本当の自信とは
ある中学3年生の女の子が、コンクール本番が間近にせまったあるレッスンの中で、芦塚先生から次のようなお説教を受けました。
芦塚先生のお説教
演奏をするときは、必ず自信を持って弾かなければならないね。自信があったほうがお客さんたちは、安心して聴くことができる。でも、「自信」ということについては、一般的によく勘違いされることが多い。うぬぼれているのに自信があると思われたり、逆に自信があるのにうぬぼれていると思われたりね。自信とうぬぼれは似ているようで全く別のものなんだよ。では、自信とうぬぼれは何が違うと思う?
(生徒)「自信は、その人ができていることで、うぬぼれは、できてもいないのにできていると思っていること。」
そうね。一般的にはその解答で合格。しかし、芦塚メトードではそれじゃあ20点だね。
自信とうぬぼれは何が違うか?さあ、難しい!大人でもこれをちゃんと説明できる人はそういないと思うよ。普通一般的にはね、『自分が人よりも出来ること』が自信だと思われている。ところがこれは大きな間違いなの。自信っていうのは、それが出来ても出来なくても持てるものなんだね。どういうことかっていうとね、自信は、そのときにできなくても『そのことに対して努力を続けることができる』という自分に対する誇りなんだよ。
自分ができないことを正当に判断できて、それを認めることができる。それが、自信なんだよ。
『どこができていないのか』ということを正確に判断できることが自信とうぬぼれの境目なんだよ。
じゃ、逆にうぬぼれはどういうものだろうね。うぬぼれっていうのはね、常に自分と他人を比較して自分がその人よりも優れていると思うことによって自己満足することなんだよ。だから、もしその人に負けることがあったら挫折してしまう。自信の場合は他人に負けても挫折することはない。具体的にはどういううぬぼれがあるかな。そうそう、東大の5月病って知ってる?
「なんですか?それ」
東大に行くような人ってさ、小学校から高校まで常に学年トップの人でしょ。ところがね、東大に合格して実際に東大に通ってみると、周りには同じように小学校から高校まで学年トップだった人たちばっかりなんだよ。気がついてみると、目分はトップどころか5000番とかさ、とんでもない順位がついてしまうわけだ。それでみんなすごいショックを受けて、学校の状況とか自分の成績とかが見え始めてくる5月に、欝病になったり、ひどい
場合は自殺しちゃったりとかする。そういう風にね、他人との比較による自信…つまりうぬぼれだね、その場合は簡単に挫折につながってしまうんだよ。だけどさ、よく考えてごらんよ。東大、東大、って言ってもさ、日本ではトップの学校だけど世界ランクから言ったら130番くらいにしかならないんだよ。ぜんぜん比較にもならないはずなのにね。
似たようなケースは、学校の音楽の成績が学年でトップだからって、「音大に行こうかしら」「ピアニストになろうかしら」なんて、お鼻が高くなってしまう人もいる。だけど、いくら学校の音楽の成績がトップだとしても、それでピアニストになれるかっていったらとても無理なのね。きちんとした音楽教育を受けている子たちとは比べようがないレベルでしょ。日本中に何万とある学校のうちのたかだか1校の中でトップだとしても、全然お話しにもならないよね。
コンクールを受けるときには特に自信とうぬぼれの違いを意識できないといけないね。
うぬぼれてコンクールを受ける人っていうのは、よく色々な先生を転々とする。自分が上手くならないのは先生のせいだと思っている人ね。先生から言われた注意が全部直せたわけではないのに、コンクールを受けたら落ちちゃって、先生が悪いと思い込んで何度も先生を変えていく。そういうのは自信ではなくうぬぼれなのね。うぬぼれでコンクールを受けてしまうと、挫折をする恐れがあるんだよ。例えば、入賞するつもりでコンクールを受けてみたら、予選落ちしてしまったからって、ピアノをやめてしまうとかね。これもうぬぼれによる挫折ね。なぜコンクールを受けるか。コンクールの目的は「聴衆に音楽のすばらしさを伝えられるようになりたい」っていうことのはず。それがいつのまにか「人よりも上手に弾きたい」に変わってしまったのね。さっきも言ったように人との比較によって得る自信は、本当の自信ではなくてうぬぼれなのよ。入賞することだけが目的になってしまった段階で、自信がうぬぼれに変わってしまうんだよ。だから自分より上手い人がいれ
ば挫折してしまうね。本当の意味での自信が身についていれば、自分よりもうまい人がいてもそれを良きライバルとして認識できるんだ。自分より優れた人の良い所を認めて、それを吸収しようとする。又、ライバルのどういうところが悪いのかということを正しく認識して、自分に振り替えて判断することもできる。だから、自分より優れた人と比較しても、素直にそれを認めることができるわけだから・・・…つまり、本当の自信は挫折
