Vivaldi 四季より「夏」

Il cimento dell'armonia e dell'inventione Op.8 Nr.1ー4 Le quattro stagioni L'Estate

(『和声と創意の試み』RV 315 四季より「夏」)



Facebookより

3月24日 ·



今日は3月の24日の火曜日、歯医者の日です。
VivaldiのLe quattro stagioniのL’Estateの楽譜のcheckをしながら、いつもの通りに、出版社違いの音符の違いや表情記号、或いはbowingの違いに悩みながら、日曜日の自治会館でのrehearsal のvideoを見ながら、「もっと分かり易い新たらしいinterpretationを、生徒達に伝達する表現方法はないのか??」と自己反省をしながら、指揮の仕方をcheckしたり、tempoの設定の試行錯誤を考えながら、演奏表現に関しての譜面を作ったり、表現の方法を考えたりして、「どうすれば私のimage通りに演奏してくれるのか??」を考え中なのです。

Ⅱ楽章のtempoのtimingは、rehearsal で指揮で伝えるように頑張って見たのですが、やはり集中力が持続しなくて、flyingが続発して、指揮だけで不可逆的なtempoの設定を伝達をするのは限界があって、前回の八千代のコンサートでの折衷的な指揮は、やむを得ない安全策であった・・と今更ながら思いました。
八千代では、『今一つの工夫が足りなかった』・・という事だよな??
今回の発表会での演奏の場合には、指揮の小手先技のtechnikに頼らないで、作曲家らしく、生徒達に「形式学からのapproachの方法を説明する事で、間の取り方を理論として伝達する方が、多分Ⅰ楽章の演奏法を生徒達に伝える事が出来るのではないか?」と考え直して、急遽、分析譜を作りました。私達作曲家に取っては、この分析譜は書く必要がない・・程の当たり前の事なのですが、指導は子供達が対象なので、分かっているハズだ・・という事は有り得ないのですよ。

これで指揮の神経戦でオタオタするよりも、或程度の自覚を持って、確実にfeintをする事が出来るようになる・・と思います。

Ⅱ楽章の分析が、多くの演奏家達にとって、そんな簡単な歌い込みにならないのは、4回繰り返されるmelodieの形式が単純な「a+b」の唱歌形式ではないからなのです。

1回目と最後の4回目は単純な「a+b」の唱歌形式で作られているのですが、2回目と3回目は日本人には馴染みの無い所謂、bogen formという形式で作曲されています。

このbogen formという音楽の形式は、baroque時代の多くの作曲家達(BachやVivaldiに限らず)色々な作曲家がbogen formを使って作曲をしているのですが、実はこのbogen formはその次の古典派の時代から、ロマン派、近現代に至る迄、普通に使用されている汎用的な音楽の形式なのです。

しかし、不思議な事に日本で出版されている楽理書や音楽通論、楽典の本にも、bogen formの解説が掲載されている事はありません。
これも日本の音楽教育の七不思議です。

このⅡ楽章も、最初のmelodieと最後のmelodieだけが単純な唱歌形式の『呼びかけ』と『答え』のa+bという形式で作られていて、後の2回目のmelodieと3回目のmelodieは、bogen formで作曲されています。
a+a+B(1+1+2)という型で作られているのです。

そのa+aという(ダメ押し的な)弾き方が慎ましやかな日本人に取ってはfremdで難しいのだろうかね??

夕方、日が入る頃に歯医者にbikeで出かけました。
テレビによると、「今日、日中はとても暖かい」・・というお話だったので、ズボンやジャケットを春用に薄着をして出かけたのだけど、どこが「とても暖かい・・」のだよ。
風は超冷たくて、花冷えではないか??
冬の仕様に着替える時間も無かったので、寒さに震えながらbikeを飛ばしたのだよ!!
予約の時間ギリギリだったのでね??
歯医者では、下顎の奥歯を押さえつけられながらガリガリとやられたので、「顎が外れるのか?」・と思う程に顎の付け根が痛かったけれど、まあ、私は痛みには強いのだよな??
今までも大病をした時には、何時も医者に「痛みを堪えないで、痛い時には、もっと早く医者にappealして!!」と怒られてしまうのだけど、・・どこまでを辛抱して、・・何処からは「痛い!」と言うのかの分かれ目が皆目分からん!!

