Antonio Vivaldi Stravaganza Op.ⅣNr.2 (F.Ⅰn.181) violinconcerto in Mi minore 1楽章 (Analyse)


                      Ⅱ楽章とⅢ楽章の追記


Pageの再開にあたっての、愚痴とお詫び

長年書き溜めていた「芦塚先生のお部屋」の論文を、「魔の2018年」の9月の29日にserver上の不要fileを削除したら、論文のlayoutだけでなく、文章の大半が失われてしまい、苦節、20年、30年の長きに渡る研究論文が、全てぶっ飛んで、失われてしまいました。
2018年の後半期は、9月の29日に、『homepageが壊れてしまった』・・というcatastropheと、体調不良が続いて、血尿が出て、病院での検査で、膀胱癌と腹部大動脈瘤が見つかって緊急の入院・手術になってしまって、12月のクリスマス会まで、lessonやオケ練習、発表会等々と平行しての病院通いで、大変な日々の行程を強いられてしまいました。

年が明けて2019年を迎えて、やっと、暗黒の月日を乗り越える事が出来た・・と思ったのですが、それに更に追い打ちを掛けるように、教室のProviderであるyahooから、homepageserverを「2019年の3月の31日で打ち切る」という一方的な連絡があり、Rental-serverを探すのにも、その膨大なhomepageのお引越し作業にも、莫大な時間を費やしてしまいました。
・・と同時期に、本来ならば、手術が済んでから、約、10日程で根治するはずの、膀胱癌の手術後の血尿も、2月、3月になっても、『糖尿病の性で治らない』・・という状態が続いてしまいました。

このPageを書いている現在は、2019年の7月の18日なのですが、やっと、㈲芦塚音楽研究所のhomepageと、「芦塚先生のお部屋」のhomepageは再開出来たのですが、未だに、闘病記は再開出来ません。
serverにsub・domainを申し込んでいるのにも関わらず、どうしてもserverにdataが送れ無いのです。※)

しかも、再開出来たはずの、この『Vivaldi Op.4Nr.2 e moll RV279 Stravaganza』の文章も「次ページ」という所までしか開きません

取り敢えずのrecovery作業として、『論文等々』は、back・upが見つかったPageから暫時、Pageを復活・再開させているのですが、『多くのPage』・・・、つまり、残りの膨大な論文は、back・upが全く無かったので失われたままで、放置されています。

この論文、の文章は、もう一度、全く新たに、作り直すしか、方法はありません。
という事で、「超、shock❢」なのですよ!
あ~あ、miserable!!

※)『闘病記』のお話なのですが、何度も、取説通りに試みても、うまく行かないので、試しに、Rental-serverからの説明書通りではなく、自分で思ったように、設定を変更して見たら、「なんということでしょう~」・・出来たのですよ。(「もう一度、同じ設定をしろ❢」と言われても出来ないのですが・・・)結果、オーライ❢です。アハッ!


愚痴だけで、お詫びが無いよな?? 
まあ、い~か??
(2019年7月末日)




index

Analyse 

(『まえがき』と、このPageの文章が「難し過ぎる」という意見への弁解になっていない弁解です。

Vivaldiのviolinの教育との関わり
この文章の途中までしか文章が残っていません。
後は、indexを見ながら、それに対応した文章を新たに作成する事にします。
何時完成するかは分かりませんが、気長にお待ちください。
参考までに、Facebookに掲載しているこの曲のⅠⅡ楽章への解説のPageをコピペしておきます。

無くなった論文の代わりに、以下にFacebookのPageを貼り付けて起きます。
論文に再挑戦する前までの、暫定的な方法です。

FacebookのVivaldiに関するPageへのlink linkが壊れたままの状態です。


   

今回の発表会(2019年4月29日千葉市文化センター・アートホール)での演奏風景です。
soloは萩元美音(小5)Ⅰ楽章とⅡ楽章、とⅢ楽章(小2)です。

e mollOp 4Nr 2 全楽章Vivaldi 萩元美音 芦塚音楽教室
芦塚音楽研究所千葉音楽教室の発表会での演奏風景です。

ⅠⅡ楽章のbasso continuoのCelloの鈴木杏梨ちゃんは、受験の最中なのですが、continuoのCelloの急遽の代奏を申し出てくれました。 練習2,3回でのbasso continuoの伴奏です。 ありがとう!

mp4のdataを繋ぎ合わせたので、音が籠ってしまって、納得が行かないのですが、Cyberlinkの音声に関する上手な編集の方法がまだよく分かっていません。
・・・と言う事なので、「参考までに」と言う事でuploadして起きます。

Vivaldi Op.4Nr.2 e moll RV279 StravaganzaのⅠ楽章と、Ⅲ楽章は教室の常設曲で、これまでも多くの生徒達が演奏して来ていますが、技術的に難しいので、これまでの演奏では、子供の技術に合わせて、教育的に、かなり遅いtempoで演奏をしています。

美音ちゃんがⅢ楽章を演奏してから、今回のⅠ、Ⅱ楽章の演奏までには、約、3年間の開きがありますが、曲は同じ曲の別楽章なので、技術的には大差が無いように思われるかも知れませんが、実は、その演奏法では、技術的にinterpretationに対しての、大きなlevel差を、付けています。

教室の常設曲としての、approachではなく、所謂、period奏法としてのapproachとして、先ず第一番目には、tempoの設定が『絶対tempo』になっていて、proの演奏のtempoと同じ、かなり速い速度で演奏しています。

また、色々なperiod奏法を学習として取り入れて、baroque時代のbowの使い方の特徴でもある、1:3のbowing(弓の使い方)※)や、一般的にはwien-bowとも言われている弓速の非常に速いbowing等の勉強と、Ⅱ楽章のmelismaの奏法の勉強とmessa di voceの奏法等々、色々なbaroque時代の奏法を学んでいます。

勿論、それ等の技法は音楽大学等で学ぶ事は出来ません。
大学を卒業して、より専門的な古典の音楽を勉強する人達だけが、学習する分野なのですが、残念な事に日本にはその類(たぐい)のinstituteはありません。 ヨーロッパでも、一つの国に一校だけぐらいです。

baroqueや古典時代の色々なperiodの「bow-technik」を学ぶ事は、現代の難しいbowのrootsを知る事であって、modernのbow-technikを意図も簡単に学ぶ事が出来るようになる『Royal-way』でもあります。

美音ちゃんの小学2年生の時の演奏と、5年生での、period奏法による演奏を比較すると、演奏表現の違いが分かり面白いと思っています。
※)1:3のbowingで最も大切な事は、1と3の音が同じ強さになる事です。
「1;3のbow」と言っても一般の方には、何の事なのか、分かりませんよね??
16分音符4個の塊りの音符を、16分音符1個のdown-bowと、残りの3個のup-bowで演奏するのですが、当然、弓のone bow3個の音符に対して、1個の音の方が強くなってしまいます。
それを、弓の使い方で、1:3の弓量配分が同じ強さになるように弾く・・という、baroqueや古典派時代のorthodoxな演奏法なのです。
こういった弓の使い方は、弦楽器奏者にとっては、基本中の基本であり、弦楽器を学び始めたばかりの頃には、ちゃんと、演奏出来るようにしなければいけないのですが、残念な事に、日本の音楽界では、ついつい、おざなりにされてしまっている奏法なのですが、ヨーロッパの音楽を勉強する上では、とても大切な・・・基本中の基本の勉強になります。

その弓が、「何故に、基本中の基本なのか??」と言う事なのですが、それはヨーロッパの人達と、日本人の根本的な音楽に対するimageの違いに、その理由があります。

ヨーロッパの音楽の基本は、danceの音楽であり、3拍子系の音楽がヨーロッパの人達の基本のrhythmなので、4分の3拍子=(2分音符+4分音符)のwaltzの曲がヨーロッパの音楽には多いのですが、日本人の場合には、音楽の歴史の中に、3拍子というものがありません。
3拍子の場合には、1拍目が強拍になり、3拍目は弱拍になります。 勿論、音楽理論と言う事だけではなく、舞曲としての3拍子の場合には、3拍目は回転運動をするので、軸足にはならないからなのです。

しかし、日本には、3拍子の曲が音楽の歴史的に存在しないのです。
ですから、2拍子の均等のbowingしかないので、日本人が3拍子の曲を演奏をすると、2:1のbowingになるので、2:長い弓、1:短い弓・・と言う事で、どうしても1の方、つまり4分音符の音が弓量が多く、速い弓になるので、強い音になってしまいます。


つまり、ゆっくりとした2分音符の弓量と速い4分音符の弓では、4分音符の方を、軽く滑らせるように弱く弾かなければなりません。
このTechnikは、初心者の教則本である
Hohmann教則本でも、非常に初歩の段階ので出て来るTechnikなのですが、そういった伝統がない日本では、最初の2分音符に対して、強い4分音符で弾かれています。
それを不自然に感じないのは、日本人には、基本的に、3拍子の感覚がないのでね??

Ⅱ楽章の改定にあたって

ちなみに、Ⅱ楽章は今回始めての演奏になりますが、baroqueのforteとPianoの対比を少人数のorchestraで表現するために、tuttiとsoliのgroupに分けて演奏しているのは、芦塚先生のinterpretationです。

またⅡ楽章のsoloに対して、soli群が少し遅れて入って来るのは、messa di voceの奏法によるtimingの遅れになり、指揮としても大変難しいeinsatzになります。
当然、全楽章のCembaloのpartも芦塚先生のkomposition(創作)です。



        


indexの続きです。

Ⅰ楽章

Vivaldi e moll solo組のlesson風景
2016年6月15日12:41

Vivaldi e moll Ⅰ楽章演奏法の解説
2016年6月20日12:03

1月9日 ・ 「Op.4Nr.2 e moll Stravaganzaの、articulationの手直し」
2018年1月9日

Ⅱ楽章

Vivaldi Op.4Nr.2 e moll StravaganzaのⅡ楽章の解説のPage

4月25日Vivaldiの Op.4Nr.2 e moll RV279 StravaganzaのⅡ楽章のornament
2018年4月25日

Ⅲ楽章

Ⅲ楽章への解説


4月23日
2019年4月23日

indexへ


indexの続きです。

以下は紛失してしまった文章へのlinkのindexです。

ritornellol形式について

以下、rondo形式の説明です。

ここからritornello形式の説明になります。

余談の蛇足で、オケの序列の話ですが、

ritornellolのthemaを繰り返す時の、Vivaldi先生のtrick

basso continuoについてのお話です。

蛇足ですが

basso continuo soloについて

soloのpartの分析

演奏について

楽譜を読むという事

trillerについて

一つを得ると言う事は、一つを失うという事です(ヨージーの法則)

弓の持ち方(一点支持と3点支持)、現代楽器とbaroque楽器

period奏法について



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                         本文



Analyse

まえがき

この論文が難し過ぎるという事に対しての弁解にならない弁解

この曲は、次回の発表会、2015年04月29日の千葉の発表会での演奏予定です。
・・・・つまり、このVivaldi Stravaganza Op.ⅣNr.2e mollのPageは、15年4月以前にuploadされた文章です。
そのPageの上に、折に触れて、書き足されていった文章なので、timelineが滅茶苦茶になってしまっていて、それが、この文章を分かり難くする二つ目の要因にもなっています。

・・・なので、昔は(他の論文で・・・、での話ですが)、文字の色を変えて、書き込んだりしたのですが、逆に目がチラついて、分かり難くなってしまったので、その方法はやめてしまいました。

という事で、下の文章は、突然、その後、(つまり、2015年4月の、発表会以降)の書き込みになります。
こういう風に、timelineが飛びます。

この曲は教室の常設曲なので、教室を開設した時から、多くの子供達(当時は・・・)が弾いて来ました。勿論、VHSやβのvideo-tapeは、椎名町教室に保存されてはいますが、timelyではないので、この3.4年以内の生徒達だけをuploadする事にします。
今は、色々と面倒くさいのでね・・・???

2015年4月29日芦塚音楽研究所付属千葉音楽教室主催の春の発表会です。
演奏は
紗來ちゃん(小3)です。
発表会は恙なく終了しました。

2016年10月16日芦塚音楽研究所付属千葉音楽教室秋の発表会です。
演奏は千野瑞希(小4)9歳です。



vivaldi op.4nr.2 e moll stravaganza
この『Vivaldi Op.4Nr.2 e moll RV279 StravaganzaのⅠⅢ楽章』は、教室の常設曲なので、これまでも多くの生徒達が演奏していますが、技術的に結構、難しいので、これまでの演奏では、子供の技術に合わせて、かなり遅いtempoで演奏をしています。

芦塚音楽研究所付属千葉音楽教室の発表会です。
ⅠⅡ楽章は2019年4月29日萩元美音(小5)、Ⅲ楽章は2016年10月16日萩元美音(小2)7歳、秋の発表会です。
美音ちゃんがⅢ楽章を演奏したのは小学2年生の時で、今回のⅠⅡ楽章の演奏までには、3年間のintervalがあります。
と言う事で、同じStravaganzaのe mollのⅠⅡ楽章なのですが、interpretationの水準を上げて、非常に高度なViolinのbow-technikに挑戦しています。

勿論、美音ちゃんのapproachのlevelを上げる・・という事は、orchestraを演奏する全員の水準も上がらなければなりません。
つまり、同じVivaldi Op.4Nr.2 e moll RV279 Stravaganzaの曲でも、演奏の技術的なapproachの水準が全く違います。

先ず、その一番は、tempoの設定が、子供の練習用のtempoの設定ではなく、Vivaldiの演奏上の絶対tempoになっていて、proの演奏のtempoと同じ、かなり速い速度で演奏しているのが特徴です。

また、色々なperiod奏法を学習として取り入れて、baroque時代のbowの使い方の特徴でもある、1:3のbowing(弓の使い方)※)や、一般的にはwien-bowとも言われている弓速の非常に速いbowing等の勉強と、Ⅱ楽章のmelismaの奏法の勉強とmessa di voceの奏法等々、色々なbaroque時代のperiodの奏法を学んでいます。

勿論、それ等のViolinのperiodの技法は、音楽大学等で学ぶ事は出来ません。

大学を卒業して、より専門的な勉強をする人達だけが学習出来るのですが、残念な事に日本にはその類(たぐい)のinstituteはありません。
ヨーロッパでも、period奏法を学べる事は非常に珍しく、専門の大学は、一つの国に一校だけ・・・ぐらいです。

子供の内から、baroqueや古典時代の色々なbow-technikを学ぶ事は、非常に多くの人達の反対の意見や非難轟々たる中で、或る意味、独断専行に、強引に私のcurriculumとして、period奏法を子供達の教育に導入した分けなのですが、その意味は、baroque時代や古典派の弦楽器の奏法を学ぶ事は、現代の難しいbow-technikのrootsを知る事であって、modernのbow-technikを意図も簡単に学ぶ事が出来るようになるRoyal-wayでもあります。

美音ちゃんのVivaldiの演奏でも、小学3年生の時の演奏と比較すると、演奏表現の違いが分かり面白いと思っています。

※)1:3のbowingで最も大切な事は、1と3の音が同じ強さになる事です。
こういった弓の使い方は日本ではおざなりにされてしまっていますが、ヨーロッパの音楽を勉強する上ではとても大切な基本的な勉強になります。
ヨーロッパの音楽は基本3拍子の音楽なので、2分音符+4分音符のwaltzの曲が多いのですが、日本人が演奏をすると、2:1のbowingになるので、どうしても1の方、つまり4分音符の音が弓量の関係で強くなってしまいます。
ゆっくりとした2分音符の弓量と速い4分音符の弓量では、4分音符を軽く滑らせるように弱く弾かなければなりません。
このTechnikはHohmann教則本でも、非常に初歩の段階で出て来る3拍子のbowingにも使用されているbow-Technikなのですが、3拍子に対しての、そういった伝統がない日本では、最初の2分音符に対して、強い4分音符で弾かれています。つまり、強弱を逆に弾いてしまうのですよ。
日本人には、3拍子の感覚がないのでね??

