補遺
記憶と痴呆
先日テレビで加齢によってぼける人とぼけない人の、記憶のメカニズムの違いを放映していた。当に、一部ではあるが私達が子供達に指導しているメトードが紹介されている。芦塚メトードはボケ対策にも効果があるということである。
ボケという言葉ははなはだ問題があるとして、一般的には痴呆という言葉を使用するようだが,痴呆の痴という言葉には痴人とか白痴とか知能が足りない人に使用されているだけでなく、痴呆症とかいう痴呆があたかも病気によるものであるような印象を与えてしまってはなはだ面白くない。アルツハイマー症のように明らかに病気であるものと、細胞の老化によるものでは家庭や介護に携わる人達の対応も明らかに異ならなければならない。
ではボケという言葉ならどうなのか?これも健常な人を対象にしていることはよいのだが、人を小馬鹿にしているような印象を与えてしまって気分を害する人も多いように思われる。
子供達の楽譜の記憶法は数種類の記憶法の組み合わせである。方法論が多ければ多いほど記憶は正確になっていく。運動による記憶、視覚による記憶(形だけでなく色による)、聴覚による記憶、等等の記憶法を組み合わせることによってどこからでも、どのような方法によっても、正確に思い出すことが出来るようにした。
1. フィギュレーションやゼクエンツ・・・パターンによる記憶法
2. 省略譜 ・・・分析による記憶法
3. 白抜き暗譜譜 ・・・脳内視野による記憶法
4.
会社などでは資料を探すという手間は、一人がわずか資料探しに3分掛かったとしても、会社全体としては何億円という損失につながってしまう。求められた資料が瞬時に出てくるか否かは会社そのものの存亡に係わってくる事となる。個人でも自宅で勉強をしようとなると、ファイリングの上手下手は学習能力や成果に直接表れてくる。教室では子供達に楽譜の仕舞い方を指導する。どういった分類が可能なのか?どういった目的で検索するのか?いろいろな状況を想定してフローを使って説明したりする。
記憶は、一般的には「覚えること」と思われているが、そうではなくて「いかにすばやく思い出すか」膨大な記憶の情報の中からたった一つの情報を探し出すかということに懸かっている。私がそう言うとほとんどの人は「覚えること、記憶することが出来ないのですよ。」と主張するであろう。しかし、人間の脳は一度目に入ったのものや、耳できこえたものを一度脳に入れて理解し判断する。そして重要でない情報は脳内の膨大なゴミ捨て場のような野に置き忘れられてしまうのである。
人はより新しい記憶は楽に思い出すことが出来る。しかし遠い昔の記憶を呼び醒ますことは困難である。記憶はどんどん積み重ねられ、より古い記憶の上に新しい記憶が積み重ねられていくからである。
しかし、人が齢をとってこれ以上新しい脳細胞が作られなくなると、(老人ボケが始まると)脳の外側から徐々に退化し溶け始めていく。老人ボケが始まると昨日や今日の朝のことすらよく思い出せないのに、今まで一度も思い出したことがないような昔の事を鮮明に語り始めたりするのは、積み重ねられた新しい記憶が溶けてなくなり下にあった記憶が今日の記憶として蘇るからである。そしてボケの進行に伴って記憶はより過去へさかのぼっていく事となる。記憶のメカニズムは現在言われているように「古い記憶細胞が破壊されて、物忘れが起こる。」「古い細胞の記憶を別の元気な細胞に移せばよい。」といったような単純なものではない。もしそうであると仮定するなら、一度も思い出したことのないような古い記憶が再び蘇るような現象は見られないはずである。いずれにしてもボケの防止にはどんどん新しい記憶を作っていけばよいのは分かるが、なかなかそれは出来ないのが現実である。
脳細胞の老化を促進させてしまうものとしては、生存エネルギーの低下があげられる。一般的には30歳ぐらいまでは、人生に起こる色々な事に興味を抱くことが出来る。30歳を越えたあたりから、新しいことに対して「かったるい!」としか思わなくなってくる。それがとりもなおさず老化現象の始まりを意味する。人生に対しての積極性―それが老化に対しての武器となる。脳に対してのストレッチは老化が始まってからでは遅い。人が(他人が)その人の老化に気づく時には、老化(脳細胞の破壊)はもうかなり進んでいるといえる。物事(人生)に興味を抱き、積極的に立ち向かう、その姿勢が痴呆に対処する最も効果的な手段である。
記憶は価値観によって決定する。若い女の子にとって、彼氏の情報は記憶の最優先情報になるであろう。」素敵な男とめぐり合ったら、とんでもない細かいことまで詳しく覚えている。学校の勉強は全く覚えようとしないのに、やたらとアイドルのこととなると詳しいのもこの興味のなせる業である。年を取ると一般的にはこの物事に対する興味が失われて行く。歳を取っても人生に興味を失わない人はボケない。ボケとは少し異なるが困りものの記憶に「思い込み」がある。若い女の子の例でついた嘘を何とか誤魔化そうとしている間に(その女の子にとって)その嘘が真実になってしまった、という例をかいたことがある。この場合本人が本当だと思い込んでいるのであるから、ボケより始末が悪いかもしれない。「こうあればよいのに!」と記憶を作り変えていくということは、年齢とは無関係に女性のほうにより多く見受けられる。しかも本人が嘘をついているわけではないので、(本人は記憶を操作した自覚は持っていないので)より始末が悪い。記憶をより正確にする為のコツは状況を一緒に覚えることである。周りの状況と前後の関係など、或いはそのものの意味やなどを一緒に覚えると、覚え違いや物忘れなどを防ぐことが出来る。老人ボケの解消法(ボケにならないコツ)は一つの記憶を引っ張り出すと、芋づる式に次の記憶、次の記憶と引っ張り出されるこの記憶法が最適である。また上手に記憶を呼び覚ますために忘れてならないことは、記憶の分類である。記憶の分類を呼び覚ますのはキーワードである。何年にはどういう出来事があった。自明の事柄から(絶対に忘れない事件、時事)から記憶を呼び覚ますのも良い。「ちょうどそれは、ミレニアムの年であった。テレビはコンピューターの2000年の問題の結果の報告をしていた。テレビを見ながら私は・・・・」等々映画を見るような感じでおもいだしていけばよいのである。
記憶のメカニズムも上手な整理術無しでは語れない。記憶とは思い出す力であり、思い出すことは、膨大なファイルの中からいかに情報をすばやく引き出せるかと言うことに懸かっている。
芦塚音楽研究所におけるボケと痴呆の定義
ボケ」社会生活上、問題の無い状態:一時的判断の喪失や記憶の喪失欠如など
痴呆」日常生活において、介護を必要とする状態、長時間の判断不良と記憶の喪失を伴う。