今日は火曜日・・、ぼっち食事の日なのだけど、冷蔵庫の中の食料品はスッカリ空になってしまったので、「何処かに飲みにでも行くか??」と思ったのだけど、自分の食いたい物が見つからない!!
私はなにを食べたいのだ?? と・・・悩んでしまうのだよ。

江古田の美味しい店・・って言ってもね~~ぇ??
江古田には、もう50年以上も住んでいるのだよ!!
今更、美味しい店と言ってもね~~ぇ??

池袋はもっと不味いしね~~ぇ??
長崎の美味しい蕎麦屋も全部無くなってしまったし、北池袋のうなぎ屋で飲んでもね~ぇ??
うなぎをツマミに日本酒では、チョッとimageではないよな~ぁ??
馬刺しも今三だし、それにもう飽きたしね~ぇ??
珍しく、食べに行く時間は早いので、お店は選り取り見取りなのだけどね~ぇ??



3月17日

『Vivaldiの四季の夏のinterpretationについて』

今回の4月5日の春の発表会で演奏予定のVivaldiの四季は教室の常設曲の中の1曲です。

常設曲とは、何度も繰り返し演奏する曲なので、演奏する生徒達が飽きてしまわないように、年齢やそれぞれの演奏のgradeで技術的なapproachのlevelや音楽的なinterpretationを変えて演奏させるようにしています。

常時演奏されている発表会のthema曲になっているPachelbelのcanonも、そのapproachとしては、教室では、初級version、中級version、上級versionのapproachとpro-versionのapproachの4段階のinterpretationを作っています。(とは言っても、先生達のみのperiod-versionとは、根本的にapproachが違いますけれどね??)

Vivaldiのあらゆる曲の中でも「超絶に難しい」とされる『Le quattro stagioni(=四季)』の中の曲で、第2曲目である『L’Estate(=夏)』は、前回は八千代市主催のコンサートの中で演奏したのですが、それまでの演奏は世間一般の演奏と同じようなinterpretationで演奏していました。

https://www.youtube.com/watch?v=tdGDVxi1qf4

しかし、前回の八千代市生涯学習プラザ主催の演奏会では、一般的なinterpretationとは全く違うapproachにして『描写を絵画的に・・』というか、曲に付けられているSonettoに合わせて、それぞれのpassageを『絵画的、描写的に演奏する』・・というProgrammmusik(表題音楽)というconceptにして指揮をしました。

https://www.youtube.com/watch?v=0555N0k7vtc

しかし、『絵画的に、自由なtempoで、即興的に演奏する』という事が生徒達には殊の他難しいらしく、『指揮に合わせて自由なad.lib.で即興的に演奏する』という事は、本番の演奏では、生徒達がpressureで緊張していたので、自由に演奏する事が非常に難しくなってしまい、指揮に合わせて演奏出来るかを危惧したので、練習では頑張って挑戦をしたのですが、本番の八千代市のコンサートでは、即興風に演奏するという試みを、急遽、諦めてしまいました。
pressureの原因は、八千代の後半のコンサートでは満席のお客様達の殆どの方達がお歳をめされた方達で(※殆どのお客様が私と同年代の人達で・・)、子供達にとっては精神的なpressureだったのかな・・と思っています。
という事で、MotivとMotiv間のpassageの『間の取り方』を、指揮に寄っての自由な演奏であるtempoを「揺らして」演奏する事は諦めて、普通のrhythm上のtempoで演奏してしまいました。
今回は、前回の八千代でのrevengeを兼ねて、かなり指揮を見て待つ練習を積み上げたのですが、「本番では緊張で、やはり待てない子供も出て来るのでは??」・・と危惧をしてはいるのですが、・・しかし、そういう風に言っていては永遠に私のinterpretationでの演奏は出来ない・・という事になってしまいますので、今回は冒険である事は承知の上で、頑張って!!私が八千代で演奏したかった即興風のrhythmで演奏する事にします。

誰も試みていない・・全く新しいinterpretationなので、とても面白い解釈だと思います。
是非、ご視聴ください。
https://www.youtube.com/watch?v=IPH6nMEci-A&t=26s
3月15日の練習風景です。
大学生のお姉さん達への新しい奏法への伝達と確認の風景です。

『Ⅰ楽章』
その1番目のinterpretationは、Ⅰ楽章のintroのtempo(拍子)を、拍子が全く感じられないような自由なrhythmで演奏する事を目標にしています。

Vivaldi先生の「嫌がらせ」は、殆どの拍頭が休符なのに、たった一箇所だけ、低弦(celloとKontrabassとCembalo)だけが拍頭で演奏する箇所があるのです。
いっその事、全てのMotivが拍頭が休みならば、pressureは半分になるのですがね??

