Antonio Vivaldi Concerto in mi minore (Il favorito)


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                               まえがきに変えて homepagebuilderのtroubleとserverのtroubleの経緯        

長年書き溜めていた「芦塚先生のお部屋」の論文を、[魔の2018年]の9月の29日に、server上の不要fileを削除していたら、uploadしていた論文の大半が失われてしまい、苦節、30年の長きに渡る研究論文が全て失われてしまいました。

その他にも、2017年の後半期の7月3日には、体調的にも色々な出来事が重なって、長期に渡って苦しめられて来た
「『鬱』をなんとかしよう!」と、江古田駅の直ぐ側に新しく出来たばかりの心療内科に、意を決して通い始めたのですが、処方される薬が処方を新たにされる毎に強くなり過ぎて、とうとう、bedから起き上がる事も難しくなって来ました。勿論、私は薬が強すぎる事を、先生には言っていたのですがね??

その処方薬について、調剤薬局の先生に相談すると、『その薬は、非常に強い薬で、一般的には仕事をしている人には処方されない薬』で、「寝た切りの老人か、入院患者等の、外で働いていない人達のための薬」であると言う事で、私の事を心配した薬局の人からのadviceに従って、通院をやめてしまいました。

勿論、
「病院を変えろ!」とか「通院をやめろ!」とか、adviceをされた分けではありません。
そう言った内容のadviceは、薬剤師の人達は(職業上)出来ないのでね!? 
飽くまでも、私の忖度なのですよ。

・・・と言う事で、鬱状態は保留のままで、8月の末には、心療内科への通院をやめたのですが、それから次の年(2018年)の9月に、
「homepageのtrouble」があって、それに加えて、「血尿が混じる」というcatastropheが起きてしまい、homepageの問題は、さて置いて、・・保留にして、緊急を要する「血尿」の検査に、《急遽、糖尿病で、之も7月から、それまでの10年以上通っていた近所の病院から、second opinionと言う事で、新しく通院を始めたばかりの》 光が丘の病院の泌尿器科外来に、緊急の検査入院をしたのですが、そこで、膀胱癌と腹部大動脈瘤の病気が新たに発見されて、急遽、緊急手術の予定になってしまいました。

最初の予定では、腹部大動脈瘤は、7㌢程の大きさでしたが、なんとか開腹をしなくても、「Stent graftでなんとかなる」・・というお話だったのですが、実際にCTで精密検査をして見ると、形状や大きさ等々に色々と問題があり、「Stent graftでは無理!」と言う結論になって、急遽、開腹手術をする事になってしまいました。
開腹手術になってしまいますと、年内の活動は一切出来なくなってしまいます。

「なんとか、Stent graftの手術で済ませられないのかな~ぁ?」と言う事で、光が丘の病院には、second opinionを申し込んだのですが、「何処に行っても、同じだよ!」と冷たく言い放されてしまいました。
勿論、どの病院の取説にも、「second opinionを推奨する」とは書いてはあるのですが、実際には、second opinionを申し込むと、そこはどの病院でも、少し、違うようですよね。

実際にsecond opinionを申し込んだ理由の一つは、心臓の検査に造影剤を使うと腎臓の機能がもう、限界に達しているので、他の病院で3DMRIをして来るので、造影剤の検査はしないように頼んでいたのに、それを無視して造影剤検査をしてしまったからです。
それに開腹の手術をする事の説明が、難しい手術になるので、・・という事でriskの話ばかりになって、自己保身の態度しか見受けられなくなってしまったからです。
医者に対しての不信が限界に達したからです。


それから、病院探しが始まりました。
開腹手術の日が決まっているので、time-limitの中での「病院探し」で結構、焦ってしまいました。

なんとか、腹部大動脈瘤の専門の病院を見つけて、検査のやり直しをして、「腹部大動脈瘤のStent graftは可能である」・・というお墨付きを貰って、発表会の前々日に緊急のオペをして、そのまま発表会に駆けつけて、orchestraの指揮をする・・という超、危険な離れ業をして、次いでに、12月のクリスマス会の直前に、膀胱癌の手術をして、Christmas会で指揮をする・・と言う、大変な冒険を、もう一度する・・という強行の日程を強いられてしまいました。

年も明けたし、これで万難を排して、良い年が送れるのかな~ぁ?と思ったら、それに更に、追い打ちを掛けるように、yahooが、採算の取れない「homepageの事業から撤退をする」・・という事で、「homepageのserverを3月の31日に打ち切るので、それまでに、privateのhomepageのserverを探してお引越しをするように」・・という一方的な通告があって、Rental-serverを探すのにも、そのhomepageのお引越しの作業にも、膨大な時間を費やしてしまいました。

2018年後半期のお話でした。

未だ、「芦塚陽二の闘病記」は再開出来ていません。どうしてもserverに送れ無いのです。
⇒ ・・・Rental-serverの取説ではなく、自分勝手に設定をやってみたら、なんとか、serverにdataが送れたようなので、「芦塚先生の闘病記」※)は見れるようにはなりは、なったのですが、未だ何一つ、内容的には、手は付けていません。昔のまま・・・です。)

※) 「芦塚陽二の闘病記」が「芦塚先生の闘病記」に名前が変更されているのは、homepagebuilderの設定の条件で、
「昔、使用したTitleが使用できない」・・という制約があるからです。
「芦塚陽二の闘病記」⇒「芦塚陽二の病床記」⇒「芦塚先生の病床記」⇒「芦塚先生の闘病記」とserverにuploadする設定を新しくする度に、その都度、名前を変えないとupload出来ないのです。
同じ名前ではupload出来ないらしいのです。
まあ、当たり前と言えば、当たり前なのかもね??


homepageの「芦塚先生のお部屋」のdataがぶっ飛んでしまって、曲の分析のPageが全く無くなってしまって、失われたPageへの修復だけの作業が続いてしまって、常設曲であるはずの「Antonio Vivaldi Violin-concerto in mi minore Il favorito RV277 Op.Ⅸn,2」の曲の解説のPageが、全く、見つからない・・・のですが、今回、2019年の10月の13日の秋の発表会にⅡ,Ⅲ楽章を美音ちゃんが演奏する予定なので、古いPageを探す事は諦めて、新たにPageを新設する事にしました。

