2018年の9月のcatastropheで、homepageの「芦塚先生のお部屋」の殆どの論文をぶっ飛ばしてしまいました。
「homepagebuilderがrenewalしたので、再起動をしてくれ」とのmessageで、なにげなく再起動をしたら、苦節20年間の全部の文章・論文が無くなってしまったのです。クラウドからdown
loadを試みたのですが、殆どの文章がindexだけの文章になってしまいました。
紙の原稿で古い反故でも残っているものは、参考までに、反故の文章を戻して置いたのですが、殆どの文章は紙の原稿すらありません。特に、長時間を掛けて、折に触れて書き溜めた原稿は、back・upが無いのです。
この文章は、随分前に書きかけられたものなのですが、忙しさにかまけて、放ったらかしになってしまっていました。
純正調のお話は、結構、あちらこちらに書いているので、それを纏める必要に迫られて、このPageを書き始めたのですが、純正調については、未だに、しっかりとしたお話が書かれていなくって、・・・・純正調についてのhomepageは結構、色々な人達が書いていて、それなりに、優れた論文もあるのですが、しかし、立場としては、理論として書かれていて、私のような、実際の演奏の立場で、書いている人は、皆無なような状態だったので、積極的におしゃべりをしなければならない、とは思っているのですが、baroqueの演奏の度に、古典調律の話をするのですが、中々一般論として、そのお話をする事が出来ないので、心苦しく思っています。
折に触れて、なのですが、少しずつでも、書き進めて行きたいと思っています。
純正調というものが、既にmaniacなので、結構、pureに考える人達が多いのですが、私のような演奏をする立場だと、平均律だの、純正調だの、結構いい加減になります。
そのいい加減さのお話です。
通常の純正律でtuningしたとして、canonの和声進行は次のようになります。
このCembalopartを標準の純正律で調律をした場合には、1小節目の4拍目のV度の和音は、とんでもない汚い響きがしてしまいます。
baroque時代の基本的なcanoncodeですら、副三和音に至っては、純正の美しい響きはしないのです。
そこで、純正律と平均律のhybridである、副次的な純正律にtuningします。
教室での調律の場合には、他の曲との兼ね合いもあるので、Cembaloは基本、平均律でtuningします。
orchestraが純正で演奏したとしても、Cembaloのpartはそのまま平均律で調律するのです。
つまり、T度、W度、X度の主三和音は純性に調律したとしても、U度、V度、Y度の和音は純性には調律は出来ないのです。
Z度は元々、減三和音なので、純性は論外なのですがね。
この場合の1小節目の4拍目のV度の和音は非常に堪えられない響きがします。
つぎの例は彼の有名な名曲中の名曲であるVitaliのchaconneのorchestraversionです。
この冒頭のviolinのpartも、純正と平均律の狭間で困ってしまう1曲なのです。
冒頭に出て来るF#ですが、g mollなので、属音はDになるので、Dの3和音の中のF#の音(純正のF#の音)は、気持ちが悪く感じる程、かなり低めのpitchになります。
そこで、最初の小節では、和音がg上の3和音になるので、F#の音を、「導音のF#」の音として、かなり高めに演奏するのですが、後半には、orchestraが一緒にF#を演奏する箇所も出てきます。
私の場合には、仕方がないので、orchestraのF#はそのまま純正のF#で演奏して、soloのF#だけを、導音のF#としてかなり高めに取らせています。
こう言ったorchestraの音よりも、高めにsoloのpitchを取る事を、そのまま「solopitch」と呼びます。
この場合、orchestraとsoloの音は、分離して聴こえるので、殆ど気にならなく演奏出来ます。
この問題は、常に弦楽orchestraの場合には、起こる問題なのですが、fullorchestraの場合には、最初から平均律なので、こういった問題は起こりません。
でも、日本の弦楽orchestraの場合には、純正調で演奏しているorchestraは少ないので、ここまで悩む事はないのかな??