(今回はゲネプロ本番の助っ人のお兄さんお姉さん達が多いので、一応、譜面台を助っ人の人達には立てますが、基本的には子供達は暗譜が原則なので、一楽章の拍頭の休符は結構大変なのですよ!勿論、譜面台を立てて演奏する場合には、何の問題もないのですが・・・??
ん?飛び出したって??)

2番目は非常に速いsolo-violinのfigurationなのですが、2拍目の裏と3拍目の頭の音はil Cucco la voce所謂、カッコウの鳴き声です。
Gの音のtremolo(刻み)でカッコウの鳴き声を浮き出させるには手首の柔らかな自然な動きが必要なので、modernな日本のbowの弾き方では、難しいと思います。
1点支持ではfingerbowで簡単に演奏する事が出来るのですがね??(小さな円運動と大きな円運動です。)
3番目は、60小節目からの雉鳩やヒワ鳥の鳴き声のsolo-violinの弾き方は、色々な鳥の鳴き声のimitationなので、子供達にとっても、表現のimageがはっきりとしているので、子供達にとっても分かりやすいpassageなので鳴き声のpassageを演奏する事は自体は問題はないのですが、このpassageでの問題点の一番目は、今回の演奏上の変更点とは全く関係のない出版された楽譜に書かれている音符の違いのお話になります。

下に掲載した写真の67小節目の丸で囲んだ32分音符の『ラ』の音が、多くの版では『ラ♮』の音になっています。
色々な曲を演奏する時に、その曲の校訂をする時には、私の場合には基本とする『底本』をfacsimile版を使用するのですが、四季の中では、この『夏』だけはfacsimileが手に入りません。

ですから、出版されているscoreの中で、一番古い出版を底本にして校訂しています。
写真の2枚目を参照:

68小節目、69小節目の『ラ』の音(丸で囲んだ音)も、『ラ♮』のままに演奏する人達が多いようなのですが、実際の古いscoreでは『ラ♭』になっています。

現代人にとっては、この『ラ♭』で演奏するpassageはなんともeccentricに聴こえるようですが、実際のVivaldiの譜面では67小節目から69小節目までの『ラ』の音は『ラ♭』の方が正しいのです。

実はこの『ラ♭』の音は、教会旋法のフリギア調(Phrygia)の第2音として書かれているのです。
67小節目以降の32分音符を『ラ♮』で演奏してしまうと、63小節目からの『ラ♭』の説明が付かなくなってしまいます。
Vivaldiは教会の司祭が本業だったので、教会旋法はVivaldiにとっては、gewohnt(=日常的)なmelodieだったのです。
それを現代人の感覚で『ラ♮』として演奏していては、Vivaldiの考えていた音楽とは、時代考証が全く違っていますよね??
勿論、今回の発表会ではこれまで同様に『ラ♭』のPhrygiaで演奏します。