・・・とは言っても、そのために論文を書いていては、何時になったらPageが出来るか?分からないので、なるべく早く生徒達がhomepageを閲覧して、練習の手助けが出来るように、取り敢えずは、Facebook等で今までに書いているIl favoritoに関する文章を、先ず、コピペして、取り敢えずは、お茶を濁して於いて、暫時、手の空いた時に、解説の文章を書き加えて行く予定です。
(2019年7月23日作業を開始しました。)







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総括


Ⅰ楽章


Ⅱ楽章


Ⅲ楽章

Facebookより抜粋

参考までに:



                               本文

 



                                総括

Vivaldi礼賛

VivaldiのViolin-concerto in mi minore Il favorito RV277 Op.Ⅸn,2という曲は、或る意味、非常に演奏の難しい難曲である・・という事が出来ます。

その技術的な難しさの中でも、特筆すべき点では、Ⅱ楽章の規則正しく繰り返される・・
(ん??単調に・・って?事??)和音上に、自由なrecitativoのようなmelodieを展開するのですが、soloのViolinの伴奏であるsoliのgroupが、melodieに句読点を合わせてしまっては、ensembleが壊れてしまいます。
室内楽やorchestraの曲での、自由な歌い込み・・というのは、超一流のorchestraが、非常に優れた指揮者の元でのみ、可能とされています。

しかし、Vivaldiが考えた自由な歌い込み、所謂、recitativo風の歌い込みは、淡々と無機質的に演奏される和音上に、小節の拍頭を合わせる事で、自由に歌うという奏法を考えました。
これは凄い事です。

つまり、Chopinの提唱するrubato奏法の演奏の極意を、Chopinよりも、150年以上も前に、時代の先駆者として、既に、実践しているのは、凄い!!

また、Vivaldiの和声法は、型に入った定型の和声法と、それを逸脱した、「破」の和声法、所謂、調性を無視をした無調による絵画的な描写に至っては、まさしく近現代の作曲家の和声法すら凌駕する、天才的な筆舌に尽くし難い技術力の持ち主でもある。

proの演奏家やorchestraにとっても、難しいこの曲を子供達が演奏するにあたっては、その練習方法を、工夫しfinaleに入力して、練習に当てました。

その楽譜も一部掲載して起きます。


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Ⅰ楽章

Il favorito Op.11Nr.2e moll Rv.277Ⅰ楽章Vivaldi17年4月2日芦塚音楽教室発表会

2017年4月2日芦塚音楽研究所千葉音楽教室の春の発表会の演奏です。
曲はVivaldiのviolin‐concerto Op.11Nr.2 RV277 e moll Il favoritoⅠ楽章、演奏はviolin‐solo萩元美音(小3)、basso continuo cello森真雅(小5)Cembalo太田千夏(高2)です。

Ⅰ楽章では、何でもない音の動きで、子供達が一人で練習していると何の問題も無いのに、orchestraの「合わせ」になった途端に、音が取れなくなる箇所が幾つも出て来ます。

これはVivaldi先生※)の生徒達を指導する上での、trickの作曲法に拠るのです。
※)Vivaldiを愛称を込めて「Vivaldi先生」と呼んでいるのは、指導者としてのVivaldiを意味すると同時に、生徒達に「過去の偉人」という遠い存在ではなく、今自分を指導してくれている身近な存在の作曲家である・・という認識をさせるための、私の教育上のtechnikによります。
子供の内から、VivaldiがVivaldiではなく、Vivaldi先生である事で、子供達にはとても身近で、親しみの湧く存在になります。
(勿論、他の作曲家達も同じように、呼んでいますが・・)


このtrickは、和声学上では、対斜(Querstand)と言う禁則となります。

Vivaldi先生は、Pietàの子供達を教育するために、よくこの禁則を使って曲を作ります。

その理由は、この対斜の禁則を敢えて使用すると、その箇所の音感が狂って、正確な音が取れなくなってしまいます。
それを克服して正しい音が取れるようになると、音感がとても正確になります。
私の作り上げた絶対音感訓練法の教則本と同じconceptの、Vivaldi先生の絶対音感訓練法です。

譜例は、対斜(Querstand)の音の表です。
対斜とは、異声部間で半音進行する事です。
同声部間ならばなんでもない半音進行が異声部間では、とても難しい進行になります。

『譜例参照:』

対斜は1stViolinの1拍目のド♮が2ndViolinの3拍目でド#になります。
また同様に、1stの3拍目のレ♮の音のために、2ndのレ#が取れなくなります。
doublebarの次は、1stのソ♮の音のために、2ndの4拍目のソ#が、ラ♮のために、ラ#が不正確になってしまいます。
対斜とは、同一声部で現れる場合には、対斜にはなりません。それは音の変化が、自分で意識が出来るからです。
しかも、1stのド⇒レの音の取り方を難しくしているのは、2ndのシ⇒ド#の短2度のぶつかりです。かなり強烈な非和声音の響きがするので、無意識に音を逃げようとしてしまうからです。
しかもVivaldi先生の嫌がらせは次の和音が全て完全4度のpureな音程になっている事です。
強烈な短2度の響きと完全4度の繰り返しは、感性を壊すには充分な響きです。

「下の対斜の一覧参照」


距離のある同一声部の半音進行です。1stを除いて和音の響きを聴く練習をして、完全に純正の和音の響きが出来たら、それから、1stを入れると早く練習を進める事が出来ます。

五度圏(quint-Zyklus)に半音階の進行が入って来た例です。

当然、最初は基音soloのシ⇒ミ⇒ラ⇒レ⇒ソ⇒の動きと、Baßのミ⇒ラ⇒レ⇒ソ⇒ド⇒の五度圏が完全五度で進行します。純正の五度のpureな響きを聴き取りながら、演奏しなければなりません。

