Heinrich Ignaz Franz von Biber passacaglia


珈琲館「ぶな」でのBaroque Koncert Zyklus


2006年7月25日東京江古田珈琲館「ぶな」でのbaroque音楽のコンサートです。

Biber Rosary SonateNo.1 
Rameau harpsichord suiteよりめんどり、
Biber passacaglia、Biber 8sonateよりNo.6 
16分からの演奏です。
baroqueviolin斉藤純子、spinet大場美紀、監修芦塚陽二

Biber Rosarysonate No.4 d moll『神殿での幼児イエスの提示』(scordatura a,d,a,d) Junko Saito baroque-violin

2005年11月4日、東京練馬区の教室のそばの珈琲店(ぶな)での、バロック音楽の夕べ(biber連続演奏)より biberのRosaryのsonate 第4番 d mollで、scordaturaは、a,d,a,dです。
Baroque-Violinの演奏は、斉藤純子、Cembaloは萩本美紀、Regieは芦塚陽二先生です。
2023年の8月の25日に再生リストに入れてgroupingしましたが、今の所、この演奏が一番古いBiberのRosarysonateの演奏になります。
目下、探している最中なのですが、これ以上のdataは、uploadした中には見つかりませんので、uploadしていないdataから探し出す事になります。





index

Lebenslauf(略歴)

曲目解説

作品分析



plug inの不具合について
記載された譜例に、音声が聞けるように、参考までにパソコンの音源を挿入しています。
それぞれの譜例の下の黒い画面の下のスイッチを操作すると音源が聞けます。
また、plug-inの不具合で、パソコンによっては、Pageを開くと、音源が同時に再生されてしまう場合がありますが、その場合には、ご面倒ですが、Page画面上のスイッチで音を停止させてください。
スイッチを探すのが面倒くさい場合には、パソコンのタスクバーの音声を1分05秒程ミュートにして、それからミュートを解除してください。

Lebenslauf(略歴)

Heinrich Ignaz Franz von Biber(1644年8月12日(洗礼日) ? 1704年5月3日)、は、ボヘミア(オーストリア)のワーテンベルグの作曲家、バイオリン奏者でした。
Biberはワーテンベルグの小さな町で生まれて、ボヘミアの皇太子であり、司教でもあったカール・リヒテンシュタインのもとを勝手に去って行く迄の間、グラーツとKrom??i?の町で働きました。そして、ボヘミアを去った後も、Salzburgで多くの作品を発表しました。

Biberは、器楽作曲家として、音楽の歴史の中で・・・、特にviolinのための作品が、後世の作曲家やヴァイオリニスト達に、非常に多くの影響を与えた、優れた作曲家でした。

Biberの使用した独自のviolinのtuning法であるscordaturaの技法や、彼の名作である無伴奏のpassacagliaは、後世の多くの作曲家達に影響を与え、それ以降の作曲家達の模範として、色々な多くの歴史的な作曲家達に模倣されました。

Biberは、ワーテンベルグ(ボヘミア(現在、Stra?(チェコ共和国))で生まれた事は分かっているのですが、残念ながら、今現在も、 彼の幼少の時代については、分かってはいません。

Biberは、活躍した青年期から壮年期の時代でも、結構な、社会的な評価を受けています。

1676年には、Biberは作品を発表し始めました。
そして、1677年のレオポルドI皇帝が、1679年のザルツブルグの代理管弦楽団の指揮者に任命されました。
Biberは、1672年5月30日に、ビショップの住居で結婚生活を送っていました。
妻マリア・ワイスはザルツブルグの商人のペーター・ワイスの娘でした。
彼らは11人の子供に恵まれて、そして、そのうちの4人は、生き残りました。
息子、アントン・ハインリッヒ(1679?1742)とカール・ハインリッヒ(1681?1749)はザルツブルグ法廷のバイオリン奏者として勤めて、そして、後者は1743年に管弦楽団の指揮者を努めました。
また、娘、マリア(1674として生まれる)とアンナ・マグダレナ(1677?1742)も、サンタクララ、MeranoとNonnbergアビーの修道女になりました。
アンナ・マグダレナはアルト歌手とバイオリン奏者として、1727年にクワイアの責任者と管弦楽団を努めました

