芦塚先生の教育論

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まえがき

芦塚先生の覚書
ポニョミス
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正しい夢の持ち方、叶え方

その年齢でしか身につかない意識や技術

単純練習の躾

毎度、お馴染みの、初歩の教材を小馬鹿にする先生達






まえがき

「芦塚先生のお部屋」では、当然、芦塚先生の教育に対するadviceや考え方(持論)等が、homepage上に、色々な論文のPageに展開されているように、思われているようですが、しかし、改めて、「芦塚先生のお部屋」の中で、先生の「教育論文」のPageを探してみると、意外と、教育論文に関するPageは、少ないのです。
・・・というよりも、殆ど・・と、言っていい程、教育関係の論文のPageが無いのですよ。

芦塚先生のお部屋という事で、芦塚先生の教育関係の主義主張がなされていると思っていたので、殆ど教育関係の論文が掲載されていないその理由を、芦塚先生に伺ったら、
「子供達への教育のadviceは、その質問をしてくる親や子供自身が、「どのような将来の夢を持っているのか?」によって、そのadviceが変わるから、あくまでも、ケースバイケースの問題で、一律に、こうすれば、子供達の夢を叶える事が出来る・・というような一般論のようなものは存在しないからです。」・・という解答を頂きました。

ここで、一般的な教育の世界と芦塚先生の教育に関するconceptの大きな違いが、一つあります。
それは、学校教育にしても、塾教育にしても、その目的は、有名大学に入学するという事です。
学校教育に於いても、人間教育というものがなされる事はありません。
「でも、学校でも、修身教育の授業があるのでは?」
そういったものを人間教育とは言わないのですよ。人間教育とは国家や社会に都合の良い人間を作る事ではないのです。
情操とは、そういった意味ではありません。
芦塚先生の教育は、人間教育であって、学校教育や音大受験のための教育とは関係はないのですよ。
その子供達が、一生、何に関わって行くのか?つまり、lifeworkの教育です。人生そのものの、生涯教育なのですよ。
だから、父兄達が芦塚先生の教育に価値観を見い出せないのですよ。
「それで、どうしたの??」って、感じですからね。折角、お金を出しても、その見返りがないとね〜ぇ??
コンクールに合格するとか、音楽大学に入学するとか、留学するとか・・・、proになるとか・・・???
「え〜っ??それって、全部叶っているのでは??」 
でも、芦塚先生のconceptはそこにあるわけではないのだから、一般の音楽教室や塾のように、それを目的にすると
「凄〜い教室だ!!」って事になるのだろうけれどね。
芦塚先生が、子供達に質問をした事がありました。
君たちは将来何になりたい??
今は、そんな事を言う生徒はいないのかもしれないけれど、昔の子供達は純朴で、
「私、お嫁さんになりたい。」という生徒がいました。
芦塚先生が、
「ああ、そうかい??じゃあ、主婦になりたいんだ!!」と言うと、「主婦は嫌!!お嫁さんになりたい!」
芦塚先生は、
「将来の目的がクリスマスという事はないよね。結婚式はセレモニーなのだから、お嫁さんになりたいという事は、主婦になりたいという事なのだよね。」と説明すると、「主婦じゃあ、嫌だな??」と、すこぶる現実的な反応でした。
つまり、大学受験も、大学生活も、過程に過ぎないのですよ。
本当の長い長〜い将来とは、その先にあるのですからね。
しかも、今では、長寿の大国になって、会社勤めから解放された後の人生ですら、長いのです。
・・・で、生涯の目的は・・・???

勿論、だからと言っても、芦塚先生が、生徒達がお嫁さんになる事を否定している分けではありません。
子供達の目標が正しい夢であれば、別に否定する理由はないからです。
子供達一人一人の夢が違っていて当たり前だからです。

一般の教育者の子供達への指導がその教育者の立場であるのは、ある意味当たり前でしょう。
先程も述べたように、一般の教育者にとっては、近場の夢(高校受験や大学受験)が、その夢なので、立場立場で夢が決まるのですよ。

