長年書き溜めていた「芦塚先生のお部屋」の論文を、魔の2018年の9月の29日に、homepageを作業している最中に、homepagebuilderが勝手にupgradeを始めて、終了させようと思ったのだけど、全く、反応をしないで、勝手に、dataをrefreshしてしまいました。
その結果、論文のlayoutだけでなく、文章の大半が失われてしまい、苦節、30年の長きに渡る研究論文が全て失われてしまいました。
2018年の後半期は、7月の初めて訪れた心療内科とのtroubleから始まって、9月にhomepageのtroubleと、同じ9月の中旬に血尿が出て、光が丘病院に駆けつけて、膀胱癌と腹部大動脈瘤が見つかって、second
opinionで、川崎の幸い病院に転院をして手術をする・・等々、12月のクリスマス会までの、半年間は、大変な日常の生活を強いられてしまいました。
それに追い打ちを掛けるように、yahooのhomepageのserverを3月の31日で打ち切るという一方的な報告があり、Rental-serverを探すのにも、そのお引越しにも、膨大な時間を費やしてしまいました。
紙原稿の残っているPageから暫時recoveryしているのですが、教育関係の論文は結構紙の原稿があるのですが、曲のAnalyseや解説論文に関しては、その殆どのdataが残っていません。
・・・と言う事で、新たにrenewalしなければならないのですが、それには膨大な時間と決断の勇気が必要になります。
このHennry Purcellのg mollのChaconneも、miserableな失われてしまったPageなのですが、元の原稿を探しても詮無いことなので、取り敢えずは暫定的にFacebookの似た原稿を貼り付けて、なんとかPageとして存続させる所までやって、ちゃんとした文章をrenewalさせる時間を待ちたいと思います。
それまでの暫定的な処置によるhomepageなのです。
悪しからず・・・・
(写真をclickすると、You Tubeへ飛びます。演奏は2015年の10月11日の千葉市文化会館アートホールでの演奏です。会場がbaroqueの演奏には少し大き過ぎるのですが、敢えて、音声は弄ってはいません。)
教室では、1990年代以前から、私がbaroque‐Violinやspinetを購入して、先生達の勉強の為に、baroque‐periodに依る演奏を心掛けて来ました。
勿論、対外出演も年、2回程度のrotationで、私的に催って来ました。
2015年代になると、音楽大学に進学した生徒にも、Baroque-periodの勉強をさせたい・・と、希望するようになって、Violaで音楽大学に進学をした、梨紗さんにも、baroque‐periodの楽器を購入させて、実際の演奏のlecture‐lessonを開始しました。
ちょうど、その頃のお話なのですが、 baroqueのornamentや装飾法の事を調べようとして、様々な文献やhomepageを読むと、「ornamentや即興の技術は、神から与えられた才能の成せる技で、勉強したからといっても、どうなるものでもない。」と書かれていました。
確かに、当時の文献を買い込んで来て、幾ら読んでも、なんの参考にもならないので、結局は、Jordi Savall先生達の演奏を聴くしかないのかな??
・・・しかし、私にとっては(芦塚メトードでは)、即興演奏やornament奏法の前哨戦として、Pianoの初級の段階のBach...のinventionの辺りから、Cembalo奏法の基本である、早いaccentを表す、trillやmordent、或いは弱拍を表すtrill、glissandoやslurを表すschleifer、或いは弦楽器のvibratoを表す、triller等、曲のarticulationやAgogik等のinterpretationで、その曲にornamentや即興を与えているので、生徒の誰がornamentを付けても、即興を書いても、その表現に変わりはないので、数学のように100点万点で、回答を付ける事が出来ます。
つまり、私の概念では、ornamentや即興には、才能や、能力は要らないのですよ。
少子化と齢を重ねて、この歳になったので、invention等の指導をする生徒も一人もいなくなってしまったので、「このtrillは強拍を表すtrillだよ。」とか、「このtrillは弱拍でしかも、decrescendoを表すので、こういう風に演奏するんだよ!」とかを昔のように小学生や、中学生に指導する事もなくなってしまいました。
寂しい事ですが、Facebookを始める時に書いたように、老兵はただ去るのみ・・・なんでやんすかね〜ぇ??
まあ、音楽の勉強を始めた最初からornamentの効能をよく理解していれば、baroqueなんて怖くないのですがね。
アハッ!
という事で、12日に、一日掛りで、purcellのChaconyに、ornamentを付けて、芦塚versionのinterpretationを作り上げました。
だから、私のornament奏法には、考える事や、ひらめきが降りて来るのを待つ必要はないのですよ。
しかし、まあ、「作り上げた」とは言っても、violin-soloのシテ・ワキの分だけで、basso continuoのcelloのpartや、Cembaloのpartは、余りにもヘボかったので、数字から訂正しなければならないので、熟考が必要なので、未だに保留になっているので、音声にdown loadしていないのです。
と言う事で、15年のBaroque-periodの演奏は、梨紗のbaroque楽器の持ち替えの限界だったので、ornament(装飾音)の使用方法がthemaである、頗る、approachの甘いBaroque-periodの演奏になってしまいました。
本当のHennry PurcellのTrio Sonata in g minor, Z. 807には、程遠いものがありますが、その当時のbaroque演奏の技術としては、限界であったかもしれません。
・・と言う事で、今回の、瑞希ちゃんのbaroque‐periodの演奏法へのapproachになります。(ここまでの追記は2024年の11月の2日です。)
https://www.youtube.com/watch?v=YGjdvIKM7zU
演奏はなかなか、秀逸でしたが、PAがこれまでの美浜文化ホールのmainHallの録音同様に、最悪の録音になってしまいました。
どうも、美浜文化ホールとは相性が良くないようです。
まあ、Hallに慣れていない所為ではあるとは思いますが、出来るならば、使用したくないHallです。
参考までに:
15年5月12日(日)のFacebookからの転載です。
前回の発表会では、programの演奏時間の都合で、baroqueの演奏が出来ませんでした。
ところが、超驚いた事に、今回は千葉に教室を構えて40年間で初めて、発表会に年長さん達がorchestraを申し込まなかったので、orchestraの演奏は、年中と年少だけのgroupになってしまいました。
この話は別の所にも載せていますので、繰り返しになってしまいますが、orchestracurriculumの年少の子供達は、ホンの一瞬で上手になってしまうので、年少(初級)のorchestraのgroupは、直ぐに無くなってしまうのですが、年長のgroupは、いつも演奏している生徒達が大学受験等々の諸理由で、オケに参加しなくなったとしても、年中のgroupからの補充があるので、年長groupのorchestraは無くなる事は、今まで一度も無かったのですが、今回は、生徒や父兄同士の自主判断で、「年長orchestraはもう組めないだろうから・・」という事で、申し込みはなかった・・という事・・・らしいです。
年中と年少とは言っても、なにせ人数が少ないので、orchestraの水準がキープ出来るかどうかが、自信がありません。
私は教室での音楽の指導を、音楽教室としてのお稽古事ではなく、子供達の教育として捉えていたので、父兄のそういった理解には、すっかり落ち込んで、「それなら、オケや室内楽のボランティアのlecturelessonは、全くやめて、巷の音楽教室でも良いんじゃないの??」と、先生達に文句タラタラ、不平タラタラ言ってしまいました。
巷の音楽教室から、音楽大学に進学する事も、留学する事も、ましてや、proになる事等・・あろう訳はないからね。・・と言う割には、留学したり、音楽大学に進学したり、proになったり・・と、よくあるよな〜ぁ??
それなら、普通に近所の子供達を集めて、普通に教えれば良いだけなので・・・楽なもんだよ!!で
何せ40年間子供達を指導して来て、初めての経験だったのでね。
1週間は落ち込んでいたのかな??
いつまでも落ち込んでいてもしょうがないので、発表会のその分の時間を、前回、programに載らなかったbaroqueの曲を是非にprogramに乗せようと、選曲を始めました。
baroque音楽の基本(所謂、古典派のQuartettに相当するensemble)はtriosonateですので、幾つかの候補の曲をselectしてcheckをしました。
その中で目に留まったHennry purcellのtriosonate gのChaconyです。
実は、教室を開く、ず〜と以前から、(それこそ、40年50年前から)やりたかった曲なのですが、なにせ、purcellのこの曲のimageは、八千代で演奏したorchestraの暗〜い、暗〜い purcellのchaconne g と調性もChaconyという形式も含めて、よく似ているのですが、譜面上はなかなか良さそうなのですが、You Tubeで参考の演奏を探したら、baroqueの演奏で...古式豊かなのは良いのだけれど、なんともかったるくて、その曲をYou Tubeで皆に聴かせると、皆が「眠くなってしまう。」と文句を言うので、こんにちまで、一度も演奏をした事がありませんでした。
でも、You Tubeで、色々な演奏を聴いてもかったるい・・・・それは、このChaconyのinterpretationが、それだけ難しく・・適正な演奏がないと言う事なようです。
今回も梨紗ちゃんや斉藤先生が「他の曲の方がいい!」と言っていたのですが、今回は私が、強権を発動して、梨紗ちゃんに対して「baroqueの研究とはどういうものか?」という事を知らしめるためにも、この難しい曲を、「それなら、眠くならないような演奏をしよう!」と、急遽、その曲に曲目を決定して、今日(5月12日)は、朝起きてすぐから、一日掛りで、楽譜からfinaleに入力して、ornamentやAgogik等々のところ迄、何とか入力しました。
basso continuoのcelloのpartは、楽譜を丸写しするだけなので、入力を梨紗に頼みました。
自分のpartではないのですが、他のpartを入力するのは、とても勉強になります。
「ChaconneのBasを入力するのは、無駄では??」・・、「そうそう、la foliaやChaconneのBasのmelodieは同じpassageの繰り返しですよね。」「そういう場合には、最初のBasのmelodieをコピーして、それをコピーして、それを更にコピーして・・」と、ネズミ算のコピーをすれば良いのです。
1枚が2枚、2枚が4枚、4枚が8枚・・てね。
そういう風にして、音楽の楽曲分析を学んで行くのですよ。
finaleに曲をコピーする時には、先ずtemplateを先に作ります。
曲全体の小節と楽器を設定してtemplateを作るのです。
同じ、Motivやthemaを先ずその小節にコピーしてしまうのです。
調が違う場合には、finaleには移動の機能があるので、そのthemaを選択して移動します。
それで、一瞬で曲の殆どのpartが出来あがります。
ふと、気が付くと、その日一日がいつの間にか終わってしまいそうなのに、朝食を食べるのがまだで、mailも、読まないままに、パソコンの中に溜まっていたのですよ。
相変わらず、自宅の冷蔵庫の中には何も入っていないので、台風の風の中をセブンまで、朝食の買い出しに出かけます。
とは言っても、夜の12時を過ぎます。
・・・もう、日にちが変わりましたよね。
参考までに:You Tubeの演奏です。
8:18秒です。
https://www.youtube.com/watch?v=tjI95CyBblg
8:18秒でこのtempoで最初から最後迄、淡々と演奏します。
You Tubeで、皆にこの曲を聴いて貰って、聞いた人達が「たまらん!」と言っていた、鬱々の演奏ですが、私にとっては、眠れぬ夜を、wineを片手に、音の流れに身を任せて、鬱々の時間を味わうのに、最高に適した曲だと、思うのですが・・ね??
