教材研究
HändelのAriaの指導に対するlecture
音楽を指導していると、日本人の先生達の「思い込み」に悩まされる事が良くある。
「Beethovenのトリルには必ずNachschlag(ナッハシュラーク後打音)をつけなければならない。」とか、今回のケースのように「Ariaは遅く弾かなければならない。」とか言う、思い込みである。
実際上、「その曲として」ではなく、「その時代の様式として」そういったAriaのtempo設定を調べると「Ariaは遅く弾かなければならない」という風説は、いとも簡単に「誤りである」と言う事を理解する事が出来る。
しかし、現実の社会では、たったそれだけの努力をする人は少ない。
ある企業のコンクールで、課題曲のAriaを演奏した子供が、HandelのAriaのtempoを早く演奏して不合格になった。
その教室で販売している模範演奏もAriaは遅く弾かれている。
「Ariaは遅く弾かなければならない」と言う風説が一般ではいまだに定説となっているのである。
バロック時代から近現代までの、MenuetからMazurkaにいたるまでのありとあらゆる舞曲といわれるジャンル(genre)の曲には、その曲特有のtempo(速度)とその曲の持つ独特のリズムがあることは、疑う事のない自明の理であろう。
残念ながら、未だにそれを無視して、情緒的、感情的にtempoや表現をする先生が多い事も事実だが・・。
「Aria(アリア)」のように、舞曲でなかったとしても、本来的には「Aria」として、名付けられる時には、それ自体が保有するその独自のtempoがあるはづである。
当然、「Aria」のtempoは、非常に技巧的なmelisma(細やかな装飾)を持つ、非常に遅い曲として、一般的に把握されることが多い。
その典型的な例がこのHändelの組曲第3番 d
moll AriaとVariationの曲である。
一見すると大変複雑そうなこの曲も、非常に単純な素朴な親しみやすいmelodieの上に、装飾音で細やかに飾りたてたに過ぎない。
参考までにこの曲(Händelの第3番のAria)から、全ての装飾された音を省いて、全く素朴な基本になったmelodieを、復元して載せておく。
この曲は、Ariaのtempoが遅いゆったりとしたものであるという前提に立っている。
しかし、今回のこの課題曲の場合には、必ずしも、その前提は当てはまらない。
Händelは非常に早い曲やMenuet等の舞曲にすら、Ariaと名付ける事があったのだからである。
(本当に、Händelが、Ariaと名付けたのかどうか、と言う事は、私としてはすこぶる疑問とするところだが・・・。)
Händelの場合のAriaには、今日我々がAriaとして理解把握している非常に遅いmelisma(メリスマ)のornament(装飾)を持つAriaと、Händel独自と言って良い「調子の良い鍛冶屋」等の曲に表わされるように、非常に早いtempoの曲であるにもかかわらずAriaと名付けられた曲の二つのtypeがある。
Bärenreiter
Urtextの番号によると「Aria 29番」となっているこの曲ではあるが、「何処が??何故??Ariaなのだ??」と疑問に感じざるを得ない。
残念ながら、私自身はHändelのfacsimileを見る機会がなかったので、このAriaという書き込みがHändel自身のものであるか否かを確認することが出来ない。
Handelの多くの作品は後世の出版社の校訂者の手により、色々と変更されているからだ。
こういった一見すると(完全な組曲になりえない)反故のような作品(・・・曲としての完成形という事ではなく、作品としての完成形である作品にはなりえないという意味である。) に対しては、Händel自身がその名前をつけたのかどうかはなはだ疑わしいし、また、Händel自身も、そういった反故的な作品に関しては、名前の付け方など、はなはだ無頓着だったといわざるを得ない。曰く、未完成の作品は全てAriaにしたとか・・・・??
そういった反故を集めたような曲の中で、曲の種別の先入観にとらわれるのは、はなはだ危険であるといわざるを得ない。
その良い例としては、このシリーズにをそのまま収まっている、次の曲(30番)に至っては、もう既に、Ariaと名付ける事自体無理がある。
もし、Bachであったなら躊躇なくインベンションとでも名付けたであろう。
Mozartは実験的な作品でしかも完成形を取る作品を、すべてディベルティメント(Divertimento)というgenreに閉じ込めた。
Beethovenは彼の音楽上の実験をPianosonateの中で行ったのだが、作品の中には、sonate形式の楽章を全く含まない曲ですら、「sonate」として発表している。
Händelもそういったタイトルをつけることにはすこぶる、無頓着だった事は否めない事実である。
それにも増して、こういった曲は、一般的に言われている、「Aria」というimageが持っているテンポ感とは著しく異なってしまう。
そういった「Ariaとは遅く弾かなければならない。」という誤った先入観は、「子供達のコンクール」等で、若い先生達がこのHändelのAriaを課題曲として審査する時に、その審査の基準や合否の判断に著しい偏見をもたらしている。
実際のbaroqueの時代では、Ariaの持つtempoについての定義は、まだ定かではなかったし、またCembalo等の器楽作品ではなく、声楽の分野においては、cantata等にも良く見受けられる、da
capo Aria(或いは、Recitative Aria)は、その曲の前半部にゆっくりした、Recitativeの部分を持つので、次に来るAriaは通常の独立したAriaの曲よりも、早い曲であることが多い、という事も知るべきである。
という事で、Ariaが遅いtempoで演奏されなければならないというのは、無知のもたらす単なる俗説(風説)に過ぎないのである。
往復書簡
(double teachers system)
教材研究lecture:
ヘンデルのアリアⅠ指使いの付け方
スラーのお話
2009/03/03 (火) 18:17
3拍子のスラーのお話
この曲は2小節単位にスラーが付いているのですが、多分、この曲の校訂をした人が、アリアと言う名前に捉われて、legatoで歌いこまなければならないと、そう思われたのではないでしょうかね?
