2012年の大晦日の第九

普通、一般的には、大晦日という日は、「仕事のお休み」、つまり、冬休みの真っ最中であろうか?!
・・・と言うか、年末から正月に掛けては、一般の社会や学生達の間では、何が何でも休みなのだろうが、私達の音楽教室の場合にとっては、平日は先生達は生徒の指導や、演奏活動に追われてしまって、本来、その活動報告をすべき、ホームページ等を作成したりする作業をする時間は、全くない。

と言う事で、そのおハチが私に回ってきて、発表会の報告や行事の連絡等の伝達を、ホームページ上に掲載する作業を私がしなければならなくなってしまうのだが、困った事に、私自身は子供達とはレッスン等で会うことは殆どないので、発表会の報告のページを作るために、発表会で子供達が演奏している写真を見ても、演奏している子供達の日頃について、・・・どういうようなレッスンの状態で・・・、子供達の家庭での練習状況は・・・・、果て又、発表会の出来は、その生徒の日頃の練習に対して・・・、という子供の状態に関してまでは、子供と接していない私にとっては、中々分からない。
ホームページの発表会のページは、本来はその生徒の担当の先生が、書くべき、否、書かない迄も、・・・どういう事をホームページに書いて欲しいかを、私に対しても、報告をすべきなのだろうが、前述のように、日頃は、レッスンが終わって、椎名町の事務所に帰り着くのは、11時半や12時過ぎになってしまうので、物理的に、その時間を捻出するのは不可能である。

と言う事で、生徒一人ひとりの発表会での演奏や日常のレッスンの感想等を私が先生達や生徒本人にレポートして、ホームページを作成しているのだが、何せ、自分が直接会って感想を抱いている分けではないので、何とも心許ない!

私自身も普段の生活では、教室と無関係の仕事をしている分けではなく、教室の色々なサポートをしているので、その時間、教室の発表会のホームページを作成するために、時間を割かなければならないと言う事は、体力的にも時間的にも、とても辛い。

と言う事で、時間的にゆとりがある日にちを探して、(・・・・一般の人達なら、やっと仕事から解放されて、テレビでも見ながら、「ちょいと一杯・・!!」という) 大晦日や正月元旦にも、結果、必然的に、パソコンに向かってひたすら仕事漬けになってしまう。

今年、(2012年)の大晦日も、例年通りに教室の普段の仕事から離れて、ホームページの制作をしながら、除夜の鐘を聞くことになってしまった。

パソコン作業のBGM替わりに、テレビをつけっぱなしにしていたのだが、テレビで、「第9を色々と古典の時代当時の時代考証をして、演奏を再現する・・・」とか言うメッセージが流れたので、興味を持って、テレビに見入って見た。

まず、オーケストラの楽器の並び方を、私達の教室のオーケストラの配列と同じbaroque並び、古典派並びにして、演奏するという事で、「ふん、ふん!」とちょっと、興味深く聞き耳を立てた。「おっ!??これはチョッといいぞ!!」と思ったのだが、その淡い期待は、ほんの一瞬でかき消されてしまった。

次に指揮者は、ピュアー・トーンとか言って、オケにビブラートをさせないで、演奏させていたが、ノン・ヴィブラートの奏法は、擬古典の曲を演奏する時に、曲の中の一部で、頻繁に生徒達に演奏させている。

ただし、私は、ピュア・トーンの事は、味も素っ気もなく、そのまま「senza vibrato」と音楽用語で言っている。

それは、、ピュアー・トーンと言う言葉を使用すると、私がオーケストラの練習で、よく口にするピュアー・サウンド、所謂、純正の響きと一般の人達や生徒達が勘違いしてしまうからである。

多分、その第9を指揮する指揮者は、「ピュアー・トーン」と言う言葉に、プラスする事の、「ピュアー・サウンド」という事を求め、期待していたのであろうが、残念ながら、現実はそうは甘くはないのだよ。

NHKはフル・オーケストラなので、団員や指揮者が幾ら頑張っても、純正のピュアー・サウンドは響いては来ないのだな!!これが・・・。
それは当たり前の事なのだがね。単なる物理的な問題だよ。阿呆らしい!!