それが出来たら、内声の半音階の進行を入れます。
これが、基本中の基本の練習になります。
内声のソ#⇒ファ♮、ド#⇒シ♭、ファ#⇒ミ♭、シ♮⇒ラ♭と増2度の進行が続きますが、baroqueの時代ではこの進行は極めてgypsyっぽくって珍しいのです。
一般的ならば、ソ#⇒ファ#⇒ミ♮、レ⇒ド#⇒シ♮⇒のように、diatonic(全音階的)な進行の方が時代背景的には普通なのです。

下の段の楽譜は、Sequenzされた転調の練習になります。
C Dur⇒d moll⇒e moll⇒**と単純に2度づつ上がって行くのですが、Vivaldi先生の嫌味は、Durからmollへと調性を変化させているので、単純に2度づつ上がっているのではない・・という事なのです。
つまり、そこがVivaldi先生の「一捻り」です。




対斜が半音進行で非常に速いペースで出て来ます。
この段階は相当、音感が出来た生徒だけしか演奏不能でしょうかね?

「この練習が難しい??」「簡単だと思うけれど??」
・・勿論、純正でなければ、そんなに難しい課題ではないのですが、baroque時代の和音の基本は純正なので、これは難しい。

私達の教室の場合には、2回オケまでは、bowingを揃えて、音の粒とpitchを揃える所までです。

純性の和音の訓練は、3回オケから始まります。
D Durの三和音は、早い時期に結構、美しい和音を弾けるようになります。
しかし、e mollやf moll等のmollの和音、所謂、短三和音の響きは、上級生でないと難しいのですよ。


Vivaldiは初心者の教材のように勘違いをして、馬鹿にしている音楽家が多いのは、嘆かわしい事なのですが、それもその演奏家の水準を表しているのに過ぎないので、「Vivaldiの音楽を馬鹿にする」という事は、自ら、墓穴を掘っている事になります。

音楽はapproach次第でどの様にでもNiveau=水準を上げて行く事が出来ます。
sonatine albumが正しいforte-pianoのtouchで演奏されているのを聴いた事がないので、音楽大学の楽器博物館でforte-pianoの研究をやっている人に、「模範になる演奏をしているCDを紹介して!!」と尋ねたら、「未だ、そんな人は世界的に未だ、いない!」「そんなCDは発売されていない」と言う事でした。

それは研究者達の穿った考え方のように思われるかも知れませんが、実はちゃんとした、理由があるのです。
その根本的な理由は、当時の演奏法や演奏形態の研究はとても進んで来たのですが、演奏に関しては、大きな壁があるのです。
その一つの理由は、楽器自体にあります。

生徒達に本当のforte-pianoのtouchを教えたいので、forte-pianoを作って欲しいと頼んだら、「今はforte-pianoは、ちょうど、Cembaloの1970年代ぐらいに相当するので、ちゃんとした、forte-pianoが作られるようになるまでには、後30年は掛かると思うよ!!後30年は、待って欲しい」との事でした。
後、30年後に私が居る分けないじゃないの??アハッ!

もう一つの課題は、forte-pianoが実験的にであったとしても、作っている楽器製作者はいるので、そこからforte-pianoを手に入れる事は出来ます。

しかし、forte-pianoを演奏する演奏者の方が、子供の時代から、double actionの楽器でPianoを学んでいるからなのです。
つまり、touchがdouble actionのtouchしか、出来ないのですよ。

それがforte-pianoの演奏者の音がキンキン、キャンキャンしている理由なのです。
それを素朴に質問すると、「当時の楽器は未完成だったので、そんな音しかしないのよ!」という答えでした。
そんな事を言うのならば、forte-pianoなんか、弾くなよな~ぁ??

You TubeでChopinのforte-piano(Chopinは生涯、double actionのPianoを弾く事はしませんでした。自分のPleyelのPianoを愛用していて、生涯をsingle actionのPianoしか弾きませんでした。)の演奏を誰でも弾く事が出来て、proやamateurの人達が演奏をしているのを、You Tubeにupしてありました。

多くのproのpianist達がChopinのforte-pianoをキンキン・ジャランジャランとした音で弾いている中で、極々、稀にamateurの人がとても美しい音で演奏している人がいて、驚かされてしまいます。

amateurはimageで音楽を捉えるので、touchではなく、音でPianoを演奏するからなのでしょうかね??
URLを載せておこうと思ったのですが、見つからないので、またの機会にします。






Ⅰ楽章の模範演奏をYou Tubeで探して見たのですが、見つかりませんでした。

Ⅱ,Ⅲ楽章をとても上手に演奏する団体も、Ⅰ楽章はeccentric(エキセントリック=奇妙な)な演奏をしています。
学者特有の思い込みの演奏です。

Ⅱ,Ⅲ楽章はとても上手なperiodの演奏団体もⅠ楽章のinterpretationには、少し問題があります。

その理由は、文献に書かれている内容を再現すると、そのような演奏になってしまうからです。

江戸時代には、キリンやライオン、象等を人々が見た事が無かったので、想像で書いた絵が発売されていました。

キリンや象やライオン等、今見ると、超、面白い絵なのですが、見た事がなければ、想像に頼る他はありません。
でも言葉で言い表したものを、そのまま絵に表現するとそう言う絵になっても不思議ではありません。
『百聞は一見に如かず』なのですよ。

baroqueのperiodの演奏でも大差は無いのですよ。
それを、realな現実の物に近づけるためには、どういう努力をすれば良いのでしょうかね??
文献から一度離れてmelodieのarticulationや拍節法を考えて、自然な表現を思い起こして見れば、とても優れた表現法が浮かびあがります。
それから、逆に、それを伝達するための言葉での表現を考えるならば、どんな人達でも古人の書いた文章の意味が完全に理解出来るはずなのですがね??

notes inégales(inégales奏法)も舞曲として捉えれば当たり前のrhythmなのですよ。swingして当たり前のrhythmなのでしょうがね~ぇ??

