音楽家と一般の音楽愛好家、音楽の指導者達が考える、Proとamateurの違いを述べる程、難しい事はない。
歴代の著名な作曲家達は「芸術家である前に職人であれ」という事を、言っているのだが、先ず、その言葉の意味を理解する事は難しい。
以前、教室の講師募集に来た音楽大学の院の学生に、「音楽大学は職業学校だ」と言ったら、その学生が、「音楽が職業だと思った事も、職業として習った事もありません。」と、本当に驚いていた。
「子供の時の先生からも、音楽大学時代の先生からも、『音楽が職業である。』と指導して貰った事はない。」と、驚いて、少なからず「音楽が職業である」という私の話にcultureshockを受けていました。
私の師匠であるGenzmer先生も「その人が芸術家であるか否かを決めるのは、その人本人ではなく、100年後の歴史であり、後世の人達である。」と、作曲家としての姿勢を厳しく戒めていました。
焼き物の世界では、実用的な焼き物と芸術的焼き物はハッキリと分かれていて、しかも、実用的な食器や陶器を焼く職人と、芸術家は最初から分かれています。
芸術家はあくまでも芸術としての陶器を焼くのです。
演奏家も、大きなコンサートホールで演奏して、世界中を演奏旅行で飛び回っているような演奏家もいれば、街の色々なイベントで演奏をする演奏家もいます。
proオケはある程度は給与が出るのですが、semiproは、生活の足しになる金額はとても出ません。
勿論、日本のorchestraの場合には、proのorchestraといえども、それだけでは生活は立ちませんがね。
音楽家のproとしての寿命は極めて短いものです。
コンクール等で、若くして、デビューした天才達がその美貌と若さを失う30歳の壁を越す人達は殆どいません。(時代の進歩とでもいうのでしょうか・・・・、私達が言っていた30歳という年齢は、今の人達には、もう通用しません。
私達が意味する30歳の体年齢と同じ体年齢は、今では40歳ぐらいにもなって来ました。
驚くべき事です。
昔は60歳は、とてつもないおばあちゃんであったのですが、今は60歳でも70歳でも、若く美しく、20代30代の若さをキープしたままの人達が沢山居ます。
そういった意味でも、音楽の壁は40歳ぐらいになったのではないでしょうかね??)
そういった体の変調を昔の人達は「厄年」という事で言い表しました。
勿論、語呂合わせの部分も多いのですが、それ以上に言い得て妙です。
女の19歳、33歳、37歳を厄年だといっており 、女性の61歳の厄は宗派によっては、ない宗派も多いようです。
但し、この年齢は、数え年なので、満年齢にすれば、ちょっと無理があります。
この数字は、語呂合わせと体年齢と社会的な立場の変化によって導き出されているのですが、女性の体年齢は、医学や、文化の発達、社会的地位の向上等々で、だんだん改善されて、10歳も若返っているのに対して、男性の若さと体力は、昔から、余り変わりません。
殆どの演奏家の場合にも、男性達は、私達の時代の時の場合と全く同じで、33歳の体力の壁(本当は、基礎力や、基本の勉強の不足)で、勉強しなくても地位の安定する大学の先生に収まってしまいます。
私が、ここで言っている「33歳の壁」と言う言葉は、あくまでも実際に演奏活動をしているようなproの演奏家の話であって、そこまで自分の人生の全てを音楽に掛けていない人達には、所詮は無縁の言葉であるのです。
私は33歳の壁という言葉をよく口にします。
男性の本厄は25歳、42歳、61歳です。
男の42歳と女の33歳は大厄ですが、42歳は「死に」で、33歳は「散々」です。33歳の9月の6日で、「散々苦労」となります。
音楽というgenreに関しては、jazzやpopular音楽、色々なgenreの音楽があります。それはClassicの音楽の中でも同じで、OperaのマニアはOperaしか聞かない人も多いし、イージーリスニングのようなclassic音楽すらあります。
しかし、そういったgenreの音楽でも、Classicという括りで一括して言われる事の方が多いようです。
文学なら、小説や哲学と週刊誌を比較する事はありません。
小説も文学と呼ばれるものと、大衆文学や子供を対象にした文学があり、それぞれがそれぞれの立場で存在しているのです。
大衆文学もクライムやスリラーのようなものから、恋愛小説のようなものまで各種存在しています。
文章が突然途切れていて、これから先は未完成の反故の文章です。その内に、先を書くかも知れません。音楽に憧れる人達は、その華やかさに憧れる。
私が日本に帰って来て、最初に行った演奏会で、会場に集まってきた若い女性達の華やかな世界に、作曲家である事を絶望してしまった。
俺はお前達のような人種のために命を削って曲を作る分けではない。
まえがきと前の文章の残骸
professionalとamateur
陶工の話
音楽とgenre
前書き
「江古田詣」と「お手伝い」の違い
「仕事」と「バイト」の違い
「江古田詣」のparadox
反故の旧稿より
以下・・・
反故のまえがき
学校の勉強と江古田の作業の違い
再び「江古田詣」のお話に戻って
教育としての「江古田詣」
江古田の事務所を子供が手伝うという事
学校教育と「江古田詣」の違い
「江古田詣」のメリット
99%の努力と1%の意識
生徒の勉強のための「江古田詣」
仕事と責任
「江古田詣」の生徒とアシスタント・インストラクターの違い
誰でも出来る仕事と技術職
技術を持つと言うことの勘違い
キャッチボールと推敲の重要性
年齢とNiveau
methodeという意味
蛇足
[前書き]
この「江古田詣」の論文・・・というか、冊子を書くようになったのは、もう、既に10年くらい前の話になるのですが(2008年頃のお話です)、千葉教室のお母様達の間に、「子供がヴァイオリンやピアノがうまくなって、子供達の間でリーダー的存在になってきたら、東京の事務所まで駆り出されて、教室の仕事のお手伝いをさせられる。」・・・というような噂が流れている・・・と言う話を、同じ千葉教室の保護者の方から、教えて貰った事があります。
それで、その当時の千葉教室の保護者のどなたかが、冗談で「江古田に先生達のお手伝いに行く」・・という事を「江古田詣」と言っていましたが、その「江古田詣」という言葉が教室でも先生方に、とても「馬鹿受け」していたので、取り敢えず、最初の間は、「子供達が江古田教室の事務所にお手伝いや、先生達の仕事やlessonの見学に通う事」を「江古田詣」という言葉に一括して、定義しました。 注[1]
ちょうどその頃は、教室の生徒数も多く、若い先生達が、教室の雑用を熟すのに、未だ仕事に慣れないで、てんてこ舞をしていたので、教室のリーダー的な中学生の生徒のお母様から、「先生達、お忙しそうなので、教室の仕事のお手伝いに、子供を江古田に行かせます。」という有難い「お申し出」を、保護者の方達から、いただいた事があります。
このお話のリーダー的な中学生の生徒は、将来の進路を音楽にしている生徒ではなく、音楽は趣味で、大学進学を目指している生徒ですから、教室の先生達の仕事の「お手伝いをする」と、いう言い方、考え方は、「お手伝いをする」という事で、別に問題はありません。
勿論、生徒が暇な時に事務所に来て貰って、先生達の仕事の「お手伝い」をして貰うのは、先生達としても、大変助かります。
有難い事で、大歓迎です。
しかし、教室の先生が、教室の周りで流布しているように、「生徒の技術が向上して、教室のリーダー的な存在になると、教室のお手伝いをさせられる」という事を、生徒に頼む・・という事は、絶対にありませんし、その流布しているお話は、事実ではありません。
先ほどの「お手伝い」に来た生徒のお話を、教室本来の「江古田詣」の趣旨と勘違いしてしまったのでしょうかね??
