芦塚音楽研究所教材研究

 

I先生のdouble teachers system lesson

指導講師担当 芦塚陽二先生

 

M君の初レッスンより

[lessonの引継ぎ方と教材研究]

 

Haydn Pianosonate 

C Dur ⅠSatz

 

 

M君第一回目の引継ぎのレッスン

 

200*/**月/**日 (水) 4:58

①ディアベルリの初見と指導者のcheck事項 

[初lessonのconcept] 

レッスンを他の先生から引き継ぐ時には、(特に他の教室の先生、他のmethodeから引き継ぐ時には) 「生徒が今まで 何を どう習ってきたのか」 を知ることがもっとも大切な要素である。

「どのように指導されてきたのか?」 「何を教わってきたのか?」

演奏させる事だけではなく、生徒や父兄に直接言葉で知ることや、前の先生に色々な問題点や課題、或いは良い部分なども合わせて聴き取り、checkをする事で、指導上のカリキュラムを決めていかなければならない。但し、その場合においても、その言葉はあくまで、補助的な要素にしか過ぎない。基本は、生徒の観察に尽きるのである。そして問題点を見つけ出したら、即教室のメトードに移行するのではなく、ヴァイオリンの才能教室を持ち出すまでもなく、或いはピアノの大手の音楽教室からの生徒を指導する時でも、生徒が負担にならないように、少しずつ、何から移行させるか、移行する技術項目を決め手、順次日にちをかけて移行するようにしなければならない。移行する期間は、生徒の条件によるが、最短でも1年単位という事を留意すればよい。

 

[椅子の位置と高さ]
レッスンの順に指摘していくと、M君の場合には、椅子の位置を自分で決めさせたのはとても良いのだが、M君が椅子の位置を決めるときに「発表会では印がして合って・・」といっていて適当に椅子を置いていた。その言葉をそのままにしていたが、それはM君が本当の意味では(理論的に)椅子の位置は理解していないと言うことだ。

だから本来はそこで、ちゃんと椅子の高さの理論的な説明がなされなければならない。

(M君は中学生であり、性格的にも理屈を好む性格であるからである。

一度、ちゃんと理論を説明しておくと、後は本人に任せる事が出来たにもかかわらず、そのchanceを失くした。勿体ない!)

 

[lessonの引継ぎに関するcheckの仕方]

Diabelliの教材に関しては、lessonの目的は、曲を弾く事ではない。弾けるようにすることでもない。そこまでは正解である。

しかし、curriculumは前の先生がどのようなconceptで指導してきたかで、次に何を指導しなければならないのかが自動的に決まる。

あくまで、レッスンは子供にとっては引継ぎであって、初めから習うわけではないからである。

まず、第一点として、今回のDiabelliの連弾の曲は、前の先生の所で一度習った曲という事で、M君としては「大体の譜読みは出来ている。」 と思い込んでいるのだが、観察していると、本当に譜読みが出来ているわけではない。

Diabelliの初見の時に、melodieをいつも違えたままで、弾いているのに (M君自身が「その音だ!」と思い込んで弾いているのに) それに対しての先生の指摘がない。

M君は記憶で楽譜を弾いているのであって、実際に楽譜を読んでいるわけではないのに、先生がDiabelliの曲を予習していないし、譜面を見ていないので、生徒が誤った音を弾いているのに、それに対して気づいていない。一度、予習をすれば(譜読みをしておけば)そういうmissはしなくなる。

生徒を指導し始めの時は、勉強しなければならない課題が非常に沢山ある。しかし、その努力を積み重ねていけば、予習しなければならない教材の数は減っていく。何事も最初が肝心なのだ。

当たり前の話だが・・。

 

 

[M君のtouchの問題点]

touchが腕全体で押し込むtouchになっているので、それでは将来的に曲のspeedが上がらなくなってしまう。touchの問題は時間が掛かるので、今直ぐには出来なくとも良いのではあるが、しかし、正しいtouchの指導は、弾けなくとも理論的には、直ぐにでも始めるべきである。

「腕全体の力を抜いて、指先を敏捷にして・・云々」 ぐらいの内容だったら、もう当然、指導してよい。

 

②ソナチネ・アルバム第1巻 No.13 Haydnの解説

[Haydn sonate C Dur Ⅰ楽章]

 

[指導者の事前の教材研究の重要性と副科ピアノの生徒の指導上のNiveauを何処にするのか?という問題に関して]

 

Haydnの奏法は古典音楽の基本であり、それを指導者がちゃんと理解しておく事は必須である。古典派の奏法に関しては、その技術を生徒に指導するか否かはともかくとして、指導者が一曲一曲のsonateについても、丁寧に必要最低限の教材研究をするべきである。

 

M君の場合はヴァイオリン専科であるので、ピアノの演奏がそのlevelでなかったとしても、ヴァイオリンの技術上では、古典派の奏法に関しては知識としても、ヴァイオリンの技術としても知っていて当然である。

例え、ピアノで表現するための技術が劣っていたとしても、「知識としては、当然知っている。」と言う前提の元で指導をしなければならない。

また、ピアノの技術的にも、例え副科といえども、芦塚メトードで指導を受けている事には代わらないので、ピアノで弾けるか否かはともかくとして、論理的にはfingeringや指使いのshiftに関する論理的な指導は徹底してやらなければならない。

 

 

テキスト ボックス: 譜例:8小節目からのtoriolen


また8小節目からのToriolen(3連音)もAlberti-bassなので、その弦的な響きとrhythmを意識して弾かなければならない。

 

 

[日本人の弾く誤った前打音への意識]

また、日本人のピアニストが抱く悪い癖、1小節目の4拍目のaccent(②の注意)をびっくり(しゃっくり)するように、際立たせて強く弾いたり、前打音をsforzandoで弾いたりする事は絶対にしてはいけない。

この時代のsforzandoの意味は拍の頭を表すだけだからである。

この曲のthemaはauftaktで始まっているから、①と同じように②の4拍目が、常に1拍目のような強勢が出来る。

この時代のsforzandoやaccentは、Haydnに限らず、BeethovenやMozartなども、そういったmelodieの頭(強拍)を示すために書いている事が多い。

勿論、他の古典派の作曲家達も、同じように演奏されなければならない。

 

[Pianoの指導者が知らない古典派の作曲家の弦楽器的な書法]

 

③の左手の4分音符は、弦の伴奏の響きと同じである。弦楽器特有の余韻がとても大切である。弦楽器の「ふあ~」とした音ではなく、右手のmelodieに対して不自然に押さえ込んだような長い音や、この4分音符の長さがその都度バラバラになってはいけない。

 

[お終いの音を表すための、省略されたstaccato]

例えば、同じ③ではあるが、4小節目の四分音符は右手左手ともにstaccatoの記号がついていない。これは書き忘れたわけでも、間違えたわけでもない。

古典派の時代の特有な書き方である。

それはこの四分音符が他の4分音符と違って、melodieの終わりの「閉めの音」であるからで、当然前の小節のstaccatoは軽やかに演奏されるのであるが、4小節目の4分音符だけは「終わりの音」として、丁寧に演奏されなければならないからである。

全く同じ理由で8小節目の頭の音も「melodieの終わりの音」として、staccatoがついていないので、「収めの音」として丁寧に弾かれるべきである。

Pianoの奏法としては、この場合には手首を上げる(抜く)事によってこのpassageの柔らかな音色を表現する。

 

[日本人が弾き分けることができない2分の2拍子と4分の4拍子]

譜例上の①は拍子記号の問題である。
Haydnのこの曲が2分の2拍子であると言うことを知識としては知っていたとしても、実際に2分の2拍子で演奏している人は殆どいない。

音楽を学んでいる日本人でアラブレーベ(2分の2拍子)と4分の4拍子を弾き分ける事が出来る人(そう言った意識のなる人)は殆どいないといってよいだろう。

もしこの曲が4分の4拍子で弾かれるのならば、この曲は唯単に長ったらしい(冗長で)、実につまらない曲になってしまう。

しかし、この曲が正しく2分の2拍子で演奏される時には、いかにもHaydnらしい壮大で勇壮な曲になる。
その拍子の違いによって表される表現の落差はあまりにも大きい。

この日本人特有の問題は8分の3拍子と8分の6拍子の奏き分けでも同様に見受けられる。(Beyerの解説参照:)

 

[練習番号について]

こういった膨大な曲を解説(lesson)するには練習番号か小節番号が必ず必要なのだが、それは生徒と先生が楽譜・・・、所謂、出版社、版などを統一する必要がある。

参考までに、だが・・・、[小節番号をつけるとき、余白のauftaktを小節番号に数える出版社もある] ことを知っておくとよい。

Auftaktを数えないと言う、音楽上の常識は、イタリア辺りの出版社には、結構通用しない。

 

「練習番号の付け方」についての解説はホームページ上の解説に譲る。

練習番号については、ありとあらゆる練習の指導の要になるので、色々な論文でその事に、触れている。その中の一つを紹介する。

ホームページ:「楽典のお話」から「暗譜のお話」

 

[和声について]

一般では音楽大学に入ってから学ぶ和声学の知識であるが、正しく和声学を勉強するためには、早い初心者の時期にそういった知識を身につけることがMzましい。出来ればBeyerの4,50番辺りでは、和声に対しての基礎知識を指導し始めることがMzましい。勿論、lessonとして、和声の時間を作るのではなく、Pianoのlessonの解説の中に折に触れて指導氏テクノである。私達はピアノを学び始める比較的に初期の段階から、ピアノのレッスンの一環として、楽曲に使用されている和声や形式論、そのほかのいろいろな理論をその課題に基づいてlectureする。

 

Haydnのこの有名なsonateをとって言えば、例えば和声的なアプローチとして65小節から80小節の間だけをとっても、5度サークル、Orgelpunkt、ナポリの6のコード、減7の和音等の和音が、きわめて短い小節の間に使用されていることを説明しなければならない。

参考譜例:

















a moll     Ⅴ⇒Ⅵ⁷ ⇒Ⅱ⁷ ⇒Ⅴ⁷⇒Ⅰ⁷⇒ Ⅳ⁷⇒Ⅶ⁷⇒Ⅲ⁷⇒Ⅵ⁵
------------------------------------F Dur Ⅴ⁷⇒Ⅰ

                       
 

 

蛇足のお話:

よその教室の発表会を見に行った時に、3、4年生ぐらいの女の子が曲の途中の半終止の部分の左手の和音を忘れてしまって、何度も弾きなおしていた。教室の本来のメトードではBeyerの中間部分ぐらいを指導するときに、楽典の時間としてではなく、普通の普段のlessonとして、調に対する概念と基本的な和音を指導する。(難しくいってしまったが、1octaveや2octaveのscaleとkadenzの話です。その時に完全終止や半終止、不完全終止とか言う言葉を教えるのだよね。「そこは、不完全終止だから・・・」と言った風に・・・。) だから音を忘れたとしても、半終止であると言う事を記憶していれば、躓くことなく演奏する事が出来た筈であるのだよね。

 

200*/**月/**(水) 5:01

M君のレッスンのビデオ拝見しました     

前回のM君の初レッスンのビデオを、昨夜もらいました。

という事で、取り急いぎcheckしましたので、I先生のパソコンにアドバイスを送っておきました。

時間が間に合ったら今日のレッスンの参考にしてください。

 

 

200*/**月/**(水) 9:27

M君くんレッスンメールについて 

アドヴァイス拝見いたしました、ありがとうございます。前の先生で「どう教わってきたのか」という点、本人の言葉や様子等気をつけて観察するようにいたします。

お母様の話では、「一曲をミスなく暗譜してきちんと弾けないと合格にならなかった、ブルグミュラー一曲が3ヶ月くらい続いた」と言ってました。指導講師の先生も『**先生はとても厳しそうに見える」と話していまして、音楽というよりは、「ピアノを傷なく綺麗に弾く」というようなレッスンという印象を受けました。

ハイドンは彼にとっては新曲で譜読みの量や質、テンポはある程度予想はしてますが、今日初めて見るので、正確なレベル設定といいましょうか、やはりどのようなレッスンをしてきたのかという点、ご指摘いただいたように大切だと思うので、注意してみていきたいと思います。メールにありました基本的な拍のとり方、3連音の4拍目には気をつけて見てるようにします。本日もビデオ撮りしますので、またよろしくお願いします。

 

200*/**月/**(水) 15:43

RE: M君くんレッスンメールについて

[親の評価について]
「課題を完璧に弾けるようにならないと合格しなかった。」というM君ママからのお話を先生は鵜呑みにされたようですが、実際にビデオを見る限りでは、M君はDiabelliの連弾を間違えたまま覚えて弾いていたようですよね。

ですから、お母様が「完璧に弾けないと・・・」とおっしゃられていると言うことですが、今のM君の現状とは少し違うようですね。

I先生は、お母様のお話でM君のlevelを判断しようとしたようですが、そこのところは、先生の立場でM君を見て指導してきた**先生のほうにも直接感想を伺って見たいものですね。

