15年6月28日花園教室 伴奏のlecturelessonと「揺らし」についての公開lesson
encoreのrepertory(持ち曲)を作るにあたって、弦楽器の場合には、常に伴奏者の問題が起こって来る。
特に、未だ学生の場合には、伴奏を学んだ事のある人は、基本的にいない。
・・というか、Pianoを学ぶ人達は、伴奏について、pianistになれない技術のない勉強不足のpianistがやるもの・・と、頭から馬鹿にしている。
violinに対するviola等や、音楽教室の先生という職業と同じに、軽く見る事が普通である。
だから、世間一般で、伴奏を好んで勉強する人は、非常に少ない。歌の伴奏の場合には、優れた伴奏者がいて、伴奏者を志す学生も、希には見受けるのだが、器楽の伴奏については、特に皆無である。
・・・という事で、教室の生徒が、他の教室の生徒に伴奏を頼む場合、その相手の生徒が、その曲の伴奏の約束事を守れるという事は、有り得ない。
それ以前に、日本では、音楽を伴奏者と一緒に作り上げるという習慣はない。
お互いが、それぞれ別に自分で練習して、ミスなく演奏出来るようになってから、始めて合わせる。
しかも、大人の場合には、曲のimageが先行しているのだから、約束事よりも、経験的に、なんとなく、合わせてしまう。
proの演奏家を目指す弟子に、子供の伴奏を命じた。最初の間は、彼は嫌々ながら伴奏していたのだが、2年ぐらい経った頃になって、子供との合わせの面白さに目覚めた。「先生、大人同士で伴奏をする時には、なあなあやあやあで、何となく、伴奏してしまうのだが、子供は決められた約束通りにしか、弾こうとしないのですよね。」「自分が情緒的に流れようとしても、断固として流れてくれない!」「それは超面白いですよね。」彼は子供への伴奏の醍醐味を感じる事が出来たのだが、それ以降は、彼に対する伴奏者としてのオファーが突然増えて行く。伴奏の名手として名前が轟くようになったのだよ。
勿論、彼は伴奏者として立ちたい分けではないのだが、それを機会に、演奏する場所も増えて来たのだよ。
伴奏に対して、そういった価値観を持つ事は稀である。
教室では、soloを演奏する生徒と、伴奏の生徒が一緒に勉強していく。だから、伴奏に長けているのだよ。細かい色々なnuanceの表現が出来る。
しかし、そういった練習法は、世界の常識ではない。あくまで、教室独自の芦塚メトードによる勉強法なのだ。
繰り返しになってしまうが、globalstandardでは、お互いの練習が仕上がってから、始めて合わせるのだよ。
だから、細かい注文を付けても、それを守って弾いてくれる事は稀である。
生徒達が対外演奏をする場合に、教室の生徒が伴奏をしに行くcaseは極めて少ない。・・・というか、逆に例外的である。
学校等で、お友達が伴奏する場合に、教室に連れて来て、芦塚先生のlessonを受ける・・という事も、有りそうで、なかなか無い事である。伴奏をしてくれるお友達が、教室迄伴奏のlessonを受けに来てくれる事は、極めて、例外中の例外で、通常は、soloをする本人が、自分自身で、合わせながら、お友達と相談をしながら、決めて行くのが、普通である。
その場合に、どのように伴奏をして欲しいかを、自分で弾いて聞かせて、伴奏者に対して、演奏の指導が出来れば、理想的であろう。
という事で、violinの生徒達が同じ曲をお互いに演奏しあって、しかも、伴奏をし合えば、対外演奏は、怖くない。
という事で、40年も昔から、encorerepertoryのための合同のlecturelessonを考えていたのだが、40年、50年経って、やっと初めて、今回、第一回目のencorerepertoryのlessonをする事になった。
教室のencorerepertoryは、100曲にのぼるのだが、先ずは、利用頻度の多いタイスの瞑想曲や、グノーのアベマリア、クライスラーの愛の悲しみの3曲から、暫時曲を増やしながら、lectureをしていく事にする。
(2015年6月30日:記)