせをしました。Renaissancele 風に、vibratoを最小限にして、純正の和音で演奏したのですが、生徒がcの三和音を弾いて、「なんと美しい響きなのだろう!」と感嘆していました。 第二番目には、orchestraのpitchは、(その先生自身がproのorchestraのsolisteであるならば)、orchestraのpitchは基本的には指揮者が決める事はご存知だと思います。コンサートの度に指揮者は変わるので、当然、同じ「Aのpitch」でも、ヨーロッパの指揮者では444のpitchや、もっと高いpitchを好む指揮者もいますし、日本の教育関係のorchestra(音楽大学のorchestraではなく、学校教育関係という意味ですが・・)では、440の標準pitchを取る場合もあります。もし、指導する先生に「pitchが高い」と言われたら、楽器のtuningを、442とか、441とかにtuningして演奏すれば良いだけなのです。もし、proのorchestraに入団したら、指揮者によって、pitchを変えなければいけないので、自分のpitchを頑迷に守る事は逆に良くありません。教室でも生徒のノリが悪い時には、pitchを444に上げて練習することもあるのだけど、それで文句を言う生徒は一人もいません。逆にそれで、ノリがよくなるので、みんな喜んでいます。その先生が高く感じているだけなので、多分violinの先生ならば、当たり前に感じるはずです。その先生の主観で、Pianoに合わせてpitchを取る練習をしてしまったら、折角育って来た純正のpitchが全部平均律の、aboutなpitchに置き換わって、折角の絶対音感が狂ってしまいます。それは大変な誤った練習であり、自分の能力を引き下げる元になりかねません。Pianoで音取りの練習をする事は、amateurの場合にでもお勧めしない、全く音の基準が無い人に対して(所謂、音痴の人)のaboutな音取りの練習なのですからね??proオケの先生なのにそんなこともご存知ないのかいね?? その先生は絶対音を持っていないのかな?? それに、baroqueのAのpitchは、標準では415、(教室では418とか、435なのですからね。)つまり、415cycleはA=440で言うならばGis(G#)の音になりますからね。結論的に言うと、Aのpitchは可変的でなければならないのですよ。それをPianoの音に合わせるとは・・・、まるで素人だよな~?? 所詮は、教室とは、水準が違うのよね~え??


読むのに だいぶ疲れました。紗來より

え‼ これ全部読んだの? それだけで偉いよ?

ママに読み方ききながら読みました。あんまりわかんない

本文の分かり難い所を少し手直しをしたのですが、uploadが出来ませんでした。
文章自体も消えてしまいました。
Facebookは兎に角不具合が多いので、困ってしまいます。
めげちゃうな~ぁ??


文章は、書く時も、読む時も、小さな一つのまとまりの文として読めば、読み下す事が楽になります。だから、私の場合にも、大元の文章は、書いた後で、更に、読みやすいように、文章のまとまり毎に改行をします。私の場合には、生徒達が読みやすいように、1行を開けて、次の節に入ります。(改行だけの場合と、改行をして、更に1行を開けるという違いがあります。)1行開けの文章の場合は、その前の文章が一つのまとまったお話なので、その文章の中だけをしっかりと読み下せば良いのです。節と節の間は一つの文のまとまりで行を改ます。読みやすくするために、一文字を下げる場合もありますが、欧文では、一文字下げる代わりに、冒頭の文字を大文字で書いたりする事もあります。Facebookではこう言ったchat系のコメントを書く欄は、長い文章を想定していないので、改行も出来ないし、節を1行、開ける事も出来ません。それが、紗來ちゃん達が文章を読む時に分かり難い文章になる原因の一つです。でも大元のマスにそういった大項目の文章を書いてしまうと、一つ一つのコメントが独立しているので、暫くすると、どっかに行ってしまって、どの文章がどの大元の文章のために、書かれたのかが理解らなくなってしまいますので、仕方なく、こう言う風にchatのように、その大元から続けて書く事にしています。教室で、紗來ちゃん達が新しい曲を貰った時に、今、勉強している練習番号付のお勉強は、実は音楽の形式(構成)を勉強する目的で作られています。つまり、大項目、A、B、C、中項目、A-1,B-1、等々で、小項目で、「A-1-あ」とツリー構造になりますよね? しかし、これは音楽の楽曲分析だけではなく、文章を読む時にも、殆どの文章はこう言った音楽と全く同じ形式で書かれているのです。だから、文章を読む練習を兼ねて、私の書いたコメントでは、大Titleと、文章の中に更に中項目のTitleを、一つ一つの文章に「**」とTitleを書いていたりします。Titleがない場合でも、一行空白の行を入れているので、そこで、そのお話が終わって次の文章に移動します。そのまとまりの文章の中では、文が切れる時には、「。」や「?」の後は、改行をして節の切れ目を表しています。Titleは大項目よりも一つ上の、「1楽章」と同じrankになります。勿論、全楽章を練習する時には、大項目が1楽章、2楽章になるのだけどね・・??