つまり、ここでも一般の人達から、音楽家としてproである芦塚先生という立場からの教育に対する考えや、優秀な生徒達を多数輩出している芦塚音楽教室の先生達の生徒に対する音楽教育という立場から、よく勘違いされている事なのですが、芦塚先生自身は、作曲家であり、優れた音楽家なのだから・・・・、或いは、教室は音楽教室なのだから、芦塚先生は、子供達を教育する時に、全ての子供達に音楽に進むように指導する・・・と思われがちなのですが、実際には、芦塚先生自身には、「子供達がどういう方向に進んで欲しい」という願望が、特にある分けではありません。
言い方を変えると、芦塚先生は子供達が全員
「音楽に進んで欲しい!」という個人的な願望はないのです。

しかし、先程もお話したように、芦塚先生の場合には、その生徒の遠くて長い将来(所謂、生涯学習)という目で、子供達の夢を捉えます。
芦塚先生が、子供達に望む事は、子供達自身が、本来どう生きれば幸せになるか?・・という、一人一人の子供達の幸福の追求であって、子供達を音楽に進ませるという事が、必ずしも、その子供達の幸せに繋がる・・という事ではないcaseも多く見受けられるからです。

子供達の音楽との関わりは、その子供達が将来、どういう方向に進むかという事で、音楽とその子供自身との関わり方が決まって来ます。

音楽のプロを目指すという人達の考え方や日常の生活は、一般の音楽を趣味として行きたい人達と競合する事はありません。
完全に、別の世界なのです。
ですから、「音楽の演奏が上手である」・・という事だけで、音楽を捉えて、プロを目指す生徒と競争しても、それは無駄だし、無意味で、辛く苦しいだけなのです。

つまり、子供達が幸せであるか否かは、その子供達の考え方で全く違ってしまうからです。

強いて言えば、・・・極端に言えば、芦塚先生にとっては、
「子供達が、今のままで、充分に幸せなら、敢えて、夢を持つ必要すらない」という考え方すら持っています。

しかし、それは、今の親がよく言っている
「子供がいつまでも、何もしないで自分の家庭に居れば良い!」という考え方とは、少し違います。
この場合の
「自分の家に居れば良い」という考え方が、農家や商家で、「家にいる事が仕事を内在している」場合には、別になんの問題もありません。
この話が、問題になるのは、家庭にいる事が、なんの仕事とも絡まない場合に限っての話です。
ニートや引き籠もりと同様に、親が子供の面倒を見ていて、子供自身は、仕事を全くしないでいる場合の話なのです。
親は、子供に働かせないで、親の下で庇護をする事が、親の、最大の子供への愛情と思い込んでいます。
しかし、それは将来的に、子供に対して致命的な問題を生み出します。

何故なら、親は子供よりも長く生きる分けではないし、もし、将来、子供が親の介護をするとしても、その生活の基盤を支えるのは、親ではなくなるからです。だって、介護されるのが親なら、その生活の基盤を、親が作れる分けはないでしょう??

息子に夢を託して、その息子が社会で挫折して、引き籠もりになって、60歳を過ぎた時に、親が、
「私達が子供をそういう風に育てたのだから、私達が面倒を見なければ・・」と言って、公的機関の申し出を断っているというNHKのドキュメンタリーの番組を見ました。
80歳を越しても、子供の面倒を見続ける親・・、子供が引き籠もりやニートになるのは、子供の性というよりも、親の誤った教育に対する考え方なのです。
それを愛情の履き違えと言います。
本当の親の愛情とは、子供を自立独立させる事です。

中学生にもなった男の子に、親がパンツを履かせて、
「自分は子供を愛している。」と言っている親は、親自身の愛情が歪んでいるのですよ。
でも、それを親は認めようとしないのです。

そういった、極端な例はさておいても、子供の本当の意味での幸せを願うのなら、・・・親が子供の夢に協力的であるのなら、正しい方向性と技術を身に付ける事で、その夢を叶える事は難しい事ではありません。

そういった事を前提として、その次に、芦塚先生がいつも言われている事は、
「もし、一人一人の子供達が、自分の夢を持って、その夢を叶える事を、望むのなら、その時には、その夢を叶えるための、条件を守れば、全ての夢は叶う!!」という事です。