1692年11月3日、Biberは、大司教ヨハンによってスチュワードに任命されました。
Biberは1704年にザルツブルグで死にました、そして、彼の墓はPetersfriedhofにあります

17世紀の後半部には、Biberは、ドレスデンの学校で、ヨーロッパで最高で最も有力なバイオリンの指導者の1人として認められていました。
彼の死後は、彼の優れたバイオリン奏法の技法は、学校に伝承される事はありませんでした。
当時、violinの世界を席巻していたcorelliと彼の支持者達によって、corelliのstyleになってしまいました。

Biberの一連の作品の中でも、最もすばらしいscordaturaの作品は、2つのZyklusがあります。

1676のRosary Sonate、ロザリオの祈りソナタ(Mysterien Sonaten、ローゼンクランツ-Sonaten)、銅板の挿絵入りのsonateです。

Biberは、violinというgenreの音楽だけに貢献した作曲家ではありません。
多くのviolinの作曲家が、violinのためだけに作曲をするのに対して、Biberは教会音楽のための合唱の作品も多数作曲しています。
レクイエム、モテット、その他の多くの教会音楽、所謂、polyphonyの合唱曲を作りましたが、そのorchestra伴奏の楽器編成はかなり大規模な編成で、Biberはこのorchestrationに関しても、非常に優れた技術を持っていました。

53声部のための「ザルツブルク大聖堂のミサ」は、ザルツブルク大司教職の創設1100年を記念する1682年にザルツブルグ大聖堂で演奏されたもの。別の作曲家に依るものとされていたが、近年の研究でビーバーが作曲したことがほぼ確定された。
曲は、16声部の合唱と37声部の器楽からなり、編成は、1群(8声部合唱)、2群(弦楽器)、3群(フルート、オーボエ、クラリネット)、4群(コルネット、トロンボーン)、5群(8声部合唱)、6群(弦楽器)、オルガン、通奏低音に加えて、4本のトランペットとティンパニを二組離れて配置するという大規模なもの。53段で書かれたスコア(キリエ楽章)をWeb上でも見る事もできます。
ビーバーの多声部教会作品の中では、昨年Webラジオでも放送されていたMissa Alleluja(36声部)あたりの方が、合唱とソリストアンサンブルの対比の妙など、もう少しメリハリのきいた音楽造りがされており、聴いていても少し面白いと思いました。演奏はK.ユングへーネル指揮のウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラでした。


(青の文字の文章は、Wikipediaより抜粋です。)

(緑の文字の文章は、Orfeoの音楽三昧 よりコピペしました。とても、素晴らしい文章で、手直しする必要がなかったので、そのままのコピペです。)


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曲目解説

Heinrich Ignaz Franz von Biberは、baroque中期の作曲家なのですが、その作曲様式は、少し古いRenaissanceの様式の作曲家です。古いtypeの作曲家と言えるでしょうかねぇ??

BiberのPassacagliaは、Rosenkranzsonatenの最後の曲で、唯一、無伴奏で書かれた曲で、しかも、1番と最後の16番だけが、scordaturaのtuningがされていない曲なのです。
下記にRosarysonateの各曲のscordaturaの一覧表を提示しておきます。

(上記の番号は曲の番号で、音符は、その曲のtuningの音になります。)

記譜された音と、実際に出る音が全く違うので、絶対音感を持っている演奏家達に取っては、楽譜を読む事が至難の業になってしまいます。
曲もbaroqueというよりも、Renaissanceに近い作風になるので、演奏の難しさもあって、日本では、殆ど演奏する人がいません。
唯一、この16番のPassacagliaは、modern-Violinでも演奏可能なので、例外的によく弾かれています。

Heinrich Ignaz Franz von BiberRosary Sonate、またはMysterien-Sonatenは、Violinとbasso continuoのための15のsonateと、Violin fur Ohne BegleitungのためのPassacagliaで編纂されています。