**先生の感想として、M君の問題点は、どういうところがあったのかアドバイスをもらっても良いのでは?

(それが、I先生のM君に対しての感想で、正しいと感じるか否かは別問題としても) 前の先生がどう判断していたのかを聞いてみるも、或いは親の感想と比較して見るのも、lessonをしていく上では大変参考になるし、また面白い事ではないかなと思いますが。

 

 

200*/**月/**(土) 17:17

初回と第2回目のレッスンの留意点

M君 第2回目のI先生のレッスン

Haydn sonate C 一楽章

[2回目のlessonのconcept]

ビデオを見て、Haydnは、初レッスンから1週間しか経っていないのに、M君はとてもよく練習してきていると思います。

最初のレッスンは前回のメールで指摘したように、今までM君がどのようなレッスンを受けてきて、どう言った所に弱点があるのか、指導上の留意点pointなどを探る必要があります。

多分それだけで、初回の1回目のレッスンがそれだけで終わってしまうかもしれません。

ですから、レッスンが2回目になって初めて、本当のI先生の1回目のレッスンになると言うことが出来ます。

 

[自分が望むlessonの演出]

また2回目のレッスンには、2回目という独自性があります。

最初の1回目のレッスンと2回目のレッスンの先生の子供に対しての接し方や音楽のアプローチなどで、後のレッスンの雰囲気が決まるので、ある程度どのようなlevelでどのようなレッスンをやりたいのかを生徒や父兄に印象づける必要性があります。

子供や親が先生に対してどのように接してくるのかは、殆ど、この1,2回のレッスンで決まるのです。極端な場合には着てくる衣装までも、この2回のレッスンの雰囲気で決まってしまうのです。

先生がラフな格好をしてくれば、生徒や父兄はジーンズで教室に来る事になって、先生との会話も、ため口でしゃべるようになります。父兄についても然りです。

ですから、先生がそういったレッスンをMzむのならば、先生がそういう格好をしてくれば良いのです。

これはファッションの話ですが、レッスンの雰囲気の演出は、先生の生徒父兄に接する態度も当然ですが、先生のファッションのセンスでも、生徒や父兄達に対して強い影響を与えlesson場の雰囲気を作ることが出来ます。

 

[checkpointについて]

①椅子の位置と座り方⇒M君は肩(A)、肘()B、お尻(C)の位置が、左からCABにならなければならないのに、BACの真逆の位置になっている。

       写真:

そこを折角 I先生が「椅子の位置はいいのかな?」と、M君に対して突っ込んだ迄は良かったのだが、M君が「そんな事はない」と応えると、その話がそこでそのままで終わってしまったのはすこぶる残念であるし、後日のレッスンの運営を考えると、問題を残してしまう結果になってしまう。

M君が「そんな事はない。」と答えたのは、彼の家の普段のピアノの椅子の位置がそうなっていたのに過ぎず、唯の日頃の慣れに過ぎない。

決して、彼が細心の注意を払ってピアノの椅子の位置決めをした結果ではない。

ピアノの演奏は正しい椅子の位置で決まる。どのように練習をしようと、間違えた椅子の位置では正しいピアノの音は作れない。

この場合のレッスンの指導に関して、正しくは、M君に対して椅子の座り方 「位置決め」についてのlecture(価値付け)が必要であった。

 

[Pianoの椅子の位置を間違える他の原因]

また、子供達が間違えた椅子の位置で練習をするケースは必ずしも本人のせいとだけではない場合が往々にしてある。

その姿勢を悪くしてしまう、一番よく見受けられる原因(椅子の位置が近すぎる原因)は、目が見えてなくて楽譜がよく読めない場合と、譜読みが苦手でその不安さの表れにある場合が多い⇒私は子供が譜読みがまだ完璧でない時には譜面台をぎりぎりまで近づける事をよくする。(子供が蓋を倒して指を怪我しないように・・・という意味もあるが)

指先に体重を感じるとか、指先の神経を育てると言うことや、座り方への価値付け等の色々なお話はホームページに詳しく書いてありますので、そちらを参考にしてください。

 

②譜読み⇒譜読みについて気になる点であるが、同じ音が繰り返される時に、その回数がすこぶる不安定であると言う点である。

何度かtoriolenでつまづいて弾き直しをする時に、拍子を見失ってしまって、1小節の中の拍を多く繰り返して弾いていたのだが、(4回でなければならないところを5回繰り返すとか・・・) それに対しての先生の指摘がなかった。

それは、単にM君が「toriolenを間違えて弾きなおして、うっかり拍を多く弾いた。」 として、単純なmissとして見過ごしてしまっているからである。しかし、この問題は大きい。

実際上の問題としては、それは「生徒が曲の拍(拍子)を感じていない」と言う重大な欠点の表れであるから、そこは、無視してよい場所ではなく、根本的な根深いmissで、ちゃんと指導しなければならない場所でもある。

 

譜例:toriolenで拍を見失う。

 テキスト ボックス: 譜例:


③リピート記号の前、2小節目の頭の音、をとっても拍頭は前の小節から来るmelodieの最後の音であるし、その次の3拍目の音は最後の小節の拍頭の音は納めの音であるので、それよりも少し強めの音でなければならない。

しかし、だからと言って4分音符の長さがばらばらになってしまうのはよくない。

 (特に、よく見受けられる、最後の音だけを長く伸ばして演奏する人達が多いのはいただけない)

 

テキスト ボックス: 譜例:

 

テキスト ボックス: 譜例:4段目(16小節)themaがゆっくり(Dolce)になった場所であるが、これも前回説明したように、themaの部分と同じで、Haydnのこのソナタはauftaktで出来ているので、弱拍はmelodieの頭の音になるので強勢(fortePianoによる強勢ではなく、拍節法に伴う強勢である)が必要である。当然次の小節の頭の音はmelodie(モティーフ)の最後の音になるので当然収めが必要で弱拍になるのだが、それをaccent気味に弾いているのはいただけない。

 

2ページ目の4段目の最後の2小節(51小節目auftakt)に関してはHaydnはfとpを書いているのだが、それも全く同じ理由で、拍節法(Agogik)で推移節奏(verschobene Takt)を表すために書いているのに過ぎないので、もし fpの記号が書かれていなかったとしても、全く同じように弾かれなければならないのだ。

しかし、それなのに、fpを不自然に際立たせて弾いたり、fpの後の2個の4分音符を、(staccatoが書いてあるので、)ことさら不自然にaccent気味に強く弾く人が多いのも困ったものである。

FPで弾かれた後、そのままP,Pとピアノのままに、(あたかもエコーのように)継続して弾かなければならない。(f→p、p、p、、f→p、p、p、のように)

 

 

補足説明:

当たり前のことではあるが、このpassagethemaの変形に過ぎない。T20小節目からのpassageがそのまま、toriolenに変形されただけのことである。

 

譜例:

Toriolenの音の中から、themaの幹になる音を実音で、付け足された音を装飾音で示すと上記の楽譜になる。当然、このpassageのキャラクターは20小節目のimageと同じ要素(material)になる。

 

⑤芦塚メトードに拠る練習番号のつけ方⇒ビデオ等でcheckを入れる時も、レッスンの時に於いても、正しく小節を指摘する事は大切です。

芦塚メトードではただ単に利便性のための練習番号をもっと付加価値をつけて構造分析を指導するためのメトードにしています。

第一主題の提示部をA、第一主題の展開部がB

(本当は次のページの2段目からが第二主題なのでそこをBにしたいところですがね)

第二主題の提示部が仕方なくCになります。

繰り返しの前の6小節は前半部のコーダ(終止句)になりますので、短いけれどもDにします。

その中で、A1A2と細分化していきます。この方法論は誰も考えた人がいないので、芦塚メトードとしての練習番号付けになるのです。

当たり前の事のように見えますが、その当たり前の事を思いつくか否かがコロンブスの卵になります。

 

「私の前に道はなく、私の後に道は出来る」  これは室生犀星の言葉だったかな??

 

この方法論の利点は、通常、練習番号を付ける場合は、感覚的に付けるか、さもなくば練習の都合でつけるかですから、練習番号を付ける人によって、その場所が変わってしまいます。室内楽やオケの譜面では、最初から練習番号がついているわけなのですが、その練習番号が、必要欠くべからざる位置についている場合の方が少なく、結局、練習をしながら、新たに練習番号を付け直さなければなりません。

市販の楽譜についている練習番号は役に立った事はないのです。

しかし、私のメトードでは、誰でもある程度、楽曲の分析が出来るようになると、(小学生ぐらいでも)練習番号をつけられるようになるし、また、誰が付けても同じ場所、同じ番号になるので、先生がそのために時間を使う必要がないので、レッスン時間の配分においても楽です。

但し、小、中学生の場合には、ある程度は大項目をどのlevelにするのかを、あらかじめ先生が指示しておく必要があります。

それが決まればどの生徒が練習番号を付けたとしても、練習番号の位置は必ず同じ場所になります。

 

200*/**月/**(水)

M君のlesson3回目(I先生のビデオtapeのメモ)

後半音の確認

和音の型に合った指使いの説明

 

200*/**月/**() 14:29(指導講師の先生へ)

I先生のビデオtapeについて

昨日、I先生のM君の3回目のレッスンのvideotapeを受け取ったときに、指導講師の先生が私に話をしていたI先生のコメントですが、I先生が今回のレッスンについて弁解していたのは、口頭で言っていたのか、先生の携帯にメールで入ってきたのか?

その内容を私のパソコンにメールしてください。

 

200*/**月/**() 14:44

Re: I先生のビデオtapeについて

I先生のコメントは、口頭で言っていました。

内容は、

「先生から曲の構造の分析をしたり等の課題をいただいたのに、用意していた通りにはことが進まず、え~!と思うようなとんでもないことが発覚したり、そっちに時間をとられてしまい、結局指示いただいたことはなにもできなかったので、このビデオを見たら先生のご指導メールを読んでないのと勘違いされてしまうかも。」

ということでした。

 

200*/**月/**

M君の4回目のlesson(I先生のビデオtapeのメモ)

Haydn C

/2拍子、auftaktを含む表現の仕方、和音の種類による型の認識

 

200*/**月/**() 11:31        

[不用意な発言]
I先生が先日私に質問されたM君の手首」についてですが、まず、気をつけなければならない事は、「ヴァイオリンを学んでいるから、手首が反ってしまう・・」或いは、「そういった癖が・・」云々と言う事は絶対に言ってはいけません。

勿論、ヴァイオリンの構えででも、手首が反ってしまうのは大変悪い弾き方で、ヴァイオリンの先生の前でそれを言ってしまうと、烈火のごとく怒られます。

 

ちなみにM君のヴァイオリンは、ピアノとのlevelの差から、或いは、ピアノが副科だから、という意味でも、ヴァイオリンの方が遥かに早くから始めているように思われがちなのですが、実はM君はそのピアノの先生からの紹介ですから、ピアノ歴の方がヴァイオリン歴よりも数倍も長いのです。

それでもヴァイオリンの方が早く上達すると言う事は、一般的には生徒とヴァイオリンという楽器との相性が合ったのだ、思われがちですが、私はそうは思いません。

相性が合ったとすれば楽器ではなくmethode(指導法)がM君にあっていただけだと思います。

ですから、ピアノも同じメトードで指導すれば、同じように自然に伸びるはずです。

 

ちなみついでに、ヴァイオリンと手首の話ですが、小さな成長途中の子供の場合にはまだ顎や首の力でヴァイオリンを支える事ができないので、手で楽器を持たせることもあるので、不自然に反りかえる事がありますが、それは年齢的なもので、子供の体の成長と共に自然にヴァイオリンを構える事が出来るようになってくるので、体が出来上がってくるにしたがって、その都度先生が訂正し矯正していけばよいことなのです。

 

同様な不自然な奏法の例は、一般の場合にも見られます。

ピアノの指導のときに、子供の指先の力が弱いので、不自然に腕に力を込めて弾かせると言うことをしている指導者が多く見受けられます。

しかし、そういった指導をしている先生が、全て間違えてそう指導しているわけではありません。年齢が上がってきて、指先の自然な力がついてくれば、そのときに指導しなおせばよいことなのです。

しかし、子供の腕や指先に力を込めて演奏させるという事は、基本的には間違えた指導法なので、もう一つの指導法は、子供の自然な体の力に合わせて、正しい力配分で演奏させる事を優先し、音が貧弱になるのを先生達が辛抱して指導していけば、それの方が子供が間違えた癖がつく事はないので、良いのですが、そういった演奏法は幾ら一般の先生達に説明したとしても、「貧弱な音に我慢をすると言う必要悪」を、一般の全ての先生がたは辛抱できないようです。

(ホームページ:鍵盤の重さと子供のtouchに関する項参照のこと)

 