問題点の4番目なのですが、次の問題点も同じ63小節目からのcelloのcontinuoとsolo-violinのtimingの問題です。
殆どの演奏者達が、violinがsoloなので、celloは呼応するワキ役として演奏していますが、実際上の楽譜では、continuoのcelloのmelodieが先行して、violin-soloはcelloの呼びかけのechoのように作曲されています。
だから、このpassageでは『celloが呼び掛けをして、それに対してviolinが木霊のように応える』・・という弾き方をしなければなりません。
・・が、しかし、そのようにcontinuoのcello(gamba)をシテ役にして、violin-soloをワキ役で演奏している団体は未だ見た事(この場合には聴いた事・・かな??)はありません。
一般的には木霊が先に聴こえて来て、それから本当の声が来る・・という不自然な演奏が一般的に流布しているのです。
(まあ、これは歴史的に見てもその演奏が一般的なので、仕方がないのですがね??私としては、困った事です。)
という事なので、この呼応のpassageを『continuo-celloが呼び掛けて、それにsolo-violinが応える』・・という呼応の課題として練習に取り組んでいるのですが、そうすると、scoreに書かれている譜面を即興風に見立てて演奏しなければならないので、書かれたrhythmを即興風に演奏する事は非常に難しくて、中々指導しても出来ません。
また、continuo-celloが先行して『呼び掛ける』という事も、慣れない演奏なので、幾ら説明をしても、中々出来ません。
・・という事なので、諦めて、楽譜上で即興風のrhythmを書き起こして生徒達に渡して見たのですが、音符を読んでの演奏では、即興演奏をしている自由なtempoのimageが全く表現出来なくなってしまうので、逆に困ってしまっている所です。
私がcontinuoのcelloを弾いて、斉藤先生がsoloのviolinでそのpassageだけの模範videoを作って、音から入って指導をする事も考えたのですが、発表会迄の練習の回数も、もう殆ど無くなってしまったので、時間を見つけて録画するのも、timelimitという事で「無理なのかな??」とも思っています。
でも、妥協はしたくないし、悩んでいる所です。
・・という事で、頑張って・・更にもう少し即興演奏のimageに合わせて音符を書き直して見ましたが、どんなに楽譜を書き直しても、やっぱり生の即興演奏の受け答えには程遠いようですね。(動画を参照してください。)
この即興風のpassageなのですが、Vivaldiのconcertoの作品の中には、必ずtempoを無視した即興風のpassageが書かれています。
他のcorelliやLocatelli 等の同時代の作曲家達の作品を見てみても、そのような自由な(ad libitumな)passageは滅多に見当たらないので、そこがVivaldiのoriginalityで「VivaldiがVivaldiである所以だ」・・と思われます。
他のVivaldiのconcertoの作品を演奏する場合には、そのad libitumなpassageを演奏する時はどの演奏団体のsolisteでもちゃんと即興風に演奏します。
・・逆にrhythm通りに演奏する団体は(amateurの演奏を除いては・・)見た事はありません。
ところが、この夏のこのpassageの場合だけが、どの演奏団体を探しても、即興風の演奏が見当たらないのですよ。困った事です。
即興風の演奏を、「どのように伝えれば良いのか」を目下模索中です。
Ⅰ楽章での問題の箇所は、116小節目から154小節目に至る超長いsoloのpassageの演奏法です。一般的な演奏では音楽表現をkeepする事が出来ないので、結構、スピーディに逃げている演奏が多いのですが、今回は大きくMotivを3部に分けて鬱々に表現する事にします。
Ⅰ楽章の90小節目からの低弦は、写真Aのような2octaveに股がるoctaveの音符を演奏するのですが、そのrhythmはBのように聴こえてきます。
譜例のBのように、MozartやTchaikovskyが好んで使っていた8分の3拍子のrhythmのように聴こえてきますが、この良く知られたrhythmはVivaldiが最初に使ったのですが、このVivaldiのrhythmのノリは、早いunisonのpassageに、独特のノリを与えています。こういったbaroqueらしからぬrhythmicalな音楽は、Vivaldiの作品が今持って新鮮に聴こえる・・所以でもあります。
『Ⅱ楽章』
Ⅱ楽章のsoloのennuiなmelodieの後に出て来るtuttiは、通常はforteかfortissimoで演奏される事の多い雷鳴のpassageなのですが、前回の八千代のコンサートからは、演奏上の解釈を新たにして、最初は遠くの方から聴こえて来るようにPで弾いています。2回目の雷鳴は少し近づいてmezzoforteで・・・雷鳴が段々と近づいて来て、次にはついに自分の頭の上に・・fortissimoで・・と轟いて、また段々と去っていったり・・と映画のように描写音楽そのままに表現をしています。
勿論、今回もその解釈をそのまま使用して演奏します。
『Ⅲ楽章』
Ⅲ楽章は前回同様の演奏で、特に変更箇所はありません。
今まで通りのinterpretationで演奏します。
Ⅲ楽章48小節目からのpassageには、私達作曲家がよくやる声部の交差のtechnikが見受けられます。
Vivaldiの楽譜上でもその演奏法は指定されているのですが、violinist達は声部の交差を極端に嫌うので、passageの早い部分でpositionを降りて、持続音のDを含む重音部の両方の音を指で取って演奏する・・という風な、非常に難しい弾き方をする人達を見受けます。
このpassageについては、このFacebookの3月19日の欄に『soloの声部の交差について』の所で詳しく説明をしていますが、baroque-violinでは高音域の音の出し方が非常に楽なので、gypsy-violinのようにposition移動をしないで、figurationのpassageのmelodieをG線上まで降りて来て、Dの開放弦をdroneとして逆に上の弦として取って演奏します。そうすると51小節目から54小節目までが超簡単に弾けるのですよ。
以下、夏に書かれているSonettoの原文と訳詩です。
ESTATE
Sotto dura Stggion dal Sole accesa
Langue l'huom, langue 'l gregge ed arde il Pino;
Scioglie il Cucco la Voce, e tosto intesa
Canta la Tortorella e 'l gardelino
Zeffiro dolce Spira, ma' contesa
Muove Borea improviso al Suo vicino;
piange il Pastorel, perche Sospesa
Teme fiera borasca, e 'l suo destino;
Toglie alle membra lasse il Suo riposo
Il timore de' lampi, e tuoni fieri
E de mosche, e mossoni il Stuol furioso!
Ah che pur troppo i Suo timor Son veri
Tuona e fulmina il Ciel e grandinoso
Tronca il capo alle Spiche e a' grani alteri.
「夏」
第1楽章
焼け付くような太陽が照り付ける季節には
人は疲れ切って羊の群れもぐったりし
松の木も枯れる
しかし、カッコーが鳴き始めると
キジバトとゴシキヒワの声が聞こえ始める
爽やかなそよ風を北風が押しのけ
にわか雨は羊飼いの子を困らせてしまう
第2楽章
稲光と激しい雷鳴が疲れきった牧童に不安を与える
それに眠気を妨げるうるさく飛び回るハエや羽虫の群れ!
第3楽章
ああ?何ということだろうか? 
雷は轟き 閃光を放ち 雹交じりの激しい雨は
小麦や他の穀物の穂をへし折ってしまう