当時の論文は当たり前の演奏の事を当たり前に書いているだけなのです。

それを、書かれた文章を極端に表現する事で、その解釈を信じている学者演奏家の先生達は言います。
「でもこういう風に書かれていたのだから、そう弾かれるべきである。」と・・・!!

学者さん達は、言葉に頼る他は無いのでしょうが、私達には、もう少し幅の広いapproachの仕方があるのですよ。
どうして、皆さんは、それに気付かないのかな~ぁ??




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Ⅱ楽章

Il favorito Violin-concerto in mi minore RV277 ⅡⅢ Vivaldi period‐style
古川紗來(13歳)芦塚音楽千葉教室

2019年10月13日(日)芦塚音楽研究所千葉音楽教室秋の発表会の演奏風景です。
曲はVivaldiのViolin-concerto in mi minore Il favorito RV277 Op.Ⅸ No.2のⅡⅢ楽章です。
soloの代奏演奏は古川紗來(13歳)中1です。

曲の選曲のお話なのですが、私が子供達を指導する時には、その生徒の個性(持ち味)を育てる曲を選曲します。

この曲は演奏のtechnical的なapproachは然程ではないのですが、歌い込み(所謂、rubato奏法)が異常に難しくて、「美音ちゃんの持っている独特の歌い込みの感性を育てる」という意味だったのですが、『美音ちゃんが発表会に出演する事が出来ない』・・という事が確定した時に、「紗來ちゃんでもこの曲の演奏は技術的に無理❢❢」という事で、(これまでは教室としてはprogramをcutする事は殆どないのですが、)今回、この曲については例外的に、曲をポシャらせる事にしました。

通常は曲をポシャらせない・・という意味は、曲を勉強するのはsoloの生徒だけではないからです。orchestraでbackで演奏をしている生徒達も、同様に曲の勉強をしているから、その努力を無にしないために・・という配慮からなのです。

しかし、この曲の場合には、課題がⅡⅢ楽章とも、rubato奏法が課題だったので、代奏は無理という事で、教室の方針としては、曲をprogramからcutする方針だったのですが、しかし、紗來ちゃんが「頑張るので、代奏をやらせて❢❢」と懇願して来たので、急遽、変更の変更をして、そのままprogram通りにこの曲の演奏をする事にしました。

超、難関のrubato奏法・・・・(soloが幾らtempoやrhythmを揺らして演奏しても、オケbackの演奏はtempo通りに刻んで演奏するのです。絶対にsoloに合わせる事はしません。

・・その理由は駅の待ち合わせと一緒で、お互いが相手を探したら永遠に逢えない事になってしまうからです。)
・・・オケbackも、solisteも、お互いを聴かないで(・・合わせないで)演奏するのですが、小節の拍頭はちゃんと合わないとそれこそ大変な事になってしまいます。

『ensembleというものは、お互いをしっかりと聴いて、合わせる事が大切である』という事を学びます。
しかし、この曲では、その逆をやらなければなりません。
しっかりと聴いて合わせてしまってはrubatoが出来ないからです。

rubato奏法の妙技と言える超難度のtechnikです。
代奏なので、僅か2週間しか期間が無いのにも関わらず、紗來ちゃんは良く頑張ってrubato奏法で演奏しました。

それにしても、冒頭のe mollの3度の響きが難しくって、中々理解出来ません。
mollの純性の3度の響きは覚えるのが難しいのだよなぁ??

イントロの3人の入りのtimingが揃わないのは、二つの間違いがあります。
その内の一つは、耳でお互いのpartを聴いて合わせようとする事です。
「音を聞いて合わせてはダメ」と言い続けているのにも関わらず、soliで離れて音を合わせるには、ついつい不安になってしまうからです。

二つ目の間違いは、指揮の見方の問題です。
指揮には、振り下ろしたpointで合わせるのが普通なのですが、もう一つの合わせのtimingは振り下ろして跳ね上がって止まった位置で合わせる合わせ方です。これは柔らかい頭をaccentをしない場合の遅れて来るような振り方なのです。
曲のimageが柔らかい膨らましの弾き方なので、どうしても跳ね上がったpointで合わせてしまったようです。

これは指揮をする以前の約束事で、どちらのpointで合わせるのか・・を決める事なので、約束事を忘れなければ良いだけなのです。

3人のsoliが合わないのは、指揮を見て演奏するtimingの問題なのだけど、今回のⅡ楽章の指揮では、振り下ろした下のpointで合わせなければならないのに、曲のimageから、跳ね返った上のpointで合わせてしまったからなのです。
全員が上で合わせるのならば、ズレないのだけど、1人だけ上で取るとこう言う事になってしまいます。
何十年も言い続けている事なのに、チョッと自信が無くなると、ひょろっと悪い癖が出てしまうのは困ったものです❢❢

このⅡ楽章のennuiな感じを中学生になったばかりの紗來ちゃんが演奏するのは大したものです。アハッ!

それに3楽章の桃迦ちゃんもこの超難度のtempoの「揺らし」所謂、「端折りの奏法」に良く耐えて、指揮を見て合わせる事が出来ましたぞよ❢❢ エラいゾ❢ エラいゾ❢❢



Ⅲ楽章の3拍子のrhythmも、超難しい!!

