Greensleeves to a ground in C Dorisch


Facebookよりの転載

芦塚 陽二
5月26日 18:17

大分、昔々のお話になってしまいますが、教室の発表会でも、よく演奏していた事のある、以前、全音からrecordernensembleの曲として出版されていた私のarrangeのGreensleeves・・・を、八千代でもstringsorchestraで演奏したのですが、私が出版した原曲は、recorderのQuartettとして、出版されていたので、orchestra用に、手直ししたのですが、チョッと自分のarrangeに納得行かなかったので(注)、八千代の本番の直前にsoloを加えたり、そのついでに、低音にgroundを導入する事で、foliaに改訂して演奏しました。

ドイツから帰国して間もない頃、全音の委託によるrecorderのarrangeでしたが、その頃、古いrecorderのtriosonateや、もっと古いRenaissanceの時代のrecorderの曲も、勉強しました。

その時代に、勉強のために買い揃えていた楽譜にrecorderのための「Greensleeves to a ground」という曲を、Jordi Savallさんが、 viol で演奏しているのを見て、
「そういうのも(楽器や編成を変えるのも)ありかな?」という事で、演奏会の4日程前に、眠れない夜の日々が続いていたので、欝のついでに私のversionの編曲を始めました。

2日程、眠れないままに、編曲をしていたので、日曜日のオケ練習の時に
「昨夜は、全く眠れないで完徹なのだよ!」と子供達に言ったのですが、「それで・・??」「何時もの事でしょう?!」と、全く、同情してくれません。
「同情するなら、金をくれ」とは言わないけれどね。

しかし、私が編作曲に、3日も掛かったのは、パソコンのfinaleのソフトの調子が悪くて、その修理に莫大な時間が掛かったからです。

finale自体が、パソコンにとっては大変重いソフトなのだし、しょっちゅう止まったり、bugったりするのに、最初、scannerで楽譜をfinaleに取り込んで、コピペした段階で、色々と不可思議なbugを背負い込んで、大変な状態になっていました。

曲は、4分の6拍子の曲なのに、楽譜は4分の6拍子で書かれているのにも関わらず、4分の4拍子と表示されてしまい、どうしても、設定が変更出来なかったり、楽譜のlayoutが超変で、1Pageに一段しか表示されなかったり、それがどうしても直らなかったり・・・と、無駄な時間を無意味に過ごしてしまいました。
それでも、何とか、25日には出来上がったのですが、今度は、音声がCDに焼けません。

今まで、何気なく、出来ていた事が、何も出来なくなっていました。

CDを焼くためのリッピングソフトでも、買おうかな?と悩んでいます。

違法コピーではないよ!!自分の曲がCDに焼いても、プレーヤーで再生が出来ないのだからね。
鬱が酷い時には、wineを飲みながら、最愛のJordi Savallのfoliaを聴いたりして、欝に浸り込んでいます。
という事で、Jordi SavallのGreensleevesのgroundをどうぞ!
https://www.youtube.com/watch?v=fzk13OqfFUA

https://www.youtube.com/watch?v=F8N9jFdwZpA
両方とも、Jordi Savallの演奏です。
う〜ん、・・いいなあ!!

今は等々夕方の6時を過ぎた頃で、部屋の中がだんだん暗くなって来ましたので、今から朝食を食べる事にします。


(注)文部省(今は文科省と言うそうですが)のお達しとか、指導する先生達への配慮等々で、(例えば、T、W、X以外の和音は使ってはいけない・・とか、思いもよらぬ制約を受けた上でarrangeをしなければならなかったので、・・・不本意のarrangeである事には変わらなかったからです。でも、T、W、Xの和音を使っているように見えれば良い分けなので、それはそれで、面白い使い方をしています。弱進行にしたり、非和声和音を使用する事によって、あたかもT、W、Xの和音を使用しているように見えればよいのですからね。

