2012年2月11日の冬のコンサート(四日市教室)より
2012年4月1日千葉地区発表会千葉市文化センター・アート・ホール
2012年6月24日八千代市生涯学習プラザ主催Early Summer Concert
Realisationという言葉について
baroqueの演奏譜について
今回は、芦塚音楽研究所の音楽教室のprogramとしては、初めての曲であるHenry purcellのchaconne ト短調を演奏します。
比較譜として芦塚陽二版の演奏です。
purcell chaconne g Ashizukaversion
2012年6月24日八千代市生涯学習プラザ主催Early Summer Concert
programからの転載
12年6月24日千葉県八千代市生涯学習プラザ主催の芦塚音楽教室Ashizuka-kammer-Streich-orchestra(芦塚室内弦楽orchestra)の対外出演の風景です。
Hennry Purcellのchaconne g をお聞きください。
擬古典風の演奏でpatheticな感じの曲なのですが、実は、この演奏はHennry Purcellのoriginalのままで、音符に関しての校訂、変更は全くしていません。
originalの楽譜のままに、interpretationだけを少し擬古典風にして、演奏しています。
現代風な鋭い不協和音が聞こえて来るのは、purcell自身の書いた和音そのままの音の響きなのです。
演奏のrhythmに関しては、purcellの書きおろしたoriginalの楽譜の音符のrhythmとは違った風に演奏していますが、それは新しい解釈ではなく、periodの奏法によるbaroque時代当時のstyleをそのままにして、演奏しています。
指揮とperiod奏法のinterpretationは指揮者兼校訂者の芦塚陽二先生によります。
orchestraは芦塚音楽教室の生徒達とOB・OGの賛助出演による・・全員が芦塚先生の門下生という事で、全員が弦楽器の奏法もbaroque時代や古典派の古い時代の弓の持ち方で、演奏をするという大変珍しいperiodのstyleをとっています。
時代考証に従ったperiod奏法での演奏ですが、音楽教室という特性上、殆どの生徒さん達が趣味なので、所謂、baroque-violinを持っていないので、楽器に関してと、pitchに関しては教室の演奏会高度である443で、modern楽器のままの演奏です。
子供達にbaroqueviolinを買わせても仕方が無いのでネ??
ちなみに、同年の4月の1日の芦塚音楽千葉教室の春の発表会で、同じ曲を演奏していますが、そちらの演奏は子供達がmainの発表会なので、periodの演奏でなく、通常の演奏styleです。
出演者の学校の行事やOB・OGの仕事との兼ね合いで、八千代のコンサートの出演者と千葉の発表会の出演者は全く違っているので、芦塚先生が「同じinterpretationで演奏しても、面白くない❢」 という事で、二ヶ月後の、八千代のコンサートでは芦塚先生のperiodのinterpretationに拠る演奏になっています。
八千代の第二部のお客様は、芦塚先生と同じぐらいの年齢層なので、八千代の二部の演奏は少しadultな鬱々した演奏になっています。
ほんとかね??
