よく「年をとると物忘れが激しくなる」と言われます。
まず固有名詞が思い出せなくなり、次に普通名詞、そして副詞・・・・。
一般的には、年をとれば記憶力が失われていくのが当たり前のように思われています。
・・・・ですが本当にそうでしょうか?
いいえ、それは違います。
記憶力とは加齢によって失われるものではありません。
むしろ、失われていくのは、人生に対しての興味、人や物に対しての興味なのです。
だから、いつまでも仕事で忙しくしている人達には、記憶の減退や、ボケはありません。
物忘れや、人の名前が覚えられないのは、私の場合には高校生の時からですから、その頃から、加齢が始まっていたという事なのかな??アハッ???
よく私が子供たちにいう言葉があります。
それは「物は使えば使うほど消耗して行くンだけど、使えば使うほど良くなっていくものが唯一つだけある。それは君の脳なのだよ。」ということです。
地方には「あまり幼いときに脳を使いすぎると、大人になってから、逆に馬鹿になってしまう。」という馬鹿げた迷信がある地方もあるようですが、それには何の根拠もありません。
子供は適当に馬鹿な方が可愛い・・(つまり、子供はいつまでも子供らしく・・・)という、大人社会のエゴでしょうかね。
昔のことわざに、「三つ子の魂百まで」ということわざがあるように、3歳、4歳で学んだ事がその人間の人生を決めるのは事実です。
また、子供の内から勉強をし過ぎると、脳を過剰に使用し過ぎて、使用出来る脳が無くなって、馬鹿になってしまう・・とかいうお話は、全く、お笑いで、根拠のない話です。
それは、脳の構造や発達段階を全く知らない人の言うことです。
もし仮に(人間が全く睡眠を必要としないと仮定して)人間が24時間寝ずに勉強を続け、脳をフル活動させ続け一生を過ごしたとしても、脳全体の1/4しか使いきれないのです。
殆んどの人は自分の脳の3/4は全く使わないまま死んでしまいます。
年をとって物忘れがひどくなるというのは、老化に伴って脳細胞が死滅することによって起こります。ですから、死滅しそうになった脳細胞に記憶された情報を未使用の脳細胞に写し替える(記憶しなおす)作業をすれば物忘れはなくなります。
アルツハイマー症のような起因性の病気でない限り記憶力の低下はむしろ人生や物事に対しての新な興味や感動が失われ、記憶をしようという意欲が削がれることによって起こるのです。
言い方を変えれば、新鮮な興味や感動を持ち続けている人は、80、90歳になっても記憶力が低下することはありません。
ある国会議員のように、・・・意識的に自分に都合が悪いことを忘れようとする人は別ですが。
「それは、記憶にはありません!」
それ以外の事は、完璧に覚えているのにね。
いや、不思議だ・・・!!!アハッ!
都合の悪いことは、忘れるようになったら、本当に人生は楽なのにね。
人間は1/4しか使いきれないほどのキャパシティーをもった脳を持っていたとしても、「忘れる」ということがなされずに、例えば日常の全てのことを記憶していったとすれば、その記憶量は膨大なものになり、あっという間に記憶の量が脳の持つ容量をオーバーしてしまい、パンクしてしまいます。
その為に人間の脳は、自分にとって必要な記憶と、必要でない記憶の「識別」を行います。
自分が見た物、聞いたもの、触ったもの、匂ったもの、味わったもの・・・全ての情報に対して自分にとって大切だと思うものだけをチョイスして記憶しているのです。
「じゃあ、どうして一生懸命覚えようとしているのに、学校の勉強は覚えられないの??」
それは、当たり前のお話です。
一生懸命の意味が違うのよね!!