もう一つの、M君の演奏のスタイルで、(間違えた奏法の例としてではなく)5の指のほうに手首と重心を持って行く弾き方は、(日本では)井口先生のメトードとして一般的にしられています。4.5の指が弱いということと、melodieのクライマックスの音は常に5の指で弾かれる分けなので、弱い45の指を補強すると言う意味と、更にもう一つ、ピアノの鍵盤の外に手が離れて行くと、45、の指が鍵盤から離れてしまうので、それを鍵盤に近づけて演奏しやすくコントロールをするため、という意味もあります。

 

しかし、そういった利点の反面、指が伸びすぎるので指が鋭い突いた音になりやすい、という欠点があります。

しかし、近現代の音楽はピアノを打楽器として、捉える事が多いし、またジャズやpopularの音は意図して金属的な鋭い音を好みます。

フランスの有名なピアノの教授であるイブ・ナットも手の構えはそれに近い奏法ですが、彼の門下生のジャック・ルーシェはそれこそ世界的なジャズの奏者です。

 

音楽が近代から現代になるにしたがって、フィッシャーやコルトーのようなロマン派の美しい音を求める弾き方から、ピアノを打楽器として捕らえて作曲すると言うバルトークやプロコフィエフのような作曲家たちの影響下で、現代的な打楽器的な音が好まれるようになって、当然、奏法スタイルもそういった鋭い音が好まれるように変わってきました。

そういった影響で、日本の音楽大学の先生達も、現代的なtouchをされる先生が増えてきました。

勿論、M君の場合は、単に基礎が出来ていないだけで、そういった近現代の奏法とは関係はないのですが、一概にはそういった奏法自体が無いわけではないので、老婆心ながらあえて書いておきました。

 

[生徒への指導案の一例]

Lessonの内容に関しては、pointは何を理解していて、何を理解できていないかを常に判断する事です。

これは一例にしか過ぎませんが、私がM君に指摘するとすれば、

 

146auftaktから48小節と51小節auftaktから56小節までは後半が2回ずつ繰り返されるだけで、全く同じであると言う説明

 

譜例: 46小節auftaktから50小節目まで

 

220~22小節4拍目のシの音と、62小節4拍目から65小節目のレの音はimageが全く変わると言うことを指導します。

後半のドミナンテは結構印象的でまるでホルン5度のように前半部分の終わりを強く印象付けています。

何気ないpassageのように思われるかもしれない部分ですが、Haydnの作曲技法のしたたかさを感じる事ができます。

何せ、3連音で基本形のⅤ度の和音を取るのはここだけなのですから・・・!!

 

譜例: Ⅴ度の基本形の例

 

200*/**月/**() 0:07

メール拝見いたしました。

とっさに、彼のヴァイオリンの弓を持つ肘というか腕の形が浮かんでしまって安直に言ってしまったようです・・・以後気をつけます。

お母様が毎回のようにレッスンの後「うちのとても思いピアノで、頑張って練習してます、よしやは重くて和音が弾けないのを頑張って・・云々」と言うのが非常に気にかかってしまい、こちらがそれとなく話しても、「ショパンが綺麗に弾けるようになったら考えようかな?」など、軽くみられてしまいます。

ひいては私の指導を含めピアノ自体を軽くお考えのように感じます(M君は非常によく練習してきてると思うのですが、教室のピアノでも力でガツガツ弾くような部分が見られます)。M君母様とは大抵毎回話をするのでこういった場合の対処方としてはどうすべきでしょうか。よろしくお願いします。

 

200*/**月/**() 12:23

RE: メール拝見いたしました。   

ご質問の内容を整理して見ると、問題点は一つではなく二つあるように思われます。

その第1点はお母様の・・・、

「うちのとても思いピアノで、頑張って練習してます、よしやは重くて和音が弾けないのを頑張って・・云々」

と言う内容です。

 

このお話を答える前に、指導講師の先生から同様の質問をされたことがあります。

M君の弟のY君のお話なのですが、前回のオケ練習でY君が周りと協調性が取れず、断固として自分のtempoで弾いていったので、回りから一人だけずれてしまったのに、ママがYはアンサンブルには向いていない。」とか「周りが併せてくれない」とか言い出して、指導講師の先生が「オケや室内楽は、芦塚先生が今の子供達は集団で何かをすると言う経験がないから、協調性を育むための教育なのです。」と言うことを説明したのに、全く自分の子供の事だけで、聞く耳を持たない・・・聞こうとしない、という事で、指導講師の先生がすっかり癇癪を起こしていました。

(勿論、癇癪を起こしたのは、Y君の母親の前ではなく、私達先生達のうちわの中での話・・ですがね。)・・・と言うか、先生から、親やY君をどのように指導して行ったらよいのかと言う相談を受けました。

 

此処で、I先生に、指導講師の先生の質問を引き合いに出したのは、両方の問題点が、根深い部分では同じところにあるからです。

 

問題点はAママも、Hママも子離れが出来ない、子供に依存しているのだと言う事です。

****症候群という心因性の病気がありますが、それに近い状態なのですよ。

そういった、親から子供を奪ってしまうのはよくありません。

先程のママの言葉も「私の子供はそんなに困難に立ち向かってえらいのよ!」と自讃しているに過ぎません。

だから、正しい対応は、親と一緒に、子供の事を誉めそやしてあげればよいのです。私は男性だから、そういう対応は苦手です。一緒に親ばかになるのは、あほらしいから!です。

ちなみに付け加えるのならば、以前I先生から相談を受けた趣味のOさんとも共通するものがあります。・・・と言うと、「何処が、同じなの?」と、驚かれるのかな? 

それとも、「あぁ、そうか?」と何か感じるものがあって、納得されるのかな?

 

Oさんも大手の音楽教室の先生だったと言う話ですし、HママもAママも学校の先生です。ですから、働く女性であった、と言うことには変わらないのです。

しかし、女性は結婚すると、取り巻く世界が夫と子供だけになってしまいます。

家族を守る・・(と言うか、子供の事だけを考えて日毎の人生を送っているのです。)

子供の社会が母親の社会の全てなのです。そこで、子供を守る事以外には何も受け入れられなくなってくるのです。ママ達に取っては、H君やM君に関しては、現在進行中の状況で、Oさんに関しては、子育てが終わった「その後」のアフター・ケアーなのです。

私があなたに、「出来うる限り、辛抱して努力をしてみてください。」とお話していたのは、Oさんのケースは、一見すると、非常に特殊な、彼女だけの例で「それを辛抱して努力して見る事が何の勉強になるの?」と思われるかもしれないのですが、大局的に見てみると、極々普通の何処にでも居る一般女性の、陥りやすい実に多くの問題を孕んでいるのですよ。 

 

Aママが毎回のようにレッスンの後に話をしてくるのが非常に気にかかってしまい、こちらがそれとなく話しても、「ショパンが綺麗に弾けるようになったら考えようかな」など、軽くみられてしまいます。

ひいては私の指導を含めピアノ自体を軽くお考えのように感じます

⇒第2点の「親や子供がピアノの練習を軽く見る、先生に対しても、軽く扱っている。」と言うお話は、いつも・・・と言うか、若い先生方からも頻繁に一番多く相談を受ける話でもあるのです。

教室でも、C先生やH先生からも、不思議な事に何年アドバイスをしてきても、またぞろ同じ質問をして来ます。

・・・と言う事は、それだけ難しい問題だと言うことなのでしょうね。

 

その質問に対しての回答は、まず、二つあります。

「二種類の回答」と言う意味ではなく、「二段階の回答が有る」 、と言う意味です。

 

まず「第一段階」は親や子供のピアノに対しての価値付けの話です。

よく引き合いに出す話は、昔、C先生が「千葉の教室の父兄は水準(意識)が高い。東京の(智恵教室の)父兄は音楽に対しての意識が低い。」とこぼしていました。

 

それに対して、主任の先生や指導講師の先生が「千葉教室の父兄達よりも、東京の教室の生徒達の方が教育に対しての、意識水準はとても高い。」と反論していたのですが、C先生はあまり分からないようでした。

実際の例としてご説明すると、千葉の教室に、初めて入会してくる生徒、父兄は、鈴木のヴァイオリンですら、「高い!」と文句を言って来て、ネットや怪しげな楽器店などで、中国製や分けの分からないヴァイオリンを、それこそ1万、2万で買って、得意げに持ってきたりします。

つまり、15,6万の鈴木の導入のヴァイオリンセットですら、子供の教育には高いと感じているのです。

「安けりゃよいだろう!教室で高い楽器を買わされなくって、儲けた!!」・・・それぐらいの感覚なのですよ。

C先生やH先生達が、千葉教室の生徒と接するのは、オケ練習や室内楽の練習の時ですから、ある程度生徒や父兄の意識が育って来て、音楽や教育に対しての理解が出来てからになります。

つまり、本来千葉教室に入会して来たばかりの、一般の、まだ教室色に染まっていない、つまり、オケ練習や室内楽の練習にまだ参加できない、或いは、まだcommunicationが出来ていなくって、オケや室内楽の価値が分からなくって参加していない、教室の多くの生徒達の事をご存じないのです。

今現在、オケで活躍している生徒達でも、教室に入会したての最初の頃は、その程度の意識だったのですよ。

そういった生徒達を主任の先生や指導講師の先生達が、lessonのたびに、本当に気長に、折に触れて、教室のメトードを説明し、教育に対する価値付けをしていきます。

そうして、その次の次ぐらいのstepで、やっと子供達がオケや室内楽に参加するようになってくるのに、1年、2年掛かって父兄や生徒を説得して行くのです。

 

C先生やH先生達が見ているのは、そういった努力の結果なのです。

つまり、まだ教室の価値やオケ練習の意義、室内楽の意味すら分からない父兄達・・・そう言った教室に入会したての一般の生徒達や父兄達は見た事がないのです。

 

というよりも、普段のlessonの見学に来ない限り、見る機会(チャンス)がないのかな?

だから千葉の教室の父兄達のlevelを、オケ練習や室内楽に参加するぐらいの生徒達の意識のlevelと勘違いしているのです。

しかし、生徒達がオケ練習や室内楽に参加するぐらいのlevelになると、もう既に父兄達は、すっかり教室のメトードに洗脳されているからなのです。

ですから、「音楽に幾らお金を出してもかまわない。」そういった教育熱心な親に既に変わってしまっているのですよ。

 

繰り返し言う事になりますが、父兄がそういった子供達の教育に熱心な父兄になるには、普段から先生達が生徒や父兄に対して意識付けを常に心がけてしておく必要があるのですよ。

先程引き合いにしたお話で、「父兄がネットやそこいらの楽器店で安い楽器を買ってくる」というお話なのですが、私達の教室では「楽器は教室で買わなければならない。」と言う約束はありません。

むしろ、教室の厚意として、教室の決めている楽器店に楽器の注文を以来しているのです。

ですから、何処で楽器を買って来ようと、教室としては、別にそれに対して何も文句を言う事はありません。

しかし、弦楽器はピアノ以上に、常にメンテナンスが必要なので、メーカーの保障と楽器店で働いている工房の技術者達の腕はとても大切になります。

そこが安物買いの悲しさ・・結局のところ、23ヶ月も経たないで、楽器に色々なトラブルが起ってしまい、ちゃんとしたメーカーから、もう一度ちゃんとした楽器を買いなおさなければならなくなってしまいます。

その理由は、ネットで買ったヴァイオリンなどは何処のお店でも、メンテナンスはしてくれないし、だからと言って、下取りしてくれるところもないので、結局の所、ゴミになってしまいます。

結果的には、古い諺通り 「安物買いの、銭失い」 になってしまいます。

そういった苦い経験だけではなく、父兄は子供が上手になると、そのlevelに応じて、教育の価値観があがっていきます。

そして子供のlevel(水準)にふさわしいヴァイオリンを買う事が苦痛でなくなってくるのです。

音楽大学の場合には、担当の先生が「幾らのヴァイオリンを買いなさい。」と生徒や父兄に否応無しに命令するのですが、これも教室の先生は音楽大学の先生ではないので、教室側から父兄に「幾らのヴァイオリンを買いなさい。」と言う事は絶対にありません。

教室には、そういった権力はないからね。

しかし、不思議な事に皆それ相応のヴァイオリンを買います。

上級クラスならば500万から、800万ぐらいが相場でしょう。

生徒が、今現在でも(もし、子供でも働く事が許されれば)それぐらいの稼ぎは出来るからです。

 

此処では、ピアノの例ではなく、ヴァイオリンの話をしましたが、弦楽器の方がピアノよりも楽器の価格差が広いので、説明が分かりやすいから・・・と言う理由でヴァイオリンの話にたとえてお話をしました。

 

ピアノの金額は、メーカの違いを除けば、楽器本来の価値で金額が決まるのではなく、むしろピアノの大きさだけで決められている、と言うところがありますからね。

というわけでピアノの話に戻って、Steinwayのグランドを買うか、大手の音楽教室のアップライトで終わるかは、生徒の(或いは親の)音楽に対する価値観の問題なのです。