3拍子のrhythmは、基本的なtempo justな正確に打つrhythmと、「揺らし」を伴う舞曲の3拍子のrhythmがあります。
それに更に加えてinégales奏法による(舞曲の)細かいrhythmの「揺らし」・・、この場合には分かり易くswingという言葉を良く使っています。

baroque時代の音楽の形式は、基本的に教会sonate(kirchensonta)の形式と、室内sonate(kammersonata)の形式があります。
教会sonateの形式では、対位法的な複音楽(polyphony)的な主題が基本なのです。

それに対して室内sonateの形式を使用する場合には、各楽章毎に舞曲の形式を取ります。

Vivaldiの四季の秋の3楽章も、舞曲の3拍子で、ländlerのrhythmで作曲されています。

また、3拍子の舞曲では、より民族音楽に近いländlerから、近現代のWaltzに至るまで、3拍子の中に突然2拍子が紛れ込んで来る事があります。
danceの基本で、3拍子で踊っている間に、突然、2拍子が紛れ込んで来る事がありますが、これはdanceのstepによるものなのですが、これを音楽学的に言うと、所謂、hemiolaの奏法と言います。
音楽を舞曲として捉えていると、極々普通なのですが、音楽には舞曲というgenreがある・・という事を理解しないで演奏しているとこのhemiolaは非常に難しいrhythmになってしまいます。

通常では3拍子に書かれている拍子を2小節を一括で3+3を6拍子にしてそれを2+2+2と2拍子で弾くのが一般的なのですが、Vivaldiのこの曲では、3拍子に書かれている小節の2,3拍を端折って2拍子に演奏します。
Wiener Walzerのように、3拍子ではなく、1.5+1の拍子で演奏するので、超難しい事になります。

それにしても、Kontrabassの3人は始めて組で、3回オケに初挑戦なので、余りにも曲数が多くて、流石に、バテ切って意識朦朧としているのが、なんとも可愛いです。

良く頑張っている!!と褒めてあげよう。

今回の発表会で演奏するVivaldiの「四季」の「秋」の3楽章のthemaも、2拍子取りの3拍子と、3拍子取りの3拍子が混在しています


このhemiolaの奏法は舞曲の場合のみの奏法なので、舞曲の3拍子と普通の3拍子の違いを表現する事も、結構、period奏法の一つのthemaで、結構、演奏としては、難しいのですよ❢❢



Ⅱ楽章について

Ⅱ楽章は、淡々とsempliceに繰り返される和音をbackに、soloのViolinがRecitative 風の訥々としたpassageを展開して行く。
その動きはrecitativo(お喋り)のように、早くなったり、遅くなったりを繰り返して、rhythmに乗る事はない。
Vivaldiの即興風のmelodieで、面目躍如とした楽曲なのだが、tempoの中に入って来るためには、とても難しいrhythm感覚が必要になる。

この2楽章に関しては、とても良い模範の演奏を見つけました。
Il favorito Ⅱ,Ⅲ楽章


この演奏では特にⅡ楽章のrecitativo風の演奏で、畳み掛けるようなaccelerandoや、間の取り方等がとても見事な演奏です。
Ⅲ楽章のad libitumな箇所も、拍を詰めて、恰も2拍子のように演奏をしているので、
「伴奏はどうしているのかな?」と注意して聴いて見ると、Laute(リュート)のarpeggioのように、和音で弾くだけでした。(まあ、それも有り・・か??)

Vivaldi Il favoritoⅡⅢ楽章芦塚先生の夏休みのlecture-lesson美音(小5)
19年8月9日芦塚先生の東京豊島区椎名町教室でのlecture-lessonの風景です。

Il Favorito Vivaldi 芦塚音楽教室第9回目のオケ練習美音(小5)

この練習風景のvideoは、9回目19年の7月14日のオケ練習の風景です。
このvideoは元来は、公開する予定ではなかったのですが、homepageのVivaldi Violin-concerto in mi minore Il favorito RV277 Op.Ⅸn,2のPageが紛失していたので、急遽、今回の秋の発表会に向けてIl favoritoのPageを新設する事にしました。

その過程でIl favoritoの練習の事にも話が及んだので、急遽、この動画をhomepageに掲載するために、You Tubeにuploadする事になりました。

公開をする予定ではない動画なので、homepageからのみの非公開設定にしても良かったのですが、折角uploadするのならば、一人でも多くの人に聴いて欲しいと言う事で、公開のままにuploadする事にしました。

updateの日は、2019年7月25日のuploadです。
10回目のオケ練習も既に終わっているのですが、未だ編集の作業はしておりませんので、代わりに第9回目の練習をuploadします。

全体の練習の回数は14回なのですが、既に、夏休みに入っているので、次回のオケ練習は8月の末まで、ありません。
第9回目、10回目の練習は、夏休み前の最後の練習・・という事になります。



Il favorito 6月30日の第7回目のオケ練習の風景です。(美音小5)
Ⅱ楽章はsoli組の演奏なので、私が指揮をしないで子供達が弾き振りで演奏するように言ったのですが、「指揮無しでは、とても無理!」と、子供達がclaimを言ったのだけど、確かに、「弾き振り」を子供達にさせた事は未だ無いし、室内楽の練習でも、eye contactの練習が未だ、上手に出来る状態ではないので、一度だけ、私がViolaに入って「弾き振り」のlectureをしています。



2019年6月9日第4回目のlecture-lesson風景です。
未だ、recitativo風の書かれた音符に対して、譜面通りに弾くだけが精一杯の状態の演奏です。
ここからが、練習のstartと思ってください。




美音ちゃんの練習のために、ViolinのsoliのpartをPiano伴奏にtransposeをしました。

Vivaldiに限らず、baroqueや古典派の作曲家の曲では、Ⅱ楽章は、soli(solo群=通常はViolin2台とViolaが担当します。)とsoloだけで、通常のオケ練習で、Ⅱ楽章を練習していては、オケのmemberにとっては、休み時間になってしまうので、時間の無駄なので、solo組だけの別枠で練習をするのですが、1日で全ておオケの練習をしなければなりませんので、solo組の練習をViolin2名とViola1名だけのために作る事は出来ません。

しかし、別の日にsolo組や、basso continuo組の練習を組む事は、生徒達の時間的に不可能なので、取り敢えずは、今回は、美音ちゃんのために、Piano伴奏譜を作って起きました。

但し、Pianoの伴奏者は、soloのad libitum(自由)な演奏に合わせて、伴奏を弾いてしまっては、美音ちゃんの練習にならないので、Pianoの伴奏者は、Metronom等で、淡々とした単調なrhythmを、演奏して、それに美音ちゃんのViolinのsoloが、自由にのびのびと歌って行かなければなりません。

