伴奏について

まえがき

 

発表会などでは、子供のヴァイオリンやチェロの伴奏は、ピアノの専科の先生が受け持つ事が一般的です。それに対して疑問に感じられる方はいないと思います。しかし、この時期に、子供が伴奏を学ぶ事を通じて学べるものは思いのほか多く、極、早期に伴奏法を通じてアンサンブルの技術を学ぶ事は、子供達に音楽技術の習得のみならず、協調性や他者への思いやりなどのメンタルな面や、或いは楽曲を総合的に見るスコアーリーディングの力(分析力の力)(日本では何処の大学でも総合的な教育は行われていませんが)などが養われて行きます。そう言った事を御存知の先生がたも居らしゃいますが残念ながらピアノの教室にはヴァイオリンやチェロの生徒は居なく、ヴァイオリンの教室やフリュートの教室にはピアノの生徒は居ません。また巷の大きな総合的な音楽教室でも、先生同士の横のつながりが無いために、或いはアンサンブル教育の(この場合は室内楽教育の)方法を御存じないために、他の先生方とのコラボレートが出来ないのが原因で折角ヴァイオリン科やチェロ科などを持っていながらアンサンブル教育として生かせないのが現状です。

ということで教室開設当初から「子供の演奏は原則として子供が伴奏をする」ということを私達の教室の一つの重要なコンセプトとしてまいりました。

 

しかし教室開設当時は、なかなかそのコンセプトが御父兄の方々にご理解頂けず、「出来れば生徒よりも先生の方がいい。」とか、或いは伴奏する側も「伴奏して上げているのだから。」とか言われる御父兄も見受けられました。

また、社会通念上、伴奏ピアニストとは、ソリストになれなかったピアニストがなるものだ、とかアンサンブルは遊びだから、伴奏などの練習をする暇があったら、その分一人で必死に練習すれば、もっと能率を上げる事が出来るのに、とか、日本の音楽社会では誤った通念が罷り通って、伴奏等を軽視する風潮があったからです。

私達は、伴奏についてお話する機会が有る時には、必ず其の誤った日本流の考え方と伴奏の重要性と、伴奏の勉強がもたらしてくれる能力の数々を、説明しお話してまいりました。

そういった活動の一環というわけで、今からもう既に17年も前のことになりますが、このパンフレットを作りました。

月日も移り変わって、当時のそういった努力が浸透しはじめて、教室の方向性や考え方として定着してしまうと、それが普通の考え方となって、現在では、そういった私達の趣旨も皆様に十分御理解いただけるようになりましたので、今、このパンフレットの必要性は、既に無くなってしまったようではありますが、当時は、伴奏やアンサンブルについて、一般的にはどう把握されていたのか、という意見合いも含め、あえて当時の文章をそのままの状態で掲載致しました。

御参考までに御一読いただければ、と思います。

                                         1999年12月    

第一稿の再版に際して

芦  塚  陽  二 

 

 

伴奏について

(はじめに)

[何故、ピアノを学ぶ子供に伴奏をさせるのか?]

*教室の生徒さん達に伴奏法の指導をしていると、御父兄の方々や一般の教室のピアノやヴァイオリンの先生方から「なぜ子供に伴奏させるのか?」という質問を受けることがあります。

また以前、伴奏をさせた子供さんの御父兄が「私の子供が伴奏をしてあげているのだから・・・。」とか、「伴奏なんかさせないで、レッスンの曲をもっと集中して指導してほしい。」と話しているのを耳にしたことがあります。

また、ヴァイオリンやチェロの生徒の御父兄の方からも、「伴奏は先生にお願い出来ますか?」とか言われた事もありました。

しかし実際には伴奏やアンサンブルを勉強している子供さんがたの方が、独奏のみを勉強している子供さん方より、はるかに上達が早いばかりでなく、挫折やスランプもほとんど見受けられません。
アンサンブルの機会が弦楽器の子供さん方よりはるかに少ないピアノのお子さん方にとって、伴奏はアンサンブルの重要な機会であるばかりでなく、オーケストラや室内楽等、より幅広い音楽にふれるための導入としての、あくまで大切な勉強であると考えております。したがってもしも伴奏をなさる生徒さんや御父兄の方が「伴奏をしてあげてるのだら・・・・。」という風にお考えでしたら、発表会出演は独奏曲のみにしていただきたいと思います。私共は伴奏のレッスンを伴奏可能な技術に達した生徒で希望者のみに対して行われる特別レッスンと考えておりますので。
 以下 「伴奏のレッスンが子供さん方に何故必要なのか。」 
私共の意図を説明してまいりたいと思います。

