指使いのお話
double teachers systemの指導に関しての芦塚先生からの注意
トリルの指使いの話ではなく、先生の生徒に対してのマイナー発言への苦言
mkちゃんがI先生に、「モーツァルトのソナタのミとファ♯のところのトリルを、2の指と3の指でのトリルでしか、出来ないけどなにかアドバイスありますか?」と聞いたら、I先生が「発表会直前に指を変えるのは危険だから。」「自分も1と3の指のトリルしか出来ない。だから自分の出来る指使いで良いのでは・・・!?」と、答えたと、lessonを聴講していた生徒からの報告があった。
どういった状況で、その話が出たのか、私には分からないのだが、「発表会直前で指使いを変えるのは・・」という話は別に問題はないし、そのままで良いのですが、次の「自分も・・・etc.」という話は、先生としては、言ってはいけない言葉ですね。
子供達にオケ練習や、lessonの時に、無意識に出るマイナー用語に対して、私が何時も注意している「言霊の話」になってしまいます。
このケースでは、音楽的な指導としても、当然の事ではありますが、例え、白鍵と黒鍵に跨ったtrillであったとしても、全ての指でtrillを出来るように、指導しなければなりません
ここまでは、私が既にI先生に話た事なのですが、これから先は、double teachersとしての、担当の先生に対してのお説教です。
I先生が、「自分が出来ないから・・」と、生徒に言う事は、当然許せないとしても、I先生は教室に来たばかりだから、「教育という意味がまだよく理解出来ていない」として、ある程度はやむをえないとしても、担当の先生がI先生に対して、それを注意しなかったのは、絶対に許せない事です。
例え、生徒や父兄の前であっても、その場でI先生に注意すべきであります。
子供に対しても「絶対にマイナーな考え方にならないように(マイナー思考はしない)、と言う教室の毅然とした態度、「教室としては、間違えたことを言うと、例え先生でさえ怒られる」・・・という教室の方針は、子供や父兄にも、見せてしかるべきであるし、そういった事を通じて勉強出来る事も数多くある。
そういった、基本的なconceptをないがしろにしてしまうと、教室は一瞬で、全く違った形に姿を変えてしまうのですよ。
それはそれはとても、怖いことなのです。
勿論、こういった機会を捉えて、I先生自身も、「言葉の端々のマイナーな考え方は子供をだめにしてしまう。」という事を、はっきりと自覚すべきなのです。でも、それをI先生の自発的な努力に期待してはいけません。必ず、担当の先生が責任を持って指導すべきなのです。
教室が大きくなればなる程、私一人が各教室に行って、直接先生を指導出来るわけではありません。
指導講師の先生達がしっかりとした意識を持って、確実に指導しなければ、教室を支えてくれる人材を育てる事は絶対に出来ないのです。
今の日本の音楽教育において、教室が求めるような人材がいる分けでは、絶対に有り得ません。
外部から来る先生に、理想的な人材がいるわけではなく、教室が理想的な先生を育てあげなければ、何も始まらないのですよ。
ましてや、I先生が「1と2の指のミとファ#のトリルがありえない。」という事を言うという事は、初歩的なCzerny30番に出てくるトリル課題、18番の13小節からの45のtrill、22番のtrill課題の曲、ましてや、初歩の教則本であるBeyer教則本の50番ですら、trillの課題であり、その指使いは4−5のtrillを除けば全て出て来ます。
trillで「この指使いは得意で、この指使いは出来ない。」と指導者が生徒に対して口にするという事は、指導者としては論外なのです
いやしくも、ピアノを学ぶ生徒は、(何も、高度なブラームスのヘンデルバリエーションのダブルトリルを持ち出さなくとも)初歩のBeyer段階から1-2のトリルから、3−4のtrillまで、学ばなければならない。
トリルは全ての指で使用する。ダブル・トリル、トリプル・トリルを引き合いに出さなくとも、片手でトリルをしながらさらにメロディを奏くということはいろいろな曲でも一般的である。
というわけで、特定の指使いのトリルしか出来ない、・・・という事は、ピアノを学ぶ上で、その内に、致命的欠陥になってしまう。
ヨージーの法則
生徒が苦手な箇所は、先生が苦手な箇所です。
当たり前の事だけど、生徒の演奏を聞くと、先生の癖がわかります。
[参考迄に]
ゆっくりしたトリル:バッハのインベンションのブゾーニ版では16分音符に対してのトリルがあって、3連符のトリルが出てくる。2:3であるから、もっとも遅いトリルとなる。
トリルを弾くときには特に1、3の指でトリルをするときにはより強い指(1の指)の音がより強くなってしまいがちである。美しいトリルとはいかなる指であったとしても、両方の音量のバランスが均等である事が望ましい。