2月19日

『Vivaldiの夏よりⅢ楽章のsoloの声部の交差について』
baroque・violinは顎当ても肩当てもないので、楽器を首に挟んで構える事はありません。

通常は手に持って弾くので、現代のgypsyのように、position移動をなるべくしないで、そのままのpositionで弾く事が多いのです。
勿論、position移動の瞬間的には肩でviolinを背負う事もあったのですが、それは時代と作曲家によります。

綾乃ちゃんのKontrabassのConcertoのsoloの時にでも分かるように、Kontrabassという低音楽器でも、baroque仕様の弦に弦を変えると、不可能と思われるhighpositionの音がちゃんと出るようになります。

つまり、baroqueから古典派までの時代はgut(ガット)弦だったので、弦が細くて柔らかくて、高音域の音出しは、現代のmodern楽器用の弦とは違って、とても楽だったのです。

・・という事で、このhighpositionの音を、positionを変えないでmodern楽器で弾くのはそんなには容易ではありませんので、こんにちでは、早めに下のpositionに降りて演奏するのが一般的なのですが、baroque楽器のgut弦ならば、当時のままの演奏styleで、highpositionのままのpositionでこの譜面の指使いで演奏しても、音出しは、そんなに難しくはありませんでした。

・・という事で、8分音符のG線上になる前の小節からG線上で演奏して、droneのDの音はDの開放弦のまま弾きます。

・・という事なので、開放弦のD線の音に対してG線上のmelodieの音が声部を交差させて演奏します。

今の演奏家達の多くはDの音をG線上で取るように演奏する人達が多いのですが、それでは難しいだけで、Dのdroneの音も聴こえて来ないので、günstig(有効)ではありません。(私は個人的に子供達にこの声部を交差させる方法を指導する時には、この交差の事を「逆さまposition」と呼んでいます。)早めにpositionを降りたとしても、せめて、droneの部分だけでも、声部の交差を用いるべきなのですがね??

この声部を交差をさせる弾き方は、(私の2台のviolinのための小品の中にもよく出てきますが)、baroque時代には決して珍しい奏法ではありませんでした。

VivaldiやBachよりも前の時代の作曲家達もよくこの声部を交差させる技法を多用していました。
それと、譜面上で、弓の返しの位置を微妙にずらしているのは、droneの音を拍頭で弓を返さないようにするためなので、弓を返す場所は(拍頭でさえなければ・・)どこでも構わないのです。拍頭で弓を変えると、changeの音が聴こえてしまうのでbagpipeやhurdy gurdyのようなdroneの音にならないからです。

参考までに、写真3枚目の男性は、教室ではいつもお世話になっているVeracini先生ですよ❗




2012年6月24日八千代市生涯学習プラザ主催の芦塚音楽教室の対外出演夏のコンサート



2017年11月19日花見川区花園自治会館主催の深まる秋のコンサート賛助出演