学校の勉強が好きではなくて、成績を上げるという必要に迫られて覚えようとしているのに過ぎないので、潜在意識的には、本当は覚えたくはないからですよ。
芦塚メトードでは、「人間が必要とするのなら、それは100%完璧に覚えられる」という法則に従っていますが、芦塚メトードの必要絶対条件は、「それを潜在意識的に100%望むのならば・・・」とか、「それをDurst(渇望)するのならば」、という条件を満たす事が出来れば、それは100%叶えられるのですよ。
人間は自己の「無意識」に支配されています。
幾ら必要であったとしても、無意識がそれを「嫌だ!」と判断するのなら、その記憶は嫌な、不必要な記憶として処理されるのですよ。
但し、コンピューターと同じで、記憶から消去される事はありません。脳の奥にしまい込まれるだけなのです。つまり、無意識の潜在意識となって行くのです。
だから、学校の勉強を全然覚える事が出来ない女の子が、テレビのアイドルの少年達の名前を驚く程、パーフェクトに記憶していますし、また、彼氏の事になると、滅茶苦茶、詳しいのですよ。
私は、可愛い、少女アイドルやスターは、顔は比較的に正確に思い出せるのですが、何度、聞いてもその名前を絶対に覚えられないのですよね。
いや、不思議だ!!
学校の成績では、ビリの生徒が、家庭教師等で、素晴らしい先生に巡り合って、その教科の面白さが分かって来ると、何の努力もなく、アッと言う間に、学校の成績がトップになってしまうのですよ。
勉強が出来るようになるには、なんの努力もいらないのですよ。
ひょっとしたら、その家庭教師の先生の教え方が上手かったのではなく、イケメンだっただけかもしれません。
それでも、女子力で、その先生に認められるために、成績が一気に上がったりする。
中、高生なんて、そんなもんですよ。
学力を上げるのには、勉強なんて必要ない。
しかし、それが一般の人達には分からない。
「勉強は努力の結果だ」と、思い込んでいる。
阿呆らしい・・・!!
この人間のselectのお話をもう少し、根源的にしましょう。
例えば人間の聴覚ですが、人間の耳は聞こえてくる色々な音の中から自分の興味のあるものだけを無意識に選別して聞き出しているのです。
もしそこに「識別」が行われず、全ての音が同じように聞こえるとどのようになるか。
それに近い状態を、私達は機械で作り出す事が出来ます。
それは、録音機器を使用して、360度の無指向牲マイクで周りの音を録音する事です。
時計の針が動く音や、ページをめくるときの紙の音、布ずれの音その時には気づかなかった遠くの子供の泣き声や、車の音等々、私達が、普段、聞こえていなかった音や、意識もしなかった意味の無い音が、思いのほか、やたらと大きく聞えていることが分かります。
無指向性のマイクがない場合には、マイクを天井に向けて周りから音が入らないように、マイクの周りを囲むとインスタントの無指向性のマイクが出来ます。
実際に、自分が注意して聞いていて、その後で、録音の音を聞くと、余りの違いに驚いてしまいます。
でも、この事は、本当は別に、機械や高性能のマイクを使用しなくても、肉体の訓練で、ある程度は体感する事は出来ます。
私が体感したおもしろい例があります。
若い頃は、ある時期には、座禅の道場に通っていました。
座禅をして、ぼんやりと何にもとらわれず、何も考えていないという状態になったときのことです。
周りの音が無指向牲マイクと同じように聞こえて来たのです。
普段は、絶対に聞こえるはずのないようなお線香の灰がおちる音が、「ボタッ」と非常に大きな音に聞こえて来たりするのです。
こういった感覚は、非日常的な感覚で、非常に不思議な感覚です。