しかし、いつまでも落ち込んでいてもしょうがないので、専科オケのその分の演奏時間を、前回出来なかったbaroqueの曲を是非?、programに乗せようと、選曲を始めました。
baroqueの音楽の基本はtrio-sonateなので、幾つかの候補の曲をselectしてcheckをしました。
その中で目に留まったHennry purcellのtriosonate gのChaconyです。
・・・というよりも、教室を開く以前からやりたかった曲なのですが、なにせ、purcellのこの曲のimageは、八千代で演奏したorchestraのpurcellのchaconne gZ.730と,調性もChaconyという形式も含めて、よく似ているのですが、譜面上はなかなか良さそうなのですが、You Tubeで参考の演奏を探したら、baroqueの演奏で...古式豊かなのは良いのだけれど、なんともかったるくて、皆が「眠くなってしまう。」と文句を言うので、こんにちまで演奏をした事がありませんでした。
でも、それは、このChaconyのinterpretationが難しいのです。
今回も梨紗ちゃんや斉藤先生が「他の曲の方がいい!」と言っていたのですが、今回は強権を発動して、梨紗ちゃんに対して「baroqueの研究とはどういうものか?」という事を知らしめるためにも、この難しい曲を、「それなら、眠くならないような演奏をしよう!」と、急遽、その曲に曲目を決定して、今日(5月12日)は、朝起きてすぐから、一日掛りで、楽譜からfinaleに入力して、ornamentやAgogik等々のところ迄、何とか入力しました。
ふと、気が付くと朝食がまだで、mailも溜まっていた。
相変わらず、冷蔵庫の中には何も入っていないので、台風の風の中をセブンまで、朝食の買い出しに出かけます。
・・・・とは言っても、もう日にちが変わりましたよね。
参考までに:You Tubeの演奏です。演奏時間は、8:18秒です。
https://www.youtube.com/watch?v=tjI95CyBblg
8:18秒間を、このtempoで最初から最後迄、淡々と演奏します。
色々な人達が「こりゃ、たまらん!」と言っていた、鬱々の演奏です。
私にとっては、眠れぬ夜を、wineを片手に、音に溺れて、鬱々の時間を堪能するのに、最高にmatchした曲だと思うのですが・・ね??
https://www.youtube.com/watch?v=MW0J-rfa6ms
https://www.youtube.com/watch?v=CWvzmq9AFK8
https://www.youtube.com/watch?v=JFtiWJKEcJU
Cembaloではなく、 positive organ の通奏低音です。
https://www.youtube.com/watch?v=z9R3V7PyA3w
Cembaloの音で入っているのですが、多分computer音源だと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=cLEX7bAy_ZQ
positive organ の通奏低音です。Organのpartが結構生きています。
https://www.youtube.com/watch?v=vg2p5u4LUGw
ロビー・コンサートのような感じですが、とてつもなく下手ですが、雰囲気が面白かったので・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=NTGtyEJfhlo
tempoの設定も早く、cutが多いのですが、その割には、私の省略なしのarrangeでの演奏と同じtimeです。
不思議だな・・??
なんともはや、朝の三時に聞く曲じゃないね。おやすみ。
RubensかRembrandtの絵画でも見ながら、このChaconyを聴きながら、wineでも傾けながら欝に浸るのも乙なものですよ。
乙に浸る余裕なんてないですよ。
あっと言う間に寝てしまいそう。
昔MDにダビングしたこの曲の演奏がみつかった。
演奏者は、Chatham Baroque
homepage上にYou Tubeで見つかったYou Tubeにuploadされているこの曲の他の演奏をlinkさせておきました。
「芦塚先生のお部屋」⇒予告、or、「芦塚先生のお部屋」⇒楽典のお話⇒Hennry purcell triosonate g Chacony Ashizuka-version、若しくは、「芦塚先生のお部屋」⇒教材研究とAnalyse⇒Hennry
purcell・・・で、入れます。
勿論、折に触れて書き加えて行くので、論文としては未完成です。
検索は芦塚先生のお部屋だけでも、立ち上がるのですが、Hennry purcell云々は、まだupしたばかりなので検索が出来ません。 暫くの間は、面倒くさくても、ご辛抱ください。
ちなみに、斉藤先生の言っている、私の昔のレコードは江古田教室にあるので、まだ取りに行っていません。
・・という事で、私は、まだ聴いていません。
(親族からの書き込みです。)
そりゃ、おいちゃんは大昔には商売柄、「温故知新」なんてよく口にしてたはずよ。
でもさ〜 今は、おいちゃんは単に昔の思い出に浸っているだけ、、、そこからなにか学びとろうなんて姿勢は全くないのね。
大昔の彼女、それが美人だったって、今、探しだして来て見てみれば、、、しわくちゃ婆なのは当たり前じゃん。
昔の彼女の美しさ、それを見る時の胸のときめき、、それを思い出し、その美しさ、ときめきを再現しようとしたりなんてのは、やらなきゃいけないことだけど、
もう一つ大切なことは、自分を取り巻く環境、時が変わっちゃっていると言うことを、それを通じて自覚することね。
仮に、昔そのままの彼女を再現できたとして、昔感じたときめきはないはずよ。
バロックの曲を忠実に再現できたとして、それはとても大切なことだけど、
当時の人が感じた美しさはないのね、、、生きてる環境が違うもの
ピッチはともかく、テンポはもう、何を弾いても子守唄でしかないでしょう
戦前の演奏家の演奏、そして彼らが身につけているアゴーギク、、たったそれだけの時の経過ですら、今の置かれた環境では素直には受け入れられないものが多いのよね。
再現すること、そしてそれと同じくらい、なぜこんなにも違うのかを知ること、むしろそっちの方が大切かもね。
でも、おいちゃんは心配しなくてもいいのよ。
おいちゃんは、お呼びがかかるのを待っているだけだから、古き良き時代を懐かしんでいれば、、、それだけでいいんだよ。
武満徹さんが日本語の文章を英語に訳して、それを更に日本語に訳すという本を出版していました。
シェイクスピアやゲーテでも、社会環境は全く変わっているので、ピリオード奏法という時代の奏法と楽器を当時のままに演奏するという事は、何かと反対の意味で物議を醸しています。
étrangerのようにcultureshockが起きるからです。
BeethovenのSymphonieですら、当時の楽器で演奏すると、かなり違った物になってしますのですが、Chopinのように、現代のPianoに逆らってsingle
actionのプレイエルPianoの音にこだわっていた人達もいます。
Chopinも「こう弾いて欲しい」という願望が強く、その願望を、手紙のままに再現した演奏を聞いた事があり、それはそれで素晴らしいものでしたが、問題はforte-pianoの楽器を正しいtouchで演奏出来る演奏家が未だ世界にはいないし、forte-piano自体の音がCembaloのように当時の音を再現出来るところまでは来ていないのだそうです。
私が「forte-pianoが欲しい」と言ったら、楽器製作者の人から「後30年は待つように」と言われましたが、そうすると、100歳になるので、それは無理かな??
今の子供達は、兎に角、語彙が少なく、日常の殆どの単語すら理解していません。
communicationの問題は、歴史や人種よりも、お隣にいる人との言葉の定義の共有の問題かもしれません。
昔、お腹が痛くなって、病院に行った時に、「お腹が痛い」と先生に言ったら、「どう痛いのですか?キリキリと刺すように痛い?絞るように?鈍痛?etc.etc.」と20個ぐらい、「痛い」という言葉を上げてくれたので、驚いてしまいました。
餅は餅屋だよね。
痛いという表現も、それだけあるのだな?と驚きました。
これも昔の話ですが、小学校で情緒を表す言葉をどれぐらい知っているのかの調査をした事があります。
明るいと暗いという感情表現の言葉ですが、小学4,5年生で明るい感情を表す言葉が7個ぐらいしか出なかったのです。
宿題にして「家族で探しておいで!」と言ったのですが、それでも20個は出ませんでした。
「暗い」という表現の言葉はその倍も出るのにね??
音楽も文学も絵画でさえも、それが理解出来る(共感出来る)というのは、時代ではなく、人の情緒ではないでしょうかね??Beethovenの言葉にもあります。
Von HerzenMoge es wiederZu Herzen gehn!(心から心へ至らん事を・・)です。
(親族からcommentの続きです。)
現代の小説でも、日本語に訳して、それをさらに書かれた言葉に訳そうとすると、けっこうとんでもない訳がでてきそう。その辺、詳しく言うと怖いことになりそうなのでやめときますね。
砂漠の国では貴重な一本の木が、ジャングルでは開発を妨げる敵ですからね。
環境が違えば、時代が違えば、当然のものが、全く未知のもの。
ショパンのイメージにあったピアノの音。プレイエルがそうなのかどうか、たんに近かっただけかも。
どっかのピアノ科の女優さんが彼のピアノを弾いているのが放映されていましたけど、あの音がショパンのイメージとすると、今のショパンの音楽って根底から覆される???
ピアノフォルテの音だって、「キンキンな音だ?」って思っていたら、素晴らしく柔らかい優しい音に出会って、頭の中に雷が落ちました。
初期のピアノもそうだけど、ピアノフォルテの音(そしてそれをもとに作られているピアノ曲)どんな音をイメージしていいのか、分かりませんね。
ところで共感ということで、蛇の足。
どんなに素晴らしい演奏でも、たんにピアノの音としてしか聞こえないことが多いのです。
でも、ポツポツでも、オタマジャクシの行進じゃない、音楽として響いてくる時があるんですよね。
そんな時、時間の経つのも、周りの状況もまったく分からなくなってしまう。
いいもんですね〜
2015-05-27
5月の10日に、子供達への曲の楽譜の渡しを終えて、今回は年長のorchestraの曲がないということなので、急遽、前回出来なかったbaroqueを復活させる事になりましたが、13日のcommentにも書いているように、兄貴の辛口messageだけでなく、先生達や梨紗ちゃんも、良い演奏を聴かせたのにも関わらず、「かったるい!」「眠くなる!」との感想だったので、12日は椎名町の事務所には誰もいないので、食事を食べに行く事もないので、purcellのChaconyに没頭しました。
baroqueのornamentや装飾法の事を調べようとして、様々な文献やhomepageを読むと、「ornamentや即興の技術は、神から与えられた才能の成せる技で、勉強したからといっても、どうなるものでもない。」と書かれていました。
確かに、文献を買い込んで来て、幾ら読んでも、なんの参考にもならないので、結局は、Jordi Savall先生達の演奏を聴くしかないのかな??
・・・しかし、私にとっては(芦塚メトードでは)、即興演奏やornament奏法の前哨戦として、Pianoの初級の段階のBach...のinventionの辺りから、Cembalo奏法の基本である、早いaccentを表す、trillやmordent、或いは弱拍を表すtrill、glissandoやslurを表すschleifer、或いは弦楽器のvibratoを表す、triller等、曲のarticulationやAgogik等のinterpretationで、その曲にornamentや即興を与えているので、生徒の誰がornamentを付けても、即興を書いても、その表現に変わりはないので、数学のように100点万点で、回答を付ける事が出来ます。
つまり、私の概念では、ornamentや即興には、才能や、能力は要らないのですよ。
少子化と齢を重ねて、この歳になったので、invention等の指導をする生徒も一人もいなくなってしまったので、「このtrillは強拍を表すtrillだよ。」とか、「このtrillは弱拍でしかも、decrescendoを表すので、こういう風に演奏するんだよ!」とかを昔のように小学生や、中学生に指導する事もなくなってしまいました。
寂しい事ですが、Facebookを始める時に書いたように、老兵はただ去るのみ・・・なんでやんすかね〜ぇ??
まあ、音楽の勉強を始めた最初からornamentの効能をよく理解していれば、baroqueなんて怖くないのですがね。
アハッ!
という事で、12日に、一日掛りで、purcellのChaconyに、ornamentを付けて、芦塚versionのinterpretationを作り上げました。
だから、私のornament奏法には、考える事や、ひらめきが降りて来るのを待つ必要はないのですよ。
しかし、まあ、「作り上げた」とは言っても、violin-soloのシテ・ワキの分だけで、basso continuoのcelloのpartや、Cembaloのpartは、余りにもヘボかったので、数字から訂正しなければならないので、熟考が必要なので、未だに保留になっているので、音声にdown loadしていないのです。
それに、・・・・・(ここで、また、話はrepeatして、)前回は、finaleで作り上げた楽譜から、音声fileを作ったのですが、私のパソコンには、CDのためのリッピングのソフトが、入っていないので、CDやDVDに焼いて、梨紗や先生達に聴かせる事が出来ません。
softと言っても、たかだか5000円ぐらいなので、買えば良いだけなのだけどね。
なきゃあ、ないで、free-softで、何とかしているのですが、free-softの場合には、一度、使うと、その都度、「買え!買え!!」と、後々、messageが入って来て、うるさいのですよ!!
free-softは、結構、困ったちゃんなのだよね。
mediaplayerでCDを焼いても、DVDで再生出来ないのですよ。
昔のDellのdesktopは、ちゃんとCDのsoftが入っていたので、そういう事はなかったのだけどね。
という事で、Cembaloの右手は全体の半分ぐらいは元の楽譜のままです。
・・つまり、未だ未完成なのです。
という事で、その間に、Greensleeves to a ground in Dorischをこの3日で作り上げたので、またぞろ、purcellのChaconyに戻って作業をするつもりです。
まあ〜、年甲斐もなく、よく働くよね〜??
いい加減休めば良いのにね〜〜??
蛇足ですが、椎名町のspinetはbaroque-violinのために、426cycleに調律しました。
415cycleは、標準Aを440に調律した時のAsのpitchで、教室の場合には、標準Aが443cycleなので、Asの音は418になります。
この415cycleのpitchを、今の日本のbaroque奏者達は、正しい正式な「baroque-pitch」と思い込んでいる人が多いようですが、これは20世紀に入ってからの便宜上のbaroquepitchなので、本当の本物ではありません。
間違わないように・・!