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"Greensleeves" is a traditional English folk song and tune, a ground of the form called a romanesca. A broadside ballad by this name was registered at the Lo...
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芦塚 陽二さんが新しい動画をアップロードしました

Greensleevesは、エリザベス朝の頃、イングランドとスコットランドの国境付近の地域で、生まれたと言われています。
しかし、実際にはもっと古い時期に、この曲が色々な地方で歌われていた事も分かっています。
下のURLは、八千代の13年の6月のコンサートの報告の発表会のPageなのですが、詳しくはないのですが、Greensleevesの事に付いて、少し触れています。
http://music.geocities.jp/ashizuka…/ycy13-6-30yume-cct.html…
  

Greensleeves自体は歌の曲なのですが、歌詞は、当時お時代背景的に、色々と問題があるので、子供達の教育者という立場で、commentは控えておきます。
Renaissanceの時期には、歌詞無しのrecorderの曲として、無伴奏や通奏低音付きのversionで、演奏されていました。

八千代ではfoliaとして編・作曲しましたが、Renaissance、baroque時代には、recorderではgroundで作曲してあったので、今回はgroundで編作曲をしました。

参考までに、groundのthemaを載せておきますが、これはoriginalなので、調や音列も少し違います。
最初はbaroqueviolinでornamentを付け加えて、basso continuoとCembaloのpartを作るだけのつもりだったのですが、
「曲が地味で退屈だ!」と周りの人達にうるさく言われてしまったので、「これでもか?!」「これでもか?!」と、arrangeしていたら、なんか、擬古典のようになってしまいました。
Cembaloではなくて、Pianotrioのversionとしても、演奏出来るかも・・・・・???アハッ!

再生63回
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5月の10日に、子供達への曲の楽譜の渡しを終えて、今回は年長のorchestraの曲がないということなので、急遽、前回出来なかったbaroqueを復活させる事になりましたが、13日のcommentにも書いているように、兄貴の辛口messageだけでなく、先生達や梨紗ちゃんも、良い演奏を聴かせたのにも関わらず、「かったるい!」「眠くなる!」との感想だったので、12日は椎名町の事務所には誰もいないので、食事を食べに行く事もないので、purcellのChaconyに没頭しました。
baroqueのornamentや装飾法の事を調べようとして、様々な文献やhomepageを読むと、
「ornamentや即興の技術は、神から与えられた才能の成せる技で、勉強したからといっても、どうなるものでもない。」と書かれていました。

確かに、文献を買い込んで来て、幾ら読んでも、なんの参考にもならないので、結局は、Jordi Savall先生達の演奏を聴くしかないのかな??

・・・しかし、私の場合には、即興演奏やornament奏法の前哨戦として、Pianoの初級の段階のBach...のinventionの辺りから、Cembalo奏法の基本である、早いaccentを表す、trillやmordent、或いは弱拍を表すtrill、glissandoやslurを表すschleifer、或いは弦楽器のvibratoを表す、triller等、曲のarticulationやAgogik等のinterpretationで、その曲にornamentや即興を与えているので、生徒の誰がornamentを付けても、即興を書いても、その表現に変わりはないので、数学のように100点万点で、回答を付ける事が出来ます。

つまり、色々な文献に書かれているような、
「ornamentや即興には、才能や、能力」が必要な分けではなく、ちゃんとした、楽曲分析のための技術さえあれば、充分であり、才能や能力のような、神から与えられたgiftは必要ないのです。