人間は、普段、無意識に、そのような、音の洪水の中から、自分に興味のある音や、その人が気になる情報だけを常に選択して取り出しています。
その束縛を離れた時、本当に日常の周りに溢れている音を聴く事が出来ます。
これは、音に限ったお話ではないのです。
つまり、匂いや、味、触覚等の五感の全てを、常に自分の必要な情報だけを、無意識にselectして、感知しているのです。
逆に人間は何故いやなことをいつまでも忘れられないのか、ということも実はこれと同じ原理なのです。「いやなこと」は、それがその人にとって非常に比重の大きいことだから忘れられないのです。脳は、日常の中で興味のあることだけを記憶に留めようとする性質があり、興味の無いことはその場で消去されてしまいます。比較的比重の軽いものは脳の奥の潜在意識にしまわれ、中位のものは前意識という層にしまわれます。そして意識の中に保存されたものだけが「記憶」として私たちの脳の中に蓄積されるのです。
確かに記憶力には個人差があります。電話番号や歴史に関する年号、数学の公式などのような無意味なものでもいくらでも覚えられる人もいれば、親しい人の名前すらなかなか
右脳と左脳の違い・・・右脳信奉者には左脳の長所を認めない。
記憶法の違い・・・老人のボケと記憶法の違い
右脳はひらめき型
左脳は情緒表現にはいいが記憶法には良くない。・・・・俳句のはなし
「天才」と呼ばれる人達に共通していることは、非常に右脳の働きが活発である。ということです。物理学者のアインシュタインや有名な画家のアングル等が、右脳を刺激する音楽に対しての造言旨が深いということはうなずけることです。日本の学習法は左脳教育であり、記憶法自体も左脳に偏った記憶法になっています。それに対しては右脳と左脳のバランスがとれた教育がより望ましいのです。
私の教え子がある小学校に就職しました。その学校ではクラス対抗で漢字の成績を競っていました。「自分のクラスの漢字の成績がなかなか上がらない。」ということで相談を受け、指導の実際を見てみることになりました。まず、今どのような方法で子供たちに漢字を覚えさせているのかを聞きました。1週間に30個の漢字の課題が出て、毎日6個ずつの漢字を覚えるようにしていました。そして、その6個の一つずつ対して20回(つまり合計120個)漢字を書いて覚えさせるようにしていました。子供が書いたノートを見せてもらいましたが、最初の方はきれいに書いてありますが、だんだんきたなくて雑な字になっていき、20個目に書いた漢字などは細部が曖昧になり、どんな字なのか分からないように書かれていました。そこで、私が先生にアドバイスしたことは、「漢字を覚えられるだけ書きなさい。」というふうに生徒に指導しなさい、ということでした。その通りに実行すると、最初は子供たちも4〜5個くらいは書いていましたが、次第に書く個数が減ってきて、しまいには1個しか書かない子も出てきました。しかし、その1回だけで覚えられるようになったのです。そして、その先生のクラスは全員が100点満点をとれるようになり、学年でトップのクラスになってしまいました。「他の先生にはこの方法を教えてはいけない。」という条件でアドバイスしたので、他のクラスの先生は「どうして?」と不思議がり、やっきになってもっと沢山漢字を書かせるようになりました。最初は20個ずつ書かせていたのに、40個書くようにしたり、学年主任の先生などは、100個ずつ書くように宿題を出し、子供たちは毎日600個も漢字を書かなければいけなくなってしまいました。毎日4時間も漢字を書き、母親が手伝っても間に合わないという状態にまでなり、それでも成績は下がる一方でした。時間をかけてコツコツと600個書いたクラスの成績が下がり、1個ずつしか書かせなかったクラスがトップになったのはどうしてだと思いますか?