生徒が普段のlessonでラフマニノフやリストのÉtude等を弾きこなすようになると、当然ですが、もうアップライトで練習する生徒はいなくなります。

当たり前の話です。

しかし、BeyerBurgmüllerを練習している子供に「steinwayのグランドを買いなさい。」と言うこともないでしょうし、父兄がBeyerを練習している子供のためにグランドを買い与える事もないでしょう。

それも当たり前の話ですよね。

 

M君は非常によく練習してきてると思うのですが、教室のピアノでも力でガツガツ弾くような部分が見られます)。

 

[指導のconceptについて]

⇒世間では日本の音楽界だけではなくに、ピアノの指導に関しては、「曲を如何に上手く弾かせるか!」と言う事だけを目標にして指導する先生が多いようです。

C先生のMちゃんに関しても、芦塚メトードをC先生に覚えてもらおうと思ってそういったconceptlessonを指導していったのですが、やはり曲が弾けるようになると、技術が身につく前にどんどん曲をあげていくので、いつまで経っても最初のメトードがマスター出来なくて堂々巡りをしています。

H先生の場合も、他の先生と、どんぐりのようなもので、コンクールと言う身近な目標があるので、曲数をこなすのが精一杯で、生徒に対して技術をマスターさせると言うことが出来なくて、目下double teachers systemはストップしたままです。

小学校の1年生辺りで、まだコンクールの課題が技術の領域ではなく、曲が弾ければ何かしら、賞がもらえると言うlevelならばいいのですが、生徒がだんだん年齢が上がってきて、小学校の中学年、高学年になると、要求される、技術levelも上がってきます。ですから、それまでにちゃんとそれなりの技術を習得しておかないと、高学年になってくると、コンクールを受ける事すら、無理になってしまうのです。

私の場合にはピアノの指導とその技術は積み上げと解釈しています。

Beyer50番代までの技術がキチンと習得できていないと、その次の60番代の課題に進む事は出来ないのです。

ですから、次の課題に進む時には、必ず前の技術の土壌の上に、曲を練習していかなければなりません。

Mozartのピアノ曲を1曲完全にマスターすれば、その時代のピアノの演奏のTechnikは、どの作曲家であっても同じTechnikを使用するので、ちゃんと解釈し、演奏する事ができる。」 と言う意味ですよね。

これが、私のメトードの独自性なのです。

しかし、先生達は同じBeyerの曲でも、1曲、番号が上がる度に、全く同じ事を聞いてきます。その度に、「曲が違うから。」という理由で、私は全く同じlessonをしなければならないのです。

相変わらず、「これは基本の型だから・・」とか、「椅子の位置はここで、お尻の位置はここなので・・」とか最初の 最初のlessonで言った事と、全く同じ事をまた説明しなおさなければならないのです。

驚く事に、その説明をする度に、先生達はまるで初めて聞いた事のように、新鮮に話を聞いてくれます。 私にとっては、「耳たこ」ではなくって「口たこ」なのですがね。

それとも、私がいつも同じ注意をしているから、「芦塚先生にはそれ以上のメトードはないのだから!(教える事は持ち合わせていないのだから!)」と同情的に、生真面目に話を聞いてくれているのかな??

 

同じMozartsonateであったとしても、曲が変われば全く新しく指導するのが普通である、と言うこと・・・が、日本の通念ですかね。

まあ、それが日本の伝統的な指導方法であるといってしまえば、それまでなのですがね。

 

M君ママとは大抵毎回話をするのでこういった場合の対処方としてはどうすべきでしょうか。

M君は教室で音楽を学んでいるわけなので、かなり詳しく説明しても年と共にキチンと理解できるようになります。

しかし、M君ママに対しては、先程のOさんの例で説明をしたように、世界が非常に狭い社会の中でしか理解が出来ないのです。

Oさんを指導の実験台にすればよいよ!」といったのは、そういった意味です。

M君ママに対しては実験台には出来ませんからね。

ですから、自分の子供の事しか見えない、それだけの世界に閉じこもっている父兄として捕らえていけばよいのです。その中での語法です。

フランスのアテネ・フランセではなく、ドイツにも(民間の)ゲーテ・インストチュートと言う語学学校があります。

ゲーテ・インスティチュートの先生達は、vorschule(予備講座)の場合には、そこで使用する教材の中だけではなく、生徒さん達との日常の会話ででも、教材の中で選択された(100の)単語で会話しなければならないのです。

Grade(グレード)があがるごとにその基本の単語の上に使用できる新しい単語が上乗せされていきます。

そういったあらかじめ限定され決められた単語の中で会話が出来るようになること、これが語学指導者になるための必須条件になるのです。

それはBeyerや、Burgmüller等のピアノの基礎教材も同じなのですがね。

それが、情緒的感情的な日本人には分からない。

 

200*/**月/**() 11:44

ありがとうござます

おつかれさまです、メールありがとう御座いました。

大変興味深く、勉強させていただきました。
ママ達がOさんへ向かって現在進行中という、****症候群の指摘等々言われてみて納得いたしました。
そういえば、Oさんは子供が社会人となり、旦那にも相手にされず(と思いますが)ひたすらペットの犬の写真をだれかれかまわず送るので、少々困っていましたが、「狭い世界で、子離れ出来ずにいるとこうなってしまうんだな」というのがよく分かりました。

200*/**月/**() 15:41

M君の**月**日のHaydnCと譜面渡し

[ビデオをcheckして]    

総括: M君が話をしたそうだったのを、聞かないで、いきなりlessonに入ろうとした。

ダウンのジャケットを着たままピアノに座ろうとしていたのだが、ジャケットは部屋の中では着てはいけない。

ドイツやフランスでは、背広のジャケットも玄関で脱がされる。

それがマナーである。

生徒がジャケットを脱いで入ってきて、それに対して先生が「寒いからジャケットを着ようか?」 或いは、「寒いからジャケットを着ていいよ」と指示しなければならない。

 

Lessonの構成

Lessonに入る前に(ピアノの椅子に座る前、lessonの儀礼の挨拶前に)個人的な雑談を済ませる。

解説:M君が、I先生にため口でしゃべっているのは、「自分の話をもっと身近な年上の先輩として聞いて欲しい。」 と言う、気持ちの表れです。

ですから、M君は今はI先生に「もっと僕の事を聞いてよ!」とおねだりしているのです。

それがため口になって表れるのです。

それは生徒と信頼関係を築く上でとても大切なことなので、そのために少しlessonの進度が遅れる事があったとしても、後半の建て直しで挽回する事が出来ます。

先生と生徒の信頼関係があれば基本的にはlessonは上手く行きます。

後は、先生の教材研究に掛かっているだけですから。

ですから生徒側からのそういった呼びかけを先生が無視するのはとてももったいない事なのです。

信頼関係は、生徒と向かい合った最初の時期に樹立できなければ、後で改めて樹立する事は、とても難しい事になります。

 

私は生徒に対して敬語を要求した事はありませんし、尊敬の念を要求した事もありません。それについては私は昔から父兄に「先生はもっと威張らないとだめですよ!」と言う注意を受けていたし、年齢が幼い子供達が、私に対して、ため口で私にしゃべるのもぜんぜん注意はしませんでした。

親が気にするよりも、子供が先生の価値(本当の意味での怖さかな?) を分かってくると、必然的に言葉は敬語に変わります。

それでよいのです。

子供が自発的に敬語になる事は、子供が先生に対して尊敬の念を抱いた、と言うことで、とてもありがたいことですが、反面、子供が自分の心の内を開いてくれる事はなくなってしまうのです。

つまり、先生に対していつも緊張状態を保ったままで接する、と言うことになるのです。

 

ですから、私はため口でしゃべっている大人(先生に対して)いつも責任を求めます。

MK先生がまだ教室で生徒を教えていた頃、ため口でMK先生にしゃべっていた生徒が「他の先生達には内緒ね」 と言って自分の悩みを話たことがあります。

MK先生は律儀にもその約束を守って子供はのっぴきならないことになってしまいました。

MK先生は子供の話を良く聞く事は聞くのですが、アドバイスをする事はないからです。

で、23ヵ月後に、逆にその子から相談を受けたその子のお友達が、あわてて教室の先生にメールをしてきました。

しかし、その本人の生徒にアドバイスしようにも、もうすっかり時期を逃してしまい、子供は人生の行く道をはずしてしまいました。

子供がMK先生に話をした本当の意味は、「私や主任の先生には怖くって自分からは話せないので、MK先生に先生達に上手に取り次いで欲しい、・・・伝えて欲しい!!」と言う意味だったのですがね。

それを、MK先生は子供の言葉通りに取ってしまったのです。

 

②挨拶をしてピアノに座ってからは、(全ての曲について)1週間の練習の状態などを聞く

これは以前にも同じ事をお話した事がありますが、子供は年齢が低くなればなるほど、雑談とlessonの報告の区別が付きません。

教室に来たばかりの子供は、子供達の中でも、学校の話やお友達の話を喜んでします。本人にとっては一番興味の中心の話なのですが、その生徒のお友達の事を知らない回りの仲間達はちっとも興味のない会話になります。

そういった事を、年長の生徒達が指導していきます。

そこで勿論、先生達も上手にアドバイス出来るようにする事です。

教室の話になれば必然的に勉強の方に話が向いていきますが、学校の話ならばゲームの話や友達の悪口などに話が向いてしまいます。

そうならないように、注意が必要です。

おしゃべりのでもlessonに関することを細かく分けるように出来るようにするためです。

自分の1週間の練習をちゃんと纏める事ができるようになれば、とても練習が上手く行くようになっているはずです。

 

③練習の状態を確認するために必ず、1週間やってきたことを確認する。

②と同じ事を言っているように思われるかもしれませんが、②は言葉で(おしゃべりで)確認をする事で、③は実際に生徒のピアノを聞いて確認すると言うことです。

子供達は言葉で言った話がそのまま演奏に表れているとは限らないのです。

言葉は子供達にとっては、願望であり、子供は自分では「ちゃんと出来ている」と思い込んでいる場合が非常に多いのです。

ですから、「何処まで出来れば、出来たといえるか!」 と言うNiveauを作ってあげる事が子供の上達の手がかりとなります。

 

④課題を指摘しlessonに入る

弾けない場所などを指摘し、その理由は何故か?どういう練習すればよいか?等を確認させる。

これは本文でお話します。

 

⑤指導した内容がちゃんと本人に理解できたか?一人で家庭で練習出来るかを再確認する。

これも本文でお話します。

 

⑥終わりのけじめの挨拶が終わったら(父兄が入る場合)lessonの内容の説明とconcept、目標などを父兄に話す事。

lessonが終わったらそのまま「さよなら」と言うのは最悪である。

父兄がlessonを見に来なくなる理由は2つある。

一つは見ていても分からないから、つまらないから、である。或いは見ていても親がやることがないからと言うのもある。

親が、lessonの内容を理解して、子供が今何に苦労しているのか、そしてそのlevelはどの程度のlevelなのか?親は何が子供に対して協力できるのか?そういったことが常に先生のサイドから説明されれば、毎週でも親は通ってくる。

子離れできない親や、親掛かりの子供には特にこのことが生命線になる。

それを外すと子供や親はやめてしまう。

Lesson内容(本文)についてはlessonのビデオに従って、次のmailで説明をします。

 

200*/**月/**() 17:03

M   

追記:ビデオの録画されている前後の話

私が隣の部屋に入ったときに、M君がジャケットを来たままレッスンが始まっていたので、「レッスン中はジャケット来てちゃだめでしょ!」と言ったら、I先生が「寒いから着てていいよって言ったんです。」と言ってました。

確かにジャケットの下は薄着で少し寒そうだったけれど、礼儀の方が大事だと思った(只でさえダラダラした雰囲気だった)ので、「ちゃんと暖房つけて、入り口をしめて、ヴァイオリンのケースは端によせて。入り口閉めれば寒くないから、レッスンのときはジャケットぬぎなさい。」と言ってぬがせました。

(そのときに既にヴィデオ録画始めていたと思ったけど・・・入ってませんでした?)

I先生の場合には、「雑談やダラダラ」と、「レッスンの開始の挨拶」との境目のけじめが、いまいちできていないように感じました。

さっき、I先生に送っていただいた文章だと、先生の意図が 「学校の友達のことなどの勉強と関係ない話を徐々にさせないようにしていかなきゃいけない。」 と勘違いしてしまうかも・・・。

上手になってきてどんなに上級になっても、音楽の勉強とは関係ない友達関係の悩みなどを先生に言えるような関係が理想なわけなので、そこんとこを突き放してしまうようだと困ります。 

身の周りのけじめは厳しく、信頼関係につながる部分はやさしく、・・というのが、大切なのですが、・・・・わかんないか?