 

[伴奏法を学ぶ事によって得られること]

*ピアノを一人で勉強していることによって陥りやすいことに、テンポの問題があります。

音楽大学を卒業した人や、プロといわれる人でもテンポの揺れに悩む人が多いようです。

まして日本ではメトロノームを軽く扱う傾向が見られますし、音楽社会でもなかなかお互いの時間の調整がうまくいかず、室内楽等の練習をする機会に恵まれないのが現状のようです。テンポの微妙な揺れは一緒に合わせる相手がいないとなかなか分からないものですし、そうなってみないと絶対テンポ(メトロノームなどで表される揺れのないテンポ)の重要性がわからないものです。私達は子供さん方に、まずこの絶対テンポを指導します。

それから中級、上級者になってくるにしたがって、絶対ルバート(感情的でなく、定められたテンポにおちつく揺らしのこと)を指導します。日本では音楽大学などでも、メトロノームの重要性を認めている教授が少ないばかりでなく、逆に「メトロノームは音楽の感情表現を妨げる。」としてその価値を認めたがらないので、プロになってオーケストラと共演したり室内楽をくんだりするようになったとき、テンポの揺れを指摘されたり、また独奏会のときに批評家に叩かれたりされる人が非常に数多く見受けられます。私の友人に聞いた話ですが、オルガニストであるその友人が目白のカテドラルで歌の伴奏をすることになりました。リハーサルのとき、シューベルトのアベ・マリアの一節を「ここは揺らして歌いたいので歌をよく聞いて伴奏してほしい。」と歌手がいうので、友人は「パイプ・オルガンは鍵盤を押してから音が出るまで0.5秒ほどかかるので、私はあなたの歌より0.5秒先を弾いています。あなたがどういう風に歌いたいか教えてくれたら、そのように伴奏しますけれど。」というと、「でもどういう風に揺らすかはそこまで歌ってみなきゃ分からないじゃないの。」とがんとして譲らなかったそうです。演奏会がどうなったかは、聞くまでもないでしょう。この手の人はまずプロとしては通用しませんし、どんな努力を積み上げたとしても、頑迷では音楽の向上でも先が見えています。感情のままにテンポを揺らしたり、無意識にテンポが揺れたりすることは音楽を正しく学ぶ上で最も戒めなければならないことですが、このことほど日本の音楽教育でおろそかにされていることはありません。私たちはこの手のルバートを感情的ルバートと名付けて指導上かたく戒めています。

 

[音色を作るには、比較する楽器が必要となる]

*次にピアノ演奏の根本である音色のお話をしましょう。近頃では海外から帰ってきた若手演奏家たちのおかげで、演奏会などでは大分きれいなピアノの音が聞けるようになってきました。しかしあいもかわらず音楽大学などでは昔ながらの指先や手首に力をこめて弾く方法で指導する先生方が多く見受けられます。私が以前勤めていたときも、「指を強くしないとホールなどで音が通らないから。」といって、ハノンなどを腕全体で一音づつ強くたたかせていました。「そういう音は一見、耳に強く聞こえるだけで(そば鳴りの音)ホールなどでは届かないのですよ。」と先生方に何度も説明したのですが、どうしても分かってもらえませんでした。

 

[遠音の聞く音]

*大学の帰りに教えていた小学4年の子供がいたのですが、レッスン場で聞くと柔かで優しい小さな音で弾いているので、その教室の先生が私に「先生、どうしてそんなに小さな音で弾かせるのですか。」と質問しました。「この子の音は小さな音じゃないんだよ。とても強い音なんだよ。」と何度か説明したのですが、やはり理解出来なかったようです。ある時、音楽大学の卒業生がショパンの大曲を弾いたのですが、千名近くのホールではさすがに最後列までは、音が届かなかったのですが、その4年生の子供の弾くピアノの昔はしっかりと届いていました。(音が届く−という表現はちょっと誤解を招くかもしれませんね。音を体で感じれる−とかのほうが分かりやすいかもしれません。私たちは遠音のきく音とか、音が伸びているとか、音が三、四列前までしか届いていない−とかよく言いますが、聞こえない−という意味ではありません。抽象的になりますが音の重量とでも言ったらよいのでしょうか。〕

 

[強い音と遠音のきく音]