実は、この600個書くという作業は、覚える為の作業ではなく、忘れる為の作業なのです。
覚える為にはどうすれば良いかという本は沢山出ていますが、忘れるにはどうしたらいいかという本は1冊も見たことがありません。人間は忘れたいことだって沢山あるはずなのにどうしてなのでしょうか。どうして忘れたいと思ったときに忘れられないのか。忘れるということはどういうことなのか。私は高校生の時にそこに着眼し、忘れる為の方法論
例えば、大嫌いな人がいたとします。その人のことを名前も思い出せないように忘れた
例えば村川さんとか。また「あの人は村川さんだ。あの人は村川さんだ。」と覚え直します。そしてまた‥・・・というようにどんどん別の人の名前に置き換えていくのです。
するといつの間にか本当にその人の名前が思い出せなくなってしまいます。違った情報を
先程の漢字を沢山書かせたというのは、実はこの記憶を曖昧なものにしていく方法に他
記憶のメカニズムについては一般的には次のようなことが言われています。
ひとつは、「ビット」という考え方です。どちらかというと心理学の分野で使われている
もうひとつは、ドイツの実験心理学者で、エビングハウスという人が考えた「忘却曲線」というものです。人間が記憶したものが何分で忘れられるのかということを研究しました。それをグラフで書き表したものを「忘却曲線」と言います。要するに忘れる量のグラフです。エビングハウスによれば、意味のない事柄については、記憶の47%が20分以内に、66%が2日後に、79%が31日後に失われる、と言います。その忘却曲線に沿った勉強法が現在の予習、復習をしましょうというものです。常にフイードバックすることで、忘れる→思い出す→忘れる→思い出す‥・・を繰り返して記憶を確実なものにしていこうというものです。人間は常に忘れるという前提に立った考え方です。
しかし、私が疑問に思ったことは、「人は興味のあることは一度で覚えられるし、しかも
記憶量は、その人がそれに「どれだけ興味があるか」「どれだけの価値観を持っているか」によるのです。当教室の発表会を見にきたヴァイオリンの先生が「どうして何十曲も覚えられるのか。これだけ弾けるということはきっと毎日泣きながら何百回も弾かされているに違いない。」と思い、子供たちに「きみは毎日何時間位オーケストラの練習をしているの?」と聞いてまわっていました。ところが「オーケストラの練習は月に2〜3回しかありません。」「家ではオーケストラの曲や室内楽の曲は殆んど練習しないかな。」と言う返事しか返ってこなくて全然納得できない様子でした。芦塚メトードが「音楽を好きにさせる教育」であるからこそ楽に確実に覚えられるということは、そう簡単には理解していただけないのです。
芦塚メトードでは記憶に対しての基本的概念は、一般的な「ビット」の考え方とは根本
ここでは芦塚メトードの記憶法の全てをお話するにはあまりに膨大すぎて紙面が足りませんので、そのうちのひとつである「映像記憶」について、ご紹介したいと思います。以下は「映像記憶」について、あるオーケストラ練習の日に私が子供たちに話したことをそままに記します。
「うる覚え」
みんなにまた1つ言葉を覚えてはしいのね。なにかっていうと「うる覚え」という言葉。
人によっては「うろ覚え」とも言う。これがね、アナウンサーなんかもテレビで言ったり
では、うる覚えをなくして正確にしかも速く楽譜を覚えるにはどうしたらいいと思う?
「・・・・・?」
簡単でしょ。楽譜を見ないで練習すればいいんだよ。
「な−んだ。そんなのあたりまえじゃん!」
そっ??
でもそのあたりまえのことがなかなかみんなできないね。じゃあ楽譜を見ないで練習するとどうなるか?見ないで弾けば、うる覚えのところがどこなのかはっきり分かるね。うる覚えのところは弾けなくなっちゃうから。はやく正確に覚えるコツはね、うる覚えなのかをしっかり把握することなんだよ。
モーツァルトは一度楽譜を見ただけで覚えてしまったという。もし曲の最初から順番に
「ェーツ!わかんない。そういう風に聞かれるの−?」
そうだよ。写真に撮るみたいに覚えるわけだから。じゃあ次Bちゃん。下から3段目の2
じゃあこの覚え方で全部覚えてくること。宿題。2週間後に同じように質問をしますので
このように写真に撮ったように覚えるやり方は、世界一級の演奏家はみんなやってるね。
例えば、ピアノが神様のように上手な人、ウィルヘルム・ケンプ先生っていう有名なピア
「ねちゃったの?」
いやいや、別にねむかったわけではない。目をつぶって何をしていたか。その曲をずっと
その曲は弾く予定じゃなかったんだから。そして、20分したらパッと目をあけて、「は
「すっご−い!」
うん。ただね、すごいことはすごいけど、不思議だと思わない? 4時間かかる曲をなん
「そ−いえば、そ−だよね」
最初から順番に思い出していったら絶対4時間かかると思わない?
