音大神話
―芦塚先生の論文より、補筆再構成―
[大学教授の元へ]
当時、芦塚音楽研究所で芦塚先生門下生としてトップの技術を誇っていたT子が、小学生から中学生になる時に、T子の親が芦塚先生に面会を申し出て来て、曰く 「芦塚先生は巷の音楽教室の先生に過ぎないのだから、T子に指導出来るのはここまでで、あとは某国立の音楽大学の主任教授の先生の所に連れて行きます。」と慇懃無礼に言った。(本当にそう言ったのだそうな。)芦塚先生はその失礼な言葉に、感情的になる事も、表情を曇らす事もなく、「ああ、そうですか?」と淡々と応えていた。
@T子は、芦塚先生の教室を作ったばかりの時の一番弟子で、小学1年生の時に既にVitaliのchaconneを弾きこなすだけの技術を持っていたので、その事件の後、某国立音楽大学の主任教授にレッスンを見て貰った段階で、たった一回で、その先生の実力を見切ってしまい、その先生に師事する気はなくなったのだが、残念ながら、父親は音楽技術や音楽上の指導内容は素人の哀しさ、全く分からないので、大学の主任教授という地位と、先生然としたその雰囲気だけで、充分納得して、偉い先生に見てもらえたと満足であった。(当時は、周りの保護者の人達から芦塚先生は「先生はもっと偉そうにしないと!」とよく言われていたそうです。「そうは言われえもねぇ〜??無理して偉そうにしていてもねぇ〜??」と芦塚先生は言っていました。)
つまり、素人には音楽技術は分からなので、役職でその先生の価値を判断するのだよ。
しかも、某国立音楽大学の主任教授のY教授を紹介したのは、父親の会社の直接の上司だった。
つまり上司の娘がY教授のもとでヴァイオリンを研鑽しているということで、その上司が先生を紹介してくれたという経緯がある。
と言う事もあって、子供が泣いて、「芦塚先生の元から替わりたくない」と懇願した時も、子供の我儘という事で父親は絶対に認めようとしなかった。
Aということで、T子は泣く泣くY教授のレッスンを受けることになったのだが、Y教授のlesson時間の空きがないという事と、しかもT子の前に3人も既に空きを待っている生徒がいるということで、3カ月から4カ月の間待つようにY教授から言われた。
父親は、Y教授がT子のレッスンを見てくれるまでの3カ月から4カ月の間、引き続きレッスンを芦塚先生に見てくれるように頼んで来た。
周りの父兄たちはあきれ果てて、「芦塚先生は、そこまで面倒見る必要はないですよ!」と意見したのだが、芦塚先生は「親は兎も角も、T子がこのままでは可哀想だから」とレッスンをすることにした。
芦塚先生がT子に「可能な限りまだ教えていないヴァイオリンのテクニックを教えてあげるから、短い間だけど、一生懸命勉強しなさい。」と言うと、必死にうなずいている姿が傍目にも痛々しく、健気で可哀想であった。
しかし、最小でも3ヶ月待つはずであったY教授のlessonは、ひと月も終わらないうちに、突然電話があって、「時間が空いたからlessonが出来る」ということになって、芦塚先生のlessonはそこで終了した。
芦塚先生は「4人の生徒が待っている状態で、3ヶ月で全員入会出来るという事だけでも驚きなのに、僅かひと月に満たないで4人入れるという事は、それまでにもう4人やめた、ということだよね。」と驚いていました。
B定形でも3カ月から4カ月で、4人の生徒が辞めるという前提で、Y教授は指導をしているということになるのだが、Y門下生は**音楽大学の授業の合間に奥さんと一緒に指導しているわけなので、20人ほどしかいない。半数以上の生徒が1年以内にやめてしまうということである。
どこかの有名塾と同じで、どんどん落ちこぼして優秀な人材だけを残していけばよいというシステムなのかなと思った。
ということで、向こう6年間ほどその先生の門下生の動向をチェックした。
一年に一回のT子の発表会に、T子の先輩諸氏が出かけて、その教授の生徒達の情報を収集して来る。
まず驚いたのは、最初の年の発表会の出演者で、次の年の発表会まで残っている生徒が一人、二人しかいないということである。
勿論、その中の一人は、本人は、いくらlessonを止めたくても、父親の上司との事情がそれを許さないT子も含まれている。(これは、会社の上司の娘がとうの昔その先生も元をやめていたとしても、・・・だ。)
6年間の間に、(T子を除いては、)次の年に同じ生徒が再び顔を見せることはない。
しかしながら、驚くべきことは、常に、毎年新しい生徒たちが同じ人数だけ発表会に登場していると言う事だ。
つまり、毎年120名以上の生徒がY教授の元をやめても、それと同数の生徒が新たに補充されて行くということである。日本人の持つ親方日の丸的な信仰心は凄いと思う。
そしてY教授はそれが当然だとしか思わない。
つまり音楽の世界は生き残りの世界だから、やめるという事は自らの才能の無さを認めた、(分かった)という事であり、本当にプロになれる人はその中でも続けて行ける人だけだ、という感覚だからである。
結局の所、Y教授門下からは某国立音楽大学には、毎年一人も受験していない事になる。
しかし、不思議な事に、確かにその大学の合格者の中にはY教授門下生の名前が数名は常に含まれている。
それはどういう理由であろうか?