ヨーロッパのrecorderは基本435cycleでtuningしてあるのが、普通です。
その大きな理由の一つは、古いrecorderの殆どが、435でtuningしてあるからです。
baroque音楽を勉強しよう・・というviolinの人が、pitchを半音低く読み替えて、演奏するのは、邪道で絶対に良くありません。
反省しましょうね。
この話はスライド鍵盤のお話ではなく、baroque奏者がbaroque-pitchで演奏する時に、楽譜を読み替えする・・という事に対してのお話です。
分かりにくいかもしれないので、補足説明すると、このpurcellのChaconyのように、g mollで書かれている場合には、ges mollに読み替えて演奏する・・という意味なのです。
絶対音感のあるviolinの学生が、音の間違いに気付かないのは、この読み替えによるものが多いようです。
だから、便宜上の半音下の音のpitchではなく、435cycleや426cycle等の半音下以外の音になったら、読み替えは出来ませんよね。
violaを5度下げて奏くという弾き方も、日本の音大生の独特の間違えた弾き方です。
そういうあんちょこな勉強をしたら、行き詰まってしまいますよ。
人生さえもね。
てな事を言いながら、今回の発表会のために、椎名町のspinetのpitchを426から418に変更してしまいました。
これは、子供達がbaroqueの音楽を、443cycleで演奏するからです。
baroqueのために、2台Cembaloを持って行く分けにはいかないからです。
まあ、そんなどうでも良い事はさておいて、baroque音楽の重要な大曲の形式でもある、foliaやchaconneやpassacaglia等の変奏曲形式の奏法なのであるが、困った事に、その形式についての論文は洋の東西を問わず見当たらない。
baroqueから古典派、近現代に至る迄の作曲家達が、歴然とした形式を踏まえているのにも関わらず・・である。
Bach時代から作曲家の間には当然の如く周知の事実なのに、一般の音楽家達、楽典の本や研究論文には、全く触れられていない話が多いのは非常に面白い。
・・・という事で、暗黙の了解で、Hennry purcellのtriosonate g Chaconyに関しては、変奏曲形式で作曲しているのだが、Greensleeves
to a ground in Dorischに関しては、変奏曲形式は使用していない。
パーセルの作品目録番号は、アメリカの音楽学者フランクリン・B・ツィンマーマン(Franklin B.Zimmerman)によって作成された「Z番号」である。
番号は4つに分類され、「ZN」は新発見された曲、「ZT」は鍵盤楽器用の編曲、「ZD」は疑作、「ZS」は偽作とそれぞれ分類している。
また、パーセル全集は21世紀に入っても編集作業が続いており、いまだ完成していない。
(青い文字はWikipediaより抜粋)
まず、themaの入りのPeters版(Schleifer校訂版)では、冒頭のthemaはornamentは未だ、書かれていません。
というか、出版されているPeters版のChaconyには、ornamentは書かれていません。
ですから、Peters版はKarl Schleifer版となっていますが、なにを校訂したのかは、分かりません。
唯一、basso continuoのCembaloの右手のpartが書かれていますが、下手な理論的に間違いの多い、また数字譜の和音に従っていない、ヘボい和音付けです。
天下のPeters版といえど、その程度なのかな??
勿論、上記のYou Tubeの演奏には、細かい装飾音が付け加えて演奏されていますが、それは演奏者が即興的に、付け加えて演奏したもので、演奏者のoriginalになります。
昨日は、この曲をfinaleに入力しながら、ornamentも書き込みました。
曲が膨大になるので、homepageには、今回は、取り敢えず、このthemaのornamentだけを、私の校訂として、このhomepageにupする事にしました。
以下のようになります。
ornamentは、強拍を表す装飾音と、vibratoを表す装飾音、decrescendoを表すtrillと、glissandoを表すschleiferだけを使用しています。
本当は、もう少し色々な装飾音を使用したかったのですが、finaleに常備されている装飾音は、それだけなので・・・ね!!??
勿論、generalbassも私が作ったものです。
演奏するのは簡単なのですが、いちいち、finaleに入力するのは、とても面倒くさいのですよ。
声部か変わるといちいち、レイヤーを変更しなければならないのでね。
余談ですが、奇しくも、この曲の校訂者の名前もschleiferですよね。
通常は、ornament譜だけなのですが、斉藤先生の希望で、finaleに入力したoriginalの楽譜の上に、新しい段を作って、その段にornamentを書き込みました。原曲のmelodieと対照させるためです。
練習番号2はVariationTです。
この曲は、単なる装飾的variationであると同時に、全体的にCanonの手法のpolyphonyの形式で書かれています。
所謂、triosonateの中の、kirchensonateの様式で作曲されています。(chaconneだから、cantus firmus in bass所謂、groundなので、当たり前ですがね。
一応念の為にの確認です。
1stが先行する交唱です。)
練習番号3はvariationUです。
ややこしいのですが、themaが練習番号1なので致し方ありません。
さて、VariationUもTと同様に自由なCanonの型ですが、シテとワキが入れ替わって、2ndが先行して、1stが後行します。triosonateでもKammersonateの場合には、1stがシテ、で2ndがワキの場合が多いのですが、kirchensonateの場合には、対位法的なpolyphonyの作品なので、1st、2ndは対等に書かれます。
これも、様式的に言えば当たり前の話なのですが、一応老婆心までに確認しておきます。
homepage上にYou Tubeで見つかったYou Tubeにuploadされているこの曲の他の演奏をlinkさせておきました。
「芦塚先生のお部屋」⇒予告、or、「芦塚先生のお部屋」⇒楽典のお話⇒Hennry purcell triosonate g Chacony Ashizuka-version、若しくは、「芦塚先生のお部屋」⇒教材研究とAnalyse⇒Hennry
purcell・・・で、入れます。
暫くの間は、面倒くさくても、ご辛抱ください。
まあ、そんなどうでも良い事はさておいて、baroque音楽の重要な大曲を構成する形式でもある、foliaやchaconneやpassacaglia等の変奏曲形式なのだが、困った事に、その形式についての論文は洋の東西を問わず見当たらない。
baroqueの作曲家達から、古典派、近現代に至る迄の作曲家達が、歴然とした変奏曲の形式を踏まえているのにも関わらず・・なのです。
作曲家達の間では、当然の如くの周知の事実なのに、一般の音楽家達、楽典の本や研究論文には、全く触れられていない話が多いのは非常に面白い。
つまり、baroque奏法が、Mozart奏法と呼ばれたり、古典派の奏法として、或いは、Wien奏法として、こんにち、生き残っているのにも関わらず、その奏法は誰も知らない・・という不思議な事実があります。
さしずめ、宮本武蔵の五輪の書のように、「・・以下、口伝」という事なのでしょうかね。
・・・という事で、暗黙の了解で、Hennry purcellのtriosonate g Chaconyに関しては、変奏曲形式で作曲しているのだが、Greensleeves
to a ground in Dorischに関しては、変奏曲形式は使用していない。
最初の動画に付けていた、長崎旅行云々のcommentも削除されてしまいました。
他の人達の「いいね!」も消えてしまいました。
この写真は、長崎への帰省の時の写真をランダムに集めたものです。
主に高速と雲仙の山、高速の大村サービスエリアの大村湾のviewです。
もう一度、何とかしようかとも思ったのですが、この動画は、曲のarrangeの途中経過の作品なので、完成したら、削除する予定なので、暫くの間は、Titleを間違えたままにしておきますので、悪しからずご了承ください。
2015年5月28日
Hennry purcellのtriosonate g Chaconyの大元の楽譜はedition Petersですが、個の楽譜は、兎に角、continuoが酷い!
確かにこの曲は対位法的な複雑な動きをする曲であって、Vivaldiや、corelli等のように、明瞭な和音進行の曲ではないので、和音を書き加えて行くのは超難しい難解な曲ではある。
こういった難解な曲を簡単に数字付き低音に和音を付け加える一番安直な方法は、上二声のpartをそのまま、コピペする事なのです。
この楽譜のarrangeも殆どそうなってしまっていて、ドイツの有名な教授かもしれないが、マジ「ズブの素人か??」と疑うばかりである。
「上二声のmelodieのコピペがなぜ悪いのか??」
そりゃあ、演奏する時に、音痩せしてしまうからであり、それなら、basso continuoのCembalo(Organ)partは必要ないからである。
今回uploadしたChaconyは、上二声のpartには、articulationやAgogikに合わせて、合理的にornamentやimprovisationを施したのだが、未だ製作途中という事で、肝心かなめのCembaloのpartは未だ作成途中で、半分迄しか進行していないのだが、明日の木曜日から、日曜日迄は、one
lessonや、orchestraの指導、室内楽の指導があるので、ハイツに戻って来るのは、深夜を回っているので、仕事が出来ないので、この先、楽譜の手直しは、月曜日迄、保留になってしまいます。
金曜日には、梨紗と斉藤先生がbaroqueviolinで合わせをやるので、その時迄には、メドを付けておきたいよね!
あ〜ぁ!時間がない!!
ジャネーさんの法則かいな??
それジャ〜ネ〜!!
下の楽譜は、purcellのこの曲のthema(cantus firmus in Bass)です。
5小節しかありません。(通常なら、このthemaのcaseなら、4小節ですかね??寧ろ、5小節もある!!と言うべきかな??)
5月も終わりだというのに、今日も朝早よからpurcellのtriosonateのChaconyのCembalopartをセッセカ作っていたのだが、部屋の中が、なんとも寒い!
「今日こそはストーブをしまおうか??!!」と、思っていたのに、兎に角、部屋の中が寒い!!
風邪引きそうに寒いのだよ!!
押し入れにしまい込むつもりで、洗濯をしてしまった冬の部屋着をまたぞろ引っ張り出して来て着ている。
purcellのtriosonateのbasso continuoのpartは、作っていて思うのだが、やはりChaconyは、genreがkirchensonateなので、伴奏はCembaloではなく、Organのような雰囲気になってしまうのだよな。
幾ら書いてもCembalo用にはならないので、とうとう諦めて、Organpartに変更して書いているのですよ。
時々、漫画家が、自分の書いている漫画の主人公が思うように動いてくれない言う事を聴いてくれない・・と、悩んでいる話がありますが、正にそういった感じで勝手にOrganのpartになってしまうのですよ。
basso continuo用のOrganと言えば、昔々、私が未だ若かりし頃は、自分がcantataを演奏する為に、携帯用のpipeorganをideaを出して、演奏会のために作ったのだよね。
その頃、私の下で、assistantをしていた歌の女の子にcantataの独特の発声法を教えて、自分の生徒達で作ったorchestraを引っ提げて、教会をめぐってcantataの演奏会をして回っていたのです。
その頃は、未だ日本には、大きな教会と言えども、未だ、pipeOrgan等というものは存在せず、(唯一、例外的に、NHKと武蔵野音大にはあったけれどね。)黒田オルガンという電子Organが、主流となって、pipeorganの代わりに教会には置いてありました。
未だに、本当のpipeOrganはなかったのですよ。
そこで、本当のpipeorganの音を・・という事で、自分が自分達だけで、演奏会場に持ち運べるように、考え得る限りの工夫をして、世界初の携帯用 positiv organを作りました。
しかし、それがあまり実際の使用に至らなかったのは、pipeorganの重さもさる事ながら(・・というか、Organ自体は、そんなには、重くなかったので、Organ本体に持ち手を作らなかった・・という事が、大きなミスで、重さだけを気にしていたので、Organの持ちにくさは、考えなかったので、重さが倍に感じられたのですよ!!)、二つ目のミスは、そのOrganを作った頃は、未だbaroqueviolinというものが、製作されてなかった頃の古の昔の話なので、pitchがmodernviolinのために、442で作ってあるので、Vivaldi等のbaroqueの音楽の演奏を外でやるためには、pitchが高すぎて、チョッと困るのだよな??