ちなみに、Ⅱ楽章を演奏する事は、教室としては、今回始めてになりますが、baroqueのforteとPianoの対比を少人数のorchestraで表現するために、tuttiとsoliのgroupに分けて演奏しているのは、芦塚先生独自のinterpretationです。
またⅡ楽章のsoloに対して、soli群が少し遅れて入って来るのは、勿論、意図であって、messa di voceの奏法によるtimingの遅れになり、指揮としても大変難しいeinsatzになります。
当然、全楽章のCembaloのpartも芦塚先生のkomposition(創作)です。


   
     2019年5月23日第一回目のオケ練習です。

Facebookより、参考までに:

VivaldiのOp.ⅣNr.2の、解説のPageは、教室の常設曲のなので、文章があちこちに散らばっているので、見つかり次第、折に触れて改定を続けて行こう・・・と思っています。。



この「論文の内容が難し過ぎる」という事についての(弁解になっていない)弁解です。

2016年のFacebookです。

この曲は、次回の発表会、2015年04月29日の千葉の発表会での演奏予定です。』 と言う事で、本来、元々の文章は15年の4月以前にuploadされた文章になります。
ですから、これ以降の文章は、前述の(2015年の4月以前の)文章の、更に、1年後・・、2年後の、(2016年の4月の発表会以降の)文章になります。

2016年4月の23日頃から、homepageのrenewalを始めました。

『この「論文の内容が難し過ぎる」という事についての(弁解になっていない)弁解です。』
以下・・・

一年後(今年=16年の4月)の話なのですが、今回(16年の)「秋の発表会」で、この「Stravaganzaのe moll」の曲のⅠ・Ⅲ楽章が選曲されて、soloを演奏する予定になった生徒の保護者の人が、soloを演奏する娘さんのために、「この曲を勉強しよう」と、この論文を読んだのだけど、
「解説のPageと言う事で、このhomepageを開いて読んで見たのだが、全く何が書いてあるのか、分からなかった」という感想を頂きました。

論文を書く際には、大学の論文とは違って、社会人の場合には、必ず読んで頂く相手(対象)を決めて、論文を書かなければなりません。
「対象を決めて、論文を書く」と言う事、・・そこが一般の論文と、学生達が普段書いている「学校論文」との大きな違いです。

・・・という事で、この論文を書いている私自身にとっても、その建前としては、(この論文だけの話ではなく、作曲をする時にも、論文を書く時にも、proとしての心得(建前)として)、必ず読む人、聴く人・・の対象の人を決めてから、その人にとって読みやすいように、書かなければならないのです。

演奏の場合にも、演奏会にいらっしゃる人達の好みを見定めて、曲目を選曲するのが、proとして常識(心得)なのです。

八千代でのコンサートでは、同じ日のコンサートなのですが、演奏曲目が同じではなく、お昼の部と、夕方の部では、演奏の曲目のimageが全く一新されています。

お昼の部は、赤ちゃんや子供連れのお母様達が楽しく聴けるような曲を中心に選曲し、夜の部は、じっくりと音楽を楽しみたい人達のために、少し重めの曲を集めて演奏しています。
所謂、 『芦塚先生の鬱々コンサート』としてのprogramです。

私がlessonをしている時にも、生徒に保護者の方が付き添われている場合には、必要に応じて、lessonの状況を説明するようにしていますが、lessonの内容自体を、保護者向けにお話をする事も、良くあります。

文章を、読み手に合わせて書く事は、物書きとしては、極めて当たり前の事なのですが、(当然、同じ音楽の論文であったとしても、曲目の解説ならば、かなり、分かり易い文章を書く事は難しくは有りませんが、)曲のAnalyse(分析)やinterpretation(解釈)ともなると、その論文を読みくだすには、かなりの専門的な知識が要求されてしまいます。

ということで、この原稿の内容は、楽曲分析や、演奏法の説明等々、かなり専門的な内容になってしまうので、私としては、文章の内容を、教室の生徒を対象とするならば、
「専科の生徒達ぐらいならば、読みくだせるのかな?」とか、当然、「音楽大学の学生さんぐらいの知識があるのならば、普通に読めるのではないのかな?」というくらいのimageで、これまでは、文章を書き進めて来たのですが、チョッと、不安にかられてしまって、実際に、音大の学生さん達に、この論文を読んで貰って、その感想を改めて聞いて見ました。
すると、
「チンプンカンプンで、全く分からない」と言う解答でした。

音楽大学の学生さん達が、理解出来ないような内容を書いた分けでは無かった・・と思ったのですが、この論文を積極的に、読んで頂いて、その文章の内容を、その方のhomepageに引用して頂いたり、お褒めの言葉を書いて頂けたのは、何と、・・・「同業者の方達だけ!!」のようでした。
まあ、同業者ならば、普通に、何の問題も無く、読めるわな??

確かに、音楽大学を受験(卒業)するぐらいの勉強をして来た分けならば、・・・つまり、それぐらいの音楽の基礎知識のみ・・では、この論文を読み下すのは、少し無理があるのかもしれませんよね??

私としては、一応、音楽の専門の勉強をしているはずの、音大生ならば、充分にこの文章を理解し、読み下す事は出来るのではないか??・・と思ったのですがね???
私としては、殊更に内容を、そんなに難しくした覚えは無いのですがね??



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Vivaldiとviolinの教育との関わり

Vivaldiは、一応は、「教会の司祭」という肩書は持っていましたが、音楽家としての立場が優先して、司祭としては、評価されてはいなかった事は事実のようです。
「赤毛の司祭」というアダ名もあったようです。

嘘か本当かは分からないのですが、Vivaldiに関する伝説のような逸話が幾つか残っていますが、まことしやかなのは、司祭としてのお説教の最中に曲のアイデアが浮かんで、慌てて懺悔室に飛び込んで、メモをしていて、司祭を首になったという話を聞いた事があります。

(でも、全く同じ話は、Schubertの話でも聞いた事がありますよね。Schubertが、父親の学校で、子供達を指導していた時に、やはり音楽のアイディアが浮かんで、黒板にmelodieを書き留めていて、授業にならなかった、という話です。これも、都市伝説みたいなものかいな??)

Vivaldiは、教会から、ピエタ慈善院付属の音楽院(Ospedale della Pieta、オスペダーレ・デッラ・ピエタ)で、捨て子の女の子達を指導する事を命じられました。
このピエタ音楽院は、現代日本の「赤ちゃんポスト」のように、捨て子達を救済する目的で設立されて、貴族や裕福な市民の寄付によって賄われていたのだが、ご多分に漏れず、寄付に頼るには、会計不足で、この音楽院の主催するコンサートによって、賄われていました。

Vivaldiの指導する子供達の演奏は、イタリア中に鳴り響いていて、毎週のコンサートには多くの聴衆を集めていました。
教会という建前上、一般の聴衆からは、演奏する子供達が見えないような場所で演奏していた・・と言われていますが、寄付をする貴族や裕福な市民達は、身近に子供達と接する事が出来て、見染められて結婚してPietaを去る子供達もいたと言われています。
Pieta音楽院に捨てられた子供達で、結婚によって、Pietaを去る以外の子供達は、一生をPieta音楽院で過ごしたようです。
・・・と言う事なので、実際に曲を弾いていた女の子達の中では、難しい曲になると、40歳を過ぎたPietàに在籍する女性達も演奏していました。勿論、忙しいVivaldi司祭先生の代わりに、lessonの指導もしていたはずです。

当たり前の事ですが、当時は、女性が外で働くという事は有り得なかったのですよ。
女性が外で働ける様になったのは、この日本でも、二次大戦後になってからの、この50年ぐらいの話ですからね。


という事で、作曲家の作品集としては、極めて稀な事なのですが、Vivaldiの作品は、子供達がそれぞれの楽器を学びやすいように、grade別に作曲され編集されているのですよ。
Vivaldiにとっては、Op.は教育教材としての、grade分けなのです。

芦塚音楽教室の、世界的に見ても稀な(唯一無二な)orchestra-curriculumは、そういった教育を目的としたVivaldiの・・作曲上のconceptによることが大きいのです。
Vivaldi 様、様なのですよ。

Vivaldiは、最晩年にwienに旅をしますが、マリアテレジアが即位した事で勃発したオーストリア継承戦争により、「音楽の谷町」どころではなくなった貴族達から見捨てられ忘れ去られて、旅先から、再び国に戻る事が出来なくなってしまって、失意の内にwienの町で旅の途中で亡くなってしまいます。

(昔の伝記では、Vivaldiは職探しで、放浪をしている最中に、Münchenで病に没して、その墓はMünchenにある・・となっていたのですが、Wikipediaでは、少しnuanceが違うようですね。
調べ直すと、その都度、内容が変更されているのは、面白い!!小、中学校で習った歴史や科学の勉強が今は何の役にも立たなくなっているのと同じで、時代、時代で、歴史も変わってしまうのですよね。)

ちなみに、日本の**のメトードによって、世界中のviolinを学ぶ初心者の子供達が決まって演奏する、曰く、世界的にも悪評の高い・・Op.3の「調和の霊感 L'estro Armonico」という曲集の、第6番目の曲(Vivaldiのせいではないのだけどね~??) 
「Vivaldiのイ短調(a moll)のviolinconcerto」は、キンキン、キャンキャンとした、日本独特のviolinの弾き方のimageの(日本のviolinのメトードの)おかげで、音楽家の間には、今では、すっかりと悪いimageが定着してしまいました。


私が、私のVivaldi-methodeである教室の「orchestraのcurriculum」としての、一番簡単なorchestraへの導入の曲として、「Vivaldiのa moll」の曲を、部外の先生達に指導させようとすると、
「その曲だけは、勘弁して!!」とか、「Vivaldiは嫌いなのよね!!」という、答えが必ず帰って来ます。

まあ、子供の頃に習ったTraumaで、すっかりVivaldi恐怖症になっているのでしょうけれどね。
・・・・(私はviolinなど、習った事が無いので、VivaldiのViolin-concertoに対してのtraumaはありませんけれどね??)

・・・という事で、CD等で、勝れた演奏団体の演奏を、半ば強制的に聞かせると、
「えっ??こんなに綺麗な曲だったの??」と、驚かれてしまいます。

日本の**メトードのキンキン・キャンキャンとした音は、一昔前の人達が犯したbaroqueの奏法への、誤った(勘違いの)解釈による(遺された昔の論文などを、言葉だけで、間違えて解釈してしまった、誤った演奏styleによるimageなのです。。

演奏法を、baroque時代の貴重な文献の中に書かれている、文章だけで読み取ろうとすると、どうしても、演奏法に対しての、曲解が生まれてしまいます。

今でも、ヨーロッパやオーストラリアの教科書では、日本人は、桜と芸者と新幹線が絵の中に収まっていて、イタリアのOperaの監督達も、巨大なポックリを履いて、中国の髪と衣装を着た国籍不明の日本人のimageを、正そうとはしないのですよ。
つまり、「我々の日本人のimageはこうだ!!」と断固として主張して・・・、「イタリアのPucciniのimageする日本はこれがtraditionalだから!」と、主張して変えようとはしません。日本人の歌い手が幾ら抗議しても、それは変わらないのですよ。

それは、単なるイタリアの人達のimageする日本への誤解のお話なのですが、同様に、Violinの奏法についても、当時の文献を言葉だけで、imageを作って、曲解したままに、そのまま解釈してしまっていて、それが、楽器の的特性によるものである・・という事を理解しないままに、baroqueの演奏に当て嵌めてしまった、一昔前の誤った解釈による、誤解のままの演奏styleが、そのままこんにちの日本の弦楽器のtraditionalな演奏のstyleなのですよ。
messa di voceと日本の民謡や演歌に出て来るコブシは、似て非なるものなのですが、言葉にすると同じ説明になってしまします。
どうして、そう言った演奏のstyleが起こったか??・・というその奏法のrootsを知ると、間違いは起こらないのですが、そう言った事が書かれている書物がある分けではないので、一度、間違えた解釈が定着してしまうと、何をどのように訂正しようとしても、全く話が通じなくなっていく、・・という日本人の悪い癖が起こってしまいます。

Tourte(トルテ)が弓を現代のbowに改良して(一つを得る事は、一つを失うという原則がありますけれどね。)弓は力強さを得たのですが、それで、美しい音の伸びを失ったのですよ。

Cembaloが人々から忘れ去られて、改にCembaloが作られた時に、Cembaloが忘れ去られた原因は、音の弱さにあるとされて、強い音を出すために、Macneck(メカニック)が改良(?)されて強い音を出すCembaloに改良された分けです。
NeupertやAmmerの機械式Cembaloです。しかし、1960年代に入って、baroque時代のCembaloが復刻されたり、repair(修理)されたりして、baroque当時の音が再現出来るようになって来た時に、人々は、失われたものの大きさを理解する事が出来るようになり、殆どのCembaloが復刻のCembaloになりました。

しかし、正しいPianoのtouch(タッチ・打鍵法)や、古典派のPianoの美しい音を理解させるために、
「forte-piano(フォルテ・ピアノ single actionのPiano)の楽器を、購入したい。」と、相談したのですが、「今が、ちょうど、Cembaloの黎明期であった、60年代で、forte-pianoが一般の人達にも、完成された型で手に入るようになるには、後、30年は掛かる」と言われてしまいました。
技術の世界でも、一度失われた技術を復活させるには、それほど、大変なのですよね~ぇ??

でも、それはお国芸であるヨーロッパの話です。
日本では、violinやcelloの音を聞くと、どうしても、二胡や馬頭琴の音を連想してしまいます。
日本人にとっては、ヨーロッパで鳴り響いていたviolinの音よりも、やはり、二胡や胡弓の音の方が、身近なのですよね~ぇ?

でも、私は、ヨーロッパの音楽を学んでいるので、日本人の愛する馬頭琴や二胡の音ではなく、ヨーロッパの音としての、violinやcelloの音を聞きたいのよね~ぇ?

3点支持で強引に引っ張り上げた音ではなく、baroqueや古典派の1点支持による、石造りの家に共鳴した残響のある音を聞きたいのよね~ぇ?