「出演者の楽器編成について」
出演者の都合で、発表会では4+4+4+3+2の編成でしたが、今回の八千代では、2名少ない4+3+3+3+2の編成です。
しかし、memberは発表会の時のmemberとは違って、半数以上の出演者は八千代のために新規に参加しています。・・という事で、2ヶ月前の発表会のinterpretationとは全く違う、新しいinterpretationになっています。
当然、よりperiodのstyleに忠実な解釈でbaroque特有の奏法を随所に取り入れての演奏になっています。
教室では、芦塚先生が若い頃から所有していたpurcellのoriginal版のスコアーと、高名なイギリスの誇る作曲家であるBenjamin Brittenが校訂した版を比較検証して見ました。
その結果は、チョッと驚きでした。
benjamin Britainという作曲家は、ご存知のように、現代イギリスの誇る最も著名な、イギリスの音楽史上尊敬される、henry purcell以降の最高の作曲家とされています。
orchestraの為の「青少年の為の管弦楽入門」という曲でも知られています。
「青少年の為の管弦楽入門」と言う曲は、副題を「Henry purcellのrondoの主題による変奏曲とフーガ」といいます。
この主題となるhenry purcellのrondoの原曲は、orchestra用の組曲としての譜面と、Cembaloのsoloの曲としての楽譜があります。
このpurcellのoriginalのCembalo譜から、芦塚先生の手によったrealization(装飾音を加えて書き直した演奏譜)でのCembaloの演奏譜に寄って、八千代のKoncertで碧人君がCembaloを演奏したvideoがあります。
purcell rondo d ornament bei Yoji Ashizuka spielte Aoto Nakajima(13Jahre alt).wmv - YouTube
今回の発表会では、超有名な作曲家の手によるHenry purcellのchaconneのrealizationの譜面で演奏する予定だったのですが、purcellのoriginalの版との比較検証(kritik)を芦塚先生がした所、Benjamin
Brittenの校訂版は、単に、period奏法を譜面に書いただけなので、使い物にならないという事が分かって、結局、芦塚先生のversionで演奏をしています。
Realisationという言葉について
さて、ここで「realization(リアリザチオン)」とかいう、聞いた事も無いような音楽の用語が出てきましたが、その「Realisation」という言葉について、少しお話を致しますので、音楽四方山話の雑談として、ご清聴ください。
ヴァイオリンやピアノを習い始めたばかりのお子様が、初めてバロック音楽と遭遇するのは、多分、BachのMenuett ト長調 辺りの曲ではないでしょうか?
非常にシンプルに作曲されている名曲ですよね。
譜例:Bach Menuet
「danceの曲だから、楽しげにウキウキと演奏すれば良い。」とか超、乱暴に宣ふ先生もいますが、ただウキウキと演奏するだけではMenuetの曲にはなりません。
danceには踊りの体感が必要だからなのです。
「そんな難しい事を言われても・・?」
ではなくて 、今はYou Tube等でbaroqueのdanceを、いつでもタダで見る事が出来ます。
タダYou Tubeで「baroque-dance」と検索すれば、衣装から、舞台からbaroque時代に引き込まれるような動画を幾つでも見る事が出来ます。
このMenuetには出て来ませんが、一般的なMenuetの場合には、特に、hemiolaという舞曲特有の3拍子の中に2拍子が飛び込んで来るpassageでは、3拍子のstepから2拍子のstepへと、足のstepの感覚を変える敏捷性が必要になります。
次ページ以降のPageが無くなってしまいました。以下の文章は新しく書き加えたものです。
baroque時代の楽譜は、慣習的に書かれた譜面(音符やrhythm)と実際に演奏される音が違う場合が良くありました。
その有名な例は、France風overture(フランス風序曲)の独特のrhythmです。
楽譜上では、16分音符のskipになっているのですが、実際の演奏では、16分音符を32分音符のように鋭くして、その前に休符を入れて、演奏するという習慣がありました。
また、3連音符も付点8分音符と16分音符のskipで書き表すのが一般的でした。
ですから、芦塚先生がBenjamin Britten版のHennry purcellのChaconne in gの楽譜を見つけた時には、このChaconneのBritten版は、Brittenが、Hennry
purcellのrondoをthemaとして、「青少年のための管弦楽入門」で見せたような、「purcellのChaconneのimage(inspiration)によって、新たに擬古典版(Brittenの作曲)として、作曲をしたのではないのかな??」という期待を込めて発注購入しました。
(勿論、catalogue注文なので、楽譜を見て発注した分けではありませんので、楽譜が到着するまでは、その楽譜については分からなかったのです。)
ところが、到着した楽譜を見て、芦塚先生が驚いた事には、その楽譜はBrittenが作曲した擬古典版ではなく、baroque時代の慣習に従って演奏するべきものを、楽譜上に正確に書き表す、・・・という、譜面でした。
その場合には、絶対に作曲という言葉を使ってはいけないのですよ。
あくまでも、Realisation譜(具体化、現実化)、或いは、校訂版にしか過ぎないのですからね??