そういった、所謂、rubato奏法の極意が、この曲の練習課題なのです。※)




前奏の5小節を省いて、練習を開始しています。Pianoの伴奏と違って、純正のharmonyでの伴奏なので、melodieのlineが変わります。

Il Favorito Vivaldi 芦塚音楽教室第9回目のオケ練習
Ⅱ,Ⅲ楽章の通しの練習風景です。




※)このお話は、昔々に、実際にあったお話で、私もその現場にOrganのregistrationのお手伝いで行っていた時のお話なので、homepageにも、rubatoの説明として、何度も書いた事なのですが、・・・・音楽大学を卒業したばかりの歌の人が目白のcathedraleのpipeorganの伴奏でSchubertのAve Mariaを歌う事になって、私の友人のorganistの人が伴奏をする事になりました。
Ave Mariaの歌の中で、kadenzとでも言うのか、melismaの部分を、歌の人がorganistに、「自分の歌を聴いて、合わせて欲しい」と注文を付けていました。
organistが、「Organは実際にtouchをしてから0.5秒後に音が出ます。だから、あなたがどういう風に歌いたいのかを教えてくれれば、そのように伴奏をします。」と説明をしたのだけど、「だって、どういう風に歌いたいのかは、歌って見ないと分からない。」と言って駄々をこねていました。
organistは困りきっていましたがね~ぇ??歌や、Pianoの人達は、rubatoの原則を学んではいないのだから、致し方ないのですよ!!




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Ⅲ楽章

この3拍子の舞曲のrhythmは、基本的には、2拍子で指揮をします。

指揮法で言えば、down⇒右⇒upという3角の振り方ではなく、down⇒up⇒upのように、恰も2拍子のように振ります。

舞曲の場合には、2,3拍が詰まって、恰も2拍子のように聴こえるからです。

このIl favoritoのⅢ楽章は、「四季」の秋のⅢ楽章と全く同じrhythmなのですが、「秋」では、収穫の時の楽しい農民達の踊り(ländler)を表しています。
rondoのAの中のa,b,aのaの次のbのpassageは、通常の3拍子で演奏して、themaAに戻って、再び楽しいdanceの2拍子のrhythmになります。

その作り方は、このIl favoritoのⅢ楽章も全く同じで、勿論、同じimageで演奏します。









このViolinのsyncopationは、畳み掛けるようなimageが良く表現されています。
down、up、upという伴奏の詰めるようなrhythmに良くmatchしています。





このMotivのthemaは、themaに良く似ているのですが、2小節目の2拍目から次の小節の頭迄は、legatoになって、柔らかく演奏します。とても素晴らしいcontrastは、legatoで表現されなければなりません。














参考までに:Vivaldiの秋のfacsimile譜です。



Facebookより抜粋

なんと、今(午前11時)の練馬区の気温は体感温度39℃だってさ!
湿度73%だって!!
実際の温度は31℃で30℃超えだってよ。たまんね~よな??
・・・てな事を言っていたら、気温が更に32℃に上がっていた!!

確か・・クーラーを入れたままに横になって寝ていたはずなのだが、仮眠をしていて、余りの寝苦しさに、toilette-timeに起き出した次いでに、パソコンを付けて(部屋の窓の温度ではなく、外の・・)練馬区の温度を確認してみたら、なんと、温度は32℃迄、1℃だけ上がっていた。
・・・って事で、室温と体感温度は39℃のままなのだけど、1℃上がっただけでも、体感的には、熱く感じるよな??


「演奏譜作成への経緯」

今日はVivaldiのIl favorito のCembalo-partが余りにも酷いので※) いつもの通りに、continuo-CelloとCembaloのpartを作り上げて、私が前に指導してfinaleで演奏法を入力したViolinの弾き方がscoreに反映されていなかったので、basso continuo組と言う事で、soloのViolinのpartに細かく書き込みました。

※)Ricordi版に限らず、baroqueのconcertoのorchestraのCembalo譜を、出版されている楽譜をそのままに演奏するproのorchestraの団体はありません。
つまり、出版社にとっても、演奏者にとっても、Cembaloのpartは、飽くまでも、参考に書かれているのに過ぎません。
演奏は基本的にCembalistが即興で演奏します。(私も、自分でCembaloのpartを演奏する時には、数字譜を即興で演奏する方が楽なのですが、生徒達に演奏させる時には、そうは行かないので、出版されている楽譜で演奏をさせる事にしているのですが、その出版されている楽譜が、飽くまでも「参考までに:」という譜面なので、余りにも酷い数字譜である場合が殆どで、練習をしている間に、段々と辛抱出来なくなってしまい、ついつい自分で数字譜を書いてしまいます。(当然、自分がCembaloのpartを弾くのであれば、譜面には起こしませんが、生徒達のためには楽譜が必要になるので・・)
・・という事で、今回も、Ⅲ楽章のCembaloの譜面を作ってしまいました。
⇒そのCembalo譜を土台にして、Violin-soloの即興演奏の演奏譜を作ってしまいました。

ぶっ飛んでしまったhomepageのdataにIl favoritoのPageを探したのですが、見つからなかったのですが、(この曲は今回の発表会で演奏予定の曲と言う事で、・・・それに、練習も夏休みの明けの日曜日に、後1回で終わりなので、)気長に探す時間はもう、ないので、「timelyに!」という事で、Pageを新設する事にしました。
本当は、第8回目、9回目、と、先週の第10回目の練習風景の動画をuploadする予定はなかったのですが、Il favoritoの論文を掲載する時の解説上の都合で、急遽、先々週の第9回目の練習風景の動画をuploadする事にしました。


「子供達の技術的な水準と教育の水準の違いについて」

一般的には、教育の現場では、全てのjanreの勉強の水準というのは、そのgroup自体の水準ではなく、その指導者が与えるlectureの内容のNiveauで、そのgroupの水準の高さが決まります。

