[整理として物を捨てる]
[捨てるから整理整頓へ]
[探さなくてもよい上手な仕舞い方]
蛇足ですがT
[物をなくす人のタイプ]
[仕舞い方]
[時短のための平行作業]
feedbackについて
[脱線して…雑談]
[本題に戻って・・・]
補遺
[整理の仕方]
「時短について」
赤字は紛失したままの原稿です。
時短と整理について
私の若い時代とは違って、近ごろは、物を捨てることを美徳とする考え方が流行しています。
物が溢れる時代、確かに狭い部屋に住んでいれば、場所を有効に活用するには、必要のない物は捨てるに越したことはありません。それが現代の豊潤の時代にふさわしい合理的な考え方だと言えるかもしれません。
しかし、そういった物が溢れて、物を捨てることが已むに已まれぬ状況の場合とは事なって、性格として、すぐに物を捨てる人がいます。
よく観察をしていると、その人達は、合理的な理由から物を捨てている分けではなく、単に物を探す手間暇を惜しむ事から、物を捨てている事が多く、決して生活上の効率や時短を図る為の手段として、物を捨てている分けではありません。
しかし、教室等の仕事としての環境下では、物を買うのは必要に迫られるから買うわけなので、それが終わって、必要でなくなったから(場所代が掛かるから)といって、せっかく買った物を捨ててしまっては、次に必要な時にまた買わなければなりません。
物を保管する場所代や保管場所から仕事場へ持って行くと言う手間を差し引いても、結果として金銭上は膨大な損失になってしまいます。
なければ、何かで代用すればよいという一般の家庭の考え方と、「時間は金である・・(time is money)」という一秒の遅れも、即、損失に繋がる、研究室や会社等の考え方は基本的に違います。
オフイスのようなビジネスライクにレイアウトされた空間で、一見すると整理、整頓されたような空間であったとしても、一人の人が書類を探すのに3分の時間をロスしたとすれば、その会社全体の損失としては、数億という金額の損失に繋がるという企業の統計があります。
勿論、誰しも進んで物を探したい分けではありません。当たり前の事ですが、物が見つからないから探すのです。
では、「なぜ人は物を探すのか?」という疑問ですが、よく人を観察していると、常に物を探している人と殆ど物を探す事のない人と、二種類のタイプ(性格と言った方が良いのかな??)の人がいるように思えます。
無意識に、自分の手近な所に何時も物を置きっぱなしにするタイプの人は当然ですが、一見するととても整理は上手で、部屋も見た目にとてもよく整理整頓されているように見える人が、しかしあまりにも上手に仕舞い過ぎて、どこに何をしまったか分からなくなって、結局の所、物探しをしなければならなくなる人もいます。椎名町の事務所もある意味では、私はブラック・ホールと呼んでいます。
・・しっぱなしのタイプの人の弁解は、結構ワンパターンで、「後で、片づけようと思ったのだが・・・!」という一言に尽きるでしょう。
そういった、・・・しっぱなしのタイプの人は、会社人間としては論外[1]なので、ここで問題としなければならないのは、一見、整理上手に見えて、物をなくすタイプの人達のお話でしょう。
「物をなくす」と言う事は、頭の中のアーカイブ(倉庫)の中から、その物を置いた場所検索するという作業がうまくいっていないということです。
それを私は、弟子達や生徒達には、よく「本棚の整理の仕方」に例えて説明をします。
よく整理された環境として、テレビドラマ等で、本棚が登場するシーンでは、きちんと本のサイズ別にとても美しく整理をされています。
しかし、現実に本がインテリアではなく、仕事の資料として、本に依存して仕事をする人たちの本棚は、決して美しく整理されている分けではありません。
仕事上で、探し出し易いように、必要な時に検索しやすいように、分類別に機能的に整理されているので、異なったサイズや装丁の本がいっしょに分類され、収められているので、見た目には決して美しいとはいないのです。
私の場合には、私がある仕事に取り掛かる前に、私はその仕事の内容によって、どういうジャンルの仕事に分類するか・・・とか、必要な資料類や書物の保管場所を先に決めてから、仕事に取り掛かります。
本を書く作業は、その前の資料調べの段階では、結構幅広い分野に付いて調べなければなりません。
そういった物をいちいち、丁寧に、本棚に戻していては、次にその仕事(作業)に、取り掛かる時に、またまた同じ資料を探し出すために、最初と同じ時間が掛かってしまいますので、あまりにも非効率で仕事にならないからです。
かといって、「出しッぱなし」にしてしまっては、どこにその資料を置いたのか?どこにその本が行ってしまったのか?・・・という、「物を探す」というジレンマに陥ってしまいます。
だから、超怠け者の私としては、「物を探す」という一瞬の手間さえ惜しむための、「その仕事(project)のための、仮のアーカイブを作る」という事は、とても大切なセレモニーとなります。
一人で仕事そのするのならば、何も、整理のために時間を割く必要はないかもしれません。