ついでに、どっかの音楽大学の先生が、
「今のPianoの椅子の高さは、一番低くして弾くのが主流なのですよ。」とか、言っていたらしいけれど、それってぶら下がり弾きで、Horowitzが身長190センチ以上で、普通に弾くと膝がPianoの下にあたって弾けないので、膝を逃がすために、烏賊のような格好で演奏した・・という所から来たのよね。

その先生はついでに、
「Pianoの鍵盤に顔を寄せて弾くのは、初心者が自信がないからそうするのよ!」って、言っていたそうだけど、その先生、音を出すという事の意味が全く分かっていないのよね。

音楽とは、別の世界に目を転じて、日常的に椅子に座って作業をする人達に対して、人間工学で作業効率という事を追求します。
人が机に座って仕事をする時、或いは、パソコンのKeyboardを打つ作業をする時には、どの椅子の高さで、どういう姿勢が一番疲れないで効率良く仕事する事が出来るのか?・・という事を大学で研究しているのだけど、その研究をしている人達で、
「椅子を一番下げてKeyboardを打つのが、一番効率が良い」・・という事を主張する先生は一人もいないのだけどね??

そこの所は、音楽の世界は、本当に(独自で)不思議な世界だよな!
そういうの
、「独善的!!」・・て言うんだよ!!
本当に、Stravaganzaだよ!!   
そうそう、eccentric(エキセントリック=奇妙な)とも言うけれどネ。



初級versionの「調和の霊感」に対して、その次の次の課題として、Vivaldiは、「Stravaganza」と題されたOp.4の12曲のviolinconcertoを集めた曲集を作りあげました。

この曲の題名である、「Stravaganza」の意味は、「奇妙、狂態」となりますので、邦訳されてはいなくて、元のtytlそのままの「Stravaganza」という名前で知られています。

今回のそこの曲は、そのStravaganzaの中の第2曲目の曲です。

勿論、Vivaldiが、「Stravaganza」・・・つまり、奇妙奇天烈(キテレツ)と名付ける程の作品なのですから、Vivaldiにとっては、革新的な技術を網羅した面目躍如とした作品集なのです。

芥川龍之介の「侏儒の言葉」とも一脈相通じる所があるのかな??


今回の「Stravaganza」 Op.4の12曲のviolinconcertoを集めた曲集は、Op.3の「L'estro Armonico」と比べたら、かなりの高度なviolinのtechnic(技術)が要求されます。

2016年5月22日の花園教室でのオケ練習の風景です。(このVivaldiのe mollの練習のみのuploadです。)

音楽の基本の練習です。Vivaldi等のbaroqueの音楽に対して・・という意味ではなく、時代を超えた総ての音楽の基本がそこにあります。
問題は、lessonをしていて、
「毎回、同じ注意をしなければならない」と言う事です。

小学生の「初めて組」の生徒達が演奏出来なくって、同じ、注意を何度も受けるのなるば、・・それはそれで、理解出来るのだが、それを音大生になった生徒が、毎回の注意をどうしても理解出来なくって繰り返し注意されるのだから、暗澹たる気持ちになってしまう。

同じ、4分音符でも、orchestraの低音としての4分音符や、basso continuoに使われる4分音符と、Motivとして使用される4分音符では長さが違って来るのだよ!!
これは、曲毎に・・という分けではなく、或る程度の約束上に成り立っているので、ケースバイケースで、覚える事が出来る。
勿論、baroqueだけではなく、古典派の作曲家の場合でも同様に演奏するのだよ。
それを、小学校の時から中学校、高校と学んで来たはずなのに、音楽大学に入学した途端に、4分音符としてしか理解出来なくなってしまっている。

同じ4分音符の長さの伸ばしの音でも、orchestraやbasso continuoの低音の場合には、図1のようになって、Motivとして使用される場合には、図2のように、演奏するのだよ。
分かり易いようにデフォルメしたつもりなのだが、図1と図2は同じ長さとしてください。

図1を教室では、「エグリbow」と呼んでいて、図2は、暫定的に「baroquebow、古典派のbow」と呼んで、未だ名前を決めていません。
この奏法の名残が伝承的にwienのorchestraにwien奏法として残っているのですが、体験的な奏法として、ウイーン人達だけが演奏出来るtraditionalな口伝のみの奏法として、門外不出として残っています。

wienのviolinist達も、どうしてそんな音が出るのか、論理的に理解して演奏している分けではありません。

Genzmer先生がよく言われている「体験的に出来る奏法」なのですが、そのGenzmer先生の課題も、全部、私はclearしましたよ。体験的に出来る・・なんて、ある分けは無いのですよ。

根本(基本)を押さえないから出来ないのです。

Menuetのtempoやrhythmが分からなければ、歴代の演奏家ではなく、baroqueや古典派の時代のMenuetのdanceを、You Tube等学べば良いだけなのです。

運動音痴で、それが無理なら、よく映像を見てそのstepを覚えて、動いて見れば良いのです。
それだけで、絶対的なtempo感とrhythm感が学べるのですよ。音楽から離れる事がコツなのです。
Menuetはdanceであって、音楽よりも先にrhythmがあるからなのです。
作曲家はそのrhythmを拝借しているだけなのですからね。

自治会館の練習の時に、Polonaiseの1拍目のskipのrhythmが、生徒達が中々理解出来ないで、どうしてもskipが、タメ(溜め)がなくって、甘くなって、困ってしまったのですが、体が重くて、動くのが大変なのだけど、子供達のために、一回だけなら・・という事で、Polonaiseの1拍目のskipを生徒、先生達の前で踊って見せました。
上に思いっ切り飛び上がりながら、足を左右にバタバタと入れ替えるballetの中でも、超、高級難度の技です。

子供達は「わ~あ!!」と、驚いて、ビックリしていましたが(尊敬の眼差しで・・)、先生達は「出来るんだ!」と、別の驚きを示していました。

太っているので、今はもう、「絶対に無理!!」と思ったのですよね。
でも、勿論、その一発のみで、息が上がって、心臓パクパクになって、しまいました。
生徒指導も、命がけですよね。

でも、習ってもいないのに、どうして、そんな事が出来るの??って??
それは、私が、昔々学んでいた、古武道(居合や合気道)で、そういった事を学んだからです。

古武道では、先生が一度、生徒全員の前で、その技の演舞をして見せて、
「さあ、同じようにやりなさい!」と、言われるのですよ。
一回、見るだけでは、とても動きが早くて細かい所まで、見えないし、古武道の場合には、右手右足、左手左足が同時に相手に対しての攻撃になっていくし、防御と思われた手がそのままに攻撃に代わるので、動きの推移を見て理解するのはとても難しいのです。
しかし、昔々の古武道のlectureは、手取り足取りは絶対に教えてくれません。

一度見ただけで、再現が出来ないと、大目玉で、怒られてしまいます。

京都の豆腐作りの名人に、当時の京都市(府)長が、「もう、高齢になったから、そろそろ弟子を取って、その技術を伝えたら?」と、言ったら、名人は「作っている所は、誰でも見れます。」
「だから、私は何も隠してはいません。だから、盗みゃあいいのです。」という答えでした。
まさに、それが本質です。
学校教育では何も学べ無いのですよ。

自分から「盗もう」という意識があれば、見るだけで、聴くだけで、その技術を身に付ける事は出来るのです。

私も、昔の時代の学習法で学んで来たので、今のように、手取り足取りの方法は、嫌いです。
職業は各種あったとしても、proの勉強法は一つなのです。

昔々、学んだ古武術の学び方・・・、それがballetの動きを見たりする時の役に結構たってします。

剣道のように、竹刀をパンパンと打ち合わせると、日本刀なら、一瞬で、刃がボロボロになって、人を切る事が出来なくなってしまいます。

古武術の立ち会いでは、刀の刃と刃を、打ち合わせる事はないし、実際に相手の刀を防がなければならない場合でも、居合でも、相手の刀を防ぐ時には、刀の峰(反対側)で受けます。
刃の方とは違って峰は相当広いので刃こぼれの心配も、刀が折れる心配もないのです。
昔の古刀では、実際に使用したら、刃こぼれが必ずします。
私の知り合いの鹿児島の人が持っていた日本刀は、薩摩示現流なので、刃こぼれの位置が、切っ先ではなく、もっと内側で、何度も研ぎ直したので、刀身が真ん中の方が細くなっています。
いったい、何人の人を殺してきたのか??恐ろしい刀を見ました。
でも、人を殺した刀は、もう美術品の価値はありませんので、古物商にも売れることはありません。
私が、祖母に居合の練習のために、買って貰った、日本刀は(私の子供の頃は、銃刀法も無かったし、居合や古武術の練習用の模造刀も無かった時代です。)、お公家さん用の刀は古いものですから、峰に実際に刃を受けた後が残っています。
峰で刃を受けると、そのまま攻撃に転じる事が出来るのですよ。
まあ、古武道の話は余談ですが、どう演奏すれば、wien奏法が出来るかは、wienの人達も体験でしか知らないという事で、知らない事は教えられないのですよね。
当たり前の事ですよね・・???

私が子供の頃は、「男子、厨房に入るべからず」と言う事が一般的であって、私も一度も台所に入れて貰う事も、料理の作り方を学ぶ事もありませんでした。
と言う事で、中、高生になって、・・いや、大学生になって、自炊をするようになった時に、何一つ、満足に作れるものがありませんでした。
と言う事で、兄貴に「簡単に作れる料理はないのか?」と尋ねて、3色料理というのを教わりました。赤青黄色の具材を入れれば、なんとか偏食から逃げられる・・という事でした。
Piano科でtopの女の子にその料理法を教えて、1年程経った頃、その女の子から「もう、飽きたから別のmenuを教えて!」と言われて、驚いてしまいました。「ヒョッとして、この1年間同じ料理だけを作っていたの・・??」
流石は、Piano科のtopです。飽きもしないで、よくやるよね!!

図1はお饅頭奏法です。 図2はclip奏法になります。勿論、これはimage図なのですがね??



残っている文章はここまでです。後は、新たに作り直すしか方法はありません。


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Facebookより、参考までに:

今日は、腰痛に加えて、慢性疲労と相続の問題と・・で、朝から鬱が超酷くって、精神のself-controlが効きません。・・という事で、9月25日のオケのrehearsal の動画の編集や、練習のpointを書き入れたりしていましたが、余りにも鬱が酷くいので、VivaldiのOp.4Nr.2e mollの3楽章のCembalo-partを「智子ちゃんversion」に書き直しました。

「Cembaloのpartのrenewalについて」
Cembaloのpartは、かの有名なVivaldiのOp.3Nr.6のイ短調のviolin concertoのように、原譜のCembaloのpart(所謂、鈴木のPiano譜の事ではなく、orchestraのCembaloのpartのお話です。)が子供達にとっては難しくて、しかも、手の小さな子供達には演奏する事が無理な場合が多いので、(orchestraのCembaloのpartは、一般的な音楽を勉強する人達を対象にしている分けではなく、専門家の人達を対象にして書かれています。だから、当然、一般のamateurのPianoの人達に取っても、難しいのですから、当然子供達に演奏不能な楽譜も多くあるのです。と言う事で、・・)教室では、一人一人の生徒の手のサイズに合わせて楽譜を書き直す事もよくあるのですが、殆どの場合には、Cembaloを演奏する対象者が決まっていないままに、Cembalo-partを作り上げる事の方が多いので、不本意ながら、原譜よりも演奏が難しくなる場合もまま、あります。

今回のOp.4Nr.2のホ短調の場合には、Stravaganza(シュトラバガンッア)なので、※.)演奏している子供の年齢は兎も角も(小2ですが)、曲のlevelは、とても難しい技術を必用とする曲になるので、当然、伴奏のCembaloのpartもかなり難しくなります。
[※.)Vivaldiは、ピエタの女子修道院で、子供達にviolin等の音楽を教えていたのですが、Vivaldiの作品の多くはその生徒達のために作曲されています。ですから、作品番号に從って、その曲の難易度が決まって作曲されているのです。Op.3は比較的簡単に演奏出来る曲が集められていますが、このStravaganzaは、Titleの意味である「奇妙な、珍妙な・・」という意味に表さられるように、高度なtechnicalな曲を集めた作品集になります。]

特に、この曲の3楽章は、violin-soloが、orchestraの伴奏も、Cembaloと通奏低音の伴奏もなく、一人で演奏する場所が多かったので、そういった場所の補強の意味と、orchestraのpartに、結構、syncopationが多くて、乗りが悪くなる場所が多かったので、そこの場所に、Cembaloのpartを補って、弾きやすくsoloを充填する事にしました。
本番は上級生の智子ちゃんが演奏するので、Cembaloのpartを少し難しくgrade-upしても、演奏上には何の問題も無いからです。rehearsal 1回だけ歯科、準備期間が無かったのですが、智子ちゃんには別に問題はないので・・という意味です。

ついでに、violin-soloの62小節目から64小節目への2弦飛ばしで、Baßの音を弾くpassageなのですが、開放弦のDとGの音を良く響かせて余韻を残して演奏しなければならないのですが、(2弦飛ばしの余韻の開放弦の奏法は、紗來ちゃんのLocatelli や愛ちゃんのVivaldiにも出て来ます。)しかし、美音ちゃんの場合には、この難しいbowのTechnikは初めて出て来たTechnikで、tempoが16beatで早くて、2弦飛ばしをすると、弓が浮いて音が暴れてしまいがちなので、今回はviolaのsoloを入れて、演奏の補強をする事にしました。音を補強するという事ではなくって、余韻を響かせるという意味なのですがね。
2,3時間掛かって、3楽章のCembaloのpartを、全部renewalしました。

baroque時代や古典派の時代では、作曲者が、Cembaloのpartを、celloの楽譜を使用して、(celloと同じpartを左手で弾きながら)・・右手は即興で和音やepisodeを入れて演奏したので、作曲者であるCembalistが、orchestra全体の指揮をする事は当たり前だったので、興に乗ると、Cembalistが、華やかに演奏して、soloを助けてくれる事が多かったのです。
今回は、そこまでのVirtuositat(技巧的なpassage)はありませんが、Cembaloが、violinのsoloやorchestra全体の乗りを助けてくれるようにしてくれると思います。

「弾き振り」について
Vivaldi時代のorchestraの場合には、指揮者が音楽を指揮する事は、寧ろ・・稀で、一般的には、soloを演奏する作曲者自身が(或いは、作曲者がCembalistを担当して、演奏をしながら指揮をする・・所謂、「弾き振り」が普通の演奏形体でした。
そういう事で、発表会でも、これまでも「弾き振り」で演奏する事は良くありましたが、今回は教室としては初めて、斉藤先生が古式ゆたかに、弾き振りに挑戦します。proオケでは、弾き振りはsoloの人がする場合が殆どです。オケを指揮する時は、指揮者のように客席に後ろ向きでオケにeinsatz(指示)を送り、soloのpassageになると、客席の方を向いて演奏します。今回の斉藤先生の「弾き振り」は、violaのpartを補強するためなので、基本的には客席に向かって演奏する事はありません。


「鬱の話に戻って・・」
曲は、それで、中々良くarrange出来たのですが、不思議な事に、未だに、鬱が治りません。

どうした事かな??

