レッスン時間について

(仕事と見切り)

         インスト・マニュアルより

時間に振り回されるのは、時間を自分の立場で考えるからである。

時間は常に、第三者(若しくはクライアント)の立場で考える事。(ヨージーの法則)

仕事は常に優先度が伴う。

仕事に優先度が伴ってくると、仕事は常に時間に支配される。

時間の条件が満たせない時には、優先度は見切るか否かの問題になってくる。

どのように優先度が高い仕事であったとしても、時間が経過しすぎた場合には、見切りをした方がよい場合が多い。(その仕事をこなすだけの力量がなかったという事だ。)

優先度が低い仕事であったとしても、時間が経つと自ずから優先度は上がる。

優先度が低い仕事で、時間が経っても優先度が上がってこない仕事は最初からしなくてよい仕事である。

芦塚陽二の「仕事の法則」より

 

仕事をしていると、忙しくなるとついつい優先度の順に仕事をしてしまう。残った仕事が遅れ遅れになってしまう。しかし、優先度は時間によって変化する事を忘れてはいけない。

仕事をしていると、それがレッスンであれ、オケ練習であれ、優先度の高い物の方が時間が足りなくなる事は仕方の無い事である。そして、ついつい時間が延び延びになってしまい次の仕事や一日全体の仕事に影響を与えてしまうというような事が日常的に起ってしまう。自分としては優先度の高い仕事をしたのだからすこぶる正しいことをしたという感情がある。

時間の事を考える時はどうしても、「自分と相手」(当事者と今現在接している第二者)と言う立場で考えがちである。しかし、その影響をもろに受ける第三者にとっては、それははなはだ不愉快な事となる。

以下それらについての実例を挙げる。

 

時間についての実例

@     前の子供のレッスン時間がどうしても足りなくなって5分位伸びてしまった。次の子供の母親が文句を言った。「うちの子供のレッスン時間が短くなる。」

 

親はレッスン時間に対してレッスン料を払っているわけなのだから、親の不満は正論である。しかし、先生の好意でレッスン時間を延ばすと当然次の子供のレッスン時間は減ってしまう。それではえこひいきをしていると思われてもしょうがない。特に雇われている場合には教室のオーナーなどは時間に関しても細心の注意を払う。私の場合、30分のレッスンで、どうしても連弾をレッスンに組み込みたかったが時間が足りなかったのだが、その子に引っ張られる子とその子が引っ張る子を前後の時間に入れることによって、それぞれの子から5分ずつをとって前10分と後10分の連弾タイムを作り出した。生徒は20分余分にレッスンを受けられ、しかもタイムラグは5分しか出なかったので、父兄は大変喜んだ。しかしこれはあくまで偶然にも、レッスン時間の調整が上手く行ったからに過ぎない。レベル差の大きな生徒同士が隣り合った場合にはこういったことはできない。先生にとっては2〜3分の時間でも、父兄にとっては重要な時間である。

 

 

A前の子供のレッスン時間が足りなくなって5分位伸びてしまった。次の子も5分遅れのまま、レッスン時間は正確にレッスンをした。というわけで最後の子供が終わる時間が延びてしまった。先生としては時間は守ったわけだが、当然次の子供の母親が「帰りが遅くなる。」と文句を云った。「自分の子が遅れたわけではないのに何故遅くならなければならないの?」ピアノのレッスン後に塾などが控えているとなると、事はもっと深刻である。教室全体を巻き込んだ問題になりかねない。勿論前の生徒のレッスンが伸びたのが原因だから当然ながら相手の親の意見が正しい。

しかしレッスン時間に平気で遅れてきて、しかも時間通りにレッスンを終わると「レッスン時間が足りない。」と文句を言う親もいる。もっと困るのは自分の子のレッスンが時間通りに終わると、それからひとしきりおしゃべりを始める親がいる。基本的には相手の親に規約等を見せて確認させて、おしゃべりもレッスン時間内に済ませなければならない。それがどうしても言いにくい親もいる事は事実である。その場合には次の生徒の間にラグを設けなければならない。何らかの事情でレッスン時間をオーバーしてやりたい場合も(基本的にはやってはならないことだが)同様である。或いは最後にまわすという方法もある。しかしこの方法で事が上手く収まったとしても指導者としては、「それは正しい解決法ではない、」ということを知っておくべきである。いずれにしても後日他の父兄から「えこひいきだ。」と言われるであろうことは覚悟しなければならない。ほかの父兄に内緒でやったとしても、結局はいつかはばれるものである。また、「ばれなきゃよい」と言うことでもない。

 

 

 

B     コンクールを受ける子供のレッスンが間に合わないので好意でレッスン時間を延ばしてレッスンをした。しかし母親が電話しながら「まだ終わんないのよね!」といった。

 

 

生徒のためにとの好意が何故「余計なお世話」と取られるのか、理由は簡単である。レッスンを時間の中にまとめられなかった経験の無さが批判されているのだ。もし先生がちゃんとレッスンをしたと感じて、それでもレッスン時間が足りないと親が感じるのなら、親は追加レッスンを申し込むはずである。指導者が売っているものは技術と時間である。それを自ら安売りするとすれば、それは指導に対してのプライドが欠けていると言わなければならない。