そこには日本独自の伝統的な家元制度のカラクリがある。
つまり、地方の実力のある優秀な指導者は、受験の直前に1回か多くて2回程度、受験したい音楽大学の教授にlessonを見てもらって、そこで何々先生門下生という名前を拝領するわけである。
関東でなく、特に地方の父兄は、幾ら優れたひとかどの先生に見てもらっていたとしても、それが井戸の中の蛙に過ぎないのではないかと、不安を抱える。
そういうときに、それが1回でも、2回でも東京の有名大学の教授に見て貰うということだけで、絶対的な安心をいだくのである。
それに拠って、受験がそれだけで合格したかという錯覚に陥る父兄すらいる。
この方法は、地方の先生たちの生徒集めの常套手段である。
カンダの社長たちも、「芦塚先生も、いやな生徒や生意気な生徒は、どんどん教授達に回して、その分、新しい生徒をどんどん集めればいいのよ。」と、芦塚先生があまり、生徒を音大の先生に紹介しないので、芦塚先生にアドバイスをしていた。
私達も、芦塚先生が自分の生徒を教授に回さないのを不思議に思っていたので、芦塚先生に質問をすると「その生徒の生涯の目標が音大進学だけだったら、僕も指導が楽なので、当然、そうするのだけれど、生徒が将来、演奏家で活躍する事や、音楽界で何らかの活動をして生活していく事を、夢見ている場合には、音楽大学の先生に下手に指導されて、変な癖が身に付いてしまうと2度と、音楽の道には戻って来れなくなって、その子の将来にとって、取り返しが付かなくなるからね。」とおっしゃっていました。
[受験の裏事情=勘違い]
一般の人達が思い込んでいるように、入試の直前に某音楽大学の先生に見てもらったからと言って、入試で合格をする確約をもらったわけではない。
入試の成績は一人の先生が決めるわけではないからである。
また、有名音楽大学では、受験の公平性を期するために、その先生の門下生の試験を採点する事は出来ない。だから、lessonを見たからと言って、成績が有利に働く事は無いのだ。
また、受験勉強中に、数回lessonを見たとしても、だからといって、事実上その先生が某音楽大学に入った後でも、面倒見てくれるかどうか、指導するかどうかは、学校側(指導者に生徒を決める決定権はない)の問題であるから当然わからない。
勿論、その指導した教授にも・・・である。
では、莫大なlesson代を得る以外には、地方の生徒を教えるメリットは何があるのだろうか?
勿論、教授達の間では、教授間の競争がある。
その教授に何名の受験生がいて、何人合格させることが出来たか…という競争である。
そのことで意外と微妙なのは、受験生を多く受験させればよいという筋合いの物ではないということである。
寧ろ、少ない人数でも合格率が高い先生の方が評価はより高いのである。
芦塚先生は音楽大学時代は苦学をしていたので、それを知った音大受験の時からお世話になっていた音大のピアノの教授の先生から、入学後もホームレッスンに通っていた芦塚先生に「lesson代をタダにしてあげようか?」と話しかけてくださったそうです。
芦塚先生は、「それでは、レッスンに通いづらくなるので、代わりに受験生を紹介してください。」とお願いしました。
最初の年は、Homelessonの先生が二人の浪人生を紹介してくれました。
主科のピアノのlesson以外の全ての教科が対象なので、二人一緒に指導しても、日曜日丸々1日がかりとなる。勿論、専門教科ばかりなので、東大卒がまだ2万5000ぐらいの時代に、10万近い収入をあげることができたそうです。受験に必要な教科は、楽典やsolfege、初見視唱、聴音や、当時はコールユーブンゲンやコンコーネ等の歌の試験もありました。ピアノも実技は先生が指導しますが、初見視奏は芦塚先生の領域になります。一般的にはそれぞれが担当の先生が違うので、(楽典は作曲や音楽理論の先生、solfege、や聴音、新曲視唱はsolfegeの先生、コールユーブンゲンやコンコーネは歌の先生の領域になります。ピアノの初見視奏は作曲の先生がピアノの先生の代わりに見る事が一般的なので、通常は毎週ピアノのレッスンの他に、3人の先生の所に通わなければなりません。)芦塚先生はその他に音楽史や和声学、等の専門の教科も受験生に指導していました。大学の授業で一番勉強する事が難しい、しかも、ピアノや他の学科を学ぶ上でもその知識があるのとないのでは雲泥の差がつく和声学を受験勉強中にマスターさせてしまいました。というか、浪人の1年間の学習で大学4年間の音楽理論の勉強を全部、マスターさせてしまいました。
1年後の入学試験で教授がチェックをすると、芦塚先生の指導した教科は全て百点でパーフェクトだったのです。当たり前でしょう??大学で学ぶすべての教科を学習した生徒が、受験程度の教科が難しい分けはないからです。