少子化と齢を重ねて、この歳になったので、invention等の指導をする生徒も一人もいなくなってしまったので、
「このtrillは強拍を表すtrillだよ。」とか、「このtrillは弱拍でしかも、decrescendoを表すので、こういう風に演奏するんだよ!」とかを昔のように小学生や、中学生に指導する事もなくなってしまいました。
Facebookを始める時に書いたように、老兵はただ去るのみ・・・なんでやんすかね〜ぇ??  
まあ、音楽の勉強を始めた最初からornamentの効能をよく理解していれば、baroqueなんて怖くないのですがね。アハッ!
という事で、12日に、一日掛りで、purcellのChaconyに、ornamentを付けて、芦塚versionのinterpretationを作り上げました。
だから、私のornament奏法には、考える事や、ひらめきが降りて来るのを待つ必要はないのですよ。
しかし、まあ、「作り上げた」とは言っても、violinのシテ・ワキ分だけで、basso continuoのcelloのpartや、Cembaloのpartは、余りにもヘボかったので、数字から訂正しなければならないので、熟考が必要なので、未だに保留になっているので、音声にdown loadしていないのです。
それに、・・・・・(ここで、また、話はrepeatして、)前回は、finaleで作り上げた楽譜から、音声fileを作ったのですが、私のパソコンには、CDのためのリッピングのソフトが、入っていないので、CDやDVDに焼いて、梨紗や先生達に聴かせる事が出来ません。
softと言っても、たかだか5000円ぐらいなので、買えば良いだけなのだけどね。
なきゃあ、ないで、何とかしているので、freesoftを使おうと思ったのですが、「買え!買え!!」と、後々、messageが入って来て、うるさいのですよ!!
freesoftは、結構、困ったちゃんなのだよね。
mediaplayerでCDを焼いても、DVDで再生出来ないのですよ。
昔のDellのdesktopは、ちゃんとCDのsoftが入っていたので、そういう事はなかったのだけどね。
という事で、Cembaloの右手は全体の半分ぐらいは元の楽譜のままです。
・・つまり、未だ未完成なのです。
という事で、その間に、Greensleeves to a ground in Dorischをこの3日で作り上げたので、またぞろ、purcellのChaconyに戻って作業をするつもりです。
まあ〜、年甲斐もなく、よく働くよね〜??
いい加減休めば良いのにね〜〜??

蛇足ですが、椎名町のspinetはbaroqueviolinのために、426cycleに調律しました。
今のCembaloでは415cycleで、調律してある楽器が多いのですが、それは、2000年を過ぎて、Cembaloが一般に普及するようになった頃からの話で、標準Aを440に調律した時のAsのpitchが415cycleになるので、modernの440のpitchとbaroqueのpitchの両方でCembaloを使用するための、便宜上のpitchで、baroque時代にそんなpitchがあった分けではありません。

教室の場合には、標準Aが443cycleなので、Asの音は418になります。この便宜上のbaroquepitchでは、当然、A=418になります。
これをbaroquepitchと思い込んでいる人が、結構、多いようですが、これは20世紀に入ってからの便宜上のbaroquepitchなので、本当の本物ではありません。
間違わないように・・!
ヨーロッパのrecorderは基本435cycleでtuningしてあるのが、普通です。
baroque音楽を勉強しようというviolinの人が、楽譜をそのまま、半音低く読み替えて演奏するのは、邪道で絶対に良くありません。
反省しましょうね。

そういった安直な事をやっていると、便宜上のpitchではなく、本当のbaroqueのpitchである、435cycleや426cycleになったら、読み替えて演奏する事が出来なくなってしまいますよね。
violinの人達が、violinの弦のpositionを隣の弦で5度下げて奏いて、violaの譜面にする・・・という安直な弾き方も、日本の音大生がよくやる、間違えた・・・と言うか、viola譜で読めないので、easygoingな弾き方です。
そういうあんちょこな勉強をしたら、その場は、何とかなったとしても、その後、100%確実に、行き詰まってしまいますよ。
音楽の勉強だけではなく、人生さえもね。