夢を叶えるために、adviceを求めてくる生徒達や親達は、自分の願望と夢を、ゴチャ混ぜ(綯交ぜ)にして、自分の都合の良いように芦塚先生の出した条件を変更して、その上で先生に、
「それで良いのか??」と承諾を求めてきます。

芦塚先生は、
「日常の生活を優先するのならば、その条件にマッチした目標に、あなた達の夢を訂正すれば良いのでは??」と言うのですが、困った事に、親や子供自身も、「学校との生活、家族との日常の生活を優先して、受験直前の1年、2年だけの、その時だけ、一生懸命に努力すれば、それで、音楽大学の受験や、プロとしての音楽家に成れる」と、思い込んでいるのですよ。それが、自分の子供ではなく、周りの子供なら、「そんな事は絶対に無理!」と、言うのに、自分の子供だけは別なのです。
この話は、音楽教室を作った時から、繰り返されて来た親のエゴの話です。

そんな、都合の良い事がある分けはないのですがね。
音楽のプロを目指して、ちゃんと、目標を見定めて、生活をしている親や子供達は、その目標に立ち向かうために、小学校入学以前から、ひたむきに一心不乱に勉強を続けているのですよ。
普通の子供達が享楽している家族の日常の楽しみや、学校での友達との遊びの全てを犠牲にしても・・・・ね。
母親が芦塚先生に質問していました。
「そこまでやらないとダメなのですか?」
芦塚先生は、厳しく親に答えていました。
「そこまでやらないとダメなのですよ!」
しかし、親が押し付けている事ならば、それは、犠牲であり、とても辛い事なのかもしれません。
しかし、子供がそれを望むのならば、その辛さは「辛さ」にはならないのです。それはある意味「楽しさ」でもあるのですからね。
「そこまでやらないとダメなのですか?」と子供を思いやっているように、思い込んでいるのは、親だけであって、子供自身は、然程ではないのですがね。だって、楽しい事なのですからね。辛いのは辛くないのですよ。
野球でも、部活でも同じでしょう?? 幾ら辛くても、それは楽しい辛さなのですよ。
でも親は「楽しい辛さがある」
という事は分からない。 何かに熱中した事がないからです。
熱中する事と、辛さが楽しさである事を、体感出来るようになると、その延長線上には、職業という道も見えて来ます。所謂、proへの道です。

但し、その道のプロは、社会では何人も必要ないのですよ。
本当に、選び抜かれた優れた人材が、一人、居れば、それで良いのです。
社会は、プロと享楽する人達のピラミッド構造で出来ているのですよ。

という事で、一般論を基準にしている音楽大学の延長線上にproの世界はありません。
それを芦塚先生は常に主張しているのにも関わらず、音楽大学に入学して、留学をして、proになりたい・・と、芦塚先生に懇願しています。

芦塚先生はそれに対して、音楽大学に入学指せる事は出来るし、留学をさせる事も、今までも何人も留学させた経験があります。
proの演奏家も、何人も育てた経験もありますし、proの人達からの相談を受ける事もあります。

でも、それだけの経験と知識を持っていたとしても、その夢を全て、同時に叶える事は出来ない・・という話なのですよ。

音楽大学に入学するのなら、proは諦めないといけないし、教室から、或いは芦塚先生の元から、留学するのは諦めて欲しい・・という事です。
留学するのなら、教室から留学をするのならば、面倒は見てあげられるけれど、一旦、音楽大学に入学してしまうと、その大学に、その権利と責務はあります。
・・・というか、音楽大学で留学をさせてくれる所はありません。
生徒が各自、自分の立場で、自分で留学の道を開くだけです。師事している教授が、留学のお手伝いをしてくれる事も、普通はありません。
大学生なのだから、あくまでも、自主的に、そういった雑用をこなさなければなりません。それが、普通なのですよ。
大学が何かをしてくれるという事は、現実的にある分けはないのです。
それが世間一般の常識なのですよ。
当たり前の事なのですが、中学・高校で過保護な生活をしてきた生徒達、保護者達は大学でもそういった過保護な事をやって貰えると勘違いをするようです。
大学生は、もう20歳を過ぎるのですよ。立派な大人なのです。そんな過保護な事は、子供達を取り囲む環境には、もうありません。