ですから、当然コンクールなどでは、この曲を「legatoで、だらだらと」弾いてくる生徒(良い言い方をすれば、ロマン派のように歌い込んでくる)の方が多いのではないでしょうかね?
でも、本来のbaroqueでは、拍をしっかり出して弾く事が基本です。
そのために、8分音符や4分音符の前後は、はっきりと音を切って拍を出さなければなりません。
とは言っても、アクセントのように1beatずつ 「強く弾く」と言う意味ではなく、あくまで「拍(rhythm)をはっきりと出す」と言うぐらいの意味です。それよりも、強い音では下品になってよくありません。
指使い
左手、最初の指使いを5でなく3の指を使うことは弾き始めの音を安定させると言う意味で、とても良いと思います。
2小節目のシbを(1,2小節目の指使いと言う事で5-1の)1でなく、2の指で弾かせる事はとても良いことだと思います。
しかし、2小節目の指使いですが、4小節目と指使いが違いますよね。それには根拠がないようです。ですから、4小節目の指使いは確定ですから、2小節目をそれに併せて(整合させて)、2-3-1-*と持って行きます。
8小節目の最後のソの音が5の指になっていますが、これは、多分9小節目から10小節目に関してのドからファの音を1-2の指で安定させたいからだ、と思われます。しかし、ドとファは広ではなく、広広まで広がってしまっているので、型の範疇には納まりきれません。それに、ファ、ミ、レと1-2-1-3と指使い的にも面白くはありません。ですから、8小節目の最後のソの音を4の指で弾いて、ファミレを2-3-1とした方が自然です。
9小節目は3-2-1で、10小節目が2-3-1になります。12小節目は2-1-2となります。16小節目は3-1234-5,1-2、20小節目が2、23123となります。22小節目は2、12123,5,3,24小節目、2、234、25小節目1,2,4、27小節目と最後の1括弧の小節は3-1-5、3,2,1、です。
下降の音階の始めの音は4からになっている箇所の方が多いので、その整合性を出すために21小節目の5の指を4からに変えると良いでしょう。
432132、1-2-5、次の24小節目は4ですから、ラは3の指にすると良いでしょう。
25小節目の3拍目の32を、3ではなく、21にして、26小節目のソの音は5の指ではなく、これも4から始めると良いでしょう。4321323とします。
トリルの注意
トリルは無理がないように最小から始めると良いでしょう。
お約束は必ず上の音から始めなければなりません。
Baroqueの定説です。一番簡単なパターンがファミファ、ミ,ファ/ファーーです。
最初の音を止めて、ファ、ミファミファ、ミファ/ファーーと言う方法もあります。
サービス過剰ですが、望ちゃんのために、トリルの弾き方の譜面を作ってあげました。
本当にサービス過剰です。他の生徒に怒られそうだ!
Aは簡単な一番最初の練習versionです。
ですから実際にコンクールで弾く時にはBかCのパターンを弾く事になります。
転ぶ、滑る!ビッコをひく!
特に左手の下降の音階の時には音の粒が転びやすく、それがスラーで弾く時のネックになっています。
ですから、基本的なbaroqueでは、8beat単位にスラーをつけてシー、ラソ、ファミ、レーと軽いアクセントをつけて弾かせることが多いのですが、これはチェンバロ奏法なので、ピアノのように強弱のアクセントが付くとよくありません。よく言う弦楽器のbowslurだと思ってください。
譜面が7、8枚ぐらいになったので、弘子の所にFAXをまとめてしようと思います。
2009/04/12
(日)
0:41
返: 望の選曲と動き
Händelは必ず左手(右手)を練習させる時には、先生が右手(左手)[反対側の手]を弾いて、子供にrhythmを意識させるようにしましょう。
同じ手を先生と生徒が弾くのは、全く意味がありません。
必ず生徒の弾いている手とは反対の手でなければなりません。
最初からゆっくりではなく、ある程度はintempoで練習してかまいません。
そのほうが、譜読みが早くなるように指導する事が出来るのです。
Tempoが早くなると、指の移動が間に合わなくなるので、最初のB♭の音がもう何処まで伸ばせば良いのか分からなくなるはずです。
しっかりと、せめて最後の16beatまでは、延ばせるようにしましょう。
8分音符や4分音符の後は、軽い区切りが要ります。
私がBachなどでシュライファー(シュトリッヒ)/で表していた区切りです。
軽いアクセントとでも言うのかな?日本語は分からん!
私だったらむしろ3beatで8分音符ごとに軽いアクセントで弾かせます。3拍子の軽快な楽しい感じを出すために!