確かに、今現在でも、教室で生徒達がパソコンの入力をしたり、進行表を作ったりしています。
しかし、一見すると、先生達の仕事の「お手伝い」と思われるかもしれない進行表の作業も、実は、教室の生徒の自主性やリーダーシップを育てるための、教室の独自のcurriculumであって、教室の生徒指導の一貫として芦塚メトードにcurriculumされた、指導法なのです。
オケ練習や発表会の自分達の進行を理解し、自主的に行動出来るようになるためのは、一つのsimulationとして、発表会全体の総合的な動きを学ばなければなりません。後輩に対しての、動きの指示も、自分が「そう思った!」ではなく、全体の動きを理解し、その流れを把握して、始めて、先生の指示無しに、自分で、指示を出す事が出来るのです。
しかし、発表会の当日に、漫然とその場の場当たりで、そういった指示を出すと、通常の単一楽器の発表会なら、いざ知らずとしても、私達の教室のように、オーケストラや室内楽、子供の会、大人の会まであって、進行している発表会では、場当たりの指示をする事は、発表会全体の流れを壊すことになって、進行企画としては、最悪のものになってしまうのです。
子供達にもいつも注意しているように、一人たった10秒の遅れでも、最終的には30分とか、一時間の遅れになってしまうのです。
今現在は、10時間のprogramでも、その遅れは、1、2分の遅れで済んでいるのですが、これはproのorchestraでも、なかなか出来ない事なのです。
そういった、本当の意味での指示が出せるようになる事が、その生徒の将来、社会人になった時に、人の上に立てる人材になってくれると確信して、多くの卒業生達からも、感謝の言葉を貰っているのです。
発表会のprojectは、何度も発表会を体験したとしても、出来るものではありません。
生徒達だけではなく、教室に見えられる講師の先生でも、事務所で、発表会の進行企画に携わらなかった先生では、幾ら、大人でも、教室の先生でも、発表会で、子供達に指示を出す事は不可能なのです。
一番よくある事は、ハプニングが起こった時に動ける生徒は限られています。しかし、動ける生徒には、それなりの役割分担が割り当てられていて、その先生の指示に従ってしまうと、その生徒の責務が果たせなくなってしまうからです。
生徒達は事前に、paper上で、発表会での生徒達の一連の動きを把握します。
その生徒がその時間に役割がないからといっても、その生徒が暇である・・とは限らないのです。次の出番の準備時間だったのかもしれません。
そういったうっかりミスで進行表を作ってしまった時、完全に不可能な事は先生がcheckをしますけれども、或程度は無理をすると、可能な場合には、先生が無視をする場合もあります。
それは、何処までもcheckを入れてしまうと、結果的に、先生に依存してしまうようになってしまうからです。
という事で、そういったミスは反省会でその役割をした人から、厳しい指摘をされて、しまいます。
そういった、反省点を活かしながら、発表会が近づくと、進行企画の打ち合わせを友達と先生を交えてして、lessonの合間に、少し早めに教室にやって来て、出来上がった分から、どんどん進行をパソコンに入力します。
また、Pianoの上級生になると、芦塚先生からヴィヴァルディのorchestraのチェンバロの通奏低音のpartを、作るように宿題にされたり、それをfinaleに入力したりする事もあります。別に音楽大学に進学する訳でも、演奏家を志望している分けでもないのですが、あくまで、教室の楽典の授業の一貫としてのcurriculumなのですよ。
だから、そういった生徒達の活動は、「お手伝い」でも「江古田詣」でもなく、発表会やオケ練習のprojectの一貫であったり、楽典の授業の一貫であったりの、通常の作業なのですよ。
「仕事とバイトの違い」
教室のlessonの延長線上にある勉強と、先程の、「お手伝い」と「江古田詣」の違いを、分かり易く一般的な例で、説明すると、一般社会では「会社の仕事」と、「バイトで働く事」の違い・・・と思って頂ければ、少し近いのでは??・・・・と、思います。
しかし、「バイト」と若者が言っている言葉は、私達の時代迄は存在しませんでした。
バイトという言葉は、和製ドイツ語で、ドイツ語の「arbeit」の簡略化された言葉ですが、ドイツ語の「arbeit」という単語の意味は、(job)仕事という意味であって、日本語で言われているような、「バイト」という意味は全くありません。
私は学生達が普通に口にする「バイト」という言葉が、学生の人への無責任さを感じてしまって、非常に嫌いです。
以前、教室から音楽大学に行って、大学で学んでいる生徒がお友達とおしゃべりをしている時に、音楽教室に指導に行く事を、無意識に「バイトに行ってくる・・」と言っていたので、私が厳しく叱責した事があります。
「あなたにとっては、学業の合間のバイト・・という意識かもしれないけれど、保護者の人達にとっては、学生であるあなたに月謝を払っている分けではないと思いますよ!」 と・・・。
無意識に口をついて出てくる「バイト」という言葉が、音大生の「子供を指導する」という事に対しての価値観、所謂、潜在意識の表れなのですよ。
逆に、その音楽教室の生徒や保護者の人達が、音楽教育になんの関心も抱かなくて、何の価値観も持たなかったとしても、その生徒を指導する立場の人間が、相手が無関心だからと言って、自分がlectureする音楽教育に対して、不真面目であれば、それは自分自身を貶める事になるのです。
ドイツ語のarbeitは、あくまで仕事をするという意味なのです。
無責任な、その時にその場所に居れば誰でも努まるという、時間仕事、賃仕事という意味ではないのですよ。
本来的には、今皆さんが言っている、アルバイトは、本来的な日本語では、「日雇い」というのでしょうが、日雇いでは、季節労務者の意味が強く、学生達の求めるスマートな仕事(賃職)のimageがないので、ドイツ語で代用したのでしょう??
正規雇用とは違って、アルバイトは、学生に取っては、自由に時間や仕事を選べたので、最初の間は、学生の生活の足しになって、雇用者側では、必要な時に必要な人材を確保するという意味で、急速に色々な業種に広がって行きました。
しかし、お互いに利害が一致しているように、見えたその「バイト感覚」が、学生自身にも、或いは雇用者サイドに於いても、しわ寄せが来てしまったのです。
会社の雇用では、それなりの技術が必要な仕事と、コンビニのバイトのように、その場で覚えられて、学習する必要のない、(誰でも良い)作業があります。
その、誰でも良い作業を、アルバイトの人達がしてくれれば、会社としては、非常に安い賃金で人を雇う事が出来るので、とても良いメリットがあります。
勿論、学生も、自分の都合に合わせて、時間だけその場所にいれば、それなりの現金収入が得られるので、バイトという、職種は急速に日本全体に広がって行きました。
雇われるバイトの学生も、仕事は自由に自分の都合で動けるし、会社としてもバイトの学生に、何の責任も持つ必要はなかったので、学生の仕事への意識は急速に低下して行く事になります。
そういった、無責任時代に、人への奉仕が、仕事の意義である・・という事を口にしても、「それはかったるい考え方だ!」という風にしか、思われなくなってしまいました。
塾に於いても、高校、大学の教育に於いても、そのclientは学生であります。
自分が与えられた事をちゃんと果たせば、それだけで、認められ、褒められて来ました。
バイトにしても、その時間、その場所に居ればそれで、給料が貰えたのです。
しかし、一旦、会社に就職した途端に、自分が上司に言われた事をちゃんとやっても、認められない、・・認めて貰えない・・と言う事が起こって来ます。
それは、当たり前です。
だって、自分が精一杯頑張ったとしても、clientの求めるものでなければ、認められる事はないのよね。
水準というものは、自分で作るものではなく、今ある水準に自分を合わせなければならないのだよ。
幾ら頑張っても、そのラインに達しなければ、憧れの音楽大学に入学する事は出来ないでしょう。
そこで、自分なりに・・・という話はなりたたないのだよ。
どうして、そんな、当たり前の事が自分の娘の事になると分からないのかね???
不思議だ・・・・!!!!