教室では、弾き始めの音(pitch)を正確に取る・・という練習を、今現在小学生達のオケ練習でやっていますが、一般の通念の場合では、音出して、瞬間に耳で聞いて正しい音に補正する・・という弾き方をします。 一般的な解釈では、violinは、ギターのようにfretが付いて無いので、正しい音(pitch)を正確に瞬間的に取る・・という事は有り得ない・・というのが、violinの指導者や演奏家達の前提です。 ですから、私達の教室の生徒達の音(pitch)の正確さは、有り得ない事なので、それを信じる事はありません。これだけYou Tube等でuploadしていても、信じ無いのです。耳で聞いても、目で見ても信じ無いのなら、何をすると信じるのか??って??そりゃあ、決まっているでしょう?日本人の音楽家達が唯一信じる事は、権威だけなのですからね?? 教室では初歩の間は指板にtapeを貼って、Fretの代わりをさせて、型を教えていますが、一般的には、「tapeを貼ると探り弾きになるので、良くない」特に「子供達の指導には良くない」と言われています。・・その「探り弾き」をしないようにするために、tapeを貼っているのに、tapeを貼るという、その理由と目的が全く分かっていないのですよね。似たような事では、「Metronomを使うのは、音楽性を壊すので良くない!」と言って絶対に買う事すら認めない先生の方が音楽大学では常識なのですよ。教室のオケ練習では、真逆で、絶対tempoとして、Metronomは幾つか?というbeatと絶対tempoを言えるように練習しますが、身に付けさせるのは比較的に簡単です。 作曲家や指揮者や、proの演奏家の人達はMetronomを何時も使用しているのですが、道具は使い方次第‥・という事を知らないのかね?? 兎角、日本で言われている常識と反対の事をすると、正しい指導が出来るようで、実に面白いし、愉快です。日本の常識、世界の非常識・・でね??


16年12月23日の千葉市花見川区花園の自治会館でのクリスマス会での演奏風景です。演奏は鈴木花梨ちゃん(中2)です。Kreislerの「ルイ13世の歌とpavane」で、伴奏は清水珠実ちゃん(高3)です。柔らかい手首のvibratoの奏法です。Couperinのstyleによる・・という副題がついているのですが、Titleは「Chanson Louis XⅢ et Pavane」というTitleで、日本語で「歌」と訳されているのは「Chanson」という単語なので、「歌」とはチョッと違うのかな??ルイ13世については、特徴の少ない王で、モンスト王とも呼ばれています。何故??と言われてもよく分からん。太陽王と呼ばれ(絶対君主を誇った)ルイ14世の祖父に当たる人です。それに、Kreislerが、ルイ13世を引き合いに出したのかも、Kreisler独特のウイットにしか思えないので、ルイ13世時代風の(1601年9月27日 - 1643年5月14日典型的な初期baroque時代に生きていた王です・・)、ぐらいのimageに捉えていてください。でも、和声的には、Renaissance時代の弱進行の和声法ですがね??

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