こ  と   だ  ま


 子供同志の日常会話や、学校,家庭などのごく普通の会話の中で、「やだ一っ。」「さいて一。」「最悪。」というような言葉が流行っていて、教室でも子供同志の会話によく聞かれるようになりました。そして、オーケストラの練習の中でも無意識に子供たちがそういった言葉を連発するようになり、あるオーケストラ練習の日、一人の生徒が「次は○○の曲だよ。ヤダーッッ!」と言いました。それを見た芦塚先生は、次のようなお説教をしました。

 芦塚先生のお説教今日は皆に一つ言葉を覚えてほしい。仏教用語なんだけどね。「ことだま」っていうんだけどね。言葉の魂って書く。どういう意味かっていうと、「言葉は口から外に出たその時から魂(パワー)を持ってその人に必ず返ってきますよ。」っていうこと。江戸時代の人は、言葉には魂があって、例えばなにか悪いことを言ったりすると、それだけで人に災いをもたらしたり、大きな影響を及ぼす、というふうに信じていた。言い方を変えると、昔の人はそのぐらい言葉というものをとっても大切にしていたんだよ。今日はその「言魂」の話ね。一度口に出して言ってしまったことは、必ず自分に返ってくる。その威力は、本人が思っている以上にすっごく大きいものなんだよ。それに、「言魂」の影響はその人本人だけじゃなくって、その周りにいる人にも影響を与えてしまうしね。とってもとっても重要なことなんだよ。

 前にね、その「言魂」の話を全然信じなくて、大失敗しちゃった子がいる。とってもピアノの上手な子でね、将来は音楽の方に進みたいって言って頑張っていたんだ。その子がね、小学生の終わり頃から口癖で「できない。」っていう言葉をよく言うようになった。最初はただの照れ隠しに言っているだけで、本当にできないと思っているわけではなかったんだよ。口でそう言っているだけだった。で、ある発表会の日。下手袖でその子が自分の出番を待っていた。そのときに、やっぱり「できない、できない」って言っていたのね。そこで先生は「できないって言ってるとほんとにできなくなってしまうよ。」って注意した。だけどその子は、「でもなんか言ってないとおちつかないし…」と言って「できない」って言うのを止めなかったのね。そして、その子の出番がやってきた。リストの愛の夢かなんか、とってもかっこいい曲なんだけどね。最初の小節を弾きはじめたら、次の小節が突然思い出せなくなってしまったんだよ!!頭の中が突然まっっっっ白になってしまったんだよ。それで、また最初に戻ってもう一度弾き直した。だけど、また同じところでパタッと止まってしまった。どうしても思い出せない。しょうがないからまた最初から弾き直して、また同じ所で止まって・・・…なんと、その子は7回も弾き直しをしたんだよ。
「え一っっっ!?なにそれ一」
うちの教室では考えられないようなとんでもない間違い方でしょ。そんなの。それまではそんな間違い方は一度もしたことのない子だったのよ。最初は照れ隠しのつもりで「できない。」って言っていただけなのに、本当にそれが現実になってしまった。それで、先生はまた「言魂」のおはなしをしてあげたんだけど、懲りもせずその子は「できない。」って言うのをやめなかったの。
「え一?なんでやめないの?」

う一ん。なんでだろうねえ。「絶対にそんなことはない」って自分で決めつけてしまうタイプだったからだと思うけどね。先生の「言魂」のお話しはとうとう信じてくれなかったのよ。音大受験のときもさんざん注意したにも係わらず、その口癖を絶対にやめようとしなかったのね。なんとか音大には入ったけど、実力を出し切れれば本当はもっと上の音大をめざすことができたのにねえ。「言魂」のせいで本当の実力の半分も出せなくなってしまったんだよ。そのくらい「言魂」のパワーはすごいんだよ。こわいね一。
「・・・・・・」
「言魂」っていうのは、最初は「昔の人が言っていたただの迷信」のように思われていたんだけど、最近では言葉が人の心に大きな影響を与えるっていうことが学問的にも認められてきているんだよ。一般的には「自己暗示」っていう言い方をする。自分で自分に暗示をかけるっていうことだね。「できない、できない。」って何度も言うことによって、ほんの些細な照れ隠しのつもりだったとしても、それが知らないうちに自己暗示になって本当にできなくなってしまう。
だからね。きらい、できない、やだ、・…そういう言葉は絶対に言ってはだめなんだよ。そのうち本当にできなくなってしまう。学校ではそんな言葉言ってる人よくいるでしょ?。「うっそ一!やだ一!さいあく一!」とか。
「うん、いるいる。よく言ってる。」
そういう言葉を連発している子はね、どんどん成績が下がっていくんだよ。

でも、「言魂」は良い方向に使うこともできるんだよ。例えば、最初はできないことがあっても「できる、できる」と言っていれば、だんだんできるようになっていくんだね。これが。なぜかっていうと、口に出してメイジャーな言葉を言っているうちに、だんだん考え方や心がメジャーになっていくからなんだよ。理想とする自分のイメージを常にもっていることができるしね。もし、心の中では「自身ないなあ」と思っていても、口では「できる」と言うようにするといい。