望ちゃんのハスリンガーとHändelの譜読みは、両方の曲とも未だに片手練習の状態で、どちらがベストチョイスか判断のつけようがないぐらいに、譜読みが遅いです。
もう普通の生徒ならば、両手で練習しているはずです。
望ちゃんが譜読みが遅いという意味ではありませんよ。
私が子供達のPianoを教えている時にも、最初の1週間目は片手ずつの譜読みだったけれど、次の2週目には、両手で弾いていたはずですよ。
普通の小学2年生でも、それぐらいのlessonのカリキュラムのスピードは必要ですよね。
レッスンの進行に無駄がなく、子供達をちゃんと集中させる事が出来れば、それぐらいのペースでlessonを進行させる事が出来るようになります。
ハスリンガーの課題曲は弾けるようになってからの方が、スピードを上げるための練習等の練習のpointがいっぱい出てくるので、即、仕上がるのはHändelの方が行程が少なくて良いでしょう。
2009/04/12
(日) 0:49
Re:返: 望の選曲と動き
分かりました。
では明日望のレッスンなので、冗談とヘンデル中心でレッスンしてみます!
ありがとうございました。
2009/04/14
(火) 22:22
望の質問4/14
ヘンデルのアリアのメトロノームテンポは120で良いですか?
2009/04/14
(火)
22:52
返: 望の質問4/14
①HändelのMetronomtempoは3拍子なので、120では付点4分音符なので40になってしまい、幾らアリアでも遅すぎます。
8beatで考えるのならば本来は多分160ぐらいになるのではないでしょうかね?
コンクールの用の最低のtempoでも130以上はないとまずいですよね。
それでも1拍取りで考えてみると、43という非常に遅いtempoになります。
160でも53ぐらいですよね。決して速いtempoとは言えません。
HändelのAria
Lessonに対しての注意
Lessonが始まってから、望がPianoを弾き始めるまでの時間が兎に角長い。
HändelのAriaに入ってから今回で、lessonが何回目か知らないけれど、先生と生徒が譜面にしがみついて片手で弾いているのは、傍目で見ていて滑稽である。
Lessonとしてならば、望が ちゃんと自分の指を見ながら、「手の型を確認しながら」弾くべきである。多分、望が暗譜出来ないのは、先生が望の曲を暗譜していなくって、指導しているのが原因です。私も美春のlessonでは、全曲暗譜でlessonをしているよ。智恵が暗譜して、lessonしているとは言わないけれどもね。
私も日頃忙しいので、美春のlessonのために、予習して暗譜をするための時間はないので、美春のlessonの時に、美春に模範演奏をしたり、一緒に弾いたりしている時に、(lessonの1回目とか2回目で)美春の指導する楽譜を覚えてしまう事にしている。美春の曲のために、別に時間を作っているわけではないのだよ!
望の集中力の無さは、暗譜をしてレッスンを受けていない事に、その原因の非常に大きな部分を占めている。
子供は先生が覚えて弾かないと、自分の方からは、原則として覚えようとはしない。
井上さんにその話をした時に、井上さんは「私は出来ない!」と言った。
井上さんには、「Beyerの全曲を覚えるよりも、chopinのバラードを一曲覚える方が音符の数は多い!」と言って、それ以降のレッスンは、私が暗譜でlessonをして見せた。
その後井上さんは、私に対して 「私は覚えられません。」とは一度も言っていない。
覚えて弾いているかどうかは知らないが・・・。
子供に楽譜を覚えさせるコツは「楽譜立てを立てない事だ」 として、弘子がまだ小学生だった頃も、私のlessonでは、そう言う風に習ってきたはずである。
それなのに、望のlessonでも、1月経っても、2月経っても、譜面台を立てたままでレッスンをしている。しかも、週2回、3回のlessonなのだろう??
先生がそれじゃ、望はいつまで経っても覚えないと思うよ。
望は別に、嫌がらないで、関係もなく(特にlessonに支障もなく)、私のlessonを受けていたのだが、lessonの終わり頃には、いつの間にか、望は譜面を全く見ないで、暗譜で弾いていたよ。
だって、「指を見て!」 とか、「打鍵の位置を見なさい。シールからずれているよ!」 何て、レッスンの間中言われていたら、望だって、楽譜を見る事なんか出来ないし、その暇なんか無いだろう??
楽譜を見せない事、それが暗譜を強くするコツだよ。
但し、それには暗譜を前提としたlessonの内容でなければね。
2小節目のミ♭で指が万歳するのはわかっているのかな?
黒鍵を弾く時に指が広がると言う事と、touchがお掃除touchになっているから、黒鍵になるたびに指が万歳する。
弘子がvideoを撮影している所で、画面を見ながら手の型を直している所があったので、videocameraのcameraに撮った。
今回のメールに添付しておくが、パソコンが上手く開いて、添付が見れれば良いがね。
譜面にしがみついている感じや、せっかく親指を黒鍵の傍に寄せても、他の指が更に奥に逃げてしまっているという様子がよく分かる。
2009/04/15
(水) 5:12
Re:09年4月11日の望のコンクールのlessonのvideoのcheck
ありがとうございます!