しかも、Britten版のpurcellのChaconneには、著作権が掛かっています。
う~ん???
それは、チョッとShockです。
なぜならば、私達は当時のscoreを見て演奏する場合には、当時の慣習に従って演奏をします。
という事で、purcellのoriginal版で演奏しても、Britten版で演奏しても、古式豊かに演奏すると、同じ演奏になってしまうのですよ。
つまり、正確に古式豊かに演奏すると、Brittenが書いた譜面のようになるのですよ。
だから、今更、Britten版の著作権と言われてもね~ぇ???
発表会で子供達が演奏した、henry purcellのchaconne ハ長調は、originalの譜面を底本にしています。
八千代のコンサートでは、芦塚先生が校訂した芦塚陽二版という演奏譜(Realisation譜)を使用して古式豊かに演奏する予定です。
芦塚先生は「私は別に著作権料はいらないけれどね!」と言っていましたがね。
だって、誰が演奏しても同じになるのならば、それは著作権には当たらない・・と思うのですがね??
baroqueの演奏譜について
baroque時代は当時の慣習的に、楽譜に書かれている音符と実際に演奏される音符やリズムは違う事が多いのです。それを、現代の音楽家用に実際に演奏される音符やrhythmで書いたものが、校訂版になります。
譜例:originalの版
上の楽譜はoriginal版の、最初の5小節目から8小節目迄のスコアーです。
次はBritten版の同じ箇所です。
譜例:
最初の小節の3拍目の裏の8分音符や次の3拍目の8分音符はsostenutoで膨らますように演奏します。しかし、次の8分音符は16分音符に書き換えられています。つまり、鋭くskipして弾きます。しかし、このBritten版も演奏譜としては話半分くらいです。
本当は次のように演奏します。
譜例:芦塚陽二校訂版
1小節目、2小節目の3拍目の裏の8分音符はsostenutoでたっぷりと弾きます。それに対して、16分音符はもっと鋭く、あたかも32分音符のように、次の音に引っ掛けて演奏します。
譜例のように、skipの音符間には休符が入ります。
purcellのchaconneでは、「現代の作曲家が書いたのでは?」、或いは「Brittenがアレンジした譜面では?」というような、とても近代的な響きがするpassageが時々あります。
でも、それは、Brittenのアレンジでもなく、purcel本人が、長、短の両調性のためではなく、教会旋法というもっと古い時代の作曲法を、時々混じえて作曲したからなのです。
そのために、長短の両調にすっかり慣れてしまった私達には、寧ろ逆に新鮮に聴こえてしまうのです。
譜例:
このcelloのpartとviolinのpartの長Ⅶ度のぶつかりは相当練習しないと、ついつい怖がって逃げてしまいます。
最初はBrittenが、「擬古典で作曲したのかな?」と思ってoriginal版を調べてみたのですが、なんとoriginalもそのように書いてありました。
驚きです。
次の譜例のpassageは100小節目に突然出てくるAeolian7度↓①のファの音の話です。
Aeolianの7度とは、短調の導音、所謂、7度の音が半音下がったなのですが、その音を正確に取るのはとても難しいのです。
通常の場合には、Aeolian7は、事前、事後の準備を伴って出て来なければなりません。しかし、古い時代には、旋法として出てくる時には、脈絡なく、突然出てくる事がよくあります。
つまり、Aeolianの7度が調性の中で、出て来る場合には前後関係で、その音のpitchが決まります。しかし、旋法として突然出て来る場合には、その7度の音は倍音律上の音になるのです。しかし、その後で、対斜として、次の導音の音が来ると前のファの音は調性上の音として奏さなければならなくなるのです。それとも、導音を純正調で取るか???