・・・・わかんないだろうなあ???

 

200*/**月/** () 18:34

M君の**月/**日のHaydnCと譜面渡し(2) lessonの本文

 

**月/**lessonHaydnのメールの続き:2通目

A:まず、生徒とのおしゃべりの組み立ては、最初M君がI先生に話しかけてきたときに、そのタイミングを逃さないで、M君が一番話たかった[ピアノを始めた時の感想で・・・それで彼が何を言いたかったのか?] その裏の意味を確認する事です。

それで本人が先生に言いたい事を確認できたら、それからやっと、次のstepです。

クリスマス会についての話や曲決めは、まずクリスマス会でピアノを演奏するかどうかを本人に確認します。先生が勝手に、「出演する」と思い込んではいけません。

M君の場合はヴァイオリン専科であり、ピアノは副科なので「必ず出なければならない。」と言う約束も縛りもありません。

その時に本人が自発的にクリスマス会に出たくなるように先生がトークやピアノを演奏する事で 「こういう素晴らしい曲があるんだよ!」と価値付けをします。

価値付けは弾いたり、言葉で言ったり、それこそ色々あの手この手を尽くします。

 

(私はメールを打つ時は、仕事の合間を縫って打っていきます。そのために返信が数日も遅れる事があります。今日は大雨の中を椎名町に通うために急遽買ったバイクの点検のために練馬までバイクを走らせて来ました。上から下までびしょ濡れです。帰ってきて、服を乾かしながら、すぐ返信メールに取り掛かって、すぐに次の予約時間が来たので、予約の歯医者に行って、帰りに食料の買い物をして帰ってきました。その間に指導講師の先生からパソコンに私が送ったI先生へのメールに対してのご意見が入っていました。私のメールはいつも必ず指導講師の先生にkritikをお願いしているので。指導講師の先生のkritikをそのまま転記してI先生に送るわけではありません。それを更に、分かりやすく咀嚼して指導講師の先生の文章として載せるわけです。)

 

Haydnsonate C 1楽章

③前前回のメールでもお話したように、まずM君の指導上のpointを先に決める事です。M君が通し弾きをやっているときにlessonをするためのcheckpointをあらかじめ覚えておきます。

 

追記:[楽譜について]

Beyerのように毎週定期的に卒業していく曲はともかくとして、発表会などを目的とするある程度長い曲は私の場合には必ずコピーを取ります。

よその先生達も「どうして楽譜に直接書いてはだめなの?」「いちいちコピーしなければならないの?」と不思議がりますが、それは同じ曲であったとしても、生徒によって間違えるpointが代わってくるからなのです。

ですから、私の自宅で必ずM君用に楽譜をコピーし、M君の間違えた所のcheck、練習番号はどうするか?等々lessonビデオを見ながら、コピーに書き込んでいきます。

H先生の生徒のMZちゃんのコンクール用の楽譜やRちゃんのlessonの楽譜など、書き込みがなされた楽譜が私の自宅には人別分類され保存されています。

という事で、前々回のM君の初lessonからのcheckの楽譜がコピーには残っています。

勿論、色々な生徒がこの曲を弾きますが、その都度コピーを取り直して、人別にfilingするのです。

それがそのままM君の成長記録になります。

 

[技術の積み上げについて()

H先生の場合にはMzちゃんが1年生のときから、3年になるまでに亘ってコンクールを受けたので、膨大な資料(file)が出来ました。もっとも、その膨大なfileは私が書いたものです。何故そういうめんどくさい事をするのかと言うと、コンクールと言うものは結局のところ積み上げなのだからです。

ですから、1年生の時の技術や2年生の時の技術が完全に身に着いていないと3年次、4年次のコンクールを受ける事は出来ません。

まず、やる事は1年次、2年次に私から指導された技術的なlectureが完全にMzちゃんの身に付いているか否かのcheckがなされていなければなりません。

それを曲が変わるたびに、また同じ質問を私にするのではなく、今まで、ためてきたfileを参考にして指導すれば、そこの段階まではH先生自身で持って行けるのです。そうすれば、Mzちゃんが昨年指導してきた事が何処まで身についているのかを、H先生自身で理解出来るはずなのです。要するに年齢が上がれば、当然新しい技術で演奏しなければならないのです。それを、私が1年生の時の技術から、もう一度指導しなおさなければならないとしたら、新しい技術はいつまで経ってもMzちゃんに指導することが出来なくなってしまいます。そうなると、もうMzちゃんをコンクールに出す事は出来なくなってしまいます。

 

[技術の積み上げについて()]

C先生のMhちゃんにしても、Beyer60番までの段階で、身についているはずの、技術の上に70番、80番代の技術を習得しなければならないのです。

要するに、楽譜がちゃんと残してあれば、いつでも前年度や前々年度のlessonでさえ、フィードバック出来るのです。

Beyer60番代までの指導上の留意点のもっとも基本的なものは、

l   椅子の座り方:ピアノと椅子の位置、

l   椅子の高さ、腰掛けたときとピアノの位置、(肩、肘、お尻)の位置は正しいか?

l   打鍵の位置は(親指と5の指はちゃんと白鍵のセンターの同じ位置にいるのか?)

l   手の甲はちゃんと丸くなっているのか?

l   手首は高位置と低位置の間にちゃんと収まっているのか?

それがBeyer60番までの課題でしたよね。

そういった基本的な事の延長線上に、Haydnの古典派の奏法が来なければならないのです。正しい美しい姿勢がなくて、正しい演奏はありえません。

本当はそういったcheckの一覧表を作って毎回lessonの度に、checkすれば完璧なのですがね。

そういった、必ず毎回checkしなければならないもののcheck表を作った人は(私を除いては)いないのです。

Check表:(後ろのPageに掲載しています。)

 

人間はなんと無精なんでしょうね?!

 

Clmentiの演奏法

[またまたsforzandoについて]

この曲でマスターしなければならないCheckpoint(注意事項)の多くは、前々回のメールに書いて言う先生に送った話ですが、内容的に分かりにくいかもしれないので今回前のメールに譜例をつけておきました。参考にprint outしてみてください。

特にsforzandoがビックリするように強くなるのは、日本人の欠点です。

HaydnHaydn門下生であるMozartBeethovenなども、不用意にsforzandoを強く弾く事は避けなければなりません。古典派の音楽はとても上品で優雅な音楽なのです。私が音楽大学時代でピアノを学んでいた時代は、私の先生などもlessonのときに「Beethovenは粗野だから、sforzandoは乱暴なぐらいでいいのよ!」なんて事を平気で言っていて、「もっと強く!」とか要求されて、困ってしまいました。

古典派の時代の装飾音は例えそれが前打音であったとしても、古典派の奏法としては上品に拍頭に前打音の頭の音を合わせてやさしく弾かなければなりません。前打音にビブラートのaccentをつけて本来の音符を抜きで柔らかく演奏する事が、古典派の装飾音の正しい奏法です。

                                               譜例:

前打音の装飾音をビックリするように強く弾くのは日本人だけだと言うことをM君にも注意しておいてください。装飾音は拍に合わせてヴァイオリンのvibratoをするような感じで弾きます。

参考までにと、模範となるCDを探して見たのですが、Haydnsonateに関しては、リヒテルやホロビッツ等のピアニストの演奏しかありませんでした。つまり、Haydnの演奏家(forte-pianoの演奏家)ではないのです。他には、エッシェンバッハの下手な教育教材用に収録された演奏しかありませんでした。困った事にエッシェンバッハも日本人の下手な演奏家と同じようにシャックリ型のaccentの前打音で演奏していました。

そういった、悪い演奏のもっと極端な例では、装飾音の音が次の幹音のCに重なってしまい音が濁ってしまっている例を良く聞く事があります。

譜例:

それにも増して、装飾音の事ばかりに意識が言ってしまって、themaのスキップがあたかも3連音のように弾いている例さえ見受けられます。

譜例:

Skipを3連音で演奏する事自体は、baroqueや古典派の時代には当然あった奏法です。ですから、それが演奏者の意図で、そのrhythmで、全曲が統一されていれば「そういう演奏もあるのかな?」という事で、問題はないのです。

しかし、困った事に左手がtoriolenになった途端に、左手の3連音のrhythmからskipをずらすために、逆にskipが鋭くなってしまって、スキップがあたかも32分音符のようになってしまっている例も数多く見受けられるのです。

残念ながら、一般的にはHaydnPianoの演奏に関しては、良いレコーディングはありません。

私が持っているレコードの中でも、唯一のお勧めの録音は古い録音で、ランドフスカがCembaloPianoでレコーディングしています。とても素晴らしい演奏なのですが、残念ながら、まだ古い解釈の時代の演奏であり、Haydn時代の様式に従ったforte-pianoの演奏ではありません。あくまで19世紀から20世紀のモダンピアノとしての解釈の演奏です。またレコードなので当然絶版で、今のところCDに焼きなおした再販はされていないようです。時代の様式に従った、Haydnの時代の演奏のレコーディングはまだされていないようです。

 

pedalについて]

Pedalの踏み替えは、古典派の奏法であろうと、現代のピアノの奏法であろうと時代や楽器とは関係なく、pedalの踏み替えのたびにピアノがガタゴトと音がするようでは正しいpedal操作とはいえません。すばやく踏み替える事は大切な事ですが、それ以上に音を出さないように丁寧にすばやく踏み替えなければなりません。

ましてや、Haydn時代、(所謂forte-pianoの時代)には和音をつなげるためのpedalingはありませんでした。

ひざの下にpedalが付いていたので、pedalを踏むためにはかかとを上げなければならなかったから、そういった微妙なpedalの操作は無理だったのです。

                           写真:Haydnforte-piano

(1796年、ウィーン・メカニック、膝で操作するダンパーペダル63鍵)

そのために古典派のpedal操作の基本はアクセントpedalです。

また古典派の音楽はpedalを必要以上には使わないですむように、finger pedalで間に合うように、開離体(Weite Lage)ではなく密集体(Enge Lage)で書かれています。

古典派の音楽で和音を繋げる為に・・や、legatoを表すためにpedalを使用する事は、古典派の美しい和音の響きを阻害してしまう事になります。そういった濁った音に対しての意識の低さは、日本人の雑音に対しての不感症の表れです。

音大生がよくChopinなどを弾く時にpedalを踏みっぱなしにして、和音が濁って聞くに堪えなくなるのは私達にとっては許せない事で、とても聞くに堪えられませんが、日本人の音大の先生にはそれが分からないのです。

何故、そう言った音の濁りが汚く聞こえないのかは、世界で唯一左脳型の国民である日本人の独特の音の聞き方にあります。ホームページ参照:

 

中学生や高校生の学生コンクールでBachの試験があったときにlegato奏法が出来ない生徒が(pedalを半分踏んだ状態にするというエキセントリックな)ハーフpedal(本当のハーフpedalではなく)でlegatissimoを弾いていたのですが、その生徒ごまかしpedalを弾いていた生徒がコンクールに合格してしまいました。それが気にならないのも日本人独自の感性で、私には理解出来ません。

Pedalの事に関してもホームページに書いておきましたので、そちらも参考にしてください。

日本人のpedalで音が濁っていても聴こうとしない、そういった音楽性(感覚)は理解できませんね。

M君の場合には音がpedalで濁るのではなく、逆にpedalの切るタイミングのずれで、和音と和音の間が、ぶちぶち切れていましたがね。

和音のpedalを指導するにはまず、カデンツ(Ⅰ⇒Ⅳ⇒Ⅴ⇒Ⅰ)でちゃんとpedalingが出来るか(和音が繋がるか、濁らないか)どうかを練習させます。そういった予備練習をしないままに、実際の曲でいきなりpedalの指導するのは無謀です。

 

[型として音型を捉えているのか?]

今回、その他に特に注意する事は例えば1小節目のソ、ソ、ソ、ドでM君が不用意に手を高く上げるのは型を理解していないからで、そのためにmisstouchを誘発しています。

そういった手の型が理解出来ていないので、間違えてしまう箇所、或いはmisstouchをする箇所が45小節目、7小節目その他の小節にも多数見受けられます。

 

[正しい指使いは・・?]