それに
、「音楽大学が何もしてくれないから、」・・と言って、教室に来られても、音楽大学に入学してしまった生徒や、一旦、留学した生徒は、もはや、芦塚メトードの生徒ではありませんよね。

ましてや、音楽大学でproになろうと思ったけれど、無理なようなので、教室でもう一度、何とかしてもらおうと思っても、既に、芦塚メトードで勉強している分けではないので、芦塚メトードの音楽家として、proとして育てるのは無理・・という事は、当たり前でしょう??
その音楽大学の先生、留学した外国の先生の下でproの勉強をしなければならないのは、当たり前の話だと思いますよ。

結婚したのに、実家で母親の料理を食べている子供のようなものかな?
結構、居るか??そんな夫婦は・・・??
日本独特の「甘えの構造」だなや・・・??



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下の文章は、芦塚先生の覚書です。
芦塚先生の論文の文章は、普段は、親や子供達を対象に書いているので、柔らかく優しいのですが、この文章は、先生が自分の論文を書く時の「覚書」なので、難解かもしれないし、そのまま掲載するのは、、かなり辛辣な文章かもしれません。


「芦塚先生の覚書」

※「出来る範囲で一生懸命やりました!」なんて事があるのかよ!
「出来る限りの範囲で」と言って、許されるのは、小、中学校の学校教育の範囲の話です。
アスリートを目指す子供達や、舞台やテレビを目指す子供達には、
「出来る限りの範囲で」という言葉はありません。
ましてや、職業として音楽を勉強する生徒に、学業との両立や、子供同士の活動等という時間のゆとりがある分けではありません。
出来る限り・・と言ったような、そういった条件がある分けはないのですよ。
出来る限りの限界を越した所に、初めてproの職業としての勉強をする事が出来るのです。
そこが分からないと、職業として何かを学ぶ事は出来ません。

※諦める事を前提としたひたむきな努力
努力はしたけれど、目標には辿り着かなかった!、水準に届かなかった!!
それなら、最初から、努力しなければ良いのではないの???
だって、その努力程度で、目標に到達出来るか、否かは、最初から分かっているじゃないの!!??
「出来る範囲の努力」で、夢が叶う分けはないのに、なんで、そんな、無駄な努力をするのか、それが分からない・・・!

※親は子供がどの水準で努力しているか、ではなく、どれぐらい勉強に時間をかけたか、その時間と、掛けたお金で・・評価する
世の中で、そんな、時間やお金で評価する事はないのだよ。
1日、子供が遊びまくっていたとしても、東大に入る生徒は入るのだよ。
練習を全くしない生徒で、朝から遊びまくっている生徒で、コンサートproのpianistになった人もいるしね。
塾に行かなければ、センター試験で合格出来ないような生徒なら、所詮は、芸大生にはなれないのだよ。
その話も、40年、50年前から同じ話をしているのに、誰も私の言う事を認めようとはしない。
毎回、同じ話ばかりして、口が酸っぱくなって来たのではなく、そろそろ、同じ話ばかりして、口にカビが・・・

音楽に進むのなら、毎日、1年中、一日も休まないで、最低でも4時間以上は・・・、普通は6時間以上は練習しないとプロにはなれない・・というのが、音楽社会の常識です。
しかし、私なら、
「それでもプロには成れない」・・と、付け加えておきます。

教室の生徒のクラスメイトが毎日4時間の練習を守って、勤勉に練習していました。
間違えても教室の生徒ではなく、教室の生徒のクラスメイトが・・・、ですよ!!

教室の生徒が、その生徒の演奏を聞いて
「自分よりも下手だ!」と、思って、ビックリしたのですよ。
「毎日、4時間以上、一年中休みなく練習しているのに、全く練習しない、自分よりも下手だ!」と、驚いてしまったのです。