つまり、指導される側の生徒達の水準や勉強の達成能力は、その生徒達の持っているmotivationの水準で決まるのです。
少年少女のorchestraでは、何処のorchestraでも、auditionで出演者のlevelを統一して、生徒達のlevelやmotivationを統一してからなの練習を開始します。
そうしないと、集団の指導は出来ないからなのです

まあ、音楽大学の受験も或る意味では、auditionでもある・・と言えるかも知れません。
音楽に進む生徒のlevelを統一する事で、先生達の指導が容易になるからです。


教室のorchestraの公開演奏を聴いた人達の多くが、orchestraを演奏している生徒達が、auditionでselectされた(選び抜かれた)生徒達である・・と思い込んでいるようなのですが、教室では周知の事実なのですが、実際には、音楽教室全体の生徒数が非常に少ないので、orchestraに参加したい人達が、各自任意で、申し込んで、orchestraに参加しているのですが、その事を、見学に見えられた人達に説明すると、「どうして、そんな任意に参加した子供達を対象にして、同じ水準の曲のlectureが出来るのですか?」と質問される事がよくあります。

一般ではauditionをした生徒達を、更にgrade別にselectをして、group別に曲のlevelを決めて、それで練習を始めるのが普通なのです。
つまり、生徒の技術levelを揃えて、そのlevelに合った曲を選曲してから、練習に入ります。
マスコミ等のback・upの入っている団体の場合には、更に曲をそのgroupに合わせて編曲をして練習をします。(マスコミ対応のorchestraの場合には、曲をarrangeするのが一般的だからです。・・・そこは、本当のClassicの演奏団体とは、全くapproachが違います。)
と言う事で、テレビ等に出演している団体の練習、所謂、指導は簡単なのです。

教室の場合には、演奏する子供達のlevelはまちまちなので、指導するlectureの内容を、一人ひとりの子供達の水準に合わせて、個別にlessonをして行けば良いのです。

或る程度、それぞれの子供の技術的なNiveauを上げてから、全体の指導をすれば良いだけなのですよ。
唯、残念ながら、教室の練習の日程では、個別にlessonをするだけの、時間はないので、それは理想論になってしまうのですがね・・・・??
アハッ!


「Il favoritoのⅢ楽章のrecitativo風の演奏・・ad libitumな演奏について」
Ⅱ楽章は、ad libitumな即興風に演奏をしなければならないのですが、「自由に歌う」と言う事は、「自由なrhythmで歌う」という事ではないのですよ。
単調に淡々と演奏して行く伴奏の和音に乗って、自由に歌い込んで行かなければならないのですが、
拍頭では、必ず全体の演奏が合わないといけません。
自由に狂わせたrhythmを、正確に拍頭で合わせる・・という事、それが至難の技なのですよね。


・・・と言う事で、本題のIl favoritoのⅢ楽章の解説なのですが・・・・

本文の中でも書いたように、VivaldiのⅢ楽章の場合には、(特に農民の踊りの場合には)3拍子をhemiolaで、(恰も2拍子のように)演奏します。
これはswingのようなものなので、正確な3拍子なのではありませんが、舞曲の2,3拍目を詰めて弾くという事が舞曲の場合の定石なのです。

WienphilのWaltzの弾き方に見受けられる1拍目を詰めて弾く奏法も、ländlerのrhythmにrootsを持つ舞曲(円舞曲)のrhythmの特徴になります。
danceの出来ない音楽家の場合・・というか、特に3拍子を弾けない日本人に取っては、このhemiolaのrhythmは非常に難しい演奏不能の奏法になるのです。



・・・と言う事で、昨日は、チョッと思いついて、千葉に行く前に、ad libitumに歌わなければならないhemiolaのrhythmを・・・、というか特にsolo-violinの
「自由な即興的なrhythm」を、finaleで音符に書いてprint outして見ました。

即興風の演奏を譜面に置き換える(演奏譜にすると・・)と、音符やrhythmが細かくなってしまって、表記上は、逆に、難しくなってしまいます。
恰も2拍子のように弾く箇所と、3拍子のままで演奏する所とを細かく決める事が出来るので、演奏上は楽にはなるとは思いますがね??

美音ちゃんには、楽譜で即興する箇所を、弾く音符に書き直した楽譜は、逆に少し難し過ぎたのかな??
(感覚的に弾いた方が楽なのかな??)

左の楽譜の奏法なのですが、冒頭の4/4拍子(124小節目)は書かれたritenutoのtempoで、緊張が溶けた所です。
次の3/4拍子の頭の拍を拍子よりも少し伸ばし気味にして、次には2拍取りで、23拍を詰めて演奏します。

248小節目で拍が崩れて129小節目からは3拍子に戻りますが、少しだけ23拍は詰め気味に演奏します。
133小節目からは、一気にfermataに向けて加速させて行きます。
138小節目からはthemaの再現なので、ritornellolでのthemaのtempoのままに演奏します。

言葉で説明しても複雑怪奇で、言葉で理解するのは難しいのかもしれませんよね??
この場合には口伝の方が簡単ですよね??






Ⅲ楽章の演奏も先程の演奏団体の演奏をupしておきます。
参考までに:

2019年6月10日

教室を作るず(づ)~と前の昔々の話しになるのだが、その頃、小さな子供の頃から芸大の先生に師事していた女の子で、私の所には楽典や音楽理論を学びに来ていた生徒なのだが、彼女のたっての頼みで、BeethovenのSonateの下見をする事になって、lecture-lessonをしていたのだが、その生徒が或る時に、息を弾ませて私の所にやって来て、「先生と全く同じinterpretationのpianistを見つけました。」と言って、recordを持って来た! 
(何と、当時は未だrecordの時代だったのだよ!)

二人でrecordを聴きながら、「次の小節はPianoにして!」とか、「次はfeintを掛けて!」とか言いながら、そのようにその演奏家が弾いているのを聴いて、二人して、ケタケタと笑っていたのだよ!!