また指使いが原因で弾けないところも多数あります。7小節目、24小節目の4拍目,28小節目のⅠ拍目、これは左手のベース上に音が構成されなければならないと言うことが、M君に分かっていないのです。ヴァイオリンの場合にはoctaveを弾く時にはまず低音の1の指でしっかりベース音を作ります。ベース音が取れない限りoctaveが弾けるようになる事はないのです。

以前も説明したように、この8小節目からの左手(或いは20小節目から)toriolenAlberti-bassです。ですからtoriolenの拍頭の音がベース音になります。つまり、その音がチェロの役目をするのです。特に34小節目の4拍目のF#は繰り返しのCodaでは(Ⅰ⇒Ⅴ)の繰り返しで印象的に代わるので、その変化を子供に意識させなければなりません。こんなシンプルな変化(kleinigkeit)で印象的なpassageを表現できると言う事は、Haydnが如何に優れた作曲の技術を持ったマイスターであるかの面目躍如とするところです。

 

ピアノの場合にはあまりにも跳躍する距離が広い場合には、逆に近場の音を先にとってからその音(キー)を拠り所にして、逆に下の5の指を取らせる事が良くあります。

Misstouchを防ぐためです。6小節目の3度のミソの和音の後でミとソの間のファに1の指をshiftします。それからoctaveを作れば音を探す必要は無くなるのです。ですから7小節目でmisstouchをする事はないはずです。その次のソレの和音はM君はそのまま51の指で弾いていましたね。しかし、低音のファが5の指なので、楽譜の41の指使いは(珍しく)正しいはずです。そうすると5の指は空いているので、次のtk8の5の指は楽に取れるはずです。

41-45、48-50、等々です。

 

[同じmisstouchを毎回繰り返す]

58F#は先週も同じように間違えてF♮で弾いていましたが、どうして直らなかったのか分かりますか?

M君がもう一度弾きなおすと、正しく弾けるから、ただのケアレスミスとしてそれ以上の追求をしなかったでしょう?

でも本当には、M君はそのmisstouchの原因や対処の仕方が分かっていないのですよ。ですから、当然発表会の本番でも、同じように間違います。

当日思い出せれば、正しく弾けるかも・・・と言う漠然とした仕上がりです。

音楽ではそういった曖昧さは、絶対にタブーな事ですよね。

子供の勉強では、絶対に曖昧を残させてはいけません。

その原因の元凶はrepriseの128小節目にあります。本来ならばM君は絶対音があるので、音型として捕らえるはずなので、そういった間違いはしないはずです。

テキスト ボックス: 譜例:しかし、なまじいい加減に型として音型を理解してしまっていて、調性と言うものよりも、F♮と言う音の印象だけが先行するのも、絶対音を持つ人達の困った傾向でもあるのです。

(絶対音感を持つ生徒は、逆に調の把握(scale的な理解)が弱いのです。)

 

[音符の長さ]

M君がピアノしか学んでないのだったら、リピートの前の最後の音や、曲の最後の音だけを無意味に引き伸ばして弾くのは仕方がないことかもしれません。

しかし、最後の音に関しての演奏、つまり67-68の和音の伸ばしは、アンサンブルやオケの色々な曲で「音の長さを揃えなさい」と常に私から厳しく注意されている所です。それがオケや室内楽だけで、ピアノに応用が効いていないという所が問題なのです。つまりヴァイオリンとピアノが別物と思っている。古典派の演奏スタイルは作曲家が変わろうと演奏形態が変わろうと関係ありません。常に同じスタイルでなければならないのです。

音楽は積み上げです。つみあげを学ばずして、音楽の上達はありえないのです。

 

音符の長さとは直接的には関係はありませんが、ついでに、35小節目と36小節目でM君が2度も音を外したのはどういう理由か分かりますか?彼は体を下へ持っていかなかったので、鍵盤に対して指(と言うよりも腕全体が斜めにtouchしたから、体勢が崩れてしまい、音をはずしてしまったのです。

その理由はI先生と体がぶつかってしまうからです。両手がヘ音記号になる場合の体勢の作り方があります。状態はまっすぐなまま、上半身を左に寄せて行きます。当然、右お尻が椅子から浮き上がり、左お尻だけで体を支える型になります。

 

正しい体の移動の姿勢              間違えた体の移動

        

この理屈は分かると思います。右お尻を浮かして状態をまっすぐにして演奏すると、touch等には殆ど影響はありませんが、間違えた体の移動の場合左手は鍵盤に近く右手は鍵盤に対して遠く、しかも斜めになるので、右手と左手のバランスが最悪になります。演奏も不自然で難しくなります。

こういった姿勢を正しく把握する事は、生徒の傍に座っていては、客観的に見ることが出来ません。

 

以前M先生に対して、姿勢や演奏が見えていないと言うことを厳しく注意した事があります。それはM先生が数人の生徒の何時間かのlessonの間中、全く最初から最後までピアノの左側に座ったままで子供の姿勢が客席からどう見えるかのcheckをしていなかったからです。

私の場合には一人のlessonの間に色々な場所に移動してlessonをします。また生徒の曲が出来上がると、なるべく遠くのほうで子供のlessonをするようにしています。近場ではなく、お客さんの目線でどう見えるかを確認するためにです。

白ピアノの部屋は狭くて自由に行き来が出来ませんが、少しでも場所を変えて観察するようには勤めなければなりません。

 

 

テキスト ボックス: 譜例:octaveの4-5の指使い[再び指使いの注意]

41~45までのoctaveの指使いです。

和音やoctavelegatoでつながって聞こえるようにするためには、必ずしも全部の音を繋げる必要はありません。上行形ならば上の音、下降形ならば原則として下の音をつなげて演奏すれば音は繋がって聞こえるのです。41~43小節までの指使いはそのための大切な指使いです。左手44小節目の52の指使いも5をshiftしたままで、2-1-2と弾くための指使いなのでキチンと守らせて弾かなければなりません。右手44小節の13の指使いも同様に大切です。

このlevelで、しっかりと指使いを守らないと、sonate等の上級levelの曲を弾きこなす事は出来なくなります。

44小節左手3拍目の指使いが3の指にあっている理由は分かりますか?

他の同音型の場所は全て2の指になっていますよね。45小節4拍目から2⇒13、3⇒24、2⇒13となっています。

これにもちゃんとした理由があります。親指は基本的に白鍵の真ん中に位置していなければなりません。手の形が不自然に崩れると音が、汚くなるので、昔は黒鍵を親指で弾く事はなかったのです。48小節目3拍目の左手のソシは13になっていますが、これは24でもかまいません。しかし、49小節目の3拍目の52は必ず守らせてください。これも基本です。それで、ソシが無事13で終れるからです。

譜例:

 

staccatoの意味の勘違い]

リピートの後、48小節目以降の50小節目までのstaccatoについてですが、右手のmelodieに付いたstaccatoは意味はありません。この拍頭の音はthema同様にphraseの終わりの音でmelodieの抜きの音なので当然短く抜きで演奏します。では何故ここだけstaccatoが付いているのでしょうか?それは5小節目同様に左手を軽く右手の抜きと一緒にとりたいからなのです。themaの入り、Ⅰ,2小節目には左手の和音にはstaccatoが付いていない事を意識して下さい。そのMotivはそのまま、66,67小節と148、~150小節の右手に使われています。終わりのための無意味な3度の和音ではなく、ちゃんと第一主題の中に含まれているMotivなのです。

 

pedalの追記]

発表会等で演奏効果を狙って、和音のpedalを使用したければ、指定箇所の71小節目からpedalを使用してもかまいません。しかし、それは1拍ずつの踏み代えpedalでなければなりません。踏みっぱなしはやったとして、79小節目だけでフェルマータの80小節目の2分音符は踏み代えて入らなければなりません。

 

今回のお話はこれぐらいにしましょう。Lessonと違って、メールで打つのは手間がかかって非常に大変なので、次回は日曜日にピアノで説明する事にしましょう。

 

200*/**月/** () 12:33

メール拝見しております。        

忙しい中、沢山のアドバイスいただけてありがとうございます。まだ全部をしっかり読みきってなく、順を追って読み進めてる段階です、とりあえず拝見させて頂いてることをご報告まで。

お会いしたときに直接教えてもいただけるそうで、よろしくお願いします。

 

200*/**月/**日(水)

Lessonvideomemo

Haydn C一回通し

Check:出来ていない指

抜き出し:収めのニュアンスの指示

(撮影時間15分29秒)

                                               

200*/**月/**() 0:55

M君のトリル    

M君のお母さまから、主任の先生が聞いた話の又聞きですが、M君の家のピアノの鍵盤が重たいということでしたが、I先生から「トリルを弾く時に鍵盤の奥を弾く様にと注意された」と言うことで、家でそのように練習してみたのだが、「全くピアノの音が出ない(重すぎて鍵盤を押せない)ので、もう練習をしたくない」ということを言っていたので、お母様から「明日、花園教室の白ピアノで練習をさせて欲しい」と申し出が合った、と言う連絡が主任の先生からありました。

状況は聞き伝えなので、よく分からないのですが、もしI先生が「トリルは鍵盤の奥を弾く様に」という言うアドバイスをM君にしていたとしたら、M君の重たいピアノでなかったとしても、鍵盤の一番奥を演奏する事は小さな子供だけではなく、女性にとっても鍵盤が重過ぎてコントロールが出来ないと思うのですがいかがでしょうか?

 

私のメトードでは打鍵の位置は音の粒を(強さや歯切れ)揃えるために、黒鍵は一番手前の1センチ以内をtouchします。同様に親指と5の指を黒鍵の縁から白鍵の真ん中までの場所をtouchさせるようにします。これはforte-pianoの時代のleggiero奏法のようにtouchが非常に微妙でちょっとした打鍵の位置やtouchの差が音に表れる場合、打鍵の位置を一定にする事によって同じ音の粒を出す事ができるようにするためです。鍵盤を親指が白鍵の端、中指が鍵盤の一番奥で演奏する事はよほど指(手)が大きいか力強いtouchをしているかの場合だけなのです。

ですから、日本女性のように華奢な手をしている演奏家の場合には手を平べったく伸ばして、演奏する演奏家は音の粒が安定していません。まして、音の粒を揃えたり、安定したtouchなどのピアノの奏法の基本を学ばなければならない子供の場合には鍵盤の奥を弾かせる事はやってはいけません。

 

日本ではChopinが指を伸ばして、弾いていたように、思い込んでいるピアノの先生が多いようですが、その誤解はChopinの指導法を書き写した(纏めた)本を読めば、その誤りがすぐに分かります。Chopinsingle actionforte-pianoを生涯愛用していたわけですし、Mozart奏法の基本であるleggierotouchを生徒に厳しく要求していました。「Staccatoで練習しなさい。」というのがChopinの口癖だったのです。Leggierotouchで一番大切な事は打鍵の位置で可能な限り同じ位置でtouchしなければならなかったのです。ピアノが今日のようにdouble actionに変わってから、ピアノに音量は出たのですが、そういったtouchの微妙さはすっかり失われて、感情的な感覚的なtouchがまかり通るようになってしまいました。しかし、子供や女性のように本来の指の力が弱い場合には鍵盤の打鍵の位置によっても音が出ないと言う事が起こってしまうのです。

 

I先生の言っていた(鍵盤の奥をtouchする)という意味が違っていたのなら、M君に間違えて伝わってしまったようですから、それは次回のレッスンで訂正して置いてください。

 

200*/**月/**() 11:17

RE: M君のトリル

おはようございます、今でがけにメールを拝見いたしております、トリルを奥でという話ですが、正直言って思い当たることふしがありません。

何かの間違いだと思いますが、いずれにせよ、本人がそのように思い込むように導いてしまったことは事実ですので、その点は改めたいと思います。

ピアノが重いことは承知してるので、そのせいで弾けない部分は今は保留としてるのですが・・すみませんでした。

 

200*/**月/**() 23:42

今朝のトリルの件で

おつかれさまです、6日午後14時オケ教室でH君レッスン予定です、よろしいでしょうか。

 

先ほど帰宅してから改めてメールの内容を理解しました。

M君くんはまだ、固さがとれずヴァイオリンのレッスンのように打ち解けた感じになりません、いろいろ試行錯誤しております、失敗や反省も自分なりに感じております。

まずお母様のいう「トリル」というのがどこなのか、今やってる曲でトリルをやる部分はないのでしばらく考えてしまいました。

ターンのことかとも思いましたが、白鍵のターンを「奥で」弾くというのはありえないことでナンセンスだし、私が弾くのが奥で弾いてるように見えただけなのか・・本当にわかりません。

 

この前のレッスンでの話ではついに、ただでさせえ重い上、さらに押しても戻って来ない鍵盤が出てきたが、なぜか安藤ママは調律はしたくない、という状況で教室のピアノで練習依頼というようになったと推測してますがどうでしょうか。

あんなに良く理解し、練習熱心なので出来ることなら私が調律してあげたいところですが、当のAママがまったくその重要性に感心がないことがことさら残念でなりません。

 

話によると椅子の両側はもので挟まれ動かすことができないということなので、連弾曲でも、ソロ曲でも常に固定された位置で練習しなければならないということも問題です。

ピアノがリビングにあり、長年調律してない上、湿気を吸ってついに鍵盤が上がらなくなってしまったという状況。そんな中で頑張ってここまで弾いたということを言い訳してるように感じてしまい、お母様が子供の頑張りを伝える話の過程で今回のような誤解にとられてしまったように感じてますがいかがでしょうか。