学生の側の意識も、正規の雇用を「かったるい」「めんどくさい」と、忌み嫌うようになって来ました。
「幾ら努力しても、認めて貰えなければ、会社なんか行かなければいいや!」という学生がどんどん増えてきました。所謂、ニートの始まりです。(ニートのお話)
日本の学生が働く気がなければ、日本人の学生ではなくって、他の国の学生を雇えば、もっと熱心で、真面目で、一生懸命に仕事をしてくれるから、・・と、日本の企業でありながら、日本人は採用しない・・・という大手企業まで表れてしまって、学生が大学を卒業しても、日本の企業には就職出来ないというdilemmaが起こってってしまいました。
それよりも、もっと問題なのは、それは都心の大手の企業の話で、地方の中小の企業は、未だに、求人難なのですよ。
超絶な矛盾です。
そして、時代と伴に、「お手伝い」と「江古田詣」の違いも分からない、人達が増えて来ました。
実は、それまでの、・・・所謂「江古田詣」をした経験のある生徒達は、全員、「音楽大学の受験生達」か、「将来、音楽を職業としたい」、或いは、「教室の先生になりたい」、という目的で、教室で音楽の勉強をしている生徒だけだったのです。
いつの頃からか、「江古田詣」が「先生のお手伝い」という事から、職業訓練、職人としての音楽教育と様変わりをして来た時に、「江古田詣」という事が、複雑な様相を呈して来て、その趣旨が込み入って来たのです。
そもそも、「江古田詣」自体が、音楽を専門にする生徒だけであったら、後日、「お手伝い」と、「江古田詣」のconceptの違いを、誤解する保護者もいなかった、と思いますが、先ほどの生徒のように、音楽の世界に進む生徒でなかったとしても、教室はその生徒達を受け入れて、お仕事のお手伝いをさせていたので、保護者の方達に、誤解を抱かせる原因となったのは、致し方のない事ではありますが、また、紛らわしい事実を引き起こしてしまった事も事実です。
「江古田詣」のparadox
教室の「江古田詣」の形態を、理解するには、「江古田詣」の意味自体が、「誤解を招く」、という事があるからです。
そこの所を、もう少し詳しく説明すると、「江古田詣」の生徒達と、同じように音楽を専門に勉強していて、将来を音楽の世界で生きて行こうとする生徒達全員が、「江古田詣」を体験しているわけでもない・・・という、事があるのです。
「江古田詣」は、音楽家としての意識を育てる事という意味であるのならば、音楽を職業とする目的を持っている総ての生徒達が、経験をしなければならないcurriculumのように思えるのですが、実際には、、同じ音楽を専門的に勉強している生徒達の中でも、コンクール組と留学組の生徒達で、「江古田詣」をした生徒は、一人もいないのです。
コンクールや留学は、proになるための登竜門と思われているので、そういった生徒達が「江古田詣」を経験した事がない・・・というのは、paradoxになってしまいますよね。
でも、教室でコンクール組の生徒や、留学をする生徒に「江古田詣」をさせないのは、それは、その人達が勉強をするその内容が、音楽のproを目指す人達と、コンクールや留学を目指す人達では、全く異なるからなのです。
コンクールを目標とする生徒に、必要な技術は、音楽大学の受験と全く同様に「重箱の隅を楊枝でほじる」ような、lessonです。
楽譜に忠実に演奏をする・・といっても、音楽大学の勉強では、fはfで弾く事を要求されます。
しかし、proversionのlessonでは、そのfの本来の意味までも追求します。
その結果、作曲家の意図で、Pの中のforteや、forteの中のpianissimoという可能性も出て来るのです。
しかし、そういった演奏は音大型の解釈では、穿った解釈とみなされてしまいます。
ChopinのMazurkaを演奏する時でさえも、tempoをrubatoして、あたかもMazurkaのように演奏する事は、音楽大学では、情緒的感情的な演奏として忌み嫌われてしまうのです。
コンクールでも、予選の段階では、音大型の指導をします。
本選は兎も角としても(審査員の水準で練習の目的やNiveauが変わります)、全国大会のlevelになると、pro型の解釈で演奏させます。
審査員の水準が違うから、その審査員のlevelに合わせて、曲を完成させていくのです。
これも、clientに合わせて曲を仕上げて行くという技のの一つです。
そういった、条件設定の上で、徹底的に、間違う箇所や、不安材料を楽譜上から潰して、より完璧な姿にして行く。
その内容と、練習法を指導するのは、いとも簡単な事なので、コンクールを受けたとしても、客観的にしか、自分の評価を見ないので、生徒達はコンクールに対して、夢を見る事はありません。
つまり、checkpointの%が足りなければ、コンクールに合格する事はないからです。
コンクールで演奏して、審査員の評価を受ける以前に、その審査員の評価の結果は、checkpointが幾つ、クリヤー出来たかで、合格したか否かは、生徒自身にも、コンクールで演奏が終わった時点で、分かっているからです。
まかり間違っても、pointが足りなければ、コンクールに合格するという事はないからです。
でも、その生徒の演奏から、楽譜上のcheckpointを作り出し、どの様に練習すれば、必要最小限の努力で、そのpointを克服出来るのか、という事を指導するのは、あくまで、指導者の技術であり、生徒の実力ではありません。
指導者の特別なNiveauが必要になるのです。
しかも、それはproになるための教育ではありません。
日本の音楽社会では、音楽大学に入学してコンクールに入賞して、海外に留学する事が、音楽家としてproになる事のように考えられている分けなので、私の言い方は、まるでparadoxであって、不思議に思われるかもしれませんが、コンクールは自己完結型の勉強であり、その勉強の延長線上には、clientであるaudienceはいないからです。
proというgenreにも、色々なランクがあります。
※色々なeventに呼ばれて、演奏をする・・というのも、proの仕事です。
※ブライダル専門のproもいます。
※お金を稼ぐという意味では、スタジオ・ミュージシャンという人達もいます。
※コンサート・ホールで演奏する事がメインの演奏家もいます。
全てが一応proと呼ばれる演奏家達です。
※そういった、表舞台で活躍する演奏家とは別に、baroque演奏のproもいます。
非常に限られたgenreで活躍するより専門的な演奏家です。
また、もう一つのtheoryで、ヨージーの法則では、「人と同じ事をやっていては、proにはなれない」・・という法則があります。
つまり、ある特定の専門的な分野に関しては、同じgenreの中では、proは一人しか必要はないからです。
或程度の上手なviolinistは沢山いますし、そのフアンも沢山います。
しかし、その分野のauthorityとなると、一人しか、必要はないのです。
しかし、その勉強はかなりstoicな勉強になります。https://www.facebook.com/JordiSavallOfficialPage?ref=profile
下のurlは、Marin Maraisのla foliaのImprovisationです。
viola da gambaの名演奏というか、こんな事も出来るんだ!!という事です。
https://www.youtube.com/watch?v=hin1nhhDR5M
そういった演奏家の代表選手がJordi Savallです。
古楽器の名手で、Marin Maraisのla foliaやGreensleevesのla folia等々の演奏では、神様の領域の演奏家です。
でも、そのgenreはかなりstoicなものなのです。
本当の本物の世界にはこういった世界もある・・という事を知っておいて欲しいのです。
themaを決めて、一生を真摯に研究し、音楽を追求する、・・・それは大切な事です。
音楽を、より深く追求する事、それが芸術家に取って一番大切な事なのです。
職人型の勉強は、常に、聴衆、所謂、audienceに取っての音楽を追求していくからです。
学校型の勉強では、演奏家の人達は、演奏会の日にちが決まって、それに合わせて、練習を開始します。
しかし、職人型の人達は、常に、themaとする音楽の勉強をします。
そして、その曲が、audienceの批判に耐え得る水準に達した時に、始めて演奏会のscheduleを立てます。
しかも、それから、もう一度、演奏会の当日まで、音楽のNiveauを上げて行くのです。
その目的は、どう演奏すれば、より完璧に演奏出来るか?という事ではなく、どういう風に演奏したら、audienceの心に届く音楽表現が出来るのか?・・・という目的と技術なのです。
目標が違えば、音楽の完成形も全く違ってくるのです。
本来的には、音楽大学の受験生も、コンクール組と全く同じ、曲の演奏を完璧にする事に研究と勉強をするのです。
「重箱の隅を楊枝でほじる」ような、勉強をします。
ですから、単純に音楽大学の受験という事のみを、考えるとしたら、コンクール組の「重箱の隅を楊枝でほじる」教育と同じ教育で、充分なのです。
それに対して、職人型の音楽の追求は少し違います。