「うん。」
だから、ケンプ先生の覚え方は、写真にとるような映像の記憶法なんだね。映像記憶だと、
この「写真にとるみたいに覚える方法」はね、うちの教室でしか教えてもらえない方法な
「えっ? そうなの?」
うん。だって学校でそんなこと習ったことないでしょ。塾に行ってる人は?勉強の内容
「うん、うん。そうだね。」
普通、音楽教室とかで教わるのは、沢山練習して覚えるまで何度も繰り返し弾くようにっ
「そしたらどうするの?」
しょうがない。また最初から弾きなおすしかない。
「また同じところ忘れちゃったら?」
う−ん。困っちゃうね。だから、他の教室の発表会なんかを聴きに行くと舞台の上でとん
一般に知られている記憶法もいくつかあります。その一つに「サブリミナル」というものがあります。つい最近では、あるテレビ局がオウム真理教の麻原教祖の映像をニュース
人間の目には1秒に約240本の操作線が
(1/240秒では1本の操作線にしか写らないことになり、認識ができません。)無意識のうちに人に記憶させるには、1/30秒で十分なのです。
アメリカで、サブリミナル効果の実験が行われました。ある映画館で、普通の映画の映
そういう風にサブリミナル効果というのは一瞬にして記憶に残すことができるけれど、記
それとよく似た方法で「速読」というのがあります。本を読むのに順番に読んでいくの
潜在意識に記憶させる記憶法としては、他に催眠学習法というものもあります。眠ると
それに対してサブリミナルや速読法は、企業のエゴイズムや軍事目的に使われる危険性
正しいシステムを学べば記憶力をつけるということは決して難しいことではありません。
最初に記述したように、記憶力の低下は年齢に関係は無いし、年をとってからでも記憶力
記憶力だけを重視した教育の結果はどうでしょう。あるテレビ番組で、東大生や京大生
英語の教育についても大きな疑問があります。私が高校生の時にアメリカから交換留学
本来の正しい勉強のスタイルとは、前にも述べたように分析力、理解力、構成力、創造
以下には、学校の勉強法について子供たちに話したことをそのままに記します。直接記憶法とは関係ありませんが、芦塚メトードによる学習法のほんの一部を少しでも、勉強の仕
勉強の仕方@
あのね。学校の勉強もね、楽譜の覚え方と同じように時間をかけないでやるんだよ。
ある生徒が教室に入会してきてね。そのお母さんが「うちの子は学校の成績が悪くて」って言ってたんだけどね。先生は2つだけそのお母さんにアドバイスをしてあげた。まず1
「え−? なんで?」
皆は知らないかもしれないけれど、アメリカやヨーロッパの学校では先生がしゃべっているときにノートをとるととても厳しく怒られます。
「え−? ほんとですか。どうして?」
人間というのはね、同時に2つのことに集中するということはできないのだよ。ノートを
それでその子にもう一つアドバイスした。もし、その授業で分からないことがあったら
「え−つ。すごい」
先生もね。中学生の頃はいつも学年トップでね。勉強が楽しくて楽しくてしょうがなかったのね。試験なんかがあるとうれしくなっちゃうくらい。で、高校も県で一番の高校に行
みんな学校の勉強はどういう風にやってる?いい勉強の仕方があるんだけどね。まずなる
先生は音大に入ってから、外人教授についたから、ドイツ語もおぼえなきゃいけなかった
「・・・・・・?」
あたりまえでしょ。日本語学校に日本人はいかないでしょ?