もちろん私の指導が問題ないというわけではありませんが、今のところ一部の雑談や切れてしまった部分もありますが、全てのレッスンを撮影しており、その中でそのような「奥で弾く」といった指示をした記憶はないように思います。

いずれにせよ、本人がどう感じてしまってるのかということが重要ですので、これからは本人の様子、話を注意して観察するよう気をつけたいと思います。

 

200*/**月/**() 3:12

RE: M君のトリル 

[勘違いのメカニズム]      

トリルの話が「勘違い」ということですので、その「勘違い」のメカニズムについて説明します。

 

大人の場合の勘違いはその殆どが「思い込み」によるものです。

大人の「思い込み」による「勘違い」は、殆どの場合には「潜在的な願望」が隠されている場合が多いのです。

ですから、その相手の願望を正しく理解する事が、父兄とのcommunicationの一番大切な条件です。もし、その『願望』が「不可能な願望」であったとしても、知っていることと、知らないのでは、全く相手の対応(信頼度)が変わってきます。

大人の場合には、先生サイドが幾ら本音を尋ねても、それを明らかにしない場合が多いのです。それで、私達はよく当たり障りのないところで、探りのために無関係なバルーンを飛ばすことがよくあります。

私達が子供の教育について話ている最中に、無関係な話を突然始めたりするケ-スの場合には、そういった探りのためのバルーンであることが多いのです。

「勘違い」の理由が明らかになれば、対処はすこぶる簡単になります。当然ですよね。

 

子供の場合の「勘違い」はむしろ思い込みは少なく、実際には言葉よりも視覚的なもので勘違いをしたり、こちらがジョークのつもりでいった事を真に受けたりすることが原因の場合も多くあります。

子供の場合には、子供の持つ語彙に合わせて、その「勘違い方」が一人ひとり違いますので、M君の場合にはどのような受け取り方をしているのかを見ると、普段の指導がずいぶん楽になります。

「この子にはこういった語法のほうが通じやすい」とかです。

いずれにしても、何故そういった勘違いが起こったのかを詳しく知る事は、後の指導のために有益な事です。

 

200*/**月/**() 3:24

RE: 今朝のトリルの件で

今日、お会いしてお話をしたので、大分前から書き始めていたこのmailは当然、同じ話を繰り返す事になってしまい、新しい話はありません。しかし、まあ、参考までに送っておきます。

主任の先生に確認したところ、トリルの話が出たのは今週ではなく、先週の話だそうです。

いずれにしても、AママはHママと同じ状態になってしまっているようですね。

必死になって子供を羽の下に入れようとしていると言うことです。

巣立ちに対して抵抗していると言うことでしょうか?(それが、本当の本音の所です。)

しかし、本来的にはM君やH君は、私が「I先生に回した」 という事ではなく、AママやM君が、「I先生をお名指しの(ご指名で)・・・」 教えているわけですよね。

ですから、I先生のM君くんはまだ、固さがとれずヴァイオリンのレッスンのように打ち解けた感じになりません、いろいろ試行錯誤しております。」 と、いうお話は、ちょっとよく理解出来かねます。

 

男の子達は、(私でなく、指導講師の先生でもなく、主任の先生でもない)I先生に対してご指名だったのは、I先生にどういう事を期待したのでしょうかね?

私は、・・きっと、I先生ならば、子供達と理解しあえて、上手に導いてくれると感じたのでは、・・・と思います。

ですから、そこのところを、よく理解し、諸手を上げて共感して(symbthy)、子供や親とcommunicateするならば、もっと会話も上手く行くと思いますよ。

I先生の中に、そういった、「自分達の事を理解してくれるのではないか?」といった風なAファミリーとのとても良いsymbthyがあって、それをI先生に期待しているのではないでしょうかね。

 

ところで、ピアノが重たいと言うのは、本当に重たいと言うことなのでしょうかね?

これも、Oさんの話と同じで、言っている事と、言いたい事が極端にずれているのではないでしょうか?

多分、ピアノに関しては、M君が**先生のところでのピアノのレッスンをやめた時点で、頭に来て、ピアノを納戸のような所に、しまいこんでしまったのではと思います。

ですから、ピアノのコンディションが最悪になってしまい、また倉庫のようなところに入れてしまったので、お客様に(馬渕さんに)来て、調律をしてもらうことが出来ないのでは?

だから、M君が、ピアノの練習に対して、もうちょっと乗ってくれて、「ピアノを業者に頼んで別の部屋に移すための費用を出す事に、(或いは荷物を別の部屋に納める)という価値観がつけば、当然ピアノを弾きやすい所に移動させたり、調律を頼んだりするようになると思いますよ。

 

200*/**月/**() 19:42

M君のHaydnsonate C Ⅰ楽章    

なかなかビデオを見る気力と時間が見出せなく、お返事を差し上げるのがいつも遅くなってしまって、ごめんなさい。

溜まってしまった、ビデオ・テープをハード・ディスクに保存しながら、今日は全部見ています。

 

子供へのPianolessonで一番大切な事は、基礎を如何に確実に身に付けさせるかという事です。

そういった意味では、教室として先生方に最低限指導する上で守って欲しい事はいつもの留意点です。

それを常に頭の中に意識してlessonをすると、指導が驚くほど楽になりますよ。

参考までに、表を作ったので、その表でもう一度確認をしておきます。

 

例:Piano指導上の留意点

姿勢は全ての音楽表現の原点である。折に触れて説明をしてきた正しい姿勢のあり方を表の形式で纏めて見た。

全ての注意事項の留意点が正しい時に、始めて美しい音が産まれる。下記の全ての注意事項は同じ全く無理のない、自然で美しい音を創り出すための留意点である。

それぞれの項目に対しての詳しい解説は、Beyer研究の1巻、Piano奏法に対する解説を参照の事。

 

Haydnsonateについての諸注意を今まで、I先生にたくさん送ったように見えるかもしれませんが、全てはこの表に書かれている事についてだけなのです。ですから、私がたくさん指導してきたように見える指導案は課題の曲の中の問題点(checkpoint)のpassageで、どの箇所がどの注意事項に該当するかの判断を、私が指摘指導して来たに過ぎません。

ピアノ演奏上の姿勢の留意点

椅子の位置

ピアノの鍵盤との距離

椅子の高さ

自然に肩を落とて鍵盤に手を乗せた時の肘の位置

お尻の位置

出来るだけ浅く座る 椅子の高さを膝の位置で決める日本のピアノの先生(二つの理由)

手首の位置

高位置と低位置の間に手首が来る事

手の型

二つの弧

打鍵の位置

親指と小指の位置、黒鍵を弾く時の鍵盤上の打鍵の位置

正しい姿勢

ニュートラルの姿勢を正しく作る、①前傾姿勢②おへその位置(腰が入ると言うこと)

肘の位置

椅子の位置が近いと肘の位置は下がり、遠いと高くなる

 

ですから、この一覧表を完全にマスターすると、誰でも自信を持って子供達のlessonの技術的な指導が出来るようになります。

というわけで、今までに送ったmailをよく読み返して、そのpassagepassageについて、確実にM君に指導をするようにしてください。

 

今回のビデオについても、注意点(若しくは留意点)は、前回と全く同じなのですが、少し補足説明をしておきます。

 

本文

[装飾音について]

Brahmsについても、Haydnについても、I先生自身も装飾音が鋭すぎるようですが、このお話は以前しましたように、日本の音楽家達には装飾音は鋭いaccentを表す音しかないから子供の内からそう習ってきた結果なのです。

でも、装飾(ornament)というのは飾りという意味であり、実際上の装飾音は、鋭いaccentで演奏する装飾音の場合の方が、極めて少ないのです。

拍頭に装飾音の音を合わせてvibratoaccentで実音のほうは抜きの音になると言う、古典派の美しい上品なvibratoをロマン派の巨匠であるChopinですら、(Chopinの尊敬する作曲家はMozartですから、・・)好んで使用していたのですからね。

私自身が、学生時代Beethovensonateなどを習う時に、パリのコンセルバトワールのイブ・ナット門下生である先生に「Beethovenは田舎もんだから、sforzandoはもっと乱暴に弾くのよ!」といわれて、困っていたお話をしましたよね。

イブ・ナット先生が、実際に生徒達にそういう風に指導したのかどうかは、私のピアノの先生ではないので、分かりかねますが、Beethovensforzandoを汚く鋭く弾くのは、私の青年時代には世界の常識だったみたいですよね。

しかし、よく調べて見ると、驚く事にはBeethovenもウイーン式のforte-pianoの愛用者で、無理やりに贈られたイギリス式のforte-pianoについて、「こんなに弾きにくいピアノだったら、俺はPiano曲なんか二度と作曲しない。」と憤慨していました。

しかし、よくBeethovenの住まいを紹介する写真等に登場する素晴らしく豪華なPianoですが、そのイギリス式のダブルアクションのPianoは、Beethovenは殆ど弾かなかったようです。結論的に言うと古典派の時代にaccentの装飾音は殆ど出てこなかったのですよ。

同じ事はモルデントや短いトリラー、プラルトリラーについても同じ事を言えますがね。

私が子供達にBachinvention等を指導する時には、強拍を表すモルデント、弱拍を表すモルデントを、子供自身に探させ、色分けさせて、演奏で表現させています。

Bachの時代にはCembaloなどの楽器はtouchでは強弱がつかなかったので、拍節法vibratoaccentと抜きのslurで表される強弱をモルデント等の装飾音で表したからです。

そのslurの強弱を、初めてヨーロッパで音楽を勉強してきた音楽事始時代の日本人の先生が間違えて、後世に指導してしまったのです。

本当の書かれた意味が分からないままで、音楽を表現しようとしたので、そんなエキセントリックな表現になってしまったのでしょうね。

 

しかし、そういった誤った奏法は、音楽事始時代の (所謂、明治時代の話ですが、)日本人のPianoの指導者の責任だけでもなく、ヨーロッパの音楽界でも、Pianoの機能がsingle actionからdouble actionに代わるに従って、(double actionに代わったのはロマン派の時代ですが、いつもお話するように、Chopinは生涯、single actionPianoを愛用していました。) 急速に、古いバロック時代の演奏スタイルや古典派の演奏スタイルが失われてしまいました。19世紀の後半にはもう、Cembaloと楽器は存在しなくなってしまったのです。

ですから、正しい、古典派の音楽様式やbaroqueの演奏は、日本人の間にという意味ではなく、世界中の20世紀に生きて来た総ての演奏家達に忘れ去られてしまったのです。

という事で、当然、今日の日本のorchestra奏者とか、弦楽器奏者が、プロの演奏家だからといっても、ちゃんと正しく演奏出来ているのではないのです。

しかし、往年の名演奏家は兎も角として、今日では、超一流と名の付く演奏家は既に、誤った奏法を正しく矯正して演奏しています。

 

しかしながら、残念ながら、旧態然としたアカデミズムの塊の音楽の教育界を引き合いに出さなくとも、一度間違えた奏法が世間に定着してしまうと、幾ら「どういう奏法が正しいのか?」と言う事が、一般にも普通に理解できるようになってきた今日でも、それが「一般的になる」 と言う事は難しい事なのです。

 

再び本題に戻って、BrahmsにしてもHaydnにしても優美で優しい情緒表現としてのnuanceをあらわすための前打音でなければなりません。

甘えるような、コケティッシュな感じです。

決して、乱暴な、横っ面をひっぱたくような・・、鋭いaccentを表す前打音ではいけないのです。

 

[touchについて]

M君の場合は、touchの形はとてもきれいです。

指が丸く鍵盤に対してまっすぐに打鍵しています。

しかし、手が装飾音を弾こうとしたり、accentしたり、といった無駄な動きをするために高く離れてしまっていて、せっかくの手の型が崩れる寸前です。

そのまま放置しておくと、せっかく身についた手の型も打鍵の方向も崩れてしまいます。

指導の時に、よく気をつけて観察してください。

そういった打鍵の方向は生徒の傍にいては、見えません。

(相当慣れれば別ですが)ビデオの撮影位置のように、真横から見れば一目瞭然です。

 

 [打鍵の位置]

今回のlessonの左手と右手のtoriolenところでM君が音をはずして、めろめろになってしまっていましたが、その理由はI先生の指導とは、全く違います。

左手のtoriolenの所は、左手の和音感がないからです。指が回らないから、びっこを引いているわけではないのです。

つまり、左手がshiftした状態で移動できなくって、(勿論、vorbereitが間に合っていないせいもありますが・・。) 弾けなくなってしまっているのです。

例えば、I先生が右手を弾いてあげて、それに合わせて、M君が和音で移動できるかをcheckすればよいのです。

それで、間に合わなければ、両手を一緒に弾かせるのは無意味です。

一つ前の段階(step)に戻って練習しなければなりません。

 

右手のtoriolenの注意はもっと深刻です。I先生はM君が音の粒が抜けるのは指のせいと思っているのかもしれませんが、そこも和音としての、shiftが出来ていないせいなのです。手の型をちゃんと安定させるためには次の問題が出てきます。