それに、一般の人達が、Organに対して抱くimageは、大型のpipeorganの音であって、cantataのcontinuoや、baroqueorchestraのcontinuoを演奏するcontinuoOrganというOrganがある、という事が、未だ一般的には知られていなかったからです。
だから、pipeorganという事で、期待をした人達が、小さなOrganを見て、期待外れをしたのですよ。
つまり、 positiv organという物がある事を、未だ誰も知らなかった・・という事ですよね。
それに、「私の設計したpipeorganが、世界初の positiv organである。」という意味は、本来は、 positiv organという小さなOrganでも、基本は、標準の16’8’4’の3列はあって、楽器としては非常に重たいものだったのですよ。
或いは、もう少し小型で、16’を持たないで、8’8’4’という3列の positiv organもありました。
8’8’がpipeorgan特有の金管の音と、同じ標準の8’で木管の音を持って、pedalを16’にしたOrganは軽いのですが、勿論、だからと言っても、『持ち運ぶ』・・という意味はありませんでした。
大型の positiv organは、4’8’8’に16’でそれだけでも、大型のpipeorganのように重厚な音がして、それに32’が入ると、大きな教会のOrganにも遜色はとりません。
・・で、Organの先生に「32’のpipeは何処にあるのですか?」と質問したら、足元のpedalの周りに蠢いているアナコンダのような巨大な物を指して、「これが32Feet’ですよ。」と、教えてくれました。
positiv organとは言っても、大きめの positiv organになると、だから、その基本の音列しかない positiv organでも、16’が入ると500`を有に超えてしまって、専門の業者でないと持ち運べないのですよ。
但し、 positivは持ち運びを想定している分けだから、500`あったとしても、しっかりと台座に固定されていて、台座ごと大型トラックで運ぶので、専門の業者の人達に言わせると、そんなに重くはなく、移動は簡単で大した事は無いそうです。
もっとも、Organ製作者の人は、教室に運ぶのに一人で本体の中央部分を抱きかかえて、「大した事はないですよ!」と言っていたのですよ。
ホントに、「餅は餅屋」だよね。
いずれにしても、pipeorganの小型の positiv organであったとしても、pipeorganは基本『持ち運ぶ』という発想自体がないのですよ。
一番左側の大きめの写真でも分かるように私の製作したpipeorganは台を除いて、右と左のpipeの部分と本体の部分の3つに分解できるし、フイゴに弁が入っているので、関西や関東で電圧が変わった状態で演奏しても、pitchが変わらないようになっています。
楽器をバラすと、自分達のバンやワゴン車で運べるという利点があります。
携帯用のOrganという事については、勘違いしないように、老婆心から確認しておきますが、 positiv organよりも更に小さな卓上に乗る小さなpipeorganがあります。
写真の一番右下の可愛いOrganです。
4feet一列で、octaveぐらい鍵盤しかないpipeorganもありました。
しかし、このOrganはフイゴが小さいので、和音を弾く事が出来ないので、melodieの一声部しか弾けません。
教会のchorusで、歌のmelodieを補充するものでした。
これではもう、Organとは呼べないかな??
例外的に、cantataのChoralのmelodie(旋律)をchorusと共に、受け持つ事がありますが、こんにちでは大型のpipeorganがその小型のpipeorganの代用します。
何故なら、この古いpipeorganでは、音が余りにも音が小さくて、大orchestraや大コーラスの音に負けて、聞こえないからです。
教室のpipe organのお話に戻って、このOrganを作った切っ掛けは全くの偶然でした。
兄貴の家を訪問して、当時は未だ元気だったので、北区から歩いて練馬区江古田の(当時の)自宅に帰宅するために、河川敷を散歩していた私達が、偶然、黒田Organの工房を見つけて、図々しくも、工房に見学しに行って、そこで、若い職人の人に私のideaを話たら、皆さんが面白がって聴いてくれたからです。
当初は、自分が研究をしていたcantataのために、このOrganを作ったのだけど、実際の用途では、cantataだけではなくて、baroqueorchestraのbasso
continuoのためや、violinのsoloの伴奏等に使用するのが普通です。
日本のbaroqueの演奏会では、通常はbasso continuoはCembaloで演奏されますが、corelliやVivaldi等のbaroqueの作曲家達にとっては、Organで通奏低音を演奏するのは、当たり前だったのですよ。
それに、baroqueの室内楽のgenreの一つでもあるkirchensonateは、基本はCembaloではなく、Organ伴奏が基本なのでね。
勿論、violinsoloの曲もOrganで伴奏する事が多いのですけれどね。
しかし、先程もお話したように、日本ではやっと、pipeorganが一般にも聴けるようになって来たばかりで、 positiv organという存在は未だよくは知られていないようですけれどね。
「閉管について」
閉管についての説明のPageが、探してはいるのですが、全く見当たりません。これも、もう一度、新たに書かなければならないのかな??
本当の波形のちょうど、真ん中の部分で、cutすると、理論上は半分の波形で、同じpitchの音がします。
黒いフェルトの部分で閉管のpitchを調整します。ですから、このpipeorganが、普通のpipeだとすると、この管の2倍の長さがあるのですよ。
2月28日「教室のpipeOrganについて」 ・
私が日本に帰国して直ぐの時には、弟子達にviolinやcelloの演奏法の他にも、歌の生徒に、cantataの特別な呼吸法を指導して、その生徒が或る程度、cantataが歌えるようになると、他の私の弟子達と一緒に、solo-cantata(※)で、教会でのcantataの演奏をして回っていました。
勿論、Bachのcantataだけではなく、VivaldiやPergolesiやHandelやその他多くの作曲家達のcantataです。
(※)cantataはドイツの村々では、毎週日曜日に村の教会の楽団がGottesdienst(日曜礼拝)の時に、演奏をしていました。
Bach先生は1年、365日のそれぞれの日のGottesdienstに合わせて、曲を作曲しようとしていましたが、2百数十曲を書いた所で、寿命が尽きてしまいました。
Bachの作品目録はBachの作品番号としてBWV(Bach-Werke-Verzeichnis=バッハ作品目録=そのままの意味ですが)1番から216a番まで・・(作品には小文字のaが付いている番号がありますが、後で、発見された曲を足すために、小文字のaが付いた曲があります。)と、後日、完全に「偽作である」と証明された曲があります。
cantataはミサ曲や受難曲とは違って、曲も比較的(ミサ曲や受難曲は演奏時間が有に4時間を超えるものも多くありますし、orchestra等も大orchestraで、演奏には、非常に多くの人数を要します。とても、村の教会で、その村の教会の専属のorganistがこなせるものではありません。本来ならば村々では、毎週の日曜日毎に、cantataが演奏されたはずなのですが、そこはその教会に所属しているorganistの力量によります。
baroque時代の多くの作曲家達が、cantataの作曲を手掛けましたが、弦楽orchestraとsoloの歌だけで演奏出来るsolo‐cantataというgenreがあって、多くの演奏家達を所有していない小さな村の、小さな教会に取っては、非常に貴重な演奏可能なcantataのgenreになります。
私が日本に帰国したばかりの頃は、未だ本物のPipeorganを所有している教会は非常に少なく、ヤマハのエレクトーンや、黒田さんの黒田Organと言う電子楽器が、Pipeorganの代用をしていました。
(ヤマハやカワイ、黒田オルガン等の教会用の電子楽器は、通常のエレクトーンや、電子楽器とは違って、ただの電子Organと言うものではなく、世界中のPipeorganの音や、世界のHallのacousticを出せる非常に高価な楽器でした。当時としても、500万ぐらいの値段でした。つまり、教会で使用するための専用の電子楽器だったのですが、やはりPipeorganの音に比べると、本物には比べるべきものではありませんでした。)
その当時は、兄貴は北区の一軒家に住んでいました。
そのご近所さんにお願いをして、中学生の子供を、指導の勉強にhome‐lessonに場所を借りていました。
だから兄貴の家には、時々、生徒の指導の様子を見るために、訪れていたのですが、その帰り道に、気が向いたので、「歩きの散歩」をしながら江古田の事務所に向けて、散歩をしながら帰っていた時に、偶然に黒田Organの工房を見つけて、アポなしに工場見学をしました。
その時に、私が、「cantataに使用する、そんな楽器があったら良いな??」と思っていたideaを色々と披露して、「個人でも運べる positiv organ」の話をしたら、工房の人達が面白がって、それで、社長の黒田さんが「pipeの実費を出すのならば・・」と言う事で制作を引き受けてくれました。
Organを作る作業料とか技術料は、私の30数項目のidea料と相殺と言う事でpipeをドイツに注文する費用だけで作ってくれました。
・・とは言っても、Pipeの材料費だけでも、ウン百万はするのですがね??
当時は、世界的にも、未だperiodという言葉さえ無かった時代で、単に「現代の解釈で、baroque音楽を演奏する」・・という事が、総て・・だったのでですが、Organを作るに当たって、「pitchをbaroqueにするか、modernのままのpitchにするか??」と言う事を悩んでいましたが、当時は未だbaroque-pitchが一般的ではなく、それ以上に、pipe organの利用頻度、演奏回数を考えると、「baroque-pitchは、通常は、有り得ない」と言う事で、modern-pitchを採用する事にしました。
まあ、pitchはmodernでも良いとしても、次には音量の問題です。
利用頻度から考えると、solo楽器に対しての、basso continuo用のOrganというよりも、20名ぐらいの小編成のcantataの為のorchestra用のcontinuoの楽器としてのneedsを考えていたので、baroque編成のorchestraのbasso
continuo専用のOrganと言う事で、音量は、soloの楽器としての、音量よりも、少し強めになっています。
ですから、演奏会でviolinの伴奏と言う事で、持って行くとしても、solo-violinの伴奏用の楽器としては音量が強すぎるという問題が派生します。
soloの弦楽器の為だけではなく、4名で演奏する、(2台のviolinとcontinuoのcello(gamba)Cembaloの為の、)triosonateの場合にも、少し、強すぎるかも知れません。
でも、それは演奏会の会場の場合の話で、録音をする時には、PAのmikeの位置を調整する事で、録音用には何とか音量の調整が出来ます。
まあ、いずれにしても、このPipeorganは、当時演奏に回っていた教会での、solo‐cantataの演奏用を想定してorderした楽器なのです。
その後、教室を開設してからは、教会にcantataを演奏しに行く事はなくなってしまいました。
その理由は、教室の発表会と、教会でのcantataの演奏のDouble‐stageでは、私の負担が大き過ぎたからなのですがね。
発表会では、車でCembaloとOrganの二つの楽器を会場に持って行くのはとても、負担が大きいので、2,3度、発表会会場に持って行っただけで、後は、Organは演奏の場が無くなってしまい、単に、教室のdisplayになってしまっていました。
世界でも稀な positiv organなのに、displayとしてしか、使われていないのでは、余りにも勿体無いので、今回は、斉藤先生に、baroque‐violinとOrganの演奏を公開する目的で、Veraciniの「passacaglia
sonate accacemiche Op.2Nr. 12 d moll」を、16年の4月3日の発表会での演奏のために、orchestra用に、arrangeしたついでに、折角、同時並行で作り上げたCembalo用の譜面を、今度はOrgan用に書き換え始めました。
Organ譜の作成は、今日、18年2月28日、(2月の最後の日)からになります。
Cembalo譜の場合には、Cembaloという楽器は音量が弱いので、右手の和音を厚めにして作曲します。
しかし、Organの場合には、逆に、音量が強すぎるので、なるべく音を薄く作ります。
また、Cembaloの場合には、basso continuo(左手のmelodie=基本的にはcelloと同じmelodieになります。)に対して、右手は、和音として演奏しますが、Organの場合には、右手は「和音として」ではなく、「melodie(旋律)」としてbasso continuoに対しての対旋律(Kontrapunkt)を作ります。
基本、優しい柔らかいpassageでは、音量を弱くするために、対旋律は、1声部の、都合2声部の書法で書きます。
元気なfortissimoのpassageでは、3声部や4声部と必要に応じて、声部を増やして音量を増やして行きます。
Organのpartに、和声学上の禁則を書くのは、言語道断の事なのですが、海外の権威のある楽譜でも、Cembaloとsoloのpartが引き起こす禁則に付いては無頓着です。
異種楽器なので、同じ声部間の禁則のようには、目立たないからなのですがね。
しかし、禁則は禁則なので、異声部間の禁則も厳密に対処するのが本当なので、Organとviolinのpartとの禁則が起こるとまずいので、細心の配慮が必要になります。
取り敢えずの叩き台の楽譜は、edition Petersの版を使用していますが、やはり、basso continuoのaussetzungは素人っぽくって、とても上手なaussetzung だとは言えません。
どっちみち、書き直すので、私に取っては、関係はないのですがね???
まあ、いずれにしても、この曲のvortragsのコンサートの日にちが決まっている分けではないので、のんびりやって行きます、・・と言っても、もう3部に分けた内の、T部を完成させてしまいました。(2月28日の内にです。)
finaleのsoftの悪口を何時も言っているのですが、オモチャにしても、実際の音でcheckが出来るのは、とても楽です。
但し、notationのsoftなので、音量とかは自由にchange出来ないので、そこいらは、やはりヘボいのですがね??