しかも、その演奏家は、「情緒的・感情的に演奏する」・・という事で、悪評のあるArtur Schnabelという名演奏家なのだ。Schnabel版という彼の校訂した版があるくらいの、Beethoven弾きとして有名な演奏家である。


「笑った!」というのは、その悪評の「情緒的、感情的な演奏」が、私のinterpretationと全く同じで、まるで私のlessonを、copyをしたように、解釈が一緒だった・・と言う事なのだが、視点を変えて解釈すると、・・「それが同一の解釈になる」・・と言う事は、Schnabelの演奏が、一般の人達(この場合の一般の人達というのは、海外の音楽界の著名な評論家を含めて・・という話なのだが・・)が言うように、「Schnabelの演奏は、感情的で、情緒的で刹那的な演奏である」とすると、よその国の歳も違う私の解釈と全く同じになる分けはないのだよ。

つまり、・・・だから、実際には、Schnabelは、「あたかも、情緒的で感情的なように表現して、演奏しているのに過ぎない」のであって、曲に対しての解釈自体は、論理的で、理性的、理知的な分析に拠る、演奏表現・情緒的な表現にである・・と言う事なのだよ。


※)舞台での演奏表現については、別項目で述べる事にする。

Artur Schnabelに関しては、今、現在でも、情緒過多の表現をする感情型の演奏家として、把握され、理解されていて、頗る論理性に欠けた、情緒的・感情的な演奏家とされているのが、日本だけではなく、海外でも今でも一般通念である。

私がBeethovenのSonateを作曲家としての立場から、論理的に分析し、そのBeethovenの作曲技法から、このSonateはかくように弾くべきである・・と主張する演奏法の解釈と、Schnabelの解釈がcopyをしたように、同じである・・と言う事は、Schnabelが決して、情緒的・感情的な表現に溺れる演奏家でない事は、自明の理なのだが、相も変わらず、未だに、Schnabelがそういう評価を受けている事は、私に取っては、理解不能である。


何度も繰り返しになるのだけど、感情過多の表現が、他の人のinterpretationと共通の認識になる事は有りえ無い事だからである。

そのお話を何度も繰り返した意味は、古楽の研究をするようになって、こんにちに至って、非常に優れた古楽器奏者が出て来るようになって、喜ばしい反面、非常に困る事があるからなのだよ。

それは、You Tube等で聴く優れた古楽奏者の演奏が、私のinterpretationと全く同じ解釈・・という演奏を多く見受ける・・と言う事なのだ。

古楽の演奏の世界は、1990年頃からの、未だ、未発達の若い分野なのだが、古楽器の研究者は、未だにtraditionalではなく、時代の最先端の研究家であり、そのために、古楽器の演奏家は、同時に古楽の音楽の優れた理論家である場合が多いからなのだ。
それは、古楽器の演奏自体がtraditionalではなく、未だに最先端の研究に属しているからなのである。


つまり、古楽器奏者が、情緒的・感情的に演奏しようとも、古楽器の演奏法自体が、論理的なinterpretationに拠って、導き出されたものであるから、当然、どのように、情緒的・感情的な解釈を加えたとしても、根本的な基礎の部分では、理論的に導かれた上での音楽的な解釈である分けなので、一見すると情緒的な演奏に見える演奏であったとしても、interpretation自体は、古楽器を研究する我々と共通の認識になる事の方が多いのだよ。

つまり、古楽器奏者の音楽の解釈の場合には、その奏者の個性や情緒に拠るものではなく、論理性に拠るからなのだ。


Vivaldiを生徒達に指導していて、模範演奏を探していると、時折、困ったぐらいに同じ演奏をして来る団体を見る事が出来る。
しかし、未だ有り難い事に、非常に優れた演奏団体であったとしても、曲のinterpretationは、包括的には確立されてはおらず、未だに、一曲毎のinterpretationであるので、同じ演奏団体であったとしても、一律に曲のinterpretationの水準がキープされている分けではないので、「Vivaldiの演奏、解釈ならば、**の演奏団体がbest-choiceである」・・と言う風に、演奏団体が特定される事は、未だにないので、教室の生徒達の演奏の価値も未だにあるには有るのだが・・??

しかし、それが一般的になって、独自性や、価値が無くなってしまったら、私のinterpretationの必要性は、全くなくなってしまったりして・・・アハッ
それも、困ってしまうよな~?

(追記)
今回の「秋の発表会」の演奏では、子供達は、Vivaldiのe moll(Il favorito)や、Vivaldiの四季の「秋」の演奏では、紗來ちゃんが、soloのViolinを即興風に演奏をする事に挑戦する。

「秋」の場合には、basso continuoのCelloとCembaloも、一緒にtempoを揺らすのでensembleとしてのgroupとしての練習が必要なのだが、美音ちゃんのVivaldiのViolin-concertoの「Il favorito」の2楽章の場合には、ostinatoの「ViolinⅠとⅡとviola」のsoliが、tempoを揺らす事無く淡々と4beatで演奏する中での、即興風のつぶやきのようなtempoの揺らしを演奏して行くので、その演奏は非常に難しい。
soloが適当にmelodieを揺らして演奏して行って、Violinとviolaがそれに併せて伴奏する・・という分けではないからだ。
ostinatoは、tempoをgiusto(正確)に演奏しなければならないからである。

また、Stamitzのviola-concertoでは、瑞希ちゃんが初めてのeingang(episode)の即興に挑戦する。
教室として、いや私が出した課題ではなく、本人が、「自分でepisodeを作りたい」との希望だからである。(kadenzではなく、eingangだよ!!)

綾乃ちゃんのKontrabassのconcertoもscordaturaで、tuningをしていたら、智子先輩が「え~っ、scordaturaなの??」って、目を丸くしていたよ。
soloの譜面の音符と実際に出て来る音が一致しないからだよな??
いずれにせよ、皆さん、難しい事に挑戦なのだよな??
羨ましい限りである。

私も子供時代にそういう風に学びたかったのだが・・ね???
私の子供時代には、私をそういう風に指導してくれる先生がいなかったのだよ!!

















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参考までに:











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