しかし、これでは、情緒的な感情的なbowslurにしか、過ぎません。
これでは、Bachの意図は伝わりませんよね。
また、このhomepageの最初の意図である、無伴奏というgenreの独特の演奏法にも、合致しなくなります。
つまり、一人でbasso continuoのpartや、間を埋める和音のCembaloのpartの演奏の代用には、ならないのですよ。
一人で演奏する音楽であっても、複音楽である役割分担をちゃんと表現する事、・・それを意識したarticulationになっているのか、それとも、単に一人で演奏するmelodieだけの音楽として捉えているのか?? そこが、現代のcello奏者とbaroque時代の作曲家達の考え方の違いになるのですよ。
また、このbowslurでは、melodieや演奏上の都合を優先するあまりに、色々な箇所で、ミスが起こっています。本来はMotivの表現は、整合されるべきなのに、slurの都合でその都度、変更されてしまうからです。
「演奏する時に留意すればよい!」とかいう弁解が聞こえて来そうなのですが、留意しなければならない演奏等と言うものは、未だ浅慮の極みです。推敲が足りません。それではprofessionalな解釈とは言えません。
この楽譜の矛盾は、16小節目とか、21,22小節目では、BachのFrance組曲の2小節目のように、slurを1:3でずらして演奏することで、頭のBassの音を強調して(和音としての響き)とても良いのですが、14小節目の3拍目のslurは、整合性が全くありません。それでは、「情緒的、感情的なslurだ!」と言われても仕方ありません。そう言った、根拠のないslurが至る所に見え隠れします。それでは、Bachの意図は伝わりませんよね??
2015/06/19 (金) 10:30
J.S.Bach solocellosuite violaversion
violaversionに関しては調べてはいないのですが、Bach本来のAgogikを知るには、UrtextAusgabeが必要なのだが、日本版では出版されていないし、外版でも、Wiener Urtext Editionしか出版されていないようで、一番安いのを発注しておいたのだが、海外発注になるので、時間を待てないので、今の版とfacsimileから、原典版をfinaleで作る他はないよな??
頭だけで理解するのではなく、実際にそのphraseで演奏出来るようにしておく必要もあるよな?
2015/06/25(木) 16:46
待ち兼ねたWiener Urtext Ausgabeの無伴奏cello組曲の楽譜が届いた。
期待に胸を膨らませて、荷物を開けて見て驚いた。 なんと、何処がUrtextだよ!!
100年前の間違えた解釈のままじゃん!!
Bachの意図が何も分かっていない。情けない!!
弦楽器の感覚でbowslurを考えるからこういった過ちを犯すのだよ。
baroque時代から古典派の時代迄は、楽器間のarticulationの違いはないのだよ。
それを知ろうとしないから、slurを見誤ってしまうのだよ。
でも、まあ、100年も前に作った版下を後生大事に今でも使用しているのだろうから、やむを得ない事ではあるわな??
慌てて、Barenreiter Urtextを発注した。今度こそは、マシな譜面が来ると良いわな??
まあ、期待は出来ないけれどもね・・??
いや、それにしても、ショック!!だよ!!
やっぱり、facsimile版から、自分で作らないとダメなのかいな??