Greensleeves
Greensleevesはイングランド民謡と言われているわけなので、la foliaとは関係がないように、思われるかもしれない。
イングランドでは、chaconneや foliaのように、bassに定旋律(cantus firmus カントゥス・フィりムス 略してc.f)を持った音楽の事をgroundといいます。Bassのmelodieが定旋律である場合には、cantus
firmus in Bassと書きます。
勿論、略して、c.f in Bassと書きます。
chaconneや folia、或いはcanonも 、groundの一種になるのです。
という事で、参考までに演奏は同じJordi Savall氏によるグラウンド上のグリーンスリーブス「Greensleeves to a ground」です。
前回、八千代で演奏したGreensleevesを、不肖、私が「Greensleevesによるground」に改編しました。
次回、皆様の前で公開する予定です。(八千代で公開演奏されました。その光景です。)
また、今回演奏を予定していたMarin Marais=Paul Bazelaireのla foliaも(Marin MaraisのSecond
Livre de Viole 1701ヴィオールのための第二組曲をパリ・コンセールバトワールの教授であるPaul Bazelaire先生がorchestraに編作曲した曲ですが、オーケストレーションがあまりにも軽妙洒脱なために、ちょっと子供達の演奏では無理なので、私が更に改訂をして、おしゃれなフランス風ではなく
、重厚な感じにアレンジと曲を追加しました。
Paul Bazelaire先生の曲とは、似ても似つかわない作品になってしまいましたが、原曲は結構、深刻な重たい曲なので、私のアレンジの方がbaroque時代特有のMarin Maraisの原曲のスタイルには近いと思っています。
勿論、まだ出来たてのホヤホヤなので、上記2曲とも、音源はありません。(勿論、コンピューター・サウンドではお聞かせ出来るのですが、それではあまりにも違いすぎるので、敢えてupはしません。
暫らく気長にお待ちください。)
その後、この芦塚陽二versionのchaconneも、2013年6月30日の八千代市生涯学習プラザ主催の夏のコンサートで公開演奏しました。
以下は、その公開演奏の風景にlinkします。
2013年6月13日八千代市生涯学習プラザにて
Marin Marais la folia Ashizukaversion
cellosolo 清水千聖(13歳)
指揮 芦塚陽二
AshizukaJugendkammerstreicher
ちなみに、「GreensleevesによるGround」は、fluteの無伴奏で演奏される事も多いようですが、折角cantus firmusが残っているので、basso
continuoのbaroque celloとCembalopartとbaroque violinのornament譜を作成して、originalの形式で、そのうちに皆様にお聞かせ出来れば、と、考えています。
現在は、未だ企画のみで、作曲はしていませんので、音源はありません。
Baroqueの舞曲とそのrhythm
Menuettの例で
Baroque時代の音楽を聞いていると、譜面に書かれた楽譜と、実際に演奏された音符の長さが違う事がよくある。
それは、BachやHandelのオラトリオのような長大な曲ではなく、ViolinやPianoを学習する初心者の子供達がよく弾く曲でも、baroque時代には、譜面に書かれたrhythmとは全く違うrhythmで演奏されることがありました。
そういった奏法の事を、notes inegales奏法と呼ぶ事もあるそうです。
その最も分かり易い例を挙げるとすれば、Bachの有名なMenuett G Durの曲でも、ベーレンライター出版社のアルヒーブ部門の制作のレコードでは、1小節目、3小節目5小節目の2,3拍目8分音符がskipして演奏されています。
その事については、Bachの優秀な息子であるC.P.E.Bachが、「8beatのrhythmをswingするように演奏しなければならない。」 と彼の手による著書Cembalo奏法の手引き書 「Versuch uber die wahre Art zu spielen」 にその奏法の事について書き記しています。
私がドイツ留学中に見た映画「フリーデマン」のonesceneでも、Menuettは、慣習通り、そのようにswingして弾かれていました。