単一種類の楽器の場合には、和音が非常に溶けやすいので、管楽器でも弦楽器でも、和音は純正の和音を使用する事が多いのですが、その場合には、melodieはそのまま純正の音を使うと奇妙(eccentric(エキセントリック)なmelodieになってしまいます。
という事で、melodieだけは、一番、自然に聴こえるPythagoraskommaの純正調を使用している人が多いようです。
平均律は「Bachの平均律から始まった」とされる解説の文章をよく目にしますが、これはWohltemperirteという言葉を平均律と訳した事から引き起こされた誤りです。
Wohltemperirteという言葉はWohlという「完全な」という言葉と、temperirte「調律された」という意味の言葉に過ぎません。つまり、「完全に調律されたCembalo用の」という意味になるし、Bachの時代には平均律の調律自体が存在しません。
と言うか、必要が無かったからです。
平均律が必要になって来たのは、調律をする事が難しく、また面倒くさくなって来たforte-piano以降のdouble actionのPianoになってからのお話です。
それまでは、Cembaloにしてもforte-pianoにしても、曲を弾く度に調律をする必要があったので、その曲の調に合った調律をする事が一般的だったのです。
私の場合には、古典調律としてはmeantoneの調律をよく使いますが、その場合には、Aを基準にして調律をすると、皺寄せがAsやEsの音に来てしまいます。
それを回避するためにHandel等が使用したCembaloでは、分割鍵盤(縮小鍵盤と勘違いしないように・・)を使用していました。
Bachのお弟子さんであるKirnbergerよりも、BachはWerckmeisterの古典調律の方を好んでいたようですが、Werckmeisterの方が現代の平均律に近いようにも思われます。
それでBachが平均律を使用した・・と思われたのかもしれませんよね??
今時の電子tunerでは、9種類ぐらいの古典調律が出来る機械が一般的です。
私が普段使用しているtunerで、古典調律が色々と出来るtypeのものです。
古典調律の出来るtunerは今は数多く販売されているので、色々なtypeのtunerが教室にもあります。
また、Keyboardも純性の出せるKeyboardや、古典調律で演奏出来るKeyboardもあります。
orchestraの練習やbaroqueの室内楽では、そう言った楽器を使用して練習をします。
調律法の色々
(1)Pythagoras音律・・・ピタゴラスの音階とも言いますが、和音的には使用する人はいないでしょうが、melodieのlineとしては、ピタゴラスの音階を使用する事は多いのかな??とも思っています。
(2)中全音律(アロンのmeantone)・・・meantoneの調律は、特にMozartが好んで使用したと言われますが、meantoneで調律して演奏したsonateを聞いた事がありますが、本当にMozartのように美しい響きがしました。
同じforte-pianoを愛用したChopinもmeantoneの調律を好んだ・・という話もあります。Chopinのnocturneをmeantoneで調律して演奏したYou
Tubeもあるようなのですが、それもとても美しい響きがします。
但し、中全音律、所謂、meantoneの調律はとても美しく響くのですが、残念ながらAsやEsを含むchordに致命的なWolftone(ヴォルフ・トーン)が出てしまうので、演奏をする調によっては、かなりの制約を受けてしまいます。
私の場合には、meantoneで皺寄せのある音を事前に時計に書いて起き、meantone時計に当てはめると、何の音でtuningをすると、皺寄せが来ないかを判断出来ます。
予め、時計を作っておくと、いちいち悩む必要がなくなるので、便利です。
(3)Kirnbergerの第3調律
(4)Werckmeisterの調律法
(5)Vallottiの古典調律
Bachの弟子であるKirnbergerの調律法や、Bachと同時代のWerckmeisterの調律は、現代の平均律に近すぎて、和音の美しさが失われてしまっています。
・・そう言った理由から、Handel等の作曲家達は、開かれた調律に対応出来る、分割鍵盤の楽器を使用していました。
そういった特殊なCembaloは、教室は持ち合わせていないので、今は取り敢えずですが、Vallottiの調律法で調律しています。
古典調律のお話
芦塚先生、斉藤先生おはようございます。
昨日、オンラインの生徒からこんな質問を受けて、正直私には答えられなくて・・・。
「質問です。純正率では調が変わると違う音色になるので曲の感じを出すために調
を変えることは意味のあることと教わりました。
では平均律ではシャープやフラットを増やすことはどんな意味があるのでしょう
か。」
生徒の言っている前半部分「純正率では調が変わると違う音色になるので曲の感じを出すために調を変える」も微妙に違うと思うのですが、それはスルーするとしても、どう答えてあげれば、生徒の勉強にプラスになるのか悩みます。
80歳のアマチュアのご婦人です。オンラインでヴァイオリンと、私の訳した「音楽理論ワーク」の添削の指導している中でいただいた質問です。
先生はどう思われますか?
生徒さんがどのような疑問を持ったのか??と、「音楽理論ワーク」にどのように書いてあったのか・・と確認をしようと書庫を見たのですが、頂いた著書が教室の方に保管されているので、ハイツには置いて無かったので、今日はオケ・リハなので斉藤先生が東京に戻って来るまでは、一般論としてお答えしますね??