ロザリオのソナタは、ザルツブルク大司教マックス・ガンドルフ・フォン・キューンブルクへの献呈の文言から、1687年のBiberが亡くなる前に書かれたことがわかります。
個々のソナタには名前が刻まれていませんが、各ソナタの前には、ロザリオの神秘を描いた銅版画が置かれています。
1678年のザルツブルク・ロザリオ修道会のリーフレットの銅版画の起源が特定されました。
Rosary Sonateは、1678年頃に書かれた可能性が高いと考えられています。

これらのソナタはビーバーの存命中に出版されることはなく、その後何世紀にもわたって忘れ去られていた。
1890年にはミュンヘン宮廷図書館(現在のバイエルン州立図書館)に移され、現在も保存 されています。

最初の出版は、1905年にエルヴィン・ルンツによって、OsterreichのDenkmaler der Tonkunstシリーズの第25巻として出版されました。

1917年4月2日、クライナー楽友協会でロベルト・ライツ(ヴァイオリン)とフェリックス・ローゼンタール(ピアノ)による「聖書史の彫刻後の11の謎」のウィーン初演が行われました。
1923年、ライツはヴァイオリンとピアノのための15のソナタ(パッサカリアなし)の編曲をユニバーサル・エディションで出版した。

20世紀に入って、やっと、これらの作品は、ささやかな関心を集めるようになりました。

最も初期の録音には、1962年のスザンネ・ラウテンバッハーとソーニャ・モノソフによる録音があります。
歴史的なパフォーマンスの実践の出現により、この作品への関心が高まり、1994年のビーバー生誕350周年、特に2004年の彼の没後300周年になって、やっと、Biberへの関心が高まりました。

それ以来、いくつかの新版とファクシミリが出版されています。

スコルダトゥーラ、つまり通常の弦楽器のtuningから逸脱した弦の調律は、baroque時代には、Violinやその他の弦楽器の特別な音響効果を得るためによく使用されますが、ロザリオのソナタほど全曲に渡って、scordaturaで演奏される曲はありません。
そのため、エリザベート・レッサーはビーバーを「スコルダトゥーラの王」と呼びました。
第11番のソナタでは、ペグとブリッジとテールピースの間の2本の中央弦が入れ替わり、十字架が見えるようにtuningをする事があります。
勿論、そういったabnormalなtuningをしなくても、演奏する事は可能です。

参考までに:Julia Wedmanさんの解説videoのURLを下に掲載しているので、興味のある方は、どうぞ??多分、ドイツ語ではなくて、英語だったと思われますが・・

Julia Wedman - Exploring playing in scordatura and the music of Heinrich Ignaz Franz Biber




(青い文字は、Wikipediaより、抜粋箇所です。)





作品分析

下の譜例は、Biberのpassacagliaの最初の部分です。

先ず第一の留意点は、何処かに既に書いたと思われるのですが、今、探しても見当たらないので、同じ文章がダブっていたら、ごめんなさい・・と言う事で、一般的には全音符が1個の4小節が一つの単位のcantus firmusです。



この楽譜は、♭が2個のg mollで書かれているので、一応はoriginalのUrtextAusgabe(原典版)になっているのですが、facsimileではVitaliのChaconneは上記の楽譜と同様にF Durで書かれています。
つまり、原典版では、作者の意図を尊重して、勝手に音符や調を変更してはいけない事になっているのにも拘らず、原典版としたのは、当時の調性の考え方を知らなかった・・と言う他はありません。(原典版でも、完全な誤りの場合は、脚注付きで、改定する事が出来るので・・校訂者は、ミスだとでも、思ったのでしょうがね??)