・・・てな事を書いている間に、未だ、2月1日の朝の9時前なのですが、V部も完成させてしまいました。
U部は、チョッと、身構えなければならないので、今日はもうやらない事にします。
目が限界に差し掛かって来たので、今日は目を休めないといけないからね??
と思って、2月中には、風呂にでも入って寝る予定でだったのですが、chatが入って来てしまったので、chatの相手をしながら、平行で一緒に作業をしていたら、(まあ、次いでに、)残りのU部の校訂も終わってしまいました。
・・と言う事で、F.M.Veraciniのpassacagliaは、丸々1日掛かりで、第T部から、U部、V部と全部終了してしまいました。
(28日の深夜から1日の朝に掛けての、18時間ぐらいの時間です。今年は閏年ではないのでネ??)
バテたぞよ??
今から頑張って寝込むぞよ??
ちなみに、叩き台にしたPeters版の元の譜面は、Cembalo用の譜面です。
私が入力したfinaleの楽譜には、右手のpartは入力されていません。
ですからPeters版を見ながら、それを叩き台(※)にして、Organ用の譜面を作って行きました。
(※)今、ふと「『叩き台』・・という意味が一般的には別の意味で解釈されるよな??」と思い付きました。
一般的には、「敲き台」というのは、それを元にして、その上に改定を重ねて行くという事になるのでしょうかね??
つまり、元の形をarrangeして推敲をする・・という意味ですよね??
それならば、basso continuoの「 bezifferten Bas」の場合には、「叩き台」という言葉は使えませんよね??
何故ならば、数字譜の場合には、basso continuoの上手な人に拠る右手の回答は、答えが同じになってしまうからなのです。
baroqueの鍵盤partの bezifferten Bas(所謂、数字付きBas)なのですが、一々、音符を書かなくても良い為の、作曲家の速記法なのですが、ジャズやrockのような自由さはありません。
jazzの場合には、chordは指定されていても、その配置迄の指定はないからです。
和音が決められているだけでなく、同時に、和声進行や、非和声音等の動きも細かく指定されているので、誰が解いても、大体同じような楽譜が出来上がります。
上手な人になればなる程、模範解答に近づくので、上手な人の書くbasso continuoは、誰が書いても、同じ楽譜になってしまうのですよ。
しかし、下手な人が書くと、それこそ、面白い回答集が出来上がります。
ヨーロッパの権威のある楽譜と言えども、この bezifferten Basに関しては、碌な回答はありません。
音楽学者やCembalistが回答を書くので、間違いが多くて困ります。
また、演奏効果も然程ではありません。
元来はperiodの演奏家達は自分で作るので、それこそ、叩き台にもしない場合が多いのです。
proの演奏家の場合には、baroque音楽の譜面は、出版されている楽譜を演奏する事はありません。
period奏法の場合には、それぞれの演奏家達が自分の演奏をするのがruleなのですからね。
出版されている楽譜に書かれているCembalo‐part等の楽譜を使用して、演奏するのは、一般の音楽愛好家か、未だ未熟な音大生ぐらいだけなので、proの演奏家達が参考にする事はないのですよ。
・・と言う事で、今、私が参考にしているPeters版でも、Petersの校訂者がちゃんと模範解答として、正しく回答出来ている所は、私が回答を作成しても、全く同じような譜面(回答)になります。
しかし、今回は、Cembalo譜として・・ではなく、Organの為の bezifferten Basなので、そのPeters版の bezifferten Basの回答が正しい回答だとしても、Organ用には使用出来ません。
全く新しく、編集、回答し直さなければなりません。
練習の過程で暫時、またまた、修正していくので、仮に、Peters版を参考にして bezifferten Basを書いたとしても、Peters版の面影は全くない、完全なAshizuka‐versionが出来上がる事になります。
叩き台があろうとなかろうと、 bezifferten Basの場合には、回答の違いはないのです。
今日は3月3日、雛祭り兼満月の朝9時前です。
朝の体重測定を終えて、Veraciniのpassacagliaを書き上げました。
Veraciniが書いているviolinのsoloのmelodieと対旋律のcontinuoのmelodieに対して、更にもう一声部を書き加えるのは、作曲家の腕が確かな場合には、その作曲家の書き下ろした声部が非常に強いので、非常に難しくなります。
作曲家の腕がそんなに確かでない場合や、多作で、書きなぐった兆候がある場合には、その声部は弱いので、新たに声部を加えるのは比較的楽です。
Veraciniは、BachやHandelに劣らない非常に優れた作曲家なので、もう一声部を書き加えるのは、至難の業でした。
なんと、3日も掛かったぞよ??
生音が撮れる迄の応急処置として、何時もの様にfinaleの音源でも、載せて起きますかネ??
何度もお話しているように、声部が5度で交唱をしているので、大変聴き取り難いので、soloの声部を、木管楽器の音色にしました。聴き取り易いように・・・です。
https://www.youtube.com/watch?v=HzmyhX_iV7I
https://www.youtube.com/watch?v=YGjdvIKM7zU
2024年の10月13日の美浜文化ホールのmainHallでの演奏になります。
baroque‐ViolinT 斉藤純子先生
baroque‐ViolinU 千野瑞希(高3)
viola da gamba 山本珠加
Cembalo 中島碧人
芦塚陽二校訂
2024年のFacebookより抜粋
『Hennry purcell TrioSonate Chaconne in gのAshizuka-versionの新規改定版について』
今は5月15日の水曜日の朝の6時半になった所なのです?が、一昨日の病院行脚の時から睡眠時間が狂ったままで、1日の睡眠のrotationがひっくり返ったままで、深夜に眠れなくなってしまいました。
(仮眠程度の睡眠で病院に行って、帰ってから眠り直したから、夜に眠れなくなってしまったのです。)
昨晩も、眠れないままに、今回の秋の発表会で、古楽器で演奏予定の「Hennry purcellのTrioSonataのChaconne in g」のperiod奏法での演奏譜への書き直しの作業をしていました。
このchaconneは、2015年の10月の11日の秋の発表会で、baroqueの古楽器の演奏として、生徒達に演奏をさせた事があります。
もう、9年も前の話になってしまいましたが、時の流れは早いものですよね??
このPurcellのChaconneは、弦楽orchestraのChaconneのgと同様に、非常に優れた作品なのですが、演奏法が非常に難しく、You Tube等模範の演奏を探しても、なかなか、優れた演奏を見出す事が難しく、私としても、古楽器に拠るbaroqueの演奏の曲目としては、生徒達に課題として与える事が難しく、懐を温めるだけで、これまでも、演奏する為の曲としては、日の目を見る事が無かったのです。
そう言った理由で、机上のfinale上で、色々と、研究するだけの曲だったのですが、或る時に、偶然、netの論文で、ornamentに付いて書かれていた論文を読んだのですが、それに拠ると、「即興やornamentは天賦の才であり、学習をする事は出来ない」と書かれていて、それが一般的なornamentに対しての、通説だという事を知りました。
そのnetの論文の一節を前にして、その一般的な通念に対する私のAntitheseとして、このPurcellのTrioSonateのChaconneを使用して、私の主張を具現化する事を思い付きました。
つまり、情緒的・感情的な意味合いを一切、持たずに、唯、音楽理論的にornamentを与えて演奏をすると、どのようになるか??というVersuch(試み)です。
まあ、しかし、それ迄にも、basso continuoのCembaloのpartを作ったり・・と、して、いつでも公開演奏が出来るように、準備を整えていたのですがね〜ぇ??
古楽器を使用して、baroqueのpitchで、periodに拠る奏法で・・となると、たかが、巷の音楽教室に取っては、hurdleが高過ぎるのですよ。
そんなに音楽に対して、熱心な生徒は、皆無と言っても良いのだからね〜ぇ??
私のornamentに対する考え方は、「ornamentは、情緒的・感性的なものではなくて、基本的には、殆どのornamentや即興は、単なるarticulationに過ぎない」という考え方なのです。
つまり、弦楽器のvibratoがtrillになって、legatissimoがschleiferになる。accentがmordentになって、音の持続が長いtrillerになる、と言った具合です。melodieの終わりの弱拍の音はpralltrillerで表現します。
つまり、弦楽器の微妙な音楽表現は、ornamentで全部、表現する事が出来るのです。それらの音は、音楽的な情緒表現では無くて、音楽理論の音楽表現の世界に属します。つまり、melodieの最後の音のTonikaの音は、常に弱拍でなければならない・・と言った風に、です。
私のこの主張を証明する為に、2015年の10月の11日の秋の発表会では、このPurcellのTrioSonate Chaconne in gの曲を使用して、曲の演奏上のarticulationとして・・のみで、ornamentを使用する事にしました。
基本となるornamentの使用は、強拍を表すtrillとmordent、legatoを表すschleifer等のornamentのみの使用になります。
勿論、baroque-instrumentsの使用と、当然ながら、baroque-pitchなのですが、これは、こんにちの暫定的なpitchであるslide鍵盤に拠る所の418cycleを使用しています。(直前までのVivaldi等の2回オケや室内楽の演奏が、modern-pitchなので、暫定的なpitchの使用は、致し方はありません。)
vibratoを極力省いて、純正の響きを取る事も、period奏法としては、当然の事です。
通奏低音の弦楽器は、baroque-Celloでは無くて、viola da gambaを使用しています。(baroque-violinに対して、full sizeのCelloでは、音量的に強過ぎるので、通常では、Baroque-Celloは3/4のsizeのCelloか、1/2sizeのCelloで、basso continuoの演奏をします。Baroque-Celloは、基本的にそのsizeで作ります。それでも、音量・音色的には、あまり良く無いので、viola da gambaが、通奏低音の楽器としては、理想的な音量と音色になります。)
牧野先生が演奏しているviola da gambaは、勿論、私が私財で、購入した楽器ですが・・
そう言った事で、先ずは、最初の演奏となる、2015年の10月11日の演奏では、型通りに、Cembalo伴奏のversionで演奏したのですが、その発表会の後では、chaconneというpolyphonicなstyleから、Cembaloよりも、 positive organの方が、より演奏効果がある・・と、思い立って、continuoのpartをpositive organでの伴奏へと、変更をしました。折角、教室には、私の考案した positive organがあるのだから、それを使用しない手は無い・・という事なのですよ。
Veraciniのpassacagliaも、VitaliのChaconneも positive organでの録音が出来ているのですが、このPurcellのChaconneに関しては、 positive organ-versionでの公開演奏は、今の所は、未だ出来ていません。今年の課題かな??
2015年10月11日の発表会での演奏は、生徒達の初めてのbaroqueのperiodの演奏へのapproachがmainなので、lesson-oneとしては、ornamentの演奏を中心に指導したので、baroqueの慣習的なrhythmのskipや、swing等の変更迄のapproachは、あまり、していません・・というか、出来ませんでした。
・・と言う事で、今回は・・と言うか、昨晩は、baroque時代のrhythmの慣習的な演奏法を、演奏譜として、実際の譜面に書き込む作業をしました。譜面に書いてさえあれば、古楽器初心者であっても、弾けない・・と言う事は、無いからね??
Purcellのこの曲の演奏の難しさに付いては、以前にもFacebook等に書いた事がありますが、非常に早いtimingでのシテ・ワキの変更なのです。
それに加えて、Variation毎に、目まぐるしくtempoが変わる事で、それがthemaの「絡め合わせ」と相まって、複雑怪奇な事になってしまい、演奏上の難しさ(interpretationの難しさ・・)になっています。
演奏者がワキに合わせるのでは無くて、自分のtempoを断固として演奏して、或る意味では、半ば強引に、自分のtempo感を主義主張するような演奏のstyleでなければなりません。
ensembleとは、協調を良しとするので、それに真逆に対立する、そういったstyleの演奏が要求されるTrioSonateの曲は、他の曲では、見受ける事が無いので、そう言った意味に於いても、この曲の演奏は、慣れない事を要求されて、難しいものがあります。
この曲の演奏を、より難しくしているのは、cantus firmus、所謂、定旋律のthemaが、長大な曲でありながら、全く、転調等をしないで、同じ音の上で、延々と演奏される事でもあります。
それが、何故、曲の演奏を難しくしているのか??と疑問に思われるかも知れませんよね??