*音がただ単に、強弱のみで人に伝わってくるのだとしたら、オーケストラ伴奏のピアノや歌は独奏者がフォルテを奏するときだけ、ソロの音が聞こえてくることになります。

以前歌の人を指導しているとき、遠音のきく柔らかい発声というものを理解させるために、音大の学生や教授たちがオーケストラ伴奏で歌っている演奏会に何回も連れていったことがあります。その人は一流の演奏家と、音楽学校発声の違いに気付いて、音楽学校卒業後も七年間も続けていた発声をあっさり捨て勉強をしなおしたため、短期間に自分の発声を身につけることができました。ピアノでも弱い音で弾いたからといってオーケストラにかき消されるような音では正しいピアノの音だとはいえません。ではどうすれば自分の演奏している音の本当の強さ(弱さ)が分かるのでしょうか。それには比較対照する別の楽器が必要なのです。

学生時代に15名ぐらいの室内オーケストラを組んで指揮をしていました。外人教授のたっての願で「大学院生の歌の人にソロを歌わせて欲しい。」と頼みこまれました。狭いオケ練習場での練習のときは問題なかったのですが、ホールでのリハーサルになると会場が広いのでオーケストラの響きにつぶされて、彼女の声が聞こえません。オーケストラを舞台の奥に下げました。でも聞こえません。Professorは叫びました。「オーケストラはもっと弱く!」

オーケストラのメンバーは必死になってカスミッシモで演奏しています。・・・でも歌は聞こえてきません。Pr o f e s s o rは真っ赤になって怒っています。「もっと弱くしなさい!」オケの連中も怒りだしました。「『これ以上弱く!』なんて言われたら、もう音が出ないわよ!」こういう場合、指揮者はどうすればよいのでしょうか。まさか私としては「Pr o f e s s o r!あなたの発声のやり方は間違えています。」とは言えませんから。

音楽を学ぶ者にとって、美しい音は究極の目的です。誤った指導を受けている多くの人々が、早く自分の間違いに気付いて正しい指導を受けられるように同じ音楽を志す者として願ってやみません。

 

[正しい基礎は早期教育から]

*「私の子供はまだ小さいから関係ないわ。」とか「まだそんなレベルじゃないから、大きくなってからちゃんと習わせればいいわ。」とか思われる方もいらっしゃるかと思います。歌の場合はある程度大きくなってからしかレッスンははじめられません。変声期などに重なると喉を傷めてしまいとりかえしがっかなくなってしまうからです。しかしピアノやバイオリンなど、早期教育が必要な楽器では、一度小さな子供のうちに間違えた技術が身に付くと、それを矯正するには大変な努力と期間がかかります。伸びは止まるし初心に戻ることは難しい。しかし乗り越えられなければ挫折が待っています。子供さん方にこそ初めから正しい教育が必要なのです。(誤解の無い様に言っておきますが、歌を勉強するのにはある程度体の発達が必要だとは言いましたが、歌を勉強するに当たってでも、ピアノや楽典などの勉強は早い時期に始めておかねばならないことは当たり前のことです。)

 

[伴奏で学べるものは、音楽だけではない]

*伴奏法を学ぶことによって得られる最も大切なことに、〔責任感)と〔思いやり〕の心があります。比較的に年齢の低いピアノの生徒さんは、発表会に初めて出演するような小さな生徒さんのエスコートをします。今の一人っ子の時代でも、自分の弟妹のように、とても優しく世話をしています。中級位の生徒は、自分の曲がなかな出来なくって苦労している事があります。それでも、「伴奏は責任があるから・・」と言ってまず伴奏から仕上げてきます。それも、いつの間にか身に付いた責任感です。

そういった、事柄は取り上げると無数にあります。むしろ、私がその話をするよりも、教室の伴奏をしている生徒さんの父兄の方に尋ねて見てください。どういう所が、どう変わったかを教えてくれると思いますよ。

 

[私達が指導している伴奏のテクニック]

*バイオリンなど独奏楽器の場合、独奏する本人がいくら上手に演奏しても、伴奏が下手では曲としてつまらないものとなってしまいます。まして子供の場合には、折角上手に弾けていたソロまで伴奏しだいでメロメロになってしまうーと言う事がままあります。また大人が伴奏をするときに(大人は協調性が子供程ないので)子供の作り出す音楽と無関係に伴奏してしまい,その為に折角上手に弾けていた子供が本番ではメロメロに崩れてしまうーということもよく見受けられます。訓練された子供さん方の場合は独奏の子供がメロディを忘れそうになったら、左手で伴奏のパートを弾きながら右手でメロディを弾いて助けたり、間違えて前に戻ったら,そのままその小節に戻って伴奏したり,次の音符が思い出せなくて止まってしまったときなど即興しながら次の音符がでてくるのを待ったりします。