Bachの初心者向けのg mollのMenuetでも、原典版ではF Durで書かれているので、大学生の頃は、その問題に1年程、悩んでいた事があります。
下の譜例では、調性は♭一つになっています。初心者用の楽譜では、その殆どの楽譜がg moll(♭二つ)に、訂正されています。アハッ??
ちなみに、Menuetの冒頭のthemaのBasの動きは、Chaconneのthemaと同じ動きになっています。勿論、和音進行も・・です。

つまり、どの音楽書、或いは楽典の本を読んでも、g mollがF Dur(若しくは、d moll)で書かれているのか??・・と言う、その回答が書かれている本はありませんでした。
と言う事で憧れの音楽大学に入学した当時は、1年近く悩んでしまったのです。
当然、音楽大学の教授連中で、その質問に答えられる人材は在り得なかった・・というか、「自分の若い頃には、月光の曲とかしか出版されていなかった」という教授さえも居たので、それ所の水準では無かったのですよ。
ある日、ある時に・・池袋の駅を降りて、homeを歩いていた時に、突然、頭の中に光が・・・、啓示を受けて、疑問が解決したのですよ。
忘れも得ない・・劇的な一瞬でした。
野狐禅の悟りとか、神の啓示とかが、このような物か??と、歓喜しました??

その啓示とも思われた回答は、実に単純で明快なものでした。
つまり、F DurのDorischの調で書かれていたのだよ。(・・と言う事で、ミ?はDoriaの6度なのだよな??)
baroque時代では、短調の曲をDorischで書く事が多かったのだよ。
それだけの事だよ。
いやあ、分かって見ると、頗る、簡単な事だったのだよな??(ちなみに、野狐禅とは、自虐ネタですから、悪しからず・・??)

baroque時代のVariationには、その曲のthemaがBasのpartである曲が多いのです。(遠慮ガチの言葉なのだけど、殆ど全部の曲が・・と言っても良いのだよ。)
その理由は、美しいthema(melodie)自体もcantus firmus(定旋律)上に構成されたAriaに過ぎないからなのですよ。

la foliaや、chaconne、或いは、このpassacagliaも、そうした繰り返される低音(Bas)の上に、装飾的なVariationを展開させて行きます。
勿論、かの有名なVitaliのChaconneも、同じthema、所謂、cantus firmus上に、そのVariationが展開されます。
調性も、殆どが一様にF調のDorischになります。

ちなみに、有名なPachelbelのcanonも、同じBasの動きの上に、melodieの追いかけっこであるcanonが展開して行きます。

この場合のBasのcantus firmusは、俗にはCanon-chordとも呼ばれています。

その他にも、HandelのPassacagliaや、La Folia(sarabande)のような、別のcantus firmusもありますが、その種類は、決して多くはありません。10種類に満たないcantus firmus(定旋律)のthemaになります。


BiberのPassacagliaのthemaは、一番、orthodoxなthemaなのですが、一般的には、Passacagliaのthemaは、全音符で書かれているので、4小節になる場合が多いのですが、この曲の場合には、上記の譜例のように、最初の2小節が、passacagliaのthema、つまり、ground(通奏低音のthema)になります。

この曲は、(多分)、117小節もある壮大な曲なのですが、themaの2小節のground上に、Variationが2小節単位に64回も展開されて行きます。


2小節のthemaに対しての、64のVariationなので、その演奏も多種に渡ります。

この曲の演奏のstyleで、もっとも多いのは、このpassacagliaのthemaを最初から最後迄、同じtempoで淡々と演奏する弾き方でしょうかね。

BachのOrgan曲の多くの曲も、そういったcantus firmusを淡々と演奏するstyleで、演奏される事が多いので、この曲の場合にも、そういう風に演奏する事には、やぶさかではありません。

しかし、このBiberのpassacagliaには、同じtempoで弾き通すには、何箇所か、落とし穴があります。
figurationを32分音符で弾き捲るpassageや、逆に、しっとりと歌い込まないといけないゆっくりとしたpassageです。

勿論、そこの部分だけをtempoを変えて演奏して、直ぐに元のtempoに戻して弾いている女流ヴァイオリニストがいたりするのですが、演奏上、唐突な感は否めません。

また、幾ら、同じtempoで最初から最後迄、そのtempoをkeepして演奏したかった、としても、どのVariationも、無理矢理に最初のtempoのままで、演奏するのは、無理があります。