そのためには3連音で練習をすることが一番理想的である。
ここまではダブルティーチャーズの話、ここからは指使いの話
バッハは弟子達が情緒的、感情的な指使いや音楽表現をする事を極端に嫌った。
弟子が情緒的に演奏したり、自分の好みでfingeringをすると、「それはいったい何処から迷い込んできたのか?!」と言って、弟子達を厳しく叱った、・・と言われている。
その話と同じような話は、ベートーベンにも沢山の例があり、彼の直弟子達がBeethovenの自分に注意してくれた話として、弟子達の書物に残されている。
指使いの法則
教室に助けを求めて訪れてくる生徒は、大きく分けて、二種類のタイプに分かれる。
比較的にピアノの初心者や、課題が進まないで行き詰まった生徒の場合には、その殆どが譜読みに行き詰った生徒達である。
しかし、ある程度ピアノやヴァイオリンが上達して、(BurgmullerやクラマーのEtude迄進んでいるのにも関わらず)そこで行き詰った生徒の原因を調べると、指使いを無意識に正しく演奏出来ない、或いは指使いの誤りを直せないということに、その原因を見出す事が出来る。
教室にhelpを求めて来たlevelの高い生徒の場合には、生徒自身が指が回るので、一個、一個の指使いをcheckをするのは非常に難しい。特に、ある程度譜読みが早い生徒の場合にはましてや、である。
という事で、色々な教室を廻っても、先生から、「ちゃんと、一音符づつ音符と指使いを確かめなさい。」と言われると、めげてしまう。結局、それが原因で音楽を挫折することになる。
という事で、すっかりピアノが嫌いになって、「音楽をやめたい。」と言っている生徒が、私の所に来た。
指が回り過ぎるので、先生も生徒本人も、自分の指使いのmissをcheck出来ないのだ。
という事で、室内楽やオケの小さな生徒のCembalopartやピアノの伴奏等の指導を任せる事にした。
つまり、徹底的に小さな生徒の指使いのcheckをやらせたのである。
半年後、一年後には、指使いの間違いも全く犯さなくなって、目出度く音大に進んだ。
私が日本に帰って来て、最初に教えた男の子は、その子が小学6年生の時に1年間指導しただけであった。
学校と折り合いがわるくなったので、学校で指導するのをやめたからである。
でも、彼は目出度く憧れの音楽大学に入って、先生達からは「学校に先生として残るように。」と、勧められるぐらいであった。しかし、彼は教えるのが結構嫌いで、ソリスト、つまり、ピアニストが夢であった。という事で、大学年生の時に、N響のチェロのトップである、徳永さんに室内楽を習っている時に、相談した。彼のアドバイスは、「プロになるためのcurriculumを持っている人に習わないとね。」というアドバイスだったそうだ。
それから、4年間ありとあらゆる先生の所を訪問た。しかし、徳さんのアドバイスのように、プロになるためのcurriculumを持った先生が一人も居なかったという。
そこで、彼は大学の先生になるのは嫌なので、「音楽家を諦めて、家業でも継ごう。」と、身辺の整理を始めた。楽譜やtape等を処分している時に、ふと、自分が最も得意とする、初見力やensembleの能力、分析力等、音楽の能力は、6年生の時に私に師事していた時に身に付いた能力だと気がついた。という事で、私の所に、電話を突然してきた。
彼が言うことには、大学は「残れ。」と言ってくれるのだが、教える事には興味がない。プロのピアニストとして、演奏で食っていきたい。という話であった。私が、「プロになりたければ、プロになるためのcurriculumで勉強しないとね。」と言うと、驚いて、「全く同じ事を徳永先生に言われて、今までありとあらゆる先生を探していたのです。」と、いう事で、もう一度初歩から、私の元で勉強する事になった。
小学生の時に指導したBachの12のpreludeを、弟子入りの課題曲にしたのだが、素晴らしいのは小学生の時に指導した内容をちゃんと忘れてなくて、基礎が守れていたね。
このlevelは、プロの教育なので、指使いも、何処其処をどうするという、levelではない。指使いの原則を指導し、あるpassageの演奏をコンスタントに出来るように、幾つの指使いが可能か?というlessonである。勿論、その指使いは全部弾けるように、覚えなければならない。つまり、代え指なのだ。
後は、時代の様式と演奏のスタイルである。当時の作曲家一人1曲の世界だ。
後は、program作成curriculum。最初の課題曲はBach=Busoniのchaconneで、3年間lessonを続けた。その間、50回は演奏会に乗っけたね。曲を演奏してはcheckして、また掃除をしては演奏して・・と、徐徐に曲目を増やしていき、3年目でやっとAプロ(2時間半のレパートリー)が完成した。その後、5年でCプロ迄とDプロの半分迄出来たかな??