このpurcellのchaconneの場合もそのように前後の準備(予備motion)なしに、突然にファの音が出てきます。
)
しかも、この曲の場合には、Aeolianの7の音の後に、他のpart(violaと第二violin)でファ#の音が出てきます。
異声部間で元の音から派生音(臨時記号の音)を使用するのは、とても演奏困難で、和声学的には「対斜」(querstand)と呼ばれる、やってはいけない禁則になります。(古い時代、旋法の時代には、まだその禁則はありませんでした。)
やっていけない事を正確にやる事は、とても難しいという事は分かりますよね。
という事で、何度も「そのファの音は・・!とか、「ファ#が低い!」とか、抜き出し練習をしなければなりませんでした。
絶対音ではなく、純正の響きなのでね。
平均律というのは音を均等に狂わせるという方法です。
しかし、純正調で正しい音を出そうとすると同じファの音でも、和音の組み合わせで、無数のファの音が存在します。
正確に演奏するのは、難しいのですが、正確に狂わせるのは、もっと難しいのですよ!!
そういった微妙な音の違いは音楽大学では学べません。
もう既に年齢的に遅いのです。
正しい音感を学べるのは子供の内だけなのです。
よく知られている絶対音の習得と同様に・・・
音楽の基礎(耳)は子供の内に作られるのです。
芦塚先生が音楽大学で指導するのを諦めて、子供を指導するようになった理由の一つはそこにあります。
勿論、頭の柔らかさも理由の一つなのだけどね・・??
下の譜例は、矢印の音が「対斜」になっています。
「対斜」とは和声用語なので、一般的では無いのですが、違声部間(異声部間=同声部では無い)で、音を変質(派生音)させる事です。
1stviolinでの①の音が②の2ndviolinとか、violaのpartで上行変質しているので、それを「対斜」と呼び和声学的な禁則に当たります。
和声学的に禁則である・・という事はそれなりに理由があって、このFの音とFisの音を取るのは至難の技になります。
また、拍頭の音にaccentが書かれていて、そのpassageの頂点を示しているのですが、そのaccentが怖くて出せないのですよ。
何度練習の時に怒鳴っても、怖いものは怖いのです。引いてしまうのだよな??
こちとら、としては、頂点で引かれると、様にならないのだよな??
こういったbaroqueの、まだ、一般に知られていない曲を演奏すると、日本の音楽界では知られていないbaroque時代の色々な特殊なperiod奏法にお目に掛かる事が出来ます。
period奏法と言うgenreも、詳しく研究していくと、とても新鮮な驚きがあって、面白いですよ。
こういったbaroqueには、baroque特有の演奏のstyleがあるという事で、その時代の時代特有の演奏法(様式)を取り上げて、説明していくと、その時代の他の作曲家の作品も同じ水準(Niveau)迄、自分一人の力で持って行く事が出来るようになります。
こういったlessonの方法を芦塚先生はmaterialによる指導法と名付けて、個人のlessonやオケ練習等で子供達に説明をしています。
baroqueや、古典派の演奏法には、こういった特徴があり、こういった演奏のための技術が必要なのだとか、・・或いは、この作曲家はこういった作風でこういったstyleで演奏するのだ・・・と、いう風にです。
一つの曲を丁寧に、詳しく分析していくと、1曲を理解するのに、大変な時間と労力が掛かるのですが、その技術やinterpretationの上に、次の音楽を研究していくと、その技術やinterpretationを、一つのitemとして、materialとして捉えていく事が出来るようになると、次の曲では、新しい曲であるのにもかかわらず、殆ど曲の8合目辺り迄を、生徒が自主的に辿り着いて一人で練習が出来るようになります。
という事で、次の先生のlecture-lessonは、いきなり8合目の出来上がった状態から、lessonを開始する事が出来るので、lessonの時間も減って、先生の負担も減って、lessonの大変な時短に繋がっていくのです。
こういったlessonの仕方も、芦塚methodeというcurriculumの基本的な考え方(所謂、methode)になるのです。