今日のレッスンでは、私が覚えていないことに気がつき、なんとか覚えてやってみましたが、ヘンデルのアリアは、半分までしか私が覚えられなかったので、望も半分までしか覚えて弾きませんでした。
とにかく今日のレッスンは30分しかなかったので、大慌てでやりましたが無駄が多いと思いました。
しかし以前のように、望が(lessonを)拒絶するような感じは少し減ったように思います。
やはり指導者が内容を考えて教えることは大事だと思いました。
気持ちとか気合いほど子供にとって意味のない内容のない得体の知れないものはないと実感しました。
Händel
①トリルの練習で、音の粒が揃わないのは、打鍵の位置を同じ線上にしないからなのだよ。
親指と3の指の位置がかなり離れているので、打鍵した時に、ビッコを弾いてしまう。
粒を出したければ、手をコンパクトに構えさせる事がコツ。
トリルの数を増やす時には、逆にMetronomのtempoを遅くしてやれば良い。
簡単な事だよ。
ビートが同じなら難しくはないはずだよ。
数が増えた時に、粒の速度が速くなるから、望が苦手意識が出てしまう。
②左手の練習はこの前から気になっているのだが、16beatから8beatに変わるところで、いつもずっこけている。(tempoが転んでいる)弘子は気がついていない。
③望が右手を弾いているときに、弘子が左手のパートを弾いているけれど、そのときに先生が立ったままピアノを弾いているので、だんだん先生のピアノを弾いている時の親指の位置が白鍵のふちの方に(悪い手の型に)なりかけている。
立って弾くのは、最小限にとどめて、手の型を崩さないように気をつけなければならない。
座るのをめんどくさがると、子供は先生の悪い手の型を真似てしまう。
Händel
望がトリルを勉強してこなかったので、lessonがトリルで引っかかってしまって、Händelはトリルしか現実的には指導していない。それなのに望は全てトリルで引っかかっている。5連符ならば6つの言葉を作れば一瞬で弾けるようになるだろうに。練習なんかする必要はない。言葉を捜せば良いのだ。例えばAの例だったら、「よくゆびを、たてて!」で良いんじゃない?それをしっかりした声で、声を出せるように練習する。声が出ない間は弾けないのだよ。
videoを見ながら曲が変わるごとに譜面を探している。
弘子の生徒の譜面だけではないんだよね。探し出した頃には、videoが終わっている。
ヘンデルアリア
私が覚えていない為まったくチェックが出来ませんでした。
①4の指を体をよせずに手だけで弾きななめに打鍵してしまうのをなおさせたいのですがどういえば通じますか?手首のぬきですか?
②左手の2かしょでてくる5小節目と15小節目のラ~ファのところを手を伸ばしてとっているのでかたちがくずれていやなのですがどうにかなりますか?
③暗譜させて手だけを見させていても正しい打鍵で弾けないのはどうしてですか?
2009/04/22
(水)
14:48
返: 望のlessonの質問の答え
基本的には videoを見終わった時には、返事は書き終えています。
videoを見ながら、checkをする代わりに直接メールしているからです。ですから、videoを見る前に、曲名や練習のポイント、質問事項などがいると言う事なのです。
ですから、今もう手元には望のvideoはありません。江古田で返送用のボックスの中に入っています。桃ちゃんが気が向いたら返送してくれるからです。
と言う事で、質問に対しての回答は私の記憶になります。
ヘンデルアリア
私が覚えていない為まったくチェックが出来ませんでした。
①4の指を体をよせずに手だけで弾きななめに打鍵してしまうのをなおさせたいのですがどういえば通じますか?手首のぬきですか?
⇒それは何処の事ですか?右手ですか?左手ですか?質問が分かりません。そもそも、4の指を体を寄せずに、というのはいったいどう言う事ですか?4の指がくぐる所の話ですか?Händelのアリアでは両手とも4の指がくぐる所はないはずですが。
②左手の2かしょでてくる5小節目と15小節目のラ~ファのところを手を伸ばしてとっているのでかたちがくずれていやなのですがどうにかなりますか?
⇒耳タコで言うように、手の型 が崩れるのは、打鍵の位置が崩れているからです。
じゃぁ、何処で崩れるの?
2小節目の231とか4小節目の231の指のくぐりで崩れるのでしょう?
それを直して、ちゃんとした打鍵の位置をキープできない限り、41の所だけを直しても意味はありません。
Beyerで指導する型は基本の手の丸い型から 6度の型、7度の型と 広がっていきますが、芦塚メトードでは、5から2の指までは丸いままで、1と2の指の間だけが広がるのですよ。
そう習ったのでは?
それが芦塚メトードなのですよ。
だからこの場合も芦塚メトードでは 5小節目の7度の型になったとしても、5から2までの指が(手の甲が)潰れる事はないのです。
4小節目と14小節目はミの音が?になるだけで、7小節目と17小節目までまったく変わらないのです。
③暗譜させて手だけを見させていても
正しい打鍵で弾けないのはどうしてですか?
⇒私があなたにいつも注意している事があります。
正しく演奏するだけではコンクールには合格できないし、私が梨紗をlessonする時に梨紗がまだ曲を弾けていないのに合格にしてしまう事がよくあります。
それを智恵が勘違いをして、美春がBeyerを70%弾けるようになったら合格させたりして、私を困らせています。
私は曲を弾く事を課題にしているわけではないのです。
与えられた奏法が出来るか否かで、合否を決めているのです。
望にはまだそこのところが分かっていない。
というよりも、美しい手の型自体がわかっていないのではないですか?