こういう事は現在活躍中の伴奏専門のプロでもなかなか出来ない、超高度な技術です。しかし子供時代では何気なくこういった超高度な技術を身に付けることが出来ます。(大人になってからではこういった技術を身に付けることは大変難しいことなのです。自我に固まる以前の子供さん方だから自然に身に付けられるのです。)また発表会などで伴奏のお兄さんお姉さんたちはソロの小さな子供さんをエスコートをするのは書きました。それだけではなく、ヴァイオリンを弾いている小さな子供を注意深く見守りながら伴奏をします。とても微笑ましい光景ですね。でも、本当は、子供を見守りながら演奏すると言う事は、伴奏だけではなく、ヴァイオリンのパートも、完全に覚えておかなければ出来ないのです。大人の伴奏者ではこうは行きませんよね。(実際には、驚く事に、大人の伴奏者では、「ヴァイオリンのパートを、歌いながら伴奏のパートを弾く」という簡単な事も出来ない人が殆んどなのですよ。子供を見つめながら弾いたら、自分が何処を弾いているのか分からなくなってしまいます。いやぁ、困った!困った!)

 

本人自身もまだ幼いのに、私達に見せてくれる、もっと小さな子供さん達に対しての思い遣り−私達が子供の伴奏を微笑ましいと感じるのは、その思い遣りに心を動かされるからなのです。

そういう子供さん達の行動の一つ一つが、私たちの発表会を暖かいものにしていくのです。

また伴奏を何曲もすることによって、しらずしらずのうちに大曲を弾きこなす準備がなされていきます。出演回数も多くなるので舞台度胸や舞台マナーも自然と身に付いていきます。

オーケストラや室内楽などでは、ピアノを弾く技術とは、また違った別の難しさがあります。

合わせのタイミングや休符を数えたりするだけでなく、全体が同じようにゆっくりしたり早くしたり、数え上げればきりがありません。

オーケストラは集団レッスンですから、個人個人の生徒の指導は行いません。

一人一人の限られたレッスン時間の中で、ソロの曲のレッスンの他に、オーケストラの曲までレッスンするのは時間的に不可能だからです。

オーケストラ参加者は、勿論、希望参加ですが、一応、ソロの曲を勉強して、なお、ゆとりのある生徒が参加することになっています。

バイオリンの場合は一度オーケストラ課題曲を仕上げて後、お姉さん運の早いテンポでもひけるようになった時、初めてオーケストラ伴奏で、演奏出来ることになっています。ピアノの場合は、まず伴奏で個人レッスンを受け、合わせのテクニックを勉強します。

その間に、自分一人で譜読みが出来るように、譜読みの練習を済ませ、ワンポイント・アドバイスのみで曲を仕上げることが出来るようにします。オーケストラは弦の指導が殆どですから,オーケストラ練習中にピアノの生徒にかかりっきりの指導は出来ません。ですからピアノの生徒は自分一人できちんと曲を仕上げておくことが必要です。

 

[お兄さんお姉さん達と一緒に音楽を学ぶ事が子供にとっては、憧れであり、夢でもある]

*子僕さん方にとってオーケストラに出て、お兄さん達やお姉さん達と一緒に合奏ができるようになる−ということは、憧れであり夢なのです。(子供達にとって遠い将来の事柄はそれがどんなに素晴らしいことであったとしても夢にはなり得ません。自分が肌で感じられる素晴らしい事−それだけが現実の夢となって、子供さん方に人生の目的意識を与えるものとなるのです。)

私は日本の音楽教育はヨーロッパ諸国に比べて100年の遅れをとっているとよく言いますが、一般の方達にはこれはオーバーな表現として受け取られがちです。ですが、それは決してオーバーな表現ではないのです。確かに日本のソリストクラスの演奏者たちは、世界的にも評価を受けるレベルに連していますが、音楽の世界をとりまく一般大衆や音楽家をめざす学生たちのレベルで見ると、100年前の明治大正時代と殆ど変わってはいないのです。特に伴奏については、一般大衆は勿論のこと、音楽を学校で学ぶピアノの学生たちにとっても、「ソリストとして活躍できないからしかたなく伴奏をする」という受け取り方や風潮があります。しかし、ヨーロッパに行くと、ピアノ科やヴァイオリン科に並んで専科として伴奏科がある程、伴奏の地位は確立しています。(日本の音楽学校の場合には、伴奏科は全く無いか、良くても副科としてあるぐらいです。)ヨーロッパの音楽界ではエリック ウェルバー教授や、ジェラルド ムーアのように、名伴奏者として世界的に活躍しているピアニストも数多く見受けられます。しかも、ソリストとして活躍している世界一級のピアニスト(例えばイエルク デムスのようにシューマンやシューベルトなどのウィーン古典派やロマン派の演奏に関して定評があるピアニスト)の伴奏よりも、ジェラルド ムーアやウェルバー氏のような伴奏専門のピアニストが演奏した伴奏の方が、曲としてはるかにすぐれているということは、広く一般に認められています。ヨーロッパの音楽社会では、専門ごとに分野が細かく別れていて、それぞれの分野にマイスター(達人)がいるわけです。しかし、日本の音楽教育の中に伴奏科というものは存在しません。