 「言魂」を上手に使ってうまく行った子もいる。その子は音大じゃなくてコンクールを受けた時のこと。コンクール本番の1週間前にレッスンをした時に、なんとまだクリアーできていない課題が57か所もあった。
「え一っそんなに!大変だ!!」
うん。それで、その子はなんとか頑張って、本番当日の朝までにあと18か所にまでしたんだ。で、先生はコンクール当日の朝に「あと18か所を直すように」って言ったら、「はい。分かりました」と言って本番に臨んだのね。それで本番の演奏はどうなったと思う?その日の朝、あと18か所まだできてなかったんだよ?。
「どうなったの・…'?」
本番の舞台ではちゃんとあと18か所直して演奏できたんだよ。やろうと思えばできるんだよね。そして、全国大会でバッチリ入賞した。
「え一っっすっご一い!」
これも「言魂」の影響なんだね。先生が「あと18か所直すように」って言ったときに、もうそれは本番当日の朝だから、勿詮練習をする時間なんてない。だからといってもしその子が、「え一。絶対に無理です。あと18か所もあるのに。」って言っていたら、きっとコンクールは予選落ちしただろうね。それは、「まだできていないところが18か所もある」って考えるか、「あと18か所だけ直せばできるんだ」と考えるかの違いなのね。


アメフトの選手が、試合の前によくやってるでしょ。「僕らは強い!相手は弱い!僕らは強い!相手は弱い!・…」皆が肩を組んで輪になってそういう風に掛け声をかける。あれも「言魂」の力を利用して、自分たちは強いんだ。絶対に勝てるんだ。と、自分たち自身に言い聞かせているんだよ。これもまた「自己暗示」=「言魂」なんだよ。

 あと、オリンピックでも似たようなことがあるね。昔はね、日本人って遠慮深くて謙虚な人種だからさ、日本からオリンピックに出場する選手はみんな「私は金メダルなんてとても恐れ多くて」っていう風に言ってたわけ。だから、日本人の成績は惨憺たるものだった。日本人はほんのごくわずかの人しか金メダルなんて取れなかったんだよ。で、他の心理学の研究が進んでいる国では、選手たちは積極的に「私こそが金メダルを取れる選手だ。」って言うようにしてたのね。当時の日本人から見たら「なに、あの目惚れは」と思えるような言葉を連発してた。だけど、やっぱりそういう国がぜ一んぶ金メダルをさらっていってしまったんだよ。最近になってやっと日本人もそういう言葉の魔力に気が付いて、今は努めてメイジャーな言葉を言うようにしているね。「最高でも金、最低でも金をとります。」なんて、やわらちゃんが言ってたけど、あれも「絶対に金メダルを取る」っていうメイジャーな気持ちを自分に植えっけていたんだよね。で、本当に金メダルとっちゃったもんね。
近年になって、こういうポジティブシンキングということが言われるようになったけど、実は、もっともっと古い時代の仏教用語の中にもポジティブシンキングはすでにあったんだよ。その一つが「言魂」ということだよね。

 ポジティブシンキングの重要性は、仕事で成功して世界的に有名な大富豪になった人たちも言っている。例えばビル・ゲイツっていう人がいるでしょ。
「あっ。知ってる。マッキントッシュの社長さんでしょ。」
そうそう。それとかマーフィーっていう人も同じようなことを言っているね。あの「マーフィーの法則」っていう大ヒットした本を書いた人。なんて言っているかっていうとね、「人が潜在意識的に望んだことは、必ず現実化する。」ということ。そして、「目分の夢を叶えるためには、自分の潜在意識にそれを植えつけるような言葉を常に口に出して言うと良い。」とも言っている。そういうのを一般的には「ポジティブシンキング」って言う。前向きな考え方ってこと。「ポジティブシンキング」ができるようにするには、絶対にネガティブな言葉を言わないようにすることが大事なの。言葉を最後まではっきりしゃべらないのも良くないね。文章の最後の方でもごもごして何を言っているか分からないしゃべり方。とても自信がないように見える。逆に、最後まではっきりと発音してしゃべっている人は、とても自信があるように見えていいよね。自信があるように言葉を使っていれば、自然に自信が身についてくるものなんだよ。

 ね。だいぶ分かってきたでしょ。「言魂」のお話。言葉はとてもとても大事なものなんだから、これからはマイナーな言葉を言わないようにしようね。マイナーな言葉ってどういうのがあるかな?