そういった、vorbereitshiftの問題の他に、打鍵の位置の問題があります。

つまり、白鍵をshiftする時の手の位置と、黒鍵が混じってきた和音のtoriolenの時に、手の前後動が起こってしまうのです。

そのために鍵盤をtouchする事が不安定になってしまうのです。

シールを貼った鍵盤の絵で説明したはずですが、黒鍵を弾く時と白鍵を弾く時の打鍵の位置(手の型の位置)1センチ以内ぐらいしか動いていけないのです。

一流のピアニストの演奏では、鍵盤に対して手の前後動は殆ど起こりません。

プロのピアニストに限らず、子供達がmisstouchを引き起こす最も多く見受けられる原因が手の前後動によって引き起こされています。

それが打鍵の位置の問題です。

 

 [pedal]

pedalingに関しては、前回踏み替えpedalにして、絶対に踏みっぱなしはさせないようにという事をお願いしましたが、相変わらず踏みっぱなしでした。

Videotape:(1528秒時点)(71小節目から83小節目まで)

 

但し、そこの場所はI先生も模範演奏で同じようにpedalingをしていらしたので、たぶん、同一和音上のpedalなので、濁らないから許されると言うように、勘違いをされたのだと思います。

ですから、前回お話をしたforte-pianoの時代のpedalingのお話とは別に、作曲学的な見地からのお話をしておきます。

HaydnMozart等の古典派の作曲家の話として、(・・・だけではなく、現代の音楽にも同様の事がいえるのですが、) 和音(或いは音の)質量感とでも言いましょうか、音楽は一つ一つの音に比重があります。

私の師事していたGenzmer先生の師匠で大作曲家で世界的なviola奏者でもあったヒンデミット教授の著書である近現代ハーモニーの和声学教則本というのがあります。

我々作曲家にとっては当たり前の事なのですが、3和音の中に長7度の音程を伴うような4和音が混じってくると、和声進行上和音の質量感が際立ってしまいます。

ですから、7の和音を使う時には、強勢の拍に使用するか、さもなくば4和音(7の和音)の連鎖を行うかでなければならないのです。

特に、その7の和音が長7度の和音であった場合には、その和音が際立ってしまう事を注意深く防がなければならないのです。

それを和音の質量感と私達、作曲家は呼んでいます。

 

同様な音楽の質量感は、原則としてピュアー・サウンドで作曲されている古典派の作品に対してpedalを踏みっぱなしにする事は、そこの場所だけが、異常に音の重量感が出てしまってエキセントリックな表現になってしまうのです。

ですから、古典派のmelodieが、ころころ動くようなpassageを持つ曲では、その重量感を壊さないように、pedalは殆ど気づかれないようなaccentpedalpedal操作の基本になってしまうのです。

ですから、先日もmailで注意したように、踏みっぱなしのpedalは、Ⅱ楽章などの緩徐楽章を除いては、原則として使用してはいけません。

しかし、octaveの動きで音がぶつぶつ切れるのを防ぐために、一音符ずつ、legatoを作るために、踏み替えして、octavelegatoをするためのpedalならば、質量的に音楽を破壊する事はありません。

古典派の音楽はくれぐれも、絶対に音が濁ってはいけません。

同様に同じ和音内の音であったとしても、pedalの誤った操作によって、その音楽の質量を壊す事があってはいけないのです。

 

 [octaveの指使い]

                            譜例:

41小節目4拍目から43小節目までのoctaveの指使いの注意ですが、前回のビデオのcheckでも確認して私が出した課題は、octaveの指使いです。

 

 

これは基本的なoctavelegatoで弾く上での大切な指使いなので、絶対に守らせて弾かせなければなりません。

M君はlegatoで弾く事を最初から諦めて、指使いも守っていないし、legatoで弾こうとする意識もありません。

というか、それがoctaveになったというだけで、melodie!という事すら忘れているのではないかな?

もしoctaveの指使いがM君にとって非常に難しい課題だとしたら、私ならば、下の1の指を弾かないで、上の音だけを指使いを守って、legatoで、phraseをキチンと守らせて弾かせます。

Phraseを守ってlegatoをさせるための、指使いで基本的な指使いなので、その意識を育ててやる事が、M君の練習に対する、意識を育てることになるのです。

 

 

 


追伸:

octaveに関しての、注意ですが、これはM君の話ではなく、I先生へのお話ですが、70小節目左手のラの音から、octaveのファの音に飛ぶ時、(移動を確実にvorbereitするためだとは思いますが、)melodieの最後の73小節目3拍目のラの音をペッ!と吐き捨てるように短く弾いてしまっています。

 

譜例:左手の矢印箇所

こういった演奏を指導者がする事は、子供に印象が移ってしまって、そう言った演奏が子供の癖になりやすいので、オケ練習などでは、特に厳しく注意しています。

ですから、最後の音の余韻をちゃんと意識させるようにしてください。

そのために次のoctaveのファの音を取るのが一呼吸遅れたとしても、音楽の演奏では、不自然にはなりません。

丁寧に弾いたとしかお客様は思わないのですから。

ここで、あえてI先生にこの注意をするのは、octavelegatoで弾こうとする時に、多くの日本人のPianoを学ぶ人達がpedallegatoを誤魔化して弾こうとするからです。

ですから、pedalを必要最小限にすると、そう言ったボロが表面化してくるのです。

それを正しく演奏するためにはoctavelegatoのための指使いやmelodieを繋げる為の細やかな演奏スタイルが大切になってくるのです。

 

200*/**月/**() 21:12

M君のメール

日曜に頂いたAママに関するメール、今回のメールを含め今現在、よくよく読ませて頂いてる状況です。

今回頂いた基礎に関する表がとてもポイントが分かりやすく勉強になります。

 

M君くんのピアノに関しては気になる点は沢山あるのですが、私がいつも悩んでしまうところは、いわゆる「ピアノの先生」が「曲を弾かせる」為に指導することに陥ることはよくないと思ってるのですが、その時点で何を指摘し、何に目をつぶっておくかの線引きが自分で判断で出来ないことに苦しんでおります。

弾く腕の構えが悪いこと(力がはいってる為手首が硬直してること、鍵盤に近いこと)や、親指が反り返る、打鍵する位置が悪い事など、ゆくゆくはと思っていたことが実は大事だったと思いました。

 

頂いたメールの質、量が多いのでまだ全ての返答ができませんが、「M君くんの固さが取れない」との私のメールが理解できないと頂いたことですが、説明不足だったかもしれませんが、以前Hくんの時も「表情が硬く、愛想笑いしてるけど笑ってない」点を注意という指摘を頂いたこともあって、やはりバイオリンの時間ほど思ったことをしゃべってくれない(こわい、聞いてくれない?)と思われてしまってるのかなと、自分自身がむしろ不安に感じてしまって、あのように書きました。

そんなことはないのでしょうか・・・内容が楽しくないとか、別の原因なのでしょうか。

 

200*/**月/** () 19:24

M君の曲決めについての質問   

明日のオケ練習は指導講師の先生が四日市教室に出張lessonなので、代わりに生徒のRちゃんとRsちゃんとに練習内容の伝達をしたのですが、M君はlesson時間のタイミングの関係で、伝達が出来なくなってしまい、そこが不安だと嘆いていました。

仕方がないので、体(体調)が許せば、朝の10時頃を目指して、オケ練習のcheckに行きたいと思っています。

しかし、この所、延々と微熱が続いているので、明日の体調もよく分かりません。

体調が悪ければいつもの定型で3時に花園に行く事になりますので、よろしくお願いします。

 

今回の曲決めのMozartsonateのお話ですが、来年の発表会を目標にして、という事だと思いますが、どういういきさつで、曲を決める事になったのでしょうか?

私自身は「M君がクリスマス会までに間に合う簡単な曲でソロを弾くのかな?」と思っていましたが、指導講師の先生からは、「来年の発表会を目標に、新しい曲を選曲している。」と聞いて、ちょっと驚いています。

 

という事で、指導講師の先生に質問したのですが、何故今曲決めなのかは指導講師の先生も把握していないそうなので、そこのところのいきさつ等を教えてください。

 

前回のmailのお返事は、もう少し時間をください。

 

200*/**月/**() 18:10

昨日頂いたメール返信

昨日はおつかれさまでした、頂いたメールは昨日の時点ではまだ拝見してませんでした、ご返信が遅くなってもうしわけありません。

数週間前に指導講師の先生にメールで「M君くんは東京のおさらいかいにも参加しますか?」と尋ねたことがあります。「もし参加ならそこでハイドンを弾かせ、発表会には別の曲を予定してる。」ということはお伝えし、「その場合ハイドンと並行して新しい曲をやる予定をしてる。」とお伝えしたのですが、お忙しいようで現時点でまだその返事は頂いてないので、(もう少し様子をみてからなのか、予定が未定なのかと推測し)発表会の曲だけは年内に渡した方がよいと思い、モーツァルトを渡すことを考えました。

和音のアルベルティーバスのシフトがやはり大事なポイント(というか、音符をひとつひとつバラバラに読んでることが問題)だと思い、古典派のどれかを選びたいということはハイドンを見たときから思ってました。

因みに他の候補としては先日もお話しました、ベートーベンの悲愴3楽章、バッハイタリアコンチェルト3楽章、モーツァルトの変ロ長調K570の1楽章も考えましたが、今回は見合わせました。

昨日、先生からアドヴァイス頂いたように、いくつか候補を渡して、本人に選ばせようと今は思います。

次回メンデルスゾーンのベニスのゴンドラも候補として与えてみようかと思います。

またご報告させていただきます。

 

200*/**月/**() 8:01(純子へ)

videocheck12月9日分

後半に、I先生へのお説教が入っているのだが、かなり厳しいので、出さない方が良いのかな?

それとも、厳しいところだけを割愛して送ったほうが良いのかな?

 

Videocheckについて

子供とのcommunicationの理解(子供がlesson中に雑談をし始めた)

I先生が起承転結について説明しようとした時に、M君が浦島太郎の話をしだした。

M君の話を無視して、話を進めたのはたぶん集中を切らさないようにという事だと思うけれども、何故M君がそこで雑談をし始めたと思うのか?

浦島太郎のお話は起承転結の話からは外れていないので、雑談にはならないのでは?せっかく、lessonに自分の方から参加しようとしているM君のやる気をつぶす結果になるのでは?

 

phrasephraseのつなぎの音のpassageM君がmisstouchをした事に関しては、M君が「・・の音を間違えた!」 と、言った音と、実際に間違えた音は違っています。

I先生はM君が答えを言っただけで「分かっていれば、いいよ!」と、結論付けてしまって、彼が言った事が合っているのか否かは、(実際には間違えた音を)確認していません。それは勘違いです。

だから次回も当然同じところで躓くはずです。

(クリスマス会までに、次回のlessonがあったのかな?)

子供達がよく犯すmisstouchについては、私も「どうだったのかな?」と、その原因がcareless mistakeかどうかが、よく分からなかったり、或いはどの音をmissったのかを、聞き漏らしてしまう事があります。

そこのあいまいな所の対処をどうするかという対処の仕方が生徒から信頼されるのか?・・或いは反発されていくのか?・・・自分の先生としての指導力を問われるpointになるのです。

 

私の場合には、そういう場合には、決して自分を正当化しようとか、誤魔化そうか?・・・とかしないで、素直に「よく分からなかったので、もう一度弾いて見てくれない?」と生徒に頼みます。

そうすると生徒は「自分の演奏をちゃんと聴いてくれている!」という事で、すごく信頼してくれるのですよ。

私のRsちゃんのピアノのlessonvideoをご覧になられたことがあるか?・・・と思いますが、1度のlessonで、2,3回は、Rsちゃんに「よく分からなかった!もう一度弾いてくれる?」と弾き直しを、しかも何度もさせている所があります。

そのうちに、私よりも先に、「あ~、この音が違ったのだ!」と間違いを見つけ出す事があります。

(もっとも、意識的にそうする事もあります。自主的に自分でcheck出来るようにするためです。)

 

Haydnsonate

toriolenmisstouchの注意も何の音から何の音への移り変わりで躓いているのかがcheckされていません。(57小節~58小節)

ある音の型から次の音の型への移り変わりでM君が躓いているのだ、というアドバイスをしましたが。

左手の和音を間違えたまま気づかずに弾いているのに、指摘していません。

 

141小節目からのターンはどうなっているのかな?ターンの弾き方が全く理解できていない、と思うのだが!・・・そこの指摘はなかったのですが。

 

追伸:

この曲に関してはM君がちゃんと弾けるようになるまで、もう少し煮詰めたかったのですが、I先生が、lessonでは、この曲を「終わりにした。」という事なので、はなはだ尻切れトンボなのですが、Haydnsonatelectureは今回で終わりになります。

 

 

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