audienceのタイプが違う場合には、演奏の形態を変えて演奏する事すらあるのです。
音楽のproの演奏ではありませんが、曲の解釈という意味で言えば、八千代でのPachelbelのcanonの演奏の時にも、audienceが若くて、元気な一部の演奏の時には、canonのtempoを、少し早めのtempoで演奏しましたが、その時の演奏をYou Tubeにはuploadしていなかったので、この演奏は、二部での演奏ですが、高年齢の方達のために、少し遅めのtempoで、しっとりと演奏しています。
canonも、少しtempoを変えるだけで、随分、音楽の意味合いが代わってしまいます。
音楽大学の教育は、基本、私の目から見たら、無責任にしか見えません。
就職を斡旋してくれる分けでもないし、そのための授業があるわけでもありません。
だから、音楽大学の生徒や、大学の院生達に、私が「あなたは将来、音楽大学を卒業したら、音楽を職業として、音楽で生活をして行くのですか??」と質問すると、「え〜??音楽って職業なのですか?」「音楽大学って、職業学校なのですか??」と、いとも真面目に驚いてしまうのです。
私は、「音楽を職業として考えない学生」
江古田詣
(反故の旧稿より)
:参考までに
江古田詣
もう、10年以上も前の話になりますが、千葉の教室のお母様達の間に、「子供がヴァイオリンやピアノがうまくなって、子供達の間でリーダー的存在になってきたら、東京の事務所まで駆り出されて、教室の仕事のお手伝いをさせられる。」というような噂が流れている・・・と言う話を聞いた事があります。
又、よく保護者の方から「自分の子供が、教室の先生達のお役に立てるのならば、是非お手伝いに行かせましょうか?という「お申し出」をいただく事があります。
その当時の千葉の教室の保護者のどなたかが、冗談で「江古田に行く」事を「江古田詣」と言っていましたが、その言葉が教室でも先生方にとても「馬鹿受け」していたので、取り敢えず、「子供達が江古田教室の事務所にお手伝いや見学に通う事」を「江古田詣」という言葉にしました。[1]
この「江古田詣」のお話をするのは、保護者の方々の「お申し出」自体は大変ありがたいし、私達も是非お願いしたいのですが、その前に「江古田詣」の本当の意味をご理解された上でお申し出をいただくともっとありがたいのです。
というわけで、「江古田詣」についてのお話をしたいと思います。
音楽教室の泣き所というか、私達の教室に限らず何処の音楽教室でもそうなのですが、音楽教室の先生方は女性の方が殆んどなので、結婚や出産などで、折角の技術を持ちながら、仕事をやめて家庭に入らなければならない状態になることが、非常に多いのです。(本来的には、音楽教室特有のお話ではなく、働く女性に共通する問題でもあります。しかし、そういった女性と仕事の意識の問題に大上段に触れるのは、ここではさておいて・・・・。)
そういった意味でも、今現在は、特に先生の絶対数が不足していて、生徒の指導だけではなく、東京事務所での作業も滞りがちで、「ネコの手も借りたい」のが教室の先生達の本音の本音ではあります。
「先生の数が足りない。」という事は、「教室が先生を募集しても、申し込みがない。」という意味ではありません。
講師として就職を希望する人達が有名音楽大学を卒業して、コンクール歴や華々しい演奏歴を持っていたとしても、或いは音楽教育の現場やオーケストラで長く働いていたという実績があったとしても、私達の教室の先生としては、その技術も経験も全く役に立たないという意味なのです。
教室に履歴書を提出される講師希望の先生達に「面接をする前に、私達の教室のホームページを読んで見てください。それで教室の方針にご賛同いただけるのなら、面接をします。」というと、2度と電話が掛かってこなくなるか、「とても無理です。」というお断りの電話があります。それぐらい、私達の教室の先生のハードルは高いのです。
音大に入学する事を目的とする程度なら、江古田詣でなどの勉強の必要性はありません。オケ練習や室内楽の練習に参加するだけでも充分なレベルになります。
しかし、音楽を勉強する目的が、演奏や音楽の指導をプロとして(職業として)考えているのなら、一般の生徒達とは考え方を異にしなければならないのです。
「音大を卒業すればよい。」という考え方と「音楽を職業としてやっていきたい。」という考え方の意識には、それこそ「月とすっぽん」ほどの著しい違いがあるのです。
昔々から、洋の東西を問わず、職業として技術を学ぶという事は、(学校ではなく)現場での経験が必要だと言われて来ました。それは技術職である医者でも同じことです。大学を卒業しただけでは、とても怖くて医者とはいえません。経験に優れた指導者の元で研鑽を積んでいるから、職業として成り立っているのです。
音楽を勉強している学生の中には、子供達へのlecture、或いは初歩の指導する事を馬鹿にして、「私は演奏家になるのだから指導を学ぶ必要はない。」と豪語する学生も多いようです。(それはその学生を指導する立場の先生の考え方でもあるのですが。)
演奏のプロといえども、演奏だけで生活をしているわけではないのです。教育やその他の色々な仕事を同時にこなしているのです。色々な経験を学ぶ事が、プロとしての意識を学ぶ事になります。又、指導も出来ないような音楽だとしたら、その人の演奏の完成度はたかが知れています。とてもプロの演奏とは呼べないでしょう。
例えば、パールマンであれシェリングであれ、超一流の演奏家は、1年の半分、演奏活動をしても、残りの半年は後進の指導をしています。超一流の演奏家である彼らにとっては、生徒を指導するよりは、演奏活動の方が、遥かにお金を稼げるはずです。という事で、当然、彼らは生活のために生徒達を指導をしているのではありません。後進の指導し育成をすることに、意義があるから指導しているのです。
「江古田詣」は、音楽を職業としたい子供達、プロを目指す生徒達のために、教室が提供している学習のための現場なのです。
しかし、この事が、「先生のお手伝い」と勘違いされる理由は、二つあります。
その事については他の教育論文やホームページでも、詳しく説明してありますが、簡単に説明しておきますと、お子様が中学生ぐらいの年齢になると家庭でも、色々とお手伝いが出来るようになってきて、頼もしくなってきます。「この子もずいぶんしっかりしてきたのねぇ!随分大人になってきたわねぇ!」と感心します。それで、「これぐらいしっかりしてきたら、教室のお手伝いも出来るわね!」という事になります。
しかし、その感覚で教室のお手伝いとなると、それは次元の違うお話になってしまいます。つまり、「教室の作業」はあくまで大人の「会社の仕事」であり、子供のlevelでこなせる作業ではないのです。
又、一般の音大生が良く勘違いをするのに、「音楽大学を卒業したら、音楽教室の仕事はこなせる」という思い違いもあります。
音楽大学での授業はあくまで教養の一環としての授業であり、音楽大学で学ぶピアノ等の主科のレッスンを含めて、楽典やsolfege、或いは音楽理論等は実際に曲を演奏する上では当然なのですが、子供達を指導する事にさえも何の役にも立たない、ということなのです。
実際に「演奏家になりたい」、或いは、「演奏でステージに立ちたい」と思ったら、プロとしての専門的な音楽理論と演奏法をそのカリキュラムで学ばない限り、音楽大学の授業だけでは、何の役にも立たないということなのです。
しかし、それは音楽の世界に限った事ではありません。
プロとして勉強をしようと思ったら、それは全ての分野の仕事に共通する事なのです。
つまりどんな職業であったとしても、職業である限り、学校で学べる事には限りがあります。
日本の音楽大学で音楽を勉強させている保護者の方が勘違いをしている事もあります。
それは、ヨーロッパに留学をする時に、日本の大学と同じように「受験して合格すればよい」という勘違いです。
音楽の世界は職業の世界なので、日本であろうとヨーロッパであろうと、集団教育では教えられないのです。職業を学ぶという事は、徒弟制で、マンツーマンで学ばなければならない、という事は今も昔も変わりません。
だから、そういった、ギルドの考え方、徒弟制度の考え方が発達しているヨーロッパでは、留学を希望する場合にはどの大学を受験するのか、ではなく、どの先生に師事したいかで行く(受験する)大学が決まるのです。
留学を希望する生徒は、まず自分の師事したい先生に、自分の演奏のtapeを送って演奏を聞いてもらいます。
その演奏を聞いて、先生がその生徒を弟子にしてもいいかな?と考えた場合には、次にその先生からお呼び出しがあります。そこで先生の元で、1,2回レッスンを受けます。
そしてその先生が教えても良いという許可が出ると、その後、その先生の教室(クラス)の空席を待って、空席が出来たら初めて受験の日にちが決まります。
ちなみに、私の大好きなオルガニストでチェンバリスト、音楽学者であるWienの音楽大学の教授でもあるアントン・ハイラー先生は通常5年待ちです。
ヨーロッパで人気の教授達は音楽大学を受験するまで5年待ちは普通です。
日本のエレベーター式の大学の発想は、ヨーロッパの音楽大学では通用しません。これで、日本の音楽大学のlevelが趣味の教養のlevelだという事をある程度は分かってもらえましたでしょうかね?