でも、親は、音楽が分かる分けではないので、子供の練習時間で、その子供の熱意や技術を判断するので、自分の子供が、その毎日4時間練習する子供よりも上手いとは、絶対に認めません。
世間的な常識で、全く練習しない子供よりも、死に物狂いで練習をしている子供が、下手な分けはないからです。
勉強を一生懸命している生徒が、遊んで勉強をしない生徒よりも成績が悪い分けはないのですよ。
そんな事がまかり通ったら、世の中の常識や摂理が壊れてしまいます。
そんな事は、絶対にあってはならないのです。
勿論、その子供自身も、その友人が特別に下手なだけで、通常の生徒ならば、上手いに決まっている・・と、思い込みます。
量よりも質なのだ・・という事が、どうしても分からないのです。
私の高校から東大に進学した女の子は、なんとバレー部のキャプテンで、受験直前迄、部活に専念していました。もう一人の男の子は、何と家がパチンコ屋でうるさくて勉強が出来ないので、勉強はしませんでした。でも、難なくストレートに東大に合格していました。
彼らに言わせると、勉強しないと成績が上がらないようなら、東大は無理!!って言って、遊んでいましたがね。

私の最初の生徒の一群の中の女の子の話ですが、音楽大学に入学させた以降は、私が留学して日本に居なくなったので、当然、音楽大学の先生と、個人的に某、有名なpianistに師事して音楽の勉強をしていましたが、伸び悩みで、再び私の所に習いに来ました。

とても、練習が好きな子で、毎日、最低でも6時間は練習をする女の子でした。
練習が大好きで、放っておくと、10時間でも平気で練習している子でした。
それだけ、練習しているのにも関わらず、幾つかの悪い癖があって、伸び悩みをしていました。
私は、彼女の伸び悩みの原因と、その練習法(矯正法)のpointを、詳しく説明して(音楽大学は卒業している分けだし、proのpianistとして活動している人なので)、自分で練習して、直すように!!・・・と、宿題にしました。しかし、私がlessonを始めて、暫くしても、悪い癖がどうしても取れない、・・・上達も、伸び悩みです。
(勿論、proの音楽家なので、弾けない・・という分けではなく、もっと上のlevelの話なのですがね。)
・・という事で、私はその女の子に
「私の言った練習はちゃんとしているの?」と聞きました。
そうすると
、「毎日、最低でも2時間は練習しています。」と、答えが帰って来ました。
「それなら、もっと、練習の成果が出ても良いのだが・・??」と、不思議に思って、更に質問をすると、思いもかけない答えが返って来ました。
「練習が辛いので、2時間、先生の言われた通りの練習を済ませたら、後、5、6時間、自分の好きなように練習して、発散しています。」だそうです。
それじゃあ、上手くなる分けはないわさね〜ぇ??
私は
「練習は2時間だけで良いから、自分勝手にPianoを弾くのはやめて!!」と言ったのですが、その約束は守ってくれませんでした。
しかたなく、私の友人のproのpianistの女性を紹介して、先生を、代わって貰いました。同じpianistの女の子なのですが、彼女はconcertopianistなので、orchestraと共演するpianistです。当然、lessonも、かなり厳しい!!
もっとも、半年後には、そのpianistから、泣きついてこられたけれどね。
「幾ら注意しても、私の言っている事が、理解出来ないのよね〜!!どうしたら、良いの??」
で、元の有名なproのpianistの元に戻ったそうですがね。

その先生は、模範演奏で弾きまくるだけの先生なので、lessonは上手く行くようなのだけどね??
そりゃ、上手には、ならんわね。

勿論、amateurなら、それでも良いのだけどね。一応、公開の演奏会を開いている人なので、困るのよね。
その人の子供もpianistになったらしく、その子供の演奏会の招待券が送って来ていたようなのだけど、体調不良なので、行けません。
その人自身も結婚してからは、私の所には寄り付かないので、もう、義理もないしね。

皆さん、私の元では、練習は2時間が限度らしいのだけど、他の先生に変わると、皆さん6時間は練習出来るみたいだよ!!
逆に、6時間以上練習していた人達が、私の指導の元では、
「2時間も、練習出来ない!!」と嘆いているようだけどね。
時間なんて、そんなもんなんだよ!!

よく皆さんが言う事があって、
「教室の生徒達は全く練習しないのに上手なので、他所の教室から、6時間も練習する生徒が来れば、教室の生徒さん達とは違って、見違えるように上手になると思うのですが、何故、よその教室の生徒さん達は、芦塚先生の所に、やって来ないのですか?」

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