普段ならば,難しい一仕事を終わらせると、気分がそれなりにスッキリ出来る時が多かったのだけど、今回は、全然、鬱が治らないのだがね・・??

人間、歳を取ると、鬱っぽくなるらしいのですが、病院で「鬱が酷いのですが・・?」と、相談すると、当然、「ああ、それは加齢によるものですよ!」と言われて、薬も出してはくれません。

友人達(同級生達は、不思議な事に、皆私と同じぐらいの年齢なので・・)は、「病院で薬を出して貰うと、結構、楽だよ!」と言っているのですが、そんな薬の話すら、出た事すらありません。

病院の先生の年齢が若いからなのかね・・??
私の慢性の鬱の症状は、多分、加齢によるものかな?? 

ちゃう!ちゃう!! 
単なる慢性の疲労だよ!!
歳を取ると、人生からリタイヤして、少しは楽になるのかな??と思ったら、逆に忙しくなるから、困ったものだよ!
幾ら時間があっても、足りそうに無いのに、逆に体力は確実に衰えていて、体が付いて来ないのでね。




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Facebookより、参考までに:

「私の夜の食事は、事務所で先生達と一緒に食べます。」
 ご存知の方も多いと思いますが、私は夜食は東京の事務所で、先生達やプリ・ドル達と一緒に食べる事にしています。

通常の日は、先生達が千葉教室から東京の事務所に帰って来るのは、夜の11時頃から12時頃までの間なのですが、先生達の次の日のlessonが非常に早い場合には、東京に戻って来ても、次の日の午前中には何の仕事も、事務的な作業も出来ないので、千葉泊りにする日もよくありますので、そういった先生達が椎名町に一人も居ない時には、(夕方にドル・プリのお守りに事務所に行って、後は)一人でハイツで食事をします。

 その場合には、勿論、夕食は、当たり前の事ですが、ワザワザ、夜遅くに食べるのではなく、早めに、自分の時間の中で食事をしたり寝たりします。

 そういった例外的な日を除くと、通常の夜食は椎名町の事務所で、仕事の申し送りをしながら先生達と一緒に食事をするので、どうしても夕食が時間的に非常に遅くなってしまい、夕食を済ませて、椎名町からハイツの自宅に戻って来るのは、深夜の1時頃、2時頃になってしまいます。


 深夜に食事を済ませて、ハイツへのバイクでの帰宅ですが、ここの所、毎夜、毎夜、それまでは、雨が降っていなかったとしても、私の帰宅の時に限っては、霧雨が振り始めます。

 まるで、誰かが、嫌がらせをしているような感じで、この一週間丸々椎名町の事務所を出る時には、降っているのかいないのかが分からないぐらいの霧雨とも言えないぐらいなのですが、ちょうどハイツ迄の途中、半分くらいの長崎の郵便局の手前で、必ず雨が本降りになって来て、ハイツに着くまでには、びしょ濡れになってしまうのですよ。
それが一日、二日ならばそういう事もあるでしょうが、この一週間、毎日なのですよ。
不思議だ!!~まるで単なる嫌がらせのようですね??
・・「誰の・??」って??・・勿論、プリの・・ですよ!
「帰るな!!」って言っているのですよ!!


「検見川教室のCembaloの調律を美紀先生にお願いしました。」
 昨日の金曜日は千葉の検見川教室でone lessonでした。
11月のbaroque-concertoの練習に備えて、検見川教室のCembaloを美紀先生が古典調律で調律してくれたのですが、普段の検見川教室のCembaloのpitchはA=443で調律をされています。


「baroqueのpitchとスライド鍵盤について」
当然、今回のオケ練習の時のCembaloのpitchも443cycleですが、baroque音楽の演奏の時には、他の楽器も当然、baroque楽器を使用するので、pitchはbaroque-pitchになるので、鍵盤をスライドさせて、Aの音をGisの鍵盤の所に持って行きます。
(鍵盤をスライドさせて、Aの音がG#の所になるように鍵盤を移動させるので、Aのkeyを弾くと、半音下のG#の音が出ます。)

通常は、CembaloをA=443の演奏会高度で調律するので、G#のpitchは418のcycleになります。
但し、一般的な書籍での説明では、Aのpitchを、標準のA=440のpitchとして説明するので、その場合には、Gisは415cycleとして、説明してあります。


 しかし、実際には、A=440の標準pitchは、演奏会では使用される事はなく、日本でも教育会館や、教育大学の場合だけが使用していて、音楽大学では、通常は442で調律されるのが一般的です。
という事で、一般のホールでも、442cycleから443cycleが普通で、経験上は、443のpitchが日本でもorthodoxになっています。


「家庭でPianoを調律する時には・・」
 音楽教室や、家庭でのPianoの調律を、調律師に人にお願いする時には、特にオーダーとしてお願いをしない限り、440の標準pitchで調律をされてしまうので、(一般の教室で、絶対音が身に付く事は稀ではありますが、一旦、440で絶対音が付いてしまうと、音楽界で演奏活動をしようとする時に大変な事になってしまいますので)、教室に入会する生徒の人達には、調律の時に、調律師の人に必ず443でtuningをするようにお願いするように、指導しています。

教室では、非常に稀な絶対音感を簡単に身に付ける事が出来るので、教室の生徒の大半は絶対音感を持っていますので・・。
 
という事で、教室では、子供達の将来のために、Aのpitchは、演奏会用のpitchである、(A=443の)演奏会高度を採用しているのですが、その場合には、baroque音楽のための、スライド鍵盤では、A=418cycleのbaroque-pitchになります。


「演奏会pitchを古典調律で調律した時に、スライド鍵盤でbaroquepitchにした場合のお話ですが・・」

何時もの長い、長い前置きで、ここからが、今日の本題のお話なのですが、実際に、Aのpitchを443のcycleでmeantoneで古典調律をして、それをbaroque-pitchのA=418cycleに(スライド鍵盤でGisに)鍵盤をスライドさせると、通常の三和音がとんでもない響きになって、色々な曲の演奏が出来なくなってしまいます。

つまり、A=443のpitchで、A Durの和音を調律したとして、スライド鍵盤でAの音をGis(ソ#)に持って行くと、A Durの三和音の実際の音は、Gis,His,Disという三和音になってしまうからです。enharmonic(異名同音)で読み替えて、As Durの主和音としても、A Durからの距離は、一番の遠隔調が、Tritonusの増4度のE♭なので、その一つ前の調になって、大変遠い調になってしまうからです。

・・という事で、調律を変更するとしても、AとAsの両方に良い効果を齎す調性等というものは、ありませんので、meantoneよりも、許容範囲が広く、しかも、WerckmeisterやKirnbergerの調律よりも、pureな純正の調律に近い古典の調律法を選ばなければなりません。

という事で、「Vallottiの調律法」に変更して、調律をし直す事にしました。


「検見川教室のCembaloを調律し直そうと思ったら、な、な、な、何と・・??」
 ・・・・という事で、調律のための1時間を考慮して、それと牧野先生のlesson開始に合わせて3時半に千葉に着く予定で事務所を出発する予定だったのですが、当日は、都内の高速が大渋滞で、少し早めに事務所を出る事にしました。
予定した通りにあちらこちらで渋滞に出会ったのですが、思ったよりも渋滞が流れていて、時間が掛からなくって、私のlessonの2時間前に検見川教室に到着しました。

「2時間もあるから、ゆっくりと調律出来る!」と思って検見川教室に入ったのですが、「な、な、な、なんと!」検見川教室は、その前のオケ練習で使用した時のままのオケversionの状態になっていたのですよ。

私のone lessonが検見川教室に入る事は、先週は決まっていなかったので、オケ練習を想定して、パッと練習に入れるように、楽器類を整理していたのですよ。

私一人で、Kontrabassや荷物置きのラック等の位置(置き場所)を移動して、lesson用に部屋中の物の置き場所のlayoutを変更するのに、小一時間は掛かってしまって、ゆっくりと調律出来ると思ったのは糠喜びでした。

やっと、tuning出来るように、環境が整って、「じゃあ、tuningをしようか?」とは行きません。
古典調律で、どの種類の調律が一番上手く行くのかを、確かめないといけないからです。
と言う事で、いきなりtuningには取り掛からないで、先ず最初に、最初1列のoctaveだけtuningして、鍵盤をtransposeした時の和音が聞くに耐え得れるかを、色々な和音を弾いてcheckして、最終的に、先程のVallottiの調律に決めました。
それ等の雑用で、tuningのための時間は、30分強ぐらいの時間しかなかったのだけど、何とかlesson開始の5分前までには、tuningを終わりました。
いや~あ、冷や汗ものだったよな??

だって、オケ練習が終わって、全員で片付けた楽器類やラック等を全部一人で、整理し直したのだから・・ネ??


lessonは桃迦ちゃんのPianoから始まって、高校生のDvorakのconcertoまでで、10時終了だったのだけど、それから後片付なので、検見川教室から出発は11時近くになります。
それから椎名町に戻って、今日、始めての朝食を食べて、椎名町からハイツに戻ります。

・・と言う事で、上の文章につながります。めでたし!めでたし!!
でけた!でけた!!アハッ!



「でけた!」ついでに、今日(12日の夜は逆versionで、ハイツから椎名町に出かけるために、駐輪場を出発する時には、未だ雨が降っているのかどうか、分からないぐらいだったのですが、長崎小あたりで本降りになり始め、椎名町に着いた時にはびしょ濡れになりました。
・・・そのままドルっ歩だったのですが、お散歩になった途端に雨は完全に止んでしまいました。
プリの晴れ晴れ星人の妖怪度は年間にすると、95%超になります。
どんなに大雨で暴風の時でも、散歩の時だけはピタッと止んで、散歩が終わって部屋に入るか否かの瞬間に大雨に戻ります。




古典調律の仕組みを一度先生から教わりたいと思いつつ、一朝一夕では無理そうで、はじめの一歩を踏み出せずにいます(>_<)


調律の原理は、wineと同じで開いているか?閉じているか?だけの話です。
平均律と古典調律の違いを簡単に説明します。
時計の文字盤をイメージして、時計の文字盤の12時をCとした時に、それぞれの音を完全5度でtuningすると、12個の音をtuningして、Cの音に戻った時にはCの音が同じ音ではなく、だんだんに開いて行きます。(トルネードのように渦巻状に・・です。)
それを開いた調律という事があります。
そのために最初にCを同じpitchの音にして、半ば強引に円になるように引き寄せて、12等分したのが、所謂、平均律になるのですが、実際には、そのpitchの狂いは、完全に均等に狂わせるのではなく、音の利用頻度に寄って、或る程度の狂いが決まっています。
平均律も本当ならば、自分の好みに楕円形にする平均律の調律があっても良いのです。(ダリ風の時計かな??) 
それに対して、pure3度と完全5度を使用して調律する、所謂、古典調律には、pure3度と完全5度で調律をすると、必ず、どこかの音に皺寄せが来ます。
その皺寄せの音をWolf-toneと言います。(弦楽器のWolf-ton と同じ意味です。) 

その音の狂わせ方が色々にあって、有名な調律法だけでも、8種類か、9種類があります。
音を順番に3度とpureな5度で調律して行くと、meantoneの調律が出来ますが、私の場合には、一々順番を思い出しながら調律するのは面倒くさいので、古典調律の出来るtunerを使って、音の調律をします。
proの調律師は、真面目に、音の唸りで合わせて行くのでしょうけれど、私の場合には、30分や小一時間の間に、大急ぎで、調律をしなければならないので、時短んが勝負なので、そういった難しい理論的なapproachは「ネットで、でも調べてくれ!!」・・ってな感じで、生徒達にも教えてはいません。
私自身も詳しくはないし・・ね?? 

兎に角、私の場合には、調律は時間との勝負なので、理屈は放ったらかしで、古典調律の出来るチューナーを買って、それで音を合わせています。
今は、スマホのアプリにも古典調律のアプリが出ているそうで、教室のcelloの生徒が入れていましたよ! 

調律自体は耳で音を合わせるだけなので、難しいものではありませんが、平均律とは違って、純正の響きが必用なので、それぞれの音の狂いは、かなり精度を上げて行かないと、tuningし終わった時に、美しい響きがして来ません。 

でも、純正調の理論は音響学の世界なので、調律には必用ないので、実際に音楽家に取っては、・・Cembalo等のtuningをする場合には直接は必用はありません。 

古典調律で
どの調律法を採用するのか?というのは、その人の好みもあるでしょうが、基本的には、曲の調性にもよるので、それぞれの調律の特性を覚えておけば、良いのです。

しかし、困った事にそういった各調律の特徴や特性を説明した論文は見当たらないので、色々とお話をしても、私の個人的な感想になってしまいます。  

という事で、実際に調律する上の「tuning」で難しいのは、Cembaloの場合には、Pianoのような巨大なハンマー(tuning-hammer)で、ぐいと力を入れてtuning出来るのですが、Cembaloの場合のtuningでは、小さな十字のtuning-hammerを使用するので、つまり・・Cembaloの弦の場合には、弦がとても細いので、ほんの少し、チョッと力を入れただけで弦が切れたりするので、難しいのはそこの慣れです。 

・・でも、私はこれまで一度も弦を切った事はないし、生徒達も弦を切った事はありませんので、注意して乱暴にしなければ大丈夫なのですよ。 

もしも、tuningの時に、弦を切ってしまうケースでは、よく間違えて、隣の弦をtuning-hammerで回してしまって、弦を切ってしまう場合があります。
だから、私は
弦のpitchが変わらない場合には、先ずpitchを下げるように指導していますが、それはviolinの調弦でも同じだよね!! 

T字hammerの使い感は、spinetのような一列の鍵盤で、4,5回も練習して、力加減を覚えれば、別に難しくはないと思いますよ。  
色々な調律の種類の好みは、個人の好みと演奏する曲で決まります。  

よく、Bachの平均律クラビア曲集で、
Bachは平均律の調律を使用した・・と言われていますが、そうではなくて、Bachの「平均律クラビア曲集」のTitleの「Wohltemperierte」の「temperirte」の意味には、平均律という意味の他に、完全に調律された音律という意味もあって、曲毎に、その曲にあった調律をする・・という意味も含まれています。

それ以前に、Bachの時代に、近現代の平均律に近い調律法があったのかね?? 

未だ古典調律の時代なのだからね??  