それよりも、問題のVariationの前後のVariationで、tempoの整合を図った方がよりBesserであると、思われます。


Biber自身の、この曲の作曲上の意図は、明白です。
一つの段落が終わる度に、単音のthemaに戻って、次の段落を初めているからです。

楽譜を見れば明白なのですが、小節で書くとすれば、Biberは、このpassacagliaを、次のような演奏上の括り(段落)で作曲しています。

第一部(1〜18小節迄)
thema+8Variation(a1〜a8)=18小節

最初のthemaのintroは、groundのthemaを提示するので、非常に遅めに、Graveぐらいのtempo(8分音符=60ぐらい:付点四分音符=20というtempoは、Metronomでは計測出来ませんから、8beatにして、Metronom=60前後で演奏すると良いと思います。)で、遅めに、非常に静かに(静的に)演奏します。
VariationTは、そのtempoよりも、ほんの少しtempoをupして演奏し、Variation毎に、少しずつtempo upをして行きます。

(勿論、tempoを保持して演奏するstyleで演奏する人は、そのままのtempoをkeepします。でも、同じtempoで演奏しているように見える人達でも、Metronomで計測すると、各Variation毎に、非常に細かくtempoが変わってします。同じtempoに聞こえるのは、tempoを微妙に変化させるからなのです。それが歴然と分かる演奏と、殆ど分からない演奏の違いなのです。パソコンのように、機械的にMetronomで演奏していくと、それは、逆に、とてもeccentricに聞こえます。)

cantus firmusのthemaなのですが、一般的にはOrganのように、同じ強さで、演奏している人が多いように見受けられますが、私の場合では、次のVariationが入って来る時に、そのmelodieを活かす為に、themaのcantus firmusを、一つ一つ、余韻で抜くような風に演奏をさせています。
その方が、Variationのmelodieが入って来た時に、melodieを邪魔しないからです。
勿論、最初から最後迄、その様に、弾かせている分けではありません。Variationのblock毎に、melodieの表情に合わせて、cantus firmusもthemaも変化して行きます。当然の事ですがね??

第二部(19〜)
thema+9Variation(b1〜b9)=20小節
ここまでが前半部として演奏します。

19小節目で第二部の開始のthemaが再現されます。
当然、元のtempoに戻すのですが、最初のthemaよりも、ほんの少し早めに演奏します。
二部のVariationは、最初のVariationのtempoよりも、かなり早めのtempoで開始します。

第三部
thema+16Variation(c1〜c16)=34小節
32分音符と64分音符なので、かなり遅いtempoで演奏する事になります。C7からC16まで、tempoを少しずつ早くして、tempoを元のtempoに戻して行来ます。

第三部の開始は、そのままtempoupしたい所ですが、Biber先生は、それ程甘くはありません。
そのままのtempoでupしていくと、次の32分音符や、64分音符のpassageが演奏不能になってしまいます。
Variation C5に書いてあるadagioですが、これは、前のtempoを維持すれば、そのままadagioのtempoになるからです。
それは蛇足です。
この校訂者はC7でAllegroとtempoを指定していますが、これもC16迄のtempoupを考慮して演奏しなければなりません。

第四部
thema+13Variation(d1〜d13)=28小節
第四部も、第三部と同じような構成です。themaがゆっくりと、fugaのように、多声部書法の「入り」で、3声部の3和音の純正の響きを演奏します。

第四部から、tempoを遅いtempoに戻して、恰も再現部のように、ゆっくりから始め直します。事実上の大きな括りの第二部です。
重音の純正の響きを活かして、少しずつ始めて行きます。
D10から、少しずつtempoupして、第五部の開始のthemaは結構早めに開始します。

ここまでが緩徐楽章の中間部になります。
とは言っても、同じtempoで演奏する分けではないので、情緒的、感情的に揺らして演奏します。
演奏家の腕の見せ所のpassageですね。