後は、留学のタイムリミットになったので、慌ててドイツに留学したのだが、日本から、目的の街に行く列車の中で、演奏家と意気投合して、そのまま伴奏者として、ヨーロッパを廻って、目的地にたどり着いたのは、半年後だったそうだ。
つまり、演奏家になるのは簡単なのだよ。それで生活するのも、一般のサラリーマンよりも良い生活をしているよ。
「芦塚先生は??」・・・僕は、金を使う場所が一般人と少し違うんだな〜!楽譜や本が1冊、ウン万円するし、そういった楽譜が数千冊はあるよね。楽譜だけで、多分家一軒分はあると思うよ。
教室の経理では、baroqueの楽器は法務局には、認められないので、baroque楽器は全部僕の個人財産だし・・・八千代の演奏会も全部教室の持ち出しだよ。
大体、音楽教室で、お金にならない事に、それだけお金を掛ける教室があるかいな!!
仕事ではなくって、殆ど、趣味の世界だよね。
そういうのって、価値観の問題だよね。
おっと、だんだん、ボヤキになって来たぞ!!
ミスタッチの話
指使いを直す(ミスタッチを直す)ということは指使いに不変的な法則性がなければならない。
然るに世の先生方は自分の書いた指使いを闇雲に生徒に守らせることが、「指使いを正す」と言う事と勘違いをしている。
教室では指使いの決め方に一定のルールがある。
そのために小学校の上級生位になると自分で正しい指使いをつけることができる。
一定のルールに従って指使いをつけていくと先生がつけても生徒がつけても、誰がつけても同じ指使いになるからだ。
そこに個人的な好み(嗜好)は入っては来ない。
指使いに一定のルール付けができるようになると生徒達はミスタッチはしなくなる。
すこぶる、当然ではあるが・・・である。
指使いの基本は以下の4通りである。
@和音の指使い
A早い(急速な)クロマティックの指使い
B滑らかな和声的な指使い
Cスケールの指使い
等が上げられる。
またインベンションの二声のC Dur 1番でも分かるように同一モティーフ(テーマ)に同じ指使いをさせると言う特殊な指使いのルールもある。
慣習的なscale上の指使いの付け方の不思議
ピアノの楽譜などではscaleで下降してくる場合など指のチェンジのところでは、ご親切にも、1の指を指定するものやわざわざ1,4とか書かれているものが多い。
それはいたずらに譜面の指替えを複雑にするものでしかない。
子供にスケールscaleを指導するときには、基本的な指変えはBの指になるので、Cの指や、それ以外の例外的な指使いの場合にのみ指使いを書かせると、譜面がすっきりとして、子供の指使いのミスも極端に減る。
譜面には必要以外のことは極力書くべきではない。
Sent: Wednesday, June 13, 2007 4:11 PM
Subject:見学レポート
昨日は聴講させていただき、ありがとうございました。
同じバイエルでも子供によっては、簡単な和音の分類をしたり、小曲集を使う等、こちら側の準備の幅広さと同時に子供の性格や能力を的確に見る観察力が必要だと感じました。
また、レッスンの終わりには、本人に練習が必要なポイントを認識させ、「宿題」として家で練習できるようにし、次回にはその子が達成感を得られるように導く方法、とても勉強になりました。
見ていると何気なく進んでいるように見えても、実際に生徒に接してみるといろいろと難しく、うまくいきません。
せっかく与えて頂いた機会なので無駄にしたくないし、月謝を払って来ている生徒側にとってはこちらの状況は関係ないことなので、どんな状況であれ、本人にとって無駄な時間を過ごすことにならないように努めたいと思います。
これは質問なのですが、楽譜に指使いが書いてあり、その指使いが必至の場合は別として、特に楽譜に書いてない個所で、次の音の動きを考えると、ある指使いが有効と思われるときは、提示すべきなのでしょうか?