日本の大学で、音大に入学するために5年間も受験する事を待つという事は考えられない事でしょうが、ヨーロッパの音楽大学でそれがまかり通っているのは、学ぶ目的が教養として学ぶという事ではなく、職人の技術を学ぶという意味だから、3年待ち、5年待ちが普通に通用しているのです。
自分が、本当に尊敬して敬愛している先生に指導を仰いで、師事する、それこそが技術習得の王道です。大学を目的に受験するのではないのですよ。大学はその先生が指導する場所を提供しているのにしか過ぎないのです。日本人の場合には大学で指導する先生は誰になるか?など考えて音大にいく人はいないでしょう?大学自体がステータスになってしまっているのです。ヨーロッパの人達はその先生がその大学にいるからその大学に行くのに過ぎない。指導してくれるのは、あくまで先生だからです。そこの所を日本人は勘違いしているのです。
再び「江古田詣」のお話に戻って、生徒が教室の「事務所のお手伝いをする」ということについてですが、本当の事を言うと、先生達が幾ら忙しくとも、江古田の事務所でしている作業は、教室の事務や作業であり、研究室の作業なので、それを生徒に頼む事は出来ないのです。
教材の準備や各種の申込書の手続き、或いは発表会や演奏活動の準備であります。
また、経理に関する業務もしなければなりません。
しかし、それらの作業は法務局や税務署に提出しなければならない公的な作業であり、それ相応の税理会計の知識や技術が必要なあくまで社会人の仕事としての業務なのです。
それを例え、パソコンの入力だけだとしても、まだ勉学中の子供や学生には難しすぎます。そういった作業には専門的な知識と経験が必要な作業なのです。
また、たった一つの数字ですら間違う事は絶対に許されない責任を伴った作業でもあるのです。
仮にもし、生徒が手伝いにやってきたとして、いくら一生懸命にお手伝いをしたとしても、たった一つの数字を間違えてしまった場合には、間違えた事に対しての責任を子供達に取らせることは出来ないのです。
と言う訳で、教室の業務は残念ながら子供達がお手伝いの出来る作業ではないのです。
子供が大人社会の仕事の責任を、取れるわけではありませんからね。
そういった意味でも、「まず!」と言って良いほど、先生方が子供達に、教室のお手伝いをお願いする事は、絶対にないのです。
ですから、最初のお話したお母様達のうわさ話は、事実誤認(勘違い)の根も葉もないうわさ話なのです。
しかしながら、私達が教室を作った始めから、江古田の教室には誰かしら、いつも生徒達がお泊まりに来ていますよね。
教室の作業を手伝うわけではなく、江古田にお泊りに来ると言う事、それは普段の合宿とかとは、何が違うのでしょうか?
それを簡単に説明する事は結構難しいのですが、敢えて一言で言うとすれば、合宿はlessonの延長線上の教育であり、「江古田詣」は社会人になるための、「技術や意識を学ぶ」と言う事でしょう。
ですから、江古田詣は将来的に「音楽を職業としていきたい。」「教室のインストラクターになりたい。」と言う生徒本人の希望と、保護者の了解(許可)があって始まるのです。
つまり、江古田詣は音楽を職業とする目的の生徒(専科生)達への、現場の仕事を実際に見学したり、体験したりするために、教室が提供している場であるのです。
そういう風に言うと、「インストラクターになる」と言う条件を決めない限り、江古田には来てはいけない・・・というように思われそうですが、そうではありません。
「そういったこと(音楽に進むとかインストラクターになりたいとか)までは考えてはいないけれど、純粋に先生達のお手伝いをしたい。」と思ってくれて教室にお手伝いに来てくれる生徒もいます。
それはそれで、教室には責任を伴わない、雑多な仕事や簡単なお手伝いもたくさんあります。
突然、事務所にこられると困りますが、事前にお話してもらっていると、そういった子供の出来る範囲の仕事をあらかじめ準備して作っておく事が出来ます。
以前、教室の生徒や保護者の方達から「江古田詣」をしている生徒には、江古田で先生が特別にレッスンをしてもらっている、という風評が流れた事があります。それは、「江古田詣」をしている生徒の音楽の成長が他の生徒に比べて著しいものがあったからです。しかし、実際には先生達が「江古田詣」の生徒に特別にレッスンをしてあげる事はありません。(勿論、有料のone lessonの申し込みが事前にあった場合には、ちゃんと先生達のレッスン時間として、組み込みますが。)サービスでレッスンをすると言う事はありえないのです。それは、事務所での先生達は雑談をする暇さえないぐらいに、忙しいからです。
ではどうして「江古田詣」をしている生徒達はそのように、著しい成長を遂げたのでしょうか?
それは、「江古田詣」に千葉から通ってくる生徒は、他の生徒に比べて音楽に対する意識がはっきりしていたからです。
では、「江古田詣」さえさせれば、ヴァイオリンやピアノのlevelが著しく上がるのでは?・・と思われる方も居られるかもしれません。しかし、そのような棚ボタは無いのですよ。そこの決定的な違いは「意識の差」なのです。
同じ「江古田詣」をしている生徒であったとしても、つまり自分の将来の進路、音楽に進むという意識や、音楽を職業として、将来、インストラクターになりたいという意識を持って、(職業としての技術習得のために)事務所にお手伝いに来る生徒の成長と、、ただ見学に来るだけの生徒や、毎週、江古田までキチンキチンと通って来たとしても、なんとなくお手伝いに来ている生徒では、「技術を習得しようという意識が根本的に違う」 という事をここでお話しておきます。
たとえ生徒さんが、「先生達のお手伝いをしよう」と江古田に、お泊まりに来ていただいたとしても、その生徒さん達に(インストラクターやプロとして音楽を将来の職業としたい。等と言う)意識が伴わない限り、江古田の事務所に、何回通って、何日泊まった、としても、それはあくまで、教室にとっては「お客様」であり、夏休みや冬の休みで企画している子供達の「合宿カリキュラム」の延長線上でしかないのです。
それでは何故、折角頑張って江古田に通ってきている生徒が、意識を伴っていなければ「お客様」になってしまうのか?と言うと、それは、意識のまだ育っていない生徒が江古田の事務所に来て、教室の仕事を手伝おうとすれば、どんなに簡単な作業をさせたとしても、先生が生徒につきっきりで、その仕事の手順や、やり方を説明しなければならないからなのです。
また、そういう作業に大分慣れて来て、ある程度は仕事が出来るようになったとしても、教室の仕事は会社の仕事と同じなので、絶対に間違いは許されないので、ちゃんとその仕事が出来たのか?出来ているのかを、注意深くcheckしていかなければならないのです。
そういう風に先生が生徒に付きっ切りになってしまうと、その先生がその日中にこなさなければならない仕事が(子供を指導するために)滞ってしまうのです。
ストレートに言ってしまうと、生徒がお手伝いに来る事によって、先生達は楽になるどころか、逆に先生達にとっては(時間や手間の)負担が増えてしまうのです。
勿論、その一つの「仕事の手順」を子供が完全に覚えてしまって、ある程度は子供達に任せられるようになると、それはちゃんとしたお手伝いになって、先生も自分の仕事をしながら、子供達の作業をcheckしていくことが出来るようになります。
しかし、子供達がそこまで成長をするためには、「江古田詣」に対しての、しっかりした意識がないと、ある程度の期間をきちんと定期的に江古田に通って、仕事の手順を覚えると言う事は出来ません。
「偶然、今日は暇になったから、教室にお手伝いに来ました。」ということでは、行き当たりばったりになってしまうので、教室がその生徒のために、ちゃんとした何らかの仕事をカリキュラムとして、順序だてて教えてあげる事は出来ないのです。
では教室の先生達にとって、子供達の「江古田詣」が、そんな大きな負担を伴う迷惑千万な事であるとすれば、なぜ先生がたは子供達が江古田の教室に来る事を、はっきりと断らないのでしょうか?