また、古典調律でも、Bachの好きな、(というか、お弟子さんでもある)Kirnbergerや、Werckmeisterの古典調律は、平均律に近く調の自由さは持っているのですが、その分当然、3度の響きが甘いので、純正調の響きが弱く、私的には好きではありません。

Mozartがmeantone(ミーントーン=中全音律)という調律を好んだのは有名な話で、MozartのPianosonate kv.333B Durの曲をmeantoneで調律しされたforte-pianoで演奏したYou Tubeを聴いた時に、「この世にこんな美しい響きがあるのだ!」と、感動してしまいました。
この歳になると、「感動した!」なんて言葉はそうそう出て来るものではないのですがね。 
meantoneの調律は一番純正の調律に近いもので、それはそれは美しいのですが、残念ながら、当然、限りなく純正に近く調律するので、その皺寄せとなる音が幾つか出て来ます。

A♭(G#)と、E♭(D#)の音で、所謂、Wolf-tone(狼さんの唸り声)です。 

その音のために、使用出来る調が限られて来ます。

例えば、
Hennry purcellのchaconne gの場合には、g mollの主要3和音は問題ないのですが、しょっちゅう出て来る「napoliの6」の和音の時(N6♭)、EsとAsとCという和音になるために、とんでもない汚い和音の響きがしてしまい、meantoneが使用出来ないのです。

・・と言う事で、そういった調の不具合を是正するために、meantoneには、二つの調律が考えられているのですが、それでも、使用出来る調が限られて来ます。

・・それで、今回の調律の話になって、美紀ちゃんがbaroqueのpitchでmeantoneで調律して、スライド鍵盤で標準のA=443に戻したら、和音がすべてダメになって、演奏不能になったから・・、という事で斉藤先生に「何とかして!」と頼まれて、調律のやり直しに行ったのですよ。

先ず、1列だけ、しかもA2~A3のoctaveだけを調律してcheckをしてVallottiの調律が一番被害が少なくて、しかも、WerckmeisterやKirnbergerよりも、純正の調律に近いという事で、今回は取り敢えず調律して起きました。

但し、今回の秋の発表会では、先生達のbaroqueの演奏はないので、Vivaldiのa,e,DとMonnのgとLocatelli のFだけなので、多分meantoneに調律し直すと思います。

調律の勉強は全く必用はありません。
「兎に角、慣れろ!!」・・です。



古典音楽を純正に和音で、violinと演奏するという意味ならば、Rolandのデジタル・ハープシコードをお薦めしますよ。
古典調律は色々と元から入っているし、pitchも任意に設定出来るし、Cembaloの音色もフレミッシュ・モデル等の音色のCembaloが選べるし、forte-pianoの音色や、教室にあるのと同じ室内楽用のポジティーフ・オルガンの音も、素晴らしいです。(クリスマス会でAlbinoniのadagioで、音が聴けますよ!)コンパクトで運ぶのには理想的な大きさなのですが、何と、持ち運び用のケースが売っていないのですよ。
足だけでも結構な重さなのですがね??

でも、ケースがあれば、そんなに重くはない・・と思いますがね。 

楽器についての細かい説明はFacebookの15年の11月の2日前後の欄に書いてありますので、参考にしてください。 

PianoのないホールやCembaloとオルガンやforte-piano等の楽器の交換もボタン一つだし、baroquepitchとmodernpitchの切り替えも楽だしね??


あの渦巻きが昔からどうしてもぴんと来なくて、そこでつまずいているんです。
学生の時にわからなかったことがある日突然、あ!わかった!ということがたまにあるので、渦巻きもそれに入ってくれるといいのですが。
ローランドのハープシコードは一度触ったことがありますが、そんなにたくさん機能があったんですね。
家にあったら楽しそう・・・


Rolandは私の是非お薦めの電子Pianoです。
勿論、Cembaloやforte-piano等や古典調律などのbaroqueと古典派の時代の専門の楽器なので、popularやjazz、Classicでも近現代が趣味の人達には、無用の長物なのですが、MozartやBachの時代の音楽が好きならば、欠かせない楽器ですよ。


私が留学をした頃は、貧しい部屋借りだったので、Pianoのような音を出せるものが欲しくて、しかし、当時はKeyboardのような電子機器は未だ無かったので、ライゼ・クラヴィコードを買いました。
右側の写真です。

当然、今のような電子tunerのようなものは無かったので、調律の本を買い込んで来て、3度調律や5度調律で調律をしました。
勿論、私が留学をしていた60年代には古典調律等というものは未だ無かったのですよ。
(誤解を招くので補足説明をします。・・勿論、古典調律は歴史的なものなので、その存在はありましたが、古楽器でperiod奏法で演奏するという習慣が失われて、そういった技術的なものがオーパーツになってしまって、そのために、文献も一般に目に留まるように出版される事は全く無かったのですよ。)でも、弦楽Quartett等の同族楽器による純正の響きにはとても興味があったし、Münchenの学校でのカール リヒター教授の影響もあって、純正の和音には強い興味があったので、私のClavichordで、主要三和音と、常時使用する副三和音をpurに調律してbaroqueやrococoの音楽を演奏するという事をして遊んでいました。

その時に、purな和音を積み重ねて行くと、「一つの音に皺寄せが来る」事を発見して、・・
では、どの音に皺寄せを持って行くか??とか、試しました。

今にして考えて見ると、それが中全音律、所謂、meantoneだったのですよね。

開かれた調律というのは、12時をCとして完全5度でtuningしていくと、11時のFから12時のCは、開いてかなり高い音になってしまいます。
だから私はCからFへ完全5度を取って、何処かに皺寄せを作るのですが、私の場合には、よくB♭に皺寄せ(Wolf)を作りました。

meantoneの場合には♭二つまで、#を三つまでに限定して、調の利用頻度を上げているだけなのですよ。
baroque時代では、一番多い調なのでね。 
ちなみoneですが、だから、それぞれの完全五度を少しずつ、素人目には分からない程度に縮めて、12個を調律すると、理論的には閉じたCにする事が出来ます。

理論的には・・?という意味は、全部の音を均等にズラすと、慣習的には余り良くないので、利用頻度の多い調にリスクを少なめに調律するのが一般的です。 

ちなみsecondですが、violinやcelloの弦を五度調弦する時には、私の場合には、Aの基準音に対して、Eは狭く、DとGもAに対して狭めにtuningします。
それはPianoやorchestraが平均律でtuningされるので、その異差を少なくするためです。

MendelssohnのconcertoのⅡ楽章の長い開放弦のGの音ですが、教室の生徒の場合には、5度を詰めて調弦するので、余り気にならないのですが、開いた5度で調弦するviolinistの場合には、五度がもろハウリングして気持ち悪いです。
演奏家本人は「正しくtuningしているのだから・・」と気にしていないようなのですが、汚いものは汚い!!のですよ!


なんだか12時のやつが少し解った感じがします!


本物の時計でpitchの出る五度圏の時計が欲しかったのですが、写真の時計ともう一つ同様の時計があったのですが、いずれも今は、制作されていなくて購入は出来ませんでした。 それに市販の時計はAの音が標準pitchの440なので、proの活動をする場合でも、amateurとして、オケに乗る場合でも、すこぶる都合が悪いので市販の時計は買う事が出来ません。
pitchを演奏会高度に合わせて、オーダーで作ろうと思ったのですが、オーダーの時計を受け付ける所は、1点物は作って来れないし、余りにも金額が高いので、断念しています。 
さて、古典調律で一番美しいとされるmeantoneですが、meantoneでは、
何故、AsとEsの音をWolf-tonに調律するのか?という事が気になって、その理由を調べようとしたのですが、文献にもネットでも書いて無かったので、私なりの理由を、補足説明しておきます。 

実はこの時計で
一番の問題点は、Cが、0時(12時)から始まっている事にあります。

Cembaloを調律する場合には、
基準音はAなので、この時計の3時を正時にしなければならないのです。 
そうした場合には、一番の遠隔調(Tritonus)はEs(Dis)になるのです。

そして、その次の犠牲になる調ですが、その候補となる調は時計回りと反対のB♭と、時計回りのAs(Gis)ですが、#と♭の数の問題ですが、B♭DurがAisDurになる事は有り得ないし、GisDurの可能性もないので、♭系だけを考えれば良い事になって、Wolf-ton の音を持って行くのは、B♭かAsの音になります。
弦楽器の場合には、♭2つのBDurと、♭4個のAsDurでは、利用頻度は圧倒的にBDurの方が有利になるので、必然的にWolf-ton はAs(Gis)の音になります。

勿論、色々な調に対応出来るようにmeantoneの調律にも色々なvariationがあって、調に対応出来るように複雑怪奇な調律の種類があるのですが、(その理由は、基準音をAにしたままで、音の比を調整して調律しようとするからです。) 私だったら、皺寄せのWolf-ton のTritonusの位置をズラすだけで、安直に対応しますがね。
3時のAの基準音を12時に持って行けば、Wolf-ton はFisとHの音になりますからね。
時計を見て基準音を決めれば良いのですよ。

・・と言う事を、proのCembaloの調律師に説明したのですが、分かって貰えませんでした❢❢
どうして、人はもっと単純にシンプルに物事を考えられないのかな~ぁ??
アハッ!




Aを12時にしたmeantone用の時計を作って見ました。
この時計を見ると、一番遠い調(遠隔調)のTritonusの調が、D#であり、その次の選択肢がB♭か、G#の調になります。そうすると当然、調性としての利用頻度から、G#若しくはA♭よりも、♭2つのB♭の調になります。


調律、ありがとうございます。私もイマイチ理解が出来ていなくて…
ローランドの電子チェンバロ、オシャレで機能もいろいろあっていいですよね。


素晴らしいのは、コンパクトさでしょうね。
CembaloやOrganの場合には本当の楽器自体も、基本55鍵から61鍵なので、Pianoと違って大変コンパクトになります。
Christmas会でのOrganの音です。
初お目見えかな??
曲はAlbinoni=Giazottoのadagioです。
https://www.youtube.com/watch?v=J7QvAUNsQ-s


大人2人で運べるのは魅力的ですよね‼︎

Rolandの電子Cembaloは、本当はケースさえ有れば、男の子一人で運べますが、標準装備で付いていないので、ネットで探して、楽器のケースは何とか代用出来るものが見つかったのですが、足の部分を運ぶケースが見当たらないのですよ。

Keyboardのケースで良いと思っているのですが、ちょうど良いサイズのが見当たらない。
Reise-clavichord(=ライゼ・クラヴィコード) 蓋を閉めると、長細い箱になって、片手で運べます。
一人で深夜にBachやCouperin等の作品を愉しむのは良いのですが、音が小さすぎてensembleが出来ません。
・・・と言う事で、欲しがっていたCembalo製作者の人のspinetと交換しました。


クォリティ重視でなければケース作りますよ(*^^*)


有り難いですが、結構重いので、そう言った材質の布はあるのかな?
或いは、大きめのKeyboardケースを買って、それを縮める・・・というのでも良いのかな??
そこら辺の話は私には、全く分かりません。


ネットで探した開いた五度圏の図ですが、著作権の問題があるし、enharmonic用の
(日本語ではなんと言うの??全音階的な・・とでも言うのかな??) 五度圏なので、絵の意味が違うので、※1)その内に私が作った図に交換したいと思います。
※1)このトルネードの部分は、単に、異名同音を書き表しているだけなので、ワザワザ、トルネードにする必用は、あるのかな??

だって、トルネードの意味は「音が違う」という意味でしょう??

enharmonicという意味は、同音という意味を含んでいるのだからね??
この図は徒に誤解を招くよね??

円の五線は解決しましたか?



この五度圏は平均律の調性を表しているだけの、閉じた五度圏の表なので、渦巻きの意味は、単にenharmonicの表記を表しただけなので、渦巻きである必然性は全くありません。
開いた(純正律の)五度圏の場合には、渦巻きの交差する場所は、(もしCの0時からスタートするのならば、)同じ調である0時のCから開きます。
勿論、それ迄の5度の音も少しずつ開いて行くのです。
という事で、開いた五度圏の渦巻きの五線紙を書く問題は未だ解決していません。

絵が上手ならば、取り敢えずは、手書きで渦巻きの五線紙を書けば良いのですが、私は手書きは超苦手なので・・!
他の方法を考えています。


補足説明に少し追記しました。



五線紙をプリントするハンコを線と線の間のサイズ違いを2種類netで購入しました。
板の上に厚紙を置いて、中心に手芸用の針で糸を通して、円と楕円を書いて、それをtemplateにしてscannerで取り込んで、作る予定です。

取り敢えずは、photoshopで、meantoneのWolfの表を作りました。
Aの音から一番遠いTritonus(増4度)の音に、Wolfの皺寄せを作った・・・という意味の表です。

12時の位置に、Cの音ではなくって、Aの音が来ているのは、Aの音を基準音としてtuningをするからです。

tuningの場合には、和音は異名同音のenharmonicでtuningされるので、12時の位置には、a mollが来ます。(同主調では無いのですよね。)


もう一つ大切な事を説明するのを忘れていました。
補足説明です。 

baroque時代の作曲家達は、このmeantoneのWolf-toneの問題をどう解決したか??・・・という話です。
その大きな解決の一つが、meantoneのような、極めて汚いWolfが出来るkeyを上下に分割する・・という方法でした。
次の写真は古い分割鍵盤の楽器です。
上記と同じ理由で、baroque時代、当時から2個の鍵盤だけが分割されるのが一般的でした。
古い楽器やmodernの楽器とも、一番低いF#のkeyが分割されていますが、この場合には、縮小鍵盤の役割も出来るので便利だからだと思います。
勿論、純正調のためには、24分割という楽器があっても良い(実際にはある)のですが、実際の演奏上の理由と、楽器制作上に掛かる技術的、経済的な理由から一般的にはなりませんでした。


baroque時代の楽器やmodernの楽器で、12個の鍵盤が全部分割鍵盤になっている楽器を見た事がありますが、とても贅沢な高価な楽器であると同時にそれだけtuningしても、如何なものか?という気がします。
何故、
如何なものか??という意味は、先ず24分割では、和音を弾く時に、どのkeyがその和音上のkeyなのか、楽譜上では判断が付かなくなってしまうからです。

24分割の音楽はインドの音楽がその音階ですが、楽譜上で⇑⇓で一々表すのならば、新しい記譜法を考えて24平均律の楽譜を作った方が手っ取り早いのですよ!! 

という事で、meantoneのWolfの音(Gis=As,Dis=Es)の二分割だけで充分では・・ないのかな??・・・と私は思います。

そういう事で昔からあった楽器の復刻楽器なのですが、新しく制作された楽器での分割鍵盤です。
写真として、見やすいので、同じ分割鍵盤の楽器なのですが、もう一度、掲載しておきます。


正規のmeantoneの時計です。
五度圏ではなくって、音階の時計なので、7分割の#と♭で21分割になります。cycleの一覧表は、次にupします。
つまりbaroque時代や古典派の時代には、極めて純正調に近い時代だったのですよ。
だから、当時の人達の方が、音楽のpureな音に敏感だった分けですよ。


5度圏の時計、売っているのかなあ・・・欲しい!