自分の仕事を、プロジェクト別に分類して、その整理の場所を細かく分類すればよいだけであるからである。後は、仕事をしながら、正しい場所に収めていけば、いつの間にかアーカイブはきちんと整理されてしまう。
問題は、オフイスなどで、そのものが複数の分類項目に該当する場合に、そのどちらに分類するかで、納める箇所が変わってしまうケースです。
勿論、同じ資料をコピーをして2箇所、3箇所に納めれば、問題は無いのでしょうが、それでは作業時間や経費、保存場所などのとてつもない無駄を作ってしまいます。
だから、そういった場合は、仕事内容を詳しく吟味して、大項目と小項目を作れば、不必要な資料のコピーをする事は避けられます。探す手間も必要最低限で収まるからです。
ただ、検索のためのインデックス付は、資料を納める場所に関しては、非常に上手下手が出てしまう重要なチェック・ポイントとなります。
一つの作業で使用した資料は、次の作業では全く別のキーワードで必要になるかもしれないし、または別の人達が必要になるかも知れないからです。
ですから、インデックスはどんな内容の仕事をしようとしていても、何時でも、誰でも、見つけられるという普遍的な大前提のインデックスでなければなりません。
つまり、その場、その場の、あまり細かい分類に捕らわれてしまうと、検索のキーワードが別の種類の仕事に移行した時や別の人達の仕事に移行した時に、アーカイブから探し出すのが困難になってしまいます。
そういう時には、普遍的な大前提を取る、ツリー構造の分類はすこぶる機能的です。
資料が少ないときには、大項目の分類で、増えるに従って、中項目、小項目と増やしていけばよいからです。
こういった整理術を日頃から、自分の日常の生活に応用して、常日頃から心がけておくことは、作業の効率化のためだけではなく、日常の普段の生活でも、大きな手助けとなります。
よく、仕事が立て込んでいて、超忙しくて間に合いそうになくなった時に、私は人が驚く行動に出る事がよくあります。
それは、部屋の整理や掃除、洗濯等をするという事です。
初めて、私のそういう所を見た人が、「先生はついに、諦めに入った!」とか「ついに先生が発狂した。」とか、びっくりしていました。
私は通常では、仕事に遅れる事(締切に遅れる事)も、仕事をなげる事も絶対にしないからです。
仕事が煩雑になって、追い詰められた時には、人の頭の中は無意識に混乱状態になります。
一度、追い詰められて混乱状態になった時には、人は無意識に同じ作業をしてみたり、間違えた方法で仕事をしたりと、負のスパイラルに獲り付かれてしまいます。そうなると、やる事なす事上手く行かない。一生懸命やればやるほど、仕事が逆に増えて、二進も三進も行かなくなってしまいます。
そういった時に、一番大切な事は、一度その作業を外から見つめ直してみると言うことです。
しかし、なかなか自分がその仕事の中に捕らわれてしまっている時には、混沌としたその仕事の沼の中から抜け出す事は難しいのです。
多くの作曲家達は、作曲のアイディアをひねり出すのに、よく散歩をしていました。
ベートーヴェンには、アイディアに没頭するあまりに、山の中に迷い込んだり、隣の町にまで歩いていってしまい、浮浪者に間違われて牢屋に閉じ込められて、それを知った町長が慌てて駈けつけて、ベートーヴェンに謝罪をしたというまことしやかな逸話まであります。
私もリヒャルト シュトラウスが散歩中に使用したという、とても美しい筆跡の作曲のスケッチブックを持っています。(誤解のないように言っておきますが、「持っています。」と言っても、勿論、作曲家本人の直筆譜ではありません。ファクシミリ版です。)
クラシックの多くの作曲家達は(私も含めて)ピアノの前で作曲することは殆どありません。
シューベルトのように、飲み屋でビールのコースターに、作曲をする人も珍しいかもしれませんが、歴代の作曲家達が着ている裾の長いフロックコートのポケットは五線紙を入れるのにとても便利だと言っている作曲家がいました。
…私は、フロックコートは残念ながら着たことがないので、五線紙を持ち歩くという事は、あまりやった事はありませんが…。
ドイツ留学中は、私も、作曲の案をひねり出すために、部屋の整理整頓や掃除だけではなく、よく散歩もしていました。ドイツの小さな町を取り囲む森はとても素晴らしく、リスや鹿などの小動物や、町の中でもハリネズミなどをよく見かけました。
しかも、東京のように森を散策するのに電車で森の入口まで行く必要は無いのです。
村の外れが、既に森の入口なのです。
私が住んでいた場所から、深い森の入口までは、わずか10分程度の道のりです。
だから、一度は、興に任せて歩いてしまい、うっかりと4時間も真っ直ぐ森を歩いてしまいました。町を取り囲む森なのに、4時間歩いてもほんの一部なのですよ。
勿論、帰りは諦めて、電車で帰ってきましたがね。
森を散策しようと思うと、それこそ江古田の町から1時間以上も電車に揺られていかなければなりません。
たった1時間の散策をしようと思っても、往復、2時間もかかるのでは、仕事のアイディアをひねり出す…という、気分転換にはとてもならないのです。
それこそ、フィールドワークのプロジェクトを立ち上げなければなりません。