ということで日本には優れた伴奏者はいないのです。

 

[日本で伴奏者が育たない、もう一つの理由]

*日本ではあまり重きを置かれていない伴奏法やアンサンブルですが、一般の音楽教室に関しては一概に日本の音楽教師を責められない事情もあります。バイオリンの教室でチェロやコントラバスの生徒がいる所は稀ですし、ピアノの先生でバイオリンの先生チェロの先生と仲間付き合いをしている人もそう多くはないと思われます。場所によっては付き合いたくてもその地方には弦楽器を指導なさる先生が全く居られない場合もあります。またそれ以上に難しいのが指導の問題です。弦楽器とピアノでは歌わせ方やフレーズ感覚が異なってしまうので、それぞれの楽器の先生が自分の楽器の見地から曲の解釈を主張してしまうのです。ピアニスティックに演奏されると弦楽器奏者はとても演奏しづらいし、弦的に奏されるとピアニストにとっては大変弾き難いことになります。しかしながら音楽大学においては、それぞれの先生も学生もいるのですから、もっと積極的にアンサンブルに取り組んで欲しいとおもいます。なぜなら音楽大学を卒業するピアノ科の学生達のほとんどが一度もアンサンブルを学ぶ機会がないまま卒業してしまっているのが現状だからです。

もちろん大学側にも理由があります。アンサンブル経験のない先生が多すぎる事と、チェロの学生が少なすぎることです。その為ほんの二,三組しかアンサンブルのグループが作れず、結局優秀な生徒にしかそのチャンスが回ってこないことになります。音楽大学のピアノ科を目指す受験生に初めてモーツァルトのピアノ五重奏を音大の弦の学生と一緒に練習させたのですが、弦のみのパートになると、唐突にテンポが遅くなって困っていました。弦楽器だけのアンサンブルだと問題はないのでが、異種の楽器が混じってくると合わせのタイミングが微妙にずれる事をよく理解出来ていなかったからです。

 

[ヨーロッパでは]

*いずれにしても、ヨーロッパでは、音楽学校に伴奏科があり、勝れた伴奏者を世に送り出していますし、室内楽の教室もあって専門的に室内音楽の勉強が出来るようになっています。

現在、演奏会を催す演奏家の多くの人達が、わざわざ外国から伴奏者を招いていますが、日本での伴奏者不足は深刻なものがあります。もちろん伴奏者が居ないわけではありません。

伴奏者の伴奏技術の不足が原因で、伴奏者としてコンサートなどで、使うに足りる人がいないのです。

この現状は今日までの日本の偏った音楽教育が産み出した「つけ」であるといえましょう。

願わくば、一日も早く、日本の音楽大学でもそういった専門のクラスが出来ることが望ましいと思うのですが。

 

(結び)

*音楽を学ぶ子供さん方にとって、お友達と伴奏やアンサンブルを一緒にすることは「憧れと夢」です。ともすれば孤独になりやすいピアノの練習を楽しいひとときにかえ、ひとりよがりになりがちなピアノの技術習得に自己反省の機会を与えてくれるばかりでなく、あちこちの教室で行き詰まってピアノに対する興味と愛情を見失った子供さん方が、再び音楽に対する興味を見つけ出す場所ともなります。また現在社会問題となっている「いじめ」などで明らかなように、正常な子供どうしの社会性が見失われようとしている今日、学年や技術差をこえて、一生の友を見出せる場でもあります。なぜなら趣味や目的を同じにし、同じ音楽を一緒に学んだ者は、偉大な作曲家の魂を共有することが出来るからです。

子供は直観でそれを感じることができます。ビデオ・レッスンを受けている子供さん方も「学校のお友達は学校でのお友達、オーケストラのお友達は大きくなっても一緒に音楽をやっていく一生のお友達」と言っていますし、お母さんがたも「××ちゃん達とは一生の付き合いになりそうですね。」と、よく話しています。集団教育がもはや学校に望めなくなった今日、伴奏やオーケストラ・レッスンに対する期待とその重要性に対して、私たちも真摯に−しかし楽しさを失わないように注意深く取り組んでいきたいと思います。

 

 

 

 

1985年10月第一稿

芦 塚 陽 二