前のコメントにも書いているように、五度圏の文字盤の時計は壁掛けのタイプと腕時計のタイプが売られていたのですが、いずれの時計も、もう販売されていません。
それに、五度圏の時計の時報がそれぞれのpitch(単音)や和音が鳴っていたとしたら、
・・もしも、今でも販売されていたとしても、教室ではそれを購入する事は出来ません。
「それは、何故か??」と言うと、一般的には、Aの音は標準のpitch=440を使用するので、通常の音楽の社会では、そのpitchは使用されていないからなのです。

もし、今も標準のA=440のpitchを使用していたとすれば、そこは、小学校から高校迄の教育界の現場と、教育会館等の文科省の管轄の会場だけなのです。

音楽の専門の音楽大学や、一般的な音楽ホールでは、演奏会高度という基準音を使用します。

他の音楽教室から教室に入会して来た生徒の中には、極稀にですが、絶対音の基準のpitchが440cycleの生徒がいます。

絶対音感は、一度身に付いてしまうと、直すのが難しいので、最初に音感を身に付ける時に、正しいpitchを身に付けた方が望ましいのです。
ですから、家庭で学習するPianoの調律等も、調律師の人に、440ではなく、442か、443の演奏会高度で調律をする事をお願いする事を忘れないようにしてください。

Keyboard等を購入する時には、必ずpitchの調整が出来るタイプの楽器を購入しなければなりません。
電源を落とすとpitchが元の標準pitchに戻るタイプの楽器が多くて困ります。
こういった所にも、日本人の親方日の丸的な、基準を一般的な音楽界の常識ではなく、文科省のお役所が決めた基準に従う・・という、所謂、double-standardがまかり通っているからなのです。


最初のお話に戻って・・・)それはそうと、ここの所、立て続けに、夕食の時間に寝込んでしまって起きれなくなって、一緒に食事をする事をスッポカシてしまっています。

夜の1時、2時の、普段ならば食事を終えて、事務所から帰って来る頃に目が覚めて、慌てて先生達にmailをするのですが、食事は諦めて、寝込む前の仕事を片付けたり、2度寝をしたりしています。
腰痛のロキソニンを飲み始めてから、それが酷くなったように思います。
下手な睡眠導入剤よりも、良く熟睡出来たりして・・・??
アハッ!




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16年の6月の15日にVivaldiのviolinconcertoのe mollの1楽章のlessonのvideoを撮影して、20日にその演奏法の解説をYou Tubeへuploadしましたが、その解説が今少し・・「舌足らず」で心残りだったので、D Durのconcertoのlecture-videoを月曜日に撮影したので、その機会に前回のe mollのviolinconcertoの補足説明のvideoを再び「撮り直し」しました。
https://www.youtube.com/watch?v=J5GHw6T3P8I
(16/07/11撮影)この動画は削除しました。

主な説明の箇所は、18小節目からの、1対3のbowslurの説明なのですが、baroque時代のbowslurでは、調の重要な音やthemaの中心になる音に弓が使われるようにbowslurを書きます。殆どの弦楽器の演奏家や指導者の人達に、「Bachの不可思議な机上のbowslur」と言われている一見するとeccentricに見られるbowslurも、そのbaroque時代の音楽理論によるbowslurの原則に従って書かれているものなのです。

baroque時代は、神への崇拝が数学的物理的な論理性と相俟った時代で、そういった数学的な合理性が神への賛美として評価された時代でもありました。
Bachに見受けられるように、複雑な対位法(Kontrapunkt)によるfuga等の複音楽(polyphony)の作曲がなされていた時代です。
当然、その様式は、作曲だけではなく、音楽の演奏にも表れています。
それが論理的なharmonyを表現するbowslurになります。
そういったbaroqueの様式への行き過ぎに対しての古典派なのですが、その過渡期には、所謂、galante様式(1750~1770)であるロココ(rococo)の時代(CouperinやC.P.E.Bach等)が来ますが、VivaldiやBachは未だその一昔前の、baroque様式にどっぷりと浸かっていた時代なのです。
未だ、音楽と論理性(数学)が結合していた頃の時代なのです。

そういった時代様式の論理的な理解がないと、BachやVivaldi達が無意味、無策にbowslurを書いたように曲解されてしまう事が多いのです。
という事で現代の結構高名なviolin奏者でも、当時のbowslurを、「単に、violinの黎明期で、時代的にも幼稚な弓使いである。」等々とか、・・とんでもない事を平気で言っているのですが、それは単に、その時代の様式に対して無知である・・にしか過ぎません。

それがアマチュアならばいざ知らず、proがそういう事を言う事は、無知だけでは済まされないのですが、未だに、世界的に見ても、高名な弦楽器の奏者でも、baroque時代のbowslurの意味を理解出来ている人達は少ないので、困まってしまいます。

流石に、世界のperiod奏法の演奏家達は、その原則論をちゃんと理解して演奏しているのですが、日本には自称baroque音楽奏者が多いので・・ネ??
酷い人達では、baroque楽器も持たなくって、単にbaroque音楽が好きだ・・というだけで、自称baroque音楽の演奏家・・と、曰わっている人もいたりします。

という事で、baroque時代のbowslurの説明も兼ねての補足説明です。

それはそうと、こんなとてつもなく難しい音楽原理を音大生ならいざ知らず、小学生のオケ練習で指導説明をしているのを、不思議に思われる人も多いようなので、それに対して弁解をしておきます。

オケ練習では、年齢に関係なく技術で割り振りして曲にチャレンジしているので、冗談抜きに小学生から音大生までが一同に会して練習をしていますが、不思議な事に私の説明を理解して来れるのは、年齢ではないのですよ。
小学3,4年生の子供が私の言う事を理解し、覚えて、中、高生の方が、チンプンカンプンと言う事は、普通なのですよ。
普通!!
それに音楽大学では私の理論は間違いとされるので、私のtheoryで演奏すると、音大の先生達に叱られてしまうので、弾き分けをしなければなりません。
教室では音大型の演奏をすると、「aids奏法だ!」と厳しく怒られるので、その板挟みになるのですよ。(aids奏法という事を言い出したのは、BerlinPhilのconcerto-masterであるSchwalbé先生です。
何度注意しても改善されない日本人特有の演奏上の問題点を藁半紙2枚に30項目以上も書き出して、「あなたは、数字の○番と○番と・・、に該当するので、それを直して置いてください。」とカザルスホールでの公開lessonでやっていました。
生徒達は、皆憮然としていたね。
それでも、ちゃんと注意をしてくれるから良い方ですよ。

最前列には、某国立音楽大学の教授連中が並んで座っていて、「フン!フン!」とうなづいていたのだけど、「おいおい、君達の事、注意されてんじゃないの?」と、どこ吹く風と聞いているのには、笑えたね!!

Aaron Rosand先生に至っては、violinの演奏は放っておいて、伴奏者に対してのみ、これ見よがしにlessonをするというイジメをやっていたからね。
でもこれはRosand先生の性ではなく、先生の注意を誰も守ろうとしなかったからなのですよ。
自分の先生の言う事が常に正しいと思うのなら、(或いは認められる事を前提としたlessonを受講したいのならば)公開lessonは後悔するだけなのだよ!
世界的に著名な演奏家で、日本流の演奏法を認める人はいないのだからね。


余談はさておき、音大でこういった弦楽器の奏法のルーツであるVivaldi等のbaroqueの演奏法やStamitz等の古典派の奏法を学ぶ事は絶対にありませんからね。
academicな音楽大学はacademicではなく、日本の家元制そのものの情緒的感覚的な世界なのですからね。
教室から音大に進学した生徒達に、必ず注意する事は、音楽大学の先生に「どうして、そのように弾くのですか?」と質問してはイケない・・と言う事なのです。
質問をする事は、先生が生徒から、自分のi dentityを否定された事になるからです。
質問に答えられる先生はいないしね??
教室では、質問をしないと怒られるので、そのギャップは大きいのですよ


https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=A6pPsZOG6XY&ar=3
2016年5月22日のオケ練習風景



2016年7月13日 ·
月曜日にVivaldiのviolinconcertoのOp.8Nr.11D Durの1楽章のsoloの部分の解説のvideoを撮りました。
この曲の冒頭のthemaは、F Durのconcertoのthemaと同じで4分音符が3個出て来るのですが、3回目がslurになっているので、通常は、最初の2個の音を切り気味にして、3回目の音を少し長めに演奏して、slurを強調して演奏します。
それはVivaldiが3回目の音にTieを書いているので、それを強調するためにそのように演奏する分けなので、極、稀には、違った解釈で、3回とも長めにsostenutoで演奏しているorchestraもあります。
但し、その場合には、最初の2回の音符の長さと、3回目のTieの音符の長さの違いが聞き手には分からなく、3回とも同じ長さに聞こえてしまうので、それを前提にした演奏になります。
でもそれはTieを強調するか否かの(ドイツ語ではDas ist Geschmackssche.)好みの問題になります!

ある時に、You Tubeで教室の生徒さん達に参考になる良い演奏を探していた時に、proのbaroque-orchestra(所謂、period奏法のbaroque-orchestra)の演奏にヒットしました。
そのorchestraは、最初の2回の4分音符を思いっ切り短くstaccatoにして切って演奏して、3回目のTieを繋げて演奏していたので、「そこまでオーバーにしなくても・・??」と、思わず笑ってしまいました。

しかし、実際に次のオケ練習で、子供達に演奏させると、(これまでは、いつもちゃんと出来ていたはずなのに、又々、元の木阿弥で、)3回とも短く切って弾いていたので、驚いてしまいました。

いやあ~、proのperiod-orchestraの奏法は、笑い事ではなかったのですよね~???

暫く放って置くと、またぞろ、元に戻ってしまうのですよ。
教室の子供達のorchestraが、毎回同じ注意をしなければならないのは、子供達にとっては、3回とも、同じように切って演奏する方が自然なのかも知れませんね??
私達、指導する側にとっては、正式のarticulationに慣れて閉まっているので、3回目をslurにする事に慣れてしまっているのですが、proのオケがそこまでオーバーに演奏しなければならない程、3回目のTieを強調する事は難しいのでしょうかね??
不思議だ??
(もっとも、子供達にとっても、そのpassageは、技術的に難しい分けではなく、単に思い込みによるものなので、1回注意をすれば、その場は治ってしまう事なのですが、次にはまた元の木阿弥になるので、単なる根比べなのですがね・・・、問題は3回目をslurにする事については、私にとっては、それほど思い入れがない事なのですよ。ついつい、そう弾きたければ、そう弾けば・・??と思ってしまいます。・・いやいや、正しく指導しなくては・・・!!)

以上の注意点は、この動画には入っていません。この動画はsoloの注意だけなので・・。

この動画で取り上げているsoloの2箇所のpassageは、実は同じbaroque時代でも、Vivaldi先生しか使用しない独特のpassage(と言うか、表現)なのです。
Vivaldi先生の作品には、色々な作品の中で、時折、同様のpassage(表現)が見受けられます。
Vivaldiの最も有名な作品である「四季」の中にも、何回か出て来ますが、同じbaroque時代の作曲家としては考えられないような、調の理論を無視した転調を繰り返して、まるで近現代の12音音楽のように、無調の音楽のように、recitativo風にと言うか(セリフのように)、monologueのように(一人芝居)書かれているので、世界の名演奏家達ですら、どのように弾いたら良いのか迷ったままで、疑問を持ったままに演奏している人すらいる・・という場所です。
このD Durでは、そういった2箇所のpassageの、Vivaldi先生の独特の演奏の仕方の説明をします。

実際のviolinの演奏は斉藤先生と本田梨紗ちゃんにお願いしました。
今回は通奏低音は無しです。
演奏の都合ではなく、当日の人数の関係です。アハッ!

https://www.youtube.com/watch?v=cXfVnN3T-jc
(16/07/11撮影)



2016年7月4日 ·
Vivaldiのviolinconcerto Op.4Nr.9 F 1楽章
「途中空中分解したけども、とまらず合わせちゃうあたりが芦塚クオリティ」って、コメントを呼んで、笑ってしまいました。

・・という事で、指揮に関するよもやま話系の雑談です。
私の昔々の音楽大学時代の経験なのですが、私に取っては指揮での苦い体験があります。
当時の音楽大学には(指揮の授業はありましたが)指揮科すら無かったので、1年生の夏休みを前にして、有志を募って、私設(私個人)のcantataのorchestraを作りました。
(大学1年生の頃から、作曲科の作品発表の場がなかったので、大学祭で作品発表をしたり、Cembalo科が無かったので、Cembaloの先生とCembalo科を作って、その学生に収まったり・・と大学を完全に私物化していたので・・)勿論、楽譜は私が個人的に購入したものです。
そうして練習を始めていると、その話が教授達の間でも噂になって、「cantataをやるのなら・・?」と外人教授から、「愛弟子の院生を、是非使って欲しい」と、楽譜を渡されて、段々話がでっかくなって行きました。
最初は、仲間内で、練習を楽しんでいたのですが、その院生は北海道在住の人なので、中々練習に参加出来なくって、私は、10月の本番を危惧していましたが、イギリス人の女性の教授もその女の人も自信満々で、私の心配はどこ吹く風・・でした。
「北海道からワザワザ、飛行機で練習に駆け付けてあげる」・・という上から目線で、練習2回のゲネプロ本番の定形の練習だけが、その院生の出来る範囲という事だそうで、仕方なく、本番に臨みました。
余りにも、練習回数が少ない・・という事を危惧してはいたのですが、本番当日、Bachのcoffeecantataの美しいLieschenのAriaで、fluteのobbligatoが始まって、sopranoの歌が入って来る場所で、・・・な!な!な!なんと!・・私のeinsatz(指示)を待たずに1小節も早く歌い始めてしまったのです。
歌をやり直す事は出来ないので、慌てて、私はbasso continuoのCembaloとcelloとfluteに1小節飛ばすように指示を出したのですが、通常のorchestraでは、そういう事は出来ません。私のeinsatzに気づいて、なんとか、その1小節を飛ばしたのは、終わりの10小節ぐらい直前になってから・・でしたよ。

教室のorchestraでは、soloの子供が弾く場所を弾き間違えた途端に、それを1拍を待たずして、瞬時に・・orchestra全体が移動してsoloの子供の演奏に合わせる事が出来る・・というのは、世界広しといえども私達の教室のorchestraだけなのですよ。
だけど、そのための練習を何かやっている分けではないのですがね。
いつの間にか出来るようになっているのですよ。
牧野先生が「私にcelloを習った事はない!」とか、生徒達が他の楽器を習った事がないのに、平気でviolin等を上級者に混じって弾いたりしています。
牧野先生には、
「オケでcelloを弾いているのを見ているだけで演奏出来るようになるのかい?」と私が逆に質問すると、「それは有り得ない!」という答えが帰って来ます。
生徒達も何故一度も習った事のないviolinが弾けるのか分かって弾いている生徒はいないのですよ。
それが芦塚メトードの七不思議です。


世間一般では、楽器を習っている生徒が、別の楽器を習う場合には大変な努力を要します。
だから日本では、一つの楽器に専念するように教えられるのです。

でも、ヨーロッパでは、私の師匠であるGenzmer先生も、「先生はなんの楽器が弾けないのですか?」という質問に先生は答える事が出来なかったのですよ。
Genzmer先生はHindemithのclarinet・concertoを初演しています。
という事は、世界一のclarinet奏者という事ですよね。
若い20代の頃は、オペラ座の第二violin奏者と教会のオルガニストという職で生計を立てていたそうで、チャンスは、Hindemithのマリアの生涯という大変長い歌曲の演奏会の時に、伴奏者が本番の直前に病気で出演出来なくなって、Genzmer先生に電話が掛かって来た時に、「20分ください。」と頭の中で楽譜を思い出して、完璧に覚えている事を確認して、演奏会のオケ-を出して演奏会に臨んだ所から、その後の地位を築けたそうです。