まあ、そんなどうでも良い事はさておいて、baroque音楽の重要な大曲の形式でもある、foliaやchaconneやpassacaglia等の変奏曲形式の奏法なのであるが、困った事に、その形式についての論文は洋の東西を問わず見当たらない。
baroqueから古典派、近現代に至る迄の作曲家達が、歴然とした形式を踏まえているのにも関わらず・・である。
Bach時代から作曲家の間には当然の如く周知の事実なのに、一般の音楽家達、楽典の本や研究論文には、全く触れられていない話が多いのは非常に面白い。

・・・という事で、暗黙の了解で、Hennry purcellのtriosonate g Chaconyに関しては、変奏曲形式で作曲しているのだが、Greensleeves to a ground in Dorischに関しては、変奏曲形式は使用していない。

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さて、温故知新の話の続きですが、歴史認識にしても、原発の問題にしても、昔を知らない事に依る無知が、色々な誤解や過ちを引き起こします。
歴史の中には、オーパーツのように、時代を超越した偉人が時々出てきます。
私が一番驚いているのは、ギリシャの文人や数学者のおエライさん達もそうですが、Renaissance期に発明された時計は、その機構を現代と何一つ変わっていないのです。

violinも同じで、1500年代の後半には、ガスパーロ・ダ・サロやアマティがviolinを作り上げたのですが、これはStradivari同様の最高傑作で、こんにちの楽器製作者の目標でもあります。
弓もトルテの弓が現代でも最高と言われています。
つまり、温故知新どころではなく、その当時の域にも達する事は出来ないのですよ。
その後、violinは色々な改良を加えられて来たと、言いますが、一つを得るという事は、一つを失う事でもあるのですよ。つまり、大きな音量と引き換えに、美しい音を失ってしまったのですよ。
トルテ以前のbaroquebowなのですが、ヨーロッパで、自称世界的なbaroque演奏の団体が数多くあって、ガンバ...棒よりも更に、頑丈でぶっといrundbow(円形のアーチ状の弓)を使って、ガンガンビシビシと大きな乱暴な音で演奏するのがbaroque演奏の一般的になっています。
Spitzeであろうと、froschであろうとsforzandoやaccentを付けて平気で演奏しています。
でも、そんな弾き方をすると、細くてしなやかなbaroqueの弓は、一瞬で折れてしまいますよ。
だいたい、弓の歴史書のなかに、そんな巨大な弓はなかったし、あったとしても、当時の遺伝子操作されていない自然な羊さんからのガット弦では一瞬で切れて使い物にはならなかったでしょうにね???
そんなモンスター棒でもこんにちのガット弦が切れないのは、ガットもどきのナイロンの弦だからです。
でもbaroque時代には、そんなものはなかったのですよ。少なくとも、戦前の日本にもナイロンはないろン!!
そんなのは常識的に考えれば分かるのに、それをperiod奏法と呼んでいるブルースウィリスのそっくりさんの、baroqueviolinの奏者がいるので困ったものです。
period奏法と思わなくて、baroqueもどきの音楽として捉えると、なかなか面白くて、結構好きな演奏なのですがね。

大きな音量を出す現代の大orchestraは、色彩豊かで表現力にも富んでいます。
しかし、基本の調の違う色々な楽器を組み合わせる事は、豊かな音を出す事が出来る反面、たった一つのドの音を揃える事すら難しいのですよ。
baroqueの演奏で、vibratoをしないのは、美しい純正の和音の響きを活かす為であって、決してvibratoを出来なかった分けではないのですよ。
私が専科の生徒達にbaroqueを教えるのは、baroqueが専門だからではなく、baroqueの奏法を知れば、前任者から教えてもらった事が必ずしも、正しい事ではない、という事を自ずから知る事が出来るからです。それに、私は作曲家だから現代曲が専門なのですがね。
これも温故知新なのですよ。
昔を知れば、何が正しいかが分かる。
前の総理がどう言ったかではなく、日本人として歴史を学んで欲しいものですよね。
現代の人が昔の人達よりも優れている事は何もないのですよ。
だったら、歴史や科学に徹底的に学べば、良いのです。








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