それとも基本的には楽譜にない個所は指示しない方がいいのでしょうか?
例えば2で弾いた方がその後に自然に繋がると思われる個所を、3で弾いてしまって、その後が指が足りなくなってしまうようなケースで、毎回2で弾いたり3で弾いたりして詰まってしまってる状態で、楽譜には指使いが書いてない場合、その個所を2で弾いたら次の動きに繋がることを説明すべきなのか、あるいは3で弾いても不自然ですが、不可能でない場合、指示しない方が良いのでしょうか。
このような指使いが書いてないことが原因で詰まってるように感じた場合なのですが、指使いを示しても良いものかどうか、
判断に困ってしまいました、よろしくお願いいたします。
Subject: 見学レポート
『特に楽譜に書いてない個所で、次の音の動きを考えると、ある指使いが有効と思われるときは、提示すべきなのでしょうか?それとも基本的には楽譜にない個所は指示しない方がいいのでしょうか?』
⇒楽譜に書いていないと言う事は、それ自体がいくつかのケースがあります。
前半の繰り返しや同じパセージに該当するところは、中級や上級の楽譜では、原則として書いてありません。
しかし、Burgmullerクラスの曲は、初歩の教材なので、原則として書いてあるはずなのですが、もし、繰り返しの部分で、指使いが書いてなかったとしたら、子供自身に指使いを書かせたりしています。
指使いを楽譜に書いていないから、子供に指使いをまかせて、先生として、生徒に指使いの指示(示唆)しないということは指導上、決してあってはならないことです。
どんなpassageに於いても、個人的な情緒的、感覚的ではない、論理性のある指使いをしなければなりません。
つまり、論理的に正しければ、理論の方が優先されるべきで、「この指使いは難しいからしない」と言う事は、絶対にあってはならないことです。
その場は、その方が易しくて、良かったとしても、後で、曲のlevelの高い曲を演奏出来なくなります。
ましてや、先生の個人的な理由で、「私はこの指使いのほうがよいと思う。」などという感覚的な答えは論外です。
楽譜で求められている指使いは、その曲その場所で必然性が変わるので、ブルグミュラーのバラードの8小節目の1−3−4の指使いは一見すると非常に難しいように見受けられますが、これは手のシフト(shift)と3−4を広げる練習なので変更してはいけません。
その指使いが、練習課題そのものなので。
同様に先生が模範演奏を生徒の前でする時に、80小節目の分散和音などを、譜面と違えて右5−3−1、左1−3−5右5−3−1などと勝手に弾いては模範演奏になりませんし、11小節目の右手の和音のリズムに左手のメロディが遅れてしまうようでは模範演奏にはなりません。
子供は遠慮して口にはしませんが、結構厳しく見ているものです。
ましてや自分が練習している曲については大人が思っているよりも、細かいところまで見ているものです。
『例えば2で弾いた方がその後に自然に繋がると思われる個所を、3で弾いてしまってその後が指が足りなくなってしまうようなケースで、毎回2で弾いたり3で弾いたりして詰まってしまってる状態で、楽譜には指使いが書いてない場合、その個所を2で弾いたら次の動きに繋がることを説明すべきなのか、あるいは3で弾いても不自然ですが、不可能でない場合、指示しない方が良いのでしょうか。
このような指使いが書いてないことが原因で詰まってるように感じた場合なのですが、指使いを示しても良いものかどうか、』⇒以上のことは楽譜を見ないと判断はつきかねます。
ブルグミュラーでは指使いを示唆していない楽譜は無かったと思っていましたが、何の曲の事でしょうか教えてください。
例えば、ソナチネアルバムクラスまで行くと、指使いに整合性が無かったり、古い指使いであったり、また、校訂者が一番犯しやすい指使いの間違い、四和音に於ける1−2−3−5と1−2−4−5の指使いを混乱して書いている版が多いように思われます。