私が、
「自分が怠け者である事を悩んでいます。どうすれば先生のように勤勉に成れるのですか?」と質問をしたら、Genzmer先生は30分程、考えこまれて、一言「私の師匠のHindemith先生は、画家マーラーのpart譜を一月で書き上げる程、勤勉だった!」と言われました。

色々な事が出来る用になるのは、一つの正しい方法論を学べば良いのです。
間違えたやり方では、その一つでも出来るように成る事はありません。
作曲家が違っても、楽器が違っても、或いはgenreが違っても、その方法論に違いはないのです。
だから、私のmethodeでは、たった一つのmethodeを学ぶ事によって、色々な分野の色々な事が出来るように既に予めprogrammingしてあるのですよ。

指揮のお話に戻って、大学時代、大学のorchestraの学外の演奏会でのお話ですが、外人教授の指揮をする演奏会の時にorchestraの生徒が入りを間違えてしまいました。
その時は、Hellner教授はorchestraの演奏を止めて、最初から演奏をやり直しました。
演奏会場はシーンとなって、聞いていた私達も、皆、真っ青になったよね。
あれは、とんでもない恐怖でした。

私の大学祭の時には、最後の10小節ぐらいで皆が気がついて私の指示に合わせて、小節を飛ばしてくれたのですが、彼女としてはPianoのpartで合わせたりしてそれなりに、練習はして来たのでしょうが、少人数のcantataでも、オケはオケなのですよ。
入りのeinsatzを見ないで勝手に、入ってしまっては、上手く行く分けはありません。
私に取っては、一生忘れられない苦い思い出になってしまいました。
その女性は練習に来なかった事を、平謝りに謝ってはいたのですが、幾ら誇り高い院生が1年生の若年の私に謝ったとしても、本番のミスはミスなので、謝って許されるものではないのですよね。
そこは同じ大学でも、一般の大学とは全く違うのですよ。(一般の大学ではゴメンで済まされる事も、音楽大学では、許されないのですよ。そこが分からんとね。)

大学の学生時代に、私の後輩の女の子が、外で演奏会を開く事があって、学生科にその旨の報告に行ったら、基本的には、音楽大学では、学生が外で演奏会をするのを認めていない・・と、言われてしまった・・と私に泣きついて来ました。
・・・と言う事で、大学に、その理由を聞くと、外での失敗は学校の不名誉になるから・・だそうです。
・・・だから、私が外での公開の演奏会に関しては、可愛そうな女の子とは違って、当然、許可して貰えました。
私は学生扱いではなく、特待生だったからです。その、差別というか、依怙贔屓というかは、一般の大学とは違うので、あからさまに酷いものがあります。しかし、それも当然の事だとしか思わないのですよ。この世界では・・・・

話を戻して、・・その学祭での一回の失敗は私に危機管理の大切さを教えて来れました。
如何ようなミスをも、どうすれば最低に抑えられるのか、その演奏会の失敗が、芦塚メトード独特の失敗の練習のmethodeを産み出しました。
(音楽の場合には、自分の責任ではないミスでも、結果は自分のミスになってしまいます。人様が犯すミスでも、それをミスさせないようにするのがproの技なのですよ。)

その話はそれまでとして、今度は逆のお話です。


proのorchestraでは、指揮者の指揮(einsatz指示)を見て入って来る演奏家は殆ど居ません。
逆に、指揮者から、入りのeinsatzを指示されると、「自分が下手な演奏家であるように思われている」・・と、「馬鹿にされている」・・と思って怒り捲くるオケマンも多いのですよ。

しかし、音大生の場合には、全く違います。
千葉に教室を開設したばかりの頃、子供達がMozartのPianoconcertoを演奏する事になって、Keyboardの音が嫌なので、少しでも生音という事で、音大生の管楽器の学生を雇った事があります。

私の出した条件は
「音楽教室なので、子供達のお勉強なので、einsatzは子供達に出すので、音大生が演奏する管のpartには出さないので、自分達で責任を持って入って来るように!」という約束をして貰いました。

しかし、練習の時から、何度、練習をやりなおしても、全く入って来れないのですよ。
とうとう本番直前から、子供達にeinsatzを出すのではなく、音大生の管楽器の人達にだけeinsatzを出したのですが、本番も、それでも入って来れなかったのですよ。
その大学のlevelが低かったのかも知れない??・・・という事で別の音楽大学の生徒達に変えても、・・・その後も二度程、挑戦して見たのですが、結果は全く同じでした。
それ以降は音大生を雇うのは諦めてしまいました。

弾けもしないのに、お金はちゃんと一人前に請求するのですがね。
「出来た事に金を払うのが筋ではないのかな?」というのが、私の考え方なのですが、それは音大生には通じないようです。

昔、知り合いのトロンボーンの人が、トラでFaure のレクイエムの演奏に行って、本番のtuttiで演奏をして、後は最後のtuttiまでトロンボーンが出て来ないので、ウトウトと寝てしまって、気づいた時には自分の出番は終わっていたそうです。
「半分しか弾かなかったのに、ギャラを貰ってしまった。芦塚さん、ギャラ、返した方が良いのかな?」と嘆いていました。おいおい、嘆く場所が違うだろうが・・!!

指揮の神様とも言われているカラヤンの練習風景を見ると、演奏会の時の指揮との余りの違いに驚かれると思います。
あの優雅な指揮は、練習の時には全く見る事が出来ず、Metronomのように、上下に動く、所謂、1拍取りで、正確なtempoを振り下ろすだけなのです。
実に、単純で、正確で間違いようのない分かり易い指揮です。
これは他の多くの指揮者も、練習の時の指揮は同じなのです。
殆どの指揮者は、指揮棒ではなく、言葉で演奏表現や、tempoの揺れ等を指示します。

私が学生時代に読んだ本の解説では、指揮者はバトンだけで演奏表現の総てを表せなければならない・・と書いてあって、感動した覚えがあります。
しかし、ヨーロッパで勉強をし直したり、NHKの岩城先生とも、親しくお話を伺ったりして、指揮者はそんな場当たりの演奏はしない・・と言う事を注意されました。
演奏は言葉で正確に伝達して、batonは、それ付随的なTechnikに過ぎないのだと言う事を学びました。

という事で、本番の指揮は殆ど、Performanceと言っても良いと思います。
・・とは言っても、指揮のTechnikはとても大切なのですよ。
殆ど見えないような微妙な動きで、orchestraは見違えるように変化をしますからね。

次は演奏者の話です。
指揮に慣れていない人達の場合は、指揮棒を見ながら演奏する事が出来ないので、自分の耳で、他の楽器のpartを聞いて、それに頼って音を合わせようとします。
しかしそれは、いつもの文化会館の小ホールのように狭い舞台でも、耳に頼って音を合わせると左右の楽器の音がズレてしまうのですよ。
本人はちゃんと合わせているつもりでも、時差(timelag)が出来てしまうのです。教室の常設曲であるcanonは、それが尤も顕著に表れてしまう曲なのです。
melodieが追っかけっ子をするので、相手のmelodieを聞いて合わせようとすると、どんどん曲がズレて行きます。

memberが新しくなる度に、最初から合わせる訓練をします。
ですから、通常は、もし耳で演奏したとしてもズレ内容に、1stviolin、2nd、3rdと並ぶのが普通です。
そうするとrhythmが微妙にズレるのを防ぐ事が出来るのでね。
教室の場合には、曲が立体的に聴こえるように、それぞれの追っかけっ子のpartが一番遠くになるように、並びを決めています。その分、演奏は難しいし、batonを見る事がとても大切になるのです。
 
実は、指揮棒をちゃんと見れるように訓練する事は、そんなに簡単な事ではなく、音楽大学の学生オケや、proのオケでも、大人の「なぁ、なぁ、やぁ、やぁ~」の慣れ合いで、演奏しているのに過ぎない場合が多いのです。
でも、慣れで演奏している演奏では、不可抗力の事故には対応は出来ません。

教室の演奏で体を揺らして、演奏するのは、勿論、弓のパワーを得るためなのですが、同時にtempoのtimingを合わせるという意味もあります。
もし、指揮が見れなかったとしても、体の揺らしが合っていれば、聞こえて来る音のtimeragを失くす事が出来るからです。

但し、今回のVivaldiのFのviolinとbasso continuoとのズレは、そう言ったbowが見えるか否かの問題ではなく、その前の段階の問題です。
演奏している子供が、一生懸命になってしまって、周りの音が聞こえなくなって、自分の演奏だけに集中してしまったからなのです。soloの場合には、それでも伴奏者が合わせてくれるので、破綻をきたす事はありません。しかし、ensembleでは、そうは行かないのです。
曲を統合する指揮者に合わせて演奏する技術が必用になるのです。

自分に閉じ込もって演奏している時には、周りの事は見えません。
だから、私の目を見れた瞬間に、我に帰って、指揮を見る事が出来たのです。
指揮が見れれば、問題はありません。という事で、後半は安定して演奏する事が出来たのですよ。



笑ってしまいましたか(*^^*)??
失敗することでまた次にチャレンジ出来ますよね。成長出来るって素晴らしいことです!
失敗は成功のもととはよく言った事ですね。
それにしても 指揮されてるのは 芦塚先生、ですよ、、ね?!笑


失敗は、そのままでは失敗に過ぎません。
失敗をバネにして・・てな、根性も、私はトンと持ち合わせてはいません。
根が弱い性格なのでね。
失敗を分析して、そこで学ぶには、根性は要らないのですよ。
ケ!ケ!ケ!と笑い飛ばせば良いだけです。
ケセラセラはダメです。
成るようになっては、ダメなのですからネ。
それに、[自分は失敗しないので・・」という過信もよくありません。車の運転に自信持っている人によく注意する事は、事故の大半は貰い事故なのですよ。
自分の腕が幾ら良くても、事故を防ぐ事は出来ないのです。  

失敗の反対の言葉は成功ですが、音楽に成功はありません。
芸術が100%というのは、その人の行き詰まりを意味するからです。
私は生徒達には、自分が満足の行く演奏が出来た時は、音楽家を止める時だ!と言っています。その人の限界を意味する分けなのだからね。
ダビンチでも、ゲーテでも死ぬまで自分の作品を訂正し続けたのですからね。

演奏もそうです。
同じVivaldiの同じ曲でも、年齢と技術が向上して、精神的にもNiveauが上がると、演奏もそれに連れて向上する・・という事は、昔完璧に演奏出来るようになった曲が、完璧ではなかった・・という意味になるのですよ。究極の完成はないのですよね。


ああ、指揮しているのは、多分、ハタチ前の・・未成年の私です。つまり、50年以上前の写真なのですよね~ェ!


period奏法について

2016年6月20日 ·
baroque時代のconcertoの弦楽器の音楽的な表現はVivaldiだけではなく、その時代の作曲家に総て共通した演奏法になります。それどころか古典派は元より、近現代の弦楽器の奏法の基礎にもなるのです。

また、baroque時代によく使用された奏法なのですが、近現代の弦楽器の奏法としてまかり通っている奏法すらあるのです。
私がMozartやHaydnの室内楽等の指導をしていると、時々、「ああっ、wien奏法ですか?」と質問される事があります。
ウィーン・フィルが古典派の曲を演奏する時に、演奏する独特の奏法なのですが、私がウィーン・フィルの奏法を真似して教えている・・と勘違いされる事があるのです。
しかし、近現代のwien奏法は、実はbaroque時代の奏法がこんにち迄伝承されているに過ぎないのです。
日本でも地方の方言には江戸時代の言葉がそのまま使われていたりします。
先日はジプシーの人の演奏の中に、baroque奏法が混じっていて、驚いてしまいました。
これも古い奏法がそのまま残っていたりした例なのです。
baroque時代の直前に弦楽器(violin属)が完成したのですから、当時の奏法が今日の弦楽器の奏法のルーツになるのです。baroque時代のconcertoを1曲、丁寧に学習する(lectureする)と、他の曲(他の作曲家、他の時代の演奏法)は「以下同文で・・」という事になります。
・・という事で、先週、6月15日に、Vivaldi violinconcerto in e Op.ⅣNr.2の1楽章のsolo組(basso continuo組)への私のlesson風景をYou Tubeにuploadしましたが、分かり易くその一つ一つのMotivを動画で、言葉の説明ではなく、音の出し方を演奏して、補足説明する事にしましたので、教室のオケ組の皆さん達はその動画を見て練習してください。

演奏は梨紗ちゃんがsoloviolinを・・、斉藤先生がbasso continuoのcelloを演奏する人がいなかったので、急遽、飛び入りで、代わりに演奏しています。
Cembaloは私が演奏すれば良かったのですが、violin演奏のcheckと一緒にでは、チョッと無理っぽかったので、無しにしました。
でも、斉藤先生のbasso continuo-celloは、少しでも伴奏のpartがあった方が曲の構成が分かり易いので・・ネ??  