調のお話は一般の人達に取っては不可解なものらしく、よく同様の質問を受けるのですが、2018年の9月のcatastropheで、homepageの「芦塚先生のお部屋」のPageを全部ぶっ飛ばしてしまって、その無くなったPageの論文に結構色々なapproachでお答えをしていたのですが、楽典関係の被害が一番大きくて、殆どの文章が無くなってしまいました。
「何故、今、homepageの話をするのか??」という事なのですが、ご質問内容の「純正率では調が変わると違う音色になるので曲の感じを出すために調を変えることは意味のあることと教わりました。
では平均律ではシャープやフラットを増やすことはどんな意味があるのでしょう」という質問を分かり易く回答するためには、色々な方向からの違ったapproachが必要になって来るので、その回答のための参考になれば・・と思って、昔書いていたhomepageをひっくり返して見たのですが、「芦塚先生のお部屋」のhomepageは、今更、見るに堪えない酷い状態で、3年目に入っているのに、手も付けていませんでした。
「おもしろ話」からの*調性と音階のお話とか*調弦について・・のお話はなんとか復活させたのですが、楽典系のお話は修復不能でそのままに放置されています。
生徒さんのご質問は多分楽典系のお話の方が、分かり易かったのだとは思いますが、それを回答するとすれば「何故色々な調があるのか?」というご質問になるのか??・・と思いますが、その回答にはpitchに対しての認識も必要になります。
質問への回答をまとめると、@純正調と平均律の違い⇒平均律で使用される純正調と純正調の中で使用される平均律A調は何故あるのか??⇒調の特性Bpitchと楽器の関係等で良いのでしょうか??
それとも更に追記する事があれば教えてください。
「純正率では調が変わると違う音色になるので曲の感じを出すために調を変える」という質問は作曲家としては実に面白い発想です。
調を変える・・というのが転調の事を意味しているのだとすると、それは殆どありえないと思います。
その理由は調の持つ本来の意味合いよりも、転調が引き起こす意識の方が数倍も強いからです。
しかし、曲の調性を決める時には、あるいは目的の調を持つという意味では・・この質問は実にWagner的で面白いです。
Wagnerの書いた楽劇「Tristan und Isolde」はd mollの主和音から始まり、4時間近い劇の中で転調を繰り返して(調を確定しないままに・・)、最後の最後でH Durのchordで終わります。
つまり、劇の中でHの和音を探し求めている・・という設定です。
しかし、更に、先読みをすると、HはE Durのdominanteのchordでもあります。
言い方を変えると最終の目的地はE Durという事にもなるかもしれません。E DurはRichard StraussがRosenkavalier(バラの騎士)の冒頭の序曲で実に巧妙に使用した調でもあるし、Mendelssohn等の作曲家達が愛の喜びの調として使用した調でもあります。
つまり、Hのchordは、愛の調への憧れを示す調だという事が出来ます。Wagnerや多くの作曲家達がそのように解釈をしています。
Vivaldiの時代からE Durは愛の調、エロスの調という事が出来るのです。
本当はチョッと違うのですが、baroque-pitchを、標準pitchのA=440の下のG#の音を便宜上、baroque-pitchとしてtuningする事がよくあります。つまり、A=415cycleのbaroque-pitchです。
このpitchはmodern-pitchでtuningをしなければならなくなったCembaloを保護するための便宜上のpitchなので、baroque音楽を専門に演奏する団体にはこのpitchは使用して欲しくはありません。
弦楽器のためにはEuropaのrecorderが使用しているpitchのA=435ぐらいが望ましいのです。
超、低いpitchとしてはA=392Hz 所謂、「Versailles-pitch(ベルサイユピッチ)」と呼ばれるものがあるようですが、それはAを440とした時に、1全音下がったpitchです。
PachelbelのChaconneは原調はf mollです。
しかし、baroque-pitchなので、実際にはe mollに聞こえるハズなのです。
・・・という事と、弦楽器の場合には、e mollの方が鳴りが良いので、orchestraのarrangeの譜面はMueller-Hartmann版の譜面がe
mollになっていたので、私のarrangeもそれに準じてe mollにしました。A=418のbaroque-pitchという意味です。
しかし、第Vversionのarrangeにあたって、生徒から「f mollの原調の方が良い」というorderを貰ったので、最終版の第三versionでは、f
mollになって、e mollよりも、より悲劇的な要素が濃くなっています。
ここでは理解し難い不可思議な出来事が起こってきます。
baroque-pitchでのa mollの曲は、G#mollの曲であるハズなのですが、やはり、a mollなのですよね??