「望にこういう手の型で弾こうね?!」と言って、手の型を見せている所をまだvideoは見た覚えがありません。
ゴロニャンの手の型と言っても、あなたがその手の型を望に作って見せてあげているビデオはありません。いつも望に 「手の型を作りなさい!」 と言っているだけですからね。
そこの違いは大きいと思いますよ。
Händelのアリア(00:19:00)
①Händelのアリアの面白さは、ちょうどBachのインベンションのように追っかけっこにある。
両手のmelodieの独立を弾き分けるには、両手の独立した手首の抜きで句読点を表現させると良い。
手首が自然に柔らかく抜けるようになれば、当然指や手の型は丸くなる。
美しい手の型を整えるのにも有効である。
特に右手1~4小節目までのarticulationを両手とも独立させて弾く事が、baroqueの面白さを表す事にも成る。
「ねぇ?どうした/の?ネッ?/ねぇ?どうした/の?ネッ?/・・・・・・・・・etc.
「*****/ねぇ?どうした/の?ネッ?/ねぇ?どうした/の?ネッ?/・・・・・・etc.
こういった右手と左手の掛け合いが面白いのさ!
句読点入りの楽譜は添付してみます。パソコン上で見る事ができれば当然弘子のプリンタででも、print outもA4版で出来ますよね。カラープリントすれば色は再現されるので見やすいよ!
Händelのアリア:
*4小節目の左手は前々回から、いつも同じ場所で転んでいる。
しかし、そこのcheck(指摘)は一度もない。
*10小節目でstaccatoに入る前の右手は前からの同じ抜きでなければならないのに10小節目だけスタッカートではじいている!
その後の音はstaccatoになってしまっている。
staccatoではなく抜きだろう!!
7小節目や9小節目の抜きの音の長さがそのままs10小節目のstaccatoの長さにならなければならない。
*Articulationはこないだメールに添付して送った。手首の抜きの美しいフォームが欲しい。
2009/05/04
(月)
7:53
返: 今日のれっすん5・3
アリアの切れ方(アーティキュレーション)は本番もこれで弾くのですよね?レガートではなく16分音符を2つにきるのはどういう意味ですか。粒を安定させるためですか、それとも奏法などの様式の問題ですか。
教えて下さい。
⇒この話も細かくメールに説明をしたはずですが、①先ずアリヤと言う事で皆さんが滑らかに弾き過ぎる傾向にあると云う事。アリヤと言うより寧ろメヌエットの方にテンポは近いと云う事②三拍子のテンポをしっかりと出すために、指が滑らないために、少し強勢を加えるという事③チェンバロ奏法では少しアクセント気味に弾く事がオーソドックスであること。等説明してあります。④もしこの曲が本当にアリヤだとすれば、もっと非常に遅く、細かな装飾が施されなければなりません。それはHändelの他のアリアとして作曲された曲にそのサンプルを見いだすことが出来ます。それにテンポはこの倍程遅くなければなりません。
2009/05/07
(木)
2:11
videoを見る前に (あなたの手紙に対してのお返事!)
「Händelの楽譜をコピーしないままこれで練習をしてしまいました。」という意味は分りません。
書いてある楽譜は同じようにしか見えません。
矢印は当然手首の抜きの私の記号です。
あなたが私から習った全ての曲にその記号は出てくるはずです。
なぜ今更その質問なのですか?私が何か新しい事でも始めたとでも思っているのですか?
私のmethodeはこの30年何一つ変わっていないのですよ!
あなたが20年前に習ったその儘のmethodeです。
HändelのMetronomtempoについて
(2009/04/14 (火) 22:52)
返: 望の質問4/14
①HändelのMetronomtempoは3拍子なので、120では付点4分音符なので40になってしまい、幾らアリアでも遅すぎます。8beatで考えるのならば本来は多分160ぐらいになるのではないでしょうかね?コンクールの用の最低のtempoでも130以上はないとまずいですよね。それでも1拍取りで考えてみると、43という非常に遅いtempoになります。160でも53ぐらいですよね。決して速いtempoとは言えません。
2009/05/07
(木) 11:24
メールに対して
どうもありがとうございます。
内容はよく分かりました。
ヘンデルは108で練習していたので最低でも130まであげなくてはいけないと思います。
2009/05/08
(金)
1:07
返: また、また、また、素っ頓狂なメールに対して!
①指導者は・・・
Händelのtempoに限らず、指導者は目標の最終tempoは持った状態で、現在のtempoの指導をしなければなりません。
今を積み上げて目標を上げて行くと言うのでは、あやふやなlessonになってしまうからです。
2009/05/08
(金) 2:45
返:
メールに対して追伸:
ヘンデルは108で練習していたので最低でも130まであげなくてはいけないと思います。
Händelについて、老婆心ながら二つだけ追加で注意しておきます。
①曲のMetronomtempoを厳しく言っているのには、もう一つの意味があります。
それは、tempoを8音符取りしていると音楽が間延びしてしまうからです。
仮にMetronomを付点4分音符が120で弾いたとしても、8分音符取りをして、120で弾いたのでは曲が流れないで、たどたどしくなってしまうと言う事です。
それなら、Metronom40で2小節で強の小節、弱の小節と弾いた方が流れます。
弘子はMetronom40で流れて弾いたのと、Metronom120でたどたどしく弾いた望の真似の奏き分けが出来ますか?