生徒を回してくれた教授は「あなた、ちょっと凄いわよ!」とほめちぎって次の年には、3人、4人と生徒を増やしてくれました。
これで、貧困生活の極みであった音楽大学時代の生活は安定した物に変わって、留学への下準備も出来ました。
Homelessonの先生が最初に受験生を芦塚先生に回してくれたときに、受験生ということもあり、責任もあるので、芦塚先生は一応「私が指導して、よいのですか?」と教授に尋ねた。
その時大学の先生は音楽大学の先生間のシステムを説明してくれました。
「私たち教授は、教授同士の無言の競争があって、その先生から何人受験して何人合格したか…ということが、教授間の地位に結構影響するのよね!だから、絶対合格出来る20人を自分の生徒として残して、その次のレベルの20人を助教授に回すのよ。それから、それより低いレベルの20人は、講師の先生たちに回して、余った誰が教えても絶対的に入学出来ない生徒をあなたに回したわけだから、落ちても気にする事もないし…ということだったのだけど、ピアノは当然、ぎりぎりで不合格だったのだけど、他の教科が全部百点だったのでかなり優秀な成績で入学出来たのよね。」と、改めて説明してくれた。
先程も述べたように、同じ事の繰り返しになりますが、一般的には、その先生にlessonを見て貰うと、大学に入ってもその先生のlessonを受けられると思われがちであるが、事実は全く違います。
それは、大学の先生たちには、教授達を含めても、生徒の選択権は教授側にはないからであります。
生徒をどの先生のクラスにするかは、基本的に学校側の選択権であり、勿論、ある程度は先生たちの意図を配慮する場合もあるが、学校運営の立場から当然先生たちのクラスのバランスに拠って、生徒たちを配分します。
つまり、受験生の時に、大学の先生にlessonを見てもらったからといって、大学入学後、その先生に師事出来るというわけではありません。
ましてや、入試の直前に、たかが1回か2回、lessonを見たぐらいで、教授がその生徒を自分の生徒と思うわけはないのだから。
音大受験に関しては、もう一つ一般に知られていない事があります。
先程も同じ話をしましたが、某国立音楽大学を含めて一般の音楽大学では、公平を期すために生徒を指導した先生を入学試験の審査員から省くのが一般的である…ということである。省くというのは語弊がありますね。要はその先生が審査するグループ以外のグループで審査するという事です。
この話は、音大生ならば普通誰でも知っていることではあるのですが、それが音楽学校以外の一般的な話なってしまったら、それでは教授達に生徒が集まる理由がなくなるので、その事は極力内緒の話です。
T子の話をかなり詳しく、引き合いに出したのは、芦塚先生の元から、音楽大学の教授や著名な演奏家のもとに逃げていった初めての生徒の例であるからです。
生徒たちは、ある程度のレベルに達すると、好意的(善意)な悪意にさらされることになります。
プロを目指す学生や、親達にとって、日本人特有の独特の迷信的な好意に惑わされる事になるからです。
それはアドバイスをして来る人達が、悪意でない分、もっと始末に負えません。
それは一般人の教育界に対する妄信は、別に音楽に限った話ではなく、一般の大学を目指す人たちも同じであります。
それは、一般的に流布している風評に影響を受けたアマチュアイズムに満ちた考え方から来ます。
音楽の場合は特にその風評が酷いようですが、それはクラシック音楽が日本に入って来た諸事情による所が大きいのです。
この考え方は、日本の明治時代に、ヨーロッパの音楽を初めて、取り入れた「音楽事始め」の軍国主義の儒教偏重の時代に起こった考え方なのです。
つまり、音楽に限らず、教育そのものが、明治政府によって、絶対的な権威主義を認めさせて、軍国主義を日本に定着させるための方策として、取り入れられたからなのです。
だから、プロになるためには、偉い音楽大学の教授の先生かプロオケの先生につかなければ駄目だ。
つまり、プロを目指すならば、子供のうちからコンクールに合格して、有名な音楽大学に入学して、有名な教授について、外国のコンクールに入賞して、留学をして帰ってくれば、プロになれるというとんでもない迷信が、一般に定着してしまいました。
それを忠実に守って何千人、何万人という人が日本に帰ってきて、1回、2回と演奏会を自力でやるが、そこまでで力尽きて、それは青春時代の過ぎ去った夢として別の人生を歩む。
一生懸命努力したのだけど、やっぱりプロになるには才能が足りなかったわ!
そこで芦塚先生は言います。
違うでしょう!あなたは違う道を選択したのですよ。その努力の延長線上にプロの生き方がなかっただけなのですよ。あなたはクライアントという言葉を知っていますか?音楽は上手ければ良いというのは、妄想ですよ。リピーターがいなければプロには成れないのですよ。そんな当たり前の事がどうして分からないのかな?