本末転倒もいいところです。
というわけで、私が望むか望まぬかにかかわらず、散策という選択権はありません。
昔は、それでも、深夜に、疲れた頭を冷やすために、必ず1時間ほどの散歩をしていました。
それは、私の少年時代からの習性です。
しかし、現在では、どんな小さな道でも、平気で入り込んで来る車や、夜が昼間の無軌道な若者たちがこの江古田の町にもよく見かけるようになって、あまりにも危ないので、散策を止めてしまいました。
そういった、外的な事情とは他に、痛風や腰痛による体調的な歩行困難がもう一つの散策をやめた要因となってしまいました。
肥満とは直接関係は無いとは思いますが、それでも体力は散策をしないと確実に落ちてしまいます。
現在は、心臓のリハビリも兼ねて、体力を戻すということで、相変わらず深夜の散策ではありますが、わん公たちを連れて、一時間程度の夜のそぞろ歩きを復活させています。
「時間と整理」には全く関係ない、手前味噌の雑談ですが…。
話を元に戻して、私の仕事ぶりを見た人がよくとてもびっくりしてしまう事があります。それは、超仕事が忙しくなって、追いたてられて、しかもタイムリミット直前に、私が突然、狂ったように始めてしまう整理や掃除のことなのですが、実は、意外とこれが、結果的には作業を、スピーディに進めるための仕事の効率化となっています。
私は、生まれつき、ぶきっちょで、作業をするのが人よりも遅いので、仕事を効率よく進めるために、並行作業をよくやります。
だから、普通の人のようにこつこつと、順番に仕事をこなしていく事は、私の場合にはとても不利なので、そういった風にこつこつと勤勉に仕事をする事は、寧ろ少なく、前や後ろの作業を同時に進める事がよくあります。
それと、現在では、パソコンというとても便利な文房具がありますので、パソコンに任せられる作業は、パソコンに仕事をさせて、パソコンの作業が終わる頃の時間にタイマーをセットして、同時作業を進めていきます。
そういった作業が二つにも、三つにも渡ると、私の首に二つも、三つものタイマーがぶら下がる事になってしまいます。
タイマーが鳴った時、「え〜っ?このタイマーはどの作業だったっけ??」と、ならないの…?
ハッ、ハッ、ハッ!
…そうは問屋が卸ません。
いらなくなったコピー用紙や無駄紙はA6に裁断して、裏をメモ用紙にして使います。
A6のメモ用紙も買うとそれなりの値段はするので、こういった無駄紙ならば、安心して「ちょいメモ用紙」に使用することが出来るからです。
だから安心して、複数のタイマーに「A6の無駄紙」にインデックスを書いて、ホチキスでくっつけます。
たったそれだけの一手間の作業で、幾つもの作業が、間違える事もなく並行作業出来るのです。
こういった複雑な作業の並行の進行は、私が作り上げたプロジェクトの計画の用紙でペーパー上に書き表すことが出来ます。
勿論、私が現在自宅の仕事場で仕事をしている作業は、自分の個人的な仕事や教室の雑用も含めてとても広範囲の作業を同時にこなす事になります。
だから、効率を考えると、一つのプロジェクトを推進していくのではなく、パソコンが開いていれば(使用していなければ、と言う意味ですが、)そのパソコンで出来る作業(ビデオの編集などの雑用作業)などを並行で作業させていきます。
ということで、私の自宅には、現在パソコンが3台同時稼働しています。
しかし、不思議なことにプリンターはなぜか4台あるのですが、これは型番が古くなってしまって、教室で使用しなくなって捨てる事になっていたプリンターを事務所から貰って来て、ネットでドライバをバージョンアップして、現在のパソコンに対応出来るようにして使っています。
それぞれのプリンターは、1台目が、ルーズリーフや普通紙で荒打ちの校正用に使用しています。2台目は写真用紙、CD、DVDのレベル、ジャケット印刷などです。
3台目は複合機なので、スキャナー、コピー、写真のネガの取り込みや両面印刷(両面の場合、裏面の印字が表に出ないように、両面専用用紙を使用しています。)あとは、はがき印刷やL版のフォト印刷に使用しています。
4台目も複合機なのですが、A4の複合機では、楽譜は菊倍版といってA4判よりも大きなサイズなので、楽譜が切れてしまってうまく印刷出来ないので、A3ノビの複合機を無理して買ってきました。
時短の話は、話始めるとエンドレスになってしまいます。
書きかけの時短関係の論文もまだまだ、沢山あるので後は別の論文に譲って、この文章は尻切れトンボなのですが、ここまでにしたいと思います。
文章のアチラコチラが紛失してない不完全な文章のままなのですが、『無いよりはマシ』という事で、あしからず・・お許しください。
補遺:
失敗の修正は、最優先でやる事!
長期作業の「仕込み作業=下準備」は、最優先でやる事!仕事として派生してあれば、仕事が進捗する。
[1]会社人間としては、論外という事について、質問されてしまったので、簡単に説明をしておきましょう。個人の家と違って、会社では、物は個人のものではなく、色々な人達が共有をします。だから、所定の位置に戻さないと、仕事になりません。だから、「後で、片付けようと・・」と言う弁解は通用しなのです。