それが私がある程度Metronomを上げて弾いた方が、望にとっては有利だと言っている理由なのですがね。
遅いと8beat取りをしてしまって、どうしてもたどたどしく音楽がなってしまっているのですがね。
②は望の片手練習の段階から、同じ音で引っかかるのが直っていません。それが私が何度も注意しているのにかかわらず、相変わらずひっかかったままに、そのままにいまだに弾いています。
それを望も意識していないし、あなたも意識していません。
そして私は毎回同じ注意をしています。つまり音が引っ掛かって弾いているのに、あなた達にとってはそれがわかっていないのです。
だから何度注意しても直らないのです。
たぶんvideoで繰り返して聞いても、分らないのではないのですか?
でも、望は10回のうちに4,5回は引っ掛かって弾いているのですがね。
2009/05/08
(金)
3:10
ビデオテープの感想!
Händelのアリア
アリヤは2回弾き直したわけだが、2回とも明確に不安なところ、転ぶ所、記憶が欠落している所、そういったところがはっきりと出ていると思う。
望に上手く弾けたのか?と尋ねる前に、先ず何処がミスったのかをチェックさせて見るべきである。
それは、望自身が自分がミスったという事を分っているのかどうかを尋ねる事にもなる。
しかし望みと弘子との会話では、そういった望に楽譜をチェックさせるという指導は全くなかった。
それでは今後何十回レッスンを繰り返しても、望は上手くなる事は無い。
何処が悪いかをわかっていないからだ。
2009/05/08
(金)
10:52
練習のstep up!
①練習は必ずstep upさせなければならない。Metronomの使用でも馬鹿の一つ覚えではいけない。音楽がたどたどしくなる原因はbeatを大きく取れないことにある。
Step1では、beatをなるべく小さく取り、一粒一粒の音を大切に確信して捉えているか(把握しているか)を見る。
Step2では、それが出来るようになったら、(合格したら)同じ速度で、大きなbeatで取る練習をする。8beatが120だったら、付点4分音符で40のtempoで練習する。
そうすると音楽は流れるようになる。
しかし、粒粒が不安定ならばその段階で、躓いて弾けなくなる。
それはstep1の段階をちゃんとクリアしていないからである。
見残しや不安な箇所の抜き出し練習をしていない、練習が完成していない箇所があるからである。
②日本人の指導者は一度出来るようになると、二度と同じcheckはしない。
プロは出来るようになったら、必ずもう一度初歩の段階からミスは無いか、不安なところはないかをcheckする。
片手ずつ、暗譜をして、両手になって弾けるようになったら、必ずもう一度片手に戻ってみる事だ。
そこで不安なところがあったら、やはり本番ではミスる。
ミスには偶然はない。
必ず、練習の弱い必然がある。
だから、事前にミスをするところは分る。
分らなければ、それはcheckがなっていないからだ。
2009/05/09
(土) 2:10
望のレッスン
メールありがとうございます。4通全て読みました。今日は望のレッスンでしたがやはりうまくできませんでした。まず望がまた泣き始めました。思うように練習ができていないとわかっている時にはこちらがこうだよこうひくのだよと言ってもうけいれてもらえません。
2009/05/09
(土)
5:16
返: 望のレッスン
今日は望のレッスンでしたがやはりうまくできませんでした。まず望がまた泣き始めました。思うように練習ができていないとわかっている時にはこちらがこうだよこうひくのだよと言ってもうけいれてもらえません。
⇒あなたは「望が自分の言った事を守ってくれない!」と、嘆いていますが、その話は私があなたにそっくり返してあげます。
今回のお話もデジャヴのように、何度となくあなたに同じ話をしています。
問題は、あなた自身の話と望の話の二つにはっきりと分けて考えると良いのです。
ここで言う「あなた自身の話」とは、あなた自身が望に指導する内容をどの程度すっきりと把握しているかです。
つまり、小学生の低学年の場合、下手に言葉で説明するよりも、口写しで実際に弾いて指導する先生の方が多いのです。
言葉であれこれ説明しても、小学生の場合言葉自体を理解出来無い事の方が多いので、弾けるようになってから、逆に言葉で説明してもよいのです。
音楽の場合、言葉で説明する先生の殆どは、自分がピアノが弾け無いか、練習をする事を怠けているかの場合が大半です。
それ以外の場合は、殆どの先生がピアノを弾いて子供に演奏のコツを指導していきます。
この話も以前同じ話をしましたよネ。
何度話しても理解してもらえ無いのは、望同様私も同じですがね!