それはそういった実社会的な教育こそが、本当は学校等で本来的におこなわれなければならない本質的な教育であるからなのです。
しかし、残念ながら、今の学校教育は、現実的な教育・・・、子供に対して必ずしも大人になるための勉強、あるいは社会人になるための勉強・・・になっていないのです。
今現在行われている学校教育は、勉強のための勉強であり、大学受験のための人を選別するための落ちこぼし教育であって、おおよそ社会人になるための勉強とは無関係です。
子供達にとって、勉強するということは、人より、より上の成績を取るための勉強に過ぎないのです。ですから、大学の入試が終わってしまって、大学生になってしまうと、12年間勉強してきた事は、全て忘れてしまいます。12年間の人生の無駄になってしまうのです。あるお父さんは言うかもしれません。「人生は競争だ。」「人に勝つことが幸せをつかむ事だ。」と・・。しかし、それは間違えた考え方です。人が上に立つことも、人が物を売ることも、相手を喜ばせる事が人を集めていくことなのです。長年仕事をしていると、その場だけ、相手を説伏して仕事を取ろうとする業者がよくいます。しかし、そうやって説伏された場合には、その契約が切れたときには、(或いはもっと良い条件があった場合には、)二度とその業者とは取引はしません。結果として、その人は損をしているのです。競争教育は非常に人間をだめにしてしまう教育なのです。自分以外の人のためにしている仕事には、たくさんの人が自然に集まってくるのです。
子供の教育には大変な手間隙がかかります。しかし、そういった親の苦労は、年と共に少しずつ報われていきます。子供達はだんだん自立を覚えていくのです。
しかし、そこでちょっとした誤解が生じます。子供が中、高生に、或いは大学生になると、親は子供がもう立派な大人であり、社会人であると勘違いしてしまうと言う事なのです。
しかし、小学生の時から高校まで頑張って努力を重ねてきた受験勉強は、幾ら年月を費やして勉強して来たとしても、問題を解答する技術を学んだと言う事に過ぎず、それ自体は社会人(所謂、大人)になるための経験や学習とは無関係の世界なのです。
受験勉強は、大学が生徒を選ぶためのテストであり、それ以上のものは無いのです。生徒や親が大学を選んでいるのでは、ありません。
そして、その受験のカリキュラムの中には人間的な成長を促すような、カリキュラムは全く含まれていないのです。だから、今の子供達にとって、中学校から高校、そして大学生に進学したとしても、より複雑な問題を解く技術が発展しただけで、その子供の人間的な成長に対する教育は何もなされていないのです。
その結果として、自己中の年を食った「大人子供」が、また一人出来上がったのに過ぎません。
大学の勉強・・・、それを社会で自分の力として生かせる人は、ホンの一握りの、余程、特別な人達なのでしょうね。
学校教育の本来の目的は、子供達が本当に自分のやりたい仕事を探し出す事と、日本人として社会の一員としての責任感を育成する事なのです。(・・・とは、私がそう思っているのではなく、文部省の指導要領に書いてあるのです。)
ですから、日本の学生達は、本当に自分がやりたい事が見つからないままに、より給料が良い所を探して、就職します。しかし、より給料が良い所は、同時に競争も激しく、よほど自分の意識を持っていないと、蹴落とされてしまいます。その結果が、今の日本で社会問題になってしまっている、引き篭もりとニートに落ち入ってしまう若者に表されています。現代社会のニートや引き篭もりの問題は、日本の教育が上手く機能していない事の表でもあるのです。
という事で、以前は教室の保護者の方達から「芦塚音楽研究所が中、高、大学の一貫校であれば良いのにね。」と何度も言われた事が有ります。
教室もその当時は、スポンサーを探す事はそんなに大変ではなかったので、私自身も「教室を学校に出来る可能性は無いのかな?」と、考えて、学校法人について調べたことがあります。
どうせなら、音楽教室でなく、音楽大学か、若しくはコンセルバトワールの形式を取れないか?と思って、その可能性を調べて見ました。
ところが、学校法人の形を取ろうとすると、文部省によって指導内容やカリキュラムまで、がんじがらめに一般的な教育法の規制を受けてしまいます。(この場合の教育法の「法」は、How toではなくってLawの意味です。)
教育のconceptとして、芦塚メトードのカリキュラムを組み込む余地は全く無いのですよ。
結果としての話ですが、学校や文部省の教育上の制約を受けない、今現在の私達のただの音楽教室という形態は、逆に自由な教育が出来るサンクチュアリだったのです。
私達の教室でさえも、学校法人になろうとすると、今の日本社会の教育を踏襲しなければならない。
そうすると私達の教室も、実生活に対して現実性が無くなって、儚い夢だけを売る現在の音楽大学と同じになってしまうのです。
それでは、今私達の教室にいる生徒達は、職業としての音楽の勉強が学べなくなってしまいます。そういったことで、スポンサー・サイドからのありがたい申し出をお断りして、不本意ながら、現在の音楽教室の形態に甘んじています。
教室が教室の形を取っている事、それは、私達のためではなく生徒達や保護者の方々のためなのです。(音楽大学の形態にすると先生達は社会的な地位というか、箔が付くし、お金も儲けるのだけどね。反面、音楽大学の方が、生徒が学んでいるものは、そこらの音楽教室と大して変わらない事を学んでいます。)
という訳で、江古田で子供達が学んでいる事は、学校教育のそれとはまったく違って、実際の社会で即出来なければならない、非常に実践的なものです。
教室のいろいろな作業や、仕事は、即それが他の子供達の教育に使用されるものだからです。
人のために役立つ事を学ぶ事、それが教育の本来の姿であります。
くどくどと述べてしまいましたが、一般の生徒達が東京に何回通ったとしても、残念ながらそれは所謂lessonの延長である合宿と何等代わるものではなく、決してそれを「江古田詣」とは言わないのです。例えば、「江古田詣」の生徒達が合宿で、先生達が作る生徒達の食事のお手伝いをしたとしても、それは決して教室の仕事のお手伝いにはなりません。(それは本来的には家で学ぶべきお手伝いであって、教室で学ぶべきものではないからです。)
音楽を勉強する上で、一番大切なものは「意識」です。
よく「同じ先生に習っているのに、どうしてうちの子と、あの子は・・」という事を尋ねられる事があります。極端な場合には、えこひいきの性にされる場合もあります。
多くのプロを養成している先生であったとしても、その反面多くの落ちこぼれを作ってしまいます。良い先生の生徒が全員上手になるわけではないのです。
勉強をする人の意識が何処にあるのかで、指導者の指導する内容が全く同じだとしても、学ぶ方にとっては技術的に大きな差が出てしまうからです。
不思議な事なのですが、江古田に(江古田詣として)通う生徒達は、「江古田詣」をしないで、その分自分の練習に専念している生徒に比べても、半年もたたない内に、音楽的にも、或いは技術的にも素晴らしく成長します。
だから、保護者の間から「『江古田詣』の生徒には、先生が特別にサービスしてレッスンしている。」という風評が生まれてくるのです。
先程、「不思議な事に」と言ったのは、「江古田詣」は、生徒が教室の仕事を手伝うわけですから、事務所にいる間には(江古田まで通う時間3時間の時間も練習できないわけなので)その生徒には練習する時間は全く有りません。自分の家で練習に専念している生徒の方が圧倒的に練習量が多いわけです。
ですから、一般の人達には「練習している人が練習しない人よりも上手くなる」なんて事は、考えられない事ですからね。
現実的には先生達が江古田の作業をする場合には、デスクワークの日とか言う時間はとても作れないので、レッスンの合間、合間に(時間を盗んで)します。
先生達は、日常はレッスンに追われています。そのレッスン時間の合間にはレッスンの下準備や、教室の事務作業をしています。ですから、「江古田詣」の生徒に、レッスンをしてあげられるような時間は、とても作れないのです。寧ろ、生徒達はその忙しい先生の作業の手伝いをしながら、教室の作業や仕事という考え方を学んでいきます。
では、一回のレッスンも見てもらっていないのに、どうして、「江古田詣」の生徒達はヴァイオリンやピアノの技術が上がっていくのでしょうか?