通常の場合の、長大なChaconneの曲の場合には、或る程度のgroupingの中で、cantus firmusのthemaの調性が変わる事が一般的なのです。(つまり、転調をする・・と言う意味です。)
長大な音楽の場合には、Sonate形式のように、第一部、第二部、第三部・・等々・・、或る程度のgroupで曲を纏める必要があります。これは作曲上の話だけではなくて、演奏上もとても大切で、必要なgroupingになります。Variationのような、淡々とした装飾変奏が続く場合には、一つの変奏のgroupを、一つの塊のgroupとして、弾き通す事が重要な要素になります。そして、大きく3部構成とか、4部構成の曲として演奏するのです。
これは、VitaliのChaconneも、Pachelbelも、それこそ、Purcellでも同じです。否、BeethovenのVariationでも、Brahmsでも、Rakhmaninovでも、基本の演奏styleは変わりません。
・・と言う事で、当然、VitaliのChaconneも、曲の途中で、Basのcantus firmusの調が変わります。
(つまり、転調をして、次のgroupingに移動する・・という意味です。)
それで、長大なChaconneの曲が、単調になるのを避けているのですが、このPurcellのTrioSonateのChaconneは、長大な曲であるにも関わらず、cantus firmusの調を固執しています。
(つまり、長大な曲であるにも関わらず、転調を全くしないで、元の調のままで、最後まで演奏されているのですよ。)
その分、和音の響きがより複雑になり、演奏上の難しさが、増して行きます。
Purcellらしい・・複雑さ、と言えます。
まあ、最終案ではありませんが、groupingの例として、3部構成で演奏するとして、Variationの1〜14迄を第一group、15〜30迄を第二group、31〜44迄を、第三groupとすると、第一groupが14小節なのだけど、最初の小節はthemaなので、thema1+13小節になって、第二部が15小節で、第三部が13小節と、結構balanceが良いと思われるのだがね??未だ、最終案では無いけれど、一つの案として・・ですがね??
今回の秋の発表会の演奏では、前回の発表会で演奏をしたornamentに加えて、更に、periodに拠るrhythmのswingやskipの演奏を試みるつもりです。
・・と言う事で、昨晩は、前回に作成したornament譜を、更にperiodの演奏譜として、書き直す作業をしました。
演奏譜なので、パソコンの音源としてYou Tubeにuploadしました。表現があまりにも細かくなってしまうので、強・弱に拠るシテ・ワキの変更は、やっていませんが、それなりに、近い所迄の表現は出来たのかな??
finaleはあくまでも、notationのsoftであって、演奏のsoftでは無いので、限界がある事はご承知おきください。
それはそうと、今はもう夕方の6時になっていました。
今日は朝から、分厚い雲で、雨が降っているのだ・・と、思っていたら、下の公園では大勢の子供達や大人達が遊んでいました。雨は降っていないようです。
ほんとうに・・・鬱陶しい、梅雨のような空です。
PurcellのChaconneには、うってつけの天気かな??
夜の食事の時間は、一転して大雨になってしまいました。
往きも復りも、手が悴んでしまって、大変でした。パソコンのkeyが打てなくなってしまいました。冷たくて・・
rain-coatでは無くて、rain-suitにしたのだけど、正解だったよな??
今日は5月16日の木曜日のお昼です。
このPageに掲載している動画は、8年も前の2015年の10月の11日の秋の発表会での古楽器の演奏風景なのです。
https://www.youtube.com/watch?v=ov_9VG0R2v4
曲はHennry PurcellのTrioSonateのChaconne in gです。
正式な名称は、Sonata No.6 in G minor, Z.807なのですが、 Chacony", from 10 Sonatas in Four Parts・・所謂、「Chaconne 4声部の10のSonateより」と、なっていて、「TrioSonate」とは、どこにも書いてありません。
この4声部と言う名称は、かなりの癖者で、g mollのTrioSonateに関しては、Twelve Sonatas of Three Parts: Sonata No. 1 In G Minor, Z.790:という事で、3声部の12のSonateになっていて、4声部ではなくて、3声部になっています。
つまり、TrioSonateと書いてあっても、3声部、4声部のSonateである事には変わらないのですよ。
超、紛らわしくて、困った事です。
また、教室では、orchestraで八千代のKoncert等でも演奏をしているPurcellのChaconne in gも、正式のTitleは、実は、「Chacony
[chaconne] in G minor for three violins and basso continuo」所謂、 Chacony
in G Minor Z.730、という事で、「3声部のviolinとbasso continuoに拠る」・・となっているのですが、3声目は、通常はViolaで演奏をするので、弦楽Quartettで演奏される事の方が多いのです。3本のviolinのversionの方を聴いた事がありません。
この曲の場合には、3声部のviolinなのですが、ちゃんとしたQuartettなのですよ。
ここまで行くと、3声部とか、4声部という分類は、理解不能なのですよね??
話を元に戻して・・・
もう、9年も昔の話になってしまいましたが、冒頭のChaconneのthemaのtempoが、遅すぎて乗りが悪い事と、themaのinegales奏法が出来ていなかった事を除けば、曲が次のVariationに入って、演奏が流れ始めたら、まあまあ・・の、それなりの出来でした。
私としては、lecture-lessonが途中迄で、遣り残した中途半端な出来になっているような気がしていたので、lessonをちゃんと完成させる意味で、今回の秋の発表会にChaconneを選曲したのですが、動画をuploadする過程で、演奏は兎も角としても、lesson自体は、ちゃんとしていた事が分かりました。初めての古楽器に拠るbaroqueの演奏なので、演奏表現に難があっても、致し方の無い事です。
このPurcellのTrioSonateのChaconneを、今年の5月12日の日曜日に新しいmemberでの初顔合わせの初見練習をしたのですが、Chaconneのthemaのtempo感や、Variation毎に、目まぐるしく変わる音楽表現とtempoの設定で、冒頭のthemaとVariationの1・2辺りで、練習が行き詰まってしまいました。
勿論、シテ・ワキの目まぐるしい交代と、それに伴うtempoのchangeで、それを覚える・・というか、理解するだけで、練習が先に進まなくなってしまったのですよ。
それ以上にmemberが不足していて、member決め自体が出来ていないので、練習が単なる暫定的なapproachになってしまうので、やる気が起こらないのですよ。
確かに、このChaconneは、同じbaroque時代の他のTrioSonateの曲と比べても、演奏技術的に、格段に難しいものがあります。
曲の演奏技術levelとしての演奏技術のTechnik自体は、baroque時代の音楽なので、当然、簡単に演奏出来る技術範囲の曲なのですが、tempoの設定や、細かい音楽表現が、一筋縄では行かないのですよ。
それはそうと、他のPageでも、ついつい、言い忘れていたのですが、通常のChaconneのthema、所謂、定旋律(cantus firmus、或いは、Groundでも良いのですが・・)は、G⇒F⇒Es⇒Dの4っつの音で演奏されます。(・・という事は、1小節を1音符として、4小節のGroundになります。)
・・が、しかし、このPurcellのChaconneのGroundでは4小節目のDの音から更に、D⇒C⇒B♭⇒C⇒Dと2小節追加されて、6小節のGroundになります。
しかも、音域がCよりも低いB♭まで出て来るので、これは、Chaconneのthemaを、通常よりもoctave上に上げて演奏しないと、viola da gambaやCelloの音域、或いは、Kontrabassの音域さえも、演奏可能音域を越してしまう事になって、頗る都合が悪いのですよ。(5弦のKontrabassの場合でも、最低音はHの音なので、B♭では更に半音下げないといけません。)(譜例参照)
2015年の暮れに、You Tubeにuploadして、そのままになっていた古楽器の演奏なのですが、演奏の出来も左程では無くて、access数も、8年経った今でも、殆ど伸びなくて、165しかaccessがありませんでした。
まあ、拙い演奏で、lecture-lessonも、中途半端に、lectureしたままになっていた・・と思っていた2015年の演奏を、revengeを兼ねて、今回の秋の発表会の古楽器の演奏に、notes inegalesや、groupingに拠る演奏を、新たに、指導する予定で、このChaconne in gの曲を古楽器の演奏のprogramに予定しました。
・・と言う事で、参考にする為に、2015年の秋の発表会の演奏を、uploadし直して、その時の演奏を改めて聴き直したのですが、ちゃんと演奏出来たか否かは兎も角としても、Inegal奏法のlecture-lessonや、groupingに拠る演奏に付いてのlectureは、ちゃんとlessonをしている事は理解出来ました。
(超、不思議な事に、8年間のaccess数がたった165だったのに、新しくuploadし直した動画は、2015年の動画と、全く同じ動画なのに、1日で100accessを楽に越してしまいました。何も変わっていないのに、どうしたのだろう??不思議だ??)
後は、その当時の演奏の慣習的な表現が出来るか否かの問題なので、今回、新しいmemberで、前回と全く同じ指導する事は、私に取っては、langweilig(つまらない、退屈・・)なので、meritが見当たらないので、急遽、曲目を変更する事にしました。
・・と言う事で、新しい曲は、同じPurcellのTrio-Sonataの第1番のg mollです。Z.Numberは790です。
PurcellのTrio-Sonataの第1番は、結構、無数にあるので、「z.Number」でしか、識別が出来ません。
2015年に演奏した4声のSonate集に拠る第7番、Chaconne ト短調はZ.807で、今回演奏予定の曲は、3声部の2つのSonateで、NumberがZ.790です。
3声部とか4声部とか、書いてあるけれど、TrioSonateには変わりありません。
continuo部を1声部と換算するか否かの違いなので、所詮は同じ声部なのです。
それよりも、kirchenSontaの形式で書かれている事の方が重要です。
つまり、緩急緩急にこの曲では更に緩徐楽章が追加されていて、5楽章の形態を取っています。
静かに始まって、静かに終わる・・というPurcellの独壇場の感じですよね??
楽譜は私の蔵書の中に眠っていたそうなので、だから、直ぐにmemberに、配る事が出来るですよね??但し、memberが決まったら・・の話なのだけどね??
古楽器のlessonは無しにして、memberが決まったらlessonを始めようかな??
それまでは、来れる人だけの練習でも良いよな?
『2拍子取りのChaconneのtempo』
明日・・と言うか、今日と言うか、5月の17日の金曜日なのですが、福島では最低気温が11℃で、日中の最高気温が31℃になるそうです。
1日の寒暖差が20℃・・と言う事は、私の長い人生でも体験した事が無い・・と思うのだけど、ね〜ぇ??
はっきり言って、そりゃあ、体力的に、無理だよな〜ぁ??
一日の中での20℃にもなる温度差は、これまでには、体験した事が無い・・と、思ったのだけど、考えて見れば、その逆のpatternは、結構、何度と無く体験しているのだよね??
Munchenで冬場に-27℃ぐらいまで下がって、お昼には、-7度ぐらいに上がって、「今日は温かいから、Coatは要らないぐらいだよなぁ??」と、友人と歩きながら、話をしていた事があったよな??
日常的に-20℃ぐらいの気温が続くのならば、-7℃でも結構暖かく感じてしまうのだよ。
考えて見れば、-27℃と-7℃の差ならば、それも20℃差ではあるのだよな〜ぁ??氷点下の話だと、あまりピンとこないのだよな??
昨晩は、結構遅い時間にドル・プリっ歩に出掛けて、5月も中旬というのに、結構、寒い中を深夜の1時近くにハイツに戻って来た。
それからはいつものように寝逸れてしまって、明け方迄には、パソコンの前でウダウダしていたのだが、諦めて、眠れなくても良いから・・と言う事で、兎に角、Bedで横になったのだが、やはり、寝付けなかった。
それでも、頑張って横になっていたら、いつの間にか、熟睡が出来て、心地良く目が覚めて、てっきり、お昼の1時頃迄、爆睡出来た・・と思ったのだが、時計を見ると、未だ、朝の7時半で、眠れたのは、ほんの小一時間だけだったのだよ。
それから更に、9時過ぎ迄寝ていて、それから、toiletteに行って、その後で、パソコンの前でウダウダとしていたのだけど、また眠たくなってしまって、Bedで爆睡してしまいました。
今度は11時に目が覚めて、起き出す事にしました。
直前まで、夢を見ていたのだけど、歯の治療に魔石を使って治療をする・・という異世界物の夢で、現実の歯医者の治療と混乱・混同を招く、変な夢でした。
異世界アニメの定番のように、夢の世界が現実になった時には、現実の世界の私が死んでいるのだ・・と言う事なのかな・・??
お昼過ぎ迄は、ちゃんと仕事をしていたハズなのですが、途中でヘバってしまって、またまた、大慌てで、Bedに戻って爆睡しました。
今度の目覚めは、夕方の4時頃です。
今日は何かしら、一日中、眠っていたような感じなのだけど、結構、疲れが溜まっていたのだよね?