次に、子供の指導の場合、子供が楽しんで練習をして来るのは、先生に認められた場合、何回褒めらえたかに依ると言う事も、何度もあなたに説明しています。
もし、それであなたが「望が演奏している事で褒めることが無い!」と、言うのならば、それは望が学ぶべきステップではなく、もっとより高度なことを要求していると云う事です。
いつも言うように、子供には段階に応じて指導していかなければなりません。
Aが出来たからB、BができたからC、とステップアップしていかなければならないのです。
そういう段階を無視して指導した場合は、子供はパニックを起こします。
私に取って、子供の指導は人生の息抜きです。
私の言う事をこれ程真摯に捉えてくれる人間は大人ではいません。
何の疑いもなく、私の言った事を信じてその通りにやってくれます。
それは弘子、あなたにとっても同じなのですよ。もしも、望があなたが行った通りに練習してくれないと思うのならば、あなたは望が自分の言った事をどういうふうに理解したのだろうか?と反省し、では、どう言えば望に理解出来るように話すことが出来るだろうか?と考えてみればよいのです。
それはあなたが指導しているすべての子供達にそのまま応用が出来るからです。
大人の人間関係においても、自分が言った通りに理解してもらえない事の方が多いのではないでしょうか?それをきちんと理解してもらうために、丁寧に何度も説明し直すのでは無いですか?
「自分はちゃんと説明をした!」「分かってもらえ無いのは、相手のせいだ!」と思うのは傲慢では無いでしょうか?
あなたは藤田先生に関して私が批判した時に、「教室の態度は傲慢だ!」といいましたが、実際にはこういう時に「傲慢」という言葉を使うのですよ!
人間、謙虚になるというのは、他人に対しての自己反省なのです。
それは相手が子供であっても変わらないのです。
芦塚メトードの奥義として、純子達に常に言い続けている事は、「子供達と音楽を通じて楽しく遊びなさい!」という事です。
その結果、子供達はうまくなっていくのです。
「正しい遊び方」というのは、先生の自分の勉強の問題で、子供達には関係無い話です。
子供達が間違えた遊び方をした場合は、先生がただ単に勉強不足なだけでは無いでしょうかね。
「どう弾かれたら、正しい演奏か?」というのは、子供に取っては伺い知れ無い事ですからね。
とにかく、レッスンのコツは楽しく遊ぶことと、褒める事が出来るようにしてあげて、そして、うんと褒めて家に帰す事です。
そうすれば、子供は家で一生懸命練習して来ます。
子供を泣かせる事など絶対にあるわけがありません。
2009/05/24
(日) 21:06
望 根室
こんばんは!
今日望の根室予選でした。
結果は望の番を聴くまでもなく(というか受ける前から分かっていますが)ダメです。途中で帰ってきたのでまだ結果をみてはいませんが、私、本人、親全員で落ちたことは分かっています。万が一も奨励賞すらないです。
レベル的には釧路よりやや高いと思いました!
望はヘンデルのアリアで3箇所音がぬけたし
2009/05/25
(月)
2:29
返: 望 根室
こんばんは!今、千葉のオケ練習から帰って来ました。
今回の望ちゃんのレッスンのキャッチボールは前回よりはかなり頻繁に上手く行ったと思っています。しかし、今回も、あなたは、相変わらず、どうでも良い事に、心が振り回されて私の指摘するアドバイスがあなたに通じなかったという事を、今回は去年の夏以上に感じています。
子供をコンクールに出演させると言う事は、先生にとってもそれ相応の厳しい束縛を受けることになります。
つまり、責任です。
若い女の子の先生達が、子供達をコンクールに入賞させる事が出来ないのは、その責任を負うことを、最初から逃げるからなのです。
主婦の先生達が生徒をコンクールに入賞させられない理由も、あくまでその先生の心の(生活の)中心は家族であり、子育てであり、旦那であるという所に、その根本的理由を見いだすことが出来ます。しかし、釧路にしても、根室にしても、結婚してようが、独身であろうが、子供が何人いようが、そういった責任を背負得る先生だけが、そういった『コンクールに入賞出来るよな生徒』を育てることが出来るのです。
そういった生徒をコンクールに出すに当たっての、先生の心構えは、一昨年のカノンの時に、コンクールに出すための先生の責任と言う意味で、具体的に細かくお話をしたはずです。
Lessonでの子供の出来不出来にかかわらず、或いは自分の体調や状況にかかわらず、一貫してカリキュラムを遂行出来るようにしなければ、子供をコンクールに合格させる事は出来ないという話はこれまでも何度もしました。
そして、もう一つ注意をした事は、親や子供に、無駄な夢を見させないように、より具体的に的確に自分達の現在の状況やレベルを常に把握させれば、コンクールを受ける前にコンクールに入るか否かは当然、自分達で判断出来たはずです。
そうすれば、「エレクトーンがどうだ」とか、「遊びに行く」とか、そういった事すら、絶対に言って来ない筈なのです。
少なくとも、私たちの昔の教室では、そういったありもしない無駄な夢幻のようなことを、期待する子供は居なかったようです。
あの智の親でも、星那や綾香達がコンクールに入賞するのを見て、自分達の非をちゃんと分かってはいました。
どのような曲であったとしても、あなた自身がその曲をちゃんと理解して、指導のポイントを絶対に外さないように指導する事が、秘訣で今回も前回同様に、コンクールまでのカリキュラムを正確に守って練習をさせるように!