人と同じ人生を歩んでいては、人と同じ道を歩むだけで、あなただけが例外的にプロとして成功するわけはありませんよね。
そういった素人紛いの安直な考え方で、プロになれるはずがないのに、日本人は、そう言った「権威にしがみつけば安泰である」といった、昔ながらの権威主義的な発想を変えようとはしないのです。
ましてや、自分が音楽では、全くのアマチュアであるにも関わらず、社会人として、歳が上だから、音楽でプロになろうとしている人達に、何らかのアドバイスが出来ると信じている。
素人が出来るアドバイスなんて、プロの世界にはないのだよ。
だって、プロとアマチュアでは住む世界や考え方が全く違うのだから。
しかし、残念ながら、子供を教育して、技術的に子供が幾らプロの領域に達しても、プロの考え方をするようになっても、残念ながら、親はそのまま、違うのだな。
だから、周りのアマチュアの抱く妄想を信じて惑わされてしまう。
自分に、本当に命が掛かっている病気ならば、近所のおばさんに相談するわけはないでしょう?
勿論、何処の病院にしようか?というくらいの相談はしても、何の病気か?同治療すればよいのか?そんな事は相談しないよね。
芦塚先生がいつも言っていることがある。
「色々な芸術や、色々な職業があったとしても、プロという職業は、一つの考え方しかない。」という事です。
どんなに、野球が上手くても、高校で一生懸命、努力をしていたとしても、プロは全く別の世界なのですよ。
分かりにくいので、逆から説明すると、芸術や職業には色々な分野があるが、その職業のhow-toを学校の部活等で学べる事はない。つまり、音楽大学に進学したいから、と言って、学校の部活で幾ら一生懸命頑張っても、どんどんアマチュアイズムで音楽の道が遠ざかって行くだけで、幾らその中で努力をしたとしても、その中にプロの道が見つかるわけはないのだ。
プロとアマチュアの決定的な違いは何か?
それは技術ではなく、考え方の違いだからである。
つまり、どのような職業に従事している人だとしても、プロの人は常に同じことしか言わない。
しかし一般のアマチュアは、アマチュアとして、その職業を見ているのだから、その違いは分からないのだよ。
音楽の話に戻って、音楽大学を目標にして、勉強するとしても、アマチュアは音楽大学を目指すための勉強と、学校の音楽の部活で練習する事が、同じ練習であるとしか思わないのだ。
全く違うのにね。
それと同じように、音楽のプロを目指す人は音楽大学の先生に師事して、コンクールに入賞して有名大学に進学して、留学して帰国すれば、プロの道が開けて来る・・というとんでもない妄想に憑かれている。
今時、ヨーロッパ留学して、日本に帰国してきても、それが少しでも、本人の価値付になったのは、1ドル365円の、精々、私達団塊の世代迄で、バブル期以降の音大生の猫も杓子も留学をした時期の後では、留学なんて、既に何の価値もないのだよ。
それなのに、いまだに、あたかも塾の先生のように、画一的な絵空事の世界についてしか意見しないのだよ。
・・・というか、それしか知らないからね。
それが素人の浅はかさであり、悲しさなのだけどね。
プロの側からすると、そのアドバイスを信じる人は、もっと阿呆臭いのだけどね!!
つまり、今時、よい塾に入って、一生懸命勉強して、よい成績を取ってよい大学に入って、よい会社に就職して、…それを幸せと信じている・・・・、それこそお笑いの世界だよ。
そういった考え方は、芦塚先生達団塊の世代迄が送って来た考え方であって、戦後の20年間の日本人が非常に貧しかった復興期の考え方なのだよ!
バブル期の子供達や、飽食の時代の人達には通用しない考え方なのだよ。
だいたい、今の親達自身が、芦塚先生達のように飢餓を経験した覚えは無いだろうが…!?
それなのに100年前の飢餓状態の日本の考え方をいまだに子供達に要求している。
生き抜くということが幸せを意味した貧しい日本の時代と今は全然違うのだよ。
そういった型に嵌った教育を望むのは、本来的には子供達の生活の安定を図る為の親心ではない。
実際に、有名大学を卒業して、大企業に就職して、何不自由のない生活をしていたはずの30歳ぐらいの多くの青年が自殺をして、社会問題化している。
社会に大事件を引き起こして問題になっているような若者達も、有名塾を出て、有名大学、大企業に就職して、その過程で突然おかしくなるのですよ。そして皆、「家庭環境も、学校も、会社も、人生がそれだけ恵まれているのに、何故おかしくなるのか、分からない。」と皆が噂をする。
引きこもりも然りである。
それが全て同じ要因に基づいているのに、いまだに大人達は自分の矛盾に気づこうとしない。
誰もが信じて止まない、ピラミッドの頂点に上り詰めるコースは、誰もが試みる極めて一般的なコースなのですよ。
だから、頂点にたどり着くのは、孤高の一人ではなく、群れた雀に過ぎないのです。
頂点を目指していたのに、いつの間にか、群れの中にいたのですよ。
それは、何故??