そのために正しい指使いにするためにしょっちゅう赤で訂正はしているのですが、そのレベルになると生徒もある程度は自分自身でも治せるようになっているので、(本当は既に訂正してある譜面を渡せばよいのでしょうが)そのつど直しています。
私自身も自分の生徒を今持っているわけではないし、昔は昔で、全国の教室をレッスンして回ったりしたので、指使いや曲の解釈などで、先生と解釈の相違があったりして困ることは往々にしてあります。
その場合には、問題点をノートに記して、レッスン後に先生方といろいろお話をします。
指が小さくて基本の指使いがまだ教えられなかったり、それはそれでいろいろなケース(ルール)があります。
また、実際にI先生が自分の生徒を自分で指導するようになったときに、一番直せない事は手の形と指使いの2点です。
O先生が中学2年のときにピアノに行き詰って、うちの教室に来たときも、その原因は四和音の転回型の指使いが行き詰まり(ミスタッチの原因でした)背が高くて指が長いからどんな指使いでも届いてしまったのが、行き詰まりの原因でした。
しかしもうCzerny50番クラスの曲で、指を回しているときに、そんな細かい指使いは意識できませんよね。
ましてや、音楽が嫌いになりかけている生徒に、今更、「貴女の行き詰まりの原因は・・」等と注意して、コツコツ練習などやらせてもlessonが、上手く行くわけはありませんよね。
じゃぁ、どうやって、O先生が未だ中学生のときに、芦塚先生は指使いを正しく守る癖をつけさせたでしょうか?
それが問題です。
少し考えてみてください。
Henle版についての問題点:
日本版の子供の楽譜では、あまり問題は無いように思いますが、先生によっては、何が何でも、Henle版を生徒に推奨する先生がいて、子供にも、Henle版を使用して指導して、困っています。
Henle版の良いところは、原典版で間違えた音符がない・・という所なのですが、昔とは違って、今は日本版でもそういった基本的な間違いはありません。
日本人の指導者達には外版崇拝という困った問題があって、ある音楽大学の先生が、「(日本版の)**版はだめよ!!Peter版を買いなさい!」と言っているのを聞いたことがあります。
しかし、その日本版の**版は、Peter版をコピーした版なので、全くPeter版と同じ版なのですよ。
チョッと笑っちゃいましたがね。(芦塚先生の音大時代のお話です。)
標準版とか、書かれている版では、昔のCzerny版に書かれていた古い解釈やmissを、ワザとそのままにしている版もあるようですが、校訂の入っている版では日本版でも、Henle版同様に、ミスは殆どありません。
Henle版で、困った問題は、書かれている指使いが、ヨーロッパ人の男性の大人の人を対象にして書かれていることです。
若しも、その指使いを守って演奏した場合には、子供達はおろか、女性の演奏者にとっても、結構、指使いに負担が掛かって、腱鞘炎等の元になりかねません。
指使いを守らない、・・参考にしない・・ということならば、問題はありませんが、もし、Henle版の指使いを守って演奏するということであれば、最低でも170センチ以上の背丈が必要です。
全音版のBurgmullerでも、指使いが違うのは仕方がないとしても、音迄が、違っていてlessonのときに困ってしまいました。
春秋社版に於いては、指使いどころではなく、音やphraseや、Pageの割付も出版毎に変わっていて、lessonになりません。
生徒が使用している楽譜と、教室の楽譜も、先生の楽譜も、同じ春秋社版なのに、その都度違うので、生徒に楽譜をコピーさせて、lessonで使用しています。それぞれの生徒がそれぞれの年度の版を持っているので、買いなおすこと自体が無駄なのです。