グランドピアノ
四方山(よもやま)話
今は昔、まだ日本がバブルを迎えるよりもずーと前のお話ですが、ドイツ留学を終えて日本に帰ってきて、再び東京に住み始めた頃(半年ほど療養がてら故郷に帰省しておりました)のことです。知り合いの調律師から「芦塚先生!スタインウエイのフルコンサートピアノが16万であるのですが買いませんか?」と相談を受けました。当時は日本の住宅が世界の人達から「ウサギ小屋」と呼ばれていた頃で、鉄筋のマンションなどもまだ珍しく、フルコンが置ける(入るスペースのある)家自体も珍しく、普通のグランドですら置き場所の関係で下取りされることは珍しかったのです。逆にアップライトの中古は売れに売れて中々見つからないという時代でした。ということで泣く泣くスタインウエイのフルコンサートグランドとはお別れとなってしまいました。
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江古田のグランドピアノ
教室には(牧野先生のデアパーソンも含めると)4台のグランドがありますが、取り立ててお話しすることもないかな?
検見川の特別レッスン室のグランドと牧野先生のグランドは特に古いものです。本来的には古い、状態の良いグランドを自分の好みに作り変えるのが目的でした。関東の色々な場所に古いグランドを保存してある倉庫があります。そういった場所を尋ねて自分に最も合ったピアノを捜し歩いていた時期がありました。検見川教室と牧野先生のデアパーソンはそういった時期に、見つけたピアノです。しかしあまり保存が良かったので逆に弄(いじ)るのが気が引けて、そのままになってしまっています。反対に私の生徒の方が白のグランドにアクションや弦、響盤内部の塗装(ニス)まで塗り替えて夢のピアノを作り上げてしまいました。音大を卒業して彼女が結婚した途端、あちらこちらから「ピアノを売らないか?」と電話などがあって「音楽をやめたわけではないのに!」と憤慨していました。
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花園教室のグランドピアノ
古いグランドピアノに私が拘るのは新しいものにない幾つかの良さがあるからです。しかし勿論古ければそれでよいというものでもありません。グランドは大きいものだけにその過ごしてきた環境の影響をもろに受けます。ヴァイオリン等と同じように素質に恵まれてしかも大切に保存されてきたものだけが再生に耐え得るのです。
また、ピアノは自然環境の問題に一番早く影響を受けた楽器でもあります。昭和40年頃にはもうその影響が出始めます。ピアノの原木はその殆んどがカナダからのものでした。大手のピアノ製作会社はそれまでは切り出された木から一本一本ピアノに向いた木を選定していけば良かったのですが、カナダ政府が資源保護のために木材の輸出を禁止したのです。大手企業はいち早くカナダの山全体を買っていたために、木材の不足にはならなかったのですが、それまでは廃材として捨てていた木目(言葉が思い出せない!)のある板なども使わざるを得なくなっていきました。また、木材でなく合金でまかなえる所は積極的に合金に変える事によって価格維持を図ることになりました。またバブルに向かっての経済の復興はピアノ製作にも否応無しにオートメーション化の推進といった物が入ってくることになりました。
また、メディアの発達と共に人々の好みはクラシックからポピュラーの方へ移っていきました。ピアニストの憧れの的であったスタインウエイのような高価なピアノですらポピュラー的な音とバランスで作られるようになったのです。それはジャズの本場、アメリカ・スタインウエイだけでなく、ヨーロッパの音楽を代表するハンブルグのスタインウエイですら今日の人々の好みに合わせて変化してきたわけです。
「古い音を好むのなら、古い(中古の)楽器で。」ということでしょうか?