しかし、不思議な事に、「何故swingして演奏しなければならないのか?」 というその理由については、エマニエル・Bachの本は元より、どのチェンバロ奏法の著書にも、何も書いてなかったのだよね。
つまり、楽典のbogen formと同様に、ヨーロッパ人にとってはあまりにも、当たり前の事だから、解説・研究がなされてなかったのだよ。寧ろ、ヨーロッパ人の体のDNAに染み付いた事だから、ということなのだよ。
ヨーロッパ人のDNAを持たない日本人である私は、そこでまたその疑問に長年悩む事になるのだよ。
勿論、「baroque時代の慣習によるものである。」と言ってしまえば、それまでで、通常はそれで片付けられているのだが、私はそういう事で納得するようなTypeではない。
私が提唱する教育のsystemでは、舞曲は舞曲のrhythmとtempoが、その曲の定められたtempoとrhythmにならなければならない。
つまり、MazurkaはMazurkaのtempoとrhythmとrubatoを持っていなければならないし、勿論、Polonaiseも当然Polonaiseのrhythmで演奏しなければならないのです。
注)補足説明:私が言っている 「ヨーロッパ人の体の中にDNAとして染み付いた・・・」 、という言葉の意味は決して一般的によく言われるように、「その国民として産まれなければ、そのrhythmが理解出来ない・・」という事を言っているという意味ではない。
私が言いたい事は、「舞曲(dance)では、danceのstepを把握する事が、その曲のrhythmのswingを理解する糸口となる」という意味である。
本当にその国の人達が実際に踊っている舞曲を映像として、目で見て、そのrhythmの揺れが、どういうstepで起きるのか?という事を把握すれば、そういったbaroque独特のrhythmやロマン派のMazurkaやPolonaisezのrhythmを知ることも、難しくはないであろう。
DVDのディスクやNHKのアーカイブが発達して、そういった民族の情報も簡単に見ることが出来るようになった今日では、一昔前の私達が育ってきた時代のように、そういった情報を得る事が非常に手間の掛かる困難な事ではなく、パソコンを開けばそれで済む、たやすい事なのだから。
つまり、Chopinの作曲であろうと、Tchaikovskyであろうと、時代の違いや、作曲家の違いを問わず、Mazurkaと銘打っている限り、Mazurkaのtempoやrhythmで弾かなければならないのである。
ChopinやTchaikovskyは、幼年期から成長していく過程で、何度もMazurkaやPolonaiseを身近に見聞きし、踊って来たはずなのだからである。
勿論、古典派のMozartや、ロマン派のTchaikovskyと言えども、時代の違いではなく、MenuetやMazurkaの形式を正確に守って作曲しているからでもある。
言い方を変えると、その舞曲のrhythmが体に染み付いているからである。
という事で、MozartやBach、或いはそれ以外の作曲家の作品も、Menuettと銘打っている限り、MenuettはMenuettのtempoのみならず、Menuett特有の2,3拍目のswingのrhythmをきちんと守って、演奏しなければならないのだよ。
Violinの曲では、F.Seitzのconcerto(所謂、studentconcert)のV楽章は、Landler形式で書かれている事が多い。
Landler形式の基本的な形式は、Rondosonate形式の大規模な形式である。
しかも、SeitzはLandlerの形式を正確に踏襲して作曲している。
このLandlerの形式の枠組みは、ハンガリー狂詩曲等の形式と大まかでは同じ構成を持つ。(Brahmsの場合は違っていて、ハンガリーの舞曲の形式ではなく、もっと小規模のPiano・peaceの形式であるABAの形式をとっている。)
この大規模なハンガリーの舞曲の形式を取る曲は、Pianoでは勿論、Lisztのハンガリー狂詩曲であり、violinではモンティのチャルダッシュ、celloではポッパーのハンガリー狂詩曲(Ungarische Rhapsodie)、fluteでは、ドップラーの田園幻想曲(Fantaisie Pastorale Hongroise)等の作品も、全て同じ舞曲の形式をとっている。
勿論、先程も述べたように、Landlerも同様にれっきとしたLandler特有の形式がある。
当然、私は子供達にも、Landlerの独得の形式のtempo設定で、民族舞踊独特のtempoとrhythmで指導している。
この段階でこういったtempoやrhythmの勉強を習得するのはとても有益である。