(生徒たち) 「だめです」「やだ一」「うそ一!」
(先生) そうそう、そういう言葉は使わない方がいいね。
(生徒A) 「言ったらどうなるの?」
(先生) そうね。みんなで「せ一の」でにらめつけるとか。
(生徒A) 「え一っ。やだ、それ!」
(生徒たち) 「あっっ!禁旬用語言った!!」「じゃあ、みんなでにらめつけの刑!
         せっのっ じーーーっっっっ」
(生徒A) 「 や一ん。はずかしいっっ」
(生徒)  「くすぐりの刑っていうのもあったよね。」
(生徒A) 「 きゃ一!!それだけはやめて一っっ。わたし、くしゅぐったいのは超苦手なの一っ     っ。」
(生徒) 「わかんな一い。っていうのは禁旬用語?」
(先生) そうね。本当に分からないときには,もちろんいいんだよ。だけど、くちぐせで「わか    んな一一い。」というのは良くないね。
(生徒たち) 「ほんと一?」は?
(先生) それは別にマイナーじゃないね。あとは?ほらほら、もっとあるでしょ。
(生徒たち) 「どうしよう」「絶対無理!」「つかれた」
(先生) そうね。つかれたっていうのもマイナーな言葉だけど、ほんとに具合が悪かったり、ほんとに疲れて集中できなかったりしたら、ちゃんと言っていいんだよ。
(生徒たち) 「先生、禁旬用語を貼りだしておいたら?」
(先生) それはいいね。皆で禁旬用語を出しあって、オケ練習の度に貼りだしておこうか。禁句用語を新しく思いついたらまた書き足していけばいいね。

以下は、実際に子供たちが作ったオケ練習禁句用語一覧です。子供たちが何気なく無意識に使うマイナーな言葉を子供たち自身がチェックしあって、選び出しました。

今では・オーケストラ練習中に少しでも禁句用語を言う子がいると、皆が敏感に反応し、注意しあうようになりました。オーケストラ練習からマイナーな言葉はなくなり、以前よりも増して明るく楽しく前向きに練習ができるようるなりました。又、学校でも友達が禁句用語を言うと、「あ一っっ!!それ、禁句用語だよ!」と注意してしまいそうになるくらい、身についてきました。


 それから、もう一つ大事なお話し。言葉というものが大切だっていうのは、その人がしゃべっている言葉がその人の品性とか人間的なレベルとかを確定づけてしまうということなんだよ。汚い言葉を使っている人は、どんどん品性がなくなっていってしまう。美しい言葉を大切に大切にしゃべっている人は、人間的レベルが上がっていって、品性があって信頼される人間になる。だから、言葉は大切にしなければいけないんだ。昔の人は言葉を大切にしていたけど、今ではテレビとかの影響でだんだん言葉の大切さが失われていってみんな変な言葉を平気で使うようになってしまった。汚い言葉とか、流行語とかも良くないけど、日本語を間違って使っているのもやっぱり品性を疑うよね。例えば…う一ん、最近はどんなのがあったかな。そうそう、何を言うにも「悪いけど〜」をつけるとかね。「なにげに楽しい」とか「微妙に練習している」とか、わざと変な使い方をする。文章的にはすっごく変なのに、なにを言うにもそういう言葉をくっっける。それから、最近よく聞くのは語尾上げね。先生はあれ、大っ嫌いなの。聞いてると気持ちわるくなってくる。それを子供たちが言っているのならまだしも、大学生とか0Lとかが平気でそんな変な日本語の使い方をしている。それだけ言葉というのが存在に扱われるようになってしまった。
 そういう間違った言葉を「いやだ」と思わない人は、間違った音を弾いていても「いやだ」と思わないはずでしょ。そしたら間違った音を直すことはできない。だから上達しない。どんどんへたになってしまう。汚い言葉を使う人は絶対にきれいな音は出せない。だって汚いものに対して「いやだな」と思わない性格なんだから、きれいな音を出せるわけがないでしょ。汚い言葉、間違った日本語、変な流行語、そういうのを平気で使っていて全然気持ち悪いと思わない人は、やっぱりその程度の品性、レベルの人間なのよ。
 だけど、正しい敬語とか尊敬語、謙譲語、丁寧語などをきちんと使えるようにすることは、大人でもなかなか難しい。無理に丁寧に話そうとして、小さな子供が「本日はたいへん良いお日柄で…」なんて言ってたらそれもまた変でしょ。言葉を正しく使うというのは、ただ丁寧な言葉をしゃべればいいってもんじゃない。丁寧な正しい言葉遣いは、今から少しずつ覚えていけばいいんだよ。今すぐにはできなくてもいい。それに、丁寧な言葉づかいをしていたとしても、言っている内容がマイナーなことだったら、やっぱり「言魂」になってマイナーな現実が返ってきてしまうしね。マイナーな言葉を決して使わないようにするっていうのは、敬語法とは違って今すぐ皆が直せることだよね。だから、オケ練習のときには絶対にマイナーな言葉を使わないようにしようね。分かりましたか?

(生徒たち)「は一い。」
(生徒A)「え一。でもできるかな。」
(生徒B)「無理かも。」

(生徒たち一斉に)「あっっっ!それ、禁句用語!!!!」