『2拍子取りのChaconneのtempo』
もう、12年も昔々の事になってしまいますが、八千代主催のコンサートで、2012年の6月の24日に演奏したOrchestra-VersionのPurcellのChaconne in g z.730なのですが、その当時は、結構、擬古典の音楽に凝っていたので、PurcellのChaconneも、Originalの楽譜を使用して、至る所に、Period奏法を取り入れて・・の演奏ではあったのですが、擬古典的な激情的な演奏をしたので、次回、同じ曲を演奏する機会に恵まれたあかつきには、完全なBaroque-Periodでの演奏をして見たい・・・という願望が擡げて来て、衝動的に、改めて楽譜のcheckを始めてしまいました。
Baroque-periodでのChaconneの演奏の場合には、Baroque-DanceのChaconneの踊りのstep感がとても大切になります。
・・と言うか、Chaconneに限らず、foliaや早いtempoのsarabande等も、軸足となる2拍目のsyncopationのようなTempo感を活かした、軽快な、3拍子ではなくて、2拍取りのstepのrhythmになります。
しかし、これは、Europaのdance音楽の場合のお話であって、baroque-danceに限らず、近現代の、landlerや、Wiener-waltzにも非常によく見受けられるrhythm感であり、例えば、Shostakovichの第2waltz等の演奏でも、2拍取りをする指揮者が多く見受けられます。
日本の音楽家の場合には、waltz等のdanceの曲を、2拍取りで演奏する事は、全く理解されないので、古い時代のChaconneやfolia等、或いはCorelliのkammerSonataの中のsarabande等も、重たく動きの無いrhythmで演奏される事の方が、一般的なのですよ。
こう言ったtempo感を、身に付ける事は、早い時期に2拍子取りの3拍子の勉強を、実際の音楽で、体感する他はありません。
今回の場合も、そう言ったbaroque-danceの3拍子のrhythmを、2拍子に取るtempo感を体感させたいので、ちょうど、LullyのArmideのsuiteを選曲していたので、その曲を使用して、2拍子取りのChaconneのtempo感を勉強させる事にします。
多くの日本人の演奏家達は、Europaのdance音楽の独自のrhythmは、民族性の必要なものだから、例え、Mazurkaでも、Polonaiseでも、或いは、landlerでも、そのrhythmはその民族だから出せるものであって、日本人がそれを真似したら、猿真似になって可笑しいのだ・・と主張する人達が多くて困ってしまいます。
つまり、「日本人はMazurkaは絶対に弾けない」という前提で、日本人独自のChopinを目指してしまうのですよ。
でも、Wien人だから、Wiener Walzerが踊れる分けではないのですよ。Wiener Walzerが踊れないWien人も、landlerが踊れないBayern人も結構多いのですよ。
そこは、国民性ではなくて、やはり、ちゃんとした学習が必要なのですよ。
日本人の場合に簡単なMenuetのtempo感さえも持て無いのは、音楽家の場合には、音楽のみでrhythmをapproachしてしまう事にあって、舞曲はstepが必要なのだ・・という事が分かっていない事にあります。
stepと言っても、その舞曲を踊れる必要は無いのですよ。baroque-danceならば、正式のbaroque-danceとして、踊っている映像を見るだけでも、良いのです。
そうすれば、こういうstepだから、このtempoで、このrhythmで・・という事が理解出来ます。同じMenuetでも、群舞の直線的なMenuetと、円を描いて旋回するMenuetの2種類があります。
Menuet自体は、大きくその2つの種類のstepで、Choreographieが成り立っているので、dance自体は変わらないのですよ。
但し、直線的なMenuetと、旋回するMenuetではtempoが変わってしまうのですよ。
それが分かると、Menuetのtempo感は分かります。
ChaconneもFoliaも同様で、早いdanceと遅いdanceの二種類があります。
baroque-danceに限らず、近現代のdanceである、MazurkaやPolonaise、或いはlandlerやWiener Walzer等の独特のdanceのrhythmにも敏感に反応が出来るようになる事が重要です。
MazurkaやPolonaiseや、waltz等では、完全な構成された曲としてのdanceの曲が数多く作曲されていて、見受ける事が出来ますが、landlerだけは、Pianoの曲では皆無で、violinの曲でも、Friedrich Seitzが書いた初心者用のviolinConcertoの3楽章でしか、その完全型を見た事はありません。そのSeitzのviolinConcertoの3楽章では、色々なlandlerのrhythmが出て来ます。
参考までに・・・
『パソコンに警告messageが出て、そのまま壊れた??』
6月25日の火曜日の午前1時過ぎです。
突然、パソコンに警告messageが出て、壊れてしまって、真っ黒いBootmenuになってしまいました。
パソコンの指示通りに、何度もBootmenuに入って、再起動をしても、またまた、Bootmenuに戻ってしまう・・というloopを繰り返しています。
30分程、パソコンの指示通りにloopを繰り返して、Bootmenuを繰り返しました。
その結果、やっと、元の画面になったので、確認の為に、再起動を掛けてみたら、またまたBootmenuに戻ってしまいました。
それを2、3度繰り返して、やっと、正常な元の画面に戻りました。
まあ、腹立つよな〜ぁ??
・・と思ったけれど、夕方、もう一度試してみると、やっぱり、立ち上げる時に、Bootmenuから立上るようです。
BootmenuからEsc-keyを押して、正常な画面になります。
面倒くさい??
本格的な修理が必要になりました。
これ以上は私の範疇では無いので、また、業者にお願いしなければなりません。
不必要な出費です。
困った事です。
Bootmenuから、Esc- keyを押さないと、windowsの画面にならない・・と思っていたら、暫く、放置していたら、勝手にwindowsの画面になるようです。そのBootmenu画面の時間を設定し直せば、良いだけのようです。
まあ、気が向いたら、修理するか??
朝はいつもの6時前に、目が覚めたのですが、椅子に座って仕事を始めようと思ったのですが、直ぐに、意識混濁状態になったので、Bedに戻りました。
次に目が覚めたのは、11時直前です。
11時からは椎名町で食事をして、今日、明日のお弁当を持ち帰る事になっているので、椎名町行きの準備をしなければならないのですが、体が全く動かないのですよ。
椅子に座ったままで、朝のroutine-workの体組成計での体重測定と血圧測定をしながら、体が動くのを待っている所なのです。
大急ぎで、食べ終わったタッパー類を洗って、荷物の中に入れて・・と、食事の約束timeの、11時迄には、とても間に合わなかったのだけど、まあ、何とか12時前には、椎名町に辿り着く事が出来ました。
Pizza-toastで、軽い食事をしました。
まあ、椎名町の今現在の気温は32℃で、体感温度は33℃になります。
とてもcooler無しでは、過ごせない気温ですよねぇ??
今日は、3時からlessonがあります。
2時迄には炎天下の中を、ハイツに戻って、lessonの準備をしなければなりません。
そのlessonなのですが、基本的には、lessonの前に、彼女が見て欲しい曲の楽譜を見て、どの曲からlessonを見て欲しいのかを決めます。しかし、今回は、Koncertのprogramが決まっているので、そのprogramの全曲をcheckするのが良い・・と言う事で、programからのlessonをしました。
前回のlessonでは、予定のKoncertのprogramの1/3をなんとか、checkする事が出来ましたが、今回もその後のprogramの、1/3しかlessonをする事しか、出来ませんでした。
今回は、時間の限界、time‐outに加えて、体力の限界になってしまったのですよ。pro-versionのlessonでは、1分の隙きも見せる事は出来ないので、非常に微細な事迄も、checkをして行きます。
出来るか否かよりも、分かっているのか否かです。それに、彼女の持ち味を活かして、彼女のi dentityを作って行きます。歳を取っても、proで在り続ける為の、i dentity(独自性)を作って行きます。彼女しか演奏し得ない表現力を作るのですよ。
Koncertを想定したlessonなので、lessonはとても大変です。妥協が無い・・lessonなのでね??
・・と言う事で、夜の、7時過ぎにはlessonを終えて、今夜は、引き篭もりdayなので、そのままに、私自身の遣り残した仕事の続きをしました。
主に斉藤先生のBiberのPassacagliaのinterpretationをhomepageに書き込む事と、PurcellのTrio Sonata in g minor, Z. 807です。
以前に既にuploadしていた曲なのですが、昔のvideoで業者の編集なので、音声が小さかったので、少し音声を増幅した次いでに、前回は、かったるいので省いていた、私の解説のお喋りをそのまま、乗せてuploadしています。
introのthemaのthemaは私のinterpretationからは、少し遅いのですが、他は、まあまあの出来だったので、uploadし直しました。
https://www.youtube.com/watch?v=ov_9VG0R2v4
memberが揃えば、斉藤先生の希望で次回の秋の発表会で同じPurcellのTrio Sonata in g minor, Z. 807の曲なのですが、revengeをしたいそうなので、私的には、themaのtempoの修正と、また、同じmelodieが繰り返されるviola da gambaのcantus firmus(定旋律)のpartの演奏表現を、少しmelodieに合わせて変化をさせていく事を修正したい・・と、思っています。
このChaconne in gの難しさは、通常のChaconneのthemaが4小節であるのに、このChaconne in g Z.807のcantus firmus(定旋律)のthemaは、なんと、奇数小節の、5小節なのですよ。しかも、themaのmelodieが後半部では、拍頭ではなくて、任意の場所から入って来たりして、小節自体もおかしくなって来るのです。
それを、しっかりと奏き分けなければなりません。ですから、見た目よりも、演奏は難しいのです。
それに加えて、同じ音符の繰り返し・・と思われているChaconneのthemaのmelodieなのですが、今回のオケ練習のpassacagliaである、LullyのArmideのcantus firmus(定旋律)も、その演奏表現の違いをlectureしているのですが、低弦を演奏するmemberが今は、全くいないので、オケ練習に限らず、室内楽のbaroqueの演奏等も指導されるmemberがいなくて、困っているのですよ。
少子高齢化とコロナのDouble-Punchで、教室の生徒数も限界集落並みに減ってしまったしね〜ぇ??
それに、先生が育たないとね〜ぇ??
まあ、これ以上は愚痴になるので、やめときましょうかね??アハッ??
有料にはなるけれど、部外者でも良いので、希望参加の人はいないのかな??
baroque-periodの演奏なので、少し難しいので、こちらからは、あまり積極的にはお誘いをする事は無いのですがね〜ぇ??
今日は椎名町詣は無いので、夜の時間はたっぷりと使えます。
体力が保てば・・の話なのだけどね〜ぇ??
今日も暑かったね〜ぇ??
練馬区は31℃越えで、夜も最低気温が25℃はあるそうなのですよ。
老人と病人には、辛い気温なのですよ。
ちゃんと夜、眠る事が出来て、体力がちゃんと戻ると良いのだがね??
『Vivaldiの夏とPurcellのtriosonateのinterpretationの説明』
今日は6月30日の日曜日のオケ練習の日です。
今朝の寝起きは、昨日からの鬱が、或る程度、睡眠が取れたので、解消出来た・・と思ったのですが、東京から千葉への車での移動中に、余りにも、ヘボミスが重なっていて、ミスを繰り返しているので、とうとう我慢が出来なくなってしまって、爆発して、先生達を怒鳴り散らしてしまいました。
たった、東京から千葉への小一時間の移動の時間の間にも、幾つものミスを繰り返しているのだよ?
その一つ一つを数えるだけでも、腹が立って来るのだよ?
椎名町を出発する時に到着の予定時間を連絡しておいたのですが、千葉の教室に着いても、駐車場のシャッターが開いていなかったので、何度も電話やlineで連絡をしたのですが、全く通じなくて、已む無く、体調不良を押して、車から降りて、シャッターを開けなければならなかったので、とうとう怒り心頭に発してしまいました。
営業車なので、運転席の登り降りは、腕の力だけで、全体重を持ち上げなければならないので、疲れている時には、とても大変なのですよ。
・・・と言う事で、2時頃からのオケ練習は、人形劇の練習なので、observerとして、私も参加した方が良い・・とは思ったのだけど、私は、鬱のhysteria(ヒステリー)状態が中々、収まらないので、子供達の前には、顔を見せない事にして、事務室に引き籠もって、ドル・プリを相手にして、おとなしくしている事にしました。
どっちみち、お楽しみ会の本番は、私は、人形劇の部は出演しません。
私が会場に行くのは、3回オケの演奏の部から・・の予定なので、人形劇での練習の指導を私がする事は、逆に、私に依存をさせる事になってしまうので、人形劇の練習を私が指導する事は、逆効果になってしまうのですよ。
まあ、それにも増して、発狂性の鬱で、回りに被害を撒き散らさないように、おとなしく事務室に引き籠もっている方が、生徒達の練習としては、良いのだよ。
東京を出発する時から、頭に来ていた所為なのか、食前に飲む薬を、千葉に持って来るのを忘れた??