しかし、困った事に、このLandler形式で作曲された曲はviolinのSeitz以外の作曲家では見たことがない。
Pianoの曲に関しては、皆無なのだ。
当然、一番近い形式であるwaltzの形式ともまた違うのだ。もっと、素朴でrhythmも溌剌として、目まぐるしく、tempoが替わったりする。
とても楽しい形式であり、当然、Seitz以外の作曲家も作曲しているはずなのだが、どうしても私のアンテナに引っ掛かって来ないのだ。
未だにLandlerというtitleの曲は何曲も見たのだが、Landlerの形式で書かれたPianoの曲やcelloの曲、室内楽の曲にお目にかかった事はない。
Landlerは私がドイツ留学で、語学学習の為に訪れていたKochelという村のお祭りで、私自身も習って、村の人達と一緒に踊った覚えがある。
また、語学学校時代は、もっと洗練された、難しいSchuhplattler(靴dance)等の民族舞踊も見る機会があって、日本での音楽大学時代から、民族音楽の興味を持っていた私は、積極的にドイツのフォルクス音楽を勉強した。
勿論、そういったSchuhplattlerの曲等も同じLandlerの形式で書かれているのだよね。
舞曲の場合には、拍子というよりも(waltzの場合でもそうなのだが)、Landler同様に、足のstepが優先して曲のrhythmが決まる。
MazurkaやPolonaiseは、映画やテレビで見るだけであるが、そのstepのrhythmはしっかりと覚えて、曲のrhythmの設定の根拠としている。
という事で、Menuettのtempoも、実際にbaroquedanceを見る事で、Menuettのtempoを学ぶ事が出来る。
Landlerやハンガリーの舞曲の形式やwaltzの形式の話はそれぞれの曲の解説の時にもう一度詳しく説明する事にしよう。
という事で、ここからは本題の、baroqueの舞曲であるchaconneやfolia、或いはsarabandeの説明に入ることにする。
Chaconneやfolia、sarabande等の2拍目が、何故syncopationのaccentになるのか、色々な文献を調べても、その意味を説明した文献は見当たらなくって、その理由が中々分からなかったのだが、Henry purcellの「真夏の夜の夢」の「妖精の女王」のbaroquedanceを見ていた時に、バレー・ダンサーのstepの動きを見ている時に、1拍目は構えのポーズで,2拍目3拍目で、足を前に出して動いて行くというbaroque・dance独得のstepを見て、chaconneやsarabandeの2拍目に強勢が来るという意味がやっと分かった。
それと、marchのように、踊り手の動きが直線的に動く場合は、1拍目に強勢が行くのだが、Menuettやsarabandeのような舞曲のように、「danceの曲」 では、足の回旋的な動きが主となるので、直線上の動きではなく、回旋して行く動きでは、1拍目はposeを決めて(準備して)、2,3拍目に足の強勢が(あたかも1拍のように)行き、しかも、短めになる。
だから、waltzにしても、chaconneにしても、拍取りは1,2,3、ととるのではなく、1、2〜!と、1,2〜!と、2拍子のような拍取りをする。
waltzの場合には寧ろ、1拍目と3拍目が短くなって、その分2拍目にstepが集中する。
当然、2,3拍目が8beatになる場合は、曲の拍取りがskipするようなワクワクしたimageになるので、marchのように、裏拍が正確に8beatになる分けではなく、ルンルン気分のskipしたような感じになる。
今までの説明では、一般的な慣習的な言葉でskipという言葉を使用したが、skipは、baroque時代の、書かれた付点のrhythmが、休符プラスの複付点音符で演奏されるので、それを区別するために、私は子供達にrhythmを指導する時には、3連音のようなskipの事を、言葉を使い分けてswingと呼んで区別している。
という事で、BachのMenuettのtempoは、Menuettのtempoでなければならないし、1拍目3拍目等々の2,3拍目の8分音符は3連音のようなswingで演奏されなければならない。
なんて、Menuettの2,3拍目をswingさせて、演奏させると、baroqueの慣習を知らない音楽大学の先生からは「なんて変なrhythmで演奏をさせるの??」と怒られそうだがね。
つまり、ヨーロッパの舞曲の基本は2拍目にaccentが来るということなのだよ。
その原則のルーツがLa folia、chaconne sarabande 等々だ、といったら、超驚きだよね!!