当たり前でしょう?皆が群れる群れの中で努力していたのに過ぎないからですよ。
東大には5月病というのがあります。
憧れの東京大学に入った生徒が5月になって、鬱になったり、学校をやめたりします。
芦塚先生が大学生になった時に、友人を訪ねて東大に行った時に、5月病について質問をした事があります。
彼が答えて曰く、「だって、小学生の時から、中学、高校と学校で一番を通して来た生徒が、東大に入学した途端に、5000番とか、プライドを傷つけられる点を取るんだよ!?今まで、子供の頃から一番が当たり前で一番しか取った事のない生徒が突然、5000番だよ!自分がエリートでも、なんでも無かったという事実は受け入れられない現実だよね。」東大の寮で彼が話してくれた話です。
私達の教室でも、非常に技術の優れた生徒は、どうしても同じlevelのお友達を教室内で見つける事が出来無くなってしまう事が多いのです。
つまり、次の同levelの生徒と年齢層が離れてしまうと、どうしてライバルにならなくなってしまいます。
という事で、芸校生や音大生の中で、話相手を探してしまう。確かに、彼らは音楽に進もうとしているエリート達です。
しかし、道は100年前の、古い古道を歩いているに過ぎない。
彼らの道の先に目的地はないのだよね。そこの中で、お鼻を高くしていると、気持ちはいいのかもしれないが、いつの間にかただのアマチュアになっているのだよ。
群れは群れにしか過ぎない。技術や職業は学校で学べるものではないのだから。
「何故??」
当たり前でしょう??プロは考え方であり、生活そのものだからだよ。
幾ら技術を研鑽してもその延長線上にはプロの世界はないのだよ。
技術は、クライアントに与えるものが技術で、無駄な無意味な技術をいくら学んでもそこにプロの世界はないという意味だよ。
芦塚先生が訪ねて来たプロの卵達に「この曲はこのテクニックでこう弾くのだよ。」と、説明しても、皆、「弾けません!出来ません!難し過ぎます!」だもんね。
うちの教室では小学生でもちゃんとその技術で演奏しているのにね。
だから、子供に言われてしまう。「何故、出来ないの??」
子供は出来て当たり前だから、「出来ない」という事が分からない。
素朴な質問なのだけどね。
10年間、20年間、ひたすら勉強してきた連中にとっては、屈辱的な言葉だよね。
「*ちゃん、うちの教室の生徒以外は、普通はそれは出来ないのだよ。」
「でも先生なのでしょう?じゃあ、出来なきゃダメなのじゃあ??」
で、その先生は、プライドが傷ついて、二度と教室には来ません。
ハッ、ハッ、ハッ!
少し気分を変えて、一般論に戻って、
今時は、一般の会社でも、群れたエリートである優秀な学歴の人材は必要としません。
本当に必要な人材は、優秀な学歴ではなく、他の人が持たないものを会社は求めているのですよ。個性的なヒラメキ、所謂、独創性を求めるのですよ。
昔は、パソコン等が無かったので、テキパキと単純な仕事をこなす優秀な人材が必要だったのです。
しかし、今はそう言った単純な作業は全部コンピューターが一瞬で何人分の仕事もこなしてしまいます。
だから人間に必要な作業は独創性、所謂、ヒラメキや判断力、決断力なのです。
それなのに、学校や塾では相変わらず、コツコツと問題を解くという、忍耐力、持久力のロボットのように上の命令に忠実に従っていれば良い、軍隊式の教育を指導している。
その中で、幾ら頂点を極めたとしても、そこにi dentityがなければ、それは、群れている雀や鰯と変わらないのですよ。
つまり、群れるのは、スズメやイワシや人間などの食物連鎖の最下部を構成する動物特有の習性である。
群れる物は人の上には立てないという原理をご存知だろうか?!
孤高の人は子供の内から群れないのだよ。人に追従するような教育をされた子供で、大成して人がいないのは当たり前の話でしょう??
そんな当たり前のことが誰も分からない。
不思議だ!!??
なぜ、食物連鎖をここで引き合いに出したのか、というと、今、東京や大阪などの大都市では、若者のホームレスが増えて社会問題となっている。
若者の立場からいえば、就職口がないという。
しかし、視点を変えて、農村部や地方都市では、若者がいなくて、経営が成り立たなくて、潰れてしまう企業が後を絶たない。
しかし、若者は、ホームレスになったとしても、人口の多い都市にしがみつく。
人が少なくなることが、自分が社会から逸脱(スポイル)されるような気がして、恐いのであるよ。
でも、ホームレスになった時点で、既に社会からスポイルされている事には気がつかない。
ホームレス同士で群れてしまうからだよ。
地方に行くと、一緒に群れてくれるそのホームレスがいない。だから、都市にホームレスは集中する。それも当たり前の事なのだけどね。
東京の雑踏が嫌で、海の近くや山の中の孤独な一軒家に住む事を夢見ている私にとっては、東京にしがみつく若者達の気持ちは、理解しがたい事である。
「プロになりたければ、有名音大に進んで、有名教授に師事しなさい」
もしそれが本当ならば、日本は何万人というプロであふれているであろう。
ちょっと考えて見ると、それが妄想にすぎないのは明らかなのに、殆ど人がその善意的悪意に踊らされて、教室から有名な先生を求めて去って行く。
芦塚先生がそういった生徒に対して、最後のアドバイスをしていたのは、「別に上手になりたいのであれば、教室をやめても構わないし、他の先生に付いても構わない。しかし、その判断を人に任せてはだめで、自分でしっかりと変わる前にlessonを見学するか、お試しレッスンを受けて自分がこの先生につきたいと思ったら代わりなさい。」
「だって、お母さんやお父さんにヴァイオリンの先生の技術力が分かるわけはないでしょ?お母さんやお父さんだって、自分の判断ではなく、責任のない赤の他人の話でそこに来ているのでしょう?自分の一生を赤の他人に委ねるわけ?」
「自分に自信があって信念があって行動するのならば後悔はしないけど、人の話に流されて、自分が動いてしまっては一生後悔することになるよ。」