を伴わないんだよ。
だけどね、変なコンプレックスにとらわれて自信がない状態よりかは、まだうぬぼれの方がましなのね。どうしてかっていうと、なにをするにも初めは誰でも自信がないのは当たり前だからね。だから最初はうぬぼれからスタートして構わないの。それから段々本当に「音楽が好き」という風になって、その気持ちがうぬぼれを自信に変えていくんだよ。
だから、自信になっていく過程としてのうぬぼれは全然悪いことではない。反対にうぬぼれも自信もないっていうことは、マイナー思考でしょ。うぬぼれはそれ自体では、一応メージャー思考なの。その場だけはポジティブシンキングでしょ。だけど、さっきも言ったように将来的に見たら挫折する危険性が高い。つまり、マイナー思考に変わりやすいってことね。
それでは、正しい自信を持つにはどうしたらいいか。うん。それは、本当はすごくシンプルで簡単なことなのね。それがみんなにとって難しくなってしまうのは、自分の潜在意識を認識できないからなんだよ。潜在意識っていうのはね・・…おっとっと、また話が横道にそれてしまいそうだ。潜在意識の話しはまた後日ゆっくりお話ししてあげようね。
(「正しい夢の持ち方」参照)
今日は自信のことだけに絞って話そうか。どうしたら自信を持てるか。まあ、今まで話したところまででだいたいその答えは出ていると思うけどね。
(生徒)「だけど、人と比較しないようにすればうぬぼれることはなくなるかもしれないけど、本当に自分に自信がなかったら、やっぱり自信を持っことはできないんじゃないかな?そういう場合はどうしたらいいの?」
自分自身には自信がなかったとしても、うまくいく考え方があるんだよ。それは、実際に音大受験に成功した先輩に聞くのが一番いいね。ほら、先輩!そこでだまって聞いてないで、ちゃんと後輩に目分の体験談をしてあげなさいよ。
(先輩)えっ。私ですか?
私の場合は、音大を受験するってことを決めたのがずいぶん遅かったから、受験勉強を開始するのが人よりも遅かったっていうプレッシャーがあったのね。聴音とか楽典もそうだけど、ピアノの技術にしても自分に自信を持つことができなかったの。入学試験が近づいてきて、さすがに「これではいけない」って思って、先生に「自分に自信がもてないんです。」って相談してみた。そしたら先生が「自分自身に対して自信をもっことができなくても、教室のメトードや、先生に対する信頼が自信になることもあるんだよ。」っていうアドバイスをしてくれて・・…。それ以来、とにかく「自分は出来なくても、先生の言う通りにやっていれば、絶対に音大に入れる」と言う風に信じることにしたの。そしたら、そういうコンプレックスを克服することができて、無事、大学に合格することができたんだよ。
(先生)まあ、それは本当の意味での自信ではないけれど、そうやって自分の自信のなさをカバーすることもできるんだってことね。コンクールとか受験のプレッシャーを乗り越えるには、それでも十分なのね。逆に自分の力だけでなんとか切り抜けようとするのはとても無理なのよ。それは、先生から学べることが全部クリアー出来た人がすること。もっと上のランクの人の話。まだ勉強中の人は、自分の先生とか教わった内容、自分が受けた
教育のシステムとかに自信を持った方がうまくいくし、将来的に見てもそれは本当の自信につながっていくものなんだよ。
正しい自信の持ち方、少しは分かったかな?「自信とうぬぼれの違い」も分かったよね。他にもそういう風に似ているけど全然違うものって沢山あるね。例えば「おもいやり」と「おせっかい」とか。これの違いはなんだと思う?
「え一っと。おもいやりはしてもらったら嬉しいもので、おせっかいはしてもらっても迷惑なもの。」
うん。そうね。それだけだとやっぱり20点かな。
「え一ん」
「楽しむ」のと「ふざける」の違いは?「信用」と「信頼」なんてのもいいね。
依存心」と「心のよりどころ」。この違いを説明するのもとても良い課題だね。「依存心」は辞書にはなんて載ってるのかな。え一っと・…(辞書を開く)…依存心=力のある他の人や物によりかかることによって、生活(存在)が成り立っこと。だって。
(三省堂/国語辞典)
よし、全部宿題にしよう!
次の言葉の違いを説明しなさい。っていう問題。
問題
次の言葉の違いを説明しなさい。
@おもいやり⇔おせっかい
A信頼⇔信用
Bライバル意識⇔ジェラシー
C自主性⇔わがまま
D心のよりどころ⇔依存心
E楽しむ⇔ふざける
F休憩⇔さぼり
G時短⇔手抜き