「あっ。そうか。」
ドイツ語学校に行ったら周りにドイツ人がいないんだよね。それで2ケ月も通わないで止めてしまったわけ。でもドイツの先生にレッスン習ってたんだよ。
「えーっ。じゃあドイツ語どうしたの?」
うん。そのドイツ人の先生に「きみ、ドイツ語はどこでおぼえたのかね」ってきかれたんだけど僕はこうこたえたよ。「ドイツ語は道の上で覚えました。」
「あはははは」
道の上ならドイツ人もいっぱいいるし、ドイツ語をしゃべる機会も沢山あるってわけ。
先生がドイツにいるときはね、毎日掃除をしてた。掃除をしてくれる係の人がいるのになんで掃除を自分でやってるの?ってきかれたんだけど、掃除をしながら実は作曲の構想を練っていたんだよ。掃除のために掃除をしているのではなくって、作曲の勉強の為に掃除
よく「ちゃんと机に向かって勉強しなさい」って言うけど、大抵の人は机に向かっている
子供の能力を育てるということが、ただ単に学校の成績を上げれば良いのだとすれば、それはとても簡単なことです。それには、前文に記したように勉強の仕方や方法論について工夫するだけで十分なのですから。東京にもいくつか優れた塾があります。そこでは、例えば数学の公式が、何の為にどういう方法で導かれたかということを子供たちに理解させるように指導しています。円周率が3.1415・・・・という数字は誰でもご存じと思います。でも、これが何と何の比であるかということを(小学校のときに習ったにも係わらず)覚えている人は多分少ないと思います。歴史に於いても同じようなことが言えますし、漢字一つにしてもどうしてそういう漢字になったのか、ということを教わる機会は少ないでしょう。分析力や判断力を身につけることができれば、或いは理解力や構成力をマスターすることができれば、生きていく上で一生役に立ちます。一人一人の子供たちの能力の開発とは、そういうものでなければなりません。又、音楽の勉強では一般社会で必要欠くべからざる、忍耐力や持久力、継続力等も身につけることができます。勿論、ただ音楽を学んだからと言ってそういうものが身に付くわけではありません。それは、芦塚メトードのカリキュラムの中にそういったものを含ませて構成させているからなのです。又、カリキュラムは、ありとあらゆる目的を持った生徒たちを対象にして書かれています。プロになる為にはプロになる為の、生涯教育としては生涯教育の為の、といったように、それぞれの家庭の目的に応じていくつものカリキュラムが複雑に構成されています。それぞれがこの記憶法のように、ひとつひとつのマニュアルを持って作られています。ただ、こういった論文の紙面上では、技術的な内容や指導マニュアルについて詳しく記述してしまうと、一般の方にとっては理解不能な非常に難しい領域となってしまい、おもしろくない論文になってしまいます。ですからどうしても共通の接点である「教育」を話題の中心とせざるを得ません。ですが、音楽を専門に勉強したい方や、インストラクターをめざす方、音楽の指導の勉強をしたい方には、専門的なレクチャーをしています。ソフトの流出を恐れて閉鎖的に当教室だけのマニュアルに留めようとしているわけではないのです。ですから、レッスンの聴講はいっでもできますし、色々な相談に応じたり、公開レッスンなども行っています。芦塚メトードの記憶法は大手の業者などの専門家の間では有名で、音楽とは関係のない大手の学習塾などが、記憶法のソフトを買いたいということで引き合いにきます。皆さんもよくご存じのKUMON式のくもんさんも見えられて、ぜひソフトを買いたいというお話しもありました。ただし、当方としては、「芦塚メトード」の名前でソフトを売りたいという、どうしても譲れない条件がありました。そのことで話しがまとまらず、結局KUMONは将棋の記憶メトードを取り入れることにしました。別のソフトの話しですが、NHKからもぜひソフトを売ってほしい、金額はいくらでも出しますから、というお話しがありましたが、同じようにNHKのマニュアルとして使いたく、芦塚メトードの名前を残すことはできない、という条件でした。「芦塚メトードの名前で」という条件さえ受け入れられれば、可能な限りマニュアルを提供し、公開したいと思っています。
