Beethovenのcellosonateの原典版について
原典版と校訂版の違いについて
Sent: Monday,
February 08, 2010 7:22 PM
Subject: ベートーヴェン
こないだお話したチェロソナタの初稿版というものは、調べてみたらば(というか楽譜を取り寄せようとネットで検索したら)、ボンのベートヴェンハウスに唯一保管されていて一般には出版されていないというものだそうです・・・。てんてんてん・・・一体どういうのなんでしょうか・・・
ちなみに私が昔アカデミアニュースで見かけたのは、「校訂批判版」でした。校訂を批判してるってことですか??批判して校訂してるってこと??
どういう意味でしょうか?とりあえず注文してみました。
2010/02/08 (月) 20:18
RE: ベートーヴェン 原典版の説明
批判というのは 、どこかの誰かが、G線上の空気とAriaを訳したように、kritik ausgabeをkritik批評するausbage 出版と言葉通りに訳したという事で、お脳の良さが反映されて良いですね。日本語で言う校訂という言葉は異本が色々あるときにそれを比較対照してべストを選び出す事を言いますが、外国ではむしろ、校訂よりもUrtext原典を参考にする事を大切にします。
昨日のオケ練習の時に子供達に話をしたように、作曲家は色々と横着をしています。
MozartのPianosonateでB Durの1楽章で再現部に入るところで、ナチュラルか♭かで諸説紛々で、いろいろな版があります。
その原因はMozartは同じpassageは、小節数を数字で15とか書いて、同じpassageの繰り返しを音符では書かないのです。しかし、提示部と再現部では、つなぎのpassageに転調楽節が入ってきます。だから、転調のpassageではある音符がナチュラルなのか♭なのか、判断に苦しむ事になります。
音の間違いという事でも、MozartのPianoQuartettがアカデミアに2万5千円ぐらいで売ってあって、ちょっと調べたいpassageがあるんだがね。
Bachの場合も、短調の導音の#を書かない癖がある。で下降の時のナチュラルも書かないんだよ。だからインベンションのような超popularな曲でさえ、めちゃめちゃ、版によって音が違ってきて混乱している。
そこで、Urtext、所謂、原典版というのが出てくる。
しかし、困ったことに、Urtext(原典)は誰が見ても同じ本になりそうなのだが、今書いたような理由のほかにも、作曲者自身が書き間違えている場合などもあって、そういった意味で、kritikが必要になってくるのだよ。Kritikという言葉には、批判、批評、異議、論評のほかに、実は判断という意味もあるんだな、実はこれは・・・。
だから、同じ原典版を底本にしていながらkritikerが変わると解釈が変わってしまうのだよ。そこで、不思議な事に誰々のkritik Ausgabeというのが色々な出版社によって出てくる。同じ手書きの楽譜でも、見る人が違うと音やその他色々と変わってしまうのだよ。
そこで、色々な校訂者やkritikerの出版した、kritik Ausgabeの出版社別によって異なる部分を、そこの部分だけを集めて、「何々の定本によると何になって、だれそれの校訂だったらこうなる。」という論文が出来る。一般だったら大学の卒論程度のlevelかな?
うちの教室だったら、中学2,3年生の夏休みの宿題の課題程度だけれど・・・。って話ですよ〜!!
2010/02/08 (月) 20:23
RE: ベートーヴェン
ちなみに、出版されていない楽譜はハイツに大量にあります。
世界中でMuchenの図書館に1冊しかないはずの超貴重書のコピーや、記念に一回だけファクシミリとして出された楽譜、100年以上前のもう誰も知らない楽譜等々、武蔵野の音大の図書館が狙っていた貴重書がハイツに誇りまみれになっているんだな、これが・・・!!
千葉教室 秋の発表会へのリハーサル(10年9月19日)後の、教室が井口版を使用していることへのクレーム
(春秋社版 《井口版》に対する不信感)
春秋社版の愛の夢のミスプリって何処ですか?