しかしながら、父兄や子供たちに、芦塚先生がそういったアドバイスをしても、lessonの見学やお試しの体験lessonを受けてから後に先生を変わる生徒は、これまでも一人もいませんでした。
「某国立音楽大学の先生」でしかも「主任教授」という事になったら、これ以上、上の先生はいないのだから、お試しlessonもあるわけはない、その先生に否定されたら、プロは諦めるのが、定説…というのが、一般の考え方です。
勿論、そりゃそうですがね。
諦める前に、一度、巷の一介の音楽教室である、 うちに来てくれれば良いのにね。
日本の音楽家たちの音楽歴を見ると、どこそこの大学の教授に師事したとか、コンクールや大学の名前が羅列されています。
日本とヨーロッパの大学の1番大きな違いは、ヨーロッパの大学では、その先生がその先生のクラスに入れてあげると確約しない限り、その大学を受験する事は無いのです。
大学の入学試験でも、必ずどこの教室(クラス)に入るのかということを聞かれます。
だから、ヨーロッパの音楽家の音楽歴は※※教授門下と名前が羅列されています。
日本人の場合は、某国立音楽大学の先生ならばよいわけで、その大学の先生の名前まで知っている人なんか居ない分けですから。
仮に、知っていたとしても、友人に聞いたか、先生に聞いたか、いずれにしても近場の人伝にすぎません。
そういった物をして、「知っていた」 とは普通は言わないのよね。
面白い話といえば、芦塚先生が、音楽教室を立ち上げるまでは、ちょうどその逆で、日本の有名大学の生徒たちや某国立音楽大学や超有名私立音楽大学の主任教授の元から生徒たちが芦塚先生の所に逃げて来ていたのだが、音楽教室を作った途端に、音大から逃げて来る生徒は一人もなかったいなくなってしまった。
これも、芦塚先生が個人の一人の先生から、音楽教室の先生に変わった、…言い換えると、音楽教室の先生になり下がった、という「括弧くくり」のせいだろうか?
音楽大学の教授たちは、毎週、定期的に生徒を指導するわけではない。
通常は、講師の先生や自分の弟子たちに指導させて、ふた月に1回ぐらいまとめの指導をするのが一般的である。
これも教室を作るよりも随分昔の話だが、芦塚先生の友人のピアニストから、彼女の知り合いの女の子が理論や楽典、solfegeを教えてくれる先生を探している、と紹介された。
中学生1年生の時から高校生になるまでコツコツと楽典の基礎を指導していたのだが、高3のある時に彼女曰く、「下見の先生に注意されたことを一生懸命直して、ひと月半後に教授の所にlessonに持って行くのだが、いつも勉強してきた全てを怒鳴られて、それでレッスンが終わってしまうので、辛くてたまらないので、芦塚先生にPianoを見てもらう分けにはいかないか?」と相談をして来た。
芦塚先生は、「私は原則としてピアノの下見はしないし、他の先生にピアノのレッスンを既に見てもらっているのに、その先生の許可なく指導することは出来ないので、基本的には出来ないのだよ。これは音楽家としての仁義だからね。」と断ったのだが、「切に!」と泣きながら頼まれたので、芦塚先生もすっかり困ってしまって、妥協案として、「lessonとしてではなく、君の演奏を聞かしてもらって、そのone point adviceとして、1個か2個までならadviceをしてもいいけど。」という提案をした。
勿論、彼女は喜んで、その申し入れを呑んだ。
彼女の演奏を聴いて、教授の怒りまくっている話を聞いて、教授がどう演奏して欲しいか?そのためにはどういうpointを気をつけて演奏すればよいか?touchや姿勢など細かい所の配慮はどうすべきか…等々を、one pointで短く簡潔に纏めて説明をした。
次のlessonの時、彼女は喜びいさんでやってきて「生まれて初めて1回のレッスンで合格した。教授に褒められた。」と報告して来た。
彼女の将来は開けたわけではない。
彼女がlessonで指導を受けていた、某国立音楽大学の主任教授と彼女は特別な関係にある。彼女のお父さんも(一般大学の)有名な大学教授で、彼女の先生(主任教授)がまだ青年時代に苦学をしていた時に、彼女のお父さんが、可愛がって面倒を見てやったという、経緯がある。
だから、彼女は小さな子供時代のピアノの習い始めからその先生の弟子であったのだよ。
しかし、驚くことに、受験直前の12月も終わりの頃に、その教授から「君の手は小さいから、ピアニストは無理だから、某国立音楽大学は諦めるように」と、宣告された。他の大学を受けようとももう間に合わない。
「何で、今更、そんな事を言うの??」と、母親と二人で芦塚先生の元に泣きついて来た。
「手の大きさなんて、高校1年の時からそんなに変わらないのにね??なんで、その時に注意しなかったのだろうね??」芦塚先生は不思議がっていた。
「私の元から改めて、某国立音楽大学を受験したとしても、彼女が今までついていた先生はその大学の主任教授だから、合格した後で、またその先生の門下になってしまうよね?!」という事で、彼女は「国立音大を受験するのは嫌だ!」と宣言した。
しかし、彼女はプライドがあって、「私立ならば、**音楽大学以外は行きたくない。」という。
と云う事で、仕方がないので、当時はまだその超有名音楽大学の主任教授であったTSさんに相談してみたら、この音楽大学は、受験生の人数よりも、指導する先生の数の方が多いし、受験の審査も、音校からの持ち上がりの生徒が優先されるので、受験前に合格する生徒の枠は予め埋まってしまうので、合格者は受験前に決まっているそうで、入試はただのセレモニーに過ぎないのだそうな。
これは勿論、仲間内の話で、外には絶対に漏れてはいけない話、一般には絶対に聞かせられない話なのだが。
同じ音楽をやっているとそういった、怪し気な情報が色々と飛び交ってくる。
音楽大学のアカデミズムの世界もやはり、魑魅魍魎の闊歩する伏魔殿なのかな?