でも、marchは行進なので、rhythmも直線上の運動になるし、舞曲は回旋上の動きになるので、右回りの右回旋になるので、軸足が左だとすると右が動く足になる。そうすると、旋回は左回りになるし、右足を軸にすると、時計回りになるのだな??
男性は、常に前に向けて旋回していくのだが、女性は常に後ろ向きに旋回する事になる。これって怖くないのかな??
それが男性に身を任せて、頼り切るという事なのかな??今時の女性が・・???不思議だ・・!!
la foliaやchaconne、sarabande等はbaroque時代より前の舞曲の発生当時は、非常に速い活動的で粗野で、卑猥な舞曲であった事が分かっている。毎年正月に放送されるWienのViennawaltz(ヴィンナワルツ)も結構速い速度で回旋するが、それぐらいの速度で回旋しないとtrip(トリップ)しないと思うよ。それが、17世紀になって、宮廷でも踊られるようになって、徐々に宮廷の女性(この場合にはおば様)達が踊れるように、段々遅くなってきたのだよ。
その時代の作曲家は教会か宮廷から給料を貰っていたから、当然、宮廷用に作曲したのだよな。
Vivaldiのtriosonateのla foliaのように、最初から踊る事を想定していなければ、結構速いtempoで演奏したと思うね。(・・・・でも、baroquedanceでも、Vivaldiのla foliaの速い速度のla foliaを踊っていた。
男性が速い足サバキで見事に踊っていたよ!!
ふ〜ん?? 女性ではなく、男性ならば、その速さでも、踊れるんだ!!)
ちなみに、Vivaldiの本職は教会の神父さんで、宮廷の作曲家ではありませんから、当然、la foliaも、宮廷のおば様方に取り入って、おば様達が踊るようにスローなtempoで作曲した・・・という想定はありませんよね。
henry purcellのchaconneでは、妖精の女王の中のchaconne C は、結構軽やかで早めである。
しかし、それに対してchaconneのト短調は、非常に荘重なゆったりとした悲劇的な曲です。
またpurcellはその他にも、数多くのチェンバロの為のchaconneを作っているけれど、それぞれに曲のimageにあったtempoの設定があり、それぞれのtempo感が少しづつ異なります。
先ほど例に出て来た、BachのMenuetのswingした「揺らし」のtempoの説明であるが、実際にはMenuettという舞曲のrhythmであるというだけの理由ではない。
8beatの音型はslurの頭の音が軽いaccentのようにvibrato気味に演奏し、後ろの音は手首を軽く持ち上げるような抜きで奏する。
その場合には頭の音が少し重くなるので、Agogikは、頭の音がほんのチョッと長めになり、その分、後ろの音が短めになる。それを繰り返すと、あたかもswingしているように聞こえる。
次の曲は私が音大生であった頃、住んでいた音大生アパートの二階の女の子を子供達が呼び出している、子供達の呼び声をそのまま書き採って、Pianoの小品(shortpeace)にしたものである。
参考までに:
この書き取りでは、「おねえちゃん、あそぼ!」という子供の呼び声がskipになっているが、本当はswingとskipの中間ぐらいのrhythmである。
これは、BachのMenuettのskipとも共通する世界の子供達に共通するrhythmである。
baroque音楽の場合には、こういった奏法をnotes inegales(イネガル奏法)という。
音楽理論的には、難しく書かれているのだが、それはswingという言葉が存在しなかったからに過ぎない。
日常的で当たり前の事象でも、それを説明するために言葉に起こすと、信じられないぐらいに難しい事になる。
この inegales奏法も、その説明文を読むと、信じられないぐらいに難しくなる。
Franceのbaroqueでよく使用されたのだが、勿論、C.P.E.Bachもその奏法について言及している。
フランス風序曲の荘重な鋭いskipのrhythmも、書かれているrhythmとは全く違って奏される、 inegales奏法の一つである。