ページ段数小節の順でお願いします。
2010/09/20 (月) 18:15
春秋社の件で
あいにく今「春秋社版」を持っておらず、ページ、段がわかりません。申し訳ありませんが小節数だけお知らせさせていただきます。
64小節目(冒頭のアウフタクトから数えはじめ、後半に戻る手前、高音から半音階で両手で下ってくる装飾音の始まる一小節前になります)
左手の「ミ♭-ソ-レ♭-ソ-シ♭-レ♭-ソ・・・・・」の二番目の八分音符の「ソ」の音です。これは絶対に「シ♭」です。春秋社がミスプリのつもりでなくとも、マイナーすぎて明らかにおかしいので直した方が良いと思われます。
因みに、世界の主要な版を確認してみたのですが、一社だけ「Klvierwerke社」リスト全集第六巻が「ソ」になってます。確認できた限り他の全ての版はシ♭でした。
2010/09/21 (火) 2:02
愛の夢の音の違いについての説明
ご指摘のミスプリの話ですが、「愛の夢」は教室では常設曲の一曲で、今までにも数十名の生徒達が発表会やコンサート等で演奏しています。という事で、シ♭の版がある事と、ソの音になっている版がある事は、教室の先生達は了解しています。ここでは、井口版のソとシ♭の違いについてと、井口版を使用する事の是非についてご説明します。
私も、以前は今程は目も酷くなかったので、生徒が持ってきた楽譜でそのまま指導していました。
殆どの日本版はご指摘のようにソではなくシ♭で書かれています。
全音版のピースですら、シ♭なのです。
ですから、その事を井口先生がご存じなかった分けは無いのです。
つまり、井口先生も異なる定本があると書かれているので、ソの音になっていると言う事は井口先生のミスプリではなく、異なった解釈にしか過ぎないという事で、私はどちらでもよいという立場をとっています。
シ♭である根拠はロマン派の時代にはピアノの音域が広がって、またpedalの性能も上がったために、一番その音響が最大に生かせる(倍音率に従った)開離体で書かれるようになったという事がその理由です。
しかし、Lisztはピアノの性能と効率を最大限に引き出す才能を持った作曲家なのです。
その特性は同じ愛の夢の中のpassageでも、例えば、ハ長調に転調したダブルバーから数えて6小節目の4拍目のレ#が8beatで書かれているのに対して、12小節目の4拍目のレ♭は単音の2分音符であり(8beatでもoctaveでもありません)、「愛の夢」も例に漏れず、至る所にこういったLisztならではの、Pianoの音の響に対しての素晴らしい配慮が見受けられます。
Lisztは曲の中で爆発的なimageが欲しい箇所では、非常に低音域でも密集体の和音を使用します。
例えばあの美しい「ため息」の突然に爆発的にfortissimoが来る14小節目からのpassageがそのよい見本であるといえます。
つまりこれ以降にはfortissimoは使用されていないのです。
同様に、この「愛の夢」の58小節目の和音はこの曲の全体のクライマックスの部分になります。
しかし、右手の和音があまりにも高音域にあるために、appassionato assai・・・affrettandoと盛り上げていったとしても、幾ら右手の和音にaccentを付けてfortissimoを強調しても58小節目ではクライマックスの「鶴の一声」を表現する事ができません。
又、当時のピアノはforte-pianoから、発展の最中で、当然、現代のフルコンほどの音量はありません。
そういった当時のピアノの音響の脆弱性も考えて、Lisztの作曲法を見ていかなければなりません。また、Lisztという作曲家はそういった事に、十分配慮している作曲家なのです。
決して、現代のconcertoPianoの音量を考えてはならないのです。
そのために左手は分散和音ではありますが、密集体を使用して音量を補強します。
この音が最高音量でなければならないのです。
それが低音域に密集体を使用する理由なのです。
そいった解釈の結果、井口先生は敢えてソの音の版を使用したのです。
決して音を間違えたり、ミスプリを見逃したのではありません。
ソの音が正しいか、シ♭の音が正しいかは出版されている版の数で決定してはいけません。
世界的な権威であるヘンレ版ですら、既に幾つかの誤りが既に指摘されています。
本当に正しい版はfacsimile版です。
例:Mozart rondo a moll 167小節目のslur
risちゃんが弾いたa moll の rondoも 春秋社版等の楽譜では幾つかのphrasierungの誤り、(解釈の違い)が見受けられ、私はfacsimile版で、Mozart自身の手書きのphrasierungを確認して、演奏させています。
春秋社版のslurとTie(167小節目)