第五部
thema+13Variation(e1〜e13)=28小節+Coda(thema+1小節=3小節)
Eのthemaからは、E9に向かって一気に盛り上げて行きます。
しかし、このままでは、曲が余りにも短すぎるので、E10からは、徐々にtempoを落として、静かに収めて行きます。
purcellのchaconneのg mollのダイイング・アウエイですな。

これはあくまで小節の譜割りなので、実際の演奏時間の計算はまた別です。

ゆっくりとしたpassageでは、当然演奏時間が掛かるので、演奏時間のbalanceは良い状態になるはずです。

これで、見かけ上は、大きな三部構成のように、見えるはずです。



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演奏上の問題点

以下の文章は、次Page以降で、ぶっ飛んでしまった文章を新たに書き加えた文章になります。(2024年6月20日)

Biberのpassacagliaにも、幾つかの問題点を見出す事が出来ます。
先ずは、「譜例:Variation4」の小節に収まりきらない音符です。

下の譜例は、themaから第七Variation迄の譜面です。

赤の丸で囲った音符は、6/8の拍子には収まり切らない音価なのですが、このpassageは、一体、どのように弾けば良いのでしょうかねぇ??

兎に角、Basのcantus firmusの中には、収まらない音符なので、themaの定旋律をどのように演奏すれば良いのか??・・なのですが、定旋律のrhythmの動き(この場合にはbeat)を壊す事は出来ないので、その可能性は非常に少ないのですよ。

finaleで定形外の音符を入力するのは至難の業なのですが、困っていたら、昔々のfinaleで入力したdataがfinaleのfileの中に残っていたので、問題なく入力する事が出来ました。Gott sei Dank!(ありがたや??)です。




その演奏の例をあげてみると、次の譜面のようになります。
参考の譜例1としては、

の譜例のような、patternになります。



本来的には、Variation4は、上記の譜例の最後の小節迄なので、赤丸で囲った16分音符は、前の小節の音符と同様に32分音符で演奏した方がより良いと思われます。
元の譜面では、、前のskipの音符も16分音符で書かれていたので、rhythmとしての整合はしているのですよ。


参考の譜例2としては、themaのskipのrhythmも甘く、上声のmelodieとskipの頭の音が絡んでしまうので、音楽的に良くはありません。
次の譜例3と同様の、誤った演奏例になります。

参考の譜例3としては、時折、見受けられる演奏styleなのですが、

これは、結構素人目には、しっくりと来るのですが、Passacagliaのthemaのrhythmがこの部分だけ違ってしまうので、論理性に欠けて、演奏stlylとしては、良くはありません。
寧ろ、間違いの演奏の中に入る演奏です。
Passacagliaのthemaは、themaとなる音符のbeatが、変わってはいけません。

もう一つの可能性なのですが、Variation4の上のpartの入りを早くする方法です。
これは、最初の弾き方と同様に、演奏の可能性があります。

この場合でも、Variation4の2小節目のmelodieの入りのpartは、同じ32分音符で入って来なければなりません。themaのbeatが崩れてしまうからです。


Basのrhythmに合わせてしまうと、melodieの声部のrhythmが無くなってしまうので、melodieのrhythmに合わせて、上の声部の入りをして、Basは、定旋律のrhythmで演奏すると良いでしょう。

所謂、baroque時代の記譜法の曖昧さの問題なのですが・・・

この時代の記譜法は、結構、曖昧な記譜が多かったのですが、それはbaroque時代には、音符は近似値的に書かれて、実際に演奏される場合には、notes inegales、所謂、inegales奏法で演奏される事が多かったからなのですよ。
つまり、楽譜を幾ら正確に書いても、演奏ではその音価のrhythmが守られる事はなくて、寧ろ、notes inegalesで演奏される事の方が、普通だったからです。
音符は、演奏者に取って、より見やすいものであるべきで、「その音符をどのように演奏するか??」・・と言う事は慣習的に決まっていたのですよ。
そこを理解しておかないと、baroqueの音楽を演奏する事は出来ません。