まえがきに変えて
作曲対象のお話
Agogikを表すbowslurの本来の意味
近現代の不合理なbowslur
芦塚先生のlesson風景は、You Tubeから見る事が出来ます。
2015年6月15日の椎名町教室でのlessonです。Bachの無伴奏は、初回のlessonとなります。
受講者は、本田梨紗(高3)です。全楽章のarticulationとAgogikの解説をまとめてしています。
assistant講師は斉藤純子先生です。
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下の楽譜はBachの直筆楽譜(facsimile版)の冒頭の部分です。
Bachの書いたbowslurは、長年、eccentricで不合理なものとして、捉えられいて、現代の論理的なbowslurには、相容れないものとして、一般的には理解される事もないし、そのbowslurを使用して演奏する事もありませんでした。
古楽器の演奏が、一般的になりつつある、現代でも、Bachの(Bachに限った話ではないので、本当はbaroque時代の・・なのですが、)bowslurは、正確に守られて、演奏される事はありません。
「古楽器なので、長いslurのbowingが出来ないので、こういった細かいbowになっている」とか、実しやかに、説明している研究書もありますが、それは全く根も葉もない、baroque楽器を手にした事のない音楽学者の根拠のない間違いです。
baroquebowでも結構長いslurが出来るのは、数多くあるBachの歌う曲を演奏する時には、onebowで、結構長い音符を奏く事はザラにあるからです。
baroque時代の無伴奏というgenreの曲に付けられたbowslurがeccentric(エキセントリック)なのは、無伴奏であるが故の、演奏のstyleが理解出来ていないからに過ぎないのです。
こんにちのbowslurで、baroque時代の無伴奏というgenreの曲を演奏しようとすれば、無伴奏の演奏は、本来の演奏とは全く異質の物になってしまいます。
baroque時代のslurは、現代のlegatoを表すslurや、phraseを表すslurとは、根本的に、bowslurの意味が違います。
Cembaloのような、音の粒に対して強弱のAgogikを表す事が出来ない楽器の場合に、そのAgogikをslurで表現したのです。
無伴奏の曲のmelodieに書かれたAgogikの一音、一音の音の拍節法の意味さえ理解出来れば、Bachの書いたbowslurを正確に、表現する事によって、無伴奏というgenreの演奏法には、全く別の次元の世界が見えて来ます。
しかし、そのためには、作曲者の作曲理論が正確に分かっている必要があるのです。
それがこんにち、無伴奏というgenreの曲の理解を妨げている事になります。
演奏家は、音楽理論家でも作曲家でもない人達が多いのでね。
そういった、baroque時代の、或いは、Bachの独特のbowslurの意味を、作曲家という立場から、理解するお手伝いになれば・・と、今、現在、高校生の生徒へlessonをしている、Bachの曲を例にして、そのBachの意図の説明をして見ました。
baroqueの時代では、作曲をする対象が、こんにちの作曲家達よりも、はっきりとしっかりとしていました。
その主な理由は、楽譜を出版する・・というような不特定の人達を対象にして、曲を書く分けではなく、身近な目に見える(作曲家本人が接している)人達を対象にして曲が書かれたからなのです。
ですから、BachやVivaldiのorchestraの曲の場合のように、どの教会で、何時、演奏するために書かれたのか、とか、宮廷での演奏でも、演奏されたorchestraの人数さえも、(或いは、演奏した人さえも)分かっているcaseが多いのです・・というか、殆どなのです。
という事で、作曲家は、自分の曲を演奏する人は誰なのか?そしてその曲が演奏される目的とか、予め、決められた条件の上で、作曲をしました。当時の作曲家は、委託をされて作曲をする作曲の職人であったのです。
という事で、多くの作曲家達の作曲するための、対象(genre)は、大きく3っつに分かれます。
その1は、属している教会の行事のための音楽です。missa曲やcantata等の宗教曲です。
それとは別に、当時の一番popularな音楽の演奏形態であったtriosonateと呼ばれるgenreのお話です。
triosonateは、後世のQuartettに相当する、baroque時代には、非常に一般的な演奏形態でありました。
しかし、その曲集は、大きく二つの様式に区別されました。
その一つは、kirchensonate(教会ソナタ)と呼ばれる教会のGottesdienst(毎日曜日の宗教行事)で演奏される事を想定した、室内楽(triosonate)のgenreの種類の曲です。
それは厳格な形式を持っていて、overtureや、prelude等の遅い曲から始まり、緩急緩急と、遅い楽章と早い楽章が繰り返される形式でした。
その2になりますが、教会の音楽に対して、(教会音楽に対して、・・という意味ですが・・)kammersonata(室内ソナタ)というgenreで、一般的には庶民のソナタと書かれている書物もありますが、音楽が庶民の物になるのには、ビーダーマイヤー時代まで待たなければなりません。
この場合の庶民は、教会の宗教人に対しての貴族階級の人達なのです。
基本は、tempoは、kirchensonateに対抗して、急緩急緩になっている事と、曲が( allemandeやcourante、sarabandeやgigue等の)舞曲から構成されている点です。
kirchensontaやkammersonataの演奏形態を採っていなかったとしても、その多くの曲で、その音楽形式の形態を採っている曲は、非常に多いので、Bachの作品を理解する上では、重要な要素になります。
そして、3番目の分類は、この無伴奏のcellosuiteも同様のgenreになるのですが、教育を目的としたgenreです。
教育と言っても、professionalな、Bachの直弟子も居れば、未だ幼いWilhelm FriedemannやJohann ChristianのようなBach自身の息子達の教育に関しての曲も、無数に残されています。
Anna Magdalena Bachの練習帳という、音楽のmemo帳のようなものも、Friedemann Bachの練習帳というのも出版されているので、教材として使用したり、勉強した事のある人も多いでしょう。
inventionとSymphonieは、その典型的な曲であり、その勉強の目的は明記されているし、そのconceptに基づいて、曲が作曲、構成されています。
当然、invention⇒Symphonie⇒平均律という、段階的な構造も、演奏技術だけではなく、より高度な作曲技法も段階的に使用されていて、指導者として実に指導し易い教材となっています。
こういった曲を、曲の演奏法の指導のみで、指導し、勉強して行くのは実に勿体無い話で、Bachの意図の半分も、指導出来ていないというのが現実でしょうね。
その話を此処で説明するのは、散漫になるだけでなく、ますます文章が難解な物になってしまうので、折に触れて、それぞれのPageにlinkを張って行きたいと思っています。折に触れて・・・・ね・・???
lessonでは、実際の曲の説明の中で、折に触れて、色々な事を、その都度説明していますが、それを論文の型でする事は、まとまりを欠いた散漫な論文になってしまうので、pointを絞って、説明して行かなければなりません。
という事で、今回は、bowslurを中心にしての、approachに限定した解説なのですが、Bachの意図が少しでも感じ取れれば、と願う所であります。
以下、本文:
Bachの付けたbowslurから、はみ出した音を集めて見ると次のようになります。楽譜下の段です。