そこはイ・ムジチ等の単一の楽器を集合させたオーケストラならば、ピュア・サウンドは可能なのだが、そこは、色々な移調楽器を寄せ集めたフル・オーケストラでは、ピュア・サウンドはおろか、1個の音を一つの音に揃えるのさえ、非常に難しいのだよ。
そこがフル・オーケストラの限界でもあるだよ。

つまり、もし、その指揮者が時代考証的に当時の音を、或いは、音楽を再現したかったら、管楽器も古い自然管の楽器で演奏すべきなのだ。(勿論、それはピュア・サウンドと言う意味ではないのだが・・)

そうすれば、全部は無理でも、ある特定のpassageだけならば、本当の純正のオーケストラの響きがするはずだよ。

それよりも何よりも、ショックだったのは、合唱は国立音楽大学の声楽科の学生達の合唱で、歌のソリスト達が普通のオペラやリートの演奏家達だったのだよ。

これで、折角の指揮者の意図は完全に崩壊したね。

私がミュンヘンの音楽大学時代に、何度か、親しくお話をさせて頂いた事のある、ミュンヒェナー・カンマー・オーケストラとミュンヒェナー・カンマー・コアーの指揮者であるカール・リヒター教授は、プロの歌手や音大の歌科の卒業生を合唱に使うと、ビブラートがかかってしまうので、素人しか使わないし、歌のプロ歌手も、baroqueの専門のカンタータ歌手を使っている。
baroqueの専門の歌手達はノン・ビブラートで、しかも、ピュアー・トーンで(この場合には純正調で)歌う術(すべ)を知っている。
それでこその、ピュアー・トーンなのだよ。

そこは、流石にヨーロッパであり、お国の伝統が全く違う。

本当ならば本当ならば、そこまでちゃんと準備をして、練習を積んで、やっと、初めて、「第9の時代考証を云々・・」と、宣ふ事が出来るのだがね。

ヨーロッパの人達にとっては、音楽は伝統芸術なのだよ。
だから、私が今子供達に指導している古典派の奏法等、音楽の勉強の中では中々見えて来ない伝統の技術や所作があるのだよ。伝統的な奏法は音楽理論としては書かれない事が殆どなのだよ。
それはヨーロッパの人達にとって、書く必要もない当然な事なのだからだよ。

しかし、日本でも今日(きょうび)の若者達にとっては、日本の江戸時代の生活や仕草よりも、韓流の高麗のチャンバラ物語の方が身近で、古き日本の生活慣習等の考え方等は、見知らぬ異国の文化にしか見えないようだ。

確かに、ヨーロッパの若者も大分、アメリカナイズ化されて来ているのだが、それでも、日本の若者達とは違って、お国柄の伝統を大切にしている。
自分の国の伝統を理解しようとしない国の若者達が本当は他所の国の伝統を理解出来る分けはないのだよ。

見よう見真似で、猿真似をする日本の音楽家達と、伝統を大切にするヨーロッパの人達とは、音楽に対しての水準が全く違うのだよ。

そんな演奏じゃあ、蝶々さんが、ポックリを履いて、中国の髪型でよくわからない、国籍不明の服を重ね着しているイタリアのオペラと変わらんね。

いやあ、第9とは言え、すこぶる珍妙な(奇妙奇天烈な)演奏であった!!


また、T楽章からV楽章までのtempoが、兎に角、遅いことには参った!
終楽章で、一気に解放しようという意図は、見てとれはするのだが、それも忍耐の限度がある。
もしも、それを狙うのなら、in tempoのtempoから、Metronom tempoで、ほんの一メモリ下げれば充分なのだよ。
それが、古典派の品のある、節度のある演奏というものだよ。

すっかり演奏に失望して、何度もチャンネンルを変えようと思ったのだが、大晦日の悲しさ、どのチャンネルでも、何もやっていないのだよ!
後のチャンネルは、例の**大賞とかいう番組だよ!
若い頃は、一年に一度だけ、その年のポピュラー音楽の総決算として、**大賞を流す事もあったのだが、この所は、そう言った勉強も辛くて出来なくなって、全くポピュラーは聞かなくなってしまったのだよ。

**大賞を見るよりも、ほんの少しはマシかな?・・・と言う事で、とうとう、諦めて、最後まで聞いてしまった。

その後、諦めついでに、カウントダウンのエルガーまで聞いてしまった!
間違えて、超不味い店に入ってしまったのだが、お金や食材が勿体無いから・・・といって、お皿の最後まで、食べてしまう、戦後世代(旭ヶ丘世代)のサガ(性)の悲しさなのだよな!!

強引に、カウントダウンのタイムに合わせるために、不自然にtempoが揺れまくっていて、こういうのは、音楽とは呼べず、全くの単なるイベントでZirkus(大道芸)だよな!!

大晦日の第9とエルガーは、最悪の音楽鑑賞タイムであっよな。

これじゃあ、2013年は押して知るべしで、何も期待出来ないよな!!!

は〜っ!!(m´・ω・`)m


「じゃあ、レンタル・ビデオ屋でビデオでも借りれば??!」って??
当然、それも試みたのだよ。
だけど、大晦日に借りたいビデオが残っている訳はないじゃん!!


ふ〜っ!!_| ̄|○


ハイツのパソコンの部屋の窓からのview(13年1月14日初冠雪)携帯で撮影