現実的に見れば、「江古田詣」に来た生徒達がやっている事と言えば、先生達が仕事としてパソコンに向かい、仕事として原稿を打っているのを見学する、或いは先生のレッスンを見学し、カードの準備をしたり、video撮りのお手伝いをしたりする、そういう見学を中心としたlectureの積み重ねです。
しかし、その実はその見学を通して、先生達が持っている『仕事としての音楽』 という意識を、先生達と時間を共有する事によって、生徒がほんの少しでも身に付ける事が出来れば、不思議な事にその生徒にとって、何回分もの個人のレッスンを受けるよりも、はるかに著しい技術の向上、成長を遂げる事が出来るのです。
世間一般には、よく言われる言葉に「99%の努力と1%の才能」と言う箴言がありますが、私はむしろそういった練習の量(時間)だけを云々する日本型の勉強法よりも、意識を育てる事の方が、よっぽど生徒達の技術の向上を図る事が出来ると確信しています。
ヨージーの法則より
生徒達が江古田で先生達とする雑用は、一般のひたすら音楽学校等を目指して努力をしている音楽を学んでいる生徒たちと比べても、半年後、或いは一年後には驚くべき差になってしまいます。それが「江古田詣」の本当の意味で、勉強として学ぶ学生と仕事として学ぶ生徒の「意識の差」なのです。
しかしながら先生たちが江古田の事務所で面倒を見られる生徒数には、おのずから限りがあります。特定の生徒だけを対象に指導して、一般の生徒達をないがしろにするわけにはいかないからです。という訳で、「江古田詣」が出来る生徒は必然的に音楽を職業とする事を目指す生徒に限定される事になります。
これまでお話してきた事は、私が先生方にいつも繰り返し注意をしていることです。
つまり、「江古田詣」と言う事自体が、普通は無いものなので、それを何かと比較対照する事が出来ず、教室内外の人達にとっても理解が難しい所なのです。
つまり、どのような音楽教室であろうと、「音楽教室が生徒にお手伝いを頼む」という事は絶対にあり得ない事なのです。(音楽教室に限らず、塾でも学校でも同じです。)それは「お手伝いを頼む」といった時点で、私達の教室でも同じなのです。
先生の利便性のために、つまり「先生達が忙しいから、子供達を手伝わせる」という事は、仕事としてありえないことなのです。(というよりも、やってはいけないことなのです。)
そういった意味においても、私が先生達に厳しく注意をしているのは、保護者の方々が「自分の子供が、教室の先生達のお役に立てるのならば、是非お手伝いに・・」という風に、勘違いをされてはいけない、という事です。
もう一つ、私が頻繁に先生達に注意をしている言葉があります。
それは、「どんなに子供のために必要な事だとしても、生徒や保護者が望まない事を、lectureしてはいけない」ということなのです。
その結果として、将来、子供が子供自身や保護者の希望する方向に育たなかったとしてもです。
でも、どうしてもそこのところが先生達にはなかなか理解してもらえない。一種の正義感でしょうかね。
最大限、私達の経験や音楽教育や教育心理学の理論で説明しても、生徒や保護者の方に分かってもらえなかったとしたら、それ以上先生や教室の教育方針を振りかざす事は許されません。
ですからもしも、教室や教育の事が生徒や保護者の方に間違えて理解され把握されているのなら、或いは誤解されているのなら、そこには先生達は立ち入るべきではないのです。
つまり、折角のお申し出であったとしても、「自分の子供が、教室の先生達のお役に立てるのならば、是非お手伝いに・・」という考えであった場合には、まずは「江古田詣」はあくまで「教育の一環としてやっているのだ」と言う事を、しっかりと保護者の方に説明すべきである、と言う事なのです。
先生達が子供のために幾ら努力したとしても、その努力を保護者の方に理解される事はないからです。
先ほど、お話した事と同じ事を、見方を変えて、繰り返してお話する事になってしまいますが、「江古田の事務所での一連の作業は、これは仕事であって、教室の先生たちがどのように忙しかったとしても、そのお手伝いを生徒たちがやるべき筋合いのものでありません。」
それはどうしてかというと、つまり、仕事には必ず「責任が派生する」からなのです。
子供に、その責任を負わせることは出来ないからです。
仮に、子供が大きなミスを犯したとしても、その責任の所在は、全て担当の先生に掛かって来ます。
もう既にお話したこの話をわざわざここで蒸し返したのは、次のアシスタント・インストラクター(研修生)のお話をするためです。
教室には、「江古田詣」の生徒さんとは別に、本来のアシスタントの研修生がいます。所謂、アシスタント・インストラクター(研修生)と呼んでいます。
その生徒さんたちは、インストラクターを目指す人達です。
その人たちは、逆に教室が忙しい時には、必ず「泊まり込み」をしてでも先生達のお手伝いをしなければいけません。
「・・・しなければ、いけません。」と言うのは、アシスタント・インストラクターは、学生として(勉強として)学んでいるわけではなく、あくまで仕事を学ぶ「弟子」と言う立場で学んでいるからです。
ですから、間違った時の責任は、他の先生達と同じように本人の責任になります。
勿論、その責任はアシスタント・インストラクターを指導している担当の先生にも、同じようにかかりますが、アシスタント・インストラクターとはアシスタントと言えども、一人の社会人としての社会的な責任を背負って勉強しているのですから。
そういった意味では、子供のお手伝いや「江古田詣」とは全く違った立場にいるのです。
親は自分の子供が中学生、高校生と・・、あるいは大学生と成長していくと、「子供が大人になった」ように勘違いをします。
極端に言うと、保護者は「子供が大学さえ卒業すれば一人前の仕事が出来るようになる。」 というような錯覚にとらわれます。(このお話も先ほど、同じ話をしたばかりですが、ここでは「技術面のお話」に限った話をします。)
しかし、仕事にはコンビニのバイトやスーパーのレジのような、「その時間にその場所に行きさえすれば良い」という仕事と、医者のように、しっかりとした技術を身に付けない限り、営業が出来ない職業があります。
不思議なことに(驚くべきことに)「なんと!」音楽も、そういった技術職なのです。
つまりどんな有名な某国立音楽大学を卒業しようが、海外に何年も留学して帰ってこようが、指導する技術がなければ、音楽教室では何の役にも立たないのです。
日本には、プロオケというものが6団体程あります。そのオケの団員の半数近くは音楽大学を出ていません。一般大学の出身者か、さもなければ高校卒業と同時にオケに入った人達です。
多くの優秀な音楽家の卵達がどうして、音楽大学に進学しないで、一般大学の道をとるのでしょうか?どうして、有名大学の有名教授達が自分の大学に自分の愛弟子を進学させないのでしょうか?
その理由は簡単です。前述のように、ヨーロッパの音楽大学と違って、日本の音楽大学では、仮に、その先生自身がその音楽大学で教えていたとしても、生徒が音楽大学に入学した時点で、その自分の生徒を自分のクラスに取れるかどうかは、学校の都合であり、その先生には分からないからです。先生としては自分の愛弟子を他の先生に壊されるのを見たくない。だから、自分の愛弟子だけは、音楽大学には進学させないで、一般の大学に行かせて、音楽は生徒が自立できるまで自分が面倒を見る、と言う事が極普通にまかり通ります。
勿論、その先生が一般大学に進学させるのは、その先生の愛弟子だけの話で、その先生の殆どの生徒は、普通に音楽大学に進学させます。要するに愛弟子ではないからね。・・・というか、その生徒を見捨てるんだよね。そこで!
私達の世代とは違って、今の子供達の世代では、生まれた時、既にパソコンなどがあります。ですから、パソコン一つ例にとっても、確かに今の生徒達はWordやExcelなどを、ある程度は手早く入力する事が出来るかもしれません。もっとパソコンに自信のある子は、簡単なHPぐらいは作れるかもしれません。
小学校でもホームページを作る授業がありますからね。
しかし、残念ながら子供達が学校で習う自分のためのホームページでは、仕事としては、全く使い物にならないのです。
つまり私達パソコンの素人が自分達で作っている教室のホームページにしても、小、中学校で学ぶ程度のパソコンの技術では、全く使い物になりません。(教室のホームページをパソコンのプロではなく教室の先生達が作っているのは、ホームページの性質上、パソコンのプロでは作りえない内容だからです。)教室にも色々な業者からホームページ製作の売込みがあります。その時に私が必ず言う事は「どういうホームページが必要か、一度私達が作っているホームページをよく見てから、私達にプレゼンを持って来てください。」とホームページのアドレスを教えます。その後、業者からは二度と電話が掛かってくることはありません。
教室のパソコン作業ですら、仕事としてやるためには、そういったNiveau(水準)が必要になるのです。
音大生を雇うときに、音楽の指導や伴奏等の音楽関係の仕事をさせる事は音大生levelではまず無理です。という事で、ある音大生が教室の講師募集の欄を見て教室をたずねてきたときに「この学生でも、何か教室で出来る事はないかな?」と探していたのですが、その音大生がパソコン教室でパソコンの指導をしている、という話を聞きました。「パソコン教室で教えているのだから、まず、ホームページの改定から仕事をさせようかな?」と考えて、とりあえず、1,2ページを手直しさせました。見事にホームページはおかしくなってしまって、その修理に2時間近く取られてしまって、プンプンです。巷のパソコン教室の先生はパソコンの事は何も知らないし、出来ないと言う事でした。