1日3回の目薬やその他の薬のsetも、持って来るのを忘れた。
つまり、お薬setを持って来るのを忘れた・・という事なのだよ。
3回オケの練習時間の3時半になって、子供が呼びに来たので、恐る恐る3回オケの生徒達を前にしてのlecture-lessonを始める事にしました。
恐る恐る・・と言う意味は、私が頭に来て、怒鳴り出さないか??・・と言う心配をしながら・・・と、いう意味なのですがね??
先程も説明したように、3回オケのgroupが、最初に練習をする曲は、夏のお楽しみ会の人形劇のbackgroundの曲としての、VivaldiのLe Quattro Stagioni(四季)からの、L’Estate(夏)のV楽章を、演奏をするのですが、私は人形劇の部には出席しないので、当然、演奏は、指揮者のいない・・弾き振りになります。
(弾き振り・・とは、solisteが演奏をしながら、指揮をする事を言います。)
・・と言う事なので、直接、指導をする事はしないで、先ずは、瑞希ちゃんに、V楽章の弾き振りの練習をさせました。
瑞希ちゃんは、伴奏者に合図を送る練習は、結構、させているのだけど、オケにeinsatzを送る・・という、所謂、「指揮振り」は多分、やった事がありません。
だから、私は、彼女に演奏をさせながら、「指揮振りのcheckをする」・・というlecture-lessonをしました。
https://www.youtube.com/watch?v=hUJOz8A1Bto
勿論、人形劇で演奏をするV楽章だけの指揮振りなので、U楽章とT楽章は、tempoの設定が非常に難しいので、私が直接、指揮をしました。
T楽章とU楽章の指揮が難しい・・と言う事は、一般的なVivaldiのLe Quattro Stagioni(四季)を演奏する場合には、tempoは、soloの部分を除くと、tuttiは、全て同じtempoで演奏をするのが普通の演奏なのですが、このVivaldiのLe Quattro Stagioni(四季)は、教室の常設曲なので、ほぼ、毎年、演奏をしています。
そろそろ、同じ曲の解釈で、指揮をする事も飽きて来たので、前々々回(4回前)ぐらいからは、私、独自の解釈に拠る、世界の誰も演奏していない、interpretationに拠っての演奏をする事にしました。
しかし、tempoの設定が非常に難しいので、過去に演奏を何度もしたのにも拘らず、本番では、オケの入りが上手く行かず、独自の演奏を途中で諦めてしまうか、オケがバラバラになるのを覚悟して、演奏をするかの選択になってしまいましたので、一度も思った通りの演奏が出来た事は、ありません。
まあ、今回のmemberは専科のmemberではないのだけど、結構、頑張っているので、先ずは、練習の前に、私の独自の解釈の意味の説明をしながら、指揮を入れて、lecture-lessonをしました。
私、独自の解釈とは言っても、それなりの主張はあるので、その意味の説明をしました。
VivaldiのLe Quattro Stagioni(四季)は、scoreの楽譜の音符の上に、So-netに拠る詩の断片を付けて、作曲された、所謂、描写音楽なのですが、一般的に出版されているVivaldiのLe Quattro Stagioni(四季)の楽譜では、その詩に拠る描写と、音楽の演奏表示が一致していないのですよ。
一つの例として、一番分かり易い例を上げるとすれば、U楽章の音符に付けられた詩(So-net)なのですが、ViolinとViolaのripienoには、蝿や虻が纏わり付いて、疲れた体を休める事を妨げている風景が描かれていて、しかも、遠くから聞こえて来る雷や稲妻が、近づいて来る事への恐怖・・という事で、4回も繰り返される雷の音なのですが・・・、実際に出版されている楽譜では、4回とも、同じforteで演奏するように指示されています。
しかし、それでは、So-netの詩に書かれているような、雷が遠くの方から聞こえて来て、だんだんと、近づいて来る・・と言ったような劇的な音楽表現には、なりません。
同じ強さの雷が繰り返し出て来るだけなので、映像に動きが無いのですよ。
だから、私の演奏の場合には、So-netな詩に合うように、全楽章の音楽の演奏表現の指示を、出版されている楽譜上の演奏指示とは変えて、So-netの詩に合致させる事にしました。
つまり、私のU楽章のinterpretationでは、最初の1回目の雷の音はpで遠くから聞こえて来る雷の音を表現し、2回目の雷の音は、少し近づいて来る雷の音をmfで表現します。
当然、soloも少し不安な表現を伴った演奏になります。
3回目は雷の直撃でfortissimoです。
最後の4回目は、遠くに過ぎ去ってしまった嵐の雷の音をpianissimoで演奏します。
音楽的には、fade-outで、終わってしまいます。
そこから、突然、嵐の光景に戻るのは、超絶的な驚きでしょうかね??
嵐のままに終わるのも、Vivaldiの劇的な演出なのですよ。
特に、T楽章は、絵画風に、小節の拍を感じさせないように、気怠いEnnuiな感じで演奏をします。
夏の、いたたまれない、同使用もない暑さの中で、くたびれ切って、打ちのめされている・・哀れな羊飼いの光景なのですよ。
その気怠さを表現する為に、tempoが毎小節で変わるので、指揮を見て、ちゃんと合わせなければならないので、非常に難しい演奏になります。
指揮を見て入る練習のようなものです。
可能ならば、それに加えて、純性の響きで演奏をしたいのだけど、そこまでの技術は、流石に、今回のmemberでは、未だ無理なようなので、純性へのapproachは、又、機会があれば・・という事にします。
特に、Napoliの6のchordが出て来るので、Wolf-ton にならないように、純性のままでの演奏は、結構難しいものがあります。
(以上が、VivaldiのLe Quattro Stagioniの説明です。)
次のMozartの練習は、私としては、PianoConcertoの第5番をlectureするつもりだったのだけど、生徒達が、「ViolinConcertoの第4番が3週間、lessonが無かったので、心配なので、ViolinConcertoをやって欲しい?」との断っての希望で、急遽、MozartのViolinConcertoの第4番のT楽章を練習する事にしました。
先週は楓ちゃんがお休みだったので、VivaldiのRecorderConcertoの練習を、指揮者の立たない奏き振りの仕方を含めて、lectureをしました。
弾き振りは、RecorderConcertoの場合には、前回や、前々回の発表会の演奏でも、楓ちゃんが弾き振りをしているので、今回の指揮振りは、まあ、当然なのですが、今回は、お楽しみ会で、VivaldiのL’EstateのV楽章を指揮振りをするので、練習としては、VivaldiのRecorder Concertoと夏の2曲が指揮振りになります。
オケ練習の最後の曲は、LullyのArmideなのですが、VivaldiやLullyのようなbaroque物では、KontrabassがCelloの音響の補強に当てられているので、Kontrabassが、Celloと対等に動くので、ロマン派時代以降のKontrabassのpartに比べて、baroqueや古典派のKontrabassは、異常に早い動きで演奏しなければならないので、一般的なKontrabassの奏者達に取っては、非常に難しくなってしまいます。
そのために、Ricordi版やPeters版等では、KontrabassをCelloと同じ動きをさせる事はやめて、和音の頭の音だけを補強する程度にしています。
ロマン派ぐらいの時代からは、KontrabassとCelloのpartを分けて書くようになって来たので、Kontrabassに異常な難しさを要求する事は無くなってきました。
しかし、baroqueの時代では、Kontrabassが、未だ、独立した役割を貰っていなくて、あくまでも、KontrabassはCelloのoctave下の音を補強をする役割なので、Celloが非常に速く動く曲になると、Celloと一緒に動かなければならないKontrabassは、異常な難しさになってしまいます。
これ迄のbaroqueの演奏では、Kontrabassは、大学生の先輩諸氏が演奏をしていたので、それでも、問題は無かったのですが、大学生諸氏が就職をしてしまって、教室の助っ人に来れなくなってしまったので、今回のような、中学生中心でのKontrabassの演奏では、Violinと同じtempoで動くKontrabassを演奏する事は、技術的に、至難の業になってしまいます。
教室を設立したばかりの頃は、生徒の人数も少なく、年齢も小学生が中心だったので、Ricordi版やPeters版のように、Kontrabassのpartは、4分音符や8分音符単位で動くようにして、演奏をしていたのだけど、今では、KontrabassもCelloと同じ動きをする方が、主流になってしまったので、教室としても、それに従って、無理を承知で、Celloと同じ動きにしています。
まあ、初心者や中級の段階では、至難の業になってしまいますが、時代背景なので、致し方はありません。
今回のオケ練習も、私的には、体調不良や睡眠不足や鬱が続いていて、本当ならば体調的には、かなり無理があって、辛かったのですが、rotationの問題で、そろそろ、ちゃんとした本格的な練習が出来るように、Hennry PurcellのChaconneの細かい練習上の注意をする事にしました。
ここらで、きちんとした練習に入らないと、発表会迄の演奏表現を勉強する上でのtimelimitになってしまうので、オケ練習が終ってからも、頑張って、baroque-periodのlecture-lessonをしました。
baroque-periodの練習と言う事を分かり易く説明すると、多分、学業に当て嵌めると、古典文学を原文のままに、舞台で演技をする・・という感覚なのかな??
https://www.youtube.com/watch?v=5QZp2XcUUy0
今回は、baroque-Koncertがmember不足の為に、他のbaroque-periodで演奏する曲が、全て、取り止めになったので、発表会で演奏するHennry PurcellのChaconne in g Z.807の曲を詳しくお話をする事にします。
このHennry PurcellのChaconne in g Z.807は、2015年の10月11日の発表会で斉藤先生と牧野先生が、梨紗ちゃんや智子ちゃんと演奏をした曲なのですが、purcellの曲は、このChaconneに限らず、異常な難しさがあります。
特に、このChaconne in g Z.807の難しさは、特別なのです。
その為に、この曲では非常に多くの事を学ぶ事が出来ます。
その難しさの理由をお話すると、Chaconneのような曲の場合には、VitaliやCorelliのように、長大な曲の場合には、曲が単調にならないように、cantus firmusであるthemaを転調させて、曲の多様性を作り出します。
また、ChaconneやfoliaやPassacagliaのようなcantus firmusを延々と繰り返す事は単調になり易いので、定旋律の演奏表現を変えて演奏するような演奏団体が増えて来ました。
但し、未だ、その数は少ないのではありますがね〜ぇ??
それにこういった長大な曲の場合には、そのVariationを、大きく幾つかのgroupに分けて演奏をします。
通常の場合には、3部、或いは4部構成で、groupingをして、一環したtempoの設定をして、非常に分かり易いbauplan(設計)にして、そのbauplanに従って演奏をします。
それに対して、purcellの場合・・・、特に、このZ.807の曲の場合には、先ずは、cantus firmusであるBasのpartが、simpleな全音符4個の繰り返しの設定では無くて、変則的な5小節のthemaになっているのです。
それに加えて、演奏時間が8分を越す長大な曲であるにも拘らず、そのcantus firmus(定旋律)一切の転調をしないのですよ。
最初から最後迄、一つのthemaを繰り返すのですが、その定旋律上に繰り広げられるmelodieは、定旋律の始まりと終わりに関係なく、演奏表現が開始され、終わってしまうのですよ。
つまり、定旋律とは無関係にmelodieが、対話されて、cantus firmusの途中で、tempoが変わってしまう事等は、当たり前の世界なのですよ。
それに、更に曲の演奏を難しくしているのは、themaからのtempoの設定なのです。
Variation1から、Variation毎に、緩急緩急と、tempoが目まぐるしく変わって行って、当然、演奏表現も、Variation毎に、変化をする目ま狂しさなのですよ。
しかも、Variation毎に、その演奏表現が変化するのではなくて、Basの定旋律の途中で、曲の表現が変化してしまうのです。
それに更に加えて、主題となる旋律が終わらない内に、その主題が4度下で2nd.Violinによって、模倣されて来るのです。
所謂、割り込みのthemaなのですよ。
それに加えて、更に目まぐるしく・・と言うか、Variation毎に、シテワキが交代するのです。
勿論、TrioSonateでも、kirchenSontaの場合には、themaが1st.と2nd.・・、或いはCelloのpartへと交代するのですが、これ程、目まぐるしく、Variation毎に交代をする曲は、Purcellの曲を除いてはありません。
Purcellの室内楽の曲をより難しくしている要因が此等の理由によります。
その事を詳しく知った状態で、演奏にapproachしないと、迷宮(Labyrinth)に落ち込んでしまいます。
それぞれのpartが完全に独立して、groupingに拠らず、それぞれのmelodieを完結させていくのです。
こういったtypeの曲はPurcellの曲を除いてはありません。
それがPurcellの難しさなのです。