一般的に、優しく、しからず、楽しい音楽教室はレベルが低く、音大受験や海外留学するような高いレベルの先生は、厳しいと言われています。当教室のレベルを見て、「あの
前述の漢字の記憶のことにしても、どうして学校の先生が20個書くことをやめさせる
子供の教育が一番難しい時期は、幼児や小学校低学年ではなく、むしろ小学校5、6年
もちろん、ヴァイオリンやピアノのレッスンを受けていても、なかなか身に入らないとい
一静庵庵主
江古田の寓居にて
2002年 3月15日
文学型記憶とパターン認識型記憶
人間の記憶の方法には、「文学型」もしくは「日本型」と、「パターン認識型」の2種類があります。
前者は、文章を覚えるように、一節一節を一つの流れとして覚えていく方法で、後者は図形的に絵を見て覚えるような方法です。私どもが研究し、子供たちに指導しているカリキュラには、この後者の「パターン認識型」を応用しています。音楽は一見順に流れを追っていくお経のような要素が強いように思われがちですが、実はそうではないのです。
何度もレコードを聴いて真似したり、繰り返し何度も練習して指だけで覚えていく「文
それに対して、いわゆる「映像認識型記憶法」というものは、どのようなセンテンスが仮に欠落しても、次の文章へ、次のパッセージヘ、次の記憶へ入っていく事が出来る、という特徴を持っています。つまり、欠落した部分はそのまま空白になって、その次の記憶に飛び込める、という長所があるのです。
理解力の良し悪しや判断力の良し悪しというのは、多分にこの映像認識型記憶によるも
記憶法を私が試みるきっかけになったのは、俸大な昔の作曲家達(いわゆる天才と呼ばれる人達)が、記憶に関して非常に特徴のある記憶の仕方をするということを知ったことでした。それは、演奏時間が3時間にもなるようなシンフォニーの全楽章を、瞬間的に思い出す事が出来る、という特徴です。膨大な情報を一瞬で覚える(思い出す)には、映像的記憶でしかあり得ないことだと気づいたわけです。
よく教育の現場では、「しっかりと覚えなさい。 とか「何度も書いて覚えなさい。」
人の脳について、いくつかのおもしろい事実があります。
これは、陸軍中野学校で実際に行われていた教育ですが、軍人やスパイなどを養成するの
記憶だけでなく、学習するということはなんでもそうですが、最初の1曲目を覚えるのは大変です。しかしそれを乗り越えてしまうと憶えるのが習慣になり、楽に簡単になります。
あるコンクールを初めて受けた生徒が「今回こんなに大変だったのに、もっと上をめざすとしたらもっと大変だからもうやめたい」と言いましたが、果たしてそうでしょうか?次に受けるときにはそれまでの実力の上につみあげればよいのだから倍たいへんになるということはないのです。今回1つのことを習得するのに大変苦労したとしても、次回はそれはもう身についていることなのでもっと楽に出来るはずです。習得していけば逆に楽にこなせるようになって行くのです。記憶力も同じです。さいしょAのことを覚えるのに10のエネルギーが必要だったとしても、次に憶えるときは5のエネルギーですみます。だから同じエネルギーで倍のことが覚えられるのです。そしてそれに習慣性がつけば、もっと楽になり、なにもしなくても頭に入っている(いつでも引き出せる)という状態になるのです。
[1] NHKなどのアナウンサーでも「うる覚え」という言葉を使用しているようですが、殆んどの辞書では「うる憶え」という言葉は出てきません。そのうる憶えが載っている極わずかな辞書も、「うる憶え」ではなく「うろ覚え」として書かれています。うろ=洞、「ほこら」のなかの薄暗い感じのような覚え方と言う意味に書かれています。この解釈は間違いだと思いますが、権威のある辞書に逆らう気はありません。「長いものには巻かれろ。」「親方日の丸。」等々