前回はそれができなくてコンクールに合格する事が出来なかったのだから!と今回こそはとお約束したはずです。
私は、あなたがヤマハで勤めるにしても、望達をコンクールに出すにしても、或いは教室を立ち上げるにしても、そういった感情的なブレが、あなたの致命傷であると思っています。
私に対してアドバイスをもとめるにしても、自分が調子が良い時には、山のようにアドバイスを求めるメールが来ますが、一旦欝なってしまうと、ひと月ぐらいコンクールの子供達をほっといて連絡すらよこさなくなるのです。
そういったあなたの波のある感情の動きは、私にはそれが無責任の表れとしか見えませんけどね。
同様の無駄は、曲を合格させる時に、課題が出来ていないことを説明する事です。
私の場合は、次のstepの課題を事前に説明する事はあるけれども、それはやはり、事前の説明であり事後の説明である事ではありません。
打鍵の位置と姿勢椅子の高さがちゃんと出来たら、コンクールぐらいは簡単に通ります。
2009/05/27
(水) 1:28
FAX
ごめんなさい!
望のFAXは明日にします!
審査結果は妥当でしたし、大概の審査員はヘンデルのアリアはアーティキュレーションを細かくやっていることは評価してくれてはいました。
2009/05/27
(水)
4:48
望のlessonvideo5月22日分Bartókとヘンデル
根室のコンクールは終わったわけなので、望のvideoを診ても仕方がないのかもしれないのだが、しかし、練習のpointは変わらないと思うので、一応checkして感想を送っておく。
うの4の話
だから、言葉を言わせる前に手で先生と一緒に叩くとか、手を叩きながら言葉を言う事が先でしょう?それが完全に出来て初めてピアノでひかせるのだよ。それが確実性!
それと、ピアノでひかせるときに絡め合わせ、a tempoでウの5を弾いた時に、左手が親指に力が入っているのを聞き取っていない。
絡め合わせの原則を守ったら、ウの6の前まで弾かなければならない。
そうすれば、左手の親指がshiftしていないで、親指が上がっているのも同時に注意できたはずである。
いの2の話
いの2の弘子の落としは、結構大きい。
2小節目で右手が躓いているのを見落としている。
しかし原因はむしろ、左手の理解にあるのに気がついていない。
つまり、同じトレモロでも、うの2の2小節目、4小節目は6度の型なのだよ。
そことの違いが不安なのだよ。塗り絵をさせて、「次は*色という練習をすれば一発で直る。」
うの6
ウの6の最後は前打音が残ってはいけない。と注意したはずである。最後は濁った音が残らないように、しっかりと装飾音の音をはずす事!
通し練習
rallentandoの所の最初はintempoで入り込むといったはずだよ。望はrit.の前で全部遅くなっている。
強弱の付け方は陽南子の姿勢の練習ではとてもよく表現できていた。
でも、望の場合には、フォルテもピアノもまったく同じ姿勢のまま弾いている。それじゃ、フォルテピアノは幾ら「付けろ!」と言っても付かないだろうサ!
まずのめり込む様な姿勢で、少し力強く最初の2小節を弾く、後の2小節でだんだん体を引いて、右手の方に上体を持っていく。右手に体重が乗るように!弘子もよくやらされたことだろう!poco rit.で後ろへ体をそらす。それでピアノが表現できる。フォルテで弾き始める前に前傾姿勢を取る。そうすれば、フォルテを忘れる事はない。子供は体で教えるんだよ!以下同文分るだろう!
ヘンデル
トリルの練習
これもいきなりピアノで弾かせているけれど、実際に「家でやったの?」と言う質問はしていけないと何度も言っているはずだよ。
家で練習をしたかどうかは、コンクール組みは関係ない。
出来るかどうかだ!
だからまずピアノで弾かせる前に手で3拍子を叩きながら、言葉を言わせて見る。
そしたら、次に言葉を言いながらピアノで弾くと言う話を電話で何度も確認したはずだよ。
弘子だって「綺麗な音でピアノを弾こう」と口でつぶやきながら、ピアノの7連音を粒を出す練習をしたはずだ。
そこのところを自宅練習にしては絶対にいけない。
そこが一番肝心要のところを指導しようとしないで子供や親に丸投げをする弘子の悪い癖だ!!!
ヘンデルのlegato
ヘンデルのlegatoは、8分音符単位の抜きではない、と注意したはずだ。
Legatoで弾くと3拍子の拍がでないからチェンバロの場合には軽いアクセントと抜きで表すのだが、ピアノの場合には1,2,3、拍目の拍頭に軽いアクセントをつけるだけで、十分なのだ。
抜きでひかせるのならば、もっとなめらかに弾かせなければならない。
それではたどたどしすぎる。
ヘンデルは両手の独立した歌い込みが出来ていないと豪華くらいにはならない。
ブルグミュラー並に簡単な曲だからNiveauはもっと高く要求される。
私なら、望に反対の手を弾かせて、バンバン弾かせるけれどね。
『もっと歌って!!』てね!
videoは続きがなかったので感想はここまで。
[あとがき]
この往復書簡も、まとまりがなく、突然切れてしまいます。コンクールが近づいて、先生がパニックになって、自己流のlessonが始まって、メトードによる丁寧なlessonがなくなったからです。コンクールの終了が近づくにつれて、望ちゃんのlessonに関する相談はなくなり、他の生徒にlecturemailが移って行ってしまいました。というわけで、相変わらず、尻切れトンボなのですが、このlecturemailはここで終わります。
2010年 2月某日
江 古 田
一静庵の寓居にて
芦 塚 陽 二 拝