絶対音感的にはG#の曲のハズなのですが、意識的(譜面を見ない限りでは・・)には、やはり、a mollの曲になってしまいます。
これは超、不思議な現象で私も理解出来ません。
つまり、f mollの曲をtransposeしてe mollで演奏した場合と、f mollの曲をbaroque-pitchでe mollになった場合では、曲のimageが変わってしまうのです。
これは心理的な原因とするよりは、楽器的な特性に寄るものだと言えるのでしょうかね??
つまり、楽器のkonsonanzの関係による調の特性だと思われます。
調をe mollにtransposeする場合には、e mollに対してのkonsonanzが働きますが、楽器をbaroque-pitchにtuningすると、楽器の特性はa mollのままのkonsonanzになるからです。
『いくつか論点を上げてくださった中で、「調はなぜあるのか」が気になりました。私個人的に曖昧なのは、調性が変わると、弦楽器やオケの楽器の特性上、響きが変わるのはわかりますが、平均律のピアノでも変わるのか?ということです。』
⇒弦楽器やorchestraという場合には、移調楽器を含むorchestraの場合には、私がいつも言っている事なのですが、たった一つの音・・例えばCの音を揃えるのでもorchestraでは容易ではありません。何故ならばB♭管の楽器やEs管の楽器、F管の楽器が同時にCの音を出す事は殆ど不可能に近いからです。つまり、orchestraの場合には純性の音を出す時は、必ず同族楽器が演奏している場合だけなのです。つまり、orchestraは基本的に平均律の音で演奏します。
弦楽orchestraのような場合は特別だと言う事が出来ます。violinはG調でviolaやCelloはC調の楽器だという事が出来るので、共通するkonsonanzは非常に多いので・・・。
⇒平均律と純正調の違いは、(もし基準となるAのpitchが同じだとすれば、)その和音の響きの差は一般人には分からない程度の差です。私達のように日頃純正調を使っている人間の場合には平均律のCの3和音と純性のCの3和音では、全くの違いがあるのですが、baroque-コンサートの時に、純正律の出来るKeyboardを持ち込んで、響きの違いを一般の人達に聴いて貰っているのですが、それが聞き取れた験しは一度もありません。
つまり、同じ基準のAの場合という前提では、平均律の調も純性の調も殆ど聴き取れる程の違いはありません。
・・・言い方を変えると、そのために、子供の時から、純正調に慣れる訓練をしているのですよ。
⇒調はそれ自体に性格があるのですが、それは感覚的なものなので、作曲家に拠ってimageが違います。Brahmsは死を意味するものとして、e mollのH⇒G⇒E⇒C⇒A等々の下行3度を死のimageとして捉えて、書いていました。Brahmsの4っつの最後の歌やsymphony第4番もそのthemaで作曲されています。でもMendelssohnのviolinConcertoも同じthema(Hからの下行3度)で始まるのだけど、とても死に対しての叫びではありませんよね??
Bachの場合には長7度の音が死を意味する場合が多いのです。
Es Durはベートーヴェンの英雄でもMozartの魔笛でもESの和音が3拍子で3回打ち鳴らされて、所謂、三位一体を表すと言われています。これはキリスト教の教義なので、作曲家の感覚ではなく教会の指導です。
調とその性格は曖昧なものではありますが、殆どの作曲家達に共通する概念なので、調が性格を決定するのは、否めない事実だと思われます。
⇒それよりも更に一番問題なのは、baroque-pitch等に見られる基準音の違いです。f mollのPachelbelのChaconneをbaroque-pitchで演奏すると、実際にはe mollになるので、e mollで書いたのですが、やはり、梨紗達からはclaimが出ました。という事で第三versionはf mollに戻してarrangeしています。
Beethovenの第9はVersailles-pitchなのでC Durだった・・という話もあるのだけど、D Durでなければ第9のimageにはなりませんよね??baroque-pitchでもD DurはD Durだという主張もあるのですが、確かに絶対音感があっても、D DurはD Durのようです。pitchよりも調性感の方が優先されるようです。
この部分は頗る感覚的な部分なので、私の場合には断定は出来ません。あくまでも一般論としてのお話です。
以上の説明なのですが、感覚と理論が渾然一体となっている所なので、経験値だけの証明にしかならないのでは・・と思っています。