これですね
ありがとうございます!
斉藤先生がチェロ!









ritornellol形式について

Vivaldi e moll solo組のlesson風景
6月15日12:41 ・

baroque時代のconcertoの殆どの曲がritornelloという循環形式で書かれています。
だからorchestraのpartは同じthemaが変形されながら繰り返されるだけなので練習を纏めて行くのはそんなには難しい事ではありません。
但し、オケ練習の中で、soloのcheckを集中的に見ると、オケの人達がやる事が無くなって、練習にならないので、soloのcheckは少なくして、オケ全体の練習に練習の時間を掛けています。

でも、そのsoloのpartの練習に必用なlectureは、個人のlessonの時にちゃんと先生がlessonしてくれるので、それでも問題はありません。

ritornelloのthemaに挟まれたsoloの部分は、基本はSequenzで繰り返されるbasso continuo上に即興でfingeringを繰り返して行きます。
fingeringの説明は難しいかな?
CzernyのEtudeや、ラーメンのドンブリを考えてくれれば良いのかな?
所謂、arabesqueもfigurの重なりあったfingeringという事が出来ます。
乱暴な言い方をすると、同じpatternを繰り返す事です。
orchestraの練習は、基本的には、最初の注意事項をちゃんと練習して演奏出来るようにしてくれればそれで終わりです。

だから、solo組の練習ですが、solo自体はlessonで先生がcheckをしてくれるのでも、何とかなるのですが、問題は伴奏のcelloとCembaloのpartです。
それをsoloと一緒に3人で練習しなければならないのですが、その時に裏では、orchestraのpartの生徒達を指導する先生が必用です。
降り番には出来ないので、それにsolo組の練習する部屋も必用なので、条件がとても難しくて、中々、その練習が出来ませんでした。
しかし、baroqueのconcertoを勉強するためには、basso continuoの演奏法を学習する事が、とても大切なので、今回、斉藤先生の四日市の出向で、orchestra全体を分奏にする事が決まったので、solo組を別に私が指導する事にしました。
lesson内容はとても高度なlevelになるので、お姉さん達にsoloとbasso continuo soloに付き添って貰って、実際にその場で私のlectureを演奏して貰って、指導が分かり易くなるように、配慮しました。
お姉さんの付き添いの意味は私のlecture内容をお姉さん達に覚えて貰うという意味もあります。
今回の日曜日はVivaldiのDとeとMonnのgのlecturelessonをしましたが、取り敢えず、今回は、e mollの1楽章をYou Tubeにuploadしておきました。

Vivaldi Op 4Nr 2e moll Ⅰ楽章basso continuoとsolo組のlecturelesson
芦塚音楽研究所千葉教室16年10月の秋の発表会に向けてのオケ練習ですが、珍しくbasso continuo組のlecturelessonです。
花園教室で6月の12日のlesson風景です。芦塚先生指導

随分難しいコトしてるんですねー!
レッスン見るのはとっても楽しみなんです。
しかし下の子もいるし、見る場所もないので、、、YouTubeへのアップありがとうございました!
我が家は8時すぎは楽器を弾けないので、ビデオでイメトレします(*^^*)
6月15日23:09

私の指導方針は、子供のために作られた簡易version的なものは一切使用しない・・、という事です。
子供の時から本当の本物の楽器で指導します。
同様に、日本では、子供には簡単な方法で演奏させたり、編曲の楽譜を与えたりしますが、教室ではそういった事は一切しません。
小学生がChopinのEtudeを弾いたとしても、簡易versionで演奏する事は無いのです。
梨紗さんと瑞希ちゃんが同じ要求(level)の指導を受けているのですが、それはproに要求のと同じ課題です。
それが出来るか否かは、問題では無いのですよ。
オケ練習でも、子供に対して簡単な子供の言葉で説明する事はしません。大人が使用するのと同じ言葉を子供用に分かり易く何度も繰り返し説明します。
その年齢の時に完璧である必用はないのです。
もし、大学生になったとしても、proの演奏家になったとしても、音楽大学でそのmethodeを学ぶ事はないからです。
同じ事を繰り返し、何度も何度も説明していると、その事が理解出来る瞬間があります。
でもそれは、その子の学年(年齢)が上がったからではありません。
その子供の心のNiveauが上がったからなので、小学3年生の子供に理解出来ても、中学3年生の子供が理解出来ない事はザラにあるのです。
子供の成長とは年齢ではなく、一途に物事に向かう姿勢なのです。
そういった意味では、瑞希ちゃん達はかなり辛辣ですよネ??
それは結構音楽にも反映されて、音大生でも出来ない事を平気で出来たりします。  

それはそうと、時間で練習出来ないのは辛いですよね。
でも、音出しが出来ない時間になったら、KeyboardでPianoの練習をしたり、学校の宿題をやったりして、その環境をフルに使い熟せば良いのです。
教室の楽譜の覚え方は一般とは違っていて、楽譜を見て覚えます。
楽器を弾いて覚えるのではありません。
ですから、斉藤先生達が中、高生の時には、自宅から教室迄の、電車の中で楽譜を覚えるのが課題でした。
教室を代わって来たばかりなので、楽譜を覚えるのが苦手だったからです。


私の家には本物のPianoはありません。
その代わりに、二段鍵盤の大型CembaloとKeyboardが2台あります。
後は弦楽器が数台ですかね??
でも、大型のパソコンが3台あってフル稼働しています。
作曲は深夜、鬱が酷い時に、wineを飲みながら、パソコンに向かって、midi=Keyboardを使ってします。
ひどい時には、テレビを付けっ放しにして、聴きながらしている時もあります。
6月16日2:56


まあ、手な事を書いてしまうと、大変な事をしているように思われてしまいますよね。
でも、大変なのは先生だけであって、生徒は昔も今も同じようにしか勉強はしていません。
子供の内から、最初からproとしての技術を学ぶという事は、とんでもない事のように思われるかも知れませんが、職人の世界では、学習のためのcurriculumというのはありません。
それは専門学校だけの話なのです。
athleteも芸術家も同じです。
だから、職人になるために、meisterの所に弟子に入りますが、その時に皆、学校で学んできたものがなんの役にも立たない事に気づきます。
勿論、なんの役にも立たないのは、職人やathleteや芸術家の世界であって、一般のお話ではありません。
そういった職人の世界では、学校を卒業してproに成れるのは、ホンの一握りもいませんが、職人として学ぶ人達には落ちこぼれはありません。
最初からその世界の中で物を見ているからです。

音楽学校の院生が私に
「音楽が職業だと思ったことは一度もありません。」と言っていました。
本当に素朴に、何の疑問も持たずに言っていたのですよ。
私は小学生に対してでも、よく
「そんな演奏じゃあ、お金は貰えないよ!」って言っているけれど、その違いかな??
6月17日 9:04


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Vivaldi e moll Ⅰ楽章演奏法の解説

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2018年のFacebookです。

1月9日 ・ 「Op.4Nr.2 e moll Stravaganzaの、articulationの手直し」

9日の深夜、いつもの時間にベッドには入ったのだが、うだうだと、寝はぐれてしまって、結局、いつものように、起き出してしまった。
小腹がすいているような気もするのだが、しかし、眠れない本当の理由は、胃酸が出て、胃がむかついている性もあるのだよなぁ?
小腹は、胃が悪いので、空腹のような気がするのだよなぁ?
…という事で、胃の薬を飲んだり、梅湯を作ったり、色々と格闘をしながらなので、普段の鬱で眠れないとは、また違って、それなりに大変でした。


今日の10日も全く同じ事を書こうとして、躊躇してしまいました。
同じ事を毎夜書いていたら、それこそ、認知症だと思われてしまうからね。
せめて、眠れない原因でも書かないとそれこそ、認知を疑われてしまうので、昨夜の不眠の原因は、ここの所の左側の鼻詰まりと鼻水が根本的な原因で、寝苦しくて、眠れなかった。

取り敢えずは、漢方の蓄膿症の薬を飲んで、無理に寝ようとしても、苦しいだけなので、兼ねてからの心残りのVivaldi Op.4Nr.2 e moll Stravaganzaの、articulationの手直しをしました。

originalの楽譜の通奏低音が間違えている所の和音を訂正して、bowslurを全面的につけ直しました。

tempoの設定は88から96ぐらいまでの所をup、downする事を想定しています。

Vivaldi独特の流麗に歌う箇所や、figurationの早いpassage等のtempo-changeの設定も変更しました。

結構、満足行く所迄、持って行けたかな??

ただ、一箇所、54小節目の場所なのですが、melodieの音と、通奏低音の和音が論理的に不可解な所があって、目下、考慮中です。

53小節目はC#なのですが、53小節目の4拍目からC?のNapoliのchordによるC?が54小節目の4拍目、55小節目の頭の拍と、繰り返されます。melodieだけなら、とても自然な動きなのですが、basso continuoのpartが55小節目の2拍目に、(C?ではなく)C#の音になっていますが、このpassageはNapoliの6のchordでなければならないので、このA#は不自然です。

Cembaloのpartでは、54小節目の1拍目の和音をe mollのⅠ度と見ている節もありますが、その次の2拍目はⅠ度の+2となって和音としては成り立たなくなってしまいます。

これでは超不自然です。

You Tubeで生徒達の模範演奏のために、理想的な演奏を探しているのですが、今の所未だ見つかりません。

どの演奏団体もauftaktを突き弓にしているのですが、a moll Op.3Nr.6同様に、sostenutoの方が良い・・と言う事です。

:参考の楽譜はRicordi版です。


Querstand(対斜)を省いてC#にすると、余りにもC#とC?が繰り返されて、不自然になってしまいます。



melodieのC?とC#が不自然に聞こえないようにするには、寧ろ、思い切ってbasso continuoのmollのC#とA#を、C?とA?にすると、melodie-lineは生きます。我々の場合には、basso continuoの動きに慣れてしまっているので、このC?とA?には、違和感があるのですが、melodieには違和感はでません。

baroque時代にQuerstandが使用されるのは、Sequenzでquint-Zyklus等が使用される例外的な場合に限られていました。
こういったrandomに#と?が使用される事はありませんでした。

つまり、Ricordi版のように、BasにC#が出て来て、直ぐにQuerstandで、melodieにC?を使用するのは、本来的にはありません。

また、C?とC#を繰り返し、changeする事はbaroqueのtheoryとしてはないので、そこもRicordi版は不自然です。

と言う事で、54小節目のC?は自然なのですが、そうすると、basso continuoのC#とA#が不自然である・・という結論になってしまいます。

という事で、この楽譜の結論になってしまうのですが、これが不自然に聴こえるので、慣れとは困ったものです。



最終的にbasso continuoの変更の第二案です。
conceptはsolo-violinのmelodieの音がC?であるためには、このchordはNapoliのchordか、最悪でもsubdominantのchordである必要があります。
basso continuoのmelodieの流れで、54小節目の2拍目の和音がTonikaのchordであるのは、成り行き上、致し方ないとしても、3拍目がdominanteでは、solo-violinのmelodie-lineの大きなsubdominant上の動きとは整合しません。
・・かと言って、余り原譜の動きを変えたくないので、3拍目と4拍目の4分音符の音2個を3度上げて、C?⇒Dと弾く事で、恰もNapoliの和音を弾いているように聞こえるような動きにしました。
2拍目のbasso continuoの動きは、原曲のままでは、Tonikaのmelodieになってしまうのは、致し方ないとしても、兎も角、3,4拍目の和音はNapoliのような動きになったので、一番、原曲のimageを損なわないで、音の変更も2個の音だけと最小限に抑えられて、原曲の動きを損なう事の少ない、自然な動きになったのではないのかな??・・と、自負しています。
まあ、また暫らくしたら、別の方法論も思いつくかもしれませんがね。




てな事を言っている間に、またまた別の案(第三案)なのですが、Napoliのchordではなく、e mollからh mollへの転調楽節と言う事で、e mollのⅠ度上の和音として、数字を付け直して見ました。
これなら、原曲の音の動きを損なう事が全くなく、和音の訂正が出来ます。
54小節目の3拍目からのe mollからh mollへの転調楽節には少し無理があるのですが、ホンの一瞬なので、気がつかない場合もあるか??・・とも、思われるのですがね。





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Vivaldi Op.4Nr.2 e moll StravaganzaのⅡ楽章の解説

3楽章は以前校訂をしたので、この譜面は
Ricordi版の2楽章なのですが、Ricordi版では、forteとPianoが対比するように演奏されています。
この校訂は現代のRicordi版に拠るarrangeなのですが、もし、Vivaldiがそういう風に作曲するのならば、という事でarrangeをして見ました。



baroque時代のConcerto Grossoの手法ならば、この書き方の方が自然な効果を出す事が出来ます。
勿論、そういった、contrastを想定するのならば・・という前提の元に・・・、ですが。
勿論、交唱的な意味はoctave移動にはあったとは思いますが、こういったdramaticなdynamicな意味は無かったと思います。
しかし、こうった演奏も面白い・・という意味です。




4月25日Vivaldiの Op.4Nr.2 e moll RV279 StravaganzaのⅡ楽章のornament ・

今日(24日)の火曜日でしたが、月曜日に引き続いて1日中寝込んでしまったので、寝込み次いでに、花梨ちゃんに前に書き取りを頼んでいたVivaldiの Op.4Nr.2 e moll RV279 StravaganzaのⅡ楽章のornamentの手書き譜をfinaleに入力しました。
period奏法の装飾法としての模範解答として・・なのですが、そのまま、演奏してしまうと、剽窃になってしまいますので、それを叩き台にして、新しく変更を加えて、ornamentを徐々に書き換えて行きます。

写真のscoreの一番上の段は、ornamentを加えた花梨ちゃんの書き込みを入力した譜で、2段めがoriginalの譜です。
3段目から6段目までは芦塚-versionとして、dynamikを強調するために、単純なorchestraの譜面から、concertanteのsoliのpartsと、orchestraのtuttiのpartに分けて演奏するように、原曲を大きく変更しています。
ちなみに、Cembaloのepisodeのpartも、私の書き込みです。




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Ⅲ楽章の解説

2016年10月16日芦塚音楽教室千葉教室秋の発表会第二部2番指揮斉藤純子先生萩元美音(小2)






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2019年のFacebookです。

今日(4月23日火曜日)は5月中旬の気温で、今年始めて窓を全開にして部屋の中に空気を入れています。
曇り空で、地平線がはっきりとしないのだけど、久し振りの良い天気なので、写真を撮ってFacebookにupしようと思って、3回もuploadしたのだけど、up出来ませんでした。
デジカメではなく、携帯の写真だったので、大した画素数ではなく、これまでは問題なくup出来ていたのだけどね~ぇ??

今日のYou Tubeの動画は、日曜日の総合練習のrehearsal の様子です。...

最後のオケ合わせなのだけど、練習時間がないので、one point adviceだけで、lectureと練習は出来ませんでした。
と言う事で、発表会は、まあ、今回はこんなもんかな??

今回はⅡ楽章を先に演奏して、Ⅰ楽章は後で演奏します。

Ⅰ楽章の後で、Ⅱ楽章を演奏すると、どうしてもⅢ楽章が必要になるからです。

Ⅱ楽章のsoloの部分のsoliのgroupは本来ならば、senza vibratoで膨らましで、演奏するはずなのですが、今回はsenza vibratoはやめにして、vibrato有りで演奏をしています。
和音を膨らましで演奏するので、拍頭がズレて聴こえるので、soloが先行して弾かなければならないので、結構難しい課題です。


4月23日の自治会館の最後のrehearsal の風景です。









Facebookからの貼付けは以上です。
後は気長に、気がついたら付け加えて行きますよね??


Op.4Nr.2e moll Stravaganza全楽章 萩元美音(10歳)
https://www.youtube.com/watch?v=tKBVLP7IPMM




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参考までに:
Stravaganza Op.4 Nr.2e mollⅠ楽章Vivaldi 古川紗來(小3 8歳)15年4月29日芦塚音楽教室発表会

16年10月16日芦塚音楽教室秋の発表会VivaldiOp 4Nr 2e moll Mizuki Chino9jahre

Op.4Nr.2 e moll Stravaganzaの発表会での演奏ですが、この3人以前のgroupの演奏の動画は、すべてYou Tubeから削除しました。







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次ページ以下のPageは紛失して開きません。




以下、rondo形式の説明です。

ここからritornello形式の説明になります。
余談の蛇足で、オケの序列の話ですが、
ritornellolのthemaを繰り返す時の、Vivaldi先生のtrick


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basso continuoについてのお話です。
蛇足ですが




basso continuo soloについて


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soloのpartの分析


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演奏について



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楽譜を読むという事


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trillerについて


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一つを得ると言う事は、一つを失うという事です(ヨージーの法則)


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弓の持ち方(一点支持と3点支持)、現代楽器とbaroque楽器




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