という事で、彼女が希望する受験可能な音楽大学はないのだよ。「名門の3,4音楽大学では嫌だ。」というのでね。
成績でちゃんと正当な評価をして生徒を取るのは、やはり某国立音楽大学しかないという事で、ピアノで受験すると、またD先生になってしまうので、彼女が「それだけは絶対に嫌だ!」というので、「じゃあ、Piano科以外の樂理科で受験したら」という事で、取り敢えず納得して貰って、その場は何とか収まった。
ピアノの勉強も基礎からキチンとやり直して、音楽理論は中学生の時から問題なく勉強を積み重ねているので、解答のない問題等も難なくこなすし、「これはまあ行けるかな?」と思っていたら、夏季講習に行ったら、早速D先生に見つかってしまって、「樂理を受けるのなら、ちゃんとした先生に付かないと!先生を紹介するから、その先生の所に行きなさい。」と自分が見捨てた事は棚に置いて、曰わった。
烈火の如く怒った彼女は本当に音楽を止めてしまったね。
勿論、芦塚先生は、「日本の音楽大学ではなく直接海外の音楽大学に留学する道もあるよ。」と進めたのだけど、「将来的に6畳一間の部屋でピアノの下に寝ながら、生活するのは嫌!」と言うのが、彼女の決めゼリフであったそうな。
父親が「音楽をやめるのなら、マンションをあげる。」と口説いたそうだ。
マンションの一室を買ってあげる、という事ではないよ!
何せ、彼女のパパは大マンション(ビル全体)のオーナーで、その町の地主でもあるのだから・・・。
話を元に戻して、
彼女の下見のlessonの問題は、彼女自身だけの問題ではない。
下見をする先生たちは、殆どの先生たちが、教授の生徒に与えようとする課題やthemaを知ろうとしないままにlessonをしてしまう。
教授は教授で、自分が紹介した下見の先生に、その曲の課題等を指導しないまま生徒の下見をさせるので、下見の先生は自分なりの解釈でlessonをする。
生徒が教授に何を注意されたか?どこを治さなければいけないか?等に興味を持たない。
もう、自分はいっぱしの指導者なので、今更教授に新たに学ぶ物はないからである。
ということで、音大の教授にlessonを見て貰うために、下見の先生に付いている生徒たちの多くが同様の悩みを抱えている。
芦塚先生の教室のように、double teachers systemとして芦塚先生のlessonを担当の先生が一緒にlessonを見学するか、時間の都合で出来ない場合にはビデオに撮影して後日見るかで、lessonの内容の整合を図る教室はない。でも、芦塚先生の弟子である先生はコンクールで複数の生徒を入賞させた先生に贈られる優秀指導者賞を受賞したりしているし、いまだにlessonと並行して演奏活動も続けているから、いっぱしの**なのだけどね。
本人が勉強を続けたいのか、・・・たくないのか?の違いなのだけどね。
ちなみに、このお話の最初の方に芦塚先生が書いている音大時代にHomelessonで芦塚先生が師事した先生は音楽大学の教授なので、勿論、学校の音楽の先生の下見をお願いしたわけではない。
学校の先生と並行でHomelessonの先生にも、大学とは別の課題をいただいて、大学4年間、Pianoを遅く学び始めたというコンプレックスを持っているピアノの技術の向上を目指して、ダブルスタンダードで努力をしていたのだよ。
勿論、それぞれの先生がEtudeやBachの平均率、ロマン派の曲や近現代の曲を全く別に出題する。
しかし、ダブルスタンダードと言う意味は、そういった曲数の意味や曲の解釈の違いだけの意味ではない。
芦塚先生の勉強していた、本当のダブルスタンダードの意味は、大学の先生はWien奏法であり、Homelessonの先生はパリのコンセール・バトワールでのイブ ナットの門下生で生粋のフランス奏法なので、touchから全く違うので、先生によってその弾き方だけでなく、touchまでも弾き分けをしなければならないという難しいthemaを自らに課したのです。
芦塚先生の当時の棲家はアパートなので、学校の練習室に練習ために楽譜を持っていかなければならないのだが、今のようにコピー機がある時代ではないので、楽譜をそのまま20冊、30冊持って行かなければならない。
学校に着いても、今のように生徒のためのロッカーなどは、当時はまだなかったので、それぞれの教室に移動する時も、その20冊、30冊の楽譜を抱えたまま、歩かなければならなかった。
それは4階まで階段を登る事すら、困難な病み上がりの体には、結構重労働だったそうな。