子供達にとって身近な、レポートの話にしても、学校ではレポートを一度提出すれば、宿題としてはそれで終わりですが、仕事となってホームページなどで社会にアピールするものとなると、そう簡単に終わらせられるものではありません。
そういった論文を書くことに大学の講師時代から「仕事慣れ」をしているはずの私ですら、一つの論文が完成したら、斉藤先生にその論文をメールで添付してcheckをしてもらいます。
斉藤先生は、とても忙しいので、私の論文をcheckするための時間がとれるわけではありません。ですから江古田の事務所の作業が終わって千葉の教室に行くまでの電車の中などでの空き時間(移動時間)の中で、赤入れをしてくれます。
それで、ぱっと読んでみて、分かりにくい所、或いは言い回しを変えたほうが良い所、等等、色々とcheckをして、メールで送り返してきます。
勿論、斉藤先生のcheckの入った場所を手直ししてから、もう一度読み直して、前後の文章の整合性を取って、更に気になった所を再度訂正して、もう一度斉藤先生にメールに添付して送り直します。
そういったキャッチボールを何回も何十回も繰り返してから、初めてホームページなどになったり、小冊子になったりして、皆様の目に留まることになるのです。
しかし、私の場合は一度公開した文章ですら、気になるところが出てくると再度訂正をします。ですから、20年前に書かれた論文ですら、第一稿、第二稿どころではなく、第何百稿にもなるのです。(この論文ももう10年ほど弄り回しています。)
特に教育関係の論文は、その時代によって、その世相を反映して教育の価値観が変わっていくので、古いままの論文では社会に受け入れられなくなってきてしまいます。
子供だけではなく大人達も十年前、二十年前とでは、教育に対する考え方や、人生に対する感じ方が著しく変わってきているからです。
そのために昔の論文を時代に適応させて、書き変えていかなければなりません。
新しい論文をキャッチボールするのは当たり前かもしれませんが、完成した論文ですら、そう言う風に変えていかなければならないのです。
論文に完成したという事はなく、一度完全に完成したものであったとしても、時を経ると、また手直しが必要になってしまうのです。
当然、学校教育などでは、そういったキャッチボールをする事はありません。
勿論、レポートを完成させるまでは教授とのキャッチボールはあります。しかし、一度論文を提出してしまえば、その論文を2度と訂正する事はないでしょう。
しかし、社会で必要な論文はそれこそ、完成して本になった後でも、第一稿、第二稿と手直しされていきます。つまり、完成されたものなどないのです。
それが、学生には理解できないのです。
勉強にはマニュアルのように、勉強し尽くせばちゃんと終わりの来る勉強と、永久にエンドレスの勉強があります。
通常はエンドレスの勉強の方が、人生で学ばなければならない事の90%以上を占めます。
音楽の勉強は当然ですが、それ以外の仕事でも、「一回で出来上がる仕事」と言うものは[絶対に]存在しないのです。
私達の音楽教室は、教室創設当初から、子供達を指導するための音楽教室ではなく、インストラクター(指導者・先生)や、指導講師(インストラクターを育てる講師)を育てるための研究所として開設されました。
それは、芦塚メトードが私自身の個人の人格や資質によるものであるとすれば、それは教室を創る必要も、この教室を会社にする必要もないからです。
それなら、私個人で生徒達を指導するだけで十分なのですから。
芦塚音楽研究所で先生に求めている事とは違って、一般の音楽教室が先生に求める事は、たいして多い事ではありません。
要求される事は、いつも繰り返し述べているように、自分達が指導する教材の基本的な勉強や子供との接し方、或いは、発表会などの雑用ぐらいにしかすぎません。
ですから、私達が先生の面接の時に質問したり、要求したりしていることも、殆ど一般の音楽教室とは変わらないはずです。
しかし江古田教室で先生達が学んでいるのは、芦塚メトードであり、且つ教室の経営に必要なノウハウです。例えば、経理や発表会、演奏会の企画です。orchestraカリキュラムや子供達の組み合わせもレッスンを終わって帰ってきた先生達の仕事になります。譜面が出版されていない場合には、昔は先生達が手書きで譜面を作っていましたが、今ではfinalelというパソコンのソフトで作っています。このソフトは出版社が使っているソフトと同じ物です。芦塚先生が原稿を出版社に持ち込むときには、昔と違って、今ではCDで楽譜を持っていくのです。
そういった、直接は音楽と関係のない仕事の多くが音楽教室の維持、管理には必要で、江古田の事務所での作業の大半はそうした雑用になります。
と言うわけで、江古田の事務所では、ビデオの編集から始まってCDを焼いたり、譜面のない曲をフィナーレ(全音等の出版社が使用している楽譜のソフトです)でノーテーションをしたり、パソコンを使って各種の進行表を作ったりします。
パソコン一つにとっても、数かぎりない作業があります。
そのために教室では7台のコンピュータが常時稼動しています。(フィナーレなどの巨大ソフトを入れると、それ以外のソフトを同じパソコンに入れると、パソコンがハングアップしてしまうからです。)
そういった、いわゆる雑用を学びながら、芦塚メトードの骨子を学ばなければなりません。ですから、先生方にこういった指導をしている音楽教室は、音楽教室だけではなく、音楽大学を含めて探してみても、世界中どこにもないと思います。
ましてや、音楽大学の学生や就職年次の社会人ではなくって、中学生や高校生に「江古田詣」のような形態をとって、「仕事」と言う考え方を指導している教室は、まったく前例がない(それは無理だ)と思います。
子供が大人の仕事を大人と同等に学ぶ事、それが幾ら子供達の将来の勉強につながるとしても、パパの会社に子供が居座って、パパの仕事のお手伝いをするとすれば、会社はどうしますか?
「そ、そ、それは、困るよ!」
当たり前でしょう?
仮に百歩譲って、子供を体験学習として会社が指導するとしても、その仕事を指導するためのカリキュラムを持っていなければ、とても子供達を指導する事は無理なのですよ。
子供が発表会の進行を手伝う事でも同じなのです。
発表会ともなると、時間との勝負なので、ついつい、先生方は、子供にさせないで、自分でやってしまいます。
後で、私からいつも叱られるのですよ。
「ここまでやったら、後は子供にさせなさい。」或いは「子供がそこまでやったら、サポートのお姉さん達に任せればよいのだよ!」とかです。
ここまでは、子供が出来るけれど、ここからはちゃんと・・・・!
それなら、最初から、最後までやってしまった方が早い!・・誰しもそう思うでしょうね。
結構、子供にさせるのはめんどくさいのですよ!
いつものことなのですが、そういったことをきちんと説明しようとしても、私達の教室以外のどこかで、同じようなカリキュラムをやっているわけでは無いでしょう?
聞いた事もない、全く前例がないことを説明するのは難しい、・・・と言うよりも至難の業なのかな?
[蛇足]
もしも、強引にでも、「江古田詣」を日本に存在する言葉に当て嵌めるとしたら、「弟子入り」とか「書生」とか言う言葉が一番近いのでしょうね。
しかし、むしろそれは「子供達の[江古田詣]について」ではなく、大人の弟子達の[アシスタント・インストラクター]の勉強法の方が、そういった言葉に近いのかもしれませんが・・・・。
一般的にも同じ言い方をするとは思いますが、住み込みで勉強している生徒の事を私は「内弟子」と呼びます。落語の世界でも同じだったようですね。住み込みではないけれど、インストラクターを目指して、勉強している生徒を弟子と呼んでいます。音大や留学を目指して頑張っている生徒達は、弟子ではなく生徒なのですよ。そういった呼び方の分類は私は上手下手で分類しているわけではないのです。
私が専科という科を作ったときに、保護者の方々が勘違いをして、上手な生徒が専科生になれると言っていましたが、そうではなくって、初心者でも、小さな子供でも、音楽に進むという事を決めた段階で、専科生なのです。その目的を達成するために、専科生には守らなければならない条件が色々有りますがね。
今は、もうすっかり人手に渡ってしまって、無くなってしまいましたが、私が生まれ育った故郷の本家や仕事で住んでいた東京の家では、(明治時代から終戦直前までは、首相官邸の隣と東大の近くに家があったそうです。私が生まれるよりもずっと以前に九州の本家に東京を引き払って戻ってきたそうですが、祖父母達の元には)そういった書生といわれる人達が何人も一緒に住んでいました。
私がまだ幼かった頃には、祖母に連れられて、そういったすっかり功成り名を遂げた人達と親しく何度かお会いする機会がありましたが、今現在ではそういった学び方をする人は政治家だけなのかな?
音楽は、職人と同じ技術職なのです。
学校などの勉強で教わる事が出来るわけではありません。
学校で勉強として学ぶ事よりも、マンツーマンで学ぶ事でしか学べない事が沢山あります。音楽は技術というよりも、むしろ生き様なのです。人生に対する心構えとか、音楽に対しての価値観とか、学校では学べないものが沢山あります。
今でも、職人の世界ではそうした事が当たり前と捉えられていますが、本当は職人に限らず、技術に関する職では、医者であろうと、大学教授であろうと、殆んどの勉強が机の上では学べない事は、当たり前の事なのですがね。それを、大学のアカデミズムの中で学ぶ。
それを普通は机上の空論というのですよ。
芦 塚 陽 二 拝
江古田 一静庵にて
08年10月1日脱稿