で、そこで芦塚先生が考案した方法は、楽譜を読んで暗譜してしまうという芦塚メトードのきっかけになった方法論である。
音楽大学の図書館前のベンチに座って、のんびりと楽譜を眺めている芦塚先生を周りの学生たちは奇異な目で見つめていた。
しかし、その努力を続けることに拠って、楽譜を読んで記憶をする事は当然なこととして、Sait-Saёnsが彼の著書に書いていた「作曲家たる者はscoreを小説を読むように読めなければならない。」ということが、日本の音大を卒業する頃には出来るようになった。
ミュンヘンに留学して、まだ学校が始まる前の2,3ヶ月は、芦塚先生はよくミュンヘン駅の雑踏の中で、小説を読んでいた。集中力の訓練だ。その訓練の成果が、今現在もありとあらゆるところで役に立っている。
私達が子供達のヴァイオリンの曲やオケの曲を探すときに、ヤマハに行っていつも疑問に思うことは、楽譜売り場にBGMがうるさく流れていることである。
あらかじめ、買わなければいけない楽譜や出版社等が決まっている場合はいざ知らず、新しい曲を探すときなどは、うるさくて曲のイメージが掴めない。
しかし、芦塚先生は新曲でも曲のメロディがscoreの細部までちゃんと聞こえるそうである。
集中している時には、BGMは全く聞こえなくなるからだそうだ。
チェンバロの音も細く小さいので、Cembaloの調律師は結構周りの音にうるさい。
しかし、芦塚先生は、子供達がリハーサルをしている中でも平気で調律をしている。
但し、芦塚先生に尋ねると、ヴァイオリンが調弦を始めると駄目だそうだ。その調弦の微妙な狂いの方が気になって、チェンバロのtuningが出来なくなるそうである。
雑音は幾ら大きくても気にならないけれども、音の微妙な狂いがある物は駄目らしい。
そういった、日常のありとあらゆる物を勉強に利用する、styleにこだわらない勉強方法が、芦塚先生の物事に囚われない自由な発想や解釈を作り出している。
芦塚先生の場合は、音大受験やコンクール、その他の状況に応じて、曲の解釈を自由に変えている。
だから、一度も会った事もない教授がどのように弾かせたいか、手に取るように理解出来るし、そのように演奏させることは難しいことではない。
勿論、別の教授の生徒には、同じ曲でも別の弾かせ方をしただろう。
一流の演奏家になると、他の優れた演奏家の真似も上手だし、色々な演奏の弾き分けも出来る。一流になるコツは、他人の演奏を注意深く聞くことであるからだ。
芦塚先生がいつも自慢していることは、複数の生徒に同じ曲を指導しても、touchや指使い、曲の解釈を全て子供に合わせて変えていることである。
それが、ありきたりの行き当たりばったりの指導と全く違うのは、いつも芦塚先生が生徒に自慢している、「向こう5年間さかのぼって、生徒に何を指導したかを全部いうことが出来る」という事である。
但し、その生徒に対して、その後に続く言葉は、「君達は、1週間前に注意されたことすら覚えていないのかい?今から、そんなに記憶が出来なければ、歳を取った時の痴呆が恐いよね!」と、嫌みが続く。
「若年性痴呆というものがあって、実は…」 etc. etc.
編集後記
この論文の骨子というか、その殆どは芦塚先生の論文の反故から立ち上げた文章です。芦塚先生がこんな昔々の文章を改めて今更入力すると、鬱になって眠れなくなるというので、代わりに私が纏めました。
その原文はかなり古い文章なので例の登場人物もずいぶん以前の生徒さん達のお話です。しかし、音楽を取り巻く環境は30年40年経ってもいまだに変わっていないと思いますので、この論文もまだ現役で意味のある論文ではないかと思って文章の補筆訂正をしました。
PS:(個人情報について)
この論文には4名の人が登場する。
勿論、実名は論文にする段階で全てイニシャルに変換した。
かなり、具体的に実際の状況を説明してはいるのだが、30年近く以前の生徒の話であるから、現在その人を実際に知っている人はいないし、誰かという事が特定されることはない。
実際に当時、教室に生徒として在籍していた今の先生達も、当時はまだ小、中学生だったので、彼女の家庭の状況を知らないし、殆ど記憶がない。という事で、他の論文のように、2,3人の個別の状況を抱き合わせて合成し、架空の人物を作り出す必要はないと思われたので、状況の説明は全て実際のままである。
ただ、「**大学教授」…とかいう、実際の役職を、どう扱えば良いのか?というのは相変